2015年3月23日月曜日

ゴールドマンのこども、こども、こども

レアック!と罵られましたね。
 "réac"  ー 手元のスタンダード仏和辞典では

[話]= réactionnaire

というつれない一行の説明。気を取り直して同辞典で"réactionnaire"の項を見ると
[蔑]a. (人・意見などが)反動的な。gouvernement 〜 反動的な政府。 ー n. 反動的な人。
という訳語が出ます。なるほど。わしらおよびわしらの上の世代が若い頃に使った表現でしょう。[蔑]とありますが、ある種の世代には「コラボ!」と同じくらい侮蔑的表現でしょう(「コラボ」とはコーラばかり飲んでるアメリカかぶれな坊ちゃんたちのこと。転じて対米協力者のこと ー な〜んて説明すると本気にする人たちもおりましょうね)。しかし、これは誰もが口にできる表現ではなく、自分がレアックと反対側にいる人でなければならない。つまり、保守反動の人が誰かに「反動!」と言っても、それは罵倒の表現ではなく、称賛の言葉になることだってあるわけです。この発語者は、進歩的で革新的で革命的な立場の人でなければなりません。そんな人たちが、旧時代の制度、秩序、価値にしがみつき、新しい時代の流れに逆らって、伝統を重んじよ、家父長制、徒弟制、年功序列、組織のヒエラルキー、男尊女卑...を重んじよ、という人たちに「反動!」と言うのです。進歩 vs 保守の対立構図ですね。60〜70年代には、時代の空気が社会的な進歩の側に味方してましたから、「反動!」という罵倒はそれなりに意味があったのでしょうけど、資本主義が極端なリベラル化の方向に向かい、先端テクノロジーの導入と企業戦略の斬新さと競争力と有効性こそが「進歩」になっちゃったので、労働条件や環境汚染問題を口にするわしらの方が「旧時代の価値」信奉者になっているような逆転現象もありますよね。
 「レアック réac」は「レアクショネール réactionnaire」の短縮であるように、「マニフェスタシオン manifestation」(示威運動、デモ行進)を「マニッフ manif」と短縮したあの60年代世代のノスタルジーがつまったような言葉です。21世紀人にはちっとも響かない言葉かもしれません。
 さて、前置きが長くなりました。レアック!と批判されたのは、2015年のレ・ザンフォワレのシングル "Toute La Vie"という歌で、作詞作曲はジャン=ジャック・ゴールドマンです。説明が必要でしょうねえ。レ・ザンフォワレとは、稀代の寄席芸人コリューシュ(1944-1986。2015年的な付け足しをしますと、風刺雑誌・新聞のハラキリ/シャルリー・エブドと密接な関係があった)が1985年に創設した慈善炊き出し団体「心のレストラン」を支援する有志芸人仲間のことで、彼らが無償でチャリティー・ショーをして、同団体の運営費(主に食糧仕入れ費)寄付の大キャンペーンをするという役目です。最初はコリューシュに直に縁のあったお笑い芸人や音楽アーチストの狭いサークルで、ジャン=ジャック・ゴールドマンは最初からその中核にあり、「心のレストランのテーマ」を作曲してコリューシュ、イヴ・モンタン、ミッシェル・プラティニ等とレコーディングしてシングルヒットさせました(1985年)。86年にコリューシュが他界してからは、ゴールドマンはコリューシュ未亡人ヴェロニク・コリュシ、喜劇女優のミミ・マティーと並んで「心のレストラン」のトップ世話人として立ち回っていました。
 80年代半ばに創立された頃には、コリューシュ自身考えもつかなかったと思いますが、「心のレストラン」は年々規模を拡大していき、今日、全国の「心のレストラン」センターの数は2000以上、利用者(すなわち無料で配給を受ける人たち)は90万人、期間中に配られた食事は2009年に1億食を突破しています。不況、失業、貧富差の拡大はとどまることを知らず、国の援助があるとは言え「心のレストラン」の果たす役割は非常に重大なものになっていて、その支援募金集めも一種の国家事業的な規模が必要になっています。そのシンボル的な募金キャンペーンが、レ・ザンフォワレのショーであり、そのCDとDVDの売上が「心のレストラン」の重要な財源であり、毎年一度、ヴァリエテ音楽界の有志スターたちが、個人プレイではなく集団的な演目としてさまざまなレパートリーを結合させて、ひとつのトータルなスペクタクルを発表するのです。その場にその時だけ集まって自分の持ち歌だけ歌うチャリティー・ショーとは全く異なる、時間と手間ひまをかけた大スペクタクルです。だから年に一度のテレビ放映(TF1)は毎回50%を越す視聴率をかせぎ、放映日の翌日に発売される(放送されたものと)同じ内容のCD とDVDはヒットチャートの1位になるのです。私も初めの頃のCDやDVDは持ってますけど、2000年代頃から興味がなくなりました。「心のレストラン」の活動には頭が下がるし、機会あるごとに寄付はしてますけど、レ・ザンフォワレのショーは飽きました。たぶん、私のような人は少なくないと思いますよ。たぶんジャン=ジャック・ゴールドマンはそれに気がついていたのだと思います。
