2023年5月26日金曜日

いちご野郎をもう一度

"Omar la Fraise"
『いちご野郎オマール』


2023年フランス/アルジェリア映画
監督:エリアス・ベルケダール
主演:レダ・カテブ、ブノワ・マジメル、メリエム・アミアール
フランスでの公開:2023年5月24日


イルドサイドに生きる男たちの通り名は「まむし」「シャチ」「さそり」「ハゲタカ」など怖いものが一般的だが、このめっぽうワルいことで知られたオマール(演レダ・カテブ)は「いちご」の異名を取る。オマール・ラ・フレーズ、いちご野郎オマール。いちご怖い。古典落語まんじゅう怖いとの関連はない。怖いものなのである。フランス語”fraise”は回転切削工具「フライス」のことでもあり、歯医者が使う回転ドリルもフランス語では”fraise"である。オマールの相棒であるロジェ(演ブノワ・マジメル)の説では「達人の”fraise"使いの名歯科医みたいに狙い撃ちの名手だからさ」ということなのだが、映画の後半で「いちご伝説」が明らかになる。オマールが学童だったガキの時分、品行が悪いことで先公にこっぴどく叱られる。反省のしるしにオマールは先公が大好きだと言ういちごを丁重にお届けする。だがそのいちごの実の中には無数の鋭利な針が仕込まれていた... 。この日からこのワルガキはオマール・ラ・フレーズと呼ばれ恐れられるようになったのだ、と。


 これはアルジェリア(その首都、白い街アルジェ)のワイルドサイドを舞台にした(クエンティン・タランティーノ流儀の)任侠映画である。ドンパチも流血もある。オマールとロジェはフランスからの流れ者である。親の血を引く兄弟よりも、固い契りで結ばれたオマールとロジェであるが、ロジェはフランス白人、オマールはこのブレッドにルーツを持つ放蕩野郎である。その悪行はすでに神話であり、弁護士からフランスでの欠席裁判で刑「20年」が確定したことが知らされる。だからもうフランスの地を踏むことはできない。アルジェリアで大人しく(目立ったことで警察に厄介になることなく)生きていくしかない。
 アルジェの海を見下ろす丘の上の大邸宅(ただし家具調度がほとんどない、修理中らしいプールにはいつまでたっても水が入らない)に住み、筋トレしたり、チェスに興じたり、浴びるほど強いアルコールを飲み干したり、コカインをキメたりするのであるが、おおいなる憂鬱(アンニュイ)がまさってしまう。退屈なのである。パリも恋しくなる。アルジェの高級クラブごときで息巻いてみても虚しい。
 オマールにアルジェで”堅気”の仕事をという弁護士の口利きで、オマールはビスケット製菓会社の雇われ代理社長となり、毎朝製菓工場に”出勤”するようになる。ところがこういう極道者であるから、”雇われ代理”というポジションが気に食わなくてしかたがない。そこで、ひょんなことで仲良くなったアルジェのストリートの子供たち(端的に言えば浮浪児窃盗団)の協力を得て、かなり手荒な方法で現社長を追い出すことに成功する。この10人ほどの子供たちが非常に重要なオマールの”弟分”になっていく。手製の刃物を武器に闇雲に盗みを働いていたこの子らにオマールはチームワークによる計画的強盗のイロハを伝授し、不必要に血を流すな、最も重要なのは生きるも死ぬも一緒という鉄の兄弟仁義である、と極道の極意を説く。この共同体はピーターパン的である。ガキの心を持ち続けるオマールが弟分たちを新たなワクワクするような冒険に導くイメージ。
 そしてオマールはこの製菓工場の責任者である女性サミア(演メリエム・アミアール)に恋慕の情を抱いてしまう。不器用な極道の恋。堅気でインテリでビジネス手腕もあり、そんじょそこらの男らなど問題にならない切れ者であるが、一方でボランティアで慈善活動もする義侠の女。不器用に、時には粗野にサミアの心を掴もうとするがなかなか成就しない。その間をとりもつように、ぎくしゃくした二人の関係を柔和にさせるのがロジェの存在で、お調子者で口はめっぽう立つこの恋の道化師役は素晴らしい。三人で砂漠まで遠出して、ラクダ競走に興じるシーンの美しいこと。このシーンはしあわせになれますよ。ここでロジェにこのラクダレースを大掛かりに主催して、ネットで全世界中継してラクダ賭博の胴元になろうという素晴らしいアイディアが浮かぶ。三人はめちゃ乗り気になるのだが...。
 しかしロジェはその夢を果たせぬまま、麻薬密輸のブツの取り合いに巻き込まれ、アルジェの地元暴力団の頭目に呼び出され、深手の傷を負い、救いに来たオマールの腕の中で息絶える。魂の兄弟を奪われたオマールは復讐に立ち上がる....。

 非常にわかりやすく、任侠映画の定番パターンに則ったワクワクものの作品。アルジェリア人エリアス・ベルケダールの初監督長編映画。凄みとやんちゃさが同居する極道というキャラクターを演じるレダ・カテブ、狡猾でお調子者で恰幅の良い(小型のジェラール・ドパルデューのような体型で登場)白人というキャラクターを演じるブノワ・マジメル、この二人の名コンビの怪演でどれほど救われている映画か。白い街アルジェ、地中海の不条理な太陽(あ、アルベール・カミュを想ってください)の下で展開する二人の極道の物語。上に紹介した砂漠とラクダ競走だけでなく、高層社会住宅の広大な中庭で展開される”闘ヤギ”賭博のシーンなど、コアなアルジェリア光景も織り込んでいる。
 それからアルジェリア人音楽アーチストのソフィアン・サイディがオリジナルスコアと選曲を担当したサウンドトラックがのけぞるほど素晴らしい。冒頭から大音量のライナ・ライ「ジナ」(1982年)で煽る。そのほかシェイハ・リミティ、ファデラ、シェブ・ハスニ、ウーム・カルトゥームなど。(復讐が終わって)最後にオマールとサミアと子供たちが平和に海浜ビーチで遊ぶシーンの音楽がソフィア・ローレン「イルカに乗った少年 boy on a dollphin」(1957年)であるところなんか泣かせる泣かせる。(このサントラのトラックリストはこちらのリンクに載っているので参照してください)

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『いちご野郎オマール』予告編


2023年5月23日火曜日

「100万ビュー」を達成しました。

2023年5月23日、朝遅く9時半頃寝床から起き出したら、爺ブログのカウンターが(←写真)100万を超えていました。昨夜就寝した時には999600ほどだったので、眠っている間に1000ビュー近いヒットがあったということです。5月20日にアップした「アリ・ブーローニュ」の記事に爺ブログにしては例外的な関心が集まっているようで、私の予想より2日早い100万突破でした。ありがたいことです。

 2007年7月に創設されたブログなので、この100万まで16年かかっています。長い道のりでした。世の中の人々にとってとびきり面白いことや目立ったことなど記事にしていませんが、音楽・映画・文学を軸にほぼ週に一度の頻度で新記事をアップしていて、極端に多かったり少なかったりということもありましたが、昨今は1日100〜150ビュー、1年に5万ビューというペースで静かに目立たず読まれ続けています。

 2019年7月に「80万ビュー突破に寄せて」という一文を載せました。そこでこのブログのカウンター数字の不思議などについても書いてますが、その当時ゆるやかながら焦燥もある日々の皮膚感覚として持っていた”穏健ノー・フューチャー”観から、

『カストール爺の生活と意見』はもう少し続くと思います。「いつまで」という考えは捨てました。だけどもう少し。
という言葉で閉じていました。約4年前のことですが、あの頃は「100万」などという数字はまるで考えられなかった。こんなに続くわけはないと思っていました。2017年に私は続けたかった仕事をやめ、自分の会社を畳み、在宅&病院通いの”専業”(隠居)ガン闘病者となりました。あの時からこのブログの更新が自分の関心の真ん中に来るようになりました。いつか来るXデーの前に、このブログをちゃんとしたものにしておきたい、という”意気込み”もあったのですが、だんだん、このまま続けられるだけ続けたらいいんじゃないかな、と思うようになりました。Que sera sera, what will be will be。気がついたら100万になっていました。

 創設の時から私のブログの最も熱心な読者で、頻繁にSNSなどでシェア/フィードバックして応援してくれていた川崎の土屋早苗を、私はこの4月20日に失いました。私より10歳年下の早苗は2019年から同じ病いと闘っていました。まだ49日経っていないので、その魂は地上のあちらこちらを漂っていることでしょうし、私は時折り気配を感じます。「100万ビュー」は早苗に祝ってほしかった。まあ、今夜、その気配は感じますよ。
 
 そして私は4年前と同じことを言います。
 『カストール爺の生活と意見』はもう少し続くと思います。「いつまで」という考えは捨てました。だけどもう少し。

                                                    2023年5月23日
                                                    フランス、ブーローニュ・ビヤンクール
                                                    カストール爺(向風三郎/對馬敏彦)


2023年5月20日土曜日

Nico ta mère (追悼アリ・ブーローニュ)

2023年5月20日、パリ15区の自宅アパルトマンでアリ・ブーローニュ(本名クリスチアン・アーロン・ブーローニュ、出生時の名はクリスチアン・アーロン・ペフゲン)が死体(かなり腐敗が進んでいて死後数日後と想定される)で発見された。60歳だった。
 発見者はその伴侶とおぼしき女性(58歳)で、地方への旅行から戻って来てこの状態だったので警察に通報した、と。ただ、アリは既に健康を害していて、最近にジョルジュ・ポンピドゥー病院に緊急収容されたこともあり、半身不随状態で車椅子で生活していたようで、ひとりで自宅にこもれる状態ではなかったとされ、この女性を「危険状態にある人間への補助義務を怠った(non-assistance à personne en danger = フランスでは刑法の規定にある犯罪)」嫌疑で逮捕して事情聴取している。
 母親はドイツ人のトップマヌカン、女優、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの歌手だったニコ(1938 - 1988、本名クリスタ・ペフゲン)、父親は認知されていないがフランス人俳優アラン・ドロンとアリは主張しており、アリの一生はほぼこのドロンの”父認知”を勝ち取るための法廷闘争に費やされている。ドロンは一貫して否定している。
 母親ニコから遺伝と自ら認めている幼少時からの麻薬常習者であり、職業は写真家であるが、喰えてはいない。2001年に母親ニコとアラン・ドロンのことと自分の半生を綴った『愛は決して忘れない L'amour n'oublie jamaisが 』(Pauvert社刊)という本を発表して、大ベストセラーとなっている。この本を当時私が主宰していたインターネットサイト『おフレンチ・ミュージック・クラブ』(1996 - 2007)が2001年5月の「今月の一冊」として紹介している。アリ・ブーローニュへの追悼の意を込めて、以下に再録します。

★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★

これはウェブ版『おフレンチ・ミュージック・クラブ』(1996 - 2007)上で2001年5月に掲載された記事の加筆修正再録です。

Ari "L'amour n'oublie jamais"
アリ『愛は決して忘れない』
(Pauvert刊 2001年3月)

 この本の著者はただ Ari とだけ署名している。日常生活では「アリ・ブーローニュ Ari Boulogne」という名前であり、俳優アラン・ドロンの母親のエディット・ブーローニュの戸籍に養子として入籍してその姓を得ており、国籍はフランス人である。ところが著者はそれを認めたくない。母親はクリスタ・ペフゲンという名のドイツ人。ニコという芸名で世界的に知られていた人。1938年ケルンで生まれ、1988年イビサ島で自転車で転倒し、脳震盪を起こしこの世を去っている。アリは出生時の「アリ・ペフゲン」という名に固執しているのではない。母親がクリスタ・ペフゲンと名乗らずに姓なしのニコという名で生き通したことを自分に近づける意味で、姓なしのアリと署名したのである。
 本作はドキュメンタリーでも自伝でもない。題名の下に「レシ récit」(物語)と断られている。物語は実名で事実を記述してもいい。著者は自分が書き続けてきた日記と創作ノート(アリは詩人でもある)をベースに自分の物語を綴っている。そしてヘロイン常習者であるからというだけの理由ではなく、十代の時から精神疾患の自覚症状を持つ彼の記述は、ところどころ不安定で混乱した箇所も出てくるが、それは創作によるものであるかもしれない。
  この作品の大きな目的のひとつは、母ニコの名誉回復である。世界の幾多の「ロック人名事典」のようなものを紐解いて見れば、そのどれもがニコに関して「元トップ・ファッションモデル、アンディー・ウォーホルに見い出され、映画女優そしてヴェルヴェット・アンダーグラウンドと活動を共にする歌手となる。しかし注目された時期は短く、その後は麻薬中毒のために...」ということしか書かれていないだろう。70年代後半以降のニコのイメージは極端に悪い。麻薬の地獄に堕ちてボロボロになった元美人歌手というネガティヴなイメージが支配的である。これを著者はニコというアーチストの同行者として、そのクリエーター/パフォーマーとしてのクオリティーは80年代にもいささかも衰えることはなかった、ということを証言するのである。
 この本と同じ出版社 Pauvertから本書と同時期にニコの詩と散文を集めた”Cible mouvente(動く標的)”と題された本(←写真)が発表された。監修と編集はアリが担当している。知られざる「文字化された」ニコの作品を世に出すことによって、この不当に低く評価されたアンダーグラウンドの詩人/ミューズの再評価のきっかけとしようというわけである。

