2010年2月18日木曜日

クチュリエ一代



PIERRE-DOMINIQUE BURGAUD + ALAIN CHAMFORT + ROBERT MURPHY "UNE VIE SAINT LAURENT"
ピエール=ドミニク・ビュルゴー + アラン・シャンフォール + ロバート・マーフィー共著『サン・ローラン一代記』


 今から30数年前,某大学の仏文科を私と同期で出た奴が「俺の会社の制服はYSLだぞ」と自慢していました。で,彼が就職した会社は,今は「商船三井」という日本でトップクラスの船会社になっていますが,当時は合併前で「山下新日本汽船」と呼ばれていました。Yamashita Shin-Nihon Lines,略称 Y.S.L.。その会社の女子社員制服や,男子社員ネクタイにYSLのイニシャルがいっぱいついているからって,それはイーヴ・サン・ローランの手になるものではないでしょうに!

 偉大なるクチュリエ,イーヴ・サン・ローラン(1936-2008)の一生を作詞家ピエール=ドミニク・ビュルゴーが十数編の歌詞で描き,それにアラン・シャンフォールが曲をつけてアルバム化したのが "UNE VIE SAINT LAURENT" です。
 数年前にメジャーレコード会社から契約を切られたアラン・シャンフォールは前作までXIII BIS(トレーズ・ビス)という独立レコード会社によってCDが配給されていましたが,今回はそこからも離れ,従来のCD販売経路を通さずに,ウェブ通販会社(vente-privee.com)でのみCDを一般小売しています。レコード会社/配給会社/小売店のマージンを取り除いた,という証拠に,そのウェブシップ上でのこのCDの販売価格は税込み5.50ユーロ(約700円)で,通常の新盤CD小売価格の約3分の1です。こういうやり方は一般消費者からは賛同の声が起こるかもしれませんが,フナックのCD売場の人たちをはじめ,音楽製品流通の中で生きる私の同業者たちを全部敵に回してしまった,と言えます。音源配信とCDは2月16日から始まりました。どこまで「流通革命」を起してくれるか,楽しみでもありますが,大したことにはならないというのが大方の予想です。因みにこのVente-privée.comはこの以前にパトリシア・カースのCDアルバム『キャバレー』を同じように6ユーロで売ったという前歴があります。
 さて,ピエール=ドミニク・ビュルゴーは,2006年ルイ・シェディッド(-M-マチュー・シェディッドの父)のミュージカル『LE SOLDAT ROSE(ピンクの兵隊)』でその才能を高く評価された新進の作詞家で,この『サン・ローラン』でも作詞というよりもストーリーテリングにその筆が冴え渡ります。
 仏植民地時代のアルジェリア,オランに生れたイーヴ少年は,サッカー遊びに興じる近所の子たちに目もくれず,絵と芝居と映画と着せ替え人形遊びに夢中でした。オラン(ORAN)に居た時から,この少年は未来に自分の名前がシャンゼリゼ通りや世界の目抜き通りのオーラン(Haut Rang高いところ)に輝くだろうと確信していました。ビュルゴーはこういうわかりやすい言葉を使います。
 19歳でモード界の帝王クリスチアン・ディオールのアシスタントに。ここでもビュルゴーはDIOR(ディオール)とDIEU(デュー=神)という二つの言葉をまぜこぜにして,ファッション界の神様を讃えます。サン・ローランがサン・ローランになれたのはディオールという神の加護があったからこそなのです。この歌"A DROITE DE DIOR"が今,協賛ラジオ局EUROPE 1を筆頭によくFMでオンエアされています。
 しかし神ディオールは,52歳の若さで急死(一種の過労死とも言えます),ラ・メゾン・ディオールはこの穴埋めを21歳のイーヴ・サン・ローランに託します。ディオールのための最初のサン・ローラン・コレクションは大成功を収め,バルコニーに立つ長身のメガネの青年の姿が各新聞の第一面を飾ります。
 こういう感じでCDアルバムは年代記的にサン・ローランの生涯を歌にして進行するわけですが,ここで紹介する本は,そのCDの進行を軸にして,17曲の1曲1曲を写真とバイオグラフィーと当時の状況説明を加えて膨らませたものです。あくまでもこちらは伝記「本」で,CDは無料付録という形でついています。レコード会社がこれを出せば,豪華CDブックとなって,CD売場で売られることになるわけですが,この本はALBIN MICHELアルバン・ミッシェルという出版社から出たので,「本」として書籍売場で売られるのです。上に書いたような事情で,音楽CD流通業界を敵に回してしまったアラン・シャンフォールが,CD売場に商品を置けなくなることを見越して,それならば書籍売場で売ってもらおうということを巧妙に考えたのでしょうね。今はCD売場よりも書籍売場の方が客が多いし,きっと露出度も高いでしょう。
 しかしほとんど写真だらけの大判(19センチX25センチ)ハードカヴァーの100頁本,これにCDがついて25ユーロ(約3200円)というのは良心的と言えます。そしてアラン・シャンフォールの音楽とこの写真集で,サン・ローランの生涯がミュージカル映画のように平易にわかってしまう,という仕掛けです。
 ビュルゴーの詞で,生涯の伴侶となるピエール・ベルジェとの出会いを描くとき「禁じられた遊び」をメタファーにつかいます。実際ホモセクシュアリティーが法的に禁止されていた時代(この法的禁止が廃止されるのは1981年のこと!)の比喩で,「私は『禁じられた遊び』をギターで教わり,そのあとギターなしの『禁じられた遊び』を知った。私はギターなしの方が好きだった」という歌詞になります。これはきれいですね。
 アルジェリア戦争の時に徴兵され,その間にディオール社が代わりにチーフを雇ったため,サン・ローランは戦地で極度の神経衰弱に陥り,その地獄から這い出す唯一の可能性は自身のメゾン「イーヴ・サン・ローラン」を設立することでした。こうしてベルジェとの公私共の二人三脚が始まるのですが,あの時代からはっきりとホモセクシュアリティーを公にしていた希有な有名人でした。
 そしてスモーキングからインスパイアされたパンタロン・スーツが生まれます。これは女性の地位向上にどれだけ貢献したことか。そしてプレタ・ポルテ化で,ファッションを一挙に大衆化させてしまいます。年寄りの金持ち婦人を相手に豪奢な服を作るのか,道行く女性たちのためにきれいな服を作るのか,こうやって考えるクリエーターがサン・ローラン以前にはいなかったのですね。女性がどんどんアクティヴになっていった60年代70年代に,サン・ローランは女性の革命を大胆に応援していたというわけです。
 ビュルゴーの詞で,もうひとつすごいのがあります:「マーケッティングとポエジーがひとつ屋根に同居すると,どちらがどちらを欺くということに関わらず,ポエジーの方が身を引いて去ってしまう」。これはモードの詩人と言えどもマーケッティング至上主義に勝てなくなった90年代,2000年代のことで,ポエジーの化身サン・ローランは自分のメゾンYSLを去っていかなければならなくなったのです。
 苦い引退劇,そしてカトリーヌ・ドヌーヴの涙に飾られたサン・ローラン71歳の死まで,この本とCDは最後まで美しく幕を閉じます。偉大なクチュリエの歴史だけではなく,これは20世紀後半の歴史そのものとも重なります。すべての曲が秀逸とは言いがたいけれど,シャンフォール一流のダンディズムが,このクチュールの巨匠への愛に満ちて,胸に迫るものがあります。

