2017年1月12日木曜日

あの子はだあれ だれでしょね

『ダリダ』
"DALIDA"

2016年フランス映画
監督:リザ・アズエロス
主演;スヴェヴァ・アルヴィッティ(ダリダ)、リッカルド・スカルマシオ(オルランド)、ジャン=ポール・ルーヴ(リュシアン・モリス)
フランス公開:2017年1月11日

  2017年最初に映画館で観た映画が、これかぁ... という落胆感。悪い年の始まり。この5月に30周忌を迎える20世紀の大歌手ダリダ(1933-1987)のバイオピック 2005年に国営TVフランス2で放映された90分バイオピック『ダリダ』はアメリカ人女流監督ジョイス・ブニュエル(かの巨匠ルイス・ブニュエルの息子ホアン・ルイス・ブニュエルの元奥様ということで、この名前になっている)がイタリア人女優サブリナ・フェリーリをダリダ役にして作ったものですが、この新しいバイオピックがそれとどう違うのか、と言われても、同じ人の一生を描いたものですから、そんなに違うものではありません。
 そのわけを最初に書いてしまうと、ダリダにはブルーノという4つ年下の弟がいて、オルランドという芸名でダリダと同じようにフランスの芸能界で(俳優・歌手として)成功しようとするのですが果たせず、姉がトップスタークラスになった頃にそのマネージャー/プロデューサーとなるのです。以後オルランドは死後の今日に至るまでスーパースター・ダリダのすべての権利を掌握しています。彼の商才手腕の甲斐あって、生前ダリダは常にヒット歌手であったし、死後も永遠のスターとして売れ続けています。この永遠のドル箱をオルランドは絶対に手放さないし、いよいよ神話化してさらなる利潤を生み出そうとしています。フランス2のバイオピック(2005年)ではオルランドは共同プロデューサー、そしてこの2017年劇場映画版 では、共同シナリオライターとなっています。そこで目を光らせておいて、ダリダの悪いイメージなど絶対に許さないのです。この環境では当たり前に「偉人伝」しかできないのです。オルランドの死後にしかダリダの真正で生身に近いバイオピックはできないということです。
 監督のリザ・アズエロスは、『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン監督、1960年)でアラン・ドロンの相手役だった女優マリー・ラフォレの娘です。 長編第2作目の『LOL』(2009年。ソフィー・マルソー&クリスタ・テレ主演)で注目された人で、これが長編6作目になります。ダリダ役に抜擢されたスヴェヴァ・アルヴィッティはイタリア人女優・マヌカンですけど、まあ、よく似てますわ。クロード・フランソワのバイオピック『クロクロ(日本上映題『最後のマイ・ウェイ』)』(2009年)のジェレミー・レニエといい勝負です。映画はこのアルヴィッティのおかげでずいぶん救われてると思いますよ。
 さてダリダの生涯の話です。映画は1967年のダリダの最初の自殺未遂から始まります。自殺未遂の原因は自殺だったというややこしさ。この映画では、様々なややこしさを解題しようと、架空の精神分析シーンを出してダリダを初め主要人物に分析医の前でいろいろ告白させます。これアイディアとしては面白いのだけど、当然これがすべてを説明できるはずもなく、中すぼみです。例えばダリダが幼少の頃に失明の危機に陥り、40日間目隠しを外せなかったということから一生引き摺る暗闇への恐怖が、その後のダリダの何を説明できるのか、という詰めがないんですね。ま、それはそれ。
 ダリダの最初の自殺未遂の原因は、5ヶ月前から熱愛中の当時28歳(5歳年下)の恋人ルイジ・テンコ(演アレッサンドロ・ボルギ)の1967年1月サン・レモ音楽祭でのピストル自殺でした。ここでのルイジ・テンコの描かれ方というのは、絵に描いたような天才型・情熱型・破滅型で、自分のアート(即ちカンツォーネ)は世に理解されていないという妄想に苛まれています。厭世的なこの若き芸術家は、世界で唯一彼を理解するダリダとの逢瀬のベッド(パリの超高級ホテルにしてアール・デコ建築の傑作プランス・ド・ガルの一部屋)で、マルティン・ハイデッガー(1889 - 1976。つまり当時存命中)について語ったりするのです!(精神分析やハイデッガーを持ち出して、衒学的にその「深部」に迫ったふりをするこの映画、ちょっと、ちょっと...。) 虚飾に満ちたショービジネスの世界は自分と相容れないものなのに、大衆迎合マスカレードと化したサン・レモ音楽祭に、自分の芸術などわかるはずもない審査員たちに自分の歌が評価されるということに我慢がならない。制止するダリダを振り払ってウィスキーをぐいぐいぐいぐい飲み干して、泥酔状態でステージに上がったルイジは「チャオ・アモーレ・チャオ」(恋人よ、お茶をどうぞ)を歌います。その深夜すぎ、テンコはホテル自室でピストル自殺後の死体で発見されます。
 ダリダの愛した男たちはみんな自殺してしまう ー これがフランスでは世に知れたダリダの悲劇的生涯のレジュメです。
 仏芸能界の大物(民放ラジオ EUROPE NO.1のディレクター、レコード会社ディスクAZ社長)リュシアン・モリス(1929-1970)(演ジャン=ポール・ルーヴ)は、1957年「バンビーノ」でフランスでダリダをスターダムにのしあげた張本人ですが、妻帯者ゆえダリダとの恋愛中も「離婚するまで待て」のような態度で、結婚よりもスターとしての成功を優先しろ、子供を欲しがるダリダに「スターは子供産んだらスターでなくなる」と平気で言う鬼ショービジネス男のように描かれています。実際には長い恋愛期の後にやっと(モリスの離婚叶って)1961年に入籍するのですが、結婚生活は数ヶ月しか続かず、リュシアンへの熱の冷めたダリダは複数の男たちと浮き名を流します。嫉妬に狂ったモリスは自らのショービズ界権力のあの手この手を使って、ダリダの芸能生命を断とうとするのです。ところがダリダの人気は衰えることを知らない。リュシアン・モリスの自殺は1970年です。テンコと同じピストル自殺でした。
 1975年にマイク・ブラントが謎の自殺を遂げますが、この映画にこのエピソードは登場しません。
 1972年から1981年まで9年間の長きにわたって恋人関係だったのが、「錬金術士サン・ジェルマン伯爵」と名乗ったリシャール・シャンフレー(1940-1983)(演ニコラ・デュヴォーシェル)で、社交界・芸能界・メディア界でとにかく目立ちたがりなメガロマニアックな男でしたが、若く(7歳年下)優男で性豪で...。この映画の中で、ダリダとアラン・ドロンの噂に猛烈に嫉妬するシーンがあります。それで自らもダリダのパートナーとしてひけを取らない「スター」になろうとして、歌手デビューしたり映画出演したりするのですが、とてもとても。スターのヒモのような「存在の耐えられない軽さ」に抗してどんどん凶暴化していきます。そして別離後、何度も復縁をダリダに求めますが、聞き入れられず、1983年、締め切った自家用車内に排気ガスを充満させての自殺。
 話は前後しますが、自殺なしに短く燃えた恋もあり、1967年、ルイジ・テンコの自殺&自らの自殺未遂の傷がうっすら癒えた頃、テンコのファンだったという18歳のイタリア人学生詩人ルーチョ(演ブレンノ・プラシード)と出会っています。これが実話「18歳の彼」。イタリアから汽車に乗ってやってきたこの少年とダリダは愛し合い、そして夢にまで見た妊娠を!しかし、それを少年に明かすこともなく、この映画では手切れ金の小切手を少年に送り、ダリダは秘密裏に(当時非合法だった)妊娠中絶手術を受けます。この手術のせいで、ダリダは二度と妊娠できなくなってしまいます。
 80年代、ダリダの神経衰弱は進行し、薬物を多用するようになります。しかしスター街道はとどまることを知らず、アメリカ(カーネギーホール、1978年)やパレ・デ・スポールという当時パリで最も大きかったメガコンサート会場での連続公演(1980年)も大成功でした。このパレ・デ・スポールのショーの客席に翌1981年の大統領選挙の有力候補だったフランソワ・ミッテランもいましたが、この映画では登場しません。そしてミッテランは大統領になって、その在任中にダリダ宅に夜這いするようになる(実弟オルランドは否定している)のですが、この映画ではその姿は登場しません。
 
1987年5月2日、自宅でバルビツール系睡眠薬を多量に飲み込み、枕元にファン向けの書きおきと思われる「人生に耐えきれなくなりました。お許しください」という言葉を残してダリダは自らの命に幕を下ろします。
 ダリダのファンでなくても、多くのシャンソン愛好家だったらみんな知っているようなダリダのドラマチックな生涯を、この映画は2時間4分という時間の中で、かなりさらっとパノラミックに展開します。大衆的人気歌手のステロタイプのように「ダリダの人生はその歌であった」と言わんばかりの、そのヒット曲と映画ストーリーのシンクロナイゼーションがあります。歌とダリダの人物像を両方神話化してしまおうというオルランドの策謀かもしれません。良くも悪くもショービジネスが優先する映画です。この映画のあらゆる自殺が永遠のダリダ像のために奉仕しているような。いやだいやだ。

カストール爺の採点:★☆☆☆☆

↓『ダリダ』予告編


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