2017年1月25日水曜日

ノスタル爺の生活と意見

Compilation "BLEU BLANC SCHNOCK"
V/A 『ブルー・ブラン・シュノック』

 シュノック Schnockとは俗語・町言葉で「年寄り」のこと。フランスでノスタルジーオタクたちにカルト的な人気を誇る季刊誌「シュノック」というのがあります。 副題に曰く「27歳から87歳までの年寄りのためのレヴュー誌」。主に60-70-80年代の文化(テレビ・映画・音楽・政治...)を細部にわたってオタッキーに回想する雑誌です。このエスプリから誕生したラジオ番組が毎週土曜日18時から1時間、題して「ブルー・ブラン・シュノック」(キャスター:アリステール&マチュー・アルテルマン=右写真)、35年の歴史ある頑固なロックFMステーション OUI FM(ウイ・エフエム)の電波を使って全国放送されています。
 私たちはこれまでNOSTAGIE FMに代表されるような、耳にタコができるほどのエヴァー・グリーン・オールディーズばかりを繰り返す懐メロFMの人気の高さを知っています。人間は歳とるものですから、いつしか若い音楽についていけなくなります。新しい音楽を求めなくなります。30代・40代・50代・60代・70代、それぞれの世代はその年齢層に合致したスタンダード・ヒットを好み、容易に懐古趣味に浸れます。だからそれらのFM局は、その過去の時代時代のトップヒットや長い年月生き残っているスタンダード・ヒットさえオンエアしていればいいのです。何年経ったって同じようなプレイリストです。
 しかしインターネットの普及によってシングル盤オタクたちの秘められた世界もYouTubeなどでどんどん公開されていき、人々のノスタルジーは通り一遍のスタンダードだけで済まなくなってきました。このオタクサイトの老舗が、2000年創設のウェブラジオの”BIDE & MUSIQUE"です。"Bide"とは失敗作の意味ですが、商業的に全くヒットしなかったレコードの珍品・逸品を取り上げて、再び笑いものにしたり、逆に再評価したりということでオタッキーな快楽を多くの人々と共有しようというものです。
 「ブルー・ブラン・シュノック」はそういう流れの、知られざる珍品・逸品レコードを大衆的FMステーションでオンエアするというやや冒険的な番組です。そのスペシャリストとして2人のキャスターが、その曲に関する情報やそれにまつわるエピソードなどを語ってくれます。取り上げる音楽は年代的に限定されていて、とりわけ70年代で、80年代は85年をリミットとして、それ以降は除外しています。68年の5月革命がもたらした意識革命が音楽を変えてしまった時期から、81年のFM電波解放であらゆる音楽が大衆化され、メジャーレコード会社の音楽にFMが占領されてしまった時期まで、と解釈することもできます。70年代は、先鋭的な音楽はあっても、AMラジオ(RTL, EUROPE NUMERO 1, RMC、そして国営ラジオ)で限られた音楽番組で流される音楽は自ずとリミットがあり、音楽ファンはレコードを買うしかなかった。シングルレコード全盛期というのはこの70年代だったはずです。その時代にヒットしなかったレコードなど幾十万とあったことでしょう。この埋もれた失敗作の中から宝物を見つけるのが、コレクターたちの喜びだったのですが、ジャズやロックの世界と違い、コレクター界では「ヴァリエテ・フランセーズ」は肩身の狭い、貶められた分野だったのです。
 「ブルー・ブラン」とフランス国旗の3色のうちの2つを頭に持ってきているということは、フランス大衆音楽限定ということを意味します。OUI FMのような頑固はロックFM
はそれまで「ヴァリエテ・フランセーズ」を侮蔑する態度がありました。その環境の中で、この「ブルー・ブラン・シュノック」は、ロックリスナーにもクオリティーが伝わるようなヴァリエテの珍品を発掘するという使命も負わされていたと思います。シングル盤オタク的な面もないことはないけれど、過激すぎることはない。クオリティー再発見の面白さが優先するような中庸さがうまいところです。
 さて「ブルー・ブラン・シュノック」の最初のコンピレーションです。選曲はヴァラエティーに富んでいます。ライナーノーツにこう書かれています。
