2009年11月9日月曜日

今夜はプリミティフでした。



 11月8日、パリ10区ニューモーニングで、レ・プリミティフ・デュ・フュチュールのコンサートでした。日曜日の夜って、つらいですよね。勤め人泣かせですよ。どうしても引きます。そういう大衆心理を察してか、今回のステージはいつもに増してゲスト多数の大サーヴィス。舞台が狭い狭い。それと今夜は本格的にカメラ3台を使ってのヴィデオ撮りがありました。だから本当は満員の観客の熱気みたいなものも欲しかったんでしょうが、客の入りは八分かなあ、私も含めて年寄りが多いのと、椅子席がちゃんと用意されていて、みんなしっかり坐って大人しく聴いてました。手拍子する人もワルツを踊る人もなく。
 ゲストの中にラウール・バルボーサがいました。本当に久しぶりに見ました。新アルバムが出たそうです。 "Invierno en Paris"というタイトルで、クラシック系のZig-Zag Territoiresというレーベルから出てまして、11月10-11-12-13日とパリ11区のル・ゼーブルでお披露目コンサートです。今夜もいつもながらのダイナミックな蛇腹さばきで、ラウールが弾くととなりのダニエル・コランさんのアコーディオンが全然聞こえなくなってしまいます。ギターで例えて言えばクラシックギタリストのとなりでチャヴォロ・シュミットが弾いているような、音量の桁違いがあります。
 お箏のみやざきみえこ(この方はこうやってひらがなでアーチスト名なのですね)も終盤2曲で登場。やっぱりプリミティフに華を添えますねえ。お着物も美しいですし。フェイ・ロヴスキーのテルミンとの掛け合いなんですけど、才ある女性二人の目配せの応酬が美しかったりして。
 そして、今や髪の毛ふさふさで、道ですれ違っても誰か分からないような変身をとげたアラン・ルプレストが登場して、かの闘病中にプリミティフのアルバム"Tribal Musette"に彼がヴォーカルを入れた「カナル・サン・マルタン(サン・マルタン運河)」を披露。アコーディオンはフランシス・ヴァリスでした。(↓にちょっとだけヴィデオ)。 video

2009年11月7日土曜日

(あまの)ジャクノ



 ジャクノ(本名:ドニ・キニャール)が11月6日ガンで亡くなりました。52歳。
 ジャクノは1976年にエリ・メデロスらとザ・スティンキー・トイズを結成して、フランスのパンクシーンのパイオニアだったのですが、伝説では「安全ピン・ファッション」の元祖と言われています。そのあとエリと二人になってエリ&ジャクノとして3枚のアルバム(そのうちの1枚がエリック・ローメールの映画『満月の夜』のサントラ)を発表しています。
 このスティンキー・トイズからエリ&ジャクノに移行するまでの間に、ジャクノは1979年に1枚のソロアルバムをセルロイド・レーベルから出してます。これが後年フランスのシンセ・ポップのカルトアルバムとなるんですが、そこからのシングルで出たインスト曲「レクタングル」が当時まだ非合法だったフランスの自由FM放送局(言わば海賊放送ですね)でヒットして、さらにスイスのインスタントコーヒー屋(今や多国籍巨大食品コングロマリット)だったネスレに注目されて同社のインスタントショコラ「ネスクイック Nesquik」のテレビコマーシャルスポットの音楽に使われます。このおかげでジャクノのフトコロは大変潤ったと言われています。
 このジャクノ独特のピコピコサウンドは、当時18歳だったポルトガル人少女歌手リオのデビューアルバム(1980年)でも威力を発揮して"Amoureux solitaires"というヒット曲も生んでいます。そして81年にはエチエンヌ・ダオの(不遇の)ファーストアルバム"Mythomane"をプロデュースして、その結果としてダオのセカンドアルバム"La Notte la notte"(1984年)から急激に盛り上がる80年代ポップ・フランセーズ(ダオ、リオ、レ・リタ・ミツコ...)の影の大物のように見られるようになります。
 エリ&ジャクノ解消後、2006年まで6枚のソロアルバムを発表していますが、そのありようはひとことで形容すれば「ダンディー・ポップ」でしたね。

(↓ ジャクノ「レクタングル」)


(↓ジャクノ「レクタングル」をCMテーマにしたNesquikのスポット)