<<< CD トラックリスト >>>
1. ORAN
2. A LA DROITE DE DIOR
3. LES CLOCHETTES BLANCHES
4. LE JEUNE HOMME AU BALCON
5. PAS DE GUITARE
6. UNE ETOILE QUI TOMBE
7. LES DEUX NE FONT QU'UN
8. SMOKING OR NOT SMOKING
9. PRET-A-PORTER
10. LES MUSES
11. 5, AVENUE MARCEAU
12. MAJORELLE
13. LE MARKETING LA POESIE
14. QUAND ON A TOUT CONNU
15. ON DIT
16. ADIEU MONSIEUR SAINT LAURENT


PIERRE-DOMINIQUE BURGAUD + ALAIN CHAMFORT + ROBERT MURPHY "UNE VIE SAINT LAURENT"
(ALBIN MICHEL刊 2010年2月刊。無料CDつき。100頁 25ユーロ)

(↓)アラン・シャンフォール「ディオールの右側に」クリップ



(↓)2010年3月から8月までパリのプチ・パレで開催されるサン・ローラン回顧展ポスター

 

 

2010年2月14日日曜日

ピアノマンのいる情景



Pascal Sangla "Une petite pause"
パスカル・サングラ『小休止』


 南西フランス・バスク地方のバイヨンヌ出身の俳優兼シンガーソングライターです。修行時代はさまざまな舞台に立って,俳優やったり,歌手やったり,ピアニストやったり,ということなんですが,そういう叩き上げみたいな舞台での存在感があります。そして彼がイニシアチヴを取ってスペクタクルを立ち上げようとした時,舞台の中心にピアノを置いたのです。
 パスカル・サングラはピアノマンです。ピアノで笑わせたり泣かせたり,情景を描いたりするわけです。テクがどうのというのではなく,ピアノ使っていろんなことができる幸せなピアノ弾きです。フランスでは珍しいビリー・ジョエルやランディー・ニューマン型の音楽を作る人です。フランスにありがちなミッシェル・ベルジェやヴェロニク・サンソンのパターンよりもミッシェル・ルグランに近いとも言えます。すなわちメロディーやリズムパターンが豊富なのです。この辺で気に入ってくれる人もありましょう。
 ステージではピアノトリオです。コントラバスとドラムス。どちらもピアノマンのよく働く手下で、コントラバス君はピアノマンの実の弟です。そしてどういう情景が展開するかと言うと、例えば雨です。雨音とピアノ、古今多くの例を見る常套的で月並みなピアノと雨とのハーモニーが、パスカル・サングラの手にかかると(2曲め"Il pleut" = 雨が降る)、雨は二人を家の中にとどめる愛の助っ人であり、雨音は街の音をかき消し二人の言葉さえかき消してしまい、二人の微笑みだけの時間を作ってくれるのだが、やがて別れの時に二人の目の中に降る雨となってしまうのです。こういうヴェルレーヌ的な起承転結をピアノマンは雨だれピアノで表現するのですね。
 グランドピアノではないのです。たぶんクラヴィノーヴァ。ちょっと重いけれど、無理すれば背中にしょって旅をすることもできる。そういうピアノ背負ったロード・ムーヴィーのような11曲め"AVEC MON PIANO"は、若き日のエルトン・ジョンのようなピアノ・ホーボーを思わせます。
 かと思うと、故ジャック・カネティの有名なシャンソン劇場「トロワ・ボーデ」の再オープン(2008年)の際のシャンソン・コンテストに応募したという曲(5曲め"Le plus beau des trois"ル・プリュ・ボー・デ・トロワ。題からしてトロワ・ボーデのもじり)は、荒唐無稽ながら「トロワ・ボーデ」という語音にかけたあらゆる地口/駄洒落を集めて構成された、戦略的な「コンテスト絶対入賞ねらい」の怪作。
 というわけでいろいろできる人なのですが、アルバムタイトル曲(9曲め"Une Petite Pause"=小休止)は、文字通りピアノマン氏の休息の歌で、シンプルな言葉で、昼の喧噪から離れて夜更けにやってくる一人の静寂の時間をいつくしむという、聞く側もほっとするような美しい休息への誘い。ビル・マーレイなら Make it Suntory time...と言いそうな...。

<<< トラックリスト >>>
1. Comme ça
2. Il pleut
3. La dame pipi
4. Une voix...
5. Le plus beau des trois
6. Si elle a un problème
7. Le papillon blanc
8. L'air de pas y toucher
9. Une petite pause
10. Manèges
11. Avec mon piano
12. 141
13. De fil en aiguille
14. Assis par terre

PASCAL SANGLA "UNE PETITE PAUSE"
CD Autre Distribution AD1436C
フランスでのリリース:2010年2月8日


(↓)2007年のライヴ映像 "L'AIR DE PAS Y TOUCHER"


(↓)2007年のライヴ映像 "UNE PETITE PAUSE"

 

2010年2月12日金曜日

ベルギー人の逆襲



アレック・マンシオン『レオポルド・ノールと臣下たち』
Alec Mansion "LEOPOLD NORD ...et eux"


