2023年12月2日土曜日

ミンナニデクノボートヨバレ

"Perfect Days"
『パーフェクト・デイズ』


2023年日本ドイツ合作映画
監督:ヴィム・ヴェンダース
主演:役所広司(2023年カンヌ映画祭男優賞)
フランス公開:2023年11月29日


まもなく(これを書いている時点から3週間後)日本公開になるし、すでに話題の”日本映画”であるし、おまけに日本語版ウィキペディアが大幅なネタバレを含むかなり詳細な情報を公開しているので、爺ブログが出る幕はないとは思う。のではあるが。
 1985年、ヴィム・ヴェンダースのドキュメンタリー映画『東京画(Tokyo-Ga)』を私はリアルタイムにパリで観ていた。パリの映画館でフランス人に囲まれて観ると、それは不思議の国「日本」の絵であった。ヴェンダースの最も敬愛する映画人であろう小津安二郎の1953年の映画『東京物語』をイントロとアウトロに導入するこのドキュメンタリーは、『東京物語』の30年後たる1980年代の東京に、いったい小津的情緒や小津的心象風景はまだ見い出せるのか、という問いから発している。答えはヴェンダースのカメラアイはその東京のあちらこちらにそれを見てしまうというものだった。ヴェンダースの知らなかったパチンコや食堂の料理見本(ロウ細工)や竹の子族にもカメラアイはそれを見てしまうのだった。この詩的にもメランコリックな東京は、私はおそらくヴェンダースを通して初めて知ったのかもしれない。
 この『パーフェクト・デイズ』はそれから40年後なのである。小津の『東京物語』その他で笠智衆が演じた「ヒラヤマ」という名の男をヴェンダースは彼なりに創ってみようとしたのだろう。口数が少なく、そこはかとない哀感を帯びた笑顔の初老の男、このヒラヤマ(演役所広司)は浅草界隈に近い木造2階建(風呂なし)ボロアパートに住むひとり身の底辺労働者で、その職業は東京の公衆便所巡回清掃員である。映画にはさまざまな意匠とデザインのハイテクな公衆便所が登場し、『東京画』の時のような不思議の国「日本」のような図に欧米人には見えるかもしれない。まさにこれは『東京画』の中の料理見本ロウ細工と同じようなもので、見た目の奇異さはあれど映画の重要なファクターではない。アメリー・ノトンブが東京の一流商社でパワハラを受け便所掃除を命じられた屈辱のようなドラマティックな要素もない。この映画で便所清掃は淡々としたひとつの労働であり、それ自体はドラマではないが、底辺労働として見られる衆目の価値観は避けられない。
 ラヤマの生活リズムはきわめて規則正しい。夜明け前、近所の老婦人の玄関先を掃く竹ぼうきの音で目が覚め、茶碗栽培の苗木に霧吹きをかけ、歯を磨き、シェーバーで顎髭を剃り、口髭を丁寧にハサミで揃え(旧時代のダンディズムを想わせる)、"THE TOKYO TOILET"(これがこの映画のタイアップ企業か)と背に書かれたつなぎの作業衣に身を包み、自販機で缶コーヒー(これが朝食代わり)を買い、便所清掃の七つ道具を積み込んだライトバンに乗って仕事の便所巡回清掃に出かける。
 この一日の始まりで重要な瞬間はヒラヤマが玄関ドアを開け、外に一歩出る時に、必ず上を向いて朝の空を見やり、満足げな微笑みを浮かべることである。この生活パターンのシーンは映画中何度もループマシーンのように繰り返されるのだが、この朝の空に微笑みのところは何度見てもいい。毎朝来るのに初めての朝のような。Morning has broken like the first morning. そんな歌のような朝だが、この歌は挿入歌として登場しない。しかし、この映画は数々の挿入歌がおおいにものを言う効果がある。その音楽のほとんどがヒラヤマの業務用ライトバンのカーステから聞こえてくるのだが、すべてヒラヤマの個人コレクションのカセットが音源なのだ。挿入曲リストを挙げておこう。
"The House of the Rising Sun" - The Animals (1964)
"Redondo Beach" - Patti Smith (1975)
"Walkin' Thru The Sleepy City" - The Rolling Stones (1964)
"Perfect Day" - Lou Reed (1972)
"Pale Blue Eyes" - The Velvet Underground (1969)
"(Sittin' On) The Dock of the Bay" - Otis Redding (1968)
"青い魚" - 金延幸子(1972)
"Sunny Afternoon" - The Kinks (1966)
"Brown Eyed Girl" - Van Morrison (1967)
"Feeling Good" - Nina Simone (1965)
シクスティーズ/セヴンティーズの渋みオーガニックポップロック精選のような曲並びであるが、映画で「カセット音質」が再現できているかどうかは、まあいいとしよう。要はルー・リードとヴェルヴェットなのだと思う。ヒラヤマはルー・リード好きの静かで木訥なる男という設定、これを役所広司が体現できているか、という問題。

 そしてヒラヤマは読書家である。そのボロアパートの2階のせまい寝室(たぶん六畳、煎餅布団+掛け布団+枕)には、ヴィンテージなラジカセ機と棚にきれいに並べられたカセットのコレクションのほかに、文庫本の蔵書がある。すべて古本屋の「100円均一文庫本コーナー」で調達されている。映画に登場するだけでも、ウィリアム・フォークナー、幸田文、パトリシア・ハイスミスというラインナップ。広いレンジの文学を心の糧にしているのだろうが、読むのには時間がかかる。きつい肉体労働のあとの床の中で、眠りに落ちるまでに読めるのは数ページ。そのあとにモノクロのアブストラクトな夢が映像として登場する。
 渋め音楽好き、渋め読書好きの底辺肉体労働者、その掃除仕事の几帳面さは映像で強調されている。昼は木々に囲まれた神社境内のベンチで(たぶんコンビニ製の)三角サンドとパック牛乳で済ます。その昼休みの神社境内で、毎日ヒラヤマは(たぶん彼が愛してやまない)大樹が空覆う枝と緑の葉の姿を、下から時代物のインスタントオートフォーカスカメラ(要写真フィルム)で撮影する。この撮影したフイルムをヒラヤマは(今もこの世に現存する)町の写真現像屋に行って現像紙焼きしてもらい、良い写真とダメなものを区分けして、アルミの菓子箱に整理して長年の写真記録として押し入れに仕舞ってある。これが茶碗盆栽栽培と共に、ヒラヤマの偏執的オタクのような側面をよく象徴している。
 そして夕食は浅草地下街の大衆一膳飯屋で焼酎をひっかけながら。そのあと銭湯で汗を流して帰宅、読書、就眠。

 映画はこの朝起きてから就眠するまでのサイクルを数度繰り返していくうちに進行していく。昨日のコピーのような今日。しかしそのルーチンの合間にさまざまなことが起こっている。便所清掃の日常でもさまざまな人々が見えている。清掃仕事の同僚の若造(演柄本時生)の恋の最後のチャンスに立ち会ったり、その相手の女(演アオイヤマダ)にカセットで聞かせたパティ・スミスの曲で思わぬエモーションを引き出したり、ヒラヤマをあてにして家出してきた姪(妹の娘)ニコ(なんちゅう名前だ、と思われようがヴェルヴェット・アンダーグラウンドに由来する。演中野有紗 )に穏やかな人生のあり方をそれとなく感化したり、石川さゆり演じるママがいる場末の飲み屋で石川さゆり演じるママが石川さゆりの声で「朝日の当たる家」を歌うのを聴いたり、そのママの元夫(演三浦友和)でガンで余命いくばくもなしと宣告された男と夜の隅田川岸辺で二人で影踏み遊びに興じたり...。こういう日常の中での短編スケッチをオムニバス的につなげた映画。静かで木訥とした佇まいの初老男が、その日々に触れ合うちょっとしたもので、世界に少し影響を与え、自分も小さな満足をちょうだいしている。この静かな交感(コレスポンダンス)、これを小津的ポエジーだの禅的ふれあいだのとフランスの映画評は称賛するのである。たしかにここがこの映画の真ん中でしょうね。テレビもインターネットもスマホも持たぬ
(ガラケーは持っている)男、丈夫なからだを持ち 欲は無く 決して瞋からず 何時も静かに笑っている、これは宮澤賢治「雨ニモマケズ」ではないか。「雨ニモマケズ」は反語表現であると私は解釈している。「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と閉じるが、ワタシはなれないのであり、ワタシでなくても誰もなれないのである。サウイフモノをヒラヤマは体現している、というヴェンダース映画である。サウイフモノにとっての完璧な日々、パーフェクト・デイズは2020年代の東京でヴェンダースには見えたのだろうか。役所広司はすばらしい役者である、という次元で足踏みしてしまう映画には見えないか。
 この映画の日本公式サイトはキャッチコピーに「こんなふうに生きていけたなら」とムード的にうたっている。私は冗談じゃないよと思ってしまった。そういうレベルの映画にしないでほしい。たぶん日本側制作スタッフはたくさん注文をつけたように思えるものがやや目立つ。出資企業のものだけでなく。東京自画自賛にヴェンダースが加担しているように思えるところも。
 ヒラヤマがなぜ底辺労働者に身をやつしたのか、という過去のいきさつは映画ではほぼ不明のままである。ニコの母親(ヒラヤマの妹)が乗ってきた運転手付き超高級自家用車で想像できないことはない。説明的になる必要はないが、ヒラ ヤマはこのライフスタイルを自らが選び、その後悔はない(と言いながら、おいおい涙を流すシーンあり)。私はここのところがとても好きだし、ヒラヤマにとても深く秘められたものは、『パリ、テキサス』(1984年)のトラヴィス(演ハリー・ディーン・スタントン
の謎の失踪と同じ性質のものと思った。だから悪い映画ではない。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)フランス上映版の予告編


(↓)ルー・リード「パーフェクト・デイ」(1972年)

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