 このゴールドマンの人となり、というのも説明の必要があるでしょう。ポーランド出身の父とドイツ出身の母の間に1951年パリに生まれました。父親は共産党員で第二次大戦中にフランスのレジスタンスに参加しています。極左活動家だったピエール・ゴールドマン(1944-1979。極右セクトによって暗殺された)は義理の兄です。1972年に結成されたプログレッシヴ・ロックバンドのタイ・フォン(Tai Phong。なぜか日本で評価高い)のギタリストとして参加してアルバム3枚、81年にソロアーチストとしてデビュー。ここからはフランスを代表する大ヒットアーチストになってしまうんです。ミリオンセラーに次ぐミリオンセラーで、たちまちのうちに金満家に成り上がります。だからゴールドマン。その他にジョニー・アリデイ、パトリシア・カース、セリーヌ・ディオンなどに曲を提供して、それらが全部当たるものだから、80年代と90年代はまさに恩寵の時期にあったと言えましょう。しかしこの人に特徴的なのは、テレビに出ない、マスコミに出ない、インタヴューに応じない、という控えめさです。で、これが往々にして「ゴールドマンはお高く止まっている」「傲慢である」という評価につながるのです。しかし、このことの根が、デビュー前に家族全員共にマス・メディアの曝しものになっていたピエール・ゴールドマン事件のトラウマである、ということはあまり知られていません。(これは別の機会に書きます)
 控えめでシャイな態度というのは、その後も「フレデリックス・ゴールドマン・ジョーンズ」(1990年〜1996年)というトリオでの活動にも顕われ、ソロアーチストとして絶大な人気と露出度があったが故に、それをトリオで希薄化させようとしていたようなところがあります。トリオはキャロル・フレデリックス(米ブルース・シンガーのタージ・マハールの妹。1952-2001)の不慮の死(セネガル、ダカールでのショーの直後の心臓マヒで亡くなった)の4年前には活動をやめていたし、マイケル・ジョーンズもキャロル・フレデリックスもソロに戻ったら、すぐに目立たない日陰のミュージシャンに逆戻りで、私はゴールドマンというのは友だち思いの薄いやつだと思ったものです。彼自身ソロ復帰して2枚のアルバムと2回のツアーをして、2002年を最後に、コンサート活動およびアルバム制作をやめてしまいます。
 2002年というのは大統領選挙で最有力候補と目されていた社会党リオネル・ジョスパンが、4月21日の第一次投票で、保守のシラク候補と極右FN党候補ジャン=マリー・ルペンにも破れ、第二次投票に進出できなかった(これをフランスでは「4月21日事件」と呼び、左派勢力の恥辱として後世に記憶されます)という衝撃的事件がありました。このジョスパン候補の大統領選キャンペーン曲として、ジャン=ジャック・ゴールドマンの"Ensemble"という歌が使われていたのでした。ショックだったでしょうね。
 何曲かの作曲作品を他のアーチスト(パトリック・フィオリ、ガルー、マイケル・ジョーンズ...)に提供したのを除いて、2002年からは音楽アーチストとしては隠居状態にあります。そんな中で、「心のレストラン」のレ・ザンフォワレの活動だけは1年も欠かさずに参加していて、この一座の座長的な立ち回りをしている。自ら進んで(似合わない)お笑いギャグの出し物に出ている。マンネリを打破しようとしている。そして2008年に大統領夫人になったカルラ・ブルーニをレ・ザンフォワレから除名する、という英断も下している。上で述べたように、貧富差の拡大、貧民層の急増、長引く不況で「心のレストラン」の需要は年々増加の一途で、その資金集めの最も重要な部分をゴールドマン一座が引き受けてしまっているのです。その控えめさにも関わらず、否、その控えめさがあるからこそ、ジャン=ジャック・ゴールドマンは、2013年以来、日曜全国紙JDD(ジュルナル・デュ・ディマンシュ)発表の6ヶ月に一度の人気調査「フランス人の好む有名人(La personnalité préférée des Français)」で4回連続の1位の座にあるのです。
 また息子のマイケル・ゴールドマンが設立した消費者出資参加型(クラウドファンディング)のレコードレーベルである My Major Company が企画した若いアーチストたちによるジャン=ジャック・ゴールドマン・トリビュート『ジェネラシオン・ゴールドマン(GENERATION GOLDMAN)』(Vol.1 2012年11月、Vol.2  2013年8月)は、2集合わせて百万枚を越す、驚異のヒットとなりました。
 というわけで、この静かで控えめな男は、今やピエール神父のような聖人性と、隠居して久しい大音楽アーチストの神秘性を合わせ持った「生きた伝説」となっているのです。
 
