2017年10月13日金曜日

黙っとらんベルトラン

今週号のレ・ザンロキュプティーブル誌表紙、ベルトラン・カンタ。2003年夏のマリー・トランティニャン殺害事件の被告として2004年過失致死罪で8年禁固刑。2007年仮出所、2011年刑務終了。2010年ノワール・デジール解散。2013年、ベーシストのパスカル・アンベールと「デトロワ Détroit」結成、本格的に音楽活動再開。この時、レ・ザンロキュプティーブル誌(2013年10月23日号)は表紙にカンタの大アップ顔写真を載せ、事件以来10年以上沈黙していたカンタのロングインタヴューを掲載した。
 私はその記事とデトロワのアルバムについて、ラティーナ誌2014年2月号に「生き返るのではなく生き直すための音楽 ー ベルトラン・カンタの帰還」という記事を書いた。私はその際に(実は本当に予測していたのけれど)抗議や非難のメールや投書は一切受け取っていない。しかしフランスではそんなことはタダで済むわけはなく、レ・ザンロック誌は多くのフェミニスト団体の轟々たる抗議だけでなく、文化人や音楽人たちの非難でメディアは沸き立ち、レ・ザンロック誌ボイコットの運動も起こった。にも関わらず、デトロワのデビューアルバムは20万枚を売り(私も絶賛した)、続く全国ツアーも(ノワール・デジールの楽曲を演奏したこともあって)大成功だった。しかしコンサート会場の外では常に抗議団体のデモがあったという。
 あれから3年、さめるわけのないほとぼり。デトロワを解消して(とは言っても、相方のパスカル・アンベールを制作の重要な協力者として残しておいて)、ソロ(ベルトラン・カンタ)の名義でアルバムを制作、12月にBarclay(ノワール・デジールからずっとカンタのレコード会社。仏ユニバーサル傘下)から発売するのだそう。レ・ザンロキュプティーブル誌は4年前と同じようにベルトラン・カンタを表紙にし、JD・ボーヴァレによるロングインタヴュー入り6ページ記事を掲載した。たちまちSNS上では男女均等担当大臣のマルレーヌ・シアパが発禁回収要求を出すなど、フェミニスト団体を中心に非難轟々である。掲載号発売の10月11日から今これを書いている10月13日までに、抗議・非難の声を上げた著名人たち : ローランス・ロシニョール(政治家、元・家族問題担当大臣)、ラファエル・エントーヴェン(哲学者)、パスカル・プロー(スポーツ解説者)、マチュー・カソヴィッツ(映画人)、アリソン・パラディ(女優)、ヴァネッサ・パラディ(女優)... その他、フランス国営ラジオFRANCE CULTUREによる「ロマン主義的ヒーローに見立てられたベルトラン・カンタの背景にあるフランスの男性優位主義プレスの伝統」という長い論考も興味深い(読むまでもないと思う)。
 残虐な殺人犯の「プロモーション」に手を貸すレ・ザンロキュプティーブル誌のエディトリアル方針への批判、殺人犯をロックヒーローとして復活させることへの嫌悪感、どうして控えめに活動することができないのか。3年前と同じように、私はこのソロアルバムにおおいに興味を持っているのだが、私は再び大きな記事を書くことはないと思う。
 2017年12月発売予定、ベルトラン・カンタ名義の初ソロアルバム『アモール・ファティ(Amor Fati 己が運命を愛せよ。フリードリッヒ・ニーチェの言葉)』のプロモーション、JDボーヴァレによるロングインタヴュー入り6ページ記事の一部。
レ・ザンロック:きみ自身の名前できみの新アルバムを出すということに躊躇はなかったか?
ベルトラン・カンタ「もちろんあったさ。俺の名前で、ということには執着はなかった。これも共同作業での制作だからね。アルバムのタイトルは "AMOR FATI"と言い、ニーチェの「運命愛」からコンセプトをいただいた。意味は「汝の運命を愛し、それと共に生きよ」ということ。アモール・ファティは覚醒して受容することであり、諦念による忍従ではない。これは俺にとって知性を超えたところにある、強靭な生命の秘密だった。それは俺が後悔や呵責なしに生きているということではない。アモール・ファティ、それは俺がとった行為がもたらした結果をすべて引き受けることだ。俺は下された審判と刑罰を受容するということにおいては常に明白な態度だったし、それは今も変わらない。全知全霊でもって俺はそのすべてを保って続けている。俺は忘れることができない、だが俺は変わることができる...」

 この最後の1行「 Je ne peux pas oublier, mais je peux évoluer (俺は忘れることができない、だが俺は変わることができる)」という意味は何か。 アーチストとして自分の名で音楽をクリエートしていく上で、それが悲劇のヒーローとして自分を変容させることにならないか。またファンが聞きたい音楽はまさにそれではないか。どうやって乗り越えるのか。

(↓)ベルトラン・カンタの初ソロアルバム 『アモール・ファティ』(2017年12月発売)からの初シングルで、イギリスのブレクジットを嘆く歌「アングルテール」





2017年10月17日追記


先週10月11日号のレ・ザンロキュプティーブル誌のベルトラン・カンタの表紙をめぐって、論争(と言うよりはレ・ザンロキュプティーブルへの抗議・非難)は終わっておらず、フランスを代表する女性誌ELLEが、今週号の巻頭論説でマリー・トランティニャンの顔アップ写真を背景に、「マリーの名において」と題するレ・ザンロキュプティーブルとベルトラン・カンタを非難する声明を。以下全文訳します。

2003年8月1日、マリー・トランティニャンはベルトラン・カンタの殴打によって亡くなった。今日、彼女は一つの象徴である。このとりわけユニークな魅力を持った彼女の顔は、男の暴力によるすべての女性被害者たちの顔になった。昨年だけで123人に上る伴侶に殺された名もなき女性たちの顔である。

フランスで1日平均で33人に上る強姦被害を告発する無名の女性たちの顔である。2016年に216000件のハラスメントと暴行を告訴した女性たちの顔である。これらの女性たちには、ハーヴェイ・ワインスタインを告訴した女優たちのような、デヴィッド・ハミルトンを告訴したフラヴィー・フラマンのような勇気が必要だったのである。

マリー・トランティニャン、私たちはあなたのことを忘れない。ベルトラン・カンタのおぞましいメディア露出(「レ・ザンロキュプティーブル誌」10月11日号)などではあなたの炎は消えるわけがないのだ。

「ここに光があるためには向こうには影がなければならない」(A light here required a shadow there)とヴァージニア・ウルフは書いた(1927年『灯台へ』)。あなたはまさにその光であり同時に影なのだ。あなたは、いつの日かただただ信じがたいこの暴力がこの世から消えるという希望であり、同時にその苦しみなのだから。

2017年10月7日土曜日

トレダノ&ナカッシュの「式場狂時代」

"Le Sens de la Fête"
『祝祭のセンス』

2017年フランス映画
監督:エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカッシュ
主演:ジャン=ピエール・バクリ、ジル・ルルーシュ、ジャン=ポール・ルーヴ、エレーヌ・ヴァンサン
音楽:アヴィシャイ・コーエン
フランス公開:2017年10月4日

 の映画の主人公マックス(演ジャン=ピエール・バクリ)の元々の職業はトレットゥール(traiteur = 仕出し屋、総菜屋)だそう。それが結婚披露パーティーのバンケット一切(会場選び+デコレーション+飲み物&料理+ケーキカット+音楽&ダンスアトラクション+花火...) をパッケージングして売っている。日本の仕出し屋祝言みたいなものでしょう。この道30年。しかし世の傾向は結婚などという旧時代の制度に背を向ける若者たちが急増していて、たとえ書類だけはちゃんとしておこうかと役所に行く者たちでも「ナシ婚」で済ませてしまう。新郎新婦とその両両親が泣きっぱなしの「感涙ドラマチック結婚式」など誰も望まなくなってしまった。映画の冒頭は、エッフェル搭とセーヌ川が目の前に見えるガラス張りのバンケットルームでの、未来の新郎新婦とマックスの披露宴パッケージの商談シーンで、若い男女は「メニューから前菜を抜けばいくらになる?」「会場装飾の盛花の予算の最低限は?」と値切ることばかり。しまいにマックスが切れて「飾りなし、テーブルサービスなし、飲み物食べ物各自持ち込みのパーティーにしますか!?」と。
 演ずるジャン=ピエール・バクリは多くの映画でこういうイライラ持ちの不平屋(フランス語では grognon = グロニョン)というキャラクターに決まっていて、こういう役をやらせたらバクリに勝る者はない。トレダノ&ナカッシュはその天下一の不平屋俳優にその最良の役どころをプレゼントしたようで、このことを2017年10月4日号のテレラマ誌(サミュエル・ドゥエール)は
Jean-Pierre Bacri compose le plus beau grognon de sa longue carrière de grognon.(ジャン=ピエール・バクリは彼の長い不平屋芸歴において最も見事な不平屋像を作り上げている)
と評している。グロニョン人生、ここに極まれり。
 さて本編の方は、実際の本番結婚パーティーの当日の準備から翌日の片付けまでの24時間のストーリー。会場として借りた場所は17世紀に建立されたという由緒正しいシャトーで、見事な大庭園もあり。マックスの会社のスタッフ十数人(料理人、給仕人、洗い場人...)に加えて、記念写真屋のギー(演ジャン=ポール・ルーヴ)とその見習い、音楽アトラクションDJのジェームス(演ジル・ルルーシュ)とそのダンサー+バンドといった人々がこの祝宴の裏方であるが、これらのマックスの「手足」たちがまったく協調性がないため、逆にマックスの手足を引っ張ってしまうという大筋。古典的コミック映画の骨組みですが。トレダノ&ナカッシュの映画歴からすると、子供たちのヴァカンス村を舞台に子の扱い方など全く知らない素人インストラクターたちが数々のドジの末に3週間で子供たちと夢の共同体を築くという『われらが幸福の日々(Nos jours heureux)』(2005年。ジャン=ポール・ルーヴ主演)と構造的に似ている。12年前の映画でヴァンサン(J=P・ルーヴ演ずるヴァカンス村の責任者)のインストラクターたちのドジの数々は、最新映画でのマックスの手下たちのドジの数々と同じように、一つ一つが人物キャラを強烈に引き出す珠玉の小コントになっていて、映画がカラフルな絵画パレットのような多人数人間模様になっている。その丁寧さは準主役クラスが十数人いるようなお誂えギャグの連続で、チームワークの賜物のようなCréation collective 的印象を深くする。 そう、駄目チームが主題の映画で、チームの素晴らしさがわかるという二重構造なんですな。
 この新作でとりわけ目を引く準主役の一人が、給仕人不足で当日急に借り出された現金アルバイトの失業者サミー(演アルバン・イヴァノフ)。テーブルサービスのことはもちろん、料理のことも何も知らないのだが、無知のほどが芸になるシーン多数。(↓そのいくつかをまとめた編集断片)

 
 それからマックスの下で現場の指揮を執る副支配人アデル(演エイエ・アイダラ)は、トレダノ&ナカッシュ映画には必ず出てくる切れると猛烈に汚い言葉で怒鳴り散らす女性(前作『サンバ』ではシャルロット・ゲンズブールがその役をした)で、キャラも物腰も「女性版オマール・スィ」。この女優はゴダール『ゴダールの社会主義』(2010年)にも出演していたそう。今後良い役をもらってオマール・スィのように羽ばたいてほしいものです。

 そして前作『サンバ』ではこの人一人のおかげでどれだけ救われたか。エチエンヌ・シャティリエーズ映画『人生は長く静かな河』(1989年)以来永遠のブルジョワ婦人女優エレーヌ・ヴァンサンが、 シャトーで結婚披露宴を開くブルジョワ新郎ピエール(演バンジャマン・ラヴェルニュ)の母親役で登場。はまり過ぎ。華やかで息子自慢ででしゃばりで。おまけに思わぬダークサイドもある。もう姿を見ているだけで幸せになりますね。
 こういう優れた脇役陣の優れたギャグに支えられて、ジル・ルルーシュ、ジャン=ポール・ルーヴ、ジャン=ピエール・バクリの3本柱が活きる。この3者に共通しているのは、3種の斜陽産業で飯を喰っていること。ジェームス(演ジル・ルルーシュ)は21世紀型DJとは程遠い音楽アトラクション屋で、カラオケやディスコダンスの他に客たちのリクエスト(この映画ではジジババたちが、レオ・フェレやらブラッサンスやらを注文)にも応えて演奏しなければならない宴会エンターテイナー。憂さばらしに本番前リハーサルにエロス・ラマツォッティの"Se bastasse una canzone"(1990年フランスでも大ヒットした。わしも大好き)を朗々と歌ってしまう(ジル・ルルーシュ、本当にうまいっ!)のだが、それを見ていた新郎に「イタリア語に聞こえない」とけなされる。この自分こそがスターと目立ちたがるMCジェームスに、新郎ピエールは「シックで地味でエレガント」な進行を厳命し、絶対に絶対に絶対にやってはいけないこととして、招待客全員によるテーブルナプキンのぐるぐる回し(まあ当地では結婚パーティーの最大の盛り上がりの祝福喝采の定番ですけど)だけは絶対にやめてくれと確約させます。映画観客はすでにこの時点で、これは絶対にある、と予測できる。
 意固地に銀塩写真カメラを使い続ける記念写真屋ギーは最も斜陽職業に属する男で、その職業意識が極度のスマホアレルギーを生じさせる。その超アナログ人間が、見習い君からスマホにはGPSによる「出会い」アプリケーションがあり、今この場で理想のお相手を特定できると教わり、一夜にしてスマホ依存症に変身してしまう(その特定されたお相手がエレーヌ・ヴァンサンなのだけど)。(↓写真屋ギー版の予告編)

 ジャン=ポール・ルーヴは記念すべきトレダノ&ナカッシュの第一回監督作品"Je préfère qu'on reste amis..."(2005年)と第二回作品"Nos jours heureux"(2006年)の主演男優であり、難しいこともいろいろ出来る役者だったのに、今やオトボケのキャラクターが定着しているようだ。日本ではヤン・モアックスの映画『ポディウム(俺がスターだ)』(2003年)での偽ポルナレフ役だけでちょっと知名度がある。
 さて冒頭で紹介したグロニョンの名優ジャン=ピエール・バクリであるが、その役マックスは非常に複雑な状況にある。まず経済的にこの立ち行かなない斜陽産業である「結婚式屋」をもはや手放してしまいたいというルーザー感。次に長い間うまくいっていない妻との関係(+ずいぶん前から社内スタッフの女と愛人関係にある)。社で非合法に働かせている現金払いの日雇いや不法滞在移民(これもトレダノ&ナカッシュ映画には毎回必ず出てくる社会問題系のお笑いネタ)のことで役所にビクビクしている。もう何かあったら、これを最後にこの商売から足を洗おうと思っているのだが、映画の進行はそんな生っちょろいことではない大カタストロフによる(イライラ持ちで高血圧持ちのマックスはここでショック死しなければならない程度の)披露宴パーティー大惨事を用意しているのだが...。
 小技ではあるが、携帯メール(SMS)を使いこなせないマックスが、送ってしまうメールがことごとく「自動文書コレクター機能」のせいで、伝えたい意図と反対の意味になったり、卑猥語になったり、というギャグをまとめた予告編(↓)。仏語わかる人には通るだろうが、日本公開時にこの部分の日本語字幕どうするんだろう?(解説すると本当につまらないのだけど、最後の予期せぬ男の訪問者とマックスの会話:男「あなた私のSMS受け取ったでしょう?」/ マックス「それにはちゃんとSMSで返事してますよ」 / 男「あなたはこう書いてます "着いたらすぐにコールしてください。すぐにあなたをペロペロしてあげますから (je viendrai vous lécher)"と。」 ー これは je viendrai vous chercher (あなたに会いに行きますから)をSMS自動コレクターが勝手に修正したという話)

 
 その他、細部にわたってギャグセンスが散りばめられていて、『サンバ』や『最強のふたり』よりも館内の笑いは数倍多い。そしてトレダノ&ナカッシュ映画にはつきものの、みんながしあわせになれるダンスシーンは、夜も老けたディスコ・タイムのボーイズ・タウン・ギャングの「君の瞳に恋してる」(これは1982年のヒット曲。ジジババたちも大喜び)の時、そして件の大カタストロフ/大惨事の後、シャトーの別室でタムール人(マックスに洗い場労働者として雇われた不法滞在移民)たちが演奏する「ウェディング・ソング」( アヴィシャイ・コーエン)。この二つのシーンは本当にしあわせになれる。この映画で音楽担当として起用されたイスラエルのジャズ・ベーシスト(同名のトランペッターと混同するなかれ、こちらはベーシスト)、アヴィシャイ・コーエンの曲では、この「ウェディング・ソング」と映画のサブテーマ曲のように何度か流れる「セヴンシーズ」がとても印象的。それと、新郎ピエール自らが演じる気球を使ったアクロバットショー(ここで大カタストロフは起こるのだが、十分にしあわせになれるシーン)で流れるカスカドールの「ミーニング(コーラル・ヴァージョン)」も素敵だ。 

 そして最後にすべてを救うのは「式場屋だましい」というべきか、イヴェントのプロたちのセンス、すなわち "Le sens de la fête"なのである、ということなのかな? こういう収拾のつけ方ではないように思えるけど。
 マックスのイライラと高血圧がすべて解消してしまう翌朝の片付け、スタッフの解散シーン。フェデリコ・フェリーニが映画の都チネチッタに捧げた映画『インテルビスタ』(1987年)の最後のように、また次の映画で会おう、ではなくて、また次の結婚式で会おうと言って別れていく男たち女たち。心憎いラストである。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)予告編何種類かあるけど、これが一番好き。

2017年10月3日火曜日

ガバリと寒い海がある

イニアテュス[エ・ポック]
Ignatus [e.pok]

 ニアテュス・ジェローム・ルッソーの6枚目のアルバム。ニコラ・ロッソン(電子音楽)、エルヴェ・ル・ドルロ(ギター)、ジェローム・クレマン(ヴィデオ)との共同作業で2015年から始めた「エ・ポック(e.pok)」と名付けられたプロジェクトの第1回作品(第2回があるとは限らないが)。このプロジェクトはイニアテュスによって「実験音楽とシャンソンとヴィデオアートの境界線上にあるパフォーマンス」と定義されている。高踏ゲージツのように思われようが、恐れることはない。イニアテュスですから。
 この頃のイニアテュスについてちょっと触れておくと、こういう前衛っぽい電子音楽とアーティなヴィデオにどっぷり浸かりながら、2015年10月1日からツイッター上で俳句を1日一句のペースで発表している。どんな俳句かと言うと

La vieille veste de mon père 父の古上着
Je la met 着て感じ入る    
Et je le sens jeune 若返り


L’escalier est si large 幅広階段
C’est pour les chutes 不意の転落
Inespérées 仕組められ


Au marché aux puces ノミの市
Il y a trop de douleurs 物どもの痛み
Dans ces choses あまりあり

l est très sage おとなしき子の
l’enfant à la tablette タブレット画面
l’écran préserve qui ? 誰まもる?

Ce livre m’ennuie 本に倦むも
mais ne pas le terminer 読破せざるは
serait comme un échec 挫折なり

J’ai saisi ma chance  運来たり
et je l’ai attachée pour qu’elle ne s’échappe pas… 逃さず掴めど
Mais elle a changé 運変じ

Courir après l’amour 追う恋は
comme après le métro  メトロに似たり
ou attendre le suivant ? 次を待つ?

La dernière feuille de l’arbre 最後のひと葉
garde la mémoire 輝きし夏
d’un été radieux 留めおき

Croquer dans la pomme 林檎かじり
pour se relier encore un peu 大地と繋がる
au sol 少しだけ

 どうです。なかなか。われわれに親しい東洋短詩の真髄を射当てているような、心象情緒の凝縮かげんがお見事。「飯田橋冬です」(レ・ゾブジェ1991年アルバム『ラ・ノルマリテ La Normalité』9曲め"Watashi wa")の時から、ジェロームは日本風「もののあはれ」を日本語でも表現できていたのだから。若くして竹林の詩人のような渋味ある洞察が、その歌詞にも随所に。それがソロアーチストになってからは、バスター・キートン風な不条理ユーモアの方向に行っちゃって、私と仲間たち(あの当時はYTTという会社がオーベルカンフ通りにあって、ジェロームはしょっちゅう遊びに来ていた)はそれが大好きで、アルバムが発表されるたびに1枚1枚力のかぎりに応援していたのだった。"L'Air est différent(日本語題『異空』)”(1997年)、”Le Physique(日本語題『イニアテュスの身体論』)"(2000年)、"Cœur de bœuf dans un corps de nouille(日本語題『ヤワな体に牛の心』)"(2004年)、"Je remercie le hasard qui(日本語題『ありがたき偶然』)(2009年)、 私は歌詞対訳をしたり、ライナーを書いたり、力いっぱいの布教活動をしていたのだった。力はなかなか及びませんでしたけど。
 2017年9月9日にリリースされた新アルバムは大きなレコード会社とも、大きなプロモーションとも無縁で、CDはFnacやAmazon.frでも流通していない。LA SOUTERRAINE という仏語表現の独立系アーチストたちの流通互助団体がネット販売している(このLA SOUTERRAINEの代表のバンジャマン・カシェラをOVNI「しょっぱい音符」2015年10月15日号でインタビューしている)。だけどこんな流通だから、誰の目にも耳にも入らないのではないか、と心配されたが、なんとテレラマ誌9月18日号が「ffff」で大絶賛したのです。筆者フランソワ・ゴランは「イニアテュスは奇人(original)であり、この男のそばを通りながらいつまでもそっぽを向くわけにはいかない」と、知らない人は緊急に発見せよとけしかけています。私だってこのテレラマ評を読んで、あわててこのCD取り寄せたんです。ジェロームから手製の俳句スティッカー4枚と手書きメッセージ(皮肉と病気見舞い)付きでCDが届いたのが9月末。
 届いたアルバムは既にYouTubeに載っていた[e.pok]のティーザー(↓)

 よりもずっとソフトな前衛で、3次元で聞こえる(らしい。私はいいオーディオ装置を持っていないのでよくわからない)機械音・電子音・サンプル音もユーグ・ル・バルスのような茶目っ気が勝ってる印象が強い。そして何と言っても詞が風通しが良くて、多弁・饒舌を排除したスリムでクラシカルで象徴的なパロール。歌っている曲もあれば、朗読に近い語りの曲もあるが、後者の場合は歌わずとも音律が既に音楽であるような。これは上に例を挙げたような、ここ数年の俳句習作で獲得した詩情なのかもしれません。表現が不条理や笑いではなくなっていて、風情や境地のようなものが枝葉の少ないメタファーで浮かび上がっていくような。例えばこの2曲めの「ベーリング海峡」という歌です。

おまえは狼の平原を横断したあと
最終の村で一晩過ごさなければならない
アザラシのラードを忘れるな
それから村長の土産にウイスキーとたばこも
力を蓄え、たくさん食べるんだ
手を保護することを忘れるな
林の中を通らされることになるぞ
そのあとは振り向いてはいけない

俺はベーリング海峡の向かう側でおまえを待っている
焼けるような氷の端、諦めない感情

俺は小屋の中に身を寄せ、同じような時間を繰り返す
本を読み、料理をし、薪を割る
冬越えの蓄えは十分にある
寒さで俺とおまえの大陸がくっついている限りは

俺はベーリング海峡の向こう側でおまえを待っている
氷の中に俺には見える、俺とおまえの歩みが接するのが

おまえのアラスカ、俺のシベリア
すべては俺たちを対立させ、すべては俺たちを近寄せる
同じ雪、同じ無限
だけど感じ方は違う
白く冷たくまっすぐな1本の道
どの面も凍りついた大地
同じ凝結への不安
同じ暖化への恐怖

俺はベーリング海峡の向こう側でおまえを待っている
急いで、寒くなるから、俺はおまえに告げることがある
 ベーリング海峡はあらゆる点においてボーダー(境界)です。旧大陸( シベリア)と新大陸(アラスカ)、20世紀的には共産主義(ソ連)と資本主義(米国)、昨日と明日(日付変更線)、海洋的には太平洋と北極海を分かつ海峡です。イニアテュスは1984年、24歳の時に弟と二人でシベリア鉄道に乗ってソ連・中国さらに極東・韓国から日本までの長旅を挙行していて、荒涼たるツンドラの雪原の記憶がこのような歌を書かせているのだろうと思います。1987年、米国の女性遠泳選手リン・コックスがベーリング海峡横断に成功した時、「米ソ雪解けの象徴」と祝福されたそうですが、今や深刻な地球温暖化による雪解け&氷解けでこの海峡の幅は拡がり、両大陸を遠ざけているわけです。21世紀的寂寥を思わずにはいられない歌です。
 続く3曲めがこのアルバムで最も俳句的な歌でタイトルもそれ風な「朝を読む(Lire Le Matin)」 というもの。
耳の中で樹液の音、ようやく私の心を鎮める
古い本の森の中、わずかな休息
私の根が育まれる大地の力

朝を読む

この10月の家で、肘掛椅子に座し
私は心地よい、リンゴの木もすぐそばに
そして時は木々の下に横たわる

朝を読む

孤独は何世紀もの崖っぷちの生の数々から成り
ここでは軽やかだ

朝を読む
私たちにちょっとだけ親しい、水墨画や日本庭園や華道の写真集を見るような落ち着いた3分間。こういう音楽を聴いて、やっと、20年かかってやっと、イニアテュスは私が応援していたようなオトボケ系シンガーソングライターではなく、風雅の詩人であったということに気がついたのです。遅くて悪かったけれど、そのために私もイニアテュスも歳とらねばならなかったのです。

<<< トラックリスト >>>
1. Epok
2. Le détroit de Béring
3. Lire le matin
4. Un travail
5. Corps et bien
6. Florida
7. Dans l'eau
8. Oiseau
9. Dans la barbe de dieu

LP/CD Ignatub Ign0013
フランスでのリリース:2017年10月27日(配給 Differ-Ant)

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)「ベーリング海峡」(ヴィデオ:ジェローム・クレマン)




2017年9月29日金曜日

エリック・ロメールは死んだ

"Un beau soleil intérieur"
『内なる美しき太陽』

2017年フランス映画
監督:クレール・ドニ
主演:ジュリエット・ビノッシュ、グザヴィエ・ボーヴォワ、ニコラ・デュヴォーシェル
フランス公開:2017年9月27日

 私にとってエリック・ロメール映画のほとんどは、理想の愛を求める理屈ばかりこねて、そのかけらがいろんなところに見え隠れするのに、絶対にそれに到達することができず、どうしてそうなるのかわからずに泣いてばかりいる女(or 男)のストーリーです。永遠でしょ? 普遍的でしょ? なぜなら私たちは一人一人みんなそうなのです。この理屈の通らない壁は自分ではなく絶対的に相手(他者、ひいてはこの世)にあるのです。自分は少しも悪くないし、これほど努力してるのに、という被害者・受難者のセンチメント。だから一連のロメール映画は、主人公への感情移入のあまり(日本の70年代任侠映画の深夜映画館のように)観る者に「そうだ!そうだ!」と声が出てしまうほどの共感を生むのです。そう言えばこの映画の中で、画家イザベル(演ジュリエット・ビノッシュ)の作品を扱うアートギャラリーの女主人マクシム(演ジョジアーヌ・バラスコ)の事務所の壁に、かなり目立つように東映映画『昭和残侠伝 - 血染めの唐獅子』(1967年マキノ雅弘監督、高倉健主演)のポスター(→)が貼ってあります。何なんでしょうか。
 そしてエリック・ロメールは死んだ(2010年、89歳)。
 クレール・ドニ監督、クリスティーヌ・アンゴ脚本、ジュリエット・ビノッシュ主演の映画『内なる美しき太陽』は一言で表せば "トラッシュ版ロメール映画”だと思います。そのトラッシュ加減は映画の冒頭から明らかで、イザベルとその愛人の一人で銀行マンのヴァンサン(演グザヴィエ・ボーヴォワ)が性交をしているのですが、男が遅漏クンで精一杯頑張ってるのになかなか果てない、女は突かれながら白けていて天井ばかり見ている、たまらず「早くイっちゃって」と女が声をかけると、男が「前の男の時はそうじゃなかったんだろ」と飛んてもない余計なことを口走ってしまう。イザベルは怒り爆発しヴァンサンを突き放し、泣いてしまいます。滑稽ですけど悲しいですよね。そういう映画的でも文学的でもない「生身っぽい」エピソードに溢れた映画なのです。
 イザベルは長い間連れ添い一児(娘)までもうけた伴侶フランソワ(演ローラン・グレヴィル)と破局し、二人で購入した画家アトリエ付きのアパルトマンに娘と二人で住んでいます。二人で買ったものなので、カギはフランソワも持っていて、よりが戻りそうになったら帰って来る可能性もわずかに残しているのです(こういうところ、ロメールっぽいと思いますよ)。ある種大きな愛の終り。想定としては50歳ほどからの再出発です。クレール・ドニのカメラアイは十分に残酷で、裸のジュリエット・ビノッシュの年輪(別の言い方ではタルミやシワ)をかなり強調します。おまけにこのイザベルは年齢と取り巻く社会(パリ左岸系アート業界)とおよそ不釣り合いな「若い娘の街着」を身につけ、歩きづらく着脱に死ぬほど苦労するヒールつきブーツを履いています。滑稽ですけど悲しいですよね。
 件の銀行マンのヴァンサンは、高慢で金ピカでやり手で「妻を愛している」と言うお都合主義者で、何一つ良いところのない卑劣漢なのですが、イザベルはそんな男でも「電話する」と約束した日に電話が来ないとイライラし、会えない寂しさに涙してしまう。相手にしなければいいのに、「駒のひとつ」として残しておくのです。
 次に現れるのがイザベルよりは相当若い舞台俳優(演ニコラ・デュヴォーシェル)で、才能ある演劇人ながら未成熟で、夢もあれば不安もある。会えば(例えば、俺はもう妻とうまく行かない、といった話も含めて)長々と自分のことしか語らない男で、イザベルが明らさまに「もういい加減にしてよ」という顔をしても気づきません。何も語らず、この若く優しい肉体に抱擁されたら、どれほど幸せかと思うのですが、えてして男はそういう風にできてません。
 毎回魚屋で出会う男マチュー(演フィリップ・カトリーヌ。居てるだけで可笑しい)はぶよぶよの心優しいブルジョワで 、アートに興味があって田舎に城館を持っているという武器だけで会う度にイザベルを誘惑するのですが、イザベルは全く興味を示しません。このカトリーヌはロメール映画におけるファブリス・ルッキーニの役を想わせるものがあります。
 そしてアートギャラリー関係者たちと入ったナイトクラブで、業界話に辟易したイザベルが一人でダンスフロアーで踊っていると、めちゃくちゃダンスの上手い若者シルヴァン(演ポール・ブラン)に腕を取られ、ダンスの甘い陶酔で誘惑されて恋仲になります。若く、下町(漠然とパリ18区)生活者で、教養も金もない ー と友人でギャラリー業界者のファブリス(演ブルーノ・ポダリデス)はイザベルに「こんな不釣り合いな関係は失敗するに決まっている。俺たちの世界(左岸的ブルジョワ・ボエーム世界)にとどまっていろ」と忠告します。あれま、これはクリスティーヌ・アンゴの小説『愛人市場』(2008年。ラップ歌手ドック・ジネコとの関係を描いたオートフィクション)で出てくる「18区 vs サン・ジェルマン・デ・プレ」対立構図の援用ですね。シナリオを書いている本人なので仕方ありませんが、登場人物たちはみんなアンゴの小説のどこかでお目にかかったような人たちばかり。しかしてシルヴァンとはファブリスの忠告通り「身分の違い」を理由に別れてしまうのですよ。滑稽を通り越して呆れてしまいますけど。
 そんな風に何人とも「理想の愛」を求めて関係するのですが、男たちはどこか決定的な何かが欠落していて、イザベルは泣いてばかり。週替わりで娘の世話をする元伴侶フランソワは、娘から「ママンは泣いてばかりいる」と聞かされ、心配になりイザベルに優しく慰めたり、週末旅行を誘ったりしてきます。イザベルはひょっとしたら「大きな愛」が戻ってくるのではないか、と期待もします。お立会い、この映画が"トラッシュ版ロメール映画”だと私が言う極め付けのシーンはここなのです。お互いによりを戻したように思っている時に、フランソワがアパルトマンの鍵を自ら開けて、イザベルのところにやってきます。大喜びのイザベルはかつてのように裸になってフランソワをベッドに誘い込みます。二人は盛り上がり、いい感じです。そしてフランソワがさあいよいよ挿入という段になった時、フランソワは自分の右手の指2本(人差し指と中指)を舐めて唾液でベトベトにするのです!わかりますかこの動作? ー イザベルはそれを見て真っ赤に逆上して、「私と一緒だった時、あなたはそんなことしなかった!」(言い換えれば、どこでそんなこと覚えたの!)とフランソワを乱暴に押し返して、またまた泣いてしまうのです。

