2017年9月29日金曜日

エリック・ロメールは死んだ

"Un beau soleil intérieur"
『内なる美しき太陽』

2017年フランス映画
監督:クレール・ドニ
主演:ジュリエット・ビノッシュ、グザヴィエ・ボーヴォワ、ニコラ・デュヴォーシェル
フランス公開:2017年9月27日

 私にとってエリック・ロメール映画のほとんどは、理想の愛を求める理屈ばかりこねて、そのかけらがいろんなところに見え隠れするのに、絶対にそれに到達することができず、どうしてそうなるのかわからずに泣いてばかりいる女(or 男)のストーリーです。永遠でしょ? 普遍的でしょ? なぜなら私たちは一人一人みんなそうなのです。この理屈の通らない壁は自分ではなく絶対的に相手(他者、ひいてはこの世)にあるのです。自分は少しも悪くないし、これほど努力してるのに、という被害者・受難者のセンチメント。だから一連のロメール映画は、主人公への感情移入のあまり(日本の70年代任侠映画の深夜映画館のように)観る者に「そうだ!そうだ!」と声が出てしまうほどの共感を生むのです。そう言えばこの映画の中で、画家イザベル(演ジュリエット・ビノッシュ)の作品を扱うアートギャラリーの女主人マクシム(演ジョジアーヌ・バラスコ)の事務所の壁に、かなり目立つように東映映画『昭和残侠伝 - 血染めの唐獅子』(1967年マキノ雅弘監督、高倉健主演)のポスター(→)が貼ってあります。何なんでしょうか。
 そしてエリック・ロメールは死んだ(2010年、89歳)。
 クレール・ドニ監督、クリスティーヌ・アンゴ脚本、ジュリエット・ビノッシュ主演の映画『内なる美しき太陽』は一言で表せば "トラッシュ版ロメール映画”だと思います。そのトラッシュ加減は映画の冒頭から明らかで、イザベルとその愛人の一人で銀行マンのヴァンサン(演グザヴィエ・ボーヴォワ)が性交をしているのですが、男が遅漏クンで精一杯頑張ってるのになかなか果てない、女は突かれながら白けていて天井ばかり見ている、たまらず「早くイっちゃって」と女が声をかけると、男が「前の男の時はそうじゃなかったんだろ」と飛んてもない余計なことを口走ってしまう。イザベルは怒り爆発しヴァンサンを突き放し、泣いてしまいます。滑稽ですけど悲しいですよね。そういう映画的でも文学的でもない「生身っぽい」エピソードに溢れた映画なのです。
 イザベルは長い間連れ添い一児(娘)までもうけた伴侶フランソワ(演ローラン・グレヴィル)と破局し、二人で購入した画家アトリエ付きのアパルトマンに娘と二人で住んでいます。二人で買ったものなので、カギはフランソワも持っていて、よりが戻りそうになったら帰って来る可能性もわずかに残しているのです(こういうところ、ロメールっぽいと思いますよ)。ある種大きな愛の終り。想定としては50歳ほどからの再出発です。クレール・ドニのカメラアイは十分に残酷で、裸のジュリエット・ビノッシュの年輪(別の言い方ではタルミやシワ)をかなり強調します。おまけにこのイザベルは年齢と取り巻く社会(パリ左岸系アート業界)とおよそ不釣り合いな「若い娘の街着」を身につけ、歩きづらく着脱に死ぬほど苦労するヒールつきブーツを履いています。滑稽ですけど悲しいですよね。
 件の銀行マンのヴァンサンは、高慢で金ピカでやり手で「妻を愛している」と言うお都合主義者で、何一つ良いところのない卑劣漢なのですが、イザベルはそんな男でも「電話する」と約束した日に電話が来ないとイライラし、会えない寂しさに涙してしまう。相手にしなければいいのに、「駒のひとつ」として残しておくのです。
 次に現れるのがイザベルよりは相当若い舞台俳優(演ニコラ・デュヴォーシェル)で、才能ある演劇人ながら未成熟で、夢もあれば不安もある。会えば(例えば、俺はもう妻とうまく行かない、といった話も含めて)長々と自分のことしか語らない男で、イザベルが明らさまに「もういい加減にしてよ」という顔をしても気づきません。何も語らず、この若く優しい肉体に抱擁されたら、どれほど幸せかと思うのですが、えてして男はそういう風にできてません。
 毎回魚屋で出会う男マチュー(演フィリップ・カトリーヌ。居てるだけで可笑しい)はぶよぶよの心優しいブルジョワで 、アートに興味があって田舎に城館を持っているという武器だけで会う度にイザベルを誘惑するのですが、イザベルは全く興味を示しません。このカトリーヌはロメール映画におけるファブリス・ルッキーニの役を想わせるものがあります。
 そしてアートギャラリー関係者たちと入ったナイトクラブで、業界話に辟易したイザベルが一人でダンスフロアーで踊っていると、めちゃくちゃダンスの上手い若者シルヴァン(演ポール・ブラン)に腕を取られ、ダンスの甘い陶酔で誘惑されて恋仲になります。若く、下町(漠然とパリ18区)生活者で、教養も金もない ー と友人でギャラリー業界者のファブリス(演ブルーノ・ポダリデス)はイザベルに「こんな不釣り合いな関係は失敗するに決まっている。俺たちの世界(左岸的ブルジョワ・ボエーム世界)にとどまっていろ」と忠告します。あれま、これはクリスティーヌ・アンゴの小説『愛人市場』(2008年。ラップ歌手ドック・ジネコとの関係を描いたオートフィクション)で出てくる「18区 vs サン・ジェルマン・デ・プレ」対立構図の援用ですね。シナリオを書いている本人なので仕方ありませんが、登場人物たちはみんなアンゴの小説のどこかでお目にかかったような人たちばかり。しかしてシルヴァンとはファブリスの忠告通り「身分の違い」を理由に別れてしまうのですよ。滑稽を通り越して呆れてしまいますけど。
 そんな風に何人とも「理想の愛」を求めて関係するのですが、男たちはどこか決定的な何かが欠落していて、イザベルは泣いてばかり。週替わりで娘の世話をする元伴侶フランソワは、娘から「ママンは泣いてばかりいる」と聞かされ、心配になりイザベルに優しく慰めたり、週末旅行を誘ったりしてきます。イザベルはひょっとしたら「大きな愛」が戻ってくるのではないか、と期待もします。お立会い、この映画が"トラッシュ版ロメール映画”だと私が言う極め付けのシーンはここなのです。お互いによりを戻したように思っている時に、フランソワがアパルトマンの鍵を自ら開けて、イザベルのところにやってきます。大喜びのイザベルはかつてのように裸になってフランソワをベッドに誘い込みます。二人は盛り上がり、いい感じです。そしてフランソワがさあいよいよ挿入という段になった時、フランソワは自分の右手の指2本(人差し指と中指)を舐めて唾液でベトベトにするのです!わかりますかこの動作? ー イザベルはそれを見て真っ赤に逆上して、「私と一緒だった時、あなたはそんなことしなかった!」(言い換えれば、どこでそんなこと覚えたの!)とフランソワを乱暴に押し返して、またまた泣いてしまうのです。

