2013年5月26日日曜日

われらが美しきギターの時代

Georges Moustaki "Solitaire"
ジョルジュ・ムスタキ『ソリテール』

 2008年、ムスタキさんの最後のアルバムです。ヴァンサン・セガル(ブンチェロ)のプロデュースで、ヴァンサン・ドレルム、カリ、チャイナ・フォーブス(ピンク・マルティーニ)、ステイシー・ケントなどとのデュエットがフィーチャーされた、言わば後進たちの熱い後押しに支えられたカムバック祈願アルバム。その時ムスタキさんは74歳。その前の年2007年は大統領選挙の年で、ムスタキさんはセゴレーヌ・ロワイヤル候補(社会党)を支援して、数年ぶりに人前で(5月1日ロワイヤル支援集会@スタッド・シャルレッティ)歌っています。カリとの意気投合はこの政治集会の時で、このカムバックアルバム『ソリテール』でもカリの熱烈なるリスペクトがよく現れています。同じ2007年にはヴァンサン・ドレルムのプライヴェート・コンサート"FAVOURISTE SONGS"にも出演していた、ということはこのブログの前の記事で書いてますが、ドレルムもその縁で『ソリテール』に参加しています。
 ムスタキさんが自ら「われらみんなの師匠」と言ってはばからないほど敬愛していた大先輩アンリ・サルヴァドールはついこの間までバリバリの現役だったのに、その年2008年の2月に90歳でこの世を去りました。サルヴァドールの超人的な元気さに比べたら、ムスタキさんは既にかなり弱っていたような感じです。アルバムに続いて2008年5月にはオランピア劇場に出演していますが、もうかなりしんどそうな感じでした。(当時の国営フランス2のニュース↓)

Georges moustaki a l’olypia album solitaire  6... par jean_luc_arsene
 その後も精一杯の努力で、コンサートを続けていましたが、2009年2月に気管支炎を発病、以前から弱っていた呼吸器系統の衰弱には勝てず、予定されていたスケジュールをすべて中止して、歌手廃業宣言をします。
 図らずも「白鳥の歌」になってしまったわけですが、このアルバムの最初の曲は本当にそれっぽい歌で、逝ってしまった先輩たち、一緒に老いた同輩たち、みんな俺たちはギターを弾いていたんだ、ああわれらが美しきギターの時代、という郷愁300%みたいな歌なのです。歌詞に注釈込みで以下に訳してみます。
LE TEMPS DE NOS GUITARES

われらが美しきギターの時代
ブラッサンスは「ゴリラに気をつけろ!」と叫んでいた (Georges Brassens "Gare au gorille")
サッシャは自分の家族について語り、(Sacha Distel "Scandale dans la famille")
マキシムはどこかで生まれていた (Mxime Le Forestier "Né quelquepart")

ディランは転がる石のようだったし (Bob Dylan "Like a rolling stone")
ブレルはヴズールの町をワルツで踊らせていた (Jacques Brel "Vesoul")
パコはア・ガロパール(全速力)でギターをかき鳴らした(Paco Ibanez "A galopar")
われらが美しきギターの時代

われらが美しきギターの時代
ルクレールは「俺と俺の靴」を歌い (Félix Leclerc "Moi, mes souliers")
ルマルクは「町の小さな靴屋さん」で (Francis Lemarque "Un petit cordonnier")
ダルナルは「傭兵」を口ずさんだ (Jean-Claude Darnal "Le Soudard")

コリューシュはアリスティッド・ブリュアンの生返りだった
ジョエルはまだ若造だった (Joël Favreau ブラッサンスのギタリスト)
ジャン・フェラもいたし、ギ・ベアールもいた
われらが美しきギターの時代

われらが美しきギターの時代
オーフレイは「サンチアノ」を歌っていた (Hugues Aufray "Santiano")
リセは城館の召使いとなり(Ricet Barrier "La servante du chateau")
ピエール・ペレもアンヌ・シルヴェストルもジャック・イヴァールもいた

ロベール・シャルルボワはモンレアルからやってきた
ジャック・ドゥエはその故郷ドゥエからやってきた
あの時はゲンズブールがまだガンズバールになっていなかった
われらが美しきギターの時代

