2021年9月27日月曜日

引き裂かれた双子

Lilia Hassaine "Soleil Amer"
リリア・アセーヌ『苦々しい太陽』

11月3日に発表される2021年ゴンクール賞、その第一次選考(9月7日)に上がっている16作品のひとつ。リリア・アセーヌは1991年パリ南郊外コルベイユ=エッソンヌ生まれ、ジャーナリスト/時事評論家としてテレビTMC(TF1傘下)のトークショー番組「コティディアン Quotidien」(司会ヤン・バルテス)に2018年から毎夕出演している。作家としては2019年に第一小説『くじゃくの目(L'Oeil du Paon)』(ガリマール刊)を発表していて、これが2作目。

 小説は1959年に始まる。アルジェリアの東部高地ウィリア・ド・セティフ、女手ひとつで3人の娘(マリヤム、ソニア、ヌール)を育てるナジャ、夫のサイードはその屈強な肉体を買われ6ヶ月前にフランスに出稼ぎに行き、ブーローニュ・ビヤンクールのルノー自動車工場で働いている。まだアルジェリアが独立していない時代。本土からの労働力狩りは潰しの効く頑強者ばかりを狙い撃ち。それが高度成長期の過酷な労働の担い手となって肉体を潰されていく。サイードはそれに耐えて、こつこつ貯金をため、1965年にアルジェリアからの家族呼び寄せを果たす。
 この小説でのサイードの描かれ方は良くも悪くも(フランス側からステロタイプ化された)マグレブ男で、実直で忍耐強いが、家父長伝統にどっぷりで、妻・娘たちを従わせるためには暴力行使を厭わない。だが厳しい労働条件に体を冒され(故国ではありえなかった)アルコールに浸っていく。サイードにはカデールという弟がいて、同じようにフランスに出稼ぎに来たが、エーヴというフランス(白)人女性と知り合い夫婦になる。エーヴの親はベルギーでチョコレート製菓業で成功しているブルジョワ家系で、カデールはその営業手腕を買われ、その小さな家内産業だった実家稼業をフランスやスイスなど近隣諸国で発展展開する中心人物になっている。ブルジョワと言えどエーヴの家系は社会主義的理想を掲げる「義」の人々で、エーヴも民衆の中に溶け込めるタイプ。小説の大きな軸のひとつがこのエーヴとナジャの出会いとそれに続く友情と軋轢と確執と憎悪と和解である。二つの異なった世界、フランスとアルジェリア、ブルジョワと貧民、自由な女と服従する女... 。
 ナジャと娘たちが初めてフランスに着いた時、想い描いていた文化国家の都会生活とは大きなギャップがある狭く、ガス水道トイレシャワー共同、一部屋に一家5人寝泊り、という環境であったが、エーヴとカデールのはからいでサイードの家族は郊外に出来たばかりのHLM(低家賃高層集合住宅)に入居できることになった。作者がこの小説で強調しているのは、60年代のHLMがそれまでの労働者階級が夢見ていた理想的な条件が整った空間であったということ。各戸にガス水道給湯中央暖房、共同の遊び場、託児所、集会場、中庭には花壇と噴水...。そしてそこで暮らす多彩な人々(ヨーロッパ、マグレブ、アフリカ、カリブ、アジア...)、男たちがいなくなった昼の時間の女たちの(男たちへの悪口で盛り上がる)寄り合い、サークル活動、学童勉強支援、バザー、シテ祭、集団遠足...。とりわけ(大衆的な)女たちが主導していたこの共同体の雰囲気は、われわれが後年勝手に思い描く荒廃した犯罪と暴力の郊外シテとは何光年もの距離があるように思える。しかし荒廃は早くも1975年頃から急速に始まっていく。高度成長期「栄光の30年 Les trente glorieuses」の終焉、ジスカール=デスタン大統領は公共住宅予算をバッサリ削り、中産階級には家屋購入を大幅に奨励、HLMには「持たざる者」ばかりが残り、噴水は水を出さず、花壇は荒れ放題、エレベーターと暖房はしょっちゅう止まる始末。マチュー・カソヴィッツ映画『憎しみ』(1995年)の描くスラム化したシテの姿は遠からぬ未来に出現する。
 ナジャはフランスに来てすぐに妊娠する。3人娘のあとの4人目の子供。サイードは自分ひとりの稼ぎでは4人目の子供を育てるのは不可能と決めつける。子供のいないエーヴとカデールの夫婦の希望があり、サイードは生まれてくる子供を弟夫婦に養子に出すことを提案する。「これはアルジェリアではよくある話だ」とサイードは説得するが、貧しい子沢山の家では私の知る同時代の日本でもよくある話だった。ナジャは納得しないが服従せざるをえない。サイードはこの決定の後も、ひょっとして4人目が男児だったらという(家父長制伝統の中にある男親としての)迷いが生じたりもした。
 そしてナジャは男児を出産するのである。しかも双子。二人の新生児は時間を隔てて生まれ、ひとりは元気よく泣き声を上げてこの世に出たが、もうひとりは小さくひよわで声も立てずに保育器に納められた。この事態にサイードとナジャは大きく元気の良い子をカデール夫婦に差し出し、小さなひよわな子を自分たちで育てることにした。この双子誕生は二組の夫婦の中での秘密とし、世間にはそれぞれに同じ時期に子供を授かったということにしておいた。
 エーヴとカデールは子をダニエルと名付け、そのブルジョワ的環境の中でなに不自由なく育てていった。かたやサイードとナジャは静かでひよわな子をアミールと名付け、3人の姉に囲まれHLM環境で育んでいった。秘密を抱えながらもこの二夫婦、特にナジャとエーヴは交流があり、二人の男児はお互いを見ながら成長していったが、関係はあくまでも”双子兄弟”ではなくいとこ同士だった。体型も性格も異なり、活発でダイナミックなダニエルに対して、華奢だが勉学に開花していくアミール、それぞれの違うところがそれぞれの足りないところを補完しているように二人は本能的に惹かれ合う。ナジャはダニエルをわが子として抱きしめたい衝動に折れそうになるのを必死でこらえ、エーヴはダニエルとアミールの密接な関係を複雑な思いで見ている。
 事態を一変させたのはエーヴを襲った交通事故で、エーヴは意識が戻らず植物人間化し長期にわたって病院のベッドに釘付けになってしまう。仕事の忙しいカデールはやむなくダニエルをナジャとサードの家に預け、アミールと同じ学校に通わせる。ここに至ってナジャのこの子を離したくないこの子とずっと一緒にいたい願望はいよいよ限界に達しただけでなく、夫サイードもひよわなアミールに比べて「男っぽく」スポーツ万能のダニエルに「これこそわが子」と度を外れた執着を示すのだった。しかし秘密は守られなければならない。
 しかし数ヶ月後、エーヴの意識は戻るのである。エーヴは自分の(意識)不在の間に起こっていたことを知るも知らずも、不在時間の遅れを取り戻さんとダニエルとの”母子”関係回復のために必死の努力を試みる。ナジャとサイード夫婦に深く感謝しながらも、それがいかに自分とダニエルの関係に危険であったことかも気付いている。ダニエルとアミール、そしてダニエルとナジャ/サイード夫婦を引き離さなければならない。エーヴは自分の病後静養という名目でブルターニュの別宅で暮らすことを決め、ダニエルを連れてパリ圏から離れてしまう。この仕打ちにナジャは激しく落胆し、エーヴとナジャの友情に大きな亀裂が走ってしまう...。
 時は流れ、HLMは落書きだらけになり、麻薬が横行するようになる。アミールはその環境で青春期を送りながら、絵画や文学にその非凡さを表し、さらに抜群の成績で医学科学生への道をひらく。ダニエルも地方の高校生活を終えて、パリ圏に戻り、アミールとの"親友"悪友関係も復活した。そんな時に父サイードが長年の過酷労働がたたってこの世を去ってしまう(サイードの遺言は、その遺産のほとんどを”わが子ではなく”ダニエルに、となっている)。家政婦として働くナジャのわずかな収入ではアミールの学業は続けられない。しかし一念発起して朝の早いパン屋にパート就職し、重労働でボロボロになりながら医学生の勉強を続けるのであるが、軌道に乗りかけた頃にパン屋主人から性行為を強要され...。母ナジャにもダニエルにもこの悩みを打ち明けることができないアミールは、ドラッグにのめり込んでいく。そして時代は新たな病魔エイズが猛威を振るいはじめ、HLM郊外シテはその最悪の"現場”となっていく...。

 小説はさまざまなテーマが複合的に同時進行するが、大きくは1950年代から今日に至るアルジェリア移民のフランス同化が抱える複雑な問題の数々をシテHLMという現場の年代記として描かれている部分、家族の秘密という言わばアキ・シマザキ的なテーマの葛藤ドラマである部分、服従する女たちの反抗(↑では紹介していないが、ナジャの3人の娘のそれぞれの反抗のエピソードも実に興味深い)など、盛り沢山なパノラミックで欲張りな作品である。本業ジャーナリストの視点、アルジェリア系移民の子孫である視点、フェミニストの視点、それらがはっきりとエクリチュールに現れている。時代と現場状況に忠実な数々のエピソードも活き活きとしていて臨場感がある。
 アルジェリアとフランスは似ていると作者は言う。最終部でダニエルが訪れるジェミラ遺跡は古代ローマの痕跡であり、地中海の北と南で同じような文明を共有していた証拠である。今日アルジェリアとフランスを隔てているのは長い歴史によって引き裂かれた双子の物語に似ている。小説は引き裂かれた双子のひとりの命を奪い、残されたひとりダニエルがその失ったものを検証する未来に導かれていく。
 なお小説題 "Soleil Amer"はアルチュール・ランボーの詩「酔いどれ船(Le bateau ivre)」(1871年)から取っている。
Les Aubes sont navrantes, 
夜明けは痛ましく
Toute lune est atroce et tout soleil amer. 
どんな月もむごたらしく、どんな太陽も苦々しい


カストール爺の採点:★★★☆☆

Lilia Hassaine "Soleil Amer"
Gallimard刊 2021年8月 160ページ 16,90ユーロ

(↓)ボルドーのMollat書店制作の動画で自著『苦々しい太陽』を紹介するリリア・アセーヌ。

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