2021年10月10日日曜日

トラ・ラ・ラ・ランド

『トラララ』
"Tralala"


2021年フランス映画
監督:アルノー&ジャン=マリー・ラリウー
主演:マチュー・アマルリック、ジョジアーヌ・バラスコ、メラニー・ティエリー、ベルトラン・ブラン、マイウェン、ガラテア・ベルージ、ドニ・ラヴァン
音楽:ルノー・レタン、フィリップ・カトリーヌ、ベルトラン・ブラン、ドミニク・ア、エチエンヌ・ダオ、ジャンヌ・シェラル....
フランス公開:2021年10月6日

ミュ
ージカル映画。場所はルールド。19世紀に少女ベルナデット・スービルーが聖母マリアの出現を体験し、その泉の水が難病治癒の奇跡を起こすと言われ、以来カトリック信者の巡礼地となって、今日では毎年600万人(うち病人および障害者6万人)が訪れている。こういう曰くある聖なる観光地なので、数多くのホテル(フランスで3番目に多いのだそう)と数多くの観光土産屋があり、その店ではミニチュア聖母像、スノーグローブなどさまざまなルールド・グッズを売っているのだが、(映画で登場する)ルールドモチーフのバンジョーやジッポーライターが売っているかどうかは定かではない。
 映画の始まりはパリである。解体作業中のビルの一室(電気ガス水道なし)に不法居候している通称トラララ(演マチュー・アマルリック)はストラトキャスターと小型アンプとスマホだけが財産のストリート・シンガー。トラララが起きがけに「エレクトロン・リーブル(自由電子)」という題の作りかけの歌の詞をスマホの録音機能を使って試作しているシーン。何ものにも束縛されず自由に動き回る電子、これが心優しい中年無宿人トラララの生き方であり、この”エレクトロン・リーブル”という歌(作詞作曲フィリップ・カトリーヌ)はトラララのテーマ曲のようにこの映画で何度となく登場する。できた曲をさっそく街頭でストラトキャスター弾き語りで披露するのだが、帽子に小銭を投げる通行人は皆無。
 しょぼくれてたどりついたモンパルナス界隈、奇跡のようにトラララの歌に熱心に聞き入る青装束の娘(その名はヴィルジニーと後でわかる。演ガラテア・ベルージ)登場。青白い後光がかかっていそうなこの娘の出現にトラララは夢見心地。カフェテラスでドリンクを奢られ、別れ際に娘はトラララにこう告げる:
Surtout ne soyez pas vous-même.
絶対にあなた自身になってはダメ

この謎の言葉を残して消えた娘。カフェテラスのテーブルに残されたジッポーライター、そこに刻まれた絵柄は聖地ルールド。トラララはこの奇跡の出現を果たした娘にもう一度会いたい、と、モンパルナス駅からTGVに乗ってルールドへと向かう。
 そこには、コロナ禍にもかかわらず巡礼者と観光客たちはいて、それを相手にした大道音楽芸人(とは言っても「アベマリア」の旋律をリコーダーで繰り返し吹き続けるだけ)のクリンビー(演ドニ・ラヴァン)もいる。エレキギターを持ってやってきたこの新座の商売敵にクリンビーは敵愾心を剥き出しにし、ちょっとのスキにトラララのストラトキャスターを奪い取り、川に投げ捨ててしまう。最愛のパートナーたる楽器を失ったトラララが、しかたなく手にしたのが観光土産屋にあったルールド印のついたバンジョー(この小道具効いている)。
 バンジョー片手にこの右も左も知らぬ観光地で名も知らぬ青いマドンナを探すトラララ。ビールのコースターの裏側に青ペンで描いた娘の似顔絵、「この娘を知りませんか?」 ー すると証言者は簡単に現れ、Hôtel de la Grande Consolation(オテル・ド・ラ・グランド・コンソラシオン=大慰安ホテル)のお嬢さんだよ、と。小汚い大道芸人には敷居が高い、格式ある高級ホテル。支配人に邪険につまみ出されるが、なにやらわけありそうな雰囲気。
 ルールドで文無し宿無しのトラララは、一夜の雨露しのぎを探していると、笛吹クリンビーに出くわし、トルバドール同士(そう!この映画は南西フランス・オクシタニアで展開する物語である)の和解が成立し、長い間休業してほぼ廃屋となっているが気の良いホームレスたちの寄り合い宿舎となっている元高級ホテル・サンタルチアの一室を一夜の宿としてあてがわれる。
 翌朝トラララが目を覚ますと、ホテル・サンタルチアの女主人リリー(演ジョジアーヌ・バラスコ)がいて、トラララのことを「パット」と呼ぶ。20年前に失踪した息子パットが戻ってきた、と。息子が20年前までいた同じ部屋に。リリーは強く確信していて、大喜びで帰還した息子を抱きしめる。その勢いにトラララは圧倒され、ここでしばらく世話してもらえるのであればそれも悪くない、とパットになりすますことに。
 リリーからパットの帰還の知らせを受けたのがパットの弟のセブ(演ベルトラン・ブラン。おそらく映画初出演だろうが、顔がスクリーンを支配するようなすごい存在感)で、彼はこの話をすぐには信用しない。若き日のパットがミュージシャンとして成功したくて家を出たように、セブもミュージシャン志望だった。今は母リリーの経営するルールド湖畔のレストラン・ランバルカデール(L'Embarcadère 実在するレストラン。すごくきれい)のマスターをしているが、時々は音楽活動もする。おまえが本当のパットなら、その腕前を見せてみろ、とセブはトラララにギブソンのエレキギターを渡すのである。その時トラララが即興で歌うのが、英語でそれまでの音楽行脚の旅を回想する "I have done it"(詞曲ベルトラン・ブラン)という歌(↓)