ここでも当然"クラシックス”が入っている。僕たちも古き良きヒット曲が好きなんだから。例えばコミカルなルノー("Viens chez moi j'habite chez une copine")、テクノ前期のプラスチック・ベルトラン("Tout petit la planète")、ディスコ風なリオ("Sage comme une image")。だけどそれだけじゃなく珍品も入っている。例えばファンキーなクロード・フランソワ("Doucement sur la route”)、キャバレー風なカトリーヌ・ドヌーヴ("Lady from Amsterdam")。そして僕たちはちょっとした洞窟探検者でもあるから、レアものを見つけてしまうこともある。例えばソウル風なエルベール・レオナール("OK")、未来の「フレンチ・タッチ」を先取りしたようなピエール=アラン・ダアン&スリム・プザン("Electronic Mutation")など。これでお分かりでしょう。みんなの好みに合ったものがすべてあるんだ。
CD2枚組で、CD1の副題は "Pop à la Papa"(パパ時代風なポップ音楽)、CD2の副題は"Futur Schnock"(未来の年寄り)。
 傾向としてCD1は古風なシャンソンやベタなイエイエからちょっと浮いてフランス風にポップがかった曲がまとめられていて、デュトロン、デルペッシュ、シェイラ、ミッチェル、ムスタキなど結構フツーにヴァリエテっぽい人たちのちょっとしたポップ冒険の見られる曲や、ゲンズブール作のミレイユ・ダルク("Hélicoptère")、ソロデビュー前のヴェロニク・サンソンのトリオ、レ・ロッシュ・マルタン、クロード・フランソワのサウンドエンジニア、ベルナール・エスタルディがクロード・フランソワの「電話が泣いている」(1974年)のメガヒットのあやかりで作ったムードインスト曲("Le Téléphone")、孤高のジャズトランペッター、チェット・ベイカーがジャン=ポール・ベルモンド映画のサントラ(フィリップ・サルド作)を吹く ("Flic ou Voyou")など。
 CD2は、文字通り未来的で予言的で冒険的な曲を中心に。CD1でも出てきたベルナール・エスタルディの前衛ソウルファンクなインスト("Riviera Express")、フレンチロックの最良の部分ながら日の当たらなかったドッグス("Secrets")、同じく日が当たっても世界的な評価は低かったテレフォヌ("Ex-Robin des bois")、大衆的な大ヒット曲と非大衆的な前衛ポップの両方を作っていたクリストフ(”Macadam")、前衛コールド・ディスコからワールドミュージック(南アフリカ録音)に転身したリズィー・メルシエ・デクルー("Mais où sont passées les gazelles?")、フレンチプログレの孤高バンドとして世界で何百万枚とアルバムを売りながらフランスで無名のマグマ("Soleil d'Ork")...。
 CD2で3組入っているベルギー勢。後年のストロマエの例を出すまでもなく、ベルギーはフランスの数年先を行っていると思わせる人たち。プラスチック・ベルトラン("Tout petit la planète")、リオ("Sage comme une image")、テレックス("Twist à Saint-Tropez")。同じ70年代末から80年代初めまでの、あの頃のブリュッセル。ルー・デプリックとジャン・クリューガーという曲者プロデューサーがいたし、口パクで歌わされたプラスチック・ベルトラン("Ca plane pour moi"はルー・デプリックが歌っている)は非英語初の世界的パンクヒットになった。16歳でデビューしたリオの周りにはジャック・デュヴァル(作詞界では小粒のゲンズブール級に評価された)、ジェイ・アランスキー(未来のジル・カプラン、レミニッセント・ドライヴ)、アラン・シャンフォール(この時期ブリュッセルに移住している)、マルク・ムーラン(テレックスのリーダー。1942-2008)がいた。ここに収められている "Sage comme une image"はかの「バナナ・スプリット」と同じデュヴァル詞/アランスキー曲のコンビの作で、テレックスのマルク・ムーランが編曲しています。この時リオ18歳。私はリアルタイムでアルバム"SUITE SIXTINE"(1982年)を買っていましたけど、この曲(このロングヴァージョン)が、こんなもろにナイル・ロジャース/バーナード・エドワーズ(シック)風なディスコファンクで、こんな奇跡的なグルーヴがあったとは夢にも思っていませんでしたよ。
 「ブルー・ブラン・シュノック」ファンになりましたよ。これからラジオ番組聞くようにしますよ。

