Fred Vargas "Sur La Dalle"
フレッド・ヴァルガス『天井岩の上』
この500ページ超の長編推理小説を、私は6月5日から14日まで9泊10日のアンブロワーズ・パレ病院入院中に読み通した。この読書体験はたくさんの管に繋がれた病床環境と医療スタッフたちの顔々と共に記憶されることになろう。フレッド・ヴァルガスの大人気アダムスベルグ警視シリーズの第10作目であり、この5月17日の発売以来、書店ベストセラー第一位を独走中である。同警視シリーズ前作の『毒糸蜘蛛が出るとき(Quand sort la recluse)』(2017年、ちなみに爺ブログ紹介記事によると、私はこの本を今回と同じように治療入院中に読んでいる!)ではアダムスベルグとその一課が毒蜘蛛連続殺人事件を追ってオクシタニア/ラングドック地方に赴くのだが、新作は神秘の地ブルターニュ地方イル・エ・ヴィレーヌ県(県番号35、県都レンヌ)が舞台である。昨年秋わが娘がレンヌに移住したので、このブルターニュの一角はとても親しみを感じるようになっている。(↑)本の表紙写真を見ていただきたい。ブルターニュ一帯で多く見られるドルメン(数千年前の巨石墓)である。
一方シャトーブリアンの居城だったコンブール城には幽霊伝説があり、文豪の前に18世紀にこの城に住んでいたコエトクエン伯爵なる人物が戦場で片足を失い、棒状の木製義足をはめていて、"Boiteux"(ボワトゥー = ”びっこ”)領主と呼ばれていたが、その幽霊が今もコンブール城に徘徊し、棒義足が石床を打つコツコツという音が聞こえるというのである。この噂はしばらく(14年間)途絶えていたが、最近になってまた聞こえ始めた、と。
そうでなくてもさまざまな伝説や迷信がごまんとある神秘の地ブルターニュの深部で、こういう幽霊伝説に影響される人々は多い。この小説の中でもうひとつまことしやかに流布されている迷信として登場するのが「影踏み」である。人の影の頭部や心臓部を踏みつけにして、その人間を呪う”影踏み族”のような人種があり、またその被害者たちでさまざまな障がいを発症させた(と思っている)"影踏まれ族”の人々がセクト的に団結して、”影踏み族”撲滅のために戦う、という...。影踏みによる呪いって、世界中にあって、たぶん日本にもあると思う。それはそれ。
ルーヴィエックのかの旅籠屋レストランで、常連客で口の悪い酔漢として嫌われているガエルという男が、町中のうわさのコンブール城の幽霊「ボワトゥー」の正体はおまえだろう、とジョスラン・ド・シャトーブリアンに喰ってかかり、罵詈雑言を浴びせる。ジョスランはそれを否定し、この言いがかりに取り合わない。このやりとりに隣のテーブルにたまたま居合わせたのがパリから遊びに来ていたアダムスベルグ警視とレンヌ県警の警視のマチュー。そして翌日パリに戻ったアダムスベルグは、このガエルがナイフふた突きで惨殺されたことを知る。これが「ルーヴィエック連続殺人事件」の始まり。
事件現場にかけつけた医師が、また息のあったガエルの最後の言葉として聞き取ったのが、ジョスランが犯人であることをほのめかすような不明瞭な切れ切れの二言。使用された凶器はガイシャの体に刺されたまま残っていて、ジョスランが愛用している(レンヌの刀剣商で売っている)フェラン印のナイフ。ジョスランと同じ左利きらしい左側からの突き(実は左利きではないことがアダムスベルグが見抜く)。ジョスランには犯行推定時刻前後のアリバイがない...。などなどジョスランに嫌疑がかかるべき材料が次々に出てきて、もはやジョスラン逮捕でキマリ、と思われたが、土地の警視マチューもパリ警視アダムスベルグも、あまりにも簡単に条件が揃ったことに大きな疑問を抱き、厳密な法医鑑定でホシが左利きでないと知るや、これはジョスランを殺人犯として落とし入れる陰謀と断定、ジョスラン擁護に回る。マチューの直属の上司であるイル・エ・ヴィレーヌ県警長官は出世主義の俗物で、県警の手柄を即席にアピールするべくジョスラン逮捕を強要してくる。しかしこの事件は”国”も注視していて、内務省は国宝的文化遺産たる文豪シャトーブリアンに汚名を着せることはできるだけ避けたいという”文化保守”的立場に立ち、ジョスラン無実の可能性に賭けるべく、内務省命令としてパリ警視アダムスベルグを現地に派遣して事件の解決に充てる、と。
”国”が後ろ盾になって、ジョスラン・ド・シャトーブリアン無実を前提に捜査を、というのは公正さにおいておおいに問題あるのでは?と思うが、上からの干渉はこの小説でもかなりやっかいなものである。国の威信で”アダムスベルグ投入”を敢行したものの、それに真っ向から挑戦するように「ルーヴィエック連続殺人事件」は第二、第三、第四と犠牲者を出していく。同じフェラン印のナイフで左側から突き刺され、犠牲者の断末魔のセリフは犯人ジョスランを名指しているように聞こえる...。内務省のバックアップのおかげで、ヘリコプター10機、機動警官数百人を動員する大捜査を展開するも、犯人逮捕はならない。そりゃあ内務省も怒るわね。
フレッド・ヴァルガス『天井岩の上』
この500ページ超の長編推理小説を、私は6月5日から14日まで9泊10日のアンブロワーズ・パレ病院入院中に読み通した。この読書体験はたくさんの管に繋がれた病床環境と医療スタッフたちの顔々と共に記憶されることになろう。フレッド・ヴァルガスの大人気アダムスベルグ警視シリーズの第10作目であり、この5月17日の発売以来、書店ベストセラー第一位を独走中である。同警視シリーズ前作の『毒糸蜘蛛が出るとき(Quand sort la recluse)』(2017年、ちなみに爺ブログ紹介記事によると、私はこの本を今回と同じように治療入院中に読んでいる!)ではアダムスベルグとその一課が毒蜘蛛連続殺人事件を追ってオクシタニア/ラングドック地方に赴くのだが、新作は神秘の地ブルターニュ地方イル・エ・ヴィレーヌ県(県番号35、県都レンヌ)が舞台である。昨年秋わが娘がレンヌに移住したので、このブルターニュの一角はとても親しみを感じるようになっている。(↑)本の表紙写真を見ていただきたい。ブルターニュ一帯で多く見られるドルメン(数千年前の巨石墓)である。
西ヨーロッパに見られる支石墓は、ブルトン語でdolmen(ドルメン)という。フランス・ブルターニュ地方に多く見られたことから、当地のブルトン語で「石の机」を意味するdol menを語源としている。(日本語版ウィキペディア「支石墓」項)
この岩の支え脚の上に乗った「机」の部分にあたる平たい岩が本小説の題である”la dalle"である。私はとりあえず「天井岩」と訳したが、こんな日本語はない。この小説の中で、われらがアダムスベルグ警視は、推理に行き詰まるたびに、このドルメンの「天井岩」の上に横たわり、瞑想にふけると、おぼろげなヒントがひとつ、またひとつと脳内に湧き上がってくる、というストーンエイジの叡智との交感体験のような... 。
一方シャトーブリアンの居城だったコンブール城には幽霊伝説があり、文豪の前に18世紀にこの城に住んでいたコエトクエン伯爵なる人物が戦場で片足を失い、棒状の木製義足をはめていて、"Boiteux"(ボワトゥー = ”びっこ”)領主と呼ばれていたが、その幽霊が今もコンブール城に徘徊し、棒義足が石床を打つコツコツという音が聞こえるというのである。この噂はしばらく(14年間)途絶えていたが、最近になってまた聞こえ始めた、と。
そうでなくてもさまざまな伝説や迷信がごまんとある神秘の地ブルターニュの深部で、こういう幽霊伝説に影響される人々は多い。この小説の中でもうひとつまことしやかに流布されている迷信として登場するのが「影踏み」である。人の影の頭部や心臓部を踏みつけにして、その人間を呪う”影踏み族”のような人種があり、またその被害者たちでさまざまな障がいを発症させた(と思っている)"影踏まれ族”の人々がセクト的に団結して、”影踏み族”撲滅のために戦う、という...。影踏みによる呪いって、世界中にあって、たぶん日本にもあると思う。それはそれ。
ルーヴィエックのかの旅籠屋レストランで、常連客で口の悪い酔漢として嫌われているガエルという男が、町中のうわさのコンブール城の幽霊「ボワトゥー」の正体はおまえだろう、とジョスラン・ド・シャトーブリアンに喰ってかかり、罵詈雑言を浴びせる。ジョスランはそれを否定し、この言いがかりに取り合わない。このやりとりに隣のテーブルにたまたま居合わせたのがパリから遊びに来ていたアダムスベルグ警視とレンヌ県警の警視のマチュー。そして翌日パリに戻ったアダムスベルグは、このガエルがナイフふた突きで惨殺されたことを知る。これが「ルーヴィエック連続殺人事件」の始まり。
事件現場にかけつけた医師が、また息のあったガエルの最後の言葉として聞き取ったのが、ジョスランが犯人であることをほのめかすような不明瞭な切れ切れの二言。使用された凶器はガイシャの体に刺されたまま残っていて、ジョスランが愛用している(レンヌの刀剣商で売っている)フェラン印のナイフ。ジョスランと同じ左利きらしい左側からの突き(実は左利きではないことがアダムスベルグが見抜く)。ジョスランには犯行推定時刻前後のアリバイがない...。などなどジョスランに嫌疑がかかるべき材料が次々に出てきて、もはやジョスラン逮捕でキマリ、と思われたが、土地の警視マチューもパリ警視アダムスベルグも、あまりにも簡単に条件が揃ったことに大きな疑問を抱き、厳密な法医鑑定でホシが左利きでないと知るや、これはジョスランを殺人犯として落とし入れる陰謀と断定、ジョスラン擁護に回る。マチューの直属の上司であるイル・エ・ヴィレーヌ県警長官は出世主義の俗物で、県警の手柄を即席にアピールするべくジョスラン逮捕を強要してくる。しかしこの事件は”国”も注視していて、内務省は国宝的文化遺産たる文豪シャトーブリアンに汚名を着せることはできるだけ避けたいという”文化保守”的立場に立ち、ジョスラン無実の可能性に賭けるべく、内務省命令としてパリ警視アダムスベルグを現地に派遣して事件の解決に充てる、と。
”国”が後ろ盾になって、ジョスラン・ド・シャトーブリアン無実を前提に捜査を、というのは公正さにおいておおいに問題あるのでは?と思うが、上からの干渉はこの小説でもかなりやっかいなものである。国の威信で”アダムスベルグ投入”を敢行したものの、それに真っ向から挑戦するように「ルーヴィエック連続殺人事件」は第二、第三、第四と犠牲者を出していく。同じフェラン印のナイフで左側から突き刺され、犠牲者の断末魔のセリフは犯人ジョスランを名指しているように聞こえる...。内務省のバックアップのおかげで、ヘリコプター10機、機動警官数百人を動員する大捜査を展開するも、犯人逮捕はならない。そりゃあ内務省も怒るわね。
さらに、このナイフ殺人と全く同じやり方で殺す別の容疑者が現れる。そしてこの土地で最も凶悪なギャング団が事件に絡んでくる。子供の頃からこの地方で(悪ガキというレベルを遥かに超える)極悪な犯罪を繰り返してきた、暴力と詐欺と地下経済の巨魁とその殺人エキスパートの子分たち。怪女レタンクールの超人的な腕力武術でその子分のひとりを逮捕するが、巨魁はその子分の解放を要求し、さもなくばアダムスベルグ本人を殺害すると脅迫。度重なるスナイパー攻撃にアダムスベルグ自身も危機一髪...。
500ページの大著なので、小説はいろいろな方向にストーリーが拡散していくし、前作の”毒蜘蛛”の時のように生物考古学者でもあるフレッド・ヴァルガスの博識は、ノミ、ハリネズミ、犬の生態などのエピソードも専門クロート談義である。重要登場人物のひとりマエルは、奇形障碍(せむし)で生まれ、それによって幼少時から筆舌尽くしがたい心ないハラスメントを受けてきたが、教育者や医師たちはそれから解放されるには背中のコブを手術で取り除くしかないとマエルを説得する。だがせむしのコブとは、母胎内で双生児を形成するに至らなかったもうひとりの自分の残りである、とマエルは信じていて、このコブ摘出手術によって自分の双子の弟が失われたと思っている。手術によって外見は”ノーマル”化したが、過去に受けたハラスメントの記憶は決して消えない。そして手術によって”最愛の弟”を殺された恨みは甚大なものである。有能な会計士としてさまざまな企業の裏帳簿も知り尽くしているマエルは、自分を虐め尽くし、自分の分身を殺した社会への復讐を考えていた....。
シャトーブリアンの時代のように中世と近世がいたるところに残っているブルターニュ。そして数年年の時を超えて立ち続ける巨石墓も。神秘の国ブルターニュのエッセンスはこの500ページの中にふんだんに盛り込まれている。アダムスベルグの捜査スタッフのミーティング場所兼食事どころのルーヴィエック随一の美食旅籠レストラン「オーベルジュ・デ・ドゥー・ゼキュ」のオーナー兼シェフのジョアンの味のあるキャラクター(ラモー/リュリー歌曲を朗々と歌うバリトン歌手でもある)と、その料理の数々も素晴らしい。そのジョアンがことあるごとにアダムスベルグとそのスタッフに振る舞うのが土地のリキュール酒「シューシェン(Chouchen)」である。かなりの回数ブルターニュを訪れている私ではあるが、この酒は知らなかった。水と蜂蜜の混合を発酵させた琥珀色のリキュールで、度は14〜18度、冷やして(だが氷は入れずに)クイっといきましょう。
今回のアダムスベルグの推理の数々は、かなり根拠の薄い”想像”が進行していくと”図星”になっていくというパターンが多い。痛快に読めるのではあるが、推理小説の”決まり”には則していないのではないかな。なぜと聞かれるといつものように”je ne sais pas (わからない)"を連発するアダムスベルグ。曖昧模糊としたものをそのまま曖昧模糊のままにしながら。霊感を求めてドルメンの天井岩の上に太陽を浴びて寝転がり、瞑想する。いい図ですね。許してしまおう。
なおフレッド・ヴァルガスは2017年の前作の小説『毒糸蜘蛛が出るとき』のあと、気候変動と環境問題に言及するエッセイ『危機にある人類(L'Humanité en peril)』(2019年)とその続編『危機にある人類・2(L'Humanité en peril 2)』(2022年)を発表して、にわかに行動的エコロジスト論客としてメディアに登場し、ラジカルな警鐘を鳴らすようになった。この新作小説でも気候変動に関連した部分がないわけではないが、かなり控えめである。なにかあったのかな。
Fred Vargas "Sur La Dalle"
Flammarion刊 2023年5月17日 510ページ 23ユーロ
