フローランス・セイヴォス『華麗なる敗者』
2025年リーヴル・アンテール賞
作家/脚本家のフローランス・セイヴォス(1967 - )の伴侶は映画監督アルノー・デプレッシャンである。そういうことで決めつけてはいけないのだが、それだけでわしらに親近感を抱かせる何かがある。初めて読む作家である。
小説の時代はファックスが最新の通信手段だった頃、1980年代。話者は当時15歳のリセ生だったアンナ。2歳年上の姉イレーヌ(すなわち当時17歳)がいて、母親のモード(この名前は小説中一度しか出てこず、それを除いて小説中の呼称は"notre mère = 私たちの母”で一貫している)と、母親の再婚相手(すなわち義父)のジャックが、一応”四人家族”のような体裁で小説は進行する。アンナとイレーヌの血縁上の父である男、母親と離婚したアラン(この名前も小説中二度ほどしか出てこず、小説中の呼称は"notre père = 私たちの父”となっている)はカティアという女性と再婚していて、アンナとイレーヌはこの実父夫婦と週末やヴァカンスを過ごしていて、関係は悪いものではない。そしてジャックとモードの夫婦とアランとカティアの夫婦は、心底からではないにせよ奇妙な友情関係のようなもので結ばれており、二組の夫婦+二人の娘の6人で会食したり、クリスマスを過ごしたりしていた。これは離婚・再婚が重大な断絶事件ではなくなった1980年代頃の風潮を想わせ、あの頃の”進歩的”で言わば”左寄り”の中間裕福層30/40代に普通に見られた現象だと思う。フランスでは社会党ミッテラン大統領の誕生(1981年)以降の現象だと思われるが。
母の再婚相手ジャックはアビジャン(コート・ジヴォワール)を拠点にしている実業家で、農業トラクターや建設土木機械を貸し出す事業を営んでいる。アフリカで開発や建設が急速に進んでいた時期なので、大きなプロジェクトと契約が取れれば巨額の収入もあっただろうが、売掛金の焦げつきも普通にあり、経営には波がある。社員を抱えず、ほぼ一人ですべてのことをこなしている一匹狼経営者だった。金遣いは荒く、衝動で欲しいものがあれば、買わずにはおれない性格だった。教養があり、趣味人でもあり、ダンディーであるが、その代わりアフリカにもフランスにも友人はいなかった。
この男は野心家ではない。”アフリカで一旗挙げよう”系の白人フランス人ではない。アフリカを愛している、それは確かだ。たぶんフランス社会に適合が難しいタイプ。その夢はモードとイレーヌとアンナと一緒にアビジャンで”家庭”を築くことだった。暗い幼少期があったのかは明らかではないが、ジャックには家庭願望が強い。そして彼は幸福な家庭の父長になりたい。家族の指導者でありたい。しかも良き父長、良きリーダーになりたいのだ。主導権を握る善父というわけだ。モードとイレーヌとアンナにそれぞれ愛情の迸る手紙を送りつけたり、独創的なプレゼントを捧げたりする一方、二人の義娘には服装やマナーな言葉遣いを嗜めたり、権威的に接しもする。イレーヌとアンナはこの”物言う義父”が鬱陶しく、そのエキセントリックな素行が恥ずかしくもあった。小説の前半は、二人の少女たちの義父を敬遠したい気持ち、さらには剥き出しの嫌悪感すらも描かれている。
小説は時間軸に従わないで進行するが、すでに冒頭からジャックの終わりが近い時期が描かれている。終わりは予定通り最後にやってくるのだが、その終わりに至る下り坂は緩やかだったり急だったりする。夢破れて滅びるのはジャックである。妻モードと義娘二人はその立会人であり、証人であり、観察者であり、直接の当事者であり、被害者でもあり、敵対者でもあり、共犯者でもある。この複雑な関係を15歳の少女アンナはどう体験していたのか、というのが小説の大きな主題である。
