2021年9月27日月曜日

引き裂かれた双子

Lilia Hassaine "Soleil Amer"
リリア・アセーヌ『苦々しい太陽』

11月3日に発表される2021年ゴンクール賞、その第一次選考(9月7日)に上がっている16作品のひとつ。リリア・アセーヌは1991年パリ南郊外コルベイユ=エッソンヌ生まれ、ジャーナリスト/時事評論家としてテレビTMC(TF1傘下)のトークショー番組「コティディアン Quotidien」(司会ヤン・バルテス)に2018年から毎夕出演している。作家としては2019年に第一小説『くじゃくの目(L'Oeil du Paon)』(ガリマール刊)を発表していて、これが2作目。

 小説は1959年に始まる。アルジェリアの東部高地ウィリア・ド・セティフ、女手ひとつで3人の娘(マリヤム、ソニア、ヌール)を育てるナジャ、夫のサイードはその屈強な肉体を買われ6ヶ月前にフランスに出稼ぎに行き、ブーローニュ・ビヤンクールのルノー自動車工場で働いている。まだアルジェリアが独立していない時代。本土からの労働力狩りは潰しの効く頑強者ばかりを狙い撃ち。それが高度成長期の過酷な労働の担い手となって肉体を潰されていく。サイードはそれに耐えて、こつこつ貯金をため、1965年にアルジェリアからの家族呼び寄せを果たす。
 この小説でのサイードの描かれ方は良くも悪くも(フランス側からステロタイプ化された)マグレブ男で、実直で忍耐強いが、家父長伝統にどっぷりで、妻・娘たちを従わせるためには暴力行使を厭わない。だが厳しい労働条件に体を冒され(故国ではありえなかった)アルコールに浸っていく。サイードにはカデールという弟がいて、同じようにフランスに出稼ぎに来たが、エーヴというフランス(白)人女性と知り合い夫婦になる。エーヴの親はベルギーでチョコレート製菓業で成功しているブルジョワ家系で、カデールはその営業手腕を買われ、その小さな家内産業だった実家稼業をフランスやスイスなど近隣諸国で発展展開する中心人物になっている。ブルジョワと言えどエーヴの家系は社会主義的理想を掲げる「義」の人々で、エーヴも民衆の中に溶け込めるタイプ。小説の大きな軸のひとつがこのエーヴとナジャの出会いとそれに続く友情と軋轢と確執と憎悪と和解である。二つの異なった世界、フランスとアルジェリア、ブルジョワと貧民、自由な女と服従する女... 。
 ナジャと娘たちが初めてフランスに着いた時、想い描いていた文化国家の都会生活とは大きなギャップがある狭く、ガス水道トイレシャワー共同、一部屋に一家5人寝泊り、という環境であったが、エーヴとカデールのはからいでサイードの家族は郊外に出来たばかりのHLM(低家賃高層集合住宅)に入居できることになった。作者がこの小説で強調しているのは、60年代のHLMがそれまでの労働者階級が夢見ていた理想的な条件が整った空間であったということ。各戸にガス水道給湯中央暖房、共同の遊び場、託児所、集会場、中庭には花壇と噴水...。そしてそこで暮らす多彩な人々(ヨーロッパ、マグレブ、アフリカ、カリブ、アジア...)、男たちがいなくなった昼の時間の女たちの(男たちへの悪口で盛り上がる)寄り合い、サークル活動、学童勉強支援、バザー、シテ祭、集団遠足...。とりわけ(大衆的な)女たちが主導していたこの共同体の雰囲気は、われわれが後年勝手に思い描く荒廃した犯罪と暴力の郊外シテとは何光年もの距離があるように思える。しかし荒廃は早くも1975年頃から急速に始まっていく。高度成長期「栄光の30年 Les trente glorieuses」の終焉、ジスカール=デスタン大統領は公共住宅予算をバッサリ削り、中産階級には家屋購入を大幅に奨励、HLMには「持たざる者」ばかりが残り、噴水は水を出さず、花壇は荒れ放題、エレベーターと暖房はしょっちゅう止まる始末。マチュー・カソヴィッツ映画『憎しみ』(1995年)の描くスラム化したシテの姿は遠からぬ未来に出現する。
