2026年1月24日土曜日

「贋札のセザンヌ」と呼ばれた男

”L'Affaire Bojarski"
『ボヤルスキー事件』


2025年フランス映画
監督:ジャン=ポール・サロメ
主演:レダ・カテブ、サラ・ジロドー、バスティアン・ブイヨン、ピエール・ロタン
フランス公開:2026年1月14日


在した人物、実際にあった事件に基づくフィクション映画。チェスラフ・ヤン・ボヤルスキー(1912 - 2003)はポーランド生れのエンジニア、第二次大戦中ポーランド兵としてハンガリーで捕虜になり、脱走してフランスに辿り着いた。この男が後年1950年から1964年まで、フランス”銀行”を震撼させた贋札事件の主犯(と言うより単独犯)となるのだが、映画はこの人物を孤高のアーチストとして描く擬似バイオピックとなっている。文句なしにレダ・カテブのキャラが良い。この帽子とメガネと口髭は昭和天皇である。自宅地下の秘密基地のような贋札工房に一人籠もって精密な紙幣印刷に打ち込むボヤルスキー=レダ・カテブの姿に、私は東京空襲激しいさなか皇居の地下バンカーでひとり特設海洋研究室に籠もって顕微鏡でヒドラを観察する昭和天皇の姿(cf 2005年アレクサンドル・ソコロフ映画『太陽』)を想ってしまったが、フランスの映画館でそんなこと想像する私はかなり異質であるよね。
 映画の重要なファクターの一つが”移民”問題である。戦後期とは言え高度成長期に入る前は、ポーランド系帰化人であるボヤルスキーには職探しなどで難関に直面する。技術者としてしっかりとした基礎があるにも関わらず、まともな職はない。ポーランド移民には仕方なく”危ない道”に踏み込む部分もある。それがボヤルスキーのダチのアントン(演ピエール・ロタン)の場合で、”やばい”方面で生きているので金遣いも荒く、ボヤルスキーはこの男と関わるのは危険だと一時は絶交するのであるが、結局”ダチ”の縁を断ち切れず、映画の終わりはこのアントンから”足がつき”、逮捕されることになる。ポーランドをはじめ戦後期の東欧からの移民は共産主義から逃れてのこと。帰国の意思を断ち、フランス同化を望むが、フランスの”戦後”もそれどころではない状況だったろう。ボヤルスキーに関しては、大戦中にフランスの抗独レジスタンスとして動いていたこともあり、フランスはこの元レジスタンス闘士に好待遇で処さねばならないはずなのだが、根深い移民レイシズムはそれを妨げる。因みにそのレジスタンスでのボヤルスキーの活動というのが、その高度な図面工作技術を買われて、活動家たちやユダヤ人たちを国境検問通過させるための身分証明書やパスポートの偽造であった。この精巧な偽造技術が...。
 ボヤルスキーは技術者であり発明家である。さまざまな発明の特許を取って製造会社に売り込もうとするのだが、そのフランス語力が禍い(特許申請書や取説の仏語間違い)したり、発明を横取りされたり。この映画の中だけでも、電動歯ブラシ、インク漏れのないボールペン、高さ調節自在の回転椅子、カプセル式コーヒーマシーンなどがボヤルスキー発明品が出てくるが、どれも商業化に至らない。この天才発明家は日の目を見ることはない。そこで戦争中の証明書偽造のテクニックが...。映画では最初はギャング界からその技術を贋札に使ってみてはと誘われて...。
 ボヤルスキーは美しくもウブな富裕ブルジョワ娘シュザンヌ(演サラ・ジロドー)と恋に落ち、結婚して二人の子供をもうけることになるが、この関係はきわめて純愛のように描かれる。サラ・ジロドーは(ウブな)純愛の似合う女優さんだ。その純愛は映画の最後まで貫かれる。しかしボヤルスキーは昼は売れない発明家/夜は改造地下室に籠もって贋札づくりという”二重生活”をひた隠しに隠していた(だがバレる)。まあ犯罪者としては当然の防御ではあるが、このマニアックな秘密主義は孤高の人としての描かれ方の重要なファクターである。
 奇しくも今”マニアック”という形容詞を使ったが、まさにこの形容詞がこの主人公のほとんどを語っている。その地下贋札工房の工作機械・印刷システム・製紙プロセス・多重刷りの各銅板原版の手彫り、全部自身のオリジナルであり一人で数ヶ月をかけて作業する。この作成過程の現場に映画を観る者は立ち会うわけである。鬼気迫る巨匠の創作現場を見る思いがする。
 ボヤルスキー作の贋札は3種。まずミネルヴァとヘラクレスが描かれた1000フラン札(1945年から流通)、これをボヤルスキーは1950年に作った。次いで1958年に、大地の女神ポーモーナと海の女神アムピトリーテーを描いた「大地と海」と称される5000フラン札。映画ではこの時から完全にボヤルスキーの単独犯行、つまり完全に秘密裏に印刷されこの紙幣を(最初に)使うのはボヤルスキーひとり。この紙幣の使用に関して、ボヤルスキーは3つの鉄則を自ら定める: 1. 1店舗につき1枚の紙幣のみ使用すること / 2. 決してこれ見よがしにならないこと / 3. 秘密厳守。
そして3種めが、1960年のフランス・フランの(1/100)デノミネーションで登場した新フランによるナポレオン肖像の新100フラン札。新紙幣が発行されるたびに発券銀行(フランス銀行)は「絶対に偽造ができない」と銘打ったさまざまな新仕様を施すのだが、このナポレオン紙幣にボヤルスキーは挑戦し、ボヤルスキー贋札の最高傑作を生み出すのである。それも純然たる「完全コピー」ではない。ボヤルスキーの審美観によって、この方が美的に勝るというごく微細な”タッチ”を加えるのである。これが言わばボヤルスキーの「署名」であった。オリジナルを凌駕する美術作品としてボヤルスキーは世に出したのだ。このボヤルスキーのナポレオン100フラン札は、事件終結後も蒐集家の人気の的となり、大手競売会社に出品されると瞬く間に超高価で競り落とされるアイテムとなっている。「贋札のセザンヌ」という異名はここから来ている。
 しかしこれはあくまでも犯罪なので、それを追求する警察もあの手この手でこの贋札犯を追うのである。そのチーフが当時フランスの随一の刑事と呼ばれたマテイ警視(演バスティアン・ブイヨン、怪演!)であったが、ダンディーな佇まい、派手な立ち回り(メディア出たがり)、政財界とのコネ、いかにも戦後サスペンス映画的なキャラなのである。しかし懸命の捜査にも関わらず10年以上もこの贋札犯を取り逃がしているマテイは、警察の中心から左遷され、パリ警察の屋根裏部屋に異動させられるほど落ちぶれる。マテイは燃えたぎる執念でこの事件を追い続ける。贋札の成分分析で、使用されている紙の原料が、巻きタバコの巻紙として市販されているOCBの巻紙であることがわかる。全国のタバコ屋でこの巻紙を大量に購入する人物をマークせよ。この作戦で、絞り出された某地方都市のタバコ屋、警察の張り込み、罠にはまりかかるボヤルスキー、しかし....。寸でのところで警察はこの男を取り逃してしまう...。

 現地に乗り込んでいたマテイは、この作戦の頓挫に落胆して、ひとりホテルのバーでヤケ酒を飲んでいる。そこへひとりの男がそのバーのカウンターの隣に座り、マテイにウィスキーを進呈する。マテイはその男が何者なのか知らないが、そのさかずきを受け、二人の会話は始まる。このシーン(←写真)がこの映画のハイライトですね。ボヤルスキーはこの男が自分を追うマテイであると知りながら寄って行ったのだが...。ここで発生してしまう二人のお互いへのリスペクト、ほぼ友情に近いようなものまで感じさせる。行きずりの行商人としかボヤルスキーは名乗らず、最敬礼してその場を去っていく。その後マテイはこの作戦で得られた逃走者の似顔絵で、あのバーの男が、と知るのである。
 もうひとついいシーン。それはマテイとボヤルスキーの電話での会話。絶対にあなた(そうなのですよ、マテイは犯人を "vous"で呼ぶのだよ)を捕らえてみせると言うマテイに、私は捕らえられる前に(贋札作りを)やめてしまうかもしれないとボヤルスキーが堪えると、マテイは「あなたはやめるわけがない、あなたがそれを金のためにやっているのではないということを私は知っているから」と(!!!)  ー すばり見抜いているのだ。これは金目的の行為ではない。いつの日か世に認められる芸術家の営為である。映画は孤高の芸術家をここで見てしまうのである。

 慎ましやかであり、目立つことなく、人知れず秘密厳守で生き通したかったボヤルスキーだが、↑で書いたようにその原則を肝に銘じることができないポーランド友のアントンのせいで足がついて、ついに逮捕されてしまう。その秘密印刷所での贋札印刷工程の信じ難いほどの緻密さに、警察・政府・フランス銀行は驚愕するのだが....。

 その偏執的なアルチザン/アーチスト気質を持ったボヤルスキーのなりわい、マテイ刑事の情念的で執拗な捜査追跡、妻ジュリエットとの揺るぎない純愛、すべてにおいてよく出来た映画。これだけの大事件ながら、それまで小説化も映画化もされなかったのが不思議である。俳優レダ・カテブは、『ジャンゴ』(2017年)よりも『ボヤルスキー』の方が自身の代表作として映画史に残ると思いますよ。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『ボヤルスキー事件』予告編
 

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