 いつかゴールドマンについては長い文章書きたいですね。もちろん会って話ができればもっといろいろな部分が見えてくるでしょうけど、本当に謎の多い人物であります。

 さて最初の話にもどります。2015年のレ・ザンフォワレの新録音のオリジナル・シングル "TOUTE LA VIE"のことです。作詞作曲がジャン=ジャック・ゴールドマン。いたってわかりやすい歌です。構成としては、すべてに絶望している若者たち(アド)の一団の不平不満・怒り・嘆きが一方にあり、それを反対側にいるレ・ザンフォワレの「大人たち」が受けて答えて諭す、という問答型です。


(アド)
閉ざされたドアと黒い雲
これが僕たちが受け継いだもの、僕たちの地平線
未来と過去で僕たちはあっぷあっぷさ
何が問題なのかあんたたちにわかるかい?
 (一座)
わからない!
(アド)
あんたたちにはすべてがあった、愛も光も
(一座)
私たちはそのために戦ったんだ、盗み取ったものなど何もない
(アド)
僕たちには嫌悪と怒りしかない
(一座)
でもきみたちにはあるんだ
きみたちにはまるまるの人生があるんだ
それはすごいチャンスなんだ
(アド)
まるまるの人生だって?
そんなものただの言葉さ、何の意味もない
(一座)
まるまるの人生
時間に値段なんかないんだ
(アド)
そんな絵空事、未来なしだ
(一座)
まるまるの人生
さあ、きみの番だ、行け
きみの番だ、行け
きみの番だ、行け

(アド)
あんたたちにはすべてがあった、平和も自由も職も
僕たちにあるのは失業と暴力とエイズ
(一座)
私たちが得たもの、それは勝ち取らなければならなかった
さあきみたちがそれをするんだ、きみたち自身が動かなければ
(アド)
あんたたちがしくじって、浪費して、汚染したんだ
(一座)
何を言っているんだ、煙を吸っているのかい?
(アド)
あんたたちが思想や理想を汚してしまったんだ
(一座)
でもきみたちにはあるんだ
きみたちにはまるまるの人生があるんだ
それはすごいチャンスなんだ
(アド)
まるまるの人生
そんなものでたらめさ、何の意味もない
(一座)
まるまるの人生
時間に値段なんかないんだ
(アド)
そんな絵空事、未来なしだ
(一座)
今日私は君たちの若さがどれほどうらやましいか
(アド)
うんざりだ、そんなものあんたの太っ腹と交換してやるよ
( 一座)
それが人生なんだ
それは慈しんだり
傷つけたりするもの
それが人生なんだ
さあ飛んで行け
飛んで行け
きみの番だ、行け
きみの番だ、行け




 私はこういう歌は本当に決まり悪くなりますよ。訳文書きながらこちらが恥ずかしくなる感じ。これを字句通りに取ったら、それは超レアックですよ。 子供たちはこんなものを聞くわけも歌うわけもない。こんなものを聞かされたら、「俺、ジハードに行くわ」と旅立ってしまう子供たちの顔の方が真実味あるでしょうに。

 2015年3月4日、この歌がレアックであるか否かの轟々の論争のさなか、15年間メディアでコメントをしたことがなかったジャン=ジャック・ゴールドマンが、民放TVカナル・プリュスの風刺報道番組「ル・プチ・ジュルナル」に登場しました。インタヴュアーは同番組のお笑いコンビのエリック&カンタン。すわなち、マジなインタヴューではなく、脚色されたシチュエーション・コメディーに仕上げたわけです。これが驚くほど、あざやか。ゴールドマン、技あり、という出来。エリックとカンタンが、ゴールドマンが何をどう説明しようが、一方的にこの歌もゴールドマンの態度もすべてレアックであると決めつけます。相手を指差してレアックと罵るあたり、とても60-70年代的です。この攻撃に対して、ゴールドマンが「レアックとは何なのか説明してくれ」と逆に問います。カンタンが「レアックとは過去の方が良かったという考え方だ」と答えます。ゴールドマンは「この歌は"過去の方が良かった”と一言も言っていない」と反駁すると、エリックが「あ、聞いたか、今"過去の方が良かった”と言ったぞ、レアックめ!」と言葉尻を取ります。
 「この歌は若い人たちにこれからは君たちが権力を握るんだと歌っている」とゴールドマンが言うと、「権力を握る、というのは全体主義者のセリフだ、全体主義者め!」と罵り、「若い人たちは何をしたっていいんだ」とゴールドマンが言うと、「それはアナーキズム思想だ、アナーキストめ!」と罵ります。エリックとカンタンは「あんたは反動主義の全体主義の無政府主義の陰謀主義のパラノイアだ!」とありとあらゆるネガティヴ主義の名前をつけてゴールドマンを非難し、「あんたのようなレアックにはお仕置き(ラ・フェッセ La fessée = お尻ペンペン)が必要だ!」と結論します。するとゴールドマン「ちょっとちょっと、ラ・フェッセというのはレアックじゃないか?」と返します。エリックとカンタン顔を見合わせ「あ、まずい、これレアックだ」と。
 この優れたコントのゴールドマンの名演技は脱帽ものです。そして番組ホストのヤン・バルテスが結びに「 このレアック論争の前、この曲はシングルチャートで117位だったのに、論争のおかげで18位まで昇った。この曲が好きだろうが嫌いだろうが、この売上は全額『心のレストラン』に収められ、それは毎冬1億3千万食を恵まれない人たちに供給しているのです」と言ってます。それでいいじゃないですか。

