2008年6月25日水曜日

バルー色の人生



 ピエール・バルー『AZ全録音集 1963-1966』
Pierre Barouh "Les Années Disc'AZ 1963-1966 - L'Intégrale des Chansons"


「私は旅人(ヴォワイヤジュール voyageur)ではなく散歩者(プロムヌール promeneur)である。実際に身分証明書の職業欄に散歩者と記入したことがある。」
 フレモオと同じように,この人も劣等生でした。ダチと遊ぶのは好きだったけれど学校で勉強するのは嫌いだったのです。みんなそうでしょうけど。トルコ系ユダヤ人の息子として生れ,第二次大戦時はナチスのユダヤ人狩りを逃れるためにフランス西部大西洋岸のヴァンデ地方に里子に出されます。ヴァンデの子供時代が,いつ密告によってやってくるかもしれないユダヤ人狩りの恐怖というシビアな状況だったはずなのに,この頃を回想するピエール・バルーは本当に幸せそうなんですね。この第二の故郷(まあ第一の故郷と言ってもいいんでしょう)の幸福な思い出のためか,永遠の散歩者バルーさんは20世紀の終わりに住まいも自分の会社サラヴァもヴァンデ地方に移してしまいます。永遠の旅するギタリスト,ジャンゴ・ラインハルトがサモワ・シュル・セーヌを終生の地に選んだのと同じようなものかしらん。バルーさんは今年74歳。まだ亡くなったわけではないので,ヴァンデが終生の地になるかどうかなんかわかったものではありませんが。
 唐突でありますが,子供たち,若い方たち,爺と奥様は数年前から「終生の地」をどこにしようか,ということをよく考えるようになりました。私たちは子供がまだ十代なのに,精神的年寄りなので,あと十数年で爺が年金生活者になって,娘が自活してくれたら,やっぱりエレベーターで昇り降りする住居は去りたいなあと思っているのです。自宅前がセーヌ脇のかなり交通量の多い4車線道路で,1970年代建築のわが建物の古い住人は「できた頃は川沿いを散歩できたのに...」と言います。爺たちは入居して14年になりますが,わが窓からは絶景が見えるものの,騒音と排気ガスとびゅんびゅん飛ばすクルマの危険にはずいぶん悩まされました。ドミノ師は何度か「あわや!」というシーンを体験しています。建物の住人たちも年々年寄りたちがここを去って他所に移るというケースが多いです。ちょっと年寄りには優しくない環境ではあります。で,ここを去った年寄りたちはどこへ,というと,ノルマンディー地方という人たちが少なくありません。セーヌ脇に住んだ人間の性(さが)でしょうか。川の流れと人生の流れが同じように見えてくるんでしょうか。ここから下流に進んでいくとノルマンディーです。エヴルー,ルーアン,ル・アーヴル,オンフルール,そしてセーヌは海に流れ込んでしまいます。パリが人生の中流だとすると,人生の下流もセーヌの下流が似合うかもしれません。私たちが入居した頃,まだセーヌ川の定期船で「パリ〜オンフルール〜ドーヴィル」というのが運行しているのを見たことがあります。何時間かかっていくのだろうか,下りは早いだろうけれど,上りは一日がかりかな,などと考えたものですが,いつしかその姿も見えなくなりました。
 ドーヴィル,ドーヴィル,ドーヴィル....
 唐突ですが,バルーさんに戻ります。クロード・ルルーシュ『男と女』は,(後年の人様の評価はともあれ)青森の中学生だった爺には非常に衝撃的だった作品で,ストーリーよりもいろんなシーンが頭に残って離れなかったのでした。だから大人になってフランスの住人になって,そのゆかりの地ドーヴィルにも(なにしろパリから近いから)何度も行くようになって,その度に同行した人と『男と女』の話をしようとするのですね。ほら,ここからフォード・ムスタングがヘッドライトのパッシングをすると,アヌーク・エーメと子供たちが飛んでくるんだよ,とか。
 フランシス・レイの音楽は私はず〜っと長い間電子楽器の音だと思っていたので,それをずいぶんあとでアコーディオンと知った時には仰天しました。私にも「電子楽器=未来,アコーディオン=過去」という極端な偏見があって,ガキの私の耳には『男と女』や『白い恋人たち』のインスト音は未来サウンドであったのですね。なにしろ時代は60年代ですから。
 歌が多い映画で歌がナレーション説明みたいになっているのが,大人になってから見るとなんか安っぽい歌謡ドラマのように見えてきまり悪い思いをするようになります。バルーさんは世界の映画史上でこんな風に歌(=シャンソン)と音楽が重要な関わり方をした映画は『男と女』が初めてだ,と言うのですが,たしかに音楽と歌ときれいな絵だけで見せてしまう映画というのは,それ以後急に増えたような気がします。
 この映画はルルーシュという映画人のキャリアとそれへの否定的な評価などを伴って,後年どんどん色あせていくのですが,音楽だけはひとり歩きして全く色あせることがない。一方で誰でも知っている「ダバダバダ....」がありますが,ピエール・バルーはこの映画の中で「サンバ・サラヴァ」という後年の世界音楽を変えてしまうような曲を披露しています。これはヴィニシウス・デ・モラエスとバーデン・パウェルの曲にバルーさんがフランス語詞をつけたボサノヴァ讃歌/ブラジル新音楽讃歌ですが,この録音はブラジルで偶然に出会うことができたバーデン・パウェルと,フランスに帰国する前夜に徹夜でレコーディングされたもので,1トラックのレヴォックス機で録音されたテープが,このオルリー空港についたばかりの若きバルーさんの手の影に見えます(↓)。

