2015年6月23日火曜日

今朝のフランス語:「Promettre la lune(月を約束する)」

1969年7月20日、地球人が初めて月面に上陸しました。私たち昭和人はこの日の出来事は、夢のような未来がぐぐぐ〜っと近づいたように感じたものです。あんなに遠かった月にも人が行けるようになった。もうすぐ月旅行にも行けるだろう。新婚旅行は文字通りハネムーンで、なんて想ったロマンティックな少年少女もいたでしょう。
 ところがそれから半世紀近くも経ってしまった2015年的今日、月はまだまだ遠いのであります。他の星々に比べたら、あんなに近くに見えるのに、月はわれわれの手から遠いところにあるのです。だいたい私たち昭和人に21世紀には絶対と約束されていた空飛ぶ自動車だって、まだ飛んでないんですよ。私たち老人は、どうやら生きてる間は月は無理だな、とあきらめたって構わないですが、なんだかこのペースだと、その子の世代、孫の世代でもちょっと無理ではないかな、と悲観的な見方になりますよね。どうして月はこんなに遠くなったのでしょう?
 近そうに見えて、手の届かないもの、遠すぎるところ、行くことが不可能なところである月という意味での使い方が、フランス語表現の中にいろいろと出てきます。私の手元にある大修館スタンダード仏和辞典にある成句例を以下に挙げます。

aboyer à la lune (犬が月に向かって吠える → )届かぬ悪口を言う、はかない抗議をする
aller décrocher la lune pour qn  (月をものにしようとする → ) 人のために不可能なことを試みる
demander la lune  (月を注文する → ) 無理な要求をする
promettre la lune   (月を約束する → ) できないことを約束する
vouloir prendre la lune avec ses dents (月を歯の間に挟む → ) 不可能なことを企てる

 閑話休題。6月19日に車で700キロを走破してトゥールーズに行きました。この約8時間の高速道路旅程の間、入ったり入らなかったりするカーステのFMチューニングが無作為に捉えた20くらいのFM局から、私はこの曲がオンエアされたのを4回聞きました。4回ですよ。たぶん(いや確実に)この夏のヒット曲になるのでしょう。とてもヴァリエテっぽい曲です。とても庶民的(すなわち郊外的)でもあります。曲調は昭和人の私には悲しい行進曲のように聞こえます。この疑似レトロなところが曲者です。庶民階級の若い娘の反抗や恨みも感じられます。アーチストの名前はシェラーズ(Chéraze)、曲のタイトルは "Promets pas la lune"(月を約束しないで)。つまり上の説明からすると「できないことを約束するな」という意味です。
 シェラーズは民放テレビD8のスタ誕番組「ポップスター」の第5期(2013年)で優勝したガールズバンド「The Mess(ザ・メス。日本語感のするガールズバンド名だこと!)」のひとりだった人。しかしこの手のスタ誕番組の優勝者がそのままスターになることなど、本当に稀になってしまったんです。案の上、このポップR&B路線のガールズバンドもアルバムもシングルも全く注目されませんでした。セクシオン・ダッソー、ラ・フイン、ザオーなどが曲を提供しているにも関わらず。NRJ、スカイロック、Funラジオは好かなかったのかな? 第一今これを書いている私でさえ(音楽業界の中にいながらですよ!)こういうバンドが存在したことも知りませんでした。で、メンバーがひとり抜けて、3人になって、それでも続けてられなくて、ひとりひとりソロになってしまうんですね。その中で最も郊外的な佇まいの娘が、このシェラーズだったわけで、まあある種の偏見がある人たちは「シェラーズ・ヤクービ」というちょっとエキゾティックな名前だけで敏感に反応してしまうわけですし。逆にこのヒップホップ - R&B - 郊外土壌の子は、フランスでは他の子に出来ないことができるのですよ。

(リフレイン)月を約束しないで(できないことを約束しないで)
       空に向かって頭も上げず
       わたしは自分のペンでぶちまけるわよ
       書くのよ、苦しみの叫びを
       自分の生きてきたことなんて笑っちゃうわ
       記憶が蘇ってくるの
       わたしの態度がわざとらしいみたいだったらごめんなさいね

わたしにも過去はあったわ
たぶん未来もあるかもね
わたしは頭の中に拒否と侮蔑ばかり受け止めて来た
わたしにはもう毒気なんてないわ
わたしは自分の夢を煙で汚してしまった
わたしにはもう憎しみなんてない
わたしにはいつもこの音楽が頭の中にあった

(リフレイン)

人はいつも上を欲しがるばかり
人は負けることから立ち直れない
自分を変えることなんかわたしには出来なかった
あんたに気に入られたいことなんかわたしは何もしないわよ
でもこんなに大洪水続きでも
わたしの地球は全然平気さ
冒険に出ようよ
わたしたち自身の限界までの旅を

でも辛いってことは認めてね
それは一番寒い冬のよう
金は人を豊かにしない
でもそれがないとわたしたちは負けてしまう
ストリートの子供たちよ、一緒に行こう
栄光の日はとっても遠いけれど
少しの憎しみもない間は一緒に愛を語り合おう

(リフレイン 3回)

 なんかね...。この行進曲リズムだと、もうこの十数年間フランスで毎月のように見る「工場閉鎖」の抗議デモでもすぐに歌えそう。3年を越した社会党オランド政権へ、できもしない約束をしたオランド政権へ、直接的に歌っているのでしょう。庶民出身の娘アーチストたち、ディアムス、アメル・ベント、ザーズ、ザオー、インディラ... この系譜は貴重。 

(↓)シェラーズ「月を約束しないで」
(中間のラップで介入するのはチュニジアーノ)



 

2015年6月19日金曜日

ガストン・ミロン「愛の歩み」



 ストン・ミロン(1928-1996)はケベックの詩人であり、バビックスが新アルバム『クリスタル・オートマティック#1』で取り上げた8人の詩人のひとりです。日本はもとよりフランスでもあまり知られていませんが、故国ケベックでは96年の死去の際に国葬になっている国民的な詩人です。詩人および出版者として第一線の文化人で、フランス語圏カナダの擁護〜ケベック独立の闘士としても有名です。
 バビックスがガストン・ミロンの作品と出会ったのはつい数年前のことだそうで、詩集『l'Homme Rapaillé(摘まれた男)』 (1970年発表)の中のこの「La marche à l'amour(愛の歩み)」という200行を超える長編詩に電撃的なショックを受けます。この詩は文字通り歩行のリズムを持っていて、読む者はその歩行の息づかいを共有し、一緒に進み、一緒に心臓を高鳴らせ、一緒に登り詰め、一緒に息切れてしまいます。この体験をバビックスは再現したくて、曲をつけてそのポエジー・スペクタクルである「クリスタル・オートマティック」で披露しました。するとそれを見た長年の友人のひとりがやってきて、この詩で歌われた2行
moi je fonce à vive allure et entêté d'avenir
la tête en bas comme un bison dans son destin
その宿命として頭を下げて突進する野牛のように
僕はがむしゃらに突き進み未来に陶酔する
 は、おまえそのものだ、と言ったのだそうです。 それ以来「ビゾン bison 野牛」はバビックスのフェティッシュとなり、彼が新しく設立した独立制作会社の名前も「ビゾン・ビゾン bison bison」(野牛の学名)となっています。
 アルバム『クリスタル・オートマティック #1』はランボー、ボードレール、アルトー、ジュネ、ケルーアックなどの詩作品をバビックスが音楽化したものです。メロディーをつけると言うよりは、詩の語感や韻律の持つ音楽性をそのまま引き出そうと、ほとんどがスラムのようなポエトリー・リーディングで、楽器(ピアノ、キーボード、ギター、ドラムス)演奏がそのアトモスフィアを支えていくような構成になっています。
 その中でこのガストン・ミロンの「愛の歩み」は、前述のように歩行のリズムの、孤独な散歩者のものから、激情的にまだ見ぬ恋人を恋慕しつめる頂点に至るまでの上昇過程がすばらしく、まさにクリスタル現象(スタンダールの「結晶作用」)を体験する思いがします。スタンダール『恋愛論』(1822年)で有名なこの Cristallisationクリスタリザシオンも、バビックスの重要なキーワードのひとつで、セカンドアルバムのタイトル『クリスタル・ボールルーム』(2009年)でも今度の新作『クリスタル・オートマティック#1』でもこのクリスタルという言葉が使われているのは偶然ではありません。
 原詩「愛の歩み」は200行を越す長編詩ですが、バビックスは後半のほとんどを省いて、前半と結語部を結合させた約100行として作品化しています。それでも録音された曲は10分の大曲となっています。私は5月末にバビックスにインタヴューすることができ、その時にこの大曲がやはりこのアルバムの白眉であるということを確認し、おそらく日本のリスナーにも一番なじみやすいトラックだと思うと告げました。できたら誰かがこの詩の和訳をすれば、さらに好かれるのではないか、と。「きみがやれよ」とバビックスに言われ、今日、こうやって、試訳を公開します。訳はバビックスが録音した部分だけのものです。日本語になっていない部分多々あります。いつか全文訳をやってみたいと思ってます。