(↓)2015年3月4日、カナル・プリュス「プチ・ジュルナル」
Interview de Jean-Jacques Goldman pour s... par WowahosTv

2015年3月12日木曜日

鱒 ケ・ナダ

レ・フレール・ジャック『鱒のコンプレックス』
Les Frères Jacques "Le Complexe de la Truite"
(詞:フランシス・ブランシュ / 曲:フランツ・シューベルト)

  レ・フレール・ジャック(活動時期:1946-1982)は口ひげ、黒タイツと山高帽、よく動く8本の腕がリードするパントマイム、ジャック・プレヴェール、ボリズ・ヴィアン、セルジュ・ゲンズブールなどを歌う、コミカルで不条理で左岸気質なヴォーカルクアルテットでした。その重要な作品提供者のひとりにフランシス・ブランシュ(1921-1974)がいます。ラジオ放送作家、俳優、ピエール・ダック(1893-1975)との漫談コンビなど、多岐に渡って活躍したお笑い人でしたが、糖尿病のため52歳の若さで亡くなっています。フランシス・ブランシュの偉業として伝えられているものに「おふざけ電話 (canulars téléphoniques)」の創始者だということです。主にラジオ芸ですが、無名市民や有名人に電話して、声帯模写でだれかになりすまし、ナンセンスなことや相手を困らせること・怒らせること・笑わせることを言って、相手の反応をラジオ聴取者全員が楽しむ、というギャグです。例えば市役所に電話して、今すぐ結婚したいのだけど、あと1時間後に式をしてくれないか、無理なら金で解決したいので、いくら用意すればいいか、といった電話で、まじめに答えてくれたり、困って上司と悩んでくれたり、真剣に激怒したり、という反応があります。これを最終的にお笑いの方向で終らせるのが、ユーモリストの即興芸の素晴らしさです。この電話芸はフランスでは全然廃れず、現在も若向けFM(NRJ、スカイロック、Fun等)で人気があり、あるいは声帯模写芸人が有名人(とくに政治家が多い)を装って、別の有名人を罠にかけるというのもよく話題になり、時には裁判沙汰になることもあります。
 なぜこの "Canulars Téléphoniques"のことを長く説明したかと言うと、仏語ウィキペディアのこの項 "Canular Téléphonique"の欄外に、同項目の外国語ページのリンクが載っていて、その English をクリックすると "Prank Call"(おふざけコール)という説明があり、やはりフランスと同じようにラジオでのお笑い電話芸となっているのに、その日本語をクリックすると『迷惑電話』という説明で、まったくお笑いとは関係のない犯罪的迷惑行為として扱われているのです。「おふざけ電話」というお笑い芸は日本では成立せず、犯罪なのですね。冗談の通じない国というのがよくわかる一例です。それはそれ。
 そのフランシス・ブランシュが書いた673曲(正確な数字です)の歌詞のひとつで、作詞家としては代表作と言っていいのでしょう、これが『鱒のコンプレックス』 です。作曲者のところには「あるオーストリア人無名作曲家」と書いてあります。誰でも知っているフランツ・シューベルトの歌曲「鱒」です。この曲は1956年にレコード発売されましたが、ラジオ放送が禁止されました。シューベルトをパロったからではありません。フランシス・ブランシュの詞がひっかかったのです。
 1944年パリ解放と共に、対独協力のラジオ局は接収され、新しくフランス国民ラジオ放送が始まったのですが、この国営ラジオはナチ占領時代と断絶して自由な音楽や表現に電波を解放してくれると思ったら、以前とあまり変わらぬ放送検閲を続けたのでした。不安定な第四共和制(1946-1958)は、ド・ゴールの政治離脱、戦勝後の挙国一致超党派政治の早期終焉、インドシナとアルジェリアでの植民地独立戦争などで緊張が続き、政府は放送の自由を封じ込めて言論統制しなければ共和国は崩壊すると思っていたのでしょう。実際に第四共和制は12年で崩壊してしまいます。
 放送が検閲しようとするのはいつの世も同じ、過激に自由な表現、過激に反政府的な表現 、過激に風俗を紊乱する表現です。シャンソンの世界でこの検閲に最も目をつけられた歌手がジョルジュ・ブラッサンスです。レオ・フェレがそれに続きます。植民地戦争が激化し始めた頃1954年に発表されたボリズ・ヴィアンの「脱走兵」は戦後の放送禁止歌で最も有名なものです。しかし放送は禁止されても、公で歌うことが禁止されているわけではないし、レコードも発禁になっていない。ですから、左岸のシャンソン・キャバレーはそういう歌を聞くために人がどんどん入っていたし、レコードはどんどん売れていた。放送禁止はある種「よいプロモーション」になっている場合があります。
 さてヴィアンの「脱走兵」の2年後に放送禁止になったレ・フレール・ジャックの「鱒のコンプレックス」はどんな歌だったのでしょうか?

