2019年9月17日火曜日

秋の日の ヰ゛オロン

Akira Mizubayashi "Ame Brisée"
水林 章 『折れた魂柱』

ジャックは会計をすませ、ギャルソンに食事を長引かせ深夜まで居残ったことを詫びた。そして二人はレストランを出た。
「あらいやだ、雨が降ってるわ」とエレーヌは呟いた。
わが心に涙が降るごとく、巷にも雨が降る
「それ順序があべこべよ」

「知ってるよ、でもこれは自然に僕の口から出てきたんだ...」
               (『折れた魂柱』p110 )

 作者自身もヴェルレーヌを援用しているので、私もこの記事タイトルに、おそらく日本人が最も親しんでいるフランス詩人、ヴェルレーヌを。お立会い、これは壮大なるヴァイオリン小説です。
まず題名の中の"âme"ですが、通常「魂、精神、心」といった訳語が付されるものです。これがヴァイオリン類の弦楽器では、共鳴胴内部で表板と裏板の間に立てられる棒の柱のことであり、日本語では魂柱(こんちゅう、たまばしら)と呼ばれ、表板の振動を裏板に伝え楽器全体が同じ振動で共鳴するために絶対的に必要なものです。ですから題名"Ame brisée"は仮に「折れた魂柱」と訳しましたが、これはもちろん文字通りに訳せる「壊れた魂」「砕けた心」の意味も同時に含んでいるのです。この魂柱を割り砕き、人間たちの心に消え難い傷を負わせるのは日本の軍国主義であり、戦争であるのです。
 小説の始まりは1938年、場所は東京渋谷(神泉)、二人暮らしの父と子、教養人で英語教師でアマチュア音楽家(ヴァイオリニスト)であるミズサワ・ユウが11月の日曜日、子供を連れて区の文化公民館の一室で弦楽四重奏の練習を。11歳の息子レイは一緒についていくが、何よりも今読んでいる本に夢中で、練習中も退屈することなく熱中読書。その本は吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』(1937年新潮社刊。これが2019年9月現在宮崎駿が制作中の最新アニメ作品の題名であり原案小説である、という話はこの小説とは全く関係がない)で、この本はレイの一生の友になっていくのです。さてユウの四重奏団のほかの3人(男2+女1)は中国人留学生で、1937年の日中開戦以来その滞在が危険なものになっているものの、学問の自由をまだ信じて勉学を続けている。紅一点のヴィオラ奏者ヤン・フェンは流暢で誰もがネイティヴと思うような日本語を話す。このことが彼女の運命と大きく関わり、日本・フランス・中国にまたがるこの小説の重要な核のひとつとなります。ここにひとりのフランス人フィリップが介入します。この男はフランスの新聞社の日本駐在記者でしたが、日本の軍国主義化によって報道活動の困難と危険を覚え、緊急にフランスに帰国することになっている。友人のユウにそのことを告げに来たのだが、ユウが四重奏団の練習中だったので、その晩ユウの自宅に出直して話すことに。フィリップが去ったあと、日本人を第一ヴァイオリンとしてあとの3人を中国人で固めた弦楽四重奏団はシューベルト弦楽四重奏曲第13番イ短調『ロザムンデ』D804の練習を繰り返す。
 前章とエピローグに挟まれたこの小説の本編4章は、この『ロザムンデ』の4楽章と同じ  " 1. Allegro ma non troppo / 2. Andante / 3. Menuette - Allegretto / 4. Allegro moderato " と名付けられていて、この小説がこの楽曲とシンクロしていることを示しています。
 そしてこの4人の練習中に、日本兵(憲兵隊)が乱入してきます。その気配にユウは息子のレイを練習広間に隣接する物置場の中の大きな戸棚の中に身を隠させます。レイはその後に起こる事件を戸棚の内部から鍵穴を通してしか知ることができない。憲兵隊はユウを敵国音楽(シューベルトはオーストリア人で、今やオーストリアはナチスドイツに占領されたので敵国ではない、とユウが教養ある反論をし、憲兵の逆上を招く)を敵国人(中国人)と演奏する非国民であり、敵国諜報員に違いないと決めつけ、ユウに殴る蹴るの蛮行、その上ユウのヴァイオリンを叩き割り、軍靴で潰してしまいます。そこへ上官のクロカミ中尉が現れ、部下の乱暴をやめさせ、スパイではなく本当の音楽家であるかもしれないではないか、とユウに一曲演奏するよう命じる。自分の楽器が壊されたので、四重奏曲はできないと、ユウは第二ヴァイオリン奏者からヴァイオリンを借り、ソロで小作品を見事に奏でます。するとクロカミ中尉は「バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番のガヴォットですね」と曲を言い当て、その演奏を称賛します。 この音楽愛好家の軍士官の登場でその場は救われたと思いきや、軍上層部からの伝令が割り込み、全員検挙の命令が下されます。部下たちが4人の音楽家を逮捕連行したあとも、この光景に無念を感じた中尉は踏みにじられたヴァイオリンの残骸を手にして、控えの物置室に入ると人の気配を感じ、大きな戸棚を開けてみるとひとりの少年が震えながら隠れている。背後から中尉を探して迎えに来た部下たちの声がして、とっさにクロカミはこの壊れたヴァイオリンを少年に手渡し、戸棚をしめて、何事もなかったように部下たちに合流していきます。
 重要なディテール忘れてました。憲兵たちが乱入してきた時に、ユウはヴィオラ奏者ヤン・フェンを「私の妻のアイコです」と日本人と偽って庇おうとします。これが純粋にとっさの機転だったのか、それともユウの秘めた想いが発露したのか、2000年代まで中国で生き残ったヤン・フェンにずっと後をひくことになり、ヤン・フェンは独身を通しました。それはそれ。
 レイは壊れたヴァイオリンと『君たちはどう生きるのか』の本を持って、歩いて家までたどりつきますが、その途中で一匹のシバ犬と出会い、父親が鍵を持ったままなので家に入れず門前で座り込んで寒さに震えているのを、このシバ犬が体を寄せつけて暖をわけてくれるという美しい話が挿入されます。そしてその晩、ユウとの約束でやってきたフィリップがこの状況を完璧に把握して、レイの父ユウはもう生きて戻ることはないと判断し、フランスに孤児としてレイを連れていき、養子としてフランスでフランス人として育てるのです。これが壮大なる小説の始まりです。