 このテープを聞いて心うたれてしまったクロード・ルルーシュは急遽『男と女』のシナリオを変え,この歌を映画の中に入れてしまうのですね。「サンバが人生の中に入ってきてしまった」とアヌーク・エーメはジャン=ルイ・トランティニャンに説明します。ブラジル音楽に身も心も奪われてしまった最もブラジル人的なフランス人「ピエール」。いいシーンですね。この全世界大ヒット映画のこのシーンを見て,ブラジル音楽やボサノヴァに開眼してしまった人たちがどれほど多くいることでしょうか。

 「サラヴァ」はこうして生れ,「サラヴァ」が生まれる前,ピエール・バルーは民放ラジオ会社ウーロップ・1(Europe No.1)が持つレコード会社 Disc AZと契約した歌手でした。このCD2枚組(+DVD)は,バルーさんがAZに在籍していた当時(1963-1966)の全録音32曲を集めたもので,自分のレコード制作会社サラヴァを設立する前の,言わば「前・サラヴァ」期のすべてです。内容は5枚の4曲入りEPシングルと1枚のLPアルバム"Vivre"を合わせたものです。企画制作は現在AZ社音源の権利を所有するユニヴァーサル・フランスによるものです。『男と女』のサントラ中,バルーさんの歌入りの4曲が収録されていて,「サンバ・サラヴァ」もブラジルでの1トラック録音の音がそのままで収められています。回転ムラが聞き取れますが,それがまた「味」です。


<<< トラックリスト >>>
CD 1

1. Tes dix-huit ans
2. Le verbe aimer
3. Le roman
4. De l'amour à l'amour
5. La chanson du port
6. Le tour du monde
7. Nous
8. Chanson pour Teddy
9. Le courage d'aimer
10. La barque de l'oncle Léon
11. Mourir au jour le jour
12. Lorsque j'étais phoque
13. Ce n'est que de l'eau
14. Notre guerre
15. Un violon une chanson
16. On n'a rien à faire

CD 2

1. Un homme et une femme (avec Nicole Croisille)
2. Plus fort que nous (avec Nicole Croisille)
3. A l'ombre de nous
4. Samba Saravah
5. Vivre
6. Un jour d'hiver
7. Ce piano
8. Le coeur volé
9. Roses
10. Les filles du dimanche
11. Huit heures à dormir
12. Monsieur de Furstenberg
13. Des ronds dans l'eau
14. Celle qu'on n'oublie pas
15. De l'amour à l'amour
16. Chanson ouverte à mon directeur artistique

DVD
ロングインタヴュー "Les rivières souterraines"(地下水脈)
+ボーナス(テレビ画像)


2CD+DVD UNIVERSAL FRANCE 5308731
フランスでのリリース:2008年6月9日

2008年6月24日火曜日

壁でマリリンが笑っていた



 (← 爺とマリリンとフレモオ)

 インタヴューは一週間前の6月18日にしました。パトリック・フレモオは「CD不況」を知らない今時珍しいCD制作会社フレモオ・エ・アソシエ社のオーナーで,プロデューサー/パブリッシャーです。
 同社の最初のリリースが,ジョー・プリヴァのギタリストだったディディエ・ルーサンが78回転SP盤のコレクションから音を起こして監修した戦前アコーディオンの名演奏集『アコーディオン 1914-1941』という36曲2枚組CDでした。1991年のことです。この初回リリースにはディディエ・ルーサンの詳細な解説をわけもわからずやっつけで訳したワープロ刷りの日本語解説がついていました。ひどい訳でした。それをしたのは私です。
 あれから17年,フレモオ社の商品目録は1000点を越してしまいました。17年204ヶ月で割ると,平均で月に5枚の新譜を発表しているという計算になります。すごいです。おまけにフレモオ社の辞書には「廃盤」という文字がない。売れなくても絶対に廃盤にしない。ストックは果てしなく増え続けていくのです。多くの業界内部の人間たちは,「増え続ける在庫」と聞いたら,卒倒しそうになるでしょう。フレモオはそれでもかまわない,という考えなのです。
 フレモオの商品構成は大別して,音楽CD,朗読や講座や音声ドキュメントのCD図書,そして自然音CD(野鳥/動物/昆虫/サウンドスケープ...)の3部門があります。音楽はジャズやワールドミュージックやシャンソンなどのパブリック・ドメイン(発表後50年が過ぎて,著作権フリーになった音源)ものが中心ですが,監修をその分野のフランスのオーソリティーに依頼し,詳細や資料と解説のついた厚いブックレットつきのボックスセットで発表するというのが,前述の第1回リリース『アコーディオン1914-1941』以来一貫したフレモオ社のスタイルとなっています。ジャズにはアラン・ジェルベ,ジャン・ビュズラン等,シャンソンにはジャン=クリストフ・アヴェルティー,ブルースにはジェラール・エルザフトといった人たちが監修/解説を担当するので,言わば教養講座的な部分がとても強調されます。解説を読むためにCDを買うみたいなところもあります。だからフレモオは「ダウンロード」を怖がらないのです。このパッケージングがあるからこの会社のCDは売れ続けるというわけですね。ジャンゴ・ラインハルト全録音集というすごいものがあって,2枚組CDが20巻,つまり計40枚ものなのですが,監修のダニエル・ヌヴェール(元パテ・マルコーニのディレクター)が各巻で30-50ページの解説をつけてしまうのですね。愛,でしょうか。
 CD図書はカミュ自身の朗読による『異邦人』(CD3枚組)や,若き哲学者ミッシェル・オンフレイの哲学講座『哲学反史』(各巻12-14枚組CDでもう8巻も出てます)などが良く売れているそうです。20世紀大河小説として知られるジュール・ロマン『善意の人々』(CD14枚組),セリーヌ『夜の果てへの旅』(CD16枚組),『聖書』(CD10枚組),『イーリアスとオデッセイア』(CD10枚組)など,日本的に考えると応接間の飾りになりそうな長尺ものもあります。
 レコード/CD業界にいる者だとかえって「こんなもの誰が買うのか」と考えがちです。20世紀後半の視覚万能時代(映画,テレビ,インターネット...)になってから,これらの録音財産は国営放送局や国立視聴覚研究所の資料室に埋もれたまま消滅していくしかない運命にあったのです。それをフレモオはひとつひとつ救済して,録音のディジタル化によって「永久保存」をしたわけです。

