2018年6月17日日曜日

汽車は出てゆく煙は残る

代の編曲家にして呪われた作曲家ジャン=クロード・ヴァニエの原稿を書きながら出会った1枚。マリー=フランス・デュフール(Marie-France Dufour 1949 - 1990)はステージネームをマリーと名乗り、夫はリオネル・ガイヤルダン(ニノ・フェレールのギタリスト→70年代の人気ソフトロックバンド、イレテ・チュヌ・フォワ)、1971年にパテ・マルコーニ社からデビュー。9枚のシングル盤とLP1枚を発表した他、1980年にはミュージカル『レ・ミゼラブル』のフランス初演に準主役エポニーヌ役で出演している。しかし、1990年に41歳という若さで白血病で急逝。
 そのマリーが1973年のユーロヴィジョン・コンテストにモナコ代表としてエントリーしたのがこの曲 "Un Train Qui Part”(汽車は出てゆく煙は残る)。あの頃は出場国も少なく、今と違ってフランス語でも優勝チャンスはいくらでもあったんだが、マリーのこの曲は17か国(17曲)中8位の結果。この曲の作詞はボリス・ベルグマン(アフロディティーズ・チャイルド、アラン・バシュング、リオ...)、作曲はベルナール・リアミス、そして編曲がわれらがジャン=クロード・ヴァニエであった。
 そしてルクセンブルクで開催されたこのユーロヴィジョン本選会(テレビ生中継)で、この歌の楽団指揮者として登場したジャン=クロード・ヴァニエがパジャマ姿(に黒タキシードの上着を羽織って)だったという珍事。この年のユーロヴィジョンは、前年1972年9月のミュンヘンオリンピックでのパレスチナ武装組織「黒い9月」によるテロ事件の影響で、同コンテストにイスラエル代表が参加するというのでものすごい厳戒体制が敷かれていた。この時のことを、レミ・フーテル&ジュリアン・ヴュイエ共著の評伝本『ジャン=クロード・ヴァニエ』(Le Mot Et Le Reste 刊 2018年)の中でヴァニエはこう証言している。
JCヴァニエ:「レコード会社パテ・マルコーニのディレクターが電話でユーロヴィジョンに出演するマリーの楽団指揮を依頼してきたが、私はこのユーロヴィジョンというのをずっと軽蔑していた。彼は”心配は無用だ、FBIが警護している”と言った。しかしながら私はこのFBIにとても悪い思い出があり、私はマイク・ブラントのブラジル・ツアーでイスラエルの楽団を指揮して回ったが、その間中FBIに護衛されていて、地獄のような思いをした。だからこのルクセンブルク行きを辞退したんだ。しばらく経って彼がまた電話してきて、”FBIに電話したよ(一体どうやって彼はFBIとコンタクトができたのだろう?)、すべて話はつけた、きみの過去は抹消されたよ”と。一体私の過去って何なんですか?と彼に聞くと、私はFBIのリストにマオイスト(毛沢東主義者)としてマークされていたと言うんだ。おそらくブラジルツアーの時にそうなったのらしいが、私はマオイストだったことなど一度もない。仕方なく現地入りし、冗談のつもりで私はパジャマ姿で楽団を指揮したんだ。それをポルナレフがテレビで見ていて、演奏の直後に電話してきて、とっても豪華だったよ、と言ってくれたんだ。」(Rémi Foutel & Julien Vuillet "JEAN-CLAUDE VANNIER" p302)
 その1973年ユーロヴィジョンのパジャマズボンの指揮者ヴァニエの見える動画がYouTubeに載っていたので貼っときます。


 なお前掲書には、伝説として、このユーロヴィジョン本選会の主催者が会場の観客に対して前もって「いかなる場合でもショーの間中に立ち上がって喝采するなどの行為をしないように。警備部隊によって射撃される可能性あり」と警告してあった、と記されている。おお怖。

2018年6月9日土曜日

ピエモンテの霧

『ある個人的な事情』
"Una Questione Privata"

2017年制作イタリア映画
監督:パオロ&ヴィットリオ・タヴィアニ
主演:ルカ・マリネリ、ロレンゾ・リケルミ、ヴァレンティナ・ベッレ
フランス公開:2018年6月6日


事タイトルは伊藤久男「イヨマンテの夜」をもじりました、つってもわからないでしょうねぇ。とにかく霧の多い映画です。五里霧中。パトリック・モディアノの小説のモヤモヤ感を想起させます。ところはフランスとスイスとも国境を接する北西イタリア、ピエモンテ地方の山間部(だから山はアルプス系です)、時は1943年、ファシスト政府軍と抵抗レジスタンスの戦闘が激化していた頃です。余談で、時代は異なりますが、第一次大戦時に作られたイタリアの民衆歌で「山の大尉 Il testamento del capitano」という、日本でも山の歌として親しまれていた(「山の大尉は傷ついた - 部下の山岳兵たちに - もう一度 ここで逢いたいと - 息絶え絶えにことづけた」という日本語歌詞)歌がありまして、私は映画始まるや、この歌はこういう環境で歌われたんだろうなぁ、と思いました。

ところがどっこい、この映画で繰り返し聞かれる音楽は1939年のミュージカル映画『オズの魔法使い』でジュディー・ガーランドが歌った「虹の彼方に」なのでした。これをトリノからやってきた都会派で自由闊達で美しい娘フルヴィア(演ヴァレンティナ・ベッレ)は蓄音盤がすり減るほどリピートして聞き、怪しげな英語(これをフランス語表現では"ヨーグルト英語”と言う)で愛唱するのです。(↓そのシーン)

このフルヴィアに英語と英文学を教えていたのが、村で評判の英語達人ミルトン(演ルカ・マリネリ)でした。ミルトンはフルヴィアに強烈に想いを寄せていますが、フルヴィアが愛しているのはミルトンの文才(手紙)だけ。彼女の心を射止めた土地の名士の息子でブロンド髪の美青年ジオルジオ(演ロレンゾ・ミケルミ)は、ミルトンの幼馴染にして大親友。内戦が激化する前、この自由な娘と二人の多感な若者はいつも一緒にいて、文学、音楽、ダンス、政治討論を共にしていました。
 この自由女+親友同士の二人の知的若者という構図は、フランソワ・トリュフォー『突然炎のごとく - ジュールとジム』 (1962年)と同じものです。
 原作はピエモンテ地方出身の作家ベッベ・フェノリオ(1922-1963)の自伝的小説『ある個人的な事情』(1963年)です。タヴィアニ兄弟がこの作品を知ったのはずいぶんあとのことで、その衝撃的な出会いが、私が観た映画館で配られていたパンフレット上のインタヴューでこう記されています。
私たち自身、まだ信じられずにいるのだが、これは実際にあったことだ。4年前のある午後、二人は別々で片方はローマにいて、もう一人はサリナにいた。二人が申し合わせたわけではなく、私たちは同じ時間にラジオで同じ放送を聞いていたんだ。それは私たちの大好きな俳優で『パードレ・パドローネ』 (註:1977年カンヌ映画祭パルム・ドール受賞)にも主演していたオメロ・アントヌッティがあの深みのある声でベッペ・フェノリオの『ある個人的な事情』を朗読したものだった。そして離れ離れの私たち二人は、各々の場所からオメロに電話している。オメロは笑ってこう言った「でもこれは10年以上前に録音したものだよ!」、そしてこう付け加えた「きみの弟が同じように私に礼を言いに5分前に電話してきたよ!一体なにごとなんだ?」 ー それから数日後、私たちはこれこそが私たちの次の作品になると確信したんだ。 
いい話じゃないですか。そしてこれが兄パオロ・タヴィアニの遺作となりました(2018年4月15日88歳で死去)。
 さて本題に戻ります。これは3人の物語ではなく、ミルトンの物語です。ミルトンの恋慕、友情、反ファシストレジスタンスの三つ巴戦争地獄です。これをピエモンテの霧が包んだり、ぼかしたり、混乱させたり、という映画の重要なファクターとなっています。フルヴィアは戦乱を逃れて海浜避暑地に疎開、しかしインテリ親友二人はレジスタンスに投身し、しかも重要なメンバー(小グループのリーダー格)になります。やんぬるかな、ジオルジオはファシストに捕らえられ、この激化した戦況では(ジュネーヴ条約など無視して)獄中処刑されかねない。この映画の中でもファシスト軍の蛮行はいろいろ映し出され、民家の焼き討ち、子供を含む民衆殺戮、理由のない捕虜の銃殺など...。
 ミルトンはジオルジオを助け出したい。それは無二の親友への献身的行動ということだけではない。彼をこの行動に突き動かしたのは、恋の狂気であり、嫉妬である。これが「ある個人的な事情」であり、反ファシストレジスタンス戦の大義とは外れるのです。作戦中、止むに止まれず立ち寄った(思い出の)フルヴィアが住んでいた館の中で、一人居残っていた召使いの女から、(ミルトンの知らなかった)フルヴィアとジオルジオの濃密な関係のことを知らされた時、ミルトンはこの恋に決着をつけなければならないと決心したのです。レジスタンス部隊の隊長に許可をもらい、ミルトンは単独で捕虜ジオルジオの解放救出のために動きます。山の村人たちはみんなミルトンのことを知っていて、みんな強烈にファシストを憎悪している、そういう空気が映像から伝わってきますが、ファシストはいたるところにいます。ジオルジオを救出する方法として、ミルトンはひとりファシストの幹部クラスの人間を生け捕りにして、それとジオルジオを捕虜交換するという作戦を考えます。村の女の協力を得て、ミルトンはまんまとファシスト隊長を捕まえることができました。しかしその間抜けな人質ファシストを護送して徒歩で山越えをしてジオルジオの捕まっているファシスト陣地に行く道半ばで、ファシストは逃亡を図り、それをミルトンが背後から銃撃して人質は死んでしまうのです。すべては水泡に帰してしまい、ミルトンも体力の限界に至ってしまいます。ここでまた霧が出ます。
 絶望を抱いて霧の中をさまよっていくと、着いた先はあのフルヴィアが住んでいた館、しかしそこには大勢のファシスト兵たちがいたのです。ミルトンは敵に見つけられ、一斉射撃を背後に全速力で逃走します。唯一の武器のピストルも逃走中に失い、絶体絶命の危機です。これを救うのがピエモンテの霧です...。

 私は原作小説を読んでいないので、原作がどんな結末なのかは知りません。この映画はトリュフォー『突然炎のごとく』と違って、あの「3人」がどうなったか、の答えはありません。一つだけわかるのは、ミルトンが生きている、ということです。それを除いては何も明らかにしません。私はこれは非常に「開かれた」エンディングだと思いますし、この先のことは観る者の想像に託されたものと見ました。これは「第2部」「第3部」があってしかるべきではないか、とも思いました。霧が持ち去っていったものを見たいと。逆に言うと、煙に巻かれた感も少なからず。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)フランス上映用予告編

2018年5月25日金曜日

イニシアル F F

フランソワーズ・ファビアン『フランソワーズ・ファビアン』
Françoise Fabian "Françoise Fabian"

 ランソワーズ・ファビアンはフランスの大女優です。1933年アルジェリア生まれで、1954年から映画女優として活躍していて、代表作は1969年エリック・ローメール監督作品『モード家の一夜(Ma nuit chez Maud)』です。現在まで映画(ジャック・ベッケル、ルイ・マル、エリック・ローメール、クロード・ルルーシュ...)、テレビ、演劇でコンスタントに仕事されている現役さんです。生年を書いてしまったのでバラしますが、現在85歳です。この歳になってからの歌手デビューアルバムなんです。

 このアルバムについては現在雑誌原稿を準備しています。

 何度か一緒に仕事した(音楽のこと。つまり大女優にテレビや企画でワン・ショットで歌ってもらった時に編曲・伴奏した)アレックス・ボーパンが、深く深く惚れ込み、ちゃんとした録音作品として残すべきだと、彼女をぐいぐい引っ張って行ってできたアルバム。60年代からムールージやギ・ベアールとの交流の中で彼らのレパートリーを歌ったこともあり、一時はゲンズブールが曲提供してブリジット・バルドー(フランソワーズ・ファビアンよりも2歳年下)のように鬼才の毒牙によって歌手になりかけたこともあります。しかし時は過ぎ、歌手になることなくここまで来たのですが、アレックス・ボーパンによって忘れかけていた歌う喜びが蘇り、アルバムを作り、さらにステージで観客の前で歌のショーを(2018年秋から)やってしまうというところまで...。85歳のデビュー。人生歴、芸歴ともにずっしり重いこの大女優ですから、アレックス・ボーパンが声をかけたらすごい人たち、多彩な人たちが曲を提供してくれました。大御所シャルル・アズナヴール、巨匠ジュリアン・クレール、大劇作家・脚本家・作家ジャン=クロード・カリエール...。アレックス・ボーパンの世代ではドミニク・ア、ヴァンサン・ドレルム、ラ・グランド・ソフィー...。この大女優は作詞も作曲もしませんから、詞曲提供者はフランソワーズ・ファビアンがこの2018年に初めて歌うということを熟慮したんでしょうね(このことについては雑誌記事の方に詳しく書きますので、参照してください)。つまり人生の「今ここ」に来た(偉大な過去に富む)女性の吐露、述懐のような歌が殆どです。9歳年上のアズナヴールが書いた「この男という悪魔 Ce diable d'homme」など、アズナヴールやフランソワーズ・ファビアンのような重厚な人生経験なしには絶対歌えっこないようなアズナヴール節です。それからヴァンサン・ドレルムが書いた「会話 Conversation」は、まさにローメール映画『モード家の一夜』の中で堅物カトリック信者のジャン=ルイ(演ジャン=ルイ・トランティニャン)を一夜の親密会話に誘い込むモード(演フランソワーズ・ファビアン)を、49年後に(時は経てども)同じ濃さで再演するような歌。傑作です。
 その中でやや異彩を放つ作者メンツが、この「こんなにもたくさんの愛するもの Tant de choses que j'aime」を提供したニコラ・ケール(詞)とローラン・バルデンヌ(曲)で、エレクトロ・パンク・ロックのバンド、ポニ・オアックス(Poni Hoax)の双頭リーダーの二人です。この曲がこのアルバムの第一弾シングルとして、アレックス・ボーパン制作のヴィデオ・クリップ(クロード・ルルーシュ他、ゲストいろいろ出演)と共に5月23日に発表されました。85歳人生の「今ここ」を見事に歌っています。詞曲もお見それしました。詞全訳とヴィデオ・クリップ以下に貼ります。

言葉と記憶の間で
私は身構えてしまう、スタートラインに立つように、
私の愛するものすべてを前にして
こんなにもたくさんの愛するもの
私の個人史を隅から隅まで調べると
私は身構えてしまう、スタートラインに立つように、
私の愛するものすべてを前にして
こんなにもたくさんの愛するもの

私はもう探さない
あなたの中で、私の気にいるはずだったものなんて
もうどんな理由も超越されて
ただの甘い言葉しか残っていない
私はもう求めない
私にあなたを信じさせたものなんて
もうどんな疑問も超越されて
激流は静まってしまうでしょう

私の象牙の塔を壊して
今夜私は寝室を開放するわ
私の愛するものすべてのために
こんなにもたくさんの愛するもの
果てぬ希望から解放された魂
私は義務から自由にさせてやるわ
私の愛するすべてのものを
こんなにもたくさんの愛するもの

私はもう探さない
あなたの中で、私の気にいるはずだったものなんて
もうどんな理由も超越されて
ただの甘い言葉しか残っていない
私はもう求めない
私にあなたを信じさせたものなんて
みんな地平線の向こうに追いやってしまいましょう
そこから私たちは私たちに還っていくのよ



<<< トラックリスト >>>
1. APRES QUOI COURIONS-NOUS (詞曲ジュリアン・クレール)
2. PASSAGES (詞ジャン=クロード・カリエール/曲アレックス・ボーパン)
3. TANT DE CHOSES QUE J'AIME (詞ニコラ・ケール/曲ローラン・バルデンヌ)
4. CE DIABLE D'HOMME (詞曲シャルル・アズナヴール)
5. LA CONVERSATION(詞曲ヴァンサン・ドレルム)
6. CIGNER DES YEUX (詞曲ドミニク・ア)
7. MONSIEUR VOUS VOUS TROMPEZ D'EPAULE(詞アルチュール・ドレフュス/曲ロナン・マルタン)
8. LA VIE MODESTE (詞曲ラ・グランド・ソフィー)
9. AU BOUT DU COMPTE (詞アクセル・レイノー/曲ヴァランティーヌ・デュテイユ)
10. L'IDEE (詞曲アレックス・ボーパン)
11. BONSOIR (詞曲ヴァンサン・ドレルム)
12. JE NE REVE PLUS DE VOUS (詞曲アレックス・ボーパン)

FRANCOISE FABIAN "FRANCOISE FABIAN"
CD/LP TURENNE MUSIC - LABREA MUSIC - WAGRAM
フランスでのリリース:2018年5月18日

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)2018年5月22日の国営TVフランス5 "ENTREE LIBRE"でのフランソワーズ・ファビアンのポートレート。



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追記(2018年6月3日)

L'Idée (詞曲アレックス・ボーパン)

いつか私は行ってしまう
その思いを
私はずっと温めていた
とても可愛がってきたので
この奇妙な思いを
私は飼いならしてしまった

実際には暗いこの思いを
私は小さな黒い猫に
変身させた
それは夜になると私の首の後ろや
両腕の中に身を滑り込ませ
喉をごろごろ鳴らす

いつか私は行ってしまう
その思いを
私はずっと温めていた
とても可愛がってきたので
この奇妙な思いを
私は飼いならしてしまった

それは滑稽な思いだけれど
悲しい思いでも
無念でも後悔でもない
それは私を前向きにさせる
私がこの世にある限り
その思いもあり続ける
私が向こうで
私を去っていったすべての人たちと再会する時
あなたたちを見舞う悲痛を
和らげるため
どうにかこうにか
あなたたちを慰めるため

この思いはあなたたちにもやってくる
あなたたちの番が来る
その時あなたたちは私を思うのよ
この思いはあなたたちにもやってくる
あなたたちの番が来る
その時あなたたちは私を思うのよ
そして私は永遠に生きるのよ

(↓)
Deezer 

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追記(2018年6月19日)

月刊ラティーナ2018年7月号の「それでもセーヌは流れる」(→3ページ中の1ページ)。3分の2がローメール映画『モード家の一夜』(1969年)と哲人ブレーズ・パスカル(1623-1662)のいわゆる「パスカルの賭け」をわかりやすく解説。40年以上前仏文科学生時代に学んだことって結構頭に残ってるもんですね。



2018年5月21日月曜日

ちょっと振り向いてみただけの異邦人

Hindi Zahra "Un jour"
ヒンディ・ザアラ「ある日」

from album "HOMELAND"(2015) 

2009年「ビューティフル・タンゴ」でデビューしたモロッコの人。英語、フランス語、ベルベル語で歌うフォーク自作自演歌手。2010年のアルバム『ハンドメイド(Handmade)』と2015年のアルバム『ホームランド(Homeland)』は共に、フランスで最も栄誉ある音楽賞ヴィクトワール・ド・ラ・ミュージックの「世界音楽部門」賞を獲得している。画家、作家、女優としても活躍している当年38歳のまぶしい個性。声もメロも砂漠の香りも、みな素晴らしい。"Un jour"は旅も文学も情念もみな素晴らしい。こんな歌、めったにあるものではないでしょう。

Un jour de pluie un jour de doute,
ある雨の日、はっきりしない日、
Je vous ai trouvé sur ma route,
道すがら私はあなたと会った
Un amour far un amour doux,
ある遥かな愛、優しい愛
Un jour de pluie un jour de doute,
ある雨の日、はっきりしない日、
Je vous ai trouvé sur ma route,
道すがら私はあなたと会った
Un amour far un amour doux,
ある遥かな愛、優しい愛 
Un amour plus grand que le jour,
日の光よりも大きな愛

J'ai vu vos boucles noires danser,
あなたの黒い巻き毛が舞っていた
Sous le vent du printemps chantaient,
春の風に吹かれ
Des oiseaux du haut de leurs ailes,
鳥たちが翼を高く広げ歌っていた
J'ai vu dans vos yeux l’éternel,
私はあなたの眼の中に永遠を見た

La promesse écrite de vos mains,
あなたの手で書かれた約束は
Disait l'avenir incertain,
不確かな未来を語っていた
Se plie au désirs des plus fous,
それは最も狂おしい望みに従うと
A ceux qui valent plus que tout,
何よりも価値のあるものに従うと

Refrain:

Vous l'étranger vous l’inconnu,
あなたは異国の人、見知らぬ人
Vous avez laissé sous ma plume,
あなたは私のペンに書かせた
Des mots amères des mots perdus,
苦しみに満ちた言葉、失われた言葉を
Des mots d'une tristesse absolue,
絶対の悲しみの言葉を


Vous l'étranger vous l’inconnu,
あなたは異国の人、見知らぬ人
Vous avez laissé sous ma plume,
あなたは私のペンに書かせた
Des mots amères des mots perdus,
苦しみに満ちた言葉、失われた言葉を
Des mots d'une tristesse absolue,
絶対の悲しみの言葉を


Nous avons marché sous les ponts,
あなたと私は橋の下を歩き 
Nous avons dansé notre amour,
私たちの愛のダンスを踊り
Cueillis les fleurs de cette saison,
この季節の花々を摘んだ
A jamais j'aurais vu le jour,
この日の光を私は二度と見ることがないだろう

Nous sommes le fruit de ces moments,
あなたと私はこの瞬間に
De cette lumière et de ces instants,
この光を受け、この時に実った果実
Un regard doux venant de vous,
あなたの優しい眼差しが
A mis mon cœur à genoux,
私の心をひざまづかせた

Ce jour là je vous ai vu venir,
あの日あの時、私はあなたが
Portant en vous le souvenir,
記憶とともにやってくるのを見た
Le souffle venait à me manquer,
呼吸が途切れそうになった
Votre sourire à ma portée,
あなたの微笑みが私の手の届くところに

A vos lettres défendues,
あなたの禁じられた文字に
Je vous ai connu,
私はあなたを知った
Je vous ai connu,
私はあなたを知った

Vous l'étranger vous l’inconnu,
あなたは異国の人、見知らぬ人
Vous avez laissé sous ma plume,
あなたは私のペンに書かせた
Des mots amères des mots perdus,
苦しみに満ちた言葉、失われた言葉を
Des mots d'une tristesse absolue,
絶対の悲しみの言葉を


Vous l'étranger vous l’inconnu,
あなたは異国の人、見知らぬ人
Vous avez laissé sous ma plume,
あなたは私のペンに書かせた
Des mots amères des mots perdus,
苦しみに満ちた言葉、失われた言葉を
Des mots d'une tristesse absolue,
絶対の悲しみの言葉を

A vos lettres défendues,
あなたの禁じられた文字に
Je vous ai connu,
私はあなたを知った
Je vous ai connu,
私はあなたを知った

Et le temps passe,
そして時は過ぎ 
Et le temps passe,
そして時は過ぎ
Et le temps passe hélas
悲しいかな時は過ぎ

Et le temps passe,
そして時は過ぎ 
Et le temps passe,
そして時は過ぎ
Et le temps passe hélas
悲しいかな時は過ぎ

(↓)国営フランステレビジョン2015年秋の期間限定パリ屋上ライヴ番組"LES CONTES DU PARIS PERCHE"の動画。


(↓)アコギ2挺を従えてのアコースティックライヴ。

2018年5月12日土曜日

俺たちに明日はない

『愛され愛し速く走れ』
"Plaire, aimer et courir vite"

2017年制作フランス映画
監督:クリストフ・オノレ
主演:ピエール・ドラドンシャン、ヴァンサン・ラコスト、ドニ・ポダリデス
フランス公開:2018年5月9日


 これを書いている現時点で開催中の2018年カンヌ映画祭でコンペティション出品作です。ポスター見ると、元ボーイスカウトOB友情物語のような軽めの明るさがありますが、そんなものでは全くありません。昨年のカンヌ最良の映画の一つ 『120BPM』(ロバン・カンピーヨ監督)と同様、1990年代エイズ禍時代のホモセクシュアルを題材にした映画です。クリストフ・オノレはジャック・ドミ風ミュージカル映画『レ・シャンソン・ダムール』(2007年。アレックス・ボーパン音楽。日本上映題『愛のうた、パリ』)で名を成した1970年ブルターニュ生まれの映画監督で、他に小説家、児童文学作家、劇作家としても作品を多く発表しています。闘士肌むき出しというわけではありませんが、ゲイのアイデンティティーが作品の根幹になっている作家です。
 映画の中心人物も作家です。35歳でパリで名の知れた小説家となっているジャック(演ピエール・ドラドンシャン)は、8歳の息子ルールーと二人暮らし。彼のパリ13区コルヴィザール地区(1978年の歌で、ミッシェル・ジョナス作フランソワーズ・アルディ&ジャック・デュトロン「霧のコルヴィザール通り」という佳曲あり) のアパルトマンには、物心ついた子供の目の前でジャックの男愛人たちが出たり入ったり。ところが決して悪い父親ではなく、息子と対等な付き合いというスタンスであり、聡明なこの子は父親をわかっちゃってる風。ディテールですが、ルールーの家の中での一人遊びが「リリアン編み」なんですよ。この世界を父と楽しんでいる風な図です。この子にはちゃんと母親がいて、ジャックと一時的にパートナーとなったが恋人だったことはなく、出産後もちゃんと遠隔養育もするよくわかっている女性。参観日や息子のヴァカンス合宿の出発には「両親」揃って顔を出すのです。
 思えば、この映画に登場するのは、男も女もみんなよくわかったいい人ばかり。 ジャックの火遊びの相手たちも。そういう優しい世界の中で、ジャックは優男で遊び人でインテリでダンディーでエゴイストで良きパパで... なんですが、HIV陽性なのです。映画の進行の時間は病気の進行でもあり、エイズを発症し、(90年代なので)死を覚悟しなければなりません。その時間の中でジャックは地方(レンヌ)の21歳の大学生アルチュール(演ヴァンサン・ラコスト)と出会います。レンヌでのレクチャー会に招かれたジャックは、その主催者側が手配したホテルや会場に不満タラタラで、憤慨して打ち合わせもほどほどに会場の文化センター内の映画館に(上映途中で)入り時間つぶしをするつもりでした。そこで上映されていたのがジェーン・カンピオン監督作品『ピアノ・レッスン』 (1993年カンヌ映画祭パルム・ドール)でした。これを観ていたアルチュールが手慰み用に持っていたタバコを床に落としてしまい、拾い上げた時に後ろを振り向くと、通路を歩いてくるジャックと目が合ってしまう。このシーンの動画がYouTubeにあったので(↓)貼ります。