 多くの映画評では、映画の最後部に登場する男占い師(演ジェラール・ドパルデュー)とのダイアローグがこの映画を全部救ってくれるシーンのように高く評価されています。言わば、あらゆる男たちに失望しながら、果たして理想の愛は巡ってくるのかを占い師に問うという、何にでも癇に触るナーヴァス&インテリ女性にしてはありえなかった「神だのみ」なのですが、占い師はソフトにソフトにこの傷ついた女性を誘惑していくのです。名人芸。
 それにしてもクリスティーヌ・アンゴ小説に親しい人たちにしか楽しめないのではないか、と思わせる内輪受けシーン多し。仕方ないですね。
 私(女)が望んでるもの、私(女)が幸せになれるもの、そういうものの裏の裏まで読んでくれる男などこの世にはいないのに、金の心を求め続ける採掘者、and I am getting old...。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)"Un Beau Soleil Intérieur"予告編

 

2017年9月28日木曜日

線路の上じゃ賭け事ばかり

ラティライユ『偶然の取り分』
L'ATTIRAIL "LA PART DU HASARD"

1994年結成だから23年め。グザヴィエ・ドメルリアック率いるラティライユの13枚めのアルバム『偶然の取り分(LA PART DU HASARD)』。10月20日リリース。
勝手な想像上の共産主義東欧やアジア深部をロードムーヴィー風に音楽化したアルバムを6枚、その誤解された旧大陸感覚を大西部〜メキシコまでワープさせたアルバムを3枚、映画音楽アルバム3枚。こういう人たちの EAST meets WESTは時間的にも空間的にもズレがある。新作のテーマは「旅と賭博」。旧ヨーロッパから新世界へ移動する汽車の中で24時間止まらないトランプ賭博。偶然の取り分とイカサマの取り分、熱くなる博徒とキープクールな博徒、チューチューガタゴト…。
プロモーションビデオクリップの曲は「ポーカー・トリロジー part 1 : ポーカー・イン・ザ・マウンテン 241」。グザヴィエ・ドメルリアック作のインスト曲。得意な旧大陸ウェスタン展開で、モリコーネ趣味があちらにもこちらにも。「ザ・マウンテン241」とはフランス国鉄(SNCF)が1948年から1952年まで運行していた(フランス最後の)旅客用急行蒸気機関車(パリ⇄マルセイユの急行「ミストラル」で有名)。雰囲気わかるような気がする、それ風インスト。

L'ATTIRAIL "LA PART DU HASARD"
CD (16 tracks) CSB Productions AD4368C

フランスでのリリース:2017年10月20日

(↓)"Porker Triogie Partie 1 : Porker in the mountain 241"


2017年9月26日火曜日

好きな人と好きなことをしたいだけ

Leïla Slimani "Sexe et Mensonges"
レイラ・スリマニ『セックスと嘘』

 書の題は多分1989年カンヌ映画祭パルム・ドール賞作品『セックスと嘘とビデオテープ』(スティーヴン・ソダーバーグ監督)からインスパイアされたものかもしれないが、内容は全く関係がない。副題に「モロッコにおける性生活」とあり。2016年度ゴンクール賞作家レイラ・スリマニの新刊はフィクションではなく、副題の通りモロッコのセックス事情について自ら現地で取材した証言集ドキュメンタリーである。「現地で」と書くと外国ごとのようだが、スリマニは1981年モロッコ(ラバト)で生まれリセ卒業までモロッコにいて、家族を離れて1999年にパリに留学して以来フランスで生活しているモロッコ&フランス二重国籍者であり、モロッコは今も彼女の国である。
 ゴンクール賞受賞作『やさしい歌』(2016年)の2年前2014年に発表した第1作めの小説『鬼の庭で』は、セックス依存症の女性の二重生活を描き、前例を見なないコアな性表現のために「トラッシュ小説」と評されもした。同年のフロール賞候補にもなりメディアで(スキャンダラスな)話題にもなったこの作品は、ある方面からは「モロッコ出身の女性なのにどうしてここまで」という偏見の声も上がった。それはモロッコはムスリムの教義の伝統があり、女性たちはずっと控えめであるはず、という見方からの驚きであるが、それがいかに的外れであるかということをスリマニは反証していく。 Jeune Afrique誌の第一線ジャーナリストとして鳴らした取材力を生かして、小説『鬼の庭で』がらみのモロッコでのレクチャー会、女性問題シンポジウムなどで出会った女性識者、読者、運動家、SNSなどでコンタクトのとれた市井の女性たち(学生、娼婦、同性愛者...)の証言を2年がかりで収拾し、筆者の考察・解説を加えて一冊の本にしたのが本書である。
 モロッコは王国ながら議会制民主主義の体制は取られていて、政治的に安定している穏やかな近代国家で、観光産業で世界に開かれ、芸術フェスティヴァルやヴァカンスリゾートでヨーロッパからは好印象で見られているような気がする。特にマグレブ3国(アルジェリア、チュニジア、モロッコ)の中では最も安定していて、最も欧州寄りのような印象がある。2011年にはモロッコにも「アラブの春」の嵐が吹き荒れ、国王権限の縮小という成果も得ている。近代化と民主化には意欲的であるかのようなポジティヴな外見。しかし「モデル=西欧」ではないというアイデンティティー的抵抗もあり、イスラム・アラブ伝統とオクシデント的文化スタンダードは拮抗・反発し、衝突もある。インターネットは「モロッコの春」の牽引車となっただけでなく、あらゆる情報をモロッコの若い世代にもたらしたが、その大きな「情報」の中にポルノグラフィーとイスラム原理主義ジハード派のプロパガンダもある。2017年3月の数字で全体の失業率は15.6%、失業者数130万人、そして都市部の15〜24歳の若年層の失業率は40%を上回る。インターネットはそんな若者たちに溢れるほどの情報をもたらすが、ほとんどが欲しくても手に入らないものであり、フラストレーションを煽るばかりである。モロッコにおける性の問題はその大きなファクターでもある。
 モロッコは法律で婚外の性交渉が禁止されている。性関係は結婚した夫と妻の間でのみ許されていて、不倫姦通、婚前の性行為、売春、同性愛、妊娠中絶も刑罰の対象となっている。すなわち結婚前の男女というのは童貞・処女でなければならない。結婚時に新郎側は新婦に医学的純潔証明書を求めることができる。新郎の童貞は証明しようがないので、その慣例はない。女にのみ不利な純潔第一主義である。今日でも超保守的で厳格な結婚の風習のある階級や地方では、少女は何が何でも処女性を守らなければならないし、問題がある場合は非合法の処女膜再生手術を受けてその問題を隠すことになる。この法律では婚前に処女でないことだけでも犯罪であり、たとえそれが暴行によるものであっても、なのである。
 こういう法律がずっと改正されないまま今日まで続いているのだが、モロッコの性風俗は周りの世界同様に時代と共に変化してきている。旧時代的な法律に抑えられながらも、それに隠れて(あるいは隠れず堂々と)自由恋愛は存在するし、売春もある。現実にセックスはどこにでもあるようにモロッコにもある。本来ならば許されないところだが、隠れてやっている分には目をつぶろうという欺瞞的体制なのである。だが自由恋愛はどこでできるのか?ホテルは男女が宿泊する際夫婦であることを証明しなければならない!車の中、公園の茂み、森の中? そういうところには時々パトロールの警官が巡回するのだが、警官は法を盾に取って「不良男女性犯罪」を取り締まるのではなく、法律違反も金次第と無罪放免のバクシーシをたかるのである。だから、この種の自由恋愛は自由に使えるアパルトマンを持っていたり、バクシーシを払える金の余裕のある階級には何の障害もないのであるが、大多数の「持たざる階級」は大変なリスクを冒して自由恋愛をすることになる。実際にそういう性犯罪者(婚外関係を持った者だけでなく、同性愛者や売春婦なども)が摘発され収容される監獄というのがあるが、捕まるのは貧しい人々だけということになる。
 女性たちはこの環境で「性的悲惨(misère sexuelle)」を二重にも三重にも負わされている。家父長制の伝統とムスリムの倫理教条を守る家庭の中で、娘たちはひたすら結婚前の処女性を守るという教育を受け、女の一生を「処女」→「母(子供を産む器官)」という二つのピリオドに凝縮することを要求される。恋愛や性快楽は禁忌であった。しかし、教育は少女たちの考えを解放してきたし、高等教育(女子の大学進学率の急伸)や職場への女性進出は状況を変えてきている。本書の中の女性たちは、リセや大学や職場では女同士でタブーのない性の話をする。法的に、伝統文化的に、それが抑圧されているということに耐えながら、隠れてでも自由に恋愛ができ、性的に解放された人生に向かおうとする。例えば作者がアガディールで出会ったこのヌールと名乗る30代の中産階級の女性の証言。彼女は家で父親から伝統的で厳格なムスリム道徳を教え込まれたが、頭部をベールで包んだことはなく、学生の頃から世に憚りながら性的自由を選択している。粗く訳してみます。
大学の階段教室ではおよそ100人の女子学生の中でベールを被らないのは4人しかいなかった。私が嫌悪するのはこの子たちは宗教的な理由でベールを被っているのではなくて、流行だからそうしているだけだということ。これは多くのことの障害になるし、人間関係を難しくする。仕事場では、ベールを被っていないのは私一人。私は男たちに囲まれて働いている。一度だけそこにスカートをはいて行ったことがあるけど、真っ裸にされたような印象で堪えられなかった。それ以来二度としていない。以前はよく女友だち同士で誰かの家に集まってパーティーしていたけれど、いつからかそれは宗教的な会合に変わってしまい、みんなベールを被っていて、私が行くとどうして私がベールを被らないのかとひっきりなしに問いただした。まるで彼女たちの間で誰が一番信仰深いかを激烈に競っているかのような。私はそんなこと強制されるのはまっぴら。私の母はベールを被っているけど、私には気にならない。私だっていつかベールを被ることになるかもしれないけれど、それは私自身が望んだらそうなるという話。
処女を頑なに守っている子たちは、自分自身の奥底にある欲望を押し込んだままにして、圧迫している。私はベールを被った娘たちでヒーメンを保持するためにソドミーを許している子たちがいることを知っている。でも私は純潔を守るという口実の下にそんなことをするよりも自分の快楽を深く感じることの方が千倍も良いことだと考える。彼女たちは快楽ということすら考えたことがないし、この問題に真剣に取り組むことなどありえない。
時々私は不安に駆られることがある。私は処女ではないから一生結婚できないのではないかって。私はかなり保守的な家庭の出身だから怖いのよ。私が住んでいる地区は隣近所みんな顔見知りで、住人の噂話や悪口を吹聴することに余念がない。私は処女ではないから、私のことを前もって知らない男とは絶対に結婚できない。だから私は両親にはよそからの縁談はすべて拒否するからと言ってある。
私は近所の噂話を断ち切ってしまいたい。ある男と寝たという話は、必ずその男の複数の友だちに自慢話として広がってしまう。するとその悪友たちは「あの娘がこいつとやったって?だったら俺とでもやれるんじゃないか?」と言い出すのよ。この男たちには、私は彼を選んだのであって、他の男など欲しくないということが理解できないのよ。
(彼女は今、それまで自分が処女だったということを信じさせることができた男と交際しているとやっと告白してくれた。彼女はそのことが彼女の尊厳をどれほど傷つけているかということをよく理解していないようだった。彼女は私の驚きの視線に気づいたが、いとも自然にこう付け加えた)
私は何も知らない娘のように振る舞ったの。私はひどく醜い態で彼とセックスした。その後私について様々な噂が立って、私はとても怖くなったの。
(初めて彼女は泣きそうな顔になった)
私はお金を貯めて処女膜再生手術をするべきではないか、としょっちゅう自問している。私は両親の手前とても苦しんでいるの。私は両親をがっかりさせたくないの。それは私をひどく苦しめる。結婚できないのではないか、そして何よりも子供をもうけられないのではないか、ということが怖い。自分を問い直すの、私は本当に良い選択をしたのか、って。神の下に戻っていきたいと思うことだってあるのよ。あなたにはわかる?私にはベールを被ることを選ぶ女たちのことが理解できるわ。私はそうしないわよ、だって私はオプティミストだもの。だけどね、先のことはわからない。
もしもそれを知ったら、父親は心臓発作を起こしてしまう。母親には多分言うことができるかもしれないけれど、私は彼女を傷つけたくない。その上、性生活を保つというのは非常に複雑なこと。誰かの家だったり、アパルトマンを借りたり。ホテルでは不可能。とても不幸よ。本当に単純なことのはずなのに、そのちょっとしたことと生きることができない!私は不可能なことなんか望んでいるんじゃない、好きな人と好きなことをしたいだけなのよ!
(p38 - 41部分訳) 