それは若い娘
寄宿女学校から出たばかり
無垢でやさしく
まだ16歳にもなっていない
彼女は俺と母親の家に来て
俺たちのために鱒を弾いてくれたんだ
シューベルトの鱒をね

ある大嵐の夜
彼女は帰れずうちに泊まっていくしかなった
あんなに若いのに
強情なところがあって
稲光に照らされながら
3時間も続けて
俺たちのために鱒を弾いたんだ
シューベルトの鱒をね

彼女に俺の部屋をあてがって
俺はサロンで寝ることにした
でも俺の理解が正しければ
それは長くは続かなかった
彼女はいち早くサロンに戻って来て
裸足のまま、窓を開けっ放しにして
俺に鱒を歌ってくれたんだ
シューベルトの鱒をね

それはそれは見事なソルフェージュ
みだらなピッツィカートを連発し
和声、トレモロ、アルペジオ
これは連弾の妄想曲
火のついた肉の棒が
今や興奮の頂点となるときに
彼女は鱒をハミングしたのさ
シューベルトの鱒をね

俺は言ったよ:ガブリエル!
俺の興奮をわかってくれよ
俺かシューベルトか
どちらかにしてくれよ
するとあからさまに
ベースケな彼女の目の色がすぐに読み取れ
彼女の願いがわかったのさ
コンサートの続きをしましょう、って

嵐の夜から6ヶ月すぎて
俺と彼女は
結婚だけが唯一の解決
という状態になったのさ
しかし結婚式では異常な雰囲気になり
市長様に結婚の誓いを立てる代わりに
彼女は市長様に鱒を歌ったんだ
シューベルトの鱒をね

彼女の異常な執着を解かせるために
俺たちはすごいことをした
ガブリエルに一切の魚を断つ
食餌療法をしたのさ
しかしある呪われた一日がやってきて
風と嵐が猛威をふるい
彼女は一匹の鱒を産み落としたのさ
そして彼女はそれをシューベルトと名付けた

という訳で俺は今ひとりで生きている
俺の屋敷の中でたったひとりで
ガブリエルは出ていき、もう気が狂ってしまった
ル・トゥーケのホテルの部屋の中で
大きな金魚鉢を見ながら何時間も座り込んでいる
その 中では一匹の魚がゆらゆら動いている
俺は俺の古くからの料理女のマルグリットに言ったんだ
もう絶対に鱒の料理は出さないでくれ
それを食べるとじんましんが出るんだって

 ま、露骨にエロい部分はありますね。活きのいい魚というのは、そういう想像をかきたてるものでしょうし、このレコードジャケットの直立する4尾の鱒というのは、直接的なメタファーですね。
 この歌詞の第一の問題は、ガブリエルという少女の年齢です。「16歳にもなっていない」と歌詞にあります。現行の刑法でも「未成年との性関係」はたとえ暴力的なものでなくてもたとえ合意のもとであっても、未成年者の年齢が15歳未満である場合「(最高で)5年の禁固刑と75000ユーロの罰金刑」(フランス刑法227-25)と規定される犯罪なのです。また未成年者の年齢が15歳以上18歳(成人年齢)未満である場合も、相手(成人者)がその関係に権力的影響を与えうる立場(義理の兄・姉、宗教者、教師、スポーツや習い事の先生...)にある場合「(最高で)2年間の禁固刑と30000ユーロの罰金刑」(フランス刑法227-27)と規定されています。現在でさえこうなのだから、今から60年前では規定はもっと厳しいものであったことは想像にかたくありません。
 この関連で思いあたるのが、ドノヴァンの「メロー・イエロー」(1966年)という当時全米チャート2位まで昇った大ヒット曲です。この歌詞の中に
I'm just mad about fourteen (僕は14に首ったけ)
Fourteen's mad about me (14は僕に首ったけ)
というのがあります。これもフランスでは当然検閲の対象になるわけですが、ドノヴァン君は、おいおい、僕はただ「14」と歌っているだけで、必ずしも「14歳の少女」というわけではないだろうに、例えばフォーティーンというあだ名だったり、XXX通りの14番地に住んでる子だったり、いろいろ考えられるでしょう、と必死に言い訳したそうです。しかし、この歌の一番の検閲対象は別にあり、歌詞の「エレクトリカル・バナナ」という部分で、 当時は「乾燥したバナナの皮を焼いて吸えば LSDと同じような幻覚効果が得られる」などと言われたもんです。しかしこの「電気仕掛けのバナナ」はそんなものではなく、もろセックス・トイなんですね。60年代にはこれは公序良俗を紊乱させるものだったんですが、21世紀に至っては、テレビのホームドラマに登場するわ、セレクトショップのショーウィンドーを飾るわ...。まあ、それはそれ。
 「鱒のコンプレックス」に戻ります。フランシス・ブランシュの歌詞は、ガブリエルという年端もいかぬ少女が、嵐の夜に肉体の悪魔に取り憑かれて、それ以来旺盛な性欲をどんどん増長させていく。その欲しいものというのは「鱒」の形をしたものなんです。少しくらい「お魚禁止令」を出してもきかなくなるんです。 「コンプレックス」という心理学用語(あるいは精神分析用語)がタイトルとして有効なのはここなのです。まさにユング著作の中の臨床例のような現象がこの少女のドラマなのです。
 で、この歌をレコードで聞いたり、レ・フレール・ジャックのショーで見たりするフランス人たちは、大笑いをするのですよ。「へへへ...」という下卑た笑いではなく、腹を抱えた大笑い。落語名人の艶笑噺みたいなもの、と思ってくださっても結構ですが、私はね、ずっとレベルが上のように思ってますよ。