 ナジャはフランスに来てすぐに妊娠する。3人娘のあとの4人目の子供。サイードは自分ひとりの稼ぎでは4人目の子供を育てるのは不可能と決めつける。子供のいないエーヴとカデールの夫婦の希望があり、サイードは生まれてくる子供を弟夫婦に養子に出すことを提案する。「これはアルジェリアではよくある話だ」とサイードは説得するが、貧しい子沢山の家では私の知る同時代の日本でもよくある話だった。ナジャは納得しないが服従せざるをえない。サイードはこの決定の後も、ひょっとして4人目が男児だったらという(家父長制伝統の中にある男親としての)迷いが生じたりもした。
 そしてナジャは男児を出産するのである。しかも双子。二人の新生児は時間を隔てて生まれ、ひとりは元気よく泣き声を上げてこの世に出たが、もうひとりは小さくひよわで声も立てずに保育器に納められた。この事態にサイードとナジャは大きく元気の良い子をカデール夫婦に差し出し、小さなひよわな子を自分たちで育てることにした。この双子誕生は二組の夫婦の中での秘密とし、世間にはそれぞれに同じ時期に子供を授かったということにしておいた。
 エーヴとカデールは子をダニエルと名付け、そのブルジョワ的環境の中でなに不自由なく育てていった。かたやサイードとナジャは静かでひよわな子をアミールと名付け、3人の姉に囲まれHLM環境で育んでいった。秘密を抱えながらもこの二夫婦、特にナジャとエーヴは交流があり、二人の男児はお互いを見ながら成長していったが、関係はあくまでも”双子兄弟”ではなくいとこ同士だった。体型も性格も異なり、活発でダイナミックなダニエルに対して、華奢だが勉学に開花していくアミール、それぞれの違うところがそれぞれの足りないところを補完しているように二人は本能的に惹かれ合う。ナジャはダニエルをわが子として抱きしめたい衝動に折れそうになるのを必死でこらえ、エーヴはダニエルとアミールの密接な関係を複雑な思いで見ている。
 事態を一変させたのはエーヴを襲った交通事故で、エーヴは意識が戻らず植物人間化し長期にわたって病院のベッドに釘付けになってしまう。仕事の忙しいカデールはやむなくダニエルをナジャとサードの家に預け、アミールと同じ学校に通わせる。ここに至ってナジャのこの子を離したくないこの子とずっと一緒にいたい願望はいよいよ限界に達しただけでなく、夫サイードもひよわなアミールに比べて「男っぽく」スポーツ万能のダニエルに「これこそわが子」と度を外れた執着を示すのだった。しかし秘密は守られなければならない。
 しかし数ヶ月後、エーヴの意識は戻るのである。エーヴは自分の(意識)不在の間に起こっていたことを知るも知らずも、不在時間の遅れを取り戻さんとダニエルとの”母子”関係回復のために必死の努力を試みる。ナジャとサイード夫婦に深く感謝しながらも、それがいかに自分とダニエルの関係に危険であったことかも気付いている。ダニエルとアミール、そしてダニエルとナジャ/サイード夫婦を引き離さなければならない。エーヴは自分の病後静養という名目でブルターニュの別宅で暮らすことを決め、ダニエルを連れてパリ圏から離れてしまう。この仕打ちにナジャは激しく落胆し、エーヴとナジャの友情に大きな亀裂が走ってしまう...。
 時は流れ、HLMは落書きだらけになり、麻薬が横行するようになる。アミールはその環境で青春期を送りながら、絵画や文学にその非凡さを表し、さらに抜群の成績で医学科学生への道をひらく。ダニエルも地方の高校生活を終えて、パリ圏に戻り、アミールとの"親友"悪友関係も復活した。そんな時に父サイードが長年の過酷労働がたたってこの世を去ってしまう(サイードの遺言は、その遺産のほとんどを”わが子ではなく”ダニエルに、となっている)。家政婦として働くナジャのわずかな収入ではアミールの学業は続けられない。しかし一念発起して朝の早いパン屋にパート就職し、重労働でボロボロになりながら医学生の勉強を続けるのであるが、軌道に乗りかけた頃にパン屋主人から性行為を強要され...。母ナジャにもダニエルにもこの悩みを打ち明けることができないアミールは、ドラッグにのめり込んでいく。そして時代は新たな病魔エイズが猛威を振るいはじめ、HLM郊外シテはその最悪の"現場”となっていく...。

