2017年4月26日水曜日

ガルディアン・ド・ラ・ペ(平和の番人)

2017年4月20日午後9時、パリ、シャンゼリゼ大通りで一人のテロリスト(ジハーディスト)が警備の警官隊に発砲、警官一人が死亡、二人が負傷し、発砲者は警官によって射殺された。殺された警官はグザヴィエ・ジュジュレ(37歳)。 憲兵隊(ジャンダルムリー)に入隊後、2010年から警察に配属。ギリシャに漂着する移民たちの救助保護活動のためにフランスから応援派遣された警官隊の一人。2015年11月13日のパリ・バタクラン劇場テロ事件勃発時に召集され、現場地域の警護の最前線を務めた。その1年後、バタクラン劇場再オープン記念のスティングのコンサートの場内に私人グザヴィエはいて、喝采していた。音楽ファン。ロックファン。ホモセクシュアル。4年前からパートナーとPACS (民事連帯契約)を結んで共同生活をしており、警察/憲兵隊内のLGBTアソシエーションのメンバーでもあった。
 ガルディアン・ド・ラ・ペ Gardien de la paix フランス語の警官という言葉は直訳すれば「平和の警護者」「平和の番人」である。この美しい名前を持った職業がテロの標的となり、37歳の 「平和の守り人」が命を失った。
4月25日、パリ・シテ島のパリ県警の中庭で開かれたグザヴィエ・ジュジュレの追悼式典には、共和国大統領オランド、首相カズヌーヴとその内閣閣僚、パリ市長イダルゴなどの他に、二日前の大統領選挙第一次投票で上位2位となり5月5日の決選投票に進出したエマニュエル・マクロンとマリーヌ・ル・ペンも参列した。ま、それはどうでもいい。2015年1月のシャルリー・エブド襲撃テロ以来、テロリストによって殺害された警官の数はグザヴィエで6人である。大統領オランドの弔辞はその毎回の追悼式典同様「国民的悲しみ」と「テロとの断固たる戦い」を強調するが、唇寒し。しかしその式典で私たちが最も深い感銘を受けるのは、グザヴィエのパートナー、エチエンヌ・カルディル(外務省勤務の外交官)によるエモーショナルな別れの言葉なのだった。WEB版リベラシオン紙に掲載されたその弔辞の大部分を、以下に(無断で)訳してみる。

 グザヴィエ、木曜日の朝、いつものように僕が仕事に出かけた時、君はまだ眠っていた。(中略)君は14時からの街頭保安任務につくために、念入りにこの警護服に身を包んだ。君はいつもその外見は完璧でなければならないと考えていたから。君と同僚たちはパリ8区警察署に赴くよう命令を受けた。(中略)君はその保安警護地点としてシャンゼリゼ大通り102番地、トルコ文化会館前と指定された。僕は君がこの種の任務が好きだったのを知っている。なぜならそこはシャンゼリゼ大通りであり、フランスを象徴する場所だったから。君たちはその文化も防衛していたのだから。
 そのまさにその時、その場所で君と君の同僚たちの身に最悪の事態がおとずれた。(中略)僕はその夜君なしで帰宅した(声が感極まって押し殺される)極めて深い苦しみと共に。その苦しみはいつの日にか鎮まるものなのか、僕は知らない。(中略)僕個人のことを言えば、僕は苦しんでいるが憎しみはない。"Vous n'aurez pas ma haine"(私はあなたたちに憎しみを抱かない)というアントワーヌ・レイリス(バタクラン・テロ事件で妻を失った男の手記本の題名) の言葉を僕は借用する。そこに込められた苦しみに立ち向かう計り知れない叡智を僕は称賛し、数ヶ月前にその本を読み直したものだった。その生きるための教訓は僕をかくも成長させ、今日僕を守ってくれている。
 シャンゼリゼ大通りで何か重大な事件が起こっていて、一人の警官が殺されたという最初のニュースがパリ市民たちの耳に届いた時、小さな声が僕に殺されたのは君だと告げた。そしてその声は僕にこの寛大さと癒しに満ちた"Vous n'aurez pas ma haine"( 私はあなたたちに憎しみを抱かない)という名言を思い起こさせた。
 グザヴィエ、憎しみを僕は抱かない、なぜなら憎しみは君に似つかわしいものではないから。憎しみは君の心を躍動させていたもの、君を憲兵隊員から警察官へと導いていったもののいかなるものにも呼応していないから。公共の利益、他者への奉仕、万人の保護といった君の受けた教育と君の信念、そして寛容と対話と節度が君の最良の武器だったのだから。なぜなら「警官」の殻の中には人間がいるものだから。そしてその人間は他者を助け、社会を保護し、不正と戦うという選択をすることなしには憲兵や警官にはなれないものだから。(中略)
 僕たちがこの職業について抱いている見方というこういうものだが、それは君という人間の一面に過ぎない。君という人間の他の面では君は文化と享楽の世界を持っていたし、映画と音楽はその多くの部分を占めていた。(中略)喜びにあふれた生活、いっぱいの微笑み、その世界には愛と寛容が絶対の指導者として君臨していた。まるでスターのような生き方、君はスターのように人生から去っていった。(中略)僕はこのような事件の発生を防ぐために戦っているすべての人たちに言いたい。皆さんがこの事件で罪責感や敗北感を抱いているのを僕は知っています。でも皆さんは平和のためにこの戦いを続けなければなりません。(中略)そして、グザヴィエ、君に言いたい。君は僕の心の中に永遠に残り続ける。Je t'aime. 君を愛している。君と僕は誇り高くあろう、平和に見守ってていよう、平和を守っていこう。