(↓)レ・フレール・ジャック「鱒のコンプレックス」


(↓)フランシス・ブランシュ自身による「鱒のコンプレックス」。こちらの方がなまめかしく聞こえる。





2015年3月9日月曜日

華麗なるベルジチュード

『トーキョー・フィアンセ』
2014年ベルギー+フランス+カナダ合作映画
監督:ステファン・リベルスキ
主演:ポーリーヌ・エチエンヌ、タイチ・イノウエ、ジュリー・ル・ブルトン
フランス公開:2015年3月4日

 アメリー・ノトンブの小説『イヴでもアダムでもなく』(2007年)を映画化したものです。原作小説は爺ブログの2007年9月のここで紹介していますが、好意的には書いておりません。当然私には原作がこんなものなんだから、というよくない先入観がありました。
 映画はこんな感じです。日本で生れ、5歳の時まで関西に住んでいたというアメリーと名乗る20歳のベルギー娘(演ポーリーヌ・エチエンヌ)は、日本人になりたい(+作家になりたい)という野望を果たすために、片道チケットでブリュッセルから東京にやってきます。狭い畳のアパートに住み、布団に寝て、カップ麺で食事をとる、という生活です。日本語を学び、いつかはちゃんとした職について、と思っているのですが、そのツナギで「フランス語個人レッスンします」の張紙をスーパーの告知版に張り出したところ、ひっかかってきたのがリンリと名乗る仏文科学生(&大金持ちの御曹司)(演タイチ・イノウエ)でした。白塗りのメルセデス・ベンツを乗り回し、万札でレッスン料を払い、壁一面にヤクザ映画のDVDコレクションがあり、ことあるごとに「エクスキュゼ・モワ」「すみません」と謝罪する学生さんは、原作小説では"singulier"(サンギュリエ:奇妙な)という形容詞で語られていましたが、この映画の中ではこの学生さんだけでなく、すべての日本人がみなサンギュリエのように見えます。
 これが映画のトーンです。奇妙なる国、日本をお見せします、という視点があります。まあ、悪意はありませんけど。ナイトスポットでの女形日舞ショーや、シロップ浸けのストリップ。山手線線路に向かって詩吟を練習する着物老人(アメリー「なぜ電車に向かって?」/リンリ「騒音迷惑をかけないためだ」)、公園でアイドル系のダンスを練習する男子たち、エアーギターを大道芸にする若者、「淑女たるもの夏でもパンストは必須」とアメリーをたしなめるリンリの母...。しかしこの映画で見せる驚きの日本の最良の例は、河川敷に集まってくるデコトラの群れで、横一列に並ばせたデコトラにクラクション合奏させる(指揮棒を振る)アメリーのはしゃぎ方は感動的なものです。逆にあまり感心しない例は、佐渡島の旅館の夕食に出て来る「活きダコの踊り食い」で、活きダコの足がくるりとアメリーの舌をしばってしまいます(ま、もしもこの映画が日本で上映されたら、これは日本の食習慣ではない、と目くじらたてて抗議するムキも出てきましょうね)。
 この西欧人には奇妙に「エキゾチック」に見える日本を軽くカリカチュア化するやり方というのは、あれあれ?どこかで見たことがあるなぁ、と思っていました。わかりました。それはフランス人がベルギー人を見ている視点なのです。フランスの北隣りにあるこの小さな王国の住人を、フランス人は隣人として尊重しながらも、不思議で奇妙な人々のように見ている。 フランス人会食の食後ディジェスティフに欠かせない「ブラーグ・ベルジュ」(ベルギー・ジョーク。1980年代にコリューシュによって大衆化されたと言われる)では、単純で素朴で普通では考えられない発想をするベルギー人が描かれ、食卓満場の大笑いを呼んでいます。例えばこんな具合:
ベルギー人はどうして寝る前にナイトテーブルに水の入ったコップと水の入ってないコップをひとつずつ置くの?
ー  ひとつは夜中に喉が渇いたとき用に、もうひとつは喉が渇かなかったとき用に。
この映画はフランス人がベルギー人を茶化して「ブラーグ・ベルジュ」を語るように、ベルギー人が日本人を茶化して「ブラーグ・ジャポネーズ」を展開しているようなところがあります。軽かろうが、カルチャー・ショックであり、別の小説(と映画)でアメリー・ノトンブは文化障壁(と妄想しているもの)の理由でボロボロになるまで痛めつけられるのです(『畏れ慄いて』小説1999年、映画2003年)。
 ところが逆に日本人はベルギーというものを何一つわかっちゃいない。フランスに関してはファッションや美食やパリや南仏やで、日本人は大変興味があるのですが、同じフランス語を話すベルギーに関しては何も知りません。そこで、この映画はベルギー度(ベルジチュード)をぐぐぐ〜っと強調するのです。この映画で登場するイヤ〜なタイプのフランス娘ヤスミーヌ(演アリス・ド・ランクサン)が初対面の時にアメリーがラ・ビーズをしようとすると、 顔を遠ざけて「あんたベルギー人?」と問います。アメリーはそれに答えて「そうよ、そんなに臭い?」と問い返します。
