2020年12月30日水曜日

文学という名の性犯罪

・ザンロキュプティーブル誌2020年年末Best Of 号(12月16日発行)で、今年最も注目された四人として選ばれ表紙になったのが、女優マリナ・フォイス、歌手/男優バンジャマン・ビオレー、歌手/マヌカンのルース&ザ・ヤクザ、そして編集者/著述家のヴァネッサ・スプリンゴラ。この年はまさにヴァネッサ・スプリンゴラの書『合意』に始まった。1月2日に発売されたこの本はたちまち大ベストセラーになり、同時にこの本が告発した作家ガブリエル・マツネフは30年後に未成年者に対する性犯罪で本格的に捜査されるようになった。私は1月にこの本とその事件に最大級の注目を寄せていたのだが、その1月後半に体調を崩し、2月4日から8日間ビセートル病院に入院した。(↓)に再録するラティーナ誌2020年3月号の記事は、全文病院で書いた。良い思い出である。これが2月前半で2020年全世界を大混乱させることになるコ禍はまだ"小波”だったが、あと1ヶ月ずれていたら、私の入院もどうなっていたかわからない。今さらながら2020年は誰にとっても尋常ならざる年であったし、その状況はまだまだ続くだろう。ヴァネッサ・スプリンゴラはその尋常ならざる事態の直前、#MeTooムーヴメントの盛り上がり、ヴィルジニー・デパント、アデル・エネル、レイラ・スリマニなどがマスクせずに大声でものを言えた時期の記憶と重なる。コ禍が表現者たちの活動を大幅に制限してしまったように、女性たちだけでなくあらゆるムーヴメントもマスク着用とソーシャルディスタンスを義務付けられたように勢いをくじかれてしまった。スプリンゴラの『合意』を年末にもう一度スポットライトをあてたレ・ザンロキュプティーブル誌は圧倒的に正しい。コ禍の影にこの書を風化させてはならない。
(2020年12月30日記す)


★★★★
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この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で2020年3月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。

ヴァネッサ・スプリンゴラ『合意』が告発する文学という名の性犯罪
 
(In ラティーナ誌2020年3月号)

Vanessa Springora "Le Consentement"
ヴァネッサ・スプリンゴラ『合意』
(Grasset刊 2020年1月)

2020
年年頭に吹き荒れるフランス文壇の嵐と言っていいだろう。12日に刊行されたヴァネッサ・スプリンゴラの初著『合意(Le Consentement)』は、著者が30数年前、14歳の時に関係を持った当時50歳だった有名作家ガブリエル・マツネフによるペドフィリア(小児性愛)犯罪を告発する200ページの手記で、発売週に書店売上ベストセラー1位になった。つまり、事件は1980年代に起こっていたのだが、少女ヴァネッサは当時告発できるなにものも持っておらず、さらにその時代は(たとえそれが性的未成年相手の性関係という法的に規定された犯罪であっても)圧倒的にマツネフに優位であった。ヴァネッサは少女期を破壊された被害者として、この犯罪を弾劾できる日が来ることをずっと待って、準備していたのである。


  本題に入る前に、20世紀後半のあの頃のことを思い出していただきたい。生まれていない方も多いと思うが、私が若い日を過ごした60年代から70年代、世界のいたるところで文化を突き動かしていたのは、“性の解放”というテーマだった。旧世代に抑圧され、タブー視されていた性とその快楽を白日の下に晒し、性の悦びはすべての人のものである、と啓蒙すること、映画、文学、音楽などあらゆる芸術がその前衛となった。経口避妊薬の普及とベビーブーム世代による学生運動やヒッピームーヴメントなどがこの性解放の大きな拍車となるのであるが、芸術の役目は性表現に関するあらゆる検閲を打破することだった。映画は「18禁」こそが最も“進歩的”と見做された時期もあった。1976年大島渚『愛のコリーダ』はフランスが資金を出し、日本の旧時代的な性検閲を超越する審美映画として評価された。バーキン&ゲンズブール「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」(1969)はローマ法王庁の禁令とほぼすべての国の放送禁止をものともせず、地球規模のメガヒットとなった。文学ではマルキ・ド・サドやレチフ・ド・ラ・ブルトンヌなどの「禁書」が、蒐集家向け地下出版から脱して、大出版社から古典“として恭しく上梓され、普通の書店に並ぶようになった。
また女性読者たちに評価された「エマニュエル」(エマニュエル・アルサン)、「O嬢の物語」(ポーリーヌ・レアージュ)といった小説が脚光を浴び、映画としても大ヒットした。
  そういう性の解放気運を背景にガブリエル・マツネフ(←写真、1936年生)は70年代に文壇に現れ、自伝的フィクションと『黒の手帖』と題された日記連作を次々に刊行し、未成年(複数の少女と少年)との恋と性的体験を耽美的に表現した。“性的未成年(フランスでは15歳未満)との性交渉は法律で禁じられているが、マツネフはこれらの性体験を誇示するかのような文芸”を展開した。タイでの11歳の少年たちとの関係も臆面もなく披歴している。これを当時の文壇は新世代の旗手“のような持ち上げ方をするのである。勢いに乗ったマツノフは1977年に性的未成年者との性交渉の禁止する法の撤廃を求める署名運動を起こし、その訴えに当時の錚々たる文化人たち(ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ジル・ドゥルーズ、ロラン・バルト、フィリップ・ソレルス... )が署名するのである。世の趨勢は性の解放ならばすべてを推進し、例外を設けなかった。こうしてマツネフは文化人たちに擁護されて、法律を超越して、少年少女小児性愛の実践者/作家として表通りを歩いていたのだ。

   いくつかの名のある文学賞のみならず、1986年には在任中の大統領フランソワ・ミッテラン(写真→)から書面による公式な賛辞、1995年には芸術文化勲章も受けている。国からお墨付きをもらったマツネフは、警察の追求など全く恐れることなく、未来に名声を残すであろう芸術家として静かな余生を送っているはずであった。ヴァネッサ・スプリンゴラはそれが許せなかった。彼女の少女期を破壊した男、彼女ばかりではなく多くの少年少女たちを弄んだ男が、それを記述した文学“で未来まで名を残し、その少年少女破壊が芸術の名のもとに正当化されることは絶対に許されてはならない。それはマツネフの作品中に現れる「可愛いVpetite V)」(すなわちヴァネッサ)が、その倒錯の性愛物語の中で「合意」のもとにマツネフへの性的従属に幸福を得ていた、と未来まで記録されることに等しい。マツネフの著作が版を重ね、全国の図書館に保管されることは、彼女が未来永劫この男に性的に弄ばれることなのだ。

  かつての名声も2000年代にはだいぶ鎮まりメディアにもほとんど登場しなくなった頃、突如2013年に当時77歳のガブリエル・マツネフは、フランス二大文学賞のひとつルノードー賞(エッセイ部門)を受賞し、その生涯の文学的栄誉を確定的なものにする。ヴァネッサ・スプリンゴラはその日、この本を書き始めたのだ。

  本書の作者スプリンゴラは1972年パリ生れで現在47歳、職業は大手出版社(ジュリアール)のディレクターである。この著『合意』は彼女の生れ育ちから詳しく記述されている。母親はパリの出版編集者で、文壇にも通じていて、頻繁に開かれるホームパーティーには作家や業界人がやってくる。職業不詳だが高収入の父親と母親は喧嘩が絶えず、ヴァネッサが幼少の頃に離婚。養育費を払わぬ父親のせいで母との二人暮らしは苦しかったが、個性が強く美貌の母は仕事と愛人たちとの時間を保ち続けた。五月革命闘士でフェミニストの先駆だった彼女は、フリーの出版業界人として自立し、性の自由の実践者でもあったが、子育てにはあまり目が届いていない。
そしてその職業のおかげでアパルトマンは本に溢れていて、ヴァネッサは本に囲まれて育ち、自然と本の虫になり、遊びよりも読書を好む少女になっていく。
   父親の不在も大きく影響する。幼くして別離したその男は美男で粗暴で金持ちというイメージしかない。会うことのほとんどなくなったこの良く知らない男のことが、ヴァネッサの中で父親願望と男性願望となっていく。そしてむさぼるように本を読む少女はその早熟さゆえに性的好奇心も旺盛だった。同い年のやせっぽちの少年を相手に未熟な肉体散歩遊戯にふけるのだが、その先の満足には至ることがない。

   そんな少女が14歳になろうとした時、すべての条件(早熟な文学少女、父親欠乏、性への興味、進歩的な母親...)が整うのを待ち透かしたように50歳の男は現れる。母親が招待された文壇筋の夕食会に着いていったヴァネッサは、食事の間じゅう向いに座った男の熱い誘惑の視線を浴びる。高名な作家と紹介されたその男G(本著中ガブリエル・マツネフは”G”とイニシャルだけで記される)は、そのエスプリあふれる弁舌で会食者たちの注目を一身に集めている。そのエレガントさに魅了されながらも、その刺すような視線が私のような小娘に向けられるわけがない、と思った。母親とGは既に知り合いで、会がはねて帰宅の段になって、近所なので母親が一緒に車で送っていくことになった。後部座席で体が密着してしまうヴァネッサとG

    次いでGは炎のような恋文をヴァネッサに書き送る。耽美系で知られる作家の恋文がどれほどの威力があるものだろうか。Gは返事をくれぬ彼女に、立て続けに何通も書き送る。日に2、3通書くこともあった。ヴァネッサは折れて(完璧に魅了されて)逢瀬にOKの返事を送る。

   ヴァネッサは恋に落ち、それだけでなくこれは一生で唯一の美しい恋だと確信してしまう。実の父よりもずっと年上の男、美しい言葉を操り世界の知に通じる文人、性の快楽の指南役、その男は私のことを人生最良の恋人だと言い過去の愛人たちをすべて捨て去ると誓った。この性快楽の飽くなき探究者による少女ヴァネッサへの導き“は甘美な発見の連続であった。14歳の少女は同世代が絶対に知ることができない幸福の中にいると思っていた。これが「合意」であった。私は自ら望んでここまで来た、と。

   以来 Gは人目を忍んでサングラスをかけ、放課後の中学校校門で少女を待ち受け、二人は作家のアパルトマンやホテルで秘密の午後を過ごすようになった。この交際をヴァネッサが母親に告白したのはしばらく後のことだった。母親は出版界の人間だから、Gがスキャンダラスな性向(ペドフィル)で知られた作家であることを知っている。ところが彼女の”68年的“進歩性は、この禁じられた関係をあっさり認めてしまうのである。つまり同時代の文化人たちと同じように、これも性の解放”のひとつと受け入れたのだ。このことをヴァネッサは後年になって「母親は私を守ってくれなかった」ときびしく責めている。それに対して母親は「おまえが彼と寝たのに、それを私が謝らなければならないの?」(p156)と答えている。そういう母親なのだ。

   月日は経ち、少女もGのスキャンダラスな少年少女小児性愛の著作を読むにつけ、また同じ歳頃の元“愛人たちとGがまだつながっていることを知るにつけ、大きな不安が生じてくる。Gは嘘をつく。ヴァネッサはそれが病的で依存症的であり、Gは相手が15歳未満の少年少女でなければ満足できない、しかも複数/多数により大きな満足を求めてしまう抑えがたい性衝動であることを見破る。そのために彼はどうしても定期的にフィリピンへ(少年買いに)旅行しなければならない。これはGが隠していることではなく、堂々とその著作で包み隠さず書いている。私はその多くの獲物の一人にすぎず、その上Gはそれを美化した文学作品にして、哀れな題材として私を作品の中に固定化してしまう。

  少女はこの罠から逃げたくて、以前Gの友人として紹介された20世紀厭世哲学の極北エミール・シオラン(←写真、1911-1995)に相談に行く、という興味深いパッセージがある。少女の悩みを聞いたシオランは、Gは偉大な芸術家であり、きみはその天才に選ばれた者なのだから、Gに従順であり献身の愛を捧げなさい、と説く。


ー でもエミール、彼は四六時中私に嘘をついているのですよ。
ー 嘘こそが文学なのだよ! きみはそれを知らなかったのか?
                                         (『合意』p142)

   15歳になったヴァネッサは、フィリピンへ取材“旅行で不在のGに置き手紙を残し、決別する。それから1年にわたってGはあらゆる手段を使って執拗に復縁を迫ってくる。少女は1年余りのGとの関係の間に急激に変わってしまった(変えられてしまった)自分の肉体、壊れてしまった精神平衡に直面する。もはや”普通の”15歳には戻れない。リセのクラスではGとの醜聞が知れ渡っていて居場所を失い、ヴァネッサは通信教育でバカロレア受験を準備せざるをえなくなる。また道で見知らぬ男から、Gとの関係を知っていると話しかけられ、あらゆる種類の猥褻語で嘲られることもある。精神療法士の助けを借りて、必死に彼女が普通の社会に再浮上しようと努力している間にも、Gはヴァネッサとの離別後10年間にわたって「可愛いVpetite V)」をヒロインとする連作小説を発表し続けた。このことでヴァネッサの傷は癒えるどころかますます浸食の度を深めていくのだった。
   ヴァネッサの思念はGへの復讐さらには殺意のレベルまで昂ることもあった。しかし、時代の空気と文壇さらに政治権力(ミッテラン)までGは味方につけていて、ヴァネッサの勝ち目など限りなくゼロに近かった。あきらめないヴァネッサの臥薪嘗胆の日々は30年も続くことになる。

   幸いにして風向きは変わって、ペドフィリアや未成年への性犯罪を許すことなど考えられない時代に入った。そして女性に対する性犯罪に対して、もはや女性たちは泣き寝入りをしない。女性たちは勇気を持って声を上げ始め、この性差別社会を変えようとしている。しかしこのヴァネッサ・スプリンゴラの初の著作は、この流れに乗じて書かれたものではない。米映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる女優たちへの性暴力が告発され、それに呼応して世界中の女性たちが起こした “#Me Too”ムーヴメントが始まったのは2017年のこと。それに対して前述したようにスプリンゴラがこれを書き始めたのは、マツネフがルノードー賞を獲得した2013年だった。6年間練り上げて発表されたこの本は、間違いなくこのMeToo”等による女性たちの意識の変化に大きく支えられることになる。世の趨勢は今やヴァネッサに力強く味方している。
   12日の『合意』出版に前後して、さまざまなことが起こっている。やっと、今になってやっと、仏検察がガブリエル・マツネフの一連の性的未成年との性関係事件について取り調べを開始した。マツネフは1月末のニュース報道によるとイタリアの某海浜地方のホテルに身を隠している。そして、ガリマール書店を筆頭に、マツネフの著作を出版している全出版社がその全著作を絶版にし、市場から引き揚げた。   
  さらに、70-80年代に多くの文化人たちの署名を掲げてマツネフの未成年性交渉の解放“キャンペーンを掲載したル・モンド紙、リベラシオン紙(→ 2019年12月、同紙の過去のマツネフ擁護について批判謝罪する第一面)、ル・ポワン誌などが、その誤りを認め自己批判し謝罪した。またそれに賛同支持していた当時の文化人たちの一部もしかり。現在83歳の老作家はもう誰からの擁護支援も望めなくなっている。

   
マツネフの態度は変わらない。これは芸術(文学)であり、その美の探究のためには何ものも禁止されるべきではない。自分は美しい作品を綴ってきたし、あらゆる少年少女小児との性体験がそれを支えてきた。彼は胸を張ってそう主張し続けている。
   芸術の名においてすべては許されるか?その名において性犯罪は放免されるか?答えはノンである。スプリンゴラの勇気ある1冊の本は20世紀後半の性解放と芸術の関係を再考させ、誤謬を質すことになろう。#MeTooの告発は映画に始まり、ショービジネス、メディア、スポーツの分野まで広がり、今、文学にたどりついた。

   マツネフがそのすべての恋物語“の正当性の根拠にしようとしているのが、未成年パートナーとの「合意」である。スプリンゴラの本の中で、少女は恋に落ちすべてに合意するのだが、それが少女の人生を無残に破壊し尽くすことを許す根拠になどなりうるはずがあろうか。この『合意』という本の力強さは、「合意」論の欺瞞を打ち破る。マツネフの被害者は多数おり、この本をきっかけに別の告発も出てくるはずだし、他の文学”による性犯罪被害者たちもしかり。一冊の本が文化の風向きを一変してしまうこともある。芸術文化勲章に輝いたこの作家は未来に汚名のみを残すことになる。

                     (2020年2月 向風三郎)


★★★★
★★★★ ★★★★ ★★★★

(↓)2020年12月レ・ザンロキュプティーブル誌のインタヴューで2020年を総括するヴァネッサ・スプリンゴラ

2020年12月29日火曜日

ラ・タルヴェーロ 41年めのアルバム

La Talvera "A Tu Vai"
ラ・タルヴェーロ『ごたくはたくさんだ』

ラ・タルヴェーロのオリジナルアルバムとしては2014年の『Solelh Solelhaire(ソレルー・ソレライール)』以来、6年ぶりです。ダニエル・ロッドーとセリーヌ・リカールの夫婦が結成したオクシタン・フォークのバンド、ラ・タルヴェーロも今年41周年を迎えた。前作『ソレルー・ソレライール』録音時にモンペリエ大学の学生(音楽治療学musicothérapie専攻)だったアエリス・ロッドー(セリーヌとダニエルの娘)が、ヴァイオリニスト/ヴォーカリストとして全曲参加。まあ正式メンバーということでしょうね。ロッドーヘリテッジ(バンドの未来はアエリスにかかっている。まかせたぞぉ)。Isn't she lovely ? Aelisアエリスというのはとても素敵な名前だと思う。子沢山と聞いているロッドー夫妻に何人子供がいるのか知らないけれど、アエリスの姉エステラはワイン園を営んでいるようだ(FB友なので知っている)。みんなおかあちゃん(セリーヌ)に似て大地の母になるんだろうなぁ。
 さて新アルバム『ア・トゥ・バイ』はジャケが色調もデザインもスティーヴィー・ワンダーの超名盤『キー・オブ・ライフ』(1976年)によく似てます。スティーヴィー盤ではグルグル多重円のまんなかはワンダー氏人生の鍵を見つけたような白光の覚醒顔となってますが、ラ・タルヴェーロ盤は真ん中に振り上げられた握り拳が五つ、つまりラ・タルヴェーロの五人の闘志の誇示がシンボライズされてます。改めて五人を紹介しましょう。ダニエル・ロッドー(ヴォーカル、ディアトニック・アコーディオン、コルヌミューズ2種、オーボエ、バンジョー、カバッキーニョ、口琴...)、セリーヌ・リカール(ヴォーカル、フィフル、フルート、オーボエ...)、アエリス・ロッドー(ヴォ^カル、ヴァイオリン、ヴィオラ)、ファブリス・ルージエ(クラリネット、サクソフォン各種)、ジャン=ピエール・ヴィヴァン(ドラムス、パーカッション)。このアルバムの録音にはこの他に多くのブラジル人ミュージシャンが参加しているが、ジャイール・ボルソナーロの暴政とブラジルでのコ禍の猛威のためにブラジルに帰れなくなっていて、このこともロッドー一座のプロテスト心を掻き立てるものになっています。
 というわけでこのアルバムは2020年コ禍の夏に録音された。いつも通りオクシタニア、タルン県コルド・シュル・シエルのアソシアシオン・コルダエ(オクシタニア文化資料館、出版書店、ワークショップ...)のホームスタジオでの録音。 いつもながらのオクシタニアと南米大陸をクロスオーバーするサウンドでバレティ(オクシタニア・フォークダンス)へと誘う軽快で土臭いフォークソングの数々。セリーヌとアエリスの掛け合いとハーモニーで歌われるのは、オクシタン・トルバドゥールの伝統芸である世相風刺や権力批判や自然賛美など。前作と新作の間に起こった最重要事件として、ノートル・ダム・デ・ランド(ナント新空港)空港建設反対の50年以上におよぶ農民(+エコロジスト市民団体)闘争が2018年に(国による建設断念決定をもって)勝利したこと。このアルバムに添付されたブックレットの表紙写真(←)は、ノートル・ダム・デ・ランドの闘争の現場であるZADでデモ行進バンドとして参加したラ・タルヴェーロの面々。アルバム7曲めの"Buta Butèrna"はまさにそのバリケード闘争歌:
Buta butèrna e buta plan 押せよ同志たち、強く押せ
Tenèm las barricadas バリケードを守ろう
Buta butèrna e buta plan 押せよ同志たち、強く押せ
Que non passaràn pas やつらを通してはならない


 2020年コ禍で緊急事態宣言から今日まで二度の長期にわたる外出制限があったフランス。外に出るたびに「アテスタシオン(外出特例証明書)」という"パピエ(紙っぺら)”を携行しなければならなかった。この義務を皮肉って、もともとフランスは何にでも"パピエ”が必要な国でそれがどんどんエスカレートする、という内容の歌がアルバム1曲めの"Los papières"(紙っぺら)。その最終リフレイン部:
定年退職するためにパピエ
休息するためにパピエ
援助してもらうためにパピエ
子供扱いされるためにパピエ
延命させてもらうためにパピエ
延命装置を切ってもらうためにパピエ
くたばるためにパピエ
最期のお水をもらうためにパピエ
遺言するためにパピエ
それで揉め事をこさえるためにパピエ
ミイラにしてもらうためにパピエ
あるいは埋葬してもらうためにパピエ
あるいは火葬してもらうためにパピエ
墓に入るのにも許可証がいる
だったら生きていようじゃないか
最後の審判の時まで
("Los papières")

6曲めに"A nuèit a la talvera(今宵タルヴェーロで)"という現役40年選手のバンドのマニフェスト的な歌がある。「ラ・タルヴェーロ」とはオック語で耕された畑地の縁にできる畦(あぜ)のことで、オクシタン作家ジョアン・ボドン(Joan Bodon 1920 - 1975)のことば
"Es sus la Talvera qu'es la libertat !"(ラ・タルヴェーロの上にこそ自由がある!)が、41年前ロッドーたちのバンド名およびアソシアシオン名の由来となっている。
今宵タルヴェーロでは
五人のミュージシャンが来て
一晩中音楽を奏でるよ
熱情に満ち満ちて
この名高い楽団の
音楽をよくお聞き
ルーマニスクやブーレやブランルーを奏でるよ
この勇ましい楽団は
犬も踊らせることができるよ
論戦ももってこいさ
政治のことを歌わせたら
いつも新しい批判の一節を編み出して
それはいたるところに広がっていくよ
("A nuèit a la Talvera")

ロッドー一座版の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド」みたいなものでしょう。
 終曲14曲めに、世界中の暴君を叩くちょっと壮大な歌 "Lo Reiet Dels Cons"(愚者たちの王)がある。この歌は南仏トルバドゥールの偉大な後裔ジョルジュ・ブラッサンス(1921 - 1981)の歌「Le Roi des Cons (愚者たちの王)」をリファレンスとして、若き王のように振る舞う現フランス共和国大統領だけでなく、世界の愚権力者たちをこき下ろしていて、中間メロディーにヴェルサイユの宮廷音楽家ジャン=バチスト・リュリー(Jean-Baptiste Lully 1632 - 1687。ちなみに現代日本の高名な女性政治学者が、お名前アルファベット表記を Lully としているが、権力を持ち上げる音楽家と学者という点で結ばれているのか)の「トルコ人の儀式のための行進曲」を導入している。
愚者たちの王が
まだ死んでいないんだよ、ジョルジュ
そいつは玉座にしっかり居座っている
愚者たちの王が
まだ死んでいないんだよ、ジョルジュ
このバカを倒そうじゃないか
アメリカには既にバカがいて
世界を牛耳ろうとしている
南米のバカどもは
そいつに手名付けられた
ロシアには執念の塊がいて
同じような夢を持っていて
中国の偉大な指導者は
慈善家の役を演じている
("Lo Reiet dels Cons")

と、まあ、14曲の新アルバム、風刺とダンスとオクシタニア愛に満ちたトルバドゥール節満載。ダニエル・ロッドーが合いの手で奇声やルルルル....という舌音で場を盛り上げる(アニマシオンする)のが重要な効果になっているのだけれど、ダニエル(全盲です)のイマジネーションではダンスの輪はどんな図となっているのだろうか。スティーヴィーとダニエルは似たようなインナーヴィジョンズがあるのかもしれない。同じように(楽器の種類こそまるで違えども)マルチインストルメンタリストであることだし。セリーヌ・リカールはすっかり肝っ玉かあさんだけど、野鳥のような歌声の可憐さは全然変わっていない。アエリスにはこの可憐さが欲しいところであるが、追々田舎味/野性味も出てくることだろうと信じている。41年間、コルドという小さな町から世界に向けてオクシタニア視点からの世界読みのメッセージを送り続けている。世界のどこにもない刺激をわれわれに与えてくれる。ありがたいことです。ずっと続けてください。できればね、次作はもうちょっと00年代にやっていたような実験的サウンドの遊び心を復活させてくれると、私のうれしさは舞い上がるんですけど。

<<< トラックリスト >>>
1. Los papièrs (紙っぺら)
2. Un jorn en pssejada (ある日のお散歩)
3. N'i a pro gadan (たくさんだよ、ろくでなし野郎)
4. Libertat Liberdade (自由、自由*)

 (*オック語とカタロニア語)
5. Carnaval (カルナヴァル)
6. A nuèit a la talvera (今宵タルヴェーロで)
7. Buta Butèrna (きばれよ同志)
8. Triste lo cèl (悲しい空)
9. Sus la rota de las chicanas (ジグザグの道で)
10.  Tot ço qu'ai (私が見たすべてのこと)
11.  M'es contrari (私に反して)
12. Lo rossinhol salvatge (野生のロシニョール)
13. A tu vai (ごたくはたくさんだ)
14. Lo Reiet dels Cons (愚者たちの王)

LA TALVERA "A TU VAI"
CD CORDAE/LA TALVERA TAL21
フランスでのリリース:2020年12月

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)2020年9月発表のラ・タルヴェーロ最新クリップ "LA FEMNA DEL FABRE"。ただしこの曲は(↑)のアルバムに入っていない。


(↓)2020年11月発表のラ・タルヴェーロ最新クリップ "SENHER FRANCES" 。ただしこの曲も(↑)のアルバムに入っていない。

2020年12月24日木曜日

からめ手ジェーン

Jane Birkin "Oh! pardon, tu dormais"
ジェーン・バーキン『アラ寝てたのね』

2018年と2019年に出版されたジェーンBの極私的な日記2冊("Munkey Diaries"と"Post Scriptum")によって、私のこの人物に対する見方はずいぶん変わった。日記を(自らフランス語化するという1プロセスが介在していても)修正せずにそのまま世間に提出するということは、”露出”である。日記であるから良いことよりもフラストレーションぶちまけの方がずっと多い。泣き喚きが聞こえてきそうな箇所も少なくない。この人はかなり無理をしてきたし、その無理が通らないことも多かった。
 家柄もよく教養もある英国娘が、フランスの芸能界でうすっぺらいシクスティーズ・ベビー・ドールを演じさせられていた。それからの脱皮はゲンズブールとの別離が引き金となるのだが、具体的にそれは作家主義の映画(ドワイヨン、ゴダール、リヴェット...)に出たり、パトリス・シェローの舞台に立ったり、人道的/社会的市民運動家として発言/行動したり、というカタチになる。「脱ゲンズブール化」それはあの当時の感覚では"軟派”から”硬派”に転身することだった。え?と思われようが、ゲンズブール(1928 - 1991)が"硬派”で不世出の天才芸術家として評価を確立していくのは死後のことであり、21世紀に入ってからと言っていい。この天才が理解されるには相当な時間がかかった。生前は(一般市民的視線からは)スキャンダル好きな超”軟派”な芸能人に見られていたと思う。ジャーン・バーキンはその悲しき玩具であった。だから1980年「ガンズバール」化し俗悪度(+暴力度)をエスカレートさせた男の家(ヴェルヌイユ通りゲンズブール邸)から蒸発した。
 ”芸能人”から人間へ、アーチストへ、クリエイターへと変身していく過程での、大きな一歩のひとつが1992年のバーキン初監督映画"Oh! pardon tu dormais (ごめんなさい、眠っていたのね)”(脚本監督ジェーンB、主演クリスティーヌ・ボワソン&ジャック・ペラン)であったが、おそらくこの映画はほとんど誰も見ていない。見ていないのでいいかげんなことは言えないが、平たく言えば愛し合っていた関係が崩壊するまでの男女対話劇のようだ。これは1999年にジェーンBによって戯曲化され、ジェーン自身が主役となって舞台に立った。この劇に深く感銘を受けたエチエンヌ・ダオが上演後の楽屋を訪ねる。この時からバーキン+ダオのこのアルバム"Oh! pardon tu dormais...”のプロジェクトは始まっているから、20年越しの準備期間ということになる。ここから始めよう、とエチエンヌ・ダオは考えた。ゲンズブールのミューズではないジェーンBは既に彼女自身の語る"フランス語"にあった。不安とストレスとフラストレーションで愛情関係を失う女。その”フランス語の”モノローグはすでに”歌”のようであったとダオは言う。蔑みのニュアンスなど微塵もないことだが、ダオ(そして多くのフランス人)にとってバーキンのフランス語はちょっと変わっている。ゲンズブールもそうだったが彼女に深く関わった人たちは「それは直さない方がいい」と言ってきた。バーキン印のフランス語である。訛りのことではない(と言いながら訛りは重要なファクターであるよね)。バーキン独特のパリゴー(パリ下町表現)と英語直訳のボキャブラリーと彼女自身のフィーリング新語のミクスチャーである。このことは上述の彼女の2巻の日記集でも明らかで、彼女自身が原文(英語)をフランス語翻訳したその文章はバーキン語になることがままあり、よりストレートに伝わってくる。 
 その日記とこのアルバム"Oh! pardon, tu dormais..."に関する最近のプロモーションのインタヴューでわかったことは、この『ごめんなさい、眠っていたの』は最初の夫ジョン・バリー(1933 - 2011)との関係に多くインスパイアされているということ。13歳年上で007シリーズの映画音楽で既に著名作曲家であったバリーに嫁いだ時、ジェーンは19歳だった。日記では不在がちでたまに自宅に帰ってきても疲労困憊して寝てばかりというバリーに、泣いてばかりいる在宅"若妻”である。顔を合わせると今日何をしていたか、どんな人と会ったか、一緒に外出できないか、まだ私を愛しているか、と質問責めにする。日記というのはそういうものかもしれないが、性的フラストレーションは正直に綴られているし、愛の渇きは痛ましいほどだ。この疲れて眠りこけている男に絶望的に愛の言葉を語りかけるのが、この映画/戯曲の主題であった。(↓)2020年版 "Oh! Pardon tu dormais..." (「男」の声はエチエンヌ・ダオ)
ごめんなさい、眠っていたのね... (男「見たらわかるだろ、もう眠っていないよ」)
最高のタイミングよ、私のこと愛してるって言うには
もしまだあなたが私を愛してるんだったら...
ごめんなさい、眠っていたのね... (男「ああ、きみに起こされてしまった」)
あなたの片手の一振りで、そうさせないことだってできたのに
あなたが「ここにいて、僕がきみを大事にする」って言ってたら
私だってこんなことしなくてすんだのよ
ごめんなさい、眠っていたのね... (男「きみは苛立っているね」)
私はあなたを強く愛しすぎているから
夜あなたが帰ってくると爆発しそうになるのよ、しょっちゅう
ごめんなさい、眠っていたのね... ごめんなさい、今夜は眠っていたのね
ごめんなさい、眠っていたのね... (男「こうなったら喧嘩になるよ」)
この頃観た映画の中ではみんな、私みたいな女があなたに向かって駆けていくの
そしてあなたの首に抱きついて... でも私は固まってしまうの
あなたにはわかるわよね
ごめんなさい、眠っていたのね... (男「いいかげんにしろよ」)
でもどこへ行ってしまったのかしら、私の中でキラキラしていたものは?
私は考えられなくなるほどのパッションが欲しかった
明晰でいられなくなるようなパッションが
ごめんなさい、眠っていたのね... (男「もうおしまいだと思うよ」)
私があなたに怒った顔をするのは、あなたは帰ってきても
ボンソワールの一言も私に言わないから
犬にだって何らかのあいさつはするものよ
ごめんなさい、眠っていたのね... ごめんなさい、今夜は眠っていたのね
私はあなたのベッドの足元で眠りたいわ
私は犬よ
ごめんなさい、ごめんなさい、今夜は眠っていたのね
(詞:ジェーン・バーキン/曲:ジャン=ルイ・ピエロ&エチエンヌ・ダオ)

 元が映画/戯曲なので、劇的な表現がまさった歌であるが、エチエンヌ・ダオはこれを出発点として「ミュージカル・コメディー」(音楽劇)のようなアルバムを作りたいと構想していた。20年間の準備中にいろいろ変遷はあっただろうが、そのコメディー的な輪郭は残っていて、エチエンヌ・ダオとの短いダイアローグ劇でこんなトラックがある。
"F.R.U.I.T"(テクスト:ジェーン・バーキン)
男「セックスって言ってごらん」
女「言えないわ」
男「あたしのセックスって言ってごらん」
女「やめてよ、言えるわけないじゃない、大っ嫌い!」
男「どうして?」
女「こんな言葉嫌いなの。拷問されたって言わないわ」
男「セックス以外で嫌いな言葉って?」
女「フ・ル・ー・ツ」
男「ええ? フルーツって言えないの?」
女「言えないわ」
男「じゃバナナは?桃は?」
女「問題ないわよ」
男「アプリコットは?」
女「たぶん大丈夫...」
男「じゃ英語では?」
女「いやよ、もっと悪いんだもの!」
男「トラック運転手のこと考えてるの?」
女「もうヒッチハイクするのなんてうんざり」

これは本当にジェーンBが人前で言えない恥ずかしい言葉なのだそうだ。誰でも言える「フルーツ」という言葉が恥ずかしくて発語できない。これはかの日記本の延長で、かなり極私的なジェーンBの核の部分を露出するものかもしれない。核心露出を象徴するような歌が、ジェーンの長女ケイト・バリー(1967 - 2013)の死について歌った「シガレット(Cigarettes)」である。2013年12月11日、ケイトパリ16区の自宅アパルトマン(4階)の窓から転落して命を落としたことのショックで、ジェーンBの日記は二度と書けなくなっている。
私の娘は宙に身を放り、地面の上で見つかった
本当にあの娘はタバコの煙を外に出すために
窓を開けたの?
見ていたのは2匹の猫、1匹の犬、1羽のオウム
謎、これはひょっとして本当に馬鹿げた事故なの?
誰にわかるの?
イスタンブールの蜜、アイルランドのクローバー、日本のお守り
束ねられた春の花々は
おまえの灰色の髪の飾りそれらすべてが最愛のおまえの青白く、傷ついた顔に張り付いている
法医学検死科の途方もない空虚
死者たちに混じって土台の上に置かれた祝別された子供
私の愛娘は宙に身を投げ、石畳の上で見つかった
本当にあの娘はタバコの煙を外に出すだけのために
窓を開けたの?
誰にも見られず、手の中にはライターが握られていた
謎、これはひょっとして本当に馬鹿げた事故なの?
誰にわかるの?
(詞:ジェーン・バーキン&エチエンヌ・ダオ/曲:ジャン=ルイ・ピエロ)

事故死とも自殺とも言われているケイト(享年46歳)の転落の謎は、ジェーンは永遠に問い続けるだろうし、悲しみは "Qui sais ?"誰にもわからない。さて曲を聞いてすぐに気づくのは、イントロやオーケストレーション(楽器構成)が、ジョン・バリー作曲の英国連続テレビドラマ「ダンディ2華麗な冒険」(原題"The Persuaders!")のテーマを想起させるということ。作曲者ジャン=ルイ・ピエロとエチエンヌ・ダオが意図的にこの映画音楽の巨匠でありケイトの父親であるジョン・バリーに敬意を表したのである。このアルバムはこの他にもジョン・バリー風(一連の007もの、真夜中のカウボーイ、冬のライオン、アウト・オブ・アフリカ...)と聞こえる曲があるが、ジャン=ルイ・ピエロへのバリーの影響は大きいはず。
 さてこのアルバムはジェーンBとエチエンヌ・ダオの二人三脚で制作されたような印象が強いが、この第三の男、ジャン=ルイ・ピエロ(作編曲プロデュース)の存在も大きい。ピエロは1987年にエチエンヌ・ダオの独立レーベルSatori Songsからデビューしたバンド、レ・ヴァランタン(ジェラルド・ド・パルマス、エディット・ファンブエナ、ジャン=ルイ・ピエロのトリオ)のメンバーだったが、トリオは1989年からデュオ(ファンブエナ+ピエロ)になり、バンドとしての活動はほとんど芽が出なかったものの、90年代後半からプロデューサーチームとしてメキメキ頭角を表し、アラン・バシュング(1947-2009)「Fantaisie Militaire(軍隊奇想曲)」という大傑作を生み出してしまう。2003年にファンブエナとピエロはコンビを解消するが、それぞれがプロデューサーとしてよい仕事を続けている。そのエディット・ファンブエナがプロデュースした大きな仕事のひとつが、2008年ジェーン・バーキン『冬の子供たち(Enfants d'hiver)』だったのだが、これはジェーンBの記念すべき初自作オリジナルアルバム(全作詞ジェーンB)だったのだ。しかし(アラン・スーションの作曲参加にもかかわらず)このアルバムは批評家からもファンからも厳しい評価を受けてポシャってしまう。というわけで、この『Oh! Pardon tu dormais...』はその12年後の第二作めの自作(全作詞)オリジナルアルバムとなっていて、レ・ヴァランタン因縁でエディット・ファンブエナの雪辱をジャン=ルイ・ピエロが果たせるか、という興味もあるのである。
 そうやって『冬の子供たち』と聴き比べると、差はいろいろあり、家族的な回想ノスタルジーがメインテーマでフレンチ/ヴァリエテなトーンが支配的な前作とは詞もサウンドもまるで違う。かの日記本同様の飾らず剥き出しな詞がいい。そして60/70年代ブリティッシュ・ロック/ポップで自らの音楽基礎を築いた仏ポップ界随一の英国趣味人たるエチエンヌ・ダオが設計したサウンド空間と、ダオ+ピエロのジョン・バリー風アプローチはジェーンBの自然体とどれほどマッチしていることか。これはイギリスのようでもありフランスのようでもあるが、イギリスでもフランスでもないところ、つまりブルターニュに似ていると言えるかもしれない。ブルターニュに家を持つジェーンが、その窓から見える満ち潮に、愛の終わり、老い、自暴自棄を投影させた歌「A marée haute(満ち潮)」は補作詞をエチエンヌ・ダオがしている。
そうね、もう死んだわ、私は敗者の臭いがする
私の心はのぼってくる潮のくりかえしに波音を立てる
誰のせいなの? 満ち潮のせい?
コルヌアイユ(コーンウォール)とイギリスの霧はとても近い
点滅する灯台、メランコリアがすすり泣く
私は熱い飲み物を飲む 引き潮どきに
どんな死に方をしたの?そんなに英雄的な?
私はそれを買えるかしら?
あなたのシニカルな笑い声が聞こえる、溺死者たちの浜辺で
もうあなたが私を愛していないなら、私も私を愛さないわ
北の浜辺、私は敗者の臭いがする
壺と海藻と小雨の混じった匂い
砕けた刃物のように波しぶきが私に叩きつける
私はあなたの嘲弄が私に届かないところまで行くわ
私は首吊り人たちの浜辺まで行くわ
もうあなたが私を愛していないなら、私も私を愛さないわ
私も私を愛さないわ
(詞:ジェーン・バーキン&エチエンヌ・ダオ/曲:ジャン=ルイ・ピエロ)


曲の中の地名 Cornouaille(コルヌアイユ)はブルターニュ半島南西部の県(県庁所在地カンペール)、これに末尾に"s"がついて Cornouailles(コルヌアイユ)となると、イングランド半島南西部コーンウォール(Cornwall)のこと。ジェーン・バーキンが家を持っているのはブルターニュ半島フィニステール県のラニリス。歌詞リフレインの仏語がわかる人には気付くと思うが、Si tu ne m'aimes plus, je ne m'aime plus non plus (もうあなたが私を愛さないなら、私も私を愛さないわ)は、je t'aime moi non plus の逆ヴァリエーションであり、ゲンズブールから50年後の愛の終わりである。思い切った歌詞を書いたものである。強い人だ。

<<< トラックリスト >>>
Side A
1. Oh ! Pardon tu dormais...
2. Ces murs épais
3. Cigarettes
4. Max
5. Ghosts
6. Les jeux interdits
7. F.R.U.I.T.
Side B
1. A marée haute
2. Pas d'accord
3. Ta sentinelle
4. Telle est ma maladie envers toi
5. Je voulais être telle perfection pour toi!
6. Catch me if you can

JANE BIRKIN "OH! PARDON TU DORMAIS..."
LP/CD/Digital Barclay/Universal
フランスでのリリース: 2020年12月13日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)"Ta sentinelle" (あなたの見張り)オフィシャルクリップ。いちばんダオっぽい曲調かな。

2020年12月21日月曜日

The great gig in the sky

Hervé Le Tellier "L'Anomalie"
エルヴェ・ル・テリエ『異状』
2020年度ゴンクール賞


「降って湧いたような話」という日本語表現がある。これは空からとんでもないものが降ってくるのと地面からとんでもないものが噴き出るのが同時に起こるほどの予期不能な大カタストロフィーの比喩である。超大予算のパニックSF映画を想ってくださって結構だが、現実に昨今頻発する地球上の気候変動大災害はすべて降って湧いたような現象である。で、この2020年ゴンクール賞作品は降って湧いたような小説である。
 作者エルヴェ・ル・テリエは私は初めて読む作家であるが、1957年生れ、現在63歳。数学と言語学を専攻した全学問オールマイティーの碩学であることは、本書のいたるところにその片鱗がちりばめられている。私のような器からはこういう言い方しかできないが、この御仁は何でも知っている。ミクロ/マクロな科学、医学、先端テクノロジー、世界史/世界地理と民俗学、宗教(各教典の細部や枝分かれした宗派の教義)、哲学/思想、世界政治、世界経済、文化・芸能、インターネット事情... 。別の姿では詩人、ジャーナリスト(ル・モンド、シャルリー・エブド etc)、コント作家、編集者でもある。1992年からウリポ(潜在的文学工房)のメンバーとなっていて、2019年にはウリポの会長に昇進して現在に至っている。1970年代に仏文科学生だった頃の私にしてみれば、ウリポは冗談ぽい文学実験(文字外しなどのパズル化、ゲーム化、数学演算化、無限拡散化...)の最前衛グループで、仏語3年目くんは凍りついてしまって全然つきあっていなかった。この諧謔のクオリティーなど、フツーにわかるもんではない(と思う)。エルヴェ・ル・テリエがフランス最高峰の文学賞に輝いた時、「ついにウリポにゴンクール賞が」と驚く記事見出しもあったほどだ。小説を読み進めていくうちに繰り返される高尚な冗談の連続に、ああ、これが一種のウリポのノリなのか、とずいぶんと利口になった気分。難易度を高めたり低めたり、世の学問(および雑学)のすべてを駆使したハイブロウな笑いとメランコリー、これがウリポ流エルヴェ・ル・テリエの文芸と私は理解した。
 時は2021年春から夏、場所は地球(地球規模の展開)、乗客とクルー合わせて243人を乗せたエール・フランス航空AF006便(パリCDG空港発ニューヨークJFK空港行き、機長デヴィッド・マークル)ボーイング787型機は大西洋上空から北米大陸上空へ差しかかろうとした頃、巨大な積乱雲海に突入し乱気流に機体を激しく揺さぶられ千メートル高度を落とされ、機首部は雹塊によって凹むほどのダメージを受ける。乗客とクルーにとっては悪夢のような数分間となるが、やがて機は積乱雲を抜け出すことができ、無事JFK空港に到着することができた。これが2021年3月10日のこと。小説序盤にはそのフライトに乗り合わせた数人の人物のその後の動向が綴られている。プロの殺し屋のブレーク、老建築家のアンドレとそのかなり年下の愛人リュシー、ナイジェリアのポップシンガーでその3月のフライトの後で世界的ヒットを出したスリムボーイ、辣腕の黒人女性弁護士のジョアンナ、水槽に飼っているカエルを一番の宝物にしている少女ソフィア、そしてそれまでほとんど目立たなかったのにフライト後に書いた小説『異状』がカルト的な人気を博すが謎の自殺を遂げてしまう作家ヴィクトール・ミーゼル...。それぞれに違った状況で時を過ごしていたが、6月25日、死んだミーゼルと身元を追跡することが困難な殺し屋ブレークを除いて、3月10日のフライトに乗り合わせた乗客とクルー全員がFBIに身柄を拘束される。
 6月24日、JFK空港管制塔に着陸許可を求めるボーイング787型旅客機あり。大積乱雲に突入して機体にダメージありと機長が状況を説明する。便名はAF006、機長の名はデヴィッド・マークル、乗員乗客合わせて243人。管制塔は冗談であろうと疑い、機長とあらゆる秘密コードを照合するが、すべて正しいものだった。即ち、100日前にパリから飛んできてJFKに着いた旅客機が、そのまま同じ機体と同じ乗員乗客で再び空の切れ間から出現したのである。管制塔は着陸許可を出さず、ペンタゴン、ホワイトハウス、関係省庁と連絡を取り、数分もせずにことは緊急国家最重要機密案件となってしまう。機は一般空港への着陸を許されず、軍から誘導されてニュージャージー州マクガイア空軍基地に着陸させられ、乗客乗員は外部との連絡のできるものすべてを没収され、臨時の収容施設として緊急改造した基地内の巨大な格納庫に軍の厳重な監視のもとに軟禁される。
 その間に国家安全局はアメリカのノーベル賞クラスの頭脳(天文学、量子物理学、数学、化学...)から神学、哲学、密教学のエキスパートに至るまで、この現象を分析・説明できる可能性のある学者を総召集する。その飛び抜けた頭脳の持ち主の中にプリンストン大学の若き数学(確率論専攻)者エイドリアン・ミラー(なかなかとぼけたキャラ)がいて、彼を座長とする専門家会議ではさまざまな推論仮説が飛び交う。ここがこのエルヴェ・ル・テリエという作家がどれほどの碩学であるかがよく現れるパッセージで、難解SF映画のように私は頭が痛くなるのであるが。多くの推論が出尽くし、最も信憑性が高いとみなされたのが、われわれの世界というのは超々々々々々々々々... 進歩した文明の計算頭脳によって組まれたシミュレーションであり、あなたも私も含めたこの世界のすべてはプログラムにすぎない、というもの。つまりこの同じ飛行機の二度目の出現はプログラム・バグである、と。
 国はこの国家機密案件を「プロトコール42」と名付け、関係国(乗客国籍はアメリカ、フランス、中国)と大統領ホットラインで機密を共有する。時の国家指導者として習近平とエマニュエル・マクロンも実名で登場する。2021年の設定だから。ただしアメリカの大統領の名前が明記されていない。俗人ぽさはトランプ風なところもあり、最後にはミサイル発射命令を出してしまうところなど特に。国はこれを機密中の機密として扱うものの、マクガイア空軍基地に着陸させられたエール・フランス旅客機の画像など、時を待たずともインターネット上に怪情報として氾濫してしまう。
 国家安全局は最大限穏便かつ秘密裏にこの問題を収拾すべく、3日間マクガイア空軍基地に国家機密として隔離された2度目のAF006乗員乗客たち、そしてFBIによって身柄拘束された3月10日到着のAF006乗員乗客たち、姿かたち全く同一の両者を対面させて、法務上と心理上の問題を解消させて両者をこの世に同時に存在させる道をさぐる。この各々の対面シーンはこの小説の心理ドラマ的やま場であり、自我の分裂と統合がハッピーエンドになる場合(ナイジェリアのスリムボーイ)もあれば悲劇になる場合もある。
 機長デヴィッド・マークルの場合は本当に泣かせる。3月にJFKに着いた方のマークル機長はその直後、末期ガンが見つかり、痩せ細って鎮痛点滴を受けながら絶命するのであるが、6月に現れたマークル機長を迎えたその妻は、最愛の夫が100日のインターヴァルで同じように苦しみながら死ぬ姿を二度も見ることになるのである。
 そして上で少し述べた自殺した作家ヴィクトール・ミーゼルという、おそらくエルヴェ・ル・テリエの分身のような登場人物が面白い。カフカのような厭世的で不条理ユーモアを得意とするこのミーゼルという作家は、自分の作品ではなかなか喰えないので、その多言語に通じた知識を生かして翻訳業でそこそこ国際的に知られている。中でも『ゴドーを待ちながら』(サミュエル・ベケット作)をクリンゴン語(スタートレックの宇宙人クリンゴン人の言語)に翻訳したという偉業がある。その翻訳の国際的な賞の受賞セレモニーのために、3月10日にパリからニューヨークに飛んだのだが、積乱雲乱気流のあと無事3月10日にJFKに着いた方のミーゼルは、その九死に一生を得たようなフライト体験にインスパイアされたのかされなかったのか、それまでとは全く作風の異なる小説『異状(L'Anomalie)』(つまり本書と同じ題名)を書き上げるのである。そしてそれを白鳥の歌として遺して謎の死(ほぼ自殺)を遂げる。この原稿を読んだ担当の女性編集者は、その例外的な文学性に驚愕し、文壇メディアを仕掛けてこの遺作を大ベストセラーにしてしまう。死してにわかにカルト化したこの作家のファンたちのおかげで旧作もすべて再版され、遺作にちなんで"LES ANOMALISTES(レ・ザノマリスト)”という名のファン組織も結成され、”偲ぶ会”イヴェントを展開した。ロプス(l'Obs)誌上で本書の書評を担当したル・テリエと同世代の作家/ジャーナリストであるジェローム・ガルサンは「私も”レ・ザノマリスト”の行動的メンバーのひとり」とその偏愛ぶりを吐露している。
 そのヴィクトール・ミーゼルの『異状(L'Anomalie)』の中の箴言のひとつとして引用されているのがこの一行:
Personne ne vit assez longtemps pour savoir à quel point personne ne s'intéresse à personne.
どれほどまでに何びとも誰にも興味を示さないことかを知るに至るまで十分に長生きする人など誰もいない
むむむ... となりませんか?
 その死んだヴィクトール・ミーゼルに代わって、6月に出現したフライトで生還したヴィクトール・ミーゼルは、当然のことながらこの傑作(遺作?)『異状(L'Anomalie)』を書いたという記憶がない。当然のことながらどのようにしてこの傑作が生まれたかを説明することもできない。ましてやどうして自殺したのかもまるでわからない。生きているのだから。知らない間に得られていた作家の名声、それについてこの6月生還ミーゼルは全然悪い気がせず、インタヴューに軽々と答え、テレビで饒舌に語ってしまう、という大変身ぶりで、カルト的ミーゼル像を作り上げた担当女性編集者をおおいに慌てさせるのである...。

 あちらが偽物、こちらが本物という葛藤もあるが、この設定ではどちらも本物なのだ。一方の影に隠れたり、別人格を持つことは困難である。SF的部分よりも、人格が剥離したり、独り立ちしていることが見える展開に文芸の巧みを確信する。この作品は読んだ者が誰でも明らかに「映画化」もしくは「連ドラ化」を想像できる小説であるが、映画(もしくは映像)にはできっこない文学のファクターがたくさんある。私には3分の1もわからない超一級の言葉の諧謔に圧倒&魅了される。最後のページでクラクラ来る。

Hervé Le Tellier "L'Anomalie"
Gallimard刊 2020年10月 330頁 20ユーロ

カストール爺の採点:★★★★★ 

(↓)自著『異状 L'anomalie』について語るエルヴェ・ル・テリエ。ボルドーの独立系書店リブレーリー・モラ(Librairie Mollat)による動画。

2020年12月16日水曜日

エサンシエルならざるもの

Grand Corps Malade "Pas Essentiel"

グラン・コール・マラード「必須ならざる」

2020年12月15日(火曜日)、フランスは長かったコ禍対策措置の外出制限/営業制限の段階的緩和の第二段階が始まるはずだった。11月末、緩和第一段階として一般小売店の営業制限は解除されたが、カフェ/バー/レストラン(解除予定は2021年1月)および文化関連施設(美術館、図書館、劇場、映画館、コンサート会場など)などは閉まったままであり、後者(文化関連施設)はこの第二段階で解除されると言われていた。しかしフランス感染状況は予想された鎮化状態には至らなかった。毎日の新感染者数を5千人にまで抑え込むというのが12月15日の第二段階解除の条件だったが、その数は今現在1万人を上回っている。このせいで、12月15日の緩和では、夜間外出禁止という条件で日中の外出制限および国内遠距離移動制限は解除になったものの、文化関連施設の再開は2021年1月に見送られた。
 フランスの春3月の第一次外出制限の時から、このさまざまな制限のキーワードは "Essentiel - Non essentiel"であった。Essentiel(エサンシエル)とは「本質的な、根本的な、最重要な、必要不可欠の、必須の」といった意味の形容詞である。このエサンシエルな施設(役所、銀行、郵便局、医療施設... )やエサンシエルな物品を供給する職業や店舗(農業、食料、薬局、ガソリン、新聞雑誌、酒類、タバコ)は制限令から除外された。しかしノン・エサンシエルと識別された職業はすべて制限令の対象となった。多くの業種が大打撃を被ったが、とりわけカルチャー全般は2020年は何もできなかった1年になってしまった。”カルチャーはノン・エサンシエル?” ー 三十数年間音楽の仕事をしてきた私には心外な問いであるが、私と同意見でない人たちは多い。(↑)12月15日発売のテレラマ誌表紙は舞台と客席のロメオとジュリエット然とした悲しい相愛関係のイラストで「映画館、コンサート、劇場、なければこんなにも寂しい!」と2021年の早期再開を渇望するメッセージ。同誌はその前週号で「12月15日映画館再開」のプログラムで編集されていたのに、それがそうはならないと直前に判断して急に表紙と内容を変えたのだろう。
 12月15日に文化関連施設が再開しないと直前に判断した人のひとりがグラン・コール・マラードだった。彼は急遽この"Pas Essentiel"という曲をつくり、速攻でヴィデオ・クリップ(オランピア劇場の舞台を含む。監督メエディ・イディール)を制作し、12月12日にYouTubeその他で公開した。気持ちは本当によくわかる。"アート/カルチャーは二の次"とレッテルは貼られた2020年、これはアート/カルチャーに関わる人々とアート/カルチャーを愛しその重要性がわかっている人々の思いである。

自宅から外に出て歩きだす
ひととき立ち止まって空を見上げる
すると太陽が屋根の上に金色の反射をつけていく
僕はそれを見るのが好きだ、それが必須のことじゃないと知ってても

そしてベンチに座って、自分自身と5分間向き合う
人々をながめる、それが複数に再生していく

僕は無言で語り、大袈裟に微笑む
これを僕は長時間できるんだ、それが必須のことじゃないと知りながら

やがて僕はその日の自分の映画のサウンドトラックが欲しくなるのさ
そして僕は両耳にサウンドをつめていくんだ

ポケットの中にはいっぱい手があって、両目は愛でいっぱいだ
これは大切な時間なんだ、それが必須のことじゃないと知ってても

必須じゃない
必須じゃない

必須じゃない

だれかにキスすること:必須じゃない
本を開くこと:必須じゃない
とっておきの微笑みをすること:必須じゃない
コンサートに行くこと:必須じゃない
森を散歩すること:必須じゃない
パーティーで踊ること:必須じゃない
友人たちと再会すること:必須じゃない

舞台芸術は...

必須じゃない
必須じゃない
必須じゃない

あまりカラフルじゃない数ヶ月が過ぎて

モノクロな外出制限、そして虹色の解放宣言
がやってくる
そしたらたくさんの歌と微笑みと花を捧げよう

僕は両手にいっぱい持っているよ、だってそれは必須のものじゃないから

最初に来た人たちと乾杯しよう
パーティーするなら、家族や友だちや知らない人たちとでも
僕はできちゃうよ

そして必須じゃないことを祝福して杯をあげよう
人生は余分なものの連続なんだから
みんなうすっぺらで超バカげたままでいようよ

くだらなさを大切にしよう、このことについて結論すれば
この歌に耳を貸さないで、だってこれは必須じゃないから

必須じゃない

必須じゃない
必須じゃない


だれかにキスすること:必須じゃない
本を開くこと:必須じゃない
とっておきの微笑みをすること:必須じゃない
コンサートに行くこと:必須じゃない
森を散歩すること:必須じゃない
パーティーで踊ること:必須じゃない
友人たちと再会すること:必須じゃない

舞台芸術は...


必須じゃない

必須じゃない

必須じゃない


(↓)グラン・コール・マラード "Pas Essentiel”、オフィシャルクリップ。


2020年12月13日日曜日

トービラ+スリマニ、若い世代へつなぎたいこと

 女性雑誌の世界的リーダーにして、明確なエディトリアルをもって女性史と共に歩んできた「エル」誌が創刊75周年を記念して特別号(2020年12月11日付)を。表紙は7種類用意され(ジェーン・バーキン+二人の娘、イザベル・アジャーニ+娘、イザベル・ユッペール+娘...)その中のひとつが、クリスティアーヌ・トービラ(元法相)とレイラ・スリマニ(ゴンクール賞作家)のツーショット。当然写真撮影だけではなく、この記念号のために二人の特別対談も掲載されているわけだが、誌面の都合なのか対談部分はたったの3ページ(美しい写真を含めると6ページ)の扱い。同記事の前置きで「(同誌のパリの撮影スタジオの)スタッフがいなかったら、会話は何時間も続いていただろうし、この二人の夜更かし好きのことだから、ひと晩徹してでも...」と言い訳してはいるが。さて同誌75周年の特集テーマは「トランスミッシオン (Transmission)」世代から世代への伝達である。ELLE誌が媒体となって75年間女たちが伝え継いできたことの総括のような特別号にあって、この68歳と39歳の女筆闘士が次世代につなぎたいことは何か。その記事の一部を以下に(無断)翻訳してみましょう。
エル「15歳から25歳までの若いフェミニスト世代とあなたたちはどんなつながりの関係があると思いますか?」
レイラ・スリマニ:この若い世代の方が私に教えてくれるものがたくさんある!彼女たちには大胆さがあり、自分たちの権利とその正当性への強い意識があり、一緒に行動する能力がる。これは私の時代に体験したこととはまるで違う。彼女たちは往々にしてラジカルさを帯びてしまうけど、それは今の社会には必要なことよ。彼女たちは私を笑わせることもできる。そのユーモアで私を感動させたりもする。彼女たちのトーンの自由さね。
クリスティアーヌ・トービラ:私が付け加えるとすれば、彼女たちが動機や主義をかき混ぜたり、混ぜ合わせたりすることは全く正しいことであるということ。たまに混同したり、間違ったりすることもね。そして私は若い男の子たちのことも考える。彼らにはその父親や祖父の世代が持っていた幻想がない。女の子たちが自分たちより優秀な成績を取り、クラスの代表となり、権力を持つに至って、男の子たちは自分たちが弱体化したとは感じなくなっている。これは非常に未来への期待を抱かせることよ。私はバラ色の未来図を描こうとしているのではないのよ、でもこれは重要な傾向よ。私がむしろ問題にしたいのはこわれやすくもろい女の子たちのこと。ブルドーザーのように胸を張って突き進む少女たちではない子たち。この世代にあっても人間は控えめである権利はあるし、弱さの中で身動きが取れなくなっている場合もある。ひとりひとりが充実して生き、罪悪感なく人間として開花していくにはどうすればいいのか?これは現代社会が人の運命を細かく個人化していく傾向が強くなるほどより重要な問題となっていっている。あなたが強くて、前に進めるのだったら、それはすばらしいこと。だけどもしもあなたが弱かったら、あなたに手を差し延べる人はいるの?
レイラ・スリマニ:そうよ、強い女性たちに光を当てることだけで満足していてはいけない。たくさんの目に見えない力というのがあり、それがその形となって見えるべき力なのだけれどそうなってないものがある。私の夢は取締役会のトップとなって、テーブルの上に足を上げて、葉巻を吸うことではない! 個人の力など社会のプロジェクトになり得ない、その力は共同のものでなければならない。

(ELLE 2020年12月11日号 p140)

(↓)クリスティアーヌ・トービラ「若い世代へのメッセージ」(BRUT 2019年2月)

2020年12月8日火曜日

スターになれりゃいいね あれはいいね

Star Feminine Band
スター・フェミニン・バンド

ジャン=バチスト・ギヨー主宰のレーベル、ボーン・バッド・レコーズからの新譜。西アフリカのベナンの北西部の町ナティティングーで結成された(現在)10歳から17歳の7人の少女からなるロックバンド、その名もスター・フェミニン・バンドのデビューアルバムである。メンバーを紹介します:アンヌ (ギター)、ジュリエンヌ (ベース)、グレイス (ヴォーカル/キーボード)、ユリス (パーカッション/ドラムス/ヴォーカル)、アンジェリック(ドラムス/ヴォーカル)、サンドリーヌ(キーボード)、マルグリット(ドラムス)。打楽器が強調されたラインナップであることが了解されよう。このバンドが今日のテクとパワーと表現力をものにするまで2年の歳月を要している。
 さて早くも核心めいたことを書いてしまうと、このバンドは少女たちがつくったものではなく、大人がつくったものである。フランスのメディア評で大半は好意的に評価しているものの、一部がこれをそんなにナイーヴなものではない、と眉をひそめているのはここなのだ。ベナンという西アフリカでも目立たない小国の、しかもコトヌーやポルトノヴォのような大都市ではない奥まった北部の小さな町から、突然に"目覚めた”少女たちがフェミニスティックな歌詞でゴキゲンにダンサブルなビート音楽を奏で、急激に人気を集めている。美しすぎる話ではないか。これを現地で人道活動をしているヨーロッパ人NPOが欧州メディアに伝え、欧州から撮影と録音のスタッフが飛び、レコードレーベル(ボーン・バッド・レコーズ)が契約し、欧州でのツアーが組まれる...。これは大人たちが少女たちを使ったビジネスではないか。少女たちが作詞作曲したわけではない「 アフリカ女たちよ、自立せよ、学校へ行き、国の中心になろう」みたいな超ポジティヴな歌詞の歌は、少女たち自身のメッセージではなく、お題目を歌わされているだけではないか。ビジネスとして成功するための用意周到なプロジェクトではないか... などなど。ではまず2分間のドキュメンタリー・クリップ(↓)を見ていただきましょう。

冒頭にバンドの少女が「音楽のおかげで、将来私はビッグスターになり、世界中からリスペクトされることができるだろう。私が行くいたるところで人々は私のことを覚えてくれるだろう」と言っている。これってこの子たちが自分たちの自己を実現していくこと、自分の運命を自分の手で築き上げていくことの可能性を音楽が与えてくれたということでしょう。
 アルバムに添付された解説を執筆したのはフロラン・マッゾレニ(Florent Mazzoleni)というジャーナリスト(兼フォトグラファー)はレ・ザンロキュプティーブル誌やラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI)、フランス・キュルチュール、FIPなどと仕事してきた人で、アフリカ音楽、レゲエ、アメリカ黒人音楽(ソウル/ファンク)などに関する著作も多く発表している信頼のおけるベテラン。その豊富な現地体験から言わせているのだろう、このアフリカの女性たち(少女たち)、とりわけ大都市から遠く離れた地域で彼女たちの未来というのは閉ざされているという現実が強調される。陰核切除、強制結婚、一夫多妻制、若年妊娠....。この子たちの将来は、赤子を背負って街道に渋滞する車に袋入りのピーナツを売り歩く、という何十年経っても変わらぬクリッシェの姿である。このルーチンを打ち破るためには、学校に行くこと、知識や技術を身につけること、人権と女性の権利に自覚的であること、世界と交信して情報を得ることである。このアルバムの中でフランス語で歌われている「アフリカ女(Femme Africaine)」はこんな歌詞である:
おお 女、アフリカ女
おお 女、ベナンの女
黒人女よ、立ち上がれ、眠っていてはいけない
おお 黒人女、立ち上がれ、眠ってはいけない
おまえは共和国大統領になれるんだ
おまえは一国の首相にもなれるんだ
立ち上がれ、何か行動を起こさなければ
アフリカ女よ、自立せよ
国は私たちを必要としている、学校に行こう
アフリカはおまえを必要としている、勉強しなさい
世界は私たちを必要としている、立ち上がって身を守ろう
アフリカ女よ、自立せよ

上にも書いたが、これは少女たちがつくった歌ではない。だがこの少女たちはこの歌に自覚的だと思う。彼女たちはその目を開くための”コーチ”に出会ったのだ。その男の名はアンドレ・バラグモン。ベナンの中央部、ダッサ(日本のタレント、ゾマホン・ルフィンの出身地だそう)から出たミュージシャン(トランペット/ギター)で、1990年代からプロとして活動していたが、首都コトヌーを離れ近年は北西部ナティティングーに定住している。2016年7月、ナティティングー町の援助のもとに、バラグモンは地元FMの電波を通じて、(少女だけの)音楽バンドを結成するためのメンバー候補者を募集する。数日後数十人の少女たちが町の青少年センターに集まってきた。「少女たちは音楽のことなど全く知らなかった。選ばれた7人はワーナ族とナボ族出身で周辺の村からやってきた少女たちで、この種の楽器を一度も見たことがなかった者もいた」(ライナーノーツ)。ここから少女たちの特訓が始まり、ギター、キーボード、ベース、ヴォーカルハーモニー、そして3人が奏者となるトリプルドラムスはバンドの要となった。少女/女性のパワーと将来性に賭けたアンドレ・バラグモンがその手本/目標/リファレンスとして挙げたのは、ベナンが世界に誇る女性歌手アンジェリック・キジョー(←日本語版ウィキに "米ガーディアン紙「世界で最も影響力ある女性100人」のひとり”とあるが、ガーディアンは英国紙)、そしてアンジェリック・キジョーが手本/目標としたミリアム・マケバも。”コーチ”バラグモンは音楽だけでなく、偉大なアフリカ女性アーチストたちのアンガージュマン思想までも少女たちに伝授していく。バラグモンはナティティングー地方博物館の別館をバンドの練習場としてあてがってもらい、少女たちは学校に行きながら、週に3度午後4時から7時まで(学校が休みの時期は月から金まで毎日午前9時から午後5時まで)この練習スタジオでコーチの指導を受ける。そしてコーチは少女たちの親や家族にこのプロジェクトの重要さを説得し、学校に行きながら音楽的に成長することが同じジェネレーションへの女性自立のモデルとなり、強制結婚でない未来を自ら拓けることの希望になりうるのだ、と。やがてレパートリーは増えていき、バンドは町や近隣の地方でコンサートを開けるようになり、どのコンサート会場も満員の盛況となっていく。地方全体が少女たちの魅力に魅せられ、支援している。
 2018年末、若きフランス人エンジニア、ジェレミー・ヴェルディエが人道NPO活動の一環でこの地方を訪れ、このバンドを"発見"してしまう。2019年2月、ヴェルディエは友人である二人のスペイン人録音エンジニアに録音機材を運んできてもらい、博物館別館の練習場でバンドの演奏を初めて録音する。その録音テープが回り回ってボーン・バッド・レコーズのジャン=バチスト・ギヨーの耳に届く。一発でこの少女たちのサウンドの虜になったギヨーは、2019年1年かけてこのバンドをフランスとヨーロッパに紹介する計画を立て、ナティティングーに乗り込み、ドキュメンタリーフイルムを撮り、アルバム制作に着手する....。

 2020年、長期に及び終わることを知らない新型コロナウィルス禍はすべてを狂わせた。デビューアルバムの発売は遅れ、プロモーションでのフランス上陸もレンヌのトランスミュージカルフェス出演も中止になった。しかしアルバムはようやく11月13日にフランス発売となり、今私の手元にあり、フランス国営ラジオFIPとフランス・アンテールもプレイリストに載せてよくオンエアしている。

 このバンドの音楽は地方のトラディショナル・ダンス(waama)にインスパイアされたガレージ・ロックであり、オリジナル曲はベナン北部の地方語であるwaama語とditamari語、bariba語、ベナン全国で使われる言語であるfon語、そしてフランス語で歌われ、できるだけ多くの人たちにメッセージが伝わるよう配慮されている。
アルバム最初の曲「ペバ(Peba)」は waama語で「少女たちが学校に行くのは自分自身になるため」と歌われている(↓)

続く2曲め「レウ・ベ・メ (Rew Be Me)」はpeule語で歌われる女性讃歌で、女性の職業的成功と女性としての成功を応援する内容である(↓)。


 この辺で曲紹介はおしまいにするが、このような演奏が8曲つまったトータルランタイム31分のアルバムである。ベストな環境での録音ではないし、加工もほとんどされていない原石のままのような音であるが、この少女たちのノセノセには抗しがたいものがある。2020年(コ禍で)ほぼ1年閉じ込められて、椅子からなかなか立ち上がれなくなった年寄り(の私)を立たしめるフレッシュさに溢れている。
 さて、冒頭の問題にもどろう。これは少女たちが自ら始めたものではない、大人がつくったものである。そのことはこの少女たちの躍動する「女性力」「女性性」の表現をなんら矮小化するものではない。上のティーザーヴィデオ(ドキュメンタリー)の冒頭で少女が言うように、音楽のおかげでスターになって世界中から認められる自分になること、それは正しいことである。これまで世界で起こっていたことと違うことが自分にできる可能性である。がんばってちょうだい。世界中を旅して、世界中の女性たちを目覚めさせ、踊らせてやったらいいんです。私は味方です。

<<< トラックリスト >>>
1. PEBA
2. REW BE ME
3. FEMME AFRICAINE
4, MONTEALLA
5. LA MUSIQUE
6. IDESOUSE
7. ISEO
8. TIM TITU

STAR FEMININE BAND "STAR FEMININE BAND"
LP/CD Born Bad Records BB128
フランスでのリリース:2020年11月13日

カストール爺の採点:★★★★☆

フランスのニュースTV、英語版FRANCE 24で
の紹介)

2020年11月28日土曜日

元気でルースがいい

Lous & The Yakuza "Gore"
ルース&ザ・ヤクザ『ゴア』

器はまたもやベルギーからやってくる(ストロマエ、アンジェル...)。大器はまたもやアフリカからやってくる(ストロマエ、ガエル・ファイユ、アヤ・ナカムラ...)。
なぁんてね、アーチストを地域や出自に限定してそこだけ強調すると、「この人"ワールド"かぁ」で納得されてしまう。あんなとこから出てきたわりには洗練されてんじゃん、みたいな"上から批評"を誘発する。いやだいやだ。それはそれ。
1996年5月27日、マリー=ピエラ・カコマはRDCコンゴルブンバシで生まれた。産婦人科医の父親はコンゴ人、小児科医の母親はルアンダ人。後述するルース&ザ・ヤクザの歌「ソロ」の歌詞の中で「6(シス)0(ゼロ)は独立の年」と叫び、すなわち1960年にコンゴは独立したのに、その後ほぼ絶えることなく、内戦や民族紛争が続いていることを嘆いているが、その事情はカコマ家に直接降りかかっていて、1998年の第二次コンゴ内戦の際、マリー=ピエラの母親はルアンダ人であるという理由だけで2ヶ月間投獄されている。不安定な政情下にあっても医師家は文化的に恵まれていたようで、クラシック音楽の愛好家であった父の影響でマリー=ピエラは幼少から音楽を習い始め(ウィキペディアの記述によると)少女は7歳で作曲ができた、と。しかしこの音楽への傾倒が過ぎることを両親はよく思っておらず、その子供たちが両親と同じ医学の道を歩んでほしいと願っていた。一家はRDCコンゴの不安定な状況に振り回され、釈放された母親の身の安全を求めて家族の一部(母と子供ひとり)はベルギーのブリュッセルに移住し、その2年後の2000年にマリー=ピエラを含む子供たち全員がブリュッセルの母に合流するが、父親はRDCコンゴに留まっている。2005年一家全員は母の母国ルアンダに移住するも、6年後最終的にブリュッセルに居を定めている。この時マリー=ピエラ15歳。
 ここからマリー=ピアラのバイオグラフィーの暗部に入る。「私は両親をうんざりさせていた、他の子供たちと全く違っていたから、私は大声で歌い、いつも自己表現をしていないと気がすまなかったし、怪しげな友だちづきあいもしていた。」(テレラマ誌2020年10月21日号インタヴュー。同号表紙→)
 ブリュッセルの寄宿学校に入った彼女は優秀な成績でバカロレアを取得するが、すべてを投げ出してミュージシャンになるために動き始める。両親は激怒し、日本式にあてはめれば「勘当」を言い渡し、金銭援助を絶ってしまう。19歳マリー=ピエラは怒りをバネにストリート生活者となる。1年の彷徨生活、暴行も受け、転落しきった。「私は世の中すべて、神、人生に対して怒りでいっぱいだった。人は私が激烈すぎると言い、私のことを怖がった(... )私は誰にも負い目をつくりたくなかったからすべての援助を拒否した。私のことを全面的に受け付けてくれない人たちの世話にはなりたくなかった。でもある日友だちが人は意見を変えることができるのよ、あらゆる判定は決定的なものでも永遠のものでもないのよ、と説得してくれた。私はナミュールにいた私の姉を訪ねていったら、彼女は何も聞かずに両腕を広げて私を迎え入れてくれた。」(同インタヴュー)。彼女には受けた衝撃から回復していく天賦の能力があると言う。今年新型コロナウィルス禍でよく聞かれた "résillience(レジリアンス)"という言葉である。打たれ強く衝撃に打ち勝つ絶対的な能力、これを彼女は "don de résillience absolue"と呼ぶ。後述するが、デビューアルバムタイトルの"Gore”とはそういうテーマなのである。"ゴア”という映画ジャンルはフランス語圏でもスプラッター系ホラー映画のことを意味するが、これは怖いもの見たさのエンターテインメントであり、本物の残虐ではない。ある種のユーモア感覚が介在しなければ成立しない。彼女がこの歌で「すべてはゴア」と超速でリフレインするのは、本物の悲惨や残虐を跳ね返すものがゴアの意味に込められているからなのである。
 マリー=ピエラはストリート生活の果てにブリュッセルの小さな録音スタジオに住み着くようになり、さまざまなバイト(主にマヌカン)で飛び回りながらも、そのスタジオで音楽制作に没頭し、3年間で52曲録音し、7枚のEPを発表している。
 さて、ブリュッセルにはベルジャン(仏語)ラップシーンを急激かつ強烈に盛り上げてしまった重要アーチスト、ダムソ(Damso)という男がいるのだが、彼がまたRDCコンゴのキンシャサ出身なのである。今やベルギー/フランス/カナダ/RDCコンゴ/コートジボワールでスーパースターとなっているこのラッパーが、マニフェスト的にブリュッセルのシーンを描いてその人気を決定づけたメガヒット曲が"Bruxelles Vie"(2016年)である。このクリップ(↓)にマリー=ピエラの姿が何度もフィーチャーされている。マリー=ピエラ、20歳。


 ステージネームの "Lous"は英語の魂"Soul”のアナグラム。ひとりのアーチストなのに"Lous & The Yakuza"とバンドのように名乗っているのは、クリスティーヌ&ザ・クイーンズと同じノリなのだろうと思う。音楽アーチストとしての彼女の作品および表現行為はひとりでなされるわけではなく、常にクレアシオン・コレクティヴ(集団的創造)であるとする考え方。サポートミュージシャンやエンジニアやステージスタッフたちを含めた「ルースと仲間たち」がアーチストを形成している、とね。アフリカンアメリカン流儀では「ルース&ザ・ギャング」となるところだろうが、同じ意味会いを日本マンガと日本アニメの大ファンであるマリー=ピエラの流儀で「ルース&ザ・ヤクザ」とした。"ヤクザ”の意味は彼女の理解では花札の8+9+3という役にならない負け札であることから、敗者=ルーザーであると定義している。悪党/悪漢の意味よりも敗者として社会の周辺に追いやられた人々との意味を重要視する。このことは彼女の歌に登場する社会的メッセージとも大きく関係していて、マージナルな人々、社会から忘れられた人々、人種ほかの理由で差別されている人々、ロマ、LGBTQIA+... を擁護する姿勢を明らかにしていることを"ヤクザ”は象徴している。(これは日本では通用しないだろうな)
 2017年暮れ、22歳でSony Musicと契約。2018年バルセロナ人アーチスト(シンガーソングライター/エンジニア/プロデューサー)エル・グインチョロザリアのプロデューサー)と邂逅。2019年9月、エル・グインチョとの初の共作シングル「ジレンマ(Dilemme)」発表、たちまちSpotifyで1千万回再生、YouTubeで4百万ビュー.... (↓オフィシャルクリップ)

文句なくキャッチーな曲。日本のシンガーソングライターが書きそうな折り目正しい起伏のメロディーライン。私的体験に基づいたひとりで生きることへの省察(↓歌詞)。

憎しみが増せば増すほど
その分だけ人は私を苦しませる

私がもはや楽しみごとをしなくなったって

それはたいしたことじゃない
ルース、あんた平気なの?
人生は犬よ、鎖でつなぎとめておかなきゃ

生きることにつきまとわれる
私をとりまくすべてのものが、私をむかつかせた

失敗したら最初からやり直し
悲しくなったら歌うの

決して私のすべてを出してはいけない
この世界では王は悪魔
あの娘たちは私には不運が憑いていると言う

冗談なしで“という言い方はルースなしで”に変わった
ひとり、ひとり、たったひとり

できるんだったらたったひとりで生きていくわよ
問題やジレンマから遠く離れて

ナ、ナ、ナ、ナ、ナ...
できるんだったらたったひとりで生きていくわよ

私を縛る鎖や私の好きな人たちと遠く離れて

ナ、ナ、ナ、ナ、ナ...

もしも私が足を止めて、舞台に立たなくなったら

私を元の場所に放っておいてほしい

私が源泉に身を浸せるように

私の傷は血を噴き出し、私の血は頭に上っていく

私は同じままよ、たとえ何が起ころうと

憎しみが増せば増すほど
その分だけ人は私を苦しませる

私の肌の色は黒じゃない、漆黒色よ
ルース、あんた平気なの? あんた単に戦争をしてるだけ?
あんたは完璧じゃない、あんたも人間だから間違いはある

ひとり、ひとり、たったひとりになりたい
たったひとりに
できるんだったらたったひとりで生きていくわよ

問題やジレンマから遠く離れて
ナ、ナ、ナ、ナ、ナ...
できるんだったらたったひとりで生きていくわよ

私を縛る鎖や私の好きな人たちと遠く離れて

ナ、ナ、ナ、ナ、ナ...

私が進めば進むほど、多くの人を追い越してしまう
あんたが私の早さについてこれないのは残念ね

踊っているとどっちの足で踊っているのかすらわからなくなる
斬新すぎる黒人がまたひとり、世の迷惑よね

メロディーは私を揺さぶり、私を蝕む
ひとつひとつの言葉が私に突き刺さる

だから私は深く潜るの
私の夢の深海で

闇の中で私は泳ぎ、溺れてしまう
できるんだったらたったひとりで生きていくわよ

問題やジレンマから遠く離れて
ナ、ナ、ナ、ナ、ナ...
できるんだったらたったひとりで生きていくわよ

私を縛る鎖や私の好きな人たちと遠く離れて
ナ、ナ、ナ、ナ、ナ...
ひとり、ひとり、たったひとりになりたい

「斬新すぎる黒人がまたひとり現れたね、世の中にはいい迷惑」という一行がとても効いている。このルースは良い詞を書く。

 続いてエル・グインチョとの共作の第2弾、2019年12月発表の「すべてはゴア(Tout est gore)」(↓オフィシャルクリップ)


”ゴア”とは上に述べたようにスプラッター/ホラー映画に由来する血だらけでグロな状態を形容する言葉だが、ルースの文脈ではエンターテインメントとしてゴア映画を”楽しむ”ように、ゴアな瞬間瞬間を乗り越える(忘れる)方向性が示される。すべてはゴア だけど、なんてことないわ、という人生観。このクリップではフォトジェニックなマヌカン(ChloéLouis Vuitton などの顔になっている)の特性を生かして七変化しているが、きれいな顔も体も表現に長けた素晴らしい素養である。歌詞(↓)

ちょっと前からそれは感じていた(ウー)
梯子をよじ登るのは時間がかかる(ウー)
遠出をするのって、ちょっと興奮するわ(ウー)
あんたは息切れするってことめったにないわね(ウー)

私が何も怖くないってこと、人には厄介よね(ウー)

あんたが言うこと、あまり重要じゃないわ(ウー)
私の狂気に期待してね、すごいわよ

“Ma jolie”
なんて呼ばないでね、私の仲間は熱いわよ

私の言葉だけであんたの信頼なんてぶち壊し
今を生きてそして忘れちゃうの、すべてはゴアだから

すべてはゴア、すべてはゴア

すべてはゴア、すべてはゴア

箱の中で転がって、転がって

全速力で生きることを考えて
箱の中で転がって、転がって

全速力で生きることを考えて

箱の中で転がって、転がって
箱の中で転がって、転がって
すべてはゴアで、ゴアに終わってしまう

そう私の体に刻み込まれている

私は正しく、あんたは間違い、すべてはゴア、すべてはゴア

すべてはゴア、すべてはゴア

すべてはゴア、すべてはゴア
すべてはゴアで、ゴアに終わってしまう

そう私の体に刻み込まれている

私は正しく、あんたは間違い、すべてはゴア、すべてはゴア
すべてはゴア、すべてはゴア

すべてはゴア、すべてはゴア

私は今に生きてるの、過去なんかじゃない(ウー)
あの娘のお尻の振り方はなってないわ(ウー)

私たちは大昔からトゥワークを踊っているのよ(ウー)

なにも特別なことじゃない、私たちはこの瞬間に生きている(ウー)

あんたたちは私たちのエネルギーを無意味に失ってる(ウー)

私はまじ正直にそう罵ったのよ(ウー)
私の狂気に期待してね、すごいわよ

“Ma jolie”
なんて呼ばないでね、私の仲間は熱いわ

私の言葉だけであんたの信頼なんてぶち壊し
今を生きてそして忘れちゃうの、すべてはゴアだから

すべてはゴア、すべてはゴア
すべてはゴア、すべてはゴア


さらに第3弾のシングル「ソロ」が2020年4月に発表される。のちにリリースされるアルバム『ゴア』にも含まれているが、私はアルバム全曲中、この「ソロ」に最も深い感銘を受けた。これはアフリカの悲しみである。(↓オフィシャルクリップ)

この歌で重要な歌詞は2カ所。「虹の7色の中にどうして黒は入っていないの?」と「1960年は独立の年」。美しいもののシンボルのように言われる虹には黒色が含まれない。この"美”の価値観はいつまでたっても覆されない。めげそうにならないか? これを問う人たちと問わない人たちがいる。歌詞最終部で「ねえ、言ってみてよ、何があなたの気に入らないの?/あなたの視線でわかるよ、あなたの心が凍っていくのが」と言っている。(↓歌詞)

人がなんと言おうとみんなソロのままよ
人がどんなことをしようとみんなソロのままよ(ice ice

ソロ、ソロ (ice ice)
ソロ、ソロ
生まれた時から私たちは素晴らしいことばかり約束されてきた
口をつぐみ、根本を忘れ去るという条件で
永遠の父を除いて、誰に助けを求めろと言うの?

虹の7色の中にどうして黒は入っていないの?

神が私を復讐の道から遠ざけんことを

彼らに同じ仕打ちをすること、それにはそそられるわ

私の声がみんなに聞こえるように、叫ばないといけないの?
1960
年、それは独立の年だったのよ

いつも言い争わなければならない(Nan nan

いつも身を守らなければならない (Nan nan nan)
死滅するまで戦う (eh)
誇りが高すぎるから (eh)
人がなんと言おうとみんなソロのままよ

人がどんなことをしようとみんなソロのままよ(ice ice

ソロ、ソロ (ice ice)
ソロ、ソロ
絶対に彼らに復讐しないためにはどうしたらいいの?

友愛の絆を通して理解するということが誰にもできないなんて

ある人たちは私たちを敵と見なし続けている
虹の7色の中にどうして黒は入っていないの?
神が私を復讐の道から遠ざけんことを

彼らに同じ仕打ちをすること、それにはそそられるわ

私の声がみんなに聞こえるように、叫ばないといけないの?
1960
年、それは独立の年だったのよ
ねえ、言ってみてよ、何があなたの気に入らないの?
あなたの視線で感じるよ、あなたの心が凍っていくのを
ねえ、言ってみてよ、何があなたの気に入らないの?
あなたの視線で感じるよ、あなたの心が凍っていくのを

1960年独立以来、内戦/民族紛争で平和な時がなかなか訪れないアフリカの国々、いがみ合う人たち、肌の色で視線をゆがめてしまう人たち、悲しみと共にルースは見ている。「ソロ」とはどんな意味だろうか、と想像してみよう。

 アルバム『ゴア』は当初2020年6月リリースが予定されていて、それに伴う夏から秋にかけてのヨーロッパツアーが組まれていたが、新型コロナウイルス感染拡大ですべて中止になった。全10曲トータルランタイム30分という短いアルバムであるが、不足はない。上に紹介した3曲を除いた残り7曲もクオリティーは高い。インターネットとテレビでのプロモーションに支えられて、最終的に2020年10月16日にフランスでリリースされた。憂いも怒りも悲しみも前に進みたいという渇望もある24歳の(美しい)漆黒色の肌の女性。マンガ/アニメを通して親しんでいる日本にはいろいろな想像をしているようだ。ルースがこれまでの人生で最も強い感動を受けた歌は、アニメ『サムライチャンプルー』の挿入歌として聴いた朝崎郁恵の「おぼくり ええうみ」だったという。いいじゃないですか。

<<< トラックリスト >>>
1. Dilemme
2. Bon acteur
3. Téléphone sonne
4. Dans la hess
5. Tout est gore
6. Amigo
7. Messes basses
8. Courant d'air
9. Quatre heures du matin
10. Solo
 
Lous and the Yakuza "Gore"
LP/CD/Digital Columbia/Sony Music
フランスでのリリース:2020年10月16日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)"Solo" (Acoustic live TARATATA)