2019年9月20日金曜日

Happy End

ラシッド・タハ『アフリカン』
Rachid Tana "Je suis Africain"

2018年9月12日、あと6日で60歳になるはずだったラシッド・タハは心臓発作のためにこの世を去った。1987年に難病「アーノルド・キアリ病」と診断され、この脳の奇形に起因する脊髄の障碍によって、身体の機能が徐々に麻痺していった。長い年月この病気に侵食され、とりわけその平衡感覚が失われていった。ステージでよろける姿を見て、この難病の症状であることを知らぬ人たちはメタメタに酔っ払ってるとなじったものだ。2016年からこのアルバム『アフリカン』をラシッドと二人三脚で準備していたトマ・フェテルマン(Toma Feterman、ラ・キャラヴァン・パスのリーダー。本アルバムのプロデュース、共作曲、編曲、ほとんどの楽器の演奏)は、
骨が少しずつ石灰化していき、彼の腰と右手は完全に麻痺していた。彼は触る感覚も失っていて、ボールペンを持つこともできず、俺が彼の口述する歌詞を書きとめなければならなかった。
と証言している(2019年9月、国営ラジオFRANCE INFOのインタヴュー)
 20歳年が離れたラシッド・タハとトマ・フェテルマンの親交は、ラ・キャラヴァン・パスのアルバム "CANIS CARMINA"(2016年リリース)に2曲ラシッドがゲスト参加したことに始まる。(↓)ラ・キャラヴァン・パス+ラシッド・タハ「ババ」

この曲のヴォーカル録音のためにラシッドは俺の家(ホームスタジオ)に来たんだ。録音が済んで夜になったんだが、機材をそのままにしといてくれって言うんだ。これから歌作りをしよう、ってね。彼にヘッドホンをつけさせ、俺はギターを構えた。そして俺に、悲しくて同時に陽気なようなメロディーを弾いてくれ、と。こうして俺たちのインプロヴィゼーションは始まった。その夜だけで12曲つくった。このアルバムに入っている"Andy Waloo"、"Minouche"、"Happy End"はその時つくったものだ。(同インタヴュー)
それから数ヶ月、二人は定期的に会いトマのホームスタジオで同じようなやり方でインプロセッションをし、しまいにラシッドはトマにこのアルバムをおまえのプロデュースで作ろう、と。このプロジェクトは発端から数えると2年の歳月を費やすことになる。
俺はラシッドにこう言った:「あんたはもうじき60歳になるんだ。あんたがのべつまくなしに叫んだり飛び跳ねたりするようなアルバムにはしたくないんだ。俺はあんたと一緒に"オリエンタル・パンク・クルーナー"のアルバムをつくりたいんだよ」。そしたら彼は目を大きく見開いたんだ。ここアイディアが気にいったのさ。(同インタヴュー)
と、ここのところの話はもうひとりの孤高のロッカー、ダニエル・ダルク(1959-2013)ととてもよく似ている(ラティーナ2019年9月号の拙記事「ダニエル・ダルク、あるロックンローラーの生と死」読んでください)。2004年に年下のシンガーソングライター、フレデリック・ローのホームスタジオで、2年がかりでローと二人三脚でつくった傑作『心臓破り(Crève coeur)』は正真正銘の"パンク・クルーナー"のアルバムだ。ダニエルとラシッド・タハは同じ1959年生まれだった。

 レ・ザンロキュプティーブル(「泣けるほど美しい」)、リベラシオン(「最高の遺作」)、テレラマ(「溢れ出る活力、胸を刺す遺作」)、フィガロ(「いまだかつてなく活き活きとしたラシッド・タハ」)などメディアの大絶賛に迎えられて2019年9月20日にリリースされた、ラシッド・タハ11作目のアルバム『アフリカン(Je suis Africain)』、10曲38分。先行で発表されたアルバムタイトル曲 "Je suis Africain"のヴィデオ・クリップ(↓)は打ち上げ花火のように華やかで祝祭的な雰囲気の中、不在の故人に代わって現れる(レコーディングに参加しているわけではない)ゲストスターたち:オクスモ・プッチーノ、ムース&ハキム、フェミ・クティ、アニエス・B、カトリーヌ・ランジェ、バンジャマン・ビオレー、ジャンヌ・アデッド、クリスチアン・オリヴィエ、ムールード・アシュール...

われらすべてアフリカン、マニフェスト的な誇りに溢れるこのアフロ・オリエンタル・ポップの歌詞に登場する(ネーム・ドロッピングされる)"アフリカ人”たちとは、マンデラ、ラ・カヒナ(7世紀ベルベル女王)、マルコムX、カテブ・ヤシーヌ、ジミ・ヘンドリックス、ジャック・デリダアンジェラ・デイヴィスフランツ・ファノンパトリス・ルムンバトマ・サンカラ、ボブ・マーリー、ハンパテ・バー(マリの作家/人類学者)、エメ・セゼール、そしてラシッド・タハとなっている。
  ジャケットを開くと、ビートルズ「サージェント・ペパーズ」にも似た50人ほどの偉人/著名人たちの似顔絵イラストが中央のラシッドの似顔絵を囲んでいる。上の"Je suis Africain"でネーム・ドロッピングされた人物だけではない。このアルバムはラシッドはもちろん「遺作」を意識してつくったわけではない。しかしこれらの人々はラシッドの人生に大きな影響を与えたであろうし、人生の終わりに謝辞を捧げているようなアルバムになってしまった。それほどアルバム中のネーム・ドロッピングは重要である。
ー 5曲め "Wahdi" : ファリド・エル・アトラッシュ
ー 7曲め "Andy Waloo" : アンディー・ウォーホル、ハリル・ジブランウマル・ハイヤームアブー・ヌワース、エルヴィス・プレスリー、ボ・ディドリー、エディー・コクラン、ウーム・カルスーム、ルー・リード、ジョニー・キャッシュ、パブロ・ピカソ、ジャン・コクトー、ジャン・マレー
ー 9曲め "Like A Dervish" : マイルス・デイヴィス、エルヴィス・プレスリー
ー 10曲め "Happy End" :マルレーネ・ディートリッヒ、ウィリアム・シェイクスピア
ジャケット内側のイラストにはこれらの歌に出た人たちのほかに、カール・マルクス、ジョン・レノン、パティー・スミス、カルロス・サンタナ、ブライアン・イーノといった人たちの顔も見て取れる。生きている人も中にはいるが、ラシッドの音楽と思想と生き方にインスピレーションを与えてきたこれらの偉人たちと、ラシッドは今や同じところにいるのかもしれない。
 5曲め "Wahdi"でデュエットしている素晴らしい女性歌手 Flèche Love(フレッシュ・ロヴ)ことアミナ・カデリは、スイス在住のアルジェリア系アーチストで、ラシッドが YouTubeで発見して、アルバムにこの声が欲しいとトマ・フェテルマンに猛烈に要求したのだそう。フランス語とアラブ語とスペイン語の混じるメランコリックなバラード。
 言語のゴチャ混ぜはこれまでもラシッドの特徴でもあったが、このアルバムではなんと英語曲がある。歌詞でもろに "This is my first song in English"と紹介する9曲め"Like A Dervish"。だがすぐにごまかし、インチキをし、"My English is not so rich"と照れる。ダンサブルだし、カルト・ド・セジュール時代のようなアラビックビートだし、2曲め "Aïta"と共にダンスフロアーに直行のナンバー。
 しかし、しかし、俺の言語はアラブなんだよ、と最後に言ってしまう。愛の言葉、俺はどんな言語でも言えるけれど、おまえの心に残るのはアラブ語だろう。そういうことをアルバムの最終曲で、最も美しいシャービに乗せて歌うのですよ。これが幸せな終わり。ハッピーエンド。どうして、こんな出来過ぎの終わりができるのか。本当にこれで終わりなのか。

俺の目がおまえを見るその前に、俺はおまえを見ていた
俺の目がおまえを見るその前に、俺はおまえを見ていた
おまえは俺の命、おまえは俺の愛
おまえは俺の命、おまえは俺の愛
俺の目がおまえを見るその前に、俺はおまえを見ていた
俺の目がおまえを見るその前に、俺はおまえを見ていた
イッヒ・リーベ・ディッヒ
だいたいそんなことはどうでもいい
俺はマルレーネ・ディートリッヒが大好きだ
テ・キエロ
アイ・ラヴ・ユー
テ・キエロ
ハビビ
俺の目がおまえを見るその前に、俺はおまえを見ていた
俺の目がおまえを見るその前に、俺はおまえを見ていた
アイ・ラヴ・ユー
モナムール
イッヒ・リーベ・ディッヒ
ほかのことはどうだっていい
おまえを心から愛している
それは月並みな言葉だって知っている
おまえをいつだって愛している
こうなると、俺だって美しい
あらゆる言語で俺が歌を歌うことができたら
俺の口からシェイクスピア物語が出てきただろうに
だけど俺の言語はアラブ語なんだ
そんじょそこらにあるアラブ語じゃない
俺の言語はおまえの心に残る
アラブ語なんだ
("Happy End")


<<< トラックリスト >>>
1. Ansit
2. Aïta
3. Minouche
4. Je suis Africain
5. Wahdi (feat. Flèche Love)
6. Insomnia
7. Andy Waloo
8. Striptease
9. Like A Dervish
10. Happy End

RACHID TAHA "JE SUIS AFRICAIN"
CD/LP NAIVE/BELIEVE
フランスでのリリース;2019年9月20日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)2018年9月「ラシッド・タハ死去 」を報じるモロッコMEDI 1 TVの仏語ニュース。

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