2020年6月28日日曜日

珊瑚で切った足の傷



Elisabeth Anaïs "Une écorchure, une entaille"
エリザベート・アナイス
『すり傷、切り傷』




詞:エリザベート・アナイス 曲:ミッシェル・アンセレム (2004年アルバム "Les Heures Claires"より)

日前、パン切り包丁で左手人差し指の先端を5ミリほどの長さで深く切った。指の付け根をゴムで巻いて止血したが、なかなか止まらず、しかもズキズキした痛みは数時間続いた。指先であってもこの状態では左手全体が使えず、コ禍対策のアルコール消毒や手洗いが難しいのはもちろん、洗顔・髭剃り、スマホ操作、キーボード打ちにも難儀している。長く続く痛み。今も痛い。そういう傷の痛さを歌った歌です。

 エリザベート・アナイスは1959年カンヌ生まれ。歌手、女優の肩書きもあるが、作詞家が一番知名度が高いと思う。歌手としては1983年に初シングルを出していて、アルバムは2枚(1991年 "LES FILLES COMPLIQUEES" 、2004年 "LES HEURES CLAIRES")出ているが、大きな話題になったことはない。80年代に私がアゲソー通りのアパルトマンから密かに発信していたカセット・マガジン BTHで、そのセカンドシングル "Intimidité(アンティミディテ、 "intimidé = おどおどした" + "intimité = 内密" +  "timidité = 臆病”からなるアナイス自身の造語)(1984年)はすごく高く評価していたし、日本のごく一部では記憶に残っているかもしれない。作曲者がマグマの初代(1969 - 1971)ギタリストのクロード・アンジェルだった。クロードは弟のセルマール・アンジェル(スタジオの魔術師)と二人(兄弟なので、当時私は"マルクス兄弟”をもじって "エンゲル(ス)兄弟”と呼んだんだが、いまひとつ諧謔が通じなかったみたい)で、80年代CM音楽の鬼才リシャール・ゴテネールのサウンド(すべて珠玉のシンセポップ)を作っていた。この"Intimidité"もエリザベート・アナイスの弱々しいヴォーカルを支えて余りある極上の編曲でエレポップ・バラードに仕上げていたのだが、まあ、知る人は知っていたのではないだろうか。それはそれ。
 2004年のセカンドアルバムであるが、その前にエリザベート・アナイスは民放M6の新人歌手発掘番組「ポップスター」第2期(2002年)の4人の審査員のひとりになっていて、高視聴率の時もあった(最高で22%)この番組のおかげである程度知名度は上がるのだった。作詞家としてヒット曲もあり、連れ合いがマニュ・ギオ(Manu Guiot)という世界的に名の通った録音エンジニア(ユーリズミックス、ミック・ジャガー、シャルル・トレネ...)ということもあり、長い間音楽界内部にいる"姐御”(当時40代)と思われたのだろうね。審査員として口うるさいこともかなり言ってたし。で、その「ポップスター2期」の優勝バンドWhatForが、テレビ局とレコード会社(AZ、ユニバーサル系)の大予算キャンペーンにも関わらず、シングルもアルバムも全く売れず、一度もコンサートを開けずにポシャってしまう。そうなると、この審査員の面目もまるつぶれではないか。だから、このアルバムもお店で「面出し」してもらっても、「ああ、あのおばさんかぁ」反応だったのではないかな。アルバムの作曲家陣に前述のクロード・アンジェル、既に映画音楽の巨匠ガブリエル・ヤレド、そしてフランスよりも日本で人気の高いジャズ・ピアニストのドミニク・フィヨン(現在汚職裁判進行中の元首相フランソワ・フィヨンの弟)が4曲提供している。また共作詞家としてダヴィッド・マクニールの名も。50人の管弦楽団 Les Archets de Paris も録音に参加している。結構予算が張ったアルバムのはず。こうやって豪華に作られたから、クオリティーが高い、ってもんじゃないのでして。
 さてアルバムで最も美しい歌 "Une écorchure, une entaille"は、蒸発、不在、消えてほしい痛みが消えない、そんなメランコリー。うまい。

彼女はいつも言っていた「彼は旅に出ているの」
たくさんの景色の中のひとつの影みたいなもの
スンダ列島の沖合のきれいな海水に消えていく舟...
私は暗闇の中で
金塊探しやダイヤモンド商人を想像していた
でもその二人のストーリーで私が知っているのは
二人にはたくさんの子供はできなかったということ

それはすり傷、切り傷
長びく痛み
すり傷、切り傷
珊瑚で切った足の傷
ただのすり傷、切り傷だけど
長引く痛み
すり傷、切り傷

私はよく海岸線に沿って歩いた
カモメ、帆のついた舟
海の上を行く飛行機

でも水平線には父親らしい影はひとつもなかった
私には不要なものがなかったのよ
子供時代を形成するあのどうでもいいものが
幾千もの時差があって
私はもうその歳さえもわからなくなっている 

それはすり傷、切り傷
長びく痛み
すり傷、切り傷
珊瑚で切った足の傷
ただのすり傷、切り傷だけど
長引く痛み
すり傷、切り傷

私に呑気なところが全然ないのは
私が好きな男たちをあまり信用しなくなったのは
それはまさに不在のせいなのよ
それはすり傷、切り傷
長びく痛み
すり傷、切り傷
珊瑚で切った足の傷
ただのすり傷、切り傷だけど
長引く痛み
すり傷、切り傷

(↓)"Une écorchure, une entaille" アルバムヴァージョン(オーディオ)


(↓)"Une écorchure, une entaille" Radio Mix (オーディオ)

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