tag:blogger.com,1999:blog-75298397471925057532024-03-18T22:36:05.510+01:00カストール爺の生活と意見Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.comBlogger948125tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-62612270974302077102024-03-18T22:36:00.000+01:002024-03-18T22:36:01.368+01:00小説ミドリ事件<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjsNFV5a8Q8thTxylt8GYyuhaHL-53QgAxyQNqjassc6D8cfEeDjqcgSRq9mETkmABiyNK9Cd-YemuMFvfqrUde0aBK_B3tNGLIXYCbJJNq85wm8J8BgyeJkXnAW9M219y1hEAmimS0YhpV0zQtsfe6c-M1A1ya4_Twti0K-YptMlre9bseO_FCEpQcUnAK/s552/Couverture-LAffaire-Midori.webp" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="552" data-original-width="350" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjsNFV5a8Q8thTxylt8GYyuhaHL-53QgAxyQNqjassc6D8cfEeDjqcgSRq9mETkmABiyNK9Cd-YemuMFvfqrUde0aBK_B3tNGLIXYCbJJNq85wm8J8BgyeJkXnAW9M219y1hEAmimS0YhpV0zQtsfe6c-M1A1ya4_Twti0K-YptMlre9bseO_FCEpQcUnAK/s320/Couverture-LAffaire-Midori.webp" width="203" /></a></div><p><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">Karyn NISHIMURA "L'Affaire Midori"<br />西村カリン『ミドリ事件』 </span><br /></b><br /><a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Karyn_Nishimura-Poup%C3%A9e" target="_blank"><b><span style="font-size: x-large;">西</span></b>村カリン</a>は在東京のフランス人ジャーナリストである。私はリベラシオン紙の読者であり、公共放送ラジオ・フランス(France Inter、France Info等)のリスナーであるから、彼女の記事やラジオ報道レポートの声にはずいぶん前から親しんでいると思う(多々参考にしていただいている、多謝)。ジャーナリスト活動は日本語とフランス語の両方で行っていて、日本のメディアにも登場しているので、知る人も多いはずである。著作も日本語で日本で発表しているものと、フランス語でフランスで発表しているものがある。フランスでの近著では2023年10月にエッセイ『<b>日本 - 完璧さの裏側</b>(<a href="https://www.youtube.com/watch?v=hvzSFcAQNXg" target="_blank">La face cachée de la perfection</a>)』(Editions Taillandier刊)があり、書名が示すように表面的に完璧を装うことができる国日本の議会制民主主義の”半独裁”状態や、報道の自由の大メディア側からの”自主規制”など、日本の「反権力」不在の状態について詳説している(是非とも日本語訳出してもらわないと)。<br /> さてこの本は上述の著からわずか4ヶ月後に発表された西村カリンの初の小説作品である。フィクションであるが、"<span style="color: #2b00fe;">Presque tout est vrai</span>"(ほぼすべてが真実)と序文と裏表紙に強調されている。小説の話者「私」は日本に長年駐在しているフランス人ジャーナリストであり、日本で二人の子を産み育ててもいる”日本生活者”である。作者自身を投影させたような設定ではあるが、建前はフィクションの人物である。事件は2017年の東京、ヤマダ・ミドリという名の20代の女性が5歳になる娘を自宅で殺害し、バラバラに切断した遺体を自宅で発見された状態で逮捕され、犯行を自供した。さらに、その前に起こっていた双子の嬰児殺害+コインロッカー遺棄事件の容疑がかかり、DNA鑑定の結果ミドリと一致してその犯行も自供した。自分の幼子を3人惨殺した風俗系の職業のごく若い女、事件は連日のワイドショーねたとなり、その出演タレントたちの情緒的なコメントで全国のお茶の間の犯人バッシングの大波を形成していく(というような”日本的特殊事情”を話者はフランス読者に説明しなければならない)。バッシングの矛先は家族に及び、全国ネットテレビのカメラの前に母親が引き摺り出され、深々と頭を下げて娘の凶行を全国民にお詫びすることになる(これも”日本的事情”)。そして、このような稀に見る非道な凶悪犯罪には「当然死刑でしょ」という一般市民のオピニオンがすぐに出来上がってしまう。<br /> 話者はここで日本が世界の時流に逆らうように死刑を頑なに固辞している国であり、しかもその刑の執行が確実に行われているという事情を示す。<a href="https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/activity/human/criminal/deathpenalty/shikeiseidonojitsujo.pdf" target="_blank">OECD加盟38か国のうち</a>、今なお死刑を執行している国は日本だけ。日本で死刑廃止を求めて運動している市民たちはいる。しかし世論調査をすれば死刑存続賛成が大多数になってしまう。この世論の支持を担保にするかのように、日本の司法は<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%B1%B1%E5%9F%BA%E6%BA%96" target="_blank">死刑基準</a>(話者は”<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%B1%B1%E5%9F%BA%E6%BA%96" target="_blank">永山スタンダード</a>という言葉で説明する)に相当すると判断するや躊躇なく死刑判決を下している。<br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgbGgqcjJgSodzuj3d_lRMffNBgtrIYCgxgIQ5fPCjmdSUccMBp5NUmMJfEWeHlphiumhQ41U4lPl9AZrewb0J1b4zkem9FfIyO0MUyqNFBxFxpQtw1SFnTd25NwYzu02Yg7fW9WnlXH9iIyGWylwv5uuBZ39erbh9DvFqv7alh9IbPrBd-zS_sAKRvTw-M/s1504/image3.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="1504" data-original-width="1200" height="230" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgbGgqcjJgSodzuj3d_lRMffNBgtrIYCgxgIQ5fPCjmdSUccMBp5NUmMJfEWeHlphiumhQ41U4lPl9AZrewb0J1b4zkem9FfIyO0MUyqNFBxFxpQtw1SFnTd25NwYzu02Yg7fW9WnlXH9iIyGWylwv5uuBZ39erbh9DvFqv7alh9IbPrBd-zS_sAKRvTw-M/w183-h230/image3.jpg" width="183" /></a></div> ジャーナリストとして話者はこの残忍な子殺し事件を理解しようとする。理解することは犯罪を赦すことではない。なぜ、いかにして、この若い娘は凶行に至ったか。彼女は貧困など不幸な生い立ちがあるわけではない。そのヤマダ家は自営業(漁業+魚類販売)の父、主婦の母、早稲田まで進学することになる兄リュージ、そして近隣都市(いわき市)の専門大学に進学するミドリの四人家族だった。だがその家族のいた場所を聞いて合点がいく者も多かろう:福島県双葉郡<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E8%91%89%E7%94%BA" target="_blank">双葉町</a>。すなわち2011年3月11日東日本大震災による福島原発事故で、全町民が家屋を捨て強制的に避難を余儀なくされた町である。小説は悲劇のルーツをここに集中させる。父母は家業も家も放棄し、2度の避難移転の末、県内の仮説住宅に身を寄せる。子供二人の学費は?(話者はフランスとは全く違う日本の教育事情を子供が大学を出て社会人になるまでの莫大な費用についても言及している)ー そしてこのような大惨事が待っているとはつゆ知らず20歳になったミドリは恋(と呼べるのか)をし、妊娠してしまう。大震災+原発事故はヤマダ両親を徹底的に痛めつけ(のちに父は自殺に追い込まれる)、両親に相談できたり頼れる場合では全くないと悟ったミドリは、(おまけに子供の父親になるはずだった男は無責任に逃げ、生まれても子を認知しない、と)、大学を捨て、首都圏に出てシングルマザーとして生きることに。そこからのミドリの行状はフランスの読者にも想像できないことではないと思うが(ネットカフェに寝泊まりしたり、JKの扮装で接客したり、NGOに子守りを押しつけたり...)、”風俗の闇”へ深々と入っていくのである。生まれた娘マヤは食事を食べさせてもらえないことはざらで、愛人か客か、そういう男がミドリのアパートに来る時は、ベランダに出されて夜を明かすこともあった...。<br /> ディテールであるが、作者は兄のリュージをあまり登場させることなく、非常に重要な役目を課している。それは小説の最終3ページのカタストロフィーの中心人物にまでなるのだが、その結末についてはネタバレしないでおこう。ヤマダ家にあって父親はリュージに家業の魚類販売業を継がせたいのだが、リュージは包丁で魚をさばくことを覚えようとしない。次いでジェンダー問題である。リュージはゲイである。ステロタイプ化された見方であるが封建的東北人のオヤジたる父親はこのことでリュージと軋轢があり、その間に入ってリュージを擁護するのが妹のミドリだった。この兄妹には強い絆があった、という重要な軸がなければ、あの最後のカタストロフィーは成立しないのだけど、この小説のこの分の組み立てはかなり強引で無理がある(と私は思う)。<br /> ミドリは捕らえられ、2件計3人の子殺しを認め、長い取り調べの間中抗弁もせず、自分の犯した罪の大きさに打ちひしがれ、憔悴していった。ジャーナリストとして話者はこの裁判に立ち会っていくのだが、もはや争点は有罪か無罪かではなく、誰が見ても有罪が確定しているこの事件にあって、検事側が間違いなく求刑するであろう死刑、そのために検察が準備した鉄壁の書類の壁に、弁護側がどれだけ情状酌量の可能性で抵抗できるか、ということになる。話者の視点は<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB" target="_blank">ロベール・バダンテール</a>(1928年 - 2024年、奇しくもこの小説の発表時期だった2月8日に他界し国葬となった)の尽力で1981年に死刑を廃止した国フランスのそれであり、ヒューマニストの立場と言っていい。死刑から救うために凶悪殺人犯を法廷で弁護していたバダンテールを想起し、話者はこのミドリ裁判でバダンテールのような弁護士の弁論があれば、と願う。ここがこの小説の重要な読ませどころで、法廷に立った弁護士ニシミヤ・カズオは小説の6ページ(p74 - 79)にわたって、ミドリの双葉町での生い立ちから大震災・原発事故そして首都圏での風俗地獄など、仔細におよんで展開し、この境遇を考慮に入れる必要性を力説した。おそらく西村カリンが最も力を込めて書いた箇所であろう。見事にシアトリカルにしてロジック。そしてなんとニシミヤ弁護士はこの弁論の中で、フランスでのテロ事件も引き合いに出すのである。<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">想像してみてください。フランスのような国がその国籍を持つ若者たちによる数度のテロリズム攻撃に見舞われたのです。これは私のつくりごとではありません。最近の出来事から例として引き出したのです。彼らが犯した行為の動機を、その社会的背景を抜きにして、彼らの狂気によるものとだけ見なすことは可能でしょうか?みなさんは普通の日本市民であり、この事件について何も知らないかもしれない、フランスは遠い国でしょう、しかしながら、みなさんの心の中で直感的にこう思うでしょう:この若者たちには明らかに生きづらさがあり、憎悪を抱いている、と。そして彼らの生活について思いをめぐらすでしょう。彼らは不幸なのだろうか、移民系の出身なのだろうか、差別の被害にあっていたのだろうか、仕事はあったのだろうか、彼らは社会から放棄されたと感じていたのだろうか?みなさんはそう考える前提としてその社会的背景を問うのです。それはごく当然なことであり、社会的背景は間違いなくある役割を果たしたのです。ミドリ事件についてもみなさんの同じような考慮をお願いしたいのです。(p78-79)</span></blockquote><div style="text-align: left;">(↑)これ日本の法廷でどうでしょうね? それはそれとして、ニシミヤ弁護士の大雄弁は見事に功を奏し、判決は死刑を退け、無期懲役刑となる。これに話者はある程度の安堵は得るのであるが、監獄で一生を終わるであろうミドリという若い娘に心とらわれ、ジャーナリスティックな視点を離れて、ひとりの女性として(ひとりの二児の母として)このミドリを深く知りたいと思うのである。つまり記事やルポルタージュのためではなく、人間として出会いたい、と。ここが言わば”作家西村カリン”誕生の瞬間であろう。ミドリの母に会いに行きミドリの生い立ちや人となりや夫(ミドリの父)の自殺について聞く。次に話者は獄中のミドリに手紙を書く。ミドリから手紙の返事が来たら小菅の東京拘置所に面会に行こう、と。この手紙を書く段で話者はフランスの読者向けに日本語で手紙を書くことがいかに難しいかを講釈している。あいさつはどうするのか、敬語はどうするのか、主題の切り出しはどうするのか、たしかに日本語の手紙は難しい。手紙文例集などを参考に話者はミドリにペン書き日本語書簡をしたためる...。<br /> 話者はジャーナリストとしてではなく私的個人としてミドリと向かい合い、ミドリに信頼のようなものが芽生えていく。ミドリの母とミドリの繋ぎ役になり、さらにミドリは兄リュージへのメッセージも話者に託す。<br /> だが死刑の国日本の司法はリベンジを用意していて、ミドリ事件第一審の無期懲役判決を不服として検事側が控訴する。何が何でも死刑をもぎとろうとするこの圧力はどこから来るのか。刑事裁判において99.4%が有罪となることを誇示する日本の検察は、それを100%にすることが目標(上からのお達し)であるかのようだ。上のお達しへの服従に関連して作者は司法の政治権力への”忖度”の可能性もフランス人読者に解説する。<br /><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhinOGvcfCOU4BvxE8PeJqCrWGuWKFJCWHLf3m7lTH1zXu1loxBnsrZcTQePTo3vPi1RLkHv5HXS3AKfZ7hwVEIQNfw-BMsWNGUYlMPw3iiWulcen0HOIJOx1j5feAcD-hxPP5TJ9q-5e241AF4uOV-_gQeqsVXNMPMSr5KqghhNq90WTcCqXp2OuWHU3Lw/s2942/85AE62C1-AB68-44AC-8E9B-BEB6EE316B7E_1_201_a.jpeg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2942" data-original-width="2922" height="221" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhinOGvcfCOU4BvxE8PeJqCrWGuWKFJCWHLf3m7lTH1zXu1loxBnsrZcTQePTo3vPi1RLkHv5HXS3AKfZ7hwVEIQNfw-BMsWNGUYlMPw3iiWulcen0HOIJOx1j5feAcD-hxPP5TJ9q-5e241AF4uOV-_gQeqsVXNMPMSr5KqghhNq90WTcCqXp2OuWHU3Lw/w220-h221/85AE62C1-AB68-44AC-8E9B-BEB6EE316B7E_1_201_a.jpeg" width="220" /></a></div> この小説の時間の中で、話者はオウム真理教事件の死刑囚13人全員の刑執行(2018年7月)、カルロス・ゴーンの逮捕と逃亡劇(2018年11月から2019年12月)、京都アニメーション放火殺人事件(2019年7月)、袴田事件(1966年から現在。この項で話者はメディアや一般市民が間違って”ハカマダ”と呼んでいるが、”<span style="color: #2b00fe;"><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%B4%E7%94%B0%E5%B7%8C" target="_blank">ハカマタ</a></span>”が正しいと強調している)を詳説している。それは在日本ジャーナリストとして20年のキャリアを持つ西村カリンから見える、なにかが立ち行かない日本の例であり、私人として自分が愛する日本ゆえに憤りやエモーションを禁じ得ない書き方になる。自分名義での小説の上で初めてできている「告発」かもしれない。この小説で私が最も評価し、同意するのはこの部分である。<br /><br /> かくして、あたかも最初から予定されていた事柄のように、ヤマダ・ミドリ事件の控訴審は一審を覆して死刑判決を下すのである(!)<br /> 話者の心はおさまりがつかず、最終ページでジャーナリスト業を休止して在野で行動する(児童虐待防止、死刑廃止、袴田事件再審実現、貧窮者救済...)決意まで語るのである。容易ならぬことを知りながら。<br /></div><div style="text-align: left;"> 175ページの勇気ある書であり、(職業上)メディアでのルポルタージュではできなかった(怒りを伴った)プライベートな視点にも共感できる読み物で感服する。フランス人読者にはたくさんの”立ち行かない日本”が見えるであろう。観光絵はがきのような日本を称賛し、この夏の海外旅行デスティネーションの上位に日本を押し上げているフランス人たちにこそ読んでもらいたいものである。上にも書いたことだが、この批判精神は作者の「日本を愛すればこそ」の所為である。これには私も感服しかないのであるが、文学作品(フィクション小説)としてはどうなのだろうか。ジャーナリスト視線を離れた話者のパトス、情念のようなものはよく現れていると読めるのだが、ミドリ、ミドリの母、リュージというプロタゴニストたちの人間的な厚みが見えず、ルポルタージュ記事のインタヴューで語っている程度の人間像に留まっているのが、私には残念に思えた。(上にも書いたがあのレベルのリュージの描き方で、最後のカタストロフィーの大役を任せるのはちょっと無理)。もっと文学であってほしいと私は次作に期待します。<br /><br /><b>Karyn Nishimura "L'Affaire Midori"<br />Editions Picquier刊 2024年2月 175ページ 17ユーロ<br /><br /><span style="font-size: medium;"><span style="color: #660000; font-size: large;">カストール爺の採点:★★★☆☆</span><span style="color: #660000;"><br /></span></span></b></div><div style="text-align: left;"><b><br /></b>(↓)自身のYouTube チャンネルで「ミドリ事件」と日本の死刑の現状について語る西村カリン。日本にはまだロベール・バダンテールに相当する人物が出ていないと。<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/tG9mj9QwCi4" width="515" youtube-src-id="tG9mj9QwCi4"></iframe></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-3004339002257818882024-03-02T23:36:00.000+01:002024-03-02T23:36:10.630+01:00美しい人よ、お茶を(ベッラ、チャオ)<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgXIZAgbS2pD3xRSVKzlLADvJbEhoweLFmGh41o2JB9Cd6qb11Ot8u9jafTaEMX-eI-P0EpOZIhRzlBJl0YrojIvKjT8jkaydnsxvJ9zdJ48dJGn83ewTnGMvE4SEqFyOd2TzQ0_CbFaTKMTCThDvtkV9Yp9sys6kKncvgSAta_D2bisOlpBWiE9ZpLQ9cE/s1080/5150900.webp" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="796" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgXIZAgbS2pD3xRSVKzlLADvJbEhoweLFmGh41o2JB9Cd6qb11Ot8u9jafTaEMX-eI-P0EpOZIhRzlBJl0YrojIvKjT8jkaydnsxvJ9zdJ48dJGn83ewTnGMvE4SEqFyOd2TzQ0_CbFaTKMTCThDvtkV9Yp9sys6kKncvgSAta_D2bisOlpBWiE9ZpLQ9cE/s320/5150900.webp" width="236" /></a></div><p></p><div style="text-align: left;"><span style="color: #800180; font-size: x-large;"><b>”Black Tea"</b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="color: #800180; font-size: x-large;"><b>『ブラック・ティー』</b></span></div><div style="text-align: left;"><b><br /></b></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: large;"><b>2023年フランス+ルクセンブルク+台湾合作映画<br />監督:アブデラマン・シサコ<br />主演:ニーナ・メロ、</b></span><span><b><span style="font-size: large;">張翰(チャン・ハン)</span></b></span><span style="font-size: large;"><b>、吳可熙(ウー・ケイ・シ)<br />フランス公開:2024年2月28日<br /></b></span><br /><b><span style="font-size: x-large;">セ</span></b>ザール賞7部門(作品賞、監督賞、シナリオ賞....)を総なめにした『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2014/12/blog-post_14.html" target="_blank">ティンブクトゥ</a>』(2014年)のモーリタニア人監督アブデラマン・シサコによる10年後の新作で、舞台は中国である。設定では広東省広州市だったのだが、中国から撮影許可がもらえず、撮影は台湾で行われていて、俳優陣も台湾で固められている。まず予備知識として知っていただきたいこととして、広州市には「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=wi1SWnOSQsk" target="_blank">チョコレート・シティー</a>」と呼ばれるアフリカからの移民が多く住む地区があり、そのアフリカ系住民の数は数十万人と言われている。<br /> 映画は西アフリカ、コートジボワール某所で行われている結婚セレモニーから始まる。りっぱな会場で列席者も多く、その列席者たちは(暑い中それぞれ携帯扇風機で涼をとりながら)みな西洋風に正装で着飾り、それなりのステイタスを感じさせる(私の偏見か?)。白のタキシード姿の新郎と白のウェディングドレスの新婦は、この席に至ってもいがみ合っている。不本意な結婚、不実な男。(ここで大上段に”アフリカにおける女性の立場”を誇張しているわけでは決してない)。式のクライマックス、司祭が「なんじ、この女を...」と男に問うと、男は「ウイ!」と勝ち誇ったように答える。そして「なんじ、この男を...」と女に問うと、なんたることか女は「ノン! 」と答え、そのまま式場から駆け出して逃げて行く。ウェデングドレスのまま、女の自由への逃走が始まる。ここで映画は、誇り高く町を駆け抜けていく女のバックに(マリの行動的歌姫)<span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="ja"><a href="https://www.youtube.com/watch?v=rx6qTC2Zzqg" target="_blank">ファトゥーマタ・ジャワラ</a>の歌声で「<a href="https://www.youtube.com/shorts/9GmPGBRdxWc" target="_blank">フィーリング・グッド</a>」(ニーナ・シモン曲カバー)をかぶせるのである。<br /><blockquote>I<span style="color: #2b00fe;">t's a new dawn it's a new day it's a new life for me<br />And I'm feeling good</span></blockquote>わおっ、これはマニフェスト的。女の旅立ちに幸あれ。<br /> その女アイヤ(演ニーナ・メロ、コートジボワール女性の役だがニーナ・メロはフランスの女優)の行き着いた先が、中国広東省広州市のアフリカ人居住区通称チョコレート・シティなのである。映画はここからほぼ全編中国語(マンダリン語か広東語か私には判別できないが)で展開する。唐突にここで描かれる世界に入ると、多くの観る者は驚くと思う。中国の大都市の中にアフリカ人コミュニティーが非常に調和的に溶け込んでいる(ように描かれる)。アフリカ人たちはその美容サロンや装身具店があり、女性たちはエレガントにヘアーを決め、エレガントに着飾っていて、店の中には中国人客も普通に出入りしている。「ゲットー」というイメージは微塵もない。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjdZG8Y45K2qegBzLl-Ha2pJS-3EGjFxk9dbKDhmTWqmo3SkOHyYSD10zzv1UjLs5Tm8cENc7L2Z8raY6OCWthxPmKTNGpF3-7zSdEriaO5KjDZk_0C-Ai-dBMCd2LpRGij1L6xQ5NvAsgL2maGJZR_-GUpGHQRvO0CYgCAnhCve2WXAw3Edi6TqALl5iFp/s1440/3308318.webp" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="1440" height="178" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjdZG8Y45K2qegBzLl-Ha2pJS-3EGjFxk9dbKDhmTWqmo3SkOHyYSD10zzv1UjLs5Tm8cENc7L2Z8raY6OCWthxPmKTNGpF3-7zSdEriaO5KjDZk_0C-Ai-dBMCd2LpRGij1L6xQ5NvAsgL2maGJZR_-GUpGHQRvO0CYgCAnhCve2WXAw3Edi6TqALl5iFp/w237-h178/3308318.webp" width="237" /></a></div> アイヤは完璧な中国語(とフランス語と英語)を話し、この中国社会の中に深く入っていく。大きな茶園を所有する中国茶商に雇われ、その主人チャイ(演チャン・ハン)の教育で奥深い中国茶の真髄を知っていく。映画はこの茶の育て方、扱い方、</span><span class="ILfuVd" lang="ja"><span class="hgKElc">淹れ</span></span><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="ja">方、味わい方などにも焦点をあてるのだが、それはチャイがアイヤに(触れ合いながら)手ほどきで伝授するものであり、茶が官能の触媒のように描かれている。かくして茶のマジックがとりもったのか、二人は恋に落ちる。この映画で二人の間に愛の言葉はない。身分ある中年男と教養あるアラサー女性の寡黙な恋物語であり、激情はなく音静かにひかえめに、ひかえめに。<br /> これがなぜひかえめなのか、というと、このリッチな茶商主人は別居中だが離婚していない妻があり、その妻が離れて行った理由には、チャイの過去の別の女性関係があり、といったことが映画の進行で徐々にわかってくる。寡黙で影のさした面影のある美男の中国人チャイは、その現在(妻子ある家主)とその過去(外国 = カボ・ヴェルデでの女性関係+その結果20歳になる隠し娘あり)ゆえに、おおっぴらにアイヤと恋愛できるポジションにはない。それをアイヤが解放してやるというシナリオを観る者は期待してしまうのだが、アイヤもまた過去において不義の男を捨ててきたという消えないわだかまりもあり...。<br /><br /> (アブデラマン・シサコがフランス国営ラジオFrance Interのインタヴューの中で、この映画の撮影を中国が許可しなかった理由のひとつは、このチャイという男性主役の人間的キャラクターが中国的ではない、ということだった、と証言している)<br /><br /></span><div style="text-align: left;"><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="ja"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgAtjuvyxNg5S8vbKw97BNx-wRzXTSNg_UP2bDVLtciR_pfsMx9egj0C4d_Typ7pQzlpvvTmoUbVowDLQAVANa6BeDn3qi9_wPdOavWgDuhThOBYuqB8wSk_f3zOLeIx9Sv6lsqpCUxgtHvCY86fBbsn2w5C6rzXhtJbEAim10YYacbDjNOiyBH3r9NzZ5W/s1457/0105139.webp" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="1457" height="201" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgAtjuvyxNg5S8vbKw97BNx-wRzXTSNg_UP2bDVLtciR_pfsMx9egj0C4d_Typ7pQzlpvvTmoUbVowDLQAVANa6BeDn3qi9_wPdOavWgDuhThOBYuqB8wSk_f3zOLeIx9Sv6lsqpCUxgtHvCY86fBbsn2w5C6rzXhtJbEAim10YYacbDjNOiyBH3r9NzZ5W/w271-h201/0105139.webp" width="271" /></a></div></span></div><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="ja"> ここでチャイの妻のイン(演ウー・ケイ・シ)の微妙な立ち位置というのがあり、夫との冷めた関係はあれど、十代の息子リベン(演マイケル・チャン)は夫と自分を愛していて、この三人親子のバランスを保っていたいと願っているが...。1920年代の一夫多妻富豪を背景とした中国映画『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E5%A4%A2" target="_blank">紅夢</a>』(チャン・イーモウ監督、1991年、ヴェネツィア映画祭銀獅子賞)をリファレンスにしているのか、映画の終盤、正妻インと”愛人”アイヤの間に和解と友情の芽生えのような関係をつくっている。← これがこの映画の救済と捉えるべきかな?<br /><br /> 映画はチャイがカボ・ヴェルデに置き去りにして一度も再会していない(当時の愛人との)娘エヴァが20歳になったことを祝ってやりたくて、茶器を手土産にしてひとりカボ・ヴェルデに会いに行くというエピソードを挿入する。夢にまで見た娘との再会・・・だがそれは文字通りチャイが見た夢、という話で終わるのだった。こうしてこの映画の第三のロケ地、カボ・ヴェルデが登場し、しっかりチャイが現地でポルトガル語で人としゃべっている。そして挿入曲としてカボ・ヴェルデの哀歌モルナ、マイラ・アンドレーデの「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=6ynwDD_-4lM" target="_blank">レガス(Regasu)</a>」が流れてくるのですよ。うっとりですね。<br /> 前作『ティンブクトゥ』でも音楽(この場合は砂漠のブルース)がたいへん重要なエレメントであったけれど、今作も音楽の使い方はすばらしい。<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3" target="_blank">テレサ・テン</a>(1953-1995)の「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=mWWG2TQhnLs" target="_blank">莫忘今宵</a> 」も挿入されている。それからチャイの息子リ・ベンとその若い仲間たちが、チョコレート・シティーのダンススタジオで、RDCコンゴのイノスB
(Innoss'B)の「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=QLu6yW56ALg" target="_blank">オランディ(Olandi)</a>」(2020年コロナ禍期の世界的ダンスヒット)をアフリカ系も中国人もごっちゃになって踊るシーンは、感動的としか。<br /> この「オランディ」のシーンが象徴するように、この映画でチョコレート・シティーでのアフリカ系移民と中国人住民との共存関係はきわめて調和的友好的に描かれている。アフリカ系移民たちがこの地に同化して(中国語でコミュニケートして)自分たちの快適な居場所を得ている、という描き方は、やっぱり相当バイアスがかかっているのではないか、と訝しげに見てしまう私である。映画の中で、唯一露骨なレイシズムが見られるのは、チャイの家を訪れた義理の両親(妻インの両親)の父親の方が食事の席でアフリカ移民排斥論をぶちまけるシーンがある。寝室に隠れていた愛人アイヤにそれは全部聞こえてしまいアイヤは胸を痛める。だが映画上、これはさほど重要な問題ではない。<br /> 国家や政治のレベルではなく、民衆のレベルとしてアフリカと中国の出会いは調和的友好的であってほしい。現実はそうではないと知りつつも、この映画の捉え方はひとつのオピニオンであろう。<br /> ひとりのアフリカ女性アイヤはこの地で出会った文化によって開花していく契機を掴んでいる。恋愛はポジティヴであり、ネガティヴであるわけがない。そして(チャイも含めて)身勝手な男たちに道を閉ざされるわけにはいかない未来がある。<br /><br /> 最後に、西欧人やわれわれが勝手に思い込んでいる”アフリカ移民”の偏見イメージである「貧困・悲惨から逃れて先進大国へ」は、この映画には全くない。私が日本からフランスに移住したように、「遠くに行きたい」「新しいものに出会いたい」「違うことをしたい」という理由で外国に移住することは、日本人や欧米人には出来ても、アフリカ人には出来ないと思っているフシはないですか? この映画で描かれるチョコレート・シティーのアフリカ移民たちはそうではない。だから文化と出会える。滞在したければ/仕事が欲しければこの国のやり方に100%従い、同化して、B級市民となることもやむなし、という卑屈さがない。ここがダメならばよそへ行けばいいという選択肢がある。アフリカ人だからそれができない、ということは絶対ない。そのことをこの映画ははっきりと示していると見た。<br /> だが、恋愛映画としてはどうなんだろうか。アイヤの行く先はまだあれど、この恋愛に行先はないように見える。そこがもやもやしてしまうのだ。<br /><br /><b><span style="font-size: large;">カストール爺の採点:★★★☆☆</span><br /></b><br />(↓)『ブラック・ティー』予告編<br /></span></div><div style="text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/-hXWvosmXiQ" width="522" youtube-src-id="-hXWvosmXiQ"></iframe><br /><br />(↓)ファトゥーマタ・ジャワラ「フィーリング・グッド」(ニーナ・シモン)が流れるシーン<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/9GmPGBRdxWc" width="519" youtube-src-id="9GmPGBRdxWc"></iframe></div></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-70838713300424962762024-02-27T18:28:00.002+01:002024-02-27T18:28:33.226+01:00善悪宇宙帝国ウォーズ in パ・ド・カレー<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhMOXrbDgawpGb1ovdvxur_PtO6fpXxX3Wii5rbToXIbPHwm6f-rML2_VM8exRsHmvh6TqAu6YwHe5ozxd5itgDoshXrx6Ee0rol28t9exnsr3ptTLa5nNDiHfFpkUGrCwe0zsba8qsfHnd86meJvsy5IpI5NWY1adBIH2wHgXZ7ocEE8h9KBn_3OSEuOdg/s1080/0024963.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="810" height="265" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhMOXrbDgawpGb1ovdvxur_PtO6fpXxX3Wii5rbToXIbPHwm6f-rML2_VM8exRsHmvh6TqAu6YwHe5ozxd5itgDoshXrx6Ee0rol28t9exnsr3ptTLa5nNDiHfFpkUGrCwe0zsba8qsfHnd86meJvsy5IpI5NWY1adBIH2wHgXZ7ocEE8h9KBn_3OSEuOdg/w199-h265/0024963.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" width="199" /></a></div><span style="color: #800180; font-size: x-large;"><b>"L'Empire"<br />『帝国』<br /></b></span><p></p><div style="text-align: left;"><b><span style="font-size: large;">2023年フランス映画<br />監督:ブルーノ・デュモン<br />主演:ブランダン・ヴリエーグ、ファブリス・ルキーニ、カミーユ・コタン、アナマリア・ヴァルトロメイ、リナ・クードリ<br />フランス公開:2024年2月21日<br /><br /><span style="color: #999999;">2024年ベルリン映画祭・銀熊賞(審査員賞)</span></span><br /></b><br /><b><span style="font-size: x-large;">あ</span></b>またの<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC_(%E6%98%A0%E7%94%BB)" target="_blank">ブロックバスター映画</a>は善と悪との戦いで善が勝利するものと決まっている。大衆娯楽性はその逆は絶対に求めていない。そういう世界では悪が破れ、ハッピーエンドが待っているのだが、映画館を出ると目の前はそういうわけではない。ブロックバスターの嘘はみんな知っているのだが、それが人々を惹きつけるのは善の勝利という要素よりも、戦いに勝つ快感ではないか。勝つ戦争が好きなのだね。ひいては戦争が好きなのかもしれない。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhR2AcpJsoPKzlZEtgttD3TLxPYfMYOk7jrsPD7sv0g00kknMViNd6N3Uc3MQ2Za1JiNr-t9ADGgb5UWqEq1nfl6ggEkVHhnenBKoZTjPfMCg4W8OtQKzPzf12vVNkR8fZO3xhERFSkzU8gLy2NWDPKTm1K3LsxDQvVry3CJgYUoTOHMs0paTAtv94KDfdK/s1080/0711853.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="793" height="226" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhR2AcpJsoPKzlZEtgttD3TLxPYfMYOk7jrsPD7sv0g00kknMViNd6N3Uc3MQ2Za1JiNr-t9ADGgb5UWqEq1nfl6ggEkVHhnenBKoZTjPfMCg4W8OtQKzPzf12vVNkR8fZO3xhERFSkzU8gLy2NWDPKTm1K3LsxDQvVry3CJgYUoTOHMs0paTAtv94KDfdK/w166-h226/0711853.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" width="166" /></a></div> <a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%A2%E3%83%B3" target="_blank">ブルーノ・デュモン</a>の最新長編映画(13作め)は”スター・ウォーズもどき”である。北フランス、<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%EF%BC%9D%E3%83%89%EF%BC%9D%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E7%9C%8C" target="_blank">パ・ド・カレー</a>県、オパール海岸(<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/C%C3%B4te_d%27Opale" target="_blank">Côte d'Opale</a>ご)の砂丘と漁村住宅街を舞台としていて、この北フランスの一帯の砂丘はブルーノ・デュモン映画のほとんどに背景として登場するが、デュモンの映画で映されるとなんとも言えず美しい。こういう局地的と言うべき地球の片隅で、善 vs 悪の宇宙戦争が展開されるのである。日本のテレビ特撮シリーズ(スーパー戦隊もの)をも想わせるスケールの小ささもあるが、CG大仕掛けを使った擬似ブロックバスターこけおどしもある。"女王 La Reine"と呼ばれる善の宇宙帝国の元首(演カミーユ・コタン) が居城としているのがゴティック・フランボワイヤン様式の大伽藍(の宇宙船)で、悪の宇宙帝国の皇帝である<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%96%E3%83%96" target="_blank">ベルゼビュート</a>(演ファブリス・ルキーニ)が住む宇宙宮殿がヴェルサイユのかたちをしているというのも、スペースオペラのわかりやすい”フランス化”のようで微笑ましい。<br /> このオパール海岸の小さな町が両帝国の地球侵略の最前線であり、両陣営が人間の形をした(たぶん帝国人と人間のミュータント)実行部隊を送り込んでいて、善の女王側にはジェーン(演アナマリア・ヴァルトロメイ、ほぼ<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%95%E3%83%88" target="_blank">ララ・クロフト</a>のパロディー)とその部下のリュディ(演ジュリアン・マニエ←<span style="color: #783f04;">ノンプロ俳優</span>、ほぼ’猿の惑星’あるいは<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AB" target="_blank">チューバッカ</a>のパロディー)、悪のベルゼビュート側にはジョニー(演ブランドン・ヴリエーグ←<span style="color: #783f04;">ノンプロ俳優</span>、人間生活での職業は半農業/半漁業の労働者)と映画の冒頭でジョニーの念力で部下にさせられたリン(演リナ・クードリ、私の大好きな女優なのだがこの映画では目立った役ではない)。</div><div style="text-align: left;"> 悪の地上隊長ジョニーにはフレディーという名の赤ん坊がいるが、その子が悪の帝国から次代の悪神の使者と名指され、この子によって地球は悪が支配する星になるはずだった。地上での両陣営の衝突はこの子の争奪戦であり、ジェーンとリュディはジョニーのもとから赤ん坊を誘拐する。ジェーンとリュディの武器がスターウォーズゆずりの<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC" target="_blank">ライトセーバー</a>であることもこの映画の”本気”を窺わせる。善の兵士たるジェーンとリュディのやり方は善とは名ばかりのかなり手荒なやり方で、フレディーの母(ジョニーの妻ということになるのかな?定かではない)がフレディーをベビーシートに乗せて運転する車に横転事故を起こさせ、その女をライトセーバーで斬首したり...。この猿の惑星型戦士リュディはおつむが弱い上に凶暴。それに立ち向かう悪の戦士たちがジョニーを隊長とする十数人の白馬の騎兵隊(と言っていいのかな?農作業着の馬乗りたち←<span style="color: #783f04;">全部ノンプロ俳優たち</span>)で、武器は持っていないように見えた。まあ、地上ではそういう不条理なシーンが多いが、ブルーノ・デュモンの映画なので...。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg5Yj0V4Ix-woHlM_m9S7fdfvphibBMrIswT-kqNKyl1WtcC51lhvSZa4EiBwKy8y1KBJi_ctlMnRW0bA7Hqg3VuJCiVh-nCozGYzIIfBBvOKCAyosuQ0dTrzMk_YnflI5PBEb-O8x-p-JDHRDRLiuCV4hLYIoMsRYz9rV_mTo_46gpl8ke6cJ_9A7qYvT7/s556/ad0c812_1708343324227-l-empire-11a-tessalit-2023.JPG" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="313" data-original-width="556" height="133" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg5Yj0V4Ix-woHlM_m9S7fdfvphibBMrIswT-kqNKyl1WtcC51lhvSZa4EiBwKy8y1KBJi_ctlMnRW0bA7Hqg3VuJCiVh-nCozGYzIIfBBvOKCAyosuQ0dTrzMk_YnflI5PBEb-O8x-p-JDHRDRLiuCV4hLYIoMsRYz9rV_mTo_46gpl8ke6cJ_9A7qYvT7/w236-h133/ad0c812_1708343324227-l-empire-11a-tessalit-2023.JPG" width="236" /></a></div> その善悪宇宙帝国戦争をやっているという事情を知らないフランス、パ・ド・カレー県の警察(正確には憲兵 gendarme)は、自動車事故事件や女性斬首殺害事件を捜査するのだが、担当の二人の警官(←<span style="color: #783f04;">ノンプロ俳優</span>)はブルーノ・デュモンの2014年のTV連ドラ"<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/P%27tit_Quinquin_(mini-s%C3%A9rie)" target="_blank">P"tit Quinquin</a>"(2シーズン/全8回)でかなり有名なおとぼけ警官コンビだそう(私は知らなかった)。このダメ警官を、悪の帝国の代理人ジョニーは徹底的にバカにしている。これはひいては人間総体をバカにしていることなのだが、善の帝国の女王カミーユ・コタンは(↑写真)「人間たちは魅力的だ、だから私は征服したいのよ」と立場の違いを明白に。この善の女王が人間の姿で町にいる時はこの町の町長であり、露天市で町民たちの困りごとを聞いてやっている、というのも可笑しい。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg-qKmY_UQL85JUDs3xQUhgc387jtev0eGlni5S6l8UD7ibvzEJcZ2beyrB4yxA91_5CLeae89apQUQJqZtFzMN0DS3za_SBUByskw6JNmsRZJD28FrZl09bCNZjrPRFBy20Rv5KKp5uiI0jO-Cx0GcZbMXTSvA4bdiPva5gRmAQPAFQ_iXBYbM5HMBgUSZ/s1200/large_landscape_265923.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="675" data-original-width="1200" height="126" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg-qKmY_UQL85JUDs3xQUhgc387jtev0eGlni5S6l8UD7ibvzEJcZ2beyrB4yxA91_5CLeae89apQUQJqZtFzMN0DS3za_SBUByskw6JNmsRZJD28FrZl09bCNZjrPRFBy20Rv5KKp5uiI0jO-Cx0GcZbMXTSvA4bdiPva5gRmAQPAFQ_iXBYbM5HMBgUSZ/w225-h126/large_landscape_265923.jpg" width="225" /></a></div> さて、スターウォーズが十分に形而上学的側面を持っているように、この映画も上辺の奇想天外さの下にかなり哲学的含蓄を孕んでいる。そもそも、と言い出したくなる、善と悪の問題である。宇宙の彼方にかなりピュアーな状態で善と悪というのがあって、それは電極のプラスとマイナス、二進法のゼロと1(これは映画の中で登場する概念)のように明白な相反する二つの要素としてあったものが、地球の人類にたどり着いた時にその明白さが欠き曖昧になってしまう。人間界には純然たる善人も純然たる悪人もいない。良さそうな悪人、悪そうな善人、人間は曖昧で不透明である。この映画で善の女王の手先となっているジェーンとリュディは暴力的であり殺しもする。悪の帝王ベルゼビュートの手先ジョニーは家庭を愛し、子供フレディーを命かけて守ろうとする。これが”人間的”ということで、善悪の杓子定規からおおいに逸脱する。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgQQiOb2cleCOsCnGgt3Ii8tUx6QhflsbHSQ3mmnH9tcX-gCxGpQC0SWdDK6Bat8HAerrw-HhH9dOoPCJJkkW-3dZFk5W75gXm9coYi2oTXKyRWcRWgBXWhnwC1fSJPXC9P94eLsd7X5o9Q36xwLJZInOzDhlvtRcBJfHA05bKFQFlHRCffvP8ipxNDxU-w/s1280/3002047.webp" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="720" data-original-width="1280" height="123" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgQQiOb2cleCOsCnGgt3Ii8tUx6QhflsbHSQ3mmnH9tcX-gCxGpQC0SWdDK6Bat8HAerrw-HhH9dOoPCJJkkW-3dZFk5W75gXm9coYi2oTXKyRWcRWgBXWhnwC1fSJPXC9P94eLsd7X5o9Q36xwLJZInOzDhlvtRcBJfHA05bKFQFlHRCffvP8ipxNDxU-w/w219-h123/3002047.webp" width="219" /></a></div> この善悪がおおいに混乱するのは、ジェーンとジョニーが恋に落ちてしまう、ということ。おまけのようにジョニーの部下になったセクシー・バンプのリン(←写真 この映画での女優リナ・クードリの存在感はここだけ)は真剣にこの恋に嫉妬してしまう。なんと人間的な!善悪を飛び越えてしまうのは愛なのであるよ、お立ち会い。</div><div style="text-align: left;"> しかし人類の未来は愛を選ばずに戦争を選ぶ。悪の帝王ベルゼビュートは最終戦争を宣言し、人類に<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%97%E3%82%B9_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)" target="_blank">アポカリプス</a>の到来を高らかに告げる。善悪両陣営の軍帥たるジョニーとジェーンは双方の宇宙砦に戻り、それぞれ幾万の宇宙戦闘挺を従えて、銀河の関ヶ原へと進軍していく....。ブロックバスター映画的見せ場はここからになるであるが、それ風なCG映像はやはり観るものをわくわくさせてしまうのだよ。さて、善宇宙軍と悪宇宙軍、どちらが勝つのか?<br /><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh1dIhpVxb4xNVHMIjpbesUxwlHaIeJ-0Bit6t4suHtDvR0paq_rTNOQm4u9Sd29x1NOQbNJWLyPrc88qESZG4NvZr5HHB7cJBpSKHuBRw-q4ZFllB8wLSMFi5XfIa97zF_ZvPUNWbXwgKs1XfKtcsuUxACRSgOfBjY90NTe59zGtsBlUWZDeYed0qXM_wR/s722/722x460_l-empire.webp" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="460" data-original-width="722" height="161" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh1dIhpVxb4xNVHMIjpbesUxwlHaIeJ-0Bit6t4suHtDvR0paq_rTNOQm4u9Sd29x1NOQbNJWLyPrc88qESZG4NvZr5HHB7cJBpSKHuBRw-q4ZFllB8wLSMFi5XfIa97zF_ZvPUNWbXwgKs1XfKtcsuUxACRSgOfBjY90NTe59zGtsBlUWZDeYed0qXM_wR/w253-h161/722x460_l-empire.webp" width="253" /></a></div> 私は熱心にブルーノ・デュモン映画追っかけをしてこなかったが、『<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Ma_Loute" target="_blank">マ・ルート</a>(Ma Loute)』(2016年)、『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2019/09/blog-post_14.html" target="_blank">ジャンヌ</a>』(2018年、<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2019/09/blog-post_14.html" target="_blank">爺ブログ紹介記事</a>あり)、『<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/France_(film,_2021)" target="_blank">フランス</a>(France)』(2021年)、そしてこの『帝国』と続けて観て、その奇才(鬼才)ぶりとフランス映画界における特異なポジションはわかったような気がする。出身地である北フランス(パ・ド・カレー)にすべてが凝縮されているという宇宙観は一貫していて、これは「中央」から見る見方に慣れた私たちには刺激的だ。そして積極的なノンプロ俳優たちの起用は、その言葉が聞き取れなかったり、動作の意味がよくわからなかったり、というごつごつざわざわした手触りに戸惑ったりもした。映画監督になる前は哲学教師だったというデュモンの映画が投げかける問いかけは、やはりちょっと難しさがあるよ、私には。この『帝国』はブロックバスターのパロディーのような表向きをしながら、”善”と”悪”とその二つが吸い込まれて消えていくブラックホールという大団円は、驚きこそすれ笑うことはできない。映画をつくる側は、さぞ楽しかったろうな、と想像はできるのだけど。<br /><br /> 最後にこの映画の最初のキャスティングで主役(ジェーン役)と決まっていた<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/05/blog-post.html" target="_blank">アデル・エネル</a>が途中で自分から降りてしまった件。(<a href="https://www.huffingtonpost.fr/culture/article/adele-haenel-repond-a-bruno-dumont-et-reitere-ses-critiques-contre-l-empire_230271.html" target="_blank">仏Huffpost 2月23日付け</a>に記事あり)。2020年2月のセザール賞セレモニーで、ロマン・ポランスキー受賞に抗議して退場した事件以来、アデル・エネルは映画と訣別して左翼系フェミニスト活動家となっている。アデル・エネルによると最初この役を受諾したが、シナリオを読んで登場人物に有色人種がひとりもいない「白人だけ」の(レイシスト的性格の)映画であることについてブルーノ・デュモンに抗議し、シナリオの修正を要求した。その間にコロナ禍で制作が中断し、1年後に、ブルーノ・デュモンがアデル・エネルに修正シナリオを送った。しかしアデル・エネルの目には一切(レイシスト的性格の)修正がなされておらず、出演の辞退を決定した、と。わからないでもない話ではあるけれど...。<br /><br /><b><span style="color: #20124d; font-size: large;">カストール爺の採点:★★★☆☆</span></b><br /><br />(↓)『帝国』予告編 (予告編の方がずっとエンターテインメント性があると思う)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/2ePuxiIJbms" width="510" youtube-src-id="2ePuxiIJbms"></iframe></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-11934969824552861612024-02-22T22:30:00.000+01:002024-02-22T22:30:13.966+01:00何もしないための地の果て(フィニステール)<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"></div><p></p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhcHxHEfqwgp2YIrzPOIxL2sWdHeQ9K38uiWjEoLF8vC-39BEWVTImJ7Ed6awoBQDRWEzVHhO_RJt6MDATL7jwupBHVe6qHeuPqaFEMxAv_LxMidEdVzcyCBCcB-a0Ey3Mihd1JMEntWlLg9-PTT6WzsLoSCbhvVYsDPo0sP8-03VloorlqBHZQvxNzvJdd/s1039/view.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1039" data-original-width="682" height="279" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhcHxHEfqwgp2YIrzPOIxL2sWdHeQ9K38uiWjEoLF8vC-39BEWVTImJ7Ed6awoBQDRWEzVHhO_RJt6MDATL7jwupBHVe6qHeuPqaFEMxAv_LxMidEdVzcyCBCcB-a0Ey3Mihd1JMEntWlLg9-PTT6WzsLoSCbhvVYsDPo0sP8-03VloorlqBHZQvxNzvJdd/w183-h279/view.jpg" width="183" /></a></div><p><b><span style="font-size: x-large;"><span style="color: #800180;">Ann Scott "Les Insolents"<br />アン・スコット『横柄な人々』<br /></span><br /></span><span style="font-size: large;">2023年ルノードー賞</span></b><br /><br /><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%9C%8C" target="_blank">フィニステール</a>(Finistère)、ブルターニュ半島の西端にある県、ここは字句通りの意味で「地の果てるところ fin de la terre」である。いい地名。この小説は40代半ばの女性アレックスが、長年住み慣れたパリ・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AC" target="_blank">マレー地区</a>(まあ現在でもパリで最もアーティーでハイプな地区と言えるのだろう)を捨てて、フィニステールにひとり移住する物語である。<br /> アレックスはそこそこに名の通った映画音楽作曲家であり、サントラ盤の他に個人名義のアルバムも発表している。全く積極的ではないが、職業上のリリース告知などの必要性でSNSにもアカウントを持つが万単位のフォロワーがいて、ファンメッセージも送られてくる。いわゆる"<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9" target="_blank">マーベル映画</a>”の音楽も手掛けていて、この仕事が入ると1年間生活できるほどのアドヴァンス収入がある。アレックスの移住を可能にしたのはそういう「まとまった金」の飛び込みのおかげでもあった。<br /> 家探しはいとも無頓着で、インターネット上のオファー物件の写真や動画を見ただけで、希望する条件に合いそうなもの選び、家主にスカイプで交渉し、家主に会うことも現地で物件を直に見ることもなく、賃貸契約を交わした。完全に独立したまるまる一軒家が希望だったが、(車のないアレックスには必要ない)車庫と上階の部屋ひとつを家主が”物置”として使用するので、借家人アレックスには立ち入り禁止ゾーンとされ、この非賃貸ゾーンが小説の最後部でちょっとした問題になっていく。それはそれ。<br /> 車がないこと、これがフランスの地方(それも奥まったところ)に住む上でどれほどのハンディキャップか。(よ〜く知ってます)ー しかしアレックスは単身パリ・モンパルナス駅からTGVで4時間かけてフィニステール(たぶん終着駅は<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9)" target="_blank">ブレスト</a>)にやってくる。駅からタクシーで何もない集落へ。ヴァカンス期にはセカンドハウスとして使われているかもしれない一戸建ての家々はほとんどシャッターが下りている。どんなところか何も知らずにやってきたアレックスは、商店のある地区まで何キロ、大きなハイパーまで何キロ、(ほぼ一番の目的地である)3つの浜辺まで何キロ....という”現実”を知らされる。それでもアレックスは(遠方の大規模ハイパーでのまとめ買い物を除いて)この空間を徒歩で移動して用事を足し、それを苦とは思わない。小説は都会"<a href="https://ovninavi.com/640_dico/" target="_blank">ボボ bobo</a>"が下野した”<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%8C%96" target="_blank">ネオリュロー Néoruraux</a>(新田舎人)"現象とは全く違うものと読まれたい。あらゆる不便さ、秋冬の気候の厳しさ(独り住まい一軒家の暖房の難しさ)、住民づきあいゼロ.... にもかかわらず、アレックスはここがパラダイスだと感じている(強がりではなく)。<br /> パリのマレー地区でアレックスにはジャックとマルゴーという二人の大親友がいた。ジャックは60際すぎの画廊主でゲイ、マルゴーはアラサーの(おそらくファッション業界の)プレス担当。3人とも年齢も環境も異なるが、ハイプなマレー地区に長年住んでいそうなポジションのアクティヴな個性人だった。ジャックもマルゴーもおのおのが抱えてしまった人生の重荷だけで一編の小説になってしまいそうなヴォリュームなので、ここでは詳説しないが、共通しているのは二人とも若くして(尋常ではない)近親者の死というトラウマを引きずっている。特に少女マルゴーが体験した幼い弟の(両親の離婚に抗議しての)自殺、大人たちが捜索しても見つからなかったその死体を、弟との秘密の森で見つけそのまま埋葬してしまう、というエピソード、これは今日まで暴露されておらず、この抱えた秘密のせいでマルゴーにさまざまな行動障害が...。ジャックはそれを知っている。<br /> このジャックとマルゴーとの大親友関係は揺るぎないものとアレックスは思っていた。だから脱パリ/ブルターニュ移住しようが、連絡は絶やさないし、ジャックもマルゴーも気軽にブルターニュに会いに来てくれるだろう、と。ところがこれはそう単純なことではなく、この大親友たちとブルターニュで再会するには1年以上の月日を要したのである。<br /> たぶんアレックスを脱パリ/ブルターニュ移住に駆り立てたのは、(パリのアパルトマン環境では難しい)誰にも気兼ねなく音楽創造ができる空間と静寂が欲しかったことはあれど、それよりも近々に起こってしまった二つの関係の破綻ということが大きかったのではないか。ひとつは男との関係、もうひとつは女との関係、これが作家アン・スコット自身のアンビバレントなジェンダーの反映であろう。このアレックスも男たちがうるさくなるとレズを公言し、女たちがうるさくさるとヘテロと自称する。<br /> ジャンは音楽創造の最良のパートナーだった。第一線のミュージシャンであり碩学のギタリストであり、師匠であり、相談役であり、インスピレーションの共有者であり...。私はミュージシャンではないけれど、趣味+仕事で音楽のそばに何十年も生きていたので理解できると思うのだが、このパートナーとならばいくらでも音楽ができるという関係、何時間でも指から血が出るまでも一緒にギターを弾いていられる、それが喜びでしかない、という関係、同じ音楽を愛し、高めてくれる関係....。ジャンはそういう素晴らしい”相手役”だった。が、ある日ジャンは恋愛としてアレックスを愛し始めた。アレックスはその変化を受け入れられなかった。これをジャンはアレックスのエゴイズムであると謗り、非難罵倒の言葉をアレックスに投げるようになる。アレックスは過去の”最良の音楽パートナー”だったジャンを忘れることができない....。<br /> ルーはアレックスより20歳は若いかもしれない画家の卵である。アレックスと出会った時、既にルーには恋人/後見人/出資者/パトロンヌの女と同居していて、この女への操は絶対に守らなければならないと構えていた。しかしルーはアレックスの魅力に落ち、かの女に隠れて”浮気”を始める。ルーの画家的野心は(”模写”段階から脱して)自分の絵を描きたいと望んでいる。同じように若い頃にあがいた挙句音楽アーチストになることができたアレックスは、同じアーチストとしてこの画家の卵の芽を出してやりたいと思う。だがルーは画家として未知の海へ船出することができない。かの女と決別してアレックスの胸に飛び込むこともできない。ぬるま湯に漬かったどっちつかずの自分を嘆いて涙するが、結局この若い女はその場に立ちすくむことしかできない....。<br /> アレックスはジャンにもルーにも”すれ違うかもしれない”町に見切りをつけたのだ。<br /><br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh9VyEcFQwewIN_SZRKPaCEPGdN4qkgPvVPh5hwvWJjlSSCobosyhRlgk6G4YigIVJkc4E4BQTeeNLsFR7nKq60x806fSltMiqMVoayvwkEQnNkvejqHbwBnBBqQ7bDI2lupOm8gqGz1G3YJ57QNG7MhVGukHR_-jqgbUmNp75Vpe1EZ9zKaGjJweiZ9wYJ/s940/MjAyMzEyY2M0ZjBmMGM2ZDc1MzM4NjQ0ZmM4YjZiNzFjMWQ5YTU.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="705" data-original-width="940" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh9VyEcFQwewIN_SZRKPaCEPGdN4qkgPvVPh5hwvWJjlSSCobosyhRlgk6G4YigIVJkc4E4BQTeeNLsFR7nKq60x806fSltMiqMVoayvwkEQnNkvejqHbwBnBBqQ7bDI2lupOm8gqGz1G3YJ57QNG7MhVGukHR_-jqgbUmNp75Vpe1EZ9zKaGjJweiZ9wYJ/w240-h180/MjAyMzEyY2M0ZjBmMGM2ZDc1MzM4NjQ0ZmM4YjZiNzFjMWQ5YTU.jpg" width="240" /></a></div><span style="font-size: x-small;"> (→写真:フィニステールに移住したアン・スコット)</span><br /> 移住はゆっくり進行し、引越トラックがパリから家具・家財道具・楽器群・音響+録音機器などを届け、初めて住む一軒家(庭・サロン・キッチン・浴室+4部屋のヴォリューム)をひとりで少しずつ自分の空間にしていく。ミュージシャン衝動としては、ひと部屋に集めた楽器+機器を結線セッティングして、思いっきり大きな音で弾きまくりたい、と思うはずだったが、それもなく、作業はどれを優先するでもなくゆっくりと、新しい環境をひとつひとつ確かめるように時間をかかる。プロパンガスボンベや暖炉用の薪を買ったり、経験のないことにつまずく。暖炉の火を熾すなどということは簡単なことではない。だがこうしたことと一緒に生きていくしかない。どこから入ってきたのか、サロンに鎮座している大きなガマガエル、アレックスは最初パニックに陥りどうして追い出そうかとじたばたするのであるが、時間と共に一人暮らしの珍客として一緒に音楽を聴くのも悪くないとまで思うようになる。<br /> 読者の余計なお世話であるが、どんなに小さくてもいいから車が一台あれば、この田舎生活のどれほど多くの問題を解決してくれるだろう、と思う。引越しで出た梱包廃棄物(段ボール等)は家から数キロ先の指定廃棄所まで自分で運んで行かなければならない。善良な借家人(+善良な住人)であろうとするアレックスはそれに従うのであるが、どうやって?<br /> アレックスは徒歩で移動する。日常的な買い物は数キロ先のコンビニのようなよろず(ミニ)スーパーですますが、そこにはパリでは見ることのない商標のついた食品や日用品が並んでいて(私もヴァカンス地の商店でよく経験する)チョイスがないのでそれを買うしかない。ヴァカンス期が過ぎたので人気(ひとけ)のない通り、人とすれ違うことはまれ、それでも身の危険を感じることなくアレックスは歩を進める。これが脱パリの具体的アスペクトである。孤独な散歩者はほぼ毎日のようにビーチ(砂浜)へと向かう。家から近い(3キロほどの距離)ビーチは3ヶ所あり、アレックスはその日の気分でビーチを選ぶ。どのビーチにも散歩者はいる。家族連れもカップルもいる。アレックスは誰とも交流しない。ヘッドフォンとタバコだけが道連れだ。このゆったりした時間がいい。小説はそれでもその道すがらに見えたものからの連想、スーパーのレジの待ち時間の考え事、そういう扉から失ったふたつの関係(ジャン、ルー)を繰り返し深々と反芻してしまうアレックスを描き、読者はそれがどんあものだったのかを知ることになる。この反芻する時間もブルターニュが与えてくれたものであるかのように。そしてアレックスはさまざまな”地方生活”の難しさや気候(寒さ)の厳しさや人間たちとの希薄な接触にもかかわらず、「ここは天国である」と独白する(小説中、何度も)。<br /> さて小説はこの地の果てフィニステールにパリからたどり着いたもう一人の人物を登場させる。レオはアラサーの若者であり、5年間ロサンゼルス、<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/Meta_(%E4%BC%81%E6%A5%AD)" target="_blank">メンロー・パーク</a>のフェイスブック・キャンパスで次世代のエリート頭脳として養成されたのち、帰仏し、近く某多国籍コングロマリットの研究チームに配属されることになっていた。そのつなぎで日銭稼ぎでパリ東部のKFC(ケンタッキー・フライド・チキン)店舗のバイトをしていて、ある夜、バイト先からパリ16区の自宅までメトロで帰る途中、トラブルで乗り換え駅トロカデロで降ろされてしまい、しかたなく徒歩で帰るべく外へ。レオの進行方向、人気(ひとけ)のない深夜の路地の街灯(あ、パリの薄暗いオレンジ色の街灯ですよ)の下に佇む男の影あり。よせばいいのに(あまりに将来有望な楽天性によるものか)レオはその男に近づいていく。レオが口を開く前に、最初のパンチの一撃が飛んでくる。それからあとは数分間に及ぶ超サディックな殴る蹴るの暴行となり、顔、胴体、四肢を破壊され、助けを呼ぶこともできず、路上に放置されたレオは翌未明に周りの建物のコンシエルジュがゴミ箱を出すために出てくるまで、誰にも気づかれず転がっていたのだった。医学というのはありがたいもので、数ヶ月かけてレオの肉体はほぼ元どおりに再生するのだが、この極端な暴行のトラウマはレオを「もと来た道」(すなわち超エリートの道)に戻すことなどできない。その男は誰なのか、その超過激な暴力はなぜなのか、レオは知りたい。母親に諭されて社会復帰のトレーニングを始めたものの、続かず、ある日衝動的にパリ・モンパルナス駅からTGVに乗り込み、フィニステールにたどり着く。そしてブルターニュ最果ての人気(ひとけ)のないビーチのあてどない散歩者になる。<br /> レオはこの暴行のことを誰かに語らなければならない、その誰かに理解してもらわなければならない、さもなければ自分は再生できない、と妄信している。さもなければ死だ、ということも。最果てのビーチで、ある日、タバコの火を貸して、と近寄り、そして去っていった女性あり。自分よりかなり年上かもしれない。レオは、この女性こそ、自分が暴行のことを語れる相手に違いない、と思い込んでしまう。その日からレオは毎日のようにこのビーチにやってきて、アレックスが現れるのを待つようになる...。<br /><br /> ジャック、マルゴー、ジャン、ルー、そして近々接点を持つかもしれない幻の若者レオ、それぞれのヘヴィーな物語に囲まれながら、最果ての地で自分の時間の流れを感じ取っていくアレックス、それには1年を超える月日が必要だったし、それがこの小説の時間である。その時間の最中にコロナ禍パンデミックがやってくる。人々との接触が困難になった時期の前に、既に最果ての地に移住していたアレックスはそれを前もって準備していたかのように、静かに「病禍による終末の到来」にあわてふためく世界を見ている。私はパリに戻らない。街々からポエジーが吹き出ていたパリが還ってくるまで、私はパリに戻らない。そしてこの地で(音楽創造もしないで)ほぼ何もしないでいることのありがたみをかみしめる。掛け値なしの親友ジャックとマルゴーはこの気持ちを共有してはくれないのか。<br /><br /> 小説の終盤近くで、アレックスの独白のようなかたちでアン・スコットはインターネットとSNSの世界を長々と糾弾している。それによってミュージシャンとしてたぶん生きられなくなる末路も見えている。この部分(数ページ)だけでも、いつか日本語訳して紹介したいと思うほど説得力に満ちている(やりますよ、いつか)。<p></p><p> レオの前に再びアレックスは現れ、レオが妄信したようにアレックスによってレオは救済されるのか。たぶんそれはない。レオは死ぬだろう。だが、小説は明るみを帯びて終わろうとする。脱パリ/ブルターニュ移住の1年超後、いつ来るかいつ来るかと待ちわびたジャックが突然最果ての地に現れる。ジャックはすべてを捨て、老後のためにブルターニュに大きな家を買うだろう。マルゴーはそれに付いてくるだろう。ユートピアのようなものが少し垣間見れるような「条件法現在(conditionnel présent)」形の文章が続く。フランス語では条件法はたいがいは裏切られる仮定であると理解しておいた方がいい。<br /><br /> この書評を書くのに2ヶ月は要したと思う。小説は2度読み返し、2度目でだいぶうなずけるようになった。ルノードー賞受賞の時、多くのプレスは意外、想定外、ダークホースなどと評したが、それは『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/11/blog-post_9.html" target="_blank">スーパースターズ</a>』(2000年)の頃のパンクでテクノでデストロいでポップなイメージが強過ぎるからだと思う。アン・スコットは変わった。この登場人物たちのヘヴィーで厚いキャラクターだけでも、古典的なバルザックを想わせるものがある。コロナ禍をはさんだ時期を背景にしたこの小説は、メモワール・コレクティヴ(共有された記憶)として「あの頃」を見直す機会を読者たちに与えただろう。私は孤独と静寂のブルターニュがもたらす孤的な救済に心打たれた。2度読んでよかったとしみじみ思う。<br /><br /><b>Ann Scott "Les Insolents"<br />CALMANN LEVY刊 2023年8月 194ページ 18ユーロ<br /></b><br /><b><span style="color: #741b47; font-size: large;">カストール爺の採点:★★★★☆</span><br /></b><br />(↓)ボルドーの書店 Librarie Mollat制作のアン・スコットによる作品紹介(ルノードー賞受賞後)<br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/tuF_G1dB11c" width="498" youtube-src-id="tuF_G1dB11c"></iframe></div><p></p>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-25532323252953972672024-02-10T01:05:00.003+01:002024-02-12T00:17:39.777+01:00叱ってもらうわマイ・ダアアアアアアリ!<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhc1301VislIKfAKKpxU2Ze0-udzcm7oCINVtXgJjH3nKSy-YQOT8UsecQMjqaCnMWeuXsFrksGpbsdUrGLDDP4hjcdzRokM78BlVHjADrAvY7xmPV_kBG43kr3TUZg-jZjXMJSFJQZrU_D_xWAQOTzI1q33xqh6fIUuQzrL2i0gI99TfFAHBhkxEJEIdyx/s1080/3008933.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="810" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhc1301VislIKfAKKpxU2Ze0-udzcm7oCINVtXgJjH3nKSy-YQOT8UsecQMjqaCnMWeuXsFrksGpbsdUrGLDDP4hjcdzRokM78BlVHjADrAvY7xmPV_kBG43kr3TUZg-jZjXMJSFJQZrU_D_xWAQOTzI1q33xqh6fIUuQzrL2i0gI99TfFAHBhkxEJEIdyx/s320/3008933.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" width="240" /></a></div><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">"Daaaaaalí !"<br />『ダアアアアアアリ !』</span></b><br /><br /><b><span style="font-size: large;">2024年フランス映画<br />監督:カンタン・デュピュー<br />主演:アナイス・ドムースティエ、エドゥアール・ベール、ジョナタン・コーエン、ジル・ルルーシュ、ロマン・デュリス、ピオ・マルマイ<br />音楽:トマ・バンガルテール<br />フランス公開:2024年2月7日</span><br /></b><br /><b><span style="font-size: x-large;">元</span></b>地球規模メガヒットのエレクトロ・アーチスト <a href="https://www.youtube.com/watch?v=qmsbP13xu6k" target="_blank">Mr Oizo</a>が、映画監督<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Quentin_Dupieux" target="_blank">カンタン・デュピュー</a>になって、2007年から矢継ぎ早の多作で12本、2024年だけで公開予定新作が3本ある。映画評価は世界的に高く、すでに奇想天外映画の巨匠として君臨してしまっている。<br />この新作は20世紀の天才芸術家<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AA" target="_blank">サルバドール・ダリ</a>(1904 - 1989)を題材にしているが、ありていな”バイオピック”であるはずがない。<br />映画の時代は1970年代、最初に現れるのが自称30歳の女性ジャーナリスト、ジュディット(演アナイス・ドムースティエ)で、イデタチもふるまいもフツーの街おんな風で、”ジャーナリスト”を想わせる鋭いインテリジェンスが欠落している。自己紹介的なモノローグで、自分はその前は薬剤師をしていたがあまりにもつまらないのでやめて、思いつきで雑誌ジャーナリストになった、とイージーなことを言う。その最初の大きな仕事がなんと20世紀屈指の奇才芸術家サルバドール・ダリのインタヴューなのである。古風でクラッシーなホテルのスイートルームを用意して、大芸術家のお出ましを待つ。階にエレベーターが着き、ダリはステッキをつきながら早足で(ドア前に出迎えで出ている)ジュディットの待つスイートルームへと長い廊下を歩いてくる。このシーンが素晴らしい。映画を見る者には目視で約20メートルほどと映るこの長い廊下、ダリが早足で歩けど歩けどなかなか部屋に着かないのである。その歩く時間の間に、ダリの指定した飲み物(炭酸水)が用意されていないのに気づき、あわててルームサービスで取り寄せる(ルームサービスの方が早く来て難なく解決する)が、ダリは歩き続けている。その間にジュディットが緊張のあまり小用を催してしまい、トイレに駆け込み用を足して戻ってくるが、ダリは歩き続けている。映画全般にちりばめられたシュールな笑いの仕掛けの第一弾。序盤のこれで観る者はデュピュー(+ダリ)の奇想ワールドに引き込まれることになる。この果てしない歩行の間、ダリはあのカタルーニャ語訛りの強い独特のフランス語でしゃべり続けている。ほぼダリの声帯模写のこの語り口がこの映画のギャグ武器であるが、この最初のシーンで登場するダリを演じる<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB" target="_blank">エドゥアール・ベール</a>がこの「ダリ口調」においては群を抜いている。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjEhRhh8fsWP4DtzO8pd9QTY_RrDbj3Pw5hyphenhyphenWbjVLVCN29Jz9UHqX8ySXDBUFWUmrKR0Jmh3yBNZ93u7OETclmv9JiSTqx5d7nLkXnxFHYMIcSx4O5NKvoTKMK4BsMIzB7qJy-4rGazHyHVizgoRlIAoJLBAZEBiQUZ9rf9iWWfpS1ai4ovx9M1kFE2nduH/s1600/3109832.webp" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="670" data-original-width="1600" height="101" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjEhRhh8fsWP4DtzO8pd9QTY_RrDbj3Pw5hyphenhyphenWbjVLVCN29Jz9UHqX8ySXDBUFWUmrKR0Jmh3yBNZ93u7OETclmv9JiSTqx5d7nLkXnxFHYMIcSx4O5NKvoTKMK4BsMIzB7qJy-4rGazHyHVizgoRlIAoJLBAZEBiQUZ9rf9iWWfpS1ai4ovx9M1kFE2nduH/w240-h101/3109832.webp" width="240" /></a></div><p> さて、この映画でサルバドール・ダリを演じる男優はひとりではない。6人いる。<span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto">エドゥアール・ベール、ジョナタン・コーエン、ジル・ルルーシュ、ピオ・マルマイ、ディディエ・フラマン、ボリス・ジヨ。この6人によるダリということで、映画題の"<b>Daaaaaalì</b> !"の[a]が6つ並んでいるのだ、と。このうちボリス・ジヨのダリは1時間17分の上映時間中、たった4秒しか登場しないし、誰もあれがそうだったのかと記憶するものもない。ディディエ・フラマンのダリは、他のダリ(特にジョナタン・コーエンのダリ)が幻視してしまう超老体のダリで車椅子に乗り、間近にせまる死におののいている。同時代の"同体”のダリを4人(ベール、コーエン、ルルーシュ、マルマイ)が分担して演じるのだが、この分担にルールもロジックもない。同じパーソナリティがつながりもなく別男優にひょいひょい移っていく。このキテレツな演出は、おおシュールレアリスムだわ、と感心する反面、罠としてこの4人のうち誰が一番”ダリっぽい”か?というモノマネ比較にもなってしまう。で、私は上に書いたように、エドゥアール・ベールが他3人をはるかに上回って”ダリっぽい”と判定してしまったのですよ。ピオ・マルマイ?あんなのダリじゃねえよ、っていう否定的評価も。<span style="font-size: x-small;">(↑写真:演ピオ・マルマイのダリ)</span><br /></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiUWI0edxsmKaFtO6AKordZtRACGpGpPpqtRL7nJsVFu5x0_feZHLu-VTuGMPG5n2Ee9ANrFsSvifpVSot8TJqnDf9wHhNK1RKh6L_ygJouMBkZ6neY8rRzAGFwC1Ek_N0ZKZ2h9oSf3OsKDJolX7Pu3zfFX76TT-qa3524AMSz5YKDAILHun6sVRIztRZP/s1600/3155073.webp" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="670" data-original-width="1600" height="110" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiUWI0edxsmKaFtO6AKordZtRACGpGpPpqtRL7nJsVFu5x0_feZHLu-VTuGMPG5n2Ee9ANrFsSvifpVSot8TJqnDf9wHhNK1RKh6L_ygJouMBkZ6neY8rRzAGFwC1Ek_N0ZKZ2h9oSf3OsKDJolX7Pu3zfFX76TT-qa3524AMSz5YKDAILHun6sVRIztRZP/w263-h110/3155073.webp" width="263" /></a></span></div><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto"> さて冒頭のホテルの廊下シーンに戻り、(エドゥアール・ベールの)ダリは長時間の歩行の末、やっと指定ルームに到着する。あの時代の(雑誌)ジャーナリストのように、メモ手帳とボールペンを携えて、ジュディットがいざインタヴューを始めようとした時、写真班もビデオ撮影班もその場にいないと知った超誇大妄想ナルシストのダリは激怒し、映像イメージのないダリのインタヴューなどあり得ない!とそのまま踵を返して、また長い廊下をすたすたと歩いて姿を消す。失意の悲しき新米ジャーナリストのジュディットは、リベンジの念に燃え、必ずインタヴューを取ってやる、と。ジュディットの上司ジェローム(演ロマン・デュリス)は気前よく、予算のことなら心配するな、と大掛かりな撮影スタッフを用意してジュディットをバックアップしてやるのだが、このジェロームは女性&職業差別丸出しに「まあ、パン屋の娘にまともなジャーナリストインタヴューなどできるわけないな」というセリフを映画中で何度か繰り返している。なぜ”パン屋の娘”に例えられたのかはジュディットにもわからないのだが、このニュアンスそれとなくわかる(ということは私も職業差別者か)。それからジェロームとジュディットがちょっと高級そうなイタリアレストランでのランチミーティング中に、伊丹十三『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%9D_(%E6%98%A0%E7%94%BB)" target="_blank">タンポポ</a>』(1985年)を想起させてしまうような、ジェロームがいとも下品にパスタをずるずる頬張るシーンがある。こういう効果的な細いギャグがすごくいい。(↑<span style="font-size: x-small;">写真:アナイス・ドムースティエとロマン・デュリス</span>)<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjhfAsM3vEDWG4ELD2D9-vevHLqN_gTyZmJ8lxqYhWws0hCNtRrWC5ZJLFXAq8cufGWO7JotCWH2RPd2Gs7_79BNQnDx26AzXiCuK4MdGxjr05DhN7P6NlHmVJ4PIZ-9IEEWW5wlbYX7A5AOvse_i9dl-B17y_6XGFE7zJH-9twR9IK95goJ4XfW8mosMd4/s1600/0270524.webp" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="814" data-original-width="1600" height="137" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjhfAsM3vEDWG4ELD2D9-vevHLqN_gTyZmJ8lxqYhWws0hCNtRrWC5ZJLFXAq8cufGWO7JotCWH2RPd2Gs7_79BNQnDx26AzXiCuK4MdGxjr05DhN7P6NlHmVJ4PIZ-9IEEWW5wlbYX7A5AOvse_i9dl-B17y_6XGFE7zJH-9twR9IK95goJ4XfW8mosMd4/w269-h137/0270524.webp" width="269" /></a></div> 映画はこの新米ジャーナリストの再度(再々度、</span><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto">再々</span><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto">々</span><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto">度...)のインタヴュー申し込みと、それを断るダリの追いかけごっこのように展開するが、そのシロート女のようなひたむきなアプローチが功を奏して、ただのインタヴューではなくドキュメンタリー映画巨編の態をなすプロジェクトとして進行する...。それに加えて映画はサルバドール・ダリのコート・ダジュールのヴィラの暮らしぶりも映し出す。ヴィラの使用人たちが巨匠を「サルバドール!」と呼び捨てにする(しかし敬意は込められている)ところがいい。その使用人のひとり庭師のジョルジュ(演ニコラ・ローラン)がある夜サルバドールとガラのダリ夫妻を自宅に夕食に招待する。出てくる料理が、ルイス・ブニュエル(+ダリ)映画『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E7%8A%AC" target="_blank">アンダルシアの犬</a>』(1928年)のリファレンスか、蛆虫の入った煮込み料理で...。それはそれ。 この夕食会にもうひとり客がいて、ダリの対面に座っているのが村の司祭のジャック神父(演エリック・エジェール)。ジョルジュはこのジャック神父の話をダリに聞いてもらいたくてこの夕食会をセッティングしたのだった。というのは、神父が世にも奇怪な夢を見たというのだ。この夢は巨匠ダリにインスピレーションを与えるに違いない、と。(そしてそのインスピレーションでダリは素晴らしい作品を描くことになり、それは天文学的金額で売れ、その売り上げ金の半分がインスピレーション元の神父とその仲介の庭師ジョルジュに入る、というよからぬ陰謀)。ダリがダリ以外の人間からインスピレーションを受けることなどない!と巨匠は立腹してその場を立ち去ろうとするのだが、まあまあまあまあ....となだめて、神父の世にも奇怪な夢の話が展開される....。火炎地獄から一頭のロバに救出され、それに乗って旅していくと背後からカウボーイに射殺され....。荒唐無稽な不条理ストーリーが続き、「ここで私は目が覚めたのです」で結ぶ。このパターンは映画の進行中、あと数回使われ、ストーリーの山が来ると「ここで私は目が覚めたのです」と。そういう感じで神父の夢はさまざまな方向に枝分かれし、ジュディットのインタヴュー追いかけごっことも絡み合い、ダリ贋作事件にも発展し...。カンタン・デュピュー監督の果てしない想像力のこれでもか、これでもか、という映画に膨らんでいくのであった。<br /><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWfKnCNf88ZxUKhQ2wmUmLtUV5Wyag08lTHomr-UmIqDwH9iKjoVCJOpYmfd9pV_x2sddvCchFT-lxGVg5JjX2eTbfAcaf3hRQ__g-7ign_ShqT_7C-ziEEHPbdL37U0ynarKPeIz4n0-f5xo7mou6HxTueeD2oOOKzYJvfTvTZLDy22iyjif6trD3zNpD/s253/Daaaaali-Edition-Limitee-1.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="251" data-original-width="253" height="142" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWfKnCNf88ZxUKhQ2wmUmLtUV5Wyag08lTHomr-UmIqDwH9iKjoVCJOpYmfd9pV_x2sddvCchFT-lxGVg5JjX2eTbfAcaf3hRQ__g-7ign_ShqT_7C-ziEEHPbdL37U0ynarKPeIz4n0-f5xo7mou6HxTueeD2oOOKzYJvfTvTZLDy22iyjif6trD3zNpD/w143-h142/Daaaaali-Edition-Limitee-1.jpg" width="143" /></a></div> この映画の魅力を引き立てているのが、トマ・バンガルテール(ex ダフト・パンク)のオトボケ哀愁フォルクロール音楽のようなキャッチーなメロディーのテーマ音楽(映画中繰り返し挿入される/↓にYouTube貼っておく)で、私は「モリコーネ級」と称賛したい。サントラ盤(←写真)7インチシングルは限定で2月9日にリリースになっているので、欲しい方は早めにアクションを(売切れ必至)。<br /><br /> 冒頭の繰り返しになるが、この映画はダリの"バイオピック”ではない。カンタン・デュピューの想像力は、巨匠ダリと同じほど奇想天外な「ダアアアアアアリ」なる人物を創り上げてしまった。この人物はダリのコピーでも贋作でもない。このオリジナル・ダアアアアアアリで勝負したのがいさぎよい、と高く評価しておこう。<br /></span><br /><b><span style="color: #990000; font-size: large;">カストール爺の採点:★★★★☆</span></b><br /><br />(↓)『ダアアアアアアリ!』予告編<br /><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/gXcrzldFhHw" width="511" youtube-src-id="gXcrzldFhHw"></iframe><br /><br />(↓)『ダアアアアアアリ!』ティーザー、30秒版<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/fuS5JN6tfj4" width="508" youtube-src-id="fuS5JN6tfj4"></iframe></div><br />(↓)トマ・バンガルテール『ダアアアアアアリ!』のテーマ<br /><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/wFpK_yTExUY" width="505" youtube-src-id="wFpK_yTExUY"></iframe></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-65940360106888636922024-02-01T21:43:00.001+01:002024-02-03T00:55:24.023+01:00ホンキー・シャトーの伝説<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiJVX1kb3_ZfHxEbxUTyDzzL4l06m7h5Ls00DbAhDS5OlBPtz1iNtH3FsFDUQ7FJB6XcNJ_IDSsTuhVIKH_fMC3A2daoWvJYgTGhzPgje16TpUeuex3THan6w-YwNUVGkf33nvntJHptFftpCLDruONcB6BUrzeaFITDWdhUgzerFT-UxGhnumb-Qu6IbLV/s640/chateaucartepostale.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="423" data-original-width="640" height="174" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiJVX1kb3_ZfHxEbxUTyDzzL4l06m7h5Ls00DbAhDS5OlBPtz1iNtH3FsFDUQ7FJB6XcNJ_IDSsTuhVIKH_fMC3A2daoWvJYgTGhzPgje16TpUeuex3THan6w-YwNUVGkf33nvntJHptFftpCLDruONcB6BUrzeaFITDWdhUgzerFT-UxGhnumb-Qu6IbLV/w262-h174/chateaucartepostale.jpg" width="262" /></a></div>2024年1月19日、国営テレビFrance 5が放映した1時間ドキュメンタリー「<b>エルーヴィル城 - フランスのロックの狂気(Le Château d'Hérouville - La Folie Rock Française)</b>」(クリストフ・コント監修)は、この伝説の城館録音スタジオの全容をよくまとめた優れものであり、これに刺激されて爺ブログは1976年にこの城で録音された<a href="http://pepecastor.blogspot.com/2024/01/blog-post_30.html" target="_blank">イギー・ポップの「チャイナ・ガール」</a>に関する記事を書いた。<br /> エルーヴィル城に関しては(↓)に再録する2016年のラティーナ誌の記事のために、ずいぶん資料を読んだつもりだったが、上述のドキュメンタリーの内容は(「チャイナ・ガール」のエピソードを含めて)私が知らなかったことが多く、恐れ入った。このドキュメンタリー番組は国営放送FRANCE TELEVISIONSの<a href="https://www.france.tv/spectacles-et-culture/pop-rock-electro/5596464-le-chateau-d-herouville-une-folie-rock-francaise.html" target="_blank">ウェブページ</a>で、2024年5月まで公開されているが、残念ながら放映権の関係で日本からの視聴はできない(フランスおよび欧州にいる人たちには見えます)。1972年にピンク・フロイドが『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E3%81%AE%E5%BD%B1" target="_blank">雲の影</a>』をエルーヴィル城で録音しているのだが、当時のインタヴューで、どうしてここで録音することにしたのか、という質問にデイヴ・ギルモアが正直に「税金対策だよ」と答えている。そう、この時期に英国の大物たち(ボウイ、ストーンズ、T レックス、エルトン・ジョン...)がフランスで録音していたのは、おおかたが税金逃れのためだった。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgHjQ3tAS9MAFa337BhISp8_NKhDcVhMqMMeFITEa1uWRsvLYHNsm_2sL0rwq_xDbQnQk-NTtuYZXA8dHwJql-M-l87r2jRDabG543Iod9nnbVMzjWDxtMTjXndfWNDy1oflfvMnJfj7fl7kndlMUhd4iG5koP2Ja75ERHlFGo6Ebgym2Etgd6Gd-BC7gT1/s1200/france5.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="900" data-original-width="1200" height="197" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgHjQ3tAS9MAFa337BhISp8_NKhDcVhMqMMeFITEa1uWRsvLYHNsm_2sL0rwq_xDbQnQk-NTtuYZXA8dHwJql-M-l87r2jRDabG543Iod9nnbVMzjWDxtMTjXndfWNDy1oflfvMnJfj7fl7kndlMUhd4iG5koP2Ja75ERHlFGo6Ebgym2Etgd6Gd-BC7gT1/w262-h197/france5.jpg" width="262" /></a></div>(↓)の記事にも出てくるが、1971年6月、エルーヴィルの隣町オーヴェール・シュル・オワーズ(画家ゴッホの終生の地として有名)のロック・フェスティヴァルのためにフランスにやってきた<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%89" target="_blank">グレートフル・デッド</a>が、そのフェスが嵐で中止になり、避難してきたバンドにエルーヴィル城が緊急宿舎として使われ、その丁重なもてなしに感激した<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A2" target="_blank">ジェリー・ガルシア</a>がお礼にこの城の庭園で無料コンサートを開いた。招待されたエルーヴィル村の住人や近くにいたファンたち約200人を前に徹夜の熱演。この模様はフランス国営テレビで中継されたようだ。件のドキュメンタリーで、グレートフル・デッドがLSDを持ち込んでいて、それを秘密裏に招待客に出す飲み物(シャンペン、ワイン...)に少量混入させていたということが証言されていて、(↓)記事で私が書いたことをはるかに上回る”ハイ”な光景が展開されたそうなのである。ロック・クリエイションの理想郷のような1970年代のエルーヴィル城の伝説は、その他にもさまざまある。<br /> その第一期黄金時代(1971〜73)のサウンド・エンジニアだったのが<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Dominique_Blanc-Francard" target="_blank">ドミニク・ブラン=フランカール</a>(1944 - )で、2016年ラティーナ誌8月号で私はこのフランス随一のサウンドクリエーターのことを書くつもりで書き始めたのだが、半分以上がエルーヴィル城スタジオの話になってしまった。以下に(若干修正して)全文再録します。<br /><br />★★★★★ ★★★★★ ★★★★★ ★★★★★ ★★★★★<br /><br /><span style="color: red; font-size: small;"><span>この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で、2016年8月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。<br /></span></span><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjGkKYMbj-Qc89FpjRBa6EdV5_iwEiNm9nFdp6xcNzqhzadJ-CIWuJ2C0RzweILRAQ9RQM_bRxVudN3Ag-95lrLLY7t9Aa-dujG1z7PPM7EwSiaj_rXGeLWkRXvvkUUlKvQt7lAJ3wd5t89OHa5Aa8uLZHhwLc5SKR128nucSNfcU6TEbyOPBDTHMd8KZVB/s1436/itsateanagedreambook.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1436" data-original-width="1000" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjGkKYMbj-Qc89FpjRBa6EdV5_iwEiNm9nFdp6xcNzqhzadJ-CIWuJ2C0RzweILRAQ9RQM_bRxVudN3Ag-95lrLLY7t9Aa-dujG1z7PPM7EwSiaj_rXGeLWkRXvvkUUlKvQt7lAJ3wd5t89OHa5Aa8uLZHhwLc5SKR128nucSNfcU6TEbyOPBDTHMd8KZVB/s320/itsateanagedreambook.jpg" width="223" /></a></div><br /><b><span style="font-size: x-large;"><span style="color: #800180;">サウンドエンジニア一代記<br />ドミニク・ブラン=フランカールとエルーヴィル城の日々<span><span><br /></span></span></span></span></b><br /><span style="font-size: small;"><span style="font-family: verdana;"> </span></span><span style="font-size: x-large;"><span style="font-family: verdana;"><b>ド</b></span></span><span style="font-family: inherit; font-size: small;">ミニク・ブラン=フランカール(略称<span lang="EN-US">DBF</span>)は<span lang="EN-US">1944</span>年生れ(現在<span lang="EN-US">72</span>歳)のサウンド・エンジニアである。裏方とは言え、この分野では当地の第一人者であり、フランスのレコード<span lang="EN-US">CD</span>のクレジットで実に頻繁に見る名前である。この6月、そのキャリア<span lang="EN-US">50</span>周年を記念して、彼が録音・編曲・制作をすべてを担当した企画盤『<b>イッツ・ア・ティーンネイジャー・ドリーム</b>』(フランソワーズ・アルディ、バンジャマン・ビオレー、アダモ、カルラ・ブルーニなど彼と重要な仕事をしてきたアーチストたちをヴォーカルに招いて<span lang="EN-US">2</span>年がかりで作ったシクスティーズ・カヴァー集<span lang="EN-US">15</span>曲)と、そのサウンド・エンジニアとしての仕事を網羅的に回想録にした<span lang="EN-US">300</span>ページ強の厚い著作『<b>イッツ・ア・ティーンネイジャー・ドリーム</b>』を同時に発表した。また自ら音楽アーチストとして唯一発表した<span lang="EN-US">1972</span>年作のプログレッシヴ・ロックアルバム『<b>アイユール</b>(外へ)』も<span lang="EN-US">LP</span>で仏ユニバーサルから復刻され、この6月<span lang="EN-US">DBF</span>氏は露出度が高くなっている。<span lang="EN-US"></span></span><span style="font-size: small;"><span style="font-family: inherit;"><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg6BRgCa9lZOs5EUQTqu1BCcPxy0ijZvhxW3i8JpKhMnQ9dJxGkxFeGhordd7-ac9uiyGoKdudWCWeQGFP8bj0rqmd9FcJwywBxevacfw6Ng8Lze-BDvzmWIIU663pWY7EJK7ZYIor1YDDtfRVuLOxNZkVG2hIiRnCpoDPplhNlrU1_sCQMFnNXU-Cfuk6W/s1404/itsateenagedream.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="1381" data-original-width="1404" height="176" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg6BRgCa9lZOs5EUQTqu1BCcPxy0ijZvhxW3i8JpKhMnQ9dJxGkxFeGhordd7-ac9uiyGoKdudWCWeQGFP8bj0rqmd9FcJwywBxevacfw6Ng8Lze-BDvzmWIIU663pWY7EJK7ZYIor1YDDtfRVuLOxNZkVG2hIiRnCpoDPplhNlrU1_sCQMFnNXU-Cfuk6W/w179-h176/itsateenagedream.jpg" width="179" /></a></div><br /> ブラン=フランカール家は父ジャン=マリーが国営ラジオ/テレビの技師で、兄パトリスは音楽ジャーナリスト/ラジオとテレビのディレクター、息子二人は第一線のミュージシャン(長男ユベールはエレクトロ・デュオのカシウス、次男マチューはサンクレールの芸名を持つ人気シンガー)であり、<span lang="EN-US"></span>ゲンズブール+バーキン家のような芸能ダイナスティーを思わせるものを私は先入観として持っていた。特に<span lang="EN-US">1980</span>年代の後半になって、フランスに<span lang="EN-US">”</span><span lang="EN-US">TOP 50</span>“なるチャートが出来てからレコード会社の第一存在理由が「ヒット曲を出すこと」のような風潮が顕著になり、<span lang="EN-US">DBF</span>氏は演奏者・作詞作曲者・プロデューサーの陰にいながらも「ヒットを生むサウンド・エンジニア」として、メジャーヒットに大きく関係してくる。エチエンヌ・ダオ、ゲンズブール、フランソワーズ・アルディ、ジェーン・バーキン、イザベル・アジャーニ、ジャンヌ・マス<span lang="EN-US">…</span>。良くも悪くも<span lang="EN-US">”</span>ヴァリエテ<span lang="EN-US">”</span>(テレビ向け流行歌とでも意訳できようか)ど真ん中の人、という印象。<span lang="EN-US"></span><br /><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjJUdETCXvOh0YBF_psfIhM297dcxnnPHBJd_Ecf2W97areCgt_b_TPdn3-ZYM-AFQlOAcMr242PaIDfSmc1ycLToS4J3SPMmSn4STUC9EYzFAXgPr0NwINizZBXd-AYlC2OsNjv1ARCD5gfkxriMjtwM1CI0Cw3P5SdtnUydtKkpZY-f6uIt5LRdihR3wI/s1400/dbfailleurs.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1400" data-original-width="1400" height="182" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjJUdETCXvOh0YBF_psfIhM297dcxnnPHBJd_Ecf2W97areCgt_b_TPdn3-ZYM-AFQlOAcMr242PaIDfSmc1ycLToS4J3SPMmSn4STUC9EYzFAXgPr0NwINizZBXd-AYlC2OsNjv1ARCD5gfkxriMjtwM1CI0Cw3P5SdtnUydtKkpZY-f6uIt5LRdihR3wI/w182-h182/dbfailleurs.jpg" width="182" /></a></div><br /> ところが今回初めて耳にした復刻<span lang="EN-US">LP</span>『アイユール』<span lang="EN-US">(</span><span lang="EN-US">←写真</span><span lang="EN-US">1972</span>年作<span lang="EN-US">)</span>は、ヴァリエテっぽさなど微塵もないサイケデリック・プログレ作品で、ドラムスを除く全楽器・作詞作曲編曲ヴォーカルと録音ミックスまで<span lang="EN-US">DBF</span>が一人で仕上げた音は私の印象をガラリと変えてしまった。このアルバムは当時<span lang="EN-US">DBF</span>が専任エンジニアだったパリから<span lang="EN-US">50</span>キロ離れたオワーズ地方の城館スタジオ、シャトー・エルーヴィルで録音されている。自伝本ではこのエルーヴィル・スタジオで過ごした<span lang="EN-US">71</span>年から<span lang="EN-US">73</span>年の日々が彼にとって最も重要な時期であったように記述されている。<span lang="EN-US"></span><br /> <br /> 戦中生れのドミニクの世代は、第二次大戦が終ってもインドシナ戦争があり、次いでアルジェリア戦争があり、と戦争の脅威が続いていた。少年の頃、徴兵と戦地送りの恐怖は常にあり、少年たちはどうやって徴兵を避けるかということばかり考えていた。同時に彼らはティーンネイジャーでロックンロールの到来を体験した世代である。<span lang="EN-US">15</span>歳でバンドを組み、<span lang="EN-US">18</span>歳でバンドはプロデビューするが、リードシンガーを兵役で取られ,インストバンド(歌手のバックバンド)として1年ほど全国をツアーして解散。 <span lang="EN-US"></span><br /><span lang="EN-US"><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgwmJxXNhdi3kA3A0ryXRTYBIEYYgvrtTBmUIoJEld0M4UMPr6V3tnzoa-86LdTnNQu2wG00p916U5rQcO-5SQsDBBIqPYhY7C6Dxs9DqgTjHnXpN6qD2__62x3bzfaw6a6o3ucnQ5JxXiGj_XXhrclgqRwluW62xmXbD7cvv4__gtqSVRHjMU43ZZB6Pkp/s600/R-1390218-1215535816.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="600" data-original-width="598" height="199" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgwmJxXNhdi3kA3A0ryXRTYBIEYYgvrtTBmUIoJEld0M4UMPr6V3tnzoa-86LdTnNQu2wG00p916U5rQcO-5SQsDBBIqPYhY7C6Dxs9DqgTjHnXpN6qD2__62x3bzfaw6a6o3ucnQ5JxXiGj_XXhrclgqRwluW62xmXbD7cvv4__gtqSVRHjMU43ZZB6Pkp/w198-h199/R-1390218-1215535816.jpg" width="198" /></a></div> 1962</span>年アルジェリアが独立し、やっと戦地送りの恐怖は去り、<span lang="EN-US">1963</span>年ドミニクは兵役に出かけるも精神病と偽り(精神病院に入院)3ヶ月で除隊を許可され、同じ年、パリ左岸の小さな録音スタジオ<span lang="EN-US">ETA</span>にエンジニアとして就職する。朝8時から夜9時(往々にしてそれで終らない)まで、セッティングと録音の一切を任される過酷な修行時代。録音技術と機材が日進月歩で刷新されていた頃、<span lang="EN-US">ETA</span>のような小さいスタジオはほとんどがデモ用の録音で、例えどんなに出来が良くても本録音の仕事は最新機材を備えた大きなスタジオに持っていかれる。またその頃はロックがテープ操作などのエフェクトで、奇怪な音を沢山発明していた頃で、その音はどうやって出すのかは同業者間では教え合わない。例えばレッド・ゼッペリンの「胸いっぱいの愛を」の音が右左ぐるぐる回る効果はどうやって作るのか、といったことは自分で探し出すしかないのだが、ドミニクは夢中でそれを解明し、クライアントが「ゼッペリン風に」と注文したらそれをやってしまい、その上自分が考案したエフェクトを提案することもあり、若いサウンドエンジニアは徐々に頭角を現していく。<span lang="EN-US">69</span>年9月、新たに8トラック機を備えた<span lang="EN-US">ETA</span>スタジオで、<span lang="EN-US">25</span>歳の<span lang="EN-US">DBF</span>はデヴィッド・アレン&ゴングのアルバム『マジック・ブラザー』(↑写真)を録音している。そして<span lang="EN-US">71</span>年、仏プログレの金字塔的作品、カタルシス『<span lang="EN-US">Masq</span>』の録音を最後に<span lang="EN-US">ETA</span>スタジオを去リ、エルーヴィル城に移っている。<br /><br /><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiGd4Ge7bEIUhlLujFKN55IEX0o0ULDGQPIzKctUBckS6UIomFZxGXeNAyRVHleDjQWXwb4xazfihJ7ZVJZL0i1meLCQdaYJN9Q6x7IUB50TyUoa0MA4HOzBzpIToIaDVlGJXFXrjqTJQhkCFeRtnmT6gvxhTVGkTjDgqXLlPSOZGf42_vCmDGyVnmj-ikC/s1000/herouville-magne-blanc-francard.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="500" data-original-width="1000" height="160" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiGd4Ge7bEIUhlLujFKN55IEX0o0ULDGQPIzKctUBckS6UIomFZxGXeNAyRVHleDjQWXwb4xazfihJ7ZVJZL0i1meLCQdaYJN9Q6x7IUB50TyUoa0MA4HOzBzpIToIaDVlGJXFXrjqTJQhkCFeRtnmT6gvxhTVGkTjDgqXLlPSOZGf42_vCmDGyVnmj-ikC/s320/herouville-magne-blanc-francard.jpg" width="320" /></a></div> エルーヴィル城スタジオ(</span></span><span style="font-size: x-small;"><span style="font-family: inherit;">←写真、奥にミッシェル・マーニュ、手前にDBF</span></span><span style="font-size: small;"><span style="font-family: inherit;">)の創設者<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5" target="_blank"><b>ミッシェル・マーニュ</b></a>(<span lang="EN-US">1930-1984</span>)は作曲家で、実験的現代音楽でスキャンダルを巻き起こす一方、多くの大衆的映画音楽のヒットで財を築いた。この南北両翼を持つ<span lang="EN-US">18</span>世紀建立の城館はマーニュが<span lang="EN-US">1962</span>年に購入し、途中北翼を火事で焼失したものの、南翼の最上階を面積<span lang="EN-US">100</span>平米、天井までの高さ6メートルの録音スタジオとして改装し、合わせて<span lang="EN-US">20</span>の客室、厳選された酒蔵,フレンチグルメのレストラン、テラス、庭園、テニスコート、プールを備えた滞在型のレコーディング・レジデンスとして<span lang="EN-US">69</span>年に開業した。人里離れた城館スタジオというコンセプトでは、ヴァージン創業者リチャード・ブランソンが英国オクスフォードシャーに開いたザ・マナー(<span lang="EN-US">1971</span>年開業。マイク・オールドフィールド『チューブラー・ベルズ』の録音で有名)が知られているが、やったのはマーニュが先。しかし最初の2年間は来るアーチストたちも少なく運営は難しかった。その好転を狙って補強した<span lang="EN-US">27</span>歳の凄腕サウンド・エンジニアが<span lang="EN-US">DBF</span>だったのだ。彼の城での最初の仕事がマグマのセカンドアルバム『摂氏<span lang="EN-US">1001</span>度』だった。<br /><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEguYg7L5aQQBLwGKFed0_eFN4D58IFqn40iiFVLUA8xkQoTTSTFjbguZhdLrqfnUhxEaJlqIVXhyphenhyphenJSxCER5niH8HNo0XRqKkBKXjkw6kymSkgyCAih8-kgeiptSZGT2YQx9W4JGVWA_JIgioyulk82dHDorn4xPiIUk7TL5kPk0KeqSzOBNq6sbdUadwtgu/s720/jerrygarcia.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="405" data-original-width="720" height="147" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEguYg7L5aQQBLwGKFed0_eFN4D58IFqn40iiFVLUA8xkQoTTSTFjbguZhdLrqfnUhxEaJlqIVXhyphenhyphenJSxCER5niH8HNo0XRqKkBKXjkw6kymSkgyCAih8-kgeiptSZGT2YQx9W4JGVWA_JIgioyulk82dHDorn4xPiIUk7TL5kPk0KeqSzOBNq6sbdUadwtgu/w261-h147/jerrygarcia.jpg" width="261" /></a></div> その数週間後の<span lang="EN-US">71</span>年6月、城から遠くないヴァン・ゴッホ終生の地として知られるオーヴェール・シュル・オワーズで開かれる予定だった大規模なロック・フェスが豪雨のため中止になり、その目玉バンドだったグレートフル・デッドがローディーや家族たちを引き連れて城に滞在することになった。ジェリー・ガルシア(</span></span><span style="font-size: x-small;"><span style="font-family: inherit;">→写真</span></span><span style="font-size: small;"><span style="font-family: inherit;">)とその一党はこの城の環境ともてなしにいたく感動して、城で働く人たちや村人たちに感謝したく、城の庭園で無料のプライヴェートコンサートを開くことになり、<span lang="EN-US">DBF</span>がその音響全てを任された。約<span lang="EN-US">200</span>人がこの幸福な宵を共有し、城はありったけのシャンパーニュを振る舞い、葉っぱはバンバン吸われ、コンサートは夜を徹して明け方近くまで続いた。こんな音楽今まで聞いたことがないという村人たちも乗りに乗って踊って騒いだ。村の警察は見て見ぬふりをし、村の消防隊だけがその場に出動を依頼されて、ラリっては着衣のままプールに飛び込む人たちを懸命に救出していた、という。その翌日、グレートフル・デッドとローディーたちと家族たちは総出で前夜の大狂乱で荒れ放題散らかし放題になった庭園を丁寧に掃除し、元の美しい庭園の姿に戻したのち、静かに立ち去って行った。夢のような人たちだったと<span lang="EN-US">DBF</span>は回想している。<br /><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiGNQdPhXmEP2k-MNK1Ka9Lc0Z1xbcdBPZBbRYyYJsBbiezLcyvN8AzS4OBXhyphenhyphenW-dlTFHcSH9je38egTH5oqFFBfRtLpRsIrjWWoE6Fnkx6bv-ZlTrhSpGWwKXg7nkdyG8swQT8QD5s237IQC8dEuH0KJ6jv2EBiB9M3fV4LagMVlhKylog1-mT_AuTsiFy/s1400/honkychateau.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1400" data-original-width="1400" height="222" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiGNQdPhXmEP2k-MNK1Ka9Lc0Z1xbcdBPZBbRYyYJsBbiezLcyvN8AzS4OBXhyphenhyphenW-dlTFHcSH9je38egTH5oqFFBfRtLpRsIrjWWoE6Fnkx6bv-ZlTrhSpGWwKXg7nkdyG8swQT8QD5s237IQC8dEuH0KJ6jv2EBiB9M3fV4LagMVlhKylog1-mT_AuTsiFy/w222-h222/honkychateau.jpg" width="222" /></a></div><br /> 以来デッドのメンバーたちはエルーヴィル城のことを言いふらし、それが大きなプロモーションとなって英米のトップアーチストたちが次々に城に滞在してアルバムを制作するようになる。ピンク・フロイド(『雲の影』)、<span lang="EN-US">T.</span>レックス(『ザ・スライダー』)、<span lang="EN-US">MC</span>5<span lang="EN-US">…</span>。エルトン・ジョンはここで3枚のアルバムを録音しているが、その1作目の『ホンキー・シャトー』はその滞在中のエルトンのパリのショッピングをよく手伝ったというので城の秘書のカトリーヌという女性に捧げられている。かの『黄色のレンガ路』 (<span lang="EN-US">1973</span>年)もこの城で録音された。<br /><span lang="EN-US"><br /> 300</span>ページの<span lang="EN-US">DBF</span>自伝本の<span lang="EN-US">50</span>ページがこのエルーヴィル城時代に割かれているが、<span lang="EN-US">DBF</span>が居たのは<span lang="EN-US">3</span>年にすぎない。城の赤字は続き、ミッシェル・マーニュが<span lang="EN-US">73</span>年に経営権を譲ったイーヴ・シャンベルラン(パリ最高の録音スタジオ「ステュディオ・ダヴート」の創業者)はその経営を立て直すどころか、マーニュを個人破産にまで追い込み、マーニュは<span lang="EN-US">1984</span>年に自殺してしまう。<span lang="EN-US">DBF</span>は<span lang="EN-US">73</span>年<span lang="EN-US">10</span>月に城を去ってフリーランスとなるが、その後の城のこと(マーニュ/シャンベルランの抗争について)は自伝では触れていない。城はその後もデヴィッド・ボウイ(『ピンナップス』、『ロウ』)、フリートウッド・マック(『ミラージュ』)、ビー・ジーズ(『サタデーナイト・フィーバー』)など歴史的なアルバムを録音してきたが、遂に<span lang="EN-US">1985</span>年にその門を閉ざす。<br /><br /> 史実として<span lang="EN-US">19</span>世紀にはフレデリック・ショパンとジョルジュ・サンドの逢い引きの逗留先だったことから、<span lang="EN-US">DBF</span>が在籍時に作った第二録音スタジオは「ショパン・スタジオ」と名付けられる。またこの自伝でも、古城にはつきものの幽霊も<span lang="EN-US">DBF</span>の体験談が二つ。この城のことだけで軽々と一冊の本が書けるだろうし、この城のロック・ヒストリーにおける重要性はもっと知られてもいい。<br /><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjzYbI-Z1k0BW-O_T5WbtyNuWHozzxk1yFIeYcG28jvM4sQC11X3dGpT6_Zrf-VpAmxR4cSMCe427syCelaw791PfmE9c8bwPUN12IEKUSZC2X9ygtRK9J15OVeck0YQaG_0qSCPyPCqt9M-r8Q38itK0_bUpwpmv320PWTfG9M2C_1QHuFFCkgMHpIjKOP/s510/dbfrecent.webp" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="267" data-original-width="510" height="168" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjzYbI-Z1k0BW-O_T5WbtyNuWHozzxk1yFIeYcG28jvM4sQC11X3dGpT6_Zrf-VpAmxR4cSMCe427syCelaw791PfmE9c8bwPUN12IEKUSZC2X9ygtRK9J15OVeck0YQaG_0qSCPyPCqt9M-r8Q38itK0_bUpwpmv320PWTfG9M2C_1QHuFFCkgMHpIjKOP/s320/dbfrecent.webp" width="320" /></a></div> その後の<span lang="EN-US">DBF</span>氏はフリーランスとしてフランスだけでなく英米からもお呼びがかかる売れっ子サウンドエンジニアとして活躍することになるのだが、メインストリームであり、メジャーであり、ヒットの人である。<span lang="EN-US">1995</span>年にはブラン=フランカール家経営の録音スタジオ「ル・ラボマティック」を開業し、世界最新の機材を売り文句にして、息子二人を筆頭に新旧の大物アーチストたちの作品を録音して今日に至っている。この最新機材というのがまさに曲者で、サウンドエンジニアが「職人芸」であった時代からこの仕事をしている<span lang="EN-US">DBF</span>氏にしてみれば、この細部の細部まで機械がやってくれる今、エンジニアの勘やセンスやエモーションの入る余地がごくごく小さくなっていると嘆く。<br /><span lang="EN-US"><br /> 71</span>年から<span lang="EN-US">73</span>年、若き<span lang="EN-US">DBF</span>は幽霊が出るような古城の中で、その場の妖力や自然環境を愛すべき影響として受け止めているアーチスト/ミュージシャン/プロデューサーたちと、勘とセンスとエモーションで一緒に音を作っていた。彼が最高の職人だった時期だろう。ロック史はこの時期のドミニク・ブラン=フランカールを決して忘れないだろう。</span><span style="font-family: verdana;"><br /><br /></span></span><span style="font-size: medium;"><span style="font-family: georgia;"><span><span style="font-family: courier;"><span><span style="color: black;"><span style="color: #b45f06;"><b><span><span style="font-family: arial;"><span><span>(ラティーナ誌2019年4月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)</span></span></span></span></b></span></span></span></span></span></span></span><p></p><p><span style="font-size: small;"><br />(</span>↓)グレートフル・デッド、エルーヴィル城での伝説のライヴ(1971年6月21日)フランス国営テレビAntenne 2が中継していた!<br /></p><div class="separator" style="clear: both; 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{page:WordSection1;}</style></p>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-87145172132302424732024-01-30T11:28:00.005+01:002024-02-07T12:24:20.095+01:00ベトナムから遠く離れて<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhDPtBWt_QcmgQoafNBEht3ATe8QSZ6Ddi4QlpW-StYIEb_ALdXnxFWzXUyONKUfE1Kss5rxQFRKERzl9cl4e0w-IaHLSNjxCrGO3EV4At5TXrHrCKn4RW6F0x7Rk-hOaR1IVbXX5q7bRaOfVrfKJI8wBva804ONglCEFzddjI1YqS4dmRR4DDxE9kcy94U/s1000/Single-iggy-pop-china-girl.webp" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1000" data-original-width="1000" height="232" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhDPtBWt_QcmgQoafNBEht3ATe8QSZ6Ddi4QlpW-StYIEb_ALdXnxFWzXUyONKUfE1Kss5rxQFRKERzl9cl4e0w-IaHLSNjxCrGO3EV4At5TXrHrCKn4RW6F0x7Rk-hOaR1IVbXX5q7bRaOfVrfKJI8wBva804ONglCEFzddjI1YqS4dmRR4DDxE9kcy94U/w232-h232/Single-iggy-pop-china-girl.webp" width="232" /></a></div><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">Iggy Pop "China Girl"<br />イギー・ポップ「チャイナ・ガール」<br /></span><span style="color: #800180; font-size: large;">詞曲:イギー・ポップ&デヴィッド・ボウイ<br />(1977年)</span></b><br /><br /><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%97" target="_blank"><b><span style="font-size: x-large;">イ</span></b>ギー・ポップ</a>(1947 - )のアルバム『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88" target="_blank">イディオット</a>』(1977年)はデヴィッド・ボウイのプロデュースで制作された初のソロ名義アルバムで、その録音のほとんどが1976年6月からフランス、ヴァル・ドワーズ(95)県の<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E5%9F%8E" target="_blank">エルーヴィル城</a>スタジオで行われている。この後1976年9月からボウイが同スタジオでアルバム『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%A6_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)" target="_blank">ロウ</a>』を録音しているから一夏中そこにいたのかな? 1976年夏、フランスは200日雨の降らない大旱魃の暑い夏だった。私はその夏に初めてフランスに長留学滞在したからよ〜く憶えている。それはそれ。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgeOZvVvX-iypTPPS1ehqmOTVaM0FFgJCcp0oo_Z1IJUl54uE2AH95EzS7U6UNgkoHhlwLGS0-sin1iucH4EeiOZEObYWOevGRUW7u4DqhQMdKlAgMSIHYhXavM5eICeHgAuj1iGEgsLd3MDo6wUlNzAZ-c6FH1DEZMAeRJ4FshTbHdxHB-_NStFK3ecoae/s311/images.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="162" data-original-width="311" height="143" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgeOZvVvX-iypTPPS1ehqmOTVaM0FFgJCcp0oo_Z1IJUl54uE2AH95EzS7U6UNgkoHhlwLGS0-sin1iucH4EeiOZEObYWOevGRUW7u4DqhQMdKlAgMSIHYhXavM5eICeHgAuj1iGEgsLd3MDo6wUlNzAZ-c6FH1DEZMAeRJ4FshTbHdxHB-_NStFK3ecoae/w275-h143/images.jpg" width="275" /></a></div><p> さてこの1月19日にフランス国営テレビFrance 5で、(信頼できる)音楽ジャーナリストの<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Christophe_Conte" target="_blank">クリストフ・コント</a>が監修したドキュメンタリー映画『エルーヴィル城(Chateau d'Erouville)』が放映され、その伝説のシャトー録音スタジオの栄枯盛衰が1時間でまとめられていて大変興味深かったのだが、その中でこのイギー・ポップ「チャイナ・ガール」の誕生のいきさつも紹介されていた。(私もラティーナ誌2016年8月号にサウンド・エンジニアのドミニク・ブラン=フランカールの記事で、エルーヴィル城のことを長々と書いているので、いつか爺ブログに再録しようと思っているが、それはそれ)。エルーヴィル城スタジオは映画音楽家として財を成した<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5" target="_blank">ミッシェル・マーニュ</a>(1930 - 1984)が1962年に購入した城館を改造し、1969年から滞在レジデンス録音スタジオとしてエルトン・ジョン、T・レックス、デヴィッド・ボウイ、ピンク・フロイドなどが華々しく出入りしていた。金に糸目をつけずこのロックのクリエイション黄金郷を築いたマーニュだったが、それが過ぎて破産しエルーヴィル城スタジオは人手にわたり、1974年から元<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%9E_(%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89)" target="_blank">マグマ</a>の<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Laurent_Thibault" target="_blank">ローラン・ティボー</a>(1946 - )をディレクターに迎え、第二期黄金時代に入る。それまでミッシェル・マーニュが居城として使っていた館の一翼に、新たに住人として入居したのが<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Jacques_Higelin" target="_blank">ジャック・イジュラン</a>(1940 - 2016)。アレスキー+ブリジット・フォンテーヌと初期サラヴァ・レーベルを支えていたイジュランだったが、70年代は表現方法をロックに移し、この城でレジデントとして4枚のロックアルバム("<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Irradi%C3%A9_(album)" target="_blank">Irradié</a>"1975, "<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Alertez_les_b%C3%A9b%C3%A9s_!_(album)" target="_blank">Allertez les bébés!</a>" 1976, "<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/No_Man%27s_Land_(album)" target="_blank">No man's land</a>" 1978, "<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Champagne_et_Caviar" target="_blank">Champagne/Caviar</a>" 1979)を制作している。この時期(シャンソン詩+ロックの大冒険)のイジュランは再評価が必要(私がやるしかないか)。 <br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgfKr9qArX026iDNCU7DnNt9-c91_or7cqMCyxuIpX5LCrtWLNe7Ue1nklnGeT9_aJ3g_mhJxrLeMf_bOpuvTAcBo5QbmGjEQTR3OBQXl71KHs1jq7YUPEXMuzCc5Yu7oN7MMDbDDWU1HgCqLXqGVsP0q_x36ZjzgQduBNgkaoQTtlzMCbmjzEWUFDz8o3k/s680/FxT-MjeXwAcRDv4.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="676" data-original-width="680" height="227" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgfKr9qArX026iDNCU7DnNt9-c91_or7cqMCyxuIpX5LCrtWLNe7Ue1nklnGeT9_aJ3g_mhJxrLeMf_bOpuvTAcBo5QbmGjEQTR3OBQXl71KHs1jq7YUPEXMuzCc5Yu7oN7MMDbDDWU1HgCqLXqGVsP0q_x36ZjzgQduBNgkaoQTtlzMCbmjzEWUFDz8o3k/w228-h227/FxT-MjeXwAcRDv4.jpg" width="228" /></a></div> さて、イジュランはエルーヴィル城にひとりで入居してきたのではない。その当時の妻でヴェトナム出身の<b>クエラン・グエン</b>(Kuelan Nguyen 1950 - 。イジュランと結婚していたのは1970年から1995年まで)とイジュランとクエランの子ケン(1972年生れ、後の劇演出家<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/K%C3%AAn_Higelin" target="_blank">ケン・イジュラン</a>)と一緒に城に住んだ。かのFrance 5のドキュメンタリー映画『エルーヴィル城』の中で、クエラン・グエンがイジュランとの城入居時期のことや、アルバム『イディオット』を録音するために城に滞在していたイギー・ポップとデヴィッド・ボウイのことを証言している。まず、言い訳っぽいのだが、25年間続くジャック・イジュランとの結婚生活において、この70年代後半の時期は複雑で冷ややかでお互いの問題&事情がいろいろ浮上し、口論や諍いもままあった、と。イギーは城の広間でひとりでピアノに向かい(一本指で)自分の創作でポロンポロン弾いていて、クエランの目にはチャーミングな子(ジャックより7歳年下、自分より3歳年上)に映った。それで息子ケンのヌーヌー(ベビーシッター)のイレーヌの誕生パーティーにイギーを招待したら、ジャックはイギーを見るなりクエランに「あの外国人をもてなしてやれ」とけしかけた、と。クエランとイギーの「火遊び」はむしろイジュランが挑発したかのように。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEifzSrDgPDQtByLxf5D3mnsdfPV68NQ6YEpq_ewVNQGoQ_NOC-e0T35QhgWSuq6Q8ntoINHBbO_wY3Hu6aCrHBZkd4nnub_TdQ9LZkAmVUjtGWwKNBMrO3FCkSlpICk19TRiwg-7yaDJXOzFLUoKqqRJoqkHuZAu1ecI_hxwORLNiTiH6tIm8R8syeZ78z_/s500/artworks-000230508172-s93w1d-t500x500.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="500" data-original-width="500" height="213" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEifzSrDgPDQtByLxf5D3mnsdfPV68NQ6YEpq_ewVNQGoQ_NOC-e0T35QhgWSuq6Q8ntoINHBbO_wY3Hu6aCrHBZkd4nnub_TdQ9LZkAmVUjtGWwKNBMrO3FCkSlpICk19TRiwg-7yaDJXOzFLUoKqqRJoqkHuZAu1ecI_hxwORLNiTiH6tIm8R8syeZ78z_/w213-h213/artworks-000230508172-s93w1d-t500x500.jpg" width="213" /></a></div> で、クエランはイギーの部屋に入り浸るようになるのだが、クエランへのあからさまな熱情が隠せないイギーのかたわらに孤独なデヴィッド・ボウイがいた。イギーとクエランはそんなデヴィッドを放っておけない、と毎晩何時間も3人で過ごしていたと。これをクエランはすばらしい友情の時間だったと言っているのだけれど、まあ言葉通りの意味と信じよう。<br /> さらにここで、問題の曲「チャイナ・ガール」の録音に立ち会ったローラン・ティボーの証言が加わるのだが、ヴォーカル録りの時点で既に数杯のビールで出来上がっていたイギーはその目の前に陣取っていたクエランに抱きつきたくてたまらなくて、その度に録りを中断しなければならなかった、と。クエランはイギーを鎮めようとして、落ち着いて落ち着いてというポーズを。Sh-sh-shhhh....。これをイギーは自分に言い聞かせるように、”ジミー(イギー本名ジェームズ・オスターバーグの愛称)、黙って!” Oh Jimmy, just baby, just you shut your mouth" と即興の歌詞で歌った...。<br /> ではそのドキュメンタリーの「チャイナ・ガール」エピソードの動画(↓)をご覧ください。<br /><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/forDOCCLEtI" width="513" youtube-src-id="forDOCCLEtI"></iframe><br /></div><blockquote><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">I could escape this feeling, with my China Girl<br />I'm just a reck without my little China Girl<br />I"d hear her heart beating, loud as thunder<br />I saw the stars crashing<br /><br />I'm a mess without my little China Girl<br />Wake up morning there's no China Girl<br />I"d hear her heart beating, loud as thunder<br />I saw the stars crashing down<br /><br />I feel tragic like I'm Marlon Brando<br />When I look at my China Girl<br />I could pretend that nothing really meant too much</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">When I look at my China Girl<br /><br />I stumble into town just like a sacred cow</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">Visions of swastikas in my head<br />Plans for everyone</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">It's in the whites of my eyes<br /><br />My little China Girl<br />You shoudn't mess with me<br />I'll ruin everything you are</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">I'll give you television</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">I'll give you eyes of blue<br />I'll give you men who want to rule the world<br /><br />And when I get excited<br />My little China Girl says<br />Oh Jimmy, baby, just you shut your mouth<br />She says... sh-sh-shhh</span></div></blockquote><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br />クエランが言っているように、クエランは”チャイナ・ガール”ではなく"ヴィエトナミーズ・ガール"である。しかし、クエランは”ヴィエトナミーズ・ガール”よりも”チャイナ・ガール”の方が語感がいいから、いいのよ、と言う。イギーは彼女がヴェトナム人と知って、最初はアメリカ人としてヴェトナム戦争への原罪を感じていたそうだ。いいですか、お立ち会い、ヴェトナム戦争の終結は1975年のこと、すなわちイギーのエルーヴィル滞在の1年前、ヴェトナム戦争の記憶はほぼ昨日のように生々しい。歌詞のここの箇所:<br /><span style="color: #2b00fe;">My little China Girl(かわいいチャイナガールよ)<br />You shoudn't mess with me(きみは僕と関わらない方がいい)<br />I'll ruin everything you are (きみのすべてを破壊してしまう)</span><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">I'll give you television (きみにテレビを与え)</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">I'll give you eyes of blue (きみに青い目を与え)<br />I'll give you men who want to rule the world(世界征服を謀る男たちを送ってしまう)</span><br />これはクエランはアメリカ人イギー・ポップの償いの気持ちから出たものだろうと考えている。<br /><br /> 1983年にデヴィッド・ボウイはナイル・ロジャースがプロデュースした大ヒットアルバム『レッツ・ダンス』の中でこの「チャイナ・ガール」を録音、シングルでもミリオンヒットさせたのであるが、イギーのヴァージョンと歌詞は若干変わっていて、”ヴェトナム”を感じさせる部分がほぼない”チャイナ・ガール”になっている。だがこの頃ドラッグ依存症でボロボロになっていたイギー・ポップをこのメガヒットの印税が救ったという美談になってもいる。ヴェトナムから遠く離れて、Loin du Viet-Nam...<br /><br /><br />(↓)イギー・ポップ「チャイナ・ガール」(1977年アルバム『イディオット』)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/T8qRBkGxZ14" width="513" youtube-src-id="T8qRBkGxZ14"></iframe><br /><br />(↓)イギー・ポップ「チャイナ・ガール」(1986年パリ・オランピアでのライヴ)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/aq0kCmzweTU" width="516" youtube-src-id="aq0kCmzweTU"></iframe><br /><br />(↓)デヴィッド・ボウイ「チャイナ・ガール」(1983年オフィシャルクリップ)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/_YC3sTbAPcU" width="516" youtube-src-id="_YC3sTbAPcU"></iframe><br /><br />(↓)デヴィッド・ボウイ「チャイナ・ガール」(2002年パリ・オランピアでのライヴ)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/NEl6BBLwSa0" width="515" youtube-src-id="NEl6BBLwSa0"></iframe><br /><br />(↓)1967年クリス・マルケル監修のオムニバスドキュメンタリー映画『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E9%81%A0%E3%81%8F%E9%9B%A2%E3%82%8C%E3%81%A6" target="_blank">ベトナムから遠く離れて</a> Loin du Viet-Nam』のトレイラー。歌はトム・パクストン。<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/R3JAHlA1MDk" width="517" youtube-src-id="R3JAHlA1MDk"></iframe></div></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-74051540292184031652024-01-27T22:29:00.007+01:002024-01-29T09:24:23.474+01:00モアメド・ンブーガール・サール、新移民法を斬る<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgWGTio3dpFbDE7YbRnYbnrVgcujoTprr5b0wFZauDhNNEJpmV5TgdnrrkfMQpKCuAYbdKVZB_mZnVPpjqdEFbgLIC-NPd2tIhVbGzAPsEaIMDFRGr9SutzSomy6Tq74EDLW6Uc68erAx1sUkaKUDAvaIdkSplUJPfQ4Tz4csIdKgVBhkP2X-R5ClamuQiX/s1200/a9c8b9e_1706198284045-ble6269042.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="900" data-original-width="1200" height="188" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgWGTio3dpFbDE7YbRnYbnrVgcujoTprr5b0wFZauDhNNEJpmV5TgdnrrkfMQpKCuAYbdKVZB_mZnVPpjqdEFbgLIC-NPd2tIhVbGzAPsEaIMDFRGr9SutzSomy6Tq74EDLW6Uc68erAx1sUkaKUDAvaIdkSplUJPfQ4Tz4csIdKgVBhkP2X-R5ClamuQiX/w250-h188/a9c8b9e_1706198284045-ble6269042.jpg" width="250" /></a></div><b><span style="color: #800180;"><span style="font-size: x-large;"><< Loi Immigration, la centrale du tri(移民法は巨大選別センター) >><br />モアメド・ンブーガール・サール</span></span><br /></b><br /><b><span style="font-size: x-large;">2023</span></b>年12月19日、内務大臣ジェラルド・ダルマナン発案による新移民法案が国会で可決された。議会で絶対多数を持たない政権与党(Renaissance + Modem + Horizons...)は、この法案を通すため、保守野党である共和党(LR)の抱き込みを図り、ダルマナン法案をLR党との協議で大幅に右寄りに書き換える。その書き換え案は、これまでの外国人居住者の(フランス人と同等の)権利を多く削り、とりわけ医療や福祉の点での露骨な差別を明文化した。これは極右政党が主眼とする「フランス人第一主義」をそのまま導入したものと、極右RN党もその主旨に賛同し、賛成票を投じることとなった。これまで敵対していた政権党の提出法案にも関わらず、RN党はこの法案可決を(極右)「イデオロギーの勝利」として高く評価し、極右政権誕生が現実味を帯びたと自画自賛した。2024年1月25日、法律の「憲法適合性」を判断する立法の最高機関である<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%A9%95%E8%AD%B0%E4%BC%9A" target="_blank">憲法評議会</a>(Conseil Constitutionnel)は、国会可決した同移民法の条項のうち、その約三分の一にあたる32項を違憲として検閲削除した。法案に反対した左派&エコロジスト政党はこの憲法評議会の決定を評価したが、移民/外国人への制限・締め付けの性格は変わっていない。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhYPusxTiBc2SoEZdN7HTnCh8XAPmKAMzBUqLgJqULlvw_yzgxV3qB64HMatIB_Rb8tWlJX8K7WFDF-XOC8MxHuq6SSC5ocOxCrI0D7GnJpZOCsqCDCpYC0nQTqC0k17Hvks5uhdwECYHALhmMw5sJ4_Eaa262J3-fxQ08ensRam6sjE5Ppp9Eqk0vlWCjg/s524/Screenshot%202024-01-28%20at%2022-28-00%20Mohamed%20Mbougar%20Sarr.%20%C2%AB%20Loi%20immigration%20la%20centrale%20du%20tri%20%C2%BB.png" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="455" data-original-width="524" height="203" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhYPusxTiBc2SoEZdN7HTnCh8XAPmKAMzBUqLgJqULlvw_yzgxV3qB64HMatIB_Rb8tWlJX8K7WFDF-XOC8MxHuq6SSC5ocOxCrI0D7GnJpZOCsqCDCpYC0nQTqC0k17Hvks5uhdwECYHALhmMw5sJ4_Eaa262J3-fxQ08ensRam6sjE5Ppp9Eqk0vlWCjg/w234-h203/Screenshot%202024-01-28%20at%2022-28-00%20Mohamed%20Mbougar%20Sarr.%20%C2%AB%20Loi%20immigration%20la%20centrale%20du%20tri%20%C2%BB.png" width="234" /></a></div><br /> この憲法評議会決定の発表の日、1月25日に、2021年のゴンクール賞作家でセネガル人の<b><a href="https://pepecastor.blogspot.com/2021/11/blog-post_26.html" target="_blank">モアメド・ンブーガール・サール</a></b>(1990年生れ、現在33歳。<span style="font-size: x-small;">→写真</span>)が、ウェブ版ニュースメディアである <b><a href="https://www.mediapart.fr/journal/france/250124/mohamed-mbougar-sarr-loi-immigration-la-centrale-du-tri" target="_blank">Mediapart</a></b>(メディアパート)に、同移民法に抗議するトリビューンを投稿している。当然憲法評議会決定の前に書かれたものなので、そこは理解いただきたい。モアメド・ンブーガール・サールはフランスで最も権威ある文学賞を受賞したが、フランス国籍は取得していない。私と同じように誇り高い”異邦人”のままである。その立場からこの移民法が、外国人/移民をその中で振り分け選別するだけでなく、フランス国籍者たちまでの振り分け選別を遠からず実現してしまうことを見据えた法律であると喝破している。以下、その全文を(メディアパートさんごめんなさい)無断で翻訳して転載します。<br /><br />***** ***** ***** *****<br /><br /><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">『移民法は巨大選別センター』</span><br /></b><br />
<p></p><p class="MsoNormal"><span style="font-size: x-large;"><span face=""Osaka Regular-Mono", sans-serif"><b>私</b></span></span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="font-family: trebuchet; font-size: small;">が高等教育を受けるためにフランスに来たのは<span lang="EN-US">2009</span>年のことだった。人はよく私にどうして人生を続ける上で他の道を選ばずにこの国を選んだのかと問うてきた。私はそのさまざまな理由を挙げたのだが、その中には大文字で書くべき重々しくりっぱな言葉があった。すなわち:文学、人文学、哲学、共和国、知性、人権、平等。この地球に生まれ育った者として、フランスがこれらのりっぱなお題目と原則の名において行った残忍な行為の数々が歴史に深い傷を残してきたことを私は知らないわけではない。しかし私は私を迎え私を育成しようというこの国のすべてを判定することを望まず、その野蛮で犯罪的な過去を割り引いて考えていた。<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: trebuchet; font-size: small;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhlKod1euLof2p1el7ofYG033zpH-swkmGTAzr0WS3KCPpoUq3GORsL8NXvgKNt0tURgKwWeyu1UjhH9JBMpAoM_uDglh09ZD9UFj65HT_kV1-3eXqaWQ91vlCAJOjFlvsXkMdG7ckSlOvHgzAGWzcJTagtCluDghyphenhyphendFBXWkPPlo2b6qNNn7udN_eb0uXsA/s1024/Manifestation-21-janvier-2024-1024x1024.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1024" data-original-width="1024" height="206" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhlKod1euLof2p1el7ofYG033zpH-swkmGTAzr0WS3KCPpoUq3GORsL8NXvgKNt0tURgKwWeyu1UjhH9JBMpAoM_uDglh09ZD9UFj65HT_kV1-3eXqaWQ91vlCAJOjFlvsXkMdG7ckSlOvHgzAGWzcJTagtCluDghyphenhyphendFBXWkPPlo2b6qNNn7udN_eb0uXsA/w206-h206/Manifestation-21-janvier-2024-1024x1024.jpg" width="206" /></a></span></div><span style="font-family: trebuchet; font-size: small;">こうして私はコンピエーニュにやってきた。そしてフランスの政治が私にものを教えたりイライラさせたりするのをやめるのにものの<span lang="EN-US">3</span>ヶ月もかからなかった。私はバルザックに傾倒していたが、その代表作の『幻滅』を私のものとして味わせる有毒な機会がやってきた。その頃、<span lang="EN-US">UMP</span>党(国民運動連合、<span lang="EN-US">2002</span>年ニコラ・サルコジが創立した保守政党、<span lang="EN-US">2015</span>年に<span lang="EN-US">LR = </span>共和党と改名して現在に至る)の元気な連中の衝動に端を発した「国民アイデンティティー<span lang="EN-US"> identit</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";">é
nationale</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">」論争が席巻していた。</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";"><br />
<br />
</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">正直に言えば、私は国民アイデンティティー論争自体はその基本においてはとても興味深いことだと思っていた。ひとつの国がその文化を築いたもの、どのような美徳がその信条に意味を与えるのか、どのような価値から、どのような歴史から、過去・現在・未来を見つめるどのような視点からその国が国民と社会を成してきたのかを論議することはそれ自体として悪いことでないと私には思えた。それは私がその考察の問題の立て方が最初から誤りであり、それが議論なのではなく、ひとつの裁判なのだということに気がつく前のことだったのだ。それも嫌な匂いを放つ弾劾裁判である、と。</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";"><br />
<br />
</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">その被告席に置かれたのは誰か?答えは簡単だ、いつもと同じ顔ぶれ、ユージュアル・サスペクツ、すなわち、異邦人、外国人、野蛮人、イスラム教徒、黒人、アラブ人、ロマ、南方からの移民、私。私たちがそこに座るのになにがしかの犯罪など犯す必要はない。その兆候を疑われるだけで十分なのだ。</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";">Ab initio</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">(アブ・イニチオ=最初から)そして</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";"> a priori</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">(ア・プリオリ=証明の必要なく)に、私たちは嫌疑をかけられる者なのだ。私はここで「推定有罪」と過失なき罪というものが存在するということを知った。それは国民アイデンティティーというものを考えることでは全くなく、その国民性の規範を反動的で暴力的で差別的な「型」にはめ、すでに社会的に弱いカテゴリーへと配列していくことだったのだ。</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";"><br />
<br />
</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">しかしながら私はこの国に留まって生活していった。この国のさまざまなアスペクトが好きであるし、ここに住む多くの人々が私に大きな感銘を与えている。私はここでひとりの人間になり、作家になった。しかし私は決して忘れていない。私がどこにいようと、たとえ私が最も権威ある名誉に包まれていようと、私は異邦人であり、移民であり、事実として(そしてますます当然のものとして)私は来るべき脅威に属する人間なのである。その脅威とはどんな些細な問題でも人々が大騒ぎし、右であろうが左であろうが傾向はどうあれさまざまな政権において政治的利益に値しないものとして扱われ、人々はそれを犯罪者扱いすることに何のためらいも覚えないのだ。</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";"><br />
<br />
</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgGfWAkjuhSOWynyJKQk876LtoGyjmuD8IyLgWeVb10Pb_XBy9ff_JwYUaIdPYH9Ilr0r5FHvReR3rhhyITly5LPi6Cnwbs6VahYWU9c5SThyPzAQsDfeRCWc4k6OutbGsd6Ex3v2TpVqYkSMjeydaRg9EvEAfspbxvfOVy6QPpudRoWx6CgbD5AM6OTDDK/s1000/20240114161105-93912.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="500" data-original-width="1000" height="134" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgGfWAkjuhSOWynyJKQk876LtoGyjmuD8IyLgWeVb10Pb_XBy9ff_JwYUaIdPYH9Ilr0r5FHvReR3rhhyITly5LPi6Cnwbs6VahYWU9c5SThyPzAQsDfeRCWc4k6OutbGsd6Ex3v2TpVqYkSMjeydaRg9EvEAfspbxvfOVy6QPpudRoWx6CgbD5AM6OTDDK/w268-h134/20240114161105-93912.jpg" width="268" /></a></div>何が私にそれを思い出させるのか?往々にしてそれは道ゆく人であり、定期的に変わる法律でもあるが、常日頃この国の呪われて言葉少ない外国人たちが構成する家族の面々の顔を見るたびにそれは蘇ってくる。私はそれらの顔を見つめる。怯えていたり、勇ましかったり、絶望的だったり、戦闘的だったり、激昂していたり、歓喜にあふれていたり、打ちひしがれていたり、勝ち誇っていたり、怒り狂っていたり、人懐っこかったり。しかしながらこれらすべての顔ははっきりとした意識を持っているという点でみなよく似ている。彼らはどこに自分たちがいるのかを知っている。国民アイデンティティーの問題は、この国の外国人たちにこそ問いかけるべきたったのだ。彼らは恥によってその国民アイデンティティーを知っている。つまり彼らこそ最適なのだ。彼らはフランスの影の部分を知っている。その輝かしい伝説の黒い裏側、その卑劣さ、その虚偽、その歴史的かつ今日も続く暴力、彼らはこの点に関するフランスの修辞的言い換えや書き換えに騙されることはない、この国による悲惨な受難劇を彼ら以上にうまく描ける者はない、その受難劇の過去、現在、そして未来に関しても。</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";"><br />
<br />
UMP</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">党の猛者たちによる国民アイデンティティー喜劇からすでに</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";">15</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">年ほどの月日が経った。しかしながらこの</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";">2023</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">年暮れの出来事からすれば、この</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";">UMP</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">党のバロンたちなど人畜無害の呑気者に見えるだろう。天下の法治国家にとって憲法上の天変地異のような状況の中で、フランス政府(誰がその中心的推進者だったのか?エマニュエル・マクロン?内務大臣ジェラルド・ダルマナン?あれ以来下船させられた首相エリザベート・ボルヌ?)が、移民法を議会で可決成立させたのだ。その新法における移民に対する冷酷さと不公正さはフランスの極右政党の主張と全くひけをとらぬもので、その極右政党自体がこの政府決定に極右の「イデオロギー的勝利」を見てとり、その可決を祝福したのだった。</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";"><br />
<br />
</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi2Nzggeh6LAw5tvR6Om379kf1ErqsRwQzZEFNkAH9t4J-lrB4_JVNRrCNIOjPEQ_ovYtdRNeKp-dqwj0fK7rkxmJAzwOjkwdhT-Y7WmrRqFcrNZANKnO4s4sph5K1Eo3SwOKqYK0q7u_nsVijsqzSj_rHjA-mImHw-Cf1RDkrFQzx4HkkpaoEq4ze0YXvp/s1200/65ad6cfc31ffef05790240db.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="750" data-original-width="1200" height="151" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi2Nzggeh6LAw5tvR6Om379kf1ErqsRwQzZEFNkAH9t4J-lrB4_JVNRrCNIOjPEQ_ovYtdRNeKp-dqwj0fK7rkxmJAzwOjkwdhT-Y7WmrRqFcrNZANKnO4s4sph5K1Eo3SwOKqYK0q7u_nsVijsqzSj_rHjA-mImHw-Cf1RDkrFQzx4HkkpaoEq4ze0YXvp/w242-h151/65ad6cfc31ffef05790240db.jpg" width="242" /></a></div></span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">この極右の勝利自賛だけでも議会多数派は恥辱に打ちのめされ困り果てることになるはずではなかったか。しかし今やそのような時代ではない。もはやいかなる憎悪も資料化されないし、卑劣な過去も存在しないし、いかなる政治的病疫も忌み嫌われなくなった。政治的空間を圧倒することなどいともたやすいことだったろう。そして今度は社会を圧倒し、その深いところから押し入り、古い堤防はすこしずつ後退りされ、ついには完全に決壊してしまう。しかしフランス政界はこの運動を容認し、それと戦うのではなく逆に火をつけ、合法性を与え、伸長を加速させ、制度として定着させた。かつての“焦げ色の狼たち”(ナチ、ファシストの喩)が今日“白い羊たち”として通るようになったのは一体どういうわけだ?この変態を許した責任は誰がとるのか?</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";"><br />
<br />
</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">いずれにしても現フランス政府にその責任の一端はあることは間違いなく、その汚点は永久にこの政府にまとわりつくだろう。ここ数年の移民に関連するさまざまな立法を注視している人々にとっては、そのようん法律がひとたび通ってしまえば(つまり極右政党が既に権力に就いていたかのように)まったく呆れや驚きなどなくなってしまう。すべては底辺のところで道理が通っている。私はこの法律とその措置(外国人学生に対する学費の引き上げ、アフリカの一部の国からの留学生のビザ発給の取り消しなど)の詳しい成り立ちをここで詳説するつもりはないし、この法律にまつわるすべての不幸な原因とそのおぞましい結果をここで繰り返すつもりもない。</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";"><br />
<br />
</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj26kdhX7Nf5_4Z760dt5A1mJbKZH2Z0ZIxmW8dlxIKWD8Bea2hbGwUQQnENEIgWP13UujPg6Kfd2wy9wZbF64cqE0C7BRLSvuyOg_wCC5QJHsm5Wz-2hbcLLtx75r6d80sP98SbKsJEsObOZRyA-uVvLKVnHrrqjQxt2RRD-6NuELUC2XitwDBC8dYly4Z/s463/240126_LIB_PAR_PA1_QUO_001_v02_360x.webp" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="463" data-original-width="360" height="208" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj26kdhX7Nf5_4Z760dt5A1mJbKZH2Z0ZIxmW8dlxIKWD8Bea2hbGwUQQnENEIgWP13UujPg6Kfd2wy9wZbF64cqE0C7BRLSvuyOg_wCC5QJHsm5Wz-2hbcLLtx75r6d80sP98SbKsJEsObOZRyA-uVvLKVnHrrqjQxt2RRD-6NuELUC2XitwDBC8dYly4Z/w162-h208/240126_LIB_PAR_PA1_QUO_001_v02_360x.webp" width="162" /></a></div><br />私はこの国の外国人と移民たちを、ことさらにこの国でも成功することができる(ある者はゴンクール賞を獲得することもできる)ということを引き出して擁護することも拒否する。彼らはその分野で最も有名で栄誉ある人たちだ。ここでは彼らは問題ではないのだ。むしろ言い換えれば、彼らはこの法律で最も脅かされる人々ではない。この法律が最も暴力的なやり方で侮辱し破壊しようとしているのは彼らではない。私は、フランスに重要な貢献をした外国人として、移民出身フランス人たち(多くは故人であるが、生存している人も若干)の顔写真つき</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";">WHO’S WHO</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">のようなりっぱな本をパラパラめくったことがある。</span></span><p><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="font-family: trebuchet; font-size: small; mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">その意図はまちがいなく称賛すべきものであったはずであるが、このような宣伝行為の底にあるものが姑息なやり方でこのおぞましい法律の同盟を作り上げないとはとても信じられないのだ。この法律が作り上げようとしているのは良い外国人と悪い外国人のカテゴリー分けであり、移民たちを容認でき見目よく求められる人々と、価値がなく正体が見えず存在が迷惑な人々に選別することである。</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="font-family: trebuchet; font-size: small; mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";"><br />
<br />
</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="font-family: trebuchet; font-size: small; mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">この点について間違えてはならないこと、それは外国人関連法の立法化というものが常に政治的な小手調べであり、実験であるということだ。この法律の行く手に見えてくるのは、単純に外国人住民の中から留めておいても良い人々と留めておけない人々を分別するだけでなく、フランス人住民そのもの中からも、外国起源の人たちを識別する、すなわち本物と偽物を見分けることまで視野に入っているということだ。たしかに、これはいやな匂いがする。フランス起源を主張する言説も浮上しつつある。地面の下ではもうかびがはびこっている。</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="font-family: trebuchet; font-size: small; mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";"><br /><br />
</span><span face=""Osaka Regular-Mono",sans-serif" style="font-family: trebuchet; font-size: small; mso-ascii-font-family: Calibri; mso-bidi-font-family: Calibri; mso-hansi-font-family: Calibri;">では、何をするべきか? このような状況の時にいつも人々が行ってきたことすべてをやるしかないのだ。それは大そうなことではないが、それでも大きな行動なのだ:ノンと言うこと、行進すること、書くこと、抗議すること、集合すること、語ること、語り合うこと、これ以上分断化されることを拒否すること。ひとりひとりが、その可能なやり方で闘うこと。奇跡のような武器を持って、希望があろうとなかろうと。私がここで書いてきたことすべてはこの国を牛耳っている男性たち女性たち、およびそれを支持する人々には全く心に響かないことだろうと想像はできる。しかし構うものか。この醜悪な法律を前にして私たちにできることはこれだけだ:それを絶えることなく糾弾し、連帯を持って共に闘おう、最後まで。</span><span face=""Calibri",sans-serif" lang="EN-US" style="font-size: 11pt; mso-fareast-font-family: "Osaka Regular-Mono";"><br />
<br />
</span><span style="font-size: large;"><b><span face=""Osaka Regular-Mono", sans-serif" style="font-family: trebuchet;">2024年1月25日<br />モアメド・ンブーガール・サール</span></b></span></p>
<p><style><font size="5"><b>@font-face
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{page:WordSection1;}</b></font></style>(↓) LCP(国会テレビ局)のニュース動画。1月21日、パリ・トロカデロ広場。憲法評議会(Conseil Constitutionel)の移民法の違憲決定と同法廃止を求めるデモ。<br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/tFwRR1HpQ48" width="540" youtube-src-id="tFwRR1HpQ48"></iframe></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-68468126886595752992024-01-20T17:04:00.001+01:002024-01-21T20:42:17.776+01:0080分で人類の滅亡と再生<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhobGIsb6dD1F1mlYaoTHf6-Tl3b7VMD94eku-qYln6Mu-74gC4f_eB029y4PNDWUYefIsHTvl2wyXJQdd_fH_CSP1HyiuVtPYhP7a92rjtgKtwwQKjxpvrY5ycRm77jdQyrLnZ81xbBqLMWxVvBnkE2xp7HTyiasKGqb12dSidq0feOrQxnYaFSahjgubW/s400/csm_a0712164230_10_7c438525cb.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="400" data-original-width="400" height="253" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhobGIsb6dD1F1mlYaoTHf6-Tl3b7VMD94eku-qYln6Mu-74gC4f_eB029y4PNDWUYefIsHTvl2wyXJQdd_fH_CSP1HyiuVtPYhP7a92rjtgKtwwQKjxpvrY5ycRm77jdQyrLnZ81xbBqLMWxVvBnkE2xp7HTyiasKGqb12dSidq0feOrQxnYaFSahjgubW/w253-h253/csm_a0712164230_10_7c438525cb.jpg" width="253" /></a></div><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">SLIFT "ILION"<br />スリフト『イリオン』</span><br /></b><br /><b><span style="font-size: x-large;">オ</span></b>クシタニアの都<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA" target="_blank">トロザ</a>のパワー・トリオ(仏版ウィキペディアによるとその音楽ジャンルは acid rock, psychederic rock, space rock, stoner rocke などと書かれている)メンバーは:ジャン(ギター+ヴォーカル+マシーン)とレミィ(ベース+マシーン)のフォサット兄弟とカネック・フロレス(ドラムス)。同じ音楽学校で学んだダチ。結成は2016年。<br />バンド名の SLIFTは、フランスのSF作家<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Alain_Damasio" target="_blank">アラン・ダマジオ</a>(1969 - )が1999年に発表した2巻もの長編ディストピア小説"<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/La_Zone_du_Dehors" target="_blank">La Zone du Dehors</a>(圏外地帯)”の登場人物の名。15万部を売り、ダマジオ初のベストセラー作品となったこの小説は2084年(すなわちオーウェルの「1984年」の100年後)の”民主主義”衛星都市セルクロンを舞台とし、全住民は義務として2年に一度全員の投票によって、各住民の”等級”をその素行、労働効率、社会貢献度などを基準に決定することになっている。”直接民主主義”を装った住民の相互監視/相互管理による全体主義統治。それに抵抗する反体制グループが組織されるが、体制側の大弾圧によって苦戦し、その頭脳格を政府側に奪われ、内閣に引き入れ反体制グループを無化しようとする。それを救い出すのが革命派の最も先鋭な活動家<b>スリフト</b>で、救出に成功し、さらに衛星都市”圏外”で新都市を建設していく...。という救世のヒーローの名前なのだが、それがそのままこのバンドのSF的世界論&宇宙論と結びついているようなのだ。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgqLJYPnhGbIgPx6R06vAWN0ECTm7ARfFEsBUH5WRQlEKwaPS-gPJGcitMJu7E0KKVsIJ7yqdm9XoUlYiBFdO4j4tyD-VcKo9wfVfkkQhpEwF1d4L6RYvbza-hLFAzIDL44e9RTYuTwa47o3c93riJtwCDOD5wiqQ9msQAz9cvQ8MblL5oPm_nYX3MjB6F0/s640/Ummon.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="640" data-original-width="640" height="211" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgqLJYPnhGbIgPx6R06vAWN0ECTm7ARfFEsBUH5WRQlEKwaPS-gPJGcitMJu7E0KKVsIJ7yqdm9XoUlYiBFdO4j4tyD-VcKo9wfVfkkQhpEwF1d4L6RYvbza-hLFAzIDL44e9RTYuTwa47o3c93riJtwCDOD5wiqQ9msQAz9cvQ8MblL5oPm_nYX3MjB6F0/w211-h211/Ummon.jpg" width="211" /></a></div><p> 2018年バンドはファーストアルバム『未開の惑星(La planète inexplorée)』を発表しているが、そのSF宇宙志向は現在に通じるものの、サウンドスタイルは<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF" target="_blank">ガレージ・ロック</a>だったという。それがラジカルに大洪水メタル&長尺ラウドネス超絶パワーロックというスリフト独自のスタイルを完成させたのが2020年2月リリースのアルバム"<a href="https://www.youtube.com/watch?v=KJoLGNu5BFY" target="_blank">Ummon</a>"ということになっている。これがコロナ禍にぶつかってしまい、プロモもツアーも全くできなくなってしまったが、2019年にレンヌで録画されたスタジオライヴがシアトルの<a href="https://www.kexp.org/" target="_blank">KEXP-FM</a>経由でオンライン公開されるや、スリフトの名は北米でブレイクしてしまう。そしてコロナ禍明けて2021年には北米ツアーで気を吐き、グランジ・ロックの代名詞、シアトルの独立レーベル<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%97" target="_blank"> SUB POP</a>と契約してしまう。<br /> そしてこの新アルバム『イリオン』は SUB POP契約第一弾の世界規模デビュー作ということになる。"ILION(イリオン)"とはわが辞書では「古代トロイヤのギリシャ名」と出てくる。ようこそギリシャ神話の世界へ。神話で大叙事絵巻として多くの古代書で語り継がれるトロイア戦争について、その原因を<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%A2%E6%88%A6%E4%BA%89" target="_blank">日本語版ウィキペディア</a>はこう記している:<br /></p><blockquote><span style="color: #2b00fe;">大神ゼウスは増え過ぎた人口を調節するために、ヘーラーとは別の妻でもある、秩序の女神・テミスと試案を重ね、遂に大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意を固めた。
</span></blockquote>すなわちこの戦争は神々が仕組んだ人類ホロコースト策だったのである。大戦争が始まり、このロックアルバムは宇宙を舞台にしたトロイア戦記となったのである。人類撲滅の神の権謀術数に果敢に挑んでいく炎の眼をした戦士たちは星々の間に彷徨っていく....<div style="text-align: left;"></div><blockquote><div style="text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">Fury as a flame</span></div><div style="text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">Shining in their eyes</span></div><div style="text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">For now and forever<br />They will wander in space among the stars<br />Until they become a long forgotten tale<br />(ILION)</span></div></blockquote><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/VcXkSctQCbw" width="501" youtube-src-id="VcXkSctQCbw"></iframe><br />アルバム冒頭から11分のメタル大洪水。超ハイテンション、超アドレナリン、超ゴッドスピード。花火大会のしょっぱなから尺玉高速連発乱れ打ちが始まってしまったような。一体この途方もないテンションは最後まで持続するのか?そんなジサマの心配を嘲笑うようにトゥールーズの若造3人は、長尺ハイテンション楽曲だけで8曲、80分勝負に出る。1曲平均10分。戦争の山と谷、激情と慟哭、敗戦につぐ敗戦、後退と敗走... 人類は遂に滅亡の淵に立たされる...。<br /></div><blockquote><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">Darkness envelops the world</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">For every dream that has faded</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">A fire is lit in our hearts</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">We'll carry theses dreams beyond<br />And beg forgiveness to our mother !<br />Mother! Mother! Mother! Mother!<br />(NIMH)</span></div></blockquote><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/VObrrXmI06g" width="501" youtube-src-id="VObrrXmI06g"></iframe><br /> <br /> おかあさん、ごはんマダー!あまっちょろさのかけらも見せずに戦記は豪進するのであるが、5曲め”Weavers' weft(織り姫たちの横糸)"に至り、われわれは壮大なるメランコリアと遭遇することになる。ここで私たちは大伽藍的で大荘厳ミサ的で聖典礼プログレッシヴロック的なセンセーションに包まれ、ちょっとでも信心のある人はひれふしてしまうかもしれない。今こそわかれめ。人類の最後の生き残りひとりは、そのあるかないかもわからない未来を決めるたったひとりの果てしない孤独に打ち震えながら.... このヴィデオクリップのコンセプトがこのアルバムの白眉でしょうね。トゥールーズの3人のスケール違いの想像力の勝利と言えるんじゃないかな。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/3eTkcdBTL-k" width="500" youtube-src-id="3eTkcdBTL-k"></iframe><br /><br />アルバムは人類再生に向かう混沌(6曲め"Uruk")へと踏み入り、人類新章というべき"<a href="https://www.youtube.com/watch?v=hAdgRhSsaZQ&list=PLzpHvgk6ivsF0zeg9NPatmCrvhrc0CbPs&index=7" target="_blank">THE STORY THAT HAS NEVER BEEN TOLD</a>"(7曲め)で一風輝かしくもあるクリスタル音響の讃歌で大団円を迎える。これはイエスの『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E6%B4%8B%E5%9C%B0%E5%BD%A2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E" target="_blank">海洋地形学の物語</a>』(1973年)の最終面の20分曲”<a href="https://www.youtube.com/watch?v=fJzzBUKTFQQ" target="_blank">Ritual (Nous sommes du soleil)</a>"のなつかしいセンセーションが蘇ってくる。ちなみに『海洋地形学の物語』も80分アルバムだった。イエスはこの80分をオプティミズムで閉じるのであるが、スリフトの80分アルバム『イリオン』はオプティミズムとは言えない"<a href="https://www.youtube.com/watch?v=wkLEzs7_R8k&list=PLzpHvgk6ivsF0zeg9NPatmCrvhrc0CbPs&index=8" target="_blank">ENTER THE LOOP</a>"(8曲め)という、人類がまた同じ軌道に入っていくような、人間の性(さが)の哀しさが漂うエンディング。これは地球の人類が繰り返してきたことだもの。<br /><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiue070b1qQvuqFuD6Z_NMPHkowiFxlo9OfMrpKrA63qj_AaP-JbZKhQwrgSHHyuGtuAkbsWfU_S6aRSPtqNOjnOSboFCsDnTPT2VpUk00GL714AOZ4JJ7UKBSEwdUXDzDZlr9Mpp6urIibDdR2dPh65eNc9Pr7bOp1O8yyYr6ZEj7cQNxpIHol38E3YJjf/s770/8966417597d45794b3cca554845a3e89.webp" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="578" data-original-width="770" height="203" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiue070b1qQvuqFuD6Z_NMPHkowiFxlo9OfMrpKrA63qj_AaP-JbZKhQwrgSHHyuGtuAkbsWfU_S6aRSPtqNOjnOSboFCsDnTPT2VpUk00GL714AOZ4JJ7UKBSEwdUXDzDZlr9Mpp6urIibDdR2dPh65eNc9Pr7bOp1O8yyYr6ZEj7cQNxpIHol38E3YJjf/w271-h203/8966417597d45794b3cca554845a3e89.webp" width="271" /></a></div> 度外れた轟音超絶技巧メタルで、度外れた宇宙トロイヤ戦争絵巻叙事詩を創り上げた快挙に脱帽する。度外れた音の大きさ多さ厚さに、これ、本当にたった3人で?と頭をかしげたくなるのはもっとも。さまざまな仕掛けはあっても基本3人のみ、(↓)に貼ったKEXP-FMの2023年ライヴの映像が証明してくれる。しかし並外れたエネルギーである。このKEXPの映像の最後のインタヴューで、ジャン・フォサット(ギター/ヴォーカル)がこのアルバム『イリオン』の重要なインスピレーションのひとつが、キング・クリムゾンの『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89_(%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)" target="_blank">レッド</a>』(1974年)だった、と私のような昭和ロック爺が膝打って納得するような発言をしている。『レッド』もフリップ/ウェットン/ブルーフォードのトリオ編成クリムゾンの作品だった。そう言えば『レッド』も今年2024年が50周年か。記念盤出たらば買わねばね。<br /><br /><b><<< トラックリスト >>><br />1. ILION</b></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><b>2. NIMH</b></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><b>3. THE WORDS THAT HAVE NEVER BEEN HEARD</b></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><b>4. CONFLUENCE</b></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><b>5. WEAVERS' WEFT</b></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><b>6. URUK</b></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><b>7. THE STORY THAT HAS NEVER BEEN TOLD</b></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><b>8. ENTER THE LOOP<br /><br />SLIFT "ILION"<br />SUB POP LP/CD/DIGITAL SP1626<br />フランスでのリリース:2024年1月19日<br /><br /></b><span style="font-size: large;"><b><span style="color: #990000;">カストール爺の採点:★★★★☆</span></b></span><b><span style="font-size: large;"><br /></span><br /></b>(↓)2023年9月、KEXP-FMスタジオライヴ全編3曲:”ILION", "NIMH", "THE WORDS THAT HAVE NEVER BEEN HEARD"<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/n0FdkbeiThs" width="510" youtube-src-id="n0FdkbeiThs"></iframe></div><p></p>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-82352387131531858442024-01-09T23:21:00.000+01:002024-01-09T23:21:34.764+01:00爺ブログのレトロスペクティヴ2023<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj5ExN6_jObCVQdNo3alor-O_Ou_o4ydQkkHkvlueSRs6c35u5cToEYUSFc9ZuP4N3FlXeCth6xT7sfcYTuWemoZQjvwNKXcqPYvj2oLnBCKVr_SZLh7gYStsNSXBeJiI9Nbm4I9NVed2EAVELJyaibLko34HXUQNnWZ-G_ArwZjaiRdCvBuYvSrG4tuqRQ/s3873/onemillionviews.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="1962" data-original-width="3873" height="162" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj5ExN6_jObCVQdNo3alor-O_Ou_o4ydQkkHkvlueSRs6c35u5cToEYUSFc9ZuP4N3FlXeCth6xT7sfcYTuWemoZQjvwNKXcqPYvj2oLnBCKVr_SZLh7gYStsNSXBeJiI9Nbm4I9NVed2EAVELJyaibLko34HXUQNnWZ-G_ArwZjaiRdCvBuYvSrG4tuqRQ/s320/onemillionviews.jpg" width="320" /></a></div><p> <span style="font-size: x-large;"><b><span style="color: #800180;">2023年5月23日、爺ブログ100万ビューを突破</span></b></span><br /><br /><b><span style="font-size: x-large;">年</span></b>始恒例となりました爺ブログのレトロスペクティヴ、前年多くの人たちに読まれた記事をビュー数の多い順で10点を挙げ、一年を振り返ります。2023年は4月20日に爺ブログの最重要の支援者だった<b>土屋早苗</b>さんが病気で亡くなるという悲しすぎる出来事がありました。その約1ヶ月後の<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/05/100.html" target="_blank">5月23日</a>、爺ブログが16年の歳月をかけて累計総ビュー数100万を突破しました。最大の応援者に一緒に祝って欲しかった。<br />それで何が変わったというわけでもないのですが、2017年から闘病が始まって以来、それとなく「100万」が目標になっていたし、正直に言えば、生きているうちに達成するのは無理と思っていた時期もあった。それがフランスの医療のおかげで思いの外”長生き”してしまって、目標100万がだんだん現実性を帯びてきて、2023年はその秒読みのような状態で年を明けた。”100万”はあっけなく突破したし、誰からもお祝いなどなかった。ああ、そんなことだったのだな、と力が抜けたが、さあ、次は、という意欲はまるでない。16年間も続けていれば、それなりの重さは増したと思うし、フランス現代史の一部の一部を確実に証言している部分もある。私の「生活と意見」は少しは耳を傾けられている、と思いますよ。だから、このままもう少し続けていくつもりです。<br />2022年から続いているウクライナの戦争、押し寄せる極右の波にも社会不正義にも人々の生活苦にも戦うすべを失っているエマニュエル・マクロン、年金法と移民法という2大悪法を可決してしまったフランス議会、イスラエルとハマスの戦争、ジェーン・バーキンの死、気象観測史上最も高い年間平均気温を記録した地球。2023年はヘヴィーな年でした。音楽は<a href="http://pepecastor.blogspot.com/2023/04/blog-post.html" target="_blank">ザオ・ド・サガザン</a>、映画は『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/08/blog-post_25.html" target="_blank">ある転落死の解剖分析</a>』、文学はパトリック・モディアノ『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/10/blog-post_18.html" target="_blank">バレリーナ</a>』、この3つを2023年に爺ブログで紹介できたことを、われながらよくやったと自賛します。<br /> では2023年の爺ブログのレトロスペクティヴです。<br /><span style="color: #990000;"><br />(記事タイトルにリンクつけているので、クリックすると記事に飛べます)</span><br /><br /><b><span style="font-size: large;">1.『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/05/nico-ta-mere.html" target="_blank">Nico ta mère (追悼アリ・ブーローニュ)</a>』</span></b>(2023年5月20日掲載)<br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgav3hTzBx-s_o3hN_qHoNDhVyflz16arHO_lKZVKiCZ9gCBaqGi1ombzQUZdM-AkuugVmSfFEST-MFkKQctC10GTPm6aDxheahZ7Xkzqma-S13auyTqfXTrjMBo1ivpMWNKs6AmmXcp3KlYhC7NNVl_Ys61SrRbiJ-BNDU5B971g24RkDyx_7jjbFVkHeW/s215/ari-boulogne.jpeg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="214" data-original-width="215" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgav3hTzBx-s_o3hN_qHoNDhVyflz16arHO_lKZVKiCZ9gCBaqGi1ombzQUZdM-AkuugVmSfFEST-MFkKQctC10GTPm6aDxheahZ7Xkzqma-S13auyTqfXTrjMBo1ivpMWNKs6AmmXcp3KlYhC7NNVl_Ys61SrRbiJ-BNDU5B971g24RkDyx_7jjbFVkHeW/w201-h200/ari-boulogne.jpeg" width="201" /></a></div><p>他の記事を大きく引き離して破格のビュー数(現在3400ビュー)を記録し、現在もなお多くの人たちに読まれ続けている。5月20日に自宅で死体で発見されたアリ・ブーローニュ(享年60歳)は、モデルで歌手のニコ(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)の息子で、父親はアラン・ドロンであると主張しているが認知されていない。追悼記事として、私がウェブ上で運営していた「<a href="https://pepecastor.blogspot.com/search/label/O%27French%20Music%20Club" target="_blank">おフレンチ・ミュージック・クラブ</a>」に書いた2001年のアリの自著『愛は決して忘れない』の紹介記事を再録した。だから記事そのものは22年前に書かれたもの。アリはその一生のほとんどの時間を、アラン・ドロンに子として認知されるために費やした。なぜこんなに読まれたのだろう?日本で異常に人気の高いアラン・ドロンねた、ということだけだろうか?2024年1月、そのアラン・ドロン(現在88歳)は死期が近く、”認知された”3人の子供たちの仁義なき(遺産)抗争の真っ只中にある。<br /><br /><b><span style="font-size: large;">2.『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/07/22.html" target="_blank">追悼ジェーン・バーキン/その極私的日記(2/2)を読む</a>』</span></b>(2023年7月17日掲載)<br /><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiLELbWm-lVnrJB1fLuXT1q9imvS685sXgILr4RZDEKHJEC7TAExXgw8gWNCEjYIsamue8LbB36a10j2RRxlf1g3NjlFbWci4enriJ-9raZkeCMU4k_K6Msmo9aXISx3rrjXj0ZhmtoUjVyaSjZHYeR2sM5fShhHAIRSwHsC14TeCgD1vrk9XJLqcS87vII/s299/POST-SCRIPTUM.jpeg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="299" data-original-width="194" height="239" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiLELbWm-lVnrJB1fLuXT1q9imvS685sXgILr4RZDEKHJEC7TAExXgw8gWNCEjYIsamue8LbB36a10j2RRxlf1g3NjlFbWci4enriJ-9raZkeCMU4k_K6Msmo9aXISx3rrjXj0ZhmtoUjVyaSjZHYeR2sM5fShhHAIRSwHsC14TeCgD1vrk9XJLqcS87vII/w155-h239/POST-SCRIPTUM.jpeg" width="155" /></a></p><p>2023年7月16日、<a href="https://pepecastor.blogspot.com/search/label/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3" target="_blank">ジェーン・バーキン</a>が76歳で亡くなった。ジェーンに関してはこのブログも既に10本以上の記事を書いていて、とても敬愛していたアーチスト+人物だったが、死の知らせが会った時私にはとっさに何かが書ける能力はもうなかった。ただその思いだけは表明すべきだと考え、また過去記事に助けを願うことにした。<a href="https://pepecastor.blogspot.com/search/label/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A7%E3%82%82%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%81%AF%E6%B5%81%E3%82%8C%E3%82%8B" target="_blank">ラティーナ誌</a>2018年12月号と2019年12月号に掲載されたジェーン・バーキンの日記本の上下巻の紹介記事は、私にもとても力の入った仕事だったし、この人物を深くリスペクトするきっかけともなったものだった。爺ブログに上巻(1957-1982)を先に下巻(1982-2013)をあとに1日のインターバルで再録したが、なぜか日記後編の方がビュー数が100以上多かった。つまりゲンズブールとの別離後の方が多くの人たちの興味を引いたということだろうか。東日本大震災からみの一連のジェーンの行動も日本の人たちには感銘を与えたということなのだろう。<br /><br /><span style="font-size: large;"><b>3.『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/07/12.html" target="_blank">追悼ジェーン・バーキン/その極私的日記(1/2)を読む</a>』</b></span>(2023年7月16日掲載)<br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEghaeQyCLY4buKkpg72l6twiuWjBpRSPmD-rAX_3CzlByrVLospV0dXnUMTvtbHGpU8SOHK4D4MWOVm4Y49-6RsQH2pbSoHuYps71n290ZCFZlOweg5hYMZ7bDw5vvv8bRB7L-7zaQyKkt2nIUBKI_4xkOj9traxR1qBB87J_GSKhzAGA1N2XJFo2HPbSzE/s320/birkin%20dialies.jpeg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="320" data-original-width="208" height="264" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEghaeQyCLY4buKkpg72l6twiuWjBpRSPmD-rAX_3CzlByrVLospV0dXnUMTvtbHGpU8SOHK4D4MWOVm4Y49-6RsQH2pbSoHuYps71n290ZCFZlOweg5hYMZ7bDw5vvv8bRB7L-7zaQyKkt2nIUBKI_4xkOj9traxR1qBB87J_GSKhzAGA1N2XJFo2HPbSzE/w171-h264/birkin%20dialies.jpeg" width="171" /></a></div>(↑)の前日、すなわちジェーンが亡くなった日に爺ブログに掲載した”追悼過去記事再掲”の第一弾(全部で3つ再掲している)。2018年発表のバーキン日記前編(1957-1982)の紹介記事。イントロダクションで書いてあるように、ジェーン・バーキンを「ゲンズブール史の一部」として扱うことはなんとしてでも避けなければならなかった。彼女の全的人物像は「ゲンズブールの」という枕詞を必要としない、と私は言いたかった。日記前編は、英国で育った奔放だが非凡な個性がロンドンではなくパリで開花し、その最大のピグマリオンであったゲンズブールとどう対峙し、どう愛し合い、どう破局したかを当事者視線で描く。欲望や好奇心に関して言えば、ゲンズブールとバーキンはフェアーであったことがわかる。ゲンズブールの”創った”人形(ベビードール)と見たがっていた芸能メディアは、後年にバーキンの強靭でヒューマンなパーソナリティーに復讐されることになる。<br /><br /><b><span style="font-size: large;">4.『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/12/blog-post.html" target="_blank">ミンナニデクノボートヨバレ</a>』</span></b>(2023年12月2日掲載)<br /><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiKpkKJ_rwbFTGkoFwHIgGK0RTYYvIIdp3yozzfn22GgKy-07XAnD19D7jkeDu1gfA1SekhmiMPcjqjEWo5YftMpJPKj7aaXUdkeIWRUFA1I0v-ZiJBrfzAWyYwQ2b5cIgGBnqip-9Zsb6OXru7MCRVSRqeoouvm5oAJZw8XC47qyDuhnBSKT_dak_1zlzd/s281/3002976.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="281" data-original-width="206" height="224" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiKpkKJ_rwbFTGkoFwHIgGK0RTYYvIIdp3yozzfn22GgKy-07XAnD19D7jkeDu1gfA1SekhmiMPcjqjEWo5YftMpJPKj7aaXUdkeIWRUFA1I0v-ZiJBrfzAWyYwQ2b5cIgGBnqip-9Zsb6OXru7MCRVSRqeoouvm5oAJZw8XC47qyDuhnBSKT_dak_1zlzd/w165-h224/3002976.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" width="165" /></a></div>日本よりも3週間前にフランスで公開されたヴィム・ヴェンダース監督の”日本映画”『パーフェクト・デイズ』。フランスでも日本でもプレス評価は高く、日本でも話題になっているのだから、私のような者が何も語らずともいいではないか、と思ったのだが、かなりのネタバレも含む”悪趣味”な記事を書いてしまった。ヴェンダースが”東京”を小津流儀で(再)発見したドキュメンタリー映画『東京画』(1985年)の約40年後に、ヴェンダースが"東京”を(再)再発見する映画だと思って観たのだが、都市や企業(The Tokyo Toilet)の顔の出し方がまるで違うように思えた。日本サイドがものを言い過ぎのような点も見られた。というわけで全面的な好評価というわけにはいかなかったけれど、それでも多くのビュー数をもらったのは、賛同してくれる人たちもいるということなのかな?<br /><br /><b><span style="font-size: large;">5. 『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/04/blog-post.html" target="_blank">シャンソン・フランセーズの未来</a>』</span></b>(2023年4月11日掲載)<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjd9y0pvMvyo2gIGL2iHKlrnEhDaEIzNhtO13ghOQrauPGyLqB-pGZ05zoPzF6TlhhMJKorfW3upp9iRzc_KJy__mG5T-iyoexGm6DZNNT_ZUrkS8mkMMKJBAdXZ7Q4xw7EqxNU_a8d2AB-sxyysLKZpTKm9S9U1-K-18LTtNe2BPQP4yOfBpwFKV59NwvU/s212/8_0602448978837.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="212" data-original-width="212" height="203" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjd9y0pvMvyo2gIGL2iHKlrnEhDaEIzNhtO13ghOQrauPGyLqB-pGZ05zoPzF6TlhhMJKorfW3upp9iRzc_KJy__mG5T-iyoexGm6DZNNT_ZUrkS8mkMMKJBAdXZ7Q4xw7EqxNU_a8d2AB-sxyysLKZpTKm9S9U1-K-18LTtNe2BPQP4yOfBpwFKV59NwvU/w203-h203/8_0602448978837.jpg" width="203" /></a>2023年の最も幸福な音楽的出会いはザオ・ド・サガザンとガビ・アルトマンだった。後者の紹介記事は春からずっと書きかけでいつか書き終えねばと思いながらここまで来たが、最も回数多く聴いたアルバムはガビだった。ザオは春のラ・セーヌ・ミュージカルでのライヴを体験してぶっ飛んだ。記事中にも書いたが、この人のディクシオン(発語発音術)はすばらしく明解で、歌詞力を何倍にも増幅させる。これが私には「シャンソン・フランセーズ」の真髄であると確信させるもので、かなりヴィンテージなシンセポップ風なサウンド環境にあっても、非常に”バルバラ的”シャンソンを感じさせてくれる。本日(2024年1月8日)のラジオで、ザオが1ヶ月後に発表セレモニーがある2024年度ヴィクトワール賞で4部門でノミネートされていると聞いた。大物になると予言しておく。<br /><br /><b><span style="font-size: large;">6. 『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/07/blog-post.html" target="_blank">追悼ジェーン・バーキン/モワ・ノン・プリュ</a>』</span></b>(2023年7月20日掲載)<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: right;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj5oWkq8Ht4CYZZhPiS8acFcinz4hyphenhyphen36DkuuApYej_oT9tOcPzeWuFhRvqP029Qws-8fRrrSZQWaL4mZ7vGI7AvFcCU3UYsgNrXsJhCQPe4XZ8e2DB0z_5z1m_qGz402A4CRxQ2Yaz8-SEQXcWeF5qdr043uTNDjknX_ejvNURXIX54qK5-d5LvfWWfqM_y/s246/jjetaime.png" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="240" data-original-width="246" height="174" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj5oWkq8Ht4CYZZhPiS8acFcinz4hyphenhyphen36DkuuApYej_oT9tOcPzeWuFhRvqP029Qws-8fRrrSZQWaL4mZ7vGI7AvFcCU3UYsgNrXsJhCQPe4XZ8e2DB0z_5z1m_qGz402A4CRxQ2Yaz8-SEQXcWeF5qdr043uTNDjknX_ejvNURXIX54qK5-d5LvfWWfqM_y/w179-h174/jjetaime.png" width="179" /></a></div></div>ジェーン・バーキン追悼の3連続過去記事再掲の3番目で、ラティーナ 2019年4月号に書いた『「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」の50年』の再録。この歌をジェーン・バーキンの”代表曲”と言わせないこと、私はこれがジェーンのポスト・ゲンズブール期の戦いだったと思うのだ。その地球規模のヒットとスキャンダルは一体何だったのか?50年経っても色あせないのは策士ゲンズブールの天才であり、世界を変えてしまった1曲と言ってもいいのだが、ジェーン・バーキンは長い時間かけてそれから脱皮していった。記事がそのニュアンスで書かれていないのは心残りである。書き直す必要があると、今、思っている。<br /><br /><b><span style="font-size: large;">7. 『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/09/blog-post_21.html" target="_blank">枯れ葉の秋(カウリスマキ)</a>』</span></b>(2023年9月21日掲載)<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhJUqQm6ob5JQmQfY-YdTDd2yVR4Dy4KrlQDqhwfVMnaE1nDHadYnYCMcuCGNNENHRPmkDDOdSxnuqMZITWyGSjdkD0X7UutPgcwu2xdNm-O7fR6bKh0oht_Pi4zR1BVJ4dMpleWgzAxb3DZAKoesW7W6mm4sX3IoXzMEEzPxIV7LdZzPC4UceznveVdVZX/s277/1770745.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="277" data-original-width="204" height="236" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhJUqQm6ob5JQmQfY-YdTDd2yVR4Dy4KrlQDqhwfVMnaE1nDHadYnYCMcuCGNNENHRPmkDDOdSxnuqMZITWyGSjdkD0X7UutPgcwu2xdNm-O7fR6bKh0oht_Pi4zR1BVJ4dMpleWgzAxb3DZAKoesW7W6mm4sX3IoXzMEEzPxIV7LdZzPC4UceznveVdVZX/w173-h236/1770745.jpg" width="173" /></a></div>アキ・カウリスマキのプロレタリア・ロマンス映画『<a href="https://kareha-movie.com/" target="_blank">枯れ葉</a>』は、2023年のカンヌ映画祭で審査員賞を取り、フランスでは9月に公開されたが、3ヶ月後の12月に日本でも公開され好調のようである。爺ブログの紹介記事も(ヴェンダース『パーフェクト・デイズ』同様に)日本公開が始まってから急激にビュー数が伸びた。(↓8位)のフランソワ・オゾン『Mon Crime』も11月の日本公開以来急激にビジターが増えた。爺ブログは日本の映画紹介記事とは趣向が違うので、読んで参考にしてくれるのはとてもうれしいが、フィードバックが皆無なのは寂しい。同じ映画で語り合えるようなきっかけになってほしい。映画公開の距離感はだいぶ少なくなっているような気がするのだが、どうかな?カウリスマキ、ヴェンダース、オゾンは日本人好きのする映画作家だということだけかな?<br /><br /><b><span style="font-size: large;">8. 『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/03/blog-post_13.html" target="_blank">名声と金と女性の権利をわれらに</a>』</span></b>(2023年3月13日掲載)<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiDyvFYYWtxwJWZm3BHCs96APH3q2D0BIVrTdHzH6rcvOBwmQyLS9ET3E0Vh-qcAUtGS-iT717ufMfMiS-TbXolzOf8ppeR-W-cmKT20e9-Kxe_TXmwJuYQSX8FqdKFYhOQEAOUfiqwD5EXpT0ZyuGCGFwrWSVBS1wFDhT5vCiQbTgt578BwY0EPOUclogn/s320/3810364.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="320" data-original-width="236" height="229" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiDyvFYYWtxwJWZm3BHCs96APH3q2D0BIVrTdHzH6rcvOBwmQyLS9ET3E0Vh-qcAUtGS-iT717ufMfMiS-TbXolzOf8ppeR-W-cmKT20e9-Kxe_TXmwJuYQSX8FqdKFYhOQEAOUfiqwD5EXpT0ZyuGCGFwrWSVBS1wFDhT5vCiQbTgt578BwY0EPOUclogn/w169-h229/3810364.jpg" width="169" /></a></div>日本上映題『<a href="https://gaga.ne.jp/my-crime/" target="_blank">私がやりました</a>』、フランソワ・オゾンの”テアトル・ド・ブールヴァール(大通り演劇)"映画『Mon Crime』は、大通り演劇の醍醐味たるセリフ回し/ダイアローグの名人芸が全編で小気味よく展開される快作。これは「字幕」ではわからないのではないかなぁ?と思いながら書いた記事。フランス公開3月、日本公開11月、これも11月に急激にビュー数が伸びたけど、私の言いたいことは日本の画面で納得していただけただろうか?1930年代という男性原理社会的環境に、#MeToo世代的なニュアンスで起用されたであろう二人の主演女優(ナディア・テレスキエヴィッツとレベッカ・マルデール)の画面上のはばかり方、これがこの映画を今日的にシンクロさせる。こういううまさはオゾンならではか。多作家オゾンを見逃せない理由はいろいろある。<br /><br /><b><span style="font-size: large;">9. 『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2022/12/blog-post.html" target="_blank">ライフ・オブ・ブライアン</a>』</span></b>(2022年12月20日掲載)<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi0Q368dtezjTcukYc1oiQmgdMtFZ7yYobqFTtGsCuMPr8iXlbusGtVZ6ydpQGtKRNCrAPS2rtSYuugZ7l44xbppUm-eGl1T0Aj1Mr2Sun-UOd2gziclN3Ue-Htmcm0ii0NoSNYTXlk4tP4SwFDQBKE9LNaE_QScdcjK8qJ7PzL5Wur8FN7J_RTa7IrGhY4/s320/9782246822677-001-T.jpeg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="320" data-original-width="203" height="254" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi0Q368dtezjTcukYc1oiQmgdMtFZ7yYobqFTtGsCuMPr8iXlbusGtVZ6ydpQGtKRNCrAPS2rtSYuugZ7l44xbppUm-eGl1T0Aj1Mr2Sun-UOd2gziclN3Ue-Htmcm0ii0NoSNYTXlk4tP4SwFDQBKE9LNaE_QScdcjK8qJ7PzL5Wur8FN7J_RTa7IrGhY4/w161-h254/9782246822677-001-T.jpeg" width="161" /></a></div>今回のレトロスペクティヴで唯一ランキングされた文学紹介記事。2023年もたくさん優れた文学作品を紹介してきたつもりだが、ビュー数はすべて低調だった。同志たち、もっと本を読んでください。さてこれは2022年のルノードー賞受賞作品、シモン・リベラティ作『パフォーマンス』である。71歳の文無しダンディー作家のところに飛び込んできた大手ストリーミング配給会社のシナリオ仕事、初期ローリング・ストーンズの盟友共同体(ブライアン・ジョーンズ、ミック・ジャガー、キース・リチャード、マリアンヌ・フェイスフル、アニタ・パレンバーグ)の崩壊、より具体的にはブライアンとマリアンヌの脱落、もっと端的にはブライアンの死、というストーリーでの連続ドラマ化。小説はクセの強い老作家のヴィジョンと制作会社側の葛藤を通じて、往時のストーンズの真実に迫る構成。読ませる小説なのだが、発表から1年半経つ今も日本語化の兆しはない。<br /><br /><b><span style="font-size: large;">10. 『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2023/05/blog-post.html" target="_blank">映画と訣別したアデル・エネルは闘士になった</a>』</span></b>(2023年5月16日掲載)<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgrIqSfmwK8A9Tm5E5DT2ws2k5c4b1SZ1-xDJJ0jZ3NQAGjf0FEeEQaHL7Bnh4A5ZqnmWcxFjxdLW8NmDOZAHQzCCmMap-1MCM8iO21R-LvQc_E5BMOV3bJNgYqqs9TgboQ9BHcFFMcqe0SppTkC732UPwds-uSX_fC0HGCQ56JTW7nzC5fQ3Kj97WWBTTa/s173/ETJIAB7265CPRJ6O4RQZZGK5QI.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="167" data-original-width="173" height="167" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgrIqSfmwK8A9Tm5E5DT2ws2k5c4b1SZ1-xDJJ0jZ3NQAGjf0FEeEQaHL7Bnh4A5ZqnmWcxFjxdLW8NmDOZAHQzCCmMap-1MCM8iO21R-LvQc_E5BMOV3bJNgYqqs9TgboQ9BHcFFMcqe0SppTkC732UPwds-uSX_fC0HGCQ56JTW7nzC5fQ3Kj97WWBTTa/s1600/ETJIAB7265CPRJ6O4RQZZGK5QI.jpg" width="173" /></a></div>とても長い記事。2020年2月セザール賞セレモニーでロマン・ポランスキーの受賞に抗議して激昂の退場をして以来、映画界から姿を消してしまった女優アデル・エネルのその後を、2023年5月10日号が追跡調査、演劇界で女優を続ける一方、左翼系フェミニスト運動の闘士として行動している。テレラマ同号はエネルが同誌に宛てた書簡(ほぼアジテーション文)を紹介している。その一部を翻訳して紹介した私の記事に加えて、エネルが映画と訣別したかのセザール賞セレモニーのことを書いた過去記事(ラティーナ 2020年4月号掲載)『2020年セザール映画賞に何が起こったか』を再録している。これでアデル・エネルの全貌を知ってもらおうとしたのだが、硬派の記事内容にかかわらず、250に迫るビュー数があった。同志たちの関心の深さに、ブログ続けてきてよかったな、と思う瞬間でもあった。Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-34072123156403568572023-12-30T14:55:00.001+01:002024-01-02T17:20:41.098+01:00ちびのフランチェーゼと呼ばれた天才彫刻家の愛と死とイタリア<div><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj7a-j8og03dzt89_BpVkRx31cI2tgX_IvcXl_KzljfOVlS2wuTO5-xLzWm_-76OdbvT11kxXyZAzhMudWo_ci9qWvHX89hjzoZtvQ9W25YRJhZSwIEWt2HMfBcuRwhv0maIyA2luJGTMUk7khHOcoOMEysdG6c6Z9kdRYnFjQp3kzlgNkg8ndwG8F8luar/s827/11_9782378803759_1_75.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="827" data-original-width="600" height="237" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj7a-j8og03dzt89_BpVkRx31cI2tgX_IvcXl_KzljfOVlS2wuTO5-xLzWm_-76OdbvT11kxXyZAzhMudWo_ci9qWvHX89hjzoZtvQ9W25YRJhZSwIEWt2HMfBcuRwhv0maIyA2luJGTMUk7khHOcoOMEysdG6c6Z9kdRYnFjQp3kzlgNkg8ndwG8F8luar/w172-h237/11_9782378803759_1_75.jpg" width="172" /></a></div><p><b><span style="font-size: x-large;"><span style="color: #800180;">Jean-Baptiste Andrea "Veiller sur elle"<br />ジャン=バティスト・アンドレア『彼女を見守る』</span><br /></span><span style="font-size: large;"><br />2023年ゴンクール賞</span><br /></b><br /><b><span style="font-size: x-large;">こ</span></b>れは大衆小説(roman populaire)である。2013年のゴンクール賞作品<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB" target="_blank">ピエール・ルメートル</a>の『<b><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%A7%E3%81%BE%E3%81%9F%E4%BC%9A%E3%81%8A%E3%81%86" target="_blank">天国でまた会おう</a></b>』(576ページ)と同じほど長く、同じほど波乱万丈の絵巻物的大作であり、同じほどの大ベストセラーになること間違いなしのエンタメ小説である。毎回これだと困るが、ゴンクール賞がたま〜にこのような作品にも与えられることはいいことだと思う。コレージュやリセの子たちに読む喜びを広げる意味でも。<br /> 作者<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Jean-Baptiste_Andrea" target="_blank">ジャン=バティスト・アンドレア</a>(当年52歳)は遅く文学に入った人で、これが4作目の小説だが、もともとは映画脚本家(および映画監督でもあった)であり、ストーリーテリングのプロであったから”新人”作家というわけではない。最初の映画監督作品が2003年の米仏合作ホラー映画"<a href="https://filmarks.com/movies/3190" target="_blank">DEAD END"(日本上映題『 - LESS レス</a>』)で、私は観ていないが、エンタメ畑の人というのは想像できよう。今回の小説は全編20世紀のイタリアが舞台であるが、アンドレア本人も母方がイタリア系で、昨今のインタビューではルーツとしてのイタリアをことさらに強調している。<br /> 小説は1986年、北イタリアピエモンテ州の象徴となっている標高962メートルの絶壁に立つ<a href="https://mirandalovestravelling.com/ja/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B1%E2%80%95%E3%83%AC%E4%BF%AE%E9%81%93%E9%99%A2" target="_blank">サクラ・ディ・サン・ミケーレ修道院</a>の中で82歳で息を引き取ろんとするひとりの男の死の間際の回想から始まる。この男は40年間この修道院で暮らしているが、ここで寝食を共にして暮らす32人の男たちの中で、ただ一人修道僧でも修道請願者でもない。言わば世俗の人間だが、32人の”兄弟”のひとりとして農作業や院内の修繕作業の奉仕をして清貧に生きてきた。1946年までこの男は名のある彫刻家だったのだが...。<br /> その男は1904年フランスで生まれた。父親も母親もイタリア系なのに、そこで生まれたというだけどこの男は”フランチェーゼ”とあだ名されるが、彼は一生このあだ名を嫌った。(俺の国はイタリアだ)。彼が最も嫌悪するもう一つのあだ名が”チビ”だった。「こびと症」で成人しても身長は140センチにとどまった。父親は腕のいい石彫り師で、アトリエを構え教会の石像や墓石など彫ることを生業としていた。母親はこの子がお腹の中にいた時に、父親に似て優秀な石彫り師になることを直観し、その子にミケランジェロ(!)という名前を与えた。<b>ミケランジェロ・ヴィタリアーニ</b>、それがこの小説の主人公の名前である。幼い頃から父親に付いて彫石の修行をしていた彼は、この彫刻の神のような大仰な名前を嫌い、”<b>ミモ</b>(Mimo)"と短縮形の愛称で呼ばせていた。1914年に始まった第一次大戦に父親は"フランス兵士"として動員され戦死する。収入源を失い、養うことができないと、母親は12歳のミモをイタリアの叔父のもとに送り、彫石の見習い工として自活して暮らせ、と。<br /> 国境を越えてやってきたのがピエモンテ地方<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90_(%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%AA%E7%9C%8C)" target="_blank">ピエトラ・ダルバ</a>(Pietra d'Alba)高地、そこに叔父ジオ・アルベルト(無能、粗暴、アル中)の彫石工房があり、ミモはきわめて冷遇された”奉公”を強いられるが、その彫刻の才能はめきめき伸びていく。このピエトラ・ダルバに君臨する北イタリア屈指の富豪(侯爵家)が中世ローマ時代から続く<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%8B%E5%AE%B6" target="_blank">オルシーニ家</a>で、豪奢な城館<a href="https://www.villaorsini.it/" target="_blank">ヴィラ・オルシーニ</a>を構えている。貧しい石工見習い職人のミモは、この豪華絢爛城館を装飾するフレスコ彫刻や石像の修復の仕事を請負いこの城に出入りすることになる。そしてこの侯爵家の末っ子で唯一の女児であるヴィオラと運命の出会いを果たす。<br /> その時二人とも12歳。誕生日が同じ(実は数日違う)とミモが無邪気に偽ると、ヴィオラは「私たちは宇宙で繋がっている双子(jumeaux cosmiques)」と宣言する。運命で繋がれた二人は、ユートピア的な共同の夢創造の時もあれば、誤解、別離、和解、すれ違いを繰り返しながら1946年まで二人のストーリーを続けることになる。貴族雲上人と極貧の石工、出会うはずのない別世界の二人だったが。ヴィオラは幼くしてその中世から続く侯爵家のカビ臭さに反抗を抱き、新しい世と科学の進歩を信じ、すべてを禁じられてきた「女」である私がそれを切り開く者と自負している。侯爵家にはイタリアの知の宝庫と言える蔵書の詰まった書庫があり、父親侯爵からその出入りを禁止(女に”知”は必要ない)されながらも、少女ヴィオラはかたっぱしからその書物の数々を読み漁る。そのIQと記憶力は書の内容が一旦脳にインプットされたら一字一句失われることはない。科学、医学、哲学、美学... その”知”の断片をヴィオラはミモに分け与えていき、ミモに書庫から”一時拝借”した本を読ませ、とりわけ”美”の歴史を啓蒙していく。のちの彫刻家ミケランジェロ・ヴィタリアーニの美の感性はこうして育まれていく。<br /> 貴公女ヴィオラと平民ミモは公に会うことなどかなわないが、密会の場所は深夜の墓地。この少女は墓石の上に横たわると死者の声と対話することができる。熊(オルシーニ家にまつわる伝説にも登場する”家獣”)に変身する(これはのちに真相が明かされて事実ではない)ことも熊と対話することもできる。そしてその並外れた知能は(500年前のレオナルド・ダ・ヴィンチの”ヘリコプター”の原理による)人力飛行を可能にする翼システムを開発しようと試みる。この飛行実験のためにプロジェクトリーダーのヴィオラの手足となって動く夢見る少年たちの一団(ミモ、石工見習い仲間のヴィットリオ、エマヌエーレ、エクトール)のパッセージが素晴らしい。ある種「魔改造の夜」にも似たエンジニア/実験班の涙の努力のストーリーなのだが、これだけでも古い(少年もの)イタリア映画の名場面を思わせる。<br /> 日中はおじアルベルトのパワハラでボロボロの徒弟暮らしだったミモは、ヴィオラに美と知の指南を受け彫刻家として開花していくのだが、一方ヴィオラは歳を重ねるにつれて”女ゆえに”その可能性がどんどん閉ざされていき、侯爵家のために結婚を余儀なくされ...。そしてイタリアはムッソリーニとファシストが天下をおさめてしまう...。<br /> オルシーニ侯爵家は老いていろいろ障害が出てきた侯爵と矍鑠とした侯爵夫人が存命であるが、 長男は第一次大戦で将校として命を落とした。これが一家で最も信望の厚かった人物であり、惜しむ声は長く続いた。次男ステファーノは家業である果樹農園を継ぐ者だったが、もっぱら地方のライヴァル関係にある<a href="https://www.youtube.com/watch?v=6efxAEjquJY" target="_blank">ガンバーレ</a>家との勢力争いおよび自らの政治権力欲に心を注ぎ、ファシストに近い立場も取った。ステファーノはミモの小さな体躯を侮蔑して「ガリバー」というあだ名で呼ぶ。<br /> 三男のフランチェスコは神学を学び聖職者となったが、ヴァチカンでパチェッリ枢機卿(のちの<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A6%E3%82%B912%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)" target="_blank">教皇ピオ12世</a>、小説ではこのパチェッリが彫刻家ミモの天才をいち早く発見したローマ教会高位者ということになっている)と非常に近い関係にあり、ファシズムとの関係も曖昧なものであったが、家族の中で最もヴィオラに理解を示す者でもあった。教会権威を擁護する擬似人徳者のようでもあり、オルシーニの家名を守るために権謀術数をめぐらす策士でもある。不透明な人間だが、ミモとオルシーニ家を強力につなぎ合わせる重要人物である。<br /> ヴィオラが16歳の時、その祝いにミモは秘密で叔父アルベルトから勝手に拝借した極上の大理石で"熊"(オルシーニ家の”家獣”であり、ヴィオラの変身伝説のオリジンでもある)を彫り、それがパチェッリ枢機卿の目に留まりそのおかげで、ミモはオルシーニ家主催のヴィオラ誕生宴に列席を許される。だがそれは家族が政略で仕組んだヴィオラの婚約披露の宴でもあった。大人しくその主賓席におさまっていたかに見えたヴィオラは途中で姿を消し、宴のフィナーレの花火に紛れて、ヴィラ・オルシーニ城館の最上の屋根から、あの人力飛行の翼をつけて飛び立ち、数秒もせずに地上に墜落する(幸い樹木の枝が緩衝となって命は取り留める)。<br /> そのヴィオラの生死の安否も知らぬうちに、ミモは叔父アルベルトの怒り(大理石を盗まれたことと枢機卿に才能を認められたことへの嫉妬)の仕打ちでフィレンツェの工房に身売りされる。このフィレンツェでミモは地獄(労働)と退廃(アルコール)を知ることになるのだが、そのフィレンツェの美にも心から魅せられるのだった。彫刻の聖人ミケランジェロゆかりの地でもあるし。<br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgQViHmCCjcVVqxypjcjp_2QynRTJm12s-MiCqmPtonuGTM-mZvbONt3Udr_zQTdvpYntdCq4spI4YtTOPfIQjoUpywZ1_hCeay4LmajdckQXrgLtZYJhtaUkOJwIl9BfiGCP8_WMGTKtaXT7J7N2LQi0jxSx_52l-ZDxRb3haB_Jhfz5lrdttZwMdYjrJJ/s800/Michelangelo's_Pieta%CC%80,_St_Peter's_Basilica_(1498%E2%80%9399).jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="662" data-original-width="800" height="168" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgQViHmCCjcVVqxypjcjp_2QynRTJm12s-MiCqmPtonuGTM-mZvbONt3Udr_zQTdvpYntdCq4spI4YtTOPfIQjoUpywZ1_hCeay4LmajdckQXrgLtZYJhtaUkOJwIl9BfiGCP8_WMGTKtaXT7J7N2LQi0jxSx_52l-ZDxRb3haB_Jhfz5lrdttZwMdYjrJJ/w204-h168/Michelangelo's_Pieta%CC%80,_St_Peter's_Basilica_(1498%E2%80%9399).jpg" width="204" /></a></div> 小説はその<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%82%BF_(%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD)">ミケランジェロのピエタ像</a>を最重要のリファレンスとしている。ピエタ(磔刑に処されたイエスを抱く聖母マリア)の彫像をミケランジェロは<a href="https://muterium.com/magazine/stories/pieta_4works/" target="_blank">4体</a>作ったとされ、そのひとつはフィレンツェのドゥォーモにある。しかし美術史上で彫刻の最高傑作のひとつとされるピエタはバティカンのサン・ピエトロ大聖堂にある通称「サン・ピエトロのピエタ」(写真→)である。このピエタにまつわる現実に起きた事件として、1972年、ハンガリー生れのオーストラリア人<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Laszlo_Toth" target="_blank">ラスロ・トート</a>が「私は死界から蘇ったイエス・キリストである」と叫びながらハンマーでピエタ像を損壊させた、というものがある(精神異常者による凶行と見做された)。しかしジャン=バティスト・アンドレアの小説は異説を唱え、ラスロ・トートが破壊しようとしていたのは、別のピエタだった、というのである。そのピエタとは....ミケランジェロ・ブオナローティ(1475 - 1564)ではなく、ミケランジェロ・ヴィタリアーニ(1904 - 1986、すなわちミモ)が1946年に彫ったピエタである、と。<br /> ヴィタリアーニ作のピエタは一般人からは忘れ去られたが、美術史研究者の間ではさまざまな伝説が立ち、今なお謎に包まれた部分が多い。完成されたヴィタリアーニのピエタ像はかのミケランジェロの傑作に匹敵するとの噂が立ち、フィレンツェで縁のあったヴィンチェンゾ神父の教区の教会に設置されたが、すでに高名な彫刻家となっていたヴィタリアーニの大作を一目見ようと集まってきた人々がそれを見るや発熱、頭痛、目眩などの異常反応を次々に起こし、それがまた噂となり多くの見物者を呼ぶことになる。しかし教会への抗議も殺到し、ヴァチカン教皇庁も本格的な調査をはじめ、教皇庁の高位の祓魔師(エクソシスト)まで派遣するが、原因はわからない。あげくの果てヴァチカンはこのピエタ像の公開を禁止し、かのサクラ・ディ・サン・ミケーレ修道院(すなわちこの小説冒頭の場所)の地下倉に光の当たらない状態で保管することにしたのである。<br /> ミモ・ヴィタリアーニはこの時からすべてを捨ててこの修道院で残りの人生を過ごすことにした。ここで、この小説のタイトルであるが、"<b>Veiller sur elle</b>" ー「彼女を見守る」と直訳したが、veiller は見守る、見張る、監視する、(寝ずの)番をする、といった意味。elle は三人称女性代名詞で「彼女」(人間としての彼女ということであればそれはすなわちヴィオラということになる)としてもいいのであるが、このコンテクストに近いのは la statue(像という意味の女性名詞)の代名詞としてのelle、すなわちピエタ像を意味すると考えるのが自然である。つまり、"Veiller sur elle"とは自ら作ったピエタ像の番人となってこの修道院で一生を終える、ということになる。おわかりかな、お立ち会い?<br /><br /> さて話は前後するが(この小説の構成も時間軸はかなり前後する)、空から墜ちたヴィオラは相手方から狂女と見做され婚約を破棄される。肉体的拷問療法で”精神の病”が治ると信じられていた時代だった。ヴィオラも宗教施設や隔離療養所に送り込まれる危険をなんとか免れていたが、オルシーニ家は彼女に”普通の女の道”を強要する。強いられた結婚相手リナルドはミラノの弁護士で急伸長中の映画産業で財を成していく、言わば都会の新時代の人間であったが、口は立つが知能知識でヴィオラに勝てないと知るや妻に暴力を振るい、外部では女たらしの男だった。オルシーニ家の権威と繁栄を第一に考える家族はそういうリナルドに寛容であったが、ある日この婿殿が度を過ぎた失態をおかす。浮気相手に暴力を振るい負傷させてしまった。家名が傷つくことを避けるために、聖職者にして策士の三男坊フランチェスコはミモを呼びつけ、事件の夜リナルドはミモと一緒にいたという偽アリバイ供述を強要する。これによってミモはオルシーニ家の家族の一員に匹敵する地位を得ることになる。<br /> ミモはその時もはや平民石工ではない。バティカンのパチェッリ枢機卿のお墨付きもあり、その彫刻の才能は広くイタリア中に知られるところとなり、殺到する注文を断ることによってその値段は吊り上がり、ローマとピエトラ・ダルバに工房を持って数人の助手を従え、運転手付き高級自動車で全国を移動する”大先生”なのだ。オルシーニ家はその駆け出し期からのミモのメセーヌ(メセナ、パトロン、保護者)という立場である。<br /> このミモの成功は、かの狂気の墜落事故以来ヴィラに囚われの身となって、結婚しても在宅夫人でいるしかないヴィオラとの関係を複雑なものにする。少年少女の日々、自由で創造力に溢れていたヴィオラに憧れ、その自由と創造を共にすることで芸術家に羽ばたいていくことができたミモは、囚われのヴィオラをどうすることもできない。ファシストに近づくことに頓着しないミモをヴィオラは非難する。しかし今やオルシーニ家の家族に等しい地位を与えられたミモは、オルシーニ家風の(上級階級)処世術に流されていく....。売れっ子彫刻家への注文はバティカンだけでなく、ムッソリーニその人からも来てしまう(注文は断れないが、結局彫刻は作っていない)。勢いは止まらず、ファシスト政権からの後押しで、ミケランジェロ・ヴィタリオーニは、40歳の若さでイタリア芸術アカデミーの会員という最高の栄誉を得ることになる。ところが、若い頃からヴィオラに啓蒙されてきたミモの批判精神はここで爆発し、アカデミー新会員就任セレモニーのスピーチの最後に、政府要人を含むギャラリーの前で、授与された会員章金メダルを「あんたのケツの穴に詰め込んでやる」と叫び、「殺人者たちの政府のために働くなんて金輪際ごめんだ!」と結び、即座に逮捕投獄された。<br /> ヴィオラ以外、オルシーニ家はこのミモの反ファシスト反逆劇については寝耳に水であり、ミモのメセナ(パトロン)として(半ファシストだった)ステファーノも投獄されることになるが、結果的にこれはファシスト政権崩壊後にステファーノが解放されピエトラ・ダルバに帰ってきた時に、なんと「反ファシスト運動の英雄」として町民たちが歓呼で迎えることになるのである。笑っちゃいますね。<br /><br /> 小説終盤のラストスパートはすごい。ほぼ花火大会の最後の尺玉連続乱れ打ち状態である。ページ数にして530ページ以降。ミラノ駅前広場でムッソリーニが公開処刑に処され、第二次大戦が終わり、イタリアは新しい民主主義の時代を迎えようとしていた。普通選挙が行われる。しかも婦人参政権と被選挙権も認められた上で。それまであまりにも長い間ヴィラ・オルシーニ城館の囚われびとだったヴィオラは、新しい時代に乗じて自ら開花する時が来たと悟った。博識にして科学的分析に長け、先見の明もあるこの行動的知識人は、新しい時代の女性の旗手として、政界に乗り出す決意をした。悪夫リナルドとの離縁にようやく成功し(兄聖職者フランチェスコの方便によると、離婚を認めないローマカトリックにあっても、「結婚取り消し」というやり方はあるのだそうだ!)、リナルドと同じほどマッチョで卑劣な兄たちにもめげず、強権政治崩壊後の混沌としたイタリアという荒海に船出するのである。政治に興味がないと言いながらもミモはこのヴィオラの新しい冒険を全面的にバックアップし、選挙区内の村々/町々をミモの車で巡回し個別訪問でヴィオラの政策を説いてまわる。ヴィオラの言葉には説得力があり、最初戸口であからさまに拒絶的態度をとっていた村民も、数十分後にはもっと話を聞きたいと引き留めにかかるほどだった。なぜヴィオラの言葉には人を引きつけるものがあるのか。それをヴィオラはミモに”風の名前”の例をとって説明する。<br /></div><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto"><div dir="auto" style="text-align: start;"></div><blockquote><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">「この地方には5種類の風が吹いているの。トラモンタン、シロッコ、リベッチオ、ポナン、ミストラル。私は”風が吹く”と言うときに間違いばかりしていたのよ」とヴィオラは私の肩をひと突きして激しい口調で言った。</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;"><span></span>「ねえミモ、それぞれの言葉には意味があるのよ。言葉で名付けること、それは理解することよ。”風が吹いている”というのは何も意味しないの。それは生き物を死なせる風なの?種を撒く風なの?苗木を凍らせてしまう風なの?それとも温める風? 私の言葉に何の意味もなければ、私はどんなたぐいの議員になれるの? 他の議員たちと何も変わらないわ。」<br />(p531-532)</span></div></blockquote><div dir="auto" style="text-align: start;"><br />そしてこの選挙区には対立候補がいた。何世紀にもわたってオルシーニ家と対立関係にあるガンバーレ家の息子オラーシオである。土地の権力者であるから、悠々当選するとたかを括っていたが、ヴィオラは草の根作戦でその支持をどんどん獲得していき、オラーシオは劣勢に回った。両候補の最大の争点は建設予定の高速道路であり、高速道路こそ進歩であり繁栄をもたらす未来であると主張するオラーシオに対して、地方を分断し弊害ばかり撒き散らし地場産業を衰退させると建設に反対するヴィオラ(未来のエコロジストの先駆のようだ)。ところが政治の”闇”は真っ黒な策謀でヴィオラに立ちはだかる。高速道路利権に絡む大きな勢力からガンバーレ家に圧力がかかり、優勢なヴィオラの立候補を辞退させ、なんとしてでも建設賛成派オラーシオを当選させよ、と。ガンバーレ家は何世紀も続いてきたオルシーニ家との抗争を終わらせ和解し(長年水不足に悩むオルシーニ家の果樹園への水源水路を無償で譲渡する→作物生産量が6割増える!)、その見返りにヴィオラの立候補を取り下げよ、と。この提案を呑まぬ場合は、かの闇勢力は候補者の暗殺も辞さぬ、と。ステファーノとフランチェスコはオルシーニ家に利益しかもたらさないこの提案を快諾したいのだが、ヴィオラは全くその気がない。そこでフランチェスコはミモにヴィオラを説得するよう依頼する....。<br /> 少年少女の時からミモにとって知能と感性の”師”だったヴィオラ、彼女によってその美学を開眼されたミモ、一緒に冒険をし、そのヴィオラの過度の無鉄砲を”理性”で引き留めたミモ、誤解と裏切りと和解を繰り返し、出会うはずのなかった侯爵跡取り娘と石工の息子はその30年間の夢のような関係を今、精算する。世に知れた天才彫刻家になってしまったミモ、新しいイタリアの創生に(”女ゆえに”できなかったことすべてのことを乗り越えて)その全知全能を開花させようとしているヴィオラ。”理性”の声としてミモはそれを(ヴィオラの命に関わることゆえ)止めようとし、ヴィオラはそれを拒絶する。最初からわかっていたこと。556ページから560ページまで、二人の最後の会話はこの小説で最もエモーショナルなパッセージである。<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;"> Adieu, Viola.<br /> So long, Francese.</span></blockquote>「私に何かあった時にだけ、封を開けて読んで」と手渡された手紙。その約束をミモは破る。今生の別れと知って"Adieu"を告げ、ピエトラ・ダルバのヴィラ・オルシーニ城館を出て行ったミモは、どこでもいいから遠いところへと運転手に命じ、車(<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Fiat_2800" target="_blank">FIAT2800</a>)は北に向かってひた走る。その車の中で、何度も手紙に手を触れては押し留めていたが、根負けしてミモは手紙を開く:<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">私の大切なミモ、約束したにもかかわらずあなたが長い時間辛抱できずにこの手紙を読むだろうということは知っていたわ。私はただそれを知っていたということを言いたかったの。あなたが私を欺くとき、あのときフィレンツェでアメリカ行きを中止させ、今夜私の部屋で出馬を辞退せよと頼み、そして今こうして手紙を開いて読み、あなたが私を欺くときはいつも愛情でそうしたのだということをわかっている。あなたを決して恨んだことなどない。あなたの大切な友、ヴィオラ(p561)</span></blockquote>これを読んでミモはFIAT2800の後部座席でたかだかと哄笑するのだった。ここがこの小説を読み解くための最重要の鍵。ヴィオラはミモが三度ヴィオラを欺くことを知っていてそれを許した。おわかりかな?イエス・キリストは<a href="https://www.koganei-catholic-church.com/wakachiai-210630/" target="_blank">使徒ペテロが三度欺く</a>(否定する)ことを知っていた(!!!) ー 小説のディメンションはここで大きく変わってしまうのですよ。</div><div dir="auto" style="text-align: start;"><br /> 北へ進む車に激しい雨嵐が吹き付け、<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%B4%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%A2" target="_blank">ポンティンヴレーア</a>の峠のあたりで旅籠屋の灯を見つけ避難し、ミモと運転手はビールで疲れを癒し、そのまま深夜になり、一晩泊まることにする。時計は真夜中を過ぎ、1946年6月1日、旅籠屋の部屋でいくつもの悪夢のあと寝静まったミモは突然ベッドから投げ出され、顔を床に叩きつけられ目がさめる。真っ暗で空気が押し詰められたように厚い。窓を開けて外気を入れなければと窓を探すが、窓がないばかりではなく壁もなく屋根もない。周りには漆黒の厚い闇が広がっていた...。</div><div dir="auto" style="text-align: start;"> 1946年6月1日、午前3時42分、北イタリア、ピエトラ・ダルバ地方一帯に「<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%AA%E9%9C%87%E5%BA%A6%E9%9A%8E%E7%B4%9A" target="_blank">メルカリ震度階級</a>」の度数<b>11</b>の極度大地震が発生する。世界有数の地震国イタリアの火山学者<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%AA" target="_blank">ジュゼッペ・メルカリ</a>の考案した震度階級は12段階あり、その最強度12に次ぐ震度11は「<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%AA%E9%9C%87%E5%BA%A6%E9%9A%8E%E7%B4%9A" target="_blank">頑丈な建造物が全壊し、橋が崩落する</a>」と説明されている。小説原文のフランス語では最高震度12を"Cataclysmique(カタクリスミック = 天変地異的)"と形容表現していて、それに次ぐ震度11は"<b>Catastrophique(カタストロフィック</b>=破局的)となっている。おわかりかな?1946年6月1日ピエトラ・ダルバ大震災は、劇的/文学的にもこの小説の大カタストロフなのですよ、お立ち会い。<br /> ミモはその朝運転手にピエトラ・ダルバに全速力で引き返すことを命ずるが、道はズタズタに遮断され、FIAT2800はピエトラ・ダルバの10キロ手前で前に進めず、ミモは徒歩で川の浅瀬に沿って進まなければならなかった。壊滅したピエトラ・ダルバの町に着いたのは日没どきで何もできず、救助隊が到着して倒壊したヴィラ・オルシーニ城館の最上階部分からヴィオラの遺体を発見したのは、翌日の昼前のことだった。<br /> ヴィオラの遺体はほぼ裸の状態だった。少女の頃から痩せた長身で胸はなく、骨格が浮き出てかの空からの墜落事故で傷ついた痕跡(縫合痕)もいくつか残っていた。「前髪がその眠る顔にかかっていたのを私は指で払ってやった。壊れてしまった私のヴィオラ(Ma Viola cassée)」(p569)。この壊れてしまったヴィオラの姿のすべてを脳裏に刻んで....。<br /><br /> 小説原文はこんなに順序立てて書かれてはいないので。だがこのカタストロフの後にやってくるのは、彫刻家ミケランジェロ・ヴィタリアーニ最後の大作である世に言われる「ピエタ・オルシーニ」の制作だった。ムッソリーニ直々の注文だった彫刻「新人間」像のために取っておいた極上の大理石を隠匿しておいたフィレンツェの工房に戻り、その石でミモは1年間休みなしでピエタ像を彫り続けた。磔刑に処されたイエス・キリストを抱き抱える聖母マリア。われわれはこのピエタというテーマでは、聖母マリアばかりを見てしまうのだよ。聖母マリアの悲しみを想うばかりなのだよ。ところがミモはそうは彫らなかった。ヴィオラを失ったミモの悲しみは聖母マリアの姿に表現されるのではないか、とも想像するムキもあるかもしれない。ところがミモはそうは彫らなかった。磔刑に処されて死せるイエス・キリストの姿、それがヴィオラの姿だったのだ。<br /><br /> 完成し、公の場で公開されたミケランジェロ・ヴィタリアーニのピエタ像を見た人々に起こった説明不可能の発熱、不快感、嘔吐感...。人々はヴィオラのストーリーなど知る由もない。ましてやイエス・キリストのモデルとなったことなど...。(↑)上述の自称イエス・キリストの生まれ変わりラスロ・トートは、その強い霊感ゆえにこのピエタ像が冒涜として許せなかったのだろうが、標的を間違えミケランジェロ・ブオナローティのピエタ像を破壊したというのがこの小説の仮定。たとえそのイエスが女だったと知らずとも、その彫刻が発する不可視のヴァイブレーションはある種の人間たちの感受性に変調をもたらすものだったかもしれない。この小説とは直接の関係はないが、私は「キリスト女性説」にはやや心惹かれるところがある。<br /><br /> 600ページの名調子大河小説は、おおいなる芸術賛美、女性賛美、イタリア賛美の巨編である。芸術と女性とイタリアを称えること、これを500年前の人々はルネッサンスと呼んだのだ。大風呂敷ながら、そういうことを納得させられる濃い読み物であり、作家の出自を引き合いに出さずとも、必ずや映画化され、その映像でも多くのファンをつかむであろうことは容易に想像できる。エンターテインメントものがゴンクール賞を取ったと言っても、このように知的刺激にあふれるものであれば文句はない。とくに若い人たちに読んでほしい。<br /><br /><b>Jean-Baptiste Andrea "Veiller sur elle"<br />L'Iconoclaste刊 2023年8月 590ページ 22.50ユーロ</b><br /><br /><b><span style="color: #660000; font-size: large;">カストール爺の採点:★★★★☆</span><br /></b><br />(↓)出版社イコノクラスト制作の著者自身による<b>"Veiller sur elle"</b>紹介動画<br /><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/c3nc1NAB8tY" width="537" youtube-src-id="c3nc1NAB8tY"></iframe></span></div></span><div style="text-align: left;"><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div></span></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-65393760925556425492023-12-10T17:35:00.001+01:002023-12-12T22:03:34.089+01:00Do they know it's Christmas time at all ?<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiTKcOpwptwqL9rLGhEXWoWrbBtdjGBgQplBGDRmfqHRX5FtMP4nyv7GvCecYH5beIfHLrezFVU5oG6Qsj_xz684CI9RjI7ykvNsuYy5jaHstp-VvRCYfYKm74GH98c31Gbb1c4DMd0AVHwCCYC_aJdYgw-MZhG468pqlc5WqXSB85nR_LA647AWPIApf2V/s1080/4210280.webp" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="810" height="253" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiTKcOpwptwqL9rLGhEXWoWrbBtdjGBgQplBGDRmfqHRX5FtMP4nyv7GvCecYH5beIfHLrezFVU5oG6Qsj_xz684CI9RjI7ykvNsuYy5jaHstp-VvRCYfYKm74GH98c31Gbb1c4DMd0AVHwCCYC_aJdYgw-MZhG468pqlc5WqXSB85nR_LA647AWPIApf2V/w189-h253/4210280.webp" width="189" /></a></div><div style="text-align: left;"><b><span style="font-size: x-large;"><span style="color: #800180;">"Bâtiment 5"<br /></span></span></b><b><span style="font-size: x-large;"><span style="color: #800180;">『5号棟』</span></span></b></div><p><b><span style="font-size: large;">2023年フランス映画<br />監督:ラジ・リ<br />主演:アンタ・ジャウ、アレクシ・マネンティ、アリストット・リュインデュラ<br />フランス公開:2023年12月6日</span></b></p><p></p><div style="text-align: left;"><span style="font-size: x-large;"><b>カ</b></span>ンヌ映画祭審査員賞+セザール賞最優秀映画賞(+3部門)+観客200万人の映画『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2019/11/blog-post.html" target="_blank">レ・ミゼラブル</a>』(2019年)の4年後、ラジ・リ監督の2作めの長編映画。4年前爺ブログは『レ・ミゼラブル』の絶賛評の最後に「<span style="font-size: small;"><span><span style="font-weight: normal;">一言だけ苦言を言えば、女性たちの出る幕がほとんどない映画。郊外で女性たちが出る幕がないということはありえないはず。」と書いた。それに応えてくれたのか、ラジ・リ新作の主人公は女性である。これが素晴らしい女性ではあるのだが...。<br /> 舞台は町名は出てこないがパリ郊外93(セーヌ・サン=ドニ)県のとある町である。シテと呼ばれる林立する高層社会住宅の地区があり、一方で瀟洒な一戸建て住宅の立ち並ぶ地区もある。映画は老朽化した高層社会住宅のひとつを<a href="https://www.youtube.com/watch?v=-Pzl1cojTN8" target="_blank">爆薬によって倒壊させる</a>セレモニーから始まる。数百人の元住民たちの数十年の歴史の舞台となった建物の最後は、町のお偉方たちがお立ち台に並び、見物聴衆たちのカウントダウンの声が「ゼロ!」になるや爆破スイッチが押され、大歓声と大轟音のうちに...。ところが、爆破工事請負会社の計算違いか、爆破の破壊力は予想をはるかに超える大きさで、爆風がセレモニー場所まで吹き荒れ、市長を直撃し、そのショックで市長は死んでしまう。<br /> "栄光の30年(Trente Glorieuse)"と呼ばれた第二次大戦後の高度成長期に外国や海外県から迎え入れた夥しい数の労働者たちを住まわせるための低家賃(高層)社会住宅は、大都市近郊周辺からそのドーナツ円周を拡大させ、遠距離に広がっていった。老朽化すれば壊し、新しい建物と地区が同じ場所にできるが、家賃は上がり、元住民はそれより安い遠い周辺に追いやられる。大都市とその周辺の都市計画はこのように低所得者を周辺にさらに周辺にと追いやるかたちで進行してきた。それには当然建設会社や不動産会社の利権が絡み、地方政治的には所得の安定した住民を増やし貧乏人を駆逐することで税収や治安の安定をはかるという意図もある。成長期が終わり、大失業時代がやってきて、貧富の差はいよいよ拡大していくが、この都市計画は止まらない。老朽化した社会住宅は、破壊→建て替え→新地区への移行を早期に実行したいため、公団による修理修繕も手薄になりただ腐敗するのを待っている。そういう郊外の高層住宅が貧困者のゲットーとなったり、地下経済/並行経済および麻薬や銃器売買のアジトとなったり、十全主義的宗教セクト思想の温床となったり、といったネガティヴなイメージで塗り固められていく。前作『レ・ミゼラブル』と同様、この映画もそういう現場を背景にした作品である。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhZnXUbtjHS60IXIcs020kPyTI9kj57Js3L_eFkqdnPhjku0B3wWIHj5Bbagfc9OOkir44MHgKhyn3zfjwvx66xdKzQFRp85w85tryXsGY82SPZKwjJlMPj-sYAJPI2ds03nTsB3dEmfNV93AjnUWiXIfxxh-9XFB2GQLrrgvlVaKvZrWGSOWO6PPO43QBZ/s1600/3394072.webp" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="900" data-original-width="1600" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhZnXUbtjHS60IXIcs020kPyTI9kj57Js3L_eFkqdnPhjku0B3wWIHj5Bbagfc9OOkir44MHgKhyn3zfjwvx66xdKzQFRp85w85tryXsGY82SPZKwjJlMPj-sYAJPI2ds03nTsB3dEmfNV93AjnUWiXIfxxh-9XFB2GQLrrgvlVaKvZrWGSOWO6PPO43QBZ/s320/3394072.webp" width="320" /></a></div> 死んだ市長は、腐敗した高層社会住宅をひとつひとつ爆破して、そのあとに小綺麗なニュータウンを、という都市計画の推進者であり、所属する中央の党(名指されていないが保守系)もゼネコン/不動産筋からの黒い金の恩恵があるので、是が非でもこの路線は続けてもらわなければ困る(これを市幹部に厳命するのが、同党の地方選出国会議員役のジャンヌ・バリバール)。次回選挙までの(市執行部によって選出され)代理市長となったのが、死んだ市長の補佐役のひとりで町の開業小児科医であるピエール・フォルジュ(演アレクシ・マネンティ、前作『レ・ミゼラブル』に続いての怪演)。あからさまな政治的野心があり、これを足掛かりに中央政界さらにその上までを視野に入れている。かなり戯画的なポリティック・アニマル。この男が登場したとたん、映画全体がいっぺんに政治劇になってしまう。<br /> 仮市長フォルジェは権力を掌握するや、町の諸悪の温床はすべてかの老朽化した低家賃公団高層住宅地区にあり、それをできるだけ近い将来に解体し住民たちを放逐するべく工作を始める。シテの駐車ゾーンでの”闇”自動車修理・解体業を禁止し、重機で強制的に撤去する。未成年の夜間外出や未成年だけで集合することを禁止する条例を発令する....。</span></span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><span><span style="font-weight: normal;"> 北アフリカやアフリカなどからの”難民”は受け入れないが、シリアからの”キリスト教徒”難民は市が手厚く保護する。「選択的難民受入」という批判をものともせず、市長はこれを模範的難民政策として世論にアピールしようとする。父と二人この町に受け入れられた若いシリア難民女性タニア(演ジュディ・アル・ラシ)は市役所の文書管理課に研修生として働き始めるが、その上でその課に働いているのがハビー・ケイタ(演アンタ・ジャウ)で、彼女はシテ地区の”民生委員”的な役割を担っていて、さまざまな相談ごとを受け、その解決のために公的機関と折衝・談判もする行動的ボランティア。ハビーはこのシテの5号棟で生まれ育ち、今もその住民たちと密な関係で生活しているので、市当局の超手抜きのシテ建物管理(エレベーターが長年修理されていない等)には執拗に抗議し改善を求めるが、市が進めている</span></span></span><span style="font-size: small;"><span><span style="font-weight: normal;">(シテ解体後を想定した)</span></span></span><span style="font-size: small;"><span><span style="font-weight: normal;">新都市計画には真っ向から反対する。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEivQwLiIRZ5HQdtUClYbaZvPQCtF6WHXj-Rg1SPXAlZSQImZzO3Pcdio0hRXIKIaWt6FnYRJvfgTWeeGSFGqu6SJubt32NmPp1o68s79zZneZ3xWEdXOuiAVD5xdbvaGyd1bb09-ygNgJEftXMvBWmMuN0XXLpCqUqvygYSlB_cOvCxqX9BGozPJZ1ULlxd/s1600/3423712.webp" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="900" data-original-width="1600" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEivQwLiIRZ5HQdtUClYbaZvPQCtF6WHXj-Rg1SPXAlZSQImZzO3Pcdio0hRXIKIaWt6FnYRJvfgTWeeGSFGqu6SJubt32NmPp1o68s79zZneZ3xWEdXOuiAVD5xdbvaGyd1bb09-ygNgJEftXMvBWmMuN0XXLpCqUqvygYSlB_cOvCxqX9BGozPJZ1ULlxd/s320/3423712.webp" width="320" /></a></div> オプティミスティックでその”政治”による解決はあると信じるハビーがいる一方で、その恋人のブラーズ(演アリストット・リュインデュラ)は政治では何も変わらない、ましてや暴動でも何も変わらなかった(これは『レ・ミゼラブル』の大きな主題だった)というペシミスティックな考え方の持ち主である。 シテの現実にどちらが近いかと言えば、私はブラーズの側だと断言できる。それはそれ。ブラーズはそれでもハビーの行動を支援し、ハビーの相談に乗っている。</span></span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><span><span style="font-weight: normal;"> 映画の中で最もイケすかない役割を演じているのが、死んだ前市長の時から市長補佐をしているロジェ(演スティーヴ・チェンチュー。ちょっと柔道の<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%AB" target="_blank">テディー・リネール</a>を想わせる巨漢カリビアン黒人)で、保守市長側がこういう肌の色の人間を要職に置いておけば”その種の”住民たちの信用を得られるだろうという意図が見え見えで、ロジェ本人も保守勢力から甘い汁を吸わせてもらっているという立場。これがシテ住民たちの意見を聞くフリだけはするが。ハビーの行動には敵対していく。<br /> 仮市長フォルジェの(警察機動隊・CRSを使っての)シテ住民たちへの圧力は露骨さを増していき、ハビーは住民たちとデモを組織し、フォルジェに対して市長選挙の実施の義務をつきつけ、ハビーは市長選に出馬する。こうしてフォルジェ対ハビーの一騎打ち選挙戦が始まるのだが、フォルジェはあらゆる手を使ってハビーを妨害する....。<br /><br /> いいですか、お立ち会い、こんなふうにこの映画ははっきりした「善」対「悪」の政治闘争、いわば古典的階級闘争になってしまうのですよ。これが悪いとは言わないけれど、一挙に『レ・ミゼラブル』の複合的な深みが失われてしまうのですよ。<br /><br /> シテの中の多彩な民族色あふれる共同体的つながりは、建物の中に調和的な溜まり場をつくり、人々が集まり、共に語り、時には歌ったり踊ったり、そして飲み、一緒に同じものを食べたりする。大鍋を使った大人数料理を作ったりする。彼らには欠かせない生活の営みである。外食するような金などないのだから。みんな助け合っているのだから。これがこの映画の罠になるのである。老朽化したシテ内のアパルトマンの台所での大人数用の火を使った大鍋料理... ここから火災が発生してしまった...。瞬く間に煙が回ってしまう老朽高層住宅、逃げ惑う住民たち...。<br /> 消防のおかげで延焼は免れたが、建物が被ったダメージは甚大である。消火後火災現場を視察する市長フォルジェと消防と市の幹部。フォルジェは検証の結果として、(千載一遇のチャンスと勝ち誇ったように)、消火ダメージによって建物の危険状態が著しく、住民全員の避難(仮住まい転居)が必要と退去命令を発する。長年望んでいたことがこんなに簡単にやってきたではないか、とフォルジェは補佐のロジェに言う。ロジェは驚き「クリスマスの日に住民を追い出すのか?」と異を唱えようとするが、結局権力=フォルジェに従うはめになってします。</span></span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><span><span style="font-weight: normal;"> 映画の一番の見せ場は、この警察機動隊・CRSの大部隊が出動して、着の身着のままの住民たちを建物から追い出すシーンであるが、住民たちはできる限りの抵抗として家財道具を持てるだけ持ち出し、高層住宅の窓から吊るして下ろしたり、投げ下ろしたり...。これがクリスマスの日に起こったのだ。冷笑的にあんたたちの宗教とは無関係だろうと言うムキもあろうが、子供たちにとってはどんな子供たちでもクリスマスはクリスマスなのだ。ハビーの怒りと悲しみは...。そしてすべてを失ってしまった住民たちは...。</span></span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><span><span style="font-weight: normal;"> </span></span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><span><span style="font-weight: normal;"> 町の反対側の瀟酒な高級住宅街のクリスマス電飾できらめく一角にある市長フォルジェの屋敷では、シリア難民のタニアとその父親をゲストに招いて、市長夫人がホロホロドリを焼き、クリスマス装いの子供二人とともに、ピエール・フォルジェの帰宅を待っている。そこに現れたのが、シテを警察権力によって追い出され無一物になったブラーズ、その煮えたぎる怒りを抑えることができなくなった彼は鉄バールを振り上げ、クリスマス装飾の市長宅サロンを手当たり次第に破壊していく。そこへ帰ってきたフォルジェもその暴力にひるんでしまい、悲鳴を上げ、小心者の正体が露呈してしまう。ブラーズはクリスマス料理の並ぶ大テーブルに石油をばらまき、火を点けてこの家を焼き払おうとするが....。<br /><br /> 映画の結末はこのような「闘争の敗北」を描こうとしているのではないので、最後のところまでは語らないでおくが、最後にかけつけたハビーにはこれでいいのか、これでいいのか、という問いが私には残る。この映画は未完である、と言うより「未完成品」である。山場まで来てシナリオが書けなくなった映画のようにしか見えない。</span></span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><span><span style="font-weight: normal;"> この映画には続編が必要だ。「善」と「悪」の問題にしないでほしい。ハビーのやるべきことのヴィジョンも示されていない。クリスマスを台無しにされたのは、この映画を観た人々も同じであろうが、違う答えが来ることを私はまだ願っている。続編を待っていよう。<br /><br /></span></span></span><span style="font-size: large;"><span><span style="font-weight: normal;"><b><span style="color: #7f6000;">カストール爺の採点:★★☆☆☆</span></b></span></span></span><span style="font-size: small;"><span><span style="font-weight: normal;"><br /><br />(↓)『5号棟』予告編<br /></span></span></span><span style="font-size: small;"><span><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/CqgWljmZluA" width="511" youtube-src-id="CqgWljmZluA"></iframe><br /><br />(↓)記事タイトルに借用したので。Band Aid(1984年)私これ大好きでしてん。<br /></span></span><span style="font-size: small;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/j3fSknbR7Y4" width="509" youtube-src-id="j3fSknbR7Y4"></iframe></span></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-50786332724040296572023-12-02T19:03:00.003+01:002023-12-07T10:13:46.200+01:00ミンナニデクノボートヨバレ<div><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh495WeIpV0JEyhzky_cQcLTZ3_WY1rB1tshrLneVOkqDiBNo-i-SM0sqM0xi-m4384mQ2ZjuuM3l_mS_sAXvK0r8DVl6ca9MyzWr9523nftOPXgW6M3qtAQz7g8jGuvn2gQO6b95fxHjhoRR7HNOxKXWck8WPS3FtQkPlDNdFQqiUU_rVYsCkN3V8-zzUS/s1080/3002976.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="793" height="281" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh495WeIpV0JEyhzky_cQcLTZ3_WY1rB1tshrLneVOkqDiBNo-i-SM0sqM0xi-m4384mQ2ZjuuM3l_mS_sAXvK0r8DVl6ca9MyzWr9523nftOPXgW6M3qtAQz7g8jGuvn2gQO6b95fxHjhoRR7HNOxKXWck8WPS3FtQkPlDNdFQqiUU_rVYsCkN3V8-zzUS/w206-h281/3002976.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" width="206" /></a></div><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">"Perfect Days"<br />『パーフェクト・デイズ』</span><br /></b><br /><b><span style="font-size: large;">2023年日本ドイツ合作映画<br />監督:ヴィム・ヴェンダース<br />主演:役所広司(2023年カンヌ映画祭男優賞)<br />フランス公開:2023年11月29日</span><br /></b><br />まもなく(これを書いている時点から3週間後)日本公開になるし、すでに話題の”<a href="https://perfectdays-movie.jp" target="_blank">日本映画</a>”であるし、おまけに<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/PERFECT_DAYS" target="_blank">日本語版ウィキペディア</a>が大幅なネタバレを含むかなり詳細な情報を公開しているので、爺ブログが出る幕はないとは思う。のではあるが。<br /> 1985年、ヴィム・ヴェンダースのドキュメンタリー映画『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%94%BB" target="_blank">東京画(Tokyo-Ga)</a>』を私はリアルタイムにパリで観ていた。パリの映画館でフランス人に囲まれて観ると、それは不思議の国「日本」の絵であった。ヴェンダースの最も敬愛する映画人であろう小津安二郎の1953年の映画『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%89%A9%E8%AA%9E" target="_blank">東京物語</a>』をイントロとアウトロに導入するこのドキュメンタリーは、『東京物語』の30年後たる1980年代の東京に、いったい小津的情緒や小津的心象風景はまだ見い出せるのか、という問いから発している。答えはヴェンダースのカメラアイはその東京のあちらこちらにそれを見てしまうというものだった。ヴェンダースの知らなかったパチンコや食堂の料理見本(ロウ細工)や竹の子族にもカメラアイはそれを見てしまうのだった。この詩的にもメランコリックな東京は、私はおそらくヴェンダースを通して初めて知ったのかもしれない。<br /> この『パーフェクト・デイズ』はそれから40年後なのである。小津の『東京物語』その他で<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Chish%C5%AB_Ry%C5%AB" target="_blank">笠智衆</a>が演じた「ヒラヤマ」という名の男をヴェンダースは彼なりに創ってみようとしたのだろう。口数が少なく、そこはかとない哀感を帯びた笑顔の初老の男、このヒラヤマ(演役所広司)は浅草界隈に近い木造2階建(風呂なし)ボロアパートに住むひとり身の底辺労働者で、その職業は東京の公衆便所巡回清掃員である。映画にはさまざまな意匠とデザインのハイテクな公衆便所が登場し、『東京画』の時のような不思議の国「日本」のような図に欧米人には見えるかもしれない。まさにこれは『東京画』の中の料理見本ロウ細工と同じようなもので、見た目の奇異さはあれど映画の重要なファクターではない。アメリー・ノトンブが東京の一流商社でパワハラを受け便所掃除を命じられた屈辱のようなドラマティックな要素もない。この映画で便所清掃は淡々としたひとつの労働であり、それ自体はドラマではないが、底辺労働として見られる衆目の価値観は避けられない。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiVGQPcwTnqFLoZZBZQhugsa1Sjxaz23nPeC8Mrjoty-70mGt7bDiaKf1ohIgoH3Fckmb8q0YzV5pfdat-B1GqvQuIPTcb9oxucC0x_Oc8pi2qRhZEbbaRWv4qXSSyTJt6dhCnSwKPVqON7GofWdE3ECr0UaZ_fOBlg8Hex8o0zfUFGeIbTcXtoojJ4hHnm/s1080/2451930.webp" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="711" height="272" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiVGQPcwTnqFLoZZBZQhugsa1Sjxaz23nPeC8Mrjoty-70mGt7bDiaKf1ohIgoH3Fckmb8q0YzV5pfdat-B1GqvQuIPTcb9oxucC0x_Oc8pi2qRhZEbbaRWv4qXSSyTJt6dhCnSwKPVqON7GofWdE3ECr0UaZ_fOBlg8Hex8o0zfUFGeIbTcXtoojJ4hHnm/w179-h272/2451930.webp" width="179" /></a></div> <span style="font-family: arial;">ヒ</span>ラヤマの生活リズムはきわめて規則正しい。夜明け前、近所の老婦人の玄関先を掃く竹ぼうきの音で目が覚め、茶碗栽培の苗木に霧吹きをかけ、歯を磨き、シェーバーで顎髭を剃り、口髭を丁寧にハサミで揃え(旧時代のダンディズムを想わせる)、"<a href="https://tokyotoilet.jp/en/" target="_blank">THE TOKYO TOILET</a>"(これがこの映画のタイアップ企業か)と背に書かれたつなぎの作業衣に身を包み、自販機で缶コーヒー(これが朝食代わり)を買い、便所清掃の七つ道具を積み込んだライトバンに乗って仕事の便所巡回清掃に出かける。<br /> この一日の始まりで重要な瞬間はヒラヤマが玄関ドアを開け、外に一歩出る時に、必ず上を向いて朝の空を見やり、満足げな微笑みを浮かべることである。この生活パターンのシーンは映画中何度もループマシーンのように繰り返されるのだが、この朝の空に微笑みのところは何度見てもいい。毎朝来るのに初めての朝のような。<a href="https://www.youtube.com/watch?v=uZAsfB1Np-8" target="_blank">Morning has broken like the first morning</a>. そんな歌のような朝だが、この歌は挿入歌として登場しない。しかし、この映画は数々の挿入歌がおおいにものを言う効果がある。その音楽のほとんどがヒラヤマの業務用ライトバンのカーステから聞こえてくるのだが、すべてヒラヤマの個人コレクションのカセットが音源なのだ。挿入曲リストを挙げておこう。<br /><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="en"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-family: georgia;"></span></div><blockquote><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe; font-family: helvetica;">"The House of the Rising Sun" - The Animals (1964) </span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe; font-family: helvetica;">"Redondo Beach" - Patti Smith (1975) </span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe; font-family: helvetica;">"Walkin' Thru The Sleepy City" - The Rolling Stones (1964) </span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe; font-family: helvetica;">"Perfect Day" - Lou Reed (1972) </span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe; font-family: helvetica;">"Pale Blue Eyes" - The Velvet Underground (1969) </span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe; font-family: helvetica;">"(Sittin' On) The Dock of the Bay" - Otis Redding (1968) </span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe; font-family: helvetica;">"青い魚" - 金延幸子(1972) </span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe; font-family: helvetica;">"Sunny Afternoon" - The Kinks (1966) </span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe; font-family: helvetica;">"Brown Eyed Girl" - Van Morrison (1967) </span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe; font-family: helvetica;">"Feeling Good" - Nina Simone (1965)</span></div></blockquote><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-family: arial;">シクスティーズ/セヴンティーズの渋みオーガニックポップロック精選のような曲並びであるが、映画で「カセット音質」が再現できているかどうかは、まあいいとしよう。要はルー・リードとヴェルヴェットなのだと思う。ヒラヤマはルー・リード好きの静かで木訥なる男という設定、これを役所広司が体現できているか、という問題。<br /></span><div style="text-align: left;"><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="en"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhRXQ25PMisWpVyz6QhW3prurYA_CVW_jccTIq53F_R1RcHQM1_exC374WykYx25CAo9NkNDZTXjPlN32FNqxaHxjSyJKYDc9qAFNwEcaXBp-3RxIJU_te_WTF3QmkYEwH6rtXipZGnDMjA1WJkRZfzOcTmQgqfrGaLq5TtL-79JzqtsYfwxRv5DvGRquQf/s1463/4486296.webp" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="1463" height="188" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhRXQ25PMisWpVyz6QhW3prurYA_CVW_jccTIq53F_R1RcHQM1_exC374WykYx25CAo9NkNDZTXjPlN32FNqxaHxjSyJKYDc9qAFNwEcaXBp-3RxIJU_te_WTF3QmkYEwH6rtXipZGnDMjA1WJkRZfzOcTmQgqfrGaLq5TtL-79JzqtsYfwxRv5DvGRquQf/w255-h188/4486296.webp" width="255" /></a></div></span></div><br /><span style="font-family: arial;"> そしてヒラヤマは読書家である。そのボロアパートの2階のせまい寝室(たぶん六畳、煎餅布団+掛け布団+枕)には、ヴィンテージなラジカセ機と棚にきれいに並べられたカセットのコレクションのほかに、文庫本の蔵書がある。すべて古本屋の「100円均一文庫本コーナー」で調達されている。映画に登場するだけでも、ウィリアム・フォークナー、幸田文、パトリシア・ハイスミスというラインナップ。広いレンジの文学を心の糧にしているのだろうが、読むのには時間がかかる。きつい肉体労働のあとの床の中で、眠りに落ちるまでに読めるのは数ページ。そのあとにモノクロのアブストラクトな夢が映像として登場する。</span><br /></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-family: arial;"> 渋め音楽好き、渋め読書好きの底辺肉体労働者、その掃除仕事の几帳面さは映像で強調されている。昼は木々に囲まれた神社境内のベンチで(たぶんコンビニ製の)三角サンドとパック牛乳で済ます。その昼休みの神社境内で、毎日ヒラヤマは(たぶん彼が愛してやまない)大樹が空覆う枝と緑の葉の姿を、下から時代物のインスタントオートフォーカスカメラ(要写真フィルム)で撮影する。この撮影したフイルムをヒラヤマは(今もこの世に現存する)町の写真現像屋に行って現像紙焼きしてもらい、良い写真とダメなものを区分けして、アルミの菓子箱に整理して長年の写真記録として押し入れに仕舞ってある。これが茶碗盆栽栽培と共に、ヒラヤマの偏執的オタクのような側面をよく象徴している。</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-family: arial;"> そして夕食は浅草地下街の大衆一膳飯屋で焼酎をひっかけながら。そのあと銭湯で汗を流して帰宅、読書、就眠。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjHysJImd95cWf_V_GFfSCQhjLCUeaQw3wduje3xVQ0o9xDhpcTOZKJvcvtXgedqv95yhiryLzKtWVVAbmxoX1X3JwmPH9b8Heas3uf7zs7RhVwUj4hqMxt-3Dqy0Jofchbup-wHz-QA76OMyFR8CAxO4hzdmlLhNuJIqcmz5IDAFr8Es-roh2xZQSp6Q4d/s1440/1859281.webp" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="1440" height="192" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjHysJImd95cWf_V_GFfSCQhjLCUeaQw3wduje3xVQ0o9xDhpcTOZKJvcvtXgedqv95yhiryLzKtWVVAbmxoX1X3JwmPH9b8Heas3uf7zs7RhVwUj4hqMxt-3Dqy0Jofchbup-wHz-QA76OMyFR8CAxO4hzdmlLhNuJIqcmz5IDAFr8Es-roh2xZQSp6Q4d/w256-h192/1859281.webp" width="256" /></a></div><br /> 映画はこの朝起きてから就眠するまでのサイクルを数度繰り返していくうちに進行していく。昨日のコピーのような今日。しかしそのルーチンの合間にさまざまなことが起こっている。便所清掃の日常でもさまざまな人々が見えている。清掃仕事の同僚の若造(演柄本時生)の恋の最後のチャンスに立ち会ったり、その相手の女(演アオイヤマダ)にカセットで聞かせた<a href="https://www.youtube.com/watch?v=H4iksb1HG9E" target="_blank">パティ・スミスの曲</a>で思わぬエモーションを引き出したり、ヒラヤマをあてにして家出してきた姪(妹の娘)ニコ(なんちゅう名前だ、と思われようがヴェルヴェット・アンダーグラウンドに由来する。演中野有紗 )に穏やかな人生のあり方をそれとなく感化したり、石川さゆり演じるママがいる場末の飲み屋で石川さゆり演じるママが石川さゆりの声で「朝日の当たる家」を歌うのを聴いたり、そのママの元夫(演三浦友和)でガンで余命いくばくもなしと宣告された男と夜の隅田川岸辺で二人で影踏み遊びに興じたり...。こういう日常の中での短編スケッチをオムニバス的につなげた映画。静かで木訥とした佇まいの初老男が、その日々に触れ合うちょっとしたもので、世界に少し影響を与え、自分も小さな満足をちょうだいしている。この静かな交感(コレスポンダンス)、これを小津的ポエジーだの禅的ふれあいだのとフランスの映画評は称賛するのである。たしかにここがこの映画の真ん中でしょうね。テレビもインターネットもスマホも持たぬ</span><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="en"><span style="font-family: arial;">(ガラケーは持っている)</span></span><span style="font-family: arial;">男、<a href="https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html" target="_blank">丈夫なからだを持ち</a> 欲は無く 決して瞋からず 何時も静かに笑っている、これは宮澤賢治「雨ニモマケズ」ではないか。「雨ニモマケズ」は反語表現であると私は解釈している。「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と閉じるが、ワタシはなれないのであり、ワタシでなくても誰もなれないのである。サウイフモノをヒラヤマは体現している、というヴェンダース映画である。サウイフモノにとっての完璧な日々、パーフェクト・デイズは2020年代の東京でヴェンダースには見えたのだろうか。役所広司はすばらしい役者である、という次元で足踏みしてしまう映画には見えないか。</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-family: arial;"> この映画の<a href="https://perfectdays-movie.jp/#" target="_blank">日本公式サイト</a>はキャッチコピーに「<b>こんなふうに生きていけたなら</b>」とムード的にうたっている。私は冗談じゃないよと思ってしまった。そういうレベルの映画にしないでほしい。たぶん日本側制作スタッフはたくさん注文をつけたように思えるものがやや目立つ。出資企業のものだけでなく。東京自画自賛にヴェンダースが加担しているように思えるところも。<br /> ヒラヤマがなぜ底辺労働者に身をやつしたのか、という過去のいきさつは映画ではほぼ不明のままである。ニコの母親(ヒラヤマの妹)が乗ってきた運転手付き超高級自家用車で想像できないことはない。説明的になる必要はないが、ヒラ
ヤマはこのライフスタイルを自らが選び、その後悔はない(と言いながら、おいおい涙を流すシーンあり)。私はここのところがとても好きだし、ヒラヤマにとても深く秘められたものは、『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%80%81%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%82%B9" target="_blank">パリ、テキサス</a>』(1984年)のトラヴィス(演ハリー・ディーン・スタントン</span>)<span style="font-family: arial;">の謎の失踪と同じ性質のものと思った。だから悪い映画ではない。<br /></span><br /><span style="font-family: trebuchet;"><span style="color: #0c343d; font-size: large;"><b>カストール爺の採点:★★★☆☆</b><br /></span></span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-family: trebuchet;"><br />(↓)フランス上映版の予告編<br /></span></div></span></div><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="en"><div dir="auto" style="text-align: start;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/N4uOU1zorjE" width="563" youtube-src-id="N4uOU1zorjE"></iframe><br /><br /><span style="font-family: trebuchet;">(↓)ルー・リード「パーフェクト・デイ」(1972年)<br /><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/9wxI4KK9ZYo" width="560" youtube-src-id="9wxI4KK9ZYo"></iframe></div></div></div></span><p></p>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-53304012031095513502023-11-29T22:25:00.001+01:002023-11-30T09:17:16.293+01:00そして宴は続くのだ<div style="text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh2i-X7TFlgNvtpfGJK4gIGaqwjnXejxhmnNtwtr5IcTGupOxH4iQp5JCMyOETXKhJ1r7OQoP6g2tHUvmee_wGvSHQU2UUfDvznDt34LkUFYtG1jeS3Z4wQbxTxiG71sj6YZrFtnvYyvovvzOEZPpqbBq4udPCAnat07cHdLa7e3peUNdbrdesDs1CDxYDl/s781/lafetecontinue.png" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="781" data-original-width="575" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh2i-X7TFlgNvtpfGJK4gIGaqwjnXejxhmnNtwtr5IcTGupOxH4iQp5JCMyOETXKhJ1r7OQoP6g2tHUvmee_wGvSHQU2UUfDvznDt34LkUFYtG1jeS3Z4wQbxTxiG71sj6YZrFtnvYyvovvzOEZPpqbBq4udPCAnat07cHdLa7e3peUNdbrdesDs1CDxYDl/s320/lafetecontinue.png" width="236" /></a></div><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">"Et la fête continue !"<br />『そして宴は続く!』</span></b><br /><br /><b><span style="font-size: large;">2023年フランス映画<br />監督:ロベール・ゲディギアン<br />主演:アリアーヌ・アスカリード、ジャン=ピエール・ダルーサン、ロバンソン・ステヴナン、ローラ・ネイマルク<br />フランスでの公開:2023年11月15日</span><br /></b><br />2021年『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2022/01/requiem-pour-un-twister.html" target="_blank">ツイスト・ア・バマコ</a>』というゲディギアン初の海外ロケ映画 にして初の”非マルセイユ”映画に続いて、ゲディギアンは<a href="http://pepecastor.blogspot.com/search/label/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A6" target="_blank">マルセイユ</a>に帰ってきた。これが23作めの長編映画。冒頭は(実際に起こった)マルセイユ旧市街オーバーニュ通りの老朽建物倒壊事件(2018年11月5日)の映像。死者8人、負傷者多数、避難を余儀なくされた人々約1500人。21世紀のマルセイユにあって過度に進んだ老朽化による倒壊の危険性を知りながら何もしなかった行政。この悲劇があってからやっと危険建築の徹底調査が始まる。怒りと悲しみ。いろいろなことが立ち行かなくなっているマルセイユ。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjdfe23LtbJVLxfT4KLEoVlJjdK0f-83Fdl7hB0e1FSgzTGGqrjV4IxuMhZ-GN3fT2Tz03B_wr1ZM6W_Dik5Ny_bI1gFICE7Y_Dk3khe2FKbtO6Y2C3YUTTExNt51bprGY-xDDX_mKtgMsexgiVpguPs_wEczAsMpE64ZEDN8b9xIy5w2aaVNGvVnjFbjgn/s1000/monument-a-homere-par-etienne-dantoine-rue-daubagne-13001-marseille-25.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="688" data-original-width="1000" height="164" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjdfe23LtbJVLxfT4KLEoVlJjdK0f-83Fdl7hB0e1FSgzTGGqrjV4IxuMhZ-GN3fT2Tz03B_wr1ZM6W_Dik5Ny_bI1gFICE7Y_Dk3khe2FKbtO6Y2C3YUTTExNt51bprGY-xDDX_mKtgMsexgiVpguPs_wEczAsMpE64ZEDN8b9xIy5w2aaVNGvVnjFbjgn/w239-h164/monument-a-homere-par-etienne-dantoine-rue-daubagne-13001-marseille-25.jpg" width="239" /></a></div> このオーバーニュ通りの倒壊事故現場のすぐ前に、古代ギリシャ詩人<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%82%B9" target="_blank">ホメロス</a>(紀元前8世紀)の胸像柱(19世紀の彫刻家エティエンヌ・ダントワーヌ作)が立っていて、根元から泉水が出、フォンテーヌ・ドメール(Fontaine d'Homère = ホメロスの泉)と呼ばれている。この泉の広場が、この建物倒壊の悲劇を記憶するために「11月5日広場」と改名され、毎年11月5日には地域住民によって慰霊イヴェントが開かれる。なぜマルセイユにホメロスか、と言うとマルセイユは紀元前6世紀にギリシャの小民族<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%A2" target="_blank">ポカイア</a>人( 仏語でphocéen)が植民市として建設したマッシリアを起源としていることに由来する。映画の主人公で未亡人のローザ(演アリアーヌ・アスカリード)の一家はオリジンがアルメニア(監督ロベール・ゲディギアンのオリジンでもある)という設定で、長男のサルキス(演ロバンソン・ステヴナン)は医学博士号を持つ身で「ヌーヴェル・アルメニー(新アルメニア)」という在マルセイユのアルメニア出身者の溜まり場的ビストロ・バーのパトロン(マスター)になっていて、客たちに「マルセイユはギリシャ人ではなくアルメニア人が作った」という自説を吹聴する。次男のミナス(演グレゴワール・ルプランス=ランゲ)はコロナ禍以来第一線の病院救急科医師であり、<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%95" target="_blank">ナゴルノ・カラバフ</a>地域でのアゼルバイジャンによるアルメニア人排斥(民族浄化)紛争に心を痛め、現地に飛んで救援医療活動を強く希望するが妻の反対で踏みとどまっている。ローザの弟のアントニオ(演ジェラール・メイラン)はマルセイユ最後のコミュニストを自認する元闘士で、自分の家屋を使って住宅問題被害者を保護する”ひとり”ボランティア活動をしていて、その間借り人のひとりが若いレティシアという黒人看護婦(演アリシア・ダ・ルス・ゴメス、前作『ツイスト・ア・バマコ』の主演女優、すばらしい!)で、病院で古参婦長ローザの下で働いている。ローザとアントニオの死んだ父親はマルセイユで戦時中レジスタンスで戦った理想に燃えた共産主義者で、二人の子供にその理想を継がせるべく、娘の名をローザ(<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF" target="_blank">ローザ・ルクセンブルク</a>に因む)、息子の名をアントニオ(<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%82%B7" target="_blank">アントニオ・グラムシ</a>に因む)としたのだそうだ。映画中、ローザの夢枕に父親が現れ、ローザが幼い頃、選挙の夜に父親のオートバイの背にまたがり、選挙投票所を回って開票結果をいち早く知り、共産党議席数を数えて夜を明かすという回想シーンがある。これはローザとアントニオに共通する共産党ノスタルジー。なぜならもうマルセイユには共産党議席などないに等しいようなさまなのである。<br /> 1995年から25年もの長い間続いていた保守市政(市長<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3" target="_blank">ジャン=クロード・ゴーダン</a>)を2020年の地方選挙で破り、左派連立市政(市長ミッシェル・リュビオラ→<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Beno%C3%AEt_Payan" target="_blank">ブノワ・ペイヤン</a>)が誕生して現在に至るが、”左派連立”(エコロジスト、ソーシャリスト、左翼「不服従のフランス」、コミュニスト...)共闘の不協和音は徐々に大きくなり、空中分解の可能性もある。(左派共闘の分裂傾向は国政レベルではもっと顕著であり、市民の幻滅感は日増しに高まりつつある → 極右に票が流れる。それはそれ)。長い看護婦業(近く定年退職)のかたわら、長く地域住民活動に関わり、人望も厚く、次の区議選に左派比例代表グループのトップとして立候補を推されているローザだが、頭の痛い問題はまさにその左派各派の足の引っ張り合い。選挙対策合同会議のたびにローザはことの難しさに追い込まれ、立候補を断念すべきか悩んでいる。<br /> 土地っ子ではないが、マルセイユを愛し、住民たちの間に入ってその地域活動を支えてアクティヴに動き回る若い女性アリス(演ローラ・ネイマルク)は、アマチュア合唱のコーチ/指揮(歌っている曲がアルメニア系フランス人アズナヴールの"Emmenez-moi = 邦題「世界の果てに」"という難民流謫の歌であるというのがミソ)をしながら、来るべき11月5日の建物倒壊慰霊イヴェントの準備をしている。この一人娘のことが心配で、パリ圏からアリスの父親で寡夫のアンリ(演ジャン=ピエール・ダルーサン)がマルセイユにやってきてホテルに長期滞在して娘の動向を近くから見守っているが、これがアリスには鬱陶しくてしかたない。アンリは退職した本屋の親父で、妻と死別してからアリスの面倒をよく見てやれなかったという後悔があり、それを退職後の今になって挽回しようとしている。アリスと恋仲でほぼ結婚するであろうことが決まっている相手が、ローザの長男サルキスである。ローザもアリスのことを住民活動絡みでよく知っていて、とても好感を持っているのではあるが... 。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhX4rKTn1LvFKCVf2U0k7-MBdG50RTuwE6eMy9F4jBBnLd_XPdnkvKlDgFIn1dVqScXve9OmiCH9WrF9cMRhygul058TYeJdtIjjP8vbiWUEy2-W3Wos-6lEuDtekXYtJ9Hr3T6x7Ewx5bHvTZ4GwmaiX5x5HIWk3pcigxZpFgnpbidnh-CYR5-091pYiDm/s1620/0176723.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="1620" height="147" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhX4rKTn1LvFKCVf2U0k7-MBdG50RTuwE6eMy9F4jBBnLd_XPdnkvKlDgFIn1dVqScXve9OmiCH9WrF9cMRhygul058TYeJdtIjjP8vbiWUEy2-W3Wos-6lEuDtekXYtJ9Hr3T6x7Ewx5bHvTZ4GwmaiX5x5HIWk3pcigxZpFgnpbidnh-CYR5-091pYiDm/w221-h147/0176723.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" width="221" /></a></div> アリスの市民アマチュアコーラス団の発表会が地区の教会で開かれ、その客席にそれとは知らず隣り合わせたのがローザとアンリ。仮にサルキスとアリスが結ばれれば親戚関係となる寡婦と寡夫の二人、ローザとアンリは時を待たずして老いらくの恋に落ちる。いいなぁ。ローザはこのセンセーションを自分の中だけに抑えることができずに、次男ミナスに(もう何十年ぶりかのことのように)「私セックスしたのよ」と告白する。いいなぁ。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjyW_5ytFBNptgkDjg8iQbxFMrJVdQ6L0lF_ZiRT2pJkr7IzoKv0o9B8g4rcifC7qtgZmG4A9wwshCqpS0MoeoIlctYIv5G56OJicj6ECb-su2jtwjYtvVCSt8U-pnKD8-c8Z8zthEU5goZunYvU3fFAzcF8S5UZoZ3rN0GSz_4TefY1LuEQfxk7BhClzx9/s1600/3363943.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="844" data-original-width="1600" height="133" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjyW_5ytFBNptgkDjg8iQbxFMrJVdQ6L0lF_ZiRT2pJkr7IzoKv0o9B8g4rcifC7qtgZmG4A9wwshCqpS0MoeoIlctYIv5G56OJicj6ECb-su2jtwjYtvVCSt8U-pnKD8-c8Z8zthEU5goZunYvU3fFAzcF8S5UZoZ3rN0GSz_4TefY1LuEQfxk7BhClzx9/w252-h133/3363943.jpg-r_1920_1080-f_jpg-q_x-xxyxx.jpg" width="252" /></a></div><br /> 今回のジャン=ピエール・ダルーサン演じるアンリという役どころは、元本屋の博識”知恵ぶくろ”で、ローザの”政治的”悩みにも、アリスの”文化的”悩みにも相談役ご意見役になれる長屋の御隠居的重みがある。マルセイユには新座ものでありながら、いつのまにかローザの大家族的グループの上座に座っている。それが映画ポスターにもなっているマルセイユの<a href="https://tourisme-marseille.com/ja/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5/calanque-d-en-vau-%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%85%AC%E5%9C%92-%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A6/" target="_blank">カランク</a>での海浜ピクニックのシーンであり、ローザの弟アントニオとその間借り人レティシア(いつのまにか父娘のような親密な友情で結ばれている)を含むローザを要とする複合大家族が陽光の下でユートピックな共同体となって至福の瞬間を過ごしている。<br /> 種々の問題を抱え、日々生きづらくなっていっているマルセイユにあって、この共同体は義侠の人々である。一連のゲディギアン映画の流れにあってはこの共同体はあらゆる試練に打ち勝つお約束ごとになっているのではあるが、本作の前のマルセイユ映画『<a href="http://pepecastor.blogspot.com/2019/12/blog-post_11.html" target="_blank">グロリア・ムンディ</a>』(2019年)では同じマルセイユの複合大家族でも、21世紀型新リベラル資本主義に翻弄され、底辺で蠢きながらも誰も(家族であっても)助け合えない悲惨が描かれ、ゲディギアン映画史上最もペシミスティックな作品となっていた。その反動かこの新作は累積された問題はあれどもポジティヴでオプティミスティックな人々の姿に救われる。<br /> 医療現場でコロナ禍の前も後も同じ過酷な人手不足環境で働く看護婦レティシアは、もはや過労バーンアウト寸前のところまで来ているとローザに退職の意思を伝える。考え抜いた末のこととは知りながらもローザは「考え直しなさい、世界はあなたのような人を必要としているの(<b>Le monde a besoin de toi</b>)」と。病院で、学校で、地域住民団体で、困窮者支援の現場で、あの住民たちを住まわせたまま倒壊した老朽住宅の悲劇に衝撃を受け、われわれは行動し続けなければならないと心を新たにしたマルセイユの人たちがいる。アルメニア/アゼルバイジャンで起こっていることに心を痛め、人道活動の手助けをしたいと切望するマルセイユの人たちがいる。分断された地域の人々の心を繋ぎ合わせるのはアートであると、演劇、音楽、造形芸術などに人々を誘うマルセイユの人たちがいる。こんなマルセイユで、なぜ”左派連合”は勢力争いばかりするのか? ー これがローザの最大の悩みであり、アンリの目の前で(選挙活動の)サジを投げる寸前のところまで至ってしまうが....。<br /> 建物倒壊事故からX年後、11月5日広場での慰霊イヴェントでのスピーチを準備しながら煮詰まってしまったアリスにインスピレーションを与える父アンリ。さすがの博識。あの事故の時最も近くにいた証人は誰か? ー そこにいるホメロスだ。ホメロスは盲人だった。だからホメロスはすべてを聴いていた。建物が崩れ落ちる音も、人々の悲鳴も断末魔の叫びもみな聴いていた。ホメロスならばこの悲劇をどのような叙事詩として書き残すだろうか、それを考えればスピーチは出来上がりだ...、と。ー そしてそのアリスの書いた”叙事詩”が、イヴェント当日に11月5日広場を囲む四方の建物の窓から複数の朗読者によってメガホンで読まれるという、胸に迫る感動的なシーンが実現する。これがこの映画のマジック。<br /> そのアリスにも重大な悩みがあり、サルキスとの将来に暗い影を感じている。それはサルキスの強い子孫願望であり、アルメニアの血を継いでほしいという一種の”アイデンティティー”思想であった。たくさんの子が欲しい(←勝手なマッチズムにすぎない)。ところがアリスは子供を授かることができない体になっていた。これをサルキスに告白することができないでいる。このことが知られたらこの幸福は終わる、と。さあ、これはどのように止揚されるでしょうか(と、古いコミュニストのように言ってみましたが)....。<br /><br /> Et la fête continue! (そして宴は続く!)。さまざまな幻滅や小競り合いを経ても、われわれは祭りを続けていくだろう。そのためにはローザ(やアントニオ)のような不屈の人やアンリのような知恵袋の人が必要だし、この年寄り(60代で現役、恋に燃えたりもする)たちに続く人たちも要る。われわれは続けなければならないけれど、それは苦役ではなく、宴であり、踊りの輪である。オプティミスムを失ってはいけない。昔も今もマルセイユ下町は人情ものが似合う風景である。ありがとう、マルセイユ。<br /><b><br /><span style="color: #990000; font-size: large;">カストール爺の採点:★★★★☆</span></b><br /><br />(↓)『そして宴は続く!』予告編<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/nMExOBAuRiQ" width="532" youtube-src-id="nMExOBAuRiQ"></iframe><br /><br />(↓)重要な挿入歌シャルル・アズナヴール「世界の果てに Emmenez-moi」(1968年)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/0OrKMaeQUx0" width="533" youtube-src-id="0OrKMaeQUx0"></iframe></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-71562529843142045752023-11-14T23:10:00.000+01:002023-11-14T23:10:16.046+01:00病める時も健やかなる時も<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi2x-kJ2Qyw7YEL9K2KLPRr2XaHIVQS8540RSEdsUWIXhUTbEXjI2Pi6q0YQqnLTcrNdGS8YWJtLn0DxTV0-qhyphenhyphenQ7b1ZDZ7qcegmmbvE1ZvYF7XhrO0jKsDZDbAjvyBtOUYrwLR2Zq2iyIU5hiWZ-otF9EZsLbGMjQPjgN6S_xnbOkqJ75TeN6pfQBhIKin/s718/G07904.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="718" data-original-width="490" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi2x-kJ2Qyw7YEL9K2KLPRr2XaHIVQS8540RSEdsUWIXhUTbEXjI2Pi6q0YQqnLTcrNdGS8YWJtLn0DxTV0-qhyphenhyphenQ7b1ZDZ7qcegmmbvE1ZvYF7XhrO0jKsDZDbAjvyBtOUYrwLR2Zq2iyIU5hiWZ-otF9EZsLbGMjQPjgN6S_xnbOkqJ75TeN6pfQBhIKin/s320/G07904.jpg" width="218" /></a></div><p></p><div style="text-align: left;"><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">François Bégaudeau "L'amour"<br />フランソワ・ベゴドー『愛』</span></b><br /><br /> 『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2008/06/blog-post.html" target="_blank">壁の中で(Entre les murs)</a>』(2006年)のフランソワ・ベゴドーは小説・随筆を問わず多作家であるが、この最新小説は久しぶりに書店ベストセラー上位にのぼる話題作となった。90ページの短さ。大上段なタイトル。愛とは何か、と構えているわけではない。誰も書いたことのないある特別な愛を描いた小説でもない。本の裏表紙に著者の言葉としてこう明言されている:<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">私はほとんどの時代にほとんどの人々によって体験されたであろう(危機も事件もない)愛をあるがままに描きたかったのだ。</span></blockquote>つまりあちらにもこちらにもある波風がなく長い間寄り添って生きられた男女の生きざまについて書かれた小説なのである。「平凡な」「フツーの」と形容される種類のカップル。それはがまぶしく冠された小説タイトルである「愛」という言葉でわれわれなら形容しない、どこにもいるような市井の男女の同居し共有した長い年月のことなのである。<br /> 私事を挟んで失礼。私は20世紀半ばに東北の奥まったところで生を受け18歳まで生活したが、その十代の目で観察してみて、この地方の環境にあって大人たち男女の”つがい”というのは、愛が結びつけたものではない、という絶望的確信があった。それは生きていく"なりゆき"で結びついたもので、その属する社会が円滑に機能するために、世の中は昔からそういう仕組みになっているのだからという流れを持続するために、所帯を持ち、子をつくり育て、という”人となり”のことをして歳を取り、人生を全うするプロセスであった、という範疇を出ない。私は少年の目なりに、それは愛ではない、と見ていたばかりか、私の知るこの地方環境では”愛”というボキャブラリーは存在しないのだ、と思っていた。愛とは絵空事であり、文学や映画の中のことであり、自分の環境にはあるはずのないものであった。家庭内で愛を語ろうとすればおまえ気が違ったかと言われただろう。地方の子であったから、大都会にはあるのかな?という愚考もないではなかった。この小説はカップルの関係を愛と名状することが意味をなさない地方の環境が描かれ、それがまず第一に私がよく知っている世界だ、と思わせたのである。だが、それはどこでもそうなのだ、という話に落ち着くのだが。<br /></div><div style="text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><div style="text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhkfl7ubQ3mKFNjc0wo7bzAU2xKeVuBserZhbvnXyaB1dg-bOZz1iluwUIbe3oDksCJdI-FqvjDd_ykbz1kZCqqIV9ONozGklIRE2aAnItqanpMbmgRLlQjxGwVGy3VJYnC0t49WYwN8joWUvF5Ygfz99gl1gX-osHuwhEAHTL-U6Y8pdSM9VMyM46paDdw/s1799/webp.webp" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="1799" data-original-width="1200" height="243" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhkfl7ubQ3mKFNjc0wo7bzAU2xKeVuBserZhbvnXyaB1dg-bOZz1iluwUIbe3oDksCJdI-FqvjDd_ykbz1kZCqqIV9ONozGklIRE2aAnItqanpMbmgRLlQjxGwVGy3VJYnC0t49WYwN8joWUvF5Ygfz99gl1gX-osHuwhEAHTL-U6Y8pdSM9VMyM46paDdw/w162-h243/webp.webp" width="162" /></a> <br /> 小説の始点は1970年代初頭の西部フランス、ロワール地方の田舎町である。父をインドシナ戦争で失ったジャンヌは、公共施設の清掃員として働く母を助け、自らも田舎ホテルのフロント係として(夜勤ありの)不規則な時間帯で働いている。母が町の体育館の清掃の担当の日、ジャンヌはその手伝いに駆り出され、そこで練習する町のバスケットボールチームのスター選手ピエトロに勝手な妄想の片思いを抱き、将来ピエトロと庭付きの家で暮らすことを夢想する。ある日ジャンヌの務める田舎ホテルのフロントにこの長身イケメンのバスケット選手が現れ、予約で満室のところなんとか一部屋工面してくれないか、と。ジャンヌはまさかの申し出に心ときめかせ、雇い主にクビにされることを覚悟で宿帳を細工し、部屋の鍵をピエトロに渡し、そのお呼びがかかるのを待っている。そこへ、町の獣医病院の派手な若奥様がやってきて、ムッシュー某の部屋は?と。小さい町のことで、誰もが誰もを知っている世界、これは内密にと言われてもすぐにバレる火遊び。ジャンヌの”庭付きの家”幻想はあっけなく消えるのだが、この”よくある話”パターンがこの小説を支配するトーンである。”よくある話”に頓着しない人々がこの世界の住人であり、この地方からめったに外に出ることがなく、この風景の中で生きて朽ちていくことをフツーと思っている。そしてなりゆきで伴侶になってしまう人間も”よくある話”のように現れてしまう。<br /></div> ジャンヌがフロント係をしているホテルに改装工事業者として出入りする自営左官職人ジェラール・モローは、息子ジャックに家業を継がせるべく工事に徒弟として同行させるが、近い将来においてこの種の自営職は需要がなくなりジャックは別職を探さざるをえなくなる。何の取り柄もない若者だが、ガキの時分からプラモ(軍用機、 戦車、軍艦、ロケット...タミヤ模型オタク)が趣味で組み立て、丁寧に塗装して、陳列棚にコレクションしていく。これは一生続くのだが、その増え続けるコレクションの置き場所に苦情を言われることはあれ、誰もそれを評価してくれるわけではない。私のレコード・CDも同じだが、それはそれ。かのイケメンのバスケ選手がホテルで”ご休憩”を楽しもうというのに改装工事の騒音がうるさすぎる、とジャンヌに苦情を言う。ジャンヌは改装業者親子にもう少し静かにやってくれないか、とご機嫌とりにホテルのバーからドリンクをちょろまかして振る舞ってやる。こうしてモロー家とジャンヌは知り合い、懇意になっていく。そしてよくあるなりゆきのように、かのイケメンバスケ選手と同じように、宿泊チェックイン前の客室でジャックとジャンヌは”ご休憩”を楽しむようになってしまう。これがジャンヌとジャックの50年以上にわたる寄り添いの始まりである。<br /> 父ジェラールの自営左官屋が立ち行かなくなり、ジャックは食うために軍隊志願を考える(産業のない地方の”学のない”男子の重要選択肢)のだが、父をそれで失ったジャンヌの反対の功あって、町の緑地管理課の作業員という”公務員”職に籍を得る。多くの地方の男たちのなりゆきのようにこれがジャックの一生の職になるのである。ジャンヌはフロント係という不規則な仕事にケリをつけ、その後は田舎町のおねえさん/おばさんに出来る仕事を転々とし、一生の仕事などないがアクティヴな給金取りとして...。<br /> 結婚、出産、両方の親の世話、死別、飼い犬の代替わり.... 小説の時間の流れはテンポ良く進んでいく。乗っている車の車種がどんどん代わり、吸うタバコの銘柄も代わり(地方人は老いも若きもフツーにスモーカーである)、テレビや流行り歌の移り変わり、留守番電話→ノキア→ブラックベリー→スマホ、そんな背景や小道具の変化で読者は今どんな時代なのかを知ることになる。このベゴドーの”コマ送り”は見事であり、世のうつろいは読者の中でイメージ化される。この時間はあっと言う間なのである。世の50年間寄り添ったカップルたちに聞いてみたらいい、この50年はあっと言う間だった、と答えるだろう。これがフツーのなりゆきなのである。<br /> ジャックはフツーに髪の毛を失い、フツーに太鼓腹になり、フツーに昇進して緑地管理課の管理職になり、フツーに親子3人で食えるようになるが、そのいびきに耐えきれずジャンヌは夫婦の寝室から出て、寄宿学校で不在の息子ダニエルの部屋のベッドで眠るようになる。いびきだけではない。ジャンヌには我慢がならないジャックの悪癖がたくさんあり、それは口に出して言ってみてもどうしようもない。ジャックはジャックでジャンヌの態度や行動で理解しがたいことがたくさんあるが、それはどうしようもない。それが理由で(よくフランスの映画で見るような)食器が飛び交う大げんかになることなど一度もない。ジャックにはガキの時分からの腐れ縁のダチ、フレデリックがいて、小さな問題を抱えて寄ってくるダチにはジャックは面倒見がいい。ジャックはジャンヌの誕生日や結婚記念日には小さな贈り物を欠かさない。その40歳プレゼントに、ジャンヌがファンだとわかっているが、自分はどうでもいいイタリア人熱唱歌手<a href="https://www.youtube.com/watch?v=F0T1F9Udpvg" target="_blank">リカルド・コッチャンテ</a>(フランスでは”リシャール・コッシアント”と呼ばれ、ジャックは”イタリアの醜男”と呼ぶ)のナントでのコンサートに招待するくだりはなんとも可愛らしい。<br /> 波風が全くないわけではなく、小さな波風は恒常的にあり、おたがいぶつぶつ言うことは通奏低音である。これではフツー小説にならない。波乱とドラマティックな上昇と下降の展開がない。ながいこと一緒にいるというのは文学的ではない。だがこのベゴドーの描く日々の機微は読ませる。<br /> そんな中で65ページめで、やっと小さな波乱が登場する。いつ頃のことかはジャンヌが記憶していない。おそらく記憶したくない。台所でりんごのタルトを準備している(手にはりんごの皮剥きの包丁が)。家の前に一台のBMWが停車し、中からスーツ姿の若い婦人(ジャンヌよりは10歳は若そうに見える)が降りてきて、勝手口をノックする。ジャンヌはエホバの証人の勧誘だと想像する。エプロン姿で包丁を手にしたまま、ニコルと名乗る女を台所に引き入れる。水を一杯いただきたいと女は言う。水を飲み終えやっと言葉を取り戻した女は、私は5年間胸に悶々と詰まっていたことを吐き出しに来た、と。そして5年前の冬(ほぼひと冬を通して)彼女はジャックと関係があったと告白。<br /></div><blockquote><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">その関係はニコルが妊娠したとわかった時点で終わった。その子の父親が誰なのかを知ることもなく。<br />ー 私には夫がいます</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">ー 私にもいるわよ<br />ー 私が言いたいのは私は夫とも性関係があったということです</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">ー 私にはないわよ</span><br /></div></blockquote></div>そして身篭った子を中絶してその関係は終止符を打つのだが、ニコルはそのことをずっと申し訳なく自分が恥ずかしいと思っていたと言うのだ。彼女曰く、ジャックもそれを心から申し訳なく思っていた、と。その上ニコルが最後にジャックに会った時、ジャックは愛する女性はひとりしかいない、他の誰も愛せない、と言ったというのだ。<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">ー それは誰のことだったのよ?<br />ー あなたですよ</span></blockquote><p>5年間詰まっていた重い重い荷物を女は吐き出し、その重い重い荷物はすべてジャンヌに乗り移ったのである。このディアローグの間、ジャンヌはりんご皮剥きの包丁をずっと手にしたままなのだ。ここのベゴドーのパッセージはこの包丁がいつ凶器に変わるかという契機をほのめかすサスペンス感、ほんとうにうまい。<br /> 帰宅して何事もなかったかのように、焼き上がったりんごタルトを賞味するジャック。ジャンヌは受け取ったこの重い重い荷物に、何か返さねば気がすまないではないか。次の日曜日、テレビの週末スポーツまとめを見ながらくつろぐジャックに、ジャンヌはおもむろに淡々と保険代理店の秘書をしていた時にその所長と関係があった、と告げるのである。ジャックは何も言えない。「私があんたの立場だったらどなるところだけどね」と挑発する。「俺がおまえをどなるって?」としか言えないジャック。こういう問題だけでなく普段でも思っていることをはっきり言えない口下手なジャックだということをジャンヌは見透かしている。これでおあいこだ、とジャンヌは思う。夜遅く、パジャマ姿になってジャックはぼそっと言う「俺も愚かなことをしたことがある」。ジャンヌは驚いたふりをして「それはいつのこと?」と尋ねる。「ずいぶん昔のことさ」とジャックは答えるが、心の中でジャンヌは”5年前とはずいぶん昔のことなのか”と突っ込みたくなるが、あえてしない...。<br /> この小説で唯一の波乱であるこの二人の”不倫”疑惑の箇所は、実に味わい深い。フランス語で言わせてもらえば、実に "savoureux"だ。そしてジャックはこのことを一生気に留め続けるのだ。ここでこの小説の言わんとする”愛”というなんとも味わい深いものが浮かび上がってくる。<br /> 結婚式の時に御託のように読み上げてしまう「病める時も健やかなる時も」をこの二人はやり遂げて50年後にその晩期を迎える。ジャンヌの頭に腫瘍ができ、それを取り除く手術のあと、目覚めるはずのジャンヌはなかなか目覚めない。病院近くのホテルを数度延泊して病室に通っていたジャックは、ほどなく病室に寝泊りするようになり、意識の戻りを待ってさまざまなことを話かけ続ける。泣ける。その努力にもかかわらず、ジャンヌは先に行ってしまう。<br /> 葬儀のあと、ジャックはそのプラモ細工のアトリエに篭り、プラモを作り続ける。ある日そのアトリエの椅子にジャンヌが棺桶に入っていた時のピンク色のドレスで座っている。<br /></p><blockquote><span style="color: #2b00fe;">ー 食事はしたのか? 俺が何か作ってやるよ。<br />ー あなたこそ食べなきゃだめよ、ひどくやせっぽちになっちゃって。<br />ー 俺がやせたらおまえ満足だろ。<br />ー 私はあんたの出っ張ったお腹が好きだったのよ。<br />その履物は彼女のために彼が病院に持って行ったものだったが、彼女はそれを一度として履くことができなかったものだ。彼は立って靴箱まで行って彼女の靴を探して持って来てやりたかったが、なにかの圧力が彼をその合皮椅子に抑えつけた。<br />ー あの保険代理店長とのこと、あれはウソだったんだろ?<br />ー 本当なわけないじゃないの。<br />ー どうであれ、何も変わらないさ。<br />ー ええ、何も変わらないわ。</span></blockquote> このジャンヌの「お迎え」を受けて、ジャックも旅立っていく...。<br /> 時代は移り、世界は変わっても、フランスの田舎でどこにも動かずに静かに目立たずに寄り添って生きた二人。一人息子はフランスのみならず、世界をまたにかけて仕事をし、今は3人の孫と韓国ソウルで暮らしている。かの不倫疑惑を除いては波乱もなく、周りの人たちと同じように楽しみ、同じように伴侶に不満を抱きながら生きた50年の年代記、これはフツー文学になり得ないものであろうが、ベゴドーの名調子はその逆を証明してしまう。あんたたちがどう言おうが、これは”愛”である。<p></p><p><b>François Bégaudeau "L'amour"<br />Editions Verticales刊 2023年8月17日 90ページ 14.50ユーロ<br /></b><br /><b><span style="color: #741b47; font-size: large;">カストール爺の採点:★★★★☆</span><br /></b><br />(↓)ボルドーの独立系書店Mollat制作の動画で自著『L'Amour(愛)』を語るフランソワ・ベゴドー<br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/aHg6uBp1PxI" width="538" youtube-src-id="aHg6uBp1PxI"></iframe></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-15277780799404920612023-11-09T18:47:00.001+01:002023-11-11T18:37:48.404+01:00マリリン・マンソン・ノー・リターン<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg5bxWdJm2LZ51xcbX92HRRKpEA_OucqHXkyAy43ooLjsalEuZwpH3xYVwd8_gv4T6-uXjgON3I7mkzE4lydRW6-DbGGAHsseD94OsbCAxnGYr2O-pHec8XKvvIoZiu9UR4h9TpMuw2LbhE-Dn0QlQRyxzporL4JGRPqSDVAhu8heXKyVPo-e9ESsX_FfnL/s4028/IMG_0294.jpeg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="4028" data-original-width="2744" height="277" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg5bxWdJm2LZ51xcbX92HRRKpEA_OucqHXkyAy43ooLjsalEuZwpH3xYVwd8_gv4T6-uXjgON3I7mkzE4lydRW6-DbGGAHsseD94OsbCAxnGYr2O-pHec8XKvvIoZiu9UR4h9TpMuw2LbhE-Dn0QlQRyxzporL4JGRPqSDVAhu8heXKyVPo-e9ESsX_FfnL/w189-h277/IMG_0294.jpeg" width="189" /></a></div><p></p><div style="text-align: left;"><b><span style="font-size: x-large;">2023</span></b>年11月6日、今年のルノードー賞は1965年生れの女流作家<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Ann_Scott" target="_blank">アン・スコット</a>の10作目の小説『Les Insolents(無礼な人々)』に与えられた。1990年代の音楽(ロック、テクノ、ファッション、映像、アンダーグラウンドカルチャーから出てきた人で、<a href="http://pepecastor.blogspot.com/search/label/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%88" target="_blank">ヴィルジニー・デパント</a>と同棲していた時期もある。1990年代から”パリの音楽業界人”であった私とも近くにいてもおかしくなかったようななつかしさがある。デパントが”大作家”になったこととは距離ができたであろうが、書き続けていたのだね。10作めでルノードー賞ということは「やっと認められた」感は否めないが、書き続けてよかったのだ、と祝福したい。受賞作は後日当ブログで必ず紹介する。<br />2001年、私のウェブサイト『<a href="http://pepecastor.blogspot.com/search/label/O%27French%20Music%20Club" target="_blank">おフレンチ・ミュージック・クラブ</a>』は彼女の2作目にして、アン・スコットの名(フランシス・<b>スコット</b>・フィッツジェラルドから拝借したペンネーム)を一躍世に知らしめた小説『スーパースターズ(Superstars)』を紹介していた。読み返して”あの時代”が無性になつかしくなった。以下に再録するので、この感じ、共有できる人たちがいてくれたらうれしい。</div><div style="text-align: left;"><br />★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★<br /><br /><p></p><span style="color: red;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiwbkFc-qDv5H8H7YtBCSwHrDlbXbGTuunDQyszQqorOKcAdjjIm2ZqYGWkmGuId3eYi43b-GQoGg8wFuj-zNuaFF5h24g3n1NIMkeqCjVhT8UFXW7Iy5Dv8c47_oBR1qLAvjywiJy5PuvWciaQpcq5rySKAhRs5KCxFkpMsKxD8NPTqg-WGeoIoD8LY0YL/s347/M0208067837X-large.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="347" data-original-width="220" height="272" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiwbkFc-qDv5H8H7YtBCSwHrDlbXbGTuunDQyszQqorOKcAdjjIm2ZqYGWkmGuId3eYi43b-GQoGg8wFuj-zNuaFF5h24g3n1NIMkeqCjVhT8UFXW7Iy5Dv8c47_oBR1qLAvjywiJy5PuvWciaQpcq5rySKAhRs5KCxFkpMsKxD8NPTqg-WGeoIoD8LY0YL/w173-h272/M0208067837X-large.jpg" width="173" /></a></div>これはウェブ版『<b>おフレンチ・ミュージック・クラブ</b>』(1996 - 2007)上で2001年1月に掲載された記事の加筆修正再録です。</span> <br /><br /><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">Ann Scott "Superstars"<br />アン・スコット『スーパースターズ』</span><br /></b><br /><b><span style="font-size: large;">(Flammarion刊 2000年10月)</span><br /></b><br /><b><span style="font-size: x-large;">2000</span></b>年の大ベストセラーのひとつで、元広告マンによる広告業界の内部告発的な小説『<a href="https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784048970211" target="_blank">99フラン</a>』を書いた<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B0%E3%83%99%E3%83%87" target="_blank">フレデリック・ベグベデ</a>は、今テレビでかなり露出している作家/評論家となっていて、言うことも容姿も私にはたいへん苦手な男なのだが、こいつがテレビでこのこのアン・スコットの2作目の小説を「<a href="http://pepecastor.blogspot.com/search/label/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B4" target="_blank">クリスティーヌ・アンゴ</a>のテクノ・ヴァージョン」と紹介したのだった。<br /> 私は本欄でクリスティーヌ・アンゴを2冊紹介するほど、アンゴを高く評価する者であるが、このベグベデの安直なアンゴのカタログ化にややむっとくる。彼が言いたいのは、ナルシスティックな美貌の持ち主であること、超高速で興奮しまくりかつ問答無用のエクリチュール、バイセクシュアルであること、といったことなのである。この条件が揃えば誰でもアンゴというわけにはいかんだろうに。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj5Tby9HLh87voV5RUN2BaP_xWE5vdb0P2PTIZfzyg3fUkVHwa4l-fYaWlN2C-SLtHa9DYxrAlfl6idfbTFrV6a6fA_xTXwKvEM5SJCZMIRINGhQ5v6x-F9fvKdSXdoqZEdDgpXqd9wWuH5x7D3SvVL0mrvinFlb-WlOTkVhLITnqYLQduzjXFQZS3cn3IT/s1024/ann-scott-new-york-manifesto21-737x1024.jpeg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1024" data-original-width="737" height="257" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj5Tby9HLh87voV5RUN2BaP_xWE5vdb0P2PTIZfzyg3fUkVHwa4l-fYaWlN2C-SLtHa9DYxrAlfl6idfbTFrV6a6fA_xTXwKvEM5SJCZMIRINGhQ5v6x-F9fvKdSXdoqZEdDgpXqd9wWuH5x7D3SvVL0mrvinFlb-WlOTkVhLITnqYLQduzjXFQZS3cn3IT/w185-h257/ann-scott-new-york-manifesto21-737x1024.jpeg" width="185" /></a></div>(<span style="font-size: x-small;">←2000年代のアン・スコット</span>)<br /> アン・スコットは1996年に最初の長編小説”<a href="https://www.librairie-gallimard.com/livre/9782290048931-asphyxie-ann-scott/" target="_blank">Asphyxie(窒息)</a>"を発表していて、パンクロックと死を通奏低音とするこの小説は、文学誌だけでなくロック・ジャーナリズム(ロック&フォーク誌、レ・ザンロキュプティーブル誌等)からも高く評価された。それに続くこの『スーパースターズ』は音楽環境をロックからテクノに変えて、その音楽的状況描写も多く含みながら、パリのエレクトロミュージックシーンの現場内部にる若い女性群像を描いている。<br /> 音楽アーチストの話者(私=ルイーズ)は、ふたつの大恋愛に終止符を打って、独り身の生活を送っている。最初の恋人はニッキという名の男。キース・リチャーズを心の師として70年代的な職人気質のギタリストで、彼のリーダーシップの下でルイーズはベーシストとなり、大いなる音楽的影響を受けることになる。次の恋人がアレックスという女。金持ちの娘にして売れっ子のDJ。ルイーズはこの女からレスビアンの性技四十八手裏表(カーマスートラと言うべきか)を教わった。このアレックスとの破局の末、行く先を失って、パリのクラブ「<a href="https://rexclub.com/" target="_blank">レックス</a>」でぼろぼろになっているところからこの小説は始まる。助け舟はたまたま居合わせた造形アーチストのアリス(ニッキの妹)で、アリスとアパルトマンをシェアしているファッションクリエーター見習いのパラスと共に、ルイーズを共同生活者として迎えいれる。</div><div style="text-align: left;"> パラスは最初ルイーズに対して露骨に意地悪で、分の悪い家賃の折半や彼女の作った家内規則(あれもいけない、これもいけない)を押し付けてきたのだが、まもなくしてアリスが独立してこのアパルトマンを出て行き、パラスとルイーズの二人暮らしとなった時点で急激に融和し、密接な友好関係となって、加えて時には同じベッドで寝るということになる。しかしパラスはどう思っていたかは明らかではないが、ルイーズにとってこれは恋愛ではなくダチづきあいでしかなく、身を焦がした過去の二つの恋愛のような重要さは微塵もないと思っている。アレックスとの濃厚強烈な同性愛関係をやめたあと、どちらかと言えば精神的で音楽的なニッキとの関係への懐かしみも強くなる。またフィジカルな欲求だけならば、セフレの男友だちもいるし、アレックスとの強烈なプレイを再現することも可能だ。しかしながらルイーズの求めているのはそういうものではない。<br /> <a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Revenu_minimum_d%27insertion" target="_blank">RMI</a>(最低生活補償支給)の受給者であり、明日をも知らない生活を送っていたルイーズに、レコード会社ヴァージンが契約書とアルバム1枚制作の前払金10万フラン(約180万円 = 当時)を送ってきた。すでに音楽で糧を得て生きているニッキとアレックスと肩を並べたようなものだ。31歳にしてやっと巡ってきたチャンスに、ルイーズは自分が生きて愛してきた音楽のインテグラルなサウンドを創造しようと企てる。すなわち、70年代のロックと今日のエレクトロ・ミュージックの統合であり、ニッキとアレックスから影響されたもののすべてである。<br /> そういう一大転換期に、ルイーズは17歳の少女イネスと出会う。イネスはその時アレックスの寵愛を一身に受けていて、あとでわかるのだが同居人パラスもひそかに想いを寄せている美少女である。最初にルイーズに言い寄ってきたのはイネスだった。歳の差のこともあり、アレックスとパラスの手前もあり、ルイーズは当初は躊躇し、抵抗していたのだが、なんともあっけなく陥落してしまう。激愛してしまう。電話を待ってそわそわし、こっちからかけるべきかな、こっちからかけたらどう思われるかな...そわそわ、いらいら... といった感じの少女向け恋愛ロマンのような純愛描写が可笑しい。そしてこの四角関係を恐れず、ルイーズはイネスにすべてを賭ける、というレベルまで燃える恋心を昇華させていく。<br /> ところが、現実はルイーズの思惑とは激しくかけ離れていて、アレックスと別れてすべてを捨ててルイーズのもとに来ると言っていたイネスは土壇場で裏切るし、ことの次第に呆れ果てたパラスはルイーズとの親友関係を一刀両断に断ち切ってしまう。すべてに絶望し自分を失ったルイーズはドラッグで底無しのジャンキーに転落し、やがてヴァージンからの前払い金で新しいアパルトマンと契約して新しい生活を開始する、というところで小説は終わる。<br /><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgK25Hcc7dqHxWkVTL9prVd4lbcOk5xemLBKfYGdyLfkNo7RcO9cDdBajWi_4v9CZuTOntBKqbzhifsnncWRoTd0EpRQBwtLaBHVpsRuT-uqMyof-Z-koikWyqPIDD_ZsjklzIe7-Pc8xbFtmvRFk0Im7TsTCb15TyjQcVZWJGKs2j2ILpmbtTUEoYL_Rvt/s621/AVT_Ann-Scott_9788.webp" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="621" data-original-width="520" height="231" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgK25Hcc7dqHxWkVTL9prVd4lbcOk5xemLBKfYGdyLfkNo7RcO9cDdBajWi_4v9CZuTOntBKqbzhifsnncWRoTd0EpRQBwtLaBHVpsRuT-uqMyof-Z-koikWyqPIDD_ZsjklzIe7-Pc8xbFtmvRFk0Im7TsTCb15TyjQcVZWJGKs2j2ILpmbtTUEoYL_Rvt/w193-h231/AVT_Ann-Scott_9788.webp" width="193" /></a></div><span style="font-size: x-small;"> (2023年ルノードー賞小説『無礼な人々』を持つアン・スコット→)</span><br /> 私には親しい音楽業界の若い女性たちの口から出てくるような、テクノ〜エレクトロの内輪ボキャブラリーが随所に見えるこの小説は、アーバンな若い女性の街言葉口語体で書かれていて、活字行間のつまった310ページという長さにもかかわらず、かなりのスピードで読むことができる。そういう意味ではポップな小説なのかもしれない。しかし、テクノにはメッセージがない。この小説の中で引用されるのは、ローリング・ストーンズ「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=8kl6q_9qZOs" target="_blank">ギミー・シャルター</a>」、マリリン・マンソン「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=5R682M3ZEyk" target="_blank">ザ・ドープ・ショー</a>」といったロックのリファレンスである。特にマリリン・マンソンはこのテクノ的環境にありながら、例外的に光り輝く純粋精神の象徴のように、これらの若いアーバン女性たちに憧憬されている。<br /> そして小説の山場として訪れる、この31歳の女性の純愛の急上昇と急降下は、アン・スコットのバックボーンそのままにパンクでありトラッシュである。読む者のセンセーションは、ノイジーな轟音ギターがギョイ〜〜〜ンとフィードバックして鳴り止まない状況に似ている。<br /> かのベグベデが紹介の時に強調していたが、かなり濃密な同性愛の情交シーンの描写があり、さらにかなり濃密なドラッグ体験の描写がある。流血しながら愛し合うイネスとルイーズのパッセージは実にショッキングであるが、まさにエレクトリックなこの小説の純愛表現はこうでしかありえなかったのだろう。マリリン・マンソンのステージショーはこの小説の中でリアルな現実である。しかしマリリン・マンソン的ヴィジュアル表現がこの小説を代表するものでは断じてない。<br /><br /> 最後に小説の中でルイーズのダチでジョーク好きのエヴァがいくつか話す「金髪女ジョーク(blagues sur les blondes)」の中の最高傑作を紹介しておく。</div><div style="text-align: left;"><blockquote><span style="color: #2b00fe;">ある金髪女がクリスマスの日に会社をクビになった。家に帰ると今度はその彼氏が女と別れると言う。女は車に乗りひとっ走りして来ようと外に出たが、そこで女は大事故に遭遇してしまい、車はぺしゃんこになってしまう。もう私の人生はすべて台無しだと嘆き、女はモンパルナス・タワーまで歩いて行って、そのてっぺんから身投げしようと決心する。さあ、いざ身投げしようとした瞬間に、女の背後から「やめなさい」という声がする。振り向くと、なんと驚いたことにそこにはサンタクロースが立っている。女はサンタクロースにことの次第を説明する「私はこの24時間のあいだに仕事も恋人も車も失ってしまったのです、だから死にたいのです」と。するとサンタクロースは優しく「よしよし今宵はクリスマスだからおまえにも贈り物をあげよう。地上に降りたらまっさらの新車がおまえを待っておるし、家に帰ったらおまえの恋人がおまえを抱きしめてくれるだろうし、明日会社に言ったら会社は何事もなかったようにおまえを迎えてくれるだろう」と。女は仰天して心躍らせ「なんてすばらしい贈り物なんでしょう。私はあなたにどうやってお礼したらいいでしょう?」と。すると赤装束の老人は「ご存知の通り、私は天の世界ではトナカイたちと一緒だが、寂しい思いをしておる。だからちょっとだけ慰みごとをしてくれるとうれしいのだが...」と。金髪女はあまり気が進まなかったが、タワーのてっぺんで周りには誰もいないし、まあ事態が事態であるから、と思い、ひざまずいてサンタクロースの赤いマントの中に分け入った。サンタクロースは女の髪を撫でながら聞いた「おまえの名前は何と言う?」。金髪女は口いっぱいにものをほおばりながら答えた「私の名はパメラです」。サンタクロースは女の髪を撫で続けながら聞いた「パメラは歳はいくつかね?」。金髪女は口いっぱいにものをほおばり続けながら答えた「32歳です」。するとサンタクロースは言った「パメラ、おまえは32歳にもなってサンタクロースを信じているのかね?」</span></blockquote>(↓)マリリン・マンソン「ザ・ドープ・ショー」<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/5R682M3ZEyk" width="524" youtube-src-id="5R682M3ZEyk"></iframe><br /><br />(↓)あまりいい動画ではないが、2000年12月、国営テレビFrance 2 のティエリー・アルディッソンのトークショー"Tout le monde en parle"に自著"Superstars"のプロモーションで出演、アルディッソンのしょうもない質問に答えるアン・スコット。<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/KxuFuJfIXfA" width="523" youtube-src-id="KxuFuJfIXfA"></iframe></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-89392754070213371782023-11-02T14:26:00.002+01:002023-11-03T23:39:27.272+01:00ひとかけのシクルさえあれば<div><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiaY4B7vZG9r-gXGHhWh-dQIFN7MUZTQs4jXjcxiP0BJWTW02ifWqHDI8QgTLF7V9S6ROR8PUUaZ8m1RXl_nQGSGt4GQEKXMHa0QZ8w1uqqliZbUYWLPi3wmDLp1H4MjXQ6HrYj9hNDnYmtVPR2wftl6t1VM2GffI5beA8e3sg3jY4pbfb7MnuC1si9LsfI/s600/3_3700398728568.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="600" data-original-width="580" height="249" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiaY4B7vZG9r-gXGHhWh-dQIFN7MUZTQs4jXjcxiP0BJWTW02ifWqHDI8QgTLF7V9S6ROR8PUUaZ8m1RXl_nQGSGt4GQEKXMHa0QZ8w1uqqliZbUYWLPi3wmDLp1H4MjXQ6HrYj9hNDnYmtVPR2wftl6t1VM2GffI5beA8e3sg3jY4pbfb7MnuC1si9LsfI/w240-h249/3_3700398728568.jpg" width="240" /></a></div><p></p><div style="text-align: left;"><span style="font-size: x-large;"><b><span style="color: #800180;">Francis Cabrel "Un morceau de Sicre"<br />フランシス・カブレル「ひとかけのシクル」</span></b></span></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><b><span style="font-size: x-large;">今</span></b>から(ほぼ)ちょうど3年前、2020年10月にリリースされたカブレルの14枚目のアルバム『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2020/11/blog-post_11.html" target="_blank">蘇った夜明けに(A l'aube revenant)</a>』は、自らブックレットに記してあったようにオクシタニア/トルバドゥール文化に直接的にオマージュを捧げる曲が4曲もあり、南西フランスの文化遺産に強烈にインスパイアされた作品だった。その中の1曲「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=vcInYuNwK7s" target="_blank">中世のロックスターたち(Rockstars du moyen âge)</a>」の歌詞はフランス語とオック語で書かれていて、共同作詞者としてクロード・シクルの名がクレジットされていた。<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Claude_Sicre" target="_blank"><br />クロード・シクル</a>(1947 - )はトゥールーズのオクシタン・カルチャー・リヴァイヴァルの旗手的音楽デュオ、<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Fabulous_Trobadors" target="_blank">ファビュルス・トロバドール</a>(活動開始1986年)を率い、<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Quartier_Arnaud-Bernard" target="_blank">アルノー・ベルナール地区</a>での住民文化運動、マイノリティー言語を擁護する国際言語フェスティヴァルなど多岐にわたる文化活動で、トゥールーズの行動的大衆文化人として広くからリスペクトされている現在76歳の(長髪の)万年青年。フランシス・カブレルが長年根城としているだけでなく活動の本拠地(録音スタジオを含む)としている小さな村ロット・エ・ガロンヌ県<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Astaffort" target="_blank">アスタフォール</a>はトゥールーズとは100キロ離れているものの、オクシタニアの都トゥールーズの文化圏に属していると言えよう。カブレルのプロミュージシャンとしてのデビューは今や伝説となっているトゥールーズの録音<a href="https://www.youtube.com/watch?v=AU5-uxFOf74" target="_blank">スタジオコンドルセ(Studio Condorcet</a>)であり、パリに行くことなくカブレルはそのシンガーソングライターとしての土台を築いた。土地の文化人クロード・シクルとは古くから交友していたようだが、それはオクシタニアとトルバドゥール文化の伝道者にして碩学のシクルがカブレルにその奥深い歴史あるオック文化を教授し、インスピレーションを与えるものだった。言わば師弟のような。おかげで非オック語者だったカブレルもかなりのオック語つかいになっている。</div><div style="text-align: left;"> 上述の前アルバムに収められた「中世のロックスターたち」はアルバム発表の2年前2018年に、トゥールーズの北東に位置するアヴェイロン県都ロデスのフェスティヴァルで(クロード・シクル見守る中で)、オック語の男声ポリフォニーグループ Corou de Berraを従えたアンサンブルで初演されている。これがフランシス・カブレルのオック語歌唱のデビューであった。(↓2018年ロデス撮影の動画)<br /></div><br /><iframe allow="autoplay; clipboard-write; encrypted-media; picture-in-picture; web-share" allowfullscreen="true" frameborder="0" height="314" scrolling="no" src="https://www.facebook.com/plugins/video.php?height=314&href=https%3A%2F%2Fwww.facebook.com%2Fvillerodez%2Fvideos%2F1647602541956097%2F&show_text=false&width=560&t=0" style="border: none; overflow: hidden;" width="560"></iframe><br /><br />(↓)参考までに。これは同じフェスの時期にロデスで録画された(フランシス・カブレルを相手に)トルバドゥールの歴史を講釈するクロード・シクル。<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/iWhc8KQFj1E" width="542" youtube-src-id="iWhc8KQFj1E"></iframe><br /><br />**** **** **** ****<br /><br />とまあ、ここまでがクロード・シクルとフランシス・カブレルの3〜4年前の大接近+カブレルの”オクシタニア人”としての目覚めみたいな前触れである。<br />2023年、カブレルは新アルバムを作れるような状態ではなく、言わばアイディアの枯渇期なのだそうだが、焦って作ろうという気は全くなく、天からのインスピレーションを気長に待っている。このシングル盤は2014年に娘のオーレリー・カブレルが地元アスタフォールに設立した音楽制作会社(+アスタフォールの録音スタジオ運営) <a href="https://www.baboomusic.fr/" target="_blank">Baboo Music</a> のために作った。オーソドックスな方法での(独立の)音楽制作事業が大変難しい時期であるのを見ての、父親からの援助みたいな動機だと思う。だからカブレル所属のメジャー会社(Sony Music)はこのシングル盤に関与していない。ラジオ等にオンエアされないのはそのせいであろう。<br /> 曲はクロード・シクルとその町トゥールーズへのオマージュである。曲名”<b>Un morceau de Sicre</b>"(シクルひとかけ)は、"sucre"(シュクル=砂糖)との駄洒落であり、通常”角砂糖ひとかけ”と言うところを”シクルひとかけ”としたわけ。ところで"<b>Un morceau de sucre</b>"という曲名(フランス語訳であるが)の曲は存在する。1964年ディズニー映画『メリー・ポピンズ』、原題(英語題)では”A spoonful of sugar"、日本語題は「お砂糖ひとさじで」となっている。(↓)フランス語吹き替え版『メリー・ポリンズ』から "Un morceau de sucre"、なんという名曲!<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/ZZ8Vb5-qs0g" width="519" youtube-src-id="ZZ8Vb5-qs0g"></iframe><br /><br /> さてこちらは"Un morceau de Sicre"(シクルひとかけ)、作詞作曲フランシス・カブレル。クロード・シクルの地区住民運動の拠点アルノー・ベルナール地区ほか、さまざまなトゥールーズを象徴するものが歌詞に登場する。フットボールはそれほど強くはないが、ラグビーは滅法強く、その黒と赤のチームカラーは楕円形ボール世界ではつと有名。トゥールーズを代表する音楽アーチストでは<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Claude_Nougaro" target="_blank">クロード・ヌーガロ</a>(1929 - 2004)を忘れてはならない。歌詞中では "ville où les Claude suivent"(クロードたちが次々に現れる町)となっているが、これはクロード・ヌーガロ→クロード・シクルと複数の偉大なクロードの町という意味。そしてレ・モティヴェ(<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Motiv%C3%A9s_!" target="_blank">Les Motivés</a>、<a href="http://pepecastor.blogspot.com/search/label/%E3%82%BC%E3%83%96%E3%83%80" target="_blank">ゼブダ、ムース&ハキム</a>、同名の市民運動)、それから今日最もポピュラーなトゥールーズの兄弟ラップ・デュオ、<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%26%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC" target="_blank">ビッグフロ&オリ</a>も歌詞で出てくる。超売れっ子のこの兄弟ラップはこの歌の公式クリップの中にも登場している(3分7秒め)。クリップにはトゥールーズの往年の音楽人たち(ジャン=ピエール・マデール、ミッシェル・アルトメンゴ、<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89mile_Wandelmer" target="_blank">エミール・ヴァンデルメール</a>、リシェール&ダニエル・セフなど)も出演している。もちろんクロード・シクルその人も(2分45秒め)。<br />
<p class="MsoNormal"><span style="font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;"></span></span></p><blockquote><p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;">美しいトゥールーズは路線バスのバレエで目覚める<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;">前日と同じような一日だけど、温度は少し上がっている<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;">アルノー・ベルナール地区の空で数羽の鳩が追いかけごっこ<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;">カフェ・ノワールにシクルひとかけ<span lang="EN-US"><br />
</span>カフェ・ノワールにシクルひとかけ<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span>これはと大いなるミステリーだが、ここで生きるのはみんな<span lang="EN-US">100</span>%なんだ<span lang="EN-US"><br />
</span>外に出ていくと何もやることがない、「いつ戻るんだ?」ってことばかり気になる<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;">それは磁力波か特別な空気でつながりあっているのか、誰も知らない<span lang="EN-US"><br />
</span>カフェ・ノワールにシクルひとかけ<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;">カフェ・ノワールにシクルひとかけ<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span lang="EN-US" style="font-family: trebuchet;"> </span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;">さあ歌えや歌え、燃え上がる町、動け、黒と赤の町、<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;">レ・モティヴェが生きる町、クロードたちが次々に現れる町、<span lang="EN-US"><br />
</span>大河の町、炎の町、ビッグフロとオリがスラム詩を詠む町<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;">直立する町、誇り高い町、キャピタルになる条件をすべてを持った町<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span>ここではすべてのボールが楕円形、群衆の中では<span lang="EN-US"><br />
</span>誰かが必ずそのトランクの中にコショネとペタンク玉を持っている<span lang="EN-US"><br />
</span>土地が人間を作り、みんなその鏡の中で育っていく<span lang="EN-US"><br />
</span>カフェ・ノワールにシクルひとかけ<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;">カフェ・ノワールにシクルひとかけ<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span>妖精が降りてきて、そこを歩く通行人とトルバドゥールに変えてしまう<span lang="EN-US"><br />
</span>突然そいつは口達者になり、チャチュ(辻説法)を披露する<span lang="EN-US"><br />
</span>それは歴史の奥底からやってきたアーバンミュージック<span lang="EN-US"><br />
</span>カフェ・ノワールにシクルひとかけ<span lang="EN-US"><br />
</span>カフェ・ノワールにシクルひとかけ<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span>さあ歌えや歌え、燃え上がる町、動け、黒と赤の町、<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;">レ・モティヴェが生きる町、クロードたちが次々に現れる町、<span lang="EN-US"><br />
</span>大河の町、炎の町、ビッグフロとオリがスラム詩を詠む町<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;">直立する町、誇り高い町、キャピタルになる条件をすべてを持った町<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span>美しいトゥールーズは路線バスのバレエで目覚める<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;">前日と同じような一日だけど、温度は少し上がっている</span></span></p></blockquote><p class="MsoNormal"><span style="font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;"><br />(↓)オフィシャルクリップ<br /></span></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/bTwnBukbvuM" width="542" youtube-src-id="bTwnBukbvuM"></iframe><br /><br /><b>Francis Cabrel "Un morceau de Sicre"<br />7"single Bamoo Music/Kuroneko FC45T23<br />フランスでのリリース:2023年10月13日<br /><br /><span style="color: #741b47; font-size: large;">カストール爺の採点:★★★★☆</span><span style="font-size: medium;"><br /></span><br /><br /></b>(↓)「中世のロックスターたち」(2021年、カブレル”トロバドール・ツアー”のDVDより)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/vcInYuNwK7s" width="545" youtube-src-id="vcInYuNwK7s"></iframe></div>
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{page:WordSection1;}</style></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-19672224505479474172023-10-31T20:45:00.005+01:002023-11-01T18:41:32.716+01:00パティ・スミスと『地獄の季節』<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEirAPwS96wYLRI2N0GCUE1c1BzVvGQmu2kqPlMYkYnMcKNeeN5n9E3iV7PMfuS1sJ23PL3YSG6n4nbDK6rJbe_IGVGTxo81gITyXFk2Sm7fCyAjd2GlpNyou8aiMjgfcCRa4IlS6TNOe9h5rNJkcmc2BNvmRXBGHeuUJhLl45NhAhf5AIyaHHGWHeRNRgCz/s1500/71OgXV93UzL._SL1500_.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1500" data-original-width="1161" height="276" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEirAPwS96wYLRI2N0GCUE1c1BzVvGQmu2kqPlMYkYnMcKNeeN5n9E3iV7PMfuS1sJ23PL3YSG6n4nbDK6rJbe_IGVGTxo81gITyXFk2Sm7fCyAjd2GlpNyou8aiMjgfcCRa4IlS6TNOe9h5rNJkcmc2BNvmRXBGHeuUJhLl45NhAhf5AIyaHHGWHeRNRgCz/w214-h276/71OgXV93UzL._SL1500_.jpg" width="214" /></a></div><p></p><div style="text-align: left;"><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">ランボーを読む、それは初めてコルトレーンを聞く衝撃</span></b><br /><br /><b><span style="font-size: x-large;">ガ</span></b>リマール社によるアルチュール・ランボー『地獄の季節』(1873年)の150周年記念エディションの監修構成をパティ・スミスが担当し、スミスの写真とデッサンとテクストを増補した大判(250mm x 325mm、176ページ)豪華本が2023年9月28日に刊行された。その序文で彼女はこう書いている。<br /><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="ja"><blockquote><span style="color: #2b00fe;"><<
彼の顔のイメージとその詩に私が初めて惹かれ、動顛し同時に魅了されたのは16歳の時だった。その酔わせる魅力に深く浸り、読んだばかりのことを思い出せぬほど、私は震えてそこから抜け出た。しかしながら彼の言葉は私の脳に深く刻まれ、死に至る霧の中に漕ぎ出る幽霊船のデッキに縛りついた綱のように私に巻きついた。地獄の季節は私にとって、濃縮ハシッシュや多量のアルコールのような若き日のドラッグだった。>></span></blockquote><br />16歳の時から心酔し、詩人を”アルチュール”と兄弟のように呼ぶパティ・スミス、彼女の記念すべきファーストアルバム『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%82%B9" target="_blank">ホーシズ(Horses)</a>』(1975年) は当初の予定では10月20日(アルチュール・ランボーの誕生日)にリリースされることになっていたが、遅れが発生し、”奇跡的にも”(パティ・スミス自身の表現)11月10日(ランボーの命日)に発表されている。彼女の並々ならぬランボー愛について、2023年10月28日付</span><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="ja">リベラシオン紙が2面にわたるインタヴュー記事(聞き手<a href="https://www.youtube.com/watch?v=a-befOtn9GQ" target="_blank">フレデリック</a>・ルーセル)を掲載している。そのほぼ全文を、以下に(無断)翻訳した。<br /><br /></span>
<p class="MsoNormal"><span style="font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;"><b></b></span></span></p><blockquote><p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;"><b>リベラシオン:</b>『地獄の季節』の<span lang="EN-US">150</span>周年記念に何か特別なことをしたいと思っていたのはどうしてですか?<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;"><span lang="EN-US"><b>PS</b></span>「<span lang="EN-US">1973</span>年の<span lang="EN-US">100</span>周年記念の時、私は二十代だった。私はシャルルヴィルに赴き、彼の墓参りをしたが、当時誰もそのことを気に留めていないようだった。私にとってそれはいまだかつて書かれたことのない最高の詩集だった。アレン・ギンズバーグ、ウォルト・ホイットマン、ライナー・マリア・リルケなど天才的な詩作品は数多くあろうとも、この詩集を凌ぐものはないと私は思っている。その栄誉は敬わなければならない。彼の生前にそれはなされなかったのだから。」<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span><b>リベラシオン</b>:あなたの変わることのないランボーへの情熱はどこから来るのですか?<span lang="EN-US"><br />
<b>PS</b></span>「私が<span lang="EN-US">16</span>歳の時、フィラデルフィアのとあるバス停の中の陳列台に一冊のランボー詩集『イリュミナシオン』が置いてあったのを見つけた。私はその顔に引きつけられた。その頃私にはボーイフレンドがいなかった。私は全部を理解することはできなかったけれどその言語が非常に美しいと思った。それはコルトレーンを初めて聞いた時のような何かとても新しいものだった。つまり私のランボー発見は二重のものだった。少女だった私はまずこの美しい少年に惹かれ、次いでその言語に魅了された。それは私から一生離れなかった。」<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span><b>リベラシオン</b>:その時の詩集をまだ持っていますか?<span lang="EN-US"><br />
<b>PS</b></span>「盗まれてしまったわ。私はどこに行くにもこの詩集を欠かさず持っていくようにしていたのだけれど、<span lang="EN-US">1978</span>年シカゴ
でトラックに積んでいた私たちのツアーの荷物(ギター、ピアノ、ドラムセット<span lang="EN-US">...</span>)全部が盗まれてしまった。その中に私の小さな旅行バッグもあって、中には『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%82%B9" target="_blank">ホーシズ(<span lang="EN-US">Horses</span>)</a>』のコスチューム、『イリュミナシオン』詩集、ウィリアム・バロウズの私へのメッセージが書き込まれていた本などが入っていた。<span lang="EN-US">1978</span>年、誰かが私の『イリュミナシオン』詩集を盗んだのだけど、その人がそれを大事にしてくれたらと願っている。元はと言えば私自身それを盗んだのだから。あの当時その本は<span lang="EN-US">1</span>ドルもしなかったのだけど、私にはお金がなかったのよ。」<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span>(中略)<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span><b></b></span></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><b><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjWdmGm7yuy1TA4qkyQBPFZsaH4Zjel_Bg-_jIxiER8f3Fjq8whOUljIGMFzZlqrtVSe9-e9EqGIAVxPD2QE4jTcuXB4MOuvBGvd9lYjwxRyjb6_6twDHVbnZRfR57Hl7XAzv9GSBLehaY02_mqplPBbZCXQZ5veZriGPonLeW88a2IBUQkYN6vAoMxk0Hj/s960/N2YT6LFMUZCURF3SP4D32K4F7M.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="960" data-original-width="768" height="261" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjWdmGm7yuy1TA4qkyQBPFZsaH4Zjel_Bg-_jIxiER8f3Fjq8whOUljIGMFzZlqrtVSe9-e9EqGIAVxPD2QE4jTcuXB4MOuvBGvd9lYjwxRyjb6_6twDHVbnZRfR57Hl7XAzv9GSBLehaY02_mqplPBbZCXQZ5veZriGPonLeW88a2IBUQkYN6vAoMxk0Hj/w209-h261/N2YT6LFMUZCURF3SP4D32K4F7M.jpg" width="209" /></a></b></span></div><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><b><br />リベラシオン</b> :<span lang="EN-US"> 1873</span>年<span lang="EN-US">7</span>月<span lang="EN-US">10</span>日にヴェルレーヌがランボーに発砲したピストルもあなたにとって貴重なオブジェではないですか?<span lang="EN-US"></span></span><p></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;"><span lang="EN-US"><b>PS</b></span> 「私はそれを最も早い時期に見ることができた人間のひとりだ。<span lang="EN-US">2014</span>年の夏、ツアーでブリュッセルに寄ったとき、ベルギー王立図書館のすぐ近くのホテルに宿泊していた。王立図書館で私のアルチュール・ランボーへの心酔を知っている人がいて、
私のエージェントにこう電話してきた“最近非常に特別なものが納品になり、まだ誰も見ていない、パティなら見たがるのではないだろうか?”。図書館司書が私の前にひとつの菓子箱のようなものを置いた。柔らかい紙に包まれて、<span lang="EN-US">1</span>世紀以上もの間ある引き出しの中に仕舞われていたかのピストルがあった。皮肉なことにヴェルレーヌがランボーをピストルで撃ったホテルはそこから遠くない通りを上ったところにあった。その武器を慎重に光沢紙の上に置き、許可をもらって私は写真を撮った。<span lang="EN-US">2015</span>年このピストルはヴェルレーヌが<span lang="EN-US">2</span>年間投獄されていたモンス刑務所に展示され、私はその時自分の手で持つことができた。その後ピストルは競売にかけられ売却された。このピストルはあの当時一種の魔力があった。」<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span><b>リベラシオン</b>:このピストルがこのように非常に象徴的lな意味を持っているのはどうしてですか?<span lang="EN-US"><br />
<b>PS</b></span> 「その銃声の炸裂がヴェルレーヌを監獄に送り、ランボーをシャルルヴィルに送り返しかの傑作詩集を完成させることになった。この小さなピストルはすべての中心だった。私は私がこの本に書いたことについて長い間考えあぐんでいた。私は英語で書かれたすべての評伝を読み、熟考の末、自分の直感に従うことにした。この二人の詩人の関係とランボーの作品あるいはランボーという人間そのものについて研究した者なら誰でもあらゆるスペクトルを容認しなければならない。
幾人かのランボー研究者たちは彼の挙動を咎めもする。われわれの文化環境は少なくともアメリカにおいては批判的傾向に転じていった。ランボーをその多くの挙動によって判定することはできる。しかしその判定は彼の最良の文学作品のいくつかを封印してしまう方向にも向かってしまう。ランボーが後世に残したもの、それは彼の挙動ではなく、彼の言葉である。私が<span lang="EN-US">1970</span>年代の自分自身の少女時代を見直してみれば、自分がどれほどまでに頑迷で侮蔑的であったかがわかる。私はロックンロールという非常にハードな環境に身をおいていて、当時その世界で女は非常に少なかった。時には剥き出しの悪人のように振る舞い、ドアを蹴り破ることが必要だったのよ。」<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span><b>リベラシオン</b>:この『地獄の季節』<span lang="EN-US">150</span>周年記念版は、あなたの写真、デッサン、テクストで増補された一種の豪華本となっています。どのように作業されたのですか?<span lang="EN-US"><br />
<b>PS</b></span> 「これは私にとって大変栄誉ある仕事だった。この記念版が十分価値あるものであるように、私は細部にわたって確認し熟考し、それは目次にまで及んだ。私は最初にすべてを手書きで書いてからタイプ転写したのだけど、ガリマールは私のテクストの一部を手書きのまま割り込むことにしたのよ。」<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span lang="EN-US" style="font-family: trebuchet;"> </span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;"><b>リベラシオン</b>:あなたの筆跡は見事ですね。<span lang="EN-US"><br />
<b>PS</b></span> 「私は<span lang="EN-US">1950</span>年代初頭に育ち、インク壺と羽ペンで書き方を学んだ最後の世代に属するのよ。<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%97" target="_blank">ロバート・メイプルソープ</a>(<span lang="EN-US">1946 – 1989</span>)は私と同い年で、走り書きの美しい筆跡をしていた。私は『独立宣言』のような古い手書き文が大好きで、こんなふうに書けるようになりたかった。少女時代『独立宣言』の複写は<span lang="EN-US">1/4</span>ドルで買うことができて、そっくりの書き方になるように私は何度も何度もそれを書写したものよ。」<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span>(中略)<span lang="EN-US"><br />
<br />
</span><b>リベラシオン</b>:シャルルヴィルにはどれほどの回数足を運んでいますか?<span lang="EN-US"><br />
<b>PS</b></span> 「<span lang="EN-US">1970</span>年代から何度もひんぱんに。そこに行くたびに私はいつも興奮している。ランボーがシャルルヴィルを嫌っていたことを知っていても、彼はそこで生まれたのだから。私が全く初めてそこを訪れた時、ランボー博物館は閉まっていて、私は涙にくれていた。博物館の番人が私に温情をかけてくれて、中に入れてくれた。そこは埃っぽい場所で、彼のマフラーやコップや食器や地図帳がガラス陳列器の中に納められていた。私は床に座り込み、彼の似顔絵を描いた<span lang="EN-US">...</span>。」<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="color: #2b00fe; font-size: small;"><span style="font-family: trebuchet;"><b>リベラシオン</b>:(<span lang="EN-US">2017</span>年にパティ・スミスが買い取ったシャルルヴィルから<span lang="EN-US">40</span>キロのところにありランボーが少年時代に篭って詩作をしていたとされる)ロッシュの農家はどういうものにするつもりなのですか?<span lang="EN-US"><br />
<b>PS</b></span> 「この家はランボーの母親の持ち物だった。<span lang="EN-US">1917</span>年にドイツ軍によって破壊され、その後同じ姿で再建された。私はそれを作家のレジデンスにしたいと思っている。ランボーのように苦悩する作家がひとりだけで滞在できるような場所に。私にとって最も重要なことは“家”ではなく、“土壌”なの。これが『地獄の季節』の土壌。その上で彼が夢想しながら眠っていたひとかけらの土地。最も偉大な文学作品のひとつが創造された場所として私は保存したいのよ。」</span></span><span style="color: #2b00fe;"><span lang="EN-US"></span></span></p>
<style><span style="color: rgb(43, 0, 254);">@font-face
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{page:WordSection1;}</span></style><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="ja" style="color: #2b00fe;">(Article </span><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="ja" style="color: #2b00fe;">par <a href="https://www.youtube.com/watch?v=HIactLQ9uAA" target="_blank">Frédérique</a> Roussel, dans</span><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="ja" style="color: #2b00fe;"> Libération du 28 octobre 2023)</span></blockquote><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="ja"><br /><br />(↓)2023年10月、国営テレビ France 5「グランド・リブレリー」オーギュスタン・トラプナールによるパティ・スミスインタヴュー。(<span style="color: red;"><b>YouTubeで見る</b></span>をクリックしてください)<br /></span></div><div style="text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/0xm4ak8BlrI" width="546" youtube-src-id="0xm4ak8BlrI"></iframe></div><br /></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-48304699959357637122023-10-26T22:43:00.001+02:002023-10-27T13:49:51.934+02:001年ではすまない<div style="text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhrQGQ9m_PjjzsNqlxCSkkf-6R9bvxw0z8baAsActeXI4lJbSGLATZBwo9OuGmX9rElRDDhQVlu_LWur4ROL2BFAVDZiwnW_iSdWxY2oNOXEyUHVZbI_OAI7j0jqXhgCtaPJ7whoMlMcepPajsQK_j83PR6k0GbKBc9s0Rl1sLFYVI2geg-f7drnfvfgBXW/s1080/2333550.webp" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="797" height="286" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhrQGQ9m_PjjzsNqlxCSkkf-6R9bvxw0z8baAsActeXI4lJbSGLATZBwo9OuGmX9rElRDDhQVlu_LWur4ROL2BFAVDZiwnW_iSdWxY2oNOXEyUHVZbI_OAI7j0jqXhgCtaPJ7whoMlMcepPajsQK_j83PR6k0GbKBc9s0Rl1sLFYVI2geg-f7drnfvfgBXW/w211-h286/2333550.webp" width="211" /></a><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">"Une année difficile"<br />『苦しい1年』</span><br /></b><br /><b><span style="font-size: large;">2023年フランス映画<br />監督:<a href="https://pepecastor.blogspot.com/search/label/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%80%E3%83%8E%EF%BC%86%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5" target="_blank">エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカッシュ</a><br />主演:ピオ・マルマイ、ノエミー・メルラン、ジョナタン・コーエン、マチュー・アマルリック<br />フランスでの公開:2023年10月18日</span></b><br /><br /><a href="http://pepecastor.blogspot.com/search/label/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%80%E3%83%8E%EF%BC%86%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5" target="_blank"><span style="font-size: x-large;"><b>ト</b></span>レダノ&ナカッシュ</a>の8本目の長編映画。2014年の『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2014/10/blog-post_17.html" target="_blank">サンバ</a>』以来トレダノ&ナカッシュ映画3作で花を添えていた女優<a href="http://pepecastor.blogspot.com/2014/10/blog-post_17.html" target="_blank">エレーヌ・ヴァンサン</a>が今回は出ていない。ちょと残念。<br /> さて、”社会派”色の強いコメディー映画の巨匠になってしまったトレダノ&ナカッシュの『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2019/10/blog-post_30.html" target="_blank">規格はずれ(Hors Normes)</a>』(2019年)に続く4年ぶりの新作。前作が自閉症保護施設の現場という「これコメディーにしていいんですか?」という観る前の躊躇を一挙に吹き飛ばす超ヒューマンな快作に仕上がっていたので、事前の不安はないが、今回のテーマは「非暴力・直接行動派エコロジスト集団」と「多重債務(surendettement)」である。多重債務とは(金融広報中央委員会のサイトによると)「すでにある借金の返済に充てるために、他の金融業者から借り入れる行為を繰り返し、利息の支払いもかさんで借金が雪だるま式に増え続ける状態を指す」と説明されている。返済不可能とわかっていてもまた借りる、クレジット機関質屋家族親族友人同僚...あらゆる借りられるところから借りて、借金地獄の末、世から見放される。やっぱり、これ笑いのタネにしていいのかな?と思ってしまう。</div><div style="text-align: left;"></div><div style="text-align: left;"></div><div style="text-align: left;"> 前作『規格はずれ』のスタイルを踏襲して、今回も主役は男二人のタンデムである。多重債務のどん底で生きているのに植木等的オプティミズムでぶあ〜っと(ほぼ無責任に)その日暮らしをしているアラフォー男である。見栄を張り、後先顧みずに衝動買いを繰り返し、近親の人間関係を壊し、わかっちゃいるけどやめられないライフスタイル。ブルーノ(演ジョナタン・コーエン)は、払えるわけのない住宅ローンで買った家を法的執行によって追い出される瞬間にあり自殺も辞さずという局面にありながら、ネットで見た個人オファーの格安大画面テレビが欲しくてポチり。アルベール(演ピオ・マルマイ)はそのテレビを「<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%BC_(%E8%B2%B7%E3%81%84%E7%89%A9)" target="_blank">ブラックフライデー</a>」の狂乱の争奪戦に勝って手に入れ、ネットで買い手となったブルーノのところに届け現金化しようとその家に着くとブルーノの自殺未遂に立ち会ってしまう。二人はこうして出会う。アルベールはCDG空港の手荷物運送員(かなりきつい仕事だが、滑走路や税関エリアまで入れる特権あり)として低給料で働いているが、住むところはなく、身の回り一切を旅行スーツケースに詰め、夜は空港サテライトの旅客待合室のベンチで”旅行者然”として寝泊りしている。唐突だが私はCDG空港勤務の経験があり、映画で映し出されるこの空港環境の裏側も知っている。アルベールは影で渡航客の持ち込み持ち出し禁止物品の没収ストックの横流しなどをして(あぶない)副収入を得ているが、多重債務の雪だるま借金の返済など夢の夢。<br /> この多重責務現象の大きな原因のひとつが新リベラル経済システムが激烈に推進する過剰生産&過剰消費のサイクルである。超大量の無用の”新製品”を消費者を誘導して買わせる商業システム、それは消費者たちの極端な貧困化を招くだけでなく、莫大な量の廃棄物によって環境も破壊する。このシステムの最悪の象徴として、この映画の冒頭は「ブラックフライデー」商戦の狂乱を映し出す。その当日、開店前に長蛇の列ができた某大型家電量販店、そのまだ閉じているシャッターの前に直接行動派エコロジストの一団が「ブラックフライデー粉砕」を掲げてスクラムを組み、長蛇の列の客たちの入店を阻止しようとする。しかし何が何でも入店しようとする気の立った消費者たちに叶うわけがない。その消費者たちの先頭にアルベールがいた。</div><div style="text-align: left;"> エキストラ400人を動員して撮られたというこの家電量販店のブラックフライデー商品争奪の(ルールなし、反則規定なし)肉弾戦は、スローモーションで映し出され、バックにはジャック・ブレルの美しい曲「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=EyKRPKHpzgw" target="_blank">華麗なる千拍子</a>(La valse à mille temps)」が流れる。壮大さを帯びたヴァイオレントな映像と対照的な優美なメロディー。このシーン感動さえ覚える。なおブレル「華麗なる千拍子」は映画最後部のエモーショナルなシーンでもう一度流れる。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjibxDexVnJoVMhbn3bbSsioVkZaBGDiiWQyrmEdPVJm9fM0mNuEFV-9f629bLSdFMv1-3a7VlwXtJD9QaHh_OpNoUUA1xvKxFqqx-duV-lH3HPYPt49nRuxifXyyswm4DxXv-M9e003y37gW83T2mXhw1nddcEqg29IuSExiQP9I4wNQGO5uiX6DJt5Pn9/s1600/1273429.webp" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="900" data-original-width="1600" height="159" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjibxDexVnJoVMhbn3bbSsioVkZaBGDiiWQyrmEdPVJm9fM0mNuEFV-9f629bLSdFMv1-3a7VlwXtJD9QaHh_OpNoUUA1xvKxFqqx-duV-lH3HPYPt49nRuxifXyyswm4DxXv-M9e003y37gW83T2mXhw1nddcEqg29IuSExiQP9I4wNQGO5uiX6DJt5Pn9/w283-h159/1273429.webp" width="283" /></a></div> さて、このブラックフライデー粉砕の直接行動に出たエコロジスト集団のリーダー格の女性カクチュス(活動家としての源氏名Cactus = サボテン、実生活の名がヴァランティーヌ)(演ノエミー・メルラン)と、二人のダメ男・多重債務者が接近/交流していくというのが映画の流れ。文無しのブルーノとアルベールが、タダでビールとチップスが振る舞われるというので立ち寄った、このエコロジストグループの環境問題フォーラム集会で、二人はそのディスクールや討論内容には全く興味がないものの、その若々しく楽しそうな雰囲気に溶け込んでいく。この集団は、日々その緊急性が増し続けている地球温暖化と環境問題を議会や既成政党に任せておいては手遅れになるという危機感から、市民ひとりひとりが今できることから始め、全人類に警鐘を鳴らさんと、非暴力直接行動に出た言わば”グレタ・トゥンベルグ以降の”新しい波。映画に出てくる直接行動の例では、自動車道を堰き止めてメッセージの横断幕を掲げたり、集約(産業)畜産農場の動物を逃したり、動物博物館内で<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3" target="_blank">ダイ・イン</a>したり...。なお、この映画にこのグループのメンバーとしてエキストラ出演しているのは、実在するエコロジスト集団の人たちなのだそう。前作『規格はずれ』でもその自閉症児養護施設の中に出てくるのが(軽度重度の差はあれ)実際にその疾患を持った子供たちだった。これはトレダノ&ナカッシュの本当に勇気ある映画作りの証左。<br /> 一方多重債務者たち向けにも、救済市民団体があり、衝動買いやクレジットの罠にかからないためのコーチングや、ブルーノやアルベールのような”手遅れ”の超借金持ちを「<a href="https://www.houterasu.or.jp/app/faq/detail/00793" target="_blank">自己破産手続き</a>」によって負債ゼロにまで導く手伝いをしている。この救済センターの相談役アンリ(演マチュー・アマルリック、好演!)がブルーノとアルベールの件を担当し、親身になって両者の資料を吟味し、自己破産申し立て書類を準備してやるのだが.... アンリ自身が極度のギャンブル依存症でカジノのブラックリストに乗っていてカジノ入場を拒否されるというギャグが待ち受けている。コメディー映画ですから。それはそれ。フランスでこの自己破産申し立てを受理して借金をご破算にしてくれる公機関はフランスの中央銀行 <a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%8A%80%E8%A1%8C" target="_blank">Banque de France</a>である。しかしアンリが尽力して用意した申請書類はブルーノもアルベールも虚偽記述が多かったり悪い前例がバレバレだったりで、両方とも却下されてしまう。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjfdsEyDNsZmMXg_5w0vxzE6nMpmUimwWzyICkeOFC46zLamY0ivRRCSjZuS1Ig80uBhKumc0jKnQf6Jw7MZ6ZBmRC-z0muRPI2gKWGHxGq9IkmdX7xIPRC2oI8mLedKM3I7Dzog4f4BtXU1zFNvzIyLd0jZfxgzJ9DoMAHCprqopqUH6PTem1yS9krDJyS/s1600/1259389.webp" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="900" data-original-width="1600" height="159" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjfdsEyDNsZmMXg_5w0vxzE6nMpmUimwWzyICkeOFC46zLamY0ivRRCSjZuS1Ig80uBhKumc0jKnQf6Jw7MZ6ZBmRC-z0muRPI2gKWGHxGq9IkmdX7xIPRC2oI8mLedKM3I7Dzog4f4BtXU1zFNvzIyLd0jZfxgzJ9DoMAHCprqopqUH6PTem1yS9krDJyS/w283-h159/1259389.webp" width="283" /></a></div> 最初は全くその気がなかったのに、この集団のやっていることが面白くなって(+アルベールに芽生えてきたカクチュスへの恋慕の情も手伝って)二人は積極的に派手なエコロジスト行動に参加するようになり、やがてカクチュスを補佐する中心的メンバーにまで。それをいいことに、この種の世直し運動にシンパシーを抱く富裕老人層からの物品寄付される高級品を横流しして現金化してふところに入れたり。そしてさらに悪知恵の働くブルーノは、次の抗議活動の標的として、リベラル経済による過剰生産・過剰汚染の元凶のひとつフランス中央銀行バンク・ド・フランスで派手な示威行動でメッセージを訴えようと提案する。抗議活動に銀行警備が注意を取られている間に、二人は銀行内に潜入し、書類置き場にファイルされている自分たちの自己破産申請に押された「不許可」スタンプをホワイト修正液で「許可」に変える...。書類偽造作戦はまんまと成功するが、銀行正門での派手な抗議活動の果てにブルーノとアルベールはカクチュスを巻き込んで警察に逮捕されてしまう。そして数時間の勾留の後で、警察署から出てきた3人は運動の英雄として大喝采されることになる。アルベールとカクチュスの恋はだんだんいい感じに。<br /> この映画を酷評するメディアは少なくない。その主な理由のひとつが、あまりにもエコロジスト運動をカリカチュア化しているというもの。ノエミー・メルラン演じるエコロジストリーダーが、大金持ちの令嬢であり(運動メンバーたちも富裕層の子女的なおもむきあり)、環境危機をあまりにも精神的に取り込んでしまって病気になり、セラピーのように運動に全身全霊を打ち込むようになった、と。この立ち位置は『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2014/10/blog-post_17.html" target="_blank">サンバ</a>』(2014年トレダノ&ナカッシュ映画)でのシャルロット・ゲンズブール(バーンアウト休職している巨大企業女性管理職が、移民労働者支援のNGOで見習いとなっている)とほぼ同じ。ノエミー・メルラン、すばらしい女優さんなのに、この役はかなり軽い。コメディー映画ですから。<br /> そしてこういう運動の中には往々にしてゲシュタポ的な人物がいるもので、アルベールが急速にカクチュスといい仲になりつつあるのを嫉妬してか、アルベールがかのブラックフライデーの封鎖ピケを一番先に破った場面や、寄付品の横流し販売の場面など証拠動画をメンバー全員の前で暴露する。カクチュスは真っ青になり、アルベールはエコロジスト集団から追放される....。</div><div style="text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEggjHAxmYx5A2wyDf34bZBGbsnQMGVljxxpyjUiLynpcgZs-tRIVM27KPl_HKRWdKTC82rdXnD2Frm_33lSpfsVMpNk-6J10TNr7sbDQ_ZEr8MTFsPWQ4f3a2TEtiVLgQFhUpdvtqDSd64YBpcPRdeZjM06BvAOUoLffL-VYc7nsckNSPs4hwXPKrWRLJ-x/s1600/4725518.webp" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="900" data-original-width="1600" height="158" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEggjHAxmYx5A2wyDf34bZBGbsnQMGVljxxpyjUiLynpcgZs-tRIVM27KPl_HKRWdKTC82rdXnD2Frm_33lSpfsVMpNk-6J10TNr7sbDQ_ZEr8MTFsPWQ4f3a2TEtiVLgQFhUpdvtqDSd64YBpcPRdeZjM06BvAOUoLffL-VYc7nsckNSPs4hwXPKrWRLJ-x/w280-h158/4725518.webp" width="280" /></a></div> 運動に残ったブルーノは兄弟分アルベールの名誉回復復権を画策し、メンバーたちにはアルベールの介在を秘密にして、CDG空港滑走路での旅客機離陸をエコロジストメッセージの大横断幕でストップさせるコマンド作戦を企画する。メンバーたちはリスクが大きすぎると難色を示すが、ブルーノには絶対の自信がある。上に書いたようにCDG空港の裏の裏も知っているアルベールは、影で首尾よく行動隊の滑走路侵入を手助けし、その場で再会したカクチュスはアルベールの真摯な行動に心動かされる。滑走路に出現し、発煙筒を焚き、横断幕を広げて、離陸しつつある旅客機を寸前でストップさせてしまうシーン(ここでサウンドトラックとして<a href="https://www.youtube.com/watch?v=CIrvSJwwJUE" target="_blank">ドアーズ”ジ・エンド”</a>が流れる)、これは美しい。しかし空港警備隊の車両が群をなしてその現場に猛スピードで急行し、その一台がカクチュスをはね飛ばしてしまう...。<br /><br /> 山も谷もある2時間映画。今回のタンデム、ピオ・マルマイとジョナタン・コーエンのキャラクターには深刻さは何もない。温暖化・環境変動に真剣に何とかしなければという市民意識の深刻さも薄い。多重債務地獄や新リベラル資本主義地獄への真剣な省察などない。コメディー映画ですから。それでもそれらを笑える”見方”というのは非常に有効だと思う。トレダノ&ナカッシュ映画としてはたぶん『サンバ』の次ぐらいに評価の低い映画になりそうだが、私はこの楽天性がずいぶんこの極めて難しい世界の動き(映画はイスラエル・ハマス戦争の最中に公開された)に一息つかせてくれるものだと感じた。だが映画題となっている <b>Une année difficile</b> =難しい1年、苦しい1年、困難な1年は、1年ですむわけはない。<br /><br /> 病院に収容されたカクチュスは長い間昏睡状態で眠っている。その病床にはずっとアルベールがついている。どれほど長い日数が経ったろうか。待ち続けたアルベールと共にパリも変わっている。ようやくカクチュスは目を覚まし、アルベールは病院からカクチュスを連れ出し、パリの町に出ていく。通りには誰もいない。ロックダウンのパリ。通りの端に大きな鹿の姿が見えたりする。誰もいない美しいパリの通りで、二人はワルツを踊る。ジャック・ブレル「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=EyKRPKHpzgw" target="_blank">華麗なる千拍子</a>」に乗って。ここでどれだけ私は救われたことか。<br /><br /><b><span style="color: #274e13; font-size: large;">カストール爺の採点:★★★☆☆</span><br /></b><br />(↓)”Une année difficlle(苦しい1年)”予告編 <br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/hTVHCbUyX4M" width="523" youtube-src-id="hTVHCbUyX4M"></iframe><br /><br />(↓)素晴らしい挿入歌 ジャック・ブレル「華麗なる千拍子」(1959年)公式クリップ<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/EyKRPKHpzgw" width="522" youtube-src-id="EyKRPKHpzgw"></iframe></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-82852606682312764682023-10-18T22:14:00.002+02:002023-10-19T09:17:38.715+02:00文学への入り方はいくらでもある<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiocUJ5L14TCyvHCvfoDOU7R5D942FNzuF5Dv_rLC2mp5CxflecpcHAgWPmdmALOZtCsBnKvi4LxR4WORrJGJ6H3IBI_VCl2NvLiI1QMc0x5TzW8CObCQ6yCBF3ehs_Kd8L762T8GGbCfrUfu0Hw988BUhKjs_8Pmng2TdFFrIu6BVro8RRRpASLiPat2xL/s3790/IMG_4460.jpeg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2706" data-original-width="3790" height="211" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiocUJ5L14TCyvHCvfoDOU7R5D942FNzuF5Dv_rLC2mp5CxflecpcHAgWPmdmALOZtCsBnKvi4LxR4WORrJGJ6H3IBI_VCl2NvLiI1QMc0x5TzW8CObCQ6yCBF3ehs_Kd8L762T8GGbCfrUfu0Hw988BUhKjs_8Pmng2TdFFrIu6BVro8RRRpASLiPat2xL/w296-h211/IMG_4460.jpeg" width="296" /></a></div><p></p><div style="text-align: left;"><span style="font-size: x-large;"><b><span style="color: #800180;">Patrick Modiano "La Danseuse"<br />パトリック・モディアノ『バレリーナ』</span></b><br /></span><br /><b><span style="font-size: x-large;">モ</span></b>ディアノの「作家誕生」の瞬間の記憶を呼び起こした作品は2004年の『<a href="http://pepecastor.blogspot.com/2016/08/blog-post_2.html" target="_blank">ある血統(Un pedigree)</a>』であり、それは話者「私」が1967年6月、出版社から最初の作品出版契約を受け取ったところで終わる。『ある血統』は自伝的にその両親との極めて悪い関係に押しつぶされそうになりながら、成人年齢(当時は21歳)に達して法的にその関係を断ち切りたい思いで、パリであらゆる(怪しげな)出会いを拒むことなくひとりで生きる道を模索していた時期が描かれ、その暗く不安定な時代が22歳で作家としてデビューすることで終焉する。最新小説『<b>バレリーナ</b>』は、その自伝的要素で解題すれば、その最も不安定だった時期に(作家になる前に)”文学”と出会うことになった事情について語られている。小説中で繰り返して現れるフレーズとして<br /><blockquote>I<span style="color: #2b00fe;">l y a tant de façons d'entrer en littérature<br />文学に入る方法はいく通りもある</span></blockquote>というのがある。この小説の中でその当時(不安定で不確かだった若い頃)の「私」は自分の職業をシャンソンの作詞家と称していた。それもまた文学の入り口だったのかもしれない。小説には登場しないが、実生活においてモディアノが作詞家だったのは、(名門リセとして知られる)<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA4%E4%B8%96%E6%A0%A1" target="_blank">アンリ4世校</a>の同級生だった<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Hughes_de_Courson" target="_blank">ユーグ・ド・クールソン</a>(のちのプログレッシヴフォークバンド<b><a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Malicorne_(groupe)" target="_blank">マリコルヌ</a></b>の創設リーダーのひとり)との作詞作曲コンビだった時期があり、その曲のいくつかは<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2014/10/blog-post_10.html" target="_blank">フランソワーズ・アルディ</a>によってレコード化されている。<br /></div><div style="text-align: left;"> 文学の入り口は、言い換えれば書くことへの入り口であったわけで、不安定で混沌としていた青年が書くことによって救済され、生き延びる道を拓いていくという方向に向かうには、それをそれとなく導いてくれた人物が必要だった。この小説ではその名が明かされなず”La danseuse(ラ・ダンスーズ = バレリーナ)"とだけ称される女性が、導いたと言うよりは青年の手本/模範になったと言えよう。<br /> 小説は50年以上前の不確かな記憶の不意の蘇りのように語られる。それは表面が氷結したセーヌ川の氷が割れて、溺死者が水面に浮かび上がってくる、と喩えられている。その蘇りは、過去の痕跡をほとんど残すことなく自分にとって外国の町のように変貌し、巨大なアミューズメントパークかデューティーフリーショップ街に似てしまい、かつて自分が見たこともないほど多くの人々がみんなローラーのついたスーツケースを引いて団体を組んで歩くようになったパリで、不意にかつてのよく知った顔の人物が道を歩いているのを見つけ、記憶は突然に向こうからやってくる、という不意打ちから始まる。冒頭14ページめで、話者「私」はセルジュ・ヴェルジーニなる人物と50数年ぶりに再会した、と確信したが、相手はそれはひと間違いだと否定する。モディアノの小説であるから、嘘か本当かなど明らかにされないし、不明瞭なままでページは進む。<br /> ヴェルジーニはパリの風来坊だった頃の「私」が安アパートを探していた時に出会った男である。現金払いの貸し部屋数件とカフェ、レストラン、ナイトクラブなどを所有する身なりのエレガントなこの男は、裏で何をしているのかわからない凄みを秘めた人物だったが、「私」には妙に優しく、彼が連れて行ってくれたナイトクラブでかの「バレリーナ」と出会うことになる。ヴェルジーニと「バレリーナ」は古くからの縁があり、小説では断片的にしか明かされない複雑な過去を抱えた「バレリーナ」をヴェルジーニが支えてやっているようなのだ。<br /> 「私」と「バレリーナ」の関係は小説で明言されていない。「バレリーナ」の幼い息子ピエールの”キッズ・シッター”であり、学校の送り迎えやバレエのリハーサルやその世界の付き合いで帰宅の遅い「バレリーナ」を彼女のアパルトマンで待ちながらピエールを寝かしつけるという場面は描写されるが、「私」が「バレリーナ」の若い情人のひとりであったことはそれとなくわかる。しかし「私」にとっては情人をはるかに超えた重要さを持った人物であることが、すでに24ページめでこう書かれている。<blockquote><span style="color: #2b00fe;">それは私の人生において最も不確かな時期だった。私はなにものでもなかった。来る日も来る日も私は通りをふらつき、舗道も街灯も見分けがつかず、まるで目に見えないものになってしまったような印象があった。しかし私には模範となる人物があり、その人物はある難しい芸道を日々研鑽していた(中略)。私はこのバレリーナという模範が、その時は明確に意識することはなかったが、少しずつ私の日々の行いを変えるように、私に取り憑いていた不安定さと虚無感から抜け出すようにとしむけていったのだと確信している。</span></blockquote><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhSjd5DYGUaA99iF6se6iwP8UuHs5CE3fT4eUdKHQNGUoNGi6c6uTC8CQReL6RFh4vBELosdYsu-hgRv46SAMnORp43eR5U1hQLd-H5nLcuiFvw3OBzM7NKZ30qwiF0UWQct9M5lI33auIyW5a6-ZtruFB4H_FYyokaRBtEZda0O6Slvc8MJ1FKKMiZKyfR/s170/images.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="170" data-original-width="158" height="170" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhSjd5DYGUaA99iF6se6iwP8UuHs5CE3fT4eUdKHQNGUoNGi6c6uTC8CQReL6RFh4vBELosdYsu-hgRv46SAMnORp43eR5U1hQLd-H5nLcuiFvw3OBzM7NKZ30qwiF0UWQct9M5lI33auIyW5a6-ZtruFB4H_FYyokaRBtEZda0O6Slvc8MJ1FKKMiZKyfR/s1600/images.jpg" width="158" /></a></div><br /> もはやこれがこの小説の核心と言っていい。</div><div style="text-align: left;"> 「バレリーナ」はパリ9区クリシー広場に近い<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Studio_Wacker" target="_blank">スチュディオ・ヴァケール</a>(Studio Wacker = 1923年から1974年まで実在した)というダンス学校 でバレエの練習をしていて、その教師はロシア出身の<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Boris_Kniaseff" target="_blank">ボリス・クニアセフ</a>(1900 - 1975、実在の人物)だった。クニアセフは「バレリーナ」の才能を評価していて、”特待”あつかいをしていた。そして常々バレエ教師は彼女に<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">La danse est une discipline qui vous permet de survivre.<br />ダンスはあなたの生き残りを可能にする種目だ</span></blockquote>と言葉をかけ励ましていた。生きる(vivre)ことではなく生き残る(survivre)ことなのである。ここで私は"discipline"を”種目”と訳してみたが、"discipline"は規律/規則でもあり、規律に沿った厳しい修行のニュアンスもある。「バレリーナ」はクニアセフの厳格なレッスンについていき、一流のバレリーナとして舞台を踏むことになったが、それは生き残り、生き延びることであった。この”discipiline"の厳しさがあって初めて生き残ることが可能になる。「私」はこの”discipline"が自分には必要なのだと悟る。正しくは「バレリーナ」によって悟らされる。「私」と「バレリーナ」に共通しているのは、自分を圧殺してしまいそうな”複雑な過去”から逃れて生き延びることだった。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh1gVUm5eFRgcbmBI3mLgiQjjM9Wtd9gQce6T6xHCxDOyvGJqWY5F6u9-YyEECRKC36unohnCzxh4Se2IcD20q3i47gEII8FDkMLIAnJmlxBN5aJE9RNCz3JZ21H9VHm_AC0zfeTv_kbmnOn-PJIre24miVLwMoNNaY5wUF97seOnK-cKswFUPBCpkVk92h/s3408/IMG_4464.jpeg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="3408" data-original-width="2955" height="258" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh1gVUm5eFRgcbmBI3mLgiQjjM9Wtd9gQce6T6xHCxDOyvGJqWY5F6u9-YyEECRKC36unohnCzxh4Se2IcD20q3i47gEII8FDkMLIAnJmlxBN5aJE9RNCz3JZ21H9VHm_AC0zfeTv_kbmnOn-PJIre24miVLwMoNNaY5wUF97seOnK-cKswFUPBCpkVk92h/w223-h258/IMG_4464.jpeg" width="223" /></a></div><br /> 小説では漠然としか語られない「バレリーナ」の過去は、パリの北郊外<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Saint-Leu-la-For%C3%AAt" target="_blank">サン・ルー・ラ・フォレ</a>という町に凝縮している。この町はモディアノの2014年(ノーベル賞受賞の年)の小説『<a href="http://pepecastor.blogspot.com/2014/10/blog-post_25.html" target="_blank">おまえが迷子にならないように</a>』(爺ブログに<a href="http://pepecastor.blogspot.com/2014/10/blog-post_25.html" target="_blank">紹介記事</a>あり)で、その核心的な舞台となっていて、主人公の子供の頃の記憶の館があり、カタギでない人々が夜な夜な集まっている環境として描かれている。最新小説との直接的な関係は読み取れないが、ここでもやはり怪しげな人々の往来する場所なのである。「バレリーナ」はおそらくこの町で生まれ育ち、そこでバレエを始め、(小説では語られない)両親との混み入った関係があり、息子ピエールの父親との出会いと別れ(おそらくピエール出産前に別れている)があった。この諸々の事情を例のセルジュ・ヴェルジーニは知っている。ピエールの父親のことも知っていて、問題のあった(おそらく町に居られなくなった)男のニュアンスが読み取れる。「バレリーナ」は「私」と知り合った頃は、このサン・ルー・ラ・フォレから郊外電車でパリまで通っていたのだが、「バレリーナ」の過去を知る男につきまとわれ、ヴェルジーニに相談してパリにアパルトマンを見つけてもらい、同時にこのストーカーはヴェルジーニの”手配”によって(生きているか死んでいるかわからないが)姿を見せなくなってしまう。「バレリーナ」がパリのアパルトマンで暮らすようになったのをきっかけに、地方(ビアリッツらしい。ビアリッツもモディアノに因縁の町であり、1949年から2年間、母に捨てられて乳母に育てられていたという経緯がある。この事情からこのピエールという子供は幼いパトリック・モディアノの化身という読み方もできる)で縁者に育てられていたピエールを呼び寄せ、初めて母子で同居して暮らすようになる。この「バレリーナ」とピエールの関係もスムーズにはいかない。その仲をキッズシッターの「私」がとりもっているようなところもある。 <br /> 息子とうまくコミュニケーションできない原因のひとつとして、この「バレリーナ」が非常に口数が少ないということがある。語る言葉が少ないのは「私」に対しても同様であり、「私」にはこの女性の過去のことは薄闇の中にぼやけてしか見えない。過去から逃げたい女はバレエに全身全霊を打ち込むようにして、身を軽くしていっている。まるで地面に足を着けずに歩くことができそうに。過去から解き放たれ、生き延びることが可能になる。そのためには"discipline"が必要だったのだ。「私」は彼女のように"discipline"を見つけたい。<br /> そんな時、パリ5区サン・セヴラン教会の近くのカフェで、<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Maurice_Girodias" target="_blank">モーリス・ジロディアス</a>(1919 - 1990、実在の人物、出版者、1956年<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9" target="_blank">ジ・オリンピア・プレス</a>社社長として、全米の出版社から拒絶されていたウラディミール・ナボコフ『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BF" target="_blank">ロリータ</a>』を世界初出版したことで知られる)と邂逅する。英米の発禁書物をフランスから世界に向けて刊行することで知られたジロディアスは「私」が英語に長けていると知り、フランシス・ド・ラ・ミュール(Francis De La Mure 実在した作家かどうかは定かではない)の"The Glass Is Falling"というエロティック小説の出版前原稿に手を加えて、物語を膨らませてほしい、と依頼する。この申し出に「私」は飛びつき、”discipline"を込めて元原稿に直しを入れ、さらに2章を書き加えるのである。「バレリーナ」の模範に習って、初めて「書くこと」に"discipline"を見出したのである。まさに文学に入る方法はいくらでもあるのだ。<br /> そしてその本が出来上がってくる。本には「私」が手を加えたということはどこにも書いていないし、誰も知りようがない。私はこの本を「バレリーナ」に見せるべきかどうか躊躇する。「これはきみが書いた本ではない」と一蹴されるかもしれない。小説の70ページから72ページまでの3ページ、「私」は見せるべきか見せないべきか自問しながら、セーヌ左岸をさまよい、それでも足はコンコルド橋を渡り、シャンゼリゼ大通り、エトワール広場を経て、17区シャンペレ門地区の「バレリーナ」のアパルトマンまで至ってしまう。この3ページ、若い「私」がためらいながら通って行ったパリの街は美しい。そして目的のアパルトマンが近づいてきた時、「私」は「バレリーナ」が踊るように歩く足が地面から離れていく感覚を味わい、思わず笑いが止まらなくなってしまうのである。モディアノの名調子!<br /><br /> 年上の(影のある)謎めいた女性「バレリーナ」が手本となり模範を示し、不安定で虚無的だった時期から抜け出す契機を開いてくれたことを描く、薄暗闇のパリの中の青年期の記憶。どの記述も曖昧で不透明なのに、読者はこの青年の「トンネル脱出」劇をはっきりと感じ取ってしまう。モディアノ文学の偉大さはここにあるのだよ、お立ち会い。</div><div style="text-align: left;"> </div><div style="text-align: left;"><b>Patrick Modiano "La Danseuse"<br />Gallimard刊 2023年10月5日 100ページ 16ユーロ<br /></b><br /><b><span style="color: #0b5394; font-size: large;">カストール爺の採点:★★★★☆</span></b><br /><br />(↓)自宅書斎で国営ラジオFrance Interのソニア・ドヴィレールのインタヴューに答えて『バレリーナ(La Danseuse)』について語るパトリック・モディアノ(2023年10月3日放送)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/jKCPsRJurEo" width="530" youtube-src-id="jKCPsRJurEo"></iframe></div><br />Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-73321524916689447802023-10-11T15:53:00.002+02:002023-10-11T16:02:13.145+02:00小雨にぬれているわ エアポート<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjZBX4jTjuzmoluhRHSOLWXR_ouFa1b9ULisD01O_d7l9cqCZMSzczCfx5zTbBScURfWe3DmHOe_Uup4gfkE2diXPGOfnWY7BMMtO0MAWmsuM7JIv1R7frL3O_GqwHi_RW0QgLp9G4KBSZvggwXOFuzPnfUmlPxmNzb4fpQna5ROElb8myLAKYbv7nkNx-z/s2048/386358976_887675442728202_2245572469501870699_n.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2048" data-original-width="2048" height="231" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjZBX4jTjuzmoluhRHSOLWXR_ouFa1b9ULisD01O_d7l9cqCZMSzczCfx5zTbBScURfWe3DmHOe_Uup4gfkE2diXPGOfnWY7BMMtO0MAWmsuM7JIv1R7frL3O_GqwHi_RW0QgLp9G4KBSZvggwXOFuzPnfUmlPxmNzb4fpQna5ROElb8myLAKYbv7nkNx-z/w231-h231/386358976_887675442728202_2245572469501870699_n.jpg" width="231" /></a></div><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">Jacques Brel "Orly"<br />ジャック・ブレル「オルリー」</span></b><br /><b><span style="font-size: large;">1977年録音<br />2023年10月9日公開の未発表アコースティック(ギター+ヴォーカル)ヴァージョン</span><br /></b><br /><span style="font-size: x-large;"><b>今</b></span>から45年前1978年10月9日、ジャック・ブレルは49歳でこの世を去った。その1年前、患っていた末期の肺ガンによる死期を察し、マルキーズ島から人目を避けてパリに戻って1977年9月5日から10月1日にかけて録音したのが、ブレル最後のアルバム『<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Les_Marquises" target="_blank">レ・マルキーズ</a>』(1977年11月17日リリース)。「<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Orly_(chanson)" target="_blank">オルリー</a>」はアルバム12曲中、A面の最後6曲めに収められていた。テーマは古今東西幾多のアーチストたちによって歌われた空港での愛する二人の慟哭の別れである。欧陽菲菲「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=lc3yoytxAYI" target="_blank">雨のエアポート</a>」(1971年)、テレサ・テン「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=JULvdLxbilQ" target="_blank">空港</a>」(1974年)、モーターズ「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=UgRZWUAgSK4" target="_blank">エアポート</a>」(1978年)、ムーンライダース「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=7awZo6s3P8Q" target="_blank">モダーン・ラヴァーズ</a>」(1979年)など、1970年代の空港ソングは佳曲ばかりである。<br /><p></p><div style="text-align: left;"> ブレルの「オルリー」はそんな1970年代の空港ソングのひとつであるが、歌い手の視線は”エアポートの別れ”の当事者ではなく、別れの当事者の二人を斜めから観察するものである。悲しい別れを目撃する者は、しまいに別れの先の違う人生まで見てしまう皮肉と(ブレルに関してはよく言われる)ミソジニーが顔をのぞかせる。歌の中でもうひとつの空港ソングが引き合いに出される。それがジルベール・ベコーの「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=QwymfrmwXcA" target="_blank">オルリーの日曜日</a>」(1963年)である。60年代郊外労働者階級家庭のささやかな楽しみが日曜日にオルリー空港に行って世界中に飛び立つ飛行機を見ながら空飛ぶ旅を想像するという歌である。ブレルはこれをサカナにして<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">La vie ne fait pas de cadeau 人生は過酷なことだらけだ<br />Et nom de Dieu, c'est triste Orly le dimanche ベコーがいようがいまいが<br />Avec ou sans Bécaud 日曜のオルリーはなんて悲しいんだ</span></blockquote>というリフレインをもってくる。<br /></div><div style="text-align: left;"> アルバム『レ・マルキーズ』に収められた<a href="https://www.youtube.com/watch?v=Lq5iD-xV9wI" target="_blank">オリジナル・ヴァージョン</a>の編曲では、歌詞一番から最初のリフレインまで生ギターのボロンボロンというストロークと歌だけの”弾き語り”パターンで、歌詞二番から<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Fran%C3%A7ois_Rauber" target="_blank">フランソワ・ローベ</a>によるダイナミックなオーケストレーションが曲を劇的に盛り上げるという構成。で、今回発掘された未発表ヴァージョンは、最初から最後まで生ギターのストロークだけの伴奏というもの。これが驚くほどブレルの詞ことばの陰影と歌唱の生々しさを際立たせることになっている。<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">2000人以上いるはずだが、私にはこの二人しか見えない<br />雨が二人をぴったりと鑞付けしてしまったみたいだ<br />2000人以上いるはずだか、私にはこの二人しか見えない<br />私には二人が何を言っているのかわかる<br />男は女に「ジュテーム 」と言い<br />女は男に「ジュテーム 」と言っているはずだ<br />お互いに約束しあうことなど何もないはずだ<br />この二人は不正直になれないほどやせっぽちなのだ<br /><br />2000人以上いるはずだが、私にはこの二人しか見えない<br />だしぬけに二人は泣きはじめる、大粒の涙で泣きだす<br />周りにいる連中はみな汗かきで脂肪質で希望に満ち溢れ<br />二人に怪訝そうに一瞥をくれるが<br />この上ない悲しみに引き裂かれた二人は<br />彼らをどうこう言う権利など犬にでもやっちまったようだ<br /><br />人生は過酷なことだらけだ<br />ベコーがいようがいまいが<br />日曜のオルリーはなんて悲しいんだ<br /><br />今や二人は大泣きしている<br />二人ともだ<br />さっきまでは男だけだったが<br />まるで壁にはめ込まれたように<br />二人はお互いのすすり泣きしか聞こえていない<br /><br />それから、それから限りなくゆっくりと<br />二つの祈祷する体となった二人は<br />限りなくゆっくりと体を離していく<br />そして体を離していきながら<br />二つの体は引き裂かれる<br />二人は泣き叫んでいたはずだ<br /><br />それから二人はもとの通りになる<br />もとの通り一人の体になり、もとの通り炎になる<br />それから二人はさらに引き裂かれ<br />目と目で見つめ合う<br />そして海が引いていくように<br />あとずさり<br />決別をたしかめる<br />なにがしか言葉を交わし<br />おぼろげに手を振る<br />そしてだしぬけに男は駆け出し、振り返らずに去っていく<br />そして男は階段に飲み込まれるように消えてしまう<br /><br />人生は過酷なことだらけだ<br />ベコーがいようがいまいが<br />日曜のオルリーはなんて悲しいんだ<br /><br />男は階段に飲み込まれ、消えてしまった<br />そして女はそこに残っている<br />苦難の心で、口はふさがらず<br />叫ぶことも語ることもなく<br />女は自分の死を知っている<br />その死と今出くわしたのだ<br />女は振り返り<br />何度も何度も振り返り<br />女の腕は地面に届くほどだ<br />こうして女は今1000年の歳に至ったのだ<br /><br />扉はふたたび閉じた<br />光のない世界だ<br />女はくるくる回る<br />女は既に知っている<br />自分はこうして常に回り続けるのだと<br />彼女は男たちを失った<br />しかし今彼女は愛を失っているのだ<br /><br />愛は彼女に言う<br />またこの役立たず女か<br />この女は待つことだけの未来のために<br />生き続けるだろう<br />またこの弱虫女か<br />売り物にされる前に<br />私がついているよ、私が付き添ってやるよ<br />群衆が女をなにかの果物みたいに<br />かじりついても<br />私は何もできないがね</span></blockquote><br />(↓)ジャック・ブレル「オルリー」(未発表アコースティック・ヴァージョン)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/l9CA52MCK-o" width="519" youtube-src-id="l9CA52MCK-o"></iframe><br /><br />(↓)ジャック・ブレル「オルリー」(アルバム『レ・マルキーズ』1977年オリジナルヴァージョン)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/Lq5iD-xV9wI" width="517" youtube-src-id="Lq5iD-xV9wI"></iframe></div><p> </p>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-16728555722018159392023-10-02T16:47:00.000+02:002023-10-02T16:47:01.470+02:00鍋の美味しい季節になりました<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhOCt74zZfwgGIo2SXLjFCzMmzxYZUg2gC34uCkgee9dAqtJWAoPuQEV7PhFcgeQ_ph-QgkQghvxe5KbQgZUoDD7zZaEV_IwbmDmbP5i5D1HSci2x9ggtZob-NWm62A5jCuf1qLiD2XPz05q7Vp1eUx_FGLSWeJMEb8NH78Rzd1L0sVfFK4Z5gDzkWrX9pT/s446/9782073032263_1.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="446" data-original-width="305" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhOCt74zZfwgGIo2SXLjFCzMmzxYZUg2gC34uCkgee9dAqtJWAoPuQEV7PhFcgeQ_ph-QgkQghvxe5KbQgZUoDD7zZaEV_IwbmDmbP5i5D1HSci2x9ggtZob-NWm62A5jCuf1qLiD2XPz05q7Vp1eUx_FGLSWeJMEb8NH78Rzd1L0sVfFK4Z5gDzkWrX9pT/s320/9782073032263_1.jpg" width="219" /></a></div><p><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">Fabrice Caro "Journal d'un scénario"<br />ファブリス・カロ『シナリオ日記』</span></b><br /></p><div style="text-align: left;"><b><span style="font-size: x-large;">”na</span></b>vet"(ナヴェ)というフランス語は野菜の蕪(かぶ)のことであるが、現代口語で”劣悪な質の映画”を指す言葉でもあり、それは蕪は煮すぎると味がなくなってしまうからだと説明されている。この小説は当初極めて優れていたたシナリオが、(外部からの圧力で)練って練って練りまくって修正を加える、つまり煮すぎることによってどんどん”ナヴェ”のシナリオに堕していくという悲しくも滑稽な日記による記録である。 <br /> 話者ボリスはアラフィフの映画シナリオ作家である。小説は歓喜と共に始まる。ようやくめぐってきたチャンス。名のある老映画プロデューサーであるジャン・シャブローズが、1年がかりで書いたボリスの長編映画シナリオ草案に食らいつき、手放しで絶賛し(「すべてはここにある」、「何も手を加える必要はない」...)、制作に向けて具体的に動き出そう、と申し出る。このプロジェクトの映画タイトルは『<b>静かなる服従</b>(Les servitudes silencieuses)』,男と女の出会いから別れまでの1年間の機微を詩的ダイアローグを駆使してモノクロ映像で描く、硬派の映画通好みとなるであろう要素に富んだ濃い作品で、主演にはすでに<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%AB" target="_blank">ルイ・ガレル</a>と<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%BC" target="_blank">メラニー・ティエリー</a>と想定してある。フランス映画に詳しいムキには、この二人の主演俳優の名前を並べて見れば、この映画が大衆娯楽映画であるわけがないが、定評ある実力派/個性派のアクター&アクトレスにサポートされた一級の「<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E4%B8%BB%E7%BE%A9" target="_blank">作家主義映画</a>」となろう、と容易に想像できよう。日記にはその作家主義に対応するようなボリスによる監督候補の名が数々出てくるが、願望として強くなっていく名前は<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%83%AC" target="_blank">クリストフ・オノレ</a>に。小説はそんな願望が次から次に破壊されていく過程を描いていく。<br /> この「映画はいかにして死ぬか」のストーリーを軸にして、ボリスの”不本意ながら受け身慣れ”した人柄が浮き彫りにされる二つの並行ストーリーがある。ひとつは友情もの、もうひとつは(ほぼ)恋愛もの。前者はヤンという名の50男で、たぶんガキの時分からの腐れ縁であろうが、妻マルティーヌとの離婚という難しい時期にある。それも別れたいのは妻の方であり、ヤンの方はなんとか引き止めたいのだが、決めたことは決めたこと、という段階。ボリスにはヤンの辛さがよく見えていて(いつしかそれは件のシナリオにも反映されているのだが)、友としての役目を全うしたい心はある。二人の間にはジュールというまだ独り立ちしていない息子がいて、これも両親の離婚で不安定な時期にある。ボリスにしてみれば子供の頃から遊びの相手をしてやった甥っ子のようなつきあいであるが、ヤンは自分の現状の難しさに加えてこの息子の不安定が気がかりで、ボリスによりかかりたい気がある。ジュールは学校でグラフィックを学び、それを実践で使える(つまりプロになる)機会を探しているのだが、父ヤンからボリスのシナリオの映画化が決まったと聞き、その『静かなる服従』という未来の映画のポスター案をボリスに送り始める。試作1、試作2、試作3....、すべてひどいシロモノなのだが、難しい事情を知るボリスは無碍に突き返すこともできず、すべて受け取り褒め言葉を返してやる...。<br /> もうひとつはヤンのホームパーティーで出会ったオーレリーという女性で大学で映画学の教鞭を執る教師。産業の中ではないものの映画の世界内部の人間なので、即座に同じ”言語”で話せる仲。映画の話をしたら何時間でも続けられる。好み/見方が近い。オーレリーがボリスのシナリオプロジェクトについて知った時の熱狂的反応と、その進行状況への興味は熱い。そしてボリスはオーレリーから感想・意見を聞くことが、シナリオ完成に向けての大きな刺激となる。二人は逢瀬を重ねて語り合い、それは少しずつ恋のようなものに近づいていくのだが...。<br /> さて本筋の映画プロジェクトであるが、プロデューサーのジャン・シャブローズは実現のための土台である制作資金出資機関への売り込みをはかった結果、フランス第三の大手民放TVグループである<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/M6_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E5%B1%80)" target="_blank">M6</a>が参画の挙手を。これは願ってもない朗報であり、シャブローズとボリスはほぼ映画が完成したかのような喜び方だったのが...。出資者側もボリスのシナリオ草案に「すべてはここにある」「何も手を加える必要はない」の反応のはずだったのだが、シナリオ作家+プロデューサー+出資会社の三者会議(往々にしてレストランでの会食)は、出資会社が少しずつ「意見」を述べ始める。<br /> ここに登場するメジャーテレビ会社映画事業部門の二人の重役(ともに30代)は、ビジネススクール出の秀才のような市場理論とエンサイクロペディア丸暗記のような映画雑学があり、あなたたちはクリエーターとして作品づくりに専念しなさい、how to succesに関しては私たちにまかせておきなさい、というスタンス。まずコロナ禍で映画館は壊滅的な打撃を受け、それから2年たっても映画館には十分に観客が戻ってきていない。とくにフランス映画には人を「映画館に戻って行こう」という気にさせる作品が少ない。家庭サロンやスマホなどの端末で事足りるようになった映像”エンタメ”(この人たちは映画を”ロット”で十把一絡げにする)に対抗して人々を映画館に連れ戻すには、それ相応のクオリティーが必要だ。そのためには協力していただきますよ、という脅し。それは出資者側の「出資するからには元は取らせていただきますよ」というあからさまなソロバン勘定である。<br /> まず、モノクロ映画は(一部の選良シネフィル向け映画と思われ)大衆を怖がらせ、遠ざける、というイチャモン。男女の詩的ダイアローグとモノクロの濃淡のニュアンスの織りなす繊細抒情映画を想定してシナリオを書いたボリスにとって、これは絶対に受け容れがたいイチャモンであったが....。そのシナリオを大絶賛し、自分を全面的に擁護してくれるはずだった老プロデューサーも早くも出資者に”忖度”する側に鞍替えし...。烈火の怒りをなんとか鎮めて、『静かなる服従』カラー版ヴァージョンへのシナリオ手直しを。<br /> この堰が切れてしまうや、テレビ会社エリート社員二人組は慇懃無礼に「この素晴らしいシナリオのエッセンスを全くそこなうことなく」と前置きして次から次に手直しの必要をほのめかしてくる。主演男優の首のすげかえ。ルイ・ガレルから<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89" target="_blank">カド・メラド</a>へ。これがどれほど落差のある人選であるかは、フランスにいれば明白にわかることでも、ここで私が日本の読者にどうやって説明できることなのか。あえて言えばここで早くも硬派作家主義映画の可能性が限りなくなくなるような、大衆喜劇俳優(しかもアラウンド60歳)の奇をてらった器用である。この俳優がシリアスな演技ができないわけではないし、人情もので味のある存在感の出るアクターである。1983年コリューシュ主演映画『<a href="https://japan.unifrance.org/%E6%98%A0%E7%94%BB/2385/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%B3" target="_blank">チャオ・パンタン</a>』(クロード・ベリ監督)の例もある。ただ、シナリオはカド・メラドのキャラに合わせて大幅な書き直し(なにしろ60男と40女の出会いと別れのストーリーになるのだから)が必要である。烈火の怒りをなんとか抑え、ボリスは原シナリオをエッセンスを失うことなく書き直していくのだが...。<br /> それが終わった頃にテレビ会社エリート社員二人組は、相手役俳優の首のすげかえを申し出る。メラニー・ティエリーからなんと<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A8" target="_blank">クリスチアン・クラヴィエ</a>(現在71歳)へ。仏ブロックバスター喜劇映画の顔とでも形容できる保守系(サルコジと親友関係)金満家俳優がなぜここに?(説明割愛)ー 男女の微妙心理抒情映画はこの段で、初老の男・男(60歳と71歳)のわびさび友情物語への変換を余儀なくされる。順風満帆で生きてきた引退間近の実業家(クラヴィエ)が長年連れ添ってきた妻から離婚を言い渡され失意のどん底へ。慎ましく生きてきたが常に親しい友人だった男(メラド)がその痛みを吸収して、違う未来へと道を拓いてやる...。たそがれた二人の男のわびさびダイアローグが別れを救済する...。これを原シナリオのエッセンスを失うことなく書き直すのがボリスに課せられた仕事。</div><div style="text-align: left;"> ルイ・ガレルもメラニー・ティエリーもモノクロ映画も失い、作家主義映画とは全く縁のない(とは言いながらボリスがメラドとクラヴィエのフィルモグラフィーを追っていったら、そういう硬派映画に少し出演していたりして戸惑う)二人の大衆喜劇スターのために全身全霊かけて書いた一世一代のシナリオを大幅に書き直す。烈火の怒りはタバコの本数を限りなく増やしていく。不可能は不可能なのだ、と言えないのはなぜなのか。ひとりで悩み狂うボリス。<br /> 並行ストーリーに話を振ると、ヤンの妻マルティーヌへの未練は見るも痛々しく(これが↑のクラヴィエ/メラド用に改変されたシナリオにおおいに反映されていく)、ボリスはシナリオ中のメラドのようにヤンの違う未来を模索したり。その一方で息子ジュールは『静かなる服従』ポスター案を、ルイ・ガレルとメラニー・ティエリーのネット拾い画像でフォトショコラージュで何種も送りつけてくる。いずれも駄作だが、主演男優/女優のイメージはボリスの心をグサグサと刺す。<br /> もうひとつの並行ストーリーである映画教師オーレリーとの芽生えつつある恋慕の方は、ボリスがこのシナリオの大幅な改変をどうしてもオーレリーに知らせることができない。「ガレル/ティエリー/モノクロ」映画を誰よりも高く評価しその行く末を知りたくてボリスと逢瀬を重ねているオーレリーの期待を裏切ることはできないではないか。二人はそれを土台にして少しずつ少しずつ愛を深めていっているのだから...。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"> 二人の大衆喜劇スターによるシリアスな友情わびさび映画に変容していった修正シナリオを、テレビ会社エリート社員二人組は大満足で受け取り、ボリスを大称賛するのではあったが、この二大大衆喜劇スター共演に観客が期待するものは何か、全体的にシリアスな硬派映画であることはかまわないが、この二人がいて「お笑い」の要素が少しもないというのは、残念だとは思わないか?、と「お笑い」要素の注入を要求してくる。おまけにこの「お笑い」案は既にテレビ会社エリート社員二人組が用意していて、カド・メラドを宇宙人として設定しよう、というのである。しかもさまざまな音色のオナラを出すことができる宇宙人。このオナラによって地球人の親友クリスチアン・クラヴィエを窮地から救うことができる、というシーンを作ろう、きっと後世においてカルトムーヴィーシーンになること間違いなし、と...。ボリスの我慢の限界はとうの昔に決壊しているのだが、さすがに七色の音色のオナラを発する宇宙人が出てくるとは....。<br /><br /> 映画はこうして死に、ナヴェはこうして生まれる。<br /> ネオリベラル資本主義社会のハラスメントというだけのことではない。クリエーションはいともたやすく食い物にされ、その価値はネット上の言いたい放題と同じほど無責任なやり方で異常に面白がられたり、二度と世に出られないほどこき下ろされたりする。ボリスはこの世界で、職人芸のようにストーリーを綴ることに生命をかけているようにふるまっていたが、威勢の良さは肝腎な時に萎縮してしまう。エゴの薄い書き手。このシナリオがこれでもかこれでもかと底無しの地獄に転落していくさまが、ファブリス・カロ一流の不条理タッチで描かれ、読者は笑いますがね、地獄は地獄というリアルさも伴う。<br /> ファブリス・カロのヒーローたちはみな同じように世の理不尽さを一身に引き受けてもがいている。この「受け身型」人間像は、滑稽である以上に身につまされる。この小説の随所に出てくるたくさんの映画リファレンスは、シネフィルな読者たちにもたいへん刺激的なものだろう。</div><div style="text-align: left;"> </div><div style="text-align: left;"> ボリスは元シナリオの微塵も残っていない、オナラ宇宙人とブルジョワ地球人の友情コメディーのシナリオを完成させる。その印刷コピーを見てしまったオーレリーは絶句してボリスのもとから去っていく。ヤンはもう一度マルティーヌとやり直したいとアクションを起こし、息子ジュールはその仲介として動く。その後プロデューサーからもテレビ会社エリート社員二人組からも、その”決定版”シナリオが具体的に制作に入ったという知らせは来ない。しばらくして、ボリスはオーレリーに再び連絡を取ろうと心に決めて日記は終わる。この読後感は格別。<br /><br /><b>Fabrice Caro "Journal d'un scénario"<br />Gallimard/Sygne刊 2023年8月17日 200ページ 19,50ユーロ<br /><span style="color: #274e13;"><br /></span><span style="font-size: large;"><span style="color: #274e13;">カストール爺の採点:★★★☆☆</span><br /></span></b><br />(↓)ガリマール社作成のプロモーションショートクリップ<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/6eWGFzkOsE0" width="505" youtube-src-id="6eWGFzkOsE0"></iframe></div><br />Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-13874520833816411012023-09-24T15:47:00.001+02:002023-09-26T00:08:56.338+02:00フランシュイヤール・タッチ<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh4GGM4OXADJ_G1C2kp3II_mDdJymxrFhNwwC4R1-xj-wYGCVc07bNkDv-Vm5vUxiRHyTYtjyAQ9EIJR02Cj1SVzFFKdkmzpWxY9BqDC3qV09T04LCk6uT1zrZ7gaMC_RqUM8TLb1TypWzEonsbspbZZkjCu8SC2Wpw36H4fPg-DhGVlEAD23cSKpEpfqIf/s530/frenchkiss.png" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="530" data-original-width="530" height="257" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh4GGM4OXADJ_G1C2kp3II_mDdJymxrFhNwwC4R1-xj-wYGCVc07bNkDv-Vm5vUxiRHyTYtjyAQ9EIJR02Cj1SVzFFKdkmzpWxY9BqDC3qV09T04LCk6uT1zrZ7gaMC_RqUM8TLb1TypWzEonsbspbZZkjCu8SC2Wpw36H4fPg-DhGVlEAD23cSKpEpfqIf/w257-h257/frenchkiss.png" width="257" /></a></div><p></p><div style="text-align: left;"><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">Chilly Gonzales "French Kiss"<br />チリー・ゴンザレス『フレンチ・キッス』</span><br /></b><br /> <b><span style="font-size: x-large;">両</span></b>親からの遺伝と確信しているが、私は子供の頃から歯が弱く、歳と共に次々に悪くなって抜くはめになり、50歳の時についに上下が入れ歯になった。母親も50歳で入れ歯になったそうだから遺伝説は理にかなっている。お立ち会い、よくお聞き、<b>入れ歯人間は<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%82%B9" target="_blank">フレンチ・キッス</a>ができない</b>。これは致命的だ。ゆえに私は50歳の時からディープな恋愛を断念せざるをえなかった。老いるのが早まったような気がするが、おかげでその後はクリーンな人生だった(負け惜しみ)。私はこの地で昔も今も外国人だが、私はフレンチ・キッスはフランスで知った。たいへんな衝撃だった。この衝撃はフランス人にはわからないものかもしれない。外国人、とりわけ英米人に衝撃的だったと解釈できる。それが証拠に「フレンチ・キッス(French Kiss)」とは英語表現であり、それに相当するフランス語はない。英仏直訳の"baiser français (ベゼ・フランセ)"なる言葉は存在しない。フランスでも「フレンチ・キッス」と言うのだ。子供の頃、私は”キッス”とは日本語訳語として一般的な「くちづけ」あるいは「接吻」のことと理解していた。<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%BB" target="_blank">日本語版ウィキペディア</a>によると「吻(ふん)」とは「<span>動物の体において、口あるいはその周辺が前方へ突出している部分を指す」とあるから、「接吻」とはその部分を接することと解釈される。「くちづけ」「接吻」と理解していた人々が、フランスではそれが「舌絡ませ」であると知った時の衝撃、これはフランス人にはわかるまいよ。<br /> チリー・ゴンザレスはわれわれ非フランス人とこの衝撃を共有しているように思われる。ジェイソン・ベック=芸名チリー・ゴンザレスは1972年、カナダのモンレアルで生まれている。現在51歳である。父親がフランス系だったので、家庭ではフランスの大衆音楽(フランソワーズ・アルディ、<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3" target="_blank">リシャール・クレイデルマン</a>...)がかかり、学校ではフランス語を学んだが、母語として血肉化されたのは英語である。英語人がフランス語習得でぶつかる最大の難関がフランス式の"<b>r</b>"音である。--- 日本人も同じか。"r"音を”はひふへほ”で表音するやり方って邪道よ。radio (はディオ)、Paris(パひ)、regarder(ふガふデ)などなどトへビザ〜ふ --- プロのミュージシャンとして活躍すること30余年、カナダ→ドイツを経てフランスに落ち着いたゴンザレスが、長いキャリアの果てに初めてのフランス語アルバムを発表するにあたり、戦略的に取ったアティチュードは、元”非フランス語人”として「フレンチ・キッス」に衝撃を受け、”<b>r</b>”発音習得にめちゃくちゃ苦労したけれど、今じゃフランス人以上に <b>franchouillard</b>(フランシュイヤール : 日本の辞書には”</span><span style="color: #2b00fe;">[形],[名][話]((悪い意味で))いかにもフランス人らしい(人)</span>”と訳語あり)だぜ、と胸を張り出すというものだった。