 この証言は本書中、最もソフトなものかもしれない。女たちは一人ずつ分断されているわけではないし、声を出す人たちはネットワークを持つし、インターネットフォーラム、ラジオのフリーダイヤルイン、人権団体の無料相談などの広がりを持って、この不条理な「性の悲惨」と闘っている。本書の証言者は娼婦を含む市井の女性たちばかりではなく、女性医師、女性宗教(イスラム)学者、女権運動者たちにも及んでいて、モロッコにおけるこの性抑圧は、種々の性犯罪取締法+家父長制男性原理社会+伝統ムスリム倫理+性教育の不在+インターネット情報氾濫...といった複雑な複数要素の上に成り立っていることがわかってくる。「性の悲惨」の被害者は(女性の何倍も小さいものであるにせよ)男性も同じなのである。恋愛や快楽を知らず、何の知識もなく、ポルノグラフィーで得た情報だけで性の現場に放り出されるのだから。証言者の一人は端的な例として「モロッコの男たちは"前戯"というものを知らない」と発言している。You don't know what love is.
  重く暗い影はベールを被る女性たちの増加ではない。イスラム原理主義は「法よりも上」の戒律で人々を洗脳しようとする。だから、これにはイスラム者たちがちゃんとした答えを出さなければならない。原理主義だからダメなんだ、という答えではないものを。それは「イスラムの教えは女性の快楽を禁止するものか」という問いであり、「コーランに明言されている」という確かな証拠があるのか、ということである。その答えは本書のp109〜p122、その肯定論と否定論の紹介の後に載っている、ラバトのラビタ・アル=モハマディア・イスラム女性研究センターの理論学者アスマ・ラムラベットの証言を読んでいただきたい。ムスリムの女性たちは胸を撫で下ろすかもしれない。
 「モロッコにはモロッコの伝統があり、西欧モデルに追従する必要はない」、「性の解放は道徳の堕落と退廃を招く」ー こういうことは議論したらいい。幸いなことにモロッコはこのことで自由で活発な議論ができるのである。この点でレイラ・スリマニはこの国の性の問題は全く悲観的ではないと考えている。
 そして私が最もスリマニの本書に頭が下がるのは、自由に恋愛をする権利、性的に幸福になる権利は、普遍的に人間の最重要な権利である、という大前提でものを言っているということなのだ。自由な恋愛と性的オーガスムは絶対に権力や宗教に抑圧されてはならないものだ、ということ。上に訳出したヌールという女性の証言の結びでいみじくも言っていること「好きな人と好きなことをしたいだけ」、この権利は絶対に守られなければいけないのだ。レイラ、よくぞここまで。レイラ、You've got me on my knees

Leïla Slimani "Sexe et Mensonges"
Les Arènes刊 2017年9月6日  190ページ 17ユーロ

カストール爺の採点:🎩🎩🎩🎩🎩 

(↓)2016年テレビのカナル・プリュスに造反したジャーナリストたちで立ち上げた新しいニュース・メディア BRUT.FR による、レイラ・スリマニ『セックスと嘘』の紹介(2017年9月25日アップロード)。


2017年9月18日月曜日

猪突猛進の雲を見たから


(写真:カストール爺 17 sep 2017 / 音楽:ゴンタール「いのしし」

 8月14日、3か月続けてきたケモセラピー(化学療法)、6回目(予定では最終回)のGemox 点滴。
 9月1日、約5か月ぶりの上半身CT検査。
 9月 6日、キュリー研究所(サン・クルー)で担当医と面談。肝臓と肺に転移している複数のノデュールのうち、肺部のそれは安定しているが、肝臓のものは前回検査よりも10%体積が膨張している、と。Gemox の効果に疑問。新療法への移行を検討する、と。
 9月11日、担当医から電話。 新療法(免疫療法)の可能性なし。10月からGemox を配合薬分量を変えて続行する、と。1ヶ月間の治療休止期間(8月から数えると2ヶ月間か)。
 9月13日、長時間のフライトに耐えられる体力があるうちに、と9月末日本への一時帰国を企図するが、グザヴィエ・ドラン映画『たかが世界の終わり』 (2016年)を観たのか観なかったのか、家族が動揺してしまう。たぶん中止になる。
 9月18日、市内マルセル・サンバのラボラトリーで血液検査。
 9月22日、市内ヴィクトール・ユゴー通りの主治医と面談。糖尿病(特にひどくなっている頻尿)の相談。
 9月23日、月に一度会っている「私設カウンセラー」(?)と2ヶ月ぶり(8月は向こうのヴァカンスで中止)のランデブー。ヴデット・ド・ポン・ヌフでセーヌ遊覧の予定。
 9月25日、キュリー研究所(サン・クルー)で担当医と面談。新療法を探しているが、それがどれほど「狭き門」かを説明してくれるのだろう。その他の何か代替え見つけてくれたのだろうか。
 (9月26日 - 10月12日:何も予定なし。日本に行くべきかどうか、まだ迷っている)
 10月13日、キュリー研究所(サン・クルー)MRI検査。
 10月16日、キュリー研究所(サン・クルー)で担当医と面談。MRIの結果の報告、その他について。1ヶ月半でさらに悪化していれば、違うことも考えてくれるのだろう。
 10月23日、何も変化なければ(+何も代替え療法が見つからなければ)、Gemox ケモセラピー再開(3ヶ月間の予定)。

 これが 私の8 - 9 - 10月(過去・現在・未来)。 Life goes on。

2017年9月10日日曜日

Oh 嫉妬 !

アメリー・ノトンブ『己が心臓を叩きたまへ』
Amélie Nothomb "Frappe-toi le coeur"

 の終わりのノトンブ。1992年から毎年8月末に小説を発表してきたベルギー女流作家、2017年新作は通算26作め。私はすべてを読んでいるわけでもないし、ファンでもない。しかしこのブログでも5つも記事を載せているし、好き嫌いを別として、私にしてはちゃんと「おつきあい」を続けている稀な作家である。
 このところ寓話的な作品(『青ヒゲ』2012年、『巻き毛のリケ』2016年)が続いていたノトンブの新作はなんと古典的心理小説です。最大のキーワードは嫉妬(jalousie)です。 それも100%女と女の嫉妬です。時代は1970年代から2000年代までの30数年。携帯電話もインターネットもなかった時代から始まりますが、それだけではなく女性の地位やライフスタイルも今とはかなり違っていました。そういう意味では男っていうのは何十年経ってもさほど変わっていないのです。ノトンブの小説では男はほとんど問題になりません。一様につまらない人種のように描かれます。一理も二理もありますが。
 舞台は地方都市。サイズとしては大学に有名な医学部があり、無理して中央に出なくても中央に遜色なく暮らせるパワーのある都市。しかし十分に小さく、町の噂はすぐに津々浦々まで 伝わるような。若くして町一番の美女の評判が立ち、言い寄る男たちを蹴散らして尊大に生きているマリーという娘がいます。しかし理想の男は簡単に現れます。オリヴィエは優男で代々の自営業(薬局)のあととりで、マリーに絶対的に尽くすタイプの男です。二人は恋に落ち、結ばれ、早くも第一子が誕生します。この長女ディアーヌが生まれた時にマリーは20歳、彼女はその誕生の喜びよりも「私の青春はこれで終わった」という憂いの方がずっと強かったのです。そして周囲の人々がその新生児の美しさを天使のようだと賞賛する時、マリーはその美において「私はこの子に勝てない」と直感します。この子の誕生によって私の人生は既に終わってしまったかのような。若い母の娘に対する嫉妬はスタートラインから始まっていたのです。
 その母の直感に呼応するようにディアーヌは見る見る美しくなり、おまけに並外れて頭が良いのです。この後者の要素が母親マリーには欠けていましたが、本人にはその自覚がありません。母親は幼いディアーヌに対して一貫して冷淡な態度で接しますが、その女神(作者は時折マリーを”déesse”と呼び換えます)のような尊大さは根っこのところでディアーヌを愛しているに違いない、というかすかな期待をディアーヌは長い間持ち続けます。マリーに二人目の子供ニコラ(男児)が生まれます。するとどうでしょう?マリーはこの男児を非常に可愛がって育てるのです。ディアーヌに対する態度は変わりません。ここでディアーヌはこの母親は女児に対する生理的嫌悪感があるのではないか、と想像します。しかし時が経ち、3人目の子供を宿すのですが、生まれてきたのは女児(名前はセリア)。この女児をマリーはニコラの時に数倍輪をかけて溺愛するのです。この時になってやっとディアーヌは自分だけが母親に嫌われていることを悟るのです。
 この結論に至るまで、聡明な子供のディアーヌは逡巡(ゴメンなさいね難しい言葉。シュンジュン)があり、子供なりにさまざまな推論を立てて、ありえない仮定(=母親が子供を愛さない)を避けてきた。この辺が優れた心理小説の筆です。う〜む。
 しかしこのこの結論が出るや、黒々とした理不尽な思いから救われるために、ディアーヌは代理の母親、代理の家庭を探します。その最初の避難所が母方の祖父母の家庭で、実家族と別居してそこで平穏を取り戻します。しかし長続きせず、祖父母が事故死してしまいます。次の避難所がリセの親友のエリザベートです。心の打ち明けられる友だちというものを持ったことがなかったディアーヌの大転機ですが、この歳頃の親友関係にありがちな擬似同性愛的で何かあれば嫉妬が顔を出してしまいます。ここも一流の心理小説。う〜む。祖父母の死で実家に帰らなければならなかったところを、エリザベートの家庭がディアーヌの引き取りを申し出て、その後も実母との軋轢を避けて平穏に暮らせることになります。
 超秀才美少女のディアーヌは、エリザベートと異なり、歳頃の言い寄ってくる男たちに何の興味もなく、あらゆるノトンブの小説の男たちのように、この小説でも男たちは魅力に乏しいのです。そして大学の医学部(心臓医学科)に入学したディアーヌは、つまらない男社会とぶつかります。学会や教授会における圧倒的男性優位です。それと果敢に闘いながら、男教授たちよりも数倍明晰な講義をするオリヴィアという女性講師と出会います。自分の倍ほどの歳、つまり実母マリーと同じほどの歳の聡明な女性に、ディアーヌは強烈に惹かれていき、親密な師妹関係ができていきます。小説の後半はもっぱらこの関係に割かれます。なぜならこれがディアーヌにとって最重要な「代理の母探し」となるからです。
 二人の関係は学術的な興味も含めて、刺激的に両者を向上させていきます。多分ディアーヌはオリヴィアよりも頭脳において勝るということを知っていたはず。いつしか教え子が教師をリードする関係になり、ディアーヌはオリヴィアに男共に負けないために教授資格を取るよう仕向け、2年間の資格取得準備(論文作成)を365日体制で手伝うのです。寝食を忘れるほどディアーヌはオリヴィアに尽くします。そしてオリヴィアの家庭の中に入っていくのです。
 オリヴィアには夫スタニスラス(数学者。フィールズ賞受賞者!)と娘のマリエルがいます。ノトンブの小説ですから、夫は数学オタクのような変わり者で、男の魅力が著しく欠落しています。問題は娘です。オリヴィアの大学での研究と講義準備のために時間がないという言い訳で、マリエルの学校の送り迎えや食事準備などは全部スタニスラスがしています。母の愛の乏しい子。さらに、大数学者と俊才医学部講師の間に生まれた子なのに、学校の成績が驚くほど悪いのです。この点でもうオリヴィアはさじを投げている感じなのです。母親に愛されていない娘 ー マリエルにディアーヌは自分の幼い頃を見る思いがするのです。そこで論文作成でヘトヘトになりながらも、時間を作ってディアーヌはマリエルの遊び相手になり勉強も教えてやります。マリエルはディアーヌを慕うようになります。つまりここからはディアーヌ自身が代理の母親になるんです。この小説の構造の巧みさ、おわかりかな、お立会い?
 ある日突然大学にディアーヌの母マリーがやってきます。私生児を出産した末娘のセリアが赤ん坊を残して失踪したので、一緒に探して欲しいと。セリアの置き手紙には、ママンが私をダメにしたように、私もシュザンヌ(赤ん坊の名)を溺愛してダメにしてしまいそうなので、ママンに託す、と。20歳になったセリアは母の役を放棄することで新しい出発をしようというわけです。ディアーヌはセリアの決断を祝福し、涙で嘆願するマリーを哀れみます。なぜならマリーには母親としてディアーヌにしたことの罪深さ、セリアにしたことの罪深さについての自覚が全くないからなのです。
 学業、病院のインターン、オリヴィアの論文手伝い、マリエルの世話、これらのことすべてをこなし、ガリガリに痩せてしまったディアーヌ。その甲斐あって、オリヴィアは見事教授資格を取得するのですが、その途端にオリヴィアはかつて自分が軽蔑していた男の教授連と同じように、社交サロンに出没する虚飾に満ちた俗物に変わっていくのです...。

 小説題となった「自らの心臓を叩きなさい」という言葉はアルフレッド・ド・ミュッセの詩の断片です。
 Frappe-toi le coeur, c'est là qu'est le génie.
   自分の心臓を叩きなさい、そこにこそ天才は宿っている
こんな訳でいいかな?問題は二つの言葉、"le coeur"(心臓、心)と"le génie"(守護神、天才、真髄...)で、人によっては「心の扉を叩きなさい、そこに真髄はある」みたいな私の訳とはちょっと違ったニュアンスで考えるかもしれません。それはそれ。しかし問題はミュッセの時代19世紀でも、人間が思考する器官は心臓ではなく頭脳である、ということはもうずっと前から分かっていたということです。人間は心ではなく頭で考える。心は臓器としては喜怒哀楽情緒や思考とは何の関係もない。ところが古今東西、人間は心が最も大切な臓器で、人間らしさのすべての源がそこにあると思ってきたのです。科学的には誤りでも、人間はずっとハートを人間の中心としているのです。小説の中でこの詩句は、オリヴィアがディアーヌにどうして心臓医学を勉強する気になったのか、と質問し、その答えとして引用されます。
「それには2回のきっかけがありました。11歳の時、私は将来医学を学ぶという決心をしました。それはひとりの素晴らしい医者と出会ったからです。なぜ心臓医学を選んだかについては、前もって言っておきますが、私の動機はあなたには愚かしいことに思えるはずですよ」
「言ってごらんなさい」
「アルフレッド・ミュッセのある詩の断片に感銘を受けたのです : Frappe-toi le coeur, c'est là qu'est le génie.」 
これを聞いて、オリヴィアはあっけに取られます。心臓の神秘をこれほどまでにズバリと言い当てた言葉はあろうか。
 これには後日談があって、ディアーヌの身を粉にしての努力援助の甲斐あって、オリヴィアが見事教授資格を取得し、その記念パーティーを開くのです。そしてオリヴィアは壇上に立ってスピーチを始めます。そこでオリヴィアはなんと「私が心臓医学を学ぼうと思ったきっかけは、アルフレッド・ド・ミュッセの詩に出会ったことです...」とディアーヌのそれを100%パクったのです! サイテーっしょ? どサイテーっしょ? ー 私はこのサイテーの箇所を読んだ時、この小説はアメリー・ノトンブ最高の作品であると確信したのです。

