2025年5月7日水曜日

あんぽんたん

Michel Polnareff "Un temps pour elles"
ミッシェル・ポルナレフ『あんたんぷれる』

80歳。8トラック31分、歌もの4トラック、インストルメンタル4トラック。歌もの4曲の作詞はご本人。ご自分ひとりだけでやりました感あふれる晩期ナレフこれでもかアルバム。

私は音楽業界から身を引いて8年になるので、いろいろこの音楽界の時勢についていけないことがある。「ヨットロック Yacht Rock」なるジャンル用語はつい最近知った。これは70-80年代のソフトロックとかAORとか呼ばれていた夏向けの加州産(+加州産風)音楽で、陽光+ヨット+サマーブリーズという環境(+それ風ラウンジ環境)が似合う、不協和音排除のスムーズ・ポップ音楽のことらしい。ナレフ氏がフランスを去り加州に移住して50年の月日が流れた。90年代の”パリ/ロワイヤル・モンソー800日滞在”を差し引いても、これまでの80年の人生のうちの6割は加州で生きていた勘定になる。音楽が人生の(ほとんど)すべてであろうナレフ氏がこの環境に50年もいたら、街やFMでそのような音楽ばかり耳にしていたら、ご自身の同世代音楽から考えても、自然と(音楽も人生も)ヨットロック化するのは避けられないことかもしれない。別の見方をすれば、ナレフ氏の渡米後の50年の音楽はすべてヨットロックというジャンルに包含されるのではないか、とも思う。2018年11月、28年ぶりの(オリジナルスタジオ)アルバム『Enfin !』を爺ブログで紹介した時、全体を覆うあのどうしようもない大味さかげんは何なのかをうまく言い当てられなかったのは、あの当時私はヨットロックという用語を知らなかったせいだと思う。
 そのアルバム『Enfin !』の”不発”の原因について2025年3月24日のウエスト・フランス(Ouest France)紙のインタヴューでナレフ氏は"C'est difficile de défendre un album quand la maison de disques se trompe sur la gravure et que les gens pensent que les mixages sont ratés. Non, c'était la gravure qui était ratée "(レコード会社が「刷り(gravure)」に失敗したアルバムを弁護するのは難しい。それはミックスが失敗だったと思われてしまった。そうではない、失敗したのは「刷り」なのだ)と責任をレコード会社になすりつけた。当時のレコード会社はBarclay(Universal傘下)。そりゃあ喧嘩別れになりますわな。前作の自選ヒットピアノ弾き語りアルバム『ポルナレフポルナレフを歌う Polnareff chante Polnareff』(2022年)からナレフ氏はレコード会社を移籍してParlophone(Warner Music傘下)から発表するようになっているが、この新作『あんたんぷれる』は移籍第2弾。上述のウエスト・フランス紙インタヴューで新アルバムについて"Sur celui-ci, j'ai encore mis plus de moi-même et je pense que ça doit se sentir. C'est un disque plus habité que les autres, je trouve, peut-être moins parfait dans la production, mais plus humain, plus instinctif. Moins aseptisé, disons "(これには俺自身をずっと多く詰め込んでいるんだ、それは感じられると思うよ。他よりもずっと自分が入り込んだアルバムさ。作りの点ではパーフェクトではないかもしれないが、ずっと人間的でずっと本能的なんだ。毒抜きされてないとも言えるね)
 「作りの点ではパーフェクトではないかも」と言うのであるが、今日パーフェクトな”音楽”制作に欠かせないのがAI(エーアイ)である。愛がなくてもAIがあれば音楽は完璧になる。ところがナレフ氏はそれを嫌い(最先端テクノロジーにこだわり続けてきた50年だったのに)、このアルバムには一切AIは関与していない、と断言した。それが証拠に、と言いたかったためか、ピアノインスト演奏にはわざわざ”ミスタッチ”を残している(特に2曲め"Villa Cassiopée")。

