2011年9月30日金曜日

サンセットは日没だが、日はまた昇るはず


Paul Auster "SUNSET PARK"
ポール・オースター『サンセット・パーク』


 の小説は2010年にアメリカで出版され、その仏語翻訳版が2011年9月にフランスで出た、ポール・オースターの最新作です。前作『インヴィジブル』についてはここで書いてませんが、前々作の『マン・イン・ザ・ダーク』については2009年1月の拙ブログで称賛しています。フランスではオースターの全作品が翻訳されていて、新作が出る度にベストセラーの上位にランクされる人気の高さで、フランスのブックフェアに常連のようにやってきます。毎回フランスでの新刊発表はメディア露出度も高く、この作家へのフランス人の関心の高さは、他のアメリカ人作家には見られない現象です。オースター自身もフランス留学経験があるだけでなく、フランス文化の造詣は並々ならぬ深さで、当地でのインタヴューはフランス語で応対しています。フランスとオースターの相思相愛関係は2000年代に入ってますます強まっているように見えます。それはおそらくフランス人にとって、最も良く「今のアメリカの空気」が見えてくる作家だからではないか、というのが私の見方です。9.11テロも、相次いだ戦争も、オバマ当選も、アメリカの大きな事件の数々をオースターはその小説の中で「空気」あるいは「状況」として深く取り込んでいて、その「現在」の中に私たちを引き込むのです。
 新作『サンセット・パーク』の年代設定は2008年から2009年にかけてです。サブプライム・ローン問題〜リーマン・ブラザース破綻の後です。われわれアメリカの外にいる人々にとって、この時に急に経済的な苦境にあるアメリカというのが現実となって見えてきます。貧しい人々の溢れる国アメリカ、職のない国アメリカ、それは今に始まったことではないにしても、私たちには2008年頃まで現実感がなかった。この小説は急激に未来の展望が難しくなった人々の現実が通奏低音になっています。最初の舞台はフロリダです。われわれフランスにいる者から見れば、「合衆国のコート・ダジュール」だったところです。ここでサブプライイム・ローンの返済不能で持ち家を手放した人々がゴマンといて、その借金返済の一部として補填するために、住宅に置いてあった家具調度、電化製品などをトラックで回収してまわる業者があります。28歳の若者マイルス・ヘラーはその雇われで、安い給料を得ながら、つましく暮らしています。テレビも携帯電話もインターネットもなく、楽しみと言えば写真を撮ることと文庫本を読むことぐらいで、彼は何事もなければ、そのまま質素に生きながらえると思っていました。
 それを一変させたのが、17歳のラティーナの少女、ピラールとの出会いです。二人はある日同じ公園で、偶然に同じ本(フィッツジェラルド『華麗なるギャツビー』の文庫本)を読んでいることに気付き、話し始めます。マイルスはこの少女が非常に聡明で、『ギャツビー』に関して独創的な解釈をしていることに驚かされます。高校生ピラールは大学進学を準備していて、マイルスはその援助を買って出ます。なぜならマイルスも一介の肉体労働者ではなく、さる事情でコロンビア大学を中退して家を出たという事情があり、中身は上級のインテリです。二人はこうしてマイルスの狭いアパートで同居生活を始めます。
 ピラールは両親を失った4人姉妹の末娘で、それまでは3人の姉と身を寄せ合って生活していました。貧乏ゆえに3人の姉は生活費のために職を選ばずに働いていますが、長姉アンジェラはおそらく売春まがいのことまでしながら夜の世界で生きています。アンジェラはマイルスとピラールの関係を良く思っていないばかりか、この関係を逆手に取ってマイルスに恐喝をしかけます。ピラールが未成年者であるために、誰かが警察に密告すれば、マイルスは未成年者誘拐の罪で監獄行きは免れません。マイルスはその脅しに屈しないために、ピラールに持ち金すべてを渡し、翌年の5月にピラールの誕生日が来て成人になった時に迎えに来る、という約束でフロリダを去ります。
 小説のもうひとつの出発点は崩壊してしまった家庭です。マイルスが7年前に出たニューヨークの家は、父モーリス・ヘラーの経営する大手出版社も電子書籍やインターネットの脅威の前に、これまで経験したことのない危機的な状態にあり、父の二度目の妻ウィラと父との関係も危機的です。マイルスはモーリスの最初の妻であるメアリー・リーとの息子ですが、女優であるメアリー・リーは育児に耐え切れず、女優の道を続けるためにモーリスと別れ、西海岸に移り住みます。二度目の妻ウィラには連れ子ボビーがいて、マイルスはその義理の兄であるボビーと一緒に育てられ、家族4人はうまく機能していたのですが、マイルスが17歳の時に二人は口論になり、人気のない道路を歩きながら二人の関係は険悪になり、マイルスが我慢がならなくなり、ボビーを腕で押してしまいます。ボビーはバランスを崩し、道に倒れ、そこに通りかかった自動車がボビーを轢き殺すという結果になります。月日が経っても、マイルスは後悔の念に苛まれ、この家で暮らすことはできないと、学業を放棄し、両親の援助を断ち切って旅に出ます。それがもう7年も続いてしまっているのです。
 とは言っても親は警察に捜索願を出すわけではない。モーリスはぎりぎりのところで息子を信頼している。息子も同じで遠くにありながら、親の安否を気遣っています。その両方に密かに通じながら、双方の状況を通報している二重スパイのような働きをしているのが、マイルスの古くからの親友のビングです。マイルスはビングを通じて親の状態を知り、モーリスもまたビングを通じて息子の状態を知るのですが、親も子もビングが両方に情報を送っているということを知りません。
 ジャズ・バンドのドラマーであり、タイプライターなどの古道具修繕業者でもあるビングは、ニューヨークのブルックリンに廃屋を見つけ、気の合った仲間と「スコッター」を始めます。管理者や市当局の監視の目がないことを幸いに建物を不法占拠することですが、電気も水道も使えるままの状態になっているこの無人の古い建物をビングは修繕し、4部屋を使用可能にします。
 ウィリアム・ワイラー映画『我等の生涯の最良の年』(この映画は小説の数人の登場人物によって論じられ、小説内の重要な共通話題となります)とをテーマにした博士論文を準備している女性アリス、不動産屋に勤めながら若い時の妊娠中絶のトラウマから逃れるために画家になろうとしている女性エレン、そしてビングがこのスコッターのスタート時からの住人です。オースターの小説構成の得意技ですが、個々の人物の物語は小説内小説と言える深さと複雑さがあり、味もありクセもある個性です。このブルックリン、サンセット・パークのスコッターに、フロリダを出て行かなければならなくなったマイルスが参入します。
 もう一度最初に述べたアメリカの今日的状況に話を戻しますと、彼らは「ニュー・プアー」です。ニューヨークでまともな家賃を払えるような収入のない人たちです。余裕があってドロップ・アウトしたのではありません。スコッターをしなければこの都市で暮らせない現実に生きている人たちです。いつの日か警察が立ち入って、強制退去させられる、という脅威におびえて生きています。このサンセット・パークで、4人は家賃ゼロの代わりに、食事や家屋管理を分担し、一人一人の負担を最小限にすることのために共同生活のルールを守っているのです。小説はこの不法占拠住宅が、コミューン的にどんどんユートピア化していく方向で描かれます。アリスもエレンもビングも、その個々の物語は紆余曲折ありながらどんどん良い方向に進んで行きます。
 そしてマイルスも7年ぶりに帰ってきたニューヨークで、父親との和解、義母との和解、加えて危機的であった父親と義母の関係も雪解けというチャンスが目の前までやってきます。その上、実母である女優のメアリー・リーもニューヨークでサミュエル・ベケット劇『しあわせの日々』の舞台に主演するために西海岸から出て来ています。一挙に三者との全面和解という展望が開けます。自分の7年の不在は無駄ではなかった、と。
 恋人の少女ピラールはクリスマス休暇に生まれて初めてフロリダからニューヨークにやってきて、マイルスとの変わらぬ愛を確認し、近い将来この町で大学教育を受け、マイルスと一緒になるという可能性を確信してフロリダに帰ります。
 小説はこのように夢のような最良のハッピーエンドに向かって、クレッシェンドの最高点まで達します。全編で317ページある小説は、その305ページまでこのハッピーエンド終結のピーク点を保ちます。読む者はここでジャック・ドミー映画『ロッシュフォールの恋人たち』の大団円、すなわちパズルのように複雑に入り組んでいて出会うことを拒絶されていた3組の恋人たちが最後に一挙に出会ってしまうエンディング、そういう終わり方を99%まで予想してしまいます。この305ページまでの幸せの予感は、この果てしない上昇感は並大抵のものではありません。
 ところが最終9ページには全く違う結末が待っているのです。

