2022年11月30日水曜日

ロング・アンド・ワインディング王国

Jonathan Coe "Le Royaume Désuni"
(原題:"Bournville")
ジョナサン・コー 『分裂王国』

ジョナサン・コーの著作のことを広東語では参考書と言う(ウソです)。
 フランスで最も読まれている現代英国作家ジョナサン・コー(1961 - )の最新長編小説で、500ページの長尺ものである。仏語題は、連合王国 United Kingdam(仏語 Royaume Uni)を辛辣に揶揄したものとなっているので、読む前にかなり政治的な内容の小説を予測するムキも多かろう。イングランドの一家族の1945年(第二次大戦終戦)から2020年(コロナウィルス・パンデミック)までのクロノロジーが主軸となっている作品なので、英国現代史の社会的政治的な部分がおおきく絡んでくるが、そればかりではない。最近すぎてこの小説には含まれなかったが、今年9月のエリザベス2世(1926 - 2022)の死はこの連合王国の市民たちが”挙国一致”で悲嘆に暮れたようなイメージがメディアで支配だったけれど、この小説を読むと決してそんな単純なものではないことがわかってくる。
 原題の「ボーンヴィル(Bournville)」は、イングランド(ウェストミッドランド)の大都市バーミンガムの郊外にある瀟酒な住宅都市で、19世紀末創業のチョコレート会社キャドバリーの町として知られている。キャドバリーは世界有数のチョコレートブランドとなるのだが、第二次大戦中に原料不足のせいでカカオ100%の純チョコレートが作れず、植物油脂分を混ぜることによって生産を続けてきた。この混合新種のチョコレートは、キャドバリー独特の"風味”を醸し出し、戦時中でも人気は衰えないどころか、この味が好きという消費者たちが増えた。そこで戦後になっても、キャドバリーはカカオ100%に戻さずにこの植物油脂混合チョコレートを生産し続けたのである。しかし、EEC(欧州経済共同体)入りした英国は、ベルギー、フランス、西ドイツといったカカオ100%チョコレート生産国主導で可決された「欧州チョコレート規格」によってキャドバリー製品がEEC(さらにECさらにEU)加盟国への輸出をシャットアウトされるという憂き目に遭う。俗に言う「チョコレート戦争」。キャドバリーはその製法を変えず、英国は辛抱強く欧州に譲歩(輸入禁止撤廃)を迫るが、欧州議会での交渉は遅々として進まない。
 これをひとつの典型的な例としてこの小説は多くのページをこの「チョコレート戦争」に割いていて、英国人の市民感情としてはこの例だけでなく一事が万事この調子、すなわち欧州側の英国いじめが目について、あの2016年の国民投票でブレグジットに至ってしまう、というシナリオが暗示されている。

 小説の中心人物はマリー・クラークという名の1934年生まれの女性で小説の終わりの2020年に88歳で亡くなる。2020年5月にマリーの孫娘でジャズ・コントラバス奏者のローナ(1990年生れ)がツアー先のオーストリアで欧州でのコロナ・パンデミックの始まりを目の当たりにする小説の序章に続いて、本編は7章に分けられ、
1. 1945年5月8日 第二次大戦戦勝日
2. 1953年6月2日 エリザベス2世の戴冠
3. 1966年7月30日 フットボールW杯決勝 イングランド対西ドイツ
4. 1969年7月1日 ウェールズ公チャールズの即位
5. 1981年7月29日 ウェールズ公チャールズとレディー・ダイアナ・スペンサーの結婚
6. 1997年9月6日 ウェールズ公女レディー・ダイアナの葬儀
7. 2020年5月8日 第二次大戦戦勝75周年記念日

という英国現代史の歴史的瞬間を切り取りながら、マリーとその家族が生きたさまざまなエピソードを展開していく。1945年の戦勝日(マリー9歳)と2020年の戦勝記念日(マリー88歳)のふたつのイヴェントにはマリー当人が関わっているが、その他はマリーおよびその一家がラジオあるいはテレビの前に集まって、時の首相の演説やコメンテーターの実況放送で体験したものである。あくまでもフィクションとして書かれた小説であるが、史実は曲げておらず、小説内に引用されているBBCの放送記録は本物であり、これらの歴史的瞬間を英国市民たちがどのように知らされていたかを知る上でたいへん貴重だと思う。われわれ非英国人には見えなかった”国内事情”である。
 1945年対独戦勝日は静かな町ボーンヴィルでも、昼からパブで夥しい量のビールが消費され、夜からは狂喜乱舞の野外パーティーになった。9歳のマリーはこの"にわか祝日”にも、ピアノ家庭教師のレッスンを受けなければならない、と憤慨している。母親ドールはマリーに将来の大ピアニストを期待しているが、マリーはスポーツ万能でしかもスピード好き、結局未来にはロンドンの大学で体育学を学び、公立学校の体育教師となる。その日父親サミュエルは同じ職場(キャドバリー)の同僚で親友のフランクと昼間からパブで飲んでいる。このフランクの息子のジェフリー(マリーより6つ年上)とマリーは将来結婚することになるが、サミュエルとフランクの両家族は古くから親しいつきあい。そのフランクの妻のベルタがドイツ系で、ベルタの父カール・シュミットは戦争の前から英国に帰化しており、れっきとした英国市民なのであるが、激しい対独戦争のせいで世間の目は...。BBCラジオから流れるチャーチル首相の勝利演説が終わり、市民群衆がいよいよ広場やパブでの祝勝大さわぎへと繰り出す。マリーとサミュエルの一家もフランクの一家と一緒にその大さわぎの中へ。その一行の中に、ジェフリーの母方の祖父カール・シュミットもいたのだが、マリーの目の前でドイツへの憎悪に猛った不良少年たちに見つかり絡まれ、暴行されてしまう。流血するシュミット老人の手当てをし、締めていた黄色のネクタイで止血をしてくれたひとりの若者ケネス。その血で汚れた黄色いネクタイがマリーの一生の宝になる...。
 憎悪とレイシズムと性差別と感情的ナショナリズムは空気のようにフツーに漂っていた時代だった。戦時中は敵国はその国民を含めて徹底した敵意の対象だったし、その敵意が公に奨励されてもいた。戦争が終わって、時代が変わって、それがどう改められていったかが、この小説の流れでも大きなテーマとなっている。なかなか変わらないし、ふとした事情でぶり返すこともある。
 口数が少なく自分を人前で晒すのが苦手だが、小さい頃から好人物であることを知っているジェフリーとマリーは結婚する。幼なじみからのプロポーズにYes返事したあとで、博識で理想主義的世界観を持つジャーナリストとなったあのケネス(敬愛する兄のような、親友のような、アドヴァイザーのような関係になっていた)からまさかの交際申込み。ここで「私は先約済み」と返事するしかなかったマリーの前からケネスは姿を消し、のちに大ジャーナリストとして内外から評価されながら、道半ばで病死する。マリーはケネスとのことを後悔しているのではないし、ジェフリーとの結婚(3人の子供を授かる)も後悔しているわけではない。ただ、歳とってから、もしもケネスと一緒になっていたら、と自分のパラレル人生を想像してみたりするのである。これ(日本語で言うところの)"人情ね”、と私は思うのですよ。ちなみに大正生まれの私の亡き母は、恋愛結婚ではなかった夫(わが父)に先立たれてずいぶん年月が経ったあとで、私に(誰にも言ったことがないこととして)父との結婚前に意中の人がいたことを告白したが、時代が今とは違っていたから、と...。90歳頃になって言いたくなる、これ”人情ね”、と理解した私だった。ごめん余談でした。
 地方企業の管理職として実直な人生を歩むジェフリーだったが、とにかく口数が少なく自分を出さない性格であるため、家のまとめ役/中心人物はもっぱらマリーであり、自分の父母(サミュエルとドール)側の親族からジェフリーの母方のドイツの親戚まで、広く繋がりを保ち、機会あれば親族郎等を集合させて一緒に過ごしていた。小説の各章の題となったイヴェントではそういった家族やご近所が自宅ラジオ/テレビの前に集まる機会なのであった。これが大家族的和気藹々ではなく、それぞれ思想や感受性がさまざまに異なる、という、メタファー的に英国の縮図として描かれている。
 これを書いている現時点で、世の中はカタールW杯で沸いているが、本書の第3章になっている1966年(今から56年前か)W杯(開催国イングランド)では、ジェフリーが頑として3人の息子を連れてのスタジアム観戦を拒んでいて、子供たちはフラストレーションをためながらテレビ観戦している。ところがジェフリー側のドイツの親戚が子供連れでW杯観戦ツアーにやってきて、子供たち同士でも英独交流をするのだが、仲良くなる子たち、反目し合う子たち、さまざま。これも戦後の英独関係を暗示するような構図。おたがいに「おまえの国は一回戦で敗退するよ」と毒づいていたが、あれよあれよと言う間に両国破竹の勢いで勝ち続け、ウェンブリー・スタジアムでの決勝へ。ジョナサン・コーはその決勝の日の(保守系)タブロイド紙ディリー・メール朝刊のスポーツ・ジャーナリスト(ヴィンセント・マルクローン)の論評を引用している:
西ドイツが今日わが国発祥のスポーツでわれわれを破ることは可能かもしれないが、それは公正なことだ。われわれは彼らの国発祥のスポーツで2回彼らを破ったのだから。(p176)
おおお、なんと辛辣な!戦争の記憶はまだ生々しい頃だった。その歴史的決勝は、死闘につぐ死闘、2対2同点から延長戦へ。そして問題のイングランド3点目ゴール、ヴィデオジャッジのなかった時代、主審の目だけが判断の基準... 。(↓の動画をごらんください)


 マリーとジェフリーの息子3人、ジャック(1956年生れ)、マーティン(1958年生れ)、ピーター(1961年生れ)は、それぞれ全く違った性格に育っていく。長男ジャックはマッチョで口が立ち、成功への野心もあり、弱肉強食主義(新資本主義/サッチャー主義)こそ国際競争で勝ち残るという自論があり、保守党に投票し、その将来にはブレグジットに票を投じることになる。外車攻勢のせいで国内市場で低迷していた英自動車業界の救世主として1980年にブリティッシュ・レイランドが世に出した大衆車「オースチン・メトロ」のテレビCMを担当した広告マン。次男マーティンと三男ピーターは、この小説で母マリーにつぐ重要人物で、言わば準主役あつかい。
 まずマーティンは一家で最もボーンヴィルの町に愛着を抱いていて、大学の外国語科(仏語・西語)を卒業した後、ボーンヴィルに戻り、キャドバリーの輸出部に就職する。ここで上述の欧州共同体との「チョコレート戦争」の渦中に身を置くことになり、ブリュッセルの欧州議会まで何度も足を運び、欧州議会議員たちにキャドバリー・チョコレートの輸禁撤廃を呼びかけるのだが、欧州はなかなか動こうとしないのだ。これが英国側から見える欧州の理不尽さの象徴として小説は描いている。この数知れぬブリュッセル出張のエピソードの中で、ブリュッセル常駐の英新聞ジャーナリストで、欧州議会の取材などそっちのけで目についた欧州のありとあらゆる悪口を書き殴って人気を得ている傍若無人で異様に目立つ英人セレブだった”ボリス・ジョンソン”なる人物が登場する。どうしようもない人物だが、保守支持層にどんどん人望を上げていく様子がうかがえる。
 マーティンはキャドバリー本社の戦略スタッフのひとりで優れて有能な秘書だったブリジットと恋に落ち、結婚する。ブリュッセル出張のレポート執筆や欧州議員人脈調査などで、マーティンの右腕と言うよりもマーティンよりも欧州関係ファイルに精通し、将来はマーティンを差し置いて欧州議会議員に当選するキャリアが待っている(そしてブレグジットと共に欧州議員職を失う)。しかしその前に、このブリジットという女性がスコットランド出身の”黒人”であるということが、マリーの一家に波紋を投じた。あの当時はごくごく”オーディナリーな”レイシズムだったのかもしれない。普段無口で自分を出さない男だったマーティンの父ジェフリーが、自分の会社の人脈を使って、別の交際候補(白人女性)をマーティンにあてがってマーティンにブリジットとの結婚を断念させようとしたのだ。この決着は第5章の「ダイアナ・スペンサーとチャールズの結婚」のテレビ実況中継を見るためにマーティンとブリジットがかの大家族全員を小さな自宅に招待した宵に、宴の席から離れたところで、マーティンとジェフリーの子と父の「男と男の」話として、ジェフリーが心から詫びるということで収拾される。その話をカーテンの影でブリジットが聞いていて、さめざめと泣いている...。
 ごくごく”オーディナリーな”レイシズムの例は、その「ダイアナ/チャールズ」の大家族テレビパーティーの時にもあり、新居に越してきたばかりのマーティンとブリジットが、家族だけでなくお隣さんにも声をかけようと、隣家の初対面の夫婦(インド/パキスタン系移民)を招待する。するとその夜この夫婦はあふれんばかりの「お国料理」を持って、マーティン宅にやってくる。マリーの大家族がテレビに見入っている後方のビュッフェに並べられたその「お国料理」の数々は、宴の最後になっても誰も手をつけない状態で残っているのだった...。