<<< トラックリスト >>>
CD 1 POP A LA PAPA
1.  JACQUES DUTRONC "LE RESPONSABLE"
2. DANI "LA MACHINE"
3. 5 GENTLEMEN "SI TU REVIENS CHEZ MOI"
4. JACQUELINE TAIEB "LA FAC DE LETTRES"
5. MICHEL DELPECH "LES GROUPIES"
6. MIREILLE DARC "HELICOPTERE"
7. HERBERT LEONARD "OK"
8. ANNIE PHILIPPE "UNE PETITE CROIX"
9. LES ROCHE-MARTIN "LES MAINS DANS LES POCHES"
10. FRANCOISE HARDY "REVER LE NEZ EN L'AIR"
11. SHEILA "CHERI TU M'AS FAIT UN PEU TROP BOIRE CE SOIR"
12. PIERRE VASSILEU "FILM"
13. EDDY MITCHELL "L'ENFANT ELECTRIQUE"
14. FRANCIS LAI "RAPT"
15. ALAIN SOUCHON "POULAILLER'S SONG"
16. WILLIAM SHELLER "UNE FILLE COMME CA"
17. GEORGES MOUSTAKI "ON EST TOUS DES PEDES"
18. YVES SIMON "LE JOUEUR D'ACCORDEON"
19. PATRICK JUVET "LES VOIX DE HARLEM"
20. CATHERINE DENEUVE "LADY FROM AMSTERDAM"
21. JEAN-PIERRE CASTELAIN "DERNIERES IMPRESSIONS"
22. THE BARONET "LE TELEPHONE"
23. CHER BAKER "FLIC OU VOYOU"
CD 2 FUTUR SCHNOCK
1. PLASTIC BERTRAND "TOUT PETIT LA PLANETE"
2. LIO "SAGE COMME UNE IMAGE"(LONG VERSION)
3. JEAN SCHULTHEIS "CONFIDENCES POUR CONFIDENCES"
4. BERNARD ESTARDY "RIVIERA EXPRESS"
5. ODEURS "YOUPI LA FRANCE"
6. RENAUD "VIENS CHEZ MOI J'HAIBITE CHEZ UNE COPINE"
7. CLAUDE FRANCOIS "DOUCEMENT SUR LA ROUTE"
8. TELEX "TWIST A SAINT-TROPEZ"
9. CHRISTOPHE "MACADAM"
10. HUGUES AUFRAY "C'EST TOI QUI PEUT TOUT CHANGER"
11. PIERRE-ALAIN DAHAN & SLIM PEZIN "ELECTRONIC MUTATION"
12. ALAIN KAN "CLICHES"
13. AMANDA LEAR "MADE IN FRANCE"
14. BUZY "DYSLEXIQUE"
15. TELEPHONE "EX-ROBIN DES BOIS"
16. JACQUES HIGELIN "L'ANGE OU LE SALAUD"
17. DOGS "SECRETS"
18. MAGMA "SOLEIL D'ORK"
19. LIZZY MERCIER DESCLOUX "MAIS OU SONT PASSEES LES GAZELLES?"
20. WEEK-END MILLIONNAIRE "FRENCH MUSIC PAR EXCELLENCE"
21. TAXI GIRL "CHERCHERZ LE GARCON"(SOLITAIRE)

COMPILATION "BLEU BLANC SCHNOCK"
2CD WARNER MUSIC FRANCE 5419727505
フランスでのリリース:2016年10月21日

(↓)LIO "SAGE COMME UNE IMAGE"(LONG VERSION)


(↓)LE BARONET (BERNARD ESTARDY) "LE TELEPHONE"

2017年1月12日木曜日

あの子はだあれ だれでしょね

『ダリダ』
"DALIDA"

2016年フランス映画
監督:リザ・アズエロス
主演;スヴェヴァ・アルヴィッティ(ダリダ)、リッカルド・スカルマシオ(オルランド)、ジャン=ポール・ルーヴ(リュシアン・モリス)
フランス公開:2017年1月11日


  2017年最初に映画館で観た映画が、これかぁ... という落胆感。悪い年の始まり。この5月に30周忌を迎える20世紀の大歌手ダリダ(1933-1987)のバイオピック 2005年に国営TVフランス2で放映された90分バイオピック『ダリダ』はアメリカ人女流監督ジョイス・ブニュエル(かの巨匠ルイス・ブニュエルの息子ホアン・ルイス・ブニュエルの元奥様ということで、この名前になっている)がイタリア人女優サブリナ・フェリーリをダリダ役にして作ったものですが、この新しいバイオピックがそれとどう違うのか、と言われても、同じ人の一生を描いたものですから、そんなに違うものではありません。
 そのわけを最初に書いてしまうと、ダリダにはブルーノという4つ年下の弟がいて、オルランドという芸名でダリダと同じようにフランスの芸能界で(俳優・歌手として)成功しようとするのですが果たせず、姉がトップスタークラスになった頃にそのマネージャー/プロデューサーとなるのです。以後オルランドは死後の今日に至るまでスーパースター・ダリダのすべての権利を掌握しています。彼の商才手腕の甲斐あって、生前ダリダは常にヒット歌手であったし、死後も永遠のスターとして売れ続けています。この永遠のドル箱をオルランドは絶対に手放さないし、いよいよ神話化してさらなる利潤を生み出そうとしています。フランス2のバイオピック(2005年)ではオルランドは共同プロデューサー、そしてこの2017年劇場映画版 では、共同シナリオライターとなっています。そこで目を光らせておいて、ダリダの悪いイメージなど絶対に許さないのです。この環境では当たり前に「偉人伝」しかできないのです。オルランドの死後にしかダリダの真正で生身に近いバイオピックはできないということです。
 監督のリザ・アズエロスは、『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン監督、1960年)でアラン・ドロンの相手役だった女優マリー・ラフォレの娘です。 長編第2作目の『LOL』(2009年。ソフィー・マルソー&クリスタ・テレ主演)で注目された人で、これが長編6作目になります。ダリダ役に抜擢されたスヴェヴァ・アルヴィッティはイタリア人女優・マヌカンですけど、まあ、よく似てますわ。クロード・フランソワのバイオピック『クロクロ(日本上映題『最後のマイ・ウェイ』)』(2009年)のジェレミー・レニエといい勝負です。映画はこのアルヴィッティのおかげでずいぶん救われてると思いますよ。
 さてダリダの生涯の話です。映画は1967年のダリダの最初の自殺未遂から始まります。自殺未遂の原因は自殺だったというややこしさ。この映画では、様々なややこしさを解題しようと、架空の精神分析シーンを出してダリダを初め主要人物に分析医の前でいろいろ告白させます。これアイディアとしては面白いのだけど、当然これがすべてを説明できるはずもなく、中すぼみです。例えばダリダが幼少の頃に失明の危機に陥り、40日間目隠しを外せなかったということから一生引き摺る暗闇への恐怖が、その後のダリダの何を説明できるのか、という詰めがないんですね。ま、それはそれ。
 ダリダの最初の自殺未遂の原因は、5ヶ月前から熱愛中の当時28歳(5歳年下)の恋人ルイジ・テンコ(演アレッサンドロ・ボルギ)の1967年1月サン・レモ音楽祭でのピストル自殺でした。ここでのルイジ・テンコの描かれ方というのは、絵に描いたような天才型・情熱型・破滅型で、自分のアート(即ちカンツォーネ)は世に理解されていないという妄想に苛まれています。厭世的なこの若き芸術家は、世界で唯一彼を理解するダリダとの逢瀬のベッド(パリの超高級ホテルにしてアール・デコ建築の傑作プランス・ド・ガルの一部屋)で、マルティン・ハイデッガー(1889 - 1976。つまり当時存命中)について語ったりするのです!(精神分析やハイデッガーを持ち出して、衒学的にその「深部」に迫ったふりをするこの映画、ちょっと、ちょっと...。) 虚飾に満ちたショービジネスの世界は自分と相容れないものなのに、大衆迎合マスカレードと化したサン・レモ音楽祭に、自分の芸術などわかるはずもない審査員たちに自分の歌が評価されるということに我慢がならない。制止するダリダを振り払ってウィスキーをぐいぐいぐいぐい飲み干して、泥酔状態でステージに上がったルイジは「チャオ・アモーレ・チャオ」(恋人よ、お茶をどうぞ)を歌います。その深夜すぎ、テンコはホテル自室でピストル自殺後の死体で発見されます。
 ダリダの愛した男たちはみんな自殺してしまう ー これがフランスでは世に知れたダリダの悲劇的生涯のレジュメです。
 仏芸能界の大物(民放ラジオ EUROPE NO.1のディレクター、レコード会社ディスクAZ社長)リュシアン・モリス(1929-1970)(演ジャン=ポール・ルーヴ)は、1957年「バンビーノ」でフランスでダリダをスターダムにのしあげた張本人ですが、妻帯者ゆえダリダとの恋愛中も「離婚するまで待て」のような態度で、結婚よりもスターとしての成功を優先しろ、子供を欲しがるダリダに「スターは子供産んだらスターでなくなる」と平気で言う鬼ショービジネス男のように描かれています。実際には長い恋愛期の後にやっと(モリスの離婚叶って)1961年に入籍するのですが、結婚生活は数ヶ月しか続かず、リュシアンへの熱の冷めたダリダは複数の男たちと浮き名を流します。嫉妬に狂ったモリスは自らのショービズ界権力のあの手この手を使って、ダリダの芸能生命を断とうとするのです。ところがダリダの人気は衰えることを知らない。リュシアン・モリスの自殺は1970年です。テンコと同じピストル自殺でした。
 1975年にマイク・ブラントが謎の自殺を遂げますが、この映画にこのエピソードは登場しません。
 1972年から1981年まで9年間の長きにわたって恋人関係だったのが、「錬金術士サン・ジェルマン伯爵」と名乗ったリシャール・シャンフレー(1940-1983)(演ニコラ・デュヴォーシェル)で、社交界・芸能界・メディア界でとにかく目立ちたがりなメガロマニアックな男でしたが、若く(7歳年下)優男で性豪で...。この映画の中で、ダリダとアラン・ドロンの噂に猛烈に嫉妬するシーンがあります。それで自らもダリダのパートナーとしてひけを取らない「スター」になろうとして、歌手デビューしたり映画出演したりするのですが、とてもとても。スターのヒモのような「存在の耐えられない軽さ」に抗してどんどん凶暴化していきます。そして別離後、何度も復縁をダリダに求めますが、聞き入れられず、1983年、締め切った自家用車内に排気ガスを充満させての自殺。
 話は前後しますが、自殺なしに短く燃えた恋もあり、1967年、ルイジ・テンコの自殺&自らの自殺未遂の傷がうっすら癒えた頃、テンコのファンだったという18歳のイタリア人学生詩人ルーチョ(演ブレンノ・プラシード)と出会っています。これが実話「18歳の彼」。イタリアから汽車に乗ってやってきたこの少年とダリダは愛し合い、そして夢にまで見た妊娠を!しかし、それを少年に明かすこともなく、この映画では手切れ金の小切手を少年に送り、ダリダは秘密裏に(当時非合法だった)妊娠中絶手術を受けます。この手術のせいで、ダリダは二度と妊娠できなくなってしまいます。
 80年代、ダリダの神経衰弱は進行し、薬物を多用するようになります。しかしスター街道はとどまることを知らず、アメリカ(カーネギーホール、1978年)やパレ・デ・スポールという当時パリで最も大きかったメガコンサート会場での連続公演(1980年)も大成功でした。このパレ・デ・スポールのショーの客席に翌1981年の大統領選挙の有力候補だったフランソワ・ミッテランもいましたが、この映画では登場しません。そしてミッテランは大統領になって、その在任中にダリダ宅に夜這いするようになる(実弟オルランドは否定している)のですが、この映画ではその姿は登場しません。
 
1987年5月2日、自宅でバルビツール系睡眠薬を多量に飲み込み、枕元にファン向けの書きおきと思われる「人生に耐えきれなくなりました。お許しください」という言葉を残してダリダは自らの命に幕を下ろします。
 ダリダのファンでなくても、多くのシャンソン愛好家だったらみんな知っているようなダリダのドラマチックな生涯を、この映画は2時間4分という時間の中で、かなりさらっとパノラミックに展開します。大衆的人気歌手のステロタイプのように「ダリダの人生はその歌であった」と言わんばかりの、そのヒット曲と映画ストーリーのシンクロナイゼーションがあります。歌とダリダの人物像を両方神話化してしまおうというオルランドの策謀かもしれません。良くも悪くもショービジネスが優先する映画です。この映画のあらゆる自殺が永遠のダリダ像のために奉仕しているような。いやだいやだ。

カストール爺の採点:★☆☆☆☆

↓『ダリダ』予告編


2017年1月2日月曜日

爺ブログのレトロスペクティヴ2016

2016年は死を思って過ごした1年だった

れはミッシェル・デルペッシュとデヴィッド・ボウイーの死で始まった年でした。偉大な順というわけではなく、私の記憶に深く刻まれた人たちということで言えば、モーリス・ホワイト(アース・ウィンド&ファイア)、プリンス、ジョージ・マーティン(ビートルズ)、パパ・ウェンバ、ユベール・ムーニエ(aka クリート・ボリス、ラフェール・ルイス・トリオ)、レオナード・コーエン、ピエール・バルーなどが他界した年でした。そういう著名人たちの死ばかりでなく、戦場でもないのに「戦争」で死んでしまった人たち、7月の革命記念日の花火見物に来たニースの人たち、12月のクリスマス市の買い物に来たベルリンの人たち...。おととし、バタクランにロックを楽しみに来た人たちと同じです。この「戦争」は私たちの身近に居座ってしまって動きません。パリはかつての顔を取り戻すはずだ、私たちが恐れることなく外に出れば。運動は外にあり、街頭は私たちのものだ ー そう思わせてくれたレピュブリック広場「ラ・ニュイ・ドブー」の数ヶ月も2016年の出来事でした。もう一度外に出ましょう、機会があれば。みんな出たがっているはずです。恐れることなく。
 
さて、2016年の爺ブログのレトロスペクティヴです。この1年間に42の記事がアップされました。現在(2016年1月2日)の時点で、その42の記事のビュー数が多い順からのトップ10です。当然11月12月にアップされた記事は不利になりますが、知ったことではありません。爺ブログの範囲を超えて、私にとって最も印象的だった音楽アルバムはクリストフ『カオスの廃墟(Les Vestiges du Chaos)』、映画はグザヴィエ・ドーラン監督『ちょっとした世界の終わり(Juste la fin du monde)』 、小説は圧倒的にガエル・ファイユ『小さな国(Petit Pays)』でした。レイラ・スリマニの『やさしい歌(Chanson Douce)』は次点です。

1. 『何をそんなにありがたがルノー(2016年4月24日掲載)
 おそらく2016年、フランスで最も売れたアルバムでしょう。私はそれまで大好きな曲「ミストラル・ガニャン」を例外とすれば、積極的にこの歌手を紹介してきたことはありませんでした。しかしこの2009年以来復活したルノーに関しては、その不死鳥ストーリーをラティーナにもオヴニーにも書きました。長年のファンではないにしても、フランスに長くいると、どうしてもこの反骨シンガーソングライターを認めざるをえない、というポジションでしょうか。この記事でも書いたように、私はこのアルバムはそれ以後はほとんど聞いていません。ゴメンなさい。

2. 『ニュー・ファミリーとは何であったか(2016年4月26日掲載)
マッカートニーと同じサウスポーのベーシスト、 カロジェロが2014年に発表した6枚目のソロアルバム『花火(Les feux d'artifice)』の中の1曲「新しい世界(Le monde moderne)についての記事。おそらく当時(2016年4月)に発表されたアニメーションのヴィデオ・クリップに心動かされての投稿だったのでしょう。半世紀前に離婚が簡単になった世界は、あまり成熟していないし、「新しい世界」は進歩ではないけれど、子供たちは傷つきながらもその世界で生きて行くのです。考えさせられる歌でした。しかしこの記事が2位の座にあるというのは大変な意外です。

3.『フェルナン、フィルマン、フランシス、セバスチアン、そしてポーレット(2016年4月15日掲載)
 標題の出典は、2016年12月30日に82歳で亡くなったピエール・バルーの詞「自転車乗り」(曲フランシス・レイ、歌イヴ・モンタン 1968年)からの引用でした。2016年に私が一番応援してしまった新人女性シンガー・ソングライター、クリオは、応援が功を奏して9月にはディスク・ユニオン(DIW)から日本盤も出ました。すごく惚れてたんですね。爺ブログには同じアルバムのことを4つの記事で書いてますし、そのうち3つの記事がレトロスペクティヴ10選入りです。中でもこの「軽業師たち(Des Equilibristes)」が最高の曲と思いますよ。

4. 『ニッサ・ラ・ベッラ、ニースうるわし(2016年7月17日掲載)
 ニースは私にはパリ、ブーローニュに続いて思い入れのある町です。あの事件は、6月10日から7月10日までフランスで開かれたサッカー欧州選手権 EURO 2016の熱狂の直後に起こりました。相次ぐテロのせいで、開催さえ危ぶまれていたその大会の大成功の直後に。7月14日、お祭り気分(当たり前だ、革命記念日だもの)のニース「イギリス人の遊歩道」にごった返す花火見物人たちの中に19トントレーラー車は突っ込んでいった。その3日後に書いた私の悲しみと昂ぶりは、多くの人たちにリツイートされました。

5. 『明日に向かってガブれ!(2016年5月2日掲載)
本業の上での話ですが、私がどんなに褒めちぎって推薦しても、日本からもフランスからも全く無視される作品は多々あります。ノルマンディーの3人組ガブレは、「これ傑作ですよ」という調子で随分と日本にプロモ盤を送ったのですが、一社として反応するものはありませんでした。雑誌用にインタヴューまで用意していましたが。この辺の感覚のズレがここ数年ひどくなっている気がします。そんなガブレの記事が3000ビュー近い数字で、この5位のポジションです。一体誰が見に来ていたのでしょう?日本にいる人たちじゃないのかもしれません(この種の統計は "blogger.com"ではわかりません。)

6. 『ルネ王のルネッサンス(2016年5月18日掲載)
私はジャズのことなどめったに書いたことなどありません。伝説のピアニスト、ルネ・ユルトルゲのバイオグラフィーを、ダイアローグ形式で女流作家アニェス・ドサルトが書き上げたものです。ポーランド移民の子がピアニストとして若くして栄光をつかみ、やがてドラッグで転落していき、40代半ばにやっとクリーンになって再生する、という大まかな劇的人生ですが、それだけではない。50年代のパリが世界一のジャズの都で、スタン・ゲッツ、マイルス・デイヴィス、チェット・ベイカー、アート・ブレイキーらとルネ・ユルトルゲがどのように生きていたのかが証言されている、内側からのジャズ現代史としても読める貴重な一冊です。

7.『坂の上のマシュマロ(2016年4月11日掲載)
クリオのファーストアルバムからの歌を紹介した4つの記事の中の2つ目。「シャマロウズ・ソング」は北ブルターニュ海岸の城壁の町サン・マロでの恋の終わりの歌ですが、洪水になりそうな大粒の涙を流すのは男。アルバムの中には4曲ほど男に対しての(時には意地悪な)風刺眼を利かせた歌があります。クライ・ミー・ア・リヴァーと泣いている男を、どうしようもないわねえ、と見ている女。大学でエリック・ロメールを修士論文にしたというクリオの想像力では、サン・マロも舞台になっているロメールの『夏物語』(
1996年)に出てくるメルヴィル・プーポーのような少年がこの歌のイメージの源かもしれません。(と記事にも書いている)

8. 『四月になれば彼女は(2016年4月6日掲載)
2001年のヴールズィの歌をなぜあの時期に記事にしたかというと、その頃にインタヴューしたクリオのせいだったのでした。口数が少なく、質問にちゃんと答えてくれない、シャイなのか小難しいのかわからないけれど、私の目の前で才気と魅力はあふれ出ていたクリオは4月生まれだと知ったのでした。"Fille d'avril, fille difficile"4月の娘は難しい娘。ヴールズィのこの美しい歌は、クリオも大好きだと言ってました。ヴールズィ/スーションの曲は傑作も駄作もあるけれど、これは最良の一曲でしょう。

9. 『A la faveur de l'Automne (アキに加担して) (2016年6月21日掲載)
ケベック在住の日系(フランス語)作家アキ・シマザキは、残念ながら日本でほとんど知られていません。私は最初にこの『ホオズキ』を読んで、その夏までにフランスで刊行されている全作品12冊を全部読みました。平易でわれわれ日本人にはとても親しい文学空間があります(日本が舞台ですから)。日本の戦争、原爆、家父長制度、在日コリアン、商社、同性愛など多岐にわたるテーマをシマザキは分かりやすい物語にしてしまいます。日本の明暗を仏語圏人にさらけ出してしまうという大変な仕事を一人でやっているのです。尊敬します。

10. 『一方通行逆進、おお、すまん、ではすまない(2016年6月30日)
 どうして2016年はクリオにページビュー数が集中したのでしょうか。「オースマン通りを逆向きに」はクリオのファーストアルバムの最初の曲。年末になればきらびやかな電飾で覆われる百貨店街オースマン通りを舞台に、女が伸るか反るかの賭けで男に愛を打ち明けようとする短編映画のような歌。この若い女性シンガーソングライターの魅力は、こういう目の前に見えそうな映画的情景で、これを理解してもらうにはいかに歌詞をうまく日本語化するかという私の責任になるのですね。下手と言われようが、2017年も続けます。そして2016年はクリオに出会えて本当に良かったと、このレトロスペクティヴを解説して思いました。