 ユートピアは実現しません。終わり方はそれが不可能というものではありません。無惨に破壊されても希望はつなげられるものでしょう。ここで傷ついた若者たちはまさに2008年的現実との戦いの負傷者であっても、討ち死にしたわけではありません。サンセット・パークは「日没公園」だが、日はまた昇るはず、と思いましょう。
 小説の中で父と子の和解は、二人とも大ファンである野球のエピソードがつなぎ役になっています。大リーグの名選手たちの名プレーとその生きざまをモーリスもマイルスも百科事典的に記憶しているのです。名選手のストーリーが、これも小説内小説として、名調子の講談のように何度も登場します。野球の話をし始めたら止まらなくなる父と子、この感じはアメリカ人や日本人には了解できても、フランス人にはわからないのではないかしらん。
 

Paul Auster "Sunset Park"
(Actes Sud刊。2011年9月。319ページ。22.80ユーロ)


↓「サンセット・パーク」を朗読するポール・オースター

2011年9月25日日曜日

勝てる戦いに負けることを「トラファルガー」と言う



Archimède "TRAFALGAR"
アルシメード『トラファルガー』


 ニコラとフレデリックのボワナール兄弟のバンド、アルシメードのセカンドアルバムです。ファーストアルバムは2009年6月に当ブログのここで紹介しているので参照してください。
 しかし、セカンドはファーストよりもずっと優れています。相変わらずのブリティッシュ・サウンドへのこだわりがあるもの、ファーストの「英語のように響くフランス語」を越えて、しっかりとフランス語で響くポップ・ロックを作り出しています。ビシビシ決まるポップなメロディーに、ビリビリ風刺のきいたフランス語詞が流麗に乗っています。ヴァレリー・ルウー(テレラマ誌)は、その詞のキマリ方をジャック・デュトロン(すなわち、ジャック・ランズマン詞)に、その風刺性をルノー(のプロテスト・ソング)にたとえました。大変なほめ方だと思いますが、この完成度の高さはフランス語を解さない人たちにも了解できるだろうと私は思います。一語一語がよく「鳴っている」感じ。英語コンプレックスをはね返せる鳴り方に聞こえます。
 シングルカットされた2曲め「Le bonheur(幸福)」は、「腕にローレックスをはめていないからと言って、きみはルーザーなんかじゃないんだ」と第一行が始まったとたん、それはサルコジとその宣伝マンだったジャック・セゲラ(「50歳でローレックスを持っていなかったら、おまえの人生は失敗だ」とほざいた)への小気味いいジャブ攻撃になります。5曲め「Les petites mains(小さな手)」は、大企業の王道主義や保守政党UMPの専制に爪を立てられるのは小さな手からでも可能と言っているように聞こえます。また6曲め「On aura tout essayé(全部試してみたところで)」は、失いつつある愛を救うには、効き目があると世に宣伝されていること(温泉、精神分析、セックストイ、風水、ヨガ、豪華旅行、エロい下着...)を全部試してみたところで、どうにもならないんだ、という真実を歌います。愛を救うのは愛しかないのだ、と。10曲め「Tout fusionne (みんな融合)」は、企業や役所やレコード会社などがどんどん併合/合併/一本化していっている現状を皮肉って、音楽ジャンルの融合、世界の料理の融合、銀行と保険会社の融合、航空会社の融合、ブルジョワとボヘミアンの融合...みんな融合できるんだったら、きみと僕も融合しないか、というオチの痛快な歌。
 8曲め「Les Premiers Lundis de Septembre(毎年9月の第一月曜日には)」で、私たちフランスに暮らすすべての人々のメランコリーが、美しいバラードで浮き彫りにされます。
9月の第一月曜日は
悲しみが僕たちを絞め殺しそうになっても
がまんするんだ、抵抗するんだ
と僕たちに教えるために毎年やってくるんだろうか
9月の第一月曜日は
歳月は過ぎても
何も変わらないんだ
と僕たちを絶望させるために毎年やってくるんだろうか

 フランスに住む人たちが共有する、この9月第一月曜日の悲しみは、私は娘が学校に行くようになってから初めてわかりました。9月第一月曜日は新学年の第一学期が始まる日です。この日を子供たちは最も忌み嫌います。長く楽しい夏のヴァカンスは終わり、この日から生活は「元通り」という現実を思い知らされるわけです。私はフランスで学校生活を送ったことがないし、日本での子供時代の夏休みしか知らなかったし、そんなに夏休みに遊んだ記憶もないし、学生の頃はバイトばかりしていたし、という事情で、こんな悲しみは知る由もなかったのですが、娘は私たちとは違い、毎年この9月最初のメランコリーを実体験して暗い顔になっているのです。私はそれが娘から伝染して、9月のメランコリーを肌で感じるようになったのですが、あらゆるメランコリーがそうであるように、それはある種甘美なものでもあるのです。
 このアルバムは2011年9月5日にリリースされました。つまり今年の9月第一月曜日です。この歌がこのアルバムで非常に重要な位置にあることを証明していましょう。私にとってのベストトラックです。
 トラファルガーの戦いは1805年、ネルソン提督率いるイギリス艦隊と、ナポレオン皇帝のフランス帝国海軍とそれに追随するスペイン艦隊の連合軍との間に交わされた海戦で、艦船数でまさった仏西連合艦隊をイギリス艦隊が破ってしまいます。ロンドンにはその戦勝を記念してトラファルガー広場があり、ネルソン提督の碑が立てられています。フランスではそのショックが後をひいて、今でも勝てる戦いに負けることを「トラファルガー」と表現します。
 アルバムがどういう経緯でこのタイトルになったのかは定かではありません。英ロックに並々ならぬ敬意を抱くボワナール兄弟の、「イギリスさんにはかなわない」という自虐的表現なのかもしれません。
 ところがアルバム最終曲の「Bye Bye Bailleur(賃貸者よ、さらば)」を聞いてごらんなさいよ。これは言わばアルシメード版の(ビートルズ)"I am the walrus"で、分厚くサイケデリックなストリングスと弓弾きギター、コーラス、サンプル、ナンセンスな歌詞、クレッシェンドする塊のようなウォール・オブ・サウンド、ニコラのふてぶてしいヴォーカル。たとえイギリスにモデルがあるとしても、こういう歌はイギリスに何らの遜色もないと思うのですよ。
 最後にもうひとつ特筆すると、アルバムのいろんなところで、フレデリック・ボワナールの弓弾きギターがよく鳴っています。これもファーストアルバムにはなかったこと。

<<< トラックリスト >>>
1. L'intrus
2. Le Bonheur
3. Je prends
4. A mes dépens
5. Les Petites Mains
6. On aura tout essayé
7. Est-ce que c'est juste ?
8. Les premiers lundis de septembre
9. Nos vies d'avant
10. Tout fusionne
11. Bye Bye Bailleur

Archimède "Trafalgar"
CD JIVE/EPIC - SONY MUSIC FRANCE 88697898442
フランスでのリリース:2011年9月5日


オフィシャルサイト:www.archimedemusic.com

(↓)「Le Bonheur(幸福)」オフィシャル・クリップ

ARCHIMEDE - Le bonheur par Lesairsavif

2011年9月21日水曜日

しかし何はともあれ Mais malgré tout


 そのリフレインはこうなってます。
しかし何はともあれ
Mais malgré tout,
僕はいつもつとめるようにと自分にこう言い聞かせるんだ...
je me dis toujours d'essayer que...
太陽は歌い 鳥たちは輝き
Le soleil chante, les oiseaux brillent
草原は僕に微笑みかけ 人生は緑だ
L'herbe me sourit et la vie est verte

