テレラマ誌2023年5月10日号は、5ページを割いてもう4年も映画を撮っていない女優アデル・エネルを追跡する記事を発表した。2020年2月28日、フランスで最も権威ある映画賞であるセザール賞のセレモニーで、多くのフェミニスト団体の抗議にもかかわらず、ロマン・ポランスキー監督の『J'accuse(日本公開題”オフィサー・アンド・スパイ”)』が監督賞を含む3部門で受賞したのに激昂して席を立ち、「なんたる恥!」と叫びながら駆けるようにセレモニー会場を退場したアデル・エネル。自ら未成年女優だった頃に映画監督から性暴力被害を受けていたことを告発したアデル・エネル。当時大きなうねりの運動となりつつあった#MeToo ムーヴメントの映画芸能分野での旗手的シンボルとなっていたアデル・エネル。かのセザール賞から3年を過ぎて、現在34歳のアデル・エネルは、マクロンの年金改革法反対闘争で激動するフランスのあちらこちらにいて、短い髪、すっぴんの顔、ウール帽、菜っ葉コート、ナップザックという出で立ちでスト労働者たちのかたわらに立ち、デモ隊のひとりとしてシュプレヒコールを叫びながら歩む。ノルマンディー地方ゴンフルヴィル・ロルシェの石油精製工場をスト封鎖するCGT労働者たちの集会でマイクを取ったエネルは「私はひとりのフェミニスト、ひとりのレスビアンとしてここに来ました。今、ここでみなさんのように、あらゆる重要な場所でこうして団結できたら、私たちは勝利できると言うためです」と闘士の言葉で言った。
「闘争する若い女の肖像(Portrait d'une jeune femme en lutte)」(エネルの最後の映画『火のついた若い娘の肖像 Portrait d'une jeune fille en feu』のもじり)と題されたテレラマ記事(→写真)は、もはやセザール賞やカンヌ映画祭といったものとは全く縁を切ってしまったエネルの現在を伝える。同誌のインタヴューの申し出をエネルは拒絶し、その代わり約70行の書簡で、彼女が映画と訣別した理由について言明している。それは性暴力者たちを許容擁護するだけでなく、環境破壊と貧困の増大を加速的に推し進めるリベラル資本主義に直接的に加担している映画産業へのノンであった。その文体はアジびらのようであり、その政治的闘士的なディスクールは激しい。言い換えれば極左的であり(実際彼女は新生の極左組織”Révolution permanente 永続革命”に属している、あるいは近いところにいるとされる)、男性原理社会と巨大資本支配には憎悪/敵意を剥き出しにする。痛々しさすら感じてしまう。闘士として歩み始め、おそらく振り返ることのないであろうアデル・エネルの選択を尊重しながらも、同記事は”Le cinéma français a, lui, perdu l'une de ses actrices les plus précieuses"(フランス映画の方は、その最も貴重な女優のひとりを失ったのである)という結語で閉じられている。
今から3年前、私はアデル・エネルのセザール賞セレモニー退場という事件を生中継のテレビで見ていて、その衝撃をラティーナ誌2020年4月号に記事として書いた。紙版ラティーナ誌廃刊の1ヶ月前の号であった。記事にはポランスキー映画"J'accuse"のこと、エネル退場を全面支持する作家ヴィルジニー・デパントのリベラシオン紙上での檄文についても触れてある。その夜、何が起こったのかをもう一度知っていただきたく、以下に再録します。
★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★
この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で、2020年4月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。
2020年度セザール映画賞に何が起こったか
