2008年2月26日火曜日

ダンカン君が遊びに来た



 (←)ダンカン・ロバーツ君が事務所に遊びに来てくれました。
 ダンカン君は英仏混血で、豪州人の奥さんがいて、1歳半になる男児がいます。かれこれ15年フランスに住んで、作詞作曲編曲プロデュースができて、サウンドエンジニアリングができて、録音スタジオでの仕事、ミュージシャンとしての仕事をこなしながら、自分のレーベル(Spozzle)を持っていて、3つほどのバンドと契約していて、そのうちのひとつが自分のバンド、ディクタフォーンです。
 ディクタフォーンは最初のアルバム(2002年)の時から大好きで、応援しているのですが、なかなか一般的に認められません。セカンドアルバム『チョコレート・キング』(2006)はレ・ザンロキュプティーブル誌が絶賛し、爺が一生懸命推したにも関わらず、日本のどの会社も見向きもしませんでした。知らない人はマイスペースで見てみてね(↓)。
Myspace.com/dictafone

 ダンカン君のレーベル Spozzleはディクタフォーンこそ今ひとつメジャーにならずに伸び悩んでますが、BO(ボー)というアーチストが、やや話題になっていて、プロデューサーのダンカン君はこれでやっと食いつないでいる状態だそうです。ボー君はフランス人で、エレクトロ仕掛けが多いですけど、パワフルかつ軽妙ポップで、昨今のカトリーヌなんかよりずっと良いぞ。新アルバムのシングルは「ヨコハマ」と言います。↓のボーのHPに国営テレビFrance 3での「ヨコハマ」ライヴが見れます。うぁっ!パワーポップ! 
www.boproject.com

 それからあまり大きな声で言ったらいけないのだけれど、ダンカン君はこの秋冬で大メジャー化するかもしれないのです。ダンカン君が数年前に奥さんの友人の友人ということでパリで出会ったウクライナ女性がいて、その頃はまだ売れていなかったのですが、しだいにマヌカンとしてキャリアを積んで、今やトップモデルになってしまったんですね。イニシャルだけ書いておきますと「O.K.」という人なんですが、歌もうまく、ダンカン君は彼女とのプロジェクトで、2年前からダンカン・ロバーツ作詞作曲プロデュースで彼女のデビューアルバムを準備していたのです。それが去年暮れ、新ジェームズ・ボンド映画「ボンド22」のキャスティングで、なんと新ボンド・ガールに抜擢されてしまったのですよ。現在「ボンド22」は撮影中で、デビューアルバム制作は中断してしまったけれど、撮影が終わり次第、ダンカン君と録音作業を再開するのだそうです。でかい話になりそうだなあ。

2008年2月25日月曜日

今朝のフランス語「カス・トワ、ポーフ・コン」



 2月23日、春恒例の大イヴェント「フランス農業展」(Salon de l'agriculture)の開幕日に、歴代大統領と同じように新大統領ニコラ・サルコジも、この国民の年次大行事を表敬訪問し、各ブースで農業従事者たちや同展訪問者たちにあいさつをしたり、握手攻めにあったり、自分から手を出して握手サービスをしたリ...。ところが現在は大統領支持率が40%を下回っていて、昨年5月の当選時の勢いなど見る影もありまっせん。この日も展示場内のところによっては大統領訪問にブーイングや口笛が飛んできたりします。フランスの日刊紙パリジアンの撮影班は、ヴィデオカメラを回していたのですが、大統領はそれに気がついていなかったのでしょうか。大統領が握手サービスで手を伸ばした先にひとりの男がいて、「おっと俺に触るな、おまえに触られるときたなくなる」と意地悪な発言を大統領に。
 それに答えて大統領は「カス・トワ、カス・トワ、アロール、ポーフ・コン」と、日常生活ではなかなか聞くことができない、極端に乱暴なお言葉をお吐きになりました。

