2018年2月15日木曜日

I saw the light

"L'Apparition"
『顕現』

2017年制作フランス映画
監督:グザヴィエ・ジャノリ
主演:ヴァンサン・ランドン、ガラテア・ベルージ
フランス公開:2018年2月14日

 画の始まりは戦争です。フランスの大手日刊紙ウェスト・フランスの特派戦場リポーターのジャック(演ヴァンサン・ランドン)は、かの戦場(特定されてませんがシリア)で相棒のカメラマンを失い、自分も耳を負傷してフランスに戻ってきます。友の死と戦場のトラウマから抜けられずに、自宅の窓を全て段ボール紙で覆い、家族とも他人とも交わることができません。そんなボロボロの状態の時に、バチカン法王庁から仕事の依頼が来ます。
 南東フランス、アルプス地方の小さな村で、当時16歳の孤児の修道女アンナ(演ガラテア・ベルージ)が山中で聖母マリアの顕現を体験し、その告白を受けた村の教会の司祭ボロディン(演パトリック・ダサンサオ)がそれを信じてアンナを聖母と交信したメッセンジャーとして奉り、その噂は急速に世界のカトリック信者に広がり、今やおびただしい数の巡礼者たちがアンナを一目見ようと世界からこの村の教会に押し寄せるようになりました。その現象の異常な拡大にカトリック本山のバチカンも黙っていられず、バチカンからの調査協力を拒見続けるボロディン(反権威主義的な田舎司祭という位置づけ)の元に正式な教理典範調査団(この「奇跡」を法王庁として認可するか否かの調査団)を送りつけます。キリスト法学者や心理学者など5人からなるバチカン調査団の一員として、ジャーナリストのジャックも依頼されたのです。「俺はこの分野とは何の関係もない」と最初は断るのですが、関係ないから客観的でジャーナリスティック(証拠がない事実は認めないというプロの視点)な方法での調査が可能であるというバチカン側の見方。つまりバチカンは常にこのような「奇跡」には懐疑的であり、ほとんどの場合否定し「異端化」するのが慣例。なぜジャックがこの仕事を受けたか、という答えはないんですが、この映画の傾向として「ミステリー解き」が大きな流れで、最初の戦争との符合というのも最後にわかるんです。なぜこれとこれが繋がるのか? ー というのにハッと気づく時、偶然ではなく必然だと思うと、そこに神の手の介在を思ったりするじゃないですか。無宗教者にとっての宗教のちょっとしたきっかけでしょうに。まあ、それはそれ。
 山の村に来てみたらびっくり。何台ものバスが外国人巡礼者たちを連れてやってきて、村の広場や「顕現」目撃現場の野にはすでにアンナが見たとされる白装束&青いベールのマリア像が建立され、周りで巡礼者たちや奇跡にすがろうとする病人や障害者たちが讃美歌を歌ったり祈りを捧げたり...。観光名所化して、お土産屋にはアンナの肖像絵ハガキ、ロウソク、マグカップ、スノーグローブなど様々な「アンナ・グッズ」が売られているのです。そういう巡礼者たちの群れを割って司祭ボロディンと今や18歳になったアンナが教会への道を進むと、ハレルヤの声、アヴェ・マリアの合唱、アンナに近づき祝福の言葉をいただこう、アンナに触れようという人たちが蟻んこのように寄ってきます。アンナはと言えば、聖女の装いではなく、見習い修道女という身分で尼僧着やヴェールをかぶることもなく、質素な灰色のスウェットパーカー+ウールのカーディガンを着ています。しかしその顔、その物腰は...。
 映画はこのガラテア・ベルージという若い女優の素晴らしさに多くを負っていると思いますよ。キリッと上がった眉、見据えたら動かない大きな目、 幼さと狂気を秘めた顔立ち、何事にも動じず全てに答えを持っているような語り方...。「私は嘘つきではない」と言う時、こちらはそれを信じるしかないではないか。調査団は心理医学の検査も行うのだが、反応は全て正常で、アンナの発言に虚偽の可能性は少ない。しかし...。
 身元不明(sous X)の新生児として収容され、施設と受け入れ家庭と転々として育ち、学校も特別な問題はないが目立たない子だった。賞罰なし。フランソワはそういうアンナの境遇上にあるはずの何か隠されたものを追っていきます。学校と施設での交友関係をしらみつぶしに一人一人当たっていく、という地味な探偵捜査活動です。
 他の調査団は目の前にある証拠品から崩していくのが手っ取り早いと、アンヌがマリア顕現の時に拾ったとされる「聖遺物」である、古い血痕のついた布切れ(これをボロディン司祭はガラスの容器に納め、聖骸布のように奉って教会の宝物にしている)を、化学分析にかけるのです。この時、バチカンからフランスの裁判所を通じて、フランスの警察が強制執行で教会に入り込み、抗議する信者たちをなぎ倒して暴力的にこの聖遺物を押収するシーンがあり、かなりショッキングです。この聖遺物を守ろうとした者たちの先頭にアンナもいたのです。聖女的な立ち振る舞いです、が...。
 科学分析の末、その聖遺物が全くの偽物であったとわかった時点で、もうこの顕現奇跡の話は全部ウソという結論で調査は終わるはずでした。少なくともフランソワを除く調査団員たちはこれ以上何もすることがないと...。
 しかし、フランソワの執拗な探索は、アンナの特殊な交友関係やある殺人事件との関わりなど複雑な要因に次々にぶち当たり、アンナが守り通そうとしている秘密に近づいていきます。一方アンナは聖母顕現の真実が危うくなることの重さ、そして守るべき最重要の秘密の重さに食事ができなくなり衰弱していきます。「俺は真実しか知りたくない」とフランソワは言います。フランソワの真実とは顕現が本当か嘘かということだけでなく、その事件に関わる全てのことの真実なのです。なぜここまで懐疑的で執拗なのかは、映画最初の戦争トラウマがおおいに原因していて、戦争によって壊された何かが取り戻せないからなのです。アンナはフランソワに言います。
Il y a trop de colère en vous pour accepter ce que j'ai vu.
あなたの中には怒りが多すぎて私が見たものを認めるわけにはいかないのです。
  フランソワもそこから抜け出そうとしているのです。アンナはその手がかりである、ということにフランソワは気づいていきます。そしてその兆しとして、この映画は(あくまでも奇跡としてではなく)フランソワに襲ってきた(戦争で傷つけられた)耳の激痛に、アンナが手をその耳に触れ、フランソワの頭部を胸に抱き寄せることによって痛みを止めてしまうのです。やはり奇跡なのかもしれません。
 アンナが最後まで隠そうとしていた、施設時代の唯一無二の親友メリエム(演アリシア・アヴァ)のことが、フランソワに突き止められそうになり、アンナによる顕現体験が偽りであったことが確定的になったとき、アンナは嵐の山中で苦しみの果てに殉教者のように命を落とします。フランソワは、ヨルダンでNGOの一員として難民支援活動をしているメリエム(結婚して一児あり)のもとに赴き、アンナの事件の顛末を報告し、そこで新しい事実を知るのです。すなわち、顕現の奇跡は本当にあり、聖女となるべき少女は本当にいたということを...。