 小説はさまざまなテーマが複合的に同時進行するが、大きくは1950年代から今日に至るアルジェリア移民のフランス同化が抱える複雑な問題の数々をシテHLMという現場の年代記として描かれている部分、家族の秘密という言わばアキ・シマザキ的なテーマの葛藤ドラマである部分、服従する女たちの反抗(↑では紹介していないが、ナジャの3人の娘のそれぞれの反抗のエピソードも実に興味深い)など、盛り沢山なパノラミックで欲張りな作品である。本業ジャーナリストの視点、アルジェリア系移民の子孫である視点、フェミニストの視点、それらがはっきりとエクリチュールに現れている。時代と現場状況に忠実な数々のエピソードも活き活きとしていて臨場感がある。
 アルジェリアとフランスは似ていると作者は言う。最終部でダニエルが訪れるジェミラ遺跡は古代ローマの痕跡であり、地中海の北と南で同じような文明を共有していた証拠である。今日アルジェリアとフランスを隔てているのは長い歴史によって引き裂かれた双子の物語に似ている。小説は引き裂かれた双子のひとりの命を奪い、残されたひとりダニエルがその失ったものを検証する未来に導かれていく。
 なお小説題 "Soleil Amer"はアルチュール・ランボーの詩「酔いどれ船(Le bateau ivre)」(1871年)から取っている。
Les Aubes sont navrantes, 
夜明けは痛ましく
Toute lune est atroce et tout soleil amer. 
どんな月もむごたらしく、どんな太陽も苦々しい


カストール爺の採点:★★★☆☆

Lilia Hassaine "Soleil Amer"
Gallimard刊 2021年8月 160ページ 16,90ユーロ

(↓)ボルドーのMollat書店制作の動画で自著『苦々しい太陽』を紹介するリリア・アセーヌ。

2021年9月19日日曜日

あないなアナイス

『アナイスの恋』
"Les Amours d'Anaïs"

2021年フランス映画
監督/脚本:シャルリーヌ・ブルジョワ=タケ
主演:アナイス・ドムースティエ、ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ、ドニ・ポダリデス
音楽:ニコラ・ピオヴァーニ
フランスでの公開:2021年9月15日

リケーンのようにけたたましい娘アナイスの疾走シーンで終始する前半からうって変わって、ロマンティックな純愛模様で展開する後半になってとても効いているのがニコラ・ピオヴァーニの音楽。美しい夏のブルターニュが、ナンニ・モレッティ映画の一コマのように見えてしまう不思議。同志たち、こういう音楽は本当に重要。ネットで探してみたが、これサントラ盤出てないようなのだ。出してほしい。
 1986年生まれのシャルリーヌ・ブルジョワ=タケ監督の初長編映画で、2021年カンヌ映画祭批評家週間で上映され高い評価を。この監督は2018年の同批評家週間に短編作品『虐げられたポーリーヌ(Pauline asservie)』を出品していて、その時既に主役ポーリーヌにアナイス・ドムースティエを起用している。私はこの女優が大大大好きで、2014年のパスカル・フェラン監督映画『バード・ピープル』で主演した時以来その魅力の虜。そしてこの最新映画は、ブルジョワ=タケが彼女のことしか念頭におかずにシナリオを書いたであろう、アナイス・ドムースティエにしかその世界を表現することができないであろう作品ゆえに『アナイスの恋』としかタイトルと主人公名をつける必然があったのだと思う。
 アナイスによるアナイス、それはどんな女性かと言うと、いつも走りながら待ち合わせに遅れてくる娘。『不思議の国のアリス』の白ウサギのように「遅刻する、遅刻する」とわめきながら走っている。遅刻の理由(言い訳)は何種類も持ち合わせて、自転車が壊れた、予期せぬ人の手助けをしなければならなかった、閉所恐怖症で回り道を余儀なくされた...。聞かれていないのにそれを口角泡飛ばして全部説明しないと気がすまない。相手が聞こうと聞くまいと。マシンガン説法。対話が成立していないことなど全くおかまいなし。遅れて来る女は、遅れてもその"勢い”でその場を乗り切る。かと言って、キャピキャピの少女ではない。30歳すぎて未だに自分のやりたい道など見つからず、文学部の博士号コースに籍を置いている。インテリジェンスはあるがそれをどう使っていいのかわからない。理屈も屁理屈もでっち上げホラも含めて口は立つので、いつもその場はごまかせるが、一切真剣さがない。一目惚れでつきあいだした男も一日中一緒にいたり生活を共にしたくない。間違いで妊娠しちゃったけど堕すわよと平気で言われた男の当惑と悲しみなど知ったことではない。お金はない、けれどなんとかなる、という植木等流の楽観論。この女はこんな感じで永遠にその流れの中で生きていくはずだったが...。
 そんなアナイスに永劫の時などないと悟らせたのが、田舎に住む母(演アンヌ・カノヴァ)のガン再発で、予告された悲劇に娘は大きなショックを受ける。ここで強調しておきたいのは、その母の年齢=58歳である。ここ重要。
 さてそれと前後してアナイスは父親ほどに歳が違う男ダニエル(演ドニ・ポダリデス)と知り合う。この男は出版社に所属するエディターで、ただのおっさん風な風態にも関わらず、地位もインテリジェンスもあり、高名な作家エミリー・デュクレ(演ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ)の伴侶でもある。軽めのキャラのダニエルはアナイスに熱を上げ、それなりにロマンティックな口説き方でアナイスを誘惑し、そういう関係にあまり頓着しないアナイスはその誘惑に軽く乗ってしまう。作家エミリーは(ダニエルと同居する)パリの自宅ではなく人里離れた田舎家で創作するタイプの文筆家で、パリは長く不在にすることがある。ダニエルはその不在に乗じて、アナイスを自宅に招く。何泊かするつもり(その間韓国人ツーリストに自分のアパルトマンを又貸し=このエピソード傑作)で(旅行バッグさげて)やってきたアナイスは、ダニエルが見ていない隙にエミリーの仕事場、ドレスルーム、寝室などを探訪して、この大成した女性の親密空間に既に魅惑されていた。斜め後方から撮られたポートレイト写真に”これがエミリーなの?”という驚き。ほのかな想いの始まり。
 さてその夜、いざセックスの段になって、ダニエルは(エミリーとの二人の)ベッドルームではなく、自分の書斎に置かれたベッドでしよう、と言うのである。「エミリーとのベッドはまずいよ、俺も心情的にあそこではできないよ」と。なんと心根のさもしい男!ー あきれたアナイスは旅行バッグひっさげてダニエル宅を出て行ってしまう。
 エミリーとの出会い ー ここから映画はなんともロマンティックな雰囲気に変わってしまう。少女マンガのヒロインのように、心が躍動したらどんな障害でも越えてあこがれに向けて突っ走っていくアナイス。うそをつき、お金をごまかし、予定をすっぽかし...。
 そしてこのヴァレリア・ブルーニ=テデスキという女優の予め持ってしまった”高級感”と”年上感”とよくも悪くもアーティーな雰囲気。ギラギラさのない作家。ベストセラー作家とは一線を引く純文学系で、喰うためには外国古典をフランス語で戯曲化するような仕事や、出張学術講演会やシンポジウムの仕事も受けなければならない。エミリーはこの夏、ブルターニュの古い城館を会場/宿舎にした一週間のシンポジウムへ。アナイスは万難を排してその城館へ入り込み、エミリーに近づこうと試みるのだった。
 すべてが中途半端で何ひとつ自分のものを持っていない若い女(と言っても30歳)が、完璧に近く大成してしまった美しい女性にあこがれる、それは自然と言えば自然なことだが、アナイスの場合はそれを「ものにする」までがむしゃらに突進していくのだ。
Mais vous êtes qui, Anaïs ? (アナイス、あなたは何ものなの?)
(↑)映画の真ん中頃でエミリーはアナイスにこう聞いてしまうのだ。あんた誰(谷啓)。このえたいの知れなさがアナイスなのだ。たぶん自分でもわかっていない。
 象徴的なのはこの女性作家が56歳という年齢であること。これはアナイスの母親とほぼ変わらないのだ。アナイスが失いつつある母という伏線は無関係とは言えないだろう。エミリーには少女時代にあこがれの女教師から文学を開眼されるというエピソードがある。エミリーはその女教師を「ものにする」という激情にまでは至っていない。
 何も恐れず突き進んでくるこの若い女の想いの、ブルターニュの陽光のようなふりそそぎに抗することが できず、二人だけの砂浜でエミリーはアナイスと抱き合う。それはそれは美しいラヴシーン。この映画の幸福が凝縮されたようなエモーショナルな数分間。若い女とその母親のような二人の濃厚な愛し合い。ありだよね、これはありだよね、と自分に言い聞かせて納得する私。この映画観てよかったと熱く盛り上がる私。
 しかし映画はこの先まで進んでしまう。あの夏、あの砂浜のあと、二人は(一流作家と未来の文学博士であるから)熱情の手紙を交わし合い、数ヶ月後の再会。大人であり理性の側の人でもあるエミリーは、この頂点まで昇華した愛を凍結保存しよう、すなわち思い出にして別れることにしましょう、と。受け入れられず、理解できず、涙ボロボロのアナイス。席を立って背を向けて歩き出すエミリー。....。
 がしかし、この映画は私の読みをはるかに超えた結末を持ってきます。

