Mouss et Hakim "Darons de la Garonne"
ムース&ハキム『ガロンヌ川の親たち』
ガロンヌ川流れるオクシタニアの都トロサ、トゥールーズはタンゴの父カルロス・ガルデル(1890 - 1935)を生んだ地である。その世界的評価においてはひけをとらぬ同郷の音楽家、ジャズスウィングのシャンソン詩人クロード・ヌーガロ(1929 - 2004)は、1967年その私的な思いを込めたバラ色の都(Ville Rose)トゥールーズへのオマージュ歌「おおトゥールーズ」をシングル盤として録音している。即座のヒットというわけではない。この歌は70年代から80年代にかけて、精力的なステージシンガーだったヌーガロが欠かせぬ十八番として歌い続け大衆的名声を勝ち得ていった歌だった。トゥールーズおよびオクシタニアの人々はこの歌で"mon païs(モン・パイス=オック語、わが国、わが郷)の原風景を想ったであろう。その最初の節はこう始まる:
Qu'il est loin mon pays, qu'il est loin 遠い遠い わがさと
Parfois au fond de moi se ranime ときおり私の心の底からよみがえる
L'eat verte du canal du Midi ミディ運河の緑色の水
Et la brique rouge des Minimes ミニムの赤レンガ
Ô mon païs, ô Toulouse, ô Toulouse おおわがさと おおトゥールーズ
この「ミニムの赤レンガ」が大歌手ヌーガロとムスタファとハキムのアモクラン兄弟を直接的に結ぶ場所である。ミニム地区はトゥールーズ中心部の北側に位置する庶民的な住宅地であり、現在は高層の公営住宅も多く建っている一種の近接郊外である。父がオペラ・バリトン歌手で母がピアニストという関係で興行のために不在することが多かったため、クロードは子供時代のほとんどを祖父の住むミニム地区で過ごし、学校もそこで通ったが、決して楽しいことばかりではなかったようだ。言わばむずかしい少年時代。その約40年後に、この同じミニム地区で未来のゼブダであるマジッド・シェルフィ、ムスタファとハキムのアモクラン兄弟は子供時代を過ごし、そこに留まり、音楽活動(ゼブダ)や市民運動(Les Motivé-e-s)の拠点にしている。レコードデビューし全国的に知名度を上げる前に、すでに大先達ヌーガロはこの「ミニムの若造たち」を愛し、応援していた。ヌーガロからの最初の贈り物は詞だった。アモクラン兄弟とレストランで夕食を共にしたヌーガロがその食事の終わりに「おまえたちのことを想って書いた」という詞 "Bottes de banlieue(郊外の長靴)」を。
この詞は兄弟とゼブダのレミーとヴァンサンが曲を作り、兄弟の初の"ソロ”アルバム"Mouss & Hakim ou le contraire"(2005年)に収録されて世に出たが、残念ながらクロード・ヌーガロの死後になってしまった。
あれから十余年、この歌はムース&ハキムの重要なレパートリーになっていて、クロード・ヌーガロの代表曲のひとつ"Bidonville"(1966年、元歌はバーデン・パウエル「ベリンバウ」)の一節を挿入した新しいヴァージョンになって、この新アルバム『ガロンヌ川の親たち』にも再録音されて収められている。
没後ヌーガロはトリビュートコンサート/トリビュートアルバムで祝福され、トゥールーズその他のゆかりの地でモニュメントが建てられたり、その名を冠した地名や施設などができ、そのヘリテッジは多くの人々に共有されている。そんな中で、故クロードの妹で故人の楽曲版権を管理しているエレーヌ・ビニョンがアモクラン兄弟にヌーガロの未発表詞7篇を託したのである。あなたたちなら、その詞で歌を作るだけでなく、それをあなたたち自身のかたちにできるはずだから、と。ムースとハキムはこれはまたとない贈り物ではあるが、それをどうムース&ハキムのかたちにするか、という難しい課題を与えられたことに身震いする。単なるヌーガロ・オマージュではなく、ヌーガロ風作品に仕上げるのではなく、兄弟に血肉化した歌としてクリエートする。時間はかかったようだ。
だが、それを差し引いても、このアルバムには素晴らしい曲がある。
ヌーガロが"paysan"(ペイザン=農民・百姓、在郷人)という言葉からインスパイアされて、「ペイザン=さとびと」と対をなして、カップルとなるべき「ペイザム(paysâme)=さとだま(郷魂)」というものがあるべき、と考えた。このヌーガロの造語「ペイザム」を歌った農民(さとびと)讃歌 "Paysâme paysâme"。