われらが美しきギターの時代
ブラッサンスは「ゴリラに気をつけろ!」と叫んでいた
サッシャは自分の家族について語り
マキシムはどこかで生まれていた

アンリは優しい歌を歌っていた  (Henri Salvador "Une chanson douce")
彼こそわれらすべての師匠だった
私はと言えばただのらくらと怠惰に生きていた
われらが美しきギターの時代

本当にたくさんの、たくさんの人たちがいた
そうとも、私は何人も忘れてしまった
私の記憶の力を許しておくれ
われらが美しきギターの時代の記憶を

われらが美しきギターの時代
われらが美しきギターの時代
フランス(およびフランス語圏)の自作自演シャンソンとフォーク・ムーヴメントの Who's Who みたいな歌です。ムスタキさんは最晩年にこんな歌作って、ギターぼろんぼろんのノスタルジーに浸っていたんでしょうね。特に直前に亡くなったアンリ・サルヴァドールへの敬意、もうすぐ、そっち行くからね、みたいなあいさつのようでもあります。
(↓YouTubeの投稿動画"Le temps de nos guitares")


<<< トラックリスト>>>
1. Le temps de nos guitares
2. Sorellina
3. Une fille à bicyclette (with Vincent Delerm)
4. Mélanie faisait l'amour
5. Partager les restes (with Stacey Kent)
6. La jeune fille
7. Ma solitude (with China Forbes)
8. L'Inconsolable
9. Sans la nommer (with Cali)
10. La chanson de Jaume
11. Solitaire
12. Donne du rhum à ton homme (with China Forbes)

Georges Moustaki "Solitaire"
EMI CD 2074952
フランスでのリリース:2008年5月

(↓メイキング・オブ・「ソリテール」2008年)








2013年5月24日金曜日

苔のムスタキ

  2013年5月23日、ジョルジュ・ムスタキさんが亡くなりました。79歳でした。4年前に呼吸器系の疾患のために、歌手廃業宣言をして、そのままその呼吸器の病いのために逝ってしまいました。
 ムスタキさんへのリスペクトと、ムスタキさんが私とこのブログに与えた大いなる影響は、 2012年10月に「ページビュー10万突破」の記念記事に長々と説明していますから、読んでみてください。もうその頃は長い闘病生活の最中だったのですね。
 ムスタキさんへの私の最も敬愛していた点は「ゆったりした人」だったこと、「怠惰な人」だったことに集中してしまうのですが、ゆったりした時の流れの中にいる人からしか見えないことってありますよ。
 1969年ですから、ムスタキさんが35歳の時ですね、当時47歳だったセルジュ・レジアニのために「あなたの娘は20歳になった Votre fille a vingt ans」という歌を書きます。年頃の娘を持った母親(マダム、と呼びかけられる人物)に、娘の若さや恋を心配するのはわかるけれど、あなたも同じだったんだ、だから微笑んで見ていればいい、という歌です。実は私には、そう言って、マダムに若い頃を想い出させて、もう一度私と若い頃のことを、と誘惑している歌に聞こえますが、ま、それはそれ。
 「ああ、あの洟垂れのミーコもこんなにきれいになったかぁ...」と目を細める好々爺 の歌ではない。ゆったりした時の中では、良いことも悪いこともあれもこれも必然があり、分別があり、理由があり、それが良くなったり悪くなったり、はっきりしたりおぼろげになったり...。気温が高くて、まどろむような時間のアトモスフィアをつくってくれるような歌ですよね。
 実は2013年春現在、この夏19歳になるわが娘は3ヶ月前から真剣な恋愛をしていて、私は夜帰って来ない娘を心配して、深夜すぎの町を探しまわるということが一度ならずありました。青島幸男式の「ひとこと文句を言う前に、あんたの娘を信じなさい」という境地からはほど遠く、最初の頃は娘と激しく口論もしました。3ヶ月経って、ずいぶんと慣れてはきましたが、 まだまだ私には頑迷な昭和親父的なモラルがあるんでしょうね。事情を知る知らずに関わらず、他人様たちから「このごろメキメキきれいになった」と言われることは、私もそうだよなぁ、と思うようになったのです。そんな時、ムスタキさんのこの歌を(すみません、亡くなってからですが)耳にすると、本当にそうだよなぁ、と思ってしまうのです。
 Votre fille a 20 ans

