2015年11月15日日曜日

今朝私はレピュブリック広場に来ました。


今朝私はレピュブリック広場に来ました。

 非常事態宣言が発令され、集会は禁止だ、厳戒態勢中だ、と言われながらも集まってくる市民たちはたくさんいました。
 なぜここに来たのかはそれぞれのさまざまな思いがあったからでしょうが、ここに来れば多くの思いがなにか同じところに繋がっているような気がしてきます。幻想と言う人もいますでしょうね。さっきまで知らなかった人たちが話し合います。手短かに悲しみや怒りを表す人たちもいれば、長々と議論する人たちもいます。やはり無言でいてはいけない。誰かに言わなければいけない。同じ思いならばそれを確認しなければいけない。同じ抗議や同じ怒りや同じ悲しみを共有したい。そういう時にこの市民たちはレピュブリック広場やバスチーユ広場にやってきます。自然発生的に。デモの発地や終点だったりするところでもあります。古来デモクラシーとは広場で議論することから始まったと言われます。世界でそういう広場はたくさんあるでしょう。独裁者は広場を嫌います。広場には民が集まるからです。パリにもたくさんの広場があり、デモや集会だってさまざまな広場で開かれますが、レピュブリック広場はそのシンボルでしょう。その名の通り共和制のシンボルでしょう。共和制は民が立ち上がって築いたものです。そのシンボルの広場がパリ11区にあるのです。
 11月13日の夜の事件の舞台になったパリ10区11区は、私にとって親しい地域です。1996年から2013年まで、17年間私は11区オーベルカンフ通りに事務所を借りて仕事をしていました。元々は職人町で家内工業的な生地染めや服飾工場や生地問屋などがたくさんあったところです。工場やアトリエの仕事ですから働き手は移民も多く、町は古くから多文化同居状態で、メニルモンタンやリシャール・ルノワールの露天市はみごとにマルチ・カルチャーです。大衆的で食べ物屋も安くておいしく、80年代から古い町工場や倉庫をロフト化してアーチストたちも多く住むようになり、小洒落たライヴハウスやバーもどんどん出来て若者たちが集まるようになったところです。オーベルカンフ/メニルモンタン、ベルヴィル/タンプル、サン・マルタン運河周辺は木・金・土の夜ともなればバーからはみ出した人たちで道がうまってしまうほどです。そんなところに、車で乗り付けたテロリストたちがカラシニコフ銃で乱射したのです。
 事務所から徒歩で15分ほどオーベルカンフ通りを南下したあたりにバタクランがあります。その頃の管轄の郵便局が数軒となりにあって、毎夕郵便物発送のために通いました。それから私の会社の銀行口座のあるLCLオーベルカンフ支店がバタクランの向かいにあって、今でも年に数回は銀行担当者に会いに行きます。バタクランは19世紀末に中国城館を模したつくりのミュージックホールとして作られた歴史的なコンサート会場で、私もこれまでトータルで50 回はそこでコンサートを見ているはず。パティー・スミス、MGMT、ジャック・イジュラン、ジャン・コルティ、アラン・ルプレスト....  2013年の11月13日、つまりあの夜のちょうど2年前、私はそこでブリジット・フォンテーヌを見ていた(facebookにも書き込んでいました)。ラティーナの2013年6月号に掲載されたケントのインタヴューはバタクラン・カフェで行われ、その号に載ったケントの写真はバタクランを背景にして娘が撮ったものでした。そこの床板に、11月13日夜、大量の血が流れたのです。

 報道では「無差別」や「乱射」という表現のしかたをされているようですが、これは場所も人間もテロリストに意図的に選択されたものでしょう。11月13日、テロリストたちはこれらの場所とこれらの人間たちを狙い撃ちにしたのです。
 テレビの報道番組に出たパリ市長アンヌ・イダルゴがこの10区・11区という場所の特殊性を強調して、この場所が選ばれた理由を説明しました。ここはパリで最も若い人たちが集まる地区であり、多文化が最も調和的に同居し、アートと食文化が町にあふれ、音楽が生れ、リズムとダンスを老いも若きも分かち合う、古くて新しいパリの下町です。パリで最も躍動的でポジティヴな面を絵に描いたような「混じり合う」町です。私たちの新しいフランスはこの混じり合いで良くなってきたのです。この混じり合いの端的な成功例が10区・11区なのであり、今の「パリ的」なるものを誇れる最良の見本なのです。これをテロリストたちは狙い撃ちしたのです。混じり合いや複数文化やアートを分かち合うことを全面的に否定し、憎悪し、抹殺してしまおうという考え方なのです。11区にはあのシャルリー・エブドの編集部もあった。11区にはかの事件のあと市民100万人を結集させたレピュブリック広場もあった。テロリストたちはこの町をますます呪うようになったのです。
テロリストたちがその独自の解釈で絶対法とした「シャリーア」は、享楽を禁止することで現世を浄化しようとするものと私は解釈しています。2014年のアブデラマン・シソコ監督の映画『ティンブクトゥ』で描かれたジハードたちが占領支配した砂漠の町では、音楽もスポーツも禁止されます。
 スポーツや音楽の歓びを人々が共有している場所で、11月13日、テロリストたちは自分の体に巻き付けた爆弾を炸裂させたのです。この歓びを共有する人々は死に相当する大罪を犯していたというメッセージです。
 あの夜スタッド・ド・フランス(サッカー国際親善試合 フランスvsドイツ)には8万人のファンたちがいました。ここに集まったのは死に相当する大罪を犯した人々である。爆弾が炸裂します。
 そのすぐあとで、パリ11区のコンサート会場バタクランで、カラシニコフ銃が乱射され、爆弾が炸裂します。米国カリフォルニアから来たロックバンド、イーグルズ・オブ・デス・メタル(私は自宅対岸の夏ロックフェス、ROCK EN SEINEで見たことがあります。タフでタイトなロックバンドという印象があります)はその夜パリの熱心な1500人のファンを集め、ホールは超満員でした。19世紀末、シャンソン・レアリストの創始者アリスティッド・ブリュアンも舞台に立った古めかしい歴史的なパリのミュージックホールで、21世紀的なビート音楽を楽しもうと集まったパリのロックファンたちが狙い撃ちされたわけです。
 道にはみ出したカフェテラスのバーで、気の合った友だちや家族と酒杯や異国料理を楽しむ人たち、しかもパリで最もそういう雰囲気にあふれた町で。アルコールや煙草を大罪と見做すジハードたちがいる。それがそのテーブルで金曜日の夜を楽しむ人たちめがけて弾丸を乱射する。

 おまえは死に値する。
おまえは音楽が好きで、スポーツが好きで、混じり合ったパリが好きで、金曜日の夜に華やいだ町で友だちと会って飲むのが好きだ。
 おまえは死に値する。
銃口が私やあなたに向けられたのです。なぜ? おまえは音楽が好きだろう。
私は13日夜から14日未明まで事件を報道するテレビを見続けて、何発も何発を銃弾を撃ち込まれたのです。パリはその論法からすれば、何百回でも何千回でも殺戮テロに襲われなければならない人たちの集まりなのです。

 政治のことは別の機会にします。私は私の意見があります。フランスは私のような外国から来た市民でも自由に意見を言えます。私はこのフランスのヴァリューを信頼しています。
フランスを信頼して、フランスに居合わせたおまえは同罪であると言われて、死の脅迫を受けたような事件です。
 フランスはこのような見せしめを与えないと、その政策を止めないだろう。
 フランス人(および私のようなそこにいる人)はこのような見せしめを与えないと、その享楽を止めないだろう。
 テロリズムとはterreur恐怖の効果によって、その思想を通し、それに反する人々を従わせることです。
 私たちは怖いです。恐怖します。コンサート会場で百人近い人たちが殺戮されるのを(映像はなくても)リアルタイムで報道された時、あなたや私のような人たちに銃口が向けられたと知る時、私たちは恐怖しないわけにはいきません。
すぐに在仏日本大使館から注意喚起のメールが来ます。人混みに近づくな、最新の情報を入手して行動せよ、不用意な行動は慎め...。
 私たちは子供ではない。ここにいるのはそれなりの苦労をしてきたし、いやな思いもしてきたし、人ともぶつかってきた。それなりの経験をして、それなりの代償を払って、私はここにいる市民たちと多くのものを分ち合っている。
 狙い撃ちされたのは、そういう文明であり文化であり価値であり、それを信頼してきた私たちなのです。
私たちはその恐怖を理由に、その信頼を改めるのか?
音楽が好きという理由で相手に弾丸を撃ち込む思想に屈服するのか?
スポーツが好きで、金曜日の夜に友だちと杯を交わすのが好きで、という人たちを、おまえは死に値すると断定する思想に屈服するのか?

 私たちは怖がってはならない。町に出なければならない。広場で人と会わなければならない。
 音楽は鳴り続けなければならない。私たちは踊り続けなければならない。
 スポーツの熱戦の興奮を分かち合うことをやめてはならない。
 ジャーナリストは報道し続けなければならない。ライターやブロガーは言いたいことを書き続けなければならない。戯画家たち・コミック芸人たちは世の中を茶化し続けなければならない。アーチストたちは表現し続けなければならない。
 恐怖によって「それは考え直した方がいい」とする考えを受け入れてはいけない。パリはこの1月にシャルリー・エブド事件でそれを学んで、多くの市民たちとそれを再確認したから、その後も世界で最も美しい町でいられたのです。
 私たちは何度でも同じことを言うだろう。怖がってはならない。政治家たちが「これは戦争だ」という論法で語るとき、私たちは本当に怖いのです。怖がってはならない。私はひとりではない。怖がってはならないと思っている自分と怖がっている自分が共存しているのは、私ひとりではない。だから私たちは広場に集まるのです。いろいろな顔を見て安心するのです。怒りや悲しみや恐怖は分ち合えるのです。
 とりわけ音楽は鳴り続けなければならない、と私は思います。コンサートは開かれ、ファンたちの興奮・熱狂は戻ってこなければならない。私が何十年も仕事として関わっている音楽、私が信頼して愛しているこのパリの町、そのヴァリューは私たちが守らなければならないと思うのです。それに死刑を宣告する思想には断じて屈服してはならないのです。断じて!

2015年11月15日
カストール爺こと、向風三郎こと、對馬敏彦

17 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

UBU PEREです。パリの同時テロ事件に呆然としています。洗脳された自爆テロリストがどの町にもうろうろしている世界が現実にものになった...パルミラ遺跡の破壊、異教徒の殺戮...心の痛むことばかりです。そんな中でレピュブリック広場に集まった人達の勇気に感動しています。東京で起きても不思議はない事件ですが、この事件でポピュリストへの支持が伸び、多様性を誇るフランス社会に移民・難民に対する差別が広がらないことを祈っています。暴力は何の解決にもならない。

Koji さんのコメント...

初めまして。率直な文章、とても感じ入りました。ご迷惑でなければ、シェアをさせて頂いても良いでしょうか?

Pere Castor さんのコメント...

Ubu pèreさん、コメントありがとうございます。
私がこの記事で書こうとしたのは、国際政治上の問題、フランスのアフリカ大陸と近東での軍事介入、歴代政府の移民政策、イスラムとジハード派のことなどではなく、なぜこの場所だったのか、なぜ若者人気の飲食店街であり、コンサート会場であり、スタジアムだったのか、ということを私なりに考えたわけです。国籍、人種、宗教の違い関係なく、その場にいた人々は殺されたのです。享楽にうち興じていたからです。美味しいものを飲食し、音楽に陶酔し、スポーツに熱狂していたからです。テロリストたちは現世の享楽に痴れる邪悪な不信心者たちを粛清したのです。パリは邪悪な享楽の渦巻く魔都であるわけです。場所は入念に選ばれ、そこにいるであろう人々のことは彼らはわかっていた。そして殺戮した。とりわけ最大の死傷者数を出したバタクランにははっきりとした彼らの意図があります。音楽を皆殺しにすることです。ジハード諸派が実効支配するアフリカと近東の地帯は彼らのシャリーアによって音楽が全面禁止されている。このテロルは「シリア空爆への報復」とは全くディメンションが異なるものに私には見えます。

Pere Castor さんのコメント...