500ページの大著なので、小説はいろいろな方向にストーリーが拡散していくし、前作の”毒蜘蛛”の時のように生物考古学者でもあるフレッド・ヴァルガスの博識は、ノミ、ハリネズミ、犬の生態などのエピソードも専門クロート談義である。重要登場人物のひとりマエルは、奇形障碍(せむし)で生まれ、それによって幼少時から筆舌尽くしがたい心ないハラスメントを受けてきたが、教育者や医師たちはそれから解放されるには背中のコブを手術で取り除くしかないとマエルを説得する。だがせむしのコブとは、母胎内で双生児を形成するに至らなかったもうひとりの自分の残りである、とマエルは信じていて、このコブ摘出手術によって自分の双子の弟が失われたと思っている。手術によって外見は”ノーマル”化したが、過去に受けたハラスメントの記憶は決して消えない。そして手術によって”最愛の弟”を殺された恨みは甚大なものである。有能な会計士としてさまざまな企業の裏帳簿も知り尽くしているマエルは、自分を虐め尽くし、自分の分身を殺した社会への復讐を考えていた....。
シャトーブリアンの時代のように中世と近世がいたるところに残っているブルターニュ。そして数年年の時を超えて立ち続ける巨石墓も。神秘の国ブルターニュのエッセンスはこの500ページの中にふんだんに盛り込まれている。アダムスベルグの捜査スタッフのミーティング場所兼食事どころのルーヴィエック随一の美食旅籠レストラン「オーベルジュ・デ・ドゥー・ゼキュ」のオーナー兼シェフのジョアンの味のあるキャラクター(ラモー/リュリー歌曲を朗々と歌うバリトン歌手でもある)と、その料理の数々も素晴らしい。そのジョアンがことあるごとにアダムスベルグとそのスタッフに振る舞うのが土地のリキュール酒「シューシェン(Chouchen)」である。かなりの回数ブルターニュを訪れている私ではあるが、この酒は知らなかった。水と蜂蜜の混合を発酵させた琥珀色のリキュールで、度は14〜18度、冷やして(だが氷は入れずに)クイっといきましょう。
今回のアダムスベルグの推理の数々は、かなり根拠の薄い”想像”が進行していくと”図星”になっていくというパターンが多い。痛快に読めるのではあるが、推理小説の”決まり”には則していないのではないかな。なぜと聞かれるといつものように”je ne sais pas (わからない)"を連発するアダムスベルグ。曖昧模糊としたものをそのまま曖昧模糊のままにしながら。霊感を求めてドルメンの天井岩の上に太陽を浴びて寝転がり、瞑想する。いい図ですね。許してしまおう。
なおフレッド・ヴァルガスは2017年の前作の小説『毒糸蜘蛛が出るとき』のあと、気候変動と環境問題に言及するエッセイ『危機にある人類(L'Humanité en peril)』(2019年)とその続編『危機にある人類・2(L'Humanité en peril 2)』(2022年)を発表して、にわかに行動的エコロジスト論客としてメディアに登場し、ラジカルな警鐘を鳴らすようになった。この新作小説でも気候変動に関連した部分がないわけではないが、かなり控えめである。なにかあったのかな。
Fred Vargas "Sur La Dalle"
Flammarion刊 2023年5月17日 510ページ 23ユーロ
カストール爺の採点:★★★☆☆
(↓)フランスTVの図書紹介番組"Grande Librairie"で、ホストのオーギュスタン・トラプナールと対談するフレッド・ヴァルガス
(YouTubeで見るをクリックしてください)
(↓)フランスTVの図書紹介番組"Grande Librairie"で、ホストのオーギュスタン・トラプナールと対談するフレッド・ヴァルガス
(YouTubeで見るをクリックしてください)
(↓)Stone Age "Zo Laret"(1994年)
エニグマ、ディープ・フォーレストなどと同世代のエスノ・アムビエント”ワールドミュージック(sic)”。業界人として、わしこのストーンエイジのファースト、かなりの量のCDを日本に売った。ブルターニュのシンボル「トリスケル」印が日本に知れ渡るようになったのは、このCDのおかげではないかと思っている。
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