ガストン・ミロン 「愛の歩み」

おまえは露の野の青緑色の目をしている
おまえは冒険と光年の目をしている
その底にある優しさは5月の微風
未開のままの僕の人生と共に歩んでくれる
おまえの恐がりな体にあるこの鳥の温もりと共に
僕は骨組みであり、たくさんの茂みだ
その宿命として頭を下げて突進する野牛のように
僕はがむしゃらに突き進み未来に陶酔する
睡蓮の白さがおまえの首まで伸びていく
僕の不吉な霊力の悪巧みに従って
僕の目の中でおまえの遠い未来の死の照り返しに
おまえの鹿のようにさまよう斑点と
空と海が反応しあう

全身に日を浴びながらおまえはやってくるだろう
口は草原の冷気に満ち
体は忘れられた庭園によって熟され
そこでおまえの乳房は魅惑の呪いとなった
おまえは立ち上がる おまえは僕の腕の中の夜明けだ
そこでおまえは季節のように変わっていく
僕はおまえのために息切れの国の競歩者となろう
惨めさと身のほど知らずの限界まで歩いていく
僕はきみに命を愛させたい、僕たちの命を
おまえを根から葉まで狂おしく重々しく愛するのだ
来る日も来る日も、夜と石の浅瀬を通して
僕たちの静かな力が沸き上がってくる
僕はいつの日かどこかでおまえと出会えるに違いないのだ
きっと!
僕を失わせ苦痛をもたらすあらゆるものに逆らって
この寒さの底にかすかに残っているその視線から
おおわが恋人よ、僕はおまえが実在すると断言できる
僕は僕たちの命を修正する

僕たちはもはや衰弱して死ぬことはない
僕たちの夢の嵐がたとえ何里離れていようと
僕たちの唇が渇きでひび割れて血の筋が流れようと
両肩が飛び交うカモメたちに覆われようと
否!
僕はおまえを探しに行き、僕たちは地上に住むだろう
この悲嘆は癒されないものではない
僕はそのために愚弄の漂流物、節操のない風船、
深い病気を負い火の粉の涙を出す道化師となっているけれど
僕の渇きの空気と火を打ち砕け
絹でできた空のようなおまえの両手の中に僕を流し込んでおくれ
もしもそれがおまえのそばに愛の国から来た新参者のように
僕を再び立たせるのでなければ
二度と出られないように頭から入れておくれ
銀河でできたおまえの体で僕に星をちりばめておくれ
たとえ僕の生活がどん底にあっても
泥沼のような黒い欲望の中にあっても
もしも僕が大根役者で、絶望の粉砕機であっても

それでも僕には強く猛々しい思いがある
おまえをその純粋さによって愛すること
僕の知らなかった優しさによっておまえを愛すること
僕の空の雨霰と降る星たちの中で
僕の体の中で閃光が輝き
僕は風に向かって固く結んだ拳をかざす
僕の心臓は千馬力の蒸気機関となり
僕の心臓はロウソクの炎のようだ
おまえ、おまえは優美で深みのある頭脳を持ち
その髪の中には柳たなびく夜が潜んでいる
その顔には偶然と果実が雪となって吹き付け
その視線は秘められた泉によって養われ
おまえの血管には幾千もの虫たちの歌があり
おまえの愛撫には幾千もの花びらの雨がある

おまえは僕の愛
僕の怒号、僕の叫び
おまえは僕の愛 
宇宙から届けられた僕の帯
地平の四隅で踊られる僕のスクエアダンス
僕の希望の乱れたかせを梳き取る糸車
おまえは僕の好戦的な和解
僕の蜜蜂の睫毛に語りかける僕の日のささやき
高層ビルのてっぺんにある僕の窓の青い水
僕の愛
ロータリー花壇の垣の泉
おまえは僕に開かれたチャンス、僕の包囲網
おまえのおかげで
僕の勇気は常緑の樅の木
僕には魂に満ちる雑草や大魚がある
おまえは無傷のままの未来の美のすべてだ
影に刃向かう太陽のような、今にも壊れそうな美

(... 中略...)

僕はおまえに向かって歩む、僕はおまえに向かってよろめく、僕はおまえに飢えて死ぬ
魂の中へ僕の身の丈のすべてはゆっくりと倒れ込む
僕はおまえに向かって歩む、僕はおまえに向かってよろめく、
生きる意味など空っぽな水筒から僕は水を飲む
南も北もない道々にばらまかれたこれらの歩跡のために
頭もしっぽもない風が打つこれらの平手打ちのために
僕はもはや愛に仕える顔をしていない
僕はもはやなにものにも役立つ顔をしていない
ときおり僕は自分を不憫に思い座り込んでしまう
睡りの十字架のように僕は両腕を開く
僕の体は愛の痙攣を起こす最後の神経網だ
僕の指先には失われた記憶の糸がかかっている
もう明日なんか待てない、僕はおまえを待っている
もう世界の終わりなんか待てない、僕はおまえを待っている
僕の人生の偽りの光輪などもう取り払われてしまった


 今のところ公開されているこの曲の動画はありません。 あり次第ここに貼付けます。
 バビックスの『クリスタル・オートマティック#1』はこの曲だけでもぜひ聞いてみてください。

<<< トラックリスト >>>
1. CONVERSATION 1
2. LE BAL DES PENDUS (首吊り人の舞踏会)アルチュール・ランボー
3. LA MORTS DES AMANTS (恋人たちの死)シャルル・ボードレール(『悪の華』より)
4. LE CONDAME A MORT (死刑囚)ジャン・ジュネ(部分)
5. MES PETITES AMOUREUSES (僕の小さな恋人たち)アルチュール・ランボー
6. LA RUE (通り)アントナン・アルトー(『冥府の臍』より)
7. PULL MY DAISY (ヒナギクを摘んで)ジャック・ケルアック
8. WATCH HER DISAPPEAR (彼女が消え去るのを見て)トム・ウェイツ(アルバム『アリス』より)
9. LA MARCHE A L'AMOUR (愛の歩み)ガストン・ミロン(『拾われた男』より
10. CONVERSATION 2
11. LE CRYSTAL AUTOMATIQUE (自動水晶)エメ・セゼール(『奇跡の武器』より)

Babx "Cristal Automatique #1"
CD BisonBison BIS8128122181
フランスでのリリース 2015年6月22日


2015年6月6日土曜日

この美しい青春を抱きしめておくんだ

ジョゼフ・ダンヴェール『白い朝』
Joseph D'Anvers "Les Matins Blancs"

 「白い夜」(nuit blanche)という表現は、北欧など緯度の高いところで見られる白夜現象のことですが、暗くならないから眠れない、ということで眠れぬ夜の意味にも使われます。複数形で nuits blanches になりますと、白土三平の赤目プロみたいに、何日も徹夜続きで作業している状態を思い描くかもしれませんが、むしろ比喩的に恋の悩みなどで苦悶して眠れない夜が続いていることを指すようです。ではこのタイトルの「白い朝」(Les Matins Blancs 複数形です)というのは、どういう仏語表現なのか、と言うと、まあ、いろいろ調べましたがわかりません。白い朝は白い夜の延長と思うのが自然でしょう。それから白い昼になって、白い午後を経過して、白い夕刻から白い夜に再突入、というパーフェクト不眠の円環が閉じます。目の前真っ白でしょう。
 関連して言えば、久保田早紀の「異邦人」(1979年)の中に
祈りの声 ひずめの音 歌うようなざわめき
私を置き去りに 過ぎてゆく白い朝
という歌詞があります。 白い朝とは私を置き去りにして過ぎていくものなのだ、という無情さがおおいに気にかかります。また日本語版ウィキペディアによると、この久保田の歌は最初「白い朝」というタイトルだったが、「インパクトが弱い」という理由で「異邦人」に変えられたという記述があります。
 ジョゼフ・ダンヴェールはドミニク・アやミオセックなど90年代のシャンソン刷新派に触発されて出てきた00年代のシンガーソングライターで、プロ入りのきっかけとなったのはダニエル・ダルクとの邂逅、そしてレ・ザンロキュプティーブルの新人発掘公募に入選し、2005年にアトモスフェリック・レーベルからデビュー。アルバムはこれで4枚、ミオセック、バシュング、フランソワーズ・アルディ等に詞と曲を提供しており、小説(ロマン・ノワール)も発表している才人です。まあ、アレクシ・HK、バスチアン・ラルマン、ベルトラン・ブラン等に近い位置にいる、安定してるんだけど、なんか一味足りない、そういう人たちの一人と思って今まで聞いてました。
 4枚目のアルバム『白い朝』 は、自分でもそう思っていたんでしょうね。もう若くないんだ、という自覚ですよ。「私を置き去りに過ぎてゆく白い朝」は、帰り来ぬ青春なんですよ。冒頭の「プティット(petite)」(これを「少女」と訳すと、五輪さんですか?という話になりましょうから、絶対にしません)はすごいですよ。このアルバムはこれに尽きますね。これさえ聞けば、オッケー。

俺は歩く、プティット
俺がどこに行き、どこに進んでいるのかなんてどうでもいい
プティット
俺はよろめく、プティット
だけど俺を支えたりしないでくれ
プティット
俺は呑む、プティット
ちくしょう、これはこれが大好きなんだ
プティット
俺は生きる、プティット
この一瞬一瞬が歴史なんだ
プティット
この美しい青春は長続きしないんだ
この美しい青春はおまえの手の指からこぼれていくんだ
この美しい青春は長続きしないんだ
だからこの美しい青春を抱きしめておくんだ

俺は知ってる、プティット
日は昇る、だかしかし
プティット

俺は踊る、プティット
俺がまた戻ってくるとは知りもしないが
プティット
この美しい青春は長続きしないんだ
この美しい青春はおまえの手の指からこぼれていくんだ
この美しい青春は長続きしないんだ
だからこの美しい青春を抱きしめておくんだ

俺は泣いている、プティット
明日という日はあまりにも俺たちに近い
プティット
おまえを愛している、プティット
俺たちが何だったのかを絶対に忘れないでくれ
プティット
この美しい青春は長続きしないんだ
この美しい青春はおまえの手の指からこぼれていくんだ
この美しい青春は長続きしないんだ
だからこの美しい青春を抱きしめておくんだ



<<< トラックリスト >>>
1. Petite
2. Surexposé
3. Avant les adieux
4. Tremble
5. Mon ange
6. La vie à présent
7. Sally
8. Les amours clandestines
9. Chaque nuit en son temps
10. Marie
11. Histoire de Johnny S
12. La nuit je t'aime quand même
13. Les jours incandescents
14. Regarde les hommes tomber

JOSEPH D'ANVERS "LES MATINS BLANCS"
CD AT(H)OME  3760068971519
フランスでのリリース : 2015年2月

カストール爺の採点:★★★★☆

2015年6月1日月曜日

新しい歌の出来に、きっと自分でびっくりするんだろうな


80 A.B.
作詞&歌:ピエール・バルー
作曲:アレスキー・ベルカセム
(1972年 アルバム『サヴァ・サヴィアン』)
 
窓辺の少女
僕は通りがかり、僕は見知らぬ男
一目で僕はあの娘とわかる
あの窓辺の少女
僕は通りがかり、僕は見知らぬ男

プラタナスの無数の葉っぱの香りが
湿った空気にひろがる
通りでは背の低い司祭が
僧衣のすそを持ち上げて
濡れた路面の上を走っていく

自転車に乗った郵便屋さん
片手で小型トラックの後ろにつかまり
軽く口笛吹いている
僕はそれを遠くから目で追っている

縞シャツを着た太っちょの肉屋が
「80」の戸口にいる
それは街角のビストロの名前
肉屋は自分の靴の底を見ている
僕はまた歩き始める

どこからかサクソフォンの音
クラクションの音、子供たちの叫び声、
一匹の犬がこれらすべてのアーチストたちに吠えかかっていく
僕は通りがかりにみんなに喝采していく

僕はまた旅に出る
僕のギターと僕の狂気と一緒に
違う季節の方に向かって歩き始める
いつの日かできあがった新しい歌の出来に
きっと自分でびっくりするんだろうな


窓辺の少女
僕は通りがかり、僕は見知らぬ男
一目で僕はあの娘とわかる
あの窓辺の少女
僕は通りがかり、僕は見知らぬ男



2015年、オーレリアン・メルルによるカヴァー(↓)
すばらしい !!!