これはマチュー・アマルリックの芸達者の勝利、という感じ。渋〜い歌唱。このトラララの歌を聞いて、セブはこの男が間違いなくパットであると確信するに至り、思わず"Welcome home, Pat!”と帰還を祝福するのである。
 次にトラララ/パットの真偽を確かめようとするのが、元パットのセフレだったジャニー(演メラニー・ティエリー、この映画でも大好演)で、さっそく森にトラララを誘い込んでセックスをしたあと、「あなたはパットじゃない」と見抜く。しかしこの男はパットでなくても”いい男”であり、ジャニーは真剣に恋に落ちそうな予感。このことを(ルールドの観光土産屋店内ですばらしい振付の踊りと共に)歌うのが, "Qui est-il ?"(彼は誰なの?)という歌で、作詞作曲がジャンヌ・シェラル(↓)。(”私を3回もイカせた、あの男は誰なの?")


そしてトラララの"青のマドンナ”探しも続き、かのグランド・コンソラシオンホテルの跡取り娘バルバラ(演マイウェン)の娘がその青い娘ヴィルジニーであり、不安定な両親(母バルバラ の夫はトラララを追い出したホテル支配人)の関係に精神を病み、家出常習犯で前日にパリにも出現したという次第。母バルバラ にパットの弟セブ(たぶん婚外の恋人関係)が「きみの秘められた恋の相手パットが帰ってきた」と告げ、バルバラはおおいに動揺する。なぜなら、ヴィルジニーの本当の父親は20年前にグランド・コンソラシオンホテル617号室で愛し合ったパットであったから。そしてヴィルジニーはモンパルナスで会った時から、この男が本当の父親だと知っていた、と。
 トラララの真実は何か? なりすましたパットは本当に自分なのか?
 青い娘のお告げは「絶対にあなた自身になってはだめ」。

 ミュージカル映画ならではの、ものすごくみんな幸せになれるシーンあり。それはサンタルチアホテルの地下に長い間休業していたディスコテックをリリーがパットの帰還を祝って再オープンし、ほぼ出演者全員がダンシングピストに出て踊る。この時のディスコチューンが、フィリップ・カトリーヌの2014年ヒット「セクシー・クール」(必殺だよね、これ)なのだが、この映画ではマチュー・アマルリック(+ガラテア・ベルージ)のヴォーカルで(↓)。

それから映画大詰めのルールド湖畔での野外コンサート(これもリリーがパット帰還を祝って特別企画したものなのだが、トラララが真実を告白するステージになってしまう)も最高に素敵だし、こういう場面では”本物の”ロッカーであるベルトラン・ブランが華になる。
 ルールドの町の風景の一部となっている修道女たちもダンスや歌に加わったりで、この辺はジャック・ドミー『ロッシュフォールの恋人』を想わせるし、映画全体のカラフルでキッチュな色づかいも『ロッシュフォール』っぽい。ラリウー兄弟がドミーに敬意を払ってのことだと思う。フィリップ・カトリーヌ、ドミニク・ア、エチエンヌ・ダオ、ジャンヌ・シェラルなど90年代ポップ・フランセーズの最良の部分をコンポーザーとして起用したサントラは、そりゃあミッシェル・ルグランとは別ものではあるが、ネオ・ヌーヴェル・ヴァーグなクラフトマンシップがビシビシ感じられる仕上がり。私は『ラ・ラ・ランド』に近いものを感じた。特筆すべきはベルトラン・ブランの起用であり、同じ"BB”のイニシャルで映画俳優としてどんどん存在感を増している音楽家バンジャマン・ビオレーを追いかけられる映画キャラであると思う。
 しかし何と言っても、マチュー・アマルリックの多才さに支えられた映画。本当に何でもできる人なのだね。脱帽最敬礼。

カストール爺の採点:★★★☆☆ 

(↓)『トラララ』予告編

0 件のコメント: