『ジャンヌ』
"Jeanne"
2018年フランス映画
監督:ブルーノ・デュモン
主演:リーズ・ルプラ=ブリュドム(ジャンヌ)、特別出演ファブリス・ルキーニ(王シャルル7世)
原作:シャルル・ペギー
音楽:クリストフ
フランスでの公開:2019年9月11日
私が観たわが町のランドフスキー名画座(平日15時45分の回。平日のこの時間は客はほとんど老人ばかり)では、上映開始5分後にすでに立って退場する観客が数人いました。開始早々「えらいものを観にきたもんだ」という戸惑いは私にもありました。海が近いであろう灌木と砂丘の荒野、セットなどない殺風景な丘陵に時代(15世紀)の扮装だけはしている少人数の登場人物が、セリフ棒読みアマチュア演劇のようなダイアローグを。ジャンヌ・ダルク物語と聞いて、歴史的大絵巻物のような映画を想って観にきたのかもしれない善良な老人たちは、すぐさま「これは違う」と気付いて退場して行ったのだろう。わかりますよ。私だって、これ最後まで観れるだろうかと不安になりましたもの。低予算、活劇なし、素人演技,,, その上、音楽が大きくフィーチャーされていて、エレクトロニクス楽器の調べに乗って老巨匠クリストフが切れ切れの高音ヴォーカルで長々とジャンヌへのエレジーを歌うのですよ。耐えられない人もいましょう。
歴史的事件はこうです。イギリスとの百年戦争で領地を大幅に奪われたフランスは、1429年、神からのお告げでフランスを救うために立ち上がった少女ジャンヌの率いる軍によりイギリス(+ブルゴーニュ連合)軍を破り、オルレアンを解放し、フランス王位後継者シャルル7世を戴冠させた。ここでジャンヌは救国の聖女と崇められるのですが、シャルル7世は「首都」パリ解放をジャンヌに命じ、この戦いに赴いたジャンヌは初めて敗北を喫してしまいます。英国に同盟したブルゴーニュ軍によりコンピエーニュで捕らえられたジャンヌは、英国軍に引き渡され、ルーアンでカトリック教会聖職者たちによるジャンヌの異端裁判が行われます。
この映画はパリ奪回戦の敗北の責任を、兵士たちに戦意を鼓舞することなくキリスト教的な「愛」を説いたジャンヌに負わせたい軍部、神の啓示による戦争を説きながら破れるという「神の名」を語った詐欺・冒涜を裁こうとするカトリック教会、敵国イギリス+ブルゴーニュによるフランスの敗戦責任の追及を一身に受けた囚われのジャンヌの、敗北→異端裁判→火刑による死までも描いた作品です。
ジャンヌを演じるリーズ・ルプラ=プリュドムは12歳(シジエム=コレージュの初学年=日本式に言えば小学6年生)。後述しますが、映画はこれが初めてではなく、この映画の前のブルーノ・デュモン監督の作品『ジャネット - ジャンヌ・ダルクの子供時代(Jeannette - L'Enfance de Jeanne d'Arc)』(2017年)で既に8歳のジャンヌ・ダルクを演じています。映画『ジャンヌ』(初公開が2019年5月カンヌ映画祭「監督週間」部門)の評価は、何をおいてもこの少女女優の圧倒的なプレゼンスに集中しています。この少女だけで観る者は否応なしにこの映画の最後まで惹きつけられてしまうのです。
意表をついた演出です。予算の関係ということではなく、北部フランス(フランドル)出身の監督ブルーノ・デュモンのエステティスムによるものと思われる荒涼とした北フランスの丘陵の上でフランスのすべてが決まるのです。教会司教、王軍参謀、王の使者らがこの何もない荒野に集まり、甲冑で身を固めた少女ジャンヌにフランス王国の命運をゆだねます。大人と子供の会話のようにも見えます。神のお告げは、雲が払われて輝き出す太陽を見つめるジャンヌにだけ聞こえているようです。このジャンヌには迷いもあります。生身の12歳の少女の目は神がかっている時だけはなく、人間の目にもなってしまう時があります。
莫大な人員を使った歴史的戦闘シーンなど、この映画には登場するわけがない。これをブルーノ・デュモンは、甲冑姿で槍を持って馬上にあるジャンヌを真ん中に、空中から撮影した数十頭の騎馬兵による大掛かりな馬術バレエとして表現します。この馬術バレエはかなり延々と続きます。ん?ん?ん?と思ってしまいますよ。
ジャンヌの功績でフランス王として戴冠したシャルル7世(演ファブリス・ルキーニ。この映画中、おそらく唯一人の"プロの”俳優)は、敗北したジャンヌと面会しても、ジャンヌを擁護せず、軍務から解いて退陣させようとします。このファブリス・ルキーニの"浮いた”演技はまさに名人芸、映画中の最大の「場違い」さはユビュ王と同種の不条理でしょう。
史実ではルーアンでされたとなっているジャンヌを裁く異端裁判は、この映画はアミアンの大聖堂で撮影されたようです。この威圧的な大伽藍は、封建時代の重さ、宗教権力の重さ、中世の重苦しさ、そんなものらがいっぺんにものを言っているようなアトモスフィアを一目瞭然に作り出してしまうのですが、ジャンヌが見上げればそこにも光は差すんですよ。そして法学者、聖職者、権力者らが一方的にジャンヌの異端性を詰問し、その過ちの自白を強要します。ここはアマチュアが演じているからということなのか、露骨な頑迷さと憎悪だけが際立ったものの言い方が逆に迫真的です。その中でひとり、頭巾で顔を隠していた老高僧が、頭巾から顔を覗かせ天を向いてジャンヌへの哀歌を歌い出す、という唐突な展開があり、この歌う老高僧がクリストフその人なのでした...。(↑写真、高僧クリストフに演技指示するブルーノ・デュモン)
火刑を待つジャンヌが閉じ込められる牢獄は、おそらく北フランスの古戦場(第二次世界大戦?)に残されているコンクリート製のトーチカの趾をつかったものだと思われます。中世と20世紀などひとっ飛びだなぁ、と妙な感心をしてしまいました。その牢獄の中で、汚れ、ボロボロになっていくジャンヌもリアルに描かれていて、異端とされても信仰を捨てない、その神に祈る姿がこれまた不条理なものです。
この映画の前作『ジャネット - ジャンヌ・ダルクの子供時代』(2017年)は観ていませんが、映画サイト AlloCinéの紹介を読むとこれまたかなり奇抜な演出で、バロック・メタル/デス・メタル系のアーチスト Igorr (イゴール)と組んだミュージカル映画仕立て(振付けがフィリップ・デクーフレ!)です。(↓『ジャネット - ジャンヌ・ダルクの子供時代』予告編)
(↑)この前作観ていたら、この本作の印象も全然違うのでしょうね。しかし心の準備をせずに、予備知識ゼロでこの映画観てよかったと思ってます。意外性の連続が強烈に新鮮でした。カール・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』(1928年)と同じほどに「顔」がものを言う映画ですが、『裁かるるジャンヌ』はサイレントだったから顔がものを言うしかなかったと言えばそれまでですけど。しかしこの12歳の少女(リーズ・ルプラ=プリュドム)の神がかりの顔は、どんなジャンヌ・ダルク映画の聖処女像よりも心を射る強烈な印象が残ると思いますよ。この映画の突飛性や前衛性はこの顔に支えられれば、全然大丈夫な2時間18分になってしまうのです。
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)『ジャンヌ』予告編
(↓)2016年ARTEで放映された映画ジャーナリストのフレデリック・バスがまとめた歴代のジャンヌ・ダルク映画の断片集。カール・ドライヤー、ロベルト・ロッセリーニ、ジャック・リヴェット、リュック・ベッソン、ザ・シンプソンズ.... 。やっぱりジーン・セバーグかな。
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