2014年10月27日月曜日

シュペール・ナナ(1974年)

ミッシェル・ジョナス「シュペール・ナナ」
Michel Jonasz "Super Nana"

詞曲:ジャン=クロード・ヴァニエ

 ジャン=クロード・ヴァニエは1943年パリ郊外オー・ド・セーヌ県の小さな町ベコン・レ・ブリュイエール生れ(同地に生まれた先輩にミッシェル・ルグランがいます)。独学の音楽家で、最初は録音スタジオのサウンドエンジニアとしてプロになります。とりわけアラブ音楽の録音に立ち会っていて、この経験が後年のストリングス編曲に大きな影響を与えることになります。その編曲/オーケストレーションは、学校に行かずに「クセジュ文庫」の1冊で習得したという伝説があります。編曲家ヴァニエのデビューはサラヴァ・レコード、ブリジット・フォンテーヌの初LPアルバム『ブリジット・フォンテーヌは狂女である!』(1968年)で、 その中の2曲("Il pleut", "Je suis inaaptée")の作曲も手がけています。
 メジャーシーンでちょっとヴァニエの名が知られるようになったのは、ジョニー・アリデイの全キャリア通じての最大級のヒット曲「ク・ジュテーム(Que Je t'aime)」(邦題「とどかぬ愛」1969年)のオーケストレーションで、その静から動、さらに疾風怒濤にクレッシェンドして静に戻るというドラマチック編曲の手本中の手本、と後世に伝えられています。同時期同系のヴァニエ編曲でミッシェル・ポルナレフ「渚の思い出(Tous les bateaux, tous les oiseaux)」(1969年)というのもありますが、前者には到底かないません。なおポルナレフとは73年制作(発表74年)のアルバム "Michel Polnareff"(別名ポルナレーヴ、別名アイラブユービコーズ)のプロデュースにも関わってます。
 しかしヴァニエにとってこの時期の最も大きな事件となったのは、セルジュ・ゲンズブールのアルバム『メロディー・ネルソンの物語』 (1971年)の編曲と作曲です。当時27歳の気鋭の編曲家君は、その後世に歴史的名盤を残すなんてことはつゆも思わず(実際その当時は全く売れなかったし、注目もされなかった)に、「これも仕事ですから」と職人的にロンドンのスタジオでゲンズブールとおつきあいしていた。この辺の事情は、今、雑誌原稿を準備中なので、そちらにまかせますが、『メロディー・ネルソン』が歴史的アルバムの座に昇格するのって、80年代(世界的には90年代?)のことですから、ヴァニエさんはその日まで、一介の編曲家・作曲家・作詞家・映画音楽作者・楽団指揮者そして数枚のアルバムのあるマイナーな自作自演歌手にすぎなかったのです。
 その不発の『メロディー・ネルソン』の後も、ヴァニエはフランスのヴァリエテ界で仕事をしていて、ジェーン・バーキン、マイク・ブラント、シルヴィー・ヴァルタン、ダリダ、フランソワーズ・アルディ、クロード・ヌーガロ、ジュリアン・クレールなどの曲提供者・編曲者となっています。その中のひとりが1972年にデビューしたミッシェル・ジョナス (1947 - )でした。イヴ・シモン、アラン・スーション、ヴェロニク・サンソンなどと共に70年代の自作自演歌手(シンガーソングライター)の時代を作った旗手のひとりですが、ミッシェル・ジョナスの初の大ヒット曲は、自作曲ではなく、ジャン=クロード・ヴァニエの詞曲だったのです。おそらくこれがフランスで今日まで最も知られているヴァニエの作品ですが、誰もがこれをジョナスの曲だと思っていて、ヴァニエのことなど知らないのです。

俺が通りにゴミ箱を出すと
今日はゴミ収集ストライキ18日め
この郊外団地で
あの娘ほどきれいな子は見たことがない
ミルクバーのおねえちゃんか
映画館の暗闇で
バナナの皮を剥いてくれるおねえちゃんかって?
それは咳に効くやつだろう?
トローチかカシューか
自動販売機のボンボンだろうって?
そんなんじゃない! あの娘は

シュペール・ナナ
シュペール・ナナ
シュペール・ナナ
シュペール・ナナ

毎日俺はガラガラ鳴る箱を蹴飛ばして
フットボール
こんなブリキ箱みたいに
俺も堂々巡りさ
俺が高いベランダから釣り糸垂らして
彼女を釣ろうとすると
彼女は駐車場の中に俺を連れ込むんだ
セメントの上だって
ここは超安値で行けるブラジルさ
俺は麻酔剤の海をクロールで潜っていき
海底に手を着くと
それは雪になったりナパームの炎になったり

シュペール・ナナ
シュペール・ナナ
シュペール・ナナ
シュペール・ナナ

俺はこの街区の端っこの
高層住宅のてっぺんに住んでいる
結核菌も
昇ってこれないほど高いんだ
林立するアンテナの向こう
ジェット雲がドッグレースみたいに
交差しているところに
あの娘はいるんだ
彼女は廃棄物の山を歩いている
たぶんチラシ広告かもしれない
その広告では娘たちがサボテン林の影で寝そべっているんだ
俺の言いたいことがわかるかい?
そうじゃないんだ、彼女はまさに

シュペール・ナナ
シュペール・ナナ
シュペール・ナナ
シュペール・ナナ

 これ、今から40年前の歌ですよ。荒廃した郊外の一篇のポエジー。錯乱的でカラフルでサイケデリックで...。こういう歌詞だとヒット曲になんかなりっこないと思われるムキもありましょうが、21世紀の今日も、ミッシェル・ジョナスの古典として歌い継がれています。(リフレインしか唱和できないですけどね)

(↓)ミッシェル・ジョナス「シュペール・ナナ」(1974年)
        
(↓)ジャン=クロード・ヴァニエ「シュペール・ナナ」(1975年)

2014年10月26日日曜日

Zou ! 真っ青やサウンド・システム


マッシリア・サウンド・システム『マッシリア』 
Massilia Sound System "Massilia"


 マッシリア・サウンド・システム結成30周年記念盤です。ジャケットはブルーの地に浮き彫りレリーフで "MASSILIA"とだけ。
  このブルーは「マルセイユの色」ということにしておきましょう。マルセイユの紋章(→)は十字軍時代(11-13世紀)から使われているそうで、銀地にアジュール(紺碧)ブルー。現在の市章も、フットボール・チームのオランピック・ド・マルセイユ(OM)のチームカラーもこの色。それからマッシリア・サウンド・システムの親衛隊組織であるマッシリア・チュールモのロゴもこの色です。ま、政治的なコンテクストでは青は一般的に「右派」「保守」の色であり、サルコジやUMP党の集会には青旗だらけになってしまいますが、それはそれ。
 2014年10月21日に発表されました。「10・21」はわしらの世代的には国際反戦デーですが、関係はありまっせん。前作『ワイと自由』 は7年前。3人のMC(故リュックス・ボテを入れると4人)が、それぞれのソロ・プロジェクトで忙しくしていた頃で、『ワイと自由』はまた3人寄ればすごいんだぞ、ということを示したかったんだと思いますよ。まだCDも少しは売れていた時代だから、ソロ・プロジェクトだってちゃんとした表現行為・作品として生きるはずと思っていたんでしょうが、あにはからんや、機能したのはタトゥーのレイ・ジューヴェンだけでした。厳しい時代になったものです。別な見方をすれば、1年に1枚のアルバムを出せるようなタトゥーの豊穣な創作力と尽きぬインスピレーションがものを言っているわけです。常にシーンのフロントにいることはね、尋常ならぬものですね。分野も世界も違いますけど、ジョニー・アリディを想ったりしますよ。言わずもがなのことでしょうけど、タトゥー、ジャリ、ガリの3人の個性の違いが問題なのではなく、キャパシティー/クオリティー/クオンティティーにおいてタトゥーは世にも稀なるものがあるっていうことなんですよ。ラ・シオタの怠惰な風流中年みたいな態をしていながら、実際の中身は探求型の音楽人だし、古典にまで博識な文学人だし、詩人だし、批評家だし、イデオローグだし、とにかく多弁の論客だし。この人を並みの人だと思っちゃあいけませんよ。
 『ワイと自由』 のツアーのあとで、また3人別々になってみたら、本当に差ができてしまった。ジャリとガリがよくないとか弱いということではなくて、タトゥーがすごすぎるんだと思います。2013年のマルセイユの年間イヴェント『マルセイユ/プロヴァンス欧州文化首都2013』をめぐって、この3人は大げんかをしたんです。数百年におよぶ中央支配および中央による搾取の歴史の延長で、こういう押しつけのイヴェント開催でマルセイユ人を手懐けようとしている、とタトゥーは激しく批判したのですが、他の二人は同じ考えではなかった。これは2013年の6月にタトゥーにレイ・ジューヴェンのアルバム『アルテミス』についてインタヴューした時に聞いたことで、その怒りようがあまりにも激しかったので、マッシリアはもうおしまいか、と思ったほどでした。
 その1年後2014年6月に、同じようにタトゥーにアルバム『オペレット』(レイ・ジューヴェン7枚目 )の話を聞きに行ったら、 うれしそうにマッシリアの新アルバムと30周年記念ツアーのことを話すタトゥーがいたのです。やはりマッシリアはこの人を中心に動いているのだ、と確信しましたね。俺が動けば3人になれるんだ、みたいな自信でしょうかね。
 『ワイと自由』 では3人ではなくて「1+1」の歌もあったのですが、新アルバムは全曲3MCですからね。この3人へのこだわりがマニフェスト的に表現されたのが3曲め「ひとつのヴァージョンに3人のMC "TROIS MCS SUR LA VERSION"」でしょう。