あなたの娘は20歳になった、なんて時の流れの早いこと
ねえマダム、あの娘はついこの間まであんなに小さかったのに
娘の最初の苦悩は、あなたの最初の皺のもと
ねえマダム、あなたの最初の心配事

それぞれの20年経ったけれど、あなたには倍の年月のよう
あなたは娘が発見したことをすべて知っていた
あなたは今娘を動揺させているたくさんのことを忘れてしまった
ねえマダム、あなただってかつて動揺していたのですよ

あの娘は可愛かったけれど、
彼女とほとんど同い年のひとりの若い男にとっては
今や彼女は美しい人
その若者は、マダム、かつてあなたがひときわ美しくなった原因となった人に
似ているでしょう

彼らは雑草の原から見事な庭園に変わる
若さの花を束ねて、見事なブーケになる
ずいぶん前にあなたもその束の中にいたのだけれど
ねえマダム、春はあなたを忘れてしまっている

あなたには毎夜同じような夜に思われる夜
あなたは礼儀正しい夢を見ているけれど
快楽と恋は、マダム、同じベッドのくぼみで
罪深いことになってしまっている

でもその罪深いことはそんなに無邪気なことではなかったのですよ
少しのためらいもなく無頓着にも
罪深いものはその甘美な犯罪について
マダム、あなたの寛大な許しなど求めもしないものなのです

あの娘に最初の涙が
最初の恋の苦しみが、最初の女の苦しみがやってくる日まで
あなたは微笑んでいるしかないのです、マダム
マダム、あの娘があなたに微笑むように...

 ムスタキさんの歌よ、永遠に。千代に八千代に。

(↓ ジョルジュ・ムスタキ「あなたの娘は20歳になった」)

(↓2007年ヴァンサン・ドレルムのプライヴェート・コンサート "FABOURITE SONGS"。このアルバムについてはうちのブログのここで紹介しています。ドレルム+ムスタキのデュエットで「あなたの娘は20歳になった」。この時ムスタキさん73歳。人前で歌ったのは、これが最後だったかもしれません。)

2013年5月19日日曜日

そんな顔するなよ...(Fais pas la tête...)

Thomas Fersen "Elisabeth"
トマ・フェルセン「エリザベート」(1999年)

 詞曲:トマ・フェルセン

 もっともっと知られてもいい人だと思います。トマ・フェルセン(1963 - )の1999年のアルバム"QU4TRE"(これでキャトルと読む。4枚目のアルバム。日本盤も出たことになっている)に入っていた曲で、シングル化もされました。左がそのCDシングルのジャケットイメージですが、写真はいつものジャン=バチスト・モンディーノです。また2001年のトリブルライヴアルバム "TRIPLEX”の中のライヴ・ヴァージョンの方が一般的にはよく知られているかもしれません。
 娘がまだ小学生の頃、学校の授業でトマ・フェルセンの「こうもり La Chauve-Souris」(これもアルバム"QU4TRE"の中の曲)を習ったと、歌ってくれたことがあります。確かに寓話的な歌ですけど、フランスではこんなシュールな歌を子供に教えるのだ、とちょっとびっくり。その同じ頃、オランピアのトマ・フェルセンのコンサート(前座がダチのイニアテュスだったのでインビテーションもらった)に娘を連れて行ったら、結構そういう子連れの客がいて、「こうもり」は子供たちを含めた場内大合唱になる、という塩梅。(↓このヴィデオはその頃のものだと思います。なんてしなやか。すばらしい。)