 「アナイス、あなたは何ものなの?」これは映画を観終わったあと、幸福感と共に問いたくなる言葉である。この映画は予想をはるかに超えるアナイスというキャラクターのすごさと、それを理想的なほどに完璧に体現してしまうアナイス・ドムースティエの力量の勝利。 いやはや...。タイトルが複数形で "Les Amours"、すなわち”アナイスの複数の恋”あるいは”複数の好きなもの"という意味になるのだけれど、私は単数形であるべきだと思う。"L'Amour d'Anaïs”であり、”アナイスの大恋愛”であるべきという意見である。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『アナイスの恋』予告編

2021年9月11日土曜日

恨んでも恨んでも

Christine Angot "Le Voyage dans l'Est"
クリスティーヌ・アンゴ『東への旅』

2021年晩夏、かたやアメリー・ノトンブの昨年亡くなった父への珠玉のオマージュ小説(『最初の血』)があった一方で、こちらは何度同じテーマで書いてもその父への恨みが果たされることはないクリスティーヌ・アンゴの痛みの深化を読まされる。この二つの「父」は対極にあるが、二つとも激しく"文学”であり、私たちは極端に濃厚な2021年秋のラントレ・リテレールを体験している。
 クリスティーヌ・アンゴを世に知らしめた衝撃的作品は言うまでもなく『近親相姦(L'Inceste)』(1999年)である。読んで字の如く、これは彼女が実の父ピエール・アンゴから受けた性的濫用を暴露したオート・フィクション(自伝的創作)であった。このテーマはこの『近親相姦』(1999年)より前の作品を含めて作家クリスティーヌ・アンゴに繰り返し登場し、話者が「クリスティーヌ」となっている小説のほぼすべてに父との関係が大なり小なり喚起される部分が出てくる。とりわけ2012年発表の『1週間のヴァカンス(Une semaine de vacances)』は、未成年クリスティーヌが(あこがれの)父から受けた性的濫用の暴力性を描写した小説だった。また本ブログでも詳しく作品紹介した2015年発表の『ある不可能な愛(Un amour imposiible)』では、クリスティーヌの母ラシェル・シュワルツと父ピエール・アンゴの困難な恋愛関係を軸に、父がいかに卑劣漢であったかを述べながら、母がクリスティーヌと父の近親相姦関係を知ったにも関わらず何も言うことができなかったことを長年責める、という複雑な関係を描いている。アンゴの多くの作品につきあってきた読者たちは、もはやクリスティーヌと父ピエールの関係に関しては知り尽くしている感を抱いているはずだが、2021年、62歳のアンゴはまだ言い足りない、まだ語り尽くされていないと思っているのだ。彼女の生は13歳に始まった父との関係によって長い時間をかけて破壊され、それは父の死後も破壊されたままなのである。近親相姦は一時的な事件ではなく、一生持続する破壊行為である。作家クリスティーヌ・アンゴはそれしか書けないのか、と謗られるだろう。それが彼女の続けられた生であるならば、それしか書けないアンゴを私たちは読み続けるだろう。
 たぶんそれを総括するつもりで書き始めたであろうこの『東への旅』は、客観的な時系列に忠実な事件の連続の記述であろうと努めていて、記憶を研ぎ澄まし、資料や証言に依ろうとするのだが、曖昧さ不確かさは残る。自分の生がいかにして壊されてしまったのかを検証する試みは、見るに耐えない、書くに耐えない残酷さを直視することであり、見えないこと書けないこともあって当たり前だと思う。
 小説冒頭は話者(クリスティーヌ)と父ピエール・アンゴの初対面である。娘13歳、父45歳での初対面である。事情を説明しておくと、ラシェル・シュワルツとピエール・アンゴの間に生まれたクリスティーヌは、ピエールが結婚も子の認知も承諾しなかったので、ラシェルの私生児(クリスティーヌ・シュワルツ)として育った。母の度重なる嘆願に折れて、ピエールがクリスティーヌを子として認知することになった時、娘は既に13歳であった。ストラズブールの欧州議会で翻訳委員というエリート職で働くピエールは、それが紛れもない恋であるとラシェルとの関係を言い訳していたくせに、ラシェルとは社会的地位が違う(+おそらくラシェルの東欧ユダヤ系の血筋)という理由で結婚を拒否し、クリスティーヌ誕生の二年後、ドイツの大ブルジョワ家出身の女性アストリッドと結婚してストラズブールで家庭を築いている。フランス中央部シャトールーで公務員として生計を立てていたラシェルは、パリ東北東130キロにあるシャンパーニュ地方の都市ランスに新しい職を見つける機会があり、その下見にと13歳のクリスティーヌを連れてシャトールーから短い「東への旅」に出る。そしてランスからの延長でピエールのいるストラズブールに向かった。妻と二人の子供にクリスティーヌの存在をまだ教えていないピエールは、ラシェルとクリスティーヌのためにホテルを予約しておいたのだが、母と娘にわざわざ階違いの別々の部屋を取るのである。これはクリスティーヌが数年後に母の証言で知ることになるのだが、ピエールがラシェルとセックスするためだった(この刹那的肉体復縁の幻想を追い払うのにラシェルは長い年月を要することになる)。しかしその当時は何も知らず、写真でしか知ることなかった父親との初対面に不安/期待を抱いていた少女だった。クリスティーヌにとって、その目の前に現れたのは映画やテレビでしか見たことのないような人物だった。知的で端正な身なりの壮年紳士は少女を魅了する。成功者の佇まい。少女の発する問いにすべての答えがある博識。父親の権威を思わせる進言や示唆。想像だにできなかった"理想の父”のように思われた。父とずっと一緒にいたい。翌日、ピエールは二人を湖畔の町ジェラルメに連れてくる。陽光の下での湖畔の休日を過ごしたあと、ジェラルメのホテルに母娘を残し、ピエールはストラズブールの自宅に戻っていく。その別れ際、ピエールはクリスティーヌの部屋をノックし、語学が大好きと聞いた娘に外国語辞書数冊を詰めた袋を贈り物として差し出す。そしておまえは特別だ、おまえの二人の義妹弟とはまるで違う、おまえは私に似ている、この出会いは私にとって特別なものであった、と告げ、クリスティーヌを抱きしめ、唇の上に接吻したのである。
Le mot inceste s'est immédiatement formé dans ma tête.
近親相姦という言葉が即座に私の頭に浮かんできた。(p18)