 極めて大仰なインストルメンタル曲(3トラック)で26分を占めた『Enfin !』と打って変わって、新作のインスト4トラックはそのヴィルツオーゾ・ピアノをフューチャーしたものばかり。ガキの時分から、これだけは誰にも負けない自信があったものであり、そのアートは人々を遠くに連れ去ってくれたり、夢見心地にさせたり、叙情に打ち震わせたり、感涙に咽ばせたり、心拍を止めさせたり(殺すなっちゅうに!)できるマジックであった。ヤノピの魔手。ナレフ氏は長年の修行でこの超能力をものにしたので、頭を使わずとも長年の手癖指癖で縦横無尽の必殺ノート/メロディー/ハーモニーが勝手に迸り出るのであった。それはスマホを手にした女性たちの超絶早打ちの指先のように、指先が脳内の思念思考・喜怒哀楽・エモーションに先んじて勝手に表現できてしまうアートなのだ。80歳の現在でも、そのマジックは健在なのだ、と証明したかったのであろう。この自信。
 例えば6曲め「Solstice(夏至)」はトリビュート・トゥー・ヒムセルフで「Nos mots d'amour(邦題:愛の物語)」(1971年)と「Lettre à France(邦題:哀しみのエトランゼ)」(1977年)のマッシュアップ・ピアノインストではないですか。ファンは涙するかもしれないですが。
 それから終曲8曲め「Un moment(一寸)」、これは私ちょっと(一寸)許せない。デレク&ザ・ドミノス(エリック・クラプトン)の「レイラ」(1970年)、7分あるこの名曲の後半3分50秒の通称「ピアノ・コーダ(Piano Coda)」と呼ばれているピアノがリードするインスト部分ね、作曲は当時引っ張り凧のドラマーだったジム・ゴードン(1945-2023)とされているが、実際はゴードンの当時の恋人だったリタ・クーリッジだったという話。それはそれ。2枚組アルバム『いとしのレイラ』を手にしたのは東京で仏文科学生をしていた1年めで、とにかく好きで好きで。しかもハイライトナンバーの「レイラ」は後半が異様に好きで、レコード溝の3分20秒めから(つまり「ピアノ・コーダ」部から)針を落とすというのが習慣になるほど好きだった。ピアノと複数のスライドギターの絡みに軽く悶絶していたのですね。あれは千歳烏山の四畳半アパートだった。それはそれ。この稀代の名曲をナレフ氏はパクった。しかも長年の手癖指癖でなぞったようなやり方で。ちょっとちょっとぉぉぉ....(一寸一寸ぉぉぉ....)!

 さて歌ものである。作詞家に頼ることなく4曲ともナレフ氏が作詞した。ご自分では高いセンスだと思っているらしい”言葉遊び(jeu de mots)"は日本語で言うならば昭和ダジャレのような趣き。まずアルバムタイトルになっている "Un temps pour elles(あんたんぷれる)”は、「時に関係のない、永遠の、現世を超えた...」を意味する形容詞 "Intemporel(あんたんぽれる)"のもじりであり、直訳すると「彼女たちのためのひととき」となろう。彼女たちとの時は永遠なれという謂であろうか。アルバムタイトルは"elles"と複数形になっているが、アルバム1曲めは"Un temps pour elle(あんたんぷれる)"と"elle"単数形である。これは特定の”彼女”に捧げられているからで、プライヴェートで親密な内容なんだとナレフ氏は言う。
C'était un temps pour elle
彼女とのひととき
Quelqu'chose d'éphémère
海を見下ろしながら
Avec une vue sur la mer
何かしら儚い時

C'était un temps pour elle
彼女とのひととき
Quelqu'chose d'irréel
苦い味のする
Avec un goût amer
何かしら幻のような時

Et quand vient le matin
そして朝が来れば
Il n'reste rien
何も残っていない
Qu'un parfum inodore
香りのない残り香だけ
Mémoire d'un souvenir qui n'a jamais eu lieu
何も起こらなかったことの記憶だけ


"Mémoire d'un souvenir" 直訳すれば「思い出の記憶」、これは馬から落馬、頭が頭痛と同様の重複表現だと思うが、ま、いか。 "Un parfum inodore"を「香りのない残り香」と訳したが、いい表現ですね。お立ち合い、香りって残るものなのだよ。アキ・シマザキの最新作『アジサイ』の中で、鎌倉豪邸の離れの間借り人の学生ショータが、家主のブルジョワ夫人スミコと離れ部屋で情事を重ねるのだが、ショータの姉が初めて鎌倉に来て家主夫婦に表敬訪問した時、ブルジョワ夫人から漂うほのかな香りが「弟の部屋と同じ匂いだ」と直観するパッセージあり。香りは恐ろしい。この恐ろしさを知っているからナレフ氏は "Un parfum inodore"というシロモノを考案したのかもしれない。これは往年の叙情ナレフ節を思わせる佳曲のように聞こえた。

 次にこのアルバムで”ヒット曲”が出るとすれば、この曲をおいて他にないと多くのメディアが評する3曲め”Tu n'm'entends pas (きみには僕の声が聞こえないのかい)"である。リフレイン部の低音階からごく高音ファルセットに抜けていくナレフ伝家の宝刀メロディー&ヴォーカルに魅了されるムキも多かろう。
Je voudrais seulement te dire
僕がきみに言いたいのは
Que je veux te voir sourire
きみの微笑みが見たいということだけ
Je n'ai pas plus à te dire
きみを愛していて、きみが欲しいんだということ以外
Que je t'aime et te désire
僕は何も言いたいことはないんだ

Quand la musique est trop forte
音楽の音が強すぎて
Et que le son nous emporte
音が僕らを吹き飛ばしてしまうと
Tu n'm'entends pas
きみには僕の声が聞こえないのかい
Il suffit d'un soupir
ため息ひとつだけでもいいんだ
Mais le silence est pire
でも沈黙はサイテーだ
Tu n'm'entends pas
きみには僕の声が聞こえないのかい

Je voudrais seulement te dire
僕がきみに言いたいのは
Que j'aimerais te voir sourire
きみに微笑んで欲しいということだけ
Je n'ai pas vraiment plus à te dire
きみを死ぬほど愛しているということ以外
Que je t'aime à en mourir
僕はまったく何も言いたいことはないんだ

