2015年3月5日木曜日

われわれはシャルリーである



60 écrivains unis pour la liberté d'expression "NOUS SOMMES CHARLIE"
表現の自由のために結集した60人の著述家たちによる『われわれはシャルリーである』

(著者・出版社の承諾なしに、掲載寄稿の二つを全文日本語訳しました)


パトリック・ポワーヴル・ダルヴォール
シャルリーと不幸の預言者たち

ジャーナリストたちを殺すことは、言うまでもなく自由を殺すことである。しかしカラシニコフ銃の代わりに色鉛筆を持ったこれらの風刺画家たちは十分に無邪気だったし、実生活においてはとても優しかった。彼らの絵は常に私を笑わせていたわけではない。彼らは、自分の友人たちや、それ自体人々から好かれている数々の象徴を敵に回して非難した。たいしたもんだ! 年端のいかない子たちには都合の悪い彼らのきわどかったり露骨だったりする冗談や、好色な妄想によって、彼らはわれわれのフランスの風景の一部だった。それらはありのままの状態で捉えられなければならなかったし、われわれもまたありのままのわれわれを捉えなければならない。逆説に満ちていようが、それこそフランス的だ。それだからこそ私は私の国が好きだ。人々が傷つければ傷つけるほど、人々はそれをどんどん成長させ、国はもとに戻る。それまで6万部しか刷られていなかったのに、何の奇跡か(イエス、マホメット?)1週間後にそれが100倍になるとは、なんという美しい死後の贈り物か。これこそがパンの奇跡の増幅である。友たちよ、安らかに眠れ。不幸の預言者たちはまだわれわれを殺す準備ができていない。



ジャン=ルイ・フルニエ
人はあらゆることを笑うことができるか?
できる。ただし防弾チョッキをつけて。

 人はシャルリー・エブドを評価しないという権利があるし、そのユーモアが卑猥で糞尿がらみで下劣であると見る権利がある。たしかにしばしばそれは下劣である。
 その漫画家たちはみんながレゼールほどの力量があったわけではない。 
 しかし、この作者が行き過ぎだったということは、決して決して咎めてはいけない。ユーモア作家というのはいつでも行き過ぎるものであり、風刺画作者と同じように、過度に誇張するものだ。彼はからかい、邪悪な心があり、何ものも尊重せず、限度を超えて、それを嗤う、それを告発するために。
 挑発することを挑発者たちに咎めてはいけない。
 ユーモア作家は社会にとってなくてはならないものだ。 それは貴重な批判精神を保持するものであり、権力を持つ者たちの人生をややこしくさせ、彼らが何でも好き勝手にすることを妨げるものである。
 独裁制の下にユーモア作家は存在しない。独裁者たちはユーモア作家を怖がっていて、彼らは滑稽なるものが殺傷能力があることを知っている。見てごらんなさい、怒鳴り散らすヒットラーを、威丈高なムッソリーニを。彼らは人を笑わせるためにギャグマンを必要としなかった。なぜなら彼らは立っているだけでギャグなのだ。
 1月11日、日曜日、レピュブリック広場、衝撃的で感動的な人間性の集まり。
 今日、私はその人たちのひとりであることを誇りに思うし、今日、私は私に似た人たちに似ていることを恥だとは思わない。 そして私は自由が神聖なるものである国に生きているという幸運をありがたく思う。
 いつだったか、ひとりの男がいて、私は彼が外国人だったと思うが、彼がこう言ったのだ「ひとりひとり、お互いを愛し合いなさい」と。
 それは全然バカげたことを言ったのではないのだ....。


60 écrivains unis pour la liberté d'expression "NOUS SOMMES CHARLIE"
LIVRE DE POCHE刊 2015年2月 165ページ 5ユーロ

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