 詳しくは別原稿で書いてますから,そちらの方で。
 爺は何もフレモオの偉人伝を書こうとは思っていなかったのですね。音楽,文学,哲学,政治,社会,自然....なぜに17年間でこんなに手が拡げられたのかが私の興味でした。学歴差別のような発言をあえてしてしまうと,フレモオは大学に行っていないのです。おまけに中学高校で何度か落第もしている劣等生だったのです。私のダイレクトな質問はこうでした「あなたのような劣等生が,音の百科全書派とでも言うべき,知の総合的な領域を持つに至ったのはどうしてですか?」 ---- さあ,フレモオは何と答えたでしょうか?

2008年6月21日土曜日

今朝のフランス語「ドロール・ド・...」



 6月20日、左翼系日刊紙「リベラシオン」の社屋の中に、大統領夫人カルラ・ブルーニ=サルコジが出向いて行って、編集長ローラン・ジョフランら5人のジャーナリストのインタヴューに答えました。そのインタヴューは翌日6月21日の同紙に掲載され、第一面の見出しは "DROLE DE DAME"(ドロール・ド・ダム)ときました。Dが三つも並びました。DDDです。

 リベ :あなたのレコード会社ナイーヴは新アルバムに「その夫が嫌いでもカルラ・ブルーニを愛することはできる」というスティッカーを貼るという案を持ってきました。それについてどう考えますか?

 CBS : それが意図したことは理解できます。いつかはこの混同にまつわって足下に生えてくる雑草を刈り取らなければならないということです。私はこの分裂状況が起す障害については自覚しています。なぜならそれは私自身の中にも障害を起しているからです。私がアルバムを作るとき、私は私の内面の核心まで入り込んでいきます。そのことを保存するには、私は私自身を分裂させなければならなかったのです。これは、単に歌手として留まるためだけではなく、自分が生き残るための唯一の解決方法でした。

 リベ :「生き残る」とは大げさな!

 CBS : 外的な状況に完全に追い越されてしまったという現実に生き残ることです。

 この女性は雅子様の変種かもしれません。自分が飛び込んだ世界というのは、自分自身であり続けることに極端な圧力をかけてきます。夫(公人共和国大統領、私人ニコラ・サルコジ)は、この女性が「この場面ではカルラ・ブルーニであってほしい」「ここのところではカルラ・ブルーニではあってほしくない」という細かい決まり事を要求しているはずです。これを彼女自身 「Dédoublement 分裂」という言葉で表現しています。
 彼女のサードアルバム "Comme si de rien était"は、予定を早めて7月11日にフランスの民間独立レコード会社ナイーヴから発売されます。"Comme si de rien était"(何ごともなかったように)は、誰も何ごともなかったように手にするわけにはいかないです。リベラシオン紙はこう問いかけます「ヒロインは誰か? 歌手?あるいは夫人?」
 夫人には全く興味がない、あるいは夫人となったことに失望した人たちも、音楽アーチスト/シンガーソングライターのカルラ・ブルーニにはまだ興味があるのではないか? ー そうであって欲しいとレコード会社もアーチスト自身も考えるわけですね。爺はこれは虫が良すぎる話ではないかと思うのであります。
 
 日本でこの女性像がはっきりと見えないのは、一介の美人歌手だからでしょう。ところがこの女性のファーストアルバムを何百万枚という数字で支えたフランスのリスナーたちは、一介の美人歌手としてこの女性を見ていなかった。歌の下手なヴァンサン・ドレルムのアルバムを支えたリスナーたちと同じように、テレラマ、リベラシオン、レ・ザンロキュプティーブル、ル・モンド、ヌーヴェロプス....などを読み、テレビの歌番組(スターアカデミー、ミッシェル・ドリュッケール...)などには見向きもしなかった人たちでしょう。すなわち、音楽アーチストとしてのカルラ・ブルーニに本物の才能を感じ取った人たちであり、それはフランスの芸能アートの良質の部分を支える「気分的に」左翼の人たちであるわけです。賭けたっていいですよ。カルラ・ブルーニが超大富豪の家柄の娘であるにも関わらず、虚飾に満ちたモード/ファッション/ブランドの世界で仕事していた娘であるにも関わらず、カルラ・ブルーニのファーストアルバムを買ったのは4人に3人は左翼シンパのはずです。その声、その細やかな詩情、そのインテリジェンス、その自由な女性のアイデンティティー...それは「気分的に左翼」の世界のものなのです。カルラ・ブルーニ=サルコジはこのインタヴューで "Epidermiquement de gauche"(上っ面だけ左翼)という言葉を使っています。
 サルコジの選挙運動中、そして大統領になった日、集まった支援アーチストたちを思い出してみましょう。ミレイユ・マチュー、ジョニー・アリデイ、シルヴィー・ヴァルタン(選挙運動テーマ曲”ニコラ”)、フォーデル、エンリコ・マシアス、ディディエ・バルブリヴィアン、ジルベール・モンタニエ...。私はこの大統領の下では、こういう音楽アーチストたちがメインストリームに還ってくるのか、と青ざめたものの、反面保守反動のアーチストたちの層の薄さに安心もしたりして。 しかし、まさかこんな人たちの中にカルラ・ブルーニが入っていくことなど、誰にも考えられなかったでしょう。
 サルコジの妻になることが必ずしも保守反動のアーチストになることではない ー とたぶんレコード会社は言いたいわけですね。歌っているのはサルコジの妻ではない、カルラ・ブルーニである、と。この違いは今やまったくはっきりしていないのです。

