2007年9月1日土曜日

セシル・カストールの作品



 フランス語でも日本語でも娘(13歳)がちゃんとした文章を書けないということを私はずっと気にしていました。書けないということは自分の中に何も書くことがないということなのか。友だちへの手紙でも、学校の作文でも、どうやって書いていいのかわからない、というのがそれまでの娘で、しかたなく私は手伝ったりヒントを与えたりして、なんとか自分で書くということの糸口を見つけてやろうとしていました。この夏の終わり、やっと本を読む喜びを少し覚えたらしく、今読んでいる本(ハリー・ポッターの少女篇のような、魔女見習いの少女のラヴストーリー)が面白いと盛んに言うので、「そういうストーリーって自分で考えられない? 自分で自由に物語を作ってみれば?」と勧めたら、2日かかって短い3頁くらいの創作ストーリーを手書きで書き上げました。
 私は娘を祝福し、今度はこのストーリーをもっとふくらませて書こうね、と「ロングヴァージョン」をお願いしています。30秒フィルムから2分フィルムぐらいにするように、シナリオに細部の出来事を足して行こうね、と。
 親ばかと言われてもかまいません。私はここに娘の初めての創作作品を公開します。そしてそれが数日後、数週間後にどれだけシナリオとして肉付けされるかも公開したいと思います。これは娘セシル・カストールのプロトタイプ作品です。原文はフランス語です。日本語訳は私がしました。

 『リラのヴァカンス』 − 文:セシル・カストール

 その日、私がコロニー(ヴァカンスの集団旅行)に行くということを母は寂しがった。そして父も。でも私はそこに行かなければならないかのようにその申込みをしたのだ。引率者がアルファベット順に子供たちの名前を呼んだ。私の名前が呼ばれ、私はバスに乗り込んだが、その前に私の父母と妹に別れのあいさつをした。バスの中でひとりの少女が私に手で、自分の隣においでと合図をした。バスでの道中、私たちは知り合いになった。
 私たちのキャンプ地に着いて、カミーユという名のその友だちはシャレーの寝室で同室になった。そして同じ部屋にジュリー、アニー、アナイス、ジョアンナという子たちがいた。部屋の中には二つのシングルベッドと二つの二段ベッドがあった。
 「私が端っこのベッドを取ってもいい?」とジュリーが私に聞いた。
 「別にいいわよ。でもそこにいる子は誰?」と私は少女たちに聞いた。
 「あれはニーナよ。でもあの子はちょっといやな子なの。私たちにとってはね」とジョアンナが言った。
 私たちの引率員はセリーヌという名前で私たちは「セセ」とあだ名していたが、彼女は私たちに食堂で夕食を取るように告げた。私はそこで可愛い男の子を見つけ、アニーにその子の名前を聞いたら、ジョスランという名前よ、と答えた。ジョスランは私たちのテーブルの女の子たちを知っているから、女の子たちに寄ってあいさつをし、そして私にもボンジュールを言った。ジョスランは私の目をまっすぐに見つめた。それは私にとって雷の一撃のようだった。そしてそれは彼にとっても同じであってほしい、と私は思った。
 次の日、私たちはジョスランの部屋の子たちと一緒にフットボールをした。その午後はみんなで浜辺に行った。ジョアンナとアニーが海に行っている間、私たちは日光浴をしていた。
 ジョスランとその友だちが私たちに寄ってきて、ビーチヴァレーをしないかと誘ってきた。もちろんチームは男女混合で、私はジョスランのチームに入った。やった!私たちのチームが勝った。そして私は坐って休もうとその場を離れたら、ジョスランがもう一回試合をしようと私に言った。もちろん私は断らなかった。
 数週間して、自由時間にセセが私たちに手紙を配っていた。その時ニーナがやってきた。「何が欲しいの?」と意地悪にアナイスが言った。すると彼女は「私の両親に手紙を書きたいから、誰か紙をわけてくれない?」と言った。アナイスは「残念だけど誰も持ち合わせていないわ」と言った。アナイスは「ニーナは何か違うことをたくらんでいるのよ」と小声で私に言った。
 その夜はダンスパーティー(ラ・ブーム)、ジョスランはそれまで何も私に聞かなかったのに、噂をすれば影、彼は私の方に向かってきて「僕とダンスしてくれない?」と聞いた。私は「OKよ、素敵だわ」とジョスランに言った。
 次の日は出発の日だった。私は身の回り品をトランクに詰めていたら、ジョスランが近づいてきた。そして帰りのバスの中で隣の席に坐ってもいいかい?と聞いた。私はもちろんOKよと言った。
 引率員が全員の名前をアルファベット順に呼んで、私はバスに乗り込みジョスランの隣に坐った。
 バスが着き、辺りを見たら父がいないのに気がついた。バスを降りる前、私はジョスランの顔をじっと見つめた。そしてバスを降りて母と妹のところへ駈けて行った。「お母さん、お父さんはどこにいるの?」すると母は「お父さんは仕事の遅れでまだ事務所にいるのよ」と言った。私たちは家に向かって歩きだした。とても悲しくて、同時にとても満足だった。

- Fin -

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

僕は日本の13歳の少年たちの言語能力に日々接していますが、遜色ないです。感情と描写が細やかで良いと思います。「とても悲しくて、同時にとても満足だった」なんて、昨今の日本の少女には書けないんじゃないかしらん。多分「なんかヤバイ」ですますと思われます。

匿名 さんのコメント...

「それは私にとって雷の一撃のようだった。そしてそれは彼にとっても同じであってほしい、と私は思った。」
ドキドキしますね。よく書いたなぁ。
本当に表現力が素晴らしい。
次回のちょっと長編楽しみにしています。

Pere Castor さんのコメント...

 かっち。さん、さなえもん、コメントありがとうございます。
 原文はフランス語なので、こんなにすべすべしていないのです。動詞の現在、複合過去、半過去、単純過去がめちゃくちゃに並んでいるのですが、それは日本語にするとあまりアラが出ないのです。綴り間違いもたくさんありました。それでも大筋が通っていたので、良しとしました。日本語訳は出来すぎなので、3割くらいは減点して見てやってください。
 ヤマは「ジョスラン」との出会いとダンスパーティーの部分なので、もっと会話を増やしたり、「リラ」の心がどんなだったかをもうちょっと書いてみてね、と宿題しています。
 それから意地悪な少女「ニーナ」の介在というのも気になるところで、この子の物語の中の役割をもうちょっと展開してみてね、ともお願いしています。
 さなえもん、例の箇所の原文は "Et Josselin m'a regarde droit dans les yeux, et c'etait le coup de foudre pour moi, et pour lui aussi j'esperais"(アクサン抜きで転写しました)です。

 盛んに直しの作業をしているようです。学校が始まる前に第二ヴァージョンが出来てくれればよいのですが。
 

Pere Castor さんのコメント...

 今朝から娘の新学期が始まりました。「ロングヴァージョン」はどうなってるの?と今朝の登校時のクルマの中で聞いたら,名前をいっぱい変えたのでややこしくなった,と言ってました。はたしてどうなることやら...。
 娘がやっているブログのアドレスを今日初めて教えてもらいました。ほとんど写真だけが貼付けてあるものですが,それなりに「日々の記録」になっているのでした。ずっと見ていったら.... ジョスランの写真がありました! ジョスランは実在の人物だったのでした。ああ...。絶句。とても複雑な気持ちです。娘はクリスチーヌ・アンゴのような「オート・フィクション」を書いていたのでした。むむむ....。

匿名 さんのコメント...

やっぱり! 問題の箇所の仏訳には「そうだと思う avoir peur que 」訳者の気分と予感が反映されていると思っていました。僕なら「私は彼に一目惚れしたし、彼も私に一目惚れしたと思った」とします。