Quand la musique est trop forte
音楽の音が強すぎて
De ta bouche rien ne sort
きみの口から何の言葉も出てこない
Tu n'm'entends pas
きみには僕の声が聞こえないのかい
Il suffit d'un sourire
微笑みだけでもいいんだ
Mais le silence est pire
でも沈黙はサイテーだ
Tu n'm'entends pas
きみには僕の声が聞こえないのかい



歌詞1番と2番、ほとんど違いがない。このしつこさが、わしが何遍も言ってるのに、おまえには聞こえんのかい、と苛立っている老人のようでもある。無理しないでください80歳。このメロディーよっぽど自信があったんだろうね、続く4トラックめで同曲ピアノインストヴァージョンが控えている。自己陶酔気味の”歌う”ピアノである。ついでに言うと、リフレインサビの低音から最高音ファルセットにせり上がっていく部分、ミッシェル・ベルジェ(曲)/リュック・プラモンドン(脚本)のロック・オペラ『スターマニア』(初演1979年)の「遭難した地球人からのSOS(S.O.S. d'un terrien en détresse)」(オリジナルヴァージョン歌唱:ダニエル・バラヴォワーヌ)を想わせるものがある。聴き比べるとそりゃあバラヴォワーヌの方が美しい超絶ファルセットですよ。ま、それはそれ。

5曲め"Quand y'en a pour deux(二人分あるのなら)"はコミカル(ナンセンス)ソング。これは1970年サッシャ・ディステル(1933 - 2004)のシングルで"Quand il y en a pour deux, il y en a pour trois"(二人分あるんだったら三人分にもなる)という歌と関係ないってことはないんじゃないの?またフランシュ・コンテ地方には"Quand il y en a pour trois, il y en a pour quatre"(三人分あるんだったら四人分にもなる)という諺があると言う。これはどういうことかと言うと、一人分だったら二人でも分けられる、二人分だったら三人でも分けられる、三人分だったら四人でも分けられる、ケチケチせずにできるだけ分け合いましょう、という隣人愛教訓なのである。これをナレフ詞は「trois(トロワ=三人分)」を「toi (トワ=きみ一人分)」に変えてあるのね。
Quand y'en a pour deux y'en a pour toi
二人分あるのなら、きみ一人分はあるよ


これに何の含蓄があるのか? フランスの童歌(コンティーヌ)にインスパイアされたナンセンスソング「マチューの頭に毛が一本 Y'a qu'un cheveu sur la tête de Mathieu」(1968年、一応作詞はピエール・ドラノエである)と何万マイルの距離のある歌であるが、アルバムの中で一番ヨットロックっぽい楽曲だったりして。

 そしてこのアルバムに先行して昨年11月にAI動画で発表された7曲め"Sexcetera(セクセテラ)"である。前述のように、アルバム制作上でAIは一切関与していないと豪語するナレフ氏であるが、このクリップはAIだよと自慢げに語っている。そうとも。この御仁はTECHの超大国に住んでいて、その大統領はドナルド・トランプである。就任演説でトランプは高々と宣言した「わが国には二つのジェンダーしかない、すなわち男と女である」。1971年、ナレフ氏は高々と宣言した「Je suis un homme 僕は男なんだよ」。2025年の今日、米国のご時勢とシンクロしてか、ナレフ氏ははっきりとLGBTQ+フォビーをあらわにし、ヘテロ愛こそわが愛と...。
Mais on est où ?
俺たちはどこにいるんだ?
On est chez nous ?
ここは自分の国じゃないのか?



"On est chez nous"(ここはわれわれの国だ)ー これはフランス極右政党FN(→ RN)が2017年大統領選挙の際に同党党首マリーヌ・ル・ペン候補を支持するスローガンだった。ここはわれわれの国だ → われわれでない者はここから出て行け。ナレフ氏がこのスローガンを知らなかったわけはなかろう。この歌のコンテクストは、ここはどこなのか?こんなにも”非ヘテロ”に陣地を奪われているのか?ここはわれわれの国なのか? ー となろうが、20-21世紀の性文化の変遷を(加州とフランスという現場で)ご自分でも生きてきたわけではないのか? いたく失望しましたよ。

(追記)ジャケットアートは(これもAI介在なしの)実写写真(フォトグラファー:ローラン・セルーシ)だそう。これは素直にすごいと思いました。

<<< トラックリスト >>>
1. Un temps pour elles
2. Villa Cassiopée (instrumental)
3. Tu n'm'entends pas
4. Tu n'm'entends pas (reprise instrumental)
5. Quand y'en a pour deux
6. Solstice (instrumental)
7. Sexcetera
8. Un moment (instrumental)


MICHEL POLNAREFF "UN TEMPS POUR ELLES"
LP/CD/Digital Parlophone/Warner
フランスでのリリース:2025年4月25日


カストール爺の採点:★☆☆☆☆

(↓)2025年4月28日フランス国営ラジオFrance Interの朝番7-10でレア・サラメのインタヴューに答えるナレフ氏

0 件のコメント: