Aki Shimazaki "Urushi"
アキ・シマザキ『漆』
アキ・シマザキの第4パンタロジー(五連作)『打ち棒のない小鐘(Une Clochette Sans Battant)』の最終第5話。同パンタロジーの前4話(『スズラン』、『セミ』、『野のユリ』、『楡(にれ)』)は全部爺ブログで紹介しているので、(未読の方は)題名につけたリンクから参照してください。
まず題名の『漆(うるし)』であるが、これはこの数年の間に、特にコロナ禍の”閉じこもり期”以降に世界的なブームとなった「金継ぎ」にまつわるものである。フランスでもメディアで大きく取り上げられているし、私の住むパリにも何軒か金継ぎアトリエがあり、一般市民が講習を受けて陶磁器の金継ぎによる修復をアートとして楽しんでいる。禅的でありエコロでありSDGsであり美しい。この流行を知った時、シマザキは「これいただき!」と閃いたのだろう。最初から種明かしをしてしまうと、その金継ぎは、アンズ(楡家の次女、トールの母、スズコの継母)とユージ(アンズの現夫、楡家の長女キョーコ=故人の寡夫でスズコの父)がチェコ共和国から持ち帰ったのち割れてしまった骨董セラミックの「打ち棒のない小鐘」を見事に修復するという小説のひとつのクライマックスを用意している。
金継ぎは割れて破損したオリジナルを修復してオリジナルを凌駕する美を獲得してしまう。ここがミソ。
さて今回の話者は現在15歳になっているスズコ。出産後癌で他界したキョーコの娘で、父親はユージ。キョーコの妹アンズが寡夫ユージと再婚してスズコを養子として迎え、アンズの前夫との子供トールを加え、4人家族として円満に暮らしていた。場所は山陰、鳥取県米子。アンズは田舎に窯を持つそこそこ著名な陶芸家で東京の展覧会にも出品する。ユージは大手製薬会社の米子支社の幹部社員。スズコより11歳年上の義兄トールは高校まで米子にいたが、大学は名古屋に行き、卒業して名古屋の自動車メーカーのエンジニアになっている。少年時から始めた空手有段者(三段)で、国際的な試合も経験している。イケメンのスポーツマンゆえ高校大学と女子ファンたちは多かったが、特定の交際相手はいない。女子ファンの中に、アンズの弟で楡家の長男ノブキ(前作『楡』の中心人物)の二人の娘ミヨコとナミコがいて、とりわけ下のナミコは積極的でトールの妻候補を公言している。
小説の序盤はスズコの義兄トールへの狂おしい片思いである。昭和期コバルト・ブックスのようなJK純愛文体が続くので、途中で投げ出したくなることもあろう。ずっとずっと慕って甘えていた”おにいちゃん”は、米子から離れて名古屋の大学に行ってしまってから、会いたい想いは募るばかり。スズコ12歳のある日、いてもたってもいられなくなり遂に家出を敢行し、JRを乗り継いで名古屋へ。幼くも強烈な片思いは怖いもの知らずで、まんまと決死の一人旅は成功し、名古屋のトールのアパートまでたどり着くのだが、トールを含む大人たちはこれを”子供のしたこと”あつかいせず、とがめもせず、穏便に翌日送還で収拾をつける。思いを告げるつもりでここまで来たスズコだったがそれは叶わなかったものの、トールのアパートで用意された寝袋を抜け出して、こっそりトールのベッドにもぐり込むことに成功している。この寝床の温もりの記憶がその後スズコの恋慕をさらに焚きつけるのであった。
盆暮れ正月の帰省を除いてトールは名古屋からめったに米子に帰って来ない。大学を終え、名古屋の会社にエンジニアとして就職し、当分実家の鞘に収まらないつもりらしい。高校生になったスズコは自分の進路よりも(高校を卒業したら)名古屋の大学へ進んでトールと一緒に生活したいという望みが先行する。両親と周囲の人間たちは進学するなら米子でも鳥取でもいいから地元にとどまることを強く希望するのだが(←これは21世紀的日本でもこういう”娘を親元近くにしばる”傾向があるのですか?地方的封建性ですか?シマザキの小説ではいつまでたってもこういう日本ですが)。
そんなときにスズコは道端で一羽の傷ついた小鳥を見つける。それは片方の羽が折れ、飛べずにいるスズメだった。そう言えば子供の頃、スズコという名前をからかって「スズメ、スズメ」とはやし立てる悪ガキたちがいた。そう、私はスズメだ。しかも傷ついたスズメ、愛する人の元に飛んでいける翼をダメにしたスズメ、飛べないスズメ... とスズコはこの小鳥にわが身を投影するのだった。クイクイクイクイ。スズコは幼い日のわらべ歌を口ずさむ:
(ここでかなり無粋な注釈をしてしまう。日本の鳥獣保護法第8条はスズメに限らず、鳥獣および鳥類の卵を捕獲・採取・損傷することを禁止していて、違反した場合は1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科せられる。シマザキがこれを知っていたかどうかはわからないが、野鳥のペット化は美談にしてはいけないと私は思う。この小説の成立を脅かしてしまう話ではあるが。)
アキ・シマザキ『漆』
アキ・シマザキの第4パンタロジー(五連作)『打ち棒のない小鐘(Une Clochette Sans Battant)』の最終第5話。同パンタロジーの前4話(『スズラン』、『セミ』、『野のユリ』、『楡(にれ)』)は全部爺ブログで紹介しているので、(未読の方は)題名につけたリンクから参照してください。
まず題名の『漆(うるし)』であるが、これはこの数年の間に、特にコロナ禍の”閉じこもり期”以降に世界的なブームとなった「金継ぎ」にまつわるものである。フランスでもメディアで大きく取り上げられているし、私の住むパリにも何軒か金継ぎアトリエがあり、一般市民が講習を受けて陶磁器の金継ぎによる修復をアートとして楽しんでいる。禅的でありエコロでありSDGsであり美しい。この流行を知った時、シマザキは「これいただき!」と閃いたのだろう。最初から種明かしをしてしまうと、その金継ぎは、アンズ(楡家の次女、トールの母、スズコの継母)とユージ(アンズの現夫、楡家の長女キョーコ=故人の寡夫でスズコの父)がチェコ共和国から持ち帰ったのち割れてしまった骨董セラミックの「打ち棒のない小鐘」を見事に修復するという小説のひとつのクライマックスを用意している。
金継ぎは割れて破損したオリジナルを修復してオリジナルを凌駕する美を獲得してしまう。ここがミソ。
さて今回の話者は現在15歳になっているスズコ。出産後癌で他界したキョーコの娘で、父親はユージ。キョーコの妹アンズが寡夫ユージと再婚してスズコを養子として迎え、アンズの前夫との子供トールを加え、4人家族として円満に暮らしていた。場所は山陰、鳥取県米子。アンズは田舎に窯を持つそこそこ著名な陶芸家で東京の展覧会にも出品する。ユージは大手製薬会社の米子支社の幹部社員。スズコより11歳年上の義兄トールは高校まで米子にいたが、大学は名古屋に行き、卒業して名古屋の自動車メーカーのエンジニアになっている。少年時から始めた空手有段者(三段)で、国際的な試合も経験している。イケメンのスポーツマンゆえ高校大学と女子ファンたちは多かったが、特定の交際相手はいない。女子ファンの中に、アンズの弟で楡家の長男ノブキ(前作『楡』の中心人物)の二人の娘ミヨコとナミコがいて、とりわけ下のナミコは積極的でトールの妻候補を公言している。
小説の序盤はスズコの義兄トールへの狂おしい片思いである。昭和期コバルト・ブックスのようなJK純愛文体が続くので、途中で投げ出したくなることもあろう。ずっとずっと慕って甘えていた”おにいちゃん”は、米子から離れて名古屋の大学に行ってしまってから、会いたい想いは募るばかり。スズコ12歳のある日、いてもたってもいられなくなり遂に家出を敢行し、JRを乗り継いで名古屋へ。幼くも強烈な片思いは怖いもの知らずで、まんまと決死の一人旅は成功し、名古屋のトールのアパートまでたどり着くのだが、トールを含む大人たちはこれを”子供のしたこと”あつかいせず、とがめもせず、穏便に翌日送還で収拾をつける。思いを告げるつもりでここまで来たスズコだったがそれは叶わなかったものの、トールのアパートで用意された寝袋を抜け出して、こっそりトールのベッドにもぐり込むことに成功している。この寝床の温もりの記憶がその後スズコの恋慕をさらに焚きつけるのであった。
盆暮れ正月の帰省を除いてトールは名古屋からめったに米子に帰って来ない。大学を終え、名古屋の会社にエンジニアとして就職し、当分実家の鞘に収まらないつもりらしい。高校生になったスズコは自分の進路よりも(高校を卒業したら)名古屋の大学へ進んでトールと一緒に生活したいという望みが先行する。両親と周囲の人間たちは進学するなら米子でも鳥取でもいいから地元にとどまることを強く希望するのだが(←これは21世紀的日本でもこういう”娘を親元近くにしばる”傾向があるのですか?地方的封建性ですか?シマザキの小説ではいつまでたってもこういう日本ですが)。