私はこれほど誇り高い Je t'aime という言葉を聞いたことがない。グザヴィエ、安らかに。

(↓)4月25日グザヴィエ・ジュジュレの追悼セレモニーでのエチエンヌ・カルディルによる弔辞。


2017年4月24日月曜日

お先マクロン?

の文章は2017年4月23日フランス大統領選挙第一次投票の開票速報を見ながら書き始めました。
 第二次投票(5月7日)に進出した上位2位はエマニュエル・マクロン(中道アン・マルシュ運動)得票率 23,86 %とマリーヌ・ル・ペン(極右フロン・ナシオナル党)得票率21,43%でした。より下位の結果には触れず、この二人に絞って書きたいと思います。まずこの二人が残るというのは数週間前からの世論アンケートの傾向で予測されていたことで、米大統領選挙や英Brexit国民投票の時のような世論調査や大メディアの分析を裏切るような結果ではありませんでした。第五共和制が始まってからずっと大統領政権のベースとなっていた「保守」と「左派」の大政党の候補者(共和フィヨンと社党アモン)が、今回第一次投票で共に敗退するということも予測されていました。これを(交替で)繰り返し政権を任されてきた既成保守・既成左派への幻滅・絶望による国民の拒否と解釈するのはいたしかたありません。既成政党によって繰り返された無策政治から脱却せよ、というディスクールはマリーヌ・ル・ペンの側のものです。極右FN党はこれを「システム」と呼び、われわれこそ「アンチ・システム」の政治を実践できるもの、と言ってきました。何も変えることなく誰か(FNの論法ではEU首脳部と外国系大金融資本)によって前もって決められたことを実行するだけの政治から抜け出すこと、その可能性を「EU離脱」「国境再建」「重保護貿易」「フランス第一主義」「移民ゼロ」といった政策でアピールしています。こういう考え方が普通に国民の20〜30%が支持されるようになっているわけです。それはもはや事件ではない。2002年の大統領選第一次選挙で当時のFN党首ジャン=マリー・ル・ペンが第二位(得票率16,86%)につけ、第二次投票に残った時は衝撃の「2002年4月21日事件」として後年まで記憶されることになりましたが、今回のマリーヌ・ル・ペンの第二位は全く事件ではなく誰もが予想していた事態です。それほどFN党はフランスの風景の中であたりまえなものになってしまったのです。
 エマニュエル・マクロンという人物は私はよくわかりません。はっきりしていないから「中道」なのでしょうけれど、はっきりしているのはリベラル経済擁護者であるということ。エリート官僚および大銀行要職者であった手腕を買われてオランド政権の経済相になった人。社会党に籍を置いたこともある。左派マインドを持ちながら、リベラル経済大丈夫、グローバリゼーション大丈夫、と言っている人。
 今日も「リベラル」という言葉はまだ人々を騙せるのでしょうか?これが一見ポジティヴに見えるのは、不自由より自由の方がいいに決まってるじゃないか、という生理的好き嫌いのレベルでしょう。しかしリベラルとは経済市場における自由競争原則であり、弱肉強食であり、しのぎを削る競争の末に勝者だけが潤うということですよ。国を挙げてその自由競争に打ち勝て、という政策が新自由主義ですよ。その国の全セクター、全産業、全企業が勝てるわけじゃない。負けたらどうするんですか? 養豚業で負けたら養鶏業に鞍替えすればいい、手工業が廃れたらデジタル業に転身したらいい、工場が労賃の安い外国に転地する理由で閉鎖されたら老人介護者に転業すればいい...。それは世界規模・欧州市場規模で日々変動していることで、そういうグローバリゼーションの中で強くなっていくしかない。負けて工場がなくなったり転職を余儀なくされてもその時は国が面倒見ますよ、と言っているのが左派リベラル。そうじゃないでしょ。世界経済のご都合に合わせているせいで、職を変えられたり、過剰労働を強いられたり、職や土地を失ったりという悲劇を私たちの21世紀はこれでもかというほど思い知らされてませんか?

 この二人の候補を選んだフランスというのは、今夜から2週間の第二次選挙の選挙戦でまっぷたつに分かれるのではないでしょうか。テレラマ誌(web版4月24日)はその二つのフランスをこう分けます:一方は都市部のフランス、グローバリゼーションに不安がなく、未来についても楽観的。もう一方は地方(非都市)部のフランス、世界に対して不安があり、その世界に自分の位置を見出せなくなっている。
 39歳のマクロンはたぶん何も怖いものがない。そして世界には怖いものなど何もないのだ、とグローバリゼーションのスケールでフランスを引っ張って行こうとしています。そのダイナミズムに魅了されるフランス人は多いでしょう。アーバンでオプティミスティックでディジタルなフランス。
 マリーヌ・ル・ペンは世界は怖いものだらけで、まずフランスとフランス人を守らなければならないと説きます。経済的にも文化的にもフランスを防衛しなければならない。EUに奪われた主権を自国に取り戻し、フランスのことはフランスだけで決める。労働市場だけでなく宗教的思想的にも脅威となっている移民を追放する。失われたフランス的フランスを取り戻す。中央集権政治に逆らわずにいたために見捨てられてきた地方部の人々にとって、ル・ペンの論法はそれなりに説得力のあるものでしょう。わかりやすいですし。わかりやすい説法がポピュリズムのパワーですから。
 本当に奥深い地方まで来て、いろいろなことをわかりやすく説いてくれた候補者はどれだけいたでしょうか。少なくともマクロンとフィヨンはそういうことはしていなかった。しかしそういう地方で、マリーヌ・ル・ペンは失われたフランスを取り戻してくれるかもしれない、と思う人たちは多いはずです。

 この二つに分かれたフランスは、今現在から見える大きな可能性としては、2週間後にマクロンに制されます(60%強の得票率との予想)。深い亀裂を残したままフランスは若い新大統領を迎えます。舞台裏ではすでに2022年の大統領選挙の動きが始まっています。マクロンが(オランドのように)失政を繰り返すと、マリーヌ・ル・ペンは2022年に確実に当選します。女性の歳を言うのはエレガントなことではないけれど、まだ48歳ですから。そしてマクロンのリベラル経済擁護は、多くの社会的不公正・不平等を増長していくことは避けられないと思います。2週間後にエマニュエル・マクロンとマリーヌ・ル・ペンの二人から新しいフランスの可能性を探さなければならない投票者市民たちのおおいなる躊躇を私は理解します。

(↓)2017年4月23日20時、テレビ FRANCE 24 開票速報

2017年4月11日火曜日

ラスト産婆・イン・パリ

『サージュ・ファム(賢い女)』
"Sage Femme"


2017年フランス映画
監督:マルタン・プロヴォスト
主演:カトリーヌ・フロ、カトリーヌ・ドヌーヴ
フランス公開:2017年3月22日

 ランス語で助産婦・産婆を意味する "Sage-Femme"(サージュ・ファム)は、真ん中にトレ・デュニオン(ハイフン)" - " が入ります。この映画のタイトルはそれをわざわざ外して"Sage Femme"としていて、直訳すると「賢明な女」となります。主人公クレール(演カトリーヌ・フロ)の職業はこの「サージュ・ファム」です。当然映画題はダブル・ミーニングですが、形容詞の「サージュ」は賢い、という意味だけでなく、大人しく控えめ、従順で御しやすい、といったニュアンスが加わります。映画の進行は、この賢明ながら控えめ&堅気で、冒険を嫌い安全&堅実な人生を歩んできた50歳近いシングルマザーであるクレールが、ホラとハッタリと色気を武器に自由な人生を送ってきた老女ベアトリス(演カトリーヌ・ドヌーヴ)と再会することによって、「サージュ」さがひとつひとつ落ちていく、というストーリーです。
 大切なことなのでこの「サージュ・ファム」という職業についてもう少し説明すると、日本語の「取り上げ婆さん」「お産婆さん」に相当するこの職名ですが、この職名も今や使われることが少なくなっている。その理由のひとつは、職業の性差がなくなり、男性の助産師も増えていて、これを「男・産婆」のような言い方で「Sage-Femme homme(サージュ・ファム・オム)」と呼んだりしてましたが、いかにも滑稽&陳腐。それに代わる正式職業名として "Accoucheur アクーシュール(女性形 Accoucheuse アクーシューズ)”(出産師)、あるいは "Maïeutitien マイウーティシアン(女性形 Maïeutitienne マイウーティシエンヌ)”(出産術師)と呼ばれるようになってきました。つまり、「サージュ・ファム」というのは消えつつある職業名であり、主人公クレールはそれは同時に消えつつある職業と感じています。映画の最初で見えてくるのは、クレールが勤める郊外の公立総合病院が「産科」を閉鎖し、代わって広範囲の周辺町村をカバーする大きく近代的な産科センターができることになっていて、クレールは失業か、産科センター移籍かの選択を迫られています。クレールは長年の経験で伝統的な「産婆術」を身につけてきたベテランの「サージュ・ファム」の誇りがあり、その経験をないがしろにする「赤ん坊工場」のような産科センターには絶対に行きたくないと思っています。
 映画はそのクレールが、妊娠・出産のありとあらゆることを知り尽くした貫禄の顔表情と声で妊婦に語り、その名調子でこの世に赤ちゃんを導き出すという、まさに職人的プロ産婆術を披露するところから始まります。昼夜を問わず、お産があればその全身全霊をかけて「取り上げる」、そういう頑固で堅気でヒューマンなお産婆さんです。これは映画の後半でわかるのですが、これまで取り上げた子たちの名前、そしてお腹から出てきた時のどんな風だったか、どんなに手を焼かせたか、などを全部記憶しているのです!
 徹夜のお産仕事をして朝帰りしたクレールの留守番電話に、ベアトリスと名乗る女性からメッセージ。クレールの父親の愛人だった女。35年前に蒸発したきり何の音沙汰もなかった彼女が再び姿を現す。どうしてもクレールに会いたいと言う。クレールは不承不承に出かけていきますが、そこにいたのはシャンゼリゼ近くの豪華アパルトマンにスクワット(スコッター)している派手趣味でほぼアル中/モク中の老女でした。脳に腫瘍ができて余命いくばくもないと言う。死ぬ前に別れた恋人が気になって、と呆れるほど自分勝手なリクツを言う。「アントワーヌ(クレールの父親、ベアトリスが蒸発して捨てた恋人)は どうしてる?」という問いに、クレールは嫌悪と怒りで取り乱す。父親はベアトリスの蒸発後、ピストル自殺している。「それはウィキペディアにも公開されて、はっきり書かれているのよ!」(実際この人物がウィキペディアに載るような有名人だったことは映画後半でわかります)ー ベアトリスには晴天の霹靂だったこの知らせにうろたえて、とっさに老女はクレールに償いをせねばと手持ちの大きなエメラルドの指輪を差し出します。