<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">Je parle anglais comme Tony Bl</span><span style="color: #783f04;"><b><span>air</span></b></span><span style="color: #2b00fe;"><br />トニー・ブレ</span><span style="color: #783f04;"><b><span>ール</span></b></span><span style="color: #2b00fe;">のように英語を話し<br />Je parle allemand, Adolf Hitl</span><span style="color: #783f04;"><b><span>er</span></b></span><span style="color: #2b00fe;"><br />アドルフ・イトレ</span><span style="color: #783f04;"><b><span>ール</span></b></span><span style="color: #2b00fe;">のように独語を話す俺<br />Mais en français je prononce les "</span><span style="color: #783f04;"><b><span>r</span></b></span><span style="color: #2b00fe;">"<br />だが仏語では”</span><span style="color: #783f04;"><b><span>エール</span></b></span><span style="color: #2b00fe;">”を発音できるんだぜ<br />Ecl</span><span style="color: #783f04;"><b><span>air</span></b></span><span style="color: #2b00fe;">, tonn</span><span style="color: #783f04;"><b><span>erre</span></b></span><span style="color: #2b00fe;">, pomme de t</span><span style="color: #783f04;"><b><span>erre</span></b></span><span style="color: #2b00fe;"><br />稲妻(エクレ</span><span style="color: #783f04;"><b><span>ール</span></b></span><span style="color: #2b00fe;">)、雷鳴(トネ</span><span style="color: #783f04;"><b><span>ール</span></b></span><span style="color: #2b00fe;">)、ジャガイモ(ポム・ド・テ</span><span style="color: #783f04;"><b><span>ール</span></b></span><span style="color: #2b00fe;">)<br />( .... )<br />Je viens du Canada<br />俺はカナダ出身<br />J'aime les castors, mais à la frontière<br />カストール(註:カナダの国獣)は大好きさ、でも国境を渡れば<br />Je suis </span><span style="color: #783f04;"><b>franchouillard</b></span><span style="color: #2b00fe;">, check mon passeport<br />俺は</span><span style="color: #783f04;"><b>フランシュイヤール</b></span><span style="color: #2b00fe;">さ、パスポート見せてもいいぜ<br />( .... )<br /><span> </span><span> </span><span> </span><span> </span><span> </span><span> </span><span> </span><span> </span><span> </span>{"French Kiss")<br /></span></blockquote></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto"><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/U0Y7KWYDCy0" width="498" youtube-src-id="U0Y7KWYDCy0"></iframe></span></span><br />その歌詞の最初の2行は(↓)<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">Je vous French Kiss avec la langue de Molière<br />モリエールの舌を使ってあんたにフレンチ・キッスを<br />Ca vous excite quand je baise dans l'oreille<br />耳の穴からファックしたらあんた興奮するぜ<br /> </span><span style="color: #2b00fe;"><span> </span>{"French Kiss")</span></blockquote>ま、なんてお下品な!しかし、舌は舌でもモリエールの舌。La langue de Molièreとは、langue de Shakespeare (シェークスピエアの言語、すなわち英語)に対抗的な意味でのモリエールの言語、すなわちフランス語のこと。だがこの舌=言語はゴンゾ氏やfeu ジェーン・バーキンを含めたわれわれフランス語を母語としないバイリンガル人には本当に難しいのである。<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">Et je comprends que je manque de maitrise<br />完全にマスターしたわけではないって自分でわかってるよ<br />Mais heureusement j'assume mes bêtises<br />まちがいにはちゃんと責任をとるよ<br />Votre <b>passé simple</b> n'est pas si simple<br />あんたたちの<b>単純過去</b>はぜんぜん単純じゃないよ<br />Le mien est compliqué comme un labyrinthe<br />俺の過去は複雑でまるで迷路さ<br />Beaucoup trop jeune pour Verlaine ou Prévert<br />ヴェルレーヌやプレヴェーヌを読むには若すぎるんだ<br />Je préfère lire <b>Despentes</b><br />俺は<b><a href="http://pepecastor.blogspot.com/search/label/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%88" target="_blank">ヴィルジニー・デパント</a></b>の方が好きさ<br /> </span><span style="color: #2b00fe;"><span> </span>{"French Kiss")</span></blockquote>フランス語の「単純過去」は仏語学習者には頭痛のタネである。私は使わないことにしている。また読書においては私もまたフランス文学古典を読まずにデパントを夢中で読む側の人間である。この歌「フレンチ・キッス」で私はゴンザレスのフランス語に対するアティチュードに関してとても私と近いものを感じたのだが、私は行為として「フレンチ・キッス」はできないイレーヴァーなのでその辺で袂を分かつ。<br />(↑の歌詞でフランシュイヤール氏は「パスポート見せてもいいぜ」と言っているのだが、実はついにフランス国籍も取得したらしい。その辺でも私と袂を分かつ)<br /><br /> 2019年4月19日、シテ島ノートル・ダム大聖堂は炎に包まれ、屋台骨を焼き尽くし、屋根が崩れ、<a href="https://www.youtube.com/watch?v=cbW1J7r5TC8" target="_blank">尖塔が燃え落ちた</a>。われらが聖母(ノートル・ダム)が火刑に処されているような悲壮な光景をわれわれは唖然としてテレビで見ていたのだが、シテ島の隣のサン・ルイ島のアパルトマンに住むゴンザレスはこんなコンティーヌ(童歌わらべうた)を作った<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/VyrnpfnRZ7s" width="507" youtube-src-id="VyrnpfnRZ7s"></iframe><br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">Il pleut, il pleut sur les cendres de Notre Dame<br />ノートル・ダムの灰の上に雨が降る<br />Il pleut sur ceux qui regardent l'église en flammes<br />燃え上がる教会を見つめる人々の上に雨が降る<br /> ("Il pleut sur Notre-Dame")<br /></span></blockquote>"Il pleut, il pleut"という二度繰り返しは、フランス童謡"<a href="https://www.youtube.com/watch?v=5KIjaV251o0" target="_blank">Il pleut il pleut Bergère</a>"(羊飼の娘が雨に遭っているところを若者が助けて母の厩で雨宿り、一目惚れ、求婚という歌)の援用。ゴンザレスのコンティーヌはサン・ルイ島の自宅窓でジョイントを吸い、その匂いがノートル・ダムの灰の匂いと混じり合う、という冷笑的なものだが、そこはかとないパリのスプリーンが漂う(<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%AE%E6%86%82%E9%AC%B1" target="_blank">パリのスプリーン</a>はボードレールね、為念)。その想像は、火事の原因は鐘撞き部屋に何世紀も居候しているせむし男<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AA#%E4%B8%BB%E3%81%AA%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9" target="_blank">カジモド</a>ではないか、という疑念に至る。すなわち、<b>火 事 の 元 は カ ジ モ ド</b> 、と推理したのである。うまいっ!<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">Où eat, où est Quasimodo ?<br />どこだ?カジモドはどこだ?<br />Est-il parti en hélico ?<br />ヘリコプターに乗って逃げたか?<br />Est-il parti par la Seine avec un bateau-mouche ?<br />バトームーシュでセーヌ川に逃げたか?<br /> </span><span style="color: #2b00fe;"> ("Il pleut sur Notre-Dame")</span></blockquote>大胆不敵にもフランスの象徴のようなノートル・ダム大聖堂を(焼失を悲しむフランス市民とは全く違う視点で)歌にしたのである。さらにこのアルバムでは恐れ多くもシャンソン・フランセーズの巨星(feu)<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%83%8A%E3%83%B4%E3%83%BC%E3%83%AB" target="_blank">シャルル・アズナヴール</a>(1924 -2018)をコケにする1分23秒のインターリュードを紛れ込ませている。ゴンザレスが2003年にアズナヴールのアルバム制作にアレンジャー/ピアニストとして関わった時のエピソード。そのコラボレーションは数週間で破綻(アズナヴールに解雇される)し、当該アルバムはオクラ入り。その苦々しさをちょっとだけ吐露してみたのが(↓)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/JGSwm9lSph4" width="509" youtube-src-id="JGSwm9lSph4"></iframe></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto"><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s x126k92a"><div dir="auto" style="text-align: start;"></div></div><blockquote><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s x126k92a"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">俺はシャルル・アズナヴールと数週間仕事したことがある</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">彼はすでに80歳で耳もほとんど聞こえなくなっていた</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">彼が録音スタジオに初めてやってきた時</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;"><span></span>こう言った「ここにはエレベーターがないのか?<br />わしの家にはエレベーターがあるぞ」<br /><br /></span></div></div><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s x126k92a"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">ギャングスタヴール ギャングスタヴール<br /><br /></span></div></div><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s x126k92a"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">廊下でしばらく彼のことを観察していたことがある</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">彼は孫娘のためにとても優しい声で歌っていた</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">その歌の歌詞を私は一生忘れないだろう</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">「おまえのためだけだよ</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">おじいちゃんがタダで歌ってあげるのは」<br /><br /></span></div></div><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s x126k92a"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">ギャングスタヴール ギャングスタヴール<br /><br /></span></div></div><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s x126k92a"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">俺にはもっともっと彼にまつわるエピソードがあるのだけど</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">これは単なる歌のつなぎで</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">短いやつだから</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">タダで聞かせてやるよ<br /> ("Gangstavour")</span></div></div></blockquote><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s x126k92a"><div dir="auto" style="text-align: start;"><br /> 私はフランスの音楽業界の中にいたから、生前のアズナヴールの変わった性向(特に金銭に関わること)についてはたくさん聞いていたので、このちっぽけな復讐にはとてもうなずけるものがある。ゴンザレスはフランスのラップアーチストたちとも多く仕事をしているが、意外にも多数のラッパーたちがアズナヴールをリスペクトしているのは、アズナヴールが並外れて巨大なエゴを持っていたからだとゴンザレスは分析している。</div><div dir="auto" style="text-align: start;"><br /> しかしアズナヴールよりもゴンザレスの”フランス愛”に莫大な影響を与えたアーチストが、ヤノピの貴公子<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3" target="_blank">リシャール・クレイデルマン</a>(<span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u" dir="auto" lang="ja">本名フィリップ・パジェス、日本名<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3" target="_blank">リチャード・クレイダーマン</a>)であった。お立ち会い、硬派の音楽ファンを自認する人でなくても、このイージーリスニング・ピアニストが好き、と公言するのは勇気の要ることだと思うよ。ろくに聞きもしないでと言われようが、セクシストな偏見と言われようが、このヤノピの貴公子のリスナー層はあの当時(1970年代〜80年代)99%あのルックスに魅了された女性たちだったはず。ところがジェイソン・ベック少年(のちのチリー・ゴンザレス)は、カナダ/モンレアルの生家・自室のターンテーブルにあの星降る抒情の必殺ピアノ・バラード「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=z7HfedKnNd8" target="_blank">渚のアデリーヌ</a>」のドーナツ盤を載せ、1日に45回聞いて悶絶していたと言うのである。ピアニストとしてのゴンザレスの名を一躍世界に知ろしめた名盤『<a href="https://www.youtube.com/watch?v=aQ_n3TC859U&list=PL1q6nPWP5qg5dVVskFkQf-y4M6Xuv8d7g" target="_blank">ソロ・ピアノ</a>』(2004年)で開花した抒情性の源流がヤノピの貴公子であったとしたら...。エニハウ、この『フレンチ・キッス』アルバムで、ゴンザレスはクレイデルマンをゲストに迎え、その貴公子のピアノをフィーチャーした「リシャールと私」というオマージュ曲を。<br /></span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/Sjo9T1SCGY0" width="504" youtube-src-id="Sjo9T1SCGY0"></iframe><br /><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto"><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s x126k92a"><div dir="auto" style="text-align: start;"></div><blockquote><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">リシャールと私</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">父と息子</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">バットマンとロビン</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;"><span></span>バードマンとリル・ウェイン</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">アステリックスとオベリックス</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">リシャールと私には</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">偉大なる愛の物語がある</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">私のターンテーブルには</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">「渚のアデリーヌ」</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="color: #2b00fe;">私はこのドーナツ盤を毎日45回聞いていた<br /> ("Richard et moi")</span></div></blockquote><div dir="auto" style="text-align: start;"><br />父と子の関係だと言ってしまっている。次(↓)に紹介する曲”Piano à Paris)の中で、こんな歌詞が出てくる。<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">Qui possède la clé des larmes<br />涙の鍵(クレデラルム)を持つ人<br />C'est Richard Clayderman<br />それがリシャール・クレデルマンだ<br /> ("Piano à Paris)<br /></span></blockquote>真剣にこのヤノピの貴公子の繊細な抒情性に関しては再評価されてしまうかもしれない。(と書いて、”まっさかぁ...!”と思ってしまう私である)<br /><br /> さて、このアルバムの9曲めに、さまざまな駄洒落・地口とリファレンスを用いながら、フランスのピアノ・アーチストたちへオマージュを捧げる「ピアノ・ア・パリ」というこのアルバムで最も聞かせる歌が現れる。ゲストヴォーカリストにわが爺ブログでも評価の高い<a href="https://www.youtube.com/watch?v=ODYhI6rLxng" target="_blank">ジュリエット・アルマネ</a>(爺ブログリンク:<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2017/12/2017_15.html" target="_blank">2017年のアルバム</a>、<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2021/12/2021_13.html" target="_blank">2021年のアルバム</a>)。おそらく現在のゴンザレスのフランシュイヤール・ピアノ愛の総決算のような曲と言えよう。<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/OqCnL-xDwr0" width="508" youtube-src-id="OqCnL-xDwr0"></iframe><br /></div><blockquote><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">(アルマネ)<br />パリでピアノ、私に芽生えたこの望み</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">一番にやってきて、ピアノが中に入るように<br />窓を開ける、そしてすぐに弾き始める<br />パリで私のピアノ<br /><br />(ゴンザレス)<br />俺はパリでたくさんのピアノマン(pianomanes)と<br />ピアノファム(pianofemmes)とつきあってきた<br />だがしょっちゅうそれはしまいにメロドラマになってしまう<br />メロマンヌ(音楽狂)たちは知りたがっている<br />誰が涙の鍵(クレデラルム clé des larmes)を持っているのか<br />それはリシャール・クレイデルマンさ<br />俺はセーヌ河岸を走り切ってミッシェル・ベルジェを追いかけたかった<br />俺は彼の詩句のこぼれた果実を拾い集めたかった<br />俺は<a href="https://www.youtube.com/watch?v=RnV1HauwkxY" target="_blank">ピアニストのグルーピー</a>さ、フォンダメンタリストさ、<br />フランツ・リストみたいなショーマン、アーチストさ<br /><br />(アルマネ)<br />パリでピアノ、私にあらわれた<br />完全なる夢、メロディーのゆりかご<br />私は奇想曲をつくって友だちのために弾くわ<br />パリで私のピアノ<br /><br />(ゴンザレス)<br />ジルベール・モンタニェ、彼は俺にとってのカニエ</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">俺の山の上での誓い、俺の真実<br />俺と俺の鍵盤は愛し合っていくぞ(<a href="https://www.youtube.com/watch?v=5H4mIbpFYOc" target="_blank">On va s'aimer</a>)<br />狂おしいほどにね、ジュリエット・アルマネに聞いてみろよ<br />俺はハーモニーの世界のジョルジオ・アルマーニさ<br />サンソン・フランソワとヴェロニク・サンソンの</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">どちらかを選べと言うのなら<br />俺の最敬礼(<a href="https://www.youtube.com/watch?v=XRP5DQdF0PY" target="_blank">ma révérence</a>)はシャンソンの方に捧げるよ<br />これが俺のフランスへの手紙(<a href="https://www.youtube.com/watch?v=T_3ruPIMyl0" target="_blank">Lettre à France</a>)さ<br />俺のことはミッシェル・ゴンザレスって呼んでくれ<br />チリー・ポルナレフでもいいぞ<br />裏付けは取ってあるって<br /><br />(アルマネ)<br />ピアノ・ア・パリ、ピアノ・ア・パリ、<br />ピアノ・ア・パリ、モン・ピアノ・ア・パリ<br /><br />(ゴンザレス)<br />俺は<a href="https://www.youtube.com/@alexandretharaud7056" target="_blank">タロー</a>よりもまぬけで<br /><a href="https://www.youtube.com/watch?v=hjmVKAvp-78" target="_blank">ソラル</a>よりも卑劣漢さ<br />その上<a href="https://www.youtube.com/@jeannecherhal604" target="_blank">シェラル</a>よりも値が張るんだ<br />だが歴史に残るのは一体誰だ?<br /><br />(ゴンザレス + アルマネ)<br />俺のすべての古きピアニストたちへ<br />(ピアノ・ア・パリ)<br />俺はスタンディング・オヴェーションを捧げるよ<br />(ピアノ・ア・パリ)<br /> ("Piano à Paris")<br /></span></div></blockquote><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br />フランス音楽通の英米人たちは増えてきたと思う。それはゲンズブール以来の現象かもしれない。だが、彼らの好みは”フレンチ・タッチ”であって”フランシュイヤール”ではないだろう。ゴンザレスはそんな”似非フランス通”と一線を隠して、フランシュイヤールを真剣に評価し愛している。ゴンザレスの趣味をフォローする人たちがどっと増えそうな気がする。<br /><br /> アルバム最後に収められたミッシェル・ベルジェ作の"Message Personnel"(オリジナルは1973年<a href="https://www.youtube.com/watch?v=AaPn8X9GdT8" target="_blank">フランソワーズ・アルディ歌</a>)のピアノソロ・カヴァー。このどうにも抗いようがない抒情の波状攻撃、これは至上の名人芸である。<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/w5VCl8Zw7vo" width="509" youtube-src-id="w5VCl8Zw7vo"></iframe><br /><br /><b><<< トラックリスト >>></b></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><b>1. French Kiss<br />2. Il pleut sur Notre-Dame (feat. Bonnie Banane)<br />3. Lac du cerf (feat. Christine Ott)<br />4. Nos meilleures vies (feat. Teki Latex)<br />5. Wonderfoule (feat. Arielle Dombasle)<br />6. Cut Dick<br />7. Romance sans paroles no.3 (feat. Alison Wheeler)<br />8. Gangstavour<br />9. Piano à Paris (feat. Juliette Armanet)<br />10. Richard et moi (feat. Richard Clayderman)<br />11. Message Personnel<br /><br />Chilly Gonzales "French Kiss"<br />LP/CD/Digital Gentle Threat France Gentle028<br />フランスでのリリース:2023年9月15日</b><br /><br /><b><span style="color: #990000; font-size: large;">カストール爺の採点:2023年のアルバム</span><br /></b><br />(↓)2019年 Netflix動画 "Message Personnel"(ミッシェル・ベルジェカヴァー)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/59UjepgOHbw" width="504" youtube-src-id="59UjepgOHbw"></iframe></div></div></span></div></div></div></span></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-23597820119797187252023-09-21T08:43:00.001+02:002023-09-22T10:42:11.881+02:00枯れ葉の秋(かうりすまき)<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjl1gIZ_FyCVmYOEEzPrsLKJfJ9w3CifscJNUkVRIvv05wJHoQBOx20Lm75lpHTiQoALmlInrZBmuUIRZKrA34iPx2Hixd23dmN9CIJ6pxYWu7RQyaIgI6Ch-BK2RwDZRpHN8XSpdcW-En21FPy804GTzGPs-5kOMOzOeXTnCqtXIqL-cgHxQHcBv1-gccN/s1080/1770745.webp" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="795" height="277" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjl1gIZ_FyCVmYOEEzPrsLKJfJ9w3CifscJNUkVRIvv05wJHoQBOx20Lm75lpHTiQoALmlInrZBmuUIRZKrA34iPx2Hixd23dmN9CIJ6pxYWu7RQyaIgI6Ch-BK2RwDZRpHN8XSpdcW-En21FPy804GTzGPs-5kOMOzOeXTnCqtXIqL-cgHxQHcBv1-gccN/w204-h277/1770745.webp" width="204" /></a></div><p></p><div style="text-align: left;"><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">"Kuolleet Lehdet (Les Feuilles Mortes)"<br />『枯れ葉』</span></b></div><div style="text-align: left;"><br /><b><span style="font-size: large;">2023年フィンランド映画<br />監督:アキ・カウリスマキ<br />主演:アルマ・プイスティ、ユッシ・ヴァテネン<br />フランスでの公開:2023年9月20日<br /><br />2023年カンヌ映画祭審査員賞</span></b><br /><br /><div style="margin-left: 40px; text-align: right;"><span style="color: #783f04; font-size: x-small;">La vie sépare ceux qui s'aiment, tout doucement, sans faire de bruit</span><br /><span style="color: #783f04; font-size: x-small;">人生は愛する者たちを別れさせる、いともゆっくりと、音も立てずに</span><br /><span style="color: #783f04; font-size: x-small;">(ジャック・プレヴェール/ジョゼフ・コスマ「枯れ葉」)</span><br /></div><br /><b><span style="font-size: x-large;">2017</span></b>年『<a href="https://www.youtube.com/watch?v=bK2hmg82_lA" target="_blank">希望のかなた</a>』(ベルリン映画祭銀熊賞)で引退宣言をした<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AD%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%AD" target="_blank">アキ・カウリスマキ</a>の6年後の復帰作。ー 爺ブログには名優<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0" target="_blank">アンドレ・ウィルム</a>(1947 - 2022)の最後の主演作となった『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2011/12/blog-post_26.html" target="_blank">ル・アーヴル</a>』(2011年)の<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2011/12/blog-post_26.html" target="_blank">紹介記事</a>もあるので、それも読んでね ー<br /><br /><div dir="auto" style="text-align: start;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjs6t6LGmbhPVuWdnkICtKLPiX4Ia7ULY_jhQKyr7Mrnm1OJkEGDQ2aPK6HIFOI3zMCsDrT5vrAlgIXJg7eM7hqaxtKNM_A0YXnKtg8adVSS0GGig6BGkj-ZVR2FZrSMJKx6XY2R5xlgcfEunkv0UVtqYg30LtSrhehMoXpXc0YJIxpsbIzpqzEs3jr-_7E/s1600/0074688.webp" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="1068" data-original-width="1600" height="197" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjs6t6LGmbhPVuWdnkICtKLPiX4Ia7ULY_jhQKyr7Mrnm1OJkEGDQ2aPK6HIFOI3zMCsDrT5vrAlgIXJg7eM7hqaxtKNM_A0YXnKtg8adVSS0GGig6BGkj-ZVR2FZrSMJKx6XY2R5xlgcfEunkv0UVtqYg30LtSrhehMoXpXc0YJIxpsbIzpqzEs3jr-_7E/w295-h197/0074688.webp" width="295" /></a> これは極貧とアルコールの地獄を愛が救うプロレタリア映画。アキ・カウリスマキが例によって時代設定ごちゃごちゃにしてラジオだけがニュース源(+50年代の音楽が流れてくる)のレトロな世界のような環境に、ラジオニュースはひっきりなしにロシアのウクライナ侵攻の戦況ばかり。この絶えることのない戦争報道ニュースが、この(いつの時代ともわからないヘルシンキの)貧しい労働者たちの抵抗と連帯をそこはとなく鼓舞しているのだろう。ハードディスカウントのスーパーで働く女は賞味期限切れの食品商品を廃棄せずに家に持ち帰ろうとしただけで解雇されるネオリベラル資本主義社会で生き、一方、そんな社会だから男は仕事の過酷さをアルコールで紛らわすが、仕事中のアルコールがばれて解雇される。どれくらいの貧しさかと言うと、電気代の請求書を見たとたんに、反射的に電気製品のコンセントを抜いたり、ブレーカーを落としてしまうようなパニックに陥るほど。そんな女たちや男たちのささやかな楽しみが金曜日の夜のカラオケ。カラオケのレパートリーはフォルクロールだったり、カルロス・ガルデルのタンゴだったり、シューベルト歌曲だったり。</div><div dir="auto" style="text-align: start;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiXTsghpM7H5DCgLTbaMxXkEvTBSys8c-FjnyUZnvJUHyKiTXQpEcjIwaO_BA5iPO8fn5ClrHCXux48uWEiH_GCJQdRpwHHqt4k3zxBqkVJgNdnzf2vZOfr2HJIDsbWASD8YV3ifzEJt7G_8SugNbdDz39iqQWbHkU45UiIzKCU241M2t9-B5xv5lcKsq7a/s1417/0705373.webp" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="946" data-original-width="1417" height="185" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiXTsghpM7H5DCgLTbaMxXkEvTBSys8c-FjnyUZnvJUHyKiTXQpEcjIwaO_BA5iPO8fn5ClrHCXux48uWEiH_GCJQdRpwHHqt4k3zxBqkVJgNdnzf2vZOfr2HJIDsbWASD8YV3ifzEJt7G_8SugNbdDz39iqQWbHkU45UiIzKCU241M2t9-B5xv5lcKsq7a/w277-h185/0705373.webp" width="277" /></a><br /> アンサ(演アルマ・ポイスティ)とホラッパ(演ユッシ・ヴァタネン)はそんなところで出会うのだが、一目惚れというわけではなく、「この女は(他の女たちとは)違う」、「この男は違う」という意識なんだなぁ、なにかとてもわかるし、懐かしい感覚。電話番号を渡してもそのメモを無くしてしまう、そんなすれ違いで、なかなかストレートには進行しないが、男が映画をおごるよ、と二人で入った映画館ではジム・ジャームッシュのゾンビー映画『<a href="https://www.youtube.com/watch?v=vx7HdgADj_c" target="_blank">デッド・ドント・ダイ</a>』(2019年)がかかっていたり(なんとも可笑しい)。</div><div dir="auto" style="text-align: start;"> しかし、アンサはホラッパの極度のアルコール依存症を知り、私の両親家族はアルコールのせいで死んだのよ、とホラッパを諭そうとするが、ホラッパは俺は誰にも指図されない、と二人の関係は一時的に壊れてしまう。しかし、愛は救うのだよ...。<br /><br /></div><div dir="auto" style="text-align: start;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjmicpyAnQv_6B4RwZFXl44Iw2tQX9LVeWbCAUIiDCy9c1bwttzmE9W8hchE2ltftPnvnJyluI3WdYy-qYAkL7hVUGL3bK4Cu9ZWsy5q_4u3_yh-laC55GGyxgLB-rVXLpHT2h3S_sBTXCoHzaYJYlqkqSriwDzLxe9LI2UbwoURtC80IGJVLzTLUWeIpaf/s1591/1097289.webp" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="1591" height="165" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjmicpyAnQv_6B4RwZFXl44Iw2tQX9LVeWbCAUIiDCy9c1bwttzmE9W8hchE2ltftPnvnJyluI3WdYy-qYAkL7hVUGL3bK4Cu9ZWsy5q_4u3_yh-laC55GGyxgLB-rVXLpHT2h3S_sBTXCoHzaYJYlqkqSriwDzLxe9LI2UbwoURtC80IGJVLzTLUWeIpaf/w243-h165/1097289.webp" width="243" /></a></div> 保健所員に保護されそうになる野良犬をアンサが引き取って飼うのだが、このいかにも貧相な雑種犬がすごくいい演技(アキ・カウリスマキに登場する犬たちはみな素敵)。それにチャップリンと名を与える。らしい名前だ。映画的リファレンスではゴダール、ブレッソン、ジャームッシュ、チャップリンなどとてもわかりやすく、映画愛だけでもとても心満たされる。</div><div dir="auto" style="text-align: start;">映画の初めの方で、貧乏ぐらしのアンサのラジオから「かたびらはなし、帯はなし」と竹田の子守唄が流れてくるのにはそのわびしさに苦笑してしまった。うまいなぁ。</div><div dir="auto" style="text-align: start;">それでもカウリスマキの世界では最後に愛(とプロレタリア)は勝つのである。異議なし。<br /><br /></div><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-size: large;"><b><span style="color: #783f04;">カストール爺の採点:★★★★☆</span></b></span><br /><br />(↓)『枯れ葉』予告編<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/_N4881tGoEo" width="505" youtube-src-id="_N4881tGoEo"></iframe><br /><br />(↓)エンドロールで流れる『枯葉』フィンランド語ヴァージョン、歌オラヴィ・ヴィルタ(1959年録音)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/8B7WF25mVFw" width="505" youtube-src-id="8B7WF25mVFw"></iframe><br /><br />(↓)印象的な挿入歌。労働者たちの集まるバーでのライヴシーンで登場するフィンランドの女性デュオ Maustetytöt の”Syntynyt suruun ja puettu pettymyksin"<br />(このYouTube動画は映画のシーンではありまっせん。為念)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/X3siNT6YoXA" width="504" youtube-src-id="X3siNT6YoXA"></iframe></div></div><br /></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-7529839747192505753.post-7971577368660811302023-09-15T23:01:00.009+02:002023-09-18T14:00:13.943+02:00トワとはモン永遠<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhRqs8L5WlL6D1iEgK-UxZEFeJToICSsv2_3ZC89EQQUuJsQwFu1i7CQ_6rQOL06ccd23vNJq-7hRp4jaVtaanJ6Bz8xvQzbsRrjCdj7ueBAFyIcip15Fu_2Q-rE12UWBsHXVEef2YeEYj7J-8UlQaq4HkY9DBx0br5H0zRXWnZ_RyAHt786VkjQn9moeMd/s847/libriweb.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="847" data-original-width="600" height="289" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhRqs8L5WlL6D1iEgK-UxZEFeJToICSsv2_3ZC89EQQUuJsQwFu1i7CQ_6rQOL06ccd23vNJq-7hRp4jaVtaanJ6Bz8xvQzbsRrjCdj7ueBAFyIcip15Fu_2Q-rE12UWBsHXVEef2YeEYj7J-8UlQaq4HkY9DBx0br5H0zRXWnZ_RyAHt786VkjQn9moeMd/w205-h289/libriweb.jpg" width="205" /></a></div><p></p><div style="text-align: left;"><b><span style="color: #800180; font-size: x-large;">Akira Mizubayashi "Suite Inoubliable"<br />水林 章『忘れじの組曲』</span><br /></b><br /><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9E%97%E7%AB%A0" target="_blank"><b><span style="font-size: x-large;">水</span></b>林章</a>自身が「ロマネスク三部作」と名付けた『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2019/09/blog-post_17.html" target="_blank">折れた魂柱(Ame Brisée)</a>』(2019年)、『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2022/03/blog-post_31.html" target="_blank">ハートの女王(Reine de coeur)</a>』(2022年)に続く第三話。三作に共通するのは演奏楽器や留学体験などでフランスと深い関係のあった日本人演奏家が、(水林が”15年戦争”と呼ぶ1930〜45年の)日本の帝国主義戦争で運命を打ち砕かれ、非業の死をとげるが、フランスと日本に引き継がれていった子の世代と孫の世代の人々が、70余年の時を超えて、その悲話のすべてを再トレースして、縁りの楽器を復元し、故人が愛した楽曲を孫の世代の世界的演奏家が再演し鎮魂するという筋。この三部作はクラシック擦弦楽器の三部作でもあり、『折れた魂柱』=ヴァイオリン、『ハートの女王』=ヴィオラに続いて、この『忘れじの組曲』はチェロが”主役”になっていて、三部作のロジックにかなっている。またこの第三話に、前二作との関連をつけて、悲劇のチェロ奏者ミズタニ・ケンが1939年に戦況の悪化でパリ留学を続けられなくり帰国を余儀なくされ、乗り込んだマルセイユから横浜に向かう最後の汽船「箱根丸」には『ハートの女王』の悲劇のヴィオラ奏者ミズカミ・ジュンも乗り合わせているし、第一話『折れた魂柱』の楽器製造職人ミズサワ・レイ(仏名ジャック・マイヤール)は、この第三話の重要な登場人物となっている。三部作の最終話に花を添えての愛読者サービス”オールスター出演”のように読める。三作の3人の最重要人物の名前はみな”ミズ”で始まる。作者から分けてもらったかのように。げに名前は大切。この三部作で作者が重要人物(重要”楽器”にも)に与える名前はすべて小説の鍵となるような重要な意味が込められている。これは水林小説の得意技(決まるときも<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2022/03/blog-post_31.html" target="_blank">決まらないとき</a>もある)。<br /></div><div style="text-align: left;"><br /> 1939年、パリ留学中だった19歳の日本人チェロ奏者ミズタニ・ケンは、スイス・ローザンヌの国際コンクールに出場し、<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2_(%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC)" target="_blank">エドワード・エルガー(1857-1934)</a>の<a href="https://www.youtube.com/watch?v=r6Ngq3cfii8" target="_blank">チェロ協奏曲</a>を弾いて優勝する。その副賞としてチェロの歴史的名器、1712年ヴェネツィアの名匠<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%BC" target="_blank">マッテオ・ゴフリラー</a>の手になる一本を限定6年間貸与される。このゴフリラー1712を持って憧れの大巨匠パブロ・カザルス(1876-1973、とりわけこの小説の中心的楽曲であるJSバッハ『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E4%BC%B4%E5%A5%8F%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E7%B5%84%E6%9B%B2" target="_blank">無伴奏チェロ組曲</a>』を不朽の名曲の地位に押し上げた偉人)の(フランコ政権スペインからの)亡命先<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89_(%E3%83%94%E3%83%AC%E3%83%8D%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB%E7%9C%8C)" target="_blank">プラード</a>を訪れ、カザルスのマスタークラスで「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=sQw-zT0Xp6Q" target="_blank">鳥の歌</a>」を直伝される。しかし、大日本帝国の戦争は無残にもこの天才チェロ奏者の歩き出したばかりの道を閉ざしてしまい、泣く泣くケンは名器ゴフリラー1712を背負いマルセイユから「箱根丸」に乗り日本に帰る。戦時下で演奏会はできなくてもケンが連日チェロの鍛錬を続ける東京で、この歴史的チェロの調整手入れを依頼できる腕利きの楽器工芸職人がフランス人女性オルタンス・シュミットだった。にわかに名演奏家を多く輩出するようになったこの極東の国で、楽器工芸家としての腕が発揮できるはずと勇んでやってきた日本だったが、戦況の悪化はオルタンスの道も閉ざしていく。ケンは家族(父・母・妹リン)と共に東京を離れ、<a href="https://www.mapple.net/region/a0306030105/spot/" target="_blank">信濃追分</a>(堀辰雄と加藤周一ゆかりの地、というのはこの小説の大きな鍵)へ疎開、オルタンスもまたその楽器工房を信濃追分に移す。だが、ケンのところに「赤紙」が届いてしまう...。<br /> 同じ頃信濃追分を舞台にしたパラレルストーリー。職業は医師でありながら、医学を超えてあらゆる分野の博識人である人物カンダ・リョウ、東京を離れ信濃追分で医局を開業、同じ場所に自らの蔵書コレクションと推薦する児童書と教養書を集めた私設無料図書館を開設、住民たちに慕われるお医者・知識人として信望を集めていたが、古典ギリシャ語とラテン語を含む驚異的に堪能な語学力のおかげで日本語でない情報も入ってくるものだから、大日本帝国の敗北が確定的なこと、その出口なしの狂信的帝国主義の末路を予見していた。そんな時に長男テツに「赤紙」がやってくる。それを知った近所住人たちが、お国のための出征の栄誉をお祝いにやってくる。リョウは激昂し、その近所の蒙昧びとたちを相手に、帝国と天皇のために命を捧げることの不条理さをぶち上げてしまう。これが密告されリョウは特高に捕らえられ、二度と帰ってこない。出征したテツは戦死。しかし特高に連行される前、リョウは憤怒と絶望の淵にあって信濃追分の人知れぬ森の中に入り、木々の間にぽっかりあいた日なたにあった木のベンチに、彫刻刀を使って人類への祈りの言葉を刻みつけていた。<br /><blockquote><span style="color: #2b00fe;">In terra pax hominibus bonae voluntatis<br />Dona nobis pacem. R.K.</span></blockquote>ラテン語で書かれたカンダ・リョウの最後の言葉、当時の日本のこの奥まった場所でたやすく読まれることなどありえなかったこのラテン語詩句を、同じ頃同じ場所にいた若きチェロ奏者ミズタニ・ケンが発見してしまう。パリで音楽を学んだことで、バッハやベートーヴェンのミサ曲で歌われるこのラテン語讃美詩の意味をケンは瞬時に読み取った。「この地に善意の人々に平和を、われらに平和を与えたまえ」ー この時自身も「赤紙」を受け取り死出の旅を覚悟し絶望の淵にあったケンは、このラテン語の彫文字に出会い、「僕はひとりではない」という強い思いで救済される。絶望の底の底で見た人間性の光、この感動のあまりケンはこの見ず知らずの彫文字の作者R.K.に(読まれる可能性の限りなく薄い)感謝の手紙をしたためる。その人か自分の死後の後世の人かに届けと、<a href="https://www.youtube.com/watch?v=MbXWrmQW-OE" target="_blank">ビンに詰めて大洋に投げる</a>思いで、その手紙をオルタンスの楽器工芸人の最高度の匠の技であのゴフリラー1712の音胴内部に穴を穿って隠し入れるのである...。</div><div style="text-align: left;"> R.K.への手紙で心の整理がついたミズタニ・ケンは出征前の最後の夜を信濃追分のオルタンスの楽器工房兼住処小屋で過ごし、歴史的名器ゴフリラー1712を預け、次の年にローザンヌの国際コンクール委員会に返却する役目を依頼する。最初で最後の愛情交わりの夜が明け、出発の朝、ケンはゴフリラー1712での最後の演奏をオルタンスの前で披露する。<b>バッハ無伴奏チェロ組曲</b>。終わって小屋の戸を開けると、そこには一匹の犬、二頭の馬、そして鳥たちが集まっていた(いい話。これは宮澤賢治『<a href="https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/470_15407.html" target="_blank">セロ弾きのゴーシュ</a>』のヴァリエーションのように小説中で種明かしされている)。<br /> だがほどなくミズタニ・ケンの戦死が告げられる。オルタンスの目の前には「R.K.への手紙」を隠し込んだゴフリラー1712。これはケンの形見。だがそれは次の年にはローザンヌに返却しなければならない。手放すにはあまりにも心残りが。そこでオルタンスは信濃追分の工房で5か月の月日をかけ全身全霊をこめてゴフリラー1712の(ほぼ)完全コピー(違いは3世紀前の木材を使っていないことだけ)を製作するのである。この製作中にオルタンスはケンの子を宿していることを知る。完成したゴフリラー1712完コピチェロに、オルタンスはラテン語で「Pax animae(魂の平和)」という名をつける。ゴフリラー1712は人の手に渡っても、私はこのパックス・アニマエ器をケンの形見として持ち続けよう。そしてそのいきさつを、ケンの「R.K.への手紙」に倣って覚書にして記し、それをゴフリラー1712に隠したケンの手紙と同じように、パックス・アニマエ器の音胴の内側に穴を穿って隠すのである。その覚書の結びにはこう書かれている。<br /></div><blockquote><div style="text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">TOI - NI, ce Pax animae : fait par Hortense Schmitt.<br />A Shinano-Oïwake, juin - octobre 1945.<br />Copie du Matteo Goffriller de 1712.<br />En mémoire de Ken Mizutani</span></div><div style="text-align: left;"><span style="color: #2b00fe;">et dans l'attente de 麗音.<br /><br /><span style="font-size: x-small;">このパックス・アニマエを TOI - NI : 製作オルタンス・シュミット<br />1945年6月〜10月、信濃追分にて<br />1712年製マッテオ・ゴフリラー器の複製<br />ミズタニ・ケンの思い出に<br />霊音を待ちながら<br /></span></span></div></blockquote><p> "TOI - NI"は日仏バイリンガル人には説明不要と思うのだが、この小説の主要登場人物たちにはこの部分意味不可解ということになっていて、後半部で種明かしがある。「問い2」という意味ではない。最終行「<b>麗音を待ちながら</b>」:前作『<a href="https://pepecastor.blogspot.com/2022/03/blog-post_31.html" target="_blank">ハートの女王</a>』を読んだ方には、おおこの名前は、と思われようが、この小説では結果的に女王 = Reine(作者はこれを”レイネ”と読ませる)にならない。オルタンスはこの時点で生まれてくるケンの子供が女児か男児かわかっていない。しかし名前にはどちらであってもこの漢字(”麗音”)をあてようと決めている。女だったら読みは「れいね(Reine)」、男だったら読みは「れおん(Léon)」。しかして、その数ヶ月後にこの世に現れたのは.... レオン・シュミット。<a href="https://www.youtube.com/watch?v=R_lWx1jvdzc" target="_blank">Reviens Léon</a> !</p><div style="text-align: left;"><br /> 2016年、パリ16区、ラジオ・フランスのオーディトリウムで国際的評価を受けた若きチェロ奏者ギヨーム・ヴァルテールがラジオフランス交響楽団を従えてエドワード・エルガーのチェロ協奏曲(↑にも出てるから読み返して)を。演奏会は無難にこなしたが、ヴァルテールはヴィルツオーゾの超繊細な耳と楽器振動感触でしかわからない、そのチェロのごくわずかな異常振動を感じ取り、翌日長年ヴァルテールの楽器調整を任せている楽器工芸職人のジャック・マイヤールのところにそのチェロ(<b>マッテオ・ゴフリラー1712!</b>)を持っていく。三部作の第一話『<a href="http://pepecastor.blogspot.com/2019/09/blog-post_17.html" target="_blank">折れた魂柱</a>』の中心人物ミズサワ・レイ = ジャック・マイヤールはこの時もう89歳になろうとしていて、自らの楽器工房を後継者に考えていた頃で、それに渡りに舟のごとく弟子入りきたのがパミナという若い女性。この名前はモーツァルト歌劇『<a href="https://www.youtube.com/watch?v=FC9vR-2p30o" target="_blank">魔笛</a>』に因む。なおパミナの父の名前はレオン、祖母の名前はオルタンス。(小説ですから)世界はせまい。マイヤールはヴァルテールの”症状説明”から判断して、それは魂柱の小さな破損が原因であろうと診断、私にとても腕の良い職人が来てくれたので、これは彼女に修理を任せる、と。パミナの前に初めて姿を現した歴史的名器ゴフリラー1712、その特徴的な重厚に赤黒い桜桃色を見た時、パミナは激しく動揺し、これと同じものを私は見たことがある、と(それは楽器商だった父親レオンの倉庫の奥深くに”非売品”として保管されていた)。<br /> パミナはギヨーム・ヴァルテールのゴフリラー1712を修理するため、何時間もかけたごくごく繊細な手仕事で音胴の表板を外していく ー この小説がすごいのは古の名匠から代々継がれてきた楽器職人の細やかな匠のわざによる修復修理のさまを丁寧に描写していること、これには頭が下がる ー そして音胴内部のありえないところにあの「R.K.への手紙」を発見してしまう。 さらに、まさかと思ってパミナが取り寄せた父の倉庫奥深くにあったゴフリラー1712と瓜二つのチェロ(Pax animae)を、同じように表板を外してみると、ゴフリラー1712と同じところに「オルタンス・シュミットの覚書」があったのである....。<br /><br /> 小説はここからギヨーム・ヴァルテール、パミナ・シュミット、そしてジャック・マイヤール = ミズサワ・レイの3人が、1945年春に信濃追分を舞台にしたチェロ奏者ミズタニ・ケン、流謫の楽器匠オルタンス・シュミット、抵抗の知識人医師カンダ・リョウのそれぞれに起こった悲劇の全容を見いだしていく。71年前の悲運の魂を鎮めるのは、水林三部作に共通するものである音楽なのである。戦争などの人類の狂気に立ちはだかる最後の砦が音楽である。おそらく水林はこのテーマでさらに書き続けるだろう。<br /> ギヨーム・ヴァルテールは私立探偵などを駆使して、これらの悲劇の存命の証人であるミズタニ・ケンの妹リン、カンダ・リョウの娘アキを見つけ出す。この二人の老女を招待して、2017年10月、上野の東京文化会館でニ夜のコンサートを打つ。演目はJSバッハ・無伴奏チェロ組曲全6曲。第一夜に組曲1番から3番、第二夜に4番から6番。このコンサートのために、老体のジャック・マイヤール=ミズサワ・レイもパミナに付き添われてパリから飛んでくる。サプライズはいろいろ。パミナは血縁的には「大叔母」にあたるリンと初対面(このシーンは読んでいて思わず涙がほとばしり出た)。文化人カンダ・リョウの娘アキは南フランスで”作家”になっていて完璧なフランス語を話す... 。そしてギヨームはこの二夜に見た目には分からない瓜二つのチェロ名器を使い分けた。第一夜にはかの歴史的名器ゴフリラー1712を、そして第二夜にはオルタンス・シュミット作のパックス・アニマエ器を。そして演奏終了後ギヨームはマイクを手に持ち、東京の聴衆を前にこの2台の瓜二つの名チェロ器にまつわるストーリーと、戦争によるミズタニ・ケンとカンダ・リョウの無念の死について、ジャック・マイヤール=ミズサワ・レイの通訳ですべてを熱弁し、満員の聴衆の大喝采を浴びる、という....。<br /><br /> 水林小説であるから、楽曲演奏シーンは講談師の名調子のように、音楽の流れが多彩な表現で文字描写され、世の音楽評論家たちに見習ってほしいと思うほどたいへん雄弁なのであるが、どんなにどんなに表現的であっても、その文字から音楽が聞こえてくる(と読める)ことは....。<br /><br /> 信濃追分の森の中のベンチにラテン語文字が彫られてあった、という話は、<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%91%A8%E4%B8%80" target="_blank">加藤周一</a>(1919 - 2008)のドキュメンタリー映画『<a href="https://www.ghibli.jp/kato/" target="_blank">しかしそれだけではない - 加藤周一 幽霊と語る</a>』(2009年鎌倉英也監督)に登場するエピソードで、戦争中加藤が信濃追分のベンチで偶然見つけた"in terra pax hominibus bonae voluntatis"という文字に、このような考えを持つ人間は私ひとりではないという思いにどれほど励まされたか、というシーンにインスパイアされたと水林が注釈している。水林の加藤への深い敬愛の表れでしょう。<br /><br /> この水林三部作は現代日本の”再”右傾化+”再”軍国化を真剣に憂う作者の偽りなき警鐘であると同時に、音楽や文化教養が持っていた役割を再考せよと訴えている。それは外国語を学んだり、外国語でものを考えてみることの意味を再考せよとも説いている。水林の場合はとりわけフランス語であるが、フランス語を「父語 langue paternelle」として内在化し、それを自らの文学表現の言語にまで昇華させた人間の言葉は説得力がある。戦時下の日本で、戦争語彙の氾濫する日本語環境の中で、ミズタニ・ケンはオルタンス・シュミットとフランス語で話すことに無上の喜びを感じている。音楽が鳴るとき、ケンの中でそれはフランス語なのである、とも表現されている。別の言語で考えられる自由、音楽で考えられる自由、それは戦時において人間を生き延びらせることができるものなのだ、と教える小説である。<br /> こうして水林はその独自の文学スタイルを築いたわけだが、三部作の3作とも(楽器と楽曲は異なれど)パターンはほぼ同じと言えなくもない。戦争は惜しみなく破壊し、音楽はその淵で人間性を蘇生させる。世のメロマンヌ(mélomane)たちはすべて平和の側の人たちであってほしい(が)。<br /> 最後に、重箱のスミ的苦言をひとつ(これは『ハートの女王』の時のそれと同じ種類のものだが)。本記事中盤で引用したオルタンスの覚書の冒頭、”<b>TOI - NI</b>"、これは登場人物たちが小説終盤まで解読できなかったのだが、”<b>トワ</b>(toi)に”(あなたに捧ぐ)と”<b>永遠</b>(とわ)に”の日本語フランス語かけことばである、と解き明かされる。あのですね、われわれバイリンガル人から見ますとね、これはかなりがっかりするレベルの(jeux de motsとも言えない)ダジャレだと思った。三部作の戦争と音楽とユマニテという重厚なテーマをいささかも殺ぐものではないとは言え。<br /><br /><b>Akira Mizubayashi "Suite Inoubliable"<br />ガリマール刊 2023年8月17日 245ページ 20ユーロ</b><br /><br /><span style="font-size: large;"><b><span style="color: #741b47;">カストール爺の採点:★★★☆☆</span></b><br /></span><br />(↓)ガリマール社制作の”Suite Inoubliable"プロモーションクリップ。<br /></div><div style="text-align: left;"></div><div style="text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/tDNByiFxWvU" width="530" youtube-src-id="tDNByiFxWvU"></iframe><br /><br />(↓)ボルドーの書店Librairie Mollat制作の動画で『忘れじの組曲』を紹介する水林章<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/c6gul50a4gk" width="535" youtube-src-id="c6gul50a4gk"></iframe><br /><br />(↓)ロストロポーヴィチ、JSバッハ・無伴奏チェロ組曲・第1番プレリュード 。1991年初頭、ブルゴーニュ地方<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%BA%E3%83%AC%E3%83%BC" target="_blank">ヴェズレー</a>に長期滞在して、その名高いサント・マドレーヌ大聖堂で無伴奏チェロ組曲全6曲を録音した(CDとヴィデオで発表された)。1992年発表の<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%AF" target="_blank">ジュール・ロワ</a>(ロノードー賞作家、1907-2000)著『Rostropovitch, Gainsbourg et Dieu(ロストロポーヴィチ、ゲンズブールと神)』によると、この時死期間近いセルジュ・ゲンズブール(1991年3月2日没)もヴェズレーに滞在していて、ロストロポーヴィチが大聖堂でこの組曲を仕上げるために演奏しているところを静かに見ている。そしてさめざめと涙を流したというのである。ヴェズレーにゆかりのあるラジオパーソナリティーの<a href="https://fr.wikipedia.org/wiki/Guy_Carlier" target="_blank">ギィ・カルリエ</a>は、それに尾鰭をつけて、ロストロポーヴィチの『バッハ無伴奏チェロ組曲』のCDを耳をすませて聴くとゲンズブールのすすり泣きが聞こえてくる、と言いふらしたのだった。<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/Ml14kGHCBg0" width="535" youtube-src-id="Ml14kGHCBg0"></iframe><br /><br />(↓)エリ・メデイロス「トワとはモン永遠」(1985年)<br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/mKsEBJdVvgI" width="533" youtube-src-id="mKsEBJdVvgI"></iframe></div>Pere Castorhttp://www.blogger.com/profile/13779967810315784021noreply@blogger.com0