2016年11月26日土曜日

きょう、ベベンが死んだ

Leïla Slimani "CHANSON DOUCE"
レイラ・スリマニ『やさしい歌』

2016年度ゴンクール賞受賞作品

  1981年ラバト(モロッコ)生まれ、当年35歳のフランス・モロッコ二重国籍女流作家の第2作目の長編小説で、この11月2日に2016年度ゴンクール賞を受賞しました。
 この小説を書くきっかけとなったのは2012年アメリカで実際に起こった事件だそうで、二児の母が家に帰ってみると、幼い子が二人とも50歳の乳母に刺殺されていたというもの。フランス語で言う 「フェ・ディヴェール(faits divers)」、つまり「三面記事ネタ」です。こういうフェ・ディヴェールから発して20世紀文学の一つの巨峰となったのがトルーマン・カポーティ『冷血』(1965年)ですが、『冷血』のようなジャーナリスティックなアプローチで殺人事件に迫るノン・フィクション的文体で書かれたものとは、このレイラ・スリマニの作品はだいぶ異なります。事実に発して、人物たちを作り上げ、劇的に自分の小説世界に取り込む、という純フィクションです。
 小説第一行めがすごいです。
Le bébé est mort.
赤ん坊は死んだ。
 もう一人の幼女(赤ん坊の姉)は、救急隊が到着した時にはまだ命があった(しかし病院で命を落とす)。赤ん坊は即座に死んだが、幼女は苦しみ悶絶のうちに死んだ。そういう小説の導入部なのです。 結部が先にある。小説はどうしてそこに至るのかを、乳母の側、子供たちの側、その両親の若夫婦の側、その他複数の関連人物の側から、立体的に分析展開していくのです。レイラ・スリマニも元ジャーナリストです。現場のリアルさを伝えながら、読む者をその場の証人にしてしまう筆力があります。
 ミリアムとポールは若くして結婚した夫婦です。そして若くして二人の子供を授かった。ポールが録音スタジオで働くサウンド・エンジニアだったが、そのセンスが評価されて制作側にどんどん入り込んでいき、プロデューサー(この意味は出資者ではなく、制作監督者)の地位にまで至ろうとしています。その代わりこの世界は時間が無制限で、アーチストの気まぐれにも付き合わなければならず、徹夜で作業というのは日常茶飯事のこと。昨今どんどん難しくなっている音楽産業内で生き延び、なおかつプロデューサーとして成功していく、この展望にミリアムは熱い支援の目を注いでいる反面、それにひきかえ自分は一体何をしているのか、という嫉妬もあります。ミリアムは法科の学生時代、クラスで最も優秀な成績で誰もが一目置いていて、弁護士資格も簡単に取得して有望な将来があったはずだった。しかし結婚・出産・育児という日々はそれから遠ざけ、ポールと子供たちに24時間尽くす主婦になってしまいました。その上子供たちは難しい。小さいお人形というわけではなく、こんな幼さで反抗もすれば拒否もする。そんな日々にフラストレーションを蓄積していたミリアムに、偶然出会った学生時代の友人パスカルは、ミリアムの優秀さを知っているがゆえに、もったいないと思い、自分の弁護士事務所のスタッフとして加わらないか、と誘います。これはミリアムにはまさに渡りに舟だった。ポールもミリアムの職業復帰ということには全面的に賛成するのですが、さて子供たちをどうするか?
 上の子ミラはエコル・マテルネル(2歳から入れる幼年学校)に通っているが、下の子アダンはまだベビーカーが必要な小ささ。これを夫婦共働きの場合、その不在時間に世話してもらえるのが "nourrice"(ヌーリス、乳母、子供ことばではヌーヌー)という職業婦人です。私たちの現地人的印象ではどうしてもアフリカ系、インド・パキスタン系、アンチル系(マルチニック、グアドループ...)のおばちゃんというイメージが強いです。しかしミリアムとポールが何人も面接した後で最終的に採用したヌーリスは、白人フランス人中年女性ルイーズでした。経験が豊富で前雇用者からの照会もいい。そして時々非常に難しくなる幼児二人でもすぐさま懐いてしまう熟練の子育て術を持っています。
 ポールとミリアムはこの天からの贈り物のような理想のヌーリスに大満足です。若夫婦のヌーリス採用の最大の目的は「子供のことを考えずに仕事に没頭できること」でした。第一線の現場で仕事して成功していくという夫と妻のそれぞれの希望は、このほぼ完璧なヌーリスの登場でほとんど叶えられたかに思えます。おまけにこのルイーズは、家事全般にその能力を如何なく発揮して、若夫婦のアパルトマンの不備・不具合を改善し、無駄を節約し、完璧に清潔で整理された居住空間を作り出し、さらにミリアムになど到底出来ない料理を子供たちと若夫婦に用意します。ヌーリスに求められることの10倍ものことをルイーズはやってのけるのです。 若夫婦はこれを友人たちに自慢しまくり、自分たちの幸運を見せびらかし、人を呼んでルイーズの絶品の料理を賞味させます。これは若夫婦のサクセスストーリーなのです。思う存分仕事をして、家庭は円満で、子供たちは幸福に成長している。