 マリーとジェフリーの三男坊ピーターは、最もマリーに甘やかされて育った「母さん子」だった。3人の子の中で最も母との会話が多く、お互いの秘密を共有し合う仲であり、とりわけマリーが晩年になってからはそれが顕著になった。二人の兄とは異なり、芸術(音楽)の道に進んだピーターは、ヴァイオリニストとしてオーケストラ団員という職を得て、そのほかにソロや小楽団で演奏する。パートナーを見つけ一旦結婚するが、うまくいかず、相手はパリに遊びに行くと言ったきり帰ってこない(その滞在中のパリで、ダイアナ・スペンサーが自動車事故で死んでしまう=1997年8月31日)。その頃、ピーターは36歳という遅い時期に自分のホモセクシュアリティーをはっきりと自覚する。このことを最愛の母マリーはどう思うであろうか。ピーターは5歳の時、幼少時の最初の記憶として母親が強い口調でこう言ったのをはっきりと憶えている:
この男たちは人類のカスよ!(p156)
ピーターが当時理解した”この男たち”とは公衆便所で口と口で接吻しあう男たちだった。今や”この男たち”のひとりとなったピーターは 、30年後、母マリーが今も同じように思っているのか、おそるおそる聞いてみる。
ー 何も憶えていないわ。遠い昔に私が言ったかもしれないことを憶えているかなんて、聞いても無駄よ。何はどうあれ、あの頃から多くのことが変わってしまったのよ。人が何をしゃべっていたのかなんてだいたい半分もわからないで過ごしているわ。人は無知だったのよ。私たちは無知な人々だったのよ。おまえは何年も前の時代のことを言ってる...
ー 30年前だよ、とピーターは言った。
ー まさにそのことを私は言ってるのよ。今日、私たちは違う世界に生きているの。ものごとは変化した。すべてまるで違うでしょ? ホモセクシュアルの権利、そんなもの今や普通に聞こえる”物音”よ!(p373)
至言。われわれは無知だった。無知から言ってしまう言葉だってある。知ったらそうかと思う。時は経ち、すべては変わってしまう。異人種異文化への嫌悪、差別、昨日の敵、旧時代のモラル...。30年前にあなたはこう言ったじゃないか、と問い詰めることは無意味。われわれは無知でレイシストで性差別がフツーだった時代に生きていたが、今やすべて変わった。私たちも変わった、そう言い切れるマリーがもしも英国そのものだったら、小説はおおいなるオプティミズムに包まれたものになるはずなのだが、言うまでもなく英国はそんなに単純ではない。 
(↓写真:フランスで『分裂王国』をプロモーション中のジョナサン・コー)
 4章め(チャールズのウェールズ公即位、1969年)の中で、マリーの一家と親戚のトーマス・フォリー(Thomas Foley、ジョナサン・コーの2013年の中編小説『EXPO 58』の作中人物でもあり、公けには隠しているが英国情報局のスパイというキャラ)の一家が合同で、ウェールズの田舎の農家の一角を借りてヴァカンスを過ごすエピソードがある。トーマスの息子のデヴィッド(1960年生れ)は未来の詩人/作家であるが、9歳だった当時、マリーの三男ピーター(1歳年下)と大の仲良しになり、ヴァカンス中いつも一緒に行動していた。そしてこの二人に村の農家の娘シオニードが加わり、トリオは子供のユートピアの世界を共有していた。シオニードはデヴィッドを将来の夫と決め、結婚してほしい、と。滞在中にマリーが連れて行ってくれた美しい人工湖、その下に沈んだ神秘的な村、未来の作家デヴィッドはこの湖底の村にインスパイアされて、初の長編ファンタジー物語を書き上げる。この作品を誰よりも先にシオニードに読ませたい。きっと素晴らしいと言ってくれるだろう。ー ところが少女の反応は真逆で烈火の如き怒りをデヴィッドにぶつけてきた。この湖に沈められたのは私たちの村、先祖たちのすべて。イングランドに水を供給するために沈められすべてを失った。貧しい私たちを蔑むようにイングランド人たちはこのウェールズを自分たちのレジャー保養地にしている。だいたいあのチャールズという男は何者なのか?なぜウェールズと縁もないイングランド男がウェールズの王子に即位するのか?ウェールズは誰のものなのか? ー 幼い二人の恋はこうして破局し、デヴィッドは電撃的ショックとして自分の無知を知らされる。
 ウェールズ、スコットランド、アイルランド、この小説ではウェールズのアイデンティティーをのみ取り上げたが、連合王国の各国のそれぞれ違う文化と歴史を持っている事情の複雑さは言わずもがなである。この50数年後に(作家になった)デヴィッドと(ジャーナリストになった)シオニードが再会し、和解を果たすのだが、ジャーナリストとしてウェールズ独立運動を調査しているシオニードの口から、あの幼い少年少女として一緒に遊んでいたちょうどその時に、ウェールズ独立地下運動(シオニードの叔父も行動的闘士だった)がウェールズ公チャールズ王子へのテロ襲撃を計画していて、それを表立たず裏側から阻止したのが、英国情報局のスパイ、故トーマス・フォリー、つまりデヴィッドの父親だった可能性がある、と聞かされる...。

