Françoise Hardy "L'Amour fou"
フランソワーズ・アルディ『狂気の愛』
フランソワーズ・アルディ(1944 - )が書いた最初の小説です。出版社であるアルバン・ミッシェル社は表紙にこれを「ロマン(roman)」と銘打って定義しているようですが、発表後のさまざまなインタヴューで自分では「レシ(récit)」と言っています。ロマンとレシがどう違うのか。それは簡単に言うと、レシ(物語)は筋や人物や背景に様式や抑揚や装飾や意匠を凝らさない、単線的な語り物ということです。筋の上昇や下降にわくわくすることのない、なにかドキュメンタリーを思わせるシンプルでストレートなものです。ですから、テレビのニュース番組でも、事件などを時間軸で簡潔に映像で説明することも「レシ」と呼んでいます。
"L'Amour fou"と題された作品は、フランスではシュールレアリスムの開祖アンドレ・ブルトン(1896-1966)の散文集"L'Amour fou"(1937年刊)と、仏ヌーヴェル・ヴァーグ派の映画作家ジャック・リヴェット(1928 - )の監督作品"L'Amour fou"(1969年公開)という2つのリファレンスがあります。どちらも日本語訳では『狂気の愛』となっています。その関連で、私は仮にこのアルディの小説を『狂気の愛』と和訳しました。しかし、フランソワーズ・アルディはブルトン本も読んでいなければ、リヴェット映画も観ていない、と断言しています。
この本の内容に最も即した和訳があるとすれば、「狂った恋」でしょうか。常軌を逸して自己破壊的な恋愛のことです。恋に狂気、これは往々にしてつきもののようなもので、愛することは情動を正常な状態にしておかないものでしょう。「狂った恋」に対して「狂わない恋」や「正常な恋」のようなものがありえましょうか? そういう意味で、フランソワーズ・アルディはインタヴューで"amour fou"というのはある種のプレオナスム(重複表現)であると言っています。そもそもにおいて恋は狂ったものなのですから。
本の裏表紙に著者は3行でその「狂った恋」とは何かをこう定義しています。
この小説は非常に読みづらいです。それは著者が「私小説」と読まれることを拒否する意図によるものかもしれません。たとえそれが「vécu (生きられた体験)」をベースにしようがしまいが、人物・時代・場所・背景を描写しないようにしているのです。登場する人間がどんな人物で、歳がどれくらいで、何を職業としていて、いつの時代に生きていて、どこにいるのかを一切明らかにしない。クリスティーヌ・アンゴがずっとその小説のすべてを実名で書いていることの対極のようです。それは「有名人」がプライバシーを守ろうとして最大の厚さの防御幕を張り巡らせていることとも取れます。また有名人がそれを破るとただの暴露本に堕してしまいます。フランソワーズ・アルディにはこの「レシ」をリテラチュール(文学・文芸)として成立させたいという衒いもあったかもしれません。しかしこの読みにくさは尋常ではありません。付帯状況への説明を極端に排して、観念語による心理描写ばかりが延々と続くからです。
その中で読み取れるストーリーはこんな感じです。ヒロインは名前を持たず、三人称単数の"Elle"(彼女)で書かれます。 この女は外面的な美しさをたたえた男"X."を一目見た時から、ただならぬエモーションに襲われ、その思いを抑えきれず、あらゆる不安を抱えながらもある日手紙を男に書送ります。あにはからんや返事はすぐに返ってきます。二人は出会い、逢瀬を重ね、遂には愛の言葉すら交わしあうようになります。お互いのことなどほとんど何も知らないのに、女の方が確信的に男を愛してしまっていて、男の方もその時は女と同じような愛の言葉を言うのです。小説の中で女が最も幸せだったのは、この最初の30ページ足らずの部分でしかありません。
30ページめで、女はX.に問います「あなたにとって私は何?」するとX.はこう答えるのです「Une maitresse」。往々にして仏和辞書はこれに「情婦」という訳語を与えていますが、「恋人」も可能ですし、平成語では「セフレ」も可能でしょう。問題はmaitresseよりも、その前の不定冠詞の「une」なのです。"La maitresse"(特定的恋人)あるいは"ma maitresse"(僕の恋人)ではなく、"une maitresse"(ひとりの恋人)なのです。女にとってはX.は"amour"、それも"mon amour"であるのに対して、X.にとって女は「ひとりの情婦」なのです。女は著しく傷つけられますが、こんな傷つけられ方は序の口で、 小説はあらゆる仕打ちに耐え忍びながら、その過剰にあふれていく恋慕の情に抗しがたく、どんな傷を受けても後ろに引こうとしない女の魂の独白(終部45ページは、話者が「私 je」に代わって、文字通りのモノローグになります)になっていきます。