 ミズサワ・レイは11歳でフィリップ・マイヤールの息子ジャック・マイヤールとして生まれ変わり、フランス人として教育され,、ヨーロッパのヴァイオリン工芸の聖地であるフランスのミルクール(ヴィヨーム)とイタリアのクレモナ(ストラディバリ、アマティ、ガルネリ)で修行を積んで一流のヴァイオリン工芸職人となっていきます。その修行時代のミルクールで知り合ったヴァイオリン弓職人のエレーヌと恋に落ち、二人はカップルとなってパリでヴァイオリンと弓の製造・修繕アトリエを持ちます。ジャックは日本を離れて何年経とうが日本語を忘れることを避けるためにかの『君たちはどう生きるのか』を繰り返し読み続けます。そして十分に腕の立つ職人としての自信がついた時から、父ユウの遺品である砕かれたヴァイオリン(19世紀製造のヴィヨーム)を少しずつ修繕し、十数年の年月をかけて完全に復元することができたのでした。
 ジャックの個人史のすべてを知るエレーヌは、国際ヴァイオリンコンクールで優勝し世界的に注目されている若き日本人ヴァイオリニスト、ヤマザキ・ミドリにジャックとの繋がりを直感します。 そのインタヴューで「元軍人の祖父によってヴァイオリニストへの道を拓かれた」という箇所にピンと来たのです。
 半信半疑でコンタクトを取ったミドリは、まさしく元陸軍中尉クロカミの孫であり、ジャックは60余年もの間帰ったことのなかった日本にミドリに会いに行きます。「ジャック・マイヤール ⇄ミズサワ・レイ」というひとりの中の二つの人格を行き来する小説ではありませんが、この日本への旅は「失われたミズサワ・レイを求めて」の旅という性格を帯びます。ヤマザキ・ミドリとその母のヤマザキ・アヤコ(故クロカミ・ケンゴの娘)の前に立ったフランスからやってきた老ヴァイオリン職人は「ミズサワさん」なのです。この母娘から元陸軍中尉がどんなに戦争を憎み、自分が加担した戦争を恥じ、苦しんでいたか、そしてあの戸棚の中にいた少年がどうなったかをどんなに案じていたかを聞かされます。特に死期が近づき、幻覚が襲ってきて、戦争を呪う妄言が著しくなっていった、と。クラシック音楽、とりわけ弦楽曲を深く愛していた元中尉は、聞くレコードにも偏愛があり、深い想いを持って何度も聴いていたのがシューベルト弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」であった、と。孫のミドリに大きな影響を与え、世界的なヴァイオリニストになるきっかけを与えたクロカミ・ケンゴは、晩年に孫ミドリと娘アヤコを同行者として長年の夢だったヨーロッパのクラシック音楽聖地めぐりの旅に出て、ベルリン、ウィーン、プラハなどを訪問した際に、ヴァイオリンの聖地イタリアのクレモナ、そしてフランスのミルクールも訪れていた。1938年のあの夜、部下憲兵によって砕き壊されたヴァイオリンが19世紀にミルクールで作られたヴィヨームであったことを知っていたからではないか。その旅は元中尉にとって日本の軍国主義によって破壊された音楽と楽器と音楽家への供養と懺悔の旅ではなかったか。
 
小説中最高に美しい小話のひとつ:ミズサワ・レイが東京のヤマザキ・ミドリの家で昼食に母アヤコが料理したトンカツを食べます。白いご飯と味噌汁をなつかしく口にしながら、突然に1938年11月のあの日の朝、父ユウと食べた朝食を思い出し、アヤコに勝手なお願いで恐縮ですが「生卵一個いただけませんか?」と。小鉢に卵を割り、箸でかき混ぜ、醤油を少し垂らし、それをご飯茶碗にかけ「生卵ごはん 」で食べたのです。プルーストのマドレーヌよろしく、ここでレイは60数年前のあの朝の記憶が鮮明に蘇り恍惚となるのです。この光景を見たミドリとアヤコは、クロカミ・ケンゴがあのヨーロッパ旅行中、しかも終盤のフランスのミルクールで、長旅で続いた欧風料理の食事が口に合わず何も食べられなくなり、ミドリとアヤコがここならば食べられるものがあるだとうと連れて行ったミルクールの町の中華レストランで、それでも何も食べられず、ケンゴが「白いご飯と生卵を」とわがままを注文し、本当においしそうに「生卵ごはん」を食べたというエピソードを話すのです。最高じゃないですか、生卵ごはん。フランス人読者にどこまで感動が伝わるか。日仏バイリンガルな自分が本当に徳だと思える瞬間です。この挿話は extrêmement délicieux, un régal、 水林章にごちそうさまと言いたいです。
 
 小説はそれぞれの戦争と戦後を終わらせるための長い旅のようです。戦争を憎み、愛する音楽のために苦しんで死んだクロカミ・ケンゴと、音楽を愛したまま虐殺された父ミズサワ・ユウの魂を鎮める仕事がレイに託されていたわけです。戦争に破壊されたヴィヨームの名器ヴァイオリンは、ジャック・マイヤール/ミズサワ・レイが完璧に復元し、それを試した世界的ヴァイオリニスト、ヤマザキ・ミドリは驚異と感動でヴァイオリンのように打ち震えます。レイはこのヴィヨーム(+エレーヌ作の弓)をミドリに進呈し、ミドリはそれまでの愛器ストラディヴァリウスをしまい、このヴィヨームで世界の演奏会に臨むことになります。
 一方、中国上海の病院で闘病生活を送っていたヤン・フェンとも60数年後にコンタクトが取れます(インターネットってすごいですねぇ、としか言えません)。余命いくばくもないヤン・フェンのいる上海に飛んでいったレイ。ヤン・フェンはレイの父ユウがあの1938年11月の夜に特高に連行されてから、どのように最後の日々を生きていたかを知りうる限り証言します。遺品はふたつ。特高に見つかってはまずいと判断したのだろう、捕まる前にとっさにユウから手渡された小林多喜二『蟹工船』の本(ヤン・フェンはこれをスカートの中に隠して難を逃れた)、そして若くして死んだレイの母が着ていたカーディガン(ユウが寒い練習の日にヤン・フェンに着せて貸したままになっていた)。ユウの最後をレイに話し、遺品ふたつを手渡すことによって、ヤン・フェンの長い戦後は終わったのです。
 そしてフランスに戻り、月日は流れ、ある日、ヤマザキ・ミドリがアルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」のプログラムでパリのクラシックの殿堂サル・プレイエルでコンサートを開くので、と招待を受けます。舞台から十数メートル離れた中央席という最良の音響で聴ける場所に座らされたジャックとエレーヌ。かの名器ヴィヨームでベルクの協奏曲を見事に演奏しきったミドリは、アンコール楽曲に入る前にフランス語で聴衆に、手に持っているこのヴィヨームのヴァイオリンの辿った数奇な運命、祖父の陸軍中尉と日本人アマチュア演奏家の出会いと悲劇、その演奏家の息子がフランスに亡命して世界的ヴァイオリン工芸家となり、このホールに臨席していること... を長々とスピーチし、大喝采を浴びるのです。そしてアンコール曲として、あの日ミズサワ・ユウの四重奏団がリハーサルしていたシューベルト弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」を、さらに再アンコールに、あの夜ミズサワ・ユウがクロカミ中尉にソロで演奏して聞かせたバッハ無伴奏パルティータ第3番ガヴォットを...。