この未熟な大の大人と達観した若輩者のコントラストが、ず〜っと最後まで続きます。
 アルチュールは絵に描いたような「いい奴」で、綺麗なマスクをしていて、レンヌの文学部学生で、闊達な女学生ナディーヌ(演アニェス・ヴィスム)とルームシェアして(オープンなバイセクシュアル)、バイトで児童ヴァカンス村の所長(子供たちの扱いがうまく、モニターたちのトップとして人望もある)をしていて、男たちとの火遊びのスムーズさも見上げたもんです。こんな奴がいたらいっぺんに場は華やぐし、仲間たちは皆ハッピーになると思う。しかし血の気のある地方の文系学生にありがちな、地方にいたらどうしようもない、パリに出なければ欲しいものは得られない、のようなフラストレーションがあります。
 映画館の闇の中での魅惑的な数語の会話の最後に、ジャックは今夜(同じ建物の中の)講演会が終わったら出口で再会しようと言います。アルチュールはこのダンディーが誰なのかを知らないけれど、やっぱり現れるのです。それで一夜の火遊びのつもりで色々話していったら、この年上の男が作家ジャック・トンデリ(この名前はクリストフ・オノレがイタリアの作家ピエル・ヴィットリオ・トンデリ(1955-1991)から拝借したものだが、実際のモデルはエルヴェ・ギベール(1955-1991)らしい。共にエイズで亡くなったゲイ作家) と知り、まさか、と思うのです。
 映画はこの二人の恋が軸にはなっているものの、二人が一緒にいる時間は多くなく、遠距離の電話だったり、絵葉書や手紙の交換だったり。お立ち会い、インターネットや携帯電話のない時代、われわれは話すことも書くことも今よりずっと重みがあった、ということを思い出してください。留守番電話のメッセージも、電話ボックスの存在も、私たちの重要な脇役であったことをこの映画は思い出させてくれます。
 作家ジャックは病気の進行を知るにつけ、緊急に生きなければならないと悟ります。かつての恋人や友人たちがバタバタとエイズに仆れていきます。急に思い立って、アパルトマンの上の階の隣人であるマチュー(演ドニ・ポダリデス、怪演!)から車を借りて、"グラン・ウエスト(大西部、つまりブルターニュという意味なのだが、病身の彼には開拓時代の西部に身を投じるような大冒険に思えたのです)”へ行くと出発しますが、疲労によって道半ばで断念してしまうのです。悲しい。
 マチューも本当に本当に「いい奴」で、節度あるホモセクシュアルで、理解ある兄貴分かつ相談役で、気まぐれダンディーのジャックが一番頼りにしています。そしてついにジャックの恋するアルチュールがレンヌからパリに出てくるとなった日、ジャックはこの病身ではアルチュールに会えない、と判断します。コルヴィザール通りのジャックのアパルトマンをアルチュールが訪ねてきた日、そのドアではマチューが出迎え「急用でジャックは数日間不在するので、パリにいる間、このアパルトマンを使ってくれ、とジャックから伝言された」と。「ジャックと連絡を取ることは?」ー「それはできない」...。
 このやりとりの様子を上階のマチューのアパルトマンの中で、ジャックは耳をそば立たせて聞いている。落胆したアルチュールは、しかたなくパリで美術館巡りをしたりするのですが、その行く先に一つにモンマルトル墓地があり、フランソワ・トリュフォーの墓とベルナール=マリー・コルテス(1948-1989。フランスの劇作家。エイズで亡くなっている)の墓をお参りしているのです!
 パリの町を一人でしょぼしょぼ歩いているアルチュールの前に、(いてもたってもいられなくなった)ジャックが姿を現します。もうこの恋は死の恐怖などで止められない、そういう劇的なパッションを思わせるシーンですが、ジャックはこれが最後ということを知っています。いいシーンはそのあとで、マチューのアパルトマンの中で3人で宴会が始まります。歌い、踊り、飲み、この3人に恩寵が降りてくるようです。いい顔です。その延長で3人でベッドで寝よう、というのがこの屈託のない笑顔3人の映画ポスターなんです。
 しかし、と言いますか、予定通り、と言いますか、アルチュールが本気でパリ移住を決めた直後にやっている結末はジャックの死であることは言うまでもありまっせん。

 『120BPM』がエイズとの闘争(政府や製薬会社や宗教団体への告発)という歴史的社会的なテーマに重きを置いたのに対して、このクリストフ・オノレの映画で最も重要なのは恋愛です。1990年代にあっても誰にも止められない恋愛を生き通した男(たち)の物語です。文学的リファレンス(ホイットマン、エルヴェ・ギベール、シリル・コラール、ベルナール=マリー・コルテス...)と映画的リファレンス(トリュフォー『やわらかな肌』、レオス・キャラックス『ボーイ・ミーツ・ガール』、そして映画そのものが出てくるジェーン・カンピオン『ピアノ・レッスン』...)にも色々刺激されるであろう、大ロマンティック映画です。純愛もの、と言っていいです。私に不満があるとすれば、みんな本当に「いい奴」すぎるのです。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『愛され愛し速く走れ』予告編

2018年4月19日木曜日

Ici c'est... Paris

『僕の田舎娘たち』
"Mes Provinciales"

2017年制作フランス映画
監督:ジャン=ポール・シヴェイラック
主演:アンドラニック・マネ、ゴンザーグ・ヴァン・ベルヴェセレス、コランタン・フィラ、ソフィー・ヴェルベーク
フランス公開:2018年4月18日