 ニコをことさらにネガティヴに思っていたのは、アラン・ドロンの母エディット・ブーローニュ(→写真少年アリとエディット・ブーローニュ)であった。エディットにとってニコは養育能力が皆無の母親であり、ブーローニュ家の平和を掻き乱す女でもあった。ドロンの母はアリが2歳の時に”孫”の存在を知った。当時アリはニコの母親のもとでイビサ島に住んでいたが、既にその女性は健康を欠いており、ニコはエディットとコンタクトを取り、アリの養育を依頼したのである。パリの西郊外ヌイイにあるニコの友人の写真家ウィリー・メイワルドの家で、エディットは初めてアリと会う。一目見てエディットはこの幼児が自分の孫、つまりアラン・ドロンを父とする子供であることを確信する。
 エディットはこのことをドロンに何度も手紙で知らせるのであるが、ドロンはそれに返答しないばかりか、弁護士を通じて絶対にこの子と関わりを持たないように、と通告してきた。フランスのトップ男優はその後も一貫してアリを息子として認めていない。しかしわが子ドロンの意志に逆らって、エディットはアリをパリの南郊外ブール・ラ・レンヌの自宅に迎え入れ、2歳から18歳までわが子同様に育てるのである。このことによってアラン・ドロンとエディットの関係はきわめて険悪なものになっていく。
 この母子の確執は非常に根が深く、エディットはアランにとっては悪い母親であったに違いない。書かれる前のドロン伝記本を訴訟によって発禁処分にするほど、アラン・ドロンは知られたくない過去を多く持った人間であるうが、相当に荒廃していたと言われる少年時代は、母親の責任もおおいにあっただろうことは想像に難くない。そして兵士アラン・ドロンがインドシナ戦線から帰ってきた時に、母親は駅のプラットフォームで待っていなかった。そういったことをエディットは深く後悔していたからこそ、アランにしてやれなかったことをアリに、という愛情の注ぎ方をしていたようだ。それがまたアランには面白くなかったのであろう。
 そしてアリが6歳だった1968年に、かのマルコヴィッチ殺害事件が持ち上がる。これはアラン・ドロンのボディガードが暗殺され、ドロン自身の関与の可能性で捜査が進められ、ドロンと暗黒街との関係が大きくクローズアップされた事件である。エディットとその近縁の者たちは、この事件の延長として、アリが誘拐される、あるいは暗殺される、という可能性を非常に真剣に恐れていた。そこでエディットはアリを隠すように地方のカトリック系の寄宿学校に送り込んでしまう。この(体罰も日常茶飯事である)極端に厳格な男子寄宿学校でアリは9年間を過ごすことになる。

 学校の休暇や週末などをアリはニコのもとで過ごしていたので、彼は幼少の時からエディット・ブーローニュ家の”普通人”の世界と、母ニコが属するエキセントリックなアーチストの世界の間を行き来する、二つの相反するカルチャーを育んでいった子供であった。ヴェルベット・アンダーグラウンドのマスコット・ボーイのように扱われたり(→写真左すみにニコとアリ)、後にニコが生活を共にするようになる映画監督フィリップ・ガレルの映画作品に子役として出演したり、子供ながらに60-70年代の前衛アートのど真ん中に身を置いていたのだ。これがエディットにとっては、アルコール、ドラッグ、性風俗など、"普通人"として育ててきたアリを破壊する悪影響ばかりをもたらすものであった。
 アリのこの本を読む限りでは、この少年期は曲がりなりにも両世界のバランスが取れていて、おおむね幸せな時代だったのではないか、と想像できる。物質金銭的に比較的に豊かだったブーローニュ家側と、派手だがかなり貧しかったニコ側という違いこそあれ、並みの少年ならおよそ体験できるわけのない、羨まれても不思議のない両世界を股にかけた青少年期である。その平衡を捨てて、ブーローニュ家を去って、ニコと完全に生活行動を共にするようになってから、アリの”地獄の季節”が始まるのだが、アリはその選択を全く後悔していない。地獄の描写はかなりリアルであり、後半はちょっと読むのを投げ出したくなるようなパッセージの連続である。

 この本の主題からやや離れるが、観点を少し変えてみよう。この物語の中では、あらゆる地獄渡りの局面で、必ず助け舟を出す人間が現れる。なぜか。私はそれは造形的に異論の余地のない美貌のおかげだと断言できる。どこにいようが、人を振り向かせずにはおかない美貌を持った人間は、それを持たない人間とは人生の密度がまるで違うものである。美しい少年は、それ自体が詩である。実際アリはベルナール・シャスという詩人に熱愛され、多くの詩を捧げられている。またアリを診た精神分析医もアリに恋い焦がれて苦悩していた。女性たちもしかり。この美しい創造物のために援助を惜しまない女性が次から次に現れる。どんな地獄の底でもこの美貌は彼を救ったに違いない。アリは十分それに自覚的であったはずだ。生半可なナルシストというレベルではない。その美貌は多くが父の血からさずかったものと言えよう。世界中の映画ファンが称賛しているあの美男俳優の顔が、毎朝鏡の中に映し出されるのである。アリは息子として認知されないことでドロンを恨んではいるが、自分を救っている美貌という授かりものには感謝しているに違いない。

 読まれ方は千差万別あろうが、宿命的にこの本はアラン・ドロンに絡む芸能暴露本として話題になることは避けられない。そうでないとこの本は誰からも注目されないだろう。売れる本として世に出したい出版社としてはドロンねたは多ければ多いほどいい。だがアリの文章はそれをできるだけ制御したい配慮はしてある。この本の悲劇はここなのだ。レ・ザンロキュプティーブル誌のインタヴューでアリは「人の興味は自分にあるのではなく、自分の父と母にだけ集中する」と言っているが、まさにその通り。
 ニコが1988年に死んだ時、アリは25歳だった。今、アリは38歳になった。エディット・ブーローニュも今や故人となった。発表の機会のほとんどない写真家、作家、詩人として、アリは今貧しくパリで生きている。この本を書くきっかけとなったのは、長男シャルルの誕生である。自身の父ドロンとは対局であるように、自分の半生を包み隠さず子供に聞かせるように、アリは緊急にこの本を書き、過去に落とし前をつけようとしたのだ。それはドロンへの復讐心と父の愛の渇望がごっちゃになったものである。
 このベストセラー本の印税は少しはアリの生活を楽にするかもしれない。しかし、その美貌と彼を取り巻く”セレブリティー”たちの行状の記述以外、アリという若きルーザーの記録に、彼自身の文章表現の魅力と彼自身の生きざまの魅力を、私をはじめ多くの人たちは読み取ることができないように思う。この痛々しさは印象に長く残らない。
 おそらくこの本の最大の山場として読まれるだろうパッセージは、アラン・ドロンの運転する車の中でのこのドロンのセリフである。
アラン・ドロンは片手でハンドルを持ち、片手を私の肩に置いて、こう語り出した;「おまえは俺のダチだ、わかるか? おまえは俺のダチ。だがこれだけは言っておく。おまえは俺と同じ目をしていない。おまれは俺と同じ髪質ではない。だからおまえは俺の息子じゃないし、未来においても俺の息子になることなどありえないんだ。俺はおまえの母親と一度しか寝ていない。おまえの父親、それは”ポレオン”さ」
(p229)

ポレオンなるどうでもいい口からでまかせの名前を出して、ドロンは父と子の縁を全否定する。この本の核心的な部分はこの箇所ではない。だが、この映画的な図を誰もが鮮明に想像できるこのシーンは、この大役者によって演じられたら、アリは絶対的に不利である。この冷酷な拒否を突きつけられたアリの深い悲しみは、大名優ドロンの演技の前で完全に軽くなってしまうのだ。別の表現をすれば、この残酷なシーンの大いなる悲しみをアリの文章表現は伝えられないのである。この本とアリという存在のコンプレックスはまさにここなのである。

(↓)2001年4月、ティエリー・アルディッソンのトークショー番組"Tout le monde en parle"(国営テレビFrance 2)で、自著『愛は決して忘れない(L'amour n'oublie jamais)』を語るアリ・ブーローニュ


(↓)2002年公開のレティシア・マッソン監督映画『La repentie(更生した女)』(主演イザベル・アジャーニ、サミ・フレイ)に出演したアリ。モロッコ・レストランでのシーン。

2023年5月16日火曜日

映画と訣別したアデル・エネルは闘士になった

レラマ誌2023年5月10日号は、5ページを割いてもう4年も映画を撮っていない女優アデル・エネルを追跡する記事を発表した。2020年2月28日、フランスで最も権威ある映画賞であるセザール賞のセレモニーで、多くのフェミニスト団体の抗議にもかかわらず、ロマン・ポランスキー監督の『J'accuse(日本公開題”オフィサー・アンド・スパイ”)』が監督賞を含む3部門で受賞したのに激昂して席を立ち、「なんたる恥!」と叫びながら駆けるようにセレモニー会場を退場したアデル・エネル。自ら未成年女優だった頃に映画監督から性暴力被害を受けていたことを告発したアデル・エネル。当時大きなうねりの運動となりつつあった#MeToo ムーヴメントの映画芸能分野での旗手的シンボルとなっていたアデル・エネル。かのセザール賞から3年を過ぎて、現在34歳のアデル・エネルは、マクロンの年金改革法反対闘争で激動するフランスのあちらこちらにいて、短い髪、すっぴんの顔、ウール帽、菜っ葉コート、ナップザックという出で立ちでスト労働者たちのかたわらに立ち、デモ隊のひとりとしてシュプレヒコールを叫びながら歩む。ノルマンディー地方ゴンフルヴィル・ロルシェの石油精製工場をスト封鎖するCGT労働者たちの集会でマイクを取ったエネルは「私はひとりのフェミニスト、ひとりのレスビアンとしてここに来ました。今、ここでみなさんのように、あらゆる重要な場所でこうして団結できたら、私たちは勝利できると言うためです」と闘士の言葉で言った。
闘争する若い女の肖像(Portrait d'une jeune femme en lutte)」(エネルの最後の映画『火のついた若い娘の肖像 Portrait d'une jeune fille en feu』のもじり)と題されたテレラマ記事(→写真)は、もはやセザール賞やカンヌ映画祭といったものとは全く縁を切ってしまったエネルの現在を伝える。同誌のインタヴューの申し出をエネルは拒絶し、その代わり約70行の書簡で、彼女が映画と訣別した理由について言明している。それは性暴力者たちを許容擁護するだけでなく、環境破壊と貧困の増大を加速的に推し進めるリベラル資本主義に直接的に加担している映画産業へのノンであった。その文体はアジびらのようであり、その政治的闘士的なディスクールは激しい。言い換えれば極左的であり(実際彼女は新生の極左組織”Révolution permanente 永続革命”に属している、あるいは近いところにいるとされる)、男性原理社会と巨大資本支配には憎悪/敵意を剥き出しにする。痛々しさすら感じてしまう。闘士として歩み始め、おそらく振り返ることのないであろうアデル・エネルの選択を尊重しながらも、同記事は”Le cinéma français a, lui, perdu l'une de ses actrices les plus précieuses"(フランス映画の方は、その最も貴重な女優のひとりを失ったのである)という結語で閉じられている。

 今から3年前、私はアデル・エネルのセザール賞セレモニー退場という事件を生中継のテレビで見ていて、その衝撃をラティーナ誌2020年4月号に記事として書いた。紙版ラティーナ誌廃刊の1ヶ月前の号であった。記事にはポランスキー映画"J'accuse"のこと、エネル退場を全面支持する作家ヴィルジニー・デパントのリベラシオン紙上での檄文についても触れてある。その夜、何が起こったのかをもう一度知っていただきたく、以下に再録します。

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この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で、2020年4月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。
 
2020年度セザール映画賞に何が起こったか

突だが、228日から日本で公開になっているフランス映画『レ・ミゼラブル』(ラジ・リ監督作品。2019年カンヌ映画祭審査員賞、2020年セザール賞最優秀映画賞)、コロナウィルス禍にめげず、ぜひできるだけ多くの方に観ていただきたい。2005年暴動で荒れる郊外の象徴となった町モンフェルメイユ(93県)の十数年の表面的な鎮静がたった二日で脆くも崩れていくヴァイオレンス溢れる現在進行形のフランス“の映画。これから本稿で詳しく述べる228日のセザール賞セレモニーで、本意ならずとも、最後の最後であのセレモニーのカオスを辛うじて収拾することができた満場一致の”稀有なパワーのある映画と言えよう。
 セザール賞1976年に創設された映画賞である。世界映画史上フランスは(誇り高い)映画発祥国であるから、それまでもさまざまな映画賞があったが、それらは硬派な
批評賞“であり、米国アカデミー賞を頂点とする華やかな映画産業祝典のようなものはなかった。セザールはまさにフランスのオスカーを目指して始められ、映画産業に従事する人たち(監督、俳優、技術者、配給、広報その他、現在の数で4500人ほど)で構成する選考員の投票で賞を決定する年次賞である。世界第二の映画生産国で、アメリカ産のブロックバスター映画に上映館を占領されることなく、独立映画や作家主義映画も重要視する独自の映画文化を築いてきたフランスで、セザールは最も権威ある賞となり、そのセレモニーはフランス映画産業の健在を自画自賛する祭典のような傾向もあった。映画雑誌で例えれば、硬派のカイエ・ド・シネマ誌よりは、大衆派のプルミエール(日本ではプレミア”と呼ばれる)誌寄りであり、産業と大衆に迎合し特殊にアーティーなるものを排除する性質の証左のように、ジャン=リュック・ゴダール、エリック・ロメール、アニェス・ヴァルダ、レオス・カラックスといった映画作家たちは一度も受賞したことがない。それに引き換え、本稿の中心人物のひとりである映画監督ロマン・ポランスキー45年の同賞史で、5回の最優秀監督賞を獲得するという異常に高い受賞率“となっている。

 フランスで最も権威ある映画賞が公正さを欠くという批判はずいぶん前からあった。5000人近い評議員の内訳はどうなっているのか? 政治や大映画会社からの圧力は? そして時代は移り、2017年米国映画界を激動させたハーヴェイ・ワインスタイン事件が起こり、超強大な権力を盾に着たプロデューサーによって長年セクハラおよび性暴力の被害を受けていた女優たちが次々に名乗りを上げ、この映画界の超大物を告発した。#MeToo運動の始まり。女性たちの世界的な性暴力告発運動は、映画、マスコミ、スポーツ、学校、職場、家庭などあらゆる領域に拡がり、女性たちと社会の意識を変えさせていく。201911月、フランス映画界で毎年のように各映画賞にノミネートされてきた女優アデル・エネル1989年生)が、彼女を少女女優としてデビューさせた映画監督クリストフ・ルジアにから12歳から15歳の間に性暴力の被害にあっていたと告発した。映画界でこの種の告発は初めてではないが、フランスのフェミニズム運動の高揚と現政府の男女均等担当相マルレーヌ・シアパと法相ニコル・ベルーベの支援もあり、刑事事件としてルジアへの捜査も始まり、メディアでも大きく扱われ、先月号の記事で紹介したヴァネッサ・スプリンゴラによるペドフィル作家ガブリエル・マツネフ告発と同じレベルで、フランスの #MeTooの最重要事件と見なされている。

 そういう#MeTooの着実な拡がりに沸く女性たちの神経を逆撫でするように、2020129日、第45回セザール賞は評議員第一次投票の結果としてノミネート作品を公表し、その中で最多の12部門でノミネートされていたのが、ロマン・ポランスキー監督作品『オフィサー・アンド・スパイ(J
accuse)』(日本公開予定20209月)であった。英作家ロバート・ハリス(ポランスキー2010年映画『ゴーストライター』の原作者)の小説でドレフュス事件1894年フランスで起こったユダヤ人ゆえにスパイ冤罪をかけられた陸軍少尉の実話事件)を題材にした『D.(士官とスパイ)』を原作として、ポランスキーが7年の年月をかけて巨額予算で制作したオールスター配役の大作である。

←ジャン・ド・ジャルダンに演技指導するポランスキー)    1113日に公開になったこの映画は封切前から賛否両論に割れ、反対派に押された形でテレビなどでの映画プロモーションが取りやめられたが、実際公開になってみると観客は上映館を満員にし、映画の評価は高かった。国際的にヘイトクライムが急激に(ふたたび)顕在化している昨今、19世紀末フランスを動揺させたドレフュス事件の実話に基づき、陸軍上層部による冤罪と反ユダヤ思潮の台頭にただひとり立ち向かう義憤の士官ピカール(演ジャン・デュジャルダン)の姿はたしかに感動的だ。私が観た映画館でも上映後拍手が起こった。では何が問題なのか? 問題は映画ではなくポランスキーその人なのだ。1977年に13歳の子役少女をレイプしたことで有罪判決を受けたあとも、十数件の女優暴行で訴えられている。この男が、何ら罰せられることなく、国際映画産業に保護されて、のうのうと映画監督として創作活動を続けている。ポランスキーを映画界から追放して、法廷に引きずり出せ ― この声は女性たちだけのものではない。
 セザール賞にこの作品が最多の12部門でノミネートされた時、批判は女性団体からだけではなく、映画人たちからも激烈なものがあり、セザール賞運営の不透明さが非難された。まず評議員の男女比率が7対3で、これでは女性たちの声が圧殺される。男女比率が均等ならば、ポランスキーがノミネートされる可能性はないはずだ。その他その旧態然とした運営体制を糾弾され、213日、セザール賞会長アラン・テルジアン(2003年から在任)と幹部らが総辞職し、2021年度(第46回)前に運営体制大改革を行うこととした。つまり、今回の第45回は変革前最後のセザール賞として、その前もって選出された候補作品はそのまま残って228日のセレモニーを迎えたのである。