 今朝のフランス語です。

 Drôle de dame(ドロール・ド・ダム)

 大修館新スタンダード仏和辞典では 「drôle de + 名詞」の成語の訳として
 妙な、変な;《話》非常な、ものすごい、un drôle de type 妙な(うさん臭い)やつ
 と書いてあります。したがって「妙な女、変な女、非常な女、ものすごい女、妙な(うさん臭い)女」とリベラシオン紙の第一面見出しはカルラ・ブルーニ=サルコジを評しているのです。正論です。


PS 1
リベラシオン紙のサイトに6月20日のインタヴューの時のヴィデオ断片が2編載っています。
"リベラボ「ドロール・ド・ダム」"
 第1編の方で,リベラシオン社屋の外に抗議デモ隊が出ていて,カルラ・ブルーニの来訪にヤジ怒号を上げているのが,通りから聞こえてきます。ローラン・ジョフラン(編集長)が窓を閉めて,一旦は静かになりますが,それでもインタヴュー途中で外のシュプレヒコールが聞こえます。カルラ・ブルーニは驚きと共に恐怖を感じています。これほどまでに人々は自分に反感を抱いているということに,この時初めて気づきます。ビビっています。インタヴューへの答えはとても下手です。言ってはいけないことの制約が多すぎるのでしょうか。自分でも1年前のような答えはできないのだ,と言い訳しています。
 6月23日,リベラシオンで見た調査機関Viavoiceの世論アンケートによると,大統領サルコジの支持率は5月にやや戻して41ポイントまで回復したものの,6月調査では38ポイントに再びダウンです。


PS 2
6月23日,リベラシオン紙のインターネット版やAFPのインターネット短信によると,土曜日21日のカルラ・ブルーニ特集記事(7面)に対してリベラシオン読者が轟々の批難&抗議のメールを寄せていて,同紙インターネットの投稿欄だけで1300を越す書込みがあったそうです。副編集長ディディエ・プールケイの弁では「8割が否定的な反応」です。例:読者マクサンス「長年の愛読者として私は貴紙の選択に大きな衝撃を受けた。かりそめにも左翼の新聞を自認するものが,カルラ・サルコジに7面も割いていいものか。答えは明白にノンなのである」。その他,拒絶,激怒,嫌悪,糾弾,限度を越える個人攻撃など,轟々々,goes on です。
 リベラシオン紙の編集会議は,このネガティヴな大反響にどう対処するかを討議した結果,もうこれ以上何も言わない方がいい,反応の反応の反応という雪だるまを作らない,もうこの件で紙面は割かない,という決定を下したそうです。"Comme si de rien n'était" 何ごともなかったように。


PS 3
テレラマ誌6月25日号に,同誌が「カルラ・ブルーニ vs クリスティーヌ・アンゴ」の対談を企画して両者の同意を取っていたのに,対談日2週間前にカルラ・ブルーニ側からキャンセルされたことが報じられていました。理由は「時間が取れない」だそうです。
 CBSは7月に新アルバムを,CAは9月に新作小説をそれぞれ発表するという,違いはずいぶんあれども二人とも時の人です。極私的シャンソンのシンガーソングライターと極私的小説の作家の対談です。CAは対談承諾の条件としてCBSのアルバムを前もって聞けることとCBSがCAの小説を読むことを上げていました。CBSは同じ条件とテレラマ誌が前もってCBSのアルバムを聞くこと,ということを要求しました。数ヶ月前から「漏れ」はあちらこちらであったようですが,一応(厳選された)関係者以外誰も聞いたことがないアルバムです。条件ですから,テレラマ誌スタッフ4人は,件のアルバムのプロデューサーのドミニク・ブラン=フランカールのスタジオに行って,内密の試聴会をしてもらいます。同誌ヴァレリー・ルウーは「私たちが聞いたものは傑作と言うにはほど遠いものだったし,何ら興奮させられるものはなかった。2〜3曲のきれいな歌,いくつかの良く書かれた歌詞,ネオ・イエイエ風または80年代風のアレンジ....Bref, un album de variété ordinaire。端的には凡庸なヴァリエテ・アルバムである」と,この記事でその第一印象を記しています。
 6月4週目の大統領夫妻イスラエル訪問と,7月の洞爺湖G8サミットの間,この2週間ほどの時間にカルラ・ブルーニは種々のマスコミのインタヴューを組んでいました。しかしテレラマ(つまりクリスティーヌ・アンドとの対談)はキャンセルされました。「時間がない」という理由は,アンゴの小説を読む時間がないのか,前もって傑作と賛辞することができない雑誌になど割く時間がないということなのか,と記事は続きます。これはテレラマの「硬派文化誌」流儀の思い上がりでしょうに。アーチストが最初からけちゃんけちょんにけなされるというのをわかっていて,どうしてそんな雑誌の企画にのこのこ出かけられましょうか。アンゴなんかと対談したおかげで,楽しみにしていた洞爺湖の旅の気分が台無しになってしまうかもしれせんし。

2008年6月18日水曜日

プリミティフの夜




昨夜は21時からパリ10区ニュー・モーニングでプリミティフ・デュ・フュチュールのライヴでした。外ではフランス全土が「ユーロ2008,フランス無惨な敗退」ということを実況で体験していたはずです。ニュー・モーニングの中は,全然違う熱気で,大人の格調の雑多音楽を楽しんでいました。ダニエル・コランさんのアコは冴え渡ってましたね。どうしてあんな凄い早技が何の雑作もなく...。おとぼけアルトサックス男ダニエル・ユックとテレミン姐さんフェイ・ロヴスキーのスキャット合戦というすごいシーンもありました。木琴/ヴァイブラフォンのジャン=ミッシェル・ダヴィの予期せぬドラムソロもありました。ブラスバンドやコーラス隊も入って,舞台は狭い!1930年代パリ版のサージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンドを見る思いです。
 写真はピエール・バルーさんが朗読で加わった「ジャンゴ・ラインハルト最後のルンバ」。
 それから動画はモアメド・バージ(マンドーラ/ヴォーカル)とキレディン・メジュービ(デルブッカ)がフィーチャーされた「チチーヌ」の一部です。

2008年6月15日日曜日

流行作家はお好き?



 『サガン』2008年フランス映画
 "SAGAN" ディアンヌ・キュリス監督
 主演:シルヴィー・テスチュー


 日はフランスでは「父の日」だったので、娘が映画代をおごってくれました。
『ディアボロメント』や『世紀の子供たち/Les enfants du siecle 邦題「年下の人」』の女流ディアンヌ・キュリス監督による、フランソワーズ・サガン伝記映画です。昨年ピアフ伝映画『ラ・モーム』でピアフを演じたマリオン・コティヤールが、お嬢ピアフにうり二つの容貌の鬼気迫る演技で観る者を圧倒したのですが、このサガン映画も封切り前から、シルヴィー・テスチューの極似した容姿と、早口でボソボソボソっとしゃべるサガン独特の口調で、ほとんど馮依にしか見えないような迫真演技が話題になっていました。
 フランソワーズ・サガン(1935-2004)は爺たちの世代の作家です。高校時代、文学少女と呼ばれる子たちはみんなサガンを読んでいて、それがエスカレートして、サガンを学ぶために大学仏文科を目指す、という女高生たちは日本にゴマンといたはずです。男の子たちがカミュ/サルトルを読むのに対して、女の子たちがサガンを読む、というのがよくあるパターンでした。また女の子の中にはサガンと倉橋由美子を合わせ読むというくせ者もあり、ブルジョワとアンニュイの粉を青森くんだりでばらまいていたのでした。青森高校は昔から切れやすい人たちばかり...。(関係ないか)
 かく言う爺は、フランソワーズ・サガンは何読んでも皆同じ。アンニュイの日にはやっぱりアンニュイ、無関心でありながら孤独、シニック、不信、不倫、スポーツカー、ギャンブル、性的スキャンダル...これらをホテル・リッツやホテル・ラファエルや、ニューヨークや...ジェット・ソサエティー環境でミックスして書けば出来上がり、という一連の作品だと思ってました。18歳の時に書かれた「悲しみよこんにちわ」は最後まで読みました(日本語)が、「ブラームスはお好き?」は途中で投げました。
 なぜ売れる? ー これは女心は女でなけりゃ、の領域なのだろうと爺は逃げるようにしました。
 映画は裕福な事業家の娘フランソワーズ・コワレが18歳で処女作「悲しみをこんにちわ」を書き、未成年であるために、印税が父親宛に入ってくるのですね。父親は作品を読んでショックを受け、その父親の情事というところに当惑して、モデルが自分と思われたらかなわんから、筆名を使って出版せよ、と命じます。筆名はプルースト『失われた時を求めて』の登場人物からとって、フランソワーズ・サガンとします。爺も筆名を使うのは親家族に迷惑をかけないためですが、世にはそういう迷惑をかけるような作品を発表していないと思われていますけど、実は若い頃のは...。まあ、それはそれ。
 文芸批評家賞を受賞してから、「悲しみよこんにちわ」は飛ぶように売れ、フランスで社会現象となり、世界主要国で翻訳され、地球規模のベストセラーになります。ノルマンディーに邸宅を買い、派手なスポーツカーを買い、取り巻き連中と連夜のパーティーとカジノ遊び。巨額の収入を一夜で使い果たす、極端な遊び好きで、サガンと共同生活する取り巻きサークルは、ある日超金持ちになったかと思うと次の日は超貧乏に陥るという、ジェットコースター型の浮き沈みを生きていました。落ちたものを再上昇させるのが、サガンの新作小説というわけで、それは60年代70年代頃までは機能するんですね。その頃までは出せば売れるという流行作家でいられたのです。その間に自動車事故を起こし、危篤状態まで陥ったのに、奇跡の生還。しかしこの入院中に痛み止めのモルヒネの中毒になり、これは一生直らないんですね。これはエディット・ピアフもそうでしたね。そしてアルコールとドラッグ。それがサガンの創造活動になくてはならないものなんでしょうが、シルヴィー・テスチューはよく演じてますねえ。
 何のために書くのかということを何度も自問自答します。結局ひとりでいるのが恐すぎるから、人と一緒に居続けるために書いているという、人間関係ほしさという傾向が強調されています。しかし流行作家サガンも落ち目になるのです。取り巻きがひとり、またひとりと消えていきます。
 死はボロボロですね。死に目に会いにきた息子にも会わずも追い返し、家を売って無一物貧乏隠遁者となったあとの鷹揚な態度の介護婦(最後には涙をながすおばさんになります)だけが、死の床にいます。

 極端な一生を1時間50分映画で。やはりピアフ『ラ・モーム』のような過度な脚色はさけられないんですが、小説で読むより、ずっと実像のはっきりするバイオグラフィー映画だと思います。凄絶な女一代ですけど、スピード狂の失速というのは命取りなんですね。

(↓)ディアンヌ・キュリス映画『サガン』の予告篇です。


PS.