 こういうベルギー人のベルギー人による "auto-dérision"(オート・デリジオン:自己愚弄、自嘲)は、アメリー・ノトンブの小説の中にはないのです。ノトンブはベルジチュードの作家ではない。どちらかと言うと旧大陸の文化的伝統をそのまま全肯定的に背負うことをよしとする(家柄の良さでしょうけど)硬派保守のアティチュードであり、人の言う(多くの場合はフランス人の言う)ベルギー性・ベルギー気質・ベルギー的なるものは、その小説にあまり出てきません。ところがこの映画は、ベルジチュードおよび非フランス性というのがどんどん出て来る。リンリとの初めての恋の夜が明けた翌朝、アメリーはひとりの架空カラオケで、1986年ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト優勝曲(もちろんベルギー代表曲で、後にも先にもこれがたった一度の優勝曲)"J'AIME J'AIME LA VIE"(”私は人生が大好き”唄サンドラ・キム、当時15歳)を "J'AIME J'AIME LE JAPON"("私は日本が大好き”)と替え歌にしてサンドラ・キムの振りをそのまま真似して歌うのです。これはベルギー人以外誰にもわからないギャグだと思いますよ。
 あとリンリが加入しているという秘密結社(なんのことはない一種の「フランス愛好会」)のメンバーを集めての食事会(和食。シェフはリンリ)で、十数人の黙して語らぬ男たち(フランス語ができるのに、という設定です)を前にして、アメリーはベルギー・ビールの自慢を滔々と語り始め、その成り立ち、発酵方法、その膨大な種類、そのたしなみ方、最適の温度などを大演説します。その間に男たちは料理をおいしそうに平らげ、アメリーは何も食べられないというおそまつ。ここでアメリーは男たちを楽しませる話芸は「芸者」のアートに等しい、と、ひとつまたベルジチュードと日本文化の接近を感じてしまうおめでたさ。
 こういうベルジチュードだけでなく、この映画にはアメリー・ノトンブの小説にはなかったものがあるのです。これは決定的な違いです。それはセックスなのです。ノトンブの小説には絶対に現れないものなのです。それがこの映画ではいとも簡単に...。アメリー(演ポーリーヌ・エチエンヌ)は可愛く、若さに満ちあふれ、女性としての魅力にもあふれ、そしてセックスアピールがあり、その若いボディーは露出されることをよしとして、肉体的に積極的に恋人リンリと交わっていくのです。ノトンブの小説に親しい人たちは、ここで、この「アメリー=ポーリーヌ・エチエンヌ」はノトンブではない、とはっきりと知らされるはずです。 この映画の最大の魅力はここなのです。ノトンブの背後霊から解放された「アメリー」の一人歩きです。
 しかし、大筋のところは、ノトンブの原作に従わざるとえないので、映画はアメリー=ポーリーヌ・エチエンヌの溢れる魅力にも関わらず、深い心の奥底からの交流・交感のないリンリとの関係の不可解さに留まってしまいます。執拗に求婚ばかりせまるリンリに、アメリーはその場しのぎのために "Fiançailles"(フィアンサイユ=婚約)という仮の儀礼を提案します。なぜなら、最初からアメリーはこの男との結婚はあり得ないという判断があり、原作にあるように「日本人の "恋”は amour ではなく goût(=好み、好き嫌い)である」という断定があるからなのです。ベルギー人(ひいては西欧人)と日本人の愛し合うことの「レベルの違い」みたいなものです。(日本男性も日本女性もここで黙っていてはいけませんよ)。
 婚約はした。いつ結婚できるのか。リンリ(この映画の中のリンリは小説の中のリンリよりもずっといい奴です)はクレシェンド的に結婚を迫っていきますが、アメリーはかのユミモト商事(映画ではしっかり"住友商事”のビルディングが出て来る)での仕事が始まり、心身すり減らしています(小説『畏れ慄いて』の世界です)。ボロボロです。リンリは「僕と結婚すればすべては解決するじゃないか」と言います。私もそう思いますよ。
 映画は小説と全く違ったカタストロフによる収拾を採択します。それは東日本大震災なのです。福島第一原発の放射能脅威が東京にまで迫って来る(フランス、ベルギーを初め西欧諸国の状況判断は確かにこうでした)。今すぐ東京を脱出しなければならない。リンリはアメリーにベルギー帰国の航空券を買って与え、泣く泣く二人は別れることになるのです。その際、まさに作家アメリー・ノトンブ的付けたしで、アメリーのアパートに隣人たちが、東京を去るアメリーにあいさつに来て、あなたは日本をこんなに愛しているのに、こういう事態(原発事故)であなたを日本から去らせることになった日本の不祥事を日本国に代わって詫びるのです(!!!)。私、この部分がなければ、この映画、誉めてやってもいいと思ったんですけど、やめます。最後の最後で、まったく....。

