2009年12月22日火曜日

Let's TWEET TWEET again!



 エイブラハム・インク『トゥイート・トゥイート』
 ABRAHAM INC. "TWEET TWEET"


 配給会社SPHINXのダミアン君とは長いつきあいなんですが,今年はDjango 100(ジャンゴ100)のCDなんかもあって,例年よりも取引高が多かったんです。長引く音楽業界危機の中で,ここ数年は毎年末「来年も続けられるかねえ?」なんていう暗い年越しの挨拶ばかりだったのに,今年はちょっと上向きのうす笑顔があったりする業界人も見ます。ダミアン君もそのひとりですし,かく言う私もしかりです。私の場合は長い長い売上減の下降グラフ線が2008年でやっと止まったという程度で,何も大喜びをする類いのものではありません。それでも家族で年を越せて,来年春までのヴィジョンが立てられるのだから,ほっと一息の感じはあります。
 ダミアン君も今年はこれでダメかもしれないと思っていて,10月頃まで不安材料はたくさんあったのですが,そこが「ショービジネス」の極端なところで,1枚のヒット作品さえあればすべてが変わってしまうことになるのです。ダミアン君の在籍する小さな会社の救世主はこの「エイブラハム・インク」でした。11月から1日に500枚出荷のペースだそうです。つまり万の単位に届くようなところにあるのですが,われわれのような独立の中小会社では会社の半期の旗色を変えてしまうような好珍事です。
 エイブラハム・インクはフランスの作品ではなく,米国のTable Pounding Recordsという会社の制作になるもので,Table Poungingがフランスのジャズ・レーベル Label Bleu(ラベル・ブルー)にライセンシングして,フランスではLabel BleuのCDとして商品化され,それをダミアン君のSphinxがフランス国内配給しています。因みにさきほど Amazon.com(米国)でこの作品検索しましたら「フランスからの輸入盤」ということになっていたので,世界中でこの作品はこのフランス盤しか存在しないのかもしれません。
 で,フランスでのリリースが10月19日。
 TSF JAZZやFIPといったFMで火がつきます。テレラマ誌やモンドミックス誌が絶賛します。そうなると多くの人がCDを買うようになるのです。
 エイブラハム・インクはクレズマー・クラリネットとニューオーリンズ系のブラス・ファンクとヒップホップの調和的融合に成功して,未体験のグルーヴネスを実現したプロジェクトです。中心人物は3人。かれこれ20年に渡ってニューヨークでクレズマー・クラリネットのヴィルツオーゾとして活躍するデヴィッド・クラカウワー(そのバンドの名前は Klezmer Madness!),ジェーム・ブラウンのJB's,ブーツィー・コリンズ,パーリアメント=ファンカデリックなどのトロンボーン奏者フレッド・ウェスリー,そしてカナダ人ヒップ・ホップ・クレズマーのDJであるソーコールド(本名ジョシュ・ドルギン)。クラカウワーとソーコールドは90年代末から共演していて,クレズマーとイディッシュ歌謡の21世紀的変種を模索していたのですが,ここに来てファンクの名トロンボーン奏者とそのホーンセクションを招き入れたら,とんでもないクレズマー・ファンクが出来てしまったというわけです。
 もともと東欧ジューイッシュ(アシュケナージ)の冠婚葬祭の伴奏器楽音楽だったクレズマーが,こうやってブラス・ファンクと溶け合ったら,その祝祭性が数倍に増幅される感じがします。アフリカ起源のブラックネスとバルカン・ジューイッシュ起源の超絶技巧クラリネットが一緒にハバナギラして,電気仕掛けも絡み合ってグルーヴィー。この足し算はそんなに簡単じゃないと思いますけど,私の今年下半期のめちゃくちゃお気に入りです。

<<< トラックリスト >>>
1. TWEET-TWEET
2. MOSKOWITZ REMIX
3. IT'S NOT THE SAME (FIGURE IT OUT)
4. THE H TUNE (HAVA NAGILA)
5. TROMBONIK
6. PUSH
7. "BALEBOSTE - A BEAUTIFUL PICTURE"
8. FRED THE TZADIK
9. ABE INC TECHNO MIX

ABRAHAM INC. "TWEET-TWEET"
CD LABEL BLEU LBLC6711
フランスでのリリース: 2009年10月19日


(↓エイブラハム・インクのプロモーショナル・ヴィデオ)

2009年12月19日土曜日

今朝の爺の窓(2009年12月)



 コペンハーゲン会議(COP15)が何の具体的な決議もできずに終わったのは、3日前から私たちを襲っている寒波が微妙に影響したのかもしれません。日中でも最高気温が零度を越えない日が何日間か続いたら、「温暖化」のリアリティーが薄れてしまう感じです。「まだまだ寒い日は寒い、だからたぶん地球も大丈夫」みたいな妙な楽観論ですね。
 向かいのサン・クルー庭園にシロクマ君が現れてもおかしくないような寒さです。1年で一番日が短い頃です。ドミノ師も外に出る時は、タカコバー・ママが手編みした毛糸の胴巻きを着てお散歩です。爺は雪多い北国の生まれなので、この頬が痛くなるような寒さはとてもなつかしく、子供の頃の記憶がふわ〜っと蘇るような感覚を楽しんでいます。ノスタル爺。

PS 1 12月20日
わがバルコンのリラの木の枝に吊るしてある鳥餌箱に、よく来てくれるメザンジュ(四十雀)です。うぐいす色がとてもきれい。初めて写真撮影に成功しました。

 

2009年12月9日水曜日

何でもアルノー



 アルノー・フルーラン=ディディエ『ラ・ルプロデュクシオン』
 Arnaud Fleurent-Didier "LA REPRODUCTION"


 アルノーとはもうずいぶん長いつきあいです。4年ほど連絡が途切れていましたが、この夏にラ・ロッシェルのフランコフォリーに出演したとどこかで読んで、まだがんばってるねえ、と思ったものですが、その直後SONY MUSIC FRANCEの2009年秋冬のリリース情報の中にアルノーの名前を見て仰天しました。おお、ついにメジャーデビューかあ。しかもレコード会社が次々に大物アーチストたちを解雇している時代に。新人アーチストはレコード会社がよっぽど勝算ありと踏まなければ契約できないでしょうに。難しい時勢にSONY MUSICは慎重に、しかも有効にプロモーションしています。アルバム発売のずいぶん前から、レ・ザンロック誌、テレラマ誌、リベラシオン紙、エル誌などに絶賛記事が出ました。エールのニコラ・ゴダン、ヴァンサン・ドレルムなどがアルノーを褒めちぎりました。国営ラジオのFIPやFRANCE INTERは9月頃からアルバム1曲めの「フランス・キュルチュール」をかなりの頻度でオン・エアしてます。
 で、アルバムの発売は延ばし延ばしで、最終的には2010年の1月4日に出ることになっています。
  と、ここまで書いていたら、今夜のテレビ番組「タラタタ」(国営フランス4。今夜のメインはシャルロット・ゲンズブール)にアルノーが出演していました。「フランス・キュルチュール」を女性ベーシスト&女性キーボディストを従えたトリオで披露しました(プレイバックだったような気もしますが、同番組の売りはプレイバックなしなので、ライヴだったんでしょうね)。「フランス・キュルチュール」は語りものなので、アルノーの音楽性のとんがったところは見えないでしょうが、ナイーヴな「父親は何も僕に教えてくれなかった」的なモノローグは、事情を知らない人には「新種のスラマーか」と思わせたかもしれません。
 私が初めてアルノーに会ったのは96年のことで、当時のインディーポップ誌「マジック」の自主制作盤コーナーに載ったノートル・ダム NOTRE DAMEというバンドの解散記念アルバムを通信販売で買って、気に入ってぜひ日本に紹介させてくれ、とコンタクトしたところ、アルノーがやってきて「いやあ、バンドはもうないから」みたいな...。当時22歳。17区ブルジョワのボンボンみたいな若い子たちが、自宅スタジオで作った「青春の記念盤」的なアルバム。ナイーヴで青臭く、それでも多重録音で弾ける楽器をすべて使った素人オーケストラルなサウンドが、ヌーヴェル・ヴァーグ映画のように低予算ながら遊びと荒削りが同居して...。
 アルノーは今晩の「タラタタ」で司会のナギーに対して「僕は音楽をやめるつもりであのアルバムを作ったのに、日本人に注目されて、再び音楽をやるようになった」という発言をしました。そうだったのですね。バンドはなくなって、それでも日本で注目されてNOTRE DAME名義であと2枚のアルバムを作り、そのうちの1枚は日本のレーベルが制作したものですし。良い時代でしたね。
 2004年、30歳。アルノー・フルーラン=ディディエ名義の初アルバム『若き芸術家の肖像 = PORTRAIT D'UN JEUNE HOMME EN ARTISTE』(これはもちろんジェームス・ジョイスからの援用ですが、ジョイスの方の題は "PORTRAIT DE L'ARTISTE EN JEUNE HOMME"。違いははっきりしてるんですが、ここでは説明してあげない)を発表します。これがインディー時代最後の作品ですが、日本では有名なのにフナックやフランスのレコード会社やFM局は何もしてくれない、という恨み言なんかが歌われてました。
 2009年アルノー35歳。作詞作曲編曲、ほとんどの楽器、全コーラス、ジャケットのアートワーク、ヴィデオクリップまで、全部ひとりでやらないと気がすまないところは、基本的に全然変わってません。「自分の好きなようにやりたい」をSONY MUSICは通してくれた、と私あてのメールで言ってました。これがインディーでやっていたら、やっぱり貧乏臭さが出て来ると思うんですが、さすがメジャーと言いますか、何か音処理がまるで違うように聞こえてきます。いつも通りのどこか調律がいいかげんなようなピアノの音がしますが。
 これは一種のコンセプトアルバムです。トップの何も教えてくれなかった父親への恨み言「フランス・キュルチュール」から始まって、その父親への逆コンプレックスから、生殖(ラ・ルプロデュクシオン。再生産)することを恐怖する若者が描かれます。それは母親に対して問い、恋人や、68年(5月革命)を知っているおばあちゃん、44年(ドイツ軍占領時代)を知っているおじいちゃん、などに問いかけ、なぜみんなは自分に何も教えてくれなかったのか、左翼になることも保守になることも知らず、万が一子供ができたらば子供に何も教えることができない親になることを恐怖して、愛の行為がブロックします。
 これはある種のサイケデリックな体験です。戦争で死んだ父親を思い続けてその欠乏感ゆえに自分に壁をつくってしまう、ピンク・フロイド『ザ・ウォール』の物語にも似ています。多分今日のテレビ「タラタタ」を見た多くの人たちは、アルノーが若き日のロジャー・ウォーターズに極似していることに気がついたでしょう。私はこれは偶然ではない、と確信しています。
 アルバムは私小説的で、映画的です。多くを語らない父親は、最後の曲で、この若者が小さい頃に母親と離婚していることが明かされます。「たとえすべてを語り合わなくても、いいんだ、父さん」という和解がこのアルバムのエンドマークです。
 サウンド的には「アルノー印」とでも言うべき、ひとり多重録音コーラスワークがあちこちで「決め技」になっていて、バート・バカラック/ミッシェル・ルグラン風のメロディーとハーモニーがびんびん迫ります。
 ジャケットは本当に分かりやすく、愛し合う多数のカップルが寝そべるビーチで、ひとり立ち尽くすやせっぽちの若者の背中です。大人になれない35歳です。
 ぜひ聞いてみてください。アルノーの才能はちょっとここで加速度がついたように私は見ました。

<<< トラックリスト >>>
1. FRANCE CULTURE (フランス・キュルチュール)
2. L'ORIGINE DU MONDE (世界の起源)
3. IMBECILE HEUREUX (幸福な愚者)
4. REPRODUCTIONS (ルプロデュクシオン)
5. MEME 68 (68年おばあちゃん)
6. JE VAIS AU CINEMA (映画館に行く)
7. NE SOIS PAS TROP EXIGEANT (注文をつけすぎないで)
8. MYSPACE ODDITY (マイスペース・オディティー)
9. RISOTTO AUX COURGETTES (ズッキーニ入りリゾット)
10. PEPE 44 (44年おじいちゃん)
11. SI ON SE DIT PAS TOUT (たとえすべてを打ち明けなくても)

ARNAUD FLEURENT-DIDIER "LA REPRODUCTION"
CD SONY MUSIC FRANCE
フランスでのリリース:2010年1月4日


(↓「フランス・キュルチュール」のクリップ)


PS 1 : 12月10日
(↓12月9日放映のフランス4「タラタタ」でのアルノー・フルーラン=ディディエ)

2009年11月30日月曜日

メラニーからうろこ



ディアムス『S.O.S.』
 DIAM'S "S.O.S."


 2006年"DANS MA BULLE"は100万枚を売りました。ちょっと太めの郊外少女ラッパーが,サルコジや極右をめった切りにするライムと私小説的な郊外少女の生きざまが同居するカラフルなアルバムで,一方で政治的なリファレンスとなり,もう一方で少女たちの姉御分的アイドルになり,PARIS MATCH誌の表紙を飾ったり,2007年大統領選セゴレーヌ・ロワイヤルに肩入れするスターのひとりになり...。この最後の「スター」という言葉がくせ者で,スターシステムに乗ったその時からフレンチ・ラップの了見の狭い連中は猛烈な批難といやがらせをディアムスにするようになります。またスターになった時から黄表紙ピープル誌のパパラッチたちが待ち受けるようになり,私生活をぐじゃぐじゃにします。
 2007年後半から2008年にかけて,ディアムスの醜聞がピープル誌にさまざま書き立てられます。ナイトクラブで暴行,泥酔,暴言...。2008年3月,フランスで最も栄誉ある音楽賞ヴィクトワール賞に2部門ノミネートされ(結局ひとつも取れないのですが),そのセレモニーで"Ma France à moi"を歌ったあと涙を流しながらこう言います「私に次のアルバムができるのか私にはわからない。これが多分私の最後のヴィクトワールの宴になるわ。メルシ」。
 メラニーの地獄は既に始まっていたのです。
 この迷いと自信喪失、すなわち「書けない」「表現できない」「言葉が出ない」「人前に出れない」の数ヶ月間、心の平静を取り戻すきっかけを作ってくれたのがイスラムの教えであった、とメラニーは言います。イスラム改宗はずいぶん前だったそうですが、2008年その教えが上の事情でほとんどセラピーとなった頃からメラニーはヘジャブ(イスラム教徒女性のスカーフ)で頭髪を隠すようになります。この姿がパパラッチに盗撮されピープル誌を賑わします。曰く「元ヒット歌手ラッパー、イスラム原理主義に入信」のような書かれ方です。
 2009年、多くの人たちから再起不能と言われていたディアムス/メラニーMCが、新アルバムを準備していて、しかも予定されているツアーにはヘジャブ姿(一説には全身を覆い隠すニカーブ姿)でステージに出るという噂が流れます。折りも折り、フランスではニカーブをめぐって公共の場所でのニカーブ着用を禁止する法律を作るべきか否かの論争があり、またサルコジ政権の移民担当相エリック・ベッソンが「フランス人のアイデンティティー(identité nationale)」を明確化する全国的議論を展開して、極右まがいの論法でイスラム教徒や外国人および異文化を保持する移民出身フランス帰化人の表面化を制限しようとしている時でした。
 ディアムスの新アルバム『S.O.S.』はそんな時勢に押しつぶされて、愚かにも元人気歌手が話題狙いでイスラム帰依したことが一笑に付されて、誰からも相手にされずに消えていくはずと予想されていました。ところが、ところが、11月13日、EMIからリリースされた『S.O.S.』はアルバムチャート初登場1位。たとえどんな雑音があっても、郊外少女たちがその姉御アイドル、ディアムスを死守するために結集したということでしょうか。そしてNO.1FMネットのNRJがそっぽを向いても,ヒップホップ/R&BのFMであるSKYROCK,FUN RADIO,VOLTAGE FMなどが強力にディアムス新アルバムを後押ししたことも,美しい連帯だなあ,と見ました。
 11月18日,ディアムスが国営TVフランス3のフレデリック・タデイの番組CE SOIR OU JAMAISに出て新アルバムの中の最後の曲"SI C'ETAIT LE DERNIER"(これが最後だったら)をライヴパフォーマンスしました(ヴィデオ見ると口パク混じりですね)。10分のパフォーマンスです。こんなものなかなか国営テレビで見れるものではないです。白いキャップ(カスケット帽)の下にメラニーMCはイスラムのスカーフを見せています。フレデリック・タデイはそのイントロダクションで,この2年間にディアムスについて問われたこと(人気転落,神経衰弱,精神分析,イスラム,アフリカ旅行...)すべてに対する回答がこの曲にある,と語ってその10分のスペースを明け渡したのでした。
 アルバム『S.O.S.』は「メラニー」という曲に始まり,この「これが最後だったら」(14曲め)で締めます。この2曲がこのアルバムの核心中の核心と言えましょう。「メラニー」は,メラニー(生身の自我)とディアムス(アーチスト)という一心同体で二つに切り離された自分のひとりダイアローグです。メラニーは自分がこんなにボロボロになったのはディアムスのせいだと恨み言を言います。ディアムスはおまえはそれしかできないのだから(ライムを)書くしかないんだ,とメラニーを苛めます。その対話は何一つ包み隠すことなく,驚くほどはっきりと明晰に語られます。
 アルバムは地獄からの蘇りの記録です。前アルバムが"DANS MA BULLE"(ビュルの中で。ビュル=泡=漫画の吹出し)というタイトルであったから,メラニーはビュルを抜け出さなければ再生することができないと考えました。泡から抜け出すにはアフリカの砂漠を歩いて渡り切らねばならなかった(3曲め"Enfants du désert")のです。