 アンナを短時間に世界的に知らしめたのはインターネットです。21世紀が舞台ですから、こういうネット上での世界同時中継や、アンナ・グッズの販売や、イカサマにしか見えないことも映画は見せます。ハイテクを使ってアメリカやオーストラリアにまでアンナを「プロモーション」しようとする米人聖職者アントン(演アナトール・トーブマン)という奇妙な人物も登場します。「バチカンが信じなくても、世界の何百万という信者がそれを信じれば、それはキリスト教的真実になる」とアントンは言います。確かに。
 アンナを信じそうになる瞬間は、フランソワにも映画を観る者にも確実に訪れます。観る者のエモーションは、殉教者のように息絶えるアンナで最高に高鳴るはずです。たとえ真実はそこになくても。こういう映画ですから、救済がなければいけません。そういう点では、フランソワは戦争で壊された自分をやっと治癒することができる結末であり、聖なるものもこの目で見てしまうような稀有な体験者として人間界に戻るんでしょう、多分。
 アンナとメリエムの関係については、もっと映像も時間もあってもいいと思いましたし、ここが最もミスティック、という点がぼかされているのがやや不満。しかし、不器用に迷う生身無骨者をやらせたらヴァンサン・ランドンに勝てる者はないですね。すごい俳優です。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『顕現(l'Apparition)』予告編


  
 

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