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)『トーキョー・フィアンセ』予告編


2015年3月5日木曜日

われわれはシャルリーである



60 écrivains unis pour la liberté d'expression "NOUS SOMMES CHARLIE"
表現の自由のために結集した60人の著述家たちによる『われわれはシャルリーである』

(著者・出版社の承諾なしに、掲載寄稿の二つを全文日本語訳しました)


パトリック・ポワーヴル・ダルヴォール
シャルリーと不幸の預言者たち

ジャーナリストたちを殺すことは、言うまでもなく自由を殺すことである。しかしカラシニコフ銃の代わりに色鉛筆を持ったこれらの風刺画家たちは十分に無邪気だったし、実生活においてはとても優しかった。彼らの絵は常に私を笑わせていたわけではない。彼らは、自分の友人たちや、それ自体人々から好かれている数々の象徴を敵に回して非難した。たいしたもんだ! 年端のいかない子たちには都合の悪い彼らのきわどかったり露骨だったりする冗談や、好色な妄想によって、彼らはわれわれのフランスの風景の一部だった。それらはありのままの状態で捉えられなければならなかったし、われわれもまたありのままのわれわれを捉えなければならない。逆説に満ちていようが、それこそフランス的だ。それだからこそ私は私の国が好きだ。人々が傷つければ傷つけるほど、人々はそれをどんどん成長させ、国はもとに戻る。それまで6万部しか刷られていなかったのに、何の奇跡か(イエス、マホメット?)1週間後にそれが100倍になるとは、なんという美しい死後の贈り物か。これこそがパンの奇跡の増幅である。友たちよ、安らかに眠れ。不幸の預言者たちはまだわれわれを殺す準備ができていない。



ジャン=ルイ・フルニエ
人はあらゆることを笑うことができるか?
できる。ただし防弾チョッキをつけて。

 人はシャルリー・エブドを評価しないという権利があるし、そのユーモアが卑猥で糞尿がらみで下劣であると見る権利がある。たしかにしばしばそれは下劣である。
 その漫画家たちはみんながレゼールほどの力量があったわけではない。 
 しかし、この作者が行き過ぎだったということは、決して決して咎めてはいけない。ユーモア作家というのはいつでも行き過ぎるものであり、風刺画作者と同じように、過度に誇張するものだ。彼はからかい、邪悪な心があり、何ものも尊重せず、限度を超えて、それを嗤う、それを告発するために。
 挑発することを挑発者たちに咎めてはいけない。
 ユーモア作家は社会にとってなくてはならないものだ。 それは貴重な批判精神を保持するものであり、権力を持つ者たちの人生をややこしくさせ、彼らが何でも好き勝手にすることを妨げるものである。
 独裁制の下にユーモア作家は存在しない。独裁者たちはユーモア作家を怖がっていて、彼らは滑稽なるものが殺傷能力があることを知っている。見てごらんなさい、怒鳴り散らすヒットラーを、威丈高なムッソリーニを。彼らは人を笑わせるためにギャグマンを必要としなかった。なぜなら彼らは立っているだけでギャグなのだ。
 1月11日、日曜日、レピュブリック広場、衝撃的で感動的な人間性の集まり。
 今日、私はその人たちのひとりであることを誇りに思うし、今日、私は私に似た人たちに似ていることを恥だとは思わない。 そして私は自由が神聖なるものである国に生きているという幸運をありがたく思う。
 いつだったか、ひとりの男がいて、私は彼が外国人だったと思うが、彼がこう言ったのだ「ひとりひとり、お互いを愛し合いなさい」と。
 それは全然バカげたことを言ったのではないのだ....。


60 écrivains unis pour la liberté d'expression "NOUS SOMMES CHARLIE"
LIVRE DE POCHE刊 2015年2月 165ページ 5ユーロ