Amélie Nothomb "Frappe-toi le coeur"
Albin Michel刊 2017年8月26日 170ページ 16,90ユーロ 

カストール爺の採点:⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

(↓)国営テレビFRANCE 5文学番組「ラ・グランド・リブレリー」(2017年9月7日)で最新作 "FRAPPE-TOI LE COEUR"について語るアメリー・ノトンブ。



 

2017年9月3日日曜日

Run away, turn away, run away, turn away

Bronski Beat "Smalltown boy"(1984)
ブロンスキー・ビート「スモールタウン・ボーイ」(1984年)

 
 2017年カンヌ映画祭審査員グランプリの映画『120 BPM (120 battements par minute)』(ロバン・カンピーヨ監督)に関する原稿を雑誌ラティーナに送ったので、問題なければ9月20日発売号に載りますから読んでみてください。この映画フランスでは8月23日封切で、1週で23万人の観客を動員しました。現在ボックスオフィス上で第5位ですけど、こういう社会派問題作では異例のヒットと言えましょう。
 その映画のサントラの中で、最も効果的で印象的に使われているのが、このブロンスキー・ビートの「スモールタウン・ボーイ」です。それはあのエイズ禍時代の雰囲気を空気ごと再現させるという効果だけでなく、ゲイの少年たちがずっと持っていた苦悩をこれほどまでにストレートに表現した最初の世界的ヒットだったという歴史的事実の重さがものを言っているのだと思います。ゲイ、ホモ、おかま、同性愛はそれまで普通に(社会的に)虐められる対象だっただけではありません。1981年になってWHO(世界保健機構)はやっとのこと同性愛を「精神病」の項目から削除したのです。それまで同性愛はオフィシャルに病気だったのです。フランスでは同じ年1981年に左翼の大統領フランソワ・ミッテランが当選し、死刑を廃止したことで有名な法務大臣ロベール・バダンテールが、それまで刑法上で軽犯罪として罰則の対象となっていた同性愛の条項をやっとのこと削除したのです。いいですか?それまで同性愛は犯罪だったのですよ! 81年、同性愛者たちはやっと解放され、以来ゲイ・カルチャーは日陰からオーヴァーグラウンドに出て、大手を振ってその文化を露出させていったのです。その虹色文化は音楽・演劇・絵画・映画・デザインその他あらゆる分野で急激に隆盛し、短い間にその頂点に達するのです。その頂点の時期に、申し合わせたようにエイズ禍が突然現れたのです。
 「エイズは同性愛という自然の摂理に逆らう現象への天罰である」とキリスト教原理主義者などは冷笑しました。多くの人たちは「これは同性愛者間だけの災禍だろう」と無関心を決め込みました。どんなに多くの死者が出ようが、これは「普通人」には関係がないと思っていたのです。「沈黙=死」とアクトアップはスローガンにして訴えました。市民の無関心はエイズ死を大きく助長していたのです。 
100%ゲイのトリオ、ブロンスキー・ビート(右写真)の「スモールタウン・ボーイ」はエイズ禍直前のゲイ・コミュニティーの最大の希望の歌でした。イギリスの保守的で閉鎖的な小さな町で生まれ育ったゲイの少年が、それを理由に虐められ、両親に理解されず、小さな町を出て都会に移住することで解放を見出していく歌で、状況説明的なヴィデオクリップも勇気ある作品でした。「スモールタウン・ボーイ」はそのマイノリティー的社会性にもかかわらず。全英チャート最高位3位の大ヒットになりました。それから超絶ファルセットヴォイスのヴォーカリスト、ジミー・ソマーヴィルはゲイ・コミュニティーのカリスマ的アーチストになりました。映画『120 BPM』 の監督ロバン・カンピーヨのインタヴューによると、ジミー・ソマーヴィルは1989年のアクトアップ・パリ発足時の重要な資金援助者だったそうです。その縁でロバン・カンピーヨはジミーにこの曲の使用許諾とリミックス許可をお願いしたのですが、快諾してくれたそうです。映画サントラはロバン・カンピーヨの映画の音楽をずっと担当してきたアルノー・ルボティニによる2017年リミックスのヴァージョンを採用していますが、これが素晴らしい。

(↓)ブロンスキー・ビート「スモールタウン・ボーイ」1984年ヴァージョンのクリップ。


 (↓)ロバン・カンピーヨ映画『120 BPM』サントラのアルノー・ルボティニ・リミックスヴァージョン。2017年10月13日アップのオフィシャルクリップ。


(↓)ロバン・カンピーヨ映画『120 BPM』 の予告編。

2017年8月20日日曜日

ヒロシマじゃけん

"Lumières d'été"
『なつのひかり』

2016年フランス映画
監督:ジャン=ガブリエル・ペリオ
主演:大木ひろと、立川茜、ヨネヤマママコ
フランス公開:2017年8月16日

 8月19日(土)パリ8区バルザック座午後4時の回で観ました。本編の前にジャン=ガブリエル・ペリオ監督の10分の短編『20万の亡霊(200 000 fantômes)』(2007年制作)が上映されます。これは広島県物産陳列館として建造された建物が、あの日を境に広島平和記念碑=原爆ドームに変わって今日に至るまでを、クロノロジカルに実写写真をスライド連写して綴ったフォト・ドキュメンタリー。YouTubeで全編見ることができるので、ぜひ。
 本編はジャン=ガブリエル・ペリオの初長編フィクション作品です。フランスのテレビ局に依頼されて広島原爆投下70周年関連のドキュメンタリーを撮りに来た、在仏20年の日本人映画人(未成の映画監督)アキヒロが、撮影用スタジオの中で原爆体験者(すなわち被爆者)の老女タケダにインタヴューします。このシークエンスおそらく10分ぐらい続いたと思います。80歳を越える老女は14歳の時に原爆投下に遭い、その前後のことをしっかりとした口調で語っていきます。言葉にできない惨状と言いながら、ちゃんと言葉にするんです。インタヴュー後にオフレコで(お疲れでしょうという問いに)「私にできるのは語ることだけですから」という被爆者の次世代への使命感のような言葉まで言うんです。おそらく観ているフランス人はこれはシナリオではなく、実のインタヴューだろうと思ったでしょう。それぐらい迫真の語りによる長いシークエンスなのです。これを聞き出しているアキヒロは「自分はヒロシマについて何も知らない」と悟り、打ちのめされるのです。これがこの映画の長いイントロです。
 この被爆老女タケダになりきり重くしっかりした言葉をよどみなく語っているのが、伝説のパントマイマー、ヨネヤマママコです。この名前が多くの日本人にとってどういう重さがあるのかは知りません。フランス人にとっては何者でもないでしょう。その名前を知る者にとっては、この長い語りシーンにこのアーチストが稀代の表現者であったということを改めて知らされます。 リスペクト。
 この老女の証言の中に、当時20歳で看護婦だった姉のミチコという人物が登場します。母が消息知れずになっているというのに、夥しい数の負傷者と原爆症患者の世話に不眠不休で勤め、しばらくして自ら原爆症のために命を落とします。ヨネヤマママコの語りはこれを終始「ミチコお姉ちゃん」という親しい呼称で言い続けます。これが一種の「魂呼び」「口寄せ」であることは映画の後半で了解されることになります。
 インタヴュー撮影が終わり、息つく間もなく「ラッシュ」を要求してくるフランスのテレビ局に辟易し、タケダの言葉の重さを引きずりながら「ちょっと外の空気を吸ってくる」と平和記念公園に出て行くアキヒロ。ベンチに隣り合わせた古風な浴衣を着た若い娘。名前を名乗り合うこともないまま、広島弁で強引にまくし立てる娘に、インタヴューで自責した「ヒロシマのことを何も知らない」 自分が揺り動かされるようにアキヒロは話を聞き、その行くところについて行きます。お好み焼き屋で、今でこそ地方グルメの代表のように人気のある広島お好み焼きが、この娘と店の主人(焼き料理人)のやりとりで、戦後屋台の貧しいうどん粉焼きが元祖だったことを知ります。
 映画にとっては二次的・三次的なテーマかもしれませんが、このアキヒロという人物は日本の伝統やしきたりやタテ社会という障壁から逃げるように20年前に日本を離れてフランスに流れ着き、映画という自分の夢も果たせないまま中年の域に達してしまったルーザーであるというポジションがあり、二つの文化で生きながら、その両方とも深くは知らないという宙ぶらりん根無し草的なところもあります。若い娘は年寄りが若い者をたしなめるようにアキヒロに時間をかけて物事を見る重要性を諭します。そして話が重くなりかけたところで、突然娘は「来て!」とアキヒロの手を取って走り出し、二人は無賃乗車で電車に乗り込み、海へと向かいます。
 ここからが幸福な映画のマジックの世界なのです。娘は「海を見たことがない」と告白します。海に面した広島に生まれ育ちながらも、倉庫や貨物港の海岸線からずっと引っ込んだ内陸に育ち、看護学校との往復ばかりで少女時代を過ごし、海を一度も見たことがない、と。車窓から初めて見る海に娘の目は輝きます。海辺の小さな町で、岸壁釣りをしている8歳の少年ユージとその祖父エツロウの二人と出会います。海の好きな少年。孫が大好きな老人。複雑な事情を抱えながらも、今の二人暮らしの幸せがオーラのように輝いているようです。
 この二人との出会いの自己紹介の時に、アキヒロは初めてこの娘が「ミチコ」という名前だと知り、半信半疑ながらその一日に起こっていることの必然性に気づきます。エツロウは釣った魚を家でみんなで焼いて食べようと、ミチコとアキヒロを自宅バーベキューに招待します。折しもその日は町の盆踊りの宵。バーベキュー、庭での線香花火、町の広場の盆踊り...。年に一度集まってくる家族のように、エツロウ、ユージ、アキヒロ、ミチコは極上の時間を共有します。夜も更け、最後の興にユージのロックンロールショーに続いて、ミチコが昭和バスガイドのような前触れで自己紹介したのち、アカペラで「宵待草」を歌い、そばにあった布きれをショールのように巻きつけ、舞うのです。

待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬさうな

 これを途中からエツロウがギターを取り出し、古賀ギター奏法で見事に伴奏していきます。これがこの映画の恩寵の瞬間です。竹久夢二作詞、日本の歌うスター第一号高峰三栄子が映画主題歌としてレコードヒットさせたが、戦時中は放送も発売も禁止されていた歌です。この背景を知っていれば、ミチコがこの夜自由にこの歌を歌える喜びというのは何倍も強く感得されるはずです。これを観るフランス人にそこまで要求しませんが、日本で観られる方は、そこんところ、ちゃんとわかってやってくださいよ、と言いたい気持ちです。

 年に一度盆に人界に戻ってくる霊は、また冥土に帰って行きます。ミステリアスでもあり、盆踊りや花火のように軽い楽しみでもある日本の行事です。ヒロシマのような極端に重い、人間性の根幹を問われるような悲劇の犠牲者たちの霊も、毎年降りてきて、また帰っていきます。この映画は私たちが重苦しく扱わねばと尻込みしているものを軽々と飛び越えて、微笑みのある向こう側とこちら側のダイアローグを実現しています。教えられるもの多いです。それから、ミチコを演じた立川茜という女優、ネットで検索しても何も出てきませんが、素晴らしいです。今後の活躍を祈ります。
 日本では2016年11月の広島国際映画祭で上映されたのみのようです。広い範囲での日本上映を強く希望します。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『なつのひかり』 フランス上映版予告編


(↓)『なつのひかり』国際版予告編 冒頭にタケダ(ヨネヤマママコ)の証言シーン。


(↓)高峰三枝子「宵待草」

2017年8月18日金曜日

今朝のフランス語:雄牛自動車 (voiture-bélier)

今朝のフランス語 : Voiture-Bélier (ヴォワチュール=ベリエ)

訳すると「雄牛自動車」。これを google translationで日本語化すると「ラム襲撃」というよくわからない言葉が出てくる。たぶん英語の Ram-raiding をそのまま訳したのだと思う。
Wiki英語版を見ると「ラム・レイディングとは、バン、トラック、SUV、乗用車あるいは他の大型車両を突撃衝突させ、閉鎖された店舗(通常は百貨店や宝石店)の窓または扉を破って、略奪者が突入することを可能にする強盗の方法」と説明されている。
Wiki仏語版によるとこの突撃自動車による強盗犯罪は既に1930年代に始まっている。2010年12月、アメリカ合衆国国土安全保障省とFBIが、テログループが「ラム襲撃」による攻撃を扇動していると警告。この種の攻撃では多数の人間が集まる建物や場所(スポーツイヴェント、遊技場、商店街など)が標的にでき、テロリストは爆弾や銃砲を入手できなくても、最低の運転歴さえあれば攻撃を実行できる、としている。
2016年7月のニースを発端に “camion-bélier”(雄牛トラック)”voiture-bélier”(雄牛乗用車)によるテロが相次ぎ、そのほとんどに対してイスラム国が犯行声明を上げている。2017年8月12日、米国ヴァージニア州シャーロッツビルで、極右デモに抗議する反ナチ市民団体に乗用車が突進攻撃した事件でも、当地のメディアは”voiture-bélier”攻撃と言っている。
8月17日、バルセロナで起こった事件を報道していた仏ニュース専門局BFM-TVの解説者が「ローテク/ローコスト・テロ」という言葉を使った。日本では昔から「車は走る凶器」と言われていた。




2017年8月13日日曜日

I wanna djam it with you

『ヂャム』
"Djam"

2017年フランス・トルコ・ギリシャ映画
監督:トニー・ガトリフ
主演:ダフネ・パタキア、マリーヌ・ケイヨン
フランス公開:2017年8月9日

 語の始まりはギリシャのレスボス島です。エーゲ海に浮かぶ島ですが、位置的にはトルコの沿岸にあり、文化的にはギリシャとトルコの両方の影響を受けていますが、歴史的に戦争することが多かった両者に挟まれた、言わばオクシデントとオリエントの接点でもあります。映画の中で盛んに演奏される音楽レベティコは1930年代にトルコ領内にいたギリシャ人が強制送還されたことによって、住み慣れた土地を失われた人々の追放と望郷の哀歌として発祥し、それがやがてギリシャの大衆歌謡となったものです。映画の中で主人公ヂャム(演ダフネ・パタキア)は、フランス人娘アヴリル(演マリーヌ・ケイヨン)の「それはギリシャの音楽?」という問いに「ギリシャとトルコの混じり合いの音楽よ」と答えます。
 時代は2015年〜2016年です。前代未聞のギリシャの経済破綻は、銀行は支払い能力がなくなり、中小企業を根こそぎ倒産させ、物不足、賃金が払えないので国鉄など公営サービスはストライキが相次ぎ、観光客も激減しました。映画はそういう経済的状況を忠実に映し、企業倒産の絶望で自殺を試みる男や、ストで閉鎖される駅舎、従業員もなく給湯設備も使えないホテルなどが出てきます。また、レスボス島は2015年5月以来シリアからの何十万という難民が漂着した場所です。映画では後半にフランス娘アヴリルが、夥しい数の難民が漂着した浜辺に捨てられた救命具のゴミ山を見て絶句するというシーンがあります。
 ヂャムがトルコへの旅の途中で偶然出会った無一物のフランス娘アヴリルは謎の人物です。金もなく、着の身着のまま、ギリシャ語もトルコ語も英語も一切しゃべれない(唯一使える言語がフランス語)この少女がなぜこんなところにいるのかは最後まではっきりと説明されません。自分では「男友達に誘われて、トルコに難民支援のボランティア活動をするためにやってきたが、はぐれてしまった」と言ってますが、明らかにウソです。パリ南郊外のシャトネー・マラブリー(ヴァンサン・ドレルム作の歌があります)の「赤の丘(La butte rouge)」からやってきたと言います。観る者はここで漠然と、フランスの郊外からトルコ経由でシリアに渡航するイスラム・ジハード志願兵のことを想像してしまうでしょう。アヴリルのキャラクターというのは何も知らないのに目つきだけは反抗的というタイプ。壁にアラブ語で落書きされたジハード讃美のスローガンを「アラブ語は読めないけれど美しいと思う」とつぶやくアブリルのシーンが、この郊外/ジハードとアブリルの関係をほのめかしているように見えます。そして迷ってしまった少女。主人公ヂャムに着いていくアヴリルの旅は、自分探しの旅だったということが最後に述懐されます。
 しかしこの映画の魅力の99%はベルギー人女優ダフネ・パタキア演じるヂャムと名乗るギリシャ娘の野生的な自由さ、魔性的なアピール、歌、踊り、アクションにあります。この女優は歌も踊りも楽器も勉強したことがないのに、トニー・ガトリフは自分流でやれ、とほとんど即興でこの歌と踊りのパフォーマンスをさせたと言います。レベティコという移民の哀歌がこの少女に宿ってしまったような。それは一種の映画のマジックですが、ヂャムは何か困ったことがあると、その歌と踊りで解決してしまうパワーがあります。アヴリルのパスポートの問題を国境警察を相手に解決する時、閉まっているホテルの支配人に一夜の宿を請う時、ヂャムがレベティコを歌って舞うとすべてはうまく行くのです。そして道連れのアヴリルと気まずい関係になった時も、ヂャムの歌が救ってくれます。
 ガトリフの一連の作品同様、音楽の持つパワーというのもこの映画の大きなテーマです。映画の中の男たち女たちは音楽(この場合レベティコ)の宴の輪さえあれば、どんな試練にも立ち向かっていけそうな勇気を得られるのです。追放されても、越境してもついてくる音楽。ガトリフはそんな映画ばかり作っています。
 ヂャムの母親は稀代の名レベティコ歌手と評判だったが、(ファシストだったらしい)祖父が歌という芸能を嫌悪・否定し彼女の芸能活動を禁止したので、母はその兄カクールゴス(演シモン・アブカリアン)に身を寄せ、カクールゴスが開いたパリのギリシャ料理レストランで歌っていた。若くしてこの世を去った母からヂャムは歌と楽器を習い、パリでフランス語を覚えた。そのカクールゴスは今やレスボス島で、(観光客のいなくなった)観光レストランと(動かなくなった)観光船を抱えて、国の経済破綻のあおりでレストランを手放さなければならない事態になっています。
 映画の主軸のストーリーは、叔父のカクールゴスからヂャムがトルコ(イスタンブール)に行って古い船の部品(動力クランク)を探して買って来い、と頼まれて始まった、レスボス→イスタンブール→レスボスの往復の旅です。すなわちロードムーヴィーです。ヂャムはリュックサックを背負い、バグラマブズーキという2つの撥弦楽器も携行しています。土地を知り尽くしたヂャムは、アヴリルという得体の知れない少女を道連れにしながらも、ストや盗難や国境問題をなんとかクリアーして目的を達成します。災難、出会い、友情、音楽、逆境にあっても世の中捨てたもんじゃない、という展開です。国家や銀行資本がどんなに理不尽でも。音楽のシーンはどれも陶酔の喜びに満ちています。
 ヂャムの努力の甲斐あって、動力クランクを交換して船は再び海に出ることができます。レストランと財産のすべてを失ったカクールゴスは、ヂャムとアヴリルを含む音楽一座を連れて船出します。世界中の港で、自分たちの哀歌(レベティコ)を聞かせるために。エンドマーク。 
 レスボス島は言うまでもなく、女性愛を謳った紀元前6世紀の女性詩人サッポーで知られ、女性同性愛を意味する「レズビアン」という言葉の語源となったところです。 この映画の中でヂャムの同性愛を暗示させるシーンは数か所出てきます。その一つはお湯の出ないホテルで凍えるような冷水シャワーを浴び、アヴリルが裸で潜り込んだベッドの中で同じく全裸のヂャムが体を擦り付けていき、逃げるアヴリルを屋上の洗濯もの干し場に干されたたくさんの白いシーツの間をヂャムが追いかけていくという美しいシーンです。アヴリルはたまらず「あたしはレズじゃないよ!」と叫びますが、ヂャムは「あたしも違うわよ」と笑います。映画全体から見れば重要ではないテーマかもしれません。ただ、ヂャムの射るような視線は、その官能を隠さないのです。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『ヂャム』 予告編。


(↓)テレラマ誌のインタヴューで最新作『ヂャム』について語るトニー・ガトリフ。


(↓)ブログ記事タイトルの出展はこれです。
 



2017年8月2日水曜日

ジャンヌ・モロー「インディア・ソング」(1975年)

ジャンヌ・モロー「インディア・ソング」(1975年)
詞:マルグリット・デュラス
曲:カルロス・ダレッシオ

 2017年7月31日、サン・クルーのキュリー研究所の病室の中でケモセラピー点滴を受けながら、ジャンヌ・モロー(1928-2017) の訃報を聞いた。
 ジャンヌ・モローと深い交友関係にあった作家マルグリット・デュラスの映画『インディア・ソング』(1975年。拙ブログのここで紹介しています)では、このジャンヌ・モローの歌のヴァージョンは登場しない。カルロス・ダレッシオ(1935-1992)作曲の美しいテーマ曲を含むオリジナル・サウンドトラックは、翌年セザール賞の音楽賞に輝くのだが、ジャンヌ・モローの歌ヴァージョンはその映画のイメージソングのような扱いでシングル盤で発売された。私の最も好きなジャンヌ・モローのレパートリーです。合掌。

Chanson,
Toi qui ne veux rien dire
Toi qui me parles d'elle
Et toi qui me dis tout
Ô, toi,
Que nous dansions ensemble
Toi qui me parlais d'elle
D'elle qui te chantait
Toi qui me parlais d'elle
De son nom oublié
De son corps, de mon corps
De cet amour là
De cet amour mort
Chanson,
De ma terre lointaine
Toi qui parleras d'elle
Maintenant disparue
Toi qui me parles d'elle
De son corps effacé
De ses nuits, de nos nuits

歌よ
おまえは何も言いたくない
おまえはあの女のことを語ってくれる
おまえはすべてを語ってくれる
おお、おまえ
私たちは一緒に踊った
おまえはあの女のことを語ってくれた
あの女はおまえを歌わせ
おまえはあの女のことを語ってくれた
その名前も忘れてしまった女
その体、私の体
その恋を語ってくれた
その死んでしまった恋を
歌よ
私の遠い大地のことを
おまえはあの女のことを語ってくれるだろう
今や消えてしまった
おまえはあの女のことを語っている
その消された体を
その夜を、私たちの夜を

(↓ジャンヌ・モロー「インディア・ソング」)



(↓カルロス・ダレッシオ「インディア・ソング」)

2017年7月21日金曜日

1976年のジュリー・ラヴ

Kenji Sawada "Julie Love"
沢田研二「ジュリー・ラヴ」
詞:ミッシェル・ジューヴォー
曲:アレック・コンスタンティノス 
シングル盤 : 仏ポリドール 2121315
アルバム『ロックンロール・チャイルド』:仏ポリドール
2480447

1976年当時、フランスの家庭のテレビはほとんど白黒であり、チャンネルは国営放送3局(TF1, ANTENNE 2, FR3)しかなかった。ようやくテレビが大衆娯楽の中心的役割を果たすようになり、大衆音楽もテレビが最も影響力のある媒体手段となった。ミュージックホールとラジオでシャンソンを「聞く」時代から、テレビとシングル盤で流行り歌を「消費する」時代へ。テレビ映えするには、見た目が重要で、若年層にアピールする外見やリズムやダンスが「ヒット」を生む時代になった。クロード・フランソワ(1939-1978)はフランスのテレビ時代のチャンピオンだった。米英テレビの「バラエティー・ショー」に倣った、歌、コント、マジック、ダンスなどをセットにしたショー番組をフランスでは「ヴァリエテ」と呼び、いつしかそれはこの種の番組にメインで登場する大衆音楽のことを指すようになった。だから今でも硬派の人はシャンソンとヴァリエテは違う、ロックとヴァリエテは別物、と言うのだが。
 Chanteurs à minettes シャントゥール・ア・ミネットという70年代から使われた表現があり、子猫ちゃんたちに受ける男性歌手という意味だが、やや女性的に可愛い王子様タイプでティーンネイジャー女子たちに嬌声を浴びる男性アイドル歌手のこと。デイヴ、クリスチアン・ドラグランジュ、アラン・シャンフォール、フレデリック・フランソワ、パトリック・ジュヴェ...。その中で異彩を放っていたのがイスラエル出身のマイク・ブラント(1947-1975)で、エキゾティックで甘いマスク、トム・ジョーンズばりのダイナミックな歌唱で、69年から75年という短い(フランスでの)活動期間にミリオンヒットを次々に放ち、クロード・フランソワをしのぐ人気があった。75年4月に謎の死(自殺・他殺、諸説あり)。沢田研二がフランスにやってきたのはこの頃。
 1973年に沢田はマイク・ブラントの1970年のヒット曲 "Mais dans la lumière"をカヴァーして、安井かずみの訳詞による「魅せられた夜」というシングル盤をヒットさせている。既に接点はあったのである。74年にパリで録音した "Mon amour, je viens du bout du monde"(日本語タイトル「巴里にひとり」)は、フランスのヴァリエテ番組で受けが良く、75年にはフランス最大の民放ラジオRTLのチャート4位まで昇り、シングル盤20万枚を売ったと言われる(要確認)。
 テヘラン(イラン)のクラブで歌っていたところをシルヴィー・ヴァルタン(と付き人のカルロス)に見出され、69年にフランスにやってきたマイク・ブラントは全くフランス語を話せなかった。その才能に賭けた作曲家ジャン・ルナールはデビュー曲 "Laisse-moi t'aimer"を用意し、フランス語歌詞をヘブライ表音にして2ヶ月間ブラントを特訓して歌を完成させた。 デビューシングルは100万枚のヒット。以来ブラントはフランスのスーパースターに急上昇していく。フランスの芸能界から見れば沢田は明らかに「ポスト・マイク・ブラント」であった。エキゾティックで甘いマスク。フランス語ができなくても特訓すればいいのだ。たぶん沢田はカタカナ表記にしてもらって歌を特訓したのだろう。ヴァリエテ番組で目立ち、テレビ局の「出待ち」で女子リセ生たちが大挙して押し寄せた。ケンジー!ケンジー!ケンジー! ー Merci mesdoiselles, je vous aime !(これぐらいは言っただろう)。
1975年4月、マイク・ブラントは謎の死を遂げた。「ポスト・マイク・ブラント」候補では沢田の手強いライヴァルとして登場したのが、マレーシア出身のシェイク(本名:シェイク・アブドゥラー・アハマッド)であり、同じようにフランス語を全く話せなかった。ダリダの弟でダリダのジャーマネだったオルランドがスカウトしてきた美青年。1976年デビューヒット "You know I love you - Tu sais que je t'aime"で、パリの女子リセ生たちはケンジ派とシェイク派の真っ二つに分かれたという(まぁさかぁっ!)。それはさておき、70年代半ばのフランスは、ブルース・リー、ジャッキー・チェン、高田賢三、「エマニエル夫人」(バンコクが舞台)、大島渚「愛のコリーダ」(1976年公開)などでアジア極東が大きく脚光を浴びていた時期ではあった。
 そんな1976年、沢田のフランスでの5枚目のシングルが「ジュリー・ラヴ」であった。作曲者のアレック・コンスタンティノスは、前述の強豪ライヴァル、シェイクの "You know I love you"を書いた人。フランス芸能界のとても狭い範囲で起こっていたことなのでしょう。 その安直な感じは歌詞にも。
Sur ta bicyclette 自転車に乗って
En sandales et chaussettes ソックスにサンダル姿で
Tu reviens de l’école きみは学校から戻って来る
Ma Julie doll 僕のジュリー人形

Cheveux ronds et verts ショートヘアーを緑に染めて
Tu vas voir Mick Jagger きみはミック・ジャガーを見に行く
A chacun son époque 誰にもそれぞれの時代が
Ma Julie Rock 僕のジュリーロック

Cachée sous les branches 白いフレームの
De tes lunettes blanches サングラスで顔を隠し
Tu fumes le cigare きみは葉巻を吸う
Ma Julie star 僕のジュリースター

Femme adolescente 女と少女の中間
Romantique et violente ロマンチックで荒々しく
Tu peins ma vie en mauve きみは僕の人生を薄紫色に描く
Ma julie love 僕のジュリーラヴ

Je ne sais plus laquelle aimer 僕はもうどのジュリーを好きなのかわからない
Je ne sais plus qui tu es 僕はきみが誰なのかもわからなくなっている
C'est peut-être mieux comme ça 多分こんな感じでいいんだね

Comme le soleil au milieu de l’eau 水の中の太陽のように
Tu fais de mon ciel un monde nouveau きみは僕の空に新しい世界をつくる
Julie Julie Julie Ju ジュリー、ジュリー、ジュリー、ジュ
Oh ma Julie Julie Julie Julie love おお僕のジュリー、ジュリー、ジュリー、ジュリーラヴ

Tendre ciré jaune 防水マントを羽織り
En Harley Davidson ハーレー・ダヴィッドソンにまたがり
Toi tu joues les cow-boy きみはカウボーイ気取り
Ma Julie boy 僕のジュリーボーイ

Gilet de flanelle フランネルのベスト
Chemise de dentelles レースのブラウス
Tu n'aimes que le pop-art きみはポップアートに夢中
Ma Julie smart 僕のジュリースマート

Loin de la planète 地球を遠く離れて
Tu t'en vas faire la fête きみはパーティーに飛んでいき
Et deviens Colombine 月のピエロになってしまう
Ma Julie dream 僕のジュリードリーム

この年1976年、世界では『ホテル・カリフォルニア』(イーグルス)、『カムズ・アライヴ』(ピーター・フランプトン)、『キー・オブ・ライフ』(スティーヴィー・ワンダー)、『ボストン』(ボストン)、『シルク・ディグリーズ』(ボズ・スキャッグス)、『ラスタマン・ヴァイブレーション』(ボブ・マーリー)....、フランスでも『オクシジェーヌ』(ジャン=ミッシェル・ジャール)、『ヴァンクーヴァー』(ヴェロニク・サンソン)が出た年だった。沢田は、こんなフランスの小さな芸能界にいたら、世界に取り残されると思っていたかもしれない。

(↓)沢田研二「ジュリー・ラヴ」(フランスのテレビ)(口パクではない。すごい努力。)


(↓)パリでの沢田の「社交」を伝える珍しい日本のテレビ映像。ヴァルタン、アリディ、サルドゥー、ダリダ、ジャック・ルヴォー、アダモなど。多分1975年と思われる。

2017年7月15日土曜日

ニースよ永遠に Nice pour l'éternité

Nissa la bella 
ニース麗し

 2016年7月14日、ニース、イギリス人の遊歩道(プロムナード・デ・ザングレ)、革命記念日の花火大会の見物客の中に、暴走トラックが突っ込み、86人の死者と百数十人の負傷者を出したジハード派テロ事件。1年後、2017年7月14日に大慰霊式典が催されました。その中で、ニースにゆかりのある8人のアーチストたち(ミッシェル・ラロック、パトリック・ティムシット、ミッシェル・ルグラン、パトリック・シェネ、ミッシェル・ブージュナ、エルザ・ジルベルスタイン、リーヌ・ルノー、フランソワ・ベルレアン)が、ニース出身のノーベル賞作家ル・クレジオのテクストを朗読しました。原文はニース・テロの翌日に書かれ、その数日後に出た週刊誌ル・ポワン(7月19日号)に掲載されたものです。
 テクスト全文を(無断)日本語訳し、朗読の動画を貼り付けます。
 「日本人が言うように、魂が海と空の間に浮かんでいる」という文末、 よく考えてみてください。

私はニースに生まれ、そこで育ち、おそらく世界のいかなるところよりもこの町のことをよく知っている。どの通りも、どの地区も、どの界隈も。私はそれがどこに位置するのか知っているし、すべて行ったことがあるし、その細部まで知っている。なんでもないちょっとした特徴まで。
イギリス人の遊歩道は私の好みの場所ではなかった。私はその地区の出ではないし、私の目には立派過ぎ、豪奢すぎて見えた。私は港の地区の出だ。子供の頃私は船が好きだった。漁船の舳先、地中海の向こう側から赤ワインや真っ赤なコルク栓を運んでいた古くて錆びた貨物船、もちろんコルシカへのフェリー船、旅行者たちとその自動車のほかに牛や馬までも積んで運んでいた。
ニース人が気取りと愛着を込めて呼ぶ「ラ・プロム」、それはむしろビーチであり、二人組でぶらぶら歩きをするショートパンツ姿の娘たちであり、ズック履きの少年たちであり、ペダルカーであり、地下にピンポン台がある出店ドリンクスタンドだった。

私が17歳だった時、何の気なしに目的もなくツーリストを装ってそこへ行ったものだ
しかし「ラ・プロム」には歴史がある。19世紀の半ばにかの名高いイギリス人たちが、サヴォワ公国領だった時代のニースの人々の貧しさに心を動かされ、人々を助けるために毎日籠一杯分の石ころを籠一杯分のパンと交換してやった。侮辱することなく慈善に徹したひとつのイギリス式の奇跡だ。この石ころを彼らは海沿いの道を建設するために使ったのだから。こうしてできたのがイギリス人の遊歩道だ。

ニースでは海の手前にそれが出来てからというもの、たくさんの悲惨なことが起こった。第一次世界大戦前、ロシアから移住してきたひとりの娘がこの地で初めて大人の情動を経験し、画家と文筆家になることを夢見、熱狂的で自由で光溢れる生涯を生きたいと望んでいたが、23歳の若さでこの地で結核で亡くなった。彼女の名前はマリー・バシュキルトセフ。遊歩道には今も松の木の陰に石碑があり、彼女がそこに来て海を前に読書したり夢想したりしていたことを偲ばせている。それとほとんど同じ時期にポール・ヴァレリーがニースに移り住み、モジリアーニは自動車のない美しい大通りを散歩していたが、二人とも若いマリーに出会ったことはなかった。

そこから少し東側に行くと、私の祖母の友人の一人で、シャルル・パテ映画会社の編集技師だった女性が城壁の中に建てられた小さな家々の一つに住んでいた。そこは映画会社社長が当時の制作スタッフたちを住まわせるために借りていたものだが、彼はここを新しいサンタ・モニカ(カリフォルニア州)にすることを構想していた。
その友人の名前はガブリエルと言って、毎朝その小さな部屋を出て、カモメたちに見守られながら、冷たい海に飛び込んだものだ。その時期はアメリカの大俳優たちがニースに来ていて、ロドルフ・ヴァレンティーノやイサドラ・ダンカンの時代だった。

私がラ・プロムに行き始めた頃は、もうこのような特異に風変わりな人たちは少なく、大金持ちの数もかなり減っていた。それはむしろ近代的な建物のベランダで日光を浴びて暖を取りながらカルナヴァルの行進や花合戦を待っているような裕福な退職者たちの集まりの場所になっていた。ある時にはそれは嵐の遊歩道となり、荒れ狂った海がカフェのウィンドーやパレ・ド・ラ・メディテラネ(カジノ)の正面壁に石を投げつけることもあった。

またある夏の夜毎に、フォンタンと名乗る反逆者が言語の違いによる世界の新しい境界について演説し、新しい世界地図を描いていた。彼がその場の厄介者になる度に、警察は国境の向こう側に彼を追放したが、彼はいつも戻ってきた。こんなことはみんな昔のことだが、私にとってはそれがこの町のこの部分の確かな特徴として記憶に残っている。エキゾチックさとナイーヴさの中間、尊大な若さと観念した成熟さの中間。

ニースで起こったこの描写しがたい極悪非道の犯罪は、祭りの日にこの場所を襲い、多くの罪のない散歩者と子供連れの家族の命を奪った。それは私に二重の衝撃をもたらした。私はそこにしょっちゅう行っていたし、かつては私の娘たちが群衆に押しつぶされることなく花火が見れるように私の両肩に担いで行ったこともあるのだ。そしてとりわけ殺人者はこれらの罪のない人々を殺すことによって、私たちを結びつけるものすなわち生命を破壊し、切断し、打ちのめしたということである。そしてその生命とは、邪推好きの人が想像するような虚飾に満ちた高級気取りの生命ではなく、ごく普通の生命なのだ。ささやかな楽しみがあり、守護聖人の祭りを祝い、砂利浜のビーチでの小さな恋物語、甲高い叫びをあげる子どもたちの遊び、ローラースケートの散歩者たち、サンデッキの上でうたた寝する小柄な老人たち、髪を風に乱すヒッチハイクの娘たち、日の入りの瞬間を撮ろうとする写真家たち...そんな生命なのだ。
悲劇はここに無分別に入り込み、多くの体と夢を打ち砕き、バラ色の雲に映えて連発される最後の花火の乱れ打ちの大きな火の輪の残像を目に留めている子どもたちを殺したのだ。
この町の中にこの大きな傷を広げた殺人者は呪われるべし。
トラックが群衆の中に突っ込み、親の腕に抱かれた子どもたちの体を轢き砕いた時、この男は何を考え、何を望んでいたのか?最後の静寂の前の子どもたちの叫びの中にこの男は何を聞いたのか?
世界が非業の最期を遂げること、この男はもうその世界で生きたくないのだから。それがこの男の望んだことだ。そのことこそ私たちが拒否しなければならないことだ。それは難しいことだし、不可能かもしれない。私たちがもう一度生命を取り戻すために、虚無のヴェールを払いのけるにはどうしたらいいのか?
私はもう一度マリーの松の木やガブリエルの青い早朝を見ることができるだろうか?この開いた傷の両縁をどうやって閉じることができるだろうか?
2016年7月14日のこの夜、ラ・プロムで轢き殺された罪のない人々の記憶が私たちを助けてくれることだろう。そう信じるために、私たちは、日本人が言うように、この人々の魂は素晴らしい蝶たちの飛翔のように、海にかぶさった空の中に永遠に浮かんでいると想像し続けなければならない。

ジャン=マリー=ギュスターヴ・ル・クレジオ 

(↓)2017年7月14日、8人のアーチストによるル・クレジオのテクスト朗読

 

2017年7月12日水曜日

こんな人たち

ブレない政党の党首は、ブレルなど聞いたことがないだろう。この現役首相が「こんな人たち」と民草を侮蔑する時、「こんな人たち」がどんなものか、この男は想像することもできないのだろう。
 ジャック・ブレル(1929 - 1978)、誇り高きベルギーびと。1966年の歌「こんな人たち
Ces gens-là」ー 現時点の流行語だから「こんな人たち」と訳したが、ニュアンスはもっともっと侮蔑的で自虐的な「こんな奴ら」であり、話者はこんなやつらの一員である。つまり、あなたや私のことである。「旦那 = monsieur 」は聞いてもくれない、あの人たちのことである。

 ジャック・ブレル「こんな人たち Ces gens là」

まず、最初に、この年寄りです
やつはメロンみたいに丸々していて
鼻がでかい
自分の名前も覚えていない
めちゃくちゃに飲むんですよ、旦那
あんまり飲み過ぎたんで
もう自分の10本の指で何もできない
やつはもう完璧におじゃんさ
安酒で毎晩毎晩泥酔して
王様のようにふるまっている
だけど朝になると
まだ眠っている教会の中にいるんです
建物のでっぱりのようにこわばって
復活祭の大ろうそくのように真っ白になって
そしてもごもご言ってるんです
目をうろうろ動かしながら
こう言えますかね、旦那、こんな人たちは
何も考えてないんです、旦那
何も考えてないけど、ただ祈っているんです

それから、その隣のやつ
髪の毛に人参を何本もぶら下げてるようなやつ
こいつは櫛なんか見たことないんです
こいつは蛾みたいに底意地が悪い
たとえこいつが貧乏な人たちに
一肌脱ぐことがあったとしても
こいつはかのドニーズと結婚したんです
町の娘でさ
いや隣町ですがね
それだけじゃない
ちょっとばかり商売をしたんですよ
帽子をかぶって
外套をはおって
自動車に乗って
そんなふうにしたかったんですがね
全くそんな柄じゃなかった
全然金なんか持ってないのに
金持ちの真似なんかしちゃあいけない
こう言えますかね、旦那、こんな人たちは
生きてなんかいないんです、旦那、
生きてないけど、ただごまかしているんです

あと、その他大勢
何も言わないか
何でもデタラメを口走るおっかあ
晩から朝まで
聖人のようなきれいな顔をして
木の額縁の中には
足を滑らせて死んだおっとうのヒゲ面
それは自分の家族が
冷えたスープをすするのを見ているんです
ズルズルっと大きな音を立ててすするんです
それからあの震えが止まらない
老いぼればばあがいる
あのばばあが金を持っているのを知ってるから
みんなばばあがくたばるのを待ってるんです
こんな貧乏人たちの言うことなど
聞こえもしないんです
こう言えますかね、旦那、こんな人たちは
話しなんかしないんです、旦那、
話しなんかしない、ただ数を勘定しているんです。

それから、それから、
それから、フリーダがいるんです
太陽のようにきれいな
僕がフリーダを愛しているように
フリーダも僕を愛している
二人でよく言うんです
家を持とうって
たくさんの窓はあるけれど
壁がほとんどないような家
そんな家の中で暮らしたいね
そうなったらいいねって
でもそれは確かじゃないにしても
ひょっとしたらできるんじゃないかって
でも他人たちはそうは思わない
他人たちはそう望まない
他人たちはこう言うんだ
あの娘はおまえにはきれいすぎるって
おまえは猫を殺すことしか取り柄のない男だって
僕は猫を殺したことなんかない
いやずっと前にはしたかもしれない
それとも僕は忘れてしまったのか
それはいやな臭いがしていたってことも
そんなことはどうでもいい、他人たちはそれを望まないんだ
時々二人で会っていると
わざとじゃないふりをして
涙をいっぱい目にためて
あの娘は言うんです、出て行こうって
あの娘は言うんです、あなたについて行くわって
だから、今のところは
だから、今のところだけは
僕はあの娘を信じているんですよ、旦那
今のところは
今のところだけは
と言うのはね、旦那、
こんな人たちの世界では
旦那、誰も旅立ったりしないんですよ
誰も出てったりしないんですよ、旦那
誰ひとり出て行かないんですよ
もうすっかり遅くなっちまった、旦那
僕は家に帰らなきゃ….
(↓)ジャック・ブレル「こんな人たち Ces Gens-là」

 
(↓)ジャック・ブレル「こんな人たち Ces Gens-là」(1966年ライヴ)


(↓)ノワール・デジール「こんな人たち Ces Gens-là」(1998年)


(↓)アンジュ「こんな人たち Ces Gens-là」(2005年ライヴ)


2017年6月30日金曜日

OK フレッド

フレッド・ヴァルガス『毒糸蜘蛛が出るとき』
Fred Vargas "Quand sort la recluse"

 フランスで2017年上半期ベストセラー1位の推理小説です。 私は推理小説はごく稀にしか読みませんので、この作家も初体験です。フレッド・ヴァルガスは1957年生まれの女流ミステリー作家・動物考古学者(中世)です。フレッドというファーストネームで多くの人は男性を想像するのですが、フランスでは男性にも女性にもつけられるファーストネーム Frédérique(フレデリック)の短縮愛称がフレッドです。他に男女に通じる名前には Claude(クロード)、Camille(カミーユ)があります。すでに日本でも数作翻訳されているようですが、世界的に 「アダムスベルグ警視」を主人公とする連作で大変な人気を博していて、映画化・テレビ化・BD化もされています。この『毒糸蜘蛛が出るとき』はアダムスベルグ・シリーズの第9作目になります。
 南仏ニームの周辺で、70歳すぎの老人男性3人が、次々に毒グモに刺されてその毒が原因で死んでしまいます。南米から渡ってきたとされる "Recluse"(ドクイトグモ)の毒がその死因とされていますが、この毒で死ぬという例はフランスでは非常にまれで、数年に1件ほどの件数だったのが、続けざまに3件。これをインターネット界のフォーラムが騒ぎ立てる。地球温暖化や農薬使用などの環境変化でドクイトグモが南仏に異常発生しているのではないか? また同様の環境変化で南仏のドクイトグモが突然変異して、毒性が数十倍数百倍強力なものになってしまったのではないか? こうして南仏に毒グモパニックが広がっていきます。と、ここまでは警察が出るような事件ではないはずで、医学・疫学・動物生態学の範疇の問題です。おまけに被害者がすべて高齢者であり、抵抗力の弱まった者には少々の毒でも命取りになることがあり、この3人の死はごく平凡な老人の事故的病死とみなされそうです。
 これをアダムスベルグ警視はクサイと睨むのです。立件されていないから捜査の段階に入れないものの、国立生物研究所のクモ研究の権威に会いに行き、南仏のドクイトグモが人を殺せるのか、南仏でクモの突然変異が起こっているのかを尋ねます。そこで偶然出会った南仏のクモ愛好家の女性イレーヌ。彼女はインターネットのフォーラム上で騒がれていることが気になって、アダムスベルグと同じ質問をしに国立研究所までやってきた。専門学者の答えはネガティヴ。ドクイトグモが人間に致死量の毒を盛るには200匹が束になって同時に人間を刺さない限りありえない。また南仏でのドクイトグモの突然変異現象は見られていない。ではなぜ3人の老人は死んだのか。
 会見後のカフェのショコラ一杯のおごりで打ち解けたアダムスベルグとイレーヌ。彼女から明かされる意外な事実。3人の老人はお互い知り合いだった。その縁は1940年代の南仏の慈善孤児院ラ・ミゼリコルドに遡り、収容された孤児だった3人は手のつけられないワルだった。ワルガキたちは総勢10人で徒党を組み、「ドクイトグモ団」と称していた。その名は彼らがドクイトグモを使ってイタズラをするからなのですが、これはイタズラの範疇をはるかに逸脱した「犯罪」領域のものでした。孤児院の同僚のベッドの中やズボンの中に猛毒を持ったドクイトグモを放つ。被害にあった少年たちは病院に収容されても、戦争中でペニシリンの入手が困難で、その猛毒は壊疽を起こし、片目や片足を失ったり、頰に穴が空いたり、睾丸を取られ一生不能になったり...。被害者の数は10人。この被害者たちが「目には目」論で、60年後にこのドクイトグモ団10人に復讐しようとしているのではないか。
 アダムスベルグは警察というタテ社会の中で上から捜査許可が下りないこの事件(なにしろ殺人事件という確たる証拠がない)に、組織に逆らってでも入り込むつもりです。えり抜きの優秀な捜査班だったのに組織フラストレーションで人心バラバラになっている部下たちをふたたびひとつにまとめ上げ(この辺、日本人が好みそうな企業小説っぽい)、頑迷な上司を出し抜いて捜査に乗り出します。
 「ドクイトグモ団」の10人のうち、既に4人は事故死(と見せかけた殺人事件である疑いが濃い)で亡くなっていて、今3人がドクイトグモの毒で死んだので、生き残りは3人。アダムスベルグはこの3人に必ずや次の殺人事件が起こると踏んで、万全な護衛体制を敷くのですが、3人は一人また一人と(科学的根拠では死ぬわけのない)ドクイトグモの猛毒で殺されていく。おまけに犯人グループと目星をつけていた孤児院の毒グモ被害者たちは全く動きがない。 そして「ドクイトグモ団」に恨みを持つのは孤児院の被害者だけではないという新事実。この極悪の不良少年団は、無数の集団強姦事件を少年の頃から成人した後まで連続的に起こしていて、被害者数は数知れない。(強姦事件は被害届けが少なく解決も少ないという何処も同じ事情。このことは女性作家ですからね、怒りを持って書いてますよ)。果たして犯人は毒グモ被害者か、強姦被害者か、それとも...?

  で、アダムスベルグと部下たちの必死の捜査にもかかわらず、「ドクイトグモ団」は10人全員殺されてしまいます。こんな奴らを生かせておいてはいけない、というような捜査陣内部の微妙な心の揺れも作家は挟み込むんですね。人情がある。この辺がうまい。
 そして中世から伝わる奇習で、このドクイトグモと同じ名前の「ラ・ルクルーズ」と呼ばれるものがあります。それは穢されて社会構成員として生きられなくなった女性(あえて例をあげれば、婚前に処女を失った、強姦された、密通したなどで社会的に追放された女性)が穢れを浄化するために、何ヶ月も鳩舎のような小さな小屋の汚辱の中で独房生活を送り、不憫に思う村人たちから小さな穴を通してもらう水や残飯などで生きのびるという苦行をするのです。多くはその業の途中で死んでしまうのですが、自らの糞尿などの汚辱の中で生きのびる者もいる。その奇習も中世的には穢れを浄める聖なる行為として村からはある種崇められていた。この風習は20世紀には地方条例で禁止されることになりますが、その「ラ・ルクルーズ」を少年の日のアダムスベルグが、聖地ルールドの近くの村で偶然見たことがあるのです。そしてその中にいた女の記憶も、小説の土壇場で蘇ってくるのです。完全犯罪の秘密はこの「ラ・ルクルーズ」にあった...。

  私は今病気治療のため、2週間に一度病院に半日入院して、4時間ほど横になって点滴を受けていますが、この480ページの厚い小説は2回の点滴で読み終えました。これは夢中になれますね。ベストセラー1位は合点がいきます。フレッド・ヴァルガス、ファンになりました。次作も必ずここで紹介します。

FRED VARGAS "QUAND SORT LA RECLUSE"
Flammarion刊 2017年5月、480ページ 21ユーロ

(↓)国営テレビ FRANCE 5の文学番組「ラ・グランド・リブレリー」で『ドクイトグモが出る時』を語るフレッド・ヴァルガス。


(↓)エロール・ダンクリー「OK フレッド」(1979年)
 
  

2017年6月11日日曜日

T'as l'air con chez toi ? (エアコンある?)

ジュリ・ブランシャン・フジタ『ジェーム・ル・ナットー』
Julie Blanchin Fujita "J'aime le nattô"

 本にいるちょっとだけ日仏バイリンガルな日本人友人(女性)に誕生日プレゼントで送るつもりで買ったのですが、読み出したら止まらなくなりました。ジュリ・ブランシャン・フジタは1979年フランス西海岸シャラント・マリティーム県サント(ジ・アトラス・マウンテンズのフランソワと同じ出身地ですね)生まれのイラストレーター/BD作家です。この本の序章のような生い立ち紹介によると両親とも美術教師&絵描きで、お金はそんなになくても廃屋を買って改装して売りに出すような器用/ラヴ&ピース/自由気ままな家庭環境だったようで、ジュリさんも色々反抗しながらもリセから絵描き方面の学校に進みます。美術系のディプロマは取っても職にありつけない悪戦苦闘は「アマゾンでの生活よりも辛い」と、それよりも若干楽なアマゾンに滞在すること6ヶ月、その体験をBD作品化したところ出版社が見つかり、その作品が各方面で目に止まり、学術系のイラストレーターとしての道を歩むはずだったんですが...。日本の極地動物研究チームに同行して日本の南極観測船「しらせ」に乗って南極へというプロジェクトへのフランスの助成金が断ち切られ、明日をも知れぬ状態でジュリは日本にやってきてしまいます。これが2009年10月のこと。
 それ以来、東京(+近郊)で畳アパート暮らしで、東京&日本に溶け込んでいくのですが、住んだところが町田、鶴瀬(埼玉県)、目黒、碑文谷(学芸大学)、清澄白河... なんていう、私のような東京知らずにはエキゾチックなところばかりなのです。
 
230ページのバイリンガル(仏日語)イラストレイティッド生活体験記です。えらいのは、立派にバイリンガルなんですよ。多分に日本人夫の協力は得ていると思いますけど、(→)こんな感じで、手書きフランス語と手書き日本語が並んで乗ってます。ただ、本当にバイリンガルの人にはわかる、この仏文と日文の微妙な違いや意図的なはしょり方が実は非常に面白いのです。だからこれは絶対両方読まなければなりません。
 フランスとは大きさも黒光りも違う日本のゴキブリが飛ぶこともできるという驚愕の発見や、電車の中は深々と熟睡できる環境だったり、 歩道を傍若無人に暴走するママチャリへの恐怖、ゆるキャラやマスコットの氾濫(警察マスコットのピーポくんの「万引きはダメ、本は買いましょう」ーこんなん初めて知りましたよ)... などなどその観察眼はやや「不思議の国ニッポン」風ではありますが、ベースには日本の大衆生活の見事さを愛でるリスペクトがあります。
そして本のタイトル通り、日本の大衆食への偏愛があります。『ジェーム・ル・ナットー(私は納豆が好き)』はマニフェスト的です。よく言われることですが、これは非フランス人にとっての香りのきついフレンチ・ナチュラル・チーズ (fromage qui pue)と同じで、その国の人でなければ最初は一様に拒絶感をあらわにします。納豆に至っては頑なに拒絶する関西人たちも多いでしょう。本書のジュリさんも最初はダメなんですが、やがて大ファンになっていきます。日本食は何でも食べられるけど納豆だけはダメというガイジンとは「チョトチガイマス」という誇らしさが。
 この日本生活体験記の中に、2011年3月11日の東日本大震災も描かれています。18ページのスペースを使って、大地震体験から、日本人と滞日欧米人などに入る情報の違い、フランス国による退避勧告で沖縄に一時疎開といったことが描かれています。これはフランス人にも日本人にも一般にはあまり知られていなかった「あの時の在日フランス人」の貴重な証言だと思いますよ。
 そしてイッセイ(一世)君という秋田出身の若者と恋に落ちて、悪戦苦闘の挙句、フランスで二人で新生活を始めようと日本を去るというエピローグで終わる本ですが、日本を去る前に若者の郷里の秋田に行き、雪に埋もれた温泉宿「鶴の湯」に一泊します。そこで雪の露天風呂に二人で浸かっていると、イッセイ君の姿が見えなくなり、そこに一羽の鶴が舞い降りてきます。鶴はジュリさんの頭に乗った温泉手ぬぐいをくちばしでツンツンと突きます。あ、これはもしかして...。そうです、これはフランスではコウノトリ(シゴーニュ)が運んでくるもの...。
 こういう風に日本が見られたら、そりゃあ、日本だって捨てたもんじゃないですよ。西洋白人(女性)からの恵まれた日本観察という偏見を打破できるのは、まさにこのバイリンガル視線だと思いますよ。結局日本語をものにできなかったアメリー・ノトンブとの決定的な違いはこれです。多くのバイリンガル人にお勧めできる本です。

JULIE BLANCHIN FUJITA "J'AIME LE NATTO"
Hikari Editions刊 2017年5月、230ページ  18,90ユーロ

(↓)ジュリ・ブランシャン「納豆が好き」のプレゼン。

2017年6月9日金曜日

スナークちゃんだったのかぁ...!

オルヴァル・カルロス・シベリウス『秩序と進歩』
Orval Carlos Sibelius "Ordre et Progrès"
 
 ラジル国旗に書いてあるポルトガル語 "Ordem E Progresso"(秩序と進歩)は、社会学の祖と言われるフランスの学者オーギュスト・コント(1798-1858)の理念です。なぜ唐突にこんな大言壮語なお題目をアルバムタイトルにしたか、ということは日本の政党モットーみたいなもんで「未来への躍動」「前進と飛躍」の類の空疎感を醸し出すためではないか、と思います。
 オルヴァル・カルロス・シベリウスの音楽はそういうハッタリの強さに溢れています。高校生の頃に初めて『原子心母』 や『クリムゾンキングの宮殿』を聞いた時の「どうしてここまで大げさなんですか?」という賞賛半分・呆れ半分の印象を思い出させます。あるいはボストンの2枚のアルバムに針を落す度に訪れる「わぁっ!光り輝いちゃってるなぁ!」のワクワク感みたいなみたいなもんです。
 「秩序」という点においては、黄金時代のポップミュージックの掟(ビーチボーイズ、トッド・ラングレン...)をしっかり踏襲した見上げたサウンド構築ですし、無駄のない構成、ケレン味たっぷりのギター/シンセ/ドラムスの早変わり展開、これはオーダー通りの品揃えと言えましょう。淀みや混沌一切なし。「進歩」という点は、それそのまんまなんですが、 プログレなんですな。60-70年代からポジティヴに考えられた技術の進歩、西洋音楽の未来みたいな展望。

 とここまで書いて、レーベル資料を読み直したら、オルヴァル・カルロス・シベリウス、「本名アクセル・モノー 」というのを見て、はて、この名前はどこかで見たな、と。遠い記憶から、1999年にアルノー・フルーラン=ディディエに紹介されたスナーク君(当時23歳)だったことを思い出した。ブリコラージュ(DIY)手作り楽器やギターやナベカマを宅録多重録音で、不思議なポストロック系の音楽をクリエートしていた子。ノイジーな抒情系みたいなスタイルが好きで、早速日本に紹介したら結構反応があって、2枚目のCDアルバム『オングストローム』(2000年)は谷理佐によるライナーノーツ付きで日本配給されるという栄誉を得ました。その中で谷理佐は「一見して子供っぽいヘナチョコのスナークが実は、ロックの次に来るものの舵の一端を握っている可能性は大きい」なんて書いてました。そのヘナチョコのアクセル君が17年後、こんな「秩序と進歩」を掲げる真正面なプログレ・サイケ・ポップを展開することになろうとは。

 どことなくスナークの雰囲気が残っている6曲めのインスト曲 "Locus Solus"は、知らなければ誰もがフランソワ・ド・ルーベの映画音楽と思うでしょう。インスト曲ばかりだった1999年から、凝りようは昔と変わらないのだけど、歴史を学ぶ前と学んだ後のような時の流れ。ポストロックやっていた子がクラシックロックに飲み込まれてしまったような。ピンクフロイドの40年の時の流れみたいなものを、一人で背負っちゃったのかな。冗談っぽい立ち振る舞い(↓のクリップ)が、実はすべて本気じゃないんだよ、と言ってるようで。ところが、この音楽は本気で楽しめますよ、特に私たちの世代は。全曲フランス語。勇気ありますよ。

 Orval = ベルギーのトラピスト修道院産ビールの商標。
   Carlos = 1947 -   。ベネズエラ出身のテロリスト、またの名をジャッカル。
   Sibelius = 1865-1957。フィンランドの大作曲家。

<<< トラックリスト >>>
1. COUPURE GENERALE
2. LES OUBLIES
3. COEUR DE VERRE 
4. MEMOIRE DE FORME
5. A MA DECHARGE
6. LOCUS SOLUS
7. DOPAMINE
8. ANTIPODES
9. DESASTRES ET COMPAGNIE
10. ENTREFER (BONUS CD)
11. MONUMENT (BONUS CD)

LP / CD BORN BAD RECORDS BB093
フランスでのリリース : 2017年4月28日 

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)"COUPURE GENERALE"(オフィシャル・クリップ)