『ふたりの自分』
"Deux Moi"
2019年フランス映画
監督:セドリック・クラピッシュ
主演:アナ・ジラルド、フランソワ・シヴィル
フランスでの公開:2019年9月11日
四半世紀も前から、フランスの若く優しく不安定で脆い男や女やその群像を撮らせたら、この人に勝る監督はない、そういうセドリック・クラピッシュの13本目の長編映画です。時はスマホとSNSだけですべてができそうな21世紀的現代、場所はモンマルトルの丘と国鉄「北駅」の北側にあるパリ19区。高架地下鉄スターリングラード駅や北駅からの郊外電車/ユーロスター/タリスなどが画面にちょくちょく現れます。主人公二人、メラニー(演アナ・ジラルド。イポリット・ジラルドとイザベル・オテロの娘)とレミー(演フランソワ・シビル)は、全くお互いを知らない状態で、この19区の片隅に隣り合わせの二つの建物のそれぞれ上の階のアパルトマンに住んでいて、それぞれの窓を開けると同じように地下鉄や郊外電車のガタンゴトンという音が聞こえてきます。この二つの窓を、クレーンかドローンかでロングショットで撮る美しいシーンがあり、後ろにはモンマルトルの丘サクレ・クール寺院が見えます。大都会ですから、この二つのとても近い窓の二人の住人が知り合うことはまずないのです。そしてこの二人もそれぞれが「ひとり」から抜け出せずに生きていて、二人とも同じように不眠症で悩んでいます。この寂寥をアラン・スーションは「ウルトラ・モデルヌ・ソリチュード」(1988年)と歌ったのでした。その二人が不眠症を訴えて同じ時間に同じ薬局に行き、隣り合わせて二つの窓口にそれぞれ同じようなことを相談しているのですが、隣の人のことには気づかない(うまいシーンですね)。
アラウンド30歳のアナは北フランスアミアン出身のガン研究所の研究員。半年後には研究所を代表して研究論文発表をしなければならない(その評価次第で研究費の割当が大きく左右される)という大役が待っているのだが、寝不足のため全く仕事に身が入らない。そこで精神分析医(psychanaliste)(演カミーユ・コタン、うまい)のところへ...。
アラウンド30歳のレミはアルプスサヴォワ地方出身で超大手通販会社(ま、アマゾンでしょう)の倉庫係だったのが、ロボットに職を奪われ、配置転換で電話アフターサーヴィス課へ。寝不足で地下鉄の中で倒れ、病院で体異常はないものの心身症の疑いありということで、精神療法医(psychothérapeute)(演フランソワ・ベルレアン。うまい)のところへ...。
このプシ(Psy = 精神医)にかかりに行くというのがこの映画のミソでして。映画題の"Deux Moi"(ふたつの moi )の "moi"とは単に「私」とか「自分」というのではなく、この精神医学の分野では「自我」と称されるものなんですね。だから、この映画の主題はふたつの病める自我がどう活路を見出していくか、みたいなもんなんです。
で、21世紀的現在で、ウルトラ・モデルヌ・ソリチュードをお手軽に解消できると思われているのがソーシャル・ネットワーキング・サービス、すなわちSNS、すなわち出会い系で、この二人の主人公もそれぞれの側でそれを試します。当然それでウルトラ・モデルヌ・ソリチュードはさらに深まってしまうのですが。軽いコメディータッチの映画ですから、このSNSを地獄のようには描きませんけど、やっぱりこの出会い世界は壊れてますよね。
それからこの二人にはそれぞれ病める自我をずっと以前から引きずっている原因があり、アナは両親の離婚(父が愛人作って逃げていく)そして完璧と思われた恋人との破局、レミーは幼い頃妹を病気で失い両親がそれを家族内のタブーにしている...。まあ、わかりやすい「深い傷」です。これらの深い傷に落とし前をつけないと、それぞれが自我を取り戻せないと、それぞれのプシ(心療医)が道をつけてやろうとするわけですね。探すのは自分(moi 自我)ですが。
クラピッシュ映画の『猫が行方不明』(1996年)を伏線にしたような、一匹の猫が登場し、ふとしたことから最初レミーに飼われ、行方不明になり、隣建物の住人アナに拾われるというエピソードがあります。しかし猫は一方から他方に移るのですが、それで二人が出会いそうな予感は裏切られ、猫は縁結びにはなりません。
この映画の真の縁結びは意外な人間なのです。フランス式コンビニの元祖、いわゆる"エピシエ・アラブ"と呼ばれる深夜まで営業する食品スーパー。この映画ではEPICERIE SABBAH ORIENTALE(エピスリー・サバー・オリアンタル)という店で、このサバーというのが店主の名前でしょう。このエピシエ(演シモン・アブカリアン、怪演)が、良い食品、悪い食品、クオリティーの違い、全部を知っているものの言い方で客に高いものを買わせることができる名人芸商人なんですね。俺の言うことを信用すればみんな満足。たしかに買った客はそのクオリティーに納得して、次の回もこの店主の意見を聞くことになります。そしてこのエピシエは近所のあらゆる情報を持っていて、世話好きときている。アナもレミーもこの店主に全幅の信頼を置く客になっていきます。そして、すれ違っても見ず知らずだったこの二人がある日、エピシエの紹介したコンパ(ハイチのダンス)教室のレッスン初日に...。
ちょっとうますぎる。クラピッシュ節名調子全開。
個人的なことですが、ちょっと。アナが学会での論文発表前夜、緊張で眠れないからとSNSで近距離フィットした初対面の男を部屋に呼び出して、セックスとドラッグとアルコールで乱れに乱れ、急性アル中でグロッギーになるが、駆けつけた妹キャピュシーヌ(演レベッカ・マルデール)の看護の甲斐あって翌朝、学会会場へ。そして暗記した内容が全部飛んでしまって、ほぼアドリブ勧進帳で、これまでのガン治療の主流だった化学療法(ケモセラピー)に代わる、患者自身の免疫を刺激してガン細胞を打ち破る免疫療法の有効性を弁舌さわやかに。ここでアナの心の中でなにかがふっきれるわけですが、免疫療法は私も病院で受けているので、ありがたくご高説を拝聴。私も"yes !"と喝采したのでした。
ま、パリ下町と、二人のアラサーの迷える日々と、猫と、プシ。SNSを捨てよ、町へ出よう、アマゾンを捨てよ、隣のエピシエへ行こう、と呼びかけているわかりやすい映画でした。
カストール爺の採点:★★★☆☆
(↓)『ふたりの自分(Deux Moi)』予告編
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