 金と派手な生活と酒と肉食が好きなこの老女は、この身ひとつの自由人としてボヘミアン的に生きてきました。この姿が今や貫禄の巨漢となったカトリーヌ・ドヌーヴにドンピシャなのです。男と金には困らなかった人生。その金の出所は闇のトランプ賭博で、勝ったり負けたりを繰り返しながら、結局勝つ、という強運のついた女です。 ベアトリスはクレールに(そのあてもないのに)財産の贈与を申し出ますが、クレールは私は今のままの質素な生活が好きだし、それで十分だと拒否します。
 失業目前の助産婦クレールは、マント・ラ・ジョリーというパリ圏とノルマンディー地方の境の半・田舎の郊外に暮らし、アルコールと肉を口にせず、自転車通勤をし、小さな有機栽培の貸し農園で自分の野菜を育てています。父親なしに育てた息子シモンは優秀な成績で医学部に進み、親元を離れようとしています。実直・堅実・健康第一を絵に描いたような平凡な生活を送ってきたクレールも、ここに来てひとつの大きな転機の到来の予感があります。まず職業的な危機、次に息子シモンの変化(シモンの恋人が妊娠していて、二人は家庭を持とうとしている。そしてシモンは医学部進学をやめて母と同じ助産師になろうとしている...)、さらに貸し農園の隣人で長距離トラック運転手のポール(演オリヴィエ・グルメ)が(色恋と全く無縁だった)クレールに強引に思いを寄せて来る、そして大きな厄介者としてクレールの生活に土足で入ってきた老女ベアトリス。このすべての災難にクレールは最初はたじろぎ、拒絶的に反応するのですが、やがてそのすべてがクレールの人生をカラフルに彩っていく... という映画です。
 ベアトリスの人物像は極端です。貧しいコンシエルジュの娘として生れ、少女の頃から東欧貴族の子孫(それ風に”ボレフスキー”と偽名を語る)と自分を偽り、美貌を武器に金持ちの男たちに寵愛され派手に、かつ自由に生きてきた。その間に知り合ったアントワーヌ(クレールの父)も、当時は派手な花形スポーツ選手(水泳チャンピオン)で、世界中を遠征して周り、ピープル誌にも大きく登場していた。妻子ありながら、ベアトリスを激愛していたアントワーヌは恋人の蒸発に絶望しピストル自殺する。当時13歳だったクレールはこの死を受け入れることができなかったし、ベアトリスを一生恨み通すと思っていました。
 脳腫瘍で余命宣告を受けても、アルコールと煙草と肉食をやめないベアトリスの豪放さは、姿カタチや言動がどう変わろうともドヌーヴの「戦友」「心の友」であるに違いない ジェラール・ドパルデューの豪放さと少しも変わらないように見えます。
 映画も後半、クレールは息子シモンの決心(医者ではなく助産師になる)も自分が祖母になることも受け入れ、気の良いトラック野郎ポールとの情事も楽しむようになり、アルコールもたしなみ、ベアトリスの代わりに闇賭場の精算所に行ったりもします。マント・ラ・ジョリーの郊外集合住宅にあるクレールのアパルトマンに一時的に身を寄せることになったベアトリスに、クレールが父アントワーヌの若い時(水泳選手時代)のスライド写真を見せるシーンがあります。部屋を暗くして、クレールとベアトリスはベッドに横たわり、ワインを飲み交わしながら、スライド映写機で次々に大きく映し出されるアントワーヌの姿を見て二人ともおいおい泣いてしまうのです。ここがこの映画のマジック。そこに偶然息子シモンが入ってきます。壁に映し出されたアントワーヌとシモンは瓜二つなのです。ベアトリスは驚愕して言葉を失います。初対面のベアトリスとシモンに、クレールは「ママンの若い時の友だち、ベアトリスよ」と紹介します。シモンはベアトリスに「ビーズ」で挨拶しようとしますが、ベアトリスは抑えきれずシモンの唇に唇を重ねてしまうのです(事故のように描かれますけど)。うまい!なんてうまい!このシーンで幸せになれない人などおりましょうか。

カストール爺の採点:文句なし★★★★★

(↓)"SAGE FEMME"予告編