 この幸福をもたらした張本人はルイーズなのです。子供たちはすでに「第二の母」としてルイーズに対する愛情と依存度を深めていきます。ともするとミリアムよりもずっと深い関係になっている部分ができてきます。どんどん家庭に深入りしてきます。ある種この共同体は4人で成立している、という深みにまで入り込みます。そしてこの深い関係に対して最初は全面的に好意的だった若夫婦は、ルイーズを夏のヴァカンスにまで招待して「家族同様」の関係を築こうとします。その行き先のギリシャで、ルイーズは自分の弱点(水が怖いこと、泳げないこと)などを露呈してしまいますが、個人的に自分が味わったことのない美しい時間を体験し、彼女にとっては「ひとクラス上の」幸せを感じてしまうのです。
 若夫婦が故意に感知しようとしないことですが、ルイーズには暗い過去があり、それを引きずった現在があります。暴力的で実生活で失敗して多額の借金を残して死んだ夫、その家庭にいる未来を絶望して家出した娘、今でも夫の借金の返済に追われながら、家賃の滞りにパリ郊外の住処を今にも追い出されそうになっている毎日があります。
 ルイーズはこの若夫婦の家庭で働くことで得ているつかの間の幸せがあります。だから時間のことなどとやかく言わず、たとえポールとミリアムの帰宅が仕事の都合で遅くなっても、24時間常にリカバリーができるスーパー・ヌーリスとして奉仕ができるのです。ルイーズはそういうアプローチをするのです。できるならこの幸せを延長したい、と。
 しかしほぼ「第二の母」ほぼ「家族の一員」ということが越えられない一線というのが厳然と存在します。それはポールとミリアムがルイーズに対して最初の前提として固辞している「雇用者と被雇用者の関係」なのです。若く未成熟なこの夫婦はこの関係はあくまでも雇用関係の内部でのみ成り立っていると思っている。つまりたとえどんな完璧で天使のようなヌーリスであっても、それは主従関係のルールの下にあるものと思っている。だからいつまでたっても、若夫婦とルイーズの関係はフェアーなものではなく、上下関係なのです。これはルイーズには何かしら諦めのつかないものであるのです。
 さらに複雑なのは子供たちの態度です。次第に子供たちは多忙で不在がちなミリアムよりもルイーズの方に親近感を抱いていき、その懐き方はミリアムへのそれを上回っていく。ここでミリアムとルイーズの間に確執が生まれていきます。
 ポールも次第にルイーズの育児の仕方が自分の思っている方向とは違うと感じ始めます。ある日、ミラのわがままでルイーズの手持ちの安い化粧品の全てを使って、ミラが自分の顔にケバい化粧としてしまいます。私はこれは幼い女の子だったら本当に大好きなことだということを経験として知っています。それを見てしまったポールは逆上して、下品で下劣で娼婦まがいの顔になったわが娘を力づくで洗面させ、わが娘をここまで貶めたルイーズを徹底的に糾弾します。
 結局若夫婦にとっては、ルイーズは「使用人」でしかない。たとえどんなに恩寵のような瞬間が4人の間にあっても、ルイーズは金で雇われた人間の域を出ないのです。過度にエゴイストというわけではない、一生懸命に生きているミリアムとポールの姿はあれど、読む者はこの若夫婦の未成熟に苛立つはずです。それはある種恵まれた環境の中で生きるということが、子供の教育に関しても非現実的で、自分の仕事を優先させることが今日的で、自分たちが子供たちの前に不在であるということの重いデメリットがわかっていない。そして「使用人」は差し替え可能という思い上がりすらある。ルイーズとの関係がダメになったら、次を探せばいい、という思いあがり。
 小説はこの人間同士の全くフェアーでない関係を浮き彫りにします。ほとんどマゾヒスティックと言っていいルイーズの努力は報われず、ルイーズの小さな夢は水泡に帰します。その中間にアダンとミラという幼児たちがいて、この二人は絵に描いたような良い子ではなく、凶暴で残酷な一面があります。これをポールとミリアムはほとんど知らない。ルイーズは言うことを聞かないミラに血がにじむほど腕を噛まれるのですが、それを若夫婦には言いません。ルイーズはルイーズでこの子らに関しては若夫婦の知らないたくさんの秘密を知っているし、それを言わないけれどその点でルイーズの方が優位にあるという自尊心もあります。
 なぜ凶行に至ったのかは、読み進むにつれて不思議のないことに了解されていきます。若夫婦、幼児二人、ルイーズからの視点だけでなく、この関係に関与した複数の人々の視点を差し込みながら、小説は立体的にこの事件の深刻さを明確にしていきます。私が最もこの小説で考えるのは、何ゆえにこれほど人と人の関係はフェアーでないのかということです。「第二の母」「家族同然」と言われながら、越えられない主従関係。人を見れば、最初に自分より上か下かを読み取ろうとする態度。入り込もうとしても予め拒否されている社会構造。その進行につれて、ルイーズは怪物化していくのです。この怪物は読む者にとって少しも不可解ではないのです。この三面記事ネタからここまでの拡がりを持った今日的人間ドラマに展開できた文学力、私はそれに敬服しますし、ゴンクール賞の名にふさわしい傑作だと思います。