 さて「エリザベート」です。
 これはこの前の「マリクリスティ〜〜〜ヌ!」と同じように、男が愛する女に和解を嘆願する歌です。「マリー・クリスティーヌ」では男は酔っぱらいでしたが、「エリザベート」では男はウソつきなのです。どれくらいのウソつきか、ということを歌詞訳して説明しようと思ったのですが、訳しづらい箇所がちょこちょこあって、あまりこなれた日本語になっていません。特に歌詞2番の
Il me fallait des cigarettes,
Un miroir aux alouettes,
Et puis j'ai acheté du fil blanc
Ainsi qu'des salades et du flan
の "Un miroir aux alouettes"ですね。これは私の手持ちのスタンダード仏和辞典では「(ひばりをおびき寄せる)鏡罠(かがみわな);おびき寄せるもの」と説明されています。タバコと「鏡罠 」と白糸とサラダとカスタードプリンを買ってきた、ということになりましょうか。なんとなく「日曜日に市場へ出かけ、糸と麻を買ってきた」というロシア民謡「一週間」を思い起こさせるナンセンスな歌詞です。トゥリャトゥリャトゥリャ...。まあ、口からでまかせのウソというニュアンスがわかってくれればいいんです。"cigarettes"(シギャレット)に韻を踏むために"alouettes"(アルーエット)、"blanc"(ブラン)に韻を踏むために"flanc"(フラン)と、踏韻辞典(dictionnaire des rimes。こういうものがフランスにはあり、作詞家または町詩人のバイブル)から適当に無作為に選んだだろうと思われるナンセンスな歌詞ですね。これでいいんですけど、これを一生懸命日本語にしようとしなければならない時(歌詞対訳の仕事が来た時)、私は4行で一晩中悩むことがありますよ。
 では「エリザベート」の向風版和訳です。
腕時計が落ちて車に轢かれ、
転がって穴に落ちてなくなったんだ
それで俺は終電に乗り遅れた
そうともこんなことは初めてじゃない
でも俺はうそつきじゃない
恋人よ、おまえは僕の心を掴んでいる
もしこの言葉にこれっぽっちのうそがあるのなら
俺はラバに変身してしまうよ

そんな顔するなよ エリザベート
そんな顔するなよ エリザベート

タバコが切れてたんだ
それから鏡を使った罠も必要だったんだ
そのあと俺は白い糸を買った
サラダとカスタードクリームパイも買った
おまえはいろんなことを想像するかもしれないが
ごらんよ、俺はバラの花束まで買ってきたんだ
もしもこれらのことにこれっぽっちのうそがあるのなら
俺はヤギに変身してしまうよ

そんな顔するなよ エリザベート
そんな顔するなよ エリザベート

まるで裁判にかけられてるみたいじゃないか
俺は遅れてきたんだ、ただそれだけじゃないか
遅れたって言ったって、絞首刑や銃殺刑に処されるほどの
遅さじゃないじゃないか
おまえは知ってるじゃないか、俺は信じるに値する男だって
おまえは俺を信頼していいんだ
もしも俺の口からこれっぽっちのうそがこぼれているのなら
俺はハエに変身してしまうよ

そんな顔するなよ エリザベート
そんな顔するなよ エリザベート

おまえは知ってるじゃないか、俺は純真な子だって
俺は修道女たちによって育てられたんだ
じっと見つめられたら目が落ち着かなくなるのは
俺が急いでたっていう証拠さ
これは規律正しいボーイスカウトの言葉さ
おまえがそれを疑うことはできないさ
もしも俺の頭脳からこれっぽっちのうそが滲み出ているのなら
俺はロバに変身してしまうよ

そんな顔するなよ エリザベート
そんな顔するなよ エリザベート

いいとも、正直に白状しよう
おまえがその気なら、信用してくれたらいいさ
実は旧い親友にばったり遇ってしまったんだ
そいつには明日も会うことになってるんだ
俺がでたらめや作り話をしてるなんて
想像しないでくれよ
俺が友だちを使ってこれっぽっちのうそをつくなんてことがあったら
俺はウサギに変身してしまうよ

そんな顔するなよ エリザベート
そんな顔するなよ エリザベート

確かに、俺には時間が必要だった
確かに、俺には10年の年月がかかった
確かに、俺はおまえに頻繁に便りを出さなかった
おまえはと言えば、修道院に入ってしまった
でもおまえは角頭巾をかぶっていてもきれいだよ
いやいやこれはたわごとなんかじゃない
もしも俺の帽子からこれっぽっちのたわごとが出て来るもんなら
俺はカエルに変身してしまうよ

そんな顔するなよ エリザベート
そんな顔するなよ エリザベート

タバコが切れてたんだ
それから鏡を使った罠も必要だったんだ
そのあと俺は白い糸を買った
サラダとカスタードクリームパイも買った
おまえはいろんなことを想像するかもしれないが
ごらんよ、俺はバラの花束まで買ってきたんだ
もしもこれらのことにこれっぽっちのうそがあるのなら
俺はヤギに変身してしまうよ
ヤギにも、ネズミにも、カエルにも
ラバにも、ハエにも、ラクダにも変身してしまうよ

エリザベート!
(↓)「エリザベート」



2013年5月17日金曜日

マリクリスティ〜〜〜〜〜ヌ!

