2026年4月24日金曜日

Could it be that it's just an illusion

"Juste une illusion"
『ただの幻想』

2026年フランス映画
監督:エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカッシュ
主演:シモン・ブーブリル、カミーユ・コタン、ルイ・ガレル、ピエール・ロタン
フランス公開:2026年4月15日


画の時代は1985年である。私はその頃CDG空港のエアカーゴ会社で働いていた。自宅から空港への通勤往復はボロい中古車だったが赤いシトロエンVisaで、カーステは盗難防止の取り外しタイプで、FMとカセットを聴いていた。81年(ミッテラン大統領誕生)にFM電波が自由化されて、夥しい数の自由FM局が誕生し音楽のチョイスが急激に増えて、非常にエキサイティングな音楽状況が垣間見られたのだが、84年に商業FMが認可されてから電波は”大手”に牛耳られるようになり...。この映画でも若者の音楽FMとして一世を風靡したNRJが、主人公の中学生ヴァンサン(演シモン・ブーブリル)の曲リクエストに寄せた意中の少女アンヌ=カリーヌ(演ジャンヌ・ラマルティーヌ)への重要(暗号)メッセージを生放送で伝えるという重要な役を。その時のリクエスト曲がアンドリュー・ゴールドの「ジュヌヴィエーヴ」だったってのが、かなり渋いと思うよ。
 音楽がふんだんに鳴る映画である。これはフランスのFMの時代の映画だと、リアルタイムに生きた私も思う。当時アラサーであった私ですらほぼFMフリークであったから、あの頃のコレージュやリセの子たちはFMドップリであったに違いない。この映画ではローティーンのヴァンサンが”ファンク好き”を自称しているが、その兄のアルノー(演アレクシ・ローゼンスティエル)がかなりマニアックな”ポスト・パンク/コールド・ウェイヴ派”(ジョイ・ディヴィジョン、キュアー...)のコレクターということになっていて、その道の通(つう)として貴重なブートレグ録音のコレクションがあり、それをカセットダビングしてコレクターに高価で売りつけている。4人家族のダヤン家(父イーヴ=演ルイ・ガレル、母サンドリーヌ=演カミーユ・コタン、息子2人ヴァンサンとアルノー)の中で、このアルノーが最も頭脳明晰・しっかり者という役どころ。
 さてダヤンという姓で(フランスでは)察しがつくのだが、この苗字は北アフリカ系セファラード(ユダヤ人)。監督のエリック・トレダノとオリヴィエ・ナカッシュの両者も同じルーツ(ただしトレダノはモロッコ系でナカッシュはアルジェリア系)を持っていて、それぞれの父親をこの映画制作の前に失っており、映画の最後のエンドロールでそれぞれの父親への献辞が流れる。60年代にフランスに渡ってきたマグレブ移民の子として70年代初頭にパリ圏で生まれた二人の十代当時の体験がこの映画のインスピレーションになっている。映画の設定では父イーヴがモロッコ系、母サンドリーヌがアルジェリア系であり、サンドリーヌが息子ヴァンサンにその「出アルジェリア記」を啄木の”石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし”のように大袈裟にお涙頂戴調で語るシーンあり。自虐的ユダヤギャグいろいろ出てくるが、これまでのトレダノ&ナカッシュ映画でもそうだったように、まったく嫌味はない。

 この1985年の時期というのは、フランス経済史における戦後の「栄光の30年間 Trente glorieuses 」(1945年〜1975年)が終わり、経済成長が鈍化し、失業率が上昇し、さまざまな不安材料が顕在化していた。ご多聞にもれず、次男ヴァンサンには明かさないでいたが、家電メーカー管理職だった父イーヴは職を失い、毎朝会社に行くと言って家を出て、実は求職活動に四苦八苦していたのだった。
 またこの時期はいろいろなな方面で女性が進出し、女性の地位の向上が見られた。万年お茶汲み秘書の地位に甘んじていたサンドリーヌも、この状態から抜け出したくて仕方がない。自分用にデスクトップパソコン一式(いやぁ、あの頃はデカくて重い者だったなぁ)を購入し、その知識を会得して、スーパーエグゼキュティヴウーマンに転身を図ろうとするのだが...。
 この父と母は何かにつけて口論が絶えないのであるが、その経済的な立場の違いのせいか、大体勝ち目はサンドリーヌの側にあり、どんなに抗弁しても失業者イーヴは負け犬型である。再就職の目処が立たないイーヴは、その儚い起死回生のチャンスを(旧時代的)民放ラジオRTLの金額当てゲーム「ラ・ヴァリーズ・RTL」に託し、毎日アナウンスされるその日の金額をメモし、ラジオ局から電話がかかってくるのを今か今かと待っている。ここに古いAMラジオ系大人の世代と、若いFM世代とのジェネレーションギャップという含みもあるのですね。
 ローティーンのヴァンサンにはよくわからないのである。激しく口論し、お互いの問題に打ち塞がれている(ような)父と母を見ると、この家庭は大変な問題があり、夫婦は破局の危機にあると思ってしまう。住んでいるアパルトマンは狭い。兄アルノーと共同の”子供部屋”はあるが、アルノーがオーディオ機器やレコードでほぼ占領していて、自分のスペースは無いに等しい。いつ大きなところに引っ越して自分ひとりの部屋が持てるのか?父イーヴは何年も前から近いうちにと答えているのだが、お家の事情はそれどころではない、というのがわかってくる。自分は不遇であり不幸である。なぜ自分はここにいるのか?モロッコでもアルジェリアでもなくなぜフランスにいるのか? 他の子と違ってなぜ自分だけヘブライ語を学び、(家庭出張してくる)ラビ師から教典を学ばされるのか? 自分はフランス人とは違うのか?(ちょっと飛躍して)生きていくというのはどういうことか? 死んだらどこに行くのか?... いろんなことを考える年頃なのである。若いという字は苦しい字に似てるわ。初めての実存の危機、そんな時ってあなたにもあったでしょうに。そしてそれとほぼ同じ時期にあなたにも初恋の苦しみもあったでしょうに。映画はこのヴァンサンの初恋が大きな牽引動力となって、来るべきハッピーエンドに向かうという大筋なのだが、非喜劇的ゴチャゴチャが縦横無尽に邪魔の手を入れるというトレダノ&ナカッシュ一流のコメディー仕立てなのである。
 とりわけ意中の同級生の少女アンヌ=カリーヌの家は、立派な邸宅(hôtel particulier)で、明らかに金持ちなのだが、少女の父親(ムッシュー・デュシェネ)というのが絵に描いたような封建的家父長制の伝承者にして保守反動思想の持ち主、この1985年頃急激に伸長してきている極右排外主義(ジャン=マリー・ルペンのFN党)に同調するような発言まで出る。娘はこの父親と真逆のアンチ・レイシズム運動 SOS ラシスム(1984年発足)の支持者であり、父親への反発・反抗は日増しに激しくなっていく。出番こそ少ないが、娘と父の間に挟まれて、オロオロ心配する母マダム・デュシュネ(演アデル・ジェイル)がとてもいい味を出している(←エレーヌ・ヴァンサンを想わせるところあり)。
 さてヴァンサンとアンヌ=カリーヌで行ったクラスでの研究発表スピーチが大スキャンダル(詳細は省略する)となり、教師に双方の両親が呼び出され厳しく嗜められたことで、ムッシュー・デュシェネはヴァンサンの両親に二度と娘に近づかないように、と交際禁止を厳命する。ヴァンサンとアンヌ=カリーヌの関係は一転してロメオとジュリエットと化してしまうのだが、(映画ですから)、あの手この手で二人は密会し、その恋慕の情を高めていくのでした。
 それと並行して、イーヴの職探しの難航、ヴァンサンのわるガキ仲間たちによるポルノヴィデオ騒動、アルノーの海賊盤ビジネスの成功、サンドリーヌのエグゼキュティヴウーマンへの変身計画の苦労など、盛り沢山のエピソードが詰まって映画は進行する。トレダノ&ナカッシュ映画にはお約束となっている、みんなで踊って盛り上がって最高に幸せになれるシーン、今回は変身転職の戦いに疲れ果てたサンドリーヌが、ひとり家の掃除をしながら、その手を休め、ふっと力を抜いて、もうどうにでもなれっ!という勢いで、ポインターシスターズ「アイムソーエキサイテッド」(1982年)で踊り狂い始めるのね、これ、カミーユ・コタンが素晴らしいんだぁ、『アントゥーシャブル(最強のふたり)』(2011年)のオマール・スィのアース・ウィンド&ファイア「ブギーワンダーランド」踊りと比肩する衝撃的な迫力、文字通りエキサイテッドの化身となって乱舞するのだけど、ほんと、お見それしました。そこへまた再就職失敗で気落ちしたイーヴが帰宅してくるのだけど、イーヴが妻の乱舞を見て自然と触発されて、サンドリーヌに合わせてエキサイテッドな乱舞に加わってしまう。ルイ・ガレルも本当にうまい。ここでそれまでギクシャクしていた夫婦が、乱舞の中で和解してしまうのですよ。いやあ、これは幸せになれますよ。
 映画のクライマックスは、1985年のハイライトでもあった、6月15日、コンコルド広場に30万人を動員したSOSラシスムの(徹夜の)メガコンサート、双方の親から外出を禁止されていたヴァンサンとアンヌ=カリーヌが(上述のように)NRJで流されたアンドリュー・ゴールド「ジュヌヴィエーヴ」のメッセージに従って、雨の中で再会、そしてコンコルド広場へ、ステージではテレフォヌが"もうひとつ別の世界 Un autre monde"を演奏している、という、たまらなく憎い大団円なのであった。

 トレダノ&ナカッシュ監督の9本目の長編映画。ちょっと冴えなかった前作『Une année difficle 苦しい一年』(2023年)から3年後。北アフリカ系ユダヤ移民の子として1980年代に少年時代を生きた両監督の記憶を投影する自伝的傾向を含んだフィクション映画。私にはノスタルジックで泣けるシーンも多かった。過去のミラージュのようだった。このタイトルが端的に喚起しているように、これはただの幻想 just an illusion だったのかな。私には確かだった過去のように思っているのだけれど(私はその過去をずっと引きずっているし)。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『ただの幻想 Juste une illusion 』予告編



(↓)ほぼ映画主題歌 イマジネーション「ジャスト・アン・イリュージョン」(1981年)


(↓)泣かせる挿入曲 アンドリュー・ゴールド「ジュヌヴィエーヴ」

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