Françoise Sagan "Les Quatre Coins du Coeur"
フランソワーズ・サガン『心の四隅』
サガンさんがしゃがんだ。
(↑だるまさんがころんだのリズムで読むこと)
フランソワーズ・サガン(1935-2004)の死後15経って初めて出版された未発表の未完小説です。本書の序文で息子で写真家のドニ・ウェストホフが、この草稿を母の死後に発見し、そのままでの刊行を試みたが果たせず、ウェストホフ自身が何年かかけて掠れた文字を想像で復元したり、不要と思われる箇所を削除したり、ある種の「校正加筆」をほどこした上で、ようやく出版にこぎつけた経緯を説明しています。サガンの未発表作であれば、大出版社が競って権利争奪戦をしそうなものですが、どうもそうでもない事情なんでしょう。
何読んでもみな同じ、という頑迷な先入観から、個人的にほとんど読んでいない作家ですが、そういう個人的サガン観も含めて爺ブログでは2008年にディアンヌ・キュリス監督のサガンのバイオピック『サガン』(↓予告編)の紹介記事「流行作家はお好き?」を書いてます。読んでみてください。
さて200ページの未発表・未完小説『心の四隅』です。20世紀後半、80年代頃でしょうか、小説中にフランスからの農産物を輸入している日本の商社をVIP接待するシーンが出てくるので、そういう日本商社マンがフランスで肩で風切って闊歩していた時代でしょう。そう、日本は先端産業国でフランスは農業国とあの頃の人たちは思ってましたわね。それはそれ。フランス中部、ロワール川流れる内陸の古都トゥールの近郊で、クレッソンなどの野菜の輸出で巨万の富を築いたその名もクレッソン家という大富豪家の屋敷が舞台です。大庭園に囲まれたその城館は「ラ・クレッソナード」と呼ばれ、金はあるが審美眼のまるでない当主の悪趣味で、建築様式も家具調度も装飾品(コンテンポラリーアートとミロのヴィーナスのコピーが混在する)もめちゃくちゃだが、住んでいる家族は頓着していない。ゴリ押しのブルドーザー型実業家のアンリ・クレッソンは地場産業(農業)に貢献し、地元に多くの職をもたらした土地の名士にして実力者です。金と権力にものを言わせるけれど、超俗物として描かれているわけではない。出来の悪いひとり息子をなんとかしなければ、という親心もあるし、高級娼館のマダムと懇親の仲という粋人のようなところもある。その出来の悪い息子リュドヴィックは、若くして死んだ先妻との子で、軟弱に育ち、人からもバカ息子に見られ、名門家の後継者として最低の評価をされてきた。それでも20代を過ぎ、パリ出身で都会的に洗練された女性マリー=ロールと恋(これはどうかわからない)に落ち、晴れて結婚して城館ラ・クレッソナードに迎え入れます。
しかし、リュドヴィックがマリー=ロールにプレゼントした超高級スポーツカーは、新妻の運転中に大事故を起こしてしまい、運転席のマリー=ロールは大したケガもなかったのに助手席にいたリュドヴィックは医師も助からないと判断したほどの瀕死の大重傷を負います。病院の絶望的診断にも関わらず、数日間の昏睡状態からリュドヴィックは奇跡的に蘇り、骨も内臓も治療復元不可能だったのが長い月日をかけて元の状態に戻り、口が全く聞けないほどの精神障害も精神病棟の中で少しずつ回復し、3年の歳月をかけてリュドヴィックはラ・クレッソナードに無事の生還を果たします。
ところが暖かく帰還を迎えてくれるはずの妻マリー=ロールは、3年前に亡くなってしまえばよかったと言わんばかりに、この幽霊のような夫を終わった男として拒絶し、離婚の意思を表明し、一緒の寝室で眠ることを拒否します。その上弁護士と連絡を取り、巨額の離婚慰謝料はせしめるつもりです。
この嫁による「寝室拒否」のエピソードを、城館のプラタナスの木の影で聞いていた父親アンリは、性悪な嫁との離婚はしかたないと思いつつも、それよりも出来の悪い息子をどん底から救い出さなければならないと考えるのです。マッチョな家父長の知恵ですが、アンリは長年の裏側のつきあいである(非合法)高級娼館の主マダム・アメルに助けを借り、性快楽によってリュドヴィックに立ち直る下地をつくらせます。3年間薬浸けにされ、療養所、リハビリセンター、精神病棟で植物的に変身させられ、その上妻の拒絶でさらに腑抜けになった男は、性セラピーで回復していきます。