Claude Nougaro
"Je suis sous" (1964)
 作詞:クロード・ヌーガロ
 作曲:ジャック・ダタン
 唄:クロード・ヌーガロ

 これ、カラオケ見つけたら、今年の忘年会で歌いたいと思ってます。酔っぱらいの歌です。タイトルの "Je suis sous"は直訳すると「俺は下に」という意味で、ロメオとジュリエットのロメオのように、愛する女(この場合、マリー=クリスティーヌ)のバルコニーの「下に」いて、和解の嘆願をするんですが、"sous"は「スー」と読み、この同じ「スー」という読みで "saoûl"という言葉があり、これは酔っぱらってるという意味なんです。だから、「スー、スー、スー」とろれつが回らず同じ言葉を繰り返しているのは、酔っぱらってることを表現しているんですね。
 同じように歌の中で繰り返される 「ロン、ロン、ロン」(rond, rond, rond)の "rond"も,本来は「丸い」という意味ながら、俗語では酔っぱらってるという意味。さらに「ブーレ、ブーレ、ブーレ」(bourré, bourré, bourré)も本来は「一杯に詰まった」(この歌詞の中では向上心で胸がいっぱいになった)という意味ながら、俗語では酔っぱらってるという意味なんです。こういうのがわかると、この酔いどれシャンソンは一級の詩作品みたいに思えるでしょ。
俺はロメオのように
スー、スー、スー
おまえのバルコニーの下にいる
オオ、オオ、
マリー・クリスティ〜〜〜ヌ
俺は殺し屋のように
犯行現場に戻ってきたんだ
だけど俺たちの愛は死んじゃいないだろ?
なあ、死んじゃいないって言ってくれ

二人が別れてからっていうもの
俺は誓って言うが、俺はずいぶん変わったんだ
おまえは俺のこと見間違えるかもしれない
なにしろ俺は酒をやめたんだぞ

俺は後悔に苛まれて
ロン、ロン、ロン
俺は卑劣漢さ
オオ、オオ、
マリー・クリスティ〜〜〜ヌ
お願いだから、もう一度だけ
おまえの思いやりを見せておくれ
もう一度だけチャンスをおくれ
なあ、やり直そうよ

俺にだって、いいところはあるんだ
なあ今よりも俺を暗くさせないでおくれ

俺は向上心でいっぱいだ
ブーレ、ブーレ、ブーレ
俺は仕事も見つけたんだ
オオ、オオ、
マリー・クリスティ〜〜〜ヌ
これは真剣なんだ
俺の大事な踏韻辞典だって捨てちまった
もうシャンソンなんか作ってない
俺は真面目に働いているんだ

おまえが嫌いだった俺のダチ連中
やつらは今や俺抜きで遊んでいる
ほんとかどうか知りたかったら
やつらをここに連れてきたから
おまえから直接聞いてみたらいい

俺たちはロメオのように
スー、スー、スー
おまえのバルコニーの下にいる
オオ、オオ、
マリー・クリスティ〜〜〜ヌ
耳を塞がないでおくれ
この最後の叫びに
俺の大切な宝物、お願いだから
答えておくれ、答えておくれ
マリー・クリスティ〜〜〜ヌ
俺をひとりにしないでおくれ

ああ、そうかい、おまえがそうなら
俺はまたぐでんぐでんに酔っぱらいに行くぜ!
 (↓これは1964年当時のテレビ映像で、酔漢仲間にジャン・ヤンヌとサッシャ・ディステルが参加している。アルコールに対して昔はみんな本当に寛容だったんですね。私は今も寛容ですけど)


(↓これは1964年オリジナルからずいぶん経った、2000年頃の映像かな? このブラス隊とオーディエンスの良いノリがたまらないですね。)

2013年5月12日日曜日

さっぱりサプリポペット (クロチルドふたたび)

5月7日記事の追加です。

 そもそも、20世紀末から21世紀の今日まで、一部の(とは言っても世界中にいるらしい。特にUSAに多いらしい)フレンチ・シクスティーズマニア(この場合9割9分がフレンチ・シクスティーズ”ガールズ”マニアなんですが)がこのクロチルドに異様に高い関心を示したのはどうしてなのでしょう? 2枚のEPシングルしか発表せずに、1967年当時の人気や評価も取り立てて良いわけではなかったこの小柄な18歳(当時)の少女が、今日のこのマニアたちに "Queen of the French Swinging Mademoiselle"とまで賞賛されるようになったのはどうしてなのでしょう? 
 おおむね外国のリスナーの飛びつき方というのは、(英米にない)とびきりカッコいいサウンドだったり、フレンチ・ラングエージの妙を外人の耳に刺激する(往々にして歌がうまくない)キュートなヴォーカルだったり、ということが要因になりましょう。歌詞が何歌ってるのかなんて結構どうでもいいことでしょう。クロチルドの現象は、まずサウンド面から飛びつかれたようなキライがあります。ヴォーグ・レコード(フランソワーズ・アルディ、ジャック・デュトロン、アントワーヌ等が当時在籍し、ヒットパレードを席巻していた)のアート・ディレクターにして作曲・編曲者であったジェルミナル・テナス(当時なんと19歳!)がつくる極めて独創的なごった煮サウンドで、私の耳で識別できる楽器だけでも、早弾きファズ・ギター(かなり縦横無尽)、チェンバロ、バスク・オーボエ、マリンバ、チューブラーベルズ、手回しオルガン、フィドル、そして私が5月7日の記事で強調した驚異の狩猟ホルン隊などが、どわどわどわっと入れ替わり立ち替わり鳴り響くのです。これはビートルズの「グッド・モーニング、グッド・モーニング」(『サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド』=クロチルドと同じ1967年発表)やスパイク・ジョーンズやレス・バクスターなどをも想わせる、サイケデリックでエキゾティックでスラップスティックなサウンドです。この世界に類を見ないジェルミナル・テナスのオーケストレーションだけでも病みつきになるファンが世界にいてもおかしくないでしょう。
 それに加えて、この18歳の娘のハイブローでツンとしてぶっきらぼうでクールで情緒に乏しいヴォーカルです。しっかりと音程とリズムだけははずさないで歌っているという、それ以上も以下もない歌唱で、バックサウンドとの温度差はかなりのものでしょう。これはフランソワーズ・アルディの「アンニュイ」とは縁もゆかりもないものだ、ということは外人でもうすうすは感じ取るでしょうが、歌詞がわかるフランス語圏人には明白なスタイルなのです。それは "Bête et méchant"(ベート・エ・メシャン)なのです。5月7日の記事で短く紹介しましたが、これは60年代フランスのエロ・グロ・ナンセンス月刊誌「ハラキリ」のスローガンです。直訳すると「愚かで意地悪」ということになりますが、ニュアンスは「ナンセンスで毒がある」という感じです。
 ジェルミナル・テナスの曲とオーケストレーションがベート・エ・メシャンであり、クロチルドの歌い方がベート・エ・メシャンなのです。このベート・エ・メシャンな世界をなんと18歳の娘と19歳の若造が創っていたのです。共に当時は未成年(フランスの成人年齢は1974年から18歳で、その前は21歳でした)だったのです。
 クロチルドの最初の4曲入りEPシングルのB面1曲めが、その名もずばり「ベート・エ・メシャンな歌」(Chanson Bête et Méchante)という歌です。
あたしが12歳だった時、兄がとても好きだったの
すごくかっこ良かったんだけど、片目が義眼だった
それを一生つけていくはずだったのね
もしも私がそれを競売で売ってしまわなければね

これよりもっとバカで 
もっと意地悪な話を見つけたら
私にすぐに投書してね
賞金あげるにゃん
にゃんにゃん

姉はとっても料理がうまかった
ミルフィーユとエクレアをよく作ってくれた
ある日あたしがその中にいくつかガラスの破片を入れといたの
みんなが床にのたうち回るのを見るってとても楽しかったわ

これよりもっとバカで 
もっと意地悪な話を見つけたら
私にすぐに投書してね
賞金あげるにゃん
にゃんにゃん

あたしのいとこは墓地の番人だった
ある晩彼を驚かせようとあたしは緑のシーツで身を包んだ
彼はあたしが突然に目の前に現れるのを見たの
そしたら次の日彼が墓地に埋められちゃった

これよりもっとバカで 
もっと意地悪な話を見つけたら
私にすぐに投書してね
賞金あげるにゃん
にゃんにゃん

あたしのゴントランおじさんは億万長者だった
どう使っていいかわからないお金をあたしにどんどんくれてたの
でもあたしを満足させるにはどんなにお金をあげても足りなくて
結局今じゃおじさんは貧民救済スープをすすってるわ

これよりもっとバカで 
もっと意地悪な話を見つけたら
私にすぐに投書してね
賞金あげるにゃん
にゃんにゃん
ちょっとちょっと...。こんな歌、どうしたらいいんですか? 東西を問わず、世のティーン歌手たちが「夏の浜辺でいきなり恋に落ちてイェイイェイイェイ」みたいな歌を歌ってるのを、私たちはおバカな工場生産流行歌みたいに思ったでしょうけど、その「おバカ」はフツーじゃないですか。ところがクロチルドのこの「バカで意地悪」はフツーじゃないですよ。これって、ポップソングとして成り立たないものだったんじゃないですか。

 Born Bad Recordsからリリースされたクロチルドの全録音復刻アルバム『フレンチ・スウィンギング・マドモワゼル 1967』 に添えられたブックレットには、アレクサンドル・ユスネ(Alexandre Hussenet。この人何者なのか、ジャーナリストなのか、レコードコレクターなのか、判然としません)によるクロチルドとジェルミナル・テナスのロングインタヴューの一部が掲載されています。このインタヴューはフランス語でなされたはずなんですが、なぜかその英語翻訳のみが載っているのです。その英語訳がひどい。フランス語を公開してほしい。(インタヴュー全文の英語訳はBorn Bad RecordsのHPのここに公開されてます。)
 そのインタヴューでエリザベート・ボーヴェ(元クロチルド)は、やっぱりこんな歌は歌いたくなかった、とはっきり言ってます。曲はいい、でも詞は大嫌いだった、と。クロチルドは父も母もラジオ・テレビ界の有力者で、特に母親がテレビ歌謡番組のプロデューサーだったから、そういうつながりで芸能界と直結したような家庭環境でした。少女エリザベートには少女の頃からいろいろとオファー(子役、モデル、歌手...)があったのですが、母親の強力な後押しにも関わらず、エリザベートはすべて断ってきた。そしてある日19歳のヴォーグ・レコード社のプロデューサー、ジェルミナル・テナスが強引なプロポーズで彼女についに「ウィ」と言わせるんですね。
 このジェルミナル君は19歳にも関わらず、自分のやりたいようにしかやらない強烈な個性と創造性があり、クロチルドとは何度も喧嘩しながらも、ジェルミナルのクリエートする極めてオリジナリティーの高い「芸能人形」と化していくのです。ここですよね、長続きしない原因は。クロチルドは音楽アーチストであろうとすることには何の異議もないのだけれど、こんな風に人形にはなりたくない。歌うんだったら自分の作った歌を歌いたい、フランソワーズ・アルディのように。ところが、ジェルミナルはクロチルドをどこにも類を見ない「ベート・エ・メシャン」なポップ・アイドルとして成功させたい。
 フランス・ギャルのことは私のブログのここで長く書いてますけど、フランス・ギャルもクロチルドも芸能界に直結した家庭環境にありましたが、フランス・ギャルは「こんな歌歌いたくない」と自分の部屋で泣きながらも、プロとしてちゃんと歌ってしまう。ところがクロチルドはプロとして歌わなければならないんだけど、わがままで歌わない(プロモーションに行って、その場で「やっぱり出演しない」とダダこねて退散するということもあった)ことでこの道から去っていくのですね。

 こんな独創的な音楽を、18歳と19歳が喧嘩しながら8曲も作ったということを私は美しいとも、奇跡的とも思ってしまうのですよ。あんなにこんな詞は歌いたくないと言っていたクロチルドも、セカンドEPシングルでは、2曲("La Ballade du Bossu", "102-103")で共作詞者として数行のベート・エ・メシャンな詞を書いてしまっているのです。根がベート・エ・メシャンだったからかもしれません。

(↓「ベート・エ・メシャンな歌」)


(↓ このアルバムはぜひLPで聞いてください)