 書物がいっぱい出てきて、いっぱい名著名句引用もあります。この若者たちは愛情/友情の証しのように書物を贈呈し合うのです。映画冒頭、パリの大学で映画を学ぶためにリヨンを離れるエチエンヌ(演アンドラニック・マネ)が、恋人リュシー(演ディアーヌ・ルークセル)と駅での別れに手渡すのがエミリー・ブロンテの『嵐が丘』です。「この訳が一番いいから」などと知ったような口を叩きながら。この若者たちはやたらと本を読み、それを肥やしにして前に進もうとする昔ながらの文学・哲学青年青女のようなところがあります。口をついて引用されるのは、ブレーズ・パスカルジェラール・ド・ネルヴァルノヴァーリス...。この映画のポスターにも印刷され、映画中でも2度3度口にされるのが、ドイツロマン主義詩人ノヴァーリスの詩集『夜の讃歌』(1800年)のこの一節です。
 毎日私は信念と勇気をもって生き、毎夜 恍惚の炎のうちに死ぬ
瞬間瞬間を苛烈に燃焼させて生きること、これがロマン主義の思想です。ロマン主義の目指すもの、それは自己実現です。自分が自分になること。誰のものでもない自己の生を生きること。他者から強いられる生を拒み、お前自身になること。これは明治時代の文学青年の大いなる野望のように思われるかもしれませんが、システムの中に取り込まれまいともがく今日の若者たちにも雄弁な思想に変わりありまっせん。そしてこの映画は今日の映画なのです。マクロン時代のフランスが舞台なのです。
 主人公エチエンヌは映画監督を目指す学生で、地元リヨンにいてはどうしようもない、やはりパリで逸材たちと凌ぎを削って勉強しなければ「本物」になれない、という中央=頂点の幻想があります。私から見ればリヨンなんてフランスの古い大都市で、文化的基盤もしっかりしているように思うし、リヨンで勉強した映画人だって少なくないと思うんですが、「本物志向」からすれば「やっぱりパリでなきゃ」なのかもしれません。
 地方のパリコンプレックスは、このエチエンヌを演じるアンドラニック・モネの容姿にも見えます。床屋嫌いの長髪(70年代的)と甘くナイーヴそうなマスク、顔に釣り合わない長身+がっしり体型(きこりのような田舎っぽさ)と厚手のセーターと万年パーカー、時代と無関係な貧乏学生スタイル(都会人センスゼロ)。それが映画の最初の方で、パリに着いて、地下鉄の標識を感慨深げに見上げるシーンは「おら、東京さ来ただ」なのです。そして貧乏ですから、住居はアパルトマンのコ・ロカシオン(ルームシェア)で、映画の進行でシェアメイトは女→女→男と3人変わります。マットレスだけ、ソファベッドだけ、という空間ですが、ここが貧乏学生たちの溜まり場になって、古き良き青春学生映画のような酒と議論とセックスの舞台となるのです。
 さて、映画の名門「パリ第8大学」なんです。そこには映画創造への熱情に溢れた地方から来た若者たちがゴロゴロと。監督の卵たちですから、みんな曲者ばかりで、個性と感性は激しくぶつかり合っています。しかしその中で飛び抜けた学生というのはやっぱりいるわけで、言うことなすこと羊のような学生たちとはまるで違う。学友の発表作品やら教授の言うことに徹底的な批評を下す。だから敵も多いし、多くの学生たちはこいつとは関わるな、と敬遠するのですが、エチエンヌはこいつが圧倒的に正しいと畏怖敬愛の情を抱く。このマチアス(演コランタン・フィラ)も地方(ボルドー)から出てきた若者で、鋭い感性ときれいな顔立ち(カリブ系の褐色まじり)と計り知れない映画・文学・哲学的リファレンスを持ち、神出鬼没で誰もどこに住んでいるのかも知らない。エチエンヌはマチアスに惹かれ、マチアスと一晩中でも二晩中でも映画の話をしていたい、そして自分のやりたい映画をマチアスに認められたい。友情と言うよりは一方的な師弟願望。恐る恐る見てもらったエチエンヌの試作短編は、柔らかながらマチアスに弱点をズブズブつかれ、エチエンヌは失意のうちに敗北を認め、雪辱作品の制作を誓う。
 このエチエンヌとマチアスの間に入って、エチエンヌを支えようとするのがジャン=ノエル(演ゴンザーグ・ヴァン・ベルヴェセレス)で、ゲイでエチエンヌに一方的な恋慕の情を抱いているのですが、エチエンヌはそれを承知の上で最も近い友情関係を築いていきます。これがいい奴でして。人の良さと立ち回りのうまさで、田舎者エチエンヌをどんどん引っ張っていき、エチエンヌの映画試作にはなくてはならない「助監督」になっていきます。しかしこの友情はその頂点で瓦解します。なぜならいくらジャン=ノエルが尽くし、助言しようが、エチエンヌにとってマチアスのひと言の方が百倍も千倍も重要だということがわかってしまうからです。
 そしてエチエンヌの女性関係です。故郷リヨンに残された恋人リュシーは、可視距離にいないエチエンヌとの恋慕関係に当然不安を抱いてきますが、エチエンヌにはその思いに一点の曇りもないと政治的答弁を繰り返すしかない。曇りはあり、パリには誘惑もあり、その修行中映画人の観察眼視線は若い女を捉えてしまうこともあります。ゲームの時もあれば、知りたい欲のために一歩踏み出さなければならない時もある。
 ここの問題点は二つ。地方人エチエンヌはリヨンをリュシーと父母を包含した、いつでも帰れる母体のように思っているフシがある、ということ。大丈夫か?元気か?という問いによく考えもせずに「大丈夫だよ」と答えてしまうアプリオリな安全地帯のような。リュシーはそれは恋ではないとさっさと見抜いてしまう。第二点は、エチエンヌは自分は映画人となって自己を実現するという「大義」があると思っていること。自分のやりたいことで大成することこそ、父母やリュシーの満足であり、支えてくれる最親者たちへの恩返しである、と。これはフランス語で言うところの "nombrilsme"(ノンブリリスム=自分のへそこそ世界の中心だという考え方、自分のへそしか見ない自己中心主義)の典型なんです。見かけはそうでなくても。
 映画はそういう地方から出てきたロマン主義的な「大義」を夢見る若者が、そのためにいったいどれだけのものを捨て、逆に捨てられていくのか、という軌跡でもあります。
 映画の中でマチアスと同じほどに強烈な個性で異彩を放つのがアナベル(演ソフィー・ヴェルベーク)というポワチエから出てきた娘で、エチエンヌの第二のルームシェア人。アナベルは大学に登録しながら学校にはほとんど行かず、難民支援など現場の活動家として闘っている。地面に足をつけて現実の諸悪に対して行動している、憤激(indigniation)をバネに生きているような激しい娘です。だからこの腐れきった世界と闘うのに「映画なんて何の役に立つのさ」という極論を平気で言う。その極論に(その場に居あわせた)マチアスが激しく反論し、映画的効果による大衆的意識変革の可能性などを説いてみる。この赤々と燃える二つの個性は、この場では平行線の舌戦に終わるのですが、映画は後日談としてマチアスとアナベルが強烈に惹かれ合い、愛し合い、短期間で破局するという「やっぱりなぁ」なエピソードを挿入します。アナベルは誰とも妥協しない。彼女の目から見ればすべてが生ぬるい。この女性も苛烈なロマン主義者である、ということです。
 そう、この映画の中で彗星のような鋭い光を放つのは、マチアスとアナベルしかいないのです。エチエンヌはそれを傍で見ていて、憧れながら、結局そこまでに至らないのです。マチアスはある日、自分のアパルトマンの窓から飛び降り自殺で絶え、アナベルはノートル・ダム・デ・ランド空港反対闘争など、あらゆる闘争の現場に飛び込んでいき、闘士の生を全うする。エチエンヌは置いてけぼりなのです。パリでの大義達成の道程で、たくさんのものを失ったエチエンヌは、結末として映画修行も途中で断念し、テレビ連ドラの制作スタッフという安全パイを選び、聡明で理解ある新しい恋人と、パリの新しいアパルトマンで暮らすという新生活がやってきます。これでいいのかな、とは言わせない、静かなメクトゥーブのエンディングです。私にとってロマン主義とはこう終わるものであって全然構わないのですが、帰り来ぬ青春なのです。そしてそれら(創造や闘争やエゴや....)をすべて包み込んでパリは美しく、このモノクロ映像の区々は多くを若者たちに語っているのです。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『僕の田舎娘たち』予告編