四人はジャックの希望通り、短期間ではあるがアビジャンで家族として暮らしていた時期があった。大きな家に住み、ジャックは妻と義娘たちが快適に暮らせるように家の改造を繰り返し、実際にはそうでなくてもアフリカで成功した実業家のような体裁を誇示しようとしていた。ジャックはここにユートピアを築こうとして、3人に物質的快適を与えることを惜しまないのだが、それは空回りする。事情は隣家に引っ越してきた一家(多国籍企業に務めるインド系ビジネスマンのハリーとフランス人妻リディア+子供+猫)との交流で一転する。友人を持たない主義のジャックのせいで最初はギクシャクした関係だったが、ほぼ毎週末”アペロ”を招待し合う仲になり、さらにジャックがわざわざフランスから最新式のテーブルサッカー機を取り寄せ、二家族が夢中になって長時間興じるようになるや、笑いと歓声溢れる毎週末の大イヴェントとなってしまう。これがこの小説で最もユートピアに近い恩寵の時期として描かれている。ところがこの幸福は長続きせず、隣家一家はローマに引っ越してしまう。最もダメージを受けたのはモードで、親友になりかけていたリディアの不在が耐えられず手紙を頻繁に送るのだが、やがて精神の滅入りが顕著になる。それに誘引されるようにモードはマラリアに陥ってしまう。(モードはマラリア特効薬キニーネの副作用に悩まされていて、その服用が十分ではなかった。つまり最初からこの風土で生きることが難しかったということなのだ。)ジャックは家の中にモードを隔離し、娘たちに面会を禁止させる。娘たちは激しく反抗し、義父と暴力沙汰一歩手前まで敵対するようになる。四人の関係は崩壊寸前となり、その結果ジャックをアビジャンに残し、モードとイレーヌとアンナはフランスに帰り、ル・アーヴルのモードの家で暮らすようになる。
しかしモードはジャックを見限ったわけではない。ジャックは見捨てられない。ジャックを支え続けなければならない。これは愛なのか。そんなものではないように思える。モードを引き付け続けるジャックの魔力とは何なのか。モードはジャックに「ナポレオン」のようなロマンティストで孤高で不遇の英雄の姿を思い描いていて、それを支える自分の行為も(並の人間にはできない)英雄的なものだと思っているふしがある。前夫との並の人間の生き方を捨てて、英雄的なジャックの世界に飛び込んで行ったのは、最初は目も眩むような冒険だったのかもしれない。その決死の選択の陶酔がまだ残っているのだろう。
だが、その選択をキッパリと否定してしまうのが経済的現実である。ジャックのビジネスは失敗に次ぐ失敗で、借金は家屋やモードの親族の財産などが没収されかねないほど膨らんでしまっている。それの資金繰り・帳尻合わせ・逃げ口探しを全部任されているのがモードであり、ル・アーヴルで冬の暖房をカットしてしまうこともある。一時は大改装できるほど潤っていたアビジャンの貸屋をジャックは追い出されるほど困窮している。だがジャックは根拠のないハッタリのオプティミスムで、(毎回)今結ばれつつある契約が成立すれば、こんな窮状は簡単に克服できるとモードにも義娘たちにも豪語している。
モードはそんなジャックを支えるためにル・アーヴルからアビジャンに出かけていく。10日の滞在予定が数週間になってしまう。その間イレーヌとアンヌはル・アーヴルの屋敷を自由に使い、時々は学校をサボり、ダチたちを家に呼んでアルコールと大音量音楽のパーティーに明け暮れる。娘たちは親たちの窮状を知らないわけではない。一時的でもそれを忘れないとやってられないのだ。
そしてジャックもまた状況はどうあれ、クリスマスにはアビジャンからル・アーヴルにやってきた家族でクリスマス休暇を楽しむのだ。アンナにはこれが耐えられない憂鬱なのだ。早くいなくなってくれればいい、さらにジャックとの関係が早く断ち切られて欲しいとすら思っている。
そういう流れであのジャックの死の前年のクリスマスはやってくる。モードは台所にいて、これまで一度も焼いたことのない七面鳥を不器用に準備していて、二人の娘はそれを手伝ったり、クリスマスツリーの飾り付けをしたりしている。この宵には前夫アランとカティアの夫婦もやってくる。夕方になり、家の前に骨董品屋のトラックバンが止まり、次から次に骨董家具を家の中に運び込む。ルイ16世様式の戸棚つき書机(仏語ではBonheur-du-jour)、骨董照明ランプ台、ペルシャ敷物...。ジャックは義娘たちにサロンを片付けてこれらの骨董家具の置き場所を作れと指示し、クリスマスなので搬送に同行した骨董商やその運送人たちに気前よくシャンパーニュを振る舞って上機嫌になっている。モードは何も見たくない。どれだけの負債を抱え込んでいるのかを知った上でのジャックの狂気の沙汰。モードはジャックがアビジャンに戻って行ったらこれらの宝物を全て返品するつもりでいる。しかしこれらの骨董家具に続いて、別のトラックが家の前につけ、玄関ドアから入れないので中庭側からサロンのガラス戸を開けて、巨大なグランドピアノが...。
この家族でピアノを弾く者など一人もいない。一体誰が?「イレーヌが弾ける」とジャックはみんなの前で宣言する。幼少の頃1年ほどピアノのレッスンを受けたことがある。この日からこのピアノはイレーヌのためにサロンに鎮座し、ジャックはイレーヌがポロンポロンと弾くピアノを目の前で聴くことに恍惚となるのだ...。これがジャックの義娘への愛の表現であり、ピアノはジャックとイレーヌの愛の絆となるとジャックは勝手に思っている。
モードは人生で最悪のクリスマスに深々と心を打ちのめされ、どうやって立ち直れるのか。話者アンナは、このクリスマスの翌朝早く目が覚め、寝室から階下の台所へ朝食に降りていく途中、このサロンに新たに置かれた全てのものが消え去っているはずだと願うが、すべては昨夜の位置にとどまっている...。
この悪夢はどこまで続くのか。モードの懸命の交渉でも件の骨董家具は返品売却の目処は立たず、ジャックの負債の取り立ては家屋を失う段階にまで来ている。アビジャンのジャックは自分の都合が悪い時は全く連絡が取れない。もう限度はとっくに越えている。自分と娘たちを守らなければならない。ついにモードはアンナにこう漏らす「ジャックと別れるわ」。アンナはこの決断をおそらく理解はしたのだろうが、何もコメントできない。次いでモードはイレーヌに同じことを告げる。するとイレーヌはきっぱりと「ダメよ、私たちはジャックを守らなければならないのよ」と母に抗弁する。アンナはたぶんイレーヌが私の分まで代弁してくれた、と思ったに違いない。この姉妹はずっと義父を厭い、嫌悪し、いなくなってくれればいいと思っていたはずなのに!
翌年のクリスマス、ジャックはフランスまでの旅費もなく、モードはアンナの積立預金から拝借してジャックに旅費を送金する。スーツケースもなく、買い物袋一つを手に持ち、ボロボロの為体でジャックはル・アーヴルにやってくる。糖尿病を極度に悪化させ、道中に気絶もしながらやってくる。ジャックは義娘たちに死ぬほどの激務で仕事しているが、景気は良い兆しが展望できる、俺にはお前たちの母親が必要なのだ、いつかまた四人で暮らせる日がきっと来る、と...。その数ヶ月後、ジャックはアビジャンで命を落とす...。
小説はその40年後のアンナが、このどうしようもないろくでなしと生きた十代の数年間を回想するものであるが、この典型的なルーザーへの母モードのほぼ不条理な献身、そして二人の姉妹があれほど忌み嫌っていた義父に心が靡いてしまう変遷の記録である。ジャックのだらしなさ、その孤独なダンディズム、出来もしない約束の数々、過度な夢想家、ロマンティストそしてアフリカで失敗する白人。この生きざま/死にざまを作者は「華麗なる敗者 - Un perdant magnifique」と題したのだが、題はすべてを語っている。
Florence Seyvos "Un perdant magnifique"
Editions de l'Olivier刊 2025年1月、142ページ、19,50ユーロ
Florence Seyvos "Un perdant magnifique"
Editions de l'Olivier刊 2025年1月、142ページ、19,50ユーロ
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)2025年1月、国営ラジオFrance Interの朝番7-10でレア・サラメのインタヴューに答えて『華麗なる敗者』について語るフローランス・セイヴォス。
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