 昭和中期の日本で同じような作りの高層住宅でも,「アパート」と言うと庶民的なイメージでしたが,「マンション」と言うととたんに豪奢な感じがありました。しかし,原語(英語)で mansion はいくら高級であっても高層集合住宅の意味はなく,大邸宅,即ちフランス語の manoir (マノワール,城館)に相当するものです。
アレック・マンシオンのHPのトップページはこんな感じの大きな田舎家ですけど。
 アレック・マンシオンは1958年ベルギー,ブリュージュ生れの音楽アーチストです。その唯一の栄光は1987年,弟のブノワ・マンシオン(+そのまた弟のユベール・マンシオン)と組んだレオポルド・ノール・エ・ヴー名義のシングル盤"C'est l'amour"の大ヒットであり,当時のフランスのチャートTOP50で最高位2位,ゴールドディスクを獲得しています。その後兄弟は「レ・シェリ」,「レ・フレール・マンシオン」などと名前を変えながら,シングル盤やアルバムを出すのですが,ベルギーでの受けはさることながら,フランスでは全く名前を聞かなくなってしまいます。
 アレック・マンシオンにはもう一つの栄光があり,それは当時の奥様であったミュリエル・ダックの1986年の大ヒット"Tropique"です。80万枚。当時は日本盤も出ましたし。ミュリエル・ダックも3枚ほどアルバムを出していましたが,TOP50的には一発ヒット屋でした。
 ミュリエル・ダックのサウンドも含めて,アレック・マンシオンの作るポップサウンドには日本でも隠れたファンが多いようです。複雑で流麗なコーラスハーモニー(多重録音です),サンプル音/効果音の遊び感覚,ラテン/ボサ/ディスコその他が軽妙に混じった上質のFMポップ,そしていかにもベルギー的な冗談モードが決め手です。フランス人のように言葉(遊び)で笑わせるのではなく,サウンドで笑わせるのはこの人の真骨頂でしょう。例えばリフレインのところの歌詞の単語を繰返しの度にひとつひとつ消していって、最後には聴衆のため息と拍手で終わるというふうな構成で「歌のストリップショー」をしてしまう、なんていうことですね。高度なテクニックの諧謔だと思います。
 しかし一発屋ですから、だんだん出番がなくなり、早くも90年代には懐メロ歌手の領域に突入し、タマにお呼びがかかるテレビの懐メロ特番で "C'est l'amour"を口パクで歌う、というのがこの人たちの存在の証しになってしまいます。新曲も新アルバムも出しているのに、それではお呼びがかからない。行く末は老人施設巡回訪問や、地方スーパーマーケットの大駐車場前カラオケショーの余興要員になってしまうわけです。
 2000年代に入って、そういう人たちが団結して集団復活します。2006年にスタートした"AGE TENDRE & TETES DE BOIS" "AGE TENDRE & TETES DE BOIS" は、シクスティーズ/セヴンティーズのアイドルたち(リシャール・アントニー、シェイラ、フランク・アラモ、ミッシェル・トール、ストーン&シャルデン...)10数組で、ちゃんとしたオケを連れてツアーをする大規模懐メロスペクタクルですが、これが各地で満員大盛況。年々増強して2010年には全国50数カ所のゼニット級の大ホールを回るという規模にまで成長しました。
 それよりちょっと若い世代は、このエイティーズ版で対抗しようとしたのです。それは中高年向けFMラジオネットワークであるRFMが企画した"RFM PARTY 80"というツアーです。そのディリーモーション"RFM PARTY 80" を見ると、こちらは巨大カラオケパーティーのような趣きです。80年代はフランスではFM電波解放後の世代で、FM主導でヒット曲が生まれるようになって音楽が一挙に若返りした言わばFMポップの時代で、時期を同じくして始まったフランス初の公式シングルチャートTOP50に若いファンが夢中になっていた時代でもあります。その時期の一発屋たちがこのRFM PARTY 80に参加したわけですが、アレック・マンシオン(レオポルド・ノール・エ・ヴー)もその中にいたのです。アレックはこのエイティーズ・ファンたちの熱狂に驚き、なかば呆れ、その中でカラオケ人形でいることを冷静に受け止め、逆襲を準備するわけです。アレックはこのRFM PARTY 80 のツアー中に曲を書き、ツアーの間に、その同行メンバーとデュエットで録音してこのアルバムを作ったのです。
