2020年6月22日月曜日
ヴェルノン・シュビュテックス I & II
この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で2015年10月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。
元レコードショップ店主のホームレス男ヴェルノンが人類を救済するまで
(in ラティーナ誌2015年10月号)
Virginie Despentes "Vernon Subutex I & II"
ヴィルジニー・デパント『ヴェルノン・シュビュテックス I & II』
(Grasset刊 I 2015年1月、II 同年7月)
2015年1月7日、パリで風刺週刊誌シャルリー・エブドの編集部がイスラム過激派に襲撃され12人が惨殺された日、二篇の小説がフランスで刊行された。ひとつはミッシェル・ウーエルベック『服従』(2022年のフランスにイスラム政権が誕生するという近未来フィクション。日本語訳本は2015年9月17日発売)と、ヴィルジニー・デパントの『ヴェルノン・シュビュテックス・I』である。前者はその衝撃的な予言性とテロ事件とのタイミングの一致によって、メディアでの轟々の騒がれ方を受けて即座にメガベストセラーとなったが、後者はその影にありながらも書店ベストセラーの2位を長く保ち、アナイス・ニン賞ほか3つの大きな文学賞を獲得して、確かな評価をものにしていった。
インターネット時代の到来によって倒産したパリのレコードショップのオヤジ(50歳)が、手元に取っておいたわずかなコレクター盤を小出しにネットオークションに出して生活の糧を得ていたが、その蓄えもなくなり、家賃も払えなくなりホームレスに転落する。小説の始まりはこんな感じ。破産レコード屋のおやじ、これがこの小説のヒーローである。『ヴェルノン・シュビュテックス・I』と題しているように、これには第2部が続き、第3部で完結する予定の大長編小説(総ページ数1200)である。最初に紹介したように第1部は1月に、そして第2部はこの7月に発売され、完結編第3部は来春刊行の予定で現在執筆されているという。私事であるが、私は7月に腹腔内出血で緊急入院/手術という突発時があり、7月後半から8月前半まで静養を余儀なくされたので、その間に第1部と第2部の計800ページをじっくりと読み通すことができた。安易な感情移入と言われるかもしれないが、私はこの小説の時代と業種の環境の当事者のひとりであり、ヴェルノンのようにレコードショップを持っていたわけではないが、同じ業界の物流・卸の会社をやっていて、インターネット配信時代の到来で大打撃を受け、このヒーローのように倒産→失業→ホームレスの道を辿っても何の不思議もない場所にいた。幸にして私は家族に救済されてまだ首をつないでいるが、この業界は21世紀に入ってから多くのわが同業の仲間たちを葬り去った。われわれはこの世界のルーザーである。
ヴェルノンはパリ11区レピュブリック広場の近くに「リヴォルヴァー」という名のレコード店を持っていた。80年代から90年代、パンク、オルタナティヴ、ヒップホップ、エレクトロ.... レコード屋は音楽を求める若者たちのアリババ巣窟であり、店主のアニキはその良きガイドであった。「それを聞いて気に入ったのなら、次はこれだな」という盤をすっと差し出し聞かせてくれる。批評する、討論する、笑い合う、黙って聞く、レコード屋に通い詰めるようになる。金に頓着しないコレクター、買う金がなくてもレコードを聞きに来る耳肥えのリスナー、万引きするとわかっているのに店主が大目に見てしまう常連、ミュージシャン、DJ、ライター、ジャンキー....。ヴェルノンの店は解放区だった。レコードがCDに代わろうが、大型店(Fnac、ヴァージンメガ)が進出してこようが、ヴェルノンの店は平気だったのだが、インターネットには勝てなかった。秘蔵ストックのコレクター盤をネットオークションで売って生き延びてきたが、遂にそれも尽き、自宅家賃が払えないところまで困窮していく。