そして「東への旅」の最後の夜、ピエールはクリスティーヌの部屋に電話する。父は13歳の娘との出会いの興奮をこう電話で伝える:
ー こうやって今おまえの声を電話で聞いていると、何が起こっているのかわかるかい?
ー ノン。
ー 私の性器が硬くなっているんだ。
ー ...
ー それが何を意味するかわかるかい?
ー ノン。
ー おまえを愛しているということなんだ。ありったけの愛で。私はそれに逆らうことができないんだよ。(p22)

 たった冒頭22ページで、この小説はここまで来てしまうのである。そこからこの少女がこの男に会うたびに、どのように段階的に肉体を奪われていくか行為のディテールを包み隠さず時系列に従って描写していく。13歳から16歳まで、クリスティーヌはピエールのなすがままに性行為(肛門性交)を受け続ける。この細部の描写を自分の膿を絞り出すかのように書く作家の姿が想像できる。胸がキリキリする。これがアンゴの近親相姦第一期である。嫌悪や恥辱の感覚があるにも関わらず、この少女はなぜ男にはっきりとした拒絶を示すことができなかったのか。理想の父はまだどこかに存在していて、その思いですべてを託そうとすると、抱きしめてくるのは性的卑劣漢なのだ。そしてその父はその行為を正当化する詭弁すら弄するのだ。
 ー おまえは時間を得することになるんだ。女たちの多くは男との関係の難しさに不満を持っているのを知ってるだろう。男たちの大部分は女たちに注意を払わないし、男たちは女とセックスをすることを知らない。男たちは女が好むことを知らないんだ。おまえは経験を積むことができ、さまざまなことを比較できるようになるんだ。
 ー だけどなぜみんなはこれが危険だと言うの? なぜ禁止されているの?
 ー それは常にそうだったわけではない。ある種の進化した社会においては洗練と優越性の識しであった。ファラオンたちにその娘を嫁がせることを認めたことは特権であったし、ある種の文明においては、非常に高い階級に属することの証しであったのだよ。
 ー でも私たちはもはやそんな文明の時代にはいないわ。(p58-59)
 少女クリスティーヌは性的奴隷に貶められていく恐怖にありながら、この生物学上の父がなにかしらの感情(愛情に違いない)を自分に持っているはずだ、という躊躇に揺れる。そして自分自身もなにかしらの感情に動かされてその場にいたという可能性も。
 この卑劣漢は社会的地位も高く、教養に溢れ、言語・文才に長け、容姿にも恵まれ、最新の高級車(DS、CX、タルボ...)を乗り回し、性欲が強いプレイボーイである(愛人関係複数あり)。小説の後半で(父の禁を解かれて)クリスティーヌが出会った義理の妹ルイーズ(ピエールと妻アストリッドの娘)は、自分は父ピエールに似てものすごくセックスが好きなの、と告白する。ストラズブールのアンゴ家においてもピエールの性放蕩は周知のことらしい。この小説に現れるクリスティーヌ自身の性関係もかなりふしだらなものがある(ニースの電話会社工事技師との数回の性交など)。これはクリスティーヌの「性」が壊されてしまった結果なのか、それとも父から受け継いだ性向なのか。
 16歳でクリスティーヌは当時の恋人マルクに父から受けている性的濫用を告白し、このマルクはピエールの面前でクリスティーヌとの関係を断つことを要求するという勇ましいシーンがあるが、効果はない。マルクは(事情を知らないはずの)母ラシェルにそのことを告げる。クリスティーヌは母はずっとこのことを知っていたに違いないと思っていたが、近親相姦の事実を知らされた夜、卵管炎を起こし高熱で入院してしまう。このことは2015年の小説『ある不可能な愛』で展開されているが、ラシェルはピエールと関係を持った娘に嫉妬して不幸になっていたと読める。クリスティーヌはピエールに訣別の手紙を送り、ピエールはこのことで自分がどれほど落胆したかと恨み言の手紙を返してくる。
 しかし、ことが明らかにされたものの、ラシェルはピエールを警察に告発しないのである。何も言わない母、何もしない母 ー クリスティーヌとラシェルの関係は冷え込んでいく。

 十代の(地方都市の)少女だったクリスティーヌが母にこのことをずっと言えなかったのはなぜか。それは近親相姦のタブーの公的圧力である。当ブログの紹介記事も非常にたくさんの人たちに読まれた2021年年頭の問題の書カミーユ・クーシュネール『ラ・ファミリア・グランデ』で描かれたように、近親相姦が暴露されなければ、世界は(家族は社会は)そのままの姿で保持され、それが明るみに出されればその世界は崩壊してしまうからなのである。クリスティーヌは中学校へ行き、好きな勉強を続け、普通に友だちに会って遊ぶ、という世界を崩壊させてはならないと直感的に(恐怖をもって)知っていたからに違いない。近親相姦は被害者を破壊するだけでなく、世界も破壊してしまうのである。
 16歳で父と訣別し、勉学は曲なりにも希望する方向に進んだのだが、心身ともに状態は不安定で、不眠症や拒食症を繰り返し、小説を書き始める。23歳で結婚、小説はまだ出版される段階ではない(ル・クレジオに原稿を送りつけ、出版社メルキュール・ド・フランスを紹介されるくだりあり)。自力でやれるような気運が出始めた頃、25歳、クリスティーヌはピエールに電話をかける。母ラシェルと夫クロードにも、父ピエールとの関係を正常化したいという希望を理解してもらい、クリスティーヌは「ノーマルな父と子の関係」の復活をピエールに申し出る。二人はランスとストラズブールの中間に位置する都市ナンシーで再会する。しかしながら、彼女はそれがあまりにもナイーヴだったと即座に理解した。ナンシーのホテルでピエールは9年前と同じことを繰り返すのである...。
 28歳、クリスティーヌは意を決してニース市の警察署の門をくぐり、(当時の法律で)時効が来る前にピエール・アンゴによる未成年強姦を刑事告発する手続きを取ろうとする。しかし担当官に立件が難しい、および公訴棄却になる可能性が高い、と言われ、特に「控訴棄却(Non-lieu)」(つまり父の無罪が確定する)という言葉に尻込みし、告訴に至らない... 。
 作家として公に書物を発表するようになったクリスティーヌに、ピエールは私とおまえの関係のことを小説にするべきだ、とまで進言するのだった。ピエールはアルツハイマー病を患い、問題の小説『近親相姦』が出版された年(1999年)に他界している。