 たいへんな音楽小説であり、水林章の音楽愛と、その音楽を描写する詩的な文体から音楽が流麗に聞こえてくる240ページ長編です。前作『千年の愛(Un amour de Mille-ans)』(2017年)については、2017年5月15日号のオヴニー紙に「フランス語愛とモーツァルト:水林章『千年の愛』を読む」という記事を書きました。これもモーツァルト歌劇『フィガロの結婚』 をめぐる壮大な音楽小説でしたが、その記事でも触れているようにその主人公も日本の(ポスト福島的現在の)状況に追われるように、病めるフランス人妻とフランスに移住してきます。日本の戦前回帰的傾向も作者の苦悩の種になっています。軍靴によって踏みにじられたヴァイオリンの魂柱を立て直し、父ユウと元中尉クロカミとヴィオラ奏者ヤン・フェンの戦争と戦後を終わらせ、鎮魂するのは、ジャック⇄レイとエレーヌとミドリ(+アヤコ)の共同体であり、それは音楽によってなされるのです。私はそのオヴニーに書いた前作紹介記事で、水林のフランス語表現の有効性を強く感じて、バイリンガルの狭間に立っても、これはこちら側(フランス語側)の小説であり、日本語訳が遅くなっても別にかまわないと書きました。しかし、この新作『折れた魂柱』 は、戦争のこと、日本の政治/文化状況のことを考えれば、日本人にこそ読まれなければならない小説だと思いますよ。水林先生、ぜひ日本語化を考えてください。

カストール爺の採点:★★★★☆

Akira Mizubayashi "Ame Brisée"
Gallimard刊 2019年8月 240ページ 19ユーロ 

(↓)シューベルト弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」



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2021年8月追記

本記事で「ぜひ日本語化を」と呼び掛けたのは私であるが、それに応えてくださったのかどうかは定かではない。2021年8月2日、みすず書房から本作の日本語訳『壊れた魂』が刊行された。作者名がカタカナで「アキラ・ミズバヤシ」、訳者名が「水林章」。この翻訳でご自分の中の仏語人と日本語人はどう対話・格闘されただろうか、興味深いところである。2019年から当ブログ記事で関心を寄せてくださった多くの日本語人(非フランス語人)の人たち、お待たせしました。日本語でこの壮大なるヴァイオリン小説を味わってみてください。

みすず書房の『壊れた魂』紹介ページへ

 

3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

初めまして、当方ドイツのハンブルク在住のものです。音楽(ヴィオラ)をハンブルク音大に勉強しに来て、そのまま居ついて今年で31年目になりまます。。今朝、ドイツ人でフランスに住む友人が、日本人作家がフランス語で書いた「Ame Brisée」というとても素晴らしい本を読んだけれど、ドイツ語も日本語も翻訳が見つからない、というメッセージをくれました。(彼女自身は音楽家ではないのですが、熱烈なクラシック音楽ファンです。)
私も自分でこの本についてGoogle検索していて、カストールさんのブログに辿り着きました。大まかなあらすじを書いてくださってありがとうございます!そして、それを読んでますます興味が湧いた次第です。ドイツ語でしたら読めるのに、フランス語では歯が立ちません。残念です。。。
ドイツにも、芥川賞作家の多和田葉子さんがいらしてドイツ語で書かれていらっしゃいますが、フランス語で書かれている水林さんのことは初めて知りました。是非他の作品も日本語訳、もしくはドイツ語訳が出てほしいものです。。
ありがとうございました。

Unknown さんのコメント...

書き忘れました。。
Hagen Quartettの皆さんお若いですね!びっくりです!!

Pere Castor さんのコメント...

Unknownさん、
コメントありがとうございます。全くと言っていいほどコメント投稿していただいたことのないブログなので、大変励みになります。
2019年夏に刊行されたこの小説は、フランスで徐々に評価が高まって、今日まで大小6つの文学賞(ブックフェア賞、図書館賞など)を獲得して、2020年春その賞をいただくセレモニーのために水林氏がフランスに来たのですが、コロナ禍に直撃されて全部キャンセルになり、ご自身も早々に帰日されました。私は二度お会いしてお話しをうかがいました。日本語を「母語」そしてフランス語を「父語」と自らみなしている氏は、その小説がフランス語表現だからこそできたという思いがあり、日本語化への興味はあまり持っていらっしゃいませんでした。日本人にこそ読まれるべき小説、と私は思っておりますが。
コロナ禍が落ち着いたらまた必ずフランスにいらっしゃるはずです。日本語化の件、しつこく言ってみようと思っています。