 何かがおかしいでしょう。「太陽は歌い 鳥たちは輝き」は「太陽は輝き 鳥たちは歌い」であるべきだし、「草原は僕に微笑みかけ 人生は緑だ」は「草原は緑で、人生は僕に微笑みかける」というのが筋でしょう。その前の「僕はいつもつとめるようにと自分にこう言い聞かせるんだ」は、「僕はいつも自分にこう言い聞かせようとつとめるんだ」となりましょう。
 イニアテュス・ジェローム・ルッソーの最新アルバム『ありがたき偶然(タマタマ)』(2009年)の3曲め「太陽は歌う Le Soleil Chante」に、またまた素晴らしいアニメーション・クリップができました。制作はデルフィーヌ・ビュリュス。紙製のマリオネットや背景セットを使ったシュールで童話的な作品です。上のリフレインの説明で述べたように、歌詞はキーとなる言葉の語順を逆にしています。しかし「それでいいのだ」というバカボンのパパ的な思想があります。「太陽は歌い 鳥たちは輝き」で何がおかしいのだ? 「人生は緑」で何がおかしいのだ? そうです、間違いとは言わせない魅力があり、こういう世界観があってもいいじゃないか、と思いましょう。デルフィーヌ・ビュリュスのアニメーションはそれをできるだけ忠実に動画化しています。過度に説明的にならずに。

太陽は歌う Le Soleil Chante

僕の「味」の中に
変な「口」が残っているような
「ちょっと気になる」目をした
「アーモンド型をした」娘の記憶

僕の「かきまわす」中に
残っている「頭の」ようなもの
どうしようもなく そいつは僕を「めちゃくちゃに」し
僕を「酔わせて」くすぐるんだ

僕は彼女を「試し」たいのに
何度「忘れ」てもだめなんだ
その「僕の心」のような微笑みは
「からかい」を蹂躙した

しかし何はともあれ
僕はいつも「つとめる」ようにと「自分にこう言い聞かせる」んだ...
「太陽」は歌い 「鳥たち」は輝き
「草原」は僕に微笑みかけ 「人生」は緑だ



 これをここまで訳すだけで、レイモン・クノーを無理矢理日本語にするような楽しい苦悩がありました。無駄な努力ですけど。気が向いたら、後半の3ストローフも訳してみましょう。それまでは、この珠玉のアニメーション・クリップを楽しんでください。