1980 - nesquick
envoyé par fifitou. -

2009年11月4日水曜日

愛情まじわりの場所

 最近聞いた、めちゃくちゃお気に入りの笑い話です。

 テレビの街頭インタヴューです。夫婦の方に別々にセックスに関する同じ質問をします。カップルでそれぞれ同じ答えが出れば夫婦円満の証拠ですが、違う答えが出ればどちらかが不倫をしていることになります。正直に答えてください。

 質問:最後にセックスをしたのはいつですか?
 夫:昨夜です。
 質問:相手はどなたでしたか?
 夫:妻です。
 質問:それはどこでしましたか?
 夫:(恥ずかしそうに)実はちょっと変なところなのです。
 質問:どこなのですか?正直に答えてください。
 夫:台所のテーブルの上でしました。

 質問:最後にセックスをしたのはいつですか?
 妻:昨夜です。
 質問:相手はどなたでしたか?
 妻:夫です。
 質問:それはどこでしましたか?
 妻:(恥ずかしそうに)実はちょっと変なところなのです。
 質問:どこなのですか?正直に答えてください。
 妻:... お尻でしました...。


 

2009年10月27日火曜日

ジャンゴ100年



Angelo Debarre + Boulou Ferré + Elios Ferré + Romane "DJANGO 100"
アンジェロ・ドバール+ブールー・フェレ+エリオス・フェレ+ロマーヌ 『ジャンゴ100』


 来年1月がジャンゴ・ラインハルトの生誕100周年にあたり、イヴェントや記念盤が目白押しです。ジャン=マリー・サラニ(JMS社。レーベル、音楽出版社、興行エージェント)は、こういうすごいメンツのギター四重奏団を組織して、ジャンゴ・トリビュートのスペクタクル(1時間45分)を立ち上げ、この11月から全国ツアーを開始しますが、このCDはそのスペクタクルのエッセンスを集めた12曲入りです。
 スペクタクルは4人で始まり、やがて5人目のギタリスト(ダヴィッド・ラインハルト)が加わり、次いで6人目のギタリスト(シュトケロ・ローゼンバーグ)が入り、また7人目のギタリスト(ノエ・ラインハルト)が登壇し...という感じでどんどんギタリストを増やしていき、フィナーレには100人のギタリストがステージに登って「マイナー・スウィング」を大合奏するという、大見せ場が待っています。このCDにはその100人版の「マイナー・スウィング」が、ヴィデオトラックとして収められています。
 ブールーとエリオスのフェレ兄弟は、ジャンゴの影武者的なギタリストだったジャン・"マトロ”・フェレの二人の息子です。そのマトロ・フェレも、バロ・フェレ、サラン・フェレと「フェレ3兄弟」としてフランスのジャズギターの黄金期を築きました。「ラインハルト」と「フェレ」はギタリストの屋号としては金看板ですね。とは言ってもお家芸を継いでいるだけではなく、オリヴィエ・メシアンに師事したり、フランク・ザッパと交流したり、というのが70-80年代にマヌーシュ・ギターを刷新する役目を負った第二世代のえらいところだったと思います。ラファエル・ファイス、ビレリ・ラグレーヌ、みんな火の出るようなギタリストだったですね。
 ロマーヌはトマ・デュトロンの師匠ですが、ショーマン的で先生的で、憎めないキャラのヴィルツオーゾです。それにひきかえアンジェロ・ドバールは電撃的で破天荒なイメージがありますね。この4人が四重奏団。まとめ役はロマーヌのような気がします。このCDでは曲目リストに、主題リードの順番、ソロパートの順番が名前で明記してあるのがいいですね。おお、ここからブールーのソロか、お、次ぎはアンジェロか、なんてわくわくしながら聞くことができます。
 基本的に私のマヌーシュ・ギターの聞き方は、早い、きれい、が決め手です。それだけで十分に楽しめ、うっとりでき、膝ががくがくになりますから。まあ、この4人のは文句なしですね。2曲めのフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」(ジャンゴが1946年に "Echoes of France"という題で録音して、スウィング版ラ・マルセイエーズで人気を博しました)なんか美しすぎて思わず拍手しましたね。今時「イダンティテ・ナシオナル(identité nationale国民としてのアンデンティティー、国民的資質)」を論議しようとしているネオ・コン派&サルコジ派は、こういうの聞いたらフェイクと思うのでしょうかね。

<<< トラックリスト >>>
1. Appel indirect
2. La Marseillaise
3. Artillerie Lourde
4. Anouman
5. Place de Brouckere
6. Nuage (feat. David Reinhardt)
7. Babik (feat. David Reinhardt, Stochelo Rosenberg)
8. Douce Ambiance (feat. Stochelo Rosenberg)
9. Manoir de mes reves (feat. Noë Reinhardt, Chriss Campion)
10. Djangology (feat. Chriss Campion, Noë Reinhardt)
11. Nuits de Saint-Germain-des-Près
12. Minor Swing (with 100 guitarists)
+ Bonus video track "Minor Swing" (with 100 guitarists)