バラバラになっている場合じゃない。今こそ大変動のために集結する時だ。
マッシリアのMCたちはポジションについた。野郎たち、子供たち、親たちに物申すぞ。カマドよりも熱く、コミック・ヒーローたちより強く、マイクを持つポーズを決め、ファッショどもと戦争をし、アホどもに苛立ち、ボボどもに怒り、コノどもに対しては容赦ゼロだ。

(↑)この部分はジャリが歌ってます。こういう戦闘性がモロに出ているアルバムです。3人集まったら、全然パワーが違うんだぞ、というデモンストレーションのような。この歌のリフレインはこうです。

ひとつのヴァージョンに3人のMCだぞ、緊張が高鳴るぞ
冷血人間ども気をつけろよ、熱いぞ、これがマッシリアだ、炸裂するぞ!
30年間これをやってきたマッシリアは偉大なんだ、という大風呂敷自画自賛が8曲め、その名も「マッシリア・ナンバーワン "Massilia No.1"」という歌です。

30年間に3百万リットルのパスティス酒
ポール・リカールだってしまいにはオランジーナになっちまった
MCたちが俺たちの頭を支えてくれようとしたんだが
やつらもバーカウンターの裏で、ぶよぶよのフライドポテトになっちまった
コペンハーゲンでは二度とこんなことにはならないぞ
やつらは水で薄めるってことを知らなかったのさ
ムンバイでもやつらは俺たちに挑もうとしたんだが
倒れる前にやつらは叫んだ「マッシリア・ナマステ!」
ブルトン(ブルターニュ人)だって、シュティ(北フランス人)だって
みんな真っ赤になってのびた
ブラジル人でさえ、四つん這いで逃げ出した
ある日アリエージュの山ん中でひとりのラスタが俺たちに言った
「マッシリアにリスペクト、あんたたちは俺の分別をぶちこわしてくれた」
俺たちに悪さをすることができたのはコルシカ人だけだ
それでもやつらは朝になるとみんな声を揃えてプロヴァンサル語で歌うんだ
マルセイユからハンブルクまで、そしてモンゴルでも
おまえが「やあ」とあいさつすると、みんなが「アヨーリ!」と叫ぶんだ

マッシリア・ナンバーワン、チタン鋼より堅く
マッシリア・ナンバーワン、サヴァンナより熱く
マッシリア・ナンバーワン、ジタンよりも強烈で
マッシリア・ナンバーワン、税関よりも狡猾で....

 ナンバーワン、ザ・ベスト、ザ・チャンピオン。世界最強のおっさんたちとして世界に君臨するのです。インド人もびっくり。インド人たちが「マッシリア・ナマステ!」と敬礼するくだりには笑ってしまいますが。こういう大ボラ話が、(われわれフランスに住む人間たちにしてみれば)、極めて極めて「マルセイユ的」なのです。ホラとペタンクとパスティスがマルセイユの三大フォークロアであり、それをマッシリアはマジに誇りに思ってますよ。
 そしてそのマルセイユに関して、1年前の「 マルセイユ/プロヴァンス欧州文化首都2013」をめぐる3人の衝突に決着をつけるように、このイヴェントを14曲め「マルセイユに告ぐ "A Marseille"」という歌で総括します。

機会は逸し、約束は守られない
再考された都市は、なにかのコピーの焼き直し
人々は海岸を歩きながら空しく思った
人々は自分たちのアイデンティティーを奪われたように思った
彼らはすべてを変えたかったのだが、一体どんな計画でそうしたかったのか?
俺たちは何も求められなかったのに、俺たちはそれを強いられた
多くの人たちはそれを忍従したし、多くの人たちは気を悪くした
もうこんなものに関わるのはごめんだと逃げ出した人たちもいた
もう一度立て直そう、そうともこれはあんまりだ
戦士の精神をもう一度目覚めさせよう
マルセイユ人たちはどこへ行ってしまったのだ?

やつらのポリティックはただひとつ
俺たちは這いつくばって生きさせることだけ
俺たちを嘲笑う権力者たちは
何も変えようとなどしていない
やつらの企みを見抜くには
虫眼鏡など必要ないんだ
俺たちのスープをまかなうのは俺たちなんだ

誰の許可など求めなくていいんだ

こういうところで3人は意見の一致を見いだして、闘うマッシリアとしてマルセイユにものを言っているのです。同じテーマで、Wake Up わが町、と歌っているのが6曲め「わが町、目を覚ませ! "Ma ville, réveille-toi !"」で、このリフレインは美しいオック語です。(オック語訳してみました。知ってる人は間違いを指摘してください)

O ma Provença  おお、私のプロヴァンサ
siás nacion de convivéncia おまえは愛と暮らしの
De l'amor, la residéncia,  共存する国
L'ostau de la libertat. 自由の庇護者  
Terra polida,  美しい大地

monte lo soleu presida, 太陽が昇り
Monte la calor convida  輝き混じり合いながら
A un mesclum mirgalhat 歓迎の熱も上がる

わが町は「混じり合い」の国なのです。中央政府が青写真で描いたような町ではない。混じり合って輝いていく開かれた町。さまざまな人々の共存する町として目覚めよ、マルセイユ。
 ところがマッシリアが30年も同じようなことを言い続けているにも関わらず、マルセイユも世の中も一向に良くならない。良くならないどころか、2000年代以降、どんどん悪くなってしまっている。これは最近この9月に会ったクロード・シクル(マッシリアと共にオクシタニスム運動の代表的な推進者のひとり。トゥールーズの人。ファビュルス・トロバドールのリーダー)も同じことを言っていて、同じトゥールーズのゼブダや、マルセイユのマッシリアや、コルドのラ・タルヴェーロや、ニースのニュックス・ヴォミカや、いろいろな人たちがさまざまな地方の問題に同じような力強い声を上げているのに、一向にこの社会は良くなっていない。貧富格差は急速に増大し、マスの大衆は仕事も収入も激減して、政治は何もしないのが当たり前、招かれざる者・有益でない者・文化の違う者を排除して自分たちの利権を保持しようとする拝外思想が急伸する、という現実が私たちの目の前にあります。町は目に見えて悪くなっているのです。(こんなこと言いたくありませんが、日本だって同じでしょうに)

 タトゥーが最近のインタヴューで、サイレント・ムーヴィーを例えに出して、俺たちはその音楽伴奏者みたいなものである、なんて面白いことを言ったのですよ。それがなければ無声映画は面白さにも説明にも欠けるのだ、と。音楽によって観る者はその映像を劇的に想像して作品を把握するのです。タトゥーたちはまずマルセイユの日常を無声映画的に映し出し、それを映画館つきのピアニストのように音楽で表情をつけ、歌詞でもって活弁士のようにその映像世界を具体化する。映画発祥の地ラ・シオタを地盤として、世界に音楽を発しているタトゥーならではの発言だと思いますよ。
 このアルバムでもマッシリアは政治腐敗を糾弾する歌(10曲め "L'ELIGIT")、巨大ファイナンスによる世界支配を暴く歌(4曲め"ES TOT PAGAT")、インターネットとSNSの善悪を説く歌(11曲め"QUAND ON VIT CONNECTE")など、世相に対する批評の目は常に鋭いのです。先達か同業者か、おそらくマッシリアもリスペクトしていたと思われるフランソワ・ベランジェの「これらのひどい言葉 "TOUS CES MOTS TERRIBLES"」 、アラン・ルプレストの「おぞましいものはすべてきれいな名前を持っている"TOUT C'QU'EST DEGUEULASSE PORTE UN JOLI NOM"」と多くの共通点を持つ13曲め「これらすべての言葉 "TOUS CES MOTS"」も最近の世相語を激しく嫌悪していたり。しかしボブ・ディランの有名な歌をなぞったと思われる7曲め「答は風の中に舞っている "LA RESPONSA ES DINS LO VENT"」だけはもうちょっと説明が欲しいところではありましたが。

 おしまいに、これだけは特記しておきたいことを書きますと、上にちょっと紹介したインターネット現象に言及する歌で、極右フロン・ナシオナル党への敵愾心をむき出しにしている11曲め 「オンラインで生活してると "QUAND ON VIT CONNECTE" 」 の中で、タトゥーが歌う詞の中にこんな数行が現れます。

俺はバンジョーが好き、俺はピカソが好き
俺はフェメンが好き、俺はアペロが好き
俺はアヨーリが好き、俺はドゥルッティが好き
俺はブルースとYoshi Oki が好き

 お立ち会い、これは言うまでもなく、われらが友にして世界一のマッシリア・グルーピーである「おきよし」(→写真)さんのことです。日本で最もマッシリア・サウンド・システム、およびオクシタニア・ムーヴメントに関して愛情を注いで追いかけている女性です。こういう形でタトゥーからリスペクトのオマージュがあったりすると、本当にうれしくなります。オクシタニアの奥に流れる「女性崇拝 L'amour courtois」のひとつの具体例とも解釈しておきましょう。


<<< トラックリスト >>>
1) Li siam リ・シアム(俺たちはここにいる)
2) Si leva mai la cançon (俺から歌を取り去ったら)
3) Trois MCs sur la version  (3人のMCがひとつのヴァージョンで)
4) Es tot pagat (支払い済み)
5) Je marche avec (俺と一緒に歩く人たち)
6) Ma ville réveille-toi ! (わが町よ、目を覚ませ!)
7) La responsa es dins lo vent (答えは風の中に舞っている)
8) Massilia no 1 (マッシリア・ナンバーワン)
9) Pourquoi je morfile ? (なぜ俺だけが罰を受ける?)
10) L'eligit (選ばれた者)
11) Quand on vit connecté (オンラインの生活をしていると)
12) Parlar fort (大声で言え)
13) Tous ces mots (これらすべての言葉)
14) A Marseille (マルセイユに告ぐ)
15) Libres jusqu'à lundi (月曜日までの自由)(※)
16) Ils sont loin (テレビは遠い世界)(※)
                  (※ LPのみに収録)



MASSILIA SOUND SYSTEM "MASSILIA"
CD/LP Manivette Records MR10
 
フランスでのリリース : 2014年10月21日

カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)マッシリア・サウンド・システム30周年盤ティーザー"Si leva mai la cançon "

2014年10月25日土曜日

記憶の取る捨てる(トルステル)

Patrick Modiano "Pour que tu ne te perdes pas dans le quartier"
パトリック・モディアノ『おまえが迷子にならないように』


 2014年10月はじめに出版されたモディアノ最新作ですが、その直後の10月9日にああいうことになって、その後急遽(←)こういう赤い「腰巻き」がつけられるようになりました。この作品が受賞作品というわけではないですが、パトリック・モディアノ(1945 - )は2014年度ノーベル文学賞を授与されました。おめでたいことです。
 さて、そのおめでたいことを打ち消すように、この小説の第一行は
Presque rien.
(プレスク・リヤン)と始まります。「ほとんどなんでもないこと」。そして「自分では最初はまったく軽いことに思われた虫刺されのようなもの」と続きます。最初からこんなこと言われても、と読者は毎度のモディアノ小説のように挫かれそうになります。ここで、よおし、こうなったら何が何でも着いていくぞ、という意気込みを持つことが肝心なのです、モディアノ読者は。
 スタート地点は2010年代の現代です。60歳を過ぎた一人暮らしの老作家(とは言っても昨今は何も書いていない)のジャン・ダラガーヌの自宅電話が、しつこくしつこく鳴っている。もう誰も電話連絡などしなくなって久しいのに。受話器を取ってみると、「あなたが落とした住所録手帖を見つけたので届けたい」と。その柔和ながら威圧的な電話の主は「ご自宅までお届けに上がりたい」と迫ってくるので、ダラガーヌは不穏ならぬものを察して「いや、どこか外でお会いしましょう」と巻きを計ります。読者は開始早々、サスペンス小説の雰囲気を感じとります。Eメールとスマートフォンの時代にあって、ほとんど用のなくなった年代ものの住所録手帖はダラガーヌ自身ほとんど使うことがなくなっています。いつ落としたのか?1ヶ月ほど前、南仏へ向かうTGVの中で、車内の検札係にチケットを見せようとポケットから出した際に一緒に落ちたのかもしれないけれど定かではない。だが、それはすでに無くても別に困らないもの。そういう「ほとんどなんでもないこと」だったのです。
 住所録手帖を返してもらいに約束の場所に行ってみたら相手は二人。男はジル・オットリーニ、女はシャンタル・グリッペ。 「たいへん失礼ながら、好奇心から私はこの住所録の中身を見てしまいました。その中でひとつだけ気になった名前があり、それについてお聞かせいただければ、と」。やにわに会見は尋問に変わってしまいます。男は広告会社に働くライターで、連れはその女友だちであり、警察やその筋の人間ではない。拾ってくれたお礼だから、知ってることは教えようという気になりますが、かつて自分自身で住所録に記したその名前「ギィ・トルステル」にはまったく思い当たるものがない。おまけにそのトルステルのところに書かれた電話番号は7桁。フランスの電話番号が7桁から8桁に変わったのが1985年のこと(8桁から現行の10桁に変わったのが1996年のこと)で、手帖に書かれてから少なくとも四半世紀は経っているのです。思い出せません、というダラガーヌにオットリーニは喰い下がります。「実は私はある事件について調べていて、それを記事にする準備をしているのです。私は元ジャーナリストでした。その事件にこのトルステルも関係しているのです」と。そして彼はダラガーヌが発表した何冊かの小説を読んだ、このトルステルという名の人物はダラガーヌの処女作『夏の黒(Le Noir de l'Eté)』に登場しているのだ、と。
 そこまで言われても、忘却の彼方にあるこれらのこと。小説『夏の黒』も、そう言えばそんな作品を書いたことがあったなぁ、程度の記憶で、絶版久しいこの本は自分の手元にも一冊もない。ここで描かれているダラガーヌという老作家(元作家が正しいか)は、モディアノの実像とはかなり距離のある、おそらく作家として成功したことなどなく、その過去を忘れ去りたい、ある種のルーザー的佇まいがあります。ですから、ここで急に「作家ダラガーヌ」に立ち戻らされたような戸惑いがあります。
 日は変わって相手はシャンタル・グリッペ。オットリーニに内密でダラガーヌと会った彼女は、オットリーニに脅されているのか、それともその男を愛しているのか、判然としないやり方でダラガーヌにトリステルに関する記憶を取り戻すように嘆願します。オットリーニを助けてやってほしい、さもなければオットリーニは会社もクビになり、生活も立ち行かなくなってしまう、と彼女は言います。しかしダラガーヌは事前にインターネットでオットリーニの勤める会社が存在しないことを知っているのです。元ジャーナリストというのも本の著者であるというのもウソ。その上、グリッペとの話の上でだんだんわかってくるのは、この男はカジノや競馬などの遊び人であり、カタギの世界の人間ではない、ということ。グリッペはその遊び人の帰りを待ちながら、ダンサーなど夜の世界の仕事をして生きる女。モディアノの文章はそうと特定しなくても、このワイルドサイドで生きる人たちの秘密を尊重して明かしません。だからこの二人がなぜトルステルを追っていて、何を探ろうとしているのかは、小説の最後に至ってもわからず仕舞いです。
 しかしここからダラガーヌはだんだんそれが何だったのか、記憶が戻っていくのです。この「待っている女」グリッペの姿はどこかで見たことがある。その記憶は50年以上も前に遡っていくのです。母にも父にも育てられなかった少年ジャン(・ダラガーヌ)を育てた若い女性アニー・アストランは、グリッペと同じように「待っている女」だったのです。
 舞台はパリ北郊外ヴァル・ドワーズの小さな町サン・ルー・ラ・フォレ、その大きな邸宅の一室で幼いジャンはアニーに育てられました。その館は大きなアメリカ車で競馬場やカジノに出かける男たちの溜まり場で、少年ジャンの夜の眠りの途中で聞こえる大きな物音でおぼろげに記憶されています。子供には全く何のことかわからないけれど、このアニーとの優しい思い出はあります。その周りの怪しげな遊び人たちのひとりに「ギィ・トルステル」という名前の男もいたのですが、この男がオットリーニとグリッペが想定しているような重要性は何なのかは、この小説ではわかりません。真夜中過ぎに館にやってきて、朝早くには消えてしまっているこの男たちは一体何なのか。小説はこのことを後年(15年〜20年先でしょう)になって知りたがっているダラガーヌも登場し、この幼年の日の記憶の取り戻しを試みたのがダラガーヌの最初の小説『夏の黒』 だったこともわかってきます。
 すなわち、この小説は子供の頃のジャン・ダラガーヌ、その記憶を取り戻そうとして小説を書いた青年期のジャン・ダラガーヌ、それをまた思い出そうとする今日の老人ジャン・ダラガーヌという3段階の時制で描かれ、それがゴッチャになっていて、その記憶のどれが正しくどれが正しくないかもはっきりしない、五里霧中のジグソーパズルなのです。わかっているのは、このアニー・アストランを取り巻く男たちはカタギの世界の人間ではなく、パリの歓楽街ピガールのバーでアクロバット・ダンサーでもあったアニー・アストランの同僚ダンサーが暗殺され、その警察捜査の手がサン・ルー・ラ・フォレの館に及んで、アニーと少年ジャンはそこに住めなくなってパリのブランシュ(パリ9区ムーラン・ルージュのあつ界隈)地区に住み、そこからさらにイタリアに逃亡する旅を企て...。後年に青年小説家のダラガーヌが知るのはその時にアニーはフランス/イタリア国境で逮捕され、裁判の末、禁固刑になっていたということ。
 なぜ青年ダラガーヌは小説を書いたか。これを作者は小説のほぼ真ん中の70ページめに書いています。
彼がこの本を書いたのは、彼女がそれに応える合図をしてくれるかもしれないという望みだけのためだった。本を書くこと、それは彼にとって、その後消息知れずとなってしまったある種の人たちに向けて灯台の光やモールス信号を送ることだった。それにはページのここかしこにアトランダムにその名前をばらまき、あとはその人たちが連絡をくれるのを待っていればよかった。(p.70)
小説を書くことは、瓶につめたメッセージを海に流すようなものなのです。そのメッセージは宛てられた当人にしかわからない数行なのです。 青年小説家ダラガーヌの思い通り、彼はアニーと再会できるのですが、アニーは名前も変え、そして過去のことを思い出そうとしない女性に変身しています。そのことを老人作家ダラガーヌはどうしてそうなったのか、と思い出そうとするのです...。
 カタギでないアニーは時々は少年ダラガーヌをひとりで放っておかなければならないことがある。パリのブランシュ地区のホテルに二人で暮らしていた時、アニーは少年に四つ折りの紙にホテルの住所を書いて持たせます。そこには住所だけでなく、古風な文字で「おまえがこの街で迷子にならないように」と書かれています。この紙をず〜っとダラガーヌは肌身離さず持っていたつもりだったのに、いつしか無くなっています。それは記憶のように悲しいものです。
 普通人からはよく見えない「カタギでない人々の世界」はこの小説でもよく見えないままにしておきます。なぜ産みの母親は自分をアニーに預け、なぜ「待っている女」アニーは自分をこれほど愛してくれたのか。そして小説は、若い育ての親アニーが、一時期にはダラガーヌの愛人にまでなっていたことを仄めかしもします。 彼女にもう一度会いたくて小説を書く青年作家。字面ではそう読めなくても、これは繊細な恋愛小説であるということもふわ〜っと浮かび上がってくるのです。そうわかると、なぜ少年の日にこの女は自分の前から消えたのか、なぜ青年の日にこの女は変わってしまったのか、この悲しみは深くキリキリと胸を刺してきます。こういうことすべてを老作家ダラガーヌは忘却の彼方に追いやっていたのに、ある「ほとんどなんでもないこと」をきっかけに、暗闇の中の手探りで少しずつ取り戻して行き、最後には限りない悲しみまで至ってしまうのです。だからモディアノ読みはやめられないのです。

カストール爺の採点:★★★★☆

Patrick Modiano "Pour que tu ne te perdes pas dans le quartier"
ガリマール刊 2014年10月  150ページ 16,90ユーロ

(↓)2014年10月9日、パトリック・モディアノのノーベル賞受賞を報じるベルギー国営テレビRTBFのニュース。


(↓)2014年10月9日放送の国営TVフランス5の番組「ラ・グランド・リブレーリー」。パトリック・モディアノ「私はいかにして書くか」のルポルタージュ。


<<< 爺ブログで紹介しているモディアノの作品 >>> 
『失われた青春のカフェ』"Dans le café de la jeunesse perdue"(2007年)
『視界』"L'Horizon" (2010年)
『夜の草』"L'herbe des nuits" (2012年)

2014年10月21日火曜日

400ページのマッシリア本

カミーユ・マルテル『マッシリア・サウンド・システム  -  マルセイユ流儀』
Camille Martel "MASSILIA SOUND SYSTEM - La Façon de Marseille"

<<<  出版社の口上 >>>
 2014年はフランスにおけるヒップ・ホップとレゲエのムーヴメントを開花させた立役者、マッシリア・サウンド・システムの結成30周年にあたる。 このバンドは、オック語擁護から社会的不公平に反対する闘争まで、さまざまな要求メッセージを掲げて時とともに大きな社会現象となっていった。バンドのメンバーたちおよびオクシタニスム運動の活動家たちやミュージシャンやジャーナリストたちの多くのインタヴューに基づき、この本は人物像とその生の断片を織り込みながら、このバンドの揺るぎない世界へと読者を誘う。多数の写真とその解説はバンドの辿って来た道程を再トレースしていく。メンバーとその側近者たちのプライヴェートな記録にまでアクセスを許されたカミーユ・マルテルだからこそ、彼らの音楽的冒険に富んだ時代を見つめ、分析し、つまびらかにすることができたのである。
<<< 著者紹介 >>>
カミーユ・マルテルは1986年生れ。モンペリエを地盤とするジャーナリスト/ミュージシャン。

Camille Martel "Massilia Sound System - La Façon de Marseille"
Editions LE MOT ET LE RESTE 刊 2014年10月21日。400ページ。24ユーロ。

<<< カストール爺より >>>
2014年10月22日、書店に注文を出しました。まだ入手していません。こういう大著ですから、読むのに時間がかかりますが、12月初めのパリでのマッシリア・サウンド・システム30周年コンサートまでには読み終えて、当ブログで紹介するつもりです。刮目して待て。


PS : 10月23日入手。重さ500グラム。 30年分ですから。ヘヴィー、ヘヴィー。

2014年10月17日金曜日

エレーヌ・ヴァンサンのボブ・マーリー踊り

『サンバ』
 

2014年フランス映画
監督:エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカッシュ
主演:オマール・スィ、シャルロット・ゲンズブール、タハール・ラヒム、イジア・イジュラン
フランス公開: 2014年10月15日

 まず最初に本当にシアワセになれるシーンを書きますね。それはサン・パピエ(滞在許可証のない状態でフランスに滞在している外国人たち)を支援するNPO団体の年越しパーティーで、NPO世話人マルセル役のエレーヌ・ヴァンサン(1988年のエティエンヌ・シャティリエーズ監督作品『人生は長く静かな河』の富豪夫人マリエル・ル・ケノワ役! 歳のことで失礼ですが、当時45歳、現在71歳)が、およそこの女性とは縁がありそうもないボブ・マーリーの「ウェイティング・イン・ヴェイン」を歌って踊り始めるのです。美しい! ー この突然で意外な「歌もの」シーンの見せ場は、トレダノ&ナカッシュ作品にあっては "NOS JOURS HEUREUX"(2006年)のザ・ドゥービー・ブラザーズ「ロング・トレイン・ランニング」、"TELLEMENT PROCHES"(2009年)のマイケル・ゼーガー・バンド「レッツ・オール・チャント」、そして "INTOUCHABLES"(邦題『最強のふたり』2011年)のアース・ウィンド&ファイア「ブギー・ワンダーランド」であり、これらのシーンはまさに「トレダノ&ナカッシュ印」あるいは「トレダノ&ナカッシュ・タッチ」とでも言うべき、恩寵の瞬間です。

 さて、トレダノ&ナカッシュの5作目の長編映画で、地球規模ヒットの『最強のふたり』に続く作品です。前作は当ブログも絶賛しましたし、2011年11月にアップしたその記事も当ブログ始まって以来の2万ページビューを越えるご愛読をいただきました。こういう作品の後ですから、新作に大きな期待を寄せていた人たちはフランスでも世界でも多かったでしょうし、2014年12月の日本公開を今か今かと待っている日本の方も多いでしょう。
 アフリカ(セネガル)からフランスにやってきた青年サンバ・シッセ(演オマール・スィ)の物語です。原作は2011年発表のデルフィーヌ・クーラン作の小説『フランスに捧げるサンバ(SAMBA POUR LA FRANCE)』で、当ブログのここで紹介していますが、小説で描かれている、死をかけてアフリカから密航してくる移民の過酷な道程や、ひとたびヨーロッパに着いても非人間的な条件で隠れて生きなければならないサン・パピエの惨状は、この映画にはほとんど登場しません。「社会派コメディー」として描こうとする監督の意志からでしょうか。ずいぶんと原作と違う展開になっています。
 映画はまるでハリウッドミュージカルのような豪華ホテルでのウェディングパーティーに始まり、ウェイターたちが巨大なピエス・モンテや、何十本ものシャンパーニュを運んできます。カメラはそのウェイターたちのバックヤードへの退場を追い、炊事場に入り、そのまた奥の食器洗い場に至ります。そこに大きな体のアフリカ男サンバはいて、汚れた食器から残飯を放水機で払い、業務用の大きな高速食器洗い機に中に並べていきます。いつかは炊事場で働きたいのです。そういう仕事を何年もやってきました。もうフランスに来て10年が過ぎたので、サンバは警察の移民科に10年有効の滞在許可証を申請します。継続的に10年フランスに住んでいることが証明できる書類を揃えれば、そのカードはもらえるはずなのです。ところが、その手続きに警察に出頭したサンバは、その申請が却下されたばかりではなく、不法滞在で逮捕され、国外退去処分となり、CDG空港に隣接する不法滞在移民収容センターに監禁されます。
 ここで私は移民の置かれている状況について、原作を読んでいるので、こうやって説明できていますが、映画はほとんど何の説明もないのです。なぜサンバの申請が拒否され、国外退去処分になるのか、映画は何も語らない。「アフリカからの移民が警察に捕まる」があたかも何の説明も必要ない、フツーのことであるかのように。
 サン・パピエ支援の市民団体は、人道的な立場からこの不当な移民狩り政策から移民たちを保護し、個々のケースを法廷で救済するための活動をしていて、CDG空港の収容センターにも出入りして、捕まえられた移民たちを援護します。その団体から送られ、サンバの前に現れたのが、学生で弁護士のタマゴのマニュ(演イジア・イジュラン。ジャック・イジュランの娘で本業ロック歌手)と、大会社管理職を休職中でその間この団体でボランティア見習いをしているアリス(演シャルロット・ゲンズブール)でした。
 この「大会社管理職を休職中」というのは、原作にはなく、トレダノ&ナカッシュのオリジナル脚本です(それとサンバとアリスが恋に落ちるというのもオリジナル脚本です)。この一流企業の高級管理職の女性は、我をも忘れる過度な労働の末「バーンナウト」してしまい、心療のために休職していて、このボランティア活動も一種のセラピーの一環なのでした。ここでイチャモンです。高度な教育を受け企業エリートとして育成され、若くして高級管理職にまで昇進し、あまりの激務にキレた、というキャラクター設定ですと、この役にシャルロット・ゲンズブールというのはたいへん無理があります。
 サンバを無罪釈放させようというマニュとアリスの支援活動にも関わらず、サンバの受けた最終処置は、「国外退去命令」を受けたまま、フランス国内に釈放するという不条理なものです。つまりサン・パピエとして泳がせておくということです。よってサンバがこの状態で警察のコントロールに引っかかった場合、逮捕され国外追放になるのです。おまえには何の権利(とりわけ働く権利、医療を受ける権利)も与えないが、隠れて生きろ、というわけです。
 このCDG収容所内で、サンバはコンゴから密航してきたジョナスと出会い親しくなります。ジョナスは仕事や金を求めてヨーロッパにやってきたわけではない。愛する女性グラシウーズと結婚するために命がけの密航をしてきたのです。ところが彼はリヨン駅で警察に捕まり、グラシウーズとも再会できないままです。不条理ながらも釈放を勝ち得たサンバにジョナスは、バルベス地区で美容師をしているらしいグラシウーズを探し当てて欲しいという願いを託します。合点だぜ、兄弟。男気のあるサンバは、自分がサン・パピエで再逮捕される危険も顧みず、バルベスでグラシウーズを探しまわります。難航の末、やっと探し当てたグラシウーズ。あっと驚く魅惑的な女性。サンバはここで越えてはいけない一線を越えて、捕われの友が愛する女性と一夜を過ごしてしまうのです。映画はここのところも軽いエピソードとして描かれていて、シナリオの弱さを感じてしまいます。
 警察の目に怯えながらサン・パピエ状態でパリに生きるということは、合法的なことは何もできないということです。サンバはアリスとマニュのいるNPO団体に行き、どうすればいいのか相談します。その相談室には多種多様多色の大勢のサン・パピエたちが来ていて、サンバと同じことを十人十色の言語でNPOボランティアに問います。このボランティアの多くはリタイア後のおばあちゃんたちで、わけのわからない言語を話すサン・パピエたちとのやりとりをトレダノ&ナカッシュはコント・ギャグ連発集として映し出します。映画館ではやはり笑い声が出ますけど、なんか笑えないシーンですよ。
 そしてサンバの番になって、一体いつになったらこの状態から出れるのか聞きますが、見習い相談員のアリスは1年ほど待ってから再申請するしかないと答えます。冗談じゃない。1年も働かず、収入もなく、どうやって生きていくのか。あんたは俺たちのことを何もわかっちゃいない。サンバは声を荒げて怒りを爆発させます。するとアリスは逆ギレして、サンバの数倍の声量になって、あらゆる野卑な罵り言葉を放って、あんた何様だと思ってんの、ピュタン!メルド!シエ!コナール!の連続絶叫となります。あれあれ?このシーンいつか見たことあるぞ?と思ったら、"NOS JOURS HEUREUX"(トレダノ&ナカッシュ、2006年)の児童ヴァカンス村の新米モニター、キャロリーヌ(演ジョゼフィーヌ・ド・モー)の(↓)これでした。