 多くの映画評では、映画の最後部に登場する男占い師(演ジェラール・ドパルデュー)とのダイアローグがこの映画を全部救ってくれるシーンのように高く評価されています。言わば、あらゆる男たちに失望しながら、果たして理想の愛は巡ってくるのかを占い師に問うという、何にでも癇に触るナーヴァス&インテリ女性にしてはありえなかった「神だのみ」なのですが、占い師はソフトにソフトにこの傷ついた女性を誘惑していくのです。名人芸。
 それにしてもクリスティーヌ・アンゴ小説に親しい人たちにしか楽しめないのではないか、と思わせる内輪受けシーン多し。仕方ないですね。
 私(女)が望んでるもの、私(女)が幸せになれるもの、そういうものの裏の裏まで読んでくれる男などこの世にはいないのに、金の心を求め続ける採掘者、and I am getting old...。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)"Un Beau Soleil Intérieur"予告編

 

2 件のコメント:

田中めぐみ さんのコメント...

なんだか愉快で素晴らしい評論ですね。
トラッシュ版かどうかは分かりませんが(笑)まさにエリックロメールの世界ですね!本作まだ観れていないので尚更興味がわきました。エリックロメールの世界の、他人や環境のせいにばかりしていつまでも一人うじうじ泣いて、気付けばころっと笑っているシンデレラ症候群のような女子たち(とくに「緑の光線」のデルスィーヌや「友だちの恋人」のブランシュ)。観ていて非常にイライラし、自分はこうではない、絶対にこうはなりたくないと都度思うのですが、ふと自分を見つめ直した時、デルフィーヌやブランシュが私の中にもいたのです…。こういう類のものに誰もが共感してしまう、という点は心から納得しました。また、ラストの展開について、「緑の光線」でもあらゆる場所でトランプカードを拾ったり、迷信的な « 緑の光線»を追い求めたりと「神だのみ」のような根拠・実態のないある種の救いに導かれていく様も共通しているのかなと思います。
今はただ、鑑賞が楽しみです。

Pere Castor さんのコメント...

田中めぐみさん
コメントありがとうございます。極端にコメントの少ないブログなので大変励みになります。
件のクレール・ドニ映画はフランスではもはや劇場上映は終了しており、ブルーレイorDVDで観るしかないようです(図書館をご利用になればよろしいか、と)。また日本では昨秋10月末の東京国際映画祭で上映されたようです(日本上映題『レット・ザ・サンシャイン・イン』)が、評判は聞いていません。同映画祭の作品解説をコピペします:
「中年に差し掛かったイザベルは、シングルマザーのアーティスト。恋愛意欲は盛んで、残りの人生の伴侶を求めてデートを繰り返す。しかしどの相手にも一長一短があり、なかなかうまくいかない。やはりこの年になると難しいのだろうか?」「アラフォー以上のオトナは必見の本作はカンヌ映画祭でも大好評を博し...」
フゥ〜。こういう文章は映画の価値をずいぶん貶めていると思うんですが、私が嘆いても仕方ないですね。またお越しください。