俺がさとびと(paysan)なら、おまえはさとだま(paysâme)だねこの言葉きれいだと思わないかい?時々俺の重いサボ靴が涙を踏み砕いてしまうことがあっても
おまえは俺を鎮めて、俺を恨んだりしないよね
俺がさとびとなら、おまえはさとだまだね俺はこの言葉歩きながら見つけたんだおまえは俺の畑で芽を吹くゴマの種俺の肌のホクロ、俺のパン、俺の確かなもの俺がさとびとなら、おまえはさとだまだねこの言葉はおまえにふさわしい、この言葉で俺は頭がいっぱいださとびとのいない郷など郷じゃない俺のさとだまがなければ俺はさとびとじゃない
俺は種をまき、耕し、雑草を取り、枯らす頑固な耕地、やせた土地おまえだけが大事にしてくれる俺の古い鋤(すき)と鎌(かま)さとだま(ペイザム)、さとだま(ペイザム)
そしてこれはヌーガロとアモクラン兄弟の共通の"ふるさと”ミニム地区とおおいに関係しているに違いない「発酵乳(Le lait caillé)」の味をなつかしむ歌。これは私にも思い出がある。1990年代に勤めていた会社の地階受付デスクの女性が、自分の持っていたボトルから飲ませてくれた。彼女はアモクラン兄弟のルーツと同じアルジェリア(カビリア)系で、妊娠中の栄養補給に有効だからとたくさんの量を飲んでいたようだ。今では普通のスーパーにあるけれど、あの頃はやはり「エピシエ・アラブ」と呼ばれたあのよろず屋さんにしか売っていなかったのではないかな。ちょっとクセのあるヨーグルト飲料のような印象。最初の妊娠だったけれど、彼女は元気な男児を産み、産休あけにオフィスに連れてきた。その会社は私がやめて出ていったのだけど、次の会社で働いている時にうちの娘が生まれた時、どこで聞いたのか、娘のためにオーバーオールの防寒着をプレゼントしてくれた。めちゃうれしかった。今どこでどうしていることやら。この「発酵乳」の歌で私にも極私的思い出が蘇った次第。というのは、このアルバムで唯一マブレブ(カビリア)風味が香る曲なのである。
僕は発酵乳(レ・カイエ)の味をよく覚えている発酵乳はヤギのミルクそれは僕の唇の端によだれを呼び起こすんだ
エカイエ(牡蠣空け職人)が牡蠣を開く時みたいに
僕は発酵乳(レ・カイエ)の味をなつかしむそのミルク売りおばさんは
いろんな色の瓶のミルクを売るので有名なんだ
学校のインク壺で汚れた指の間に挟んで僕がホウロウの容れ物を差し出すとおばさんが発酵乳を注いでくれる僕は発酵乳の味をなつかしむ発酵乳はヤギのミルクそれは僕の唇の端によだれを呼び起こすんだその愛想のいい屋台車が大通りにやってくる押してるのはあのおばさんヤギの声を出すので有名なんだその声でおばさんが「レ・カイエ!、レ・カイエ!」 と叫ぶとたくさんの人たちを押し除けて僕はシマウマのようにおばさんのエプロンめがけてまっしぐら
学校のインク壺で汚れた指の間に挟んで僕がホウロウの容れ物を差し出すとおばさんが発酵乳を注いでくれる
発酵乳の新鮮な風味、忘れられないでもひとつ大事なことが僕の唇から出かかっているその発酵乳はヤギのミルクじゃないんだ
発酵乳の新鮮な風味、忘れられない
でも僕はたいへんな間違いをしでかしたその発酵乳は牝羊のミルクだったんだ
この「レ・カイエ」の持つ、郷愁、ミニム地区の記憶、ヌーガロの詞がマグレブ系の小僧っ子だったアモクラン兄弟に完璧に溶け込んでしまった例。この最良の1曲のおかげで、このアルバムは偉大なヌーガロになんら気後れする必要のない、すばらしいオマージュ&ヘリテッジになったと言えよう。30年選手ムースとハキムは確実に成熟している。
<<< トラックリスト >>>
1. Paisibles plaines
2. Paysâme paysâme
7. Alice passe
Mousse et Hakim "Darons de la Garonne"
CD/LP/Digital Blue Line BLO935
フランスでのリリース:2021年10月8日
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)手の込んだマジカルなクリップが素晴らしい"Le saut de l'ange(天使の跳躍)"
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