2011年9月12日月曜日

サルコジスム10年間の犠牲者たち



Gérard Davet & Fabrice Lhomme "SARKO M'A TUER"
ジェラール・ダヴェ & ファブリス・ロム 『サルコ・マ・チュエ(私を殺したのはサルコ)』


 仏語を少しかじった人ならば,この本の題が文法的に間違いということがわかりますね。正しい用法では "Sarko m'a tué"となります。この間違いは1991年に起こった「ギレーヌ・マレシャル殺人事件」に由来するもので,被害者のマレシャル夫人が撲殺され,死体が見つかった地下室の白い扉に血文字で "Omar m'a tuer"(ママ。オマール・マ・チュエ)と書かれていたのです。そこでマレシャル夫人に庭師として雇われていたモロッコ系移民労働者オマール・ラダッドが容疑者として捕えられ,この血文字以外に彼が殺人を冒したということを示す確固たる証拠がないまま,94年に殺人罪で18年の禁固懲役刑の判決を受けますが,96年に大統領恩赦で減刑出獄します。しかしこの事件の真犯人は見つかっておらず,謎に包まれたままなのです。一躍この犯人を名指す(文法間違い)血文字は有名になり,ロシュディ・ゼム監督によって映画化(Omar m'a tuer)もされました。
 『サルコ・マ・チュエ(私を殺ったのはサルコ)』はニコラ・サルコジ(現フランス共和国大統領)によって邪魔者と見なされ,要職を追われ,解雇され,口封じのための恫喝を受け,私生活をマスコミ上で暴露され,第一線から消されていった人々の証言集です。これらの人々を取材し,本としてまとめたのは,ル・モンド紙のジャーナリストの二人,ジェラール・ダヴェとファブリス・ロムです。
 証言しているのは27人。ダヴィッド・セナ(元ミッシェル・アリオ=マリー法相顧問、ベタンクール事件の情報をル・モンド紙に漏らした疑いで解任),オーレリー・フィリペッティ(モーゼル県選出の社会党国会議員、サルコジが救済の約束を公言した製鉄工場の地元の議員で約束不履行を厳しく糾弾したのが原因で私生活上の問題をメディアに暴露される),ジャン=ユーグ・マテリー(警察/憲兵制度の改革に批判的な論文を発表した上級憲兵),ジャン・シャルボノー(サルコジ地方訪問中にデモを鎮圧できなかった県警本部長),クリスチーヌ・ブータン(元住宅担当大臣,キリスト教民主党党首、自党のサルコジ支援の代償として大臣職を得るが数ヶ月後に解任),ピエール・ド・ブースケ・ド・フロリアン(ヴィルパン派警察高官),アラン・ジェネスタール(元パリ・マッチ誌編集長。セシリア・サルコジと恋人リシャール・アチアスの写真暴露記事),ジャック・エスペランデュー(元ジュルナル・デュ・ディマンシュ紙編集長,大統領選挙にセシリア・サルコジが投票しなかった記事),マルク・ロベール(検事),ヤニック・ブラン(元パリ警視総監),イザベル・プレヴォ=デプレ(元リリアンヌ・ベタンクール事件担当判事,ベタンクールのUMP党へのヤミ献金を調査していた),イヴ・ベルトラン(元国家警察総合情報局長),クレール・チボー(元リリアンヌ・ベタンクール家の会計係,ベタンクールからサルコジおよびUMP党へのヤミ献金の証言者),エリック・デルザン(元コルシカ県警本部長,コルシカで開催したサルコジの政治集会が独立運動派に邪魔された責任で解任),ジュリアン・ドレー(ソンヌ県選出社会党国会議員,SOSラシスム発起人のひとり),ジャン=ピエール・アヴラン(元ミディ・ピレネ県保安本部長,PP = ポリス・ド・プロクシミテ=住民密着型警察活動の有効性をトゥールーズで証明,PPを解体させたサルコジと対立),ジェラール・デュボワ(元パリ警視副総監。セシリアの浮気をマスコミに流したと疑われた),ヴァレリー・ドマン(元ガラ誌ジャーナリスト,セシリア・サルコジの告白本を出版しようとした),ダニエル・ブートン(元ソシエテ・ジェネナル銀行頭取),アブデラハマン・ダハマン(元大統領参事/外国人統合担当),ディディエ・ポルト(世相漫談家,国営放送フランス・アンテールから解雇される),ドミニク・ロッシ(元コルシカ保安部隊員,サルコジの親友である俳優クリスチアン・クラヴィエのコルシカに所有するヴィラを不法侵入された責任で解任),ジャック・デュピュイドーヴビ(サルコジの親友の富豪実業家ヴァンサン・ボロレに対抗する海運/港湾会社グループ社長),ルノー・ヴァン・ルインベック(元クリアストリーム事件担当判事),パトリック・ポワーヴル=ダルヴォール(元TF1の20時ニュースのスター・ジャーナリスト),パトリック・ドヴェジャン(オー・ド・セーヌ県知事,UMP党国会議員),ドミニク・ド・ヴィルパン(元首相,共和国連帯党党首,サルコジの積年のライバル)。
 ここまで名前ばかりを書いてますが,フランス事情に詳しくなければ,どこにでもあるような政敵崩しの記録ではないか,と思われるかもしれません。バッタバッタと斬りまくるこのやり方は,どこにでもあるわけではありません。むしろ独裁国家/全体主義国家の下でなければできないことに近いでしょう。
 この対立派つぶしは2002年5月,シラクが大統領に再選され,国会多数派として保守が返り咲き,ニコラ・サルコジが内務大臣になった頃から始まります。内務省とは警察/国家保安委員会の総元締であり,各種の諜報機関が集ったところです。ここを要塞化するためにサルコジは自分の強力な側近だけで固め,元からいる要職者をひとりひとり解任します(ここまではよくあることと言っていいでしょう)。社会党シンパや親シラク派がその対象ですが,大統領シラクはそれをストップできるのに,しだいにそのチェックの手は弱まっていきます。2004年11月にサルコジがUMP党大会で85%の票を集めて党首に就任すると,その2年半後の大統領選挙を待たずにサルコジ派は党内の対立派(すなわちシラク=ヴィルパン派)のパージを始めます。2007年に大統領になってからは、そのパージはあらゆる反サルコジ派に及びます。
 上にリストで挙げたように、その標的は政界だけでなく、法曹界、財界、マスコミ界、芸能界、一般市民に至るまで広い範囲にわたるのです。法曹界はこれほどまでに蹂躙されたことはこの国ではなかったはずです。法治国家にして三権分立の原則を尊守しているはずの国で、大統領府が簡単に検事や判事の首をすげ替えるのですから。司法の独立、裁判の中立性は非常に危ういものになっています。その端的な例が、息子ジャン・サルコジが起こしたスクーター事故で、息子のスクーターにぶつけられた自動車の持主が損害賠償の訴訟を立てたところ、判決は息子無罪、逆に訴訟を立てた被害者が「過剰請求」で有罪になったのです(2008年9月)。もはやこの国に公正な裁判などない、と思わせる事件でしたが、この国の法曹界は必死にこの不条理な大統領府に圧力に抵抗して闘っているのです。この本で証言している検事や判事はその必死に闘った末に、その良識ある法曹人たちへの見せしめとして消された人たちです。