唐突だが、2月28日から日本で公開になっているフランス映画『レ・ミゼラブル』(ラジ・リ監督作品。2019年カンヌ映画祭審査員賞、2020年セザール賞最優秀映画賞)、コロナウィルス禍にめげず、ぜひできるだけ多くの方に観ていただきたい。2005年暴動で”荒れる郊外”の象徴となった町モンフェルメイユ(93県)の十数年の表面的な鎮静がたった二日で脆くも崩れていくヴァイオレンス溢れる”現在進行形のフランス“の映画。これから本稿で詳しく述べる2月28日のセザール賞セレモニーで、本意ならずとも、最後の最後であのセレモニーのカオスを辛うじて収拾することができた”満場一致の”稀有なパワーのある映画と言えよう。
セザール賞は1976年に創設された映画賞である。世界映画史上フランスは(誇り高い)映画発祥国であるから、それまでもさまざまな映画賞があったが、それらは硬派な”批評賞“であり、米国アカデミー賞を頂点とする華やかな映画産業祝典のようなものはなかった。セザールはまさにフランスの”オスカー”を目指して始められ、映画産業に従事する人たち(監督、俳優、技術者、配給、広報その他、現在の数で4500人ほど)で構成する選考員の投票で賞を決定する年次賞である。世界第二の映画生産国で、アメリカ産のブロックバスター映画に上映館を占領されることなく、独立映画や作家主義映画も重要視する独自の映画文化を築いてきたフランスで、セザールは最も権威ある賞となり、そのセレモニーはフランス映画産業の健在を自画自賛する祭典のような傾向もあった。映画雑誌で例えれば、硬派のカイエ・ド・シネマ誌よりは、大衆派のプルミエール(日本では”プレミア”と呼ばれる)誌寄りであり、産業と大衆に迎合し特殊にアーティーなるものを排除する性質の証左のように、ジャン=リュック・ゴダール、エリック・ロメール、アニェス・ヴァルダ、レオス・カラックスといった映画作家たちは一度も受賞したことがない。それに引き換え、本稿の中心人物のひとりである映画監督ロマン・ポランスキーは45年の同賞史で、5回の最優秀監督賞を獲得するという異常に高い”受賞率“となっている。
フランスで最も権威ある映画賞が公正さを欠くという批判はずいぶん前からあった。5000人近い評議員の内訳はどうなっているのか? 政治や大映画会社からの圧力は? そして時代は移り、2017年米国映画界を激動させたハーヴェイ・ワインスタイン事件が起こり、超強大な権力を盾に着たプロデューサーによって長年セクハラおよび性暴力の被害を受けていた女優たちが次々に名乗りを上げ、この映画界の超大物を告発した。#MeToo運動の始まり。女性たちの世界的な性暴力告発運動は、映画、マスコミ、スポーツ、学校、職場、家庭などあらゆる領域に拡がり、女性たちと社会の意識を変えさせていく。2019年11月、フランス映画界で毎年のように各映画賞にノミネートされてきた女優アデル・エネル(1989年生)が、彼女を少女女優としてデビューさせた映画監督クリストフ・ルジアにから12歳から15歳の間に性暴力の被害にあっていたと告発した。映画界でこの種の告発は初めてではないが、フランスのフェミニズム運動の高揚と現政府の男女均等担当相マルレーヌ・シアパと法相ニコル・ベルーベの支援もあり、刑事事件としてルジアへの捜査も始まり、メディアでも大きく扱われ、先月号の記事で紹介したヴァネッサ・スプリンゴラによるペドフィル作家ガブリエル・マツネフ告発と同じレベルで、フランスの #MeTooの最重要事件と見なされている。
そういう#MeTooの着実な拡がりに沸く女性たちの神経を逆撫でするように、2020年1月29日、第45回セザール賞は評議員第一次投票の結果としてノミネート作品を公表し、その中で最多の12部門でノミネートされていたのが、ロマン・ポランスキー監督作品『オフィサー・アンド・スパイ(J’accuse)』(日本公開予定2020年9月)であった。英作家ロバート・ハリス(ポランスキー2010年映画『ゴーストライター』の原作者)の小説でドレフュス事件(1894年フランスで起こったユダヤ人ゆえにスパイ冤罪をかけられた陸軍少尉の実話事件)を題材にした『D.(士官とスパイ)』を原作として、ポランスキーが7年の年月をかけて巨額予算で制作したオールスター配役の大作である。