 S.O.S. S.O.S. S.O.est-ce que tu pleures
  Dans le fond tout comme moi ?
   - S.O.S. S.O.S. おまえも私のように奥の奥で泣いているのか? -
   (4曲め「S.O.S.」)
 

 そしてメラニーは閃き的にこう叫びます「アイ・アム・サムバディー」(2曲め"I am somebody")。私はサムバディーよ。これなどはほとんどアルチュール・ランボーの "JE est un autre"(私とは一個の他者である)と同じものでしょうに。「私は」「メラニーは」「ディアムスは」と一人称で私的に,極私的にあらゆることを語り(ラップし)尽くした挙げ句,彼女は「サムバディー」という他者の境地に至ったのです。
 テレラマ誌ヴァレリー・ルウーはこのアルバムはこの冬中何度も聞くようなアルバムではないし,前作のように変化に富んだアルバムでもない,と断りながらも,このアルバムは「アッパーカット」であると評しました。この告白の密度と強度によって聞く者は打ちのめされる思いでアルバムを聞き終わる,と。
 傷ついた魂が徐々にもとの球形に戻っていくことが記録されたアルバム14曲。74分!長くて当たり前。これに時間がかからないわけがありまっせん。この蘇りに時間がかからないわけがありまっせん。このセンセーションを聞く者が共有できたら,このアルバムは凡百のラップアルバムとは切り離されて扱われなければなりません。アルバムチャート初登場1位。私は多くの人たちがこのアルバムの数曲で涙が迸り出たはずだと確信しています。