2011年9月16日金曜日

復讐するは我にあり、我これを報いん

Philippe Djian "Vengeances"
フィリップ・ジアン『復讐』


 フィリップ・ジアン(1949- )は日本では『ベティー・ブルー』(原題"37°2 le matin" 1985年発表。翌年ジャン=ジャック・ベネイクスによって映画化)の一作でしか知られておりません。残念なことです。フランスでもこの作家は「真ん中」にいる人ではなく,マージナルな小説家と見られがちです。セリーヌとビート・ジェネレーションの直系のような文体は,えてして多くの人たちは「アメリカかぶれ」を思ってしまうわけで,サリンジャーやフィリップ・ロスと同じような読まれ方が可能なフランスでは独自なポジションにいる人です。80-90年代にはスイスのポップ・ロック・アーチスト,ステファン・エシェールの作詞家としてヒット曲もずいぶん出しました。こういうポップな立ち回りが,どうもこの作家を軽めに見てしまう原因かもしれません。三十余年の作家歴で文学賞とは無縁ですが、根強いファン層があります。私もそのひとりです。
 最新作『復讐』は2011年6月に発表されました。 
 まず目につくのは、数頁に一度の割で、この人差し指シンボルの「☛」が文頭に現れます。全編で四十数回「☛」が出ます。読み進めていくうちにわかるのですが、これは話者が変わる時の記号です。話者は二人いて「私」と第三者の「筆者」で、前者は一人称で書かれ、後者はすべて三人称で綴られます。これは一種の遠近法で、自分の目からの近距離描写と、第三者からのやや距離を置いた客観的で冷静な描写が、交互に現れるわけです。二人の話者は常に同時のことを語るわけではなく、時間の前後があり、読む側のリズムは一定でなくなります。「☛」はそのシンボルが示すように「あっち向けホイ」なのです。話者が変わる度に、私たちは首を横に向けて次元のラジカルな移動を体験することになります。「私」のテンションやパッションや疑いがクレッシェンドする時に、この「☛」が出てきてす〜っと熱を冷ましてくれるような効果もあります。
 出だしはすばらしいです。朝、地下鉄の中で急性アルコール中毒で死にかけているボロボロの若い女、自分の吐き出した嘔吐物の中で倒れている娘、これを主人公(マルク)が助け起こし、自宅に連れて帰って介抱します。この出会いにはマルクが何か直感したからに他ならないのですが、小説はいとも簡単にこの出会いが必然的であったことを認めてしまいます。出だしはいいのに、そのあとのフォローが短絡的で、このことがこの小説の唯一の弱点のように私は読みましたが、そんなものをどうでもいいようなものにする勢いがこの小説にはあります。
 マルクは50歳代の造型芸術家で、そこそこその世界では売れていて、その創造性はともかくとして世界中のコンテンポラリー・アートの蒐集家たちからまずまずの注文が来ていて、金に困ることのない地位にいる男です。そういう世界にそこそこ売ることを可能にしているのは、そのマネージャー兼秘書的な、その渉外関係の一切を担当するパートナーである男、ミッシェルがいるからで、このパートナーシップは30年近く続いています。当然この二人は最も親密な友情関係にあります。それは彼らが若かった頃、ある党派に属し、その理想のために既成の法律を無視するような活動まで一緒にしていた頃から持続しているものです。その頃のもう一人の仲間がアンヌという女性です。マルクとアンヌはそのお互いの旺盛な肉欲をしゃぶりつくすほどの狂熱的な関係にありました。その後、アンヌとミッシェルはカップルになり、二人は結婚し、マルクの親友としてマルクのアーチスト活動を支援しながら、マルクの稼ぎで生計を立てるという信頼関係と依存関係がごっちゃになった一種の運命共同体を形成しています。
 マルクは最初の妻との間にアレックスという長男をもうけますが、その妻は去り、ミッシェルとアンヌに親しいエリザベートという女性が伴侶となっていました。マルク=ミッシェル=アンヌの共同体に近かったこの女性も安定せず、そのうちに18歳の息子アレックスが頭部に弾丸を撃ち込み自殺する、という事件が起こり、その責任の是非を問う問わぬの口論の末、エリザベートはマルクのもとを去り、二度と帰ってきません。
 小説はこのマルクが息子を自殺で失い、エリザベートが去った後、独りで暮らしているところから始まります。その独りのマルクが、地下鉄で見た名も知らぬ泥酔少女を家に引き込むところから物語は始まるのです。少女はその数時間後に目が覚め、マルクが知らない間に、その介抱されて寝かされたいた部屋をめちゃめちゃに壊して姿を消してしまいます。何も盗まれたものはないのに、部屋に飾ってあった息子アレックスの写真だけがなくなっています。