 この「見せしめ」という効果を大統領府は盛んに使います。この人たちはメディアに大きく紹介されて、公衆の面前で大統領府からの徹底的な辱めを受け、消されていくのです。われわれに逆らう者はみんなこうなるのだ、というデモンストレーションです。
 マスコミに関してはサルコジは予め手を打っています。大きな新聞、週刊誌、民間ラジオ/テレビの多くはその経営者たち、もしくは親会社グループの首脳陣が親サルコジ派になっています。フィガロ・グループの親会社社長セルジュ・ダッソーについては拙ブログの別記事でジョゼフ・マセ=スキャロンの小説のところで詳しく書いているので参照してください。またパリ・マッチ誌やエル誌などの大手雑誌と民間ラジオ大手のウーロップ1などの親会社となっているラガルデール・グループの二代目総帥アルノー・ラガルデールもサルコジの親友ですし、ヨーロッパ最大の民放テレビ局TF1の親会社であるゼネコンとテレコムのブイーグ・グループの二代目総帥マルタン・ブイーグもしかりです。これらの民間マスコミはサルコジの不都合になる報道をできるだけ避ける自主検閲システムが出来ていて、前述のジョゼフ・マセ=スキャロンのようにその掟に従わないジャーナリストは容赦なく解雇されます。この本ではパリ・マッチ誌でまだ内務大臣夫人であった頃のセシリア・サルコジの恋の逃避行を写真入りでスッパ抜いたアラン・ジェネスタールと、セシリア・サルコジの告白本を刊行しようとしたヴァレリー・ドマン、そしてサルコジへの突っ込んだ質問が過ぎたTF1のスターニュースキャスターであったパトリック・ポワーヴル=ダルヴォールが紹介されています。
 同じマスコミでも国営放送では事情が違っていたのですが、これもサルコジが完全な大統領府コントロールの下に置くために、国営の2社、ラジオ・フランスとフランス・テレヴィジオンの社長を大統領府が指名できる法律を2008年に国会で通過させています。サルコジに指名された社長が国営放送を統括するわけですから、それはそのままサルコジが国営放送の番組ひとつひとつに注文をつけられる体制ができたことなのです。その象徴的な事件が国営ラジオのフランス・アンテールから世相漫談家のステファヌ・ギヨンとディディエ・ポルトの解雇劇なのですが、この本ではディディエ・ポルトが証言しています。
 サルコジは2002年から内務大臣としてその手腕を高く評価され、彼の超タカ派的で容赦ない厳罰主義的言説で、治安のスペシャリストのように保守支持者および一部の極右支持者からも信奉されていました。警察内でもサルコジがボスになったら何ものを恐れることなく思う存分仕事ができると思っていた勢力がありました。最新テクノロジーを導入することと警察の権力行使権を拡大することが約束されました。その代わりにサルコジは「数字を上げること」を警察に要求します。逮捕件数と調書発行件数を飛躍的に伸ばし、犯罪件数を減らすこと。この中には不法外国人居住者の強制送還件数の倍増も含まれています。警察官は数字を上げるために日夜努力することになります。数字を上げた者だけが昇進し、数字の上がらない者は左遷されます。一種の極端な「生産性向上」を目標とする私企業と同じようなありさまです。
 変わり果てた警察の中で、ミディ・ピレネ県保安本部長を解任されたジャン=ピエール・アヴランはこの本の証言の中でサルコジとの根本的な警察観の違いをこう述べます:
私とサルコジには警察に関して全く相容れない2つのヴィジョンがある。私は警察とは国民の安全に奉仕するものと見ている。それに対してサルコジはそれを権力に奉仕するものと見ているのだ

 サルコジは警察を大統領権力の行使のために100%利用できるものだと思っているわけです。大統領にとって不都合なことをもみ消したり、大統領の気に喰わない者を脅しに行ったりするのも全部警察がやってしまうのです。警察とは権力に奉仕するもの。この本でも大きく取り上げられているリリアンヌ・ベタンクール事件でも、大統領府は検察と警察の両方に圧力をかけて、証拠を消したり、証言者に証言撤回を迫ったりします。
 ジャーナリストを脅したり、逆にジャーナリストに政敵のスキャンダルを垂れ込んだり、というマスコミの全体主義的コントロールに非常に長けています。ジャーナリストも市民も消される恐怖から、おのずと大統領に批判的な発言や大統領に不利な発言は慎むようになります。これは「恐怖政治」と言ってもいいのではないでしょうか。
 4-5年前まで最も威勢のよかった社会党の政治家のひとり、ジュリアン・ドレーの転落劇も生々しい証言で語られます。ドレーはサルコジと同世代の政治デビューで、お互い歯に衣着せぬ弁舌で、それぞれの陣営で頭角を現していった経緯があり、政敵でありながら、お互いを認め合っている部分がありました。ヌイイというブルジョワ地区から出て、それまで成功する政治家の必須条件であった名門師範校(エコール・ノルマル、特にENA = Ecole Normale d'Administration)卒ではないというハンディキャップを押しのけて、超アクティヴな政治アニマルとして昇りつめていったサルコジに対して、アルジェリア生れ郊外育ちで元トロツキスト、常に若者たちの間にいてSOSラシスムを国民的な大衆運動に育て、2007年の大統領選挙戦にはセゴレーヌ・ロワイヤルの選挙参謀の中心人物だったドレー。この左翼に人望あつい人物を抱き込もうと、サルコジは大統領当選後、内密にドレーに内閣入りをプロポーズするのです。ドレーはまずこの入閣の噂だけで、社会党内のドレー支持者を失ってしまいます。ドレーはきっぱりとその噂を否定し、絶対にサルコジの誘いには乗らないと表明します。顔に泥を塗られたと思ったサルコジは、ドレー崩しを開始します。ドレーの個人銀行口座の金銭出納に異常がある(なぜこのような個人情報が大統領府の手に、と思われましょうが、合法だろうが非合法だろうが大統領府には何でもできるのです)、と噂を流します。多額の金(160万ユーロ)がSOSラシスムと社会党系学生団体からドレーの口座に流れ、ドレーはそれを越える2百万ユーロの出費をしている。噂はさらに、それはポーカーで擦ったとも、超高級腕時計を買ったとも、メディアで書き立てられ、ドレーの隠された私生活が暴き出されます。スキャンダルは法廷に持ち越され、これをすべて洗い流すのにドレーは3年間も苦渋の日々を強いられます。5年前までは次期社会党党首候補と言われ、次々期大統領候補とまでも言われていたドレーは、おそらくこれで二度とそのレベルまで再浮上することができない打撃を受けました。
 しかし何と言ってもこの本の最重要の2章は、リリアンヌ・ベタンクール事件にからむ、元担当判事のイザベル・プレヴォ=デプレ、そして元ベタンクール家の会計係のクレール・チボー、この二人の女性のどんな恫喝にも屈しない「ベタンクール → サルコジ」ヤミ献金に関する証言です。この部分だけでも日本語に翻訳されればいいのに、と願います。なぜなら、このような女性たちがいるから、押しつぶされそうになっているフランスの裁判制度や司法の独立も、絶対につぶされないぞ、という希望を私たちに残してくれるのです。
 時代の空気は5年前からとても悪いです。ジャーナリストたちの大半が権力からの圧力におびえていて、多くの市民たちが裁判の公正さも信じられなくなっています。だからこそ、こういう本が必要なのです。勇気あるジャーナリストと証言者たちに、感謝とシャポーです。

Gérard Davet & Fabrice Lhomme "SARKO M'A TUER"
(Stock刊 2011年9月1日。360頁。19ユーロ)


(↓L'Express誌編集長クリストフ・バルビエによる『サルコ・マ・チュエ』紹介ヴィデオ)

 

2 件のコメント:

清岡智比古 さんのコメント...

とても勉強になりました。あいまいなイメージだった部分が、具体的になりました。ご紹介くださり、ありがとうございました。感謝です。

Pere Castor さんのコメント...

清岡先生、コメントありがとうございまいました。大変励みになります。原著にはサルコジのコカイン吸飲癖を匂わせる証言や、大統領府と内務省による電話盗聴に関する記述など、拙ブログが触れていない重要部分がたくさんあります。ぜひ原著をご一読くださるようお勧めいたします。