男は住所不定です。「当分そこにいるから 」と教えられた住所に女は手紙を書きます。ところがその場所にいるのかどうかもわからない。電話連絡は男からしか取れない。だから男に連絡する気がなければ、女にとって男は「失踪」状態になってしまう。男はそういう失踪と再登場を繰り返して、消えては女を傷つけ悲しませ、またしばらくたつと現れて束の間の仲直りをし(ヨリを戻し)ては、女の心を再びわしづかみにして、そしてまた蒸発するのです。
この携帯電話もインターネットもなかった時代(のように書かれている)、コミュニケーションは手紙と電話のみなのですが、男が仕事をパソコンを叩いてしているシーンがあり、そこから読者はこの時代は80年代から90年代にかけてのことだろうと想像することができます。このことから私自身はまた違うことも想像しているのですが、それはもうちょっと下で書きます。
さて、この男X.は最初は女の愛を受け入れて、自分も愛の言葉まで言っていたのに、態度が変わっていきます。それは「僕はきみから愛されるに値しない」とか「僕はきみの水準(高み)に達していない」とかそういう理由での拒否で、 ここに実在の人物フランソワーズ・アルディを投射すると、なんとなくわかります。超有名人にして国際的スーパースターですから。小説はこの単純な図式をできるだけ避けようとしているのはわかるのですが、どうしてもこの男女間がフェアー=対等でないように読者が読んでしまうのは「著者名」のせいです。サガン、デュラス、ノトンブ、アンゴといった著者名だったらこうはならないでしょう。
X.はまず彼女との関係の修正を提案します。"maitresse"ではなく"amie"になってくれ、と。 肉体的な接触を保ちながら、恋の相手ではなく、友だちで相談相手であるような女になってくれ、と。グレードを一段階下げろ、と。女は著しく傷つきながらもそれを飲み、「私は彼を愛している/彼は私を愛していない」の関係に入って行きます。
次いで、彼はその「友だち」たる彼女に爆弾告白をします。「僕には愛する女がいて、生活を共にしている」。その女とはX.がヒロインと出会う前からの関係で、くっついたり離れたりを繰り返していますが、どうやらX.にとっての"la femme de la vie"(生涯の女)であるらしいのです。この箇所の作者のこの「第三の女」の描写が、露骨な悪意と敵意が丸出しで、性悪で、扇情的で、戦略家で、男癖が悪く、どんな手を使ってでも遊び相手の男を落とすことで評判をとっているような女として登場します。つまりヒロインにしてみれば、X.に生活を共にしている恋人がいると聞かされたショックの上、よりによってなんでこんな女と、というダブルショックがあったわけです。
X.と第三の女もまたうまく行ったり行かなかったりを繰り返しています。ヒロインはそこでX.の不幸を喜ぶ側に立てないのです。彼女は「友だちで相談相手」で、X.の不幸は慰め、癒してやる、という立場を取るのです。
さらにショックなことに、X.は第三の女との関係で生じるフラストレーションを癒すために、売春婦に一時の快楽を求めるようになるのです。なぜ「私」ではないのか、激しい屈辱感がヒロインを打ちのめします。
このようにX.は第三の女と不安定ながら関係を維持して、数ヶ月間ヒロインと全く連絡を経ったあとで、忽然と「女とは別れた」とある日ヒロインに電話してきたりします。ヒロインはそうなるとこれまでのいきさつを全部ご破算にして、会いに行かざるをえなくなってしまうのです。
何度も繰り返される、蒸発&再登場のドラマの中で、再会して手を触れ、体を触れ合い、X.の胸にヒロインが顔を埋めていくと、やはり彼女は何もかも忘れて溶解してしまうのです。狂ってますけど、恋って、そんなもんでしょう、と、このシーンだけは、この読みづらくも情念へりくつだらけの小説で、問答無用で納得させられます。どうしようもなく悲しい。私たちは熔けてしまうんですよ。あなた熔けたことありませんか?
小説で頻繁に登場する言葉のひとつが "ambivalent"(アンビヴァラン)という形容詞です。両義的、両価的、対立する二つの価値が共存・併存する、といった意味です。この男は極端に優しかったかと思うと、数分後には極端に冷たくなっている。正直に感情を吐露したかと思うと、平気でうそをつく。強がりを言いながら、自分のことを最低の人間と卑下しもする。サディストであり同時にマゾヒストでもある。どんなことをされても、どんな仕打ちを受けても、ヒロインはX.をこわれもののように思い続けていて、このこわれものは愛して、守ってあげなければならない、と。その代わりに自分はどんどん地獄に落ちていくのです。歌の文句で言うならば(フランソワーズ・アルディがカヴァーしたブラッサンス曲。詩はルイ・アラゴン)「幸せな愛などない Il n'y a pas d'amour heureux」とヒロインは最初からわかっているわけです。この愛において幸せになることなど目的でも問題でもない。だからこのヒロインはこの不幸な愛とずっと生きられるのです。
P134で、遂にヒロインは「訣別の手紙」をしたため、X.と二度と会わないと心に決めます。
そしてそれに続く第8章(p137〜)から終りの第10章まで、45ページにわたる、第一人称「私 je」で書かれる壮大なる「訣別の手紙」になります。この中である「世界の果てへの旅」のことが描かれています。「私」は飛行機嫌い、特に長距離便恐怖症を理由にX.の同行を求めます。 そして「私」とX.にはこの旅行中、1メートル以内の距離に絶対近づかないという契約を結びます。送り迎えのリムジン、滞在地でのホテルは別々の二部屋。深夜のテレビには古いアメリカ映画が彼らにまったく理解不能な言語で吹き替えられて放映されている.... 非常に個人的なことですが、私はこれがフランソワーズ・アルディの1991年4月の東京行きの旅行だった、と思わずにはいられないのです。もしも私の勘が当たっているとしたら、私は1991年4月28日の夜、フランソワーズ・アルディとX.と3人で夕食を共にしていた、ということになるのです...。
8章から10章は「訣別の手紙」と言いながら、実は回想を伴うよりダイレクトな恨み節になっています。なぜならそれは「tuあなた」に向けて書かれているのですから。どんなに愛しても、どんなに思いを焦がしても、遂に「私」を愛することのない男。「私」からすべてを奪い取っても、何も与えない男。美しく、気高く、うぬぼれ高く、炎のように熱かったり氷のように冷たかったりする男。「私」はどんなに長く恨み言を書き綴っても、どんなに「訣別」だと言ってみたところで、「私」は愛し続けてしまっている。"Adieu"と言い切れない。再び歌の文句で言うならば、これは文字通りの意味で "Comment te dire adieu ?"(どうやってアデューと言えばいいの?) という断腸の叫びでもあるのです。
小説としてはどうなのでしょうか。前著である自伝本"Le désespoir des singes et autres bagatelles"(2008年)は45万部を売るベストセラーになりました。この小説に関してはそういうベストセラーはまず期待できません。フランソワーズ自身もフランス2の番組"On n'est pas couché"(2012年11月10日)で、この小説はgrand public (グラン・ピュブリック、大多数の大衆)向けではない、と言っています。インターネットで探しただけですが、この小説の書評は非常に少なく、文芸誌や一般誌ではほぼ皆無です。
(↑と書いたところで、下に貼付けたフランス3のニュースのYouTubeを見たら、現在文学カテゴリーではパトリック・モディアノとフィリップ・ロスと並ぶベストセラーだそうです。お見それしました。)
さまざまなインタヴューでフランソワーズ・アルディが言っているのは、この小説は過去に書かれたもので、何年も引き出しの中に眠っていた、ということ。私小説として読まれるのは構わないが、X.は公に知られているアルディの伴侶(最初は写真家のジャン=マリー・ペリエ、次に歌手のジャック・デュトロン)のことではなく、彼女がそれまでに巡り会った男性たち数人のモンタージュである、とも言っています。
私は芸能ジャーナリストではないので、そのX.を特定できるものは何も持っていません。だから、このようなところに書いていいものだろうか、とも思うのですが...。
アラン・ルブラノは2011年5月28日に、心臓病のため47歳で亡くなりました。サウンド・エンジニア上がりで、作詞作曲編曲&歌手でした。フランソワーズ・アルディのアルバム"Décalages"(邦題『デカラージュ』、1988年)の時に録音スタジオの助手をしていたところ(当時24歳)を、アルディが「発見」。ルブラノが作詞作曲をするというので、アルディがバックアップして、当時彼女が所属していたフラレナッシュ・レーベルと契約。その後もアルディの(前作"La Pluie Sans Parapluie" 2010年まで)全アルバムに、作詞作曲編曲で参加していて、特に22枚めのアルバム "Le Danger"(1996年)ではロドルフ・ビュルジェと共にプロデューサーとして名を連ねていました。ところがこの"Le Danger"が、大胆にも暗めのロックアルバムであったために、セールスは全くふるわず、出せばミリオンセラーだったアルディのディスコグラフィー上、初の「呪われたアルバム」となったのです。また音楽アーチストとしてのルブラノも全く芽が出ず、作る曲もアルディ以外のアーチストには全く取り上げられませんでした。人がもしもこのアーチストを記憶しているとすれば、フランソワーズ・アルディとのデュエット曲"Si ça fait mal" (1991年)だけでしょう。その1991年の4月末に、フランソワーズ・アルディは伊勢丹主催のトークショーのために東京に飛んでいて、一般の人たちからは隠れるようにアラン・ルブラノが同行していました。詳しい事情は言えませんが、私はその時たまたま東京にいて、オーガナイザーからの紹介で2度の夕食を共にして、そのうちの一夜(4月28日)は、フランソワーズとアランと私の3人だけだったのです。
フランソワーズとアランには20年の年齢差がありました。昨年亡くなったルブラノには妻(あるいは伴侶)とひとりの娘がいました。私はここで何かを言おうとしているのではありません。狂気の愛が、私のそばを通りすぎていったような気にさせる文章(アルディの小説)を読んだということにすぎません。
(↓ TV5で『狂気の愛』アルバムと小説を語るフランソワーズ・アルディ)
フランソワーズ・アルディ『狂気の愛』
フランソワーズ・アルディ(1944 - )が書いた最初の小説です。出版社であるアルバン・ミッシェル社は表紙にこれを「ロマン(roman)」と銘打って定義しているようですが、発表後のさまざまなインタヴューで自分では「レシ(récit)」と言っています。ロマンとレシがどう違うのか。それは簡単に言うと、レシ(物語)は筋や人物や背景に様式や抑揚や装飾や意匠を凝らさない、単線的な語り物ということです。筋の上昇や下降にわくわくすることのない、なにかドキュメンタリーを思わせるシンプルでストレートなものです。ですから、テレビのニュース番組でも、事件などを時間軸で簡潔に映像で説明することも「レシ」と呼んでいます。
"L'Amour fou"と題された作品は、フランスではシュールレアリスムの開祖アンドレ・ブルトン(1896-1966)の散文集"L'Amour fou"(1937年刊)と、仏ヌーヴェル・ヴァーグ派の映画作家ジャック・リヴェット(1928 - )の監督作品"L'Amour fou"(1969年公開)という2つのリファレンスがあります。どちらも日本語訳では『狂気の愛』となっています。その関連で、私は仮にこのアルディの小説を『狂気の愛』と和訳しました。しかし、フランソワーズ・アルディはブルトン本も読んでいなければ、リヴェット映画も観ていない、と断言しています。
この本の内容に最も即した和訳があるとすれば、「狂った恋」でしょうか。常軌を逸して自己破壊的な恋愛のことです。恋に狂気、これは往々にしてつきもののようなもので、愛することは情動を正常な状態にしておかないものでしょう。「狂った恋」に対して「狂わない恋」や「正常な恋」のようなものがありえましょうか? そういう意味で、フランソワーズ・アルディはインタヴューで"amour fou"というのはある種のプレオナスム(重複表現)であると言っています。そもそもにおいて恋は狂ったものなのですから。
本の裏表紙に著者は3行でその「狂った恋」とは何かをこう定義しています。
狂った恋、それはあなたを充たすものはそれしかないと信じ込ませながら、あなた自身からすべてを奪いとるもの。ぶわぁ〜っ!有島武郎(惜しみなく愛は奪う)ですな、こりゃ。
この小説は非常に読みづらいです。それは著者が「私小説」と読まれることを拒否する意図によるものかもしれません。たとえそれが「vécu (生きられた体験)」をベースにしようがしまいが、人物・時代・場所・背景を描写しないようにしているのです。登場する人間がどんな人物で、歳がどれくらいで、何を職業としていて、いつの時代に生きていて、どこにいるのかを一切明らかにしない。クリスティーヌ・アンゴがずっとその小説のすべてを実名で書いていることの対極のようです。それは「有名人」がプライバシーを守ろうとして最大の厚さの防御幕を張り巡らせていることとも取れます。また有名人がそれを破るとただの暴露本に堕してしまいます。フランソワーズ・アルディにはこの「レシ」をリテラチュール(文学・文芸)として成立させたいという衒いもあったかもしれません。しかしこの読みにくさは尋常ではありません。付帯状況への説明を極端に排して、観念語による心理描写ばかりが延々と続くからです。
その中で読み取れるストーリーはこんな感じです。ヒロインは名前を持たず、三人称単数の"Elle"(彼女)で書かれます。 この女は外面的な美しさをたたえた男"X."を一目見た時から、ただならぬエモーションに襲われ、その思いを抑えきれず、あらゆる不安を抱えながらもある日手紙を男に書送ります。あにはからんや返事はすぐに返ってきます。二人は出会い、逢瀬を重ね、遂には愛の言葉すら交わしあうようになります。お互いのことなどほとんど何も知らないのに、女の方が確信的に男を愛してしまっていて、男の方もその時は女と同じような愛の言葉を言うのです。小説の中で女が最も幸せだったのは、この最初の30ページ足らずの部分でしかありません。
30ページめで、女はX.に問います「あなたにとって私は何?」するとX.はこう答えるのです「Une maitresse」。往々にして仏和辞書はこれに「情婦」という訳語を与えていますが、「恋人」も可能ですし、平成語では「セフレ」も可能でしょう。問題はmaitresseよりも、その前の不定冠詞の「une」なのです。"La maitresse"(特定的恋人)あるいは"ma maitresse"(僕の恋人)ではなく、"une maitresse"(ひとりの恋人)なのです。女にとってはX.は"amour"、それも"mon amour"であるのに対して、X.にとって女は「ひとりの情婦」なのです。女は著しく傷つけられますが、こんな傷つけられ方は序の口で、 小説はあらゆる仕打ちに耐え忍びながら、その過剰にあふれていく恋慕の情に抗しがたく、どんな傷を受けても後ろに引こうとしない女の魂の独白(終部45ページは、話者が「私 je」に代わって、文字通りのモノローグになります)になっていきます。