 小説『東への旅』は、13歳のあの日から今日に至るまでのクリスティーヌ・アンゴ年代記220ページである。自ら被害者の体験として未成年少女への(同意ありの)性虐待を30数年後に告発したヴァネッサ・スプリンゴラ『合意』(2020年)と、(前述の)著名政治評論家の義父による弟への性虐待を同じく30数年後に告発したカミーユ・クーシュネール『ラ・ファミリア・グランデ』(2021年)と同列の書として評される傾向もあるが、アンゴは純然たる文学作品である。正確さを極めた記述もあれば、曖昧で迷いのある不確かな表現もある。これは言えないのではないかと胸が苦しくなる切れ切れの言葉もあれば、マシンガンのように連続的に畳み掛けるラップのような箇所もある。この中でクリスティーヌ・アンゴは被害者であり、観察者であり、表現者である。自分の生がどのようにして壊れていったかを2年間かけてなぞり、文字化した。一生ものであるこのテーマを書くのは、おそらくこれが最後というわけではないだろう。これしか書けない作家クリスティーヌ・アンゴは、これしか書けないゆえにクリスティーヌ・アンゴなのである。

Christine Angot "Le Voyage dans l'Est"
Flamarion刊 2021年8月18日 220ページ 19,50€

カストール爺の採点:★★★★☆


(↓)国営ラジオFrance Inter朝ニュース番組で、レア・サラメのインタヴューに答えて『東への旅』を語るクリスティーヌ・アンゴ。 

2021年9月1日水曜日

Alors on regardait les bateaux

ステーシー・ケント「海辺のヴァカンス」
Stacey Kent "Les Vacances Au Bord De La Mer"
(2010年アルバム"Raconte-moi"より)
詞:ピエール・グロス
曲:ミッシェル・ジョナス
(オリジナル:ミッシェル・ジョナス 1975年アルバム"Changez tout")


On allait au bord de la mer
海辺にやってきた
Avec mon père, ma sœur, ma mère
父と妹と母と
On regardait les autres gens
よその人たちが
Comme ils dépensaient leur argent
どんなにお金を使っているか
Nous il fallait faire attention
でも僕らはがまんしなきゃ
Quand on avait payé le prix d'une location
貸し家の家賃を払ったら
Il ne nous restait pas grand-chose
お金はほとんど残っていない

Alors on regardait les bateaux
だから僕らは船を眺めながら
On suçait des glaces à l'eau
アイスキャンディーをしゃぶっていた
Les palaces, les restaurants
豪華な屋敷やレストランは
On ne faisait que passer d'vant
前を通るだけ
Et on regardait les bateaux
そして船をながめていたんだ
Le matin on se réveillait tôt
朝は早く起きて
Sur la plage pendant des heures
何時間も砂浜にいたんだ
On prenait de belles couleurs
いい色に焼けたよ

On allait au bord de la mer
海辺にやってきた
Avec mon père, ma sœur, ma mère
父と妹と母と
Et quand les vagues étaient tranquilles
波が静かな時は
On passait la journée aux îles
島で一日過ごすこともできたけど
Sauf quand on pouvait déjà plus

それももうできなくなった
Alors on regardait les bateaux
だからみんなで船を眺めながら
On suçait des glaces à l'eau
アイスキャンディーをしゃぶっていた
On avait le cœur un peu gros
心がちょっと大きくなったし
Mais c'était quand même beau
とてもきれいだったんだ

On regardait les bateaux
みんなで船を眺めていたんだ
La la la la la...
ラララララ



(↓)ミッシェル・ジョナス、1975年「海辺のヴァカンス」


(↓)イヴ・デュテイユ、1996年「海辺のヴァカンス」


(↓)アリー(Al.Hy)= 民放テレビTF1の歌手スカウト番組 THE VOICE の第一期(2012年)の決勝進出者。1993年北フランス/ノール県出身。「海辺のヴァカンス」2021年YouTube公開。


(↓)「海辺のヴァカンス」ライヴ・イン・九段下(2019年)。在東京の仏語教師/シャンソン歌手フィリップ・マルシャン、東京のビストロ「ル・プティ・トノー九段下」でのライヴ動画。