2021年10月27日水曜日

秋の日のキュルビヨン身にしみてひたぶるに

Thomas Curbillon "Place Sainte Opportune"
トマ・キュルビヨン『聖オポルチュヌ広場』

ちょっと覚えにくい名前キュルビヨン。レコードともラジオとも関係していた人。仏Universal Jazz の制作担当から、ジャズ専門ラジオTSFの選曲構成番組ホストへ。 2001年からもっぱらジャズ・ギタリスト&ジャズギター教授。そして20年後、これが初アルバム。長い時間かかってますが、いいんじゃないですか。
とてもはっきりした制作意図のアルバム。ジャズとシャンソン・フランセーズ。一聴してアンリ・サルヴァドールと聞き間違えるビロードの声、サッシャ・ディステル、クロード・ヌーガロ、ミッシェル・ルグラン、アズナヴール、モンタン、50年代ゲンズブール... シャンソンがジャズだった頃、ジャズがシャンソンだった頃、すなわちヴァリエテもロックもシャンソンでなかった頃、というわけです。ヴィンテージ風味の渋めクルーナーおシャンソン。
 トマ・キュルビヨン(vo, g)
 エリック・レニーニ (p)
 トマ・ブラムリー (cb)
 アントワーヌ・パガノッティ (dms)
というフレンチ・ジャズシーンの凄腕クアルテットを土台に、ステファヌ・ベルモンド (tp, bugle)をソロイストとする金管5本を加えたビッグバンド仕立てのアレンジで。制作監督には元ONJ(オルケストル・ナシオナル・ド・ジャズ = 国立ジャズ楽団)のリーダー(2008〜2013、アルバム4枚)のダニエル・イヴィネック。このメンツ見ただけで、サウンド面は絶対の保証つきのジャズアルバム。

 さて、シャンソンと来るからにはフランス語詞がたいへん重要なファクターであり、この分野ではヌーガロ、アズナヴール、ゲンズブールといった巨匠がいて、なかなかおいそれと洗練され軽妙洒脱なジャズシャンソン詞などできるものではありません。そこで起用されたのがキュルビヨン同様のラジオの人、今年開局50周年を祝っているわが最愛の国営ラジオFIPの甘美な声のアニマトリス、ガエル・ルナール(右写真)なのでした。同局の名物番組(毎夕19時から20時)の"CLUB JAZZ A FIP"の進行をつとめるなど、ジャズには精通した人。またジャーナリストとしてマリークレール誌などに筆を振るうほか、エッセイ本3冊の著者でもある。しかし何よりもFIPの電波上で披露される機知と含蓄と遊び感覚あふれる語り、甘く優しく時にはセクシーなその声が最大の魅力。そんなガエル・ルナールがこんな歌詞を書くとは、たいへんな(うれしい)驚きでした。(↓)1曲め「レアはうんざり Léa est lasse」
Léa est lasse, hélas レアはうんざり、ひどいわね
Elle trouve l'amour fugace 恋なんて束の間のこと
Mais les traits de Théo でもテオのことには 
ne la laissent pas de glace 冷ややかになれない

Léa est lasse, hélas  可哀想に、レアはうんざり
D'attendre ça l'agace 待つことなんてもうたくさん
Dans la vie de Théo テオとの生活に
Elle aimerait plus de place もっと自分の場所があれば

Et moi qui suis son confident そして俺は彼女の相談相手
Je l'écoute et je me morfonds 聞いてやるがその話にはいらいらする
Car je n'trouve pas intelligent  悪い男ばかり好きになるのは
De n'aimer qu'les mauvais garçons 賢いことじゃないよ

Et voilà que je perds mon temps こうやって彼女をなだめすかして
A tenter de la rassurer 俺は時間を無駄にするのさ
Si seulement j'étais plus confiant もうちょっと自分に自信があれば
Je tenterais de l'embrasser 彼女にキスしようとするんだろうが
Mais je ne fais rien, et je me tais 何にもしないで黙っている俺

Léa trépasse, hélas  なんてこった、レアは逝っちゃったよ
Tuée par contumace 欠席裁判で死刑
Le texto de Théo テオが送った携帯メールで
L'a fusillée sur place レアはその場で昇天

 
仏語わかる人は原文見てくださいね。「レア・エ・ラス、エラス」という第一行から、すぐれた言葉遊びと押韻のセンスがわかると思います。たったこれだけで、恋は異なもの、愚かなゲーム、という雰囲気を気怠い大人ジャズで表現。
 アルバムは全9曲36分という、最近の"アルバム”サイズ。古い人間なので、もっと曲数多くて長いアルバムであってほしいが、このごろはそうもいかないらしい。詞ガエル・ルナール/曲トマ・キュルビヨンのオリジナル曲が6曲、大スタンダード曲「小さな花 Petite Fleur」(シドニー・ベシェ)(3曲め)、アズナヴールのデビュー当時(1953年)の楽曲"Et bailler et dormir”(4曲め)、そしてクロード・ヌーガロ1967年作の"Berceuse à pépé”(9曲め)という構成。
 アルバムタイトルになっている"Place Sainte Opportune(聖オポルチュヌ広場)"は、パリ一区シャトレ地区に実在する広場で、ジャズファンにはパリのジャズクラブの老舗「プティ・トポルチュン(Petit Opportun)」で知られる場所。シャトレ〜レ・アール地区にはほかにも多くの小さなジャズクラブがあり、100年近くジャズの都パリの風景を作っているところです。
 ガエル・ルナールの詞による「聖オポルチュヌ広場」はかなり高踏で、象徴がいっぱいなのですが、昆虫学者の女性が「私」を砂漠の蝶々ようにあみでとらえ針で標本にされ、気がついたら聖オポルチュヌ広場で羽を休めていたというイメージ。この探検家の女性がこれは甘美な愛だと言いながら、「私」の魂や憂鬱な悪を取り去っていく、なにやらボードレール的詩情。難しくて訳せないので、放っておきます。
 それに比べたらずっと平易でスムーズな歌で、私がこのアルバムで最も好きなのが「Berçons (揺らそう)」という歌 :
恋人よ、僕の腕の中へおいで、そして揺すろう
幻想や失望を揺すって放り出そう
人生はロッキングチェア、さあ揺らそう

恋人よ、僕の腕の中へおいで、そして揺すろう
烈火のような怒りや恨みを揺すって放り出そう
人生はブランコ椅子、さあ揺らそう

涙や僕たちにはふさわしくないシワを放り出そう
さあ揺らそう

恋人よ、僕の腕の中へおいで、そして揺すろう
新しい夢を揺らそう、仲直りしよう
人生は大空中ブランコ、
さあよくつかまって、そして揺すろう



 トマ・キュルビヨンの衒いのないクルーナー・ヴォーカルと、ジャック・ドミー/ミッシェル・ルグラン映画の一シーンのような映像が見えてきそうな上下に揺れるメロディー、ステファヌ・ベルモンドのソフト&クールなバグル・ソロ。人生は大空中ブランコ。大きな大きな振幅であることよ。
 2021年秋に出た、So French なヴォーカル・ジャズ・シャンソンアルバム。これはおセンチなフレンチ好きにはたまらない1枚でしょう。傑作アルバム"Chambre avec vue"(2000年)以降のアンリ・サルヴァドールがまさに21世紀的なクルーナー・シャンソンだったのに比べれば、キュルビヨンは20世紀中期ど真ん中のそれ。秋冬に聴くべき音楽。

<<< トラックリスト >>>
1. Léa est lasse
2. Place Sainte Opportune
3. Petite fleur (Sidney Bechet)
4. Et bailler, et dormir (Aznavour)
5. Oxymore
6. Berçons
7. La môme bling-bling
8. Sale gosse
9. Berceuse à pépé (Claude Nougaro)

THOMAS CURBILLON "PLACE SAINTE OPPORTUNE"
LP/CD/DIGITAL JAZZ & PEOPLE JP821003
フランスでのリリース:2021年10月8日

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)トマ・キュルビヨン『聖オポルチュヌ広場』ティーザー

2021年10月24日日曜日

ミニムの赤レンガ、おおわがさと おおトゥールーズ

Mouss et Hakim "Darons de la Garonne"
ムース&ハキム『ガロンヌ川の親たち』

ロンヌ川流れるオクシタニアの都トロサ、トゥールーズはタンゴの父カルロス・ガルデル(1890 - 1935)を生んだ地である。その世界的評価においてはひけをとらぬ同郷の音楽家、ジャズスウィングのシャンソン詩人クロード・ヌーガロ(1929 - 2004)は、1967年その私的な思いを込めたバラ色の都(Ville Rose)トゥールーズへのオマージュ歌「おおトゥールーズ」をシングル盤として録音している。即座のヒットというわけではない。この歌は70年代から80年代にかけて、精力的なステージシンガーだったヌーガロが欠かせぬ十八番として歌い続け大衆的名声を勝ち得ていった歌だった。トゥールーズおよびオクシタニアの人々はこの歌で"mon païs(モン・パイス=オック語、わが国、わが郷)の原風景を想ったであろう。その最初の節はこう始まる:

Qu'il est loin mon pays, qu'il est loin  遠い遠い わがさと
Parfois au fond de moi se ranime ときおり私の心の底からよみがえる
L'eat verte du canal du Midi ミディ運河の緑色の水
Et la brique rouge des Minimes ミニムの赤レンガ
Ô mon païs, ô Toulouse, ô Toulouse おおわがさと おおトゥールーズ


この「ミニムの赤レンガ」が大歌手ヌーガロとムスタファとハキムのアモクラン兄弟を直接的に結ぶ場所である。ミニム地区はトゥールーズ中心部の北側に位置する庶民的な住宅地であり、現在は高層の公営住宅も多く建っている一種の近接郊外である。父がオペラ・バリトン歌手で母がピアニストという関係で興行のために不在することが多かったため、クロードは子供時代のほとんどを祖父の住むミニム地区で過ごし、学校もそこで通ったが、決して楽しいことばかりではなかったようだ。言わばむずかしい少年時代。その約40年後に、この同じミニム地区で未来のゼブダであるマジッド・シェルフィ、ムスタファとハキムのアモクラン兄弟は子供時代を過ごし、そこに留まり、音楽活動(ゼブダ)や市民運動(Les Motivé-e-s)の拠点にしている。レコードデビューし全国的に知名度を上げる前に、すでに大先達ヌーガロはこの「ミニムの若造たち」を愛し、応援していた。ヌーガロからの最初の贈り物は詞だった。アモクラン兄弟とレストランで夕食を共にしたヌーガロがその食事の終わりに「おまえたちのことを想って書いた」という詞 "Bottes de banlieue(郊外の長靴)」を。
 この詞は兄弟とゼブダのレミーとヴァンサンが曲を作り、兄弟の初の"ソロ”アルバム"Mouss & Hakim ou le contraire"(2005年)に収録されて世に出たが、残念ながらクロード・ヌーガロの死後になってしまった。


あれから十余年、この歌はムース&ハキムの重要なレパートリーになっていて、クロード・ヌーガロの代表曲のひとつ"Bidonville"(1966年、元歌はバーデン・パウエル「ベリンバウ」)の一節を挿入した新しいヴァージョンになって、この新アルバム『ガロンヌ川の親たち』にも再録音されて収められている。
 没後ヌーガロはトリビュートコンサート/トリビュートアルバムで祝福され、トゥールーズその他のゆかりの地でモニュメントが建てられたり、その名を冠した地名や施設などができ、そのヘリテッジは多くの人々に共有されている。そんな中で、故クロードの妹で故人の楽曲版権を管理しているエレーヌ・ビニョンがアモクラン兄弟にヌーガロの未発表詞7篇を託したのである。あなたたちなら、その詞で歌を作るだけでなく、それをあなたたち自身のかたちにできるはずだから、と。ムースとハキムはこれはまたとない贈り物ではあるが、それをどうムース&ハキムのかたちにするか、という難しい課題を与えられたことに身震いする。単なるヌーガロ・オマージュではなく、ヌーガロ風作品に仕上げるのではなく、兄弟に血肉化した歌としてクリエートする。時間はかかったようだ。
 音楽活動かれこれ30年選手のアモクラン兄弟にしてみれば、ゼブダやオリジンヌ・コントロレやレ・モティヴェ等のエネルギッシュでパンキッシュで社会的メッセージが前面に出ていたこれまでのイメージから見れば、このアルバムはやや異質で難しい仕事であったことは間違いない。今回サウンド面で屋台骨をつくったのが、ゼブダ〜レ・モティヴェなどで長年のつきあいであるギタリスト/サウンドエンジニアのジュリアン・コスタ。異色のアルバムとはっきり聞こえるのは、コスタがクラシカルなストリングス(弦楽四重奏団)をフィーチャーしていることに大きく関係している。スカ、レゲエ、パブロック、アラビック... といったイメージが強かったアモクラン兄弟が(ヌーガロ詞)"シャンソン"を志向するひとつの環境としてストリングスを選んだものと思うが、(”秋の日のヰ゛オロン”のような)感傷性は排されなければならない、ということを肝に銘じていた、とムースがインタヴューで語っている。
 アルバムは9曲32分。昨今ではこれがアルバムの平均的な曲数&長さとなっているようだが、オールドスクールの私にはちょっと喰いたりない。9曲中7曲が、上に述べたエレーヌ・ビニョンから委託されたヌーガロの未発表詞による新曲、1曲が(これも上に述べた)ヌーガロ/アモクラン兄弟初の共作曲"Bottes de Banlieue(郊外の長靴)"の再録新ヴァージョン、そしてもう1曲が数字の上ではヌーガロの最大のヒット曲ということになっている"Nougayork(ヌーガヨルク)"(当時56歳、ニューヨーク録音、1987年発表、詞ヌーガロ、曲フィリップ・セス)のカヴァー。ヌーガロへのオマージュならば、もっと他に曲があったろうに、と私には思われるのだが、あの頃若かったアモクラン兄弟がリアルタイムで聞いた最も印象的だった曲がこれだったのかもしれない。で、このアルバムでは一曲だけ浮いているエレクトロ・ファンクな、(↓)こんな出来になった。正直言って成功してるとは思えない。 


だが、それを差し引いても、このアルバムには素晴らしい曲がある。
ヌーガロが"paysan"(ペイザン=農民・百姓、在郷人)という言葉からインスパイアされて、「ペイザン=さとびと」と対をなして、カップルとなるべき「ペイザム(paysâme)=さとだま(郷魂)」というものがあるべき、と考えた。このヌーガロの造語「ペイザム」を歌った農民(さとびと)讃歌 "Paysâme paysâme"。
俺がさとびと(paysan)なら、おまえはさとだま(paysâme)だね
この言葉きれいだと思わないかい?
時々俺の重いサボ靴が涙を踏み砕いてしまうことがあっても
おまえは俺を鎮めて、俺を恨んだりしないよね
俺がさとびとなら、おまえはさとだまだね
俺はこの言葉歩きながら見つけたんだ
おまえは俺の畑で芽を吹くゴマの種
俺の肌のホクロ、俺のパン、俺の確かなもの
俺がさとびとなら、おまえはさとだまだね
この言葉はおまえにふさわしい、この言葉で俺は頭がいっぱいだ
さとびとのいない郷など郷じゃない
俺のさとだまがなければ俺はさとびとじゃない
俺は種をまき、耕し、雑草を取り、枯らす
頑固な耕地、やせた土地
おまえだけが大事にしてくれる
俺の古い鋤(すき)と鎌(かま)
さとだま(ペイザム)、さとだま(ペイザム)


 そしてこれはヌーガロとアモクラン兄弟の共通の"ふるさと”ミニム地区とおおいに関係しているに違いない「発酵乳(Le lait caillé)」の味をなつかしむ歌。これは私にも思い出がある。1990年代に勤めていた会社の地階受付デスクの女性が、自分の持っていたボトルから飲ませてくれた。彼女はアモクラン兄弟のルーツと同じアルジェリア(カビリア)系で、妊娠中の栄養補給に有効だからとたくさんの量を飲んでいたようだ。今では普通のスーパーにあるけれど、あの頃はやはり「エピシエ・アラブ」と呼ばれたあのよろず屋さんにしか売っていなかったのではないかな。ちょっとクセのあるヨーグルト飲料のような印象。最初の妊娠だったけれど、彼女は元気な男児を産み、産休あけにオフィスに連れてきた。その会社は私がやめて出ていったのだけど、次の会社で働いている時にうちの娘が生まれた時、どこで聞いたのか、娘のためにオーバーオールの防寒着をプレゼントしてくれた。めちゃうれしかった。今どこでどうしていることやら。この「発酵乳」の歌で私にも極私的思い出が蘇った次第。というのは、このアルバムで唯一マブレブ(カビリア)風味が香る曲なのである。
僕は発酵乳(レ・カイエ)の味をよく覚えている
発酵乳はヤギのミルク
それは僕の唇の端に
よだれを呼び起こすんだ
エカイエ(牡蠣空け職人)が牡蠣を開く時みたいに
僕は発酵乳(レ・カイエ)の味をなつかしむ
そのミルク売りおばさんは
いろんな色の瓶のミルクを売るので有名なんだ
学校のインク壺で汚れた指の間に挟んで
僕がホウロウの容れ物を差し出すと
おばさんが発酵乳を注いでくれる
僕は発酵乳の味をなつかしむ
発酵乳はヤギのミルク
それは僕の唇の端に
よだれを呼び起こすんだ
その愛想のいい屋台車が
大通りにやってくる
押してるのはあのおばさん
ヤギの声を出すので有名なんだ
その声でおばさんが
「レ・カイエ!、レ・カイエ!」 と叫ぶと
たくさんの人たちを押し除けて
僕はシマウマのように
おばさんのエプロンめがけてまっしぐら
学校のインク壺で汚れた指の間に挟んで
僕がホウロウの容れ物を差し出すと
おばさんが発酵乳を注いでくれる
発酵乳の新鮮な風味、忘れられない
でもひとつ大事なことが
僕の唇から出かかっている
その発酵乳はヤギのミルクじゃないんだ
発酵乳の新鮮な風味、忘れられない
でも僕はたいへんな間違いをしでかした
その発酵乳は牝羊のミルクだったんだ



この「レ・カイエ」の持つ、郷愁、ミニム地区の記憶、ヌーガロの詞がマグレブ系の小僧っ子だったアモクラン兄弟に完璧に溶け込んでしまった例。この最良の1曲のおかげで、このアルバムは偉大なヌーガロになんら気後れする必要のない、すばらしいオマージュ&ヘリテッジになったと言えよう。30年選手ムースとハキムは確実に成熟している。

<<< トラックリスト >>>
1. Paisibles plaines
2. Paysâme paysâme
3. Saut de l'ange
4. Le lait caillé
5. La nuit venue
6. Nougayork
7. Alice passe
8. Tes casseroles
9. Bottes de Banlieue (version camarade)

Mousse et Hakim "Darons de la Garonne"
CD/LP/Digital Blue Line BLO935
フランスでのリリース:2021年10月8日


カストール爺の採点:★★★★☆


(↓)手の込んだマジカルなクリップが素晴らしい"Le saut de l'ange(天使の跳躍)"

2021年10月18日月曜日

僕はすべてを試した

Edouard Louis "Changer : méthode"
エドゥアール・ルイ『変える:方法』


リスティーヌ・アンゴがあのことについてしか書けないように、エドゥアール・ルイもこのことについてしか書けない。エドゥアール・ルイは初小説『エディー・ベルグールにケリをつける』(2014年)以来、書くことはすべて自らの過去と訣別するためであった。それを書き続けるのは、振り払っても振り払っても過去が反復して蘇ってくるからであり、その呪縛にいかにして打ち勝つかの闘いに読者はつき合わされることになる。
 フランス北部の小さな村に生まれたエディー・ベルグールは、貧困と家父長制男性原理社会の中で育ち、そのホモセクシュアリティー傾向を徹底的に侮蔑罵倒されていた。父は村のほとんどの男たちが代々そうだったように工場労働者となっていたが工場での事故で体の自由を失い、転職もままならずアルコール漬けになっていった。母は暴力的な夫に従い、絶対足りるはずのない低収入で一家を切り盛りしていたが、支払い期限を待ってもらったり、食糧を分けてもらったりする時に母の代わりに行かされるのがエディーだった。弱そうな子供が頼みに行けば大目に見てくれるという母親の算段だった。食卓ではテレビがつけっぱなしで無言で食べる。パスタやジャガイモの量は切り詰めても、父とそのダチへの振舞いのためにビールとパスティスは常にふんだんにある。村では中学を出れば男たちは工場で働くようになり、女たちは結婚して家に入る。エディーは成績が良く、演劇部の教師の推薦もあり、北フランスピカルディー地方の中心都市アミアンのリセに入れることになった。その村では例外中の例外である。これがエディーの変身の第一歩だった。
 本書は14歳で初めて「実家」を出ることができた頃からのエディーの奮闘の記録である。何を奮闘しているのかというと、呪われ打ちのめされ続けてきた過去をいかに断ち切るか、過去と断絶した新しい自分に生まれ変わるか、ということだ。 村と父に侮蔑され続けてきた少年の反逆は別人になることだった。
 アミアンでの最初の"カルチャーショック”は言語であった。たった数十キロ離れた地方都市でエディーは聞いたこともない、理解が難しい言語と出会い、萎縮する。級友とのコンタクトを避けるために図書館に行き、ひとり本を読むふりをする。エディーが本を貪りつくように読むようになるのはしばらく後のことで、それまでは読むふりがやっとだった。そこで図書館員の女性と知り合い、少しずつ知への興味が芽生えてくる。この時期のエディーの段階的な変身のきっかけとなる人物たちはすべて女性である。演劇教師、図書館司書、アミアン文化センター人事課,,,。素晴らしい女性ばかりである。その中で最も重要な女性が、本書の第一章として140ページの分量で語られるエレナである。この第一章は同時に父親への私信としても書かれていて、子供から少年時代までのエディーの閉塞した世界を形成した第一責任者としての父を"tu"(あんた)と呼び、その世界から抜け出すことがどれほど過酷なことであったかの恨み言が綴られている。だがその呼びかけは大体が「あんたにはわかるまいが」なのである。あの村の世界とは違う世界があるということを、この父親には理解できるはずがない。そしてその世界からの脱出に最も重要な役目を果たすのが、このエレナなのである。
 出会いは青臭い。リセで最初に悪友になった少年二人から、誰もとっつかない変わった娘がいるから、おまえ口説いてみろ、と。ワル少年二人の視線を背後に、エディーはエレナに近づいていく。「何を読んでいるんだ?」とエディーが尋ねると、訝しげにエレナは本の表紙を見せる。『夜の果てへの旅』。「僕の知らない女だな」、すると少女は高笑いし「セリーヌは女の名じゃない。姓で男の作家よ」と。恥で真っ赤になりながら、ワル二人との約束を果たすべく、しどろもどろにエディーは言った「きみとマンコしたいんだ」。背後でワル二人が大笑いしている。エレナはすっと立ち上がり「あんた未熟よ」とその場を去っていった。
 この瞬間エディーの目に見える世界はガラガラを音を立てて崩れていき、村の延長でしかなかったワル友ふたりを断ち切り、何がなんでもこの娘のいる世界に入りこみたいと心に決める。アミアンのブルジョワ家庭の娘、古典から現代文学まで図書館のような蔵書とクラシック音楽のレコードライブラリーがあり、作家主義映画を観る。エディーにはすべてが新しかった。彼はエレナと対等に話すことはできなかった。ベースが違い過ぎるのである。だが必死になってエレナを模倣しようとした。エレナの読む本を読み、映画を観た。エレナの家は快くエディーを迎え、母ナディアは夕食のテーブルに着かせた。夕食の席ではワインを飲み、知的会話を楽しむのである。こんなものは北の村には存在しない。夕食は沈黙してテレビを見るのが慣わしだった。エディーはまず夕食の食べ方を学び取り、そしてこの夕食会話の言語を学び取った。そして夕食に呼ばれたら、必ずワインか花を携えていくことを知った。
 エレナはエディーをラジカルに改造していった。文化教養全般、ものの言い方、身のこなし、着る物、友人関係 etc。エレナは最初からエディーがゲイであることを知りながら、最良の友だちであることに幸福を感じていて、二人はエレナの部屋の同じベッドで寝ることが習慣になった。エディーはこの時、「ブルジョワ化」することが過去を断ち切る最速の道だと思っていた。
 ちなみに”エドゥアール”という名前はナディアに由来する(p104)。

僕は呼び鈴を鳴らし、ドアを開けたのはナディアだった。
こんにちわエドゥアール。
僕は動けなくなった。それは最初のことであり、僕はなぜ彼女が僕の名前でない名前で僕を呼んだのか理解できなかった。彼女は僕の顔に表れた驚きを見抜き、
あなたのことをエドゥアールって呼んでかまわない?だってエディーというのはエドゥアールを短縮した呼び名でしょ、エディーって本当の名前らしくないわ。私はエドゥアールの方が好きだしずっとエレガントだと思うわ。かまわないでしょう?


後年に正式に姓名を変えることになるエディーのエドゥアールへの変身は名前という具体的なもので先行していったのだ。
 だが、アミアンの4年間はエレナとの「ブルジョワ化」変身だけではない。村の子供時代から隠しつつ抑えること強いられていたホモセクシュアリティーが、やむことのできないものになり、エレナに隠れて性関係を享受するようになる。エレナにはのちに包み隠さず話すようになるのだが、このエッセンシャルな真実に言い訳はない。Il est plus fort que toi。ここがエレナとの関係における翳りの始まりと言える。
 過去と断絶する闘いは、リセを卒業しアミアンの学部に籍を置く学生になって、いざそのあとどうなるのかと考えた時、再び無知と貧困と差別の過去に飲み込まれてしまう恐怖が襲ってくる。エレナとの"共闘”は行き詰まる。そんな時、アミアンで講演会を開いた哲学者/社会学者ディディエ・エリボンとの出会いが電撃的なショックとなる。本書第二章はこのディディエが与えた影響について80ページにわたって記述されている。要はこの人物がモデルであり模範であるということなのだ。1953年生まれのこの著述家は、北フランスシャンパーニュ地方のランス出身で、エディーと同じように封建的なムラ社会で貧困と無理解とホモセクシュアルへの差別の中で育ち、それを抜け出すにはパリのアカデミックな世界に飛び込み、学問を極め、自らの論考・思想を学会や著述を通じて世に知らしめるしかなかった。その講演は(生まれ故郷の)「ランスへの帰還」と題され、この哲学者の道程を語るものだった。エディーは徹底的に打ちのめされ、この自分と瓜二つの過去を抱えた先達になりふりかまわずアプローチし、自分のやるべきことはただ一つ「僕はあなたのようになりたい」と告げる。
 このレベルではパリに行くしかないのである。アミアンくんだりではどうしようもないのだ。ディディエ・エリボンの道はわが道なり。知的エリートとして世に認められ、過去と訣別するための著書を世に出すこと。この変身のための第二ステップをエディーはエレナに説得し、パリに一緒に行こうと誘うのだが...。このいてもたってもいられない次のステップへの移行への渇望を(本書のエディーの書いていることからすれば)エレナは理解しない。本書の後半すべてはこのエレナへの言い訳に終始する。ここが痛ましい。
 寒村からアミアンに出てきたエディーを大改造し「ブルジョワ化」したのはエレナだった。エレナの読む本を読み、エレナの聴く音楽を聴き、エレナの観る映画を観た。それはエレナが手本規範であったからであり、エレナのレベルに到達しなければ過去から脱することができないという急務だったから。アミアンの4年間でエディーはエレナに追いついた。だがそこに止まってはいられない。僕はもっともっと変わらなければならない。エレナも僕と一緒に変わろうと、訴えるのだが...。端的に言えば、エレナは地方ブルジョワの娘として変身/転身への渇望があるわけではない。パリに行く理由などない。寒村で極端にいじめ抜かれた過去もない。逃げるべき過去がない。ここが本当に痛々しい。
 そしてエレナの母ナディアの痛烈な言葉がある。「結局あなたは私たちを利用したのでしょう?」 ー エディー・ベルグール/エドゥアール・ルイはさまざまな出会いに支えられて一廉の人物の地位まで昇りつめていく。パリのインテリゲンツィアと交流し、名門校中の名門校エコール・ノルマル・シューペリウール(高等師範学校)入学の特訓を受け、世界的アーチストたちのサロンに出入りし、世界的富豪たちに招かれて旅行やレストランのテーブルを共にする...。このコネクションを彼は「利用 profiter」したという誹りは免れられないだろう。エレナやナディアやディディエ・エリボンを「利用した」と思われることに、この本は必死の言い訳を試みるのだが...。
 パリに住み、エコール・ノルマルに在籍し、名前を変え、歯並び矯正、美容整形... 。富豪たちから可愛がられたと思うと、明日の食べ物に困るほど困窮したりもする。背に腹は変えられず、ついに「売春」にも手を染める。本書にふたつある序章のふたつめ(p19 - p27)が、おそらく著者にとって最も恥ずべき体験であったと思われる「金目当ての性関係」が克明に描写されている。相手の望んだ通りのことができなかったという理由で半額に値切られるのだよ!
 大団円は執筆挫折、放棄、逃避行(バルセロナ)などすったもんだの挙句に遂に書き上げた『エディー・ベルグールにケリをつける』(2014年)の刊行である。この時著者は21歳だった。21歳ですでに「生きすぎた」とエディーは述懐している。
 そして26歳でその「生きすぎた」生を総括したのが、この330ページの本である。永久革命ではないが、絶え間なく変身していくことを運命づけられた人間の回顧録であり、その連続的な変身が止まればあの「過去」に再び飲み込まれてしまう、という恐怖の切実さが理解できる。裏表紙にこう印刷されている。

僕の人生の中心に課せられたひとつの問題、それは僕のすべての考察を凝縮したものだし、僕がひとりで自分自身と向き合っているすべての時間を占領した:いかにして僕の過去に復讐を果たすことができるだろうか、どんな方法で? ー 僕はすべてを試した

本書は著者が試したすべてを開陳するつもりで書かれたものだ。まだまだ足りなくて、また同じことについて書き続けるだろうが、それがこの著者のサダメだと私は思う。

カストール爺の採点:★★★★☆

Edouard Louis "Changer : Méthode"
Seuil 刊 2021年9月16日 336ページ 20ユーロ


(↓)国営ラジオFrance Inter 朝ニュース番組で(フランスで最も鋭いジャーナリストだと私は思う)レア・サラメのインタヴューを受けるエドゥアール・ルイ。


2021年10月10日日曜日

トラ・ラ・ラ・ランド

『トラララ』
"Tralala"


2021年フランス映画
監督:アルノー&ジャン=マリー・ラリウー
主演:マチュー・アマルリック、ジョジアーヌ・バラスコ、メラニー・ティエリー、ベルトラン・ブラン、マイウェン、ガラテア・ベルージ、ドニ・ラヴァン
音楽:ルノー・レタン、フィリップ・カトリーヌ、ベルトラン・ブラン、ドミニク・ア、エチエンヌ・ダオ、ジャンヌ・シェラル....
フランス公開:2021年10月6日

ミュ
ージカル映画。場所はルールド。19世紀に少女ベルナデット・スービルーが聖母マリアの出現を体験し、その泉の水が難病治癒の奇跡を起こすと言われ、以来カトリック信者の巡礼地となって、今日では毎年600万人(うち病人および障害者6万人)が訪れている。こういう曰くある聖なる観光地なので、数多くのホテル(フランスで3番目に多いのだそう)と数多くの観光土産屋があり、その店ではミニチュア聖母像、スノーグローブなどさまざまなルールド・グッズを売っているのだが、(映画で登場する)ルールドモチーフのバンジョーやジッポーライターが売っているかどうかは定かではない。
 映画の始まりはパリである。解体作業中のビルの一室(電気ガス水道なし)に不法居候している通称トラララ(演マチュー・アマルリック)はストラトキャスターと小型アンプとスマホだけが財産のストリート・シンガー。トラララが起きがけに「エレクトロン・リーブル(自由電子)」という題の作りかけの歌の詞をスマホの録音機能を使って試作しているシーン。何ものにも束縛されず自由に動き回る電子、これが心優しい中年無宿人トラララの生き方であり、この”エレクトロン・リーブル”という歌(作詞作曲フィリップ・カトリーヌ)はトラララのテーマ曲のようにこの映画で何度となく登場する。できた曲をさっそく街頭でストラトキャスター弾き語りで披露するのだが、帽子に小銭を投げる通行人は皆無。
 しょぼくれてたどりついたモンパルナス界隈、奇跡のようにトラララの歌に熱心に聞き入る青装束の娘(その名はヴィルジニーと後でわかる。演ガラテア・ベルージ)登場。青白い後光がかかっていそうなこの娘の出現にトラララは夢見心地。カフェテラスでドリンクを奢られ、別れ際に娘はトラララにこう告げる:
Surtout ne soyez pas vous-même.
絶対にあなた自身になってはダメ

この謎の言葉を残して消えた娘。カフェテラスのテーブルに残されたジッポーライター、そこに刻まれた絵柄は聖地ルールド。トラララはこの奇跡の出現を果たした娘にもう一度会いたい、と、モンパルナス駅からTGVに乗ってルールドへと向かう。
 そこには、コロナ禍にもかかわらず巡礼者と観光客たちはいて、それを相手にした大道音楽芸人(とは言っても「アベマリア」の旋律をリコーダーで繰り返し吹き続けるだけ)のクリンビー(演ドニ・ラヴァン)もいる。エレキギターを持ってやってきたこの新座の商売敵にクリンビーは敵愾心を剥き出しにし、ちょっとのスキにトラララのストラトキャスターを奪い取り、川に投げ捨ててしまう。最愛のパートナーたる楽器を失ったトラララが、しかたなく手にしたのが観光土産屋にあったルールド印のついたバンジョー(この小道具効いている)。
 バンジョー片手にこの右も左も知らぬ観光地で名も知らぬ青いマドンナを探すトラララ。ビールのコースターの裏側に青ペンで描いた娘の似顔絵、「この娘を知りませんか?」 ー すると証言者は簡単に現れ、Hôtel de la Grande Consolation(オテル・ド・ラ・グランド・コンソラシオン=大慰安ホテル)のお嬢さんだよ、と。小汚い大道芸人には敷居が高い、格式ある高級ホテル。支配人に邪険につまみ出されるが、なにやらわけありそうな雰囲気。
 ルールドで文無し宿無しのトラララは、一夜の雨露しのぎを探していると、笛吹クリンビーに出くわし、トルバドール同士(そう!この映画は南西フランス・オクシタニアで展開する物語である)の和解が成立し、長い間休業してほぼ廃屋となっているが気の良いホームレスたちの寄り合い宿舎となっている元高級ホテル・サンタルチアの一室を一夜の宿としてあてがわれる。
 翌朝トラララが目を覚ますと、ホテル・サンタルチアの女主人リリー(演ジョジアーヌ・バラスコ)がいて、トラララのことを「パット」と呼ぶ。20年前に失踪した息子パットが戻ってきた、と。息子が20年前までいた同じ部屋に。リリーは強く確信していて、大喜びで帰還した息子を抱きしめる。その勢いにトラララは圧倒され、ここでしばらく世話してもらえるのであればそれも悪くない、とパットになりすますことに。
 リリーからパットの帰還の知らせを受けたのがパットの弟のセブ(演ベルトラン・ブラン。おそらく映画初出演だろうが、顔がスクリーンを支配するようなすごい存在感)で、彼はこの話をすぐには信用しない。若き日のパットがミュージシャンとして成功したくて家を出たように、セブもミュージシャン志望だった。今は母リリーの経営するルールド湖畔のレストラン・ランバルカデール(L'Embarcadère 実在するレストラン。すごくきれい)のマスターをしているが、時々は音楽活動もする。おまえが本当のパットなら、その腕前を見せてみろ、とセブはトラララにギブソンのエレキギターを渡すのである。その時トラララが即興で歌うのが、英語でそれまでの音楽行脚の旅を回想する "I have done it"(詞曲ベルトラン・ブラン)という歌(↓)

これはマチュー・アマルリックの芸達者の勝利、という感じ。渋〜い歌唱。このトラララの歌を聞いて、セブはこの男が間違いなくパットであると確信するに至り、思わず"Welcome home, Pat!”と帰還を祝福するのである。
 次にトラララ/パットの真偽を確かめようとするのが、元パットのセフレだったジャニー(演メラニー・ティエリー、この映画でも大好演)で、さっそく森にトラララを誘い込んでセックスをしたあと、「あなたはパットじゃない」と見抜く。しかしこの男はパットでなくても”いい男”であり、ジャニーは真剣に恋に落ちそうな予感。このことを(ルールドの観光土産屋店内ですばらしい振付の踊りと共に)歌うのが, "Qui est-il ?"(彼は誰なの?)という歌で、作詞作曲がジャンヌ・シェラル(↓)。(”私を3回もイカせた、あの男は誰なの?")


そしてトラララの"青のマドンナ”探しも続き、かのグランド・コンソラシオンホテルの跡取り娘バルバラ(演マイウェン)の娘がその青い娘ヴィルジニーであり、不安定な両親(母バルバラ の夫はトラララを追い出したホテル支配人)の関係に精神を病み、家出常習犯で前日にパリにも出現したという次第。母バルバラ にパットの弟セブ(たぶん婚外の恋人関係)が「きみの秘められた恋の相手パットが帰ってきた」と告げ、バルバラはおおいに動揺する。なぜなら、ヴィルジニーの本当の父親は20年前にグランド・コンソラシオンホテル617号室で愛し合ったパットであったから。そしてヴィルジニーはモンパルナスで会った時から、この男が本当の父親だと知っていた、と。
 トラララの真実は何か? なりすましたパットは本当に自分なのか?
 青い娘のお告げは「絶対にあなた自身になってはだめ」。

 ミュージカル映画ならではの、ものすごくみんな幸せになれるシーンあり。それはサンタルチアホテルの地下に長い間休業していたディスコテックをリリーがパットの帰還を祝って再オープンし、ほぼ出演者全員がダンシングピストに出て踊る。この時のディスコチューンが、フィリップ・カトリーヌの2014年ヒット「セクシー・クール」(必殺だよね、これ)なのだが、この映画ではマチュー・アマルリック(+ガラテア・ベルージ)のヴォーカルで(↓)。

それから映画大詰めのルールド湖畔での野外コンサート(これもリリーがパット帰還を祝って特別企画したものなのだが、トラララが真実を告白するステージになってしまう)も最高に素敵だし、こういう場面では”本物の”ロッカーであるベルトラン・ブランが華になる。
 ルールドの町の風景の一部となっている修道女たちもダンスや歌に加わったりで、この辺はジャック・ドミー『ロッシュフォールの恋人』を想わせるし、映画全体のカラフルでキッチュな色づかいも『ロッシュフォール』っぽい。ラリウー兄弟がドミーに敬意を払ってのことだと思う。フィリップ・カトリーヌ、ドミニク・ア、エチエンヌ・ダオ、ジャンヌ・シェラルなど90年代ポップ・フランセーズの最良の部分をコンポーザーとして起用したサントラは、そりゃあミッシェル・ルグランとは別ものではあるが、ネオ・ヌーヴェル・ヴァーグなクラフトマンシップがビシビシ感じられる仕上がり。私は『ラ・ラ・ランド』に近いものを感じた。特筆すべきはベルトラン・ブランの起用であり、同じ"BB”のイニシャルで映画俳優としてどんどん存在感を増している音楽家バンジャマン・ビオレーを追いかけられる映画キャラであると思う。
 しかし何と言っても、マチュー・アマルリックの多才さに支えられた映画。本当に何でもできる人なのだね。脱帽最敬礼。

カストール爺の採点:★★★☆☆ 

(↓)『トラララ』予告編

2021年10月3日日曜日

芸術と病気と家族の絆

"Les Intranquilles"
『穏やかならざる人々』

2021年ベルギー映画
監督:ジョアキム・ラフォッス
主演:レイラ・ベクティ、ダミアン・ボナール、ガブリエル・メルツ=シャマー
フランスでの公開:2021年9月29日

気の名前は双極性障害という。私がいた頃の日本では「躁鬱病」と呼ばれていた。軽度から重度までさまざまであるが、芸術的創造性との関連はよく指摘され、作家、哲学者、画家、音楽家等でこの障害を患った著名人は多く知られている。この映画で登場するのは画家である。ダミアン(演ダミアン・ボナール←『レ・ミゼラブル』)は画廊が未来の個展出品作にアドバンスでキャッシュ払いをする類の評価の安定した画家であるが、自分で40日あれば40作作れると言い放つほど、創作に興が乗ればすさまじい勢いで夢中で描き続けるタイプ。当然それは冒頭で挙げた病気と関係した”勢い”なのであるが、その状態は往々にして手がつけられない。
 映画の冒頭は夏の海のヴァカンス。小型モーターボートで沖に出たダミアンと息子のアミン(演ガブリエル・メルツ=シャマー)。陸地からかなり離れている。ボートからひとり海に飛び込むダミアン「俺は泳いで戻るから、おまえがボートを操縦して帰れ」と。小さな男の子がモーターボートを操縦していくさまは、かなり尋常ならざる危なっかしい光景。浜辺では母レイラ(演レイラ・ベクティ)が日光浴をして待っている。無事母の元にボートを着岸したアミンは、パパは泳いで帰ってくる、と告げる。レイラの不安の始まり。高いところに登り海の沖方面を眺めるが泳ぐ人間の姿は見えない。そして時間は過ぎ夕暮れになってもダミアンの姿はない。(フランスの夏の遅い夕暮れを考えると20時〜21時ごろか)薄暗く見えにくい時間になって、レイラの位置から遠くに見える岩場の岸に海から這い上がる人影が。ダミアンの名を叫ぶレイラ。ダミアンは何食わぬ顔で陸に帰ってきた。
 こんなイントロなので、それがどの程度の病状なのかは映画の進行につれてわかっていくことになるが、この親子3人は強く愛し合っていることはすぐさま了解される。特に子供アミンは甘えたい盛りで、わがままもあるが、それに十分に応えている両親が(愛し合いながらも)実はこわれそうでボロボロな現場も見ている。この映画は監督ジョアキム・ラフォッスの実体験をベースとしていて、幼い頃から見ていた双極性障害の父とそれに耐えながら支える母のドラマは生々しい記憶となっている。だからこのアミンの反応や両親への関わり方が映画のカメラアイとなっている部分が多い。そしてこのアミンを演じるガブリエル・メルツ=シャマー(大女優イザベル・ユッペールの孫)が両親の極端に緊張した対立場面で見せる複雑な表情や言葉がどれほど雄弁にこの映画の難しさを表現していることか。
 ダミアンが芸術家であるように、レイラもアルティザン=オーダーメイドの木工家具工芸家である。大きな田舎館の一方の離れ屋がダミアンの画家アトリエであり、もう一方の納屋がレイラの木工アトリエであり、住まいはそれらに挟まれた母屋である。恵まれた芸術家環境である。二人ともそれぞれの審美眼があり、それぞれのアートを尊重しながらそれぞれのアートを愛しながら対等のアーチスト同士として結ばれたのだろう。ダミアンの発病がいつだったかはこの映画ではわからない。だが、レイラは強く愛することによってこの病は(治癒されることはないだろうが)克服できるものと信じていたろう。しかしその確信は度重なる修羅場をくぐることで揺らいでいったに違いない。精神科入院、リチウム療法...。
 ダミアンの躁状態は不眠から現れる。これが絵画的霊感の昂まりでもある。ボザール校で学んだ経験がある俳優ダミアン・ボナールは、この極度の興奮の中で(しかも夜の少ない光量の中で)憑かれたように速攻で描いていく画家ダミアンのクリエーションを体現していく。迫真の演技。この長いシークエンスがダミアンの" 症状"をポジティヴに見せるシーンでもある。
 ジョアキム・ラフォッスは自分の父(写真家)をモデルにこの映画を考案したのだが、写真家ではなく画家を主人公に変更したきっかけは、実在の画家ジェラール・ガルースト(Gérard Garouste、1946 - )であり、同じように双極性障害を患い精神病院の入退院を繰り返しながらの創作を支えたのが妻のエリザベート・ガルースト(内装建築家/デザイナー)であったという経緯を綴った自伝著の署名が "L'Intranquille"(『穏やかならざる男』2009年)であった。映画タイトルはここからの出典で、穏やかならざる画家だけでなく、その妻と子も含めた複数の"穏やかならざる人々"を主役とする作品となった。
 (因みにジェラール・ガルーストのウィキペディアで気付いたのだが、当ブログでも紹介した2013年エマニュエル・ベルコ監督カトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画『Elle s'en va(日本題:ミス・ブルターニュの恋)』で、なんとジェラール・ガルーストがドヌーヴの相手役で出演していた。)
 不眠と長引く躁状態を抑えるためにリチウム錠剤を飲まされることになるのだが、ダミアンはそれをなかなか受けつけられない。無理やりにでも飲ませようとするレイラ、頑なに「俺は正常だ」と拒むダミアン。レイラの努力は限界に近づいていく。それを見ているアミン。
 それは" 狂気の錯乱”ではない。自分の高揚は限りがなく、人とこの高揚を共有したい、世界はこうしたらもっと良くなる、と思ったら抑えがきかなくなるようだ。アミンは俺が学校の送り迎えをした方が幸せだ、とか。危険な躁状態のまま、運転などできる状態ではないのに、車にアミンを乗せ学校までぶっ飛ばす。パン屋にマスクなしで(=コ禍時代の映画!)飛び込み、アミンのクラス全員分量のケーキ菓子を買い占める。アミンのいる授業中の教室に乱入し、子供たちにケーキ菓子を配ろうとする。授業なんかやめて、みんなで泳ぎに行こう、と煽動する...。必死で抑えようとするレイラをダミアンは見ていない。
 私はもう限界、私は支えきれない、私はもう続けられない... レイラはこういうセリフを映画中くりかえし吐き続ける。ダミアンの目を見据えてそう言うのだが、ダミアンには見えていない。この映画の愛の限界点はここなのである。この映画での女優レイラ・ベクティの素晴らしさは、このぎりぎりの限界点になんとしてでもとどまり続ける女の顔なのだ。時には鬼になっても絶対にあきらめない顔なのだ。その顔がダミアンには見えているのか見えていないのか、そこがこの愛の生命線なのだ。
 「私は15キロも太ってしまったのよ」と言う。たしかにこの映画でレイラ・ベクティはでっぷりしている。このストレス太りがどういうことなのか、ダミアンはわからない。「きみはとてもきれいだ」と常套句のようにくりかえすダミアンにはこの現実が見えていない。私はあなたの母親でも看護婦でもない。なのに私はあなたをずっと監視し続けなければならない。私はあなたと同じアーチストで、あなたと同じように創造活動をしているのよ。その叫びがダミアンには届かない。
 ダミアンはダミアンで自分の人生は医師診断書が決めることではない(←私はこの部分激しく同意する)という主張がある。精神科医の診断範囲内で生きろ、と言われることには承服できないものがある。クリエーションがその境にあることを知っているから。その衝動なしに絵は描けないから。
 最後の手段であるかのように、救急車が来て、拘束ベッドに縛りつけられ、精神病院に搬送される。こんなこと繰り返したくない。それは誰もがそうなのだ。その後に訪れるしばしの休戦状態。レイラは友人の野外パーティーに招かれ、人々に紛れ、ひとり首と体をスウィングさせてダンスに興じていく。このダンスするレイラのひとときの解放された微笑みが本当に泣けてくる。

 映画はこの3人の家族がこの上なく幸せだった瞬間も映し出すのだ。ダミアンが運転し、助手席にはレイラ、後部シートにはアミン。カーステからベルナール・ラヴィリエ(とニコレッタのデュエット)の"Idées Noires"(1983年)、これに合わせてダミアンとレイラが大声でデュエットで歌い、それをアミンがうれしそうに見ている。こんな瞬間があるから、この3人はどんなことがあっても愛し合っている、と思わせるには十分なのだが....。
 映画の終わりはハッピーなものではないし、まだ(ダミアンとレイラが)分かり合えないまま、このままこれを繰り返していくのだろう、という余韻。ただ、これを繰り返すということがこのアーチストたち(+子供)が生きていく、ということなのだろう。重い。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)"Les Intranquilles"予告編