Kojiさん、コメントありがとうございます。
目立たない当ブログにしてはこの記事は破格のページビュー数で2日間で2000ビューを越えました。たくさんの方たちに読んでいただいて光栄です。シェアは基本的に自由ですが、リンク先お教えいただけると幸いです。

秋本節 さんのコメント...

感動しました。
僕も音楽を生業としている者として忘れてはいけない事だと思いました。

Pere Castor さんのコメント...

秋本節さん、コメントありがとうございます。
アーチストの方にご意見いただいて光栄です。あれから4日、報道ではパリ市民たちは表面上は日常を取り戻し、普段と変わらぬ生活を再開したように伝えています。しかしいろいろとテロの余波が出て来るのはこれからで、飛行機やホテルのキャンセルは非常に多く、市中のレストランも閑散としています。音楽の分野では国際級のスターアーチストのコンサートは次々にキャンセルになっています。旅行者は来ない、市民たちは街に出ない、アーチストは舞台に出れない/もしくは出ても客席が埋まらない。こういう事態こそが、テロリストたちが望んでいたことではないか。これは実際に130人も殺戮しただけでなく、その後にもこのパリ市民の文化的歓びを破壊してしまうことではないか、と思うのです。レピュブリック広場で多くの人たちに出会えたように、市民たちが街に出続けるようにして欲しいですし、そのために音楽はもっと鳴らなければならないと思います。恐れることなく。

Midori Okamura さんのコメント...

初めまして。岡村みどりと申します。
松山晋也氏のツイートから来ました。

この記事を読むまで、今回のテロが「フランスの空爆に怒りを感じたISによる、人々が大勢集まる場所への無差別乱射攻撃」と解釈しており、犠牲者の方々へ哀悼の気持ちはありましたが、哀悼は変わらないけれど、「テロリストが音楽やスポーツを楽しむ人たちを狙い定めた」と伺い、怒りがこみ上げてきました。

わたしも作曲を生業とする者ですが、それはテロリストからは死に値すると見做されたと思うと、力ではなく、音楽を鳴らし続ける事で返したいと、素直に思います。

テロリストの狙いを理解した恐怖を感じつつ、集わなければ、音楽を鳴らさなければ、と強く宣言してらっしゃるPere Castor様、尊敬致します。

Junquo Nimura さんのコメント...

パリの西ではなく、東が狙われたことには私も大きなショックを隠せません。
もちろん、高級レストランとはちがい、カンボジア屋の警備は甘いでしょう。
ラ・ベルエキップにも黒服の雇われガードマンがいるわけでもありません。
パリでは比較的安く、学生でもいけるような場所。移民文化と友愛。
そのようなパリの「良心」を狙うというのは卑怯だとおもう。
別に高級街とか帝国主義のモニュメントを狙えといっているわけではないのですが。

Pere Castor さんのコメント...

岡村みどりさん、コメントありがとうございます。
国や特定の人種や宗教やコミュニティーや... そういう限定的なものを狙ったテロではないけれども、標的は誰でも良かったわけではない。16日のリベラシオン紙とテレビのカナル・プリュスの番組「ル・プチ・ジュルナル」が、この事件に対する若い人たちの反応を特集していて、「バラクラン世代」(Génération Bataclan)という新しい言葉を使いました。この世代はあの13日(金)から、いつどこで殺されてもおかしくない、という恐怖を抱くようになった若者たちです。普通に音楽とスポーツが好きで、小洒落た町のカフェテラスで飲み食い談笑するのが好きな若者たちこそ、標的だったのですから。これまで負けてこなかった「たゆたえども沈まず」のパリの歴史や文化がどれだけこの子たちを守ってやれるか。私はまだ信ずるものがありますよ。

Pere Castor さんのコメント...