パリの地下鉄で配布されている週刊フリーペーパー A NOUS PARIS6月16日号で,シルヴィー・テスチューがこんなこと言ってます。
 「日本語を習得するより,サガン語を会得するほうがずっと難しい」
この人はかのアメリー・ノトンブ小説の映画化(アラン・コルノー監督)で,日本商社OLアメリーさんを演じて日本語を話していたのでした。日本語ってそんなに簡単じゃないですよ。なめてもらっては困る。私は日々日本語で悩んでいるというのに。

2008年6月13日金曜日

She don't lie, she don't lie.... COCAINE



 国の沽券(こけぃん)に関わる問題でしょうか...。
 外交問題に発展しているそうです。一介の音楽アーチストとご本人は思っているでしょうが,このポジションでは発売前の曲でも世界を傾けさせてしまうことになりかねません。傾国の美女ということでしょうか。
 カルラ・ブルーニ=サルコジの7月21日発売のアルバムの1曲 "Tu es ma came"(直訳すると“あなたは私のヤク”)の歌詞が6月11日付けの仏日刊紙フィガロに載ったのでした。

Tu es ma came
 (あなたは私のヤク)
Plus mortel que l'héroïne afghane 
(アフガニスタンのヘロインよりもヤバくて)
Plus dangereux que la blanche colombienne
 (コロンビアの白い粉よりもアブナイ)

 これを読んだコロンビア国の外務大臣フェルナンド・アラウヨは激怒して,「この歌詞がフランス大統領夫人の口から発せられるという段階において,われわれはその言葉がコロンビアを著しく傷つけるものであると考える」と抗議した。
 「われわれはいかなる理由においても,またいかなる社会階層においても,コロンビア産麻薬が用いられることを糾弾するものである。コロンビアにおいて麻薬使用は暴力と死を招くもとになっている。麻薬使用を賛美擁護するのではなく,全世界が麻薬撲滅の戦いのためにわれわれを支援することを願っている。(中略)こういうことは往々にして政治と芸能をごちゃまぜにする場合に起こるのである」。

 コロンビアは世界一のコカイン産出国で,その量は年間700トンに及ぶと言われています。そのナルコ・ダラー(narco-dollar。麻薬輸出による黒い資金)は,反政府ゲリラFARCの資金源となっているとも,権力者側の資金源になっているとも言われています。その麻薬で動く影の勢力と闘おうとした元大統領候補者,イングリッド・ベタンクールはもう6年以上も反政府ゲリラFARCの人質となっています。
 私はこの外務大臣の抗議の中で,最後の点だけは圧倒的に正しいと思います。つまり政治と芸能(アート,スペクタル)をごっちゃにすることが問題なのです。カルラ・ブルーニ=サルコジは,公人として政治的存在であり,その口から発せられるものはすべて政治的発言となります。もはやこのアーチストに,この歌詞はそう取るな,と言っても無理なのです。政治と芸能を分離しようと思ったら,大統領夫人をやめてからにしないと。
 とは言いながら,これもエリゼ宮(大統領)が画策した,大統領夫人カルラ・ブルーニ=サルコジ新アルバムのプロモーション目当ての小スキャンダルかもしれません。

2008年6月11日水曜日

FHL氏に日本語を注意される



 今日と明日,ベルシーにマニュ・チャオが登場です。3時間半ノンストップだそうです。私は某筋からの招待券を待つ,という愚行をしてしまい,結局チケットを手に入れることができませんでした。悔やまれます。チケットだって,29ユーロ(4800円)というこのクラスでは破格の安さで,一体私は何をケチっていたのでしょうか。まず,水曜,木曜,というのがネックでしたね。3時間半オールスタンディングでぐじゃぐじゃになるには,水・木は中高年勤労者にはつらい曜日でした。タカコバー・ママは「座って見れないコンサートはもういや」と婆臭いことを言うのでした。実は私もそういう傾向がありまして...。結局ぐだらぐだらしてる間に,チケットはソールドアウト。某筋マルク・Zはインヴィテーションなんかどうにでもなると言いながら...。

 「ラティーナ」7月号用にフランソワ・アジ=ラザロ(Francois Hadji-Lazaro 略称 FHL)のことを書いたのですが,5月22日フランソワの再結成ピガールのコンサート(バタクラン)はすごく良くて,歳の取り方が下手な連中ばかりが集まって,ビール飲んではしゃぎ回ることがこんなに楽しいことなのか,といううれしい驚きでした。フランソワにはインタヴューを申し込んだのに,どうしてもタイミングが合わず,結局電話で少し話した程度で原稿は書き上げたのでした。マニュ・チャオとの確執というのは興味あったのですが,周り(メディアよりも両者のファン同士)が大げさに言うような「仇敵関係」ではないと思います。フランソワはロス・カラヨス(マニュ,パラベリュムのシュルツ,ヴァンパスのアランらとフランソワがやっていたバンド)が当時最高のバンドだったという自負があるんですね。マニュ・チャオは世界最高のバンドはマノ・ネグラと思っているフシがあります。まあ,いいんじゃないですか。ロス・カラヨスは良いバンドです。再結成は絶対にしないでしょうが。
 編集の人から校正用のゲラがPDFで送られてきて,読んでも何もわからないであろうフランソワにも一応コピーを送ってみました。そうしたらFHL氏はすぐにメール返信をしてきて,XX頁のY段のZZ行に日本語の綴り間違いがある,と指摘してきたのでした! そう言えばその前にジャーマネの人から「フランソワは日本語がわかるからめったなことは書けないぞ」と脅されていたのでした。
 恐るべし怪僧海坊主。

 

