2013年5月24日金曜日

苔のムスタキ

  2013年5月23日、ジョルジュ・ムスタキさんが亡くなりました。79歳でした。4年前に呼吸器系の疾患のために、歌手廃業宣言をして、そのままその呼吸器の病いのために逝ってしまいました。
 ムスタキさんへのリスペクトと、ムスタキさんが私とこのブログに与えた大いなる影響は、 2012年10月に「ページビュー10万突破」の記念記事に長々と説明していますから、読んでみてください。もうその頃は長い闘病生活の最中だったのですね。
 ムスタキさんへの私の最も敬愛していた点は「ゆったりした人」だったこと、「怠惰な人」だったことに集中してしまうのですが、ゆったりした時の流れの中にいる人からしか見えないことってありますよ。
 1969年ですから、ムスタキさんが35歳の時ですね、当時47歳だったセルジュ・レジアニのために「あなたの娘は20歳になった Votre fille a vingt ans」という歌を書きます。年頃の娘を持った母親(マダム、と呼びかけられる人物)に、娘の若さや恋を心配するのはわかるけれど、あなたも同じだったんだ、だから微笑んで見ていればいい、という歌です。実は私には、そう言って、マダムに若い頃を想い出させて、もう一度私と若い頃のことを、と誘惑している歌に聞こえますが、ま、それはそれ。
 「ああ、あの洟垂れのミーコもこんなにきれいになったかぁ...」と目を細める好々爺 の歌ではない。ゆったりした時の中では、良いことも悪いこともあれもこれも必然があり、分別があり、理由があり、それが良くなったり悪くなったり、はっきりしたりおぼろげになったり...。気温が高くて、まどろむような時間のアトモスフィアをつくってくれるような歌ですよね。
 実は2013年春現在、この夏19歳になるわが娘は3ヶ月前から真剣な恋愛をしていて、私は夜帰って来ない娘を心配して、深夜すぎの町を探しまわるということが一度ならずありました。青島幸男式の「ひとこと文句を言う前に、あんたの娘を信じなさい」という境地からはほど遠く、最初の頃は娘と激しく口論もしました。3ヶ月経って、ずいぶんと慣れてはきましたが、 まだまだ私には頑迷な昭和親父的なモラルがあるんでしょうね。事情を知る知らずに関わらず、他人様たちから「このごろメキメキきれいになった」と言われることは、私もそうだよなぁ、と思うようになったのです。そんな時、ムスタキさんのこの歌を(すみません、亡くなってからですが)耳にすると、本当にそうだよなぁ、と思ってしまうのです。
 Votre fille a 20 ans

あなたの娘は20歳になった、なんて時の流れの早いこと
ねえマダム、あの娘はついこの間まであんなに小さかったのに
娘の最初の苦悩は、あなたの最初の皺のもと
ねえマダム、あなたの最初の心配事

それぞれの20年経ったけれど、あなたには倍の年月のよう
あなたは娘が発見したことをすべて知っていた
あなたは今娘を動揺させているたくさんのことを忘れてしまった
ねえマダム、あなただってかつて動揺していたのですよ

あの娘は可愛かったけれど、
彼女とほとんど同い年のひとりの若い男にとっては
今や彼女は美しい人
その若者は、マダム、かつてあなたがひときわ美しくなった原因となった人に
似ているでしょう

彼らは雑草の原から見事な庭園に変わる
若さの花を束ねて、見事なブーケになる
ずいぶん前にあなたもその束の中にいたのだけれど
ねえマダム、春はあなたを忘れてしまっている

あなたには毎夜同じような夜に思われる夜
あなたは礼儀正しい夢を見ているけれど
快楽と恋は、マダム、同じベッドのくぼみで
罪深いことになってしまっている

でもその罪深いことはそんなに無邪気なことではなかったのですよ
少しのためらいもなく無頓着にも
罪深いものはその甘美な犯罪について
マダム、あなたの寛大な許しなど求めもしないものなのです

あの娘に最初の涙が
最初の恋の苦しみが、最初の女の苦しみがやってくる日まで
あなたは微笑んでいるしかないのです、マダム
マダム、あの娘があなたに微笑むように...

 ムスタキさんの歌よ、永遠に。千代に八千代に。

(↓ ジョルジュ・ムスタキ「あなたの娘は20歳になった」)

(↓2007年ヴァンサン・ドレルムのプライヴェート・コンサート "FABOURITE SONGS"。このアルバムについてはうちのブログのここで紹介しています。ドレルム+ムスタキのデュエットで「あなたの娘は20歳になった」。この時ムスタキさん73歳。人前で歌ったのは、これが最後だったかもしれません。)

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