フランスで人気の頂点にあった美しい黒人のポップロックアーチスト、アレックス・ブリーチは、売れる前から「リヴォルヴァー」の常連で、ヴェルノンを兄のように慕い、店が潰れて家賃も払えなくなったヴェルノンにその家賃2年分に相当する金額を援助していた。しかしこの麻薬ジャンキーのポップスターは、その絶頂時に死体で発見され、死因はオーヴァードーズと判定された(他殺説もあり)。アレックスの死によって家賃援助の源を絶たれたヴェルノンは、強制的にアパルトマンを追われ、路上の人となる。
この窮状を人にさとられることなく人の家に転々と居候できるように、ヴェルノンは自分のフェイスブックページに「カナダから一時帰国中、一時宿泊先を求む」と告知を出す。すると男女問わず「リヴォルヴァー」の元常連客たちが次々と名乗りを上げてくる。伝説のレコード屋オヤジは(かつて濃厚な関係にあった女たちを含めた)旧友たちの住処に身を寄せて、そのおのおのの個人たちがかつてユートピアのようなレコードショップに集っていた時代から現在に至るまでどのような変遷をとげたかを目の当たりにするのである。元ロックバンドの女ベーシスト、夫と子供を捨てて自由になった中産家庭ジャンキー女、将来を嘱望された新鋭映画監督から売れないシナリオライターに転落した男、根っこのところでは気は優しいのに激昂しやすく暴力を自制できずDVで家庭を崩壊させた男、行動的左翼から行動的極右に転じた男、亡き母への反抗からイスラム過激派に接近した少女、ヘテロからレズに転じた女、レズからトランス(男)に転じた女....。この小説は、2015年的現代のパリに生きる多種多彩な傾向の個人群像が網羅的に描写されていて、このことを大手日刊新聞パリジアン紙は19世紀の大文豪オノレ・ド・バルザックの全作品の総称として名付けられた「人間喜劇」を引き合いに出して、「生きていたらバルザックがおおいに楽しむに違いない現代版人間喜劇」と称賛した。
事件はスーパーポップスター、アレックス・ブリーチが死の直前に、極度の酩酊状態で自撮りのオートインタヴューを録画していて、その録画現場で酔いつぶれて眠っていたヴェルノンがその内容を知らないままこの録画ディスクを託されていた、ということに始まる。アレックスが死に、自分は宿無しとなったヴェルノンは、このスーパースターの自撮りインタヴューがその筋のメディアに売り込めばかなりの金になるはずだと皮算用して、こういうヴィデオを持っているちおうことを居候先のシナリオライターに漏らす。この情報が漏れるや、このヴィデオを何とか誰よりも先に手に入れようとする人間が複数現れてくる。ブリーチをずっと追いかけていた女音楽ジャーナリスト、ブリーチの暴露によって自分の地位が吹っ飛ぶと確信している映画テレビ界の大物プロデューサー、そしてそのプロデューサーに雇われた元私立探偵の女通称ラ・イエーヌ(ハイエナ)....。ヴェルノンに大なり小なり関係する多数の人間たちを巻き込んで、このヴェルノン追跡・録画ディスク争奪合戦が(ヴァイオレンスを含んで)激しく展開される。 わけもわからず遁走するヴェルノンはいよいよ正真正銘のホームレスに転落し、電話もインターネット環境とも縁がなくなってしまうが、ヴェルノンのフェイスブックページは本人関係なく一人歩きを始め、ヴェルノンを見かけたという情報や、ヴェルノンを擁護する/糾弾するの論争書き込みで、日に日に膨れ上がっていく。 問題のヴィデオにはアレックスの死の真相だけでなく、アレックスのガールフレンドのひとりだった絶世のポルノ女優ヴォトカ・サナタの謎の死の鍵を握る証言が含まれている。それはフランス芸能界の暗黒部を暴き、その背後の国際資本まで戦慄させる秘密かもしれない、というスケールの大きなミステリーワールドに突入していく。
渦中の人ヴェルノンは満身創痍でパリ19区の丘の上にあるビュット・ショーモン公園の 人目から隠された奥地に逃げ込み、ホームレス仲間たちに助けられて原始的環境に順応してもはや壁に囲まれた空間で眠ることができないほど"野の人”となり、しだいに仙人と化していく。ヴィデオ争奪の騒ぎから始まったヴェルノンを追う人々の数は雪だるま式に増大して、それらすべての人々がソーシャルネットワークで飛び交う情報をあてにして大挙してビュット・ショーモン公園に集まってくる。
