爺ブログ史上、最少の記事数だった。それまでの最少は2015年の38本で、その「爺ブログのレトロスペクティヴ 2015 」では、「7-8-9-10月の闘病生活もあったので、それを考えると、よく頑張ってブログ記事書いたものだな、と自分を誉めて...」と書いてある。10年前私は頑張っていたのだな。2025年2月、肝臓の4分の1ほどを切除する手術を受けたが、重かったのだろう、それからのコンバレサンスにかなりの月日を要してしまい、体が痛みなく動けるようになったのは夏近かった。これを言い訳にしようと思っていたのだが、それだけではない。1年前の「爺ブログのレトロスペクティヴ 2024」で既に「端的に言えば、書けなくなっているのです」と(わざわざ太字にして)白状している。これは日本語力とフランス語力の低下の問題であり、それは「書くこと」だけではなく「聞くこと」も「読むこと」も、なのである。自ずと人に「話すこと」など...。私はこの10年間、さまざまな病院の医師・医療スタッフと面談するたびに、この人たちが私の理解できないことを(理解しない私に構わず)話し続けるという地獄の場面を経験してきた。私は私の病気の”現在位置”を把握していない。カフカ的。それでもこの治療をせよと言われれば定期的に(体に負担が重い)点滴治療を受け、音波熱や放射線を浴び、手術が効果的と言われれば言われるままに手術台に乗ってきた。その前よりもその後の方が良くなったという確証は私の理解力では得られるに至っていない。
2025年2月の手術は私が思っていた以上にダメージがきつかった。麻酔とその後の長期の鎮痛剤服用は脳に直接作用したような印象がある。その数ヶ月、私は本が読めなかった。読むことに集中できず、数行で寝落ちするありさまだった。滅多に日本語の本を読まない私であるが、フランス語だから読めないのであって日本語なら、と思って日本語の本を手にしたが結果は同じだった。2025年、おそらく私が手にしたフランス語の新刊書は20冊もない。わが町のFNACで立ち読みすることは”楽しみ”から”苦しみ”に変わった感がある。
映画にしても音楽にしても状態は似たようなもので、ついていけない/理解できないという印象が優っていて、その体験として流れる時間はおぼろげである場合が多くなった。過去のものを再体験することばかりが楽しみになりつつある。これはいかんと思いながら、ノスタルジーで涙することは増えつつある。
2025年度ゴンクール賞ローラン・モーヴィニエ著『La Maison Vide(空き家)』(744ページ!)は、その受賞が発表された11月から読み始めて2ヶ月、いまだに読み終えていない。年内に紹介記事を書きたかったが、私の頭の衰えなのだろうね、まだ600ページにも至っていない。近々必ず、と約束しましょう。ちょっと自分を鞭打たないとダメな時期なのだろう。
年始恒例のレトロスペクティヴ、(たった)31本(やっぱり恥じる)の記事で、多く読まれた記事10本を振り返ります。爺さん、それでもがんばったね。
(記事タイトルにリンク貼っているので、クリックすると該当記事に飛べます)
1.『イニシャルズ BB』(2025年8月3日掲載)2025年12月28日に91歳で亡くなったブリジット・バルドー、その直後から急激にビュー数を伸ばして、たった3日で2025年最多ビュー数記事に。元記事はラティーナ2009年12月号に載せた、良い意味でダイジェスト的なバルドー”入門”。50年代に始まる性と文化の革命の象徴的アイコンとして、世界の女性たちを変えてしまった功績を残したように褒めそやして書いているが、どうしたものだろうか。その(極右寄りでレイシスト丸出しの)政治的な言辞で5回の有罪判決を受けたことは、死の際に国民一致的な哀悼を妨げる大きな要因であった。一年前に死んだアラン・ドロンと同様に万人に愛された人ではない。『そして神は女をお創りになった Et Dieu... créa la femme』(1956年)の BBを懐かしみ、涙しよう。それだけのことはした女性である。
2. 『あんぽんたん』(2025年5月7日掲載)
冒頭でこう書いてある「80歳。8トラック31分、歌もの4トラック、インストルメンタル4トラック。歌もの4曲の作詞はご本人。ご自分ひとりだけでやりました感あふれる晩期ナレフこれでもかアルバム。」 ー ミッシェル・ポルナレフの2025年アルバム"Un temps pour elle"はかなりひどい。それを思ったまま書いた紹介記事であるが、やはり日本の長年のファンたちは読んでくれる。長年のファンたちは同じようなことを思ったのかもしれない。反論or同意といったご意見メールは皆無。言っただけ口寒くなる作品なのだろう。輝かしい過去だけで十分ではないか。記事文末でも触れたが、AI介在なしの実写写真とされているジャケットアートだけは素晴らしいと思いますよ。
3. 『棋士棋士盤々』(2025年3月29日掲載)
2024年の日本映画『碁盤斬り』(白石和彌監督、草彅剛主演)の紹介記事である。わが町のアートシアター系上映館ランドフスキー座はまめに日本映画をかけてくれ、2026年1月現在かの『国宝』を上映中である。2025年同館で観た日本映画で最も印象に残っているのは『遠い山並みの光』(石川慶 x カズオ・イシグロ)であるが、爺ブログの出る幕ではないので...。本来ならこの『碁盤斬り』も私の出る幕ではないのではあるが、文中にもあるように、私の最も信頼する文化批評誌テレラマが妙な褒め方をしていたので、その古典日本映画的なエンターテインメント性を私なりの見方で反証してみた。”武士道”やら”仇討ち”やらを21世紀的現在に日本ソフトパワーとしてエンターテインメント化することを私はやっぱり間違っていると思う。テレラマ誌がそれを褒めたら、引き摺られるフランス人映画ファンは多いので...。
4.『The Unforgettable Fire』(2025年9月29日掲載)
水林章のフランス語小説第5作めの作品『炎と影の森(La forêt de flammes et d'ombres)』は大風呂敷な絵巻物である。これまでの4作の準主役となっていた”音楽”に加えて、新作は”絵画”が”音楽”と同じほどの重要なファクターとなっている。水林のobsessionとなっている大日本帝国による15年戦争(1931 - 1945)に蹂躙された日本とその若者たちが、いかにその傷から再生していくか、というテーマはこの小説では3人の芸術家(画家と音楽家)とその子孫たちに至る90余年の大河小説として進行する。水林の筆がノッている感じ。名調子。その名調子に最も熱がこもるのが、絵画創造および完成された姿の(文章による)描写であり、音楽楽曲とその演奏家表現の(文章による)描写である。ここが私が留保してしまうところで、私にはそれで絵の姿や色彩やタッチが見えてこないし、音楽は聞こえてこない。これは私の理解力の問題だけなのかもしれない。フランスでの高い評価は、その情念的物語性においてであり、そこには私にも何の異論もないのであるが。
5.『シャル ウィ ダンス』(2025年4月11日掲載)
2023年2月サン・ジャン・ド・リューズ市のリセで起こった生徒による女性教師刺殺事件、その葬儀に教会前庭に置かれた棺の前で、残された伴侶男性が見えない亡き妻の手を取って踊り出す。みんなこのシーンで泣いたのですよ。2025年4月、ジュリアン・クレールはこのエレガントなダンスの男性に捧げる「パルヴィ(教会前庭)」と題された歌を発表する。そしてこの歌に心打たれたコメディアンのフランソワ・モレルが担当する国営ラジオでの時評コーナーでこの歌とダンスの男性を称える。爺ブログはその一部始終を記事にしたのだが、私もこれは書きながら泣けてきて泣けてきて...。シャンソンにはこのようなエモーショナルな出来事を歌にして後世まで残すという役目もある。ジュリアン・クレールは良い仕事をした。偉大なシャンソニエの仕事であった。
6. 『愉快で詩的なメタフィジック』(2025年6月30日掲載)
アメリー・ノトンブの第9作めの小説『管の形而上学』(2000年)を子供向けにアニメ化した映画『アメリーと管の形而上学(Amélie et la métaphysique des tubes)』、内外で評判は上々で、2026年ゴールデン・グローブ賞(アニメ部門)にもノミネートされている。日本上映も決まっていて『アメリと雨の物語』という題で2026年3月20日から。まあ日本の「7歳から107歳の子供たち」がどう思うかは非常に興味のあるところではある。2歳半の幼児が自分を「神」と確信するところなんか、どう思うんでしょね。原作および原作者と距離を置かないと、この素晴らしいアニメ映画はよろしくない解釈を呼び込む可能性があると思う。”ノトンブにしゃべらせるな”と言いたい。カラフルなワンダーランドを堪能すべし。それから福原まりさんの音楽にも傾聴されたし。6. 『愉快で詩的なメタフィジック』(2025年6月30日掲載)