casse-toi = 自分を壊せ → 消えてなくなれ
pauvre con = 惨めな愚者 → ◯◯◯野郎

こういう言葉が子供たちには「大統領が使った見本的な表現」として推奨されるかもしれません。


PS
パリジアン紙のサイトが公開したその時のヴィデオ(↓)です。


2008年2月24日日曜日

万事シラキューズ



 ←パリ・マッチ誌2月20日号の表紙です。白スーツ,白パナマ帽で見慣れているサルヴァドールがこの時はダークシャツと黒シルク帽です。これは2001年の撮影で,かのアルバム "CHAMBRE AVEC VUE"のビッグセールス(150万枚)があった頃のもので,撮影は実の息子ジャン=マリー・ペリエです。サリュ・レ・コパン誌などのフォトグラファーとして知られたジャン=マリー・ペリエは,フランソワーズ・アルディの最初の恋人だった人でもありますが,サルヴァドールとの親子血縁関係はずっと秘密にされていました。1982年にサルヴァドールはジャン=マリーを実子として認め,ペリエはそのことを2001年発表の自伝で公表します。しかし,この二人は決して和解することはなかったそうです。そういう複雑さを含んだサルヴァドールの2001年の表情です。
 笑ってばかりいた人間ではない,ということは顔写真や映像を見てもはっきりしているのですが,この一週間,記事原稿のためにいろいろ資料を読んでいくにつれて,この人の厳しさばかりが目につきます。
 原稿はさっき編集部に送りました。その中でちょっと,ジャズギタリスト/ビロードヴォイスのクルーナー/お笑いの大スターという3点で共通するアンリ・サルヴァドールと植木等を比較してみました。60年代テレビのために,音楽アーチストから極端なお笑い芸人に大変身するところは,この二人ほんとうに良く似ていると思います。魅惑の美声歌手でもあった植木等は,ジャズ・バラードを吹き込んでいたりしないのでしょうか? またサルヴァドールも "Chambre avec vue" がなかったら,お笑いの人としてこの世を去っていたでしょうし。

2008年2月15日金曜日

アンリ・サルヴァドールの前にいた人



 ジャン・サブロン『シャンソン百選』
 Jean Sablon "100 Chansons"


 2月14日聖ヴァレンタインの民放TVパリ・プルミエールのプライムタイムは、映画『風と共に去りぬ』でした。そしてバトラー(クラーク・ゲーブル)が出てきたとたん、わ、ジャン・サブロンだ、と思ってしまったのでした。この映画は1939年制作。ジャン・サブロンがアメリカに移住して「フレンチ・ラヴァー」と呼ばれてスターになったのが1937年のこと。この丁寧に手入れされた口髭は、流行っていたんでしょうね。しかしよく似た二人です。
 ジャン・サブロン(1906-1994)の最初のレコード録音は1932年でしたが、伴奏ギタリストにジャンゴ・ラインハルトがいたりして、当時盛り上がりつつあった「スウィング」の歌い手として出てきた人です。しかし、サブロンが急激に人気が出たのは1935年のことで、それはパリで最高人気のミュージック・ホールのひとつ、ボビノ座に初めてヴォーカル・マイクが設置されたことに由来します。これは革命的な事件で、声量があるということがミュージックホール歌手の絶対必要条件であったそれまでの常識をくつがえし、魅惑のささやき歌手サブロンの声は、ホールの奥の奥で聞いているご婦人ファンの耳元に甘くやさしく届くようになったのです。ジャン・サブロンはフランスで初めてマイクロフォンを使って歌ったアーチストとして歴史に記録されています。魅惑のビロード・ヴォイス、クルーナーというスタイルはマイクロフォンの登場によって確立されたわけです。
 こうして舞台の上のマイクを恋人の耳に見立てて愛の言葉をささやき、マイクスタンドを踊りのパートナーにしたり、マイクスタンドを抱擁したり...、そういうアクションが婦女子の皆さんを悩殺してしまったんですね。ところがこういう新しさを好まない封建的なシャンソン愛好者たちは、サブロンを機械仕掛けのインチキ歌手呼ばわりして毛嫌いします。その無理解がひどく、「ああ、俺はこの国では理解されない」と嘆くと、才能あるフランスのアーチスト諸氏は「おらあ、ステーツさ行くだ」という結論を出しますわね。40年後のポルナレフがそうしたように。かくしてわれらがジャン・サブロンは1937年に米国に移住し、英語でも歌うようになり、ブロードウェイではコール・ポーターやジョージ・ガーシュウィンと仕事する栄誉を得ます。モーリス・シュヴァリエに継ぐ「フレンチ・ラヴァー」は、ビング・クロスビーに比肩する魅惑のクルーナーとして国際的名声を勝ち得るのです。
 ジャン・サブロンの新しさは最初からジャンゴ・ラインハルト等のスウィング・ジャズに接触していただけでなく、ビギン、カリプソ、キューバンなどのエキゾ風味をたくさん取り入れていたこともあります。この点ではアンリ・サルヴァドールやレイ・ヴァンチュラ楽団の先輩格と言えましょう。そのアンリ・サルヴァドールの代表曲のひとつ「シラキューズ」も、ジャン・サブロンは1962年に吹き込んで大ヒットさせていて、魅惑のビロード・ヴォイスということでサルヴァドール版とサブロン版を聞き比べると、甘美さのサブロン、哀愁のサルヴァドール、という違いがくっきりと浮き上がってきます。

 甘さを抑えない男、ジャン・サブロンのCD4枚組・100曲選で、音源はEMI。CD1の第一曲めをかのサルヴァドール作「シラキューズ」(62年録音)にしてあり、CD1は60年代の録音、CD2は50年代、CD3は40年代、CD4が30年代、となっていて、過去にさかのぼっていく構成で、CD4には未発表録音が2トラック含まれています。
 アメリカでのキャリアを感じさせる英語まじりの歌や、国際スターの風格がなせるスタンダード曲のわかりやすい展開はさすがです。コール・ポーター作「セ・マニフィック」(CD2/1曲め)の中で、アメリカ人の好きなフランス語感嘆詞「オーラララ」の説明をしている部分があり、「オーラララ」だけで何でも表現できるんですね。
 ブロッサム・デアリーもレパートリーにしている"C'est le printemps"(CD1/18曲め)も、フランソワーズ・アルディ&ジャック・デュトロンがカヴァーした"Puisque vous partez en voyage"(CD4/1曲め。ミレイユとのデュエット)もうっとりです。マルセイユ訛りで歌われる"Bouillabaisse(ブイヤベース)"(CD2/16曲め)も、たいへんな美味な出来上がりで、にっこりです。

<<< トラックリスト >>>
CD1
1. Syracuse 2.Merci à vous 3. Qui vivra verra 4. Reviens 5. Vous qui passez sans me voir 6. Rien ne va 7. Le fils à son père 8. Pour deux 9. Jamais plus bel été 10. Reverie 11. Je tire ma révérence 12. Pour vous j'avais fait cette chanson 13. Laura 14. Ciel de Paris 15.La chanson des rues 16. Un seul couvert please James 17. Ces petites choses 18. C'est le printemps 19.Les voyages 20. Cigales 21. Toi si loin de moi 22. Monsieur Hans 23. La dame en gris 24. Pas bon travailler 25.En te quittant Tahiti 26. Manha de Carnaval
CD2
1. C'est magnifique 2. Sur le pavé de Paris 3. Song of Moulin Rouge 4. Les feuilles mortes 5. Favela 6. Preddy bride 7. Ave Maria No Morro 8. Come back 9. Le fiacre 10. My heart's at ease 11. Que le temps me dure 12. C'est la vraie de vraie 13. Mom'de mon coeur 14.Et nous 15. Praline 16. La bouillabaisse 17 Aimez comme je t'aime 18. La fille qui m'épousera 19. C'est si bon 20. Arbres de Paris 21. La chanson de Paris 22. Simple mélodie 23.Porqué 24.Don't take your love from me
CD3
1.Berceuse 2. Lilette 3. Si tu m'aimes 4. Tu sais 5. Rhum et Coca-cola 6. Son voile qui volait 7. Insensiblement 8. I'm misunderstood 9. Sur les quais du vieux Paris 10. Paris tu n'as pas changé 11. J'suis pas millionnaire 12.Rendez-vous time in Paree 13. We can live on love 14.Is it possible? 15. South American way 16. Un coussin deux têtes 17. Cette mélodie(stardust) 18. Blue nightfall 19. Le doux caboulot 20. Afraid to dream 21. Can I forget you 22. These foolish things 23. La petite ile 24. Rendez-vous sous la pluie 25. Il ne faut pas briser un rêve 26. Le moulin qui jase
CD4
1. Puisque vous partez en voyage 2. When I get you all alone(未発表) 3. Darling je vous aime beaucoup 4.Un amour comme le notre 15. Miss Otis regrets 16. Fermé jusqu'à lundi 7. Seul(alone) 8.Continental 9. Un baiser 10.Par correspondance 11.Ce petit chemin 12. Vous avez déménagé mon coeur 13. Je suis sex appeal 14. Quand on est au volant 15. Vingt et vingt 16. Le joli pharmacien 17. C'est un jardinier 18. Le petit bureau de poste 19. La partie de Bridge 20.Presque oui 21. Les pieds dans l'eau 22. Ma grand-mère était garde barrière 23.Depuis que je suis à Paris 24. Plus rien(未発表)

4CD BOX EMI FRANCE 5214412
フランスでのリリース:2008年2月4日


PS :
いかにYoutubeと言えど、この時代のものはやはり動画はないみたいですね。
スライドショーですけど、「去りゆく君 Vous qui passez sans me voir」(1936)を見つけたので下に貼付けておきます。作者はジョニー・エス+シャルル・トレネのコンビです。
この曲のパトリック・ブリュエルのカヴァーの方はちゃんとヴィデオクリップがあってYoutubeにも載ってますが、世紀のクルーナーとブリュエルを比べて何が楽しいものですかいな。
Vous qui passez sans me voir(Jean Sablon)

2008年2月13日水曜日

"Il faut savoir partir"



 アンリ・サルヴァドールが90歳で亡くなりました。
 2007年12月(まだ2ヶ月も経っていない!)にパレ・デ・コングレで「最後のステージ(adieux à la scène)」コンサートをやった時も,ラジオのインタヴューでは,ステージはもう無理かもしれないけれど,レコーディングは大丈夫だろう,ふぁっ,ふぁっ,ふぁっ....と言っていた90歳青年でありましたが。これから先,「さよならツアー」を100歳までは続けられるだろう,と関係者たちも思っていたようです。
 最後を察していたのでしょうね。そのパレ・デ・コングレの夜,コンサートの途中でサルヴァドールはこう切り出した:Il faut savoir partir (身の引きどころも知らないとね)。

 Juste ce soir, c'est bien ma veine, j'ai plein de chats dans la gorge, et tous mes copains sont là! Il est temps que j'arrête, c'est pas possible ce truc.
 今夜だけさ,なんて俺は運がいいんだ,俺はもう喉がガラガラで声が出ない,だけど俺のダチたちはみんな集まってくれた! もう俺の潮時だ。こんなこともうできないんだ...。


 私はこの最後の言葉,冗談だとは思っていませんでしたが,もう2〜3回は言うのではないか,と思ってました。大変失礼しました。合掌。


PS : また youtubeで見つけたのですが,去年の12月,さよならコンサートのちょっと前に放映された国営TVフランス2の「日曜万歳」(司会ミッシェル・ドリュッケール)のアンリ・サルヴァドールです。ボサノヴァ・マニアの投稿ビデオのようで,「2008年ボサノヴァ50周年」という前看板がいいですね。その日の番組のメインはフランス最高の声帯/形態模写芸人ローラン・ジェラで,アンリはそのゲストで出ています。その中でアンリのスコピトーン(ヴィデオ・クリップの前身)集のDVDが紹介されていて,"Faut Rigoler"や"Zorro"などの断片が紹介されてます。90歳。ドリュッケールが芸歴70年と言ったら,すかさず75年と自ら訂正して,スタンディングオヴェーションで喝采されてます。泣けてきました。
Henri Salvador "VIVEMENT DIMANCHE" (Dec 2007)



PS 2 : 2008年2月14日付リベラシオンの第一面です。
いい顔ですね。見出しのタイトルは『Chagrin d'hiver (シャグラン・ディヴェール)(冬の悲しみ)』となっています。ケレン・アン・ゼイデルがアンリ翁に捧げた歌で、それがきっかけで翁の奇跡のカムバックがなしとげられた『Jardin d'hiver (ジャルダン・ディヴェール)(温室庭園)』とのかけ言葉ですね。そうか、今日はバレンタイン・デーでしたか....。


PS 3 :
2月17日の日曜新聞ル・ジュルナル・デュ・ディマンシュ(略称JDD)に,アンリ・サルヴァドールが準備中だったアルバムのことが書いてありました。それによると,この未成の新アルバムはサルヴァドールの希望で,彼の音楽ルーツであるスウィング(ジャズ)への回帰を企図したもので,仏ポリドール(ユニバーサル)が制作することになっていました。仏ポリドールの社長アラン・アルトーによると,ジャズ・ビッグバンドとのダイレクト録音をアンリは希望していて,5月にロサンゼルスで録音され,10月にはリリースされることが予定されていたそうです。録音予定曲はすべてカヴァーで,言わばサルヴァドールの「ファイバリット・ソングス」のようなラインナップ:「俺はスノッブ」(ボリズ・ヴィアン),「Belle Ile en Mer」(ローラン・ヴールズィ),「Quand je serai KO」(アラン・スーション),「ムーン・リヴァー」(コール・ポーター),「Partir quand-même」(フランソワーズ・アルディ),それから題名を明記せずに,シャルル・トレネの曲,フランク・シナトラとナンシー・シナトラのデュエット曲をヴァネッサ・パラディとのデュエットで...。


PS 4 :
テレラマ2月20日号にヴァレリー・ルウーが3頁の素晴らしい追悼文を書いています。もうこの女性が書くものを見る度にすごいなあ、すごいなあ、と思ってしまう爺ですが、このサルヴァドール・オマージュはすごすぎて目眩が起きました。
Ces derniers temps, c'est vrai, il avait eu tendance à se répéter, tirer un peu trop sur la ficelle du crooner, exploiter le créneau sans toujours se soucier d'y trouver des pépites. Mais la voix restait impeccable, presque aussi forte et aussi juste qu'avant. Il fallait bien qu'un jour elle finisse par se taire. Le lion est mort, c'est vrai. Mais le chat rôde toujours. (たしかに、この数年彼は同じことを繰り返す傾向があったし、クルーナーという芸に頼りすぎる面があり、苦労をせずに宝石を掘り起こせるような分野を利用しつくそうとしているようなところがあった。しかしその声は完璧なのだった。若い頃同様にパワーがあり、狂いがないのだった。それは当然いつかは消え去る運命にあった。確かにライオンは死んだ。しかし猫はさまよい続けているのだ。)

2008年2月11日月曜日

パパ・ウォズ・ア・投石小僧



 リリキューブ『とうちゃんは五月革命を闘った』
 Lilicub "Papa a fait Mai 68"