(↓)Ici c'est...

2018年4月11日水曜日

68年5月のマリアンヌ

ランスの報道カメラマン、ジャン=ピエール・レイ(1936-1995)が1968年5月13日に撮った写真で、初掲載はそれから11日後の5月24日発行のアメリカのグラフ週刊誌「ライフ」。その登場以来、この写真は「パリ5月革命」を象徴するイメージとして、世界中のメディアが取り上げて知られるようになった。その旗を翻すポーズから、ウジェーヌ・ドラクロワの名画「民衆を導く自由の女神」と比較され、いつしかレイのこの写真は「68年5月のマリアンヌ」と呼ばれるようになった。
 68年5月3日、ナンテール大学の「3月22日運動」(ダニエル・コーン=ベンディットをスポークスマンとするアナーキスト派+トロツキスト派+マオイスト派の共闘グループ142人)がソルボンヌ大学構内で集会を開こうとしていたが、大学側の要請で機動隊が出動し、学生たち十数人を逮捕の上、実力で学生たちを排除して校外に追放した。学生たちはおとなしく退散したと見せかけて、ソルボンヌ付近のカルチエラタン街区の道々にバリケードを築き上げる。バリケードの総数は60あったと言われる。支援の学生たち、高校生たち、市民たちがバリケードを支え、機動隊との激しい攻防戦は昼夜を通して繰り広げられ、367人(公式発表)の負傷者を出しながら、5月10日の夜、ついに落城する。この極めて暴力的な警官隊の実力行使はテレビとラジオで実況中継され、多くの市民たちの憤激を買うものとなり、各労組の中央委員会は労働者たちの学生への連帯を訴え、5月13日、ゼネストに突入するのである。
 この学生運動と労働運動が合体した、フランス史上最大のストライキ(スト参加者総数7百万人)の記念すべき初日たる5月13日、フランス全土で500ものデモ行進が組まれ、パリでは労組、未組織労働者、市民、学生、高校生ら数十万人が、レピュブリック広場を出発してダンフェール・ロシュロー広場に至るコースを行進した。件のジャン=ピエール・レイの写真はパリ6区リュクサンブール庭園に近いエドモン・ロスタン広場にさしかかるデモ隊を撮影したもの。
若い女性の名はキャロリーヌ・ド・べンデルン(英国貴族の血を引く23歳、ディオールのマヌカン)、彼女を肩車しているのが画家/造形家/著述家のジャン=ジャック・ルベル(1936 - )。女性が手に持って振っているのは当時の南ヴェトナム解放民族戦線の旗(→)。すなわち、彼女はヴェトナムでのアメリカ軍侵攻に反対する意志表示でこのデモに参加していたというわけである。
 この写真の世界的名声はキャロリーヌ・ド・ベンデルンの人生をおおいに狂わせ、まず、職業としていたオートクチュールのマヌカンができなくなった(「左翼活動家はお断り」)。
 なお、このキャロリーヌ・ド・べンデルンは写真家ジャン=ピエール・レイに対して1978年(10年後)に、肖像権の保護を求める訴訟を起こしているが、裁判では「この写真は歴史的事件の記録が主眼であるである」という理由で肖像権の侵害にあたらないという判断となった。1988年(20年後)と1998年(30年後)にも同様の訴訟を起こしているが、いずれも敗訴している。これが判例となって、歴史的事件の報道写真は中に含まれる人物の肖像権を侵害しない、ということが慣例となったそう。

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 キャロリーヌ・ド・ベンデルンのこと調べていたら、いろいろすごいことがわかってきたので、近々別記事として紹介します。

(↓)キャロリーヌ・ド・ベンデルンが出ている動画(1968年)