Chère Junquo、コメントありがとう。
あなたもよく知る10/11区の下町だから、これほどの大きな衝撃でも、なんとか跳ね返せると思いますよ。私は信じます。

Anthony Mineo Yokouchi さんのコメント...

豪州メルボルン在住のメルトニィというものです。パリに住んでおられるPere Castorさんだから出来た情景描写と分析だと思います。大変参考になりました。
メルボルンもパリ程ではないにせよ沢山の民族グループがあり、市の北西部には大きなモスクもあります。ブルカを被った女性こそ見かけませんが、頭に白いキャップ(正式名称を知りませんので)を被った男性が普通に街を歩いてます。ですからパリの惨劇と同じようなことが起こりうる可能性はあります。当地の領事館も「人混みにはなるべく近づくな」と通り一遍の勧告をしております。
国や民族という枠を超えて、人はそれぞれ違った生育歴、宗教、文化、言語などを持っており、そこから出てくる価値観を持っています。その価値観を尊重するということが相手を認め、受け入れることに繋がると思います。

Pere Castor さんのコメント...

メルトニィさん、コメントありがとうございます。
よく使われる例なのですが、細いところで人とすれ違う時にとっさに右によけるか左によけるか、ということ。私はフランスに住んで36年になりますが、今でも人にぶつかりますよ。おまえはこの地にいるのだから、それは直さないと、と思うのですが、無意識な体は言うことを聞かない時がありますよね。これを厳格にこの地の習慣・習俗・ルールに従わねば困ると考える人たちも少なくありません。ぶつかっても、それこそ日本語で言う「他生の縁ですね」と、そのある種の出会いをポジティヴに考えられる人だって少なくないと思うのですよ。
今回のテロリストたちがほとんどフランス国籍者で郊外出身者であることを指して、歴代政府の移民受け入れ政策の失敗や、移民出身者たちをB級フランス人としてB級ゾーンに押し込んだ結果とか、そういう説明をする人たちがいます。この憎悪はフランスそのものが作り出したものである、と。植民地主義と人種/宗教両面の排外主義が、この憎悪を極端なところまで増幅させたのだ、と。
差別され、隔離され、はみ出された若者たち。ノー・フューチャー。
この構図があたかもフランス全土の郊外にあてはまるかのようなアマルガム(あ、これは日本で理解される歯医者治療のアマルガムという意味ではなく、政治的「くそみそ論」という意味です)があり、極右ポピュリスト政党の移民排斥論を元気づけています。

別の見方で見ますと、今日のフランスがこのように極端なレイシストの国であること、特にマブレブ移民とイスラム教徒を隷属し、蔑視し、敵視する傾向が支配的であること、というのがないとテロ行為やその種の抵抗闘争は誰からも理解されないものでしょう。
ところがそれを反証するような、異文化・複数文化と調和するようなフランスもある。アンヌ・イダルゴが言うように、マルチカラーであるフランスの成功例がパリにはあって、それが具体的には10区や11区の飲食店街であり、人種・宗教おかまいなしに混じり合って音楽やスポーツの歓びを共有する場所がある。テロリストたちがあってほしくないフランスがそこにあるわけです。
この混じり合うフランスは決して簡単にできたわけではなく、さまざまな市民たちの努力、住民たちの理解、アーチストたちの呼びかけなどが、とても重要だったのです。自然に出来たわけではなく、長い時間かけて溶け合ってきたものです。それを脅かす動きもある中で、市民たちが守ってきたものです。だから、そう簡単には壊れないぞ、と思う市民たちの中に私も加えさせてもらっているのです。

bobo_drums さんのコメント...

つい先月バタクランでライブしていて今回の事件に大変ショックを受けています。
事件6週間前の金曜日でした。パリはヨーロッパで常に最大級の盛り上がりをみせてくれます。
そこに差別排他の感情を感じたことはありません。「混じり合うフランス」がこれからもどんどん大きくなっていく事を願っています。
シェアさせていただきます!

Pere Castor さんのコメント...

Boboさん、コメントありがとうございました。
「パリはヨーロッパで常に最大級の盛り上がりをみせてくれます。」ー 私のことのようにうれしいです。多くの外国から来るアーチストの方たちが「パリは別格」と言っているのは、見る目・聞く耳だけじゃないなにかがあるのだと思います。古くにはアメリカのジャズミュージシャンなどがツアーが終っても帰国したくなかったのは、当時の黒人差別的事情だけではないなにかがあったのでしょう。ミュージシャン、アーチストだけの話ではないですよね。私のような人間でもどうして日本に帰らないのか、と言われると...理由は同じものがありますでしょう。
アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)の死後に刊行された自身のパリ生活を描いた小説『移動祝日(A MOVEABLE FEAST)』は文字通り、パリでの生活は毎日が祝日祝祭のよう、という意味のタイトルなのですが、フランス語題が "PARIS EST UNE FETE"(直訳すると「パリはお祭り」)という素晴らしい意訳なのです。この題のせいなのか、今、変わった現象が起こっていて、11月13日テロの後、フランスで突然このヘミングウェイの小説が書店ベストセラーの1位になっていて、品切れ店続出、緊急増刷中だそうです。祝祭的なパリを取り戻したいという気持ちからでしょうか。私も読んでみなければと思っています。

nakai yuko さんのコメント...

パリ在住の専業主婦です。

「怖がってはならない。私はひとりではない。怖がってはならないと思っている自分と怖がっている自分が共存しているのは、私ひとりではない。」

この力強い言葉にとても勇気づけられました。

怖がってはならない。

だから私は今日もマルシェで買い物をし、
アクセサリー屋のアメルさんと立ち話をし、
家族のために美味しいご飯を作るでしょう。

こどもたちは明日も元気にメトロで学校に通い、
柔道の稽古にもひとりで向かうでしょう。

怖がってはならない。私はひとりではない。

ありがとうございました。

Pere Castor さんのコメント...

Nakai Yuko さん、コメントありがとうございました。
急に寒くなりましたね。明日の朝は零度だそうです。友人たちと「新ボジョ」を今年はバナナ味だ、いやフリュイルージュ味だ、と言い合う時期ですよね。毎年の楽しみも、今年は「あの時どこにいた?」という話でもちきりで。
実は昨日(21日・土曜日)の夜、十数人が集まってわが家でそういうソワレをしたのですが、やはり中にはあの時サン・マルタン運河近くにいたり、もう1カ所テロ予定だった18区で食事してたり、とニアミスしてた人たちがいました。でも、来てくれた人たちの中にミュージシャンの人たちがいて、(その人たちが来る前に申し合わせて「今夜は特別だから」と)楽器を持って来てくれて、23時頃からわが家でジャム・セッションが始まりました。うれしかった。寒い夜もとたんに熱くなりました。
FBで今、Nakaiさんに友だちリクエスト出しました。アクセプトしてください。

michel2004 さんのコメント...

Pere Castorさん、こんにちは。時機外れのコメントですが…
クロ・ペルガグというシンガーの歌をラジオで聞いて、「?」と思ってあちこち彷徨ってたら、ここに来ちゃいました。

あのテロ事件、「あの場所を敢えて狙ったのだ」というご指摘に、あらためて重い衝撃を受けました。
そして、「怖いけど、怖がってはならない」というパリ市民、在住者のみなさんの勇気に、心から連帯したいと思います。
パリという街は、やはり世界の宝だと感じ入ります。

当方は、少しも上達しないフランス語を延々と勉強しているおじさんです。
またパリに行きたくなってきました。