 その中に10部門でノミネートされた有力候補作品としてセリーヌ・シアマ監督映画『火のついた若い娘の肖像(Portrait de la jeune fille en feu』(2019年カンヌ映画祭脚本賞、アメリカでの興行が好調で、2月現在全世界での観客動員数が百万人を突破。日本配給はギャガだが公開日未定。→ 韓国上映版のポスター)があり、作品賞、監督賞の他に主演女優二人(ノエミー・メルランとアデル・エネル)が両方女優賞にノミネートされていた。18世紀フランスの田舎貴族の娘で野生的な美をたたえたエロイーズ(演アデル・エネル)の見合い写真ならぬ見合い肖像画を依頼された画家マリアンヌ(演ノエミー・メルラン)の間に芽生える恋と、運命を自らのものにしたい女性たちの確執と静かな抵抗を描くフェミニストな美しい作品である。この一連のコンテクストにあって、アデル・エネルの主演女優賞ノミネートは大きな象徴であり、一方にある性犯罪者ポランスキーの放免状態を絶対に許してはならないとする女性たちの代弁者としてエネルはメディアに露出しておおいにその怒りを表明していた。
 ポランスキー擁護者たちは「作家と作品を分けること」という論を展開した。人物は糾弾されても、作品は評価されうる。文学の例で言うと、ルイ・フェルディナン・セリーヌという人物はナチス協力者・ユダヤ排斥主義者として弾劾されても、『夜の果てへの旅』は20世紀文学の傑作であり、ルイス・キャロルはペドフィルだが『不思議の国のアリス』は児童文学の古典である。ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』、『チャイナタウン』、『テス』など私も若い日に夢中で観たし、傑作だと思っている。芸術家としてのポランスキーを評価せよ、と擁護者たちは言う。だが、ポランスキーの作品に賞という栄誉を与えることは、ポランスキーその人(芸術家としての分身だけでない全的な人格)をも栄誉で祝福してしまうのである。

 2
28日、ポランスキー側は同賞セレモニーに監督も出演俳優も制作スタッフも誰も出席しなかった。セレモニー会場であるサル・プレイエルの外にはフェミニストのデモ隊が結集し、ポランスキー弾劾を叫んでいた。

 2月28日、セザール賞セレモニーの司会役は誰もやりたくなかったと言う。その貧乏くじを引いたのが、漫談家/女優のフローランス・フォレスティ
←写真)であり、自らフェミニストであることを公言する彼女は、散々に批判された賞運営体制をそのまま引きずった状態で、なんとか(得意の)笑い“で体裁を保つという役目を任された。連発されるそのギャグは辛辣で毒があり、ポランスキー論争を舞台に載せるのを避けるべきという「空気読み」を無視し、ギャグが凍りつく場面もあった。彼女はこのセレモニーでポランスキーが1部門でも受賞しないことに賭けていただろう。しかしセレモニーは後半に入り、「コスチューム賞」、「小説翻案映画賞」がポランスキー『オフィサー・アンド・スパイ』に与えられていく。
 そして当夜の山場のひとつ、主演女優賞はアデル・エネルではなく(ノエミー・メルランでもなく)、アナイス・ドムースティエが受賞した。素晴らしい女優であり文句はないのだが、何かを勘ぐりたくなる。

 深夜零時が近づき、あと2つの賞(最優秀監督と最優秀映画)しか残っていない大詰めにカタストロフはやってきた。最優秀監督賞の受賞者としてロマン・ポランスキーの名が場内に響き、その声と同時にアデル・エネルが席から立ち上がり、「恥辱よ!」と言い放ち、出口に向かって足早に進んでいった。このシーンはニュースメディアとSNS上で何百万回とリプレイされることになる。



 その夜、猛烈な憤怒を抑えられなかった作家ヴィルジニー・デパント(本連載201510月号と20177月号で紹介した『ヴェルノン・シュビュテックス』三部作の作者)は、火を吹くような激情の非難文(160行)を一気に書き上げ、リベラシオン紙に投稿した。『これからは立ち上がり、ずらかることだ』と題されたそのトリビューンは31日に同紙ウェブ版に掲載され、さらに32日付けの印刷版に載った。その論調は暴力的で破壊的で、映画産業を牛耳る特権的超資本階級がその特権を臆面もなく見せつけるためのセレモニーだったとし、金の支配への服従と敬意の強制は、もはや制限がない。

人々が彼らに払わなければならない敬意は、今後は彼らが強姦する子供たちの血や糞で汚れた彼らのイチモツにまで及ぶものとする。
 沈黙と敬意を強要し、何も変わらないことが良いとする抑圧者たちはフランスで仮面を脱ぎ捨て、「黄色いチョッキ運動」や年金法反対闘争ストライキを警察権力を暴力的に行使してなりふり構わず圧殺するだけでなく、年金法を国会で「憲法493項」(通称49-3、討議投票抜きの法案可決を許す憲法条項)で強行突破する圧政者政権とパラレルであるとデパントは喝破する。これはもう女性たち対家父長性男性原理システムとの戦いではなく、被支配人民対支配者層の戦いである。そしてその中で道化を演じることをやめて、席を立って頭(こうべ)を高くして退場したアデル・エネルへの称賛。
そうよ、私たちはコナス(バカ女)よ、私たちは汚辱された者、そうよ、私たちは口をつぐんであんたたちの出すご馳走を食べていればよかった、あんたたちはボスであり、あんたたちには権力があり、それ相応の鷹揚さもある。でも私たちはもう何も言わずに座り続けるのはやめるわ。私たちはもうあんたたちをリスペクトしない。出て行くわ。あんたたちのバカ騒ぎは仲間うちだけでやっておいて。祝福し合いなさい、お互いに侮辱もしなさい、あんたたちの足元にやってくるすべての人たちを殺しなさい、強姦しなさい、搾取しなさい、クスリ漬けにしなさい! 私たちは立ち上がり、ずらかるわ。これはこれからの未来を暗示するイメージとなろう。ここには男と女の違いなどない。あるのは非抑圧者と抑圧者の違い。言論を奪いその決定を強要しようとする者たちと、立ち上がって怒りの声を上げてずらかる者たちの違い。
 
 アデル・エネルはあのセザールの真夜中から、#MeTooのシンボルから、すべての非抑圧者の代表として立ち上がり背を向けて退場した私たちのシンボルになったのだ。

 エネルはひとりではなく、あの真夜中、司会のフローランス・フォレスティも楽屋で「ムカつく(
écoeurée)」とインスタグラムに書き込み、二度とセレモニーのステージに昇らずに、ずらかった。

 翌日のニュースメディアはポランスキーの受賞を「スキャンダル」と論じるものばかりではなく、エネルとフォレスティの怒りの退場をも「スキャンダル」と報じるものもあった。そして暴力性と悪意も込められたデパントの特別寄稿もまた反響には賛否両論があった。時期を同じくして、米国ではワインスタイン裁判が始まり、栄華を誇ったワインスタイン帝国は崩壊した。これは前進するために倒すべきシンボルであり、アメリカ映画界は女性たちが性暴力のタブーと男性(資本)原理の大きな象徴を突き崩した。フランスにそのシンボルがあるとすれば、それはまさにポランスキーであり、セザール賞であるということがはっきりした。

 これを書いている今日、
3月8日、国際「女性権利」デー、コロナウィルス禍の脅威にもかかわらず、フランス全土で女性たち(+女性の権利を理解する男性たち)のデモが行われ、1週間前のセザール賞のショックはそのデモにも反映され、ポランスキー受賞への抗議、アデル・エネルへの支持がプラカードに見られ、シュプレヒコールで聞こえる時、私はフランスの映画にまだ未来はあると信じられるのだ。

(ラティーナ誌2020年4月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)

(↓2023年5月、極左系フェミニスト集会「パンとバラ Du pain et des roses」でスピーチするアデル・エネル)

2023年5月5日金曜日

It's a boy, I'm the boy

Aki Shimazaki "Niré"
アキ・シマザキ『楡』


アキ・シマザキの第4のパンタロジー(五連作)は、『スズラン』(2020年)、『セミ』(2021年)、『野のユリ』(2022年)と続いてきたが、この『ニレ』はその第4話。シマザキの通算で19作目の小説にあたる。次作で完結するこのパンタロジーは、前作『野のユリ』まで五連作総題がついていなかったが、本作から”Une clochette sans battant"と名づけられている。直訳すると”打ち舌(ぜつ)のない小さな鐘”ということになるが、形状から判断してスズランの花のことと理解できる。この第4パンタロジー”Une clochette sans battant"の前3話については爺ブログで全部紹介しているので未読の方は(↑)の青いリンクから参照してください。
 時代は「令和」期、場所は山陰地方鳥取県米子市、中流家庭「楡(にれ)家」の物語である。まもなく結婚50年(金婚)を迎えようとする老夫婦(テツオとフジコ)は既に住み慣れた家を離れて老人施設で暮らしている。妻フジコはアルツハイマー性認知症がかなり進行している。二女一男の子供がいたが、長女キョーコ(派手好き、男好き、都会好き、国際社会で活躍するキャリアウーマン)は初の子供スズコを出産したのち癌で死んだ。スズコの父親でキョーコのフィアンセだったユージと恋に落ち、フジコを養子に迎えてユージと再婚したのがキョーコの妹で名のある陶芸家となっているアンズ(バツイチで前夫との間の男児トールを育てていた)。ユージが東北大震災で両親ほか身内を失っていたので、アンズとユージは婚後「楡姓」を名乗っている。楡家の末っ子にしてただ一人の男児がノブキ(=今回の小説の話者)、職業は土木技師だがセミプロ級のクラシック・ギタリストで、妻のアヤコはクラシック・ピアニスト/ピアノ教師である。この夫婦にはすでに二人の娘がいて、小説はアヤコが三人目の子供を懐妊するところから始まる。
 ノブキは波乱に富み浮き沈みの激しかった二人の姉(キョーコとアンズ)と対照的に、波風の少ない”まともな”生き方でここまで来ていて、まともな職業(土木技師)で固い収入を得ながら、気の合うピアニストと恋愛結婚をし、二人の子供をもうけ、家屋を購入し、今三人目の子の誕生を待っている。ところがシマザキの小説であるから、この平凡な生き方にも日本風土の問題が黙ってはいない。それはフツーの家のフツーの長男たる者のアプリオリな責務であり、家督を継ぎ、両親と同居し、その老後の世話をして最後まで看取ってやる、ということである。それはまさに両親テツオとフジコが切望していたことであったが、ノブキはアヤコとの結婚の時に両親との同居を拒否していて、テツオとフジコはその長男夫婦の決断におおいに落胆している。2020年代の日本において、男系家父長制の世襲の問題とそれに連繫する親の介護問題、これをシマザキは非日本語系読者たちに強調しておきたかったのだろう。ノブキはそこから逃げたわけではない。フジコのアルツハイマー系認知症が深刻になった時点で、両親が実家で日常生活を営むことは困難と判断し、夫婦での上級の老人施設入りを手配したのはノブキだった。これだって”長男の仕事”ではないか。
 ところがフジコの認知症が日に日に悪化していき、身内ではテツオしか認識できなくなってしまい、そのテツオも今のフジコの頭では”自分との結婚前のフィアンセ”の優しい人でしかない(この状況はこのパンタロジーの第二話『セミ』に描かれている)。そして断片的に戻ってくる記憶をもとに、ノブキが「僕はあなたの息子のノブキですよ」と自己紹介すると、フジコは「私には二人の娘しかいない、男の子はいない」と言ったのである。これにはノブキは大きな衝撃を受け、悲嘆するのだった。
 このパンタロジーの前3話まで読んだ読者には、すでにノブキがテツオを父とする子供ではないということを知ってしまっているので、この第4話に何のサスペンスもない。にもかわかわらずシマザキはこの第4話を、ノブキ自身による”出生の秘密”発見のストーリーに仕立てたのである。だから先が見えている興醒め感と共に読み進むことになるのだが、シマザキはこの秘密発見ストーリーの最重要の小道具として、フジコの日記を登場させる。自分にアルツハイマー系認知症が始まっているという自覚があり、自分の記憶が確かなうちに書き残しておかなければならないことがある、という使命感からフジコはノートのページを字で埋めていく。そしてそのノートは実家にあったノブキが小さい頃に使っていた勉強机の引き出しに隠してあったのだが、いつしか湿気でその引き出しが開かなくなり、フジコの認知症も進み日記の存在も忘れ去られ...という設定。かなり無理がある。アルツハイマーの自覚、記憶を失っているという自覚、誰に残すつもりで書いているのか判然としない”遺書”的性格の日記、それに何を食べたとか何を買ったとか日常記録の記述が多くを占める日記...。それを発見したノブキも一気に読めない量ではないだろうに、何ヶ月もかけてゆっくり読み進めていく、という...。とまれ、ノブキはその日記を通して、自分からは見ることができなかった母フジコの実像を発見していくのである。
 唐突に諸姉諸兄に問いたい:日記とはアプリオリに真実が書かれてあるものなのか?日記に虚偽の記述はないのか? - 人は日記にウソや自分に都合が良いように曲げた記述をするものだと思いますよ(少なくとも私のはそうですよ)。だから、こういう”日記の中に真実が隠されている”式の小説の組み立て方というのは、浅薄だと思うのですよ。とりわけ心の病を進行させている人物が、時間や場所や真偽の区別などが曖昧になって、名前がごっちゃになったり、てにをはが怪しくなったり、さまざまな交錯したエクリチュールがあって当然だと思うのだけど。この小説が無条件に(整然と記述された)フジコ日記を土台にして展開するのは、どうしたものなんでしょうね。ま、それはそれ。
 ノブキが発見するフジコとは、家族と義父義母の世話に忙殺する自分を顧みることがなく隠れて浮気までしていた夫テツオへの不信の時期があったこと、夫が改心したかのように家庭を大事にするようになったのはノブキの誕生がきっかけであったが、その出生の秘密を夫は知らない、しかし義父義母はノブキが3歳の頃にその秘密に気付いたのかフジコに強烈なハラスメントをかけ始める.... そういったことを誰にも言えずひとり耐えていた母/ひとりの女性の姿であった。
 義父母から受けたハラスメントとは、ノブキに楡家の家督は継がさせない、というものだった。ノブキの生物学的父親がテツオではない、という理由からのことであるが、この義父母はそのことを公にすることは絶対にしない。それはそのまま楡家の大醜聞となって楡家全体が不幸になるから。これをフジコは「過ち、事故 accident」として、義父母にずっと詫び続けるが、ノブキを”孫”として認めて欲しいという嘆願も義父母が亡くなるまで続けなければならなかったのである。
 この小説の核心は、この男系家父長制度と血縁絶対主義の21世紀的日本での重さ、ということになるかもしれない。当時事情を何も知らなかったテツオと違い、義父母の死後、ノブキ夫婦との同居/実家継続をテツオよりも強く希望したのはフジコだった。フツーに独立志向が強く、親(or 義父母)との同居/面倒見など御免蒙りたい”モダン”なアヤコとノブキはそれを頑なに断り続けた。フジコの頭の中では、ノブキ夫婦が実家に”入城”することこそ、義父母から受けたハラスメントからの解放であったのかもしれない。しかし。
 小説は同時に日本的な親と子の”身分差”が消えていく過程の物語でもある。これをシマザキは、「おとうさん」「ノブキ」と呼び合っていた関係がある日から「オヤジ」「セガレ」と呼び方が変わる過程として表現している。「オヤジ」と「セガレ」は男と男として同等の関係の成立を象徴している、と。調子に乗ってノブキはフジコを「オフクロ」と呼んでみたいわけだが、今のフジコにとってノブキは名も知らぬ「親切なムッシュー」でしかない。
 この「セガレ/オヤジ」関係のクライマックスは、最終盤にフジコ日記その他で自らの出征の秘密を知ったノブキが、テツオにそれを告げようとした時、テツオはそれを遮り「どうやってそれを知った?」と問い、ノブキは「母の日記を読んだ」と答える。テツオは「おまえが真実を知ったということが重要なことだ」と言い、
Rien ne changera jamais entre nous.
俺たちの間は未来永劫何も変わらない
と。そこでノブキは「オヤジ...」と声を震わせる。チョーンと木が入ってハッピーエンド。

 この大団円のクレッシェンドはアヤコ(ノブキの妻)の第三子出産という劇的瞬間に向かって同時展開されるのである。ノブキ/アヤコ夫婦は、テツオ/フジコ夫婦と全く同じように、二女に続いて第三子はギャルソン。この子は自分と同じように楡家にとって運命的な存在になる、という男系家父長制度の封建思想がノブキに芽生えたかもしれない。この子は楡家の家督を継ぐ者 --- おおいやだいやだ。だが流れはそうなってしまっている。ノブキはこの子に「楽斗(ガクト)」という名をつける。音楽の上戸(じょうご)。学の音(ね)を汲み取る柄杓。音楽が縁で知り合った音楽を愛する夫婦の子供。上等じゃないですか。これにはもう一つのいわくがあり、このフジコ日記その他で知った母の生涯の中で、母が女学生時代に最初に想いを寄せていた上級生ピアニストの愛称が「ガクちゃん」であり、母のクラシック音楽愛の発端となった人物であった。ノブキはわが息子を「ガクちゃん」と呼ぼうと決めた。このガクちゃんという呼び名が、失われたフジコの記憶の奥すみから蘇ってくれれば、という願いを込めて。そしてフジコはテツオに付き添われて、「親切なムッシュー」の生まれたての赤ちゃんを見に来る。ノブキは、フジコにこの子はガクちゃんだよ、と。その名を聞いて、急にフジコは表情を変え、固まってしまう。しばらくじっとガクちゃんの顔を見つめ、こわばった表情がおだやかになり、こうつぶやいた。
C'est mon fils, Nobuki....
これはノブキ、私の息子...

ね?エモーショナルでしょう? なんだかんだ言いながらも、私がシマザキを読み続けるのはこういうシーンがあるからなのだよ。文句が吹っ飛んでしまう。で、このパンタロジーの次作、つまり第5話完結編であるが、私はこの「ガクちゃん」と呼ばれたピアニストが主人公になるであろう、と確信的な予言をして、このレヴューを閉じることにする。

Aki Shimazaki "Niré"
Actes Sud刊 2023年5月3日 140ページ 16ユーロ


カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)"It's a boy" (The Who's Tommy、1975年ケン・ラッセル映画)


(↓)"I'm the boy" (セルジュ・ゲンズブール、1986年ゼニット・ライヴ)


(↓)"Le Garçon" (ヴァンサン・ドレルム 2016年)