 カトリーヌ・ディランとブノワ・カレの男女デュオ,リリキューブは日本でなんと4枚(うち1枚は日本編集盤)もアルバムが出ていて,大貫妙子や加藤紀子といった日本のメジャーの人たちとのコラボレーションでも知られる,たぶんフランスよりも日本の方が知名度が高いアーチストかもしれまっせん。
  このアルバムはフランスでは2001年の『Zoom』の次作になり,7年ぶりの新録音になります。
 フランスでは96年のシングルチャートNO.1曲「イタリア旅行 VOYAGE EN ITALIE」のイメージが強く,一発ヒット屋のように思われがちです。エチエンヌ・ダオの「ローマの週末 WEEK END A ROME」とリリキューブの「イタリア旅行」はテーマの相似だけでなく,ダオ型ポップ・サトリ思想の実践例の2大ヒットとして,ポップ・フランセーズ史上に名を残すものでしょう。初期のリリキューブのふたりを見てるとダオ人形とフランソワーズ・アルディ人形のデュエットのようだ,と思われた方も少なくないでしょう。
 あれから十余年,基本的にこのデュオは何の変化もなく,ポップで軽妙洒脱で小アンサンブル主義でセイント・エチエンヌでボッサで哀愁で類い稀な耳障りの良さで....まあ90年代の渋谷が好んだ音の世界をそのまま保存しているようなありがたさです。
  標題曲もジャケットアートワークも,68年を意識させるようですが,ココロは軽いユーモアにすぎません。「とうちゃんは68年5月革命を闘ったけど,そのあと広告マンになって,68年もじりの広告コピーばかりをつくって....」という歌でした。
長いタイトルの3曲めは「僕が見つけた若死にしないための唯一の方法は老いることである」という意味です。老いた顔の子供たちが増えているようですが,こういう歌を自分たちの子供二人に歌わせるっていうのはどんなもんでしょうか。

<<< トラックリスト >>>
1. LA BELLE VIE
2. PAPA A FAIT MAI 68
3. VIEILLIR EST LE SEUL MOYEN QUE J'AI TROUVE POUR NE PAS MOURIR JEUNE (avec Léonie et Louis)
4. ANNA
5. RESTER AU LIT AVEC TOI
6. LES FETES DE FAMILLE
7. LE SINGLE DE LILI (avec Jean-Louis et Seb)
8. NADA (en duo avec Seb Martel)
9. PRESQUE
10. COMMENT FONT LES GENS?
11. MA GUEULE DE PETITE BOURGEOISE
12. MOI ET LUI
13. RUBRIQUE NECROLOGIQUE

CD UNDERDOG RECORDS
フランスでのリリース : 2008年3月末



PS:リリキューブのMYSPACEで4曲聞くことができます。
Myspace.com/Lilicub

2008年2月8日金曜日

ヴェロニク・サンソンに会うことになった。



 同志たち、たいへんなことになりました。
 ヴェロニク・サンソンにインタヴューできることになりました。爺は72年アルバム "Amoureuse"以来のファンですから、かれこれ36年もヴェロさんの音楽に心酔していることになります。とは言っても本当に好きな曲は70年代にだけ集中するのですが。さあ、ちゃんとインタヴューの準備をしなければいけませんね。
 同志の皆さんでヴェロさんに聞きたいことあったら、メールでお知らせください。インタヴューは3月4日です。


 現在ヴェロニク・サンソンはツアー中で、4月10-13日の4夜がパリのシガールで、12月8-10日の3夜にパリ・オランピアが組まれています。詳しくは(↓)のオフィシャル・サイトで。
veronique-sanson.net


PS : 聞くことのひとつにフランス・ギャルのことをもってくるのは御法度でしょうね,と思っていたのですが,(youtubeってほんとに何でもあるんですね!),1994年(ミッシェル・ベルジェ没後2年)に,国営TVフランス2の音楽番組「タラタタ」で,こういうデュエットをしていたんですね(↓)
F Gall & V Sanson "Je reviens de loin"
F Gall & V Sanson "La groupie du pianiste"

2008年2月7日木曜日

今朝のフランス語「ラ・デセプシオン」



 (←)フランスのニュース週刊誌レクスプレスの2月7日号の表紙です。1953年創刊で,設立者は当時女性誌の先鋭であったエル誌の編集長フランソワーズ・ジルーと,ル・モンド紙論説委員だったジャン=ジャック・セルヴァン=シュライバー(略してJJSSと呼ばれます)で,この二人の人脈で,カミュ,サルトル,モーリヤック,マルロー,サガン等が執筆陣となり,60年代にはフランスの週刊誌の代名詞的な評価を得て,独シュピーゲルや米タイムと肩を並べるようになります。64年にはここからジャン・ダニエルが独立してヌーヴェル・オプセルヴァトゥール誌を創刊し,71年にはクロード・アンベールが独立してル・ポワン誌を創刊するだけでなく,ラジオやテレビのジャーナリストたちも多くこの雑誌のOBであったりして,フランスのニュース・ジャーナリズムはすべてレクスプレスの出身者が作っているようなおもむきがあります。
 1977年にJJSSがレクスプレスを反共の資産家ジミー・ゴールドスミスに売却して以来,親会社は時代と共にいろいろが変わっていて現在はベルギーの大出版グループ,ルーラルタ・メディアが同誌を保有しています。

 表紙の大見出しは LA DECEPTION (ラ・デセプシオン)

 大修館新スタンダード仏和辞典には次のような解説があります。

déception デセプシオン(女性名詞)失望,期待はずれ;落胆  éprouver une 〜 失望感を味わう。 causer une 〜 à qn (結果などが)人を失望させる。

 では「デセプシオン」を含む諺/格言をいくつか見てみましょう。

★ La déception est bien moins pénible quand on ne s'est point d'avance promis le succès.
 成功が前もって約束されていなければ,失望はさほど辛いものではない。
 --- ルキウス・アンナエウス・セネカ(BC4/5~AD65)

★ La déception est un sentiment qui ne déçoit jamais.
 失望とは,決して期待を裏切らない唯一の感情である。
--- フランソワ・モーリヤック(1885-1970)

★ Année. Période de trois cent soixante-cinq déceptions.
 1年とは365回の失望の期間である。
 --- アンブローズ・ビアス「悪魔の辞典」

★ Voyager, c'est bien utile, ça fait travailler l'imagination. Tout le reste n'est que déceptions et fatigues.
 旅行することはとても有益であり,想像力を働かせてくれる。それ以外はすべて失望と疲労でしかない。
--- ルイ=フェルディナン・セリーヌ「夜の果てへの旅」

★ Un des charmes du mariage est de causer des déceptions aux deux.
 結婚の魅力のひとつは二人を失望させることである。
 --- スタンレー・キューブリック「アイズ・ワイド・シャット」


 この最後のキューブリックの言葉いいですね。「結婚」と「失望」がつながりが,今日のフランスの大衆の状況感情とどんぴしゃですね。 Un des charmes du mariage est de causer des déceptions au peupleと変えてみれば(かの結婚の魅力のひとつは人民を失望させることである)...。



 因みにライバル誌のル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール誌の2月7日の表紙はこうなってます。大見出しの文字は Le président qui fait pschitt... 「プシットする大統領」 --- こういう訳語では何が何だかわかりませんでしょうが,プシットという言葉は大修館新スタンダード仏和辞典には載っていません。これは2001年7月14日に当時の大統領シラクが,テレビインタヴューで,大統領の食費やら旅行費やらの金遣いのことや過去の隠し資金のことを問われた時に,そんなことは今大きく言われているが「pschitt....」(この時両手で風船玉の空気を抜くようなジェスチャー)と擬音語で答えたのでした。つまり大きく膨らんでいるものが,急激に空気が抜けてしぼんでいくさまを言うわけですね。よく表現されてます。さすがシラク。
 ヌーヴェロプス誌はこのシラク表現で,急激にしぼんだ現大統領を評したというわけです。
 

2008年2月4日月曜日

減ることを知らぬフェルセン


 トマ・フェルセン著『シュークルートに毛が一本』
 Thomas Fersen "Un poil dans la choucroute"