(←ジャン・ド・ジャルダンに演技指導するポランスキー) 11月13日に公開になったこの映画は封切前から賛否両論に割れ、反対派に押された形でテレビなどでの映画プロモーションが取りやめられたが、実際公開になってみると観客は上映館を満員にし、映画の評価は高かった。国際的にヘイトクライムが急激に(ふたたび)顕在化している昨今、19世紀末フランスを動揺させたドレフュス事件の実話に基づき、陸軍上層部による冤罪と反ユダヤ思潮の台頭にただひとり立ち向かう義憤の士官ピカール(演ジャン・デュジャルダン)の姿はたしかに感動的だ。私が観た映画館でも上映後拍手が起こった。では何が問題なのか? 問題は映画ではなくポランスキーその人なのだ。1977年に13歳の子役少女をレイプしたことで有罪判決を受けたあとも、十数件の女優暴行で訴えられている。この男が、何ら罰せられることなく、国際映画産業に保護されて、のうのうと映画監督として創作活動を続けている。ポランスキーを映画界から追放して、法廷に引きずり出せ ― この声は女性たちだけのものではない。
セザール賞にこの作品が最多の12部門でノミネートされた時、批判は女性団体からだけではなく、映画人たちからも激烈なものがあり、セザール賞運営の不透明さが非難された。まず評議員の男女比率が7対3で、これでは女性たちの声が圧殺される。男女比率が均等ならば、ポランスキーがノミネートされる可能性はないはずだ。その他その旧態然とした運営体制を糾弾され、2月13日、セザール賞会長アラン・テルジアン(2003年から在任)と幹部らが総辞職し、2021年度(第46回)前に運営体制大改革を行うこととした。つまり、今回の第45回は変革前最後のセザール賞として、その前もって選出された候補作品はそのまま残って2月28日のセレモニーを迎えたのである。
その中に10部門でノミネートされた有力候補作品としてセリーヌ・シアマ監督映画『火のついた若い娘の肖像(Portrait de la jeune fille en feu)』(2019年カンヌ映画祭脚本賞、アメリカでの興行が好調で、2月現在全世界での観客動員数が百万人を突破。日本配給はギャガだが公開日未定。→ 韓国上映版のポスター)があり、作品賞、監督賞の他に主演女優二人(ノエミー・メルランとアデル・エネル)が両方女優賞にノミネートされていた。18世紀フランスの田舎貴族の娘で野生的な美をたたえたエロイーズ(演アデル・エネル)の見合い写真ならぬ見合い肖像画を依頼された画家マリアンヌ(演ノエミー・メルラン)の間に芽生える恋と、運命を自らのものにしたい女性たちの確執と静かな抵抗を描くフェミニストな美しい作品である。この一連のコンテクストにあって、アデル・エネルの主演女優賞ノミネートは大きな象徴であり、一方にある性犯罪者ポランスキーの放免状態を絶対に許してはならないとする女性たちの代弁者としてエネルはメディアに露出しておおいにその怒りを表明していた。
ポランスキー擁護者たちは「作家と作品を分けること」という論を展開した。人物は糾弾されても、作品は評価されうる。文学の例で言うと、ルイ・フェルディナン・セリーヌという人物はナチス協力者・ユダヤ排斥主義者として弾劾されても、『夜の果てへの旅』は20世紀文学の傑作であり、ルイス・キャロルはペドフィルだが『不思議の国のアリス』は児童文学の古典である。ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』、『チャイナタウン』、『テス』など私も若い日に夢中で観たし、傑作だと思っている。芸術家としてのポランスキーを評価せよ、と擁護者たちは言う。だが、ポランスキーの作品に賞という栄誉を与えることは、ポランスキーその人(芸術家としての分身だけでない全的な人格)をも栄誉で祝福してしまうのである。
2月28日、ポランスキー側は同賞セレモニーに監督も出演俳優も制作スタッフも誰も出席しなかった。セレモニー会場であるサル・プレイエルの外にはフェミニストのデモ隊が結集し、ポランスキー弾劾を叫んでいた。