Leïla Slimami "Chanson Douce"
Gallimard 刊 2016年8月、 230ページ、18ユーロ

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)自作『やさしい歌』を紹介するレイラ・スリマニ。



 


 

2016年11月21日月曜日

今朝のフランス語:エリミネ

Eliminé
エリミネ

1.(無用・有害な要素として)削除された、排除された。(受験者・選手・チームなどが)ふるい落とされた、不合格となった、外された。
2. 《数》(未知数などが)消去された。
3. 《生理》(老廃物、毒物などが)排出(排泄)された。

 本語的な語感ですよね。「エリミネ」さんという苗字の人いますでしょうし。フランス語には結構ありますよね、どこか日本的な響きの言葉、「マカベ」とか「オノレ」とか「イヌイ」とか。

 時は2016年11月20日(日曜日)、パリ圏地方は雨と曇りの典型的晩秋・初冬の空模様、わが町ブーローニュでは第20回目になる11月恒例のセミ・マラソン(21,1キロ)大会が開かれ、わが家の前のセーヌ脇道路も車両がエリミネされて、8000人ものローカル・マラソニアンたちが雨に打たれながら走っていたのでした。その日、フランス全国のトップニュースとしては、2017年フランス大統領選挙の保守・中道派からの統一候補を選ぶ保守中道有権者による予備選挙市民投票の第一回投票が行われたのでした。立候補者数は7人。保守最大政党にして第一野党であるLR(レ・レピュブリカン。日本では「共和党」と訳されている)から6人:アラン・ジュペ(1995〜97年首相、現ボルドー市長)、ニコラ・サルコジ(2007〜12年大統領)、フランソワ・フィヨン(2007〜12年首相)、ジャン=フランソワ・コペ(LRの前身UMP党党首2012〜14年)、ナタリー・コシュルコ・モリゼ(2007〜12年環境大臣)、ブルーノ・ル・メール(2009〜12年農相)。そして非LRの保守政党でPCD(キリスト教民主党)の党首であるジャン=フレデリック・ポワソンが立候補して、計7人の候補者で争われました。9月からの選挙戦は、3回のテレビ公開討論会を含む全国選挙レベルの展開でしたが、序盤中盤は圧倒的にアラン・ジュペ優勢と見られ、それをサルコジが追う形で、この選挙はジュペ/サルコジが2強と思われていました。
 この予備選挙は2回の投票。まず11月20日が第一回投票で 7人の候補者から上位2人を選出し、下位5人をエリミネします。そして1週間後の11月27日が決選投票で、勝者が見事保守・中道統一の大統領候補となり、敗者ジュペはエリミネされます(と断言したら、ジュペ派から天誅を喰らうかもしれません)。
 11月20日、この雨混じり曇天の日曜日、驚いたことにこの予備選挙に保守系有権者たちは大挙して投票所に向かい、予想をはるかに上回る430万人が票を投じたと言われています。その数日前からメディアは様々なアンケート調査機関の数字を上げて、ジュペ急落、フランソワ・フィヨン猛追と声高に報道していたのですが、「アンケートなんてね、けっ!」という市民感情があるじゃないですか、当地でもトランプ当選の後遺症は大きいのですよ。後遺症だけでなく、不可能が可能になるというモチヴェーションを名も無き投票者たちに与えたのかもしれません。
 11月20日、フランス全土の予備選挙投票所は19時に門を閉ざし、20時半すぎには開票速報が出始めると言われていました。
その夜、 私たちはパリ18区ピガール地区にあるトリアノン劇場にいて、フランスの代表的な独立レーベル『サラヴァ』の50周年を祝うコンサートを着席して鑑賞しておりました。年齢層も高く、長年のピエール・バルーのファンたちの集まりという感じで、一階席と2階バルコニー席までほぼ埋まってました。ピエールさんの「サンバ・サラヴァ」で20時に始まったコンサートは、娘マイア・バルー、ダニエル・ミル、アルチュール・H、ジャンヌ・シェラル、アルバン・ド・ラ・シモーム、バスチアン・ラルマン、ドミニク・クラヴィック、クレール・エルジエールなども出演して、派手ではないけれど丁寧なオマージュでピエールさんをもり立てていた、暖かい50周年イヴェントでした。
 ところがそういう心温まるコンサートにあっても、不逞の輩たちはいるんですね。演奏の最中にもスマホを開けて、予備選挙の開票速報を追っていた人たち、少なくなかったんじゃないかな。21時近くになって、私たちの座っていた一階席の後方から、小声で「サルコジ、エリミネ!」のささやき。それがどんどん伝わってしまう。あちこちでささやき声「サルコジ、エリミネ!」「サルコジ、エリミネ!」「サルコジ、エリミネ!」「サルコジ、エリミネ!」...。
 21時すぎに幕間休憩があり、みんなホールに出て、たくさんの人たちがスマホ開いてカチャカチャやっている。私もすぐさまスマホを開いて開票速報:フィヨン 42%、ジュペ 28%、サルコジ 20%の数字。わお、サルコジ、エリミネ確実ではないですか! ー その後のコンサート第二部はそれとなく会場全体の気分が上々になった感じ。わかりますとも。これで少なくとも2017年5月の大統領選挙・決選投票で「ニコラ・サルコジ vs マリーヌ・ル・ペン」という悪夢の二者択一の可能性は消えたわけですから。