「新刊を読む」と言うよりは「ながめる」ですね。読むよりも図版と画像がものを言うイメージ本です。トマ・フェルセン(1963 - )の生まれてから今日までの、アートワーク的な変遷をまとめた120頁のアルバム本です。編集には07年12月29日に爺のブログで紹介した『ラ・シャンソン・フランセーズ』の著者セリーヌ・フォンタナが大きく関わっているようです。
 トマ・フェルセンのファーストアルバムのジャケ写は、アーチストの父親の友人であった大写真家ロベール・ドワノーが撮っているのですが、そのドワノーのフェルセン撮影の舞台裏がこの本では暴露されています。なにかとても歴史的な芸術創造現場を見ているような、とてもありがたい数ページがあります。
 しかしこの本は、セカンドアルバムからアートワークを担当するようになったジャン=バチスト・モンディーノが登場するようになってから、俄然面白くなります。トマ・フェルセンのとぼけたキャラクターを、シュールレアリスムの大冒険に変えてしまうモンディーノの奇天烈なアイディアには、まったくもって脱帽せざるをえません。このモンディーノ・アートワークの変遷を見るだけでも、このアルバム本を買う価値はあるでしょう。アルバム「魚の日("LE JOUR DU POISSON")」(1997年)に、ネクタイを鯖にしよう、とか、ポケットチーフを鯵の頭にしよう、とか、全部アドリブなんですって。この本の表紙の"PIECE MONTEE DES GRANDS JOURS"(2003年アルバム)のための、スパゲッティを櫛ですくう図(なぜこれが本チャンのアルバムではボツになったんでしょうね)の美しさは、マグリットを凌駕するものがあると爺は思うのですが。

 そして私が大好きだった2005年アルバム「狂人たちの館("LE PAVILLON DES FOUS")」の、まぶたの上に目をペインティングしたポートレイトも、まったくのモンディーノの即興で、フェルセンとモンディーノが大笑いしながら撮影していた光景が目に浮かぶようです。
 とぼけた美意識の持主トマ・フェルセンの手のうちがだいだいわかってくる、本当に楽しい本ですが、読むところは少ないです。手書き原稿などの図版はなくてもいいんではないでしょうか。そう思うと、ちょっとお値段が高いですね。

 Thomas Fersen "UN POIL DANS LA CHOUCROUTE"(EDITIONS TEXTUEL刊 2007年11月。120頁。29.90ユーロ)

2008年2月3日日曜日

Le Bonheur est dans Leprest


 アラン・ルプレストに会ってから12日かかって原稿が書き上がりました。残念なことにトマ・サンドス著の評伝本『Allain Leprest - Je viens vous voir』(Christian Pirot刊2003年)がインタヴューの後で「Fnac.com」から届いて、これがもしインタヴューの前だったら、もっと違うことがたくさん聞けたのに、と悔やまれる部分があります。もっと先にこの本を読んでいたかったです。本の表紙の写真はアルバム『Nu』(1998年)の時のものなので、今から10年前(43歳)のルプレストの顔です。偏屈そうな顔です。
 インタヴューのあとで、アランが今は1週間の大半をメニルモンタン(それも爺の事務所の筋向かい)で暮らしていることがわかり、一度夕方にパン屋から出てきた詩人と偶然(近くに住んでいるのだから偶然と言うよりは必然に近い)出会って、tutoiement (二人称をtu チュで話す、いわば「おまえ/俺」の親しい関係)が始まりました。原稿がどこまでこの詩人に肉迫できたかは、疑問が残るところです。まあ、今月20日頃の雑誌発行日に、本屋で立ち読みしてみてください。最後の酔いどれ詩人へのリスペクトさえわかっていただければ本望です。

 3月12日、パリ、バタクランで "Le Bonheur est dans Leprest"(幸福はルプレストにあり)と題されたコンサートが開かれます。トリビュートアルバム『Chez Leprest』に参加したほとんどのアーチストたち(サンセヴリノ、ロイック・ラントワーヌ、オリヴィア・ルイーズ、ミッシェル・フュガン、ジャン・ギトニ等)が出演する予定です。タイトルは1995年のエチエンヌ・シャティリエーズ監督の大ヒット映画"Le Bonheur est dans le pre(直訳:幸福は田園にあり)(邦題:しあわせはどこに)"のパロディーです。