2月28日、セザール賞セレモニーの司会役は誰もやりたくなかったと言う。その貧乏くじを引いたのが、漫談家/女優のフローランス・フォレスティ(←写真)であり、自らフェミニストであることを公言する彼女は、散々に批判された賞運営体制をそのまま引きずった状態で、なんとか(得意の)”笑い“で体裁を保つという役目を任された。連発されるそのギャグは辛辣で毒があり、ポランスキー論争を舞台に載せるのを避けるべきという「空気読み」を無視し、ギャグが凍りつく場面もあった。彼女はこのセレモニーでポランスキーが1部門でも受賞しないことに賭けていただろう。しかしセレモニーは後半に入り、「コスチューム賞」、「小説翻案映画賞」がポランスキー『オフィサー・アンド・スパイ』に与えられていく。
そして当夜の山場のひとつ、主演女優賞はアデル・エネルではなく(ノエミー・メルランでもなく)、アナイス・ドムースティエが受賞した。素晴らしい女優であり文句はないのだが、何かを勘ぐりたくなる。
深夜零時が近づき、あと2つの賞(最優秀監督と最優秀映画)しか残っていない大詰めにカタストロフはやってきた。最優秀監督賞の受賞者としてロマン・ポランスキーの名が場内に響き、その声と同時にアデル・エネルが席から立ち上がり、「恥辱よ!」と言い放ち、出口に向かって足早に進んでいった。このシーンはニュースメディアとSNS上で何百万回とリプレイされることになる。
その夜、猛烈な憤怒を抑えられなかった作家ヴィルジニー・デパント(本連載2015年10月号と2017年7月号で紹介した『ヴェルノン・シュビュテックス』三部作の作者)は、火を吹くような激情の非難文(160行)を一気に書き上げ、リベラシオン紙に投稿した。『これからは立ち上がり、ずらかることだ』と題されたそのトリビューンは3月1日に同紙ウェブ版に掲載され、さらに3月2日付けの印刷版に載った。その論調は暴力的で破壊的で、映画産業を牛耳る特権的超資本階級がその特権を臆面もなく見せつけるためのセレモニーだったとし、金の支配への服従と敬意の強制は、もはや制限がない。
アデル・エネルはあのセザールの真夜中から、#MeTooのシンボルから、すべての非抑圧者の代表として立ち上がり背を向けて退場した私たちのシンボルになったのだ。
エネルはひとりではなく、あの真夜中、司会のフローランス・フォレスティも楽屋で「ムカつく(écoeurée)」とインスタグラムに書き込み、二度とセレモニーのステージに昇らずに、”ずらか”った。
翌日のニュースメディアはポランスキーの受賞を「スキャンダル」と論じるものばかりではなく、エネルとフォレスティの怒りの退場をも「スキャンダル」と報じるものもあった。そして暴力性と悪意も込められたデパントの特別寄稿もまた反響には賛否両論があった。時期を同じくして、米国ではワインスタイン裁判が始まり、栄華を誇ったワインスタイン帝国は崩壊した。これは前進するために倒すべきシンボルであり、アメリカ映画界は女性たちが性暴力のタブーと男性(資本)原理の大きな象徴を突き崩した。フランスにそのシンボルがあるとすれば、それはまさにポランスキーであり、セザール賞であるということがはっきりした。
これを書いている今日、3月8日、国際「女性権利」デー、コロナウィルス禍の脅威にもかかわらず、フランス全土で女性たち(+女性の権利を理解する男性たち)のデモが行われ、1週間前のセザール賞のショックはそのデモにも反映され、ポランスキー受賞への抗議、アデル・エネルへの支持がプラカードに見られ、シュプレヒコールで聞こえる時、私はフランスの映画にまだ未来はあると信じられるのだ。
(ラティーナ誌2020年4月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)
(↓2023年5月、極左系フェミニスト集会「パンとバラ Du pain et des roses」でスピーチするアデル・エネル)
