2022年6月28日火曜日

Winky don't lose that number

コードネーム:
WINKY RH776

ウィンキー さんが わが家にやってきたのは2017年4月29日のことだった。インターネット上のお見合いのあと、動物愛護財団30 millions d'amis のパリ郊外77県サン・ティリエの収容センターまで、娘の運転で孝子さんが迎えに行ってくれた。
 前任のジャック・ラッセル犬ドミノ君が前年の10月に15歳で亡くなって、(私はまだ働いていた頃だったので)飼育のほぼ一切を任されていた孝子さんが、自分たちの老いのことを考えるともうこれ以上犬さまを飼うのは無理と主張、私もそうだよね、と納得していたのだった。ところが、その年(2016年)暮れに(2015年夏/秋に全部切り取ったはずの)私の病気が再発してしまって、わが町のアンブロワーズ・パレ病院の担当医師が事態は深刻であり、仕事をやめて治療に専念するように、と。私はすぐに会社を閉鎖し、早期退職の年金受給の手続きを取り、治療のための病院通いと自宅隠居の身になった。会社閉鎖には6ヶ月を要したが、営業は2016年3月末で終了し、在庫と事務所の整理、種々の役所への閉鎖書類提出などで、重い気分の日々だったし、その年の1月から始まった通院治療は副作用がかなり体への負担がきつい(嘔吐・下痢、頭髪・体毛が抜け、直射日光で皮膚が火傷してしまう...)状態の時だった。適度な運動が必要とは言われていた。在宅でゴロゴロしていてはいけない。で、娘と孝子さんの発案で(私に内緒でいろいろ探してくれて)、ウィンキーさんとの出会いというドラマティックな展開となった。
(←2016年5月、わが家に来たての頃のウィンキーさん、慣れない男の抱っこはセクハラ、と言いたげな迷惑表情。私は眉毛も頭髪もなくなっていた頃)
あれから私は毎朝ウィンキーさんと散歩(3〜4キロ)するようになったし、おかげで公園知り合いも増えた。収容センターの人の話だと、洞窟に放置されていたところを発見されセンターに収容されたそうだが、どれほどの期間”半野生”の状態で生きていたのか、恐怖心と警戒心は非常に強く、人間とも他の犬たちとも接触/交流しようとしない。犬語がしゃべれないのだと思う。だから、わが家にも慣れるのにちょっと時間を要したし、なかなか安心して打ち解けた状態になってはくれなかった。リードで繋がれての散歩もどこに行っても怯えて、まっすぐには歩いてくれなかった。ま、そこから私たちの美しい物語はゆっくりと育まれていったわけですが。あれから6年、機会あるごとにSNS(Facebook, Twitter, Instagram)および当ブログでウィンキーさんと私たちのストーリーは紹介してきたし、2018年から毎年好評いただいている「ウィンキー・カレンダー」は今年5年目、来年は6年目を発表する予定でいる。ただ、2017年にセンターからウィンキーを受け取った時、その簡単な書類には詳しい情報が何も記載されておらず、私たちはウィンキーの(推定)生年月日も知らず、誕生日を祝ってやることもできずに今日まで過ごしてきたのである。
 そんな時2022年6月、フランス国農業食糧庁(Ministère de l'agriculture et de l'alimentation)のレターヘッドで、こんな書類がわが家に送られてきた。これはウィンキーさんの身分登録証明書。個人情報保護のため赤マーカーで消してあるが、身分証明番号(ウィンキーさん、この番号と書類を絶対に失ってはいけない!Winky don't lose that number ! )とそのパスワード、身分証明チップの埋め込まれた場所などが記載されている。そしてウィンキーさんの正式名は「ウィンキー RH776」である、と。なんか、R2-D2やC-3P0の仲間のドロイドみたい。そしてそして(!)、ウィンキーさんの生年月日は「2015年3月20日」とはっきり書かれている!これはめでたい、ありがたい。フランスのお役所が認定したウィンキーさんのオフィシャルな誕生日である。ウィンキーさんは(2022年6月)現在、7歳のレディーだったのだ。今年はもう遅いが、来年からはバースデイを祝ってあげられる。ウィンキーさん、お互いに長生きしましょうね。

(↓)スティーリー・ダン"Winky don't lose that number"feat ジェフ・スカンク・バクスター
(1974年)

2022年6月22日水曜日

One for the money

”Elvis”

2022年アメリカ/オーストラリア合作映画
監督:バズ・ラーマン
主演:オースティン・バトラー、トム・ハンクス
フランスでの公開:2022年6月22日

今年のカンヌ映画祭で世界初公開(5月25日)され、センセーションを呼んだエルヴィス・プレスリー(1935 - 1977)のバイオピック2時間39分。フランスの劇場公開は公式には6月22日(水)だったが、その前日6月21日がちょうど40周年となった「音楽の日 Fête de la musique」に当たったため、多くの映画館で”音楽の日特別プレミア”で21日20時の回にお披露目上映された。私はそのプレミア上映をわが町ブーローニュの商業シネコン(7ホール)の(観客まばらの)おっきいホールで観ましたよ。集客が悪かった理由はいろいろあると思うが、この国はやっぱりエルヴィスよりもジョニー・アリデイがキングだったのだ、ということかもしれない。70代80代の往年のファンたちにしたって、この国ではレコードやラジオでしかエルヴィスに触れられなかったのだ。全世界にファンはいたのに、このアーチストはアメリカを出て世界のファンに会いに行くということができなかった、というのはこの映画での重要なファクターのひとつである。フランスにも日本にも(ファンはいても)来れなかったので、リアル体験がない。だからプレスリーは世界的スーパースターでありながら、アメリカの"ドメスティック”なスターにとどまっている印象がある。私はファンではないし、ベスト盤CDしか持っていない。生前(現役)の頃は、姉がたった1枚「サスピシャス・マインド」(1969年)のシングル盤を持っていた、という程度。この映画でも出てくる1973年の世界同時衛星生放送「アロハ・フロム・ハワイ」も見ていない。だから当時を知る人間のひとりである私ではあるが、当時のエルヴィスを懐かしむ思い入れが希薄な状態で観た映画であることを予め言い訳しておきます。
 映画は悪徳興行師・山師・卑劣漢ジャーマネで世界最高のエンターテイナーを徹底的に蝕み(ヤク漬け)死に追いやったとされるトム・パーカー大佐(1909 - 1997)(演トム・ハンクス、この人本当に楽しんで"どうしようもない卑劣漢”を演じてるように見える)の惨めな最晩年の病床の独白から始まる。エルヴィスの死後20年もの間大佐は生き続けるのだが、ギャンブル(ルーレット)依存症で何百万ドルも失いながらも止められず、その最後の悲惨な姿のさらけ出しは、この映画制作陣の取ったポジションを冒頭で明らかにしているようなもの。だが、この映画の進行の中で、幾度か大佐の「釈明」「言い訳」の機会を与えていて、最後には「殺したのは私ではない」というエルヴィスの死の本当の理由の”大佐ヴァージョン”をもってくる。映画はその結論に向かって進むように組み立てられていて、なりゆきを注釈する「語り手」は大佐なのである。発見し、育て、スーパースターに仕立て上げたのは大佐なのだから。
 さてエルヴィスである。それは超スーパースター伝であるから、相応のカリスマ性を俳優(オースティン・バトラー)が体現できるか、という視点で観客が見てしまうのは当然である。どうなんでしょうねぇ?多くの人は、”あ、違うね”と見るのではないだろうか。眼光するどい”反抗性”、ワルさのようなものが足りない。ところが、一級のエンターテインメント映画『ムーラン・ルージュ』(2001年)で実証済みのバズ・ラーマン監督の激しいショー展開の映像手法は、この主役俳優を前代未聞のショー・エンターテイナーに見事に仕立て上げているのである。ひとたびステージの上に立つと、この若者は"けだもの”になる。フランス語表現でこれを"bête de scène(ベート・ド・セーヌ)"と言う。その声、そのアクション、その腰の振りで女性たちをトランス状態に持っていってしまう魔力を、映画のマジックで映像化してしまうのである。ベート・ド・セーヌは雄叫び、目まぐるしく(卑猥に)動きまわり、場内を半狂乱にさせる。わおっ。このステージシーンだけ延々続いてくれれば、われわれはどれほどうれしいか。そうはいかない。映画ですから。 
 それに加えてすごくいいなぁと思ったのは、エルヴィスの少年時代。ディキシーの地ミシシッピーで、貧しい(父親が牢獄にいる)家庭に育ち、黒人の子たちと一緒に遊び、ブルースギターの伴奏つきの黒人売春小屋を覗き見してブルースに痺れ、黒人メソジスト教会のゴスペル・プリーチャーに陶酔し、そのゴスペルの昂まりに感極まって体をぶるぶる震わせてトランスに入っていく少年。この子はこの黒い神の音楽に祝福されていて、やがて運命のようにその黒い神の音楽の化身になっていく。もう完璧な神話化ですけど、私には説得力あった。
 パーカー大佐はそれを最初に見抜いたのは自分だ、という自負があった。この超”金の卵”を本物のスターにできるのは自分しかいない、という自負も。エルヴィスはこの山師をあえて信用する。ゼニになるなら手段を選ばないという大佐の権謀術数も。人種隔離主義の治世下にあったアメリカで、その白人保守反動(公序良俗)権力からさまざまな制約を受けることになるエルヴィスのロックンロールは、大佐の権力への忖度(そんたく)で何度も消沈しそうになるのだが、その大佐の陰険なる下心をその都度裏切ってしまうのがエルヴィスのロックンロール・アティチュード、という出来すぎた話。
 それに関連して、ご親切に挿入されるアメリカ20世紀史(50年代から60年代)の変遷:人種隔離政策、公民権運動、キング牧師暗殺、ロバート・ケネディ暗殺....。ガキの頃からのダチ、音楽の師匠/仲間、宗教的信仰を同じくする人々、そういう基盤を持ったエルヴィスが、明白な政治的ヴィジョンを持って黒人たちを支持援護し、種々の事件に深く心痛める人のように描かれる。これはどうでしょうかねぇ。
 兵役で中断されるスター街道、兵役後イメチェンを図るパーカー大佐はハリウッド映画スターへの転身、さらに巨大スポンサーつきのTVスターへの転身を企てる。大佐は巨万の富を得るが、音楽アーチストとしてエルヴィスが最もつまらなかった時期。これを覆すのが、連続クリスマスTVショーでのエルヴィスのロックンロール・アティチュード。やっぱり(何度かある)このロックンロール・アティチュードでエルヴィスが生き返るシーンは観てる者はその度に溜飲を下げる思いになるのだよ。
 大佐の誤算(と言うか理解できなかったこと)は、プリシラとの恋愛、そしてエルヴィスのロックンロール・アティチュードだった。要するにパーカー大佐は"愛”も”音楽”も理解していなかった、ということになろうが、エルヴィスと大佐は恋仲にも似た、何度も破局しそうになりながらも、奇妙な親子愛的友愛で結ばれ続けるのである。エルヴィスは蝕まれていると知りつつも。
 世界的な超メガスターになりながらも"世界”に出れない。これは山師パーカー大佐がアメリカ国籍のないオランダからの密入国者であり、パスポートを持てない(出入国ができない)身であったことに起因する。このことは極秘事項でありエルヴィスも知らされていない。海外ツアーに出たがるエルヴィスをなんとかごまかして、ラスヴェガス・インターナショナル・ホテルでの超長期公演契約を結んで、エルヴィスを国内に釘付けにする。このストレスと、それを維持するための"ヤク漬け”で、エルヴィスのすべては壊れていく...。
 トム・パーカー大佐の「殺したのは私ではない」という最後の弁明は、それは"音楽”だったというもの。音楽に祝福され、音楽と一体化することを許された男は、音楽を愛しすぎ、音楽に命をささげ、音楽に求められるまま死んでしまったのだ、と。その証拠として出される映像が、立つこともおぼつかない状態で行われた死の2ヶ月前のステージ(1977年6月21日)の曲「アンチェンド・メロディー」。これはエルヴィス・プレスリー本人の当時のテレビ画像を(だいぶ修正したはずだけど)そのまま映画の中で使っている。これねえ、このコンテクストで、映画館の大画面で見せられたら、もう泣けて泣けて...。音楽に召されたのだ、と信じてしまうではないか...。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『エルヴィス』予告編 1


(↓)『エルヴィス』予告編 2


2022年6月19日日曜日

野ばらのひと

Fabcaro "Zaï zaï zaï zaï"
ファブリス・カロ『ザイザイザイザイ』
(2015年刊)


近年BD、小説、演劇、映画で当代一奇態なユーモアの書き手として急激に評価の高まっている"ファブカロ”ことファブリス・カロ(1973年生、現在48歳)が、長い下積みから抜けて一躍メジャーになるきっかけとなったBD作品。2015年、生まれ故郷であり現在も活動の地盤であるラングドック地方の首邑モンプリエのローカルBD出版社6 Pieds Sous Terreから出版され、異例中の異例、18万部を売る全国的大ベストセラーとなり、ラジオドラマ、舞台演劇、映画化もされている。つまり7年の間にもう「古典」という地位を手にしてしまったのだ。
 読みました。参りました。超傑作だと思う。 
 BDとはあまり親しいつきあいをしていないので、グラフィック的にどうかと言われてもなんとも答えられないところであるが、シナリオ/ストーリーテリングは破格の達人の仕事である。顔表情なしの無機質登場人物ばかりが、静止ショット構図を何コマかくりかえして、セリフだけでストーリーを回す手法が多い。フォトロマンのようでもある。セリフ/シナリオが本領の人なのだが、硬質な絵も笑えるタッチがビシビシ決まっている。
 シナリオはこうである。BD作家であるファブリスがあるスーパーで買い物をし、レジで会計をするときに、レジ嬢に「当店のポイントカードはお持ちですか?」と問われる。「持ってるよ」とズボンのポケットをごそごそ探す。ない。「違うズボンに入れたまま忘れてきたんだと思う」。しかしレジ嬢はこの問題を警備員に告げ、警備員は「ちょっと事務所までご同行願います」と。ファブリスは「カードは持っているんだが、他のズボンの中に忘れてきただけだ」と抗弁する。警備員がしかたないから強制的にと迫ってくるところを、ファブリスは買い物キャディーの中にあったネギを掴んで振り上げて(このネギを振り上げるというのが不条理さを際立たせている)警備員を威嚇し、その場から逃走する。ことは即座に一大緊急大事件となって国家レベルに広がり、ファブリスは凶悪犯として全国に指名手配される。本作の副題に"Un road movie de Fabcaro”と冠されているが、壮大な逃走ロードムーヴィーは、ヒッチハイクにつぐヒッチハイクで、物語は野を越え山を越え進行する。1ページ6コマ、あるいは2ページ12コマのスケールで、警察の内輪ギャグ、テレビニュースギャグ、テレビ評論家ギャグ、ブルジョワ家庭ギャグ、ユダヤ人ギャグ、BD業界ギャグ等々が次から次へと飛び出す。
 その後文学の領域でその才を高く評価されることになる表現の巧みさは、ここでも随所にあるのだが、その例を2カ所だけ紹介する。まず、ファブリスが家に残された妻子、とくに二人の娘を思って、今どき非常に珍しいガラス箱型電話ボックスから電話するシーン。「人生は10月の寒空の下の片目の犬みたいなものだ」というメタファーを使う。

(左上)
娘たち、パパだよ。よくお聞き。パパは今夜家に帰れない、たぶんあと数日は帰れないと思う。
(右上)
もうニュースで見たと思うけど、おまえたちにはわかってほしい、パパは悪党なんかじゃないんだ。
(左下)
いつもいつもいいパパだったわけではない、認めるよ。週末に一緒にいたことなんかないし、パパはいつもBDフェスティヴァルに行ってた。
おまけにおまえたちにはそこでパパはおいしいものばかり食べていたと思わせていたけれど、実はほとんどタブーレばっかりだったんだよ。
(右下)
いつもいつも好きなことばかりできるわけじゃない。人生なんて10月の寒空の下の片目の犬みたいなものなんだ。そのことをおまえたちが知るのはずっとずっと後のことであって欲しいとパパは願っていたんだ。
 

パパは(ポイントカード忘れの件で)家庭を破壊するというリスクを冒そうとしたのではないと続くのだが、この電話は番号違いでほかの相手(ケバブ屋のオヤジ)にすべて聞かれている。
 それから、ヒッチハイクにヒッチハイクを重ね、やがてようやく安全地帯を思われたラジオもテレビも電波が通らない辺境の町ロゼールにたどり着く。その町の露天市で偶然に遭遇したリセ時代の同級生のソフィー・ガリベール。
ぱっと見だけでは30年ほど前のことを思い出せないソフィーに、当時のことを語って記憶を蘇らせようとするファブリスの長広舌(以下全訳)。

「ねえ、憶えてるよね、いつも僕はVネックのセーターでその下にタートルのアンダーだったから顔が大きく見えたんだよ、その上には茶色のジャージで、おしりの形がはっきり見えるやつ、ズボンが巻き上がらないようにゴムの足紐がついてた、他の連中はみんなアディダス・チャレンジャー着てたんだけど。それで、きみは休み時間には必ずきみの親友のサンドリーヌ・フレオーとふたりで校庭を歩いて横切っていた。何度も往復してた。二人は横に並んでゆっくり歩いていた。きみたちの歩調はきっちり揃っていて、1ミリの違いもないみたいだった。まるでバレエのようさ。僕はそれを何時間だって見つめ続けることができただろうね。他の連中が取っ組み合いしたりかけっこしたりサッカーしたりしてる真ん中で、きみたちが休み時間におしゃべりをしながらゆっくり歩いているのを見て、僕はきみたちは成熟してるんだなぁと思った。そして僕はこんなシナリオを頭に描いていたんだ:きみは彼女に僕のことを話している。きみは彼女にきみは僕の方を見ることができないと言っている。だって僕の方を見たら、みんなにきみが僕に恋心を抱いていると悟られてしまう。きみはこれは秘密、とサンドリーヌ・フレオーときみの間だけの秘密にしておこうと思った。だからきみはずっと僕を見るのを避けていた。でも僕はね、心の中できみに何度も繰り返し言ってたんだよ。きみは僕を見ていいんだ、って。他の連中なんてなんにも知りっこないよ、って。きみはちょっと長めの青いK-Way風な上着を着ていて、それはカッコ悪いなと思われがちなのに、僕にはすごく似合ってると思ったんだ。その装いは他の女の子たちには到底達することのできない高み、一風違う人格を醸し出していた。それで教室ではね、ななめうしろの席からいつもきみのことばかり見つめていたんだ。そのせいで、あの日バッセ先生が僕に当てて第五共和制の始まりの年について質問した時に、僕は全然関係のないトンチンカンな答えをしたんだ。先生が質問したことを僕は何も聞いていなかった。なぜならちょうどその時に僕はきみを見つめながら、杉林の陰できみがそっと目を閉じながら僕に接吻するのを想像していたからなんだ。すごいことだよね。もしも今日、僕に第五共和制がいつ始まったのかと問うても、僕は絶対に答えられないよ。それがいつなのか僕は絶対に知ることも覚えることもできないんだ。その答は僕の中で一生涯、きみが杉林の陰でそっと目を閉じながら僕に接吻するイメージで遮られたままなんだから。」


これはこれだけで一冊の本が書けると思う。私はこのセンスに脱帽する。これはBDの人であるよりは、文学の領域で活字だけのパワーでいろいろメチャクチャできそうな予感。で、2022年の小説『サムライ』(2022年5月ガリマール社刊)を読み始めたので、近々このブログでレヴューします。
 なおこのBD本の結末は、逮捕され、裁判の結果、公共勤労奉仕刑でカラオケ・レストランで『野ばらのひと』(フランスでは1969年ジョー・ダッサン歌"Siffler sur la colline"として知られる)を歌う、ということ。赤塚的「これでいいのだ」というエンディング。ザイザイザイザイ。

Fabcaro "Zaï Zaï Zaï Zaï"
Editions 6 Pieds Sous Terre ©️2015年 70ページ 13ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)「野ばらのひと」岸洋子


(↓)2021年フランソワ・ドザニャ監督(主演ジャン=ポール・ルーヴ)で映画化された『ザイザイザイザイ』予告編


2022年6月13日月曜日

セート文化の革命

 Benjamin Biolay
 "Rends l'amour"

 バンジャマン・ビオレー「愛を返せ」

 大ヒットアルバム『グランプリ』に続いて、2022年9月9日リリース予定のベン・ビオレー11枚目のアルバム『サン・クレール(Saint Clair)』からの先行第一弾シングル。サン・クレール山は南西フランス、ラングドック地方の古い港町セートを見下ろす標高175メートルの丘。リヨン郊外ヴィルフランシュ・シュル・ソーヌ出身のビオレーであるが、親族の一部がセートに住んでいて子供時代のヴァカンスと言えばセートに滞在していたという、言わば第二の故郷。その生い立ちで重要なのは、ローヌ地方リヨン周辺で非常に有力な実業家/事業者の血筋にありながら、親族間の諍いがもとでビオレー家はかなり倹しい生活で、頼れる身内と言えばこのセートの縁者しかなかった。セートはおぼっちゃんヴァカンスの地ではなかった。貧乏ワルガキの思いっきりのワンダーワールドだった。少年ベン公はこうして"南”の訛りを口にし、ジタンたちと遊び、地中海に身を浸した。
 "ラングドックのヴェネツィア”とも呼ばれるセートは地中海と潟湖トー(Etang de Thau)に挟まれた水上の町で、マルセイユに次ぐフランス地中海岸の重要な港町(17世紀開港)。19世紀からイタリア移民がもたらした料理文化が今日そのままガストロノミック・セートを代表する"お国料理"になっていて、タコをパイ皮で包んで焼いたラ・ティエル・セトワーズ、種々の肉のトマトソース煮込みマカロニ添えのラ・マカロナード、う〜ん、デリッツィオーゾ!現地行ったらぜひ御賞味ください。そして水上槍決闘競技、ラ・ジュートが観光地セートの華である。
 そして文学と音楽の分野ではセートは20世紀フランスを代表する詩人ポール・ヴァレリー(1871 - 1945)、反骨のアナーキスト歌手ジョルジュ・ブラッサンス(1921 - 1981)という二大巨星を世に送っている。また"フラメンコ・ギターのピカソ"と呼ばれたヒターノのギタリスト、マニタス・デ・プラータ(1921 - 2014)もセートの生まれであった。
 そうしたセートの風土と文化はベン公にとってある種血肉化したようなものであり、11枚目のアルバムに、このセートの町へのトリビュートを、と考えたのだった。その事情は9月にアルバム全体像がはっきりした時に、爺ブログで再び深く掘り下げてみましょう。

 で、先行第一弾シングルの「愛を返せ」である。かなり大掛かりなプロダクションであるプロモーション・クリップは全編セート港で撮影され、エキストラ出演はすべてセートの人々らしい。撮影は2022年3月に行われた。すなわちロシアによるウクライナ侵攻が始まったあとのものであり、軍用ヘリ、戦闘機編隊、戦車、正装軍人、消防隊、ジュート槍手、司祭、ジタンなどが登場するのは、それぞれの寓意があってのことである。「愛を返せ」は読み方によってはおおいなる反戦・反権力の歌であろう。
俺からすべてを持ち去って行け
命も尊厳も、俺の港の突端も

たいへんな苦労をして貯めておいてわずかな金も
座り心地のいいソファも持って行くの忘れるな

何も残すな
樹齢100年の杉、広告看板
何ひとつ忘れるな
そのあと全部廃棄するのであっても


でも愛は返してくれ
俺がおまえに貸しておいた愛だ
それを持っていくのは泥棒だぞ
俺はおまえにあげたものなど何もない
何も与えていない
お願いだから愛は返してくれ
そしたら俺は絶壁から身を投げて
おまえのために
苺を摘み取りに行ってやるから
おまえが望むなら
ファックしてやったっていい

俺からすべて持ち去って行け
俺の情熱、俺の欲望、俺の錫のトーテム像
全部持って行け
何も忘れていないか確かめろ
俺を無一物にしてくれ
回りくどいことせずに
全部焼いてくれてもいい
テニスコートでの激しい応酬も
二人が黙りこくった街角も
みんなペンキで塗りつぶしてもいい

でも愛は返してくれ
俺がおまえに貸しておいた愛だ
それを持っていくのは泥棒だぞ
俺はおまえにあげたものなど何もない
何も与えていない
お願いだから愛は返してくれ
そしたら俺は絶壁から身を投げて
おまえのために
苺を摘み取りに行ってやるから
おまえが望むなら
ファックしてやったっていい

お願いだから愛は返してくれ
それはおまえのものじゃない
第一俺はおまえに投票さえしなかった
神様とやらがおまえに愛をくれるだろうよ
だがお願いだから俺に愛を返してくれ
そしたら俺は絶壁から身を投げて
おまえのために
苺を摘み取りに行ってやるから
おまえが望むなら
ファックしてやったっていい

まあ、ゲンズブール流儀の下品表現と言えるだろうが、"je te baise"は一般社会向きではないけれど、言うかな...。読んでの通り、ありがちな"愛の破局”の歌ではない。「望むならおまんこしてやるから、愛は返してくれ」と歌っているのだから。「別れる前にお金をちょうだい」より事情はロックンロールだと思う。お立ち合い、この歌では愛とファックは別物である。私もそう思う。愛はまったく別物なのだ。戦争に走ってしまった国、戦争に加担することを良しと決めてしまった国、もしもその国を愛していたなら、その愛を返してほしい、と歌う歌だったら。2022年4月、大統領に再選されたマクロンに、(極右を落とすためだけに)おまえに投票した票を返してくれ、と歌っているのだったら。性は別ものであり、愛は俺だけのもの、というエゴイストな男のミゾジンな歌にすぎないのか、女性たちからは言いたいことあると思うよ。そしてこの文脈の中でセートはどう位置するのか。アルバムがとても楽しみである。ではまた9月に再考しましょう。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)バンジャマン・ビオレー「愛を返せ」、ラジオRFMでのギター弾き語りライヴ。


(↓)岡林信康&はっぴいえんど「セート文化の革命」(1970年)


2022年6月7日火曜日

ウィンキー in サン・マロ (2022年6月)

2022年6月4日、フランス全土で気候が極度に荒れて、落雷や(テニスボール大の)雹(ひょう)による被害が発生して、死者1人負傷者15人を数えた日、私たちはブーローニュ・ビヤンクールからブルターニュ地方サン・マロへと向かった。娘の運転するクルマは高速道路上ブルターニュ地方に入ってレンヌをすぎたあたりで、激しい豪雨に遭遇し、フロントガラスに激しく打ちつける大量大粒の雨で視界ゼロ状態が数十秒続いた。まあ、当日のテレビで映し出された各地の大被害に比べれば、まったく屁みたいなもので、現地でもまれに軽い俄雨に遭う程度でほぼ平静な滞在(2泊3日)であった。しかし空の色は概ね灰色で、雲の移り変わりは頻繁で、なんともブルターニュ的な神秘さを醸し出していた。
 そんなこんなで天候の不安があったので、近くの要塞砦の島々を海から見て回る遊覧船の乗船は取りやめ、もっぱらサン・マロ城壁に潮の干満でくっついたり離れたりするナシオナル砦Fort National フォールナシオナル)の島の周囲を散策していた。コルセール(日本語訳語は"私掠船”およびその船長と乗組員)と呼ばれる、国(フランス)から許可(および命令)を受けて敵国(歴史的にはおもにイギリス)の商船を捕獲・略奪を行う船隊の要塞港であったサン・マロ。有名な城壁要塞は17世紀、太陽王ルイ14世の命で建設され、そのサテライトのような海に突き出た要塞がナシオナル砦であった。第二次大戦時にはナチス・ドイツの牢獄として使われ、約300人の(フランス人)囚人が極めて過酷な条件で収監されていたという。現在砦(歴史的建造物として指定されている)は私有財産となっているが(有料)見学可能で、当時のままの砦施設とそのコルセール(海賊)時代からナチス牢獄までの歴史資料を見ることができる(私は犬連れなので入れませんが)。
 で、サン・マロのナシオナル砦をフィーチャーしたいい写真がたくさん撮れました。

(↓)6月4日、到着日18時、干潮で砂浜陸続きになっているナシオナル砦


(↓)6月5日午前、潮が満ちていて、陸地から離れているナシオナル砦を遠く望んで。

(↓)6月5日午前、サン・マロ城壁から降りて水辺からナシオナル砦をバックに。なんともブルターニュ的な絵。


(↓)6月5日午後、陸続きになったナシオナル砦のすぐ近くまで接近。岩場からナシオナル砦をバックに。