男は住所不定です。「当分そこにいるから 」と教えられた住所に女は手紙を書きます。ところがその場所にいるのかどうかもわからない。電話連絡は男からしか取れない。だから男に連絡する気がなければ、女にとって男は「失踪」状態になってしまう。男はそういう失踪と再登場を繰り返して、消えては女を傷つけ悲しませ、またしばらくたつと現れて束の間の仲直りをし(ヨリを戻し)ては、女の心を再びわしづかみにして、そしてまた蒸発するのです。
この携帯電話もインターネットもなかった時代(のように書かれている)、コミュニケーションは手紙と電話のみなのですが、男が仕事をパソコンを叩いてしているシーンがあり、そこから読者はこの時代は80年代から90年代にかけてのことだろうと想像することができます。このことから私自身はまた違うことも想像しているのですが、それはもうちょっと下で書きます。
さて、この男X.は最初は女の愛を受け入れて、自分も愛の言葉まで言っていたのに、態度が変わっていきます。それは「僕はきみから愛されるに値しない」とか「僕はきみの水準(高み)に達していない」とかそういう理由での拒否で、 ここに実在の人物フランソワーズ・アルディを投射すると、なんとなくわかります。超有名人にして国際的スーパースターですから。小説はこの単純な図式をできるだけ避けようとしているのはわかるのですが、どうしてもこの男女間がフェアー=対等でないように読者が読んでしまうのは「著者名」のせいです。サガン、デュラス、ノトンブ、アンゴといった著者名だったらこうはならないでしょう。
X.はまず彼女との関係の修正を提案します。"maitresse"ではなく"amie"になってくれ、と。 肉体的な接触を保ちながら、恋の相手ではなく、友だちで相談相手であるような女になってくれ、と。グレードを一段階下げろ、と。女は著しく傷つきながらもそれを飲み、「私は彼を愛している/彼は私を愛していない」の関係に入って行きます。
次いで、彼はその「友だち」たる彼女に爆弾告白をします。「僕には愛する女がいて、生活を共にしている」。その女とはX.がヒロインと出会う前からの関係で、くっついたり離れたりを繰り返していますが、どうやらX.にとっての"la femme de la vie"(生涯の女)であるらしいのです。この箇所の作者のこの「第三の女」の描写が、露骨な悪意と敵意が丸出しで、性悪で、扇情的で、戦略家で、男癖が悪く、どんな手を使ってでも遊び相手の男を落とすことで評判をとっているような女として登場します。つまりヒロインにしてみれば、X.に生活を共にしている恋人がいると聞かされたショックの上、よりによってなんでこんな女と、というダブルショックがあったわけです。
X.と第三の女もまたうまく行ったり行かなかったりを繰り返しています。ヒロインはそこでX.の不幸を喜ぶ側に立てないのです。彼女は「友だちで相談相手」で、X.の不幸は慰め、癒してやる、という立場を取るのです。
さらにショックなことに、X.は第三の女との関係で生じるフラストレーションを癒すために、売春婦に一時の快楽を求めるようになるのです。なぜ「私」ではないのか、激しい屈辱感がヒロインを打ちのめします。
このようにX.は第三の女と不安定ながら関係を維持して、数ヶ月間ヒロインと全く連絡を経ったあとで、忽然と「女とは別れた」とある日ヒロインに電話してきたりします。ヒロインはそうなるとこれまでのいきさつを全部ご破算にして、会いに行かざるをえなくなってしまうのです。
何度も繰り返される、蒸発&再登場のドラマの中で、再会して手を触れ、体を触れ合い、X.の胸にヒロインが顔を埋めていくと、やはり彼女は何もかも忘れて溶解してしまうのです。狂ってますけど、恋って、そんなもんでしょう、と、このシーンだけは、この読みづらくも情念へりくつだらけの小説で、問答無用で納得させられます。どうしようもなく悲しい。私たちは熔けてしまうんですよ。あなた熔けたことありませんか?
小説で頻繁に登場する言葉のひとつが "ambivalent"(アンビヴァラン)という形容詞です。両義的、両価的、対立する二つの価値が共存・併存する、といった意味です。この男は極端に優しかったかと思うと、数分後には極端に冷たくなっている。正直に感情を吐露したかと思うと、平気でうそをつく。強がりを言いながら、自分のことを最低の人間と卑下しもする。サディストであり同時にマゾヒストでもある。どんなことをされても、どんな仕打ちを受けても、ヒロインはX.をこわれもののように思い続けていて、このこわれものは愛して、守ってあげなければならない、と。その代わりに自分はどんどん地獄に落ちていくのです。歌の文句で言うならば(フランソワーズ・アルディがカヴァーしたブラッサンス曲。詩はルイ・アラゴン)「幸せな愛などない Il n'y a pas d'amour heureux」とヒロインは最初からわかっているわけです。この愛において幸せになることなど目的でも問題でもない。だからこのヒロインはこの不幸な愛とずっと生きられるのです。
P134で、遂にヒロインは「訣別の手紙」をしたため、X.と二度と会わないと心に決めます。
この決定は多くの犠牲を要したが、彼女は病気となり、果てには手術台に上がらなければ治らない状態まで至った。これには代替治療は何の役にも立たなかったのだ。彼女は自分のあらゆる力を注いで、彼の(一人になりたいという)申し出に従うよう努力した、と結論づけた。なぜなら彼女は彼を愛していたし、この先も長く彼を愛してしまうことを恐れていたから。たとえ彼女が彼を二度と生きている間に見ることはないにせよ...。↑この最後の1行はたいへん意味深です。
(Francoise Hardy "L'Amour fou" p.135)
そしてそれに続く第8章(p137〜)から終りの第10章まで、45ページにわたる、第一人称「私 je」で書かれる壮大なる「訣別の手紙」になります。この中である「世界の果てへの旅」のことが描かれています。「私」は飛行機嫌い、特に長距離便恐怖症を理由にX.の同行を求めます。 そして「私」とX.にはこの旅行中、1メートル以内の距離に絶対近づかないという契約を結びます。送り迎えのリムジン、滞在地でのホテルは別々の二部屋。深夜のテレビには古いアメリカ映画が彼らにまったく理解不能な言語で吹き替えられて放映されている.... 非常に個人的なことですが、私はこれがフランソワーズ・アルディの1991年4月の東京行きの旅行だった、と思わずにはいられないのです。もしも私の勘が当たっているとしたら、私は1991年4月28日の夜、フランソワーズ・アルディとX.と3人で夕食を共にしていた、ということになるのです...。
8章から10章は「訣別の手紙」と言いながら、実は回想を伴うよりダイレクトな恨み節になっています。なぜならそれは「tuあなた」に向けて書かれているのですから。どんなに愛しても、どんなに思いを焦がしても、遂に「私」を愛することのない男。「私」からすべてを奪い取っても、何も与えない男。美しく、気高く、うぬぼれ高く、炎のように熱かったり氷のように冷たかったりする男。「私」はどんなに長く恨み言を書き綴っても、どんなに「訣別」だと言ってみたところで、「私」は愛し続けてしまっている。"Adieu"と言い切れない。再び歌の文句で言うならば、これは文字通りの意味で "Comment te dire adieu ?"(どうやってアデューと言えばいいの?) という断腸の叫びでもあるのです。
小説としてはどうなのでしょうか。前著である自伝本"Le désespoir des singes et autres bagatelles"(2008年)は45万部を売るベストセラーになりました。この小説に関してはそういうベストセラーはまず期待できません。フランソワーズ自身もフランス2の番組"On n'est pas couché"(2012年11月10日)で、この小説はgrand public (グラン・ピュブリック、大多数の大衆)向けではない、と言っています。インターネットで探しただけですが、この小説の書評は非常に少なく、文芸誌や一般誌ではほぼ皆無です。
(↑と書いたところで、下に貼付けたフランス3のニュースのYouTubeを見たら、現在文学カテゴリーではパトリック・モディアノとフィリップ・ロスと並ぶベストセラーだそうです。お見それしました。)
さまざまなインタヴューでフランソワーズ・アルディが言っているのは、この小説は過去に書かれたもので、何年も引き出しの中に眠っていた、ということ。私小説として読まれるのは構わないが、X.は公に知られているアルディの伴侶(最初は写真家のジャン=マリー・ペリエ、次に歌手のジャック・デュトロン)のことではなく、彼女がそれまでに巡り会った男性たち数人のモンタージュである、とも言っています。
私は芸能ジャーナリストではないので、そのX.を特定できるものは何も持っていません。だから、このようなところに書いていいものだろうか、とも思うのですが...。
アラン・ルブラノは2011年5月28日に、心臓病のため47歳で亡くなりました。サウンド・エンジニア上がりで、作詞作曲編曲&歌手でした。フランソワーズ・アルディのアルバム"Décalages"(邦題『デカラージュ』、1988年)の時に録音スタジオの助手をしていたところ(当時24歳)を、アルディが「発見」。ルブラノが作詞作曲をするというので、アルディがバックアップして、当時彼女が所属していたフラレナッシュ・レーベルと契約。その後もアルディの(前作"La Pluie Sans Parapluie" 2010年まで)全アルバムに、作詞作曲編曲で参加していて、特に22枚めのアルバム "Le Danger"(1996年)ではロドルフ・ビュルジェと共にプロデューサーとして名を連ねていました。ところがこの"Le Danger"が、大胆にも暗めのロックアルバムであったために、セールスは全くふるわず、出せばミリオンセラーだったアルディのディスコグラフィー上、初の「呪われたアルバム」となったのです。また音楽アーチストとしてのルブラノも全く芽が出ず、作る曲もアルディ以外のアーチストには全く取り上げられませんでした。人がもしもこのアーチストを記憶しているとすれば、フランソワーズ・アルディとのデュエット曲"Si ça fait mal" (1991年)だけでしょう。その1991年の4月末に、フランソワーズ・アルディは伊勢丹主催のトークショーのために東京に飛んでいて、一般の人たちからは隠れるようにアラン・ルブラノが同行していました。詳しい事情は言えませんが、私はその時たまたま東京にいて、オーガナイザーからの紹介で2度の夕食を共にして、そのうちの一夜(4月28日)は、フランソワーズとアランと私の3人だけだったのです。
フランソワーズとアランには20年の年齢差がありました。昨年亡くなったルブラノには妻(あるいは伴侶)とひとりの娘がいました。私はここで何かを言おうとしているのではありません。狂気の愛が、私のそばを通りすぎていったような気にさせる文章(アルディの小説)を読んだということにすぎません。
(↓ TV5で『狂気の愛』アルバムと小説を語るフランソワーズ・アルディ)
PS 1 (2012年12月4日)
P54にこういう一文があります。
Elle aimait pour la vie un marin au long cours et il n'était pas possible qu'après ce qui s'est passé entre eux, il ne revienne pas faire escale un jour du côté de chez elle. (彼女は生涯の相手として遠洋航海の船乗りを愛していた。二人の間で起こったそのことの後でも、彼が彼女の家の近くに二度と寄港しない、ということはありえなかった。=ちょっとひどい訳だけど直訳です)私はここに、たったこれだけですけど、ジャック・デュトロンの姿を見るのです。ヒロインには夫(または伴侶)がいて、(二人の自由さが原因で)別居しているのだけれど、その男は稀に姿をあらわすことはある、ということだと思うのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