そして遂にヴェルノンは姿を現す。すべての追手たちが見守る中、丘からふらふらと降りてくるその眼光するどい痩せこけた男、彼らはその姿に聖者を見てしまうのである。ヴェルノンを追ってきた多種多様な人間たちが、利害や思想や立場の違いを超えて、この男の磁力によってここまで引き寄せられてきたことを悟る。そしてその周りには知らない間にホームレスから金満ブルジョワまでを含むひとつのコミューンが出来上がっていたのである。
ビュット・ショーモンの丘の上にある(実在する)カフェテラス「ローザ・ボヌール」(右写真)が、このコミューンの溜まり場となり、それはまるでヴェルノン教信者の集会場のようであり、この信者たちは日を決めてパーティーを開くようになる。この聖者は説教を垂れるわけではない。言葉少なく、重要なことなど何一つ言わないが、ヴェルノンはミックスした音楽を聞かせるだけなのである。ターンテーブルなど使わず、スマホひとつとUSB接続のできるオーディオ装置があれば、ヴェルノンは極上の音楽を流すことができる。この聖者はDJなのだ。そして彼のミックスした音楽はどんな人間でも踊り出さずにはいられない。ハメルンの笛吹き寓話のようなものだ。ハッピーにさせ、陶酔させ、涙を流させる。こういう音楽の魔力がこの小説では何度か現れる。
作者ヴィルジニー・デパントは出自はパンクロックであるが、ジャーナリストとしてロック誌に書いていた過去もあり、ロック&ポップミュージックに深い造詣がある。この小説の中でヴェルノンがミックスする曲名だけでなく、さまざまな場面で流れる音楽の曲名がすべて明記されている。この小説の成功で現れたカルト的なファンたちによって、インターネット上では「ヴェルノン・シュビュテックス・ミックステープページ」が作られ、その全曲を聴くことができる。すなわちこれは壮大な音楽小説でもあるのだ。
小説は第2部まで刊行され、ストーリーはアレックス・ブリーチの自撮りヴィデオの中で、ブリーチのガールフレンドであった有名ポルノ女優変死事件の真犯人が仏芸能界超大物プロデューサーであると証言してあったため、(イスラム過激派に改宗した)女優の娘がプロデューサーに復讐するという波乱のエピソードをはさんで、ヴェルノンと仲間(信者)たちがビュット・ショーモンを離れて、コルシカ島でインターネットもスマホもない状態のコミューン生活を始める、というところまで至っている。来年刊行予定の第3部完結編では、この元レコード屋オヤジは人類を救済してしまうのではないか、と容易に予想できる。われわれ音楽人に距離が近い21世紀寓話である。
作者ヴィルジニー・デパント(1969年生れ)は1993年の第1作小説『ベーズ・モワ(Baise-moi)』(『バカなやつらは皆殺し』という題で日本語訳されている)で、女性の書き手によるセックスとヴァイオレンスのハードコア文体で話題となり、2010年の作品『アポカリプス・ベベ』で仏二大文学賞のひとつルノードー賞を獲得している(因みにこの年のゴンクール賞はミッシェル・ウーエルベックの『地図と領土』であった)。映画監督として2作長編映画があり、2011年の『バイバイ・ブロンディー』(日本上映題『嫉妬』)はLGBT映画の金字塔と評価されている。
『ヴェルノン・シュビュテックス』はデパントの8作目の小説で、大失業時代のフランスの世相、貧困、音楽/芸能界の裏側、極右とイスラム過激派の台頭、ドラッグ、LGBTの事情などを野卑で露骨な語彙/表現を用いながら、今日のパリの現場の現実を描く大作である。この小説で音楽は最重要の役割を担っていて、たぶん救済はここにある。あらゆるレコード屋のオヤジは世界を救うパワーを秘めているに違いない。日本語訳本の登場を切望する。
(2015年8月 向風三郎)
(↓)2015年春『ヴェルノン・シュビュテックス・I』の頃のヴィルジニー・デパントのインタヴュー
↓『ヴェルノン・シュビュテックス III』紹介記事リンク
ヴェルノン・シュビュテックス三部作完結ドラッグ不要の音楽による救済と共同体の夢の果て(in ラティーナ誌2017年7月号)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