周辺地方の誰もが知ることになったクレッソン家の跡取り御曹司の瀕死の事故、すなわちクレッソン帝国の存続の危機という悪評を振り払うため、当主アンリは3年後跡取りが全快して復帰したことを公に大々的に示すために、城館での全快大祝賀パーティーを企画します。予算に糸目をつけない大パーティーです。その宴の企画と采配のために、アンリが白羽を立てたのがマリー=ロールの母親のファニーでした。ファニーはパリの有名オート・クチュリエの助手として働くやり手の管理職レディーで、最愛の夫カンタンに先立たれ、女手ひとつでマリー=ロールを育てました。仕事ができ、職業柄上流社会の趣味も知り尽くしていて、美しく、華のある熟女、おまけにクレッソン家の内部事情にも熟知している。これ以上の適材はない、とアンリはファニーの夏のヴァカンスを返上させて、2ヶ月でこの大宴会の準備をさせるため、城館にひと部屋もうけてファニーを滞在させます。
さて当主アンリ、跡取り息子のリュドヴィック、その妻のマリー=ロール、新しく住人となったファニー、この4人のほかに城館にはアンリの二番目の妻であり病気がちであまり人前に出てこないサンドラ、そしてサンドラの弟でサンドラが嫁いだクレッソン家の財産にたかって生きている遊び人のフィリップの二人がいます。この6人は城館のダイニングで三食を共にするのですが、新座のファニーはこの5人の間に虚飾の会話はあっても、人間的なコミュニケーションが何もない、ということに気づきます。やや暴君的な性格のアンリの財産にすべてを負っている、という恐れからなのか、財産を狙っているという魂胆からなのか、それとも情緒が本当に欠落しているのか。
異変はリュドヴィックから起こります。軟弱で才気のないボンボンだったこの男は、母親の年齢とも思えるファニー(妻マリー=ロールとの縁からすると"義理の母”)に恋心を抱いてしまいます。ファニーは娘マリー=ロールを不幸にさせたくないからと拒否するのですが、亡き夫カンタンを除いて最愛の男性はないとしながらも、隠れて若いツバメちゃんと楽しむのも...と揺れていきます。その上軟弱だったボンボンは、上述の「性セラピー」のおかげで精悍な男性に変身していたのです。
それを全く知らない父親アンリは、病気がちでわがままな妻サンドラに愛想を尽かしかけていて、ファニーの城内登場以来、サンドラと離婚してファニーと再婚することを真剣に考えるようになります。
リュドヴィックとファニーの情事は、よくある「テアトル・ド・ブールヴァール」(大衆喜劇、特に"寝取り””寝取られ”をお笑い題材にするものが多い)のように、城館内でバレそうでバレないコミカルさで描かれます。この小説のサガンの文体は辛口な滑稽さで、おのおのの人物の欠陥部分を意地悪く皮肉ります。辛口人情喜劇風な名調子でもあります。
それはかの大宴会が近づくにつれて、恋慕もたくらみも破滅の契機もどんどんクレッシェンド的に高ぶっていきます。わくわくですよね。そしてすべての仮面が剝げ落ちるであろうその宴の夜は...。この小説はそこを書くことなく未完成で終わるのです!
それはフランソワーズ・サガンの本意ではもちろんなかったでしょうが、これでは意地悪ばあさんと言われてもしかたないでしょう。朝吹登水子先生(1917-2005)亡きあと、このサガンの未完成遺作は朝吹由紀子先生がお訳しになるのでしょうが、ファンの方は待っていなさい。上流階級、スポーツカー、城の生活、倦怠、火遊び、年の差のある恋... サガンはサガンである、と思い知りましょう。
カストール爺の採点:★★☆☆☆
Françoise Sagan "Les Quatre Coins du Coeur"
Plon刊 2019年9月19日 202ページ 19ユーロ
(↓)国営テレビFRANCE TV INFOがこの『心の四隅』の刊行に合わせて作った「サガン、自由に生きる Françoise Sagan, Vivre en liberté」と題するモンタージュ・バイオグラフィー。
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