<<< トラックリスト >>>
1. Mélanie
2. I am Somebody
3. Enfants du désert
4. S.O.S.
5. Dans le noir
6. Coeur de bombe
7. Rose du bitume
8. L'honneur d'un peuple
9. Lili
10. Poussière
11. Sur la tête de ma mère
12. Peter Pan
13. La Terre attendra
14. Si c'était le dernier

DIAM'S "S.O.S."
CD EMI FRANCE / HOSTILE RECORDS 6860440
フランスでのリリース:2009年11月13日



(↓11月16日 FRANCE 3のフレデリック・タデイの番組CE SOIR OU JAMAISでのディアムス "SI C'ETAIT LE DERNIER")

2009年11月28日土曜日

今夜はコルテックスでした。



 今夜はパリの南郊外の町、レイ・レ・ローズ(世界的に有名なバラ園のある町です)で、アラン・ミヨン+コルテックスのコンサートでした。
 この3月の、突然のコルテックス30年ぶり一回こっきり復活コンサートは爺ブログ3月5日で紹介しましたが、一回こっきりと言っておきながら、「俺は引退する」と宣言しておきながら、こうして8ヶ月後にもう一度やってしまうのは、ミヨンさんがまだまだ若いという証拠でしょう。よいことです。
 今回はドラムスにマイケル・カースティング(ジャコ・パストリアスと長年プレイしていた人です)、ベースにジェラール・プレヴォ(ジャズ・ロックからヴァリエテまでいろいろやってましたが、特に知られているのは14年間ジプシー・キングスのベーシストだったこと)、サックス(+フルート)3人、そしてヴォーカル/キーボード/パーカッションの紅一点アドリーヌ・ド・レピネー(この人のマイスペース)という人たちに囲まれて、ミヨンさんがグランドピアノとフェンダーローズを弾き分けて、曲によってはヴォーカル&スキャットも披露します。
 またこのコンサートがクラシック系の音楽専門ケーブルTV局MEZZOによって録画され、後日ヨーロッパ中で放映されることになっているそうで、撮影カメラが3台あり、おまけにステージ前をカメラ搭載クレーンがしょっちゅう8の字状の動きをして、目障りなのがちょっと残念でした。
 レイ・レ・ローズのバラ園は高台にあり、そこからパリの町並みが見下ろせるのですが、そういう香り高い郊外都市の公立文化会館という趣きのホールでのコンサートで、土地の音楽好きの中高年が主な客層で、みんな良いクッションの座席に大人しく坐って、というタイプのコンサートですから、ニューモーニングでのようなファンキーでアルコールつきでほとんどがみんな立って踊って、というようなコンサートとはかなり様相が違いましたね。それでもこの客層はセヴンティーズを体験した本当のコルテックスファンかもしれない、とも見えないこともなく...。
 (↓ CORTEXのカルト的名盤"TROUPEAU BLEU"のレパートリー "La rue")
video

2009年11月24日火曜日

ペイジの技もなく、プラントの声もなく、しかし!



 THEM CROOKED VULTURES "THEM CROOKED VULTURES"
 ゼム・クルックト・ヴァルチャーズ 『ゼム・クルックト・ヴァルチャーズ』


 わが窓から見える対岸の夏ロックフェス「ロック・アン・セーヌ」で、この夏爺がぶっ飛んだバンドの初アルバムが届きました。クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・ネイジ(QOTSA)のジョシュア・オム、ニルヴァーナ〜ザ・フー・ファイターズのデイヴ・グロール、レッド・ゼッペリンのジョン・ポール・ジョーンズが集まったバンド、ゼム・クルックト・ヴァルチャーズです。私は門外漢で、普段ほとんどロックを聞かないのですが、その門外漢があのステージを見てしまったために、かなりの興奮度で待ちわびていたアルバムです。本当に久しぶりのことです。全ジャンルを通してアルバムを待ち望むこと自体、本当に久しぶりのことなのです。
 良いオーディオで聞きたい、そう思いました。結局人に遠慮することなく大音量で聞けるカーステが理想の環境ですし、しかもパリを外周する環状自動車道(ペリフェリック)を混雑のない夜10時以降に運転しながら聴くというのが、私の貧乏臭い恍惚の瞬間を持続的につくってくれたのでした。
 重戦車の地響きのようなものに快感を覚えるのではありまっせん。はっきりと聴こえてくるのは激しく連打するドラムスの音であり、うねりまくる重低音のベースの音です。オールドスクールの重いロックビートです。私はツェッペリンはわずかに編集盤4枚組CD(ロングボックス)1セットを持っています(日本で若い時分に持っていたLPは今頃どこで朽ち果てていることやら)。ディヴ・グロール関連ではニルヴァーナはLPを持っていますが、フー・ファイターズは何も持っていません。ジョシュア・オムに関してはQOTSAもイーグルス・オブ・デス・メタルも何も持っていないどころか、聞いたこともありません。こういう私ですからここで講釈できるようなものは何もないのです。
 アートワークがわかりやすい。鳥の頭をした男が3人。だから鳥男(トリオ)。
 なぜにこんなに強烈に揺さぶられるのか。その揺さぶられがどうしてこんなに心身の奥底を刺激するのか。これは説明のしようがないのですが、私たち中高年には最初に太古の記憶のような意識下の懐かしさなのかもしれません。幼年期に私は、自分が乗ったバスや車がバックする時、不快に近い、息がつまりそうなセンセーションを覚えたものでした。それがいつの間にか何ともなくなったのですが、子供の頃それがとても嫌だったという記憶はある。このバンドを夏にロック・アン・セーヌで初めて見た時、こういう音に揺られると、その不快に近かったセンセーションを思い出してしまったような気がしたのです。そしてその不快はバランスが崩れる恐怖だったのかもしれないけれど、グラっと揺れることが快感に近いものに変わっていく体験をあなたはしていませんか? 最初の煙草や最初のアルコールは誰にとっても不快なものであったはずです。それがグラっと揺れるときに違うセンセーションを覚えた時にあなたはそれをやめることが難しくなったのではありませんか? 遊園地で目の回る遊びをたくさんした記憶みたいなものじゃないですか?
 話が音楽から外れましたら、もとに戻すと、このバンドでこの揺れを作っている真犯人はデイヴ・グロールのドラムスでしょう。力まかせとシンコペーション、この二つの武器でゴッホの絵のように大気にさまざまな渦巻きを次々に描いてしまっているようなドラミングです。
 揺さぶりの13トラック66分。薬品もアルコールもなく陶酔できる人たちの幸福。デイヴ・グロールとJP・ジョーンズが決め手を握っている曲では、そこにペイジのヴィルツオーゾがなくても、プラントの恍惚ヴォーカルがなくても、それはそれで中高年を狂喜乱舞させるリズムの魔があります。だから、私はあまりメロディーやギターが気になりません。もう一度ナマで体験してみたいです。

<<< トラックリスト >>>
1. "No One Loves Me & Neither Do I"
2. "Mind Eraser, No Chaser"
3. "New Fang"
4. "Dead End Friends"
5. "Elephants"
6. "Scumbag Blues"
7. "Bandoliers"
8. "Reptiles"
9. "Interlude With Ludes"
10. "Warsaw Or The First Breath You Take After You Give Up"
11. "Caligulove"
12. "Gunman"
13. "Spinning In Daffodils"

THEM CROOKED VULTURES "THEM CROOKED VULTURES"
CD SONY MUSIC 88697619362
フランスでのリリース 2009年11月13日


(↓2009年レディング・フェスでのゼム・クルックト・ヴァルチャーズ。もろ「移民の歌」ノリの"Spinning in Daffodiles")