Angelo Debarre + Boulou Ferré + Elios Ferré + Romane "DJANGO 100"
CD JMS JMS098-2
フランスでのリリース:2009年11月9日


(↓100人のギタリストによる『マイナー・スウィング』!)

video

2009年10月25日日曜日

今朝の爺の窓 (2009年10月)



 10月25日。今日から冬時間で、睡眠が1時間得したことになってますが、年2回のこの時間切り替えの日の微妙な時差ぼけ感覚は、歳とるにつれて辛くなっています。ましてや病人やお年寄りの方たちは、かなり体に負担がかかるのではないか、と思います。
 対岸のサン・クルーは、今年マロニエの大木の並木をばっさり伐ってしまったので、ずいぶん景色が変わりました。こちら岸の路上のポプラ並木も伐ったのですが、川岸土手に残っている数本の高いポプラの木が、この季節、またいい感じの黄色の葉になりました。これらの木はずっと伐らないでいてほしいです。
 ああ、今年もあと2ヶ月ちょっとになってしまいました...。

2009年10月24日土曜日

オック語擁護を訴えるカルカッソンヌ大行進



 10月24日、ラングドック=ルーシヨン地方オード県カルカッソンヌ(世にも美しい城壁の町)、警察側発表1万2千人、主催者側発表2万人、オック語教育の普及と公共放送によるオック語放送局の開設を求める大行進が挙行されました。フランス南部の30に及ぶ県と、イタリアのピエモンテ地方、スペインのアラン峡谷におよぶ「オック語圏」から多くの参加者がやってきて、地方言語の擁護を定めるヨーロッパ憲章に従った地方語立法を怠っているフランス政府を批判し、オック語学校の増設とオック語公共テレビ放送を求める行進には、カルカッソンヌ市長/国会議員(PS)のジャン=クロード・ペレーズや、農民同盟の指導者のひとりで欧州議会議員のジョゼ・ボヴェの姿も見えました。
 「地方語」と「方言」は別のものです。方言はひとつの言語(中央語)の地方的ヴァリエーションであり、地方語は中央語と異なる体系を持ったひとつの別の言語です。オック語を指す時、「南仏方言」「プロヴァンス方言」という解釈をされる場合がありますが、それは違います。フランスにはオック語の他にブルトン語、バスク語、コルシカ語、アルザス語といった地方語があります。これは文化遺産という観点からだけでなく、言語として日常的に使ってこその文化継承でしょうし、生きた言葉として新語/新表現を加えていく生成呼吸機能を持つかたちで育て守っていくべきでしょう。私たちが支持するオクシタニア音楽は、世界に開かれて、多様な文化と混ざり合いながら展開されているからこそ面白いのだと思います。中央が求めるカタチにとらわれないからこそ、でもあります。
 爺はこの歳からオック語を習得するのはかなり難しいような気がしているのですが、いつかやってみたいという意気だけはあるのです。