7. 『Don't look back in anger』(2025年10月20日掲載)
民放TVトークショー番組「コティディアン」の切れ者ジャーナリスト、ポール・ガスニエの初小説で、2025年度ゴンクール賞候補作(第ニ選考まで)だった『衝突(La Colision)』の紹介記事。移民系不良少年の暴走バイクに衝突され命を失った母親の事件をその10年後に詳細に再検証する。ジャーナリストの眼を持った著者はその現場となったリヨンの街区の成り立ちの歴史、少年の生い立ち、極右排外主義が大幅な支持を得る時代の空気、敬虔なイスラム者である少年の姉との対話など、さまざまなファクターを交えながら、答えのない服喪の物語を綴っていく。一体これは何と何の衝突だったのか。著者はそれに「赦し」を与えられるのか。同じ番組「コティディアン」の同僚ジャーナリストであるアンブル・シャリュモーの初小説『生きとし生けるもの』と共に、2025年に出会えた若い二人の作家の2冊がこの1年で最も印象に残った。二人とも次作がとても楽しみ。
8.『手を取り行くのも絵空事』(2025年2月28日掲載)
これは2月の肝臓の手術の後で初めて観れた映画だった。シンガポール人監督エリック・クーの日本を舞台にした作品で、カトリーヌ・ドヌーヴ(+堺正章、竹野内豊)が主演していた。2025年10月には日本でも『スピリット・ワールド』という題で公開になった。どれほどひどい映画かということは記事中に書いてあるので繰り返さないが、カトリーヌ・ドヌーヴという大女優はちゃんと作品を選んで出演を決めてほしい。これは爺ブログの傾向であるが、日本がらみの映画を取り上げるとビュー数はグンと上がる。そういうウケを狙って紹介記事を書いているわけではない。日本で上映されるケースが多いので、ネタバレ記事はその方面に迷惑をかけているかもしれないが、本当にひどいものが多いので黙っておれなくなるのだよ。とりわけ不思議の国ニッポンをエサにして釣る映画には(それをフランス人が褒めるので)怒りが込み上げてくる。
9.『美しい星あかり』(2025年9月13日掲載)
(↑)のレトロスペクティヴ2025のイントロで書いた「ノスタルジーで涙すること」の端的な例。極個人的・極私的な1987年の回想を、1987年のイタリアヒット曲にかこつけて書いている。父親が今の私と同じ病気が原因で他界した年だった。33歳でレコードを山ほど買って山ほど聞いていた頃だった。そんなことを長々と書くようになってしまったのだよ、私は、嗚呼。エロズ・ラマッツォッティは私より9歳若くて今62歳で、イタリアの国民的大歌手になってしまった。金満趣味がぷんぷん匂う。だがあの頃のイタリアものには本当に懐かしみを感じている。2025年、最も聴き、最も愛したアルバムがアンドレア・ラスロ・シモーネの『かくも長き影』であったことはそれと無縁ではない。イタリアはいろいろな意味で遠い夢の国になりつつある。
10.『生者を眠らせ生者の屋根に雪ふりつむ 死者を眠らせ死者の屋根に雪ふりつむ』(2025年1月17日掲載)
2025年1年間で私が観た最高の映画。ペドロ・アルモドバールの『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(2024年ヴェネツィア映画祭金獅子賞)、もちろん爺ブログ評価★★★★★。
ー「私の快楽の源泉はすべて枯渇してしまった」とマーサは言う。これが病気の”真実”である。その状態を見て、まだ五体が動くではないか、という楽観論を述べ、危機的状態を見ようとしない人々を私は多く知っている。生きる喜びがすべて消え失せた状態、これをおしまいにしたいという欲求は正当化されないものなのか。映画はそれを問い、死に行く者の尊厳に加担する。そしてそこに友がいてくれたら。ー と記事に書いてある。私の正直な気持ちである。極私的にこの映画でどれほど救われたか。マーサ(演ティルダ・スウィントン)に感謝し、その上にふりつむ雪にも感謝した映画だった。2026年もこんな映画に出会えますように。











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