2009年11月19日木曜日

Juste quelqu'un de bien 単純にいいヤツ




11月19日パリ、ラ・シガールでケントのコンサートでした。
 ケントは1957年リヨン生れのシンガーソングライター/BD作家ですが,1977年にリヨンのパンクバンド,スターシューターのリードヴォーカリストとしてデビューしています。あの当時フランスのリセの子たちが「ロック」として夢中になっていたのは,テレフォヌ,ビジュー,リリ・ドロップ,トラスト,スターシューターだったんですが,リリ・ドロップのベーシストだったのがエンゾ・エンゾです。
 ケントもエンゾ・エンゾもバンド解散後,シャンソン・ポップのソロアーチストになります。それぞれメジャーシーンに出て来るのが90年代前半で,十数年間「中堅アーチスト」としてそこそこの活躍をしますが,音楽産業大会社は「そこそこ」とは契約更新しない時代になりました。ま,インディーから出直せばよろしいわけですが,ベテランの生きにくいご時世ですわね。
 エンゾ・エンゾに1995年度のヴィクトワール賞(最優秀女性アーチスト賞)を獲得させるきっかけとなったのが,ケント作詞作曲の"JUSTE QUELQU'UN DE BIEN"です。ケントはケントでそれなりのヒットアルバムやヒット曲があるんですけど,それでもケントの一番の代表曲となると,この曲になるきらいがあります。群を抜いていい曲ですもの。98年から99年にかけて,ケントとエンゾ・エンゾはデュエットで1年間のツアーを行っています。このあたりが二人の絶好調期でしょうか。

 ケントがインディーに移っての初のアルバムがこの『パノラマ』で,ギタリストのフレッド・パレムとケントの2台のギターを屋台骨にして,スターシューター時代から今日までのケントのレパートリーを文字通りパノラマ的に読み直してみよう,というプロジェクトです。きのうケントがステージ上のMCでも言ってましたが「最良のものは Best of ではない」という考え方で,人様にとってのヒット曲をセレクトするのではなく,自分にとって重要だったものをピックアップするという選曲方針です。そのためあまり知られていない曲も入っています。
 ギターが良く鳴っています。ギターをかき鳴らすというのは,この人のルーツであるオーソドックスなメインストリーム・ロックがよく見えてきます。激しいストロークを繰り返す時は往年のハードロックよろしく獅子舞首振りをしてしまいますし,エンディングにはネックを振り上げて開脚ジャンプしますし。
 普段の生活ではメガネをかけているのに,ステージでは首振りが激しすぎてとてもかけてられない,と言ってました。スポーツ選手のようにメガネにストライプをつければ,とすすめられるが,「それはセクシーではない」という理由でステージではメガネを拒否しています。おかげでギターのチューニング器や曲順表が見えなくて難儀しているそうです。歳だなあ。
 当夜の場所ラ・シガールはほぼ全席「着席」でした。ロックンロールじゃない感じでした。ステージ左側にギターを抱いたケントが立ち,右側でフレッド・パレムがさまざまなギターを持ち替えての伴奏です。ボディーがすんなりしているし,動きもしなやかなので,私などにはとてもうらやましい万年青年の図。その割に客席側は熟年女性の多さが目につきます。ステージングはそういう客層にも関わらず,ノスタルジー・モードの「合唱」強要が一切なく,歌い,語り,ギターをかき鳴らすという淡々とした進行でした(良い良い)。
 アルバム『パノラマ』の性格上,オリジナル曲発表当時の思い出などが語られたりするのですが,私にはナツメロではないので,全然大丈夫。ゲストで,アルバムにもデュエットで参加しているアニェス・ジャウイ,バルバラ・カルロッティ,アルチュール・H等が出ましたが,みんな待っていたのはスザンヌ・ヴェガでしょうかね。
 初めて見たケントだったのに,なにか懐かしい友人に再会したような親密さ,これが私たち年寄りが陥りやすいワナですな。ある種のセミ中高年層を魅惑するオーラに溢れている感じですね。気持ちいいんだから,しかたない。


(↓昨夜のライヴで,ケントとアニエス・ジャウイのデュエット "Parole d'homme")
video

(↓Youtubeで公開されているスザンヌ・ヴェガとのデュエット "Juste quelqu'un de bien")