そんなときにスズコは道端で一羽の傷ついた小鳥を見つける。それは片方の羽が折れ、飛べずにいるスズメだった。そう言えば子供の頃、スズコという名前をからかって「スズメ、スズメ」とはやし立てる悪ガキたちがいた。そう、私はスズメだ。しかも傷ついたスズメ、愛する人の元に飛んでいける翼をダメにしたスズメ、飛べないスズメ... とスズコはこの小鳥にわが身を投影するのだった。クイクイクイクイ。スズコは幼い日のわらべ歌を口ずさむ:
Moineau, moiseau, où se trouve ta maison ?(↑翻訳は不要ですよね)。そしてスズコは傷ついたスズメを家に持ち帰り、手当てし、傷を癒してやり、再び飛べることはなくても、素晴らしい”別もの”として再生させようと心に決める。金継ぎのように、壊れたものを素晴らしい”別もの”として生き返らせる。スズコはこのスズメを"超スズメ”に蘇らせたい。それは言葉を話すスズメ。とは言っても九官鳥やオウムのレベルで、”おたけさん”とでも言ってくれれば目的は達成される。これがスズコの”スズメの金継ぎ”であり、それに因んでスズコはこの小鳥に「ウルシ」という名をつける。自分の部屋の中で鳥篭に入れ、手当てとエサやりに心を尽くし、そして同じ言葉を何度も繰り返して、小鳥に復唱させようとする。その言葉は三つの名前:スズコ、トール、ウルシ。スズメがこの3つの名を発語する日、スズコの金継ぎは完成し、想いは成就するはず。
Cui cui cui, cui cui cui, c'est ici...
(ここでかなり無粋な注釈をしてしまう。日本の鳥獣保護法第8条はスズメに限らず、鳥獣および鳥類の卵を捕獲・採取・損傷することを禁止していて、違反した場合は1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科せられる。シマザキがこれを知っていたかどうかはわからないが、野鳥のペット化は美談にしてはいけないと私は思う。この小説の成立を脅かしてしまう話ではあるが。)
金継ぎのメタファーはこの”複合家族(famille composée)”にも当てはまる。壊れてしまった複数の家族の事情:アンズがトールを生んだ後で蒸発してしまった前夫、スズコを生んだ後急死したキョーコ、キョーコの死と前後して恋に落ちたアンズとユージ、これらのドラマを経てひとつの家族として再スタートしたアンズ+ユージ+トール+スズコ。これらをつなぎ合わせて幸福な家族にした”ウルシ”は何だったのか。
さて、トールは空手の国際イヴェントに招待されてハワイへ旅行し、そのハワイ土産を持って米子にやってくる。この数日の帰郷滞在こそ、スズコにはトールに胸の内を告げる最後のチャンスと待ち構えている。15歳の想像力はこの恋路を遮るものがさまざま見えてくる。自分の数倍も積極的で性に旺盛な興味を抱くいとこのミヨコとナミコ、トールの空手の同僚ナオ(トールのハワイ遠征に同行した)、ナオの妹でトールと親しいらしいミキという美しい女性(おまけに死んだ母キョーコと同じ職場=米系化粧品会社東京支社に勤めていて、ユージとアンズもそのことを知っている → 二人はトールの伴侶候補に考えているかもしれない)。胸のもやもやは増すばかり。トールが遠くに行ってしまいそう....。
そんなときにスズコは、高校の靴箱の中に某男子から交際申し込みの置き手紙をもらうのである。これは驚いた。私は半世紀以上前に青森の高校に通っていたが、校内上履きの制度はなく、外履きのまま校内に入っていた。この小説の中でスズコは高校入口で通学靴(バスケットシューズ)を脱いで靴箱に入れて室内サンダルに履き替えていて、その時にこの男子ラヴレターを靴箱の中に発見する。ネットで検索したら、21世紀現在、外履き上履き靴箱(下駄箱)システムは日本全国の学校で健在なのですね。私は日本を離れて長い浦島太郎なので、それはとっくの昔になくなっていたものと思ってました。それはそれ。
ヨシオと名乗る一学年上の少年は文系博学ロンリーボーイにして母子家庭清貧苦労人で、学業+アルバイトの他に地元美術館のボランティアもこなしている。スズコが合唱部練習でソロパートを歌うその声に魅了され、さらにボランティアで働いている美術館に伝統工芸や新作展示品が搬入されるたびに長時間見入っているスズコの姿に、この少女とは共有できるたくさんのものがあるはず、と思い切って手紙をしたためた。そして市の文化センターが主催する金継ぎアトリエセミナー(定員20人)にスズコが登録したと知るや、募集ギリギリ滑り込み20人めで申し込み、アトリエ初日にスズコの隣の席に座るという積極性もある。いい奴。
このスズコの美術および伝統工芸への興味を育んだのは、義母アンズ(陶芸作家)の影響ももちろんあるが、トールの導きによる要素が大きい。12歳の時の名古屋への家出旅行の際もトールは名古屋の美術館博物館にスズコを連れて行き、図版本を買ってスズコに与えた。かのハワイの旅行の時のスズコへの土産もハワイの民族伝統工芸の写真図鑑で、それらの本をスズコは夢中になって鑑賞した。トールの導く美の世界に魅了されたのだ。あの人が美しいと思う世界へ私も近づきたい。わかるなぁ。
ところが、スズコは恋を失うのである。
トールのハワイ凱旋帰省滞在最終日、スズコとトールは思いがけず二人だけで過ごす時間ができる。米子の名高いデートコース、弓ヶ浜ビーチ、ひとしきりバドミントン(海浜でのバドミントンというのは難しいでしょうに)に興じて汗を流したあと、スズコは遂に心の内を告白するのだが、トールも真実を告白してしまう「僕はある男を愛している」と。そのホモセクシュアリティーはアンズもユージも誰も知らない。相手は空手仲間のナオであり、ハワイ旅行も一緒だった。ナオの妹ミキはこの関係を知っているだろう。そしてトールが少年の日にそのホモセクシュアリティーを(未来のスズコの実母)キョーコに告白していて、キョーコはトールに
Sois honnête avec ta nature
あなたの自然に正直でありなさい
とだけ語ったということをこの時スズコに伝えている。今娘スズコは母キョーコと同じことをトールに言えるか、難しいところよのぉ。
幼い頃から想い続けてきた”おにいちゃん”への恋は終わった。ハートブロークン。壊れた心をつなぎ合わせ修復し、新しい別の美へ作り直すのが金継ぎである。金継ぎアトリエのいにしえの秘儀習得セミナーは、スズコの心も少しずつ修復していく。そしてその心の平静を与えてくれるのに重要な存在になっていくのがヨシオだった。心の金継ぎのウルシの役と言おうか。11歳の歳の差だけでなくさまざまな距離があったトールと違い、一歳違いの同世代のヨシオはフェアーな話し相手であり、親近性は比較にならない。また人気者で社交性にも富むトールと違って、群れを嫌うロンリーボーイであるところもスズコには心地よい。シマザキはこの文系博学ロンリーボーイにキエルケゴールやサルトルを引用させて、どこか昭和中期的なウンチクを展開させる。
幼い頃から想い続けてきた”おにいちゃん”への恋は終わった。ハートブロークン。壊れた心をつなぎ合わせ修復し、新しい別の美へ作り直すのが金継ぎである。金継ぎアトリエのいにしえの秘儀習得セミナーは、スズコの心も少しずつ修復していく。そしてその心の平静を与えてくれるのに重要な存在になっていくのがヨシオだった。心の金継ぎのウルシの役と言おうか。11歳の歳の差だけでなくさまざまな距離があったトールと違い、一歳違いの同世代のヨシオはフェアーな話し相手であり、親近性は比較にならない。また人気者で社交性にも富むトールと違って、群れを嫌うロンリーボーイであるところもスズコには心地よい。シマザキはこの文系博学ロンリーボーイにキエルケゴールやサルトルを引用させて、どこか昭和中期的なウンチクを展開させる。
ー 私は夢見ていたの:他人の存在なしに人はどうやって幸せになれるの?彼は驚いて叫んだ:ー なんて哲学的な問題なんだ!僕はそういうの大好きだよ。
彼はサルトルの言葉「地獄とは他人のことだ」を引用した。私は思わず笑ってしまったが、まじめに聞き返した。
ー ヨシオ、孤独を愛するあなたでも、時にはひとりぼっちだと感じることがあるでしょう。
ー もちろんだよ、スズコ。だからこそ僕はガールフレンドが欲しいと思ったんだ。きみに恋心を抱いたとき、僕はただちにきみと接触しようと決めたんだ。きみがそれを受諾したときの僕の喜びを想像してごらん。私が期待していた答えとは違っていたけれど、その返事は私にはうれしいものだった。
彼は紙ナプキンの上に「人」という漢字を書いた。ー 学校で教わることだけど、この漢字は二人の立った人間がお互いに寄りかかっている様子を示している。これが人間の世界だ。人はひとりではなく自分の周りの人たちといかに共存していくかを知らなければならない。私はからかって言ったー あなたは歳のわりにお利口さんすぎるわ。あなたは誰とでもこんななの?