2008年6月5日木曜日

壁の中で何が起こっているのか

François Bégaudeau "Entre Les Murs"
フランソワ・ベゴドー『壁の中で』


 刊ではありません。2006年発表の小説で,この作品を映画化したローラン・カンテ監督映画『Entre les murs』がこの5月のカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞したのでした。この映画はフランス公開が10月の予定です。子役を使わず,現実のパリ19区のコレージュ(中学)の生徒たちをほとんど生(き)のままで登場させ,元教師である作者フランソワ・ベゴドー自身がフランス語教師役で主演しています。パルム・ドールを獲った時から,テレビで何度もこの映画の断片が紹介され,監督や俳優らと共に一緒にカンヌ映画祭に行っていた20数人の少年少女たちがカンヌで大騒ぎしている映像を見ながら,私はこれは絶対に悪いはずがない,と確信させるいろいろなものを感じていたのでした。
 フランソワ・ベゴドーは1971年生れ。地方のフットボール選手からパンクロックバンド、ザブリスキー・ポイント(これはアントニオーニ映画『砂丘』ですね)のヴォーカリストに転身、次いでパリのコレージュでフランス語教師(この小説の元となる体験ですね)、映画雑誌のジャーナリスト、テレビでの時事評論家、著作では疑似伝記"Un democrate Mick Jagger 1960-1969"と、小説を3作発表していて、この『壁の中で』はその3作目になります。
 裏表紙にこう書かれています:『何も言わないこと,解説に飛躍しないこと,知と無知の合流点に留まっていること,すなわち壁の下にいること。それがどうなっているのか,どのように起こっているのか,どうしてそうなるのか,どうしてそうならないのかを描写すること。事実によって説教をバラバラに引き裂き,行動によって思想を分裂させること。ただひたすらに艱難辛苦の日常性を資料化すること。』
 この小説は教育現場のドキュメントではありません。ベゴドー作のフィクションです。しかし,学校の中で何が起こっているのかを語る場合,多くは教育システムの荒廃や,その社会背景や,21世紀的子供の心理の分析や,何が役に立ち何が役に立たないのか,といった「問題を解決しよう」という目的性のもとに書かれます。学校は病んでいる,子供たちは苦悩している,それを救済しなければならない,という立場がアプリオリに要求されます。ですからフィクションの場合,熱血教師が出て来て生徒の問題をひとつひとつ解決してやったり,友情は貴く,勤勉さは報われ,個性的であることは欠点ではない,といったことが描かれる必要があり,ノンフィクションの場合はネガティヴな現実を乗り越えるポジティヴな教育論がなければいけません。
 ベゴドーは,フィクション/ノンフィクションに関わらずこれらの教育現場に関する世人の長広舌(教育美談・改革論・解説・論争論議)を全部シャットアウトし,中指を高く突き上げます。教師の日常なんてこんなもんじゃないし,生徒のそれもしかり。ベゴドーの小説はそれを現実に近いかたちで提示するだけで,この「壁の中」という荒野がはっきりと見えてきたらいい,と考えているわけです。
 場所はパリ19区です。地理用語的には郊外ではありません。郊外であるかないかは,国境の内外のような文化的差異があるかのように,普通のフランス人も考える傾向があります。この20年ほどのマスコミ報道のせいで,郊外は貧困,失業,移民,暴力といった否定的なイメージとすぐに結びつきます。だから19区とは言え,パリ市内なのだから,郊外よりはましだろう,という先入観があります。この「パリ市内」を表す言葉が "Intra-muros"(イントラムロス)というラテン語で,城壁都市の内側,壁の中を意味します。パリという壁の内側の,公立コレージュ(中学校)という壁の内側が,この小説の舞台です。生徒たちの名前は,クーンバ,スーレイマン,ハキム,モアメド・アリ,ゼング,ミング,ジブリル,ヒンダ....。エキゾティックな名前ばかりです。ラマダンの業を行う子たち,ヨム・キップールや中国新年に学校を休んでいいかと聞く子たち,さまざまです。スターリングラードとベルヴィルに挟まれたこのパリ市内の東北部はそういうところです。東北はいつも悲しい。
 そして教師たちも極端に疲れています。動かないコピー機,つり小銭を戻さないコーヒー自販機,生徒たちや親たちとの対応は言うまでもありません。彼らは慢性的に睡眠不足で,ストレスは限界まで蓄積されています。しかし,公立コレージュというのは義務教育のどうしようもない教育期間であり,小学校で何も覚えられなかった子が中学で何かを覚えられるわけがない,という言い訳が既に教師たちの頭にあります。そしてこの小説の中で主人公教師が何度も言うのは,コレージュの後に生徒たちを受け入れるリセ(普通科と職業科)の席数は全員受け入れられるほど十分にあり,出来はどうあれどこかのリセのコースに入れて卒業させてしまえばいいのです。日本のような高校受験の危機感がないのです。無力感を伴いながらも彼らは日々を消化し,生徒たちと学年末までつきあいます。何度も素行に問題ある子の事件報告を校長や規律委員会に提出し,親を呼び出し,必要に応じて懲罰を決定します。この小説ではこの懲罰会議の結果,いとも簡単に満場一致で何人もの子供たちが退学放校処分を受けます。どうしようもない子供はどうしようもないのだ,という考え方が支配的です。教育の場で私たちが想像しがちな,子供を救済しなければと必死になっている教師の姿は,ここには一人もいないのです。それは私たちの想像が間違っているのです。そういう教師など世の中にそんなにいるものではないのです。
 教師側がそういう姿勢ですから,生徒側も教師に対する信頼度はかなり限界があります。ベゴドー描く話者(フランス語教師)は,果敢にも態度の悪い子たちに厳しい態度でのぞむ熱血漢の側面を持ちながら,生徒たちのレベルの低さには最初から絶望しているような冷ややかさがあります。生徒たちの間違いを訂正するのではなく,逆に揶揄したり茶化したりという場面が多くあります。ある日この教師はある女生徒の笑い方が "pétasse"(ペタス)のようだ,という言い,言われた子は大変憤慨して,先生は私のことをペタス扱いした,と大スキャンダルを起こします。僕はきみをペタス扱いなどしていない,ペタスのような笑い方と言っただけだ,と教師は反論します。何が争点なのかをはっきりさせますと,このペタスという俗語(卑語 gros mot)は辞書になど出ていませんが,その女の子が理解している意味は「娼婦」なのに対して,教師側の把握している意味は「扇情的な女」なのです。この二つの意味には大変な距離があるわけです。この距離を教師側も生徒側も縮めようとはしないのです。

 そのテクストには炭坑ストライキのことが描かれていて,それを読んだ生徒たちが質問します。

   - 先生,石炭というのは何の役に立つのですか?
   「以前は最も重要な燃料だったんだ」
   - 先生,燃料って何ですか?
   「燃やすもののことだ」

 ここで教師はこのテクストの方が無益なのではないか,と自問するのです。話題をもっと最近のものに変えようと,彼は生徒たちに「1981年5月10日に何が起こったか?」という質問をします。89年90年生れの生徒たちが占めるこのクラスで誰も81年のことなど知りません。フランスの現代史というのはこのエキゾティックな子供たちには何の重要性もないのです。ここでベゴドー先生はこう言うのです。「1981年5月10日,フランソワ・ミッテランが大統領に選出され,ボブ・マーリーが死んだ。当然のことながらボブ・マーリーのことはあまり語られていない。なぜなら当時ミッテラン大統領誕生はきわめて重要なことだったんだ。」

   - 先生,ボブ・マーリーはどうして死んだんですか?
   「ミッテランが選出されたショックで死んだんだ」
   - 本当ですか,先生?
   「正真正銘の史実だ」


 殺伐とした荒野のような「壁の中」でフランス語教師はこういう日常を生き,苛立ち,何度も(文字通り)壁にぶち当たります。この日常の記録は,文法間違いや用法違いや綴り違いを全く問題にしない21世紀的話語体で書かれ,これだけくずれたフランス語で小説が成立するのか,という驚きさえ覚えます。しかしそれはデストロイではないのです。格闘し,ボロボロになりながら書かれているのに,なんとも魅力的な生徒たちがたくさん登場します。頭にフードをかぶったまま教室に入り毎回フードを取れと叱られるスーレイマン,女の子たちに下ねた話を絶やさず提供するサンドラ,会う度にクラスを変えてくれと頼むディコ,短期間でフランス語を習得した優等生ながら母親が強制送還されるかもしれない中国人のミング,誰かに似ていてどうにも気にかかる美少女ヒンダ....。これらは映画の画面ではもっと魅力が増すかもしれません。
 この子たちは教師たちに愛されているわけではないし,教師たちはこの子たちをどうしようもないと思っています。この壁の中で日々はこうして過ぎていくのです。この教育現場に解決はあるのか,といったことは知ったこっちゃないのです。共和国の教育をまだ信頼せよと説くダニエル・ペナックの『学校の悲しみ』とはまったくもって対照的な作品と言えますが,ペナックは壁に守られていることに学校の意味を持たせようとするのに対して,ベゴドーでは壁は守ってくれるものではなくむしろ障壁でしかないようです。しかしそんな壁の中でも,人間は(大人も子供も)ときどきものすごくいい顔をするのです。

FRANCOIS BEGAUDEAU "Entre les murs"
Folio文庫4523 2006年 290頁 6ユーロ


(↓)ローラン・カンテ映画『Entre les murs』の予告編。フランス語文法の動詞活用で「接続法反過去」を学習しようというシーンですが,生徒たちが現代社会で全く使われることのないこの「接続法反過去」を覚えて何の役に立つのか,と反発します。教師(フランソワ・ベゴドー himself)は,生徒たちが最初から役に立たないと思い込むから覚えることができない,覚えてから役に立つかどうかを考えるべきだ,と言います。ジレンマがありますよね。

2008年6月1日日曜日

今朝の爺の窓(2008年6月)



 いよいよセーヌが見えなくなりました。マロニエもプラタナスもしなの木もポプラも濃い緑色です。
 6月と7月の毎日曜日は向かいのサン・クルー城址の広大な庭園にたくさんある噴水が一時間おきに一斉に噴き出します。
 左側手前にあるのはわがベランダのゼラニウムとラベンダーで、たったこれだけのラベンダーでわがベランダは夏中よい香りがただよいます。
 美しい5月が昨日で終わってしまいました。
 68年5月革命の40周年ということで、さまざまなイヴェントがあったり、雑誌TVラジオの特集があったり、爺もいっぱい言いたいことがあったはずなんですが、機会を失ってしまいました。ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール誌のジャーナリスト、クロード・アスコロヴィッチがラジオ番組で「"68年5月”のあとに"68年6月”があったことを忘れるな」と言ってました。5月のあとには6月が、これは当り前のことなんですが、68年に関しては、フランス全土を大激動させた月のあとに、すべてが沈静化して「正常化」してしまった6月がありました。この急激なしぼみ方は信じがたいほどで、この6月は誰も思い出したくない敗北と挫折の月であったのです。むしろ68年6月はどうして可能だったのか、ということが問い直されてしかるべきではないか、というのがアスコロヴィッチの意見でした。
 6月というのは「正常化」の月のようです。学校は年度末で、バカロレアなど種々の試験はすべてこの月にあります。追い込みに必死になって、脇目も振らずに勉強や仕事をして、7月にはヴァカンスに入ります。浮かれ騒ぐ月があって、そのあととてつもない過酷な月があって、その後に休息がある。フランスの5月6月7月は、極端な3ヶ月です。