2009年10月20日火曜日

サム・カルピエニアとアペロを共にする



 先週のスチュディオ・ド・レルミタージュのコンサートに続いて、今週も国営ラジオの番組の収録のためにパリにやってきたサム・カルピエニアと、メニルモンタンのカフェでアペリティフを一緒に飲みました。ちゃんと話したのはこれが初めてですが、私は構えてインタヴューのつもりで来たわけではないので、雑談の域での会話でした。とは言っても引合いに出される書名や人名が知らない人が多く,それ誰ですか?と聞き返さなければならないことしきりで,結構肩がこりましたが,インテリっぽく突き放すのではなく,ちゃんと説明してくれるから(それでも理解できない爺の聞き下手)助かりました。
 私から「パリのコンサートでは誰も踊ってなかったけれど,気にならなかったか?」という一種の愚問。一瞬サムが口をゆがめます。オーディエンスの反応は土地土地で異なるけれど,サムはステージの上から「みんな踊れ」と煽ることなどないし,マルセイユでだって会場がダンスフロア化することなどめったにないそうです。そう,これは私のマルセイユに対する偏見。最近収録したラジオ番組でも,番組主の女性(イザベル・ドルダン)が開口一番「やあ,マルセイユは燃えちゃってるかな?」みたいな,マルセイユだとみんな狂って踊るのが普通というステロタイプ化があって,マルセイユでスピリチュアルな音楽やったら悪いんか?と突っ込みたくなったそう。誰もがマッシリアと同じことをしているわけではありません。そりゃそうでしょう。サムの音楽をCDで聞けば,体がびくびく動くこともあれば,椅子に釘付けになって動かなくなる瞬間もあります。
 私は「ダンソ、ダンソ(踊ろ,踊ろ)」ではないオクシタニア音楽というのを,ジョアン・フランセス・ティスネで体験していて,そのコンサートはみんな椅子に座って静粛に聞いてましたし。そのティスネも実験音楽出身なのでした。サム・カルピエニアは若い頃はロックバンドをやっていたのですが,ある日,英米ポップ音楽の影響を一切絶った実験音楽に没入していきます。ジョン・ケージ,スティーヴ・ライヒ...。一分未満の音楽ばかり作っていたそうです。それはオック語との出会いの時でもあって,オック語を習得することによって思考や価値観の精神革命をしていたわけですね。
 「俺は無神論者ではないし,精神的なものを崇拝している。時には俺はブッディストでもムスリムでもある」なんて言ってましたが,コーラン読んだことあるの?と聞いたら,それはないし,豚だって食べるよ,と言います。すべてはメンタルな世界なんだなあ,サム君は。
 神秘なるもの,聖なるものに惹かれる性向があり,日本の音楽では雅楽と声明をよく聞くと言います。「これは聖なる音楽だろ? 宮廷で演ぜられる音楽だろ?」と聞いてきて,その背後にある仏教/神道の思想について尋ねられたのですが,爺はわかりませんから答えません。
 「トルバドールだって宮廷の音楽だったんだ」と,その世界に入って行きます。一般に大衆歌謡のように思われているようなところがあるが,トルバドールの最高位は宮廷の聖なる詩と音楽であった,と。サムが興味あるのはこの言わば「上級の」トルバドールの世界で,オクシタニアだけではなく当時の欧州各地の王宮でこの音楽が人気を博した原因の第一は「アムール・クルトワ(献身の愛)」であるという話になります。
 「トルバドールにとって最も崇高で聖なるものは何かしっているかい? - それは女性なんだ。これは当時の政治権力からも宗教権力からも非常に都合の悪いものだったんだ」と続きます。トルバドール,オック語,カタリ派が歴史から消されていく課程で,その禁止の第一理由が「女性崇拝」であるというサム君の説,好きですねえ。女性が崇拝賛美されていた12世紀のオクシタニアは,たぶん夢のような国であったから滅ぼされたのですねえ。女性が神よりも崇められていた,これは危険思想になってしまったんですね。私は今も奥様を神よりも崇めているから,警察から目をつけられるのですね。
 サム・カルピエニアはオクシタニアの生まれではありません。ノルマンディー生まれです。オクシタニア文化に傾倒する人はオクシタニア生れでない人がかなりいます。マッシリアのタトゥーもパリ圏生れですし,ル・クワール・デ・ラ・プラーノのマニュ・テロンも北フランス出身ですし,ラ・タルヴェーロのダニエル・ロッドーはイタリア/サルデーニャ島系ですし...。オクシタニアは人種でも血のつながりでもありません。
 「シークエンサーとの出会いがデュパン結成のきっかけだった」と言います。とりたててトラッドをやろうというつもりなどまるでなくて,フォス・シュル・メールの巨大製鉄所の,インダストリアルでプロレタリアでプロヴァンサルなアトモスフィアを表現したら"L'Usina"(2000年)というアルバムになった,と淡々と語ります。ヴィエル・ア・ルー(ハーディー・ガーディー)も,シークエンサーがなければ使わなかったろう,と。エレクトロ・エクペリメンタルから出て来た人だもの。そしてそれをやっていく課程で,すなわちムーヴメント(運動)のさなかで,いろいろと変わっていくのですよ。自分は常に生成過程にある,ということです。
 ぼそっと「デュパンは "L'Usina"がすべてだった」と言いました。2枚目/3枚目ありましたが,デュパンはファーストアルバムを越えられなかったんだと思います。この点にはあまり後悔していないようでした。
 イランのパーカッショニスト,ビージャン・シェラミニとのデュオのプロジェクトが進行中で,ひょっとするとマニュ・テロンとガシャ・エンペガをもう一度組むかもしれないし,ひとつところに留まることが嫌いなサムは,同時進行で八面六臂の活動をするのが好きなのだそうです。欲張りな38歳でした。