「闘争する若い女の肖像(Portrait d'une jeune femme en lutte)」(エネルの最後の映画『火のついた若い娘の肖像 Portrait d'une jeune fille en feu』のもじり)と題されたテレラマ記事(→写真)は、もはやセザール賞やカンヌ映画祭といったものとは全く縁を切ってしまったエネルの現在を伝える。同誌のインタヴューの申し出をエネルは拒絶し、その代わり約70行の書簡で、彼女が映画と訣別した理由について言明している。それは性暴力者たちを許容擁護するだけでなく、環境破壊と貧困の増大を加速的に推し進めるリベラル資本主義に直接的に加担している映画産業へのノンであった。その文体はアジびらのようであり、その政治的闘士的なディスクールは激しい。言い換えれば極左的であり(実際彼女は新生の極左組織”Révolution permanente 永続革命”に属している、あるいは近いところにいるとされる)、男性原理社会と巨大資本支配には憎悪/敵意を剥き出しにする。痛々しさすら感じてしまう。闘士として歩み始め、おそらく振り返ることのないであろうアデル・エネルの選択を尊重しながらも、同記事は”Le cinéma français a, lui, perdu l'une de ses actrices les plus précieuses"(フランス映画の方は、その最も貴重な女優のひとりを失ったのである)という結語で閉じられている。
今から3年前、私はアデル・エネルのセザール賞セレモニー退場という事件を生中継のテレビで見ていて、その衝撃をラティーナ誌2020年4月号に記事として書いた。紙版ラティーナ誌廃刊の1ヶ月前の号であった。記事にはポランスキー映画"J'accuse"のこと、エネル退場を全面支持する作家ヴィルジニー・デパントのリベラシオン紙上での檄文についても触れてある。その夜、何が起こったのかをもう一度知っていただきたく、以下に再録します。
★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★
この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で、2020年4月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。
2020年度セザール映画賞に何が起こったか
唐突だが、2月28日から日本で公開になっているフランス映画『レ・ミゼラブル』(ラジ・リ監督作品。2019年カンヌ映画祭審査員賞、2020年セザール賞最優秀映画賞)、コロナウィルス禍にめげず、ぜひできるだけ多くの方に観ていただきたい。2005年暴動で”荒れる郊外”の象徴となった町モンフェルメイユ(93県)の十数年の表面的な鎮静がたった二日で脆くも崩れていくヴァイオレンス溢れる”現在進行形のフランス“の映画。これから本稿で詳しく述べる2月28日のセザール賞セレモニーで、本意ならずとも、最後の最後であのセレモニーのカオスを辛うじて収拾することができた”満場一致の”稀有なパワーのある映画と言えよう。
セザール賞は1976年に創設された映画賞である。世界映画史上フランスは(誇り高い)映画発祥国であるから、それまでもさまざまな映画賞があったが、それらは硬派な”批評賞“であり、米国アカデミー賞を頂点とする華やかな映画産業祝典のようなものはなかった。セザールはまさにフランスの”オスカー”を目指して始められ、映画産業に従事する人たち(監督、俳優、技術者、配給、広報その他、現在の数で4500人ほど)で構成する選考員の投票で賞を決定する年次賞である。世界第二の映画生産国で、アメリカ産のブロックバスター映画に上映館を占領されることなく、独立映画や作家主義映画も重要視する独自の映画文化を築いてきたフランスで、セザールは最も権威ある賞となり、そのセレモニーはフランス映画産業の健在を自画自賛する祭典のような傾向もあった。映画雑誌で例えれば、硬派のカイエ・ド・シネマ誌よりは、大衆派のプルミエール(日本では”プレミア”と呼ばれる)誌寄りであり、産業と大衆に迎合し特殊にアーティーなるものを排除する性質の証左のように、ジャン=リュック・ゴダール、エリック・ロメール、アニェス・ヴァルダ、レオス・カラックスといった映画作家たちは一度も受賞したことがない。それに引き換え、本稿の中心人物のひとりである映画監督ロマン・ポランスキーは45年の同賞史で、5回の最優秀監督賞を獲得するという異常に高い”受賞率“となっている。
