2020年6月2日火曜日

鍵屋がとりもつ縁かいな

この記事はウェブ版『おフレンチ・ミュージック・クラブ』(1996 - 2007)上で2007年5月に掲載されたものの加筆修正再録です。

Tonino Benacquista + Jacques Tardi "Le Serrurier Volant"
トニノ・ベナクイスタ(文)+ ジャック・タルディ(画)『流しの鍵屋』

(ベルギー Editions Estuaire刊 2006年11月)

ルギーの出版社エディシオン・エスチュエールの叢書"文学手帖 Carnets Littéraires"の第16冊め。稀代のフィクション作家(ル・モンド紙は"fictionneur フィクション職人"という新語でこの作家を評している)トニノ・ベナクイスタと、人気BD作家のジャック・タルディが組んだイラストレイテッド・ノヴェルである。
 主人公マルクはもともと閉鎖的な性格の青年であった。社交嫌いで孤独と静寂を好む、若くして老成してしまった観のある、どこにでもいるような郊外(パリ南郊ヴィトリー・シュル・セーヌ、ベナクイスタが育った町でもある)生活者であったが、ひとつだけ人と違うのは拳銃を所有していることであった。この時のマルクの職業は、警備会社の現金輸送担当で、その職業上の必要で資格試験をパスして拳銃を使えるようになった。毎日彼は3人で班をつくり、装甲現金輸送車で仕事をしていた。命を張らなければできない仕事であるのに、給料は極めて低い。そして最悪の事態は訪れるのである。
 7章の物語の第1章で、装甲現金輸送車はロケット砲と機関銃で武装したグループに襲撃され、輸送車は大破、現金ケースはすべて奪われ、2人の仕事仲間は即死、マルクも瀕死の状態で病院に担ぎ込まれた。彼が生き返ったのは奇跡であると病院は言った。しかし数ヶ月の病院生活とリハビリの末、マルクは再び社会に放り出されるが、襲撃のトラウマは極度の神経衰弱となって彼を襲い、安定剤とアルコールと煙草に依存しても自暴自棄傾向は変わらず、公園のベンチでわめき散らしたり、自己破滅的な言動でアパルトマンの隣人たちから苦情が絶えない。警察の牢屋で一夜を過ごして帰ってきた朝、マルクは自分がアパルトマンの鍵も金も身分証明証も持っていないことに気がつく。扉の前で途方に暮れていると、隣人が親切にも"SOS鍵屋”に電話してくれた。
 ここでマルクはこの”SOS鍵屋”という素晴らしい職業を知るのである。これはまさに「壁抜け男」(マルセル・エイメの小説"passe-muraille"を翻案したミュージカルの日本語題)である。鍵修繕という名目のもとに、彼らは普通の人には開けない扉をいつも簡単に開けて、都市の奥の奥の扉まで抜けていけるのだ。マルクは襲撃のショック以来もう組織の中で働くことはメンタル的に不可能になっている。この孤独にして秘密に満ちた職業に魅せられ、マルクは「流しの鍵屋 Le serrurier volant」、すなわち事務所や店舗を持たず、携帯電話とスクーターだけで24時間営業をする救急鍵トラブル解消業を営むようになる。
 俺は外側の世界に閉じ込められている。
第3章の最初の1行のマルクの独り言である。3年間この流しの鍵屋をやってきて、彼の孤独はますます色濃くなっていく。マルクはさまざまな鍵トラブルを解決してきたが、この職業は彼が一旦その扉を開けることができたらそこでお役御免で、その中には絶対入ることができないのだ。トニノ・ベナクイスタの表現はここでとても味があり、鍵屋が緊急電話を受け取り現場に直行するまでは、依頼者は鍵屋をまるで救済者のようにあがめ、決まってそのトラブルの言い訳をあれこれ話しはじめる(絶対に忘れることなどなかったはずなのに、今日に限って...)のだが、一旦開いてしまって高い請求書(出張費、技能費、修繕費...)を見たとたんに、次に泥棒に入られたらこの男を疑ってやるぞという目つきに変わってしまう、ということを書いている。確かにSOS鍵屋というのは、泥棒と同じ(あるいはそれ以上の)テクニックを持っているわけだから、普通の人はその仕事を見たら、いつこの男が一線を越えるか分かったものではないと警戒してしまうのだろう。
 ベナクイスタの小説でいつも感心するのは、さまざまな職業のプロの局面での描写ができることであり、それは国際夜行列車の寝台係であったり、私立探偵(興信所)の追跡係であったり、画廊の鑑定係であったり、彼の小説のディテールは社会の"そちら側”からの視点を読者に克明に説明してくれることである。作家になる前にいろいろな職を転々としていた経験が裏付けになっている現場の証言である。この鍵屋物語でも、妻の浮気の現場に押し入ろうとして愛人のアパルトマンの鍵を開けてくれと嘆願する男のドラマや、法務局の執行人の依頼で税金未納者の家の鍵を開ける仕事の時に見る悲劇など、この職業にまつわる波瀾万丈が見えてくる。しかし鍵屋はその中に入ることは許されない。「俺は外側の世界に閉じ込められている」。
パリ16区ラヌラグ通りという高級住宅街から依頼の電話が来る。マルクが現場に行くと高級そうな女性がいて、確かにそのアパルトマンの住人である証明書を出して鍵を失ったから開けてくれと言う。件の鍵を観察してマルクはその鍵が最近取り替えられたものであることを察知する。これを壊して新しいものと取り替えるとかなりの出費になるがそれでも良いか、とマルクが念を押す。女は自分には他の選択肢がないと言う。2時間の作業の末、鍵の取り替え仕事を終え、女に手を洗いたいから洗面所を使わせてくれと中に入ると、この高級アパルトマンには家具がほとんどない。マルクは職業的直感で、これは最近法執行人が来て家具を差押え物件として持ち出したのだと見抜いた。女は請求書の金額の小切手をマルクに手渡すが、鍵屋は「これは不渡り小切手ですね」と見破る。「一時的にお金が足りないだけよ」と女は答える。「だったらこの小切手がちゃんと現金化できるようになったら電話をください」とマルクは女に鍵屋の名刺カードを渡して、その場を立ち去る。この女からその電話は来るわけはないと知りながら。
 しかし電話は来るのである。午前2時半、疲労困憊の深い眠りから叩き起こされて電話に出ると、泣き果てたような声が聞こえるか聞こえないかの音量で「あなた、私の家に来たことがあるわね。今すぐ来てちょうだい」と電話線の向こうは言うのである。その場に行ってみるとドアに鍵はかかっていない。中に入っていくと、明かりが寝室からもれているのが見える。そしてその中にはベッドの上に腹這いで寝かされた全裸の女体があり、両手両脚が拡げられ、手首と足首はベッドの四つ端に手錠で繋がれていた。鍵屋マルクは自分の七つ道具を使ってその手錠を外してやり、解放された女をいたわってやろうとするが、女はマルクに「今すぐここを出て行ってちょうだい!」と叫ぶ。
 小説はこうして、それまで外側に閉じ込められていた男がこの女セシルによって内側の世界に入っていく、という展開で進行していく。セシルがなぜ全裸で繋がれていたか、彼女のトラブルとは何なのか、マルクの探索が始まる。それはもともと閉鎖的だった男が、現金輸送車襲撃事件のショックで人間的情緒をほとんど破壊され、その最低のところから徐々に人間らしさを取り戻そうとしている彼がぶつかっている壁をひとつひとつ壊していくという、ひとつの魂の再生の物語でもある。そしてマルクが抱いてしまう果たせぬ恋心の物語でもある。
 シナリオは現金輸送車襲撃犯人との偶然の再会(マルクの鍵屋の腕前の良さの噂を聞きつけて、四年前に奪ったまま開けられずにいる現金ケースの解錠を依頼してくる)という転機を得て、その現金ケースを奪回して、その金で秘密裏にセシルの窮状を救ってやる、というハッピーエンドに向かっていくのだが、セシルとマルクは結ばれない....。

 稀代のフィクション職人トニノ・ベナクイスタのこの作品での魅力は、"壁抜け男”が見せてくれる壁の内側の見えないパリの姿であり、マルクが合鍵ひとつでまんまとサン・トゥスタッシュ教会の天蓋に入り込み、そこでパリの夜景を見下ろしながらセシルと夕食を共にするという、えもいわれぬ美しいシーンで全開する。そうしたシーンをさらに美しくしているのが、ジャック・タルディのセピアトーンのイラストなのである。パリの下町と人間たちの複雑な表情が描かれていると、タルディはベナクイスタよりも雄弁になる時がある。挿絵がページごろに現れる、言わば一種の絵本であるこの作品は、その体裁からして"ライト"と思われてしまうだろうが、ページ紙が厚いので手に持つと重量感がある。簡単に読めるし、誰でもすぐにこのセピア色のパリの世界に入れるが、シニカルで職人的な語り口の作家と、クセのありそうな人物画の達人との出会いによって生まれたこの本は、繰り返し読む楽しみのために作られたと言っていいだろう。私は手にしてから、少なくとも5回は読み返している。

(↓)ベナクイスタ(左)とタルディ(右)

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