 冒頭に訳語挙げておきましたが、エリミネは強烈な言葉です。不要なもの、有毒なものを除去・排除するというだけでなく、マフィアが邪魔者や裏切り者を消すときも使いますし、スターリン時代のソ連KGBが反革命分子を粛清するときも éliminer という動詞を使っていたのです。私がこの言葉をちゃんと記憶したのは1980年代のヴィッテル(ミネラルウォーター)のテレビCM(↓)だったと思います。

スローガンは「Buvez, Eliminez」つまりヴィッテルを飲んで、エリミネしようという意味になると思いますが、この場合は体内の水分の不純な部分をヴィッテルを飲むことによって浄化して、悪いものはオシッコとしてエリミネしましょう、というメッセージです。オシッコとして流される、これもエリミネ。

 私なりのコメントはほとんどありません。この予備選挙にも大きな興味を持って傍観していたわけではありません。伝統的保守政党の器はどれも似たようなものという先入観があります。ジュペ、フィヨン、サルコジを分つものは何かと探すのも徒労だと思います。似たものですし、2007年から12年までサルコジは大統領でしたし、フィヨンは首相でした。私はフランスに来てからジスカール・デスタン、ミッテラン、シラク、サルコジ、オランドという各大統領の政治を経験してきました。2007年から12年までどれほど暗く、フランスに不信を抱いていたか、私の個人的記憶ははっきりしています。12年の大統領選挙前、この選挙に敗れたら正解を引退するか、というBFMTV(ジャン=ジャック・ブールダン)という問いに、サルコジは三度「ウィ」と答えました(↓)。


 2014年サルコジは復帰し、いとも簡単にUMP党党首となり、自分の思い通りに党名をLRと変え、この(初めての)「保守・中道統一候補予備選挙」を開催すると決めました。次期大統領の座を奪取・奪還するためです。2015年、2016年、その勢いは伸びず、このカムバックは極右の票を奪い返すことでしか成功しないというはっきりとした教権的・排外的政策を打ち出すところが、フィヨン、ジュペとの違いでしたでしょうか。
 昨夜、開票されるまで、次週は「ジュベ vs サルコジ決戦」だと思っていたでしょうか。3位になってエリミネされたサルコジは、二度目の政界引退を余儀なくされました。11月20日、22時頃、アイム・ア・ルーザー演説(↓)



(↓)その36秒目からこんなこと言ってます。
Il est donc temps maintenant pour moi
D'aborder une vie avec plus de passions privées
moins de passions publiques

今こそ、私には
公的な情熱(政治)を減らし
より個人的な情熱に満ちた生活に向かうべき時がやってきたのです。

これは引退宣言でしょうけど、passions publiques を減らすけれども無くすとは言っていませんからね。エリミネされても、エリミネされても、数年後に帰ってきますよ。まだ62歳ですから。