 これ以上はディテールに触れないが、500ページにおよぶこの大作の中には、われわれの知らない英国のあの日、あの時の多くの人間ドラマがつまっている。
 王室関連の出来事が表題になっている章が4つもあるが、王室を見る人々の目は"満場一致”とはほど遠い。もちろん王室撤廃派、共和派も少なからずいる。最初の章(1945年戦勝日)で、訥弁のハンディキャップを抱えた王ジョージ6世のラジオ演説を、(いつどもるかと)ハラハラしながら聞き、おお今回は最後までうまく言えたわい、と茶かす"不逞”の輩もいる。(私は戦後しばらくしてから生れた人間だけど、子供の頃、大人たちの天皇と皇室を笑いのタネにした冗談は聞こえてたから、事情は英国とさほど変わらないかもしれない)。4章ある王室関連の出来事のうち、唯一国民の心が大きく一致に近づいた事件がダイアナ・スペンサーの死であった、という描かれ方をしている。英国現代史においてダイアナは別格なのであろう。

 1945年から2020年まで英国の75年の時の流れを描いたこの小説は、ジョナサン・コー一流の大エンターテイメントとして読ませながら、無知からの脱却というゆるやかな流れではなかなか止められない差別・分断・旧社会の重圧・苦いチョコレートの物語である。親欧州派の論客として知られるコーであるが、ブレグジットという英国の選択は覆せるものとは考えず、このまま英国が経験せざるをえない試練のように考えているようだ。これ、ブリティッシュ・ユーモアなのかもしれない、と思わせるところもある。

Jonathan Coe "Le Royaume Désuni"
Gallimard 刊 2022年11月11日 492ページ 21ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆


(↓)11月15日、パリ政治学院(Science Po シアンスポ)で『分裂王国』について語るジョナサン・コー。

2022年11月26日土曜日

Winky Calendar 2023

2018年に始まったウィンキー・ カレンダー 、2023年版(なんと6年目!)は12月上旬発送を目指して現在遠隔地レンヌで準備制作中(写真選考、フォトショ修正、表紙コンポ...)です。
表紙原案(↓)は私が作りましたが、レンヌからNGが出て、やり直しだそうです。出来上がりにご期待ください。






















2022年11月16日水曜日

次郎物語

Brigitte Giraud "Vivre vite"
ブリジット・ジロー『生き急ぐ』

2022年ゴンクール賞

文体的にはこの作品は小説(ロマン=roman)ではなく、物語(レシ = récit)と呼ばれるもので、もっぱら事実/事件を描写叙述したものである。このロマンとレシの違いは、私などにはあまり判然としないのであるが、ゴンクール賞でロマンではなくレシが受賞するのは非常に例外的なことらしい(受賞が決まった時、この点でイチャモンをつける声がやや聞かれた)。 
 というわけで、内容はフィクションではなく、作者ブリジット・ジローの実体験であり、彼女が38歳の時、1999年6月に起こった伴侶クロードのオートバイによる事故死という事件にまつわる一連の事情を列挙したものである。ブリジット・ジローは1960年、当時フランス領だったアルジェリアのシディ・ベル・アベスで生まれ、リヨン郊外で育ち、以来リヨンを離れていない。1997年第一小説『両親の寝室(La chambre des parents)』を発表、以来20冊ほどの作品を発表していて、これまで重要な文学賞(フェミナ、メドシス、ゴンクール等)の候補に上がったことはあった。この『生き急ぐ』の「事故」が1999年6月の出来事で、第2作めの小説『ニコ(Nico)』(1999年)のプロモーションでパリに短期滞在してリヨンに帰ったその日に起こったものだった。駆け出しの作家で、その他に定職を持たなければ喰えなかった頃だ。  
 連れ合いのクロードは2歳上で、ブリジットと同じようにアルジェリア生まれで、少年時代までかの地にいたのだが、家族共々追われるようにフランスにやってきてリヨン郊外に移住した。ブリジットとはリセの時からのつきあいで、早くも18歳でオートバイ乗りだった。音楽マニアで自分で楽器もやるし、録音機器も持っていて、買った新居では改造してホームスタジオを据えるつもりでいた。職業はリヨンの公立図書館のレコードCDライブラリー室長。副業で地方新聞雑誌のロックライターもしていた。銀行員になるはずだったが、音楽の世界に留まりたいパッションが上回り、図書館のこの職をなんとかもぎとり、公職の場でもSchott Perfecto ライダージャケットを一年中着ていた。オートバイとロックミュージックで生きるインテリ優男。この本での描写だけで、”いい奴”感はびんびん伝わってくる。二人にはひとり息子がいて、名前はテオ、この1999年当時まだ小学生だった。
 二人ともそれぞれ(アルジェリア引揚者)庶民階級の出で、リヨン郊外のシテ(低家賃高層集合住宅)で育ったが、二人が仕事するようになり一緒に暮らすようになってから、リヨン市内の旧建築の小さなアパルトマンを買って、いろいろ改装をしてせまいながらも快適なスイートホームに。ごく普通のなりゆきだが、子供が出来て大きくなるにつれて、もっと大きなところに変わりたいね、一軒家が欲しいね、という話に。ブリジットはマニアックな家探しのエキスパートになり、地区のフリーペーパーや不動産チラシなどの最新版をかき集め、不動産屋をくまなく当たり、物件探しに没頭する。ある日、希望よりも大きめの庭付き一軒家物件をダメ元で訪問したのだが、やはり条件が折り合わず引き下がろうとした時に、庭の奥に小ぶりの離れ一軒家が目に入る。時代もので、第二次大戦時に対独レジスタンスの秘密弾薬庫にも使われたという曰く付きの家で、長年放置されかなり荒れているが、それでもブリジットはこれぞ運命の出会いのように一目惚れしてしまう。売り物件の家主のマダムに尋ねると、これは彼女の持ち物ではなく、地方に隠居している弟のもので、彼は売却する意向はないはずだ、と。これを長い月日をかけて執拗に家主に迫り、紆余曲折の末この物件を買い取ることに成功するのだが、この一目惚れの成就がクロードの事故死と深く因果関係を持ってしまうことになろうとは。
  この物語(レシ)は、この家購入(その引越しの直前に起こったクロードのオートバイ事故死)の23年後(つまり2022年現在)、地区再開発のため売却立退きを余儀なくされ、ブリジットが近々ブルドーザーで取り壊しが決まっている家を去るところから始まる。生前のクロードと計画していたとおりに、家を二人(と息子のテオ)の夢の空間とするよう年月をかけて改装し続けた。クロードと生きる夢を追い続けた23年間だった。これを「未練」と言い換えてもかまわないと思う。このレシは、今、この家を手放す段になって、この「未練」のすべてを列挙して総括し、永遠に終わらない喪に一区切りをつけようという試みなのである。
 クロードの事故は、さまざまな偶然と条件が重なりあって起きた、と話者は説明しようとしている。どんな説明があっても取り返しはつかないし、納得もできないのだが、それをあえてしようとする。繰り返すが、これが「未練」でなくて何であろうか。それは「もしも」という仮説であり、「もしも... だったら」「もしも...でなかったら」.... クロードは死ぬことはなかっただろう、とずっと話者は思い続けてきたのだ。その「もしも」のすべてが早くも21ページめで羅列されている。「もしも私があのアパルトマンを売ろうと思わなかったら」「もしも私がこの家を下見したいと固執しなかったら」「私たちがお金を必要としていたちょうどその時に、もしも私の祖父が自殺しなかったら」... に始まる22項目の「もしも」が列記されている。この物語(レシ)はその22の「もしも」をひとつひとつ詳説していくという形式で成り立っている。
 この事故は1999年6月22日に起こった。ブリジットの一家3人はまだリヨン市内のアパルトマンに住んでいて新居への引越しはやや先の予定だったが、公証人を仲介する売買契約前に、公証人(友人の友人)が融通を聞かせて6月18日に特別に新居の鍵をブリジットに渡し、少しずつ引越し荷物を搬入する。ブリジットが母親に「もう鍵をもらった」と興奮して電話する。家には大きなガレージがあり、そこは改造してサロンにするつもり、と。母親が息子(ブリジットの弟)にブリジットの新居にはガレージがあると伝える。怪物オートバイ(ホンダCBR900ファイアブレード)を持ちながら、自宅にガレージがなくいつも駐輪場所に苦労していた弟が、これは「渡りに舟」ちょうど家族(妻と娘)で南仏短期ヴァカンスに出るところだったので、その間姉の新居のガレージで預かってくれ、と。6月18日、弟の怪物マシーンはブリジットの新居ガレージに収まる。その同じ日、ブリジットは2作目の小説『ニコ』のプロモーションでパリに行き、22日に戻る予定だった。その間小学生の息子テオの学校の行き帰りは、クロードが面倒を見る(註:フランスでは小学校の登下校は、保護者またはその代理人が朝校門まで送り、下校時に校門に迎えに行くのが義務)。21日夜、ブリジットは22日の下校時はテオが友だちの誕生会に呼ばれていてその母親が下校の世話をするので、テオを学校に迎えに行かなくてもいい、とクロードにパリから電話をするつもりでいたが、パリ宿泊先のブリジットの女友だちとの長話で電話ができなくなってしまう(携帯電話の普及していなかった時代、友人宅の電話を借りるタイミングを失う)。その22日、クロードはいつも通り、テオを徒歩で学校まで送り、そこからバスで職場(リヨン公立図書館レコードCDライブラリー)まで行くつもりでいたが、(ここで魔が刺す)、学校から徒歩10分ほどで行ける坂の上の新居まで行く。友人の証言では自らバイカーでありオートバイを熟知しているクロードは「このマシーンには絶対に手を出してはいけない」と自分に念じていたらしい。自制できずに、魔が刺す。ガレージからホンダCBR900ファイアブレードを出し、それに乗って職場に出勤する。そして下校時が近づき、(ブリジットが電話しそこねたばかりに)行く必要のない下校迎えのために、この怪物マシーンにまたがり、小学校へ向い....。
 「もしも前もって家の鍵が渡されなかったら」「もしも母が弟にガレージがあると言わなかったら」「もしも私がパリ出張の日を変更しなかったら」「もしも私がエレーヌの新しい恋人に関する長話を途中で遮ってパリからクロードに電話していたら」「もしもあの時携帯電話を持っていたら」... これらの仮説は、確実にクロードの生死の分かれ目であったし、どうしようもない繰り言でもある。ブリジット・ジローはこの繰り言を悲嘆でぐしゃぐしゃになるような書き方ではなく、冷静に間接的に(自虐的)ユーモアも加えて綴っていく。その中で、23年前というのが、どんな時代だったかもちゃんと説明している。今とどれほど違っていたか。インターネットや携帯電話が普及していなかったということが、どういうことなのか。居ながらにしてすべてを画面で検索できる世界に住んでいる人たちには、不動産屋や図書館に頻繁に足を運ばなければならなかったり、音楽や映像を買ったり借りたりしなければ観賞できなかったり、ということは説明しなければ。たった20年ほど前のことなのだけれど。たぶんこのクロードの事故は現在のコミュニケーションネットワークから考えると、ありえないことと済まされるかもしれない。
 やり場のない憤りもある。この22章の「もしも」の中で、2章だけ文頭の「もしも(Si)」の代わりに「なぜ(Pourquoi)」という疑問詞になっている。
14. なぜ本田技研に革命をもたらしたエンジニア馬場忠夫は、私の生活に土足で押し入ったのか?
15. 1999年6月22日クロードが乗っていた、日本産業界の誇り高き花形スター、ホンダCBR900ファイアブレードは日本で販売禁止であり、ヨーロッパ向け輸出に限定されていたのはなぜか?
 この2章は合わせて16ページある。これはブリジット・ジローの(クロードを殺した)ホンダCBR900ファイアブレードへの怒りの丈をぶつけたものであり、開発者であるホンダの伝説的エンジニア馬場忠夫の来歴も含めて、マシーンの詳細なデータおよびフランスの業界誌やライダーたちの証言も入った、いかにこの怪物オートバイが殺人的なしろものであるかを書き綴っている。この輸入販売を許可したヨーロッパ(およびフランス)の新資本主義自由貿易政策への呪詛も忘れていない。メーター上で速度270キロを超えるのである。絶対的に公道で走るように作られていない。サーキットのみで走行されるべきもの。これが日本では禁止されていて(禁止されているから、倍近い値段払ってでも欧米からの逆輸入ものを日本のライダーたちは買う)、ヨーロッパでは公道で走れて、結果、多くの死傷者を出している。この16ページの話者のテンションは非常に高い。近い将来この本の日本語訳本が出たら、日本ではこの部分だけで物議をかもすかもしれない。
 (ちなみにこの記事タイトルの「次郎物語」は単なるダジャレではあるが、下村湖人作の未完の長編「次郎物語」の主人公が”本田次郎”という名である、という含みもわかってやってね)

 公立図書館レコードCDライブラリー室長であり、ロック音楽に精通したクロードが、その6月22日、職場でライブラリー仕入れ選考のために視聴していた最後の曲がデス・イン・ヴェガスの"Dirge”(↓クリップ)という曲だった。呪術的に響く「ラ〜ララ〜」繰り返し。

この曲を聴き終わって、クロードは職場を出、テオの下校時刻に遅れそうなのを気にしながら、怪物マシーンに跨がり、帰らぬ人となる。話者の「もしも」はこの最後の視聴曲が、デス・イン・ヴェガスではなく、同じデスクの上に積まれていた視聴用CDの中のコールドプレイ「ドント・パニック」だったら、事情は違っていたに違いない、などということも想像してしまう。もう切ない切ない。
 
 書名の『生き急ぐ(Vivre vite)』の出典は、その当時クロードが読んでいたルー・リードの本からの引用だそうだが、もちろんその元はジェームス・ディーン(1931-1955)の"Live fast, die young”である。舞台がリヨンであり、この古い歴史のある地方大都市圏から離れずに育ち、大人になったブリジットとクロードだったが、ブリジットはこの男がどこかこの地に馴染んでいないところを見ている。アルジェリアに生きるべき男だった。あの怪物オートバイだって、映画「イージー・ライダー」(このリファレンスも本書中に出てくる)のアメリカのような土地(すなわちアルジェリア)で、土埃を上げて疾走できたら、素晴らしい愛馬としてクロードに懐いたであろう。
 ちなみにクロードと同じ年にアルジェリアに生まれたリヨンの人にラシッド・タハがいる。またタハのリヨンのバンド、カルト・ド・セジュールのギタリスト、モアメド・アミニはリセ時代にクロードと机を並べていたし、クロードの最初のロックコンサート体験を分かち合った仲だったが、タハが2018年に他界したのに続いて、ブリジットがこの本を執筆していた2019年にアミニも亡くなった(p179) 。

 20数年の「未練」を書き上げ、人生のページをめくった記録。同世代(私より少し若い)として、あの時代(90年代末)のフランスを共有体験した者として、肌身に感じるところがたくさんあった。ロックミュージックのはめ込み方も(YouTubeに、本書中に登場する音楽のプレイリストあります)。やや軽量級だけれど、2022年も良いゴンクール賞に出会えてよかったと思います(しまらない結語でごめん)。

Brigitte Giraud "Vivre vite"
Flammarion刊 2022年8月 206ページ 20ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆


(↓)2022年11月4日、ゴンクール受賞翌日に国営ラジオFrance Interの朝番組に出演したブリジット・ジロー。


2022年11月9日水曜日

赤丸上昇中

Lucie Rico "GPS"
リュシー・リコ『ジェ・ペ・エス』

1988ペルピニャン生まれの作家/映像作家、リュシー・リコの2作めの長編小説。題名の"GPS"は21世紀に全地球的に普及した自動車ナヴィゲーションやスマートフォンアプリでお馴染みのグローバル・ポジショニング・システム(全地球測位システム)のことであるが、当地発音の呼称は(”ジーピーエス”ではなく)「ジェ・ペ・エス」となる。この小説ではたいていのスマホに標準装備されているアプリGoogle Mapsのことを指している。大雑把に言うと、これはスマホアプリをツールにして書かれた小説である。こう書くと、そんなもの文学作品としてなんぼのものさ、と揶揄したくなるムキもありましょう。私もそういう先入観がありましたが。
 小説の中心人物の主語は二人称単数 "Tu"(きみ、おまえ)で書かれている。「きみは(XX)する」という文が最初から最後までずっと続くのである。読み方によっては「きみ」と名指して書いているのが作者であると同時に「きみ」をこのように観察しているのは読者でもある。この「きみ」はほとんど四六時中自分の部屋に閉じこもっていて、それを観察する側にある作者とわれわれ読者の構図はテレビのリアリティーショー的であり、われわれは覗き見に立ち会っているわけだが、その「きみ」は部屋という密室にいながら、四六時中スマホのGPSアプリの世界に入り浸っているという、二重の密室構造の中で小説は展開する。
 「きみ」と名指された主人公は33歳の女性であり、ジャーナリストであったがその職を失って以来引きこもり気味になっている。インターネットを通して求職活動はしているが、応募先の人事担当者から否定的回答のメールばかり毎日受け取っていると、外に出るのもいやになるだろう。失業期が長引き、失業手当支給もあとわずかとなればなおさら。ジャーナリストとしての専門分野は「三面記事(fait divers)」であり、世の中の事故、事件、珍事などを題材に「読ませる記事」を書くというもの。目下の交際相手ともその取材で出会った。火事の原因に不審なものを感じた「きみ」が、消防署に問合せに行ったら、「もっと突っ込んだ話が聞きたいのかい?」と取材に応じたのが消防士アントワーヌだった。「きみ」のアパルトマンに決まった日に通ってくるという交際であったが、「きみ」の失業以来その関係は未来を見通せなくなって、どこか気まずいものになっているし、洗わない食器がたまった台所など家の中も乱れていく。
 ここまで私も「きみ」と書くのが疲れてきたので名前を出すが、彼女の名前はアリアーヌと言う。小説中この名前が初めて登場する(名前が明かされる)のは116ページめ(ちょうど小説全体の中間地点)である。それほど「きみ」は長い間自分の名前を聞いたことがない、という失業+引きこもりの寂寥を強調してのことだろう(こういうレトリックとても上手い)。それに反して最初から名前が何度も登場するのが、「きみ」の唯一無二の親友であるサンドリーヌである。16歳で出会ってから青春期のいいこと悪いことアヴァンチュールのすべてを共有した双子姉妹のような親友であるが、ただひとつの大きな違いは、平凡で平均的な家庭環境で育った「きみ」に対してサンドリーヌは複雑な環境にあった。それは小説の後半で明らかになっていくことだが。
 さてそのサンドリーヌが婚約パーティーを開くから、親友の「きみ」に婚約立会人として出席してほしい、と。場所は特別に借り切った新設のイベント会場は”Zone Belle-Fenestre”というインダストリアルな郊外産業地区を想起させる名前。小説冒頭第一ページめで「きみ」はさっそくこの地名を二度スマホGPSで検索するが、二度ともGPSは「住所不明」と返す。「きみ」はこれを"罠”と感じる。これがこのミステリアスな小説の始まりである。わくわく感をそそるスタートである。
 (ちなみに、私たち家族がこの夏のヴァカンスにAIR BNBを通して借りた南仏の家は、フランス海軍に務める人の持ち家で、海軍軍用地の敷地内にあるため、カーナビ(GPS)で追えない場所にあった。市街地から遠くないのに携帯電話も通じなかった。そういう場所ってあるんですね。)
 サンドリーヌは、場所がわからなければ、自分の位置情報をGPSで教えるから、それを目指して来い、と。スマホが振動し、メッセージが現れる。
Sandrine souhaite partager sa localisation avec vous
(サンドリーヌはあなたと位置情報のシェアを希望しています)

アプリGoogle Mapsのダイアローグに「きみ」が同意クリックを押すと、サンドリーヌは点滅する赤丸となって画面に登場する。この赤丸のいる位置を追いかけていけば、サンドリーヌに会え、会場にたどり着ける。こうしてアリアーヌ(きみ)はスマホのGPS画面を片手に、久しぶりに部屋を出て(リアルの)外界に飛び出し、赤丸の示された場所へと赴く。行けばそこは17ヘクタールもある野外イベントパークで、パーティ会場にはシャンパーニュ、ビュッフェ、音楽がふんだんにあり、サンドリーヌと婚約者ジョンの同年代(アラサー)招待者たちがわんわんと騒いでいる。純白ドレス姿の主役サンドリーヌは幸せそうに招待者ひとりひとりと応対してもみくちゃになりながら、華麗にこの上なく美しく踊っている。大盛会だったパーティーもピークを過ぎ、招待者たちが三々五々退散していく午前3時頃、サンドリーヌが姿を消す。「きみ」も帰宅することを告げたくてサンドリーヌを探すが見つからない。GPSを見ると赤丸はイベントパークの反対側にいる。アルコールも回り、眠くなった「きみ」はそのまま帰路につく。
 翌日、婚約者のジョンからサンドリーヌが失踪したことを告げられる。ジョンのヴァージョンでは昨夜のパーティのとある”馬鹿野郎”とどこかにしけ込んだに違いないと言う。絶望的に落ち込んでいるジョン。ジョンとはあまり懇意でない「きみ」は、サンドリーヌが自ら消えた”わけ”を尊重し、ジョンには自分がサンドリーヌの位置情報を持っていることを明かさないでおく。「きみ」だけがサンドリーヌ(赤丸)の居場所を知っていて、その赤丸は移動しているのがわかる。そのサンドリーヌからは「昨日は来てくれてありがとう、また会おうね」の携帯メッセージが入っている。生きているから案ずることはない。その赤丸はパーティ会場から20キロ離れた湖(デール湖=Lac du Der)の辺りに移動し、そこに止まっている。
 スマホが振動し、「三面記事」情報収集のために登録している地方プレスの探信ニュースが画面に現れる。「デール湖畔でジョギングで通りかかった市民が、左足だけを残して全身を焼かれた死体を発見」。まさか。サンドリーヌであるわけがない。なぜならその赤丸は微妙な動きを止めていない。それは生きたサンドリーヌなのか、それとも誰かの手に渡ったサンドリーヌのスマホなのか。


 ここから小説は部屋にこもった「きみ」がほぼ24時間スマホGPSから目を離せなくなり、赤丸の動きを追い、ことの真相を密室から推理する展開になる。密室の中のそのまた密室たるスマホ画面の中はなんと無限の広がりがある。Google Mapsはズームアウトすれば地球上のどこへでも行け、ズームインすれば人間の顔まで識別できる。その機能は地図、航空写真、立体画像、360度ストリートビュー... さらにタイムラプス機能を使えば、その場所の過去にまで遡ることができる。元「三面記事」記者はその推理力と想像力を駆使して、赤丸の行方を追い、その真実(サンドリーヌの蒸発、死体、移動する赤丸...)をリアル空間ではなくヴァーチャル空間に求めて深入りする。リアルとヴァーチャルの境の消滅に読者は立ち会っているのだ。
 最初「きみ」は婚約者ジョンがサンドリーヌとの婚約の夜の”破局”に激怒してサンドリーヌを殺し死体を焼いたものとの仮説を立てる。しかし推理ははずれ、サンドリーヌの赤丸は移動を続け、あたかも「きみ」に訴えかけ、「きみ」を誘き出すような動きを繰り返す。サンドリーヌは生きている、と「きみ」は確信する。
 そんな中、長期失業者だったアリアーヌにある新聞社から記事依頼が飛び込んでくる。赤丸から目を離せず、気はそれどころではない「きみ」は、ネット上に転がっているその種の情報をテキトーに構成して記事を作る。赤丸を追って以来、ヴァーチャル空間での想像力が琢磨されたのか、そのあることないことごっちゃの記事はすこぶる好評で、記事依頼が続けざまにやってくるようになる。ついに失業脱出。恋人アントワーヌと外に出てお祝い事でもすればいいのに、アリアーヌは密室を出ることができない。何が真実で何が虚偽かなど、「きみ」にはどうでもよくなった。それでも赤丸は点滅して動き続ける。彼女にとって真実はこの赤丸しかないのだ。
 消防士アントワーヌは、その消防署経由の確かな情報として、かの焼死体がサンドリーヌのものであると断言する。ではこの動く赤丸は誰なのか? 赤丸が移動する場所は奇しくもアリアーヌとサンドリーヌにゆかりのある場所ばかり:二人が通ったリセ、アリアーヌの家族が住んでいた家、サンドリーヌを連れてアリアーヌの家族が行ったヴァカンス地、そして二人だけで行った最初のヴァカンス地、クロアチア、スペイン....。デール湖畔は16歳の二人が最初に出会った場所だった。そしてダムール通りへも。Google Mapsはタイムラプス機能でその過去の姿まで見せてくれるのだ。一体赤丸は「きみ」に何を訴えているのか?
 16歳で出会う前のサンドリーヌのことを「きみ」はよく知らない。いつも泣いてばかりいる母親とサンドリーヌは住んでいた。自分の顔が父親と似ていることを嫌い、サンドリーヌは何度も鼻を整形していた。明るく行動的なサンドリーヌは家庭に重い過去を抱えていた。
 「三面記事」ジャーナリストとしてデビューしたての頃、最近の事件のタネがなくなると、過去の事件を掘り起こして迫真の記事に書き直して穴埋めをすることがあった。この町で起こった陰惨な事件、この過去記事に出会った時、「きみ」はこれで行こうと決め、一気に書き上げた。見出しは:
「ダムール通りの惨事:娘の目の前で、父親が息子を殺したのち自殺、死者3名」
この記事は当時センセーションを起こし、多くの読者に読まれた。アリアーヌは自慢だった。これを読んだサンドリーヌは記事リンクをアリアーヌに送り、これを書いたのは本当に「きみ」なのか、と問い詰めた。「そうよ、陰惨でしょ」と「きみ」はサンドリーヌに返事した。
 記事見出しを注目していただきたい。娘の面前で、父親が息子を殺し、自分も命を絶った。勘定すれば死者は二人である。これを新米記者アリアーヌは「3名」と間違ったが、記事はそのまま印刷され世に出た。このダムール通りの住人一家がサンドリーヌの家族であり、生き残りの「娘」がサンドリーヌだった。赤丸に誘導されて、記事の15年後にダマール通りのヴァーチャル空間に連れてこられた「きみ」は、初めてこの事実を知るのである。そして「きみ」は記事の上で生き残ったサンドリーヌも殺していたのだ、と....。サンドリーヌを殺したのは「きみ」なのだ...。
 「きみ」はなんとかしてサンドリーヌに会って詫びなければならない、と赤丸との再会を何度も試みるのだが...。

 小説は読み進めるうちにどこまでが「きみ」の(三面記事的)想像なのか、画面の中のパラレルワールドのものなのか、そんなものはどうでもよくなってしまう。リアルの消滅 ー これはある種病的体験であり、スマホ依存症の極限を見る思いがする。そしてそれはサンドリーヌとの「位置情報の共有」を解除すれば、すべては消えてしまうはずなのだが、それが呪縛的にできなくなってしまっているのだ。ここがね、私は安っぽいヴァーチャル・ミステリーとこの小説を決定的に分かつところだと読んだのですよ。私たちが日常的に手にして目にしている、スマホのヴァーチャル空間の限りなく暗い闇を見る思い、これは驚くべきウルトラ・モダンな文学体験なんですよ。

Lucie Rico "GPS"
P.O.L刊 2022年8月 220ページ 19ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)出版社P.O.L制作の動画:自作"GPS"を語るリュシー・リコ(リコちゃん、と呼びたくなるような可憐さ)