フランスで最も権威ある映画賞が公正さを欠くという批判はずいぶん前からあった。5000人近い評議員の内訳はどうなっているのか? 政治や大映画会社からの圧力は? そして時代は移り、2017年米国映画界を激動させたハーヴェイ・ワインスタイン事件が起こり、超強大な権力を盾に着たプロデューサーによって長年セクハラおよび性暴力の被害を受けていた女優たちが次々に名乗りを上げ、この映画界の超大物を告発した。#MeToo運動の始まり。女性たちの世界的な性暴力告発運動は、映画、マスコミ、スポーツ、学校、職場、家庭などあらゆる領域に拡がり、女性たちと社会の意識を変えさせていく。2019年11月、フランス映画界で毎年のように各映画賞にノミネートされてきた女優アデル・エネル(1989年生)が、彼女を少女女優としてデビューさせた映画監督クリストフ・ルジアにから12歳から15歳の間に性暴力の被害にあっていたと告発した。映画界でこの種の告発は初めてではないが、フランスのフェミニズム運動の高揚と現政府の男女均等担当相マルレーヌ・シアパと法相ニコル・ベルーベの支援もあり、刑事事件としてルジアへの捜査も始まり、メディアでも大きく扱われ、先月号の記事で紹介したヴァネッサ・スプリンゴラによるペドフィル作家ガブリエル・マツネフ告発と同じレベルで、フランスの #MeTooの最重要事件と見なされている。
そういう#MeTooの着実な拡がりに沸く女性たちの神経を逆撫でするように、2020年1月29日、第45回セザール賞は評議員第一次投票の結果としてノミネート作品を公表し、その中で最多の12部門でノミネートされていたのが、ロマン・ポランスキー監督作品『オフィサー・アンド・スパイ(J’accuse)』(日本公開予定2020年9月)であった。英作家ロバート・ハリス(ポランスキー2010年映画『ゴーストライター』の原作者)の小説でドレフュス事件(1894年フランスで起こったユダヤ人ゆえにスパイ冤罪をかけられた陸軍少尉の実話事件)を題材にした『D.(士官とスパイ)』を原作として、ポランスキーが7年の年月をかけて巨額予算で制作したオールスター配役の大作である。
(←ジャン・ド・ジャルダンに演技指導するポランスキー) 11月13日に公開になったこの映画は封切前から賛否両論に割れ、反対派に押された形でテレビなどでの映画プロモーションが取りやめられたが、実際公開になってみると観客は上映館を満員にし、映画の評価は高かった。国際的にヘイトクライムが急激に(ふたたび)顕在化している昨今、19世紀末フランスを動揺させたドレフュス事件の実話に基づき、陸軍上層部による冤罪と反ユダヤ思潮の台頭にただひとり立ち向かう義憤の士官ピカール(演ジャン・デュジャルダン)の姿はたしかに感動的だ。私が観た映画館でも上映後拍手が起こった。では何が問題なのか? 問題は映画ではなくポランスキーその人なのだ。1977年に13歳の子役少女をレイプしたことで有罪判決を受けたあとも、十数件の女優暴行で訴えられている。この男が、何ら罰せられることなく、国際映画産業に保護されて、のうのうと映画監督として創作活動を続けている。ポランスキーを映画界から追放して、法廷に引きずり出せ ― この声は女性たちだけのものではない。
セザール賞にこの作品が最多の12部門でノミネートされた時、批判は女性団体からだけではなく、映画人たちからも激烈なものがあり、セザール賞運営の不透明さが非難された。まず評議員の男女比率が7対3で、これでは女性たちの声が圧殺される。男女比率が均等ならば、ポランスキーがノミネートされる可能性はないはずだ。その他その旧態然とした運営体制を糾弾され、2月13日、セザール賞会長アラン・テルジアン(2003年から在任)と幹部らが総辞職し、2021年度(第46回)前に運営体制大改革を行うこととした。つまり、今回の第45回は変革前最後のセザール賞として、その前もって選出された候補作品はそのまま残って2月28日のセレモニーを迎えたのである。
その中に10部門でノミネートされた有力候補作品としてセリーヌ・シアマ監督映画『火のついた若い娘の肖像(Portrait de la jeune fille en feu)』(2019年カンヌ映画祭脚本賞、アメリカでの興行が好調で、2月現在全世界での観客動員数が百万人を突破。日本配給はギャガだが公開日未定。→ 韓国上映版のポスター)があり、作品賞、監督賞の他に主演女優二人(ノエミー・メルランとアデル・エネル)が両方女優賞にノミネートされていた。18世紀フランスの田舎貴族の娘で野生的な美をたたえたエロイーズ(演アデル・エネル)の見合い写真ならぬ見合い肖像画を依頼された画家マリアンヌ(演ノエミー・メルラン)の間に芽生える恋と、運命を自らのものにしたい女性たちの確執と静かな抵抗を描くフェミニストな美しい作品である。この一連のコンテクストにあって、アデル・エネルの主演女優賞ノミネートは大きな象徴であり、一方にある性犯罪者ポランスキーの放免状態を絶対に許してはならないとする女性たちの代弁者としてエネルはメディアに露出しておおいにその怒りを表明していた。
ポランスキー擁護者たちは「作家と作品を分けること」という論を展開した。人物は糾弾されても、作品は評価されうる。文学の例で言うと、ルイ・フェルディナン・セリーヌという人物はナチス協力者・ユダヤ排斥主義者として弾劾されても、『夜の果てへの旅』は20世紀文学の傑作であり、ルイス・キャロルはペドフィルだが『不思議の国のアリス』は児童文学の古典である。ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』、『チャイナタウン』、『テス』など私も若い日に夢中で観たし、傑作だと思っている。芸術家としてのポランスキーを評価せよ、と擁護者たちは言う。だが、ポランスキーの作品に賞という栄誉を与えることは、ポランスキーその人(芸術家としての分身だけでない全的な人格)をも栄誉で祝福してしまうのである。
2月28日、ポランスキー側は同賞セレモニーに監督も出演俳優も制作スタッフも誰も出席しなかった。セレモニー会場であるサル・プレイエルの外にはフェミニストのデモ隊が結集し、ポランスキー弾劾を叫んでいた。
2月28日、セザール賞セレモニーの司会役は誰もやりたくなかったと言う。その貧乏くじを引いたのが、漫談家/女優のフローランス・フォレスティ(←写真)であり、自らフェミニストであることを公言する彼女は、散々に批判された賞運営体制をそのまま引きずった状態で、なんとか(得意の)”笑い“で体裁を保つという役目を任された。連発されるそのギャグは辛辣で毒があり、ポランスキー論争を舞台に載せるのを避けるべきという「空気読み」を無視し、ギャグが凍りつく場面もあった。彼女はこのセレモニーでポランスキーが1部門でも受賞しないことに賭けていただろう。しかしセレモニーは後半に入り、「コスチューム賞」、「小説翻案映画賞」がポランスキー『オフィサー・アンド・スパイ』に与えられていく。
そして当夜の山場のひとつ、主演女優賞はアデル・エネルではなく(ノエミー・メルランでもなく)、アナイス・ドムースティエが受賞した。素晴らしい女優であり文句はないのだが、何かを勘ぐりたくなる。
深夜零時が近づき、あと2つの賞(最優秀監督と最優秀映画)しか残っていない大詰めにカタストロフはやってきた。最優秀監督賞の受賞者としてロマン・ポランスキーの名が場内に響き、その声と同時にアデル・エネルが席から立ち上がり、「恥辱よ!」と言い放ち、出口に向かって足早に進んでいった。このシーンはニュースメディアとSNS上で何百万回とリプレイされることになる。