 ジャン=ピエール・マデール(「マクンバ」の人、トゥールーズ人)、デビュー・ド・ソワレ(「ニュイ・ドフォリー」のデュオ)、クッキー・ダングレール(「ファム・リベレ」のバンド)、プラスティック・ベルトラン(「恋のパトカー」の人、ベルギー人)、デジレレス(日本名ディザイアレス)、フィリップ・ラフォンテーヌ(「月夜のオオカミ」の人、ベルギー人)、エミール&イマージュ(ゴールドというバンドとイマージュというバンドの合同体。トゥールーズ人)、リチャード・サンダーソン(ソフィー・マルソー映画『ラ・ブーム』のテーマ曲の人、イギリス人)、サブリナ(「ボーイズ、ボーイズ、ボーイズ」のおっぱい女、イタリア人)、ジャン・シュルテイス(「コンフィダンス・プール・コンフィダンス」の人)...。これらの人たちとデュエットで、なかば自虐的パロディー、なかば80年代トリビュートのきわめてベルギー的諧謔のアルバムが出来ました。なお、制作費はインターネットでファン募金を集めての、604人の共同出資プロデューサーによって支えられたプロジェクトです。この604人の名前(登録偽名)はCD内ジャケットに印刷されています。ファンの方たちの暖かいご支援に支えられて、というわけです。こういう形で制作側と受け手側が直接の交流を持って音楽が制作されるということは、生産者/消費者のフェアトレード関係と同じで、これからどんどん増えていって欲しい「南北の対話」です。
 文字通り「北」の人、レオポルド・ノールです。ベルギー王国の初代国王レオポルド1世、2代目レオポルド2世、4代目レオポルド3世、どこかにいるレオポルド4世と続いていきます。アレック・マンシオンは中国や日本の「南北朝」を模して、「北朝レオポルド」(レオポルド・ノール)を僭称します。こういう王朝(日本風に言えば皇室)の茶化しというのは、まだ日本では難しいみたいですけど、イギリスやオランダやベルギーは結構平気ですよね。日本の雲上人もこのクラスまで民衆に近づいて欲しいものです。さてジャケ写をご覧ください。レオポルド・ノール1世の正装写真は右手でフライドポテトのおつまみになっている、というベルギー王そのもの、といった図です。タピスリーの紋章が巻き紙コーン入りのフライドポテトで、胸の勲章のひとつが小便小僧です。
 そして曲のひとつひとつが素晴らしい。トゥールーズの人、マデールとのデュエット「ブリュクセル=トゥールーズ」、まさに南北をつなぐ愛のメッセージのようです。ベルギー人にとって南とはオーステンドやその国境の南であるダンケルクやカレーみたいなところまでなんですね。それがトゥールーズとなると地球の裏側的な南に思えるわけです。
 このトゥールーズはフレンチ・エイティーズにおいてはヒット王国であり、土地の録音スタジオPOLYGONEから、マデール、ゴールド、イマージュ、アルトメンゴ、カゼロ、パシフィックなどが続々とヒットシングルを出しました。トゥールーズだけで「エイティーズ祭」みたいなものができそうな感じです。そういう意味ではフランスのエイティーズは、北都ブリュッセル(リオ、プラスティック・ベルトラン、テレックス、コンフェティーズ、ルー・デプリック...)、南都トゥールーズみたいなところがありましたね。
 東都ストラスブールのバンドだったクッキー・ダングレールは、今やその中心人物クリスチアン・ダングレールひとりでRFM 80 PARTYに出てますが、そのメガヒット「ファム・リベレ」(女性解放されたら女はつらいよ、みたいな最先端女性の嘆き節でした。クロワッサン世代の哀歌と言いましょうか)に敬意を表して、アレック・マンシオンは"Cette femme est un héros"(この女性は英雄である)というヨイショっぽい女性オマージュの歌を作りました。
 「恋のパトカー」のプラスティック・ベルトランには"4 LOVE"という、ナーナーナーナーナーと単音階ガナリをしていればいいようなタテノリのスピードポップで、本歌取りのパロディーです。どうしようもなく才能のないプラスティック・ベルトランとつきあうにはこの方法しかない、という感じです。
 地球規模のメガヒットだった"VOYAGE VOYAGE"の人、デジルレスはその後(ちょっと)変わった宗教に入信したり、極貧で生活保護を受けながらの生活をルポされたり、いろいろありました。今はこういう80'Sショーなどに元気に出演していますが、往年の歌唱力など望むべくもなく...。しかしこの人はその歌の通り「旅」と共にあるイメージで、道祖神の化身みたいな観音様顔です。そのイメージをアレック・マンシオンはそのまんま使って"TES VOYAGES ME VOYAGENT"(直訳すると「きみの旅は僕を旅させる」。今野雄二風に訳すと「きみの旅は僕の旅」)という車窓から景色が飛んでいくイメージが直撃する素晴らしい曲を作りました。私のこのアルバムの大好き3曲のうちの1曲です。
 ツアーということなのか、このRFM PARTY 80のどさ回りということなのか、このアルバムでは旅に関する歌が3つもあり、どれも秀逸。エミール・ヴァンデルメール(ゴールド)とイマージュが加わって歌われる"LES VACANCES EN FRANCE"(フランスのヴァカンス。フランスとヴァカンス sont des mots qui vont trop bien ensemble)はミッシェル・フュガン("Une belle histoire")とプジョー404というフランスの甘い追想の中の南下の旅で、ごきげんなFMロック。夏の民族大移動渋滞の中でカーステで聞け、と言わんばかりのずっぽりの曲です。
 イギリス人の分際で、フランス映画の主題歌(『ラ・ブーム』の主題歌"Reality"。なぜか日本題は「愛のファンタジー」というリアリティーのないタイトル)で全世界ヒットを放ったリチャード・サンダーソンは、これしかないので、アレック・マンシオンは茶化し攻勢で「ソフィー・マルソーの電話番号を教えろ」("Le numero de S Marceau")という歌を作ります。
 このアルバムの最高傑作は10曲め"ON SE FOUT DE NOUS!"(どう訳したものか。やつらは俺たちをバカにしている、俺たちはコケにされている、ということなんですが、怒りをこめて「バカにするな!」という感じでしょうか)です。共作&デュエット相手は、ジャン・シュルテイスという現役の(ジュリアン・クレールの)ピアニスト/パーカッショニスト/編曲家で、1981年に「コンフィダンス・プール・コンフィダンス」という1曲だけのメガヒットを放っています。この曲に特徴的なのは、音階の急降下、音階の急降下、次いで音階の階段上がり、というパターンを繰り返しているということです。誰もが一聴で記憶できそうなはっきりした音階パターンです。アレック・マンシオンはこのはっきりした音階パターンをシュルテイスから譲り受けて、全然「コンフィダンス・プール・コンフィダンス」とは違うメロディーなのに、音階昇り降りのマジックだけははっきり同じ、素晴らしいリフレイン部を作ります。そして歌詞が、上のタイトル訳でも垣間みれるように、大いなる怒りです。働く俺たちをナメんじゃねえ!です。Ras le bol!(ラルボル。うんざりだ!)です。政治家たちの美辞虚言へのラルボルです。このラルボルは、通りや車の中だけでなく、学校にまで広がり、挿入部で少女コーラスで歌われる「勉強のおかげで失われた大事な青春を返金しろ!」に至っては、そうだそうだ、もっとやれ!と拳を振り上げたくなります。バカにするな!ナメんじゃねえ!が、こんなにダイナミックで美しい音階メロディーで歌われたら、これは大合唱になって、この春のあらゆるデモ行進で歌い叫ばれるようになってほしい、と心から願います。これは新しい「モティヴェ!モティヴェ!」になってください。

<<< トラックリスト >>>
1. BRUXELLES - TOULOUSE (duo with JEAN-PIERRE MADER)
2. LE P'TIT WEEKEND (duo with DEBUT DE SOIREE)
3. CETTE FEMME EST UN HEROS (duo with COOKIE DINGLER)
4. 4 LOVE (duo with PLASTIC BERTRAND)
5. TES VOYAGES ME VOYAGENT (duo with DESIRELESS)
6. C'EST L'PRINTEMPS
7. LES VACANCES EN FRANCE (duo with EMILE & IMAGES)
8. LE NUMERO DE S. MARCEAU (duo with RICHARD SANDERSON)
9. TES SEINS MES 80'S (to SABRINA)
10. ON SE FOUT DE NOUS! (duo with JEAN SCHULTEIS)
11. CERTAINEMENT PAS (duo with IMAGES)
12. BRAVE BELGE
+ 2 GHOST TRACKS

ALEC MANSION "LEOPOLD NORD... ET EUX"
CD UNIVERSAL FRANCE / AKA MUSIC 3018130
フランスでのリリース:2010年1月25日


(↓)"TES VOYAGES ME VOYAGES" (duo with DESIRELESS)のヴィデオクリップ


(↓)"BRUXELLES - TOULOUSE (duo with JEAN-PIERRE MADER)のヴィデオクリップ