これがですねえ、シャルロット・ゲンズブールだと、あまりギャグにならないのですよ(苦笑)。というような本性丸出しのシーンのおかげで、アリスとサンバは親密になっていくのですけど。
 サン・パピエで仕事を得るにはヤミ労働しかありません。サンバは他人のIDカードや偽造の滞在許可証を持って、短期労働派遣所やヤミ労働ブローカーから仕事をもらって、建築現場、洗い場、ゴミ分別、夜警、ビル清掃など、あらゆる3K労働に飛びついていきます。その仲間として親友になっていくのが、陽気でオプティミストで優男のウィルソン(演タハール・ラヒム)です。原作本では南米コロンビア人ということになっていますが、この映画では「ブラジル人を装うアルジェリア人」という複雑な設定で、この設定がさまざまなギャグのネタを生むのです。この助演男優はもうひとりの助演女優(マニュ。演イジア・イジュラン)と恋仲になっていきますけど、ちょっと無理矢理なシナリオ展開ですね。
 原作とは異なり(原作にはないことですから)、映画はサンバとアリスの関係の深まりを主軸にもってきます。映画はなんとしても、このストーリーとして見せたいのだ、という強引な軌道修正があります。移民/サン・パピエの実情を照射すると、過度に深刻な社会派映画になってしまうので、それをなんとか薄めにして、笑いでごまかそうという部分があるように見えました。
 しかし、この映画においても、サンバは何度も自分の身分を偽り、自分とは何の関係もない他人になりすます、ということを繰り返しています。その名を呼ばれて、自分が誰だったのかを忘れるほどに。このアイデンティティーの喪失という重大な問題を、映画はあまりにも軽く扱っているのではないか、と思うのです。どんなパピエ(身分証明書)でもパピエさえあれば生きることが許される国では、パピエがアイデンティティーよりも優先的で重要なのです。それがフランスである、という(原作にはある)メッセージがこの映画にはありません。
 ストーリー終部は原作本に従って、コンゴ人ジョナスが再登場します。愛するグラシウーズを探してくれとサンバに依頼していたこの男は、収容センターから出て公式に「政治亡命者」の身分をフランスから与えられ、フランスに滞在するパピエを得ます。そのIDカードを誇らしげにサンバに見せびらかします。このことを祝おうじゃないか、とジョナスはサンバを酒場に誘い、強い酒を何杯もあおります。もう遅いから帰ろう。もう一杯いいじゃないか。そういうやりとりの末、外に出ると、冬の夜の寒さ。寒いとサンバが言うと、そんな薄っぺらい上着じゃだめだ、俺の厚い上着を貸してやるから、おまえのをよこせ、と上着の交換があります(重要なのですけど、映画はさほど強調しない)。寒々としたサン・マルタン運河わきを二人は歩いて行き、ジョナスはたまりかねて「俺がおまえとグラシウーズのことを知らないとでも思ってるのか!」とサンバに襲いかかってきます。二人がもみあって格闘しているところへ、警察のパトロールカーが通りかかり、「そこの二人、何をしている!」。サンバとジョナスは取っ組み合いをやめて、迫り来る警察から逃れようと夢中で運河沿いに駆け出します。 追ってくる警察。目の前には開きつつある運河の水門。この水門の向こうに行けば警察を巻ける。サンバとジョナスは開く水門に飛び移ろうと幅跳びジャンプ。しかしひとりは見事水門に掴まることができたが、もうひとりは水温氷点下の運河にドボン...。
 オフィシャルにはここでサンバ・シッセと名乗る男は死亡するのです。 これ以上は書きません。
 で、サンバとアリスの恋物語はどうなったのか、と言うと、これもよくわからない収拾で、アリスは一流企業の高級管理職として復職してしまうのです(!)。ここもこれ以上は書きません。

 「甘ったるく、リズムのないコメディー(une comédie sirupeuse et sans rythme)」と10月15日付けのテレラマ誌は評しました。同じ日のリベラシオン紙は「息切れ状態の社会派コメディー(une poussive comédie sociale)」と書いています。何か『最強のふたり』で光っていたものが、こんなふうにすれば観客にウケるだろうというルーチンに変わってしまったような感じがあります。富豪と貧者のシンデレラストーリーは、高級エリート女性とサン・パピエアフリカ人のラヴストーリーでは同じ効果が出て来ない、ということなのでしょうか。深刻な原作への深入りを拒否して、軽め軽めで行こうというエディトリアルの問題なのでしょうか。私はそれに加えて、お笑いのキャラクターであるオマール・スィが俳優として出来ることが出し切れてないように見えましたし、シャルロット・ゲンズブールでこの役はないべさ、とも思いましたよ。残念です。

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)『サンバ』予告編


2014年10月15日水曜日

真四角な世界を抜け出して

『マミー』
"Mommy"
2014年カナダ映画
2014年カンヌ映画祭審査員賞
監督:グザヴィエ・ドラン
主演:アンヌ・ドルヴァル、シュザンヌ・クレマン、アントワーヌ=オリヴィエ・ピロン
フランス公開:2014年10月8日 

 最初は字幕です。この映画は原語ヴァージョンで観る人たちはおそらく字幕ばかりに注意が集中するでしょう。映画の中で登場人物たちが話す言語は「ジュアル (joual)」 と呼ばれ、カナダの「フランス語圏」とされるケベックの庶民階層で通用する非常に早口な町言葉です。「フランスのフランス人 (français de France)」とこの人たちはフランス人を呼びますが、そのフランスのフランス人ではこのジュアル語は半分も理解できないそうです。ましてや「フランスの外国人」である私には9割がた理解不能です。そこでこの映画はフランス語字幕つきです。その字幕を見ながら、このファッキングな町言葉("fuckin'"はそのままこのジュアル語に溶け込んでいて、意味も希薄なリズム取りの下品挿入詞でしょう)を聞きますが、(往々にして映画字幕というのはそういうものでしょうけど)字幕はこの雑多で豊穣な言語表現を大幅にはしょっている、ということが私でもわかります。
 さて、最初は字幕です。映画のイントロは字幕で、カナダにある法律が成立したことを告げます。2015年(つまりわれわれには近未来)に成立した(過去形)法律です。 「肉体的あるいは精神的あるいは経済的な理由で子供が社会にとって危険と判断される場合、家族はその子を国立の保護センターに養育委託することができ、その収容には司法手続きを必要としない」というような内容です。全世界的に増加している凶暴な子供、社会順応性のない子供などを国が面倒を見ましょうというものですが、これは合法的な子捨てでもあります。現実味のある近未来SFの始まりのような幕開けです。
 次にADHD(注意欠陥・多動性障害)という病気です。これはSFではなく現実にある障害です。それにはさまざまな障害の出方がありましょうが、この映画に出て来る14歳の少年スティーヴ(演アントワーヌ=オリヴィエ・ピロン)は知能は発達しているものの、過度にセンシブルで激しやすく、極度の興奮から極端な暴力状態に達してしまうのです。
 スティーヴは母親ディアーヌ(通称ダイ = Die。演アンヌ・ドルヴァル)と離れて寄宿施設で生活していましたが、その発作によって重大な問題を起こし、施設を出て行かなければならなくなります。映画は母ディアーヌがスティーヴを施設に引き取りに来るところから始まりますが、行儀も口も悪いこの母親の登場は、早くも映画のディメンションを「闘う映画 」の方向に決定づけます。つまり「不幸」に対して受け身でおろおろするのではなく、体当たりでぶつかっていくしかない姿がもろ見えなのです。このガラの悪さは、スティーヴの素行を見ると、この母にしてこの子あり、の感も否めません。
 夫(スティーヴの父)と死別し、女手一つでこの厄介者を育ててきました。世界でたった二人しかいな母と子は深く愛し合ってはいますが、その限界もあります。スティーヴは自分が信用されない、一個の人間として認められない、という疑念に耐えられない。そう思われたと疑いを抱いた相手には、たとえそれが母親であっても怒りは殺意にまで急上昇して抑えられなくなります。母親は母親で、自分が引き受けた運命とは言え、時にはすべてを投げ出したい衝動にかられることもあります。
 施設に置いておけなくなって、自宅にスティーヴを引き取って、新居に引越して二人生活が始まります。そのおかげでディアーヌは仕事も失ってしまいます。生活苦はすぐにやってくる。おまけにスティーヴの施設での傷害事件の被害者が訴訟を起こし、莫大な損害賠償金が請求されています。お先真っ暗だけれど生きていかなければならない。この映画は肝っ玉母さん物語でもあります。
 ディアーヌとスティーヴの引越し先の道を挟んだ向かいの家に、奇妙な女がいます。夫と娘の3人暮らしをしているこのカイラ(演シュザンヌ・クレマン)という女性は、二人が引っ越した時から自宅窓からこちらを覗き、気にしている風でした。 それがある日向かいの家で、スティーヴが発作的ヴァイオレンスでディアーヌと大乱闘になり、倒された家具で負傷してやっと鎮まったスティーヴの傷の手当をするために、カイラは二人の前に現れたのです。何の説明も必要もなく、瞬時にしてディアーヌとスティーヴのことを理解したように、この女性はこの時から二人の世界に割って入ったのです。
 カイラは情報エンジニアの夫と娘の三人で生きていますが(映画での説明はありませんけど)、不幸なのです。以前は学校教師をしていたということになっていますが、働かなくなって久しいのです。そして(これも理由は説明されていませんが)彼女は言葉を発声することに障害があります。いつから言葉が出しづらくなったのかわかりませんが、職を辞めたのはこのせいなのです。極端な「どもり」状態です。夫や娘に対してもこういう状態なのです。ところが、ディアーヌとスティーヴに対しては、そうではないのです。だんだん言葉が出てくる。ある日スティーヴの甘えた態度が度を過ぎた時、カイラは力ずくで少年の体を押さえ込み、激しい怒りと呪いの言葉をまくしたててしまったのです。スティーヴは恐怖のあまり失禁して、カイラに許しを乞うのでした。その心の叫びがあって、カイラとスティーヴは大の仲良しになります。
 ディアーヌは学校に行けないスティーヴのために、カイラの元教師のノウハウを生かして息子の家庭教師を依頼します。その学習時間を利用して、ディアーヌは働きに出ます。家政婦や掃除婦やその他どんな仕事でも食い付いて家計を支えます。スティーヴはカイラの教授法でどんどん勉強が好きになっていき、試験を通ってニューヨークのジュリアード・スクールに入学したい、という夢まで持つようになります。 映画はここで3人のユートピアを現出させるのです。
 最初に書くの忘れましたが、この映画の画面は特殊で縦横1対1の正方形なのです。だから顔ばかりが強調されて見えます。その上、冒頭で書いたように言葉が言葉なので、字幕を追いかけるのが忙しく、顔と字幕しか見れないような視界の狭さなのです。真四角というのは(この字から受ける印象もそうですが)本当に窮屈で閉塞感がすごいのです。グザヴィエ・ドランが狙ったこの息苦しい画面は、スティーヴ、ディアーヌ、カイラの3人の創り出した至福の瞬間に、その幸せのパワーで押されるようにぐ〜〜〜っと横に拡がっていき、16対9の映画画面になっていくのです。これはアベル・ガンスの映画『ナポレオン』(1927年)で途中で画面が3面のシネラマスコープ化して観る者の度肝を抜いた、かの映画のマジックと同じ系列のものでしょう。まさにマジックな瞬間です。
 この横長画面の幸せは、3人がリアルに束の間の休息を満喫している時に一回、そしてスティーヴが見事にジュリアード・スクールに入学できたり、結婚して子供ができたり、という想像の上での幸福の映像の時に一回。たった2回しか見ることができません。そして現実は3人のユートピアに対して破壊的で残酷で、画面はすぐに真四角に戻されてしまうのです。
 ディアーヌは夫の死後もそのまま老いるにはまだ若すぎるし、「きみはきれいだよ」と言われると全く悪い気はしないのです。ところがスティーヴにはそれが耐えられない。ディアーヌの(まだ男友だちにもなっていない)(職業が弁護士なのかどうかもわからないけれど、スティーヴの傷害事件の損害金請求のことでディアーヌが相談している)男とのレストラン〜酒場でのデートに同行したスティーヴは、ディアーヌが母親ではなく「女っぽく」なっていくことにがまんがならなくなります。そのイライラを抱えたまま、カラオケのステージに立ち、アンドレア・ボッチェリの歌を朗々と歌おうとしたのですが、その場にいた酔漢たちに邪魔されたり、バカにされたり...。ここでスティーヴは極端に凶暴なADHDスティーヴに逆戻りしてしまうのです....。
 ユートピアが崩れ、何もかもうまくいかず、ディアーヌは限界を越えたと判断して、遂に、かの2015年法に助けを求めることになるのです....。

 当年25歳、映画界の新アンファン・テリブル呼ばわりされているグザヴィエ・ドランの5作目の長編映画です。時事性も社会性も盛り込んだ、パワフルでヒューマンでエモーショナルでマジックもある2時間14分映画。私は泣きましたとも。それぞれがめちゃくちゃな問題ばかりを抱えた3人が寄り合ってできた一瞬のユートピア。こんな夢になかなか出会えるものではないでしょう。だから映画はマジックなのでしょう。

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)グザヴィエ・ドーラン『マミー』予告編


2014年10月13日月曜日

忘却とは忘れ去ることなり

フレデリカ・アマリア・フィンケルステイン『忘却』
Frederika Amalia Finkelstein "L'Oubli"


 現在23歳の哲学科女子大生の初小説です。原稿をさまざまな出版社に送りつけたところ、ガリマール社のアルパントゥール(測量技師の意)叢書編集部の目に止まり、出版のはこびとなりましたが、出たばかりの時にノーベル賞作家ジャン=マリー=ギュスタヴ・ル・クレジオから熱烈な賛辞の手紙を受け、たちまち今期のルノードー賞の候補となっています。お立ち会い、ル・クレジオのお墨付きですよ、ただ事ではないでしょうに。
 この小説は、単に私が慣れ親しんでいない若い世代のエクリチュールというだけの理由ではなく、私はその波に乗るまでにずいぶんと時間がかかりました。読み始めから読み終えるまで2週間かかりましたから。文中に出て来るように、この作者はイヤフォンには常にダフト・パンクがあり、飲み物と言えばコカ・コーラかペプシ・コーラで、プレイステーションなどのゲームで熱中的な時間つぶしをします。文中に最も登場する音楽は「ワン・モア・タイム」(ダフト・パンク)です。これは小説の中で無機質的なロボット音楽という揶揄的な使われ方をしているわけではなく、あきらかに何かの呼び声なのです。作者が書いているように、これは完成度の高い音楽だと私も思っていました。何かを喚起する音楽であるのです。
 この小説はフランス語で「ロマン(roman)」と冠されていますが、筋に乏しい、一人称で綴られる長いモノローグであり、省察録エッセイと言ったほうがいいかもしれませんが、錯乱的で混沌とした最終部のアドリブ的大団円は、やはり「小説」の醍醐味と言わざるをえません。
 アルマと名乗るこの小説の話者は、孤独で、身内と言えば、パリ左岸に住む弟バルタザールだけで、両親はフランスを去ってアルゼンチン(ブエノスアイレス)に移住してしまっています。学生としてひとりでパリ11区に住んでいますが、不眠症で、夜明け前から町を徘徊するクセがついています。夜明け前に弟のバルタザールのところまで行って、一緒にプレイステーションでゲームを楽しみ、夜が明けたら一緒に朝食を取りたい。しかしその願いは果たせず、バルタザールはどこかに出ていってしまっていて不在でした。不眠症の娘はしかたなくパリの町を歩いて縦断し、ダフト・パンクをイヤホンで聞き、ペプシ・コーラ(あるいはコカ・コーラ)を飲み、混沌とした思念をぐるぐると回転させながら、パリの西の端であるオトイユ競馬場までたどり着くのです。
  その道々の独白は、この20代前半の女性が実存の危機的状態に陥っていて、この状態から抜け出して生き延びるためには「忘れること」だけが唯一の道であると考えています。それは、ショアー(Shoah)、ホロコースト、ナチスのユダヤ人絶滅政策のことです。ナチスのために6年間に6百万人のユダヤ人が虐殺されました。アルマはその民族の子孫です。その祖父はポーランド系ユダヤ人で、第二次大戦が始まる前に、ナチスの台頭に危険を感じて海外への逃亡を試み、偶然に乗り合わせた船でアルゼンチンに渡っています。アルマが一度も会ったことがないこの祖父の逃避行のおかげで、今日アルマはこの世にあるのです。この祖父がいなければ根絶やしにされた夥しい数のユダヤ人同様、「私の現在」は存在しない。言い換えれば「私の生」はショアーと直接に繋がっている。話者はその記憶を否応無しに背負ってしまっている。貨物列車、収容所、ガス室、人体実験....。ひとつの民族を絶滅させるという政策がまかり通った時、人間性はネズミのレベルになった、と話者は考えます。実際にユダヤ人たちはネズミの大群が殺されるように、処理されたのです。
 ではネズミのレベルまで落ちてしまった人間性は、ヒトラーが死に、連合国がナチスに勝利して第二次大戦が終ったことによって、再び元のようになったか、というとそれはないのです。「私はヒトラーを根絶できなかった世界に生きている」(p83)と話者は言います。ヒトラーが死んだということで連合国が勝利したというのは大いなる幻想である、われわれは1945年に敗戦したのである、という論です。その部分以下に訳します。

(1945年)4月30日、午後3時半頃、赤軍が要塞の数百メートルのところまで接近していたにも関わらず、アドルフ・ヒトラーはエヴァ・ブラウンを道連れにして自殺する。ヒトラーは自分の口の中に弾丸を撃ち込み自らの命を絶った。
 アドルフ・ヒトラーは自らの死の時期を決めていた。私たちは彼に自殺することを許したのだ。故に私たちは彼にその勝負を勝たせたのだ。チェックメイトだ。アドルフ・ヒトラーは死んでいないし、蒸発もしていない。もしも連合軍によって殺害されたのであれば、アドルフ・ヒトラーは確かにこの世から無くなっていただろう。だが彼の自殺は歴史を混乱させる。
 アドルフ・ヒトラーの自殺は小さな事ではない。それは最も高度な重要性を持っている。自殺すること、それは死ぬことではない。自殺すること、それは蒸発することではない。自殺すること、それは短絡を生じさせることである。アドルフ・ヒトラーはそれを知っていた。それゆえに彼は口の中に弾丸を撃ち込んだのだ。もしも連合軍がアドルフ・ヒトラーを殺したのであれば、私たちは1945年に戦勝していたのだ。(....) 。私たちはこの自殺によって第二次大戦に敗れたのである。(p83-84)

 ちょっと繰り返しの多い文ですが、そのまま訳しました。ヒトラーを仕留めることができなかったゆえに、ヒトラーは消滅せず、ナチズムは消滅せず、ユダヤ人絶滅計画は消滅していないのです。アルマの不眠症は、この消え去ることがなかったホロコーストの影に襲われるからなのです。消し去ろうとしても決して消し去ることができない。話者は、もういいかげんこのことにケリをつけたい、このことから解放されたい、と望んでいます。
 その解決が忘却なのです。忘れ去ってしまうこと。ヒトラーやショアーのことなど忘れてしまえばいいのです。
 小説の中で、アルマはアドルフ・アイヒマン(1906-1962)の孫娘マルタ・アイヒマンとパリ11区オーベルカンフ通りのレストランで夕食を共にします。ユダヤ人絶滅政策を指導し、数百万のユダヤ人を収容所に送ったアイヒマンは、戦後亡命先のアルゼンチンで捕まり、1962年にイスラエルで絞首刑に処されます。その孫娘は、自分の祖父の名前は知っていても、祖父が作った収容所の名前など知らないのです。最も有名なかのアウシュヴィッツでさえ、「アウシュなんとかでしたっけ?」と言う始末。すなわちこの女性は忘却してしまっているのです。ゆえにこの21世紀に平気で生きられるのです。
 この忘れてしまった側の平静に憧れながらも、アルマは最終的に忘れることができない人間であることを自覚します。それはショアーのことだけでなく、自分の極私的な体験についても忘れることができないのです。例えば、十代の頃に死につつある愛犬エドガール(ラブラドール犬)の最期を待たずに、「短絡」して殺して、その遺骸をスポーツバッグに詰めて、人目を忍んでコンピエーニュの森の奥深くに埋葬してしまう、というエピソードが挿入されます。ナチがユダヤ人に対して機械的に殺害ができたように、アルマも何の情緒的痛みもなく愛犬を「処理」できたということは、記憶として離れることができません。
 その他に叔父が馬主となっていた競走馬ヴォルフガングのエピソードも読ませる話です。叔父が全財産をかけて育てた障害走競馬用の馬ヴォルフガングは、年に一度のオトゥイユ競馬場のメインレース、グラン・スティープルチェイス・ド・パリに出馬し、1位を走りながらも最終近くの障害をジャンプした時に騎手を振り落としてしまい、脚を折って、優勝を逃します。叔父は破産し、ヴォルフガングは屠殺されます。こういう残酷をアルマもまた生きてきたのです。それはインターネットやパソコンゲームの世界とは違う、つまりヴァーチャルではなくリアルの世界の体験として忘却することなど絶対できないことなのです。
 忘却を望みながら、アルマは何一つ忘れることができない。この苦しみがややもすればサルトル/カミュ的な実存的エクリチュールとなった痛々しい独白として心打ちます。忘却をあきらめること、この痛みを受け入れて生き続けること、 その賭けを最後にオトゥイユ競馬場でするのです。大障害走レース、グラン・スティープルチェイス・ド・パリにアルマはかのヴォルフガングに似た(あるいは単に頭文字が"W"で始まるという理由だけなのかもしれない)ヴェルテールという馬にすべてを託します。小説の最終の約20ページは、アルマが解き放たれるためのレースの描写になります。これはすごいです。錯乱的なアドリブも含めて見事な筆致です。競馬(私は一度も競馬を体験したことがありませんが)のセンセーションとアルマの生きるか死ぬかのせめぎ合いが交錯する素晴らしいパッセージです。勝った負けた?そんなことどうでもいいのです。アルマはこうして忘却することを断念することができたのですから。

カストール爺の採点:★★★★☆

FREDERIKA AMALIA FINKELSTEIN "L'OUBLI" 
L'Arpenteur (Gallimard)刊 2014年9月  174ページ   16ユーロ

↓フレデリカ・アマリア・フィンケルステイン、自著『忘却』を語る

 
 

2014年10月10日金曜日

作詞家モディアノの妙


 
Francoise Hardy "Soleil"(1970)
フランソワーズ・アルディ『ソレイユ』(日本題『アルディのおとぎ話』日本発売1973年)

 トリック・モディアノ様、ノーベル文学賞おめでとうございます。モディアノ読みの端くれとして心からお喜び申し上げます。
  1945年生れのモディアノの小説群のすべての源流となっている家族(父親)との問題、暗い子供〜少年時代があり、それを吐き出すように文字の世界に入っ ていくのですが、広告や新聞雑誌の記事という文字の仕事の体験に混じって、作詞という実験もありました。1968年に最初の小説『エトワール広場』で作家 デビューする前のことです。パートナーはリセ・アンリ・キャトル(パリのエリート高校です)の旧友でミュージシャンのユーグ・ド・クールソン
 この人は1973年にガブリエル・ヤクーブと共にプログレッシヴ・フォーク・グループ、マリコルヌを 結成し、90年代にはバッハとアフリカ(アルバム"Lambarena")、モーツァルトとエジプト(アルバム"Mozart L'Egyptien")、ヴィヴァルディとケルト(アルバム "O'Stravaganza")といったクラシック+ワールドフュージョンで知られるようになります。作詞モディアノ、作曲ド・クールソンの作品がオフィシャルに発表されるのは 1979年のことで、ユーグ・ド・クールソンのアルバム『1967年の抽斗のすみっこ (Fonds de tiroir 1967)』(2005年にCD再発)です。それまでは駆け出しの作詞作曲コンビとして、レコード会社や歌手たちにデモ売り込みをしていたのですが、それに注目した数少ない人のひとりがフランソワーズ・アルディでした。アルディが取り上げた最初の曲が「驚かせてよ、ブノワ (Etonnez-moi, Benoît !)」で、フランソワーズのアルバム『さよならを教えて (Comment te dire adieu ?)』(1968年)に収録され、シングル化もされ、今日まで「作詞家モディアノ」の最も知られた曲になっています。

 それから2年後に、アルバム『ソレイユ』(1970年)のためにフランソワーズ・アルディは二人に協力を依頼するのですが、それがこの「サン・サルバドール」なんですね。『ソレイユ』は私の好きな英人コンビ、ミッキー&トミー(ミッキー・ジョーンズ&トミー・ブラウン)が目立つアルバムなので、よく聞いてましたが、聞く度にこの曲は飛ばしてしまうという感じで毛嫌いしておりました。なんでこんな曲をカヴァーするんだろう、と思ってました。曲はもとはスペインのトラッド曲で、ルネ・クレマン映画『禁じられた遊び』(1952年)のテーマ曲としてナルシソ・イエペスが演奏し、たちまち全世界のギター初心者の避けて通れない練習曲となった「愛のロマンス」です。少年の日にギターを持ったことがある人なら、おそらくあまり思い出したくないメロディーでしょうし、そうでなくても初心者の下手なギターでこれを聞かされた分には耳を覆って逃げ出したくなる気持ちになるでしょう。禁じられてほしい、と思ってしまいますよ。ま、それはそれ。このメロディーにパトリック・モディアノ(当時新進作家)が詞をつけたのが「サン・サルバドール」なのです。

夜の間に
冬が戻ってきた
今日、通りの木々が
すべて枯れてしまった
雨の音を聞きながら
あなたはその国のことを想う
その名はサン・サルバドール
目を閉ざすと
あなたの記憶によみがえる
不思議な庭園
そこでは毎朝
幾千もの香りと
青い蝶々が舞い上がる
それがたぶんサン・サルバドールだったのね
サン・サルバドール
あなたはその名を繰り返す
その薄紫の黄昏の反影と
宝の島から港に戻ってきたたくさんのガリオン船を
もう一度見たくて
どうやってそこに帰っていくのか
あなたはもう覚えていない
その国が本当に存在したのかどうかも
誰も知らない
あなたがサン・サルバドールを知ったのは
あなたの夢の中でだったのか
あるいはあなたの前世でだったのか
サン・サルバドール
雨の音に混じって
風が窓を打ち付ける
あなたはその残響を聞く
それはあなたが二度と見ることができない
あの国から聞こえて来る
失われた歌

 訳してみて初めてわかる。これは正真正銘のモディアノ・ワールドなのでした。記憶にあるようでそれが何だったのかわからない、狂おしい不確かさ、これがノーベル文学賞に値するんです! モディアノさまさま。素晴らしい詞。誰かこれに違うメロディーで作り直してくれないだろうか、と願うのは私だけではないでしょう。

(↓)フランソワーズ・アルディ「サン・サルバドール」




2014年10月6日月曜日

憤激せよ(ステファヌ・エッセル) ー とアシュカは歌う

アシュカ&レ・サルタンバンク『レ・タン・モデルヌ』
HK & LES SALTIMBANKS "LES TEMPS MODERNES"

 北フランスの主邑リールのラップ・グループ、ミニステール・デ・ザフェール・ポピュレール(Ministère des Affaires Populaires。内務省でも外務省でもなく、大衆人民の事柄をあつかう省庁。人民省、民務省、民事省、そんな訳語が相当かどうか?)は、2000年頃から活動を開始していて、北フランスに根付いた労働者的伝統(シュティミ語、炭坑、ジャン・ジョレス、ビール、アコーディオン...)とマグレブ音楽(ライ、シャービ、マンドール、ヴァイオリン...)を融合させ、左翼的かつオルター・グローバリゼーション(オリヴィエ・ブザンスノ、ジョゼ・ボヴェ...)的なメッセージを含むライムを特徴とする、ラジカルさとお祭り騒ぎ的陽気さを兼ね備えた大衆バンドでした。「北のゼブダ」なんて称されもしました。バンドが2010年に一時休止し(この辺もゼブダと似てますね)、二人のラッパー、サイドゥーとHK(アシュカ)はそれぞれソロ・プロジェクトのバンドを結成し、前者はZEP (Zone d'Expression Popukaire)、後者はアシュカ&レ・サルタンバンクとなりました。
 H(アシュ)K(カ)というイニシャルはKaddour Haddadi (カドゥール・ハダディ)という本名からのものですが、この青年は1976年、北フランスのルーベに生まれています。アシュカ&レ・サルタンバンクの2011年のファーストアルバム『世界市民(Citoyens du Monde)』の中の一曲 "On lâche rien(オン・ラッシュ・リヤン)"は、手をゆるめないぞ、つかんで離さないぞ、なにものも逃がさないぞ、という意味で、グローバリゼーションによる搾取によって窮状を深めている市民たちの抵抗を歌ったものですが、折りも折り2012年のフランス大統領選挙の左翼系候補二人(Front de Gauche左翼戦線のジャン=リュック・メランション、NPA反資本主義党のフィリップ・プートゥー)のキャンペーン・ソングに使われ、その支援集会で広く伝播され、さらに組合系や左翼系やオルター・グローバリゼーション系のデモ行進で大唱和されるようになったのでした。この辺もゼブダの「モティヴェ!モティヴェ!」のケースに似ています。また、仏ウィキペディアによると、この歌は2012年3月に始まるカナダ・ケベックの大規模な学生スト(通称「かえでの春 Printemps Erable」)でも、スト学生たちに愛唱されたそうです。その上、2013年カンヌ映画祭金の棕櫚賞に輝いたアブデラティフ・ケシシュ監督映画『アデル、ブルーは熱い色』の中のデモ行進シーンでこの歌が歌われる、というオマケまでつきました。2014年的現在において、アシュカ&レ・サルタンバンクで最も知られる歌はこの「オン・ラッシュ・リヤン」で、YouTubeには日本語字幕つきも貼られています(↓)。


 さてそのセカンドアルバム『レ・タン・モデルヌ』は2012年にリリースされました。歯車をモチーフにしたジャケット・デザインが表しているように、これはチャーリー・チャップリン映画『モダン・タイムス』(フランス語ではレ・タン・モデルヌ)にインスパイアされています。またジャン=ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワールが編集・発行していた政治・文学・哲学雑誌も「レ・タン・モデルヌ」とう名称でした。「アラブの春」に言及する歌、レイシズムを糾弾する歌、グローバリゼーションへの抵抗を訴える「ウィ・シャル・オーヴァーカム」のカヴァーなど、プロテストソングのオンパレードですが、それに混じってジャック・ブレルの「アムステルダム」を折目正しく歌ってたりします。アルバム終盤の17曲めに「憤激せよ(Indignez-vous)」という歌があります。言うまでもなく、フランスの外交官、元レジスタンス闘士、世界人権宣言の起草者のひとりだったステファヌ・エッセル(1917-2013)へのオマージュですが、この曲が発表された時、エッセルはまだ存命中だったのです。アシュカのオフィシャルサイトに、ステファヌ・エッセルとアシュカの映った動画が貼られています。

HK et Stephane Hessel 投稿者 HkOfficiel

この歌「憤激せよ」の歌詞をそのまま全訳します。

存在することが陰鬱な日
その朝私は起き上がり
沈黙が掟だったその時
私は声と拳を上げた

私はひどく濃い霧の中
汽車に乗せられて行く人たちを見た
私はその共犯者にも証人にもなれなかった
私はレジスタンス運動に入っていった

希望の敷石を敷きつめた道
そこには立ち上がった女たちと男たちであふれていた
この選択は明白なもの
私は絞首台になるか絞首紐になるかのどちらかだった

私はかくも遠いところから戻ってきた
私は私の星に感謝する
ドラ(※)に行く途中でも、ブッヒェンヴァルト(※)への道でも
死神は私を見逃してくれた   

93歳になって私は
人生の終わりがそう遠くないことを知っている
93歳にして、これが私の回想だ
大事にあつかってくれたまえ

軍隊式の敬礼で動く世界の中で
執拗に憤激すること
わが友たちよ、風に逆らって歩む者となれ
憤激せよ

憤激せよ
あなたたちに語っているのはこの老いた男だ
その星を高くかざしながら

あなたたちは今日、
立ち上がるに値する理由がないと思うのか
私たち自身の生命が
銀行の独裁制のもとで掛売りされているという時に

金は株主たちに命令する
株主たちは大統領たちに命令する
大統領たちは普通の市民たちに命令する
その命令を素直に履行するようにと

「これらすべての売れ残りの食糧を
ゴミ箱に捨ててしまえ
そしてこの汚物の山の上に
10リットルのジャベル水をかけてやれ」

これが私たちが生きる世界なのだ
不条理で残酷で情け容赦などない
貧困は私たちの戸口を叩き
その入口はすぐそこまで来ている

食糧危機が神も手が付けられないほど
慢性化してしまった時 休止状態の基本的人権は
個人の勝手な事情に合うように切り売りされている

しかし奇跡的なことに
ドルの親玉と世界のすべての銀行家たちを救うためには
何兆もの金が
瞬時に見つかってしまう

憤激せよ
あなたたちに語っているのはこの老いた男だ
その星を高くかざしながら

奴隷制度の暗い時代に比べれば
確かに鎖と鉄球は目立たなくなったが
その代わりに私たちの精神が狙われ
奴隷制が次代に継がれていく

限度を越えた競争
全体的な記憶喪失
マヒされられた若い世代には
大量消費物ばかり

わが友たちよ、
今や再び星を輝かせる時が来たのだ
われらの命を導いてきた星を
あなたたちに語っているのはこの老いた男だ

私はあのアルメニア人だった
私は今でもドイツのユダヤ人だ
私はパレスチナの民だ
正義だけが私のつくべき陣営だ

国境なき市民になりたまえ
これらの立ち上がる人々のひとりに
あなたたちの反抗と夢で
この地球全体を包んでくれたまえ

憤激せよ、それはあなたの権利だ
この権利なくして
毎日死んで行くすべての人たちの霊を思い
このあなたの権利はまさにあなたの義務なのだ

憤激せよ
あなたたちに語っているのはこの老いた男だ
その星を高くかざしながら
                (※第二次大戦時のナチのユダヤ人収容所)

 こういうアーチストを信頼します。高く評価します。応援します。


<<< トラックリスト >>>
1. INTRO - LES ACTUALITES NATIONALES
2. LES TEMPS MODERNES
3. HOLD UP
4. L'ETRANGER (avec FLAVIA COELHO)
5. NO PASARAN
6. MON PRINTEMPS EN HIVER
7. TOUTE MON VIE
8. PAS D'PANIK (avec M.A.P.)
9. C'EST LA GUERRE
10. NOS REVOLTES, NOS REVES
11. C'EST PAS FINI
12. INTERLUDE : A VOT' BON COEUR
13. SOUS LES PAVES, LA BOHEME
14. WE SHALL OVERCOME
15. AMSTERDAM
16. MON PRINTEMPS, MA LIBERTE (avec SOUAD MASSI)
17. INDIGNEZ-VOUS
18. BONUX TRACK : CHTIMIBIGOUD

 HK & LES SALTIMBANKS "LES TEMPS MODERNES"
CD PIAS 843.A001.020
フランスでのリリース:2012年

カストール爺の採点:★★★★☆