 ミッシェルとアンヌはこのエピソードを好みません。マルクがエリザベートを失った反動で、衝動的に若い娘を連れ込んだ、という短絡した理由で説明しようとします。出会う前からミッシェルとアンヌはこの少女に猜疑心を抱いています。それはこの少女が三人の共同体を脅かす何かを持っているのだ、という直感に他なりません。
 ところがマルクのこの少女を守らねばならないという直感は、何よりも強くなっていきます。息子を自殺で失った不可解さのカギをこの少女は持っているかもしれない、という自分勝手な思い込みです。しかしてこの少女グロリアは、再びマルクの前に現れるのです。そしてグロリアは死んだアレックスの恋人だったことが告白され、マルクを密かに追い回していたという事実も明らかにされます。マルクは極貧の状態にあるグロリアを、何の条件もつけないから、マルクの家に住んでくれ、と嘆願し、二人の奇妙な同居生活が始まります。親友ミッシェルとアンヌはこのことをマルクの狂気の沙汰としか見ることができず、エリザベートが戻ってくることこそがマルクの正常化と考える二人は、マルクとグロリアの同居の早期破綻を願います。ところがこの情緒の欠落したようなパンクな少女グロリアは、そこに居座り、マルクと少しずつ接点を増やしていきます。マルクは、アレックスの恋人だったおまえは、俺の義理の娘のようなものだから、とその関係を自分に言い聞かせながらも、この少女が抗しがたい美しさと性的魅力を持っていることを否定できません。
 ジアンの多くの小説のように、この小説も生身の人間の性が通奏低音です。片方に50歳代のマルク、ミッシェル、アンヌという性の老いが深刻な世代があります。その前に突然現れた、はちきれんばかりの瑞々しい性を体現するグロリアがいます。これが衝突した場合、どうなるのか。アンヌは難しい問題を抱えています。それはミッシェルが性的不能に陥り、アンヌと性的に交われなくなっていて、アンヌは昔のようにマルクが性的パートナーとなってくれたら、と願って、マルクへの誘惑を再開します。マルクはミッシェルとの長年の友情を裏切るわけにはいかない、とそれを拒否します。ところが、マルクはアンヌとそれはできないにも関わらず、その世界のパーティーの機会ごとに一夜の性的パートナーを簡単に見つけてしまうのです。アンヌにはそれが許せない。
 その上、その三人の親友関係を揺るがす大異変は、不能と思われていたミッシェルが、少女グロリアの前では欲望を取り戻してしまうのです。肉体の悪魔はこうして現れ、アンヌとミッシェルはそれぞれ別の理由で、この若い娘の挑発が許せなくなっていきます。ミッシェルはマルクを疑い、マルクがこの娘を家に引き入れた理由はまさに性のことであるに違いないと思い込みます。アンヌはアンヌでマルクが自分の誘惑に屈しないのはグロリアのせいだと思うようになります。こうして三人の関係は緊張化していきます。
 グロリアは欲望に抗しきれずに執拗につきまとってくるミッシェルを拒否し続け、ミッシェルの欲望は狂気の域まで達しているのがマルクには見えてきます。4人は一緒に旅行に出かけ、ある夜、そのテンションは頂点に達してしまいます。その数日後、海岸でグロリアは全身を打ちのめされ、その顔が原型をとどめぬほどに殴打された瀕死の状態で発見されます。病院に収容された彼女はずっと昏睡状態のままで、生死の境を行き来しています。
 このことを知った親友三人は一様に大ショックに打たれ、ミッシェルはひとりになりたいと山のホテルに引きこもってしまいます。しかしマルクには確信があります。グロリアを殺そうとしたのはミッシェルに違いない、と。復讐心に狩られたマルクは、ミッシェルを殺しにその山岳地帯に乗り込みます。
 この小説のクライマックスで、ジアンの筆致は混沌しまくります。ミッシェルのいるところへの近道とホテルに教えられた道順を進むとマルクは深い森の中に迷ってしまいます。その森の中で、さまざまな幻視/幻聴/幻覚のような体験がやってきます。大鹿と出会い、突き飛ばされて気絶し、猟師の銃弾で頭を吹き飛ばされた大鹿を庇い、死神の女と不可解な言葉で会話し、行き先の知れぬトンネルに迷い込み...。フリー・ジャズの集団ブローを聞いているような大混乱の数ページがあります。すばらしいパッセージです。
 その末にマルクはミッシェルを殺すことになるのですが、グロリアを襲った犯人は実はミッシェルではないのです....。

