2012年4月16日月曜日

ラフ・ガイド・トゥ・サルコジ

Philip Gourevitch "No Exit"
フィリップ・グレヴィッチ『出口なし』

 フィリップ・グレヴィッチ(1961 - )はアメリカの作家/ジャーナリストでザ・ニュー・ヨーカー誌に長年籍を置くスタッフライターです。この小冊子のオリジナル稿はザ・ニュー・ヨーカー誌2011年12月11日号で発表されたもので,これはその増補改訂版のフランス語翻訳で,2012年の4月にフランスで刊行されました。タテ14センチ,ヨコ9センチの手帳サイズで,本文は95頁。値段は3ユーロ10サンチーム(約335円)。ステファヌ・エッセルの『憤激せよ!(Indignez-vous!)』を想わせる小ささと価格です。
 表紙は共和国大統領の肖像写真(ヨーロッパ連合旗とフランス国旗の横に立つ)が胸から上を黒ベタで隠したような図です。『出口なし』の中表紙には副題のように「ニコラ・サルコジとフランスは欧州危機の出口を見つけられるか?」という疑問文が添えられています。その答えは本書のタイトルであるわけですが,初めから結論している本ではありません。
 とにかく分かりやすい本です。それはアメリカのジャーナリストがアメリカの読者に対して書いているものなので,サルコジとフランスが外人にも分かるようにやさしく説明されているからです。 第一行からあっと驚く分かりやすさです。
フランス共和国大統領ニコラ・サルコジはワインを好まない。強い臭いのチーズも好まない。トリュフも好まない。彼はコカコーラ・ライト,ボンボン菓子,ハバナの太い葉巻を好む。このような良い嗜好への嫌悪は多くの人々にとってフランスの風習に逆らうことのように映るのだが,サルコジはそれに対して言い訳をしない。むしろ彼はその率直さに誇りを持っている(....)
つまりそれまでフランスの大統領では考えられなかった型破りさから説明しているのです。 そして「彼は金を好む」と続けます。金の話は人前でしないのがフランスであったのに,サルコジは金のために働けと国民に説き,金持ちとの癒着関係を隠さず,ローレックス腕時計を見せびらかします。「アメリカではセックスがタブーで,フランスでは金」(パスカル・ブルックナー)。サルコジは良俗コンプレックスを打ち破ってくれた,と思ったフランス人たちもいたわけです。
 このコンプレックスを脱却すること,というのがサルコジのあらゆる面でのバネになります。よく言われる身長のことだけではありません。ハンガリーからの移民の子であること,女癖の悪い父親は家を出て,貧しい母親に育てられたこと,学費のために早くから働かねばならなかったこと,学業の成績があまり良くなかったこと...。フランスでは政治家として成功するための最低条件のように見なされている「グラン・ゼコール卒」ではないこと。こういうコンプレックスをひとつひとつ打ち破っていくことで,サルコジ=ナポレオン神話は生まれていくのです。
 22歳でヌイイ市(フランスで最も富裕なパリ西隣の町)の市議として政界デビューし,5年後には同市市長になっています。フランスでは市長の重要な役目として婚姻調印式を司るということがありますが,市長就任1年後サルコジはヌイイ市役所で,人気テレビ司会者ジャック・マルタン(当時51歳)と元マヌカンのセシリア・シガネール=アルベニーズ(当時26歳で妊娠6ヶ月)の結婚の契りを結ばせます。サルコジはその2年前に結婚していましたが,この結婚式でセシリアに強烈に恋慕の情を抱いてしまいます。この本の表現では「この女は俺のもの」と思ってしまったんですね。結婚式の縁でマルタン家とサルコジ家 は親交を持つようになり,マルタン家は二女を,サルコジ家は二男をそれぞれもうけ,両家は一緒にヴァカンスに行く,というつきあいでした。結婚から5年後ジャック・マルタンとセシリアは離婚,サルコジ夫妻はその8年後に離婚するのですが,結婚式の一目惚れから13年後にサルコジはセシリアをついにものにするのです。ロマンティスムの手本のようです。
 フィリップ・グレヴィッチはサルコジのコンプレックスだけでなく,21世紀初頭のフランスが抱えたコンプレックスについても端的に説明します。第二次大戦後,すなわちナチ占領やヴィシー政権といったフランスの誇りを一切無化してしまった事件のあと,フランスをゼロからやり直すためにはシャルル・ド・ゴールの「偉大なるフランスの再生」という音頭がなければならなかったのです。「偉大でなければフランスではない」という進軍ラッパです。これをGaullisme(ゴーリスム:ド・ゴール主義)と言います。フランスの保守主義の本流は今もこのゴーリスムですが,戦後30年間の経済成長に支えられた栄光のフランスの時代が過ぎ,ゴーリスムの直系の後継者だったジャック・シラクの時代にその栄光はほとんど見えなくなってしまったのです。経済成長はない,グローバリゼーションでフランス国内の工場の数が激減する,失業者が激増する,「フランス的でない」人々の数が目立つ,フランスの国際的影響力がなくなる...。このコンプレックスをはねのけるには,大きな声の出る男が必要だったのです。「偉大なるフランス」ということをもう一度大声で唱えるリーダーが待望されていたのです。やったことはともかくとして,大声で演説するという役においては,サルコジに叶う者はいなかったのです。
2007年に当選してからの業績に対してはこの小さな本も大変厳しい評価です。大統領としての5年間の総括をせよ,と言われればこの大統領はますます小さくなるしかないでしょう。しかし,グレヴィッチが結論部で強調しているのは,2012年選挙には(世論調査の動向から判断して)「アウトサイダー」「チャレンジャー」として立候補することになったサルコジは,現職大統領としては色がないのにも関わらず,”候補者”としては急に元気を取り戻して大声が良く通り,最有力のオランド(社会党)に喰いかかっていっているのです(4月1週には第一次投票予想でオランドを越して1位に躍り出たことがあるほど挽回している)。そのことは(右の)諷刺週刊紙カナール・アンシェネの別冊サルコジ特集号の表紙のカビュの諷刺画が非常によく表現しています。(赤シャツを着た「候補者」サルコジが,青シャツを着た「現大統領」サルコジに「消え失せろ,まぬけ!カシュ・トワ,ポーフ・コン!」と言っているのです。 2008年の有名な「カス・トワ,ポーフ・コン!」については拙ブログのここで)。
 実は今,私は2011年のリビア革命の際の,カダフィ討伐のためのフランスの軍事介入についての原稿を書いている途中なのです。この時,リビアの反カダフィ勢力(ベンガジの国家暫定評議会)を大統領府(エリゼ宮)に招いてサルコジと会見させたり,フランス介入の先導を切っていたのが,哲学者のベルナール=アンリ・レヴィ(通り名をBHL)です。パリ左岸サン・ジェルマン・デ・プレの王子のように振る舞うこの白シャツの哲学者とニコラ・サルコジとは親交がありながら,思想的/政治的にはお互い相容れないものがあります。その上,もっと複雑なことに,カルラ・ブルーニがサルコジの前に恋人関係にあった(男児をひとりもうけている)哲学者ラファエル・エントーヴェンが当時正式に結婚していた妻がジュスティーヌ・レヴィ(BHLの娘)だったのです。(ジュスティーヌはこのカルラ・ブルーニに夫を取られた一部始終を小説として発表してベストセラーになりました)。このややこしいサルコジとBHLの関係において,どうやってBHLがサルコジに軍事介入を決断させたか,というストーリーはかなり面白いです。別原稿の方で,グレヴィッチ本からたくさん引用して紹介しようと思ってますので,興味ある方は9月頃までお待ちください。

Philip Gourevitch "No Exit"
(French Translation : Violaine Huisman)
(Editions Allia刊,2012年4月,95頁,3.10ユーロ)

PS:(↓)ニコラ・サルコジの大統領選キャンペーンのオフィシャル・クリップ。4月22日まで参考のために下に貼っておきます。「偉大なるフランス」「強いフランス」を訴えることにおいては、現時点でこれほどの役者はないでしょう。