ー みんなとじゃないよ。少なくとも現実的ではありたい。自分が快く感じるためには、好きなものに熱中するけれど、僕の好みを共有できない連中は避けるようにしている。いずれにしても、僕は自分が幸せかどうかを自問しすぎる傾向がある。
ここがまさに社交的なトールとは全く違っているところだが、私には二人とも同じように穏やかで強い人間に思える。
(p126-127)
これはシマザキ先生の”倫理”なのだと思うが、この日本は私には懐かしい。それからシマザキはこの二人にセックスは16歳になるまで待ちましょうという約束をさせるのだが、こういうディテールはどうにも昭和期の”倫理”で、ありかなぁ?と思うのは私の勝手か。
金継ぎはスズコを救済する。そのアトリエでスズコは養母アンズ(陶芸家)の破損陶器片を金継ぎのプロセスで新しいアクセサリーオブジェに再生させることを考案し、オリジナル創作まで企図できるようになった。トールへの片思いを失い傷ついた心の”ウルシ”となったヨシオとの青春の恋はスズコを新生させた。そして傷ついたスズメを”もの言う鳥”に進化させる訓練はめげずに続いている。そのクライマックスのひとつが、本稿の冒頭で既に紹介してしまった「打ち棒のない小鐘」(アンズとユージが二人だけの初めてのヨーロッパ旅行で、チェコ共和国ベルーンの陶器市で買った骨董セラミックの小鐘、二人が帰国したあとで壊れてしまった)の修復であり、スズコはアトリエ講習の最後にこの小鐘の金継ぎ修復をする。この修復完成の出来栄えに両親(アンズとユージ)は、二人の大切な思い出の修復と感涙し、その画像をスマホ受信した”兄”トールは心からの祝福を送る。ここがシマザキパンタロジー(五連作)『打ち棒のない小鐘(Une Clochette Sans Battant)』の最終話の打ち上げ花火のようなシーンなのだと思う。
6月1日付けリベラシオン紙は文芸ジャーナリストシャルリーヌ・ゲルトン=ドリューヴァン筆のアキ・シマザキ『漆』の書評を掲載しているが、その記事タイトルが”L'Effet Clochette"(エフェ・クロシェット=クロシェット効果)となっている。この「クロシェット効果」なる言葉、私は聞いたことがなかったし、ネット検索してもなかなかそれらしい説明に行き当たらない。”Clochette"はこのシマザキ五連作題の中の”Clochette"(私は"小鐘"と訳している)を当てこすってのことだと思う。シマザキはこの言葉知ってるだろうか?たぶん知らないと思う。私が理解した「クロシェット効果」を解説すると、この場合の”クロシェット”は”Fée Clochette"(クロシェット妖精)に由来する。『ピーター・パン』に登場する妖精ティンカー・ベルのフランスで呼ばれている名前が”Fée Clochette"である。そのウィキペディアの説明をそのまま引用すると「彼女の妖精の粉を浴び、信じる心を持てば空を飛ぶ事が出来る」。『ピーター・パン』の中で、ウェンディーと子供たちは最初空を飛ぶことなんかできないと怖がっていたのに、ピーター・パンの言葉を信じて、ティンカー・ベルの妖精の粉を振りかけられたら、空を飛べるようになってしまう。この妖精の粉の効果に絶対不可欠なのは「信じること」である。フランス語の「クロシェット効果」とはこの妖精の粉の効果のことで、信じることで効果が発生してしまう「プラシーボ効果」とほぼ同義の意味である。
このシマザキの『漆』にあてはまることと言えば、金継ぎをあたかも錬金術のように信じ、その新しい美の誕生を実現させるというファンタジーと読めないことはない。もっと端的なのは、飛べなくなったスズメに言葉を教え込めると信じて、執拗に「スズコ、ウルシ」と繰り返し繰り返し言って聞かせることである。たいへん無粋であるのを承知で、小説の最終部をバラしてしまうと、クイクイクイ、クイクイクイ、クイクイクイ....と囀っていたスズメが突然「スズコ.... スズコ... ウルシ....」と発語するのである。クロシェット効果ここに極まれり。シマザキさん、ちょっとやりすぎじゃないですか?
Aki Shimazaki "Urushi"
Actes Sud刊 2024年5月 140ぺージ 16ユーロ
カストール爺の採点:★★☆☆☆
(↓)ピーターパン「ユー・キャン・フライ」
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