 老いつつある3人は、長年続いた運命共同体的な関係にすがって、その老いを隠そうとするのですが、それを隠すにはアルコールやコカイン(その他の薬物)がどうしても必要なのです。その無理矢理なバランスを、ひとりの美しくまぶしい少女の出現は、いとも簡単に壊してしまいます。ミッシェルを焦燥に狩らせ、アンヌを嫉妬とフラストレーションで狂わせたこの少女は、最後にマルクを復讐の念で破壊してしまうのです。このデストロイのインパクトは、映画にしたらもっとはっきりするのではないか、と想像したりします。


Phillpe Djian "Vengeances"
(ガリマール刊 2011年6月。196ページ。17.50ユーロ)

 
(↓)1001librairie.comで公開された「フィリップ・ジアン、自作最新小説『復讐』を語る」。

 

2011年9月12日月曜日

サルコジスム10年間の犠牲者たち



Gérard Davet & Fabrice Lhomme "SARKO M'A TUER"
ジェラール・ダヴェ & ファブリス・ロム 『サルコ・マ・チュエ(私を殺したのはサルコ)』


 仏語を少しかじった人ならば,この本の題が文法的に間違いということがわかりますね。正しい用法では "Sarko m'a tué"となります。この間違いは1991年に起こった「ギレーヌ・マレシャル殺人事件」に由来するもので,被害者のマレシャル夫人が撲殺され,死体が見つかった地下室の白い扉に血文字で "Omar m'a tuer"(ママ。オマール・マ・チュエ)と書かれていたのです。そこでマレシャル夫人に庭師として雇われていたモロッコ系移民労働者オマール・ラダッドが容疑者として捕えられ,この血文字以外に彼が殺人を冒したということを示す確固たる証拠がないまま,94年に殺人罪で18年の禁固懲役刑の判決を受けますが,96年に大統領恩赦で減刑出獄します。しかしこの事件の真犯人は見つかっておらず,謎に包まれたままなのです。一躍この犯人を名指す(文法間違い)血文字は有名になり,ロシュディ・ゼム監督によって映画化(Omar m'a tuer)もされました。
 『サルコ・マ・チュエ(私を殺ったのはサルコ)』はニコラ・サルコジ(現フランス共和国大統領)によって邪魔者と見なされ,要職を追われ,解雇され,口封じのための恫喝を受け,私生活をマスコミ上で暴露され,第一線から消されていった人々の証言集です。これらの人々を取材し,本としてまとめたのは,ル・モンド紙のジャーナリストの二人,ジェラール・ダヴェとファブリス・ロムです。
 証言しているのは27人。ダヴィッド・セナ(元ミッシェル・アリオ=マリー法相顧問、ベタンクール事件の情報をル・モンド紙に漏らした疑いで解任),オーレリー・フィリペッティ(モーゼル県選出の社会党国会議員、サルコジが救済の約束を公言した製鉄工場の地元の議員で約束不履行を厳しく糾弾したのが原因で私生活上の問題をメディアに暴露される),ジャン=ユーグ・マテリー(警察/憲兵制度の改革に批判的な論文を発表した上級憲兵),ジャン・シャルボノー(サルコジ地方訪問中にデモを鎮圧できなかった県警本部長),クリスチーヌ・ブータン(元住宅担当大臣,キリスト教民主党党首、自党のサルコジ支援の代償として大臣職を得るが数ヶ月後に解任),ピエール・ド・ブースケ・ド・フロリアン(ヴィルパン派警察高官),アラン・ジェネスタール(元パリ・マッチ誌編集長。セシリア・サルコジと恋人リシャール・アチアスの写真暴露記事),ジャック・エスペランデュー(元ジュルナル・デュ・ディマンシュ紙編集長,大統領選挙にセシリア・サルコジが投票しなかった記事),マルク・ロベール(検事),ヤニック・ブラン(元パリ警視総監),イザベル・プレヴォ=デプレ(元リリアンヌ・ベタンクール事件担当判事,ベタンクールのUMP党へのヤミ献金を調査していた),イヴ・ベルトラン(元国家警察総合情報局長),クレール・チボー(元リリアンヌ・ベタンクール家の会計係,ベタンクールからサルコジおよびUMP党へのヤミ献金の証言者),エリック・デルザン(元コルシカ県警本部長,コルシカで開催したサルコジの政治集会が独立運動派に邪魔された責任で解任),ジュリアン・ドレー(ソンヌ県選出社会党国会議員,SOSラシスム発起人のひとり),ジャン=ピエール・アヴラン(元ミディ・ピレネ県保安本部長,PP = ポリス・ド・プロクシミテ=住民密着型警察活動の有効性をトゥールーズで証明,PPを解体させたサルコジと対立),ジェラール・デュボワ(元パリ警視副総監。セシリアの浮気をマスコミに流したと疑われた),ヴァレリー・ドマン(元ガラ誌ジャーナリスト,セシリア・サルコジの告白本を出版しようとした),ダニエル・ブートン(元ソシエテ・ジェネナル銀行頭取),アブデラハマン・ダハマン(元大統領参事/外国人統合担当),ディディエ・ポルト(世相漫談家,国営放送フランス・アンテールから解雇される),ドミニク・ロッシ(元コルシカ保安部隊員,サルコジの親友である俳優クリスチアン・クラヴィエのコルシカに所有するヴィラを不法侵入された責任で解任),ジャック・デュピュイドーヴビ(サルコジの親友の富豪実業家ヴァンサン・ボロレに対抗する海運/港湾会社グループ社長),ルノー・ヴァン・ルインベック(元クリアストリーム事件担当判事),パトリック・ポワーヴル=ダルヴォール(元TF1の20時ニュースのスター・ジャーナリスト),パトリック・ドヴェジャン(オー・ド・セーヌ県知事,UMP党国会議員),ドミニク・ド・ヴィルパン(元首相,共和国連帯党党首,サルコジの積年のライバル)。