その夜、猛烈な憤怒を抑えられなかった作家ヴィルジニー・デパント(本連載2015年10月号と2017年7月号で紹介した『ヴェルノン・シュビュテックス』三部作の作者)は、火を吹くような激情の非難文(160行)を一気に書き上げ、リベラシオン紙に投稿した。『これからは立ち上がり、ずらかることだ』と題されたそのトリビューンは3月1日に同紙ウェブ版に掲載され、さらに3月2日付けの印刷版に載った。その論調は暴力的で破壊的で、映画産業を牛耳る特権的超資本階級がその特権を臆面もなく見せつけるためのセレモニーだったとし、金の支配への服従と敬意の強制は、もはや制限がない。
人々が彼らに払わなければならない敬意は、今後は彼らが強姦する子供たちの血や糞で汚れた彼らのイチモツにまで及ぶものとする。沈黙と敬意を強要し、何も変わらないことが良いとする抑圧者たちはフランスで仮面を脱ぎ捨て、「黄色いチョッキ運動」や年金法反対闘争ストライキを警察権力を暴力的に行使してなりふり構わず圧殺するだけでなく、年金法を国会で「憲法49条3項」(通称”49-3”、討議投票抜きの法案可決を許す憲法条項)で強行突破する圧政者政権とパラレルであるとデパントは喝破する。これはもう女性たち対家父長性男性原理システムとの戦いではなく、被支配人民対支配者層の戦いである。そしてその中で道化を演じることをやめて、席を立って頭(こうべ)を高くして退場したアデル・エネルへの称賛。
そうよ、私たちはコナス(バカ女)よ、私たちは汚辱された者、そうよ、私たちは口をつぐんであんたたちの出すご馳走を食べていればよかった、あんたたちはボスであり、あんたたちには権力があり、それ相応の鷹揚さもある。でも私たちはもう何も言わずに座り続けるのはやめるわ。私たちはもうあんたたちをリスペクトしない。出て行くわ。あんたたちのバカ騒ぎは仲間うちだけでやっておいて。祝福し合いなさい、お互いに侮辱もしなさい、あんたたちの足元にやってくるすべての人たちを殺しなさい、強姦しなさい、搾取しなさい、クスリ漬けにしなさい! 私たちは立ち上がり、ずらかるわ。これはこれからの未来を暗示するイメージとなろう。ここには男と女の違いなどない。あるのは非抑圧者と抑圧者の違い。言論を奪いその決定を強要しようとする者たちと、立ち上がって怒りの声を上げてずらかる者たちの違い。
アデル・エネルはあのセザールの真夜中から、#MeTooのシンボルから、すべての非抑圧者の代表として立ち上がり背を向けて退場した私たちのシンボルになったのだ。
エネルはひとりではなく、あの真夜中、司会のフローランス・フォレスティも楽屋で「ムカつく(écoeurée)」とインスタグラムに書き込み、二度とセレモニーのステージに昇らずに、”ずらか”った。
翌日のニュースメディアはポランスキーの受賞を「スキャンダル」と論じるものばかりではなく、エネルとフォレスティの怒りの退場をも「スキャンダル」と報じるものもあった。そして暴力性と悪意も込められたデパントの特別寄稿もまた反響には賛否両論があった。時期を同じくして、米国ではワインスタイン裁判が始まり、栄華を誇ったワインスタイン帝国は崩壊した。これは前進するために倒すべきシンボルであり、アメリカ映画界は女性たちが性暴力のタブーと男性(資本)原理の大きな象徴を突き崩した。フランスにそのシンボルがあるとすれば、それはまさにポランスキーであり、セザール賞であるということがはっきりした。
これを書いている今日、3月8日、国際「女性権利」デー、コロナウィルス禍の脅威にもかかわらず、フランス全土で女性たち(+女性の権利を理解する男性たち)のデモが行われ、1週間前のセザール賞のショックはそのデモにも反映され、ポランスキー受賞への抗議、アデル・エネルへの支持がプラカードに見られ、シュプレヒコールで聞こえる時、私はフランスの映画にまだ未来はあると信じられるのだ。
(ラティーナ誌2020年4月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)
(↓2023年5月、極左系フェミニスト集会「パンとバラ Du pain et des roses」でスピーチするアデル・エネル)
0 件のコメント:
コメントを投稿