 ここまで名前ばかりを書いてますが,フランス事情に詳しくなければ,どこにでもあるような政敵崩しの記録ではないか,と思われるかもしれません。バッタバッタと斬りまくるこのやり方は,どこにでもあるわけではありません。むしろ独裁国家/全体主義国家の下でなければできないことに近いでしょう。
 この対立派つぶしは2002年5月,シラクが大統領に再選され,国会多数派として保守が返り咲き,ニコラ・サルコジが内務大臣になった頃から始まります。内務省とは警察/国家保安委員会の総元締であり,各種の諜報機関が集ったところです。ここを要塞化するためにサルコジは自分の強力な側近だけで固め,元からいる要職者をひとりひとり解任します(ここまではよくあることと言っていいでしょう)。社会党シンパや親シラク派がその対象ですが,大統領シラクはそれをストップできるのに,しだいにそのチェックの手は弱まっていきます。2004年11月にサルコジがUMP党大会で85%の票を集めて党首に就任すると,その2年半後の大統領選挙を待たずにサルコジ派は党内の対立派(すなわちシラク=ヴィルパン派)のパージを始めます。2007年に大統領になってからは、そのパージはあらゆる反サルコジ派に及びます。
 上にリストで挙げたように、その標的は政界だけでなく、法曹界、財界、マスコミ界、芸能界、一般市民に至るまで広い範囲にわたるのです。法曹界はこれほどまでに蹂躙されたことはこの国ではなかったはずです。法治国家にして三権分立の原則を尊守しているはずの国で、大統領府が簡単に検事や判事の首をすげ替えるのですから。司法の独立、裁判の中立性は非常に危ういものになっています。その端的な例が、息子ジャン・サルコジが起こしたスクーター事故で、息子のスクーターにぶつけられた自動車の持主が損害賠償の訴訟を立てたところ、判決は息子無罪、逆に訴訟を立てた被害者が「過剰請求」で有罪になったのです(2008年9月)。もはやこの国に公正な裁判などない、と思わせる事件でしたが、この国の法曹界は必死にこの不条理な大統領府に圧力に抵抗して闘っているのです。この本で証言している検事や判事はその必死に闘った末に、その良識ある法曹人たちへの見せしめとして消された人たちです。
 この「見せしめ」という効果を大統領府は盛んに使います。この人たちはメディアに大きく紹介されて、公衆の面前で大統領府からの徹底的な辱めを受け、消されていくのです。われわれに逆らう者はみんなこうなるのだ、というデモンストレーションです。
 マスコミに関してはサルコジは予め手を打っています。大きな新聞、週刊誌、民間ラジオ/テレビの多くはその経営者たち、もしくは親会社グループの首脳陣が親サルコジ派になっています。フィガロ・グループの親会社社長セルジュ・ダッソーについては拙ブログの別記事でジョゼフ・マセ=スキャロンの小説のところで詳しく書いているので参照してください。またパリ・マッチ誌やエル誌などの大手雑誌と民間ラジオ大手のウーロップ1などの親会社となっているラガルデール・グループの二代目総帥アルノー・ラガルデールもサルコジの親友ですし、ヨーロッパ最大の民放テレビ局TF1の親会社であるゼネコンとテレコムのブイーグ・グループの二代目総帥マルタン・ブイーグもしかりです。これらの民間マスコミはサルコジの不都合になる報道をできるだけ避ける自主検閲システムが出来ていて、前述のジョゼフ・マセ=スキャロンのようにその掟に従わないジャーナリストは容赦なく解雇されます。この本ではパリ・マッチ誌でまだ内務大臣夫人であった頃のセシリア・サルコジの恋の逃避行を写真入りでスッパ抜いたアラン・ジェネスタールと、セシリア・サルコジの告白本を刊行しようとしたヴァレリー・ドマン、そしてサルコジへの突っ込んだ質問が過ぎたTF1のスターニュースキャスターであったパトリック・ポワーヴル=ダルヴォールが紹介されています。
 同じマスコミでも国営放送では事情が違っていたのですが、これもサルコジが完全な大統領府コントロールの下に置くために、国営の2社、ラジオ・フランスとフランス・テレヴィジオンの社長を大統領府が指名できる法律を2008年に国会で通過させています。サルコジに指名された社長が国営放送を統括するわけですから、それはそのままサルコジが国営放送の番組ひとつひとつに注文をつけられる体制ができたことなのです。その象徴的な事件が国営ラジオのフランス・アンテールから世相漫談家のステファヌ・ギヨンとディディエ・ポルトの解雇劇なのですが、この本ではディディエ・ポルトが証言しています。
 サルコジは2002年から内務大臣としてその手腕を高く評価され、彼の超タカ派的で容赦ない厳罰主義的言説で、治安のスペシャリストのように保守支持者および一部の極右支持者からも信奉されていました。警察内でもサルコジがボスになったら何ものを恐れることなく思う存分仕事ができると思っていた勢力がありました。最新テクノロジーを導入することと警察の権力行使権を拡大することが約束されました。その代わりにサルコジは「数字を上げること」を警察に要求します。逮捕件数と調書発行件数を飛躍的に伸ばし、犯罪件数を減らすこと。この中には不法外国人居住者の強制送還件数の倍増も含まれています。警察官は数字を上げるために日夜努力することになります。数字を上げた者だけが昇進し、数字の上がらない者は左遷されます。一種の極端な「生産性向上」を目標とする私企業と同じようなありさまです。
 変わり果てた警察の中で、ミディ・ピレネ県保安本部長を解任されたジャン=ピエール・アヴランはこの本の証言の中でサルコジとの根本的な警察観の違いをこう述べます:
私とサルコジには警察に関して全く相容れない2つのヴィジョンがある。私は警察とは国民の安全に奉仕するものと見ている。それに対してサルコジはそれを権力に奉仕するものと見ているのだ

 サルコジは警察を大統領権力の行使のために100%利用できるものだと思っているわけです。大統領にとって不都合なことをもみ消したり、大統領の気に喰わない者を脅しに行ったりするのも全部警察がやってしまうのです。警察とは権力に奉仕するもの。この本でも大きく取り上げられているリリアンヌ・ベタンクール事件でも、大統領府は検察と警察の両方に圧力をかけて、証拠を消したり、証言者に証言撤回を迫ったりします。
 ジャーナリストを脅したり、逆にジャーナリストに政敵のスキャンダルを垂れ込んだり、というマスコミの全体主義的コントロールに非常に長けています。ジャーナリストも市民も消される恐怖から、おのずと大統領に批判的な発言や大統領に不利な発言は慎むようになります。これは「恐怖政治」と言ってもいいのではないでしょうか。
 4-5年前まで最も威勢のよかった社会党の政治家のひとり、ジュリアン・ドレーの転落劇も生々しい証言で語られます。ドレーはサルコジと同世代の政治デビューで、お互い歯に衣着せぬ弁舌で、それぞれの陣営で頭角を現していった経緯があり、政敵でありながら、お互いを認め合っている部分がありました。ヌイイというブルジョワ地区から出て、それまで成功する政治家の必須条件であった名門師範校(エコール・ノルマル、特にENA = Ecole Normale d'Administration)卒ではないというハンディキャップを押しのけて、超アクティヴな政治アニマルとして昇りつめていったサルコジに対して、アルジェリア生れ郊外育ちで元トロツキスト、常に若者たちの間にいてSOSラシスムを国民的な大衆運動に育て、2007年の大統領選挙戦にはセゴレーヌ・ロワイヤルの選挙参謀の中心人物だったドレー。この左翼に人望あつい人物を抱き込もうと、サルコジは大統領当選後、内密にドレーに内閣入りをプロポーズするのです。ドレーはまずこの入閣の噂だけで、社会党内のドレー支持者を失ってしまいます。ドレーはきっぱりとその噂を否定し、絶対にサルコジの誘いには乗らないと表明します。顔に泥を塗られたと思ったサルコジは、ドレー崩しを開始します。ドレーの個人銀行口座の金銭出納に異常がある(なぜこのような個人情報が大統領府の手に、と思われましょうが、合法だろうが非合法だろうが大統領府には何でもできるのです)、と噂を流します。多額の金(160万ユーロ)がSOSラシスムと社会党系学生団体からドレーの口座に流れ、ドレーはそれを越える2百万ユーロの出費をしている。噂はさらに、それはポーカーで擦ったとも、超高級腕時計を買ったとも、メディアで書き立てられ、ドレーの隠された私生活が暴き出されます。スキャンダルは法廷に持ち越され、これをすべて洗い流すのにドレーは3年間も苦渋の日々を強いられます。5年前までは次期社会党党首候補と言われ、次々期大統領候補とまでも言われていたドレーは、おそらくこれで二度とそのレベルまで再浮上することができない打撃を受けました。
 しかし何と言ってもこの本の最重要の2章は、リリアンヌ・ベタンクール事件にからむ、元担当判事のイザベル・プレヴォ=デプレ、そして元ベタンクール家の会計係のクレール・チボー、この二人の女性のどんな恫喝にも屈しない「ベタンクール → サルコジ」ヤミ献金に関する証言です。この部分だけでも日本語に翻訳されればいいのに、と願います。なぜなら、このような女性たちがいるから、押しつぶされそうになっているフランスの裁判制度や司法の独立も、絶対につぶされないぞ、という希望を私たちに残してくれるのです。
 時代の空気は5年前からとても悪いです。ジャーナリストたちの大半が権力からの圧力におびえていて、多くの市民たちが裁判の公正さも信じられなくなっています。だからこそ、こういう本が必要なのです。勇気あるジャーナリストと証言者たちに、感謝とシャポーです。

Gérard Davet & Fabrice Lhomme "SARKO M'A TUER"
(Stock刊 2011年9月1日。360頁。19ユーロ)


(↓L'Express誌編集長